判例検索β > 昭和48年(ネ)第204号
損害賠償請求控訴ならびに同附帯控訴事件
事件番号昭和48(ネ)204
事件名損害賠償請求控訴ならびに同附帯控訴事件
裁判年月日昭和49年11月20日
法廷名名古屋高等裁判所
判例集等巻・号・頁第27巻6号395頁
判示事項国道上に災害をもたらす自然現象の発生する危険を予測し得たものとして管理の瑕疵が肯定された事例
裁判要旨災害をもたらす自然現象について、学問的に発生機構が十分解明されていないため、その発生の危険を定量的に表現して時期・場所・規模等において具体的に予知・予測することは困難であつても、当時の科学的調査・研究の成果として当該自然現象の発生の危険があるとされる定性的要因が一応判明していて、右要因を満たしていること及び諸般の情況(判文参照)から判断して、当該自然現象の発生の危険が蓋然的に認められる場合であれば、これを通常予測し得るものといつて妨げないから、その危険より道路の安全を確保する措置が講じられていなければ、道路管理に瑕疵があつたものといえる。
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目 次
主 文
事 実
第一 当事者の申立
(控訴)
一 控訴の趣旨
二 答弁
(附帯控訴)
一 附帯控訴の趣旨
二 答弁
第二 当事者の主張
(事実摘示の訂正)
一ないし五
(控訴についての控訴人らの主張)
一 災害対策の基本姿勢
1 災害科学と防災科学
2 災害に関する研究の沿革
3 災害対策の基本的な考え方
二 瑕疵論
1 瑕疵の意義と土石流
(一)ないし(三)
2 危険区間というとらえ方
(一)土砂崩落による道路の危険
(二)本件国道の危険区間
(三)原判決の危険区間の観念と本件事故後実施された交通規制 (四)危険区間における土石流と斜面崩壊
(1)ないし(3)
3 通常備えるべき安全性
(一)「予測」の規範性
(1)、(2)
(二)災害対策における「予測」
(1)既往最大規模の考え方と確率論的規模の考え方・
ア 既往最大規模の考え方
イ 確率論規模の考え方
(2)原判決の予測の不当性
ア、イ
(三)情報の精度と災害の対策
(1)、(2)(ア、イ、ウ)、(3)
(四)防護施設の不備について
(1)、(2)
三 困果関係論
1 因果関係と責任の範囲
2 不可抗力について
(一)原判決の不可抗力の認定
(二)不可抗力の概念
(三)原判決の批判
3 割合的因果関係論について
(一)ないし(四)
四 集中豪雨について
1 集中豪雨一般の予報と防災対策
(一)集中豪雨についての原判決の認定
(二)集中豪雨の特徴と発生機構(メカニズム)
(三)本件事故当時における集中豪雨の研究
(四)集中豪雨災害の危険性とその認識
(五)集中豪雨の予報および防災対策
2 本件事故当夜の集中豪雨と予報対策
(一)岐阜県地方における気象(降雨)の特性
(1)、(2)

(二)本件事故当夜の気象状況
(三)当夜発表された気象予報
(1)、(2)
3 予測すべき降雨量について
(一)、(二)((1)、(2))、(三)
4 再現確率雨量について
(一)、(二)
五 本件土石流の予見可能性
1 土石流について
(一)土石流の発生原因
(1)地形
(2)土石の堆積状況
(3)降雨
(二)土石流の引き金としての斜面崩壊
(1)ないし(3)
2 土石流についての研究等
(一)土石流に関する研究
(1)地質
(2)地形
(3)降雨
(4)土石流の発生機構
(5)本件事故当時における学問、技術の水準
(二)土石流等の災害についての研究機関
(1)大学および附属施設
(2)国等の研究機関
(三)災害関係法規の整備
3 事故現場附近の危険性
(一)地質・地形
(1)地質
(2)地形
(3)まとめ
(二)本件国道上に発生した過去の崩落事例
(1)ないし(3)
(三)国鉄高山線の防災対策
(1)ないし(5)
4 本件事故当夜の斜面崩壊と土石流
(一)斜面崩壊
(1)ないし(3)
(二)土石流
(1)本件沢の地質および地質構造
アないしオ
(2)本件沢の地形について
(3)崖錐様堆積物の状況
ア、イ
(4)沢の流水の状況
ア、イ
(5)本件土石流の発生状況
ア、イ
5 本件土石流の予見可能性について
(一) 「予見」の意義
(1)原判決における「予見」のとらえ方
(2)判例、学説における「予見」のとらえ方
ア(a、b)、イ(a、b)、ウ(a、b)
(3)原判決における「予見」のとらえ方の誤り
(4)A1意見書(乙第一三号証)について
(二)本件土石流発生の予見可能性
(1)土石流発生の予見について
(2)本件土石流発生の予見について

ア、イ、ウ
(3)
六 管理態勢と管理者の手落ち
1 災害態勢について
2 当夜の国道管理関係者の行動について
(一)二〇時〇分発表の雷雨注意報の連絡
(二)災害対策
(三)出張所B1の職務懈怠
(四)B1・B2のパトロール
(五)六四・一七km地点での措置
3 本件事故後の改善について
4 国鉄高山線と木曾川の災害態勢について
5 被控訴人の主張について
(一)当夜の降雨の把握と管理態勢
(二)事前交通規制について
七 バス運行関係者の過失について
1 被控訴人の主張
2 過失認定について
(一)ないし(三)、(四)((1)、(2))
八 損害
1 原判決の損害算定
2 算定基準等に対する批判
(一)逸失利益について
(1)固定方式の不合理性
(2)主婦の逸失利益
(二)慰藉料について
(1)、(2)
(三)弁護士費用について
(四)仮執行の宣言について
九 死亡した第一審原告らの本件損害賠償請求権の承継等について 1 死亡した第一審原告らの承継
(一)ないし(五)
2 請求の一部減縮
一〇 結語
1ないし3
(控訴についての被控訴人の主張)
一 本件国道の安全性について
1 設置の合理性と安全性
(一)調査計画の概要
(1)航空写真およびその図化
(2)計画線調査
(3)実測線調査
(二)((1)、(2))、(三)ないし(五)
2 雨量による土砂崩落の予見について
(一)、(二)((1)、(2))、(三)
(四)落石検知装置について
(1)ないし(3)
二 本件事故当夜の集中豪雨の異常性について
1 各地の被害状況
2 確率雨量
(一)、(二)
三 本件土石流について
1 土石流に関する学問的水準
2 土石流に対する防災工法について
3 控訴人らの主張について
(一)((1)ないし(4))、(二)((1)ないし(12))、(三)、(四)
4 本件土石流について

(一)、(二)
四 防護施設について
1 防護施設の種類と意味
2 土石流等の防止について
五 管理態勢
1 本件事故当夜の降雨の把握と管理態勢
2 交通規制について
(一)ないし(四)
3 現行交通規制の仮定適用について
(一)ないし(五)
六 結語
(附帯控訴についての被控訴人の主張)
一 附帯控訴の理由
二 本件附帯控訴に対する本案前の抗弁について
1ないし4
(附帯控訴についての控訴人C1、同C2、同C3の主張)
一 本件附帯控訴に対する本案前の抗弁
1、2((一)ないし(五))
二 本件附帯控訴の理由に対する答弁
1、2
第三 証拠(省略)
理 由
第一 本件事故の発生およびその状況ならびに本件事故当夜の集中豪雨による各地の被害状況等
一 本件事故の発生
二 本件事故の発生状況
1ないし4
三 本件事故当夜の集中豪雨による各地の被害状況
第二 本件国道の概要ならびに管理状況等

1ないし16

1 機能
2 地形・地質
(一)地形
(二)地質
(1)本件沢附近を含む飛騨川上流域の地質
(2)本件沢附近の地質
(3)本件沢附近より以南の飛騨川流域の地質
3 気象
4 管理担当官署
第三 責任
一 国道四一号の危険性とその危険区間
1 過去の崩落事例およびその原因
(一) 改良工事前
(二) 改良工事後
2 本件事故当夜の崩落等およびその原因
(一)崩落等の箇所および原因
(二)六四・一七km地点の崩落
(三)本件沢の土石流
3 降雨による崩落等の危険とその区間
二 本件事故当夜の集中豪雨および崩落等の予測可能性
1 集中豪雨について
(一) ((1)ないし(3))
(二) ((1)ないし(4))
2 山地において災害の原因となる自然現象の形態
(一)、(三)
3 斜面崩壊について

(一)斜面崩壊の発生機構および原因
(二)斜面崩壊の予知・予測方法
(三)本件斜面崩壊の予測可能性
(1)、(2)
4 土石流について
(一)土石流の発生機構および原因
(二)土石流の予知・予測方法
(三)本件土石流の予測可能性
(1)ないし(5)
(6)被控訴人の主張に対して
ア、イ、ウ
(7)、(8)
5 土砂流について
(一)、(二)
6 国道四一号の危険区間における危険性
7 本件事故当夜の崩落等の発生の危険およびこれによる事故発生の危険の予測可能性
(一)、(二)
三 設置または管理の瑕疵の有無
1 設置の瑕疵の有無
(一)、(二)
2 管理の瑕疵の有無
(一)((1)ないし(4))
(二)
(三)
(四)((1)ないし(3))
(五)
(1)気象情報、降雨状況、崩落等の伝達とパトロールについて アないしキ
(2)第一回パトロール隊による南進禁止措置の可否について (3)六四・一七km地点での処置について
(4)
四 被控訴人の不可抗力の主張に対して
五 旅行主催者および運転手らの過失の有無
六 結語
第四 損害
一 概説
1 親族関係等
2 逸失利益
(一)就労可能年数
(二)死亡者の年間・所得
(1)有職者
(2)主婦、家事手伝
(3)男子大学生
(4)男子高校生以下
(5)女子短大生
(6)女子高校生以下
(三)死亡者の年間生活費控除
(1)ないし(3)
(四)中間利息控除の方式
3 慰藉料
4 損害の填補
5 労災保険法による保険給付額の控除
(一)ないし(三)
6 弁護士費用
7 認容額
8
二 計算関係(1)ないし(42)

第五 結論
別 紙
当事者目録
認容金額目録(一)ないし(四)
請求金額目録
表AないしF
賃金上昇率表
資料(一)、(二)の一ないし三(省略)
主 文
一 控訴に基づき原判決中、
1 別紙認容金額目録(一)記載の各控訴人に関する部分を取消す。 2 被控訴人は右各控訴人に対し、右目録認容額欄の各金員およびそのうちの内訳欄損害額の各金額について昭和四三年八月一八日から、同弁護士費用の各金額について同四八年三月三一日からそれぞれ支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
3 右各控訴人のその余の請求を棄却する。
二 控訴に基づき原判決中、
1 別紙認容金額目録(二)および(三)記載の各控訴人に関する部分を次のとおり変更する。
2 被控訴人は右各控訴人に対し、右目録認容額欄の各金員及びそのうちの内訳欄損害額の各金額について昭和四三年八月一八日から、同弁護士費用の各金額について同四八年三月三一日からそれぞれ支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
3 右各控訴人のその余の請求を棄却する。
三 控訴及び附帯控訴に基づき原判決中、
1 別紙認容金額目録(四)記載の各控訴人に関する部分を次のとおり変更する。
2 被控訴人は、
(一) 控訴人C1に対し、右目録認容額欄の金員及びそのうちの内訳欄損害額(1)アの金額について昭和四八年八月六日から、同イの金額について同四三年一一月二三日から、同ウの金額について同四三年八月一八日から、内訳欄弁護士費用の金額について同四八年三月三一日からそれぞれ支払いずみまで年五分の割合による金員、
(二) 控訴人C2に対し、右目録認容額欄の金員およびそのうちの内訳欄損害額(1)アの金額について昭和四九年二月六日から、同イの金額について同四三年八月一八日から、同ウの金額について同四三年八月一八日から、内訳欄弁護士費用の金額について同四八年三月三一日からそれぞれ支払いずみまで年五分の割合による金員、
(三) 控訴人C3に対し、右目録認容額欄の金員及びそのうちの内訳欄損害額(1)アの金額について昭和四八年二月一二日から、同イの金額について同四三年一一月二三日から、同ウの金額について同四三年八月一八日から、内訳欄弁護士費用の金額について同四八年三月三一日からそれぞれ支払いずみまで年五分の割合による金員、
を支払え。
3 右各控訴人のその余の請求を棄却する。
四 訴訟の総費用はこれを三分し、その一を控訴人らの連帯負担とし、その余を被控訴人の負担とする。
五 この判決は、各控訴人勝訴の部分に限り、各控訴人において、別紙認容金額目録(一)ないし(四)の認容額欄の各金員の五分の一に相当する金額(ただし、一万円未満の金額は切り捨てる)の担保を供するときは、仮に執行することができる。
事 実
第一 当事者の申立
(控訴)
一 控訴の趣旨
控訴人ら訴訟代理人は、
1 原判決中、控訴人ら敗訴部分を取消す。
2 被控訴人は控訴人らに対し、別紙請求金額目録記載の各金員及びこれに対す
る昭和四三年八月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。 3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
4 この判決は、控訴人ら勝訴部分全額につき、仮に執行することができる。 との判決を求めた。
二 答弁
被控訴人指定代理人は、
1 本件控訴を棄却する
2 控訴費用は控訴人らの負担とする。
との判決を求め、仮に仮執行の宣言がされる場合には、担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求めた。
(附帯控訴)
一 附帯控訴の趣旨
被控訴人指定代理人は、
1 原判決を次のとおり変更する。
2 被控訴人は控訴人C1に対し金九七万七、七七〇円、同C2に対し金九三万三、七七一円、同C3に対し金八八万二、三三〇円及びこれらに対する昭和四三年八月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
3 右控訴人らのその余の請求を棄却する。
4 訴訟費用中、附帯控訴によって生じたものは、右控訴人らの負担とする。 との判決を求めた。
二 答弁
控訴人C1、同C2、同C3訴訟代理人は、
1 本件附帯控訴を棄却する。
2 附帯控訴費用は被控訴人の負担とする。
との判決を求めた。
第二 当事者の主張
当事者双方の事実上及び法律上の主張は、次に訂正・付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
(事実摘示の訂正)
一 原判決二〇丁裏一行目に、「二三時四〇分頃」とあるのを、「二二時四〇分頃」と訂正する。
二 同三三丁裏一一行目に、「本件附近」とあるのを、「本件沢附近」と訂正する。
三 同三七丁裏一〇行目に、「昭和四一年七月九日」とあるのを、「昭和四二年七月九日」と訂正する。
四 同八八丁表の表中、二行目の最上段(通過時刻欄)に、「2」とあるのを、「20」と訂正する。
五 同一三三丁表七行目に、「事務所である」とあるのを、「事務所において」と訂正する。
(控訴についての控訴人らの主張)
一 災害対策の基本姿勢
1 災害科学と防災科学
人間社会に大きな被害をもたらす災害現象(原因となつた自然力等の外力とその結果発生した社会現象としての損害の二つを含む)を自然科学的に研究する学問の分野は「災害科学」と呼ばれる。そして、このような災害現象に伴う損害を未然に防止し、あるいはその被害拡大を防止し、さらには発生した被害を復旧することなどを自然科学的に研究する学問を「防災科学」と呼ぶ。
これら災害に関する研究は、このような自然の事象に関連ある地球物理学、地理学、地質学、気象学、土木工学、建築工学、農林工学、水産工学等各種自然科学の研究成果を集め、「防災」の観点より総合的に研究する総合科学の分野である(甲第七六号証の三、四)。政府機関である科学技術庁、国立防災科学技術センターでも、昭和三九年ころより、右のような考え方にそつて、災害の問題にとり組んでおり、自然現象による外力と社会現象としての災害は、はつきり区別されていた(甲第八七号証の四)。
本件国道四一号における改良工事の実施、さらには改良後の維持・管理といつた場面では、これら災害に関する学問・技術における研究成果を十分に取り入れたうえ、それを現場で実践にうつす中でその場面に適合したより良いもの、よりすぐれたものを開発していく努力が要求される。

この意味において、本件国道四一号の設置・管理の瑕疵を詳しく論議する前に、災害に関する研究の沿革と、本件事故当時におけるこれらの学問における防災の基本的考え方(予知・統御が極めて困難な自然の事象に対する災害対策は如何にあるべきか)を考察しておくことは、十分意味のあることと考える。
2 災害に関する研究の沿革
わが国において、災害に関する科学的研究が総合的に行われるようになつた歴史は、比較的新らしい。
太平洋戦争中、手入れを怠つて荒れた国土に、戦後は大河川の堤防決壊による洪水、住宅地区や道路でのがけくずれ、山くずれ、橋梁の流失等大規模な災害が相次いだ。はじめは人力をもつてしては如何ともなし難い「天災」といわれていたが、次第に「人災」の要素がきわめて大であるとの認識が強まり(その契機の一つは昭和二九年函館港外で起つた洞爺丸沈没事故といわれている。)、総合的対策が論議され、その研究も進められるように考え方が変つて行つた。
昭和三三年九月に狩野川台風、翌昭和三四年九月には伊勢湾台風と、大きな災害が相次いで日本を襲つた。ことに伊勢湾台風が東海地方にもたらした被害は、甚大かつ深刻なものがあり、国・地方公共団体の各機関、災害に関心を有する研究機関等社会の各方面に対し、災害には国の全機能をあげて総合的に対策を講じることが必要であることを痛感させた。
個々の行政区分や専門科学間の障壁を取り払って、各方面の研究成果と英知を集大成して、自然現象に対処することの重大性、必要性が強く認識されたのである。 この伊勢湾台風の教訓は、立法の面では、昭和三六年一一月に災害対策基本法の成立その他関係法規の整備となつて現われ、学術研究の上では、科学技術庁文部省等を中心とする昭和三五年以降の防災研究の重視となつて生かされていつた。全国的な規模で見るときには「災害は忘れたころにやつてくる」のではなく、「災害は毎年必ずどこかにやつてくる」という認識が一般化し、対策の重要性が再認識されたのである。
昭和三八年には、科学技術庁に防災科学技術の研究を専門的に行なう機関として、国立防災科学技術センーターが設置され、総合自然科学の立場から研究活動を開始した。文部省関係でも、昭和三五年から、国立大学の各専門分野の研究者を中心にして、災害科学総合研究班が組織され、特定研究費による予算的裏づけを得て、相当活発な研究活動が行なわれるようになつた。
その他、国土地理院(建設省)、土木研究所(建設省)、建築研究所(建設省)、気象研究所(気象庁)、地質調査所(通産省)等の国立研究機関でも、災害に力点を置いた研究が行われるようになつたし、大手建築会社の私企業でさえ、年間売上の数パーセントを割いて防災の研究を行なうよらになつてきている(甲第八七号証の五)。
このように、行政の上でも学術研究の上でも、災害に対し総合的見地から取組む組織と体制がこの昭和三八・三九年ころには整備され、その後それが次第に拡充されて現在に至つている。
3 災害対策の基本的な考え方
自然災害を防止し、被害をなくす目的からいつて、二つの方策が考えられる。その第一は施設の強化によつて自然の暴威を防止する、いわゆる施設対策と、第二に被害をこうむらないための避難対策である。
この自然災害に対処する二つの考え方、施設防禦方式と合理的な避難方式の併用は、各方面で承認され、行政に定着した異論のない考え方である。 要するに、直接防護施設により自然の力を防ぎ止めることも重要であるが、科学的、合理的に避難して自然がもたらす危険に近づかないという方法をさらに重視しなければならないということになる。
そして、この二つの方式を現実の災害対策において実践する場合の基本姿勢としては、第一に、誰もが知ることく、現状の防護施設は自然の力に対し一〇〇パーセント安全ということは全くありえないということを考慮に入れると、被害をもたらす目然現象についての科学的情報の精度が低ければ低いほど、また、防護施設による防禦の力を自然現象の有する力と対比することができにくければできにくいだけ、早期に警戒に入り、人間が危険域に近づかない、人間を危険域に近づけないという取組み方でなければならない。定量的に危険を予知できない土石流のような自然現象について、道路が無防備でよいとか対策の施しようがないといつてすますことは決して許されない。また、第二に、現象の上では異なつて見え、自然科学的な研究の手法が一部異なる自然現象がいくつかあつたとしても(例えば、降雨により
発生するがけくずれ、山くずれ、土石流、内水はんらんといつた現象のようなものがあるが)、ある地域ではそれらの自然現象の発生が定性的に予想され、それが災害として人間に危険をもたらすものである限り、災害対策をたてる上では、自然科学的な発生の原理とか研究の手法とかの差異にこだわることなく、そのような危険が併行して同時に発生する場合に備えた総合的対策を考えなければならない。 二 瑕疵論
1 瑕疵の意義と土石流
(一) 国家賠償法二条一項の営造物の設置または管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいい、これに基づく国および公共団体の賠償責任については、その過失の存在を必要としないと解する、いわゆる客観説が通説判例の立場である。
ところで、原判決は、本件国道の設置・管理の瑕疵を論ずるにあたつて、まず、本件事故の直接の原因は土石流の流出であつたとしたうえ、この土石流の発生が予見可能なものであつたかどうかを検討している。しかし、瑕疵を判断する前提として土石流の発生が予見可能であることを要求する原判決の見解は、右に述べた瑕疵の意義に照らして明らかに誤りである。すなわち、原判決は、土砂崩落についでは、まず、「1」六四・一七㎞地点(a1町b1、以下㎞地点は、名古屋市東区高岳町所在の国道四一号の起点からの距離を示す)から六八㎞地点(同町c1)までの三・八三キロメートルと、「2」七八㎞地点(a1町d1)から八〇㎞地点(同町e1)までの二キロメートルの区間で、通常予測され得る範囲内の降雨を原因として土砂崩落が発生したという事実のみを基礎として、本件国道に土砂崩落の危険が客観的に存在していることを導き出しているのであるから、原判決の右の部分は、瑕疵についての前記通説判例の立場によるものと見ることができる。したがつて、この見地に立てば、土石流についても、災害対策上予測すべき降雨量の範囲内で発生する危険性が客観的に存在するか否かが問題とされるべきものであつた。しかるに、原判決はこの点を検討することなく、直接土石流発生の予見可能性を検討しているのであつて、そこに論理の矛盾がある。
(二) しかして、右の点については、連続降雨量一〇〇ミリメートルを越えると土石流が発生しやすいことが指摘されている(当審証人D1の第四回口頭弁論期日における証人尋問調書五四丁以下=D1第四回五三丁以下と略記し、以下この例による。甲第五七号証一七七頁、甲第七五号証の五、甲第八五号証一〇九頁)。 また、建設省技官の昭和四七年度を中心とする土砂害(主に土石流的被害―掃流砂によるものも含む)実態調査(甲第六六号証)による土砂害を発生させた降雨件数五一件(渓流数一七八例)の資料について見ても次表のごとくである。これによれば、原判決認定の予測降雨量(日最大降水量)の上限である二六〇ミリメートル以内で発生しているものは五一件中三三件である。岐阜県について見れば四件で、一六〇、一九二、二六五、三六〇ミリメートルで土石流が発生している(甲第六六号証二三頁参照)。
<記載内容は末尾1添付>
(三) 右の事実から見れば、本件国道には、原判決のいう予測し得た降雨量の範囲内でも土石流発生の危険は明らかに存在する。土石流発生の他の要件である溪流の地形(特に勾配)、不安定な土石の堆積状況については、本件沢がこれらの要件を十分に備えていたことは明らかであり、本件国道にこのような沢が交差している以上、この沢に発生した土石流によつて国道上の通行に危険が生ずることは当然である。したがつて、本件国道には、災害対策上予測すべき降雨量の範囲内で土石流による土砂流出の危険が客観的に存在したものであり、この危険すなわち瑕疵と見るのが相当である。しかも、本件土石流が発生した際の一七日午前九時から一八日午前二時までの総雨量は三〇〇ミリメートル(f1)であるが、控訴人らはこれは予測すべき降雨量の範囲内であると考えるので、原判決が土砂崩落について示したように、この危険すなわち瑕疵であることを本件土石流についても当然認めることができる。
2 危険区間というとらえ方
(一) 土砂崩落による道路上の危険に関する事例において、道路の設置・管理の瑕疵を判断するにあたつては、具体的な事故が発生した一つの現場だけの瑕疵をとりあげるのではなく、右現場を含む一定の道路区間の瑕疵を対象にするという視点がなによりも大切である。
土砂崩落という道路上の危険は、何よりも道路に接する周辺地域の地形・地質に起因するものであるから、具体的な事故が発生した一つの現場だけでなく、道路に
接して同種の地形・地質を有する地域がある一定区間は同一の危険が内在しているものと考えねばならない。また、道路は、都市と都市・町と村を結び、常時その上に自動車を乗せて高速で流れていくベルトコンベァーをつないだもりとも考えられる。そのベルト上の一点に障害が発生すれば、その影響は一つのべルトコンべアーをなす道路の一定区間に、ひいては道路全体に波及する。したがつて、道路に対する危険という側面からも、危険によつて生ずる障害という側面からも、危険区間というとらえ方は不可欠である。
(二) 本件国道の危険区間
控訴人らも、本件国道の危険性につき、本件事故現場を含むg1橋とh1の間、h1とi1町の間、i1町とj1町の間の三つの区間内に危険箇所が集中しており、これらの危険区間は過去の災害歴から見て相当量の降雨のある場合には当然土砂崩落等の危険があることを指摘し、本件沢のみの土石流、本件バス集団が前進をはばまれた地点の崩落といつた一つの場面を微視的にとらえて考えるのではなく、右に述べた三つの危険区間が全体としてどのような状況にあるかを十分理解、把握しなければならないことを強調してきた。
そして、これら三つの道路区間に危険箇所が集中していることは、その地形、地質、過去の災害歴等から明かであるが、本件事故後実施された「異常気象時における道路通行規制」において、右の危険区間がいずれも交通規制区間に指定されていることでも裏付けられている。すなわち、岐阜国道工事事務所の管理区間は次の表1のとおり総延長二四六・一キロメートルであるが、交通規制区間は、次の表2のとおり延長六四キロメートルである。このうち、前述の三つの危険区間に対応する規制区間は四三・七キロメートルであるから、いかにこの区間に危険箇所が集中しているかが窺われる(甲第六七号証の四)。
<記載内容は末尾2添付><記載内容は末尾3添付>
(三) 原判決も、さきにも述べたように、土石流以外の土砂崩落(斜面崩壊)については、危険区間という観念を採用しているが、これと、前述したごとく土石流のみをまずとりあげ、予見可能性の有無を検討した態度は、矛盾するものである。なお、原判決指摘の区間は既往の崩落場所附近にのみ限定しているが、これ以外の場所に発生する可能性は十分あり、右のような危険区間の限定の仕方では事故発生毎に危険区間の改正を余儀なくされると推測されるのであつて、右のごとき区間の限定は妥当ではない。
建設省が本件事故後実施した「異常気象時における道路通行規制」における交通規制区間も、前述のとおり原判決指摘の区間よりずつと長いのである。そして、この交通規制のために設置されたゲートの位置はつぎのとおりである。 原審第二回検証時(昭四七・九・二八)まで設置されたもの
(1) 五七・七㎞地点 g1橋 北進禁止 (2) 八一・八四㎞地点 i1町k1地内三叉路 南進禁止 控訴審検証時(昭四八・一〇・二五~二六)までに設置されたもの (3) 六六・七㎞地点 l1橋 南進禁止 (4) 六九・九㎞地点 a1町c1地内 北進禁止 右ゲートによる規制区間は、「1」g1橋五七・七㎞地点からl1橋六六・七㎞地点までの九キロメートル、「2」c1地内六九・九㎞地点からk1地内三叉路八一・六四㎞地点までの一一・七四キロメートルであり、これは控訴人ら主張の危険区間に対応している。
(四) 危険区間における土石流と斜面崩壊
(1) このように危険区間として一定の道路区間の危険性を考察する場合、山岳道路での降雨にともなう「土砂崩壊災害」としては「山くずれ、がけくずれ」(まとめて斜面崩壊と呼ばれる)と「土石流」とがある。この二つの自然現象は発生機構や現象の特徴においてそれぞれ異なるものではあるが、その原因には共通のものが多い。斜面崩壊では「まず、勾配が急であつて土質が弱く(土塊中の摩擦力、粘着力が小さい)、水が地下に集まりやすい条件があげられる。」そして、「当然のことであるが、雨の降り方は地中の水の集中状況を支配するが、とくに長雨のあとの強面が崩壊を起こしやすい」といわれる。
(2) 土石流については、「ある程度急峻な谷に沿つて大量の土や石が堆積しており豪雨によつて多量の水が集中するときに発生する」とされ「わが国の多くの沢では連続降雨量が一〇〇ミリメートルを越えると……土石流が発生しやすくなり、さらに短期間の強い雨が直接に土石流の発生に関連する」ともいわれている(甲第五八号証一五五頁以下・一七六頁以下)。

また、「三〇〇ミリメートルという雨量は、実に非常な大雨である。一五〇ミリメートルの雨量でも警報的の大雨である。……私共の知る所では三〇〇ミリメートルを突破すれば『至る処で、崖くずれを生ずる段階がきた』ということである。すなわち、雨は地下に浸透し、地下水は飽和状態に達している状態である。降つた雨は、そのまま滝となつて斜面を流れ下る状態がすでに来ている容易ならざる段階が三〇〇ミリメートルという降雨の段階であろう。」との知見が昭和三二年発行の季刊防災(甲第七九号証の一~二)に記述されている。建設省技官の昭和四七年度を中心とする実態調査(甲第六六号証)でも、土砂害(主に土石流的被害)について、連続降雨量が一五〇ミリメートル以上になると、土砂害が発生し初め、三〇〇~四〇〇ミリメートルの間で発生している例が最も多いと報告されている。このように斜面崩壊と土石流とは、その原因ことに降雨との関係で共通な点か多い。さらにこの「山くずれ、がけくずれ」「土石流」あるいは、これに加えて「内水はんらん」は実際には独立してばらばらに発生するものではなく相互に密接な関連のある場合が多い。例えば、山麓で「山くずれ」がきつかけとなつて谷沿いに「土石流」が発生し、その土砂が別の小河川を閉めきつて「内水はんらん」が生じるような場合もある(甲第五八号証一五四頁)。
「土石流の発生は、山くずれ、がけくずれよりもさらに頻度が小さい」ので、特定の地域では稀有な現象と受取られやすいが、降雨にともなう「土砂崩壊災害」という枠組でとらえれば、斜面崩壊と土石流には決して質的な差異があるわけではなく、山岳地帯に道路を建設すれば常に両者の危険性を内在させていることになるのである。したがって、土砂崩落と土石流はいずれも降雨にともなう国道上の危険として一体として考察すべきものである。
(3) 斜面崩壊と土石流は、その被害を防ぐための対策でも基本的な点では共通な面が多い(甲第五八号証二〇二頁)。そして、基本的な防災の考え方としては、「要するに山くずれ、がけくずれの災害を防ぐには、綿密な調査にもとずいて危険域を探して工事を進めることはもちろん重要であるが、現在の科学技術の限界や上表利用の形態からみると、それだけ多くの災害を完全に防ぐことは、至難であり、むしろ平常から豪雨時の危険を予相心して居住形態、交通機能のあり方をととのえておき危険時に危険域に立ち入らないでもすむような方策を立てるべきである。」(甲第五八号証一七五頁)と説かれている。
これを本件国道の設置管理についてみれば、山岳地帯に道路を建設する場合、できる限り危険域を避けるべきであるが、この危険域に建設した場合は、常にその道路は「土砂崩壊災害」の危険性すなわち瑕疵を内在させているのであるから、管理ことに交通規制を的確に行なうことによつて、この危険を現実化しないことがなによりも要請されるのである。そして、土石流と比較すれば、土砂崩壊の方が容易にかつ頻ぱんに発生するのであるから、土砂崩落の危険に対処する交通の事前規制が完全にとられていれば、それは同時に土石流の危険にも対処していることになるのである。
このような点からも、危険区間における「土砂崩壊災害」のうち土石流のみを特にとり出して論ずる原判決の態度は誤りであるといわねばならない。 3 通常備えるべき安全性
(一) 「予測」の規範性
(1) 道路の通常備えるべき安全性の問題を、自然力等の外力との関係で議論する場合には、「通常発生の予測される外力による事故に対し安全性を備えておらなければならない」と述べられており(乾昭三注釈民法(一九)四二一頁)、外力に対する「予測」の問題の重要性がここに浮び上つてくる。
社会的に要求される道路としての安全性に関し、その前提として問題とされる「予測」は、災害対策の上ではどのような事態を想定して置くべきかという問題に帰着する。
このことは問題とされた事態が発生した当時における当該道路の設置・管理の業務に直接携つた者の立場から見て、その事態を「予測」できたかどうかというような単なる予測可能性を論ずるものではなく、常時多数の自動車が疾駆し、多くの人命、財産を運んで動き続けるベルトコンベアをつないだものにも比すべき道路を管理し、その安全確保を最も重要な職責とする道路管理者としては、どのような事態を想定して災害対策をたて、道路交通の安全確保にあたらなければならないかという問題を意味している。
ここには道路の安全を守る防災の観点から「そうあらねばならない」という一つの規範としての価値判断が含まれている。

(2) 原判決は事故当夜崩落の集中した五四・二二km地点から七八・四五km地点までの区間において通常予測し得た降雨量(原判決が予測し得たとする降雨量につき控訴人らに異論のあることは後述する)につき論じではいるが、その予測し得たとする降雨量に基づき道路を設置し、管理するものは、どのような災害対策をたてて道路交通の安全を守らなければならなかつたかという点、換言すれば具体的な安全基準、安全度の考え方という点については何ら明確な判断を示していない。
このような災害対策の上における「予測」は、瑕疵の有無や、不可抗力の認定という判断よりは論理的にも先行しており、かつ、これらの判断の前提・基礎の一つとなつていると理解されるのであるから、原判決がこの「予測」の内容を具体的に示さないまま、不可抗力の認定の判断をしているのは、理由に不備があるといわざるを得ず、控訴人らとしては大いに不満とするところである。
控訴人らは、裁判所が判決においてこの「予測」の内容を防災の観点から具体的かつ的確に示し、道路の設置・管理に関する安全基準を一つの規範として定立することが最少限度必要と考えている。以下、この点に関する控訴人らの見解を述べる。
(二) 災害対策における「予測」
(1) 既往最大規模の考え方と確率論的規模の考え方
災害対策をたてる場合の外力(=自然力)の予測に関しどこに基準を置くべきかということがしばしば論議されるが、この基準設定に関し既往最大規模による考え方と確率論的規模による考え方のあることが知られている。
しかしながら、右の二つの考え方に準拠して災害対策をたてることは誤りであることを指摘したい(控訴人らはこれらの考え方が災害対策の上では全く無益不用のものたと主張するものではないが)。
ア 既往最大規模の考え方
知られている最大の災害規模を災害対策をたてる場合の基準にするという考え方であり、わが国では災害対策における最も基本的な考え方として採用されて来た実績がある。
しかしながら、過去における最大規模の災害は、将来をも含めて考えた場合の絶対的最大規模の災害を意味するものでは決してない。既往最大とはいいながらも、過去の観測記録として知られているものが、ごく短期間のわずかな数しかないことを考慮にいれると、知られている既往最大規模の記録は比較的短い間に次々と更新され続けることになり、基準が基準としての意味を持ち得ないことになる。道路の安全を守る上でこのような考え方に立つことが誤りであることは明瞭といえよう。 イ 確率論的規模の考え方
確率論の手法を用いて知られている過去の資料からある確率年に発生することか推計できる災害規模をもつて災害対策の基準とする考え方で、既往最大規模という考えよりは多少進んでいる。しかし、この考え方を生かすためには基礎となるべき豊富な過去の資料が不可欠である。
この点、わが国では資料となるべき正確な災害の観測記録が非常に少いため、確率年を計算してみでもその信頼度はきわめて疑わしいし、対策を講ずる場合の確率年を設定し、その場合における災害規模をわかつている過去のデータから計算してみても、その信頼度は乏しく、これを直ちに災害対策の指針とすることはきわめて危険であり、誤りであるといわなければならない。
以上に述べた考え方は、昭和三九年に発行された前掲「防災ハンドブツク」(甲第七六号証の五)や、昭和四一年に発行された前掲「風水害」(甲第八七号証の四)においても、防護施設を例に引いて詳しく説明されており、防災関係者の間では広く知られていたのである。
したがつて、本件事故のあつた昭和四三年八月当時にあつては、本件国道の管理にあたつていた道路管理者は、このような考えは十二分に承知していたと考えられるし、知つていなければならなかつた。
(2) 原判決の「予測」の不当性
ア 原判決は「予測し得た降雨量」に関しかなり詳しく論及している。この原判決の「予測し得た降雨量」の判断の基礎にあるのは、既往最大規模の考え方であると理解される。
すなわち、原判決は予測し得た日最大降水量に関しては、f1、m1、n1、i1の四ヶ所における過去の日最大降水量記録の五位までのものを表にしてあげ、この表の降雨記録から直ちに日最大降水量二六〇ないし二〇〇ミリメートル程度の降
雨を予測し得たと認定している。この表を見ると、最高値はi1で二六三ミリメートル、n1で一九八ミリメートル、m1で一九八ミリメートル、f1で一八九ミリメートルとなつており、原判決はこれら各観測地点の最高値から前述の二六〇ないし二〇〇ミリメートルという上限の数値を導き出しているのであつて、まさに既往最大規模をもつて「予測」の上限と解しているということがいえる。 また、時間最大降水量についでも、原判決はo1とp1の二ヶ所における過去の時間最大降水量記録の五位までを表(その最高値はp1で六一ミリメートル、o1で五八ミリメートルとなつている)にしてあげたうえ、「観測期間が昭和二一年からという比較的短期間のものであることを考慮に入れある程度の余裕を見て六〇ないし八〇ミリメートル程度の降雨が時としてあり得るべきことは通常予測し得た」と述べているのである。これはp1、o1の時雨量観測記録が、先に述べた四ヶ所の日最大降水量におけると同じ位の期間の蓄積を有していたとすれば、このような余裕を見ることなく、直ちにその最高値を予測の上限とする考えであることが明らかであり、確率論的規模の考え方にしたがつて余裕を見たわけではなく、既往最大規模の考え方に立つているとしか考えられない。
イ してみると、原判決は「予測」の点につき、降雨以外の他の場面、例えば崩落、土石流においても既往最大規模の考え方に立つているものと理解しなければならない。
原判決は、このような既往最大の規模の災害により、道路上生すべき危険を予測し、その限度内の危険から道路交通の安全を守ることが道路を設置し管理する者の責任の上限であるとの誤つた認識・理解をしており、この誤つた考え方を前提として、土石流不可抗力の認定、事故当時における管理者には「過大ないし客観的に見て手落ち」がないという判断、管理における瑕疵の有無の判断等いくつかの認定・判断をしているものと考えられる。
したがって、原判決のこれらの判断・認定には誤りがあるといわざるを得ない。 (三) 情報の精度と災害の対策
(1) 災害はいつどのようにしてやつてくるか全く予測できないことが多いのであるから、それに備えて対策をとることは容易ではない。ことに斜面崩壊とか土石流とかいつた間接災害については、発生の機構も解明されていないのであるから、対策を立てて予めこれに備えよというのは、道路の設置・管理者に対し不可能を強いるものであるといつた主張が、被控訴人からなされている。 このような考え方は、斜面崩壊研究とか土石流研究とかいつた専門科学の分野における定量的予見と、防災を主眼とする災害対策の上での予測とを混同しているもので明らかに誤りである。
(2) 前述の災害対策における二つの方策、すなわち、防護施設による直接防禦と避難による間接防禦を基本的な方針としながら、自然科学的には未解明の部分の大きく残されている自然という外力を相手に道路の災害対策をたてる場面では、具体的にどのような考え方をとつて事態を「予測」するのが正しいかという問題についての控訴人らの主張は、さきに災害対策の基本姿勢の項で述べたとほぼ同旨である。
その要点を若干ふえんしながら以下に述べる。
ア 斜面崩壊、土石流あるいはこれらをもたらす集中豪雨といつた現象は、自然科学の専門研究の分野では未解明な部分が大きく、それらに関する情報は次元も精度も低い不正確なものであつたとしても、災害対策の上でこれらの現象がもたらす危険を放置することは許されない。与えられる情報に基づき、少くも人命については絶対の安全を確保する必要があるし、このことは可能である(D1第四回一九・二〇丁)。
ことに斜面崩壊、土石流については、発生する地域が後述のように定性的に明らかにされており、これらの現象の発生は一定量の降雨に因るのであるから、道路管理者としては、降雨を目安に警戒を開始することにより、これらのもたらす危険に備えることは比較的容易といわねばならない。原判決が、交通規制について述べる中で、「予測される危険は降雨によつて起るのであり、降雨の量は時に急緩の差はあるにしても、必ず時間の経過を伴うものであるから」降雨状況を迅速かつ的確に知ることによつて、道路上に危険が迫つたことを察知できると述べているのは、右の考え方が当然の前提とされているからである。
イ さらに具体的な対策のたて方をいうならば、危険区間を含む地域における過去のこれらの現象に関する記録をできるだけ集めることは当然であるが、そのほかなるべく広く似たような地形・地質を有する他の地域の崩壊・土石流等のデータを
集め、これらを参考にして警戒開始値を定めるのである。自信ある警戒開始値を定め得る資料か十分でないときには、できるだけ広い範囲、本件でいえば少くも中部地方といつたくらいの範囲に資料を求め、危険発生の平均的数値のうち最も低いところに警戒開始の値を置くようにし、これを現実に運用する中で安全についての確実な裏づけがとれたところで順次その値を上げていくといつた考え方が重要である。情報の精度が低ければ低いほど早期に警戒を開始しなければならないのである(D1第四回八〇・八一丁)。
ウ 現象の上では異つて見え、自然科学的研究の手法が異なる現象がいくつかあつたとしても(斜面崩壊と土石流、内水はんらんのようなもの)、これらがある区間の道路交通の安全を妨げる事象という点で共通である限り、災害対策の上では発生の機構、研究の手法とかの差異にこだわることなく、そのような危険が併行して同時に道路上に発生することを想定した総合的見地からの対策を考えておかなければならない。道路では小なる危険(斜面崩壊)の予測されたときには、より予測の困難で、より大きな危険(土石流)に対する対策も同時にとらなければならない。危険区間ではこのような危険が相重ることは決して珍しいことではない(D1第四回六四・六五丁)。
(3) 要するに、斜面崩壊や土石流発生の定性的原因はわかつていて、発生のおそれある危険域を予め知ることができ、その上これらの発生は直接的には降雨に因ることがわかつているのであるから、対策は地震等に比べれば容易である。そして具体的な対策をたてる上では、未知の部分の大きな自然が相手であるので、できるだけ慎重かつ謙虚に控え目な安全に自信ある数値から考え得る中で、最大の危険発生を想定して警戒を開始し、人命を危険域から避難させる交通規制をとらなければならない。
交通規制を実施しても、崩壊や土石流が起きなければむしろ幸いと考えるべきである。仮に数百年に一度の確率であつたとしても、人命に危害を及ぼす危険の見込まれる限り、その危険を予想して交通規制の措置はとらなければならない。 交通規制のため交通の遮断といつた事態がたびたび起きることは社会生活の上できわめて不便であり、社会的経済的にも損失を伴うものではあろうが、この不便・損失と貴重な人命損失の危険を交換することはとうてい許されない。 以上のことから、被控訴人の主張が災害対策を放棄するにも等しい、明らかに誤つた考えに立脚しているものであることは明白になつたと考える。 (四) 防護施設の不備について
(1) 原判決は、降雨の際の土砂崩落の危険性すなわち瑕疵なかりせば本件事故の発生を免れ得たものと結論している(ニ・11丁)。この土砂崩落の危険性を端的に「瑕疵」(設置の瑕疵とみるべきものであろう)ととらえる観点は評価すべきものと考える。
この「瑕疵」は、具体的には昭和三四年二月二〇日「第二次道路整備五箇年計画」の閣議決定に基づいて行なわれた本件国道の改良工事における調査の不備と拡幅の実施により生じたものである。本来、国道を設置するためには土砂崩落、土石流の発生しやすい危険な地域または箇所を避けて安全な位置に路線を決定すべきであり、どうしても危険な地域を通らなければならないときには、その危険を除去すべき防護施設を設置すべきである。しかし、この改良工事の施行により新しく生じた危険に対し防護施設は全く不備であつた。これは、国が右計画による交通容量の増大と輸送時間の短縮に重点をおいて拡幅、舗装のみを推進し道路の安全性を確保するという見地からの措置を怠つたためである。
さて、右のごとき危険が現に存在しているのてあるから、原判決は、まず第一に、国道の設置者、管理者としては、右のごとき危険を防止し、道路交通の安全を保護すべき施設を設置すべき義務があつたことを明らかにすべきであつた。 しかるに、原判決が、この防護施設の不備という「瑕疵」については全く判断することなく、直ちに管理の瑕疵=交通の事前規制へと検討をすすめているのは、道路の安全性に関する控訴人らの主張に対する判断を遺脱したもので不当である。 (2) なお、被控訴人は現在国道四一号に設置されている防護施設の種類と設置の目的を述べているが、これらの形状・性能と具体的設置場所に関しては何らの主張立証はなされていないことを指摘しておきたい。
特に注目したいのは、被控訴人が、本件沢等に設置されている堰堤は土石流防止目的ではない、と述べている点である。証人D2(原審第二一回七八丁)も、証人D1(当審第四回一〇三丁以下)も、設置された堰堤は土石流を止める上で相当の効用を有すると考えられる旨の証言をしていることと対比して奇異の感を免れな
い。
被控訴人は、土石流は全く予見不可能(=対処不可能)の事象と自ら決め込んでしまい、それに対応する防護施設の設置を断念し、管理の上でも土石流発生の危険について対処するとの考えを放棄しているかのように見える。控訴人らから見てこのことは全く理解に苦しむところである。「直接災害」であろうと「間接災害」であろうと、それが道路を通行する人命・車輌等に危険を及ぼす性質のものであれば、その危険を排除しあるいは通行する車輌等がその危険に近づかないような具体的措置をとるのが道路管理者の責務である。
三 因果関係論
1 因果関係と責任の範囲
原判決は、本件バスの転落、水没の直接の原因が予見不可能な土石流の流出であること、そして予見可能な六四・一七km地点の崩落により、バスが国道上に停滞を余儀なくされたこと、および国道管理者による管理態勢に瑕疵があつたことなどが、それぞれ競合して本件事故が発生したと認定した。
従来の民法七一七条の工作物の瑕疵に起因する不法行為責任につき、工作物の瑕疵と損害の間に、因果関係が存在すれば足り、自然力の作用が近因をなすと、被害者の行為が近因をなすとを問わないとされている(五十嵐清・註釈民法(19)三一二頁)。
憲法一七条を基底とし、被害者救済の精神を公の管理作用にも実現しようとする国家賠償法においては、瑕疵と損害の間には、客観的な関連性が存在し、「あれなければこれなし」の関係が存在すれば法的因果関係ありとしてとらえられてよい。 本件事故は、土砂崩落、土石流といつた自然現象によつて発生したのであるが、それは、「瑕疵」と「事故」との因果関係の基本的構造における一つの過程、因果の連鎖にすぎず土砂崩落、土石流という自然現象を別個にとらえるべきではない。道路の設置、管理の瑕疵と自然現象との間に因果関係における原因の関連競合を認める原判決の見解は根本的に誤りである。「瑕疵」と「事故」との間に全く予見し難い異質の自然現象が介在する場合は、それが免責事由たる「不可抗力」として因果関係を中断せしめるに足るものかを考察すればよく、その結果「不可抗力」が認定されなければ「瑕疵」と「事故」との間には法的因果関係が存在すると見るべきものである。本件土石流がかような「不可抗力」にあたらないものであることは後に詳述するとおりであり、国道の設置、管理の瑕疵と事故の発生との間に法的因果関係が存在する以上、賠償すべき損害の範囲は本件事故に基づく全損害に及ぶべきことは、当然の事理であるといわねばならない。
2 不可抗力について
(一) 原判決の不可抗力の認定
原判決は本件土石流の予見可能性について、「土石流に関する現在の学問的水準は溪流堆積物の流動による土石流と降雨量の関係に限つてみても、特定の地域でどれ丈の雨量が降れば発生するのかいまだ不明であつてその発生を予見し得る域にまでは到達してはいない」こと、本件沢は「わが国にある多数の他の沢と較べて地質的に特に脆い沢であるとは認められないこと」、本件当夜の集中豪雨が「時間最大降雨量九〇ミリメートルに達しており、本件沢附近の地域において通常予測され得た範囲を越えた異常に激しいものであつたこと」から、これを否定したうえ、「本件事故は、予見し難い、その意味において不可抗力というべき土石流の発生を直接の原因とし、」と述べ、さらに「賠償の範囲は、事故発生の諸原因のうち、不可抗力と目すべき原因が寄与している部分を除いたものに制限されると解するのが相当である。」と説いている。
これは、土石流の発生という自然現象を不可抗力とし、賠償の範囲を定めるにあたって、この不可抗力を斟酌したものとみることができる。
(二) 不可抗力の概念
不可抗力とは人間の能力の限界を超えたところで発生する自然現象などの事象を指すが、ここで注意しなければならないのは、自然現象としては不可抗力であつても、その自然現象に基づく災害が不可抗力であるか否かは、法的な観点から定められねばならないことである。
次に、不可抗力の概念は、帰責の次元においては、免責の範囲を画するものにほかならないのであるから、不法行為の責任の種類、態様により、その適用される法律の精神、原理にのつとり、相対的・個別的に規定されなければならない。国家賠償法に基づく賠償責任の範囲を検討するにあたつては、不法行為法の諸分野のなかでももつとも被害者救済を重視すべきであるから、免責事由たる不可抗力の概念も
また限定的に解釈すべきである。
なお、一般に無過失責任の認められるところでは、不可抗力は免責事由とされている(五十嵐清、註釈民法(19)三一二頁)。過失責任主義のもとでも、「不可抗力」なる表現が使われることがあるが、それは実際には過失の要件である予見可能性や回避可能性がないことを主張しているか、過失と損害発生との間に因果関係がないことを主張しているか、のいずれかに帰着するものと考えられる。 民法七一七条や国家賠償法二条のように、無過失責任ではあるが、「瑕疵」を要件とする場合にも、一般には、同様に不可抗力を免責事由と考えている(五十嵐、前掲、古崎慶長「国家賠償法第二条の考察」民商法雑誌六二巻五号四九頁)。しかし、この「瑕疵」は「過失」を客観化したものであつて、この場合も、不可抗力の主張は、この「瑕疵」のないこと、あるいは「瑕疵」と損害の発生との間に因果関係がないことを積極的に主張しているのにほかならない。
(三) 原判決の批判
原判決は、前述したごとく「予見しがたい、その意味において不可抗力というべき土石流」という表現をとつているが、この不可抗力という概念自体すこぶるあいまいである。そこでは予見しがたい自然現象をそのまま不可抗力ととらえており、自然現象としての「不可抗力」と法的概念としての「不可抗力」の区別を全く無視している。
また、土石流を不可抗力と認定するについても、「本件道路の改良に際して想定された基準はどれだけの降雨量か。それは山岳道路の安全性を確保するのに合理的なものか。本件土石流は現実に合理的基準を超える雨量で発生したか。」といつた観点から検討されていない。
3 割合的因果関係論について
(一) 原判決は、不可抗力と目すべき土石流が寄与している部分を四割とみてこれを除き、国は損害の六割について賠償の義務を負うものとした。これはいわゆる割合的因果関係論ないし分割責任論を認めたものとみることができる。 この考え方は、不法行為法を支配する損害の公平な分担という見地から近時しばしば主張されているが、国家賠償法二条の適用を受ける事件で、右理論が採用されたのは、原判決が最初である。
割合的因果関係論は、因果関係において複数の原因の関連競合がある場合、その複数原因者の賠償範囲を限定しようとするものであるから、被害者救済の要請からいつて、この理論の導入にあたつては慎重を期さねばならない。その場合、割合的因果関係論が適用される領域の責任原因を定める法規の解釈が問題となるが、不法行為全体を支配する被害者救済という理念を念頭において検討をすすめねばならない。
(二) 近時、割合的因果関係論が学説上主張されるようになつたのは、民法七一九条の共同不法行為の解釈についてである(川井健「共同不法行為の諸問題」実務民訴講座3三〇八頁)。これは、一部連帯論ともいわれ、共同不法行為にわずかしか関与しないものについて、全部連帯の責任を負わせず、その寄与に比例した部分についてのみ連帯責任を負わせようとするものである。この場合、共同不法行為に相当程度関与した者については全部責任を負わせるのであるから、実際上被害者救済に影響を及ぼすことは少いとも考えられるのであるが、この一部連帯論に対しては批判的な意見が強い(原田和徳「自動車事故と共同不法行為」現代損害賠償法講座3一九〇頁以下参照)。
この一部連帯論の考え方が立法で採用されたのが、大気汚染防止法二五条の二、水質汚濁防止法二〇条の規定である。これらの規定では、いわゆる微量寄与者(その原因となつた程度が著しく小さいと認められる事業者)の損害賠償の額を定めるにつき、その事情を斟酌するものとしている。
しかし、右のごとき明文の規定がおかれる以前の大気汚染水質汚濁の事例でかかる理論を採用した裁判例は皆無であり、共同不法行為者はあくまで全部連帯の責任を負うべきものとされてきたことをむしろ重視すべきである。
また、一部連帯論よりさらにすすめて共同不法行為者全員についてその寄与の程度に応じ比例的分割責任を認める考え方もありうるが、その妥当性はともかく、その場合でも、最終的には賠償責任者があるから、被害者は救済される可能性がある。
しかし、比例的分割責任を原判決のごとく賠償責任者のいない自然現象に拡大することは、自然現象の寄与部分については被害者の救済を全く否定することになるのである。

(三) 最近の裁判例で割合的因果関係を認めたものが交通事故訴訟の領域で散見される。これらはいずれも被害者の体質、持病、潜在的な病巣、心因的要素などの素因が事故に基づく傷病の発生、増悪に寄与している事例である。 しかしながら、従来の不法行為法の考え方からすれば、これらの素因が寄与したとしても、事故と損害の発生との間に因果関係か認められれば全損害の賠償を認めてきたものであり、被害者の事情が賠償額の範囲に影響するものとしては、民法七二二条の過失相殺のみが問題となつてきたのである。病的素因の寄与につき、なんら非難されるいわれのない被害者に損害の一部を負担させることは正当とはおもわれず、この領域への割合的因果関係論の適用には大いに問題がある。最近過失相殺制度を損害の公平な分担という見地から適用範囲を拡げようとする傾向もあるが、この点についてもなお慎重な検討が必要であろう(西垣道夫「鞭打症における損害算定上の諸問題」現代損害賠償法講座7三一一頁以下)。ところで、この素因の寄与の場合は、ともかくも被害者に由来する原因から生じた損害を被害者に負担させるべきか否かの問題であつた。本件で原判決が問題にしたのは不可抗力とみるべき自然現象であり、被害者・加害者のいずれにも直接由来しない原因に基づく損害をいずれに負担させるかである。この点については、加害者の行為がなければ不可抗力が損害発生に寄与することもなかつたという点で、なんら関係のない被害者負担とするよりは、不可抗力を損害発生原因となさしめる端緒を与えたものに負担させる方が公平であり、被害者救済の要請にもそうものである。
(四) 割合的因果関係論を一般化することはきわめて危険であり、その適用領域については、これを厳格に限定することが必要である。右に述べたごとく、本件事故についてこの論理を導入すべき根拠は全く存在しないのであるが、国家賠償法二条の趣旨からすればこの理論を適用すべきでないことは一層明白である。 国家賠償法二条は、「審法一七条の被害者救済の精神を公の管理作用にも実現しようとするもの」(古崎慶長「国家賠償法二条の考察」民商法雑誌六二巻一号二三頁)であり、本条の解釈にあたつては「もつぱら民法七一七条を類推するだけでなく、被害者たる個々の市民と強力な国家との実質的不平等や国家が市民の福祉を配慮すべき役割を考えなければならない」(乾昭三・註釈民法(19)四一八頁)ことが指摘されている。国家賠償法二条の適用を受ける事件では、被害者救済の要請は、一般の不法行為の事案におけるより強いのであつて、このようにもつぱら被害者救済が求められる場面では割合的因果関係論は妥当しえないものである(国井和郎・「道路災害と公の営造物責任」判例タイムズ二九五号二四頁)。原判決に賛意を示す論者も自然力寄与分につき公的救済制度の必要性を主張する(野村好弘・「飛騨川判決における不可抗力の斟酌」ジュリスト五三四号三一頁)が、国家賠償法二条の解釈にあたつて国家が市民の福祉を配慮すべき役割に想いをいたし、割合的因果関係論を採用しないことによつて被害者救済は実現し得るのであつて、公的救済制度のないまま右理論の採用を説くのは被害者救済の否定にほかならない。 四 集中豪雨について
1 集中豪雨一般の予報と防災対策
(一) 集中豪雨についての原判決の認定
本件バス集団を直撃した土石流が事故当夜のいわゆる集中豪雨が原因となつて発生したことは、原判決も認定したとおりで、当事者間にも争いがない。 ところで、原判決はこの点について、当夜の降雨は地域的に狭く、短時間に集中し、降雨強度のきわめて強かつたことが最大の特徴で、この地域で通常予想され得る限界を越えた異常な集中豪雨であつたといわなければならないと認定している。 当審において、控訴人側は、本件当夜の降雨は集中豪雨としてはさほど特異なものではなかつたと主張してきた。
以下、主として当審における証拠を中心として、一般的な集中豪雨現象ならびにその予報、防災対策の可能性について述べる。
(二) 集中豪雨の特徴と発生機構(メカニズム)
いわゆる集中豪市とは、一口にいえば、非常に短時間に局地的に非常にたくさんの雨量がある現象である(D3第四回五丁)。
地域的には直径一〇キロメートルあるいは二〇キロメートルから一〇〇キロメートルを越えない範囲に限定され、雨量としでは五〇ミリメートル以上、特に降雨の情況は、日雨量が問題となるよりも、時間雨量あるいは一〇分間雨量が甚しく高くなる傾向があり、二~三時間を単位に断続的に降雨がくりかえす特徴がある。 したがつて、原判決が認定した事故当夜の降雨の特徴は、集中豪雨としてまさに典型的なものであつて、集中豪雨のなかでも特に異常性の強かつたものでない。
当日のf1の時間雨量九〇ミリメートルに達した降雨にしても、その地方としでは記録的降雨であつたかも知れないが、集中豪雨による降市はすべてその地方としでは何年に一度かの記録的降雨となるのが普通であつて、全国的集中豪雨の時間雨量の記録に比較しても、当夜の記録が特に異常な集中豪雨であつたわけではない(甲第五八号証八三頁、D3第四回三二丁)。
このような集中豪雨発生のメカニズムについては、一般的に、下層に多量の暖かくて湿つた空気(湿舌あるいは季節風気団・熱帯気団)が流れこんできて、他方、その上層には乾いた冷たい大気が存在するような場合、大気の状態が非常に不安定になり、上下の気流の転倒が起こりやすい状況が作り出される。このような気象状況の中で、ごく小さい直径一〇キロメートルから二〇キロメートル程度の低気圧(メソ低気圧)が発生し、これがきつかけとなつて下層の湿つた空気を大量に集めて上昇させ、これが積乱雲となつて高層まで達し、集中豪雨をもたらすものとされている。
わが国においては、毎年梅雨期を中心に六月から九月にかけて、南半球から生ずる海洋性の湿つた空気が東南アジアを経て極東に流入しやすい気象状態にあり、これが湿舌等の現象を引き起こすのであり、したがつて、毎年六月から九月までの間は集中豪雨の警戒時期ということになる(D3第四回七丁)。
(三) 本件事故当時における集中豪雨の研究
以上のような集中豪雨は、事故当時科学的に全く究明されていない未知の現象であつたのであろうか。
わが国において、集中豪雨現象が特に注目し始められたのは、昭和三二年七月の諫早豪雨のころからといわれており、集中豪雨という言葉もそのころより使われるようになつてきた(甲第五八号証一四頁)。その後、この集中豪雨現象について、多くの観測、研究が行なわれ(甲第七八号証、第八〇号証、第八一号証等)、事故前年の昭和四二年には特に気象研究所で「梅雨末期集中豪雨特別研究」というテーマで取り上げるようになつていたのである(甲第五八号証一一七頁、D4第五回三一丁では昭和四三年ころとあるが、甲第一〇〇号証の第五九回衆議院災害対策特別委員会議録第四号三三頁によると、D4は昭和四二年より集中豪雨の研究を研究所で取り上げていると答弁している。)また、集中豪雨のきつかけとなるメソ低気圧という特殊現象についても、アメリカなどでは一九四七年ころより研究されており、わが国においても、これが集中豪雨の発生条件となることは事故以前より知られていたものである。(甲第五八号証一〇一頁、D3第四回二七丁)。 もちろん、すべての自然現象がそうであるように、集中豪雨現象も、その発生原因及び発生機構の細部まで科学的に解明しつくされていたわけではない。現在でもメソ低気圧の発生原因など今後の研究に待つ面が多々あるようである。しかし、少なくとも事故当時には前述したような特徴、あるいは発生の大略のメカニズムなどは、気象関係者の間では常識となつていたのであり、このことは、本件事故直後出された乙第七号証の記載(三頁カ)からも、また原審におけるD5証言(四二丁以下)からも容易に推認し得る。
(四) 集中豪雨災害の危険性とその認識
近年集中豪雨が学問的にまた社会的に注目されてきたのは、これによる被害が目立つて増加してきているからである。気象庁の統計によれば、戦後わが国において一〇〇名以上の犠牲者を出した自然災害は全部で三四件で、そのうち台風によるもの一七件、集中豪雨によるもの一四件、他三件となつているが、この統計を昭和三〇年以降に限つてみると、災害件数一六件のうち、台風によるもの五件、集中豪雨によるもの九件となり、最近の自然災害に関する限り、集中豪雨はその主役の座についた感がある(甲第五八号証一五頁)。
その理由としては次の点か指摘される。台風災害に対しては予報・防災の対策も進歩し、河川等の堤防も整備してきたが、他方、集中豪雨に対しては、過去においては気象観測網の関係からその現象自体がとらえにくく、したがつて、その研究の歴史も新しく、予報技術も台風に比較すると劣つている面がある。さらにまた、近年の国土開発、道路の新設、宅地の造成等自然の山河を変形してきた影響により、台風のような長時間の広範囲な降雨よりも、集中豪雨のような局地的短時間の降雨に弱い体質が国土全体にでき上りつつあるといえる(D3第六回六丁以下)。 台風被害の典型が堤防決壊、河川氾濫であるのに対し、集中豪雨災害の典型は土石流、崩壊である。近年観測網の整備にともない、国内のいずれかの地域で毎年主として六月から九月にかけて必ず何回かは集中豪雨が観測されるようになり、そのうち一~二回程度は過去の台風災害に匹敵する程の被害をもたらしているもので
(甲第八〇号証の七)、集中豪雨の危険性、これによる被害の特徴などについては、現在においては勿論、本件事故当時においても、防災関係者のみならず、一般国民の間にも広く意識されていたものである。
昭和四二年七月の国道四一号e1地区(七九・三五㎞)の土砂崩壊事故についての岐阜国道工事事務所の決裁文書(甲第六五号証)において、崩壊箇所の緊急工事の必要性の理由として、集中豪雨の危険性が指摘されている。この一事からみても、国道管理者としても、集中豪雨の危険性、その被害の甚大さを、本件事故以前から強く認識していたことか明らかである。
(五) 集中豪雨の予報および防災対策
さて、このような集中豪雨に対して、当時としてどのような防災対策が可能であつたか、またその前提として集中豪雨の予測、予報がどの程度可能であつたかが問題となる。
現に集中豪雨の起こるごく狭い地域を特定して、少なくとも数時間前に、降雨量までも事前に予報することは、現在の技術的水準においても至難なことであることは、気象関係者が認めるとおりかも知れない。しかし、右のような程度の正確な予報がなければ、適切な防災対策が困難なわけでは決してない。
本件事故当時の予報技術をもつても、防災上有効な対策は十分可能であつた。当時考えられる集中豪雨についての情報は、時間的段階にしたがうと、ポテンシヤル予報、レーダー・エコーなどに基づく気象台の注意報および現実の降雨の開始などである。ポテンシャル予報を集中豪雨の例で説明すると、県単位、またはさらに広い中部とか関東とかいつた地方に大量の湿舌および上層の乾冷気といつた気象的に不安定な現象が存在すること等を、一日二回の全国の高層観測所での観測結果などの分析により事前に把握することが可能であり、これによりまず豪雨発生の危険性があることをあらかじめ予報することができる。この段階ではまだこの不安定な気象状況が直接豪雨に結びつくか、また局地的にどの地点で豪雨の危険性があるのか不明確であるが、ともかくこのポテンシヤル予報により気象関係者をはじめ全防災機関に十分注意を喚起することができ、防災対策上の準備・警戒を開始させる効果として十分である。
次の段階としては、主としてレーダ・エコーからの情報に基づく気象台からの注意報等の予報である。集中豪雨の必須条件であるメソ低気圧自体の事前の把握は困難であるとしても、このメソ低気圧によつて起こる大気の上昇、積乱雲の発生は、気象台のレーダー・エコーによつて直ちに確認される。積乱雲の確認により、集中豪雨の発生する危険性ある地域を県単位から、県南部とか、美濃地方・東濃地方といつた狭い範囲に限定して予報することが可能となる。さらに、エコーの強さや高度から、発生した積乱雲に含まれる降水の粒の濃密度、積乱雲の頂点の高度が明確になる。いわば巨大な貯水池が上空に存在することやその規模等が確認されるわけである。集中豪雨の危険性は一層具体的になり、地域的に限定されるので、多くは、このような場合、気象台より注意報が出される。この注意報により限定された地域内の防災機関としては、前述のごとき、ポテンシヤル予報及び注意報下においでは直ちに警戒態勢に入るべきであつて、自らの管轄区域における降雨の開始に万全の注意をはらう必要がある。
前記のごとき情況のもとに、現実に降雨が特定地域で開始されることにより、集中豪雨の発生は確実になる。警察・消防・河川・道路関係等の防災機関は各地に点在し、気象台の観測網よりも早期に降雨の開始をキヤツチできる。 大部分の土石流あるいは土砂崩落は、多少の先行雨量がある場合であつでも、本格的に降り始めてから数時間後に発生することは経験的に明らかである。 したがつて、危険地帯の住民の避難命令、鉄道の運転中止、道路の通行閉鎖等は、現実の降雨の開始が確認されるこの時点でも十分に間に合うのである。これによつて仮に自然的災害が発生しても、人命の被害は未然に防止される。 以上が事故当時として、集中豪雨に対し可能であり、またそうすべきであつた事前の予報ならびに防災対策である。
予報関係者は、あらゆる防災機関が注意・警戒態勢に出動することを期待して、予報が空ぶりに終わることを憂慮するあまり、警報などについては慎重になりがちであるが、それはそれとして、気象関係者のいう集中豪雨の予報とは、現実に降雨の始まる前に集中豪雨の発生を的確に予言することを意味するのであつて、防災の立場に立てば気象台の注意報・警報に直ちに反応し、万全の対策さえ取つていれば、十分災害を未然に防止することができる。したがつて、予報が困難であるとの一事をもつて、集中豪雨の予測は不可能とし、その災害のすべてを不可抗力と認定
することは、防災の観点を全く無視するものであり、将来にわたり防災対策をあやまらせるものである。
2 本件事故当夜の集中豪雨と予報対策
(一) 岐阜県地方における気象(降雨)の特性
(1) 集中豪雨は本来日本国中どこにでも発生する可能性のあるものであり、まして、本件事故の発生した東濃山間部を含む岐阜県地方は、特に夏期に集中豪雨の発生頻度の高い地域である(乙第七号証二頁)。
すなわち、原判決も認定しているとおり、岐阜県地方はわが国でも比較的降雨量の多い地域に属し、かつ、季節的には毎年六月ないし九月の降雨量が他の月に比較して著るしく多いという特徴を有するのであるが(甲第三九号証二九頁等)、集中豪雨に関する過去の統計資料によれば、集中豪雨は年間降雨量の多い地域に、季節的には夏期に発生する頻度がきわめて高いことが明らかである(甲第五八号証八一頁・八三・八四頁、甲第八〇号証の七)。
したがつて、前述のような特徴を有する岐阜県地方においては集中豪雨の発生する蓋然性も、また高いといわなければならない。右の推論が妥当なものであることは以下の点からも明らかである。一つには、本件事故直前の昭和三一年から同四〇年までの僅か一〇年の間に岐阜県下に日雨量一五〇ミリメートルを超える降雨で、かつ、被害の発生したものだけでも一五回あり、そのうち八回は二〇〇ミリメートルを超え、また三〇〇ミリメートルを超えるものも四回数えられること、=なお、そのほとんどが本件事故の発生した岐阜県の東部の飛騨山脈沿いの地域に集中していることが注目される(甲第八〇号証の七)=があげられる。
また、右のほかは、昭和四〇年九月一四日には捐斐郡q1村r1において、日降雨量九八七・八ミリメートルという集中豪雨の記録が残されており(甲第八一号証の三・根尾川および揖斐川上流地域における地すべり山くずれの地質条件に関する研究)、昭和四二年九月五日には美濃関市に三時間で一五〇ミリメートルの降雨をもたらした集中豪雨が観測されていること(甲第七八号証の三・中部地方における集中豪雨の観測例)等をあげることができる。
(2) 集中豪雨は局地的な現象であり、それがいつ、どこで発生するかを正確に予測することは困難であろう。しかし、前記事実に徴すれば、岐阜県地方特にその中でも本件事故の発生した東濃山間部を含む岐阜県東部地方は夏期に集中豪雨の発生する蓋然性の高い地域であるといえるし、そのことを本件事故の発生する前、すでに国道四一号の管理者も知つていたのである(甲第六五号証三枚目参照)。 (二) 本件事故当夜の気象状況
本件事故当夜における岐阜県地方は集中豪雨をもたらし易い典型的な気象状況下にあつた。
すなわち、当夜の気象状況は、本件事故の直前に発生した台風七号が、日本海を北東進して八月一七日一八時頃には沿海州北部に上陸し、熱帯性低気圧となつたのであるが、これが北上するにつれて日本海の海岸沿いに寒冷前線が南下を始め、一方、これとは別に本州には一六日から台風の北上に伴つて暖湿気流(湿舌)が流入していた。このため一七日の朝から岐阜県地方にはところどころに強い雷雨があり、中部地方では、朝から八五〇ミリバール面には南西から湿舌が入りこみ、五〇〇ミリ、バール面には乾燥した冷たい空気が侵入しているというきわめて不安定な気層となつており、集中豪雨の最も起こり易い気象状態となつていた。そして、同二〇時頃には名古屋地方気象台のレーダー・エコーが、岐阜県上空に濃密な雨雲が発生して、頂高度が一三、〇〇〇メートルに達する激しい上昇気流が生じていることを確認していたのである(乙第七号証二~一九頁、D5原審一四回二二丁以下、D3四回一三丁以下)。
以上のとおり、雷雨注意報が発表された当日二〇時頃の岐阜県地方の気象状況は、いつ何どき集中豪雨が発生するかも知れない重大な危険性を秘めたものであつた。
(三) 当夜発表された気象予報
(1) 右のような気象状況の中で、岐阜地方気象台は
「1」 八月一七日二〇時〇〇分に雷雨注意報
「2」 同 日二二時三〇分に大雨警報・洪水注意報を、それぞれ発表したのであるが、右気象予報はその時期及び内容のいずれについでもきわめて適切なものであつた(D3第四回一八丁・二一丁)。
「1」 雷雨注意報(二〇時〇〇分発表)について
雷雨注意報が主として落雷に対する注意を喚起するためのものであるとしても、
雷は必ず積乱雲を伴うものであり、集中豪雨は正にこの積乱雲によってひきおこされるものであることは当時すでに明らかであつたのであるから、道路管理者としては、それなりの注意と行動が必要なことはいうまでもないところであろう。 加えて、右雷雨注意報の内容は決して落雷に対する注意のみを喚起したものではなく、むしろその要点は、「局地的に強い雨が降り……、山くずれ、がけくずれのおそれがあります。」と述べているところにあり、集中豪雨の発生する可能性を示唆し、これに対する注意を喚起していたのであるから、このことはなおさらであつた。そして、結果的にも右注意報はその後に発生した集中豪雨につき的確にこれを予報していたのである。
「2」 大雨警報・洪水注意報(二二時三〇分発表)について
右大雨警報は、当日の不安定な気象状況、名古屋地方気象台のレーダー・エコーの状態および各地の降雨状況を把握して発表されたものであり(D4第五回四七丁以下、D3第四回一八丁以下)、右警報の内容は、長良川流域の美並にすでに集中豪雨が発生していることを知らせるとともに、今後雨は飛騨川流域および東濃地方では一〇〇~一五〇ミリメートルに達する見込みであり、山くずれ、がけくずれの起こるおそれがある、というものである。
したがつて、右警報は明らかに集中豪雨が本件事故現場附近に発生するおそれあることを予告し、警告しているのであり、その数時間後に、右警報どおりの集中豪雨が発生し、本件事故が発生したのであつた。
以上のとおり、当夜岐阜地方気象台が発表した気象予報は、その時期といい、内容といい、いずれもきわめて適切なものであつたし、右のような予報を発表するについて、気象関係者は、その地方において防災の任にあたるものが、発表後、時を移さず防災活動を開始するであろうことを期待していたのであつた(D3第四回二〇丁)。
(2) しかるに、これらの予報が発表されたにもかかわらず、本件国道の管理者が何ら見るべき対策をとらなかつたことは、控訴人らが繰返し強調しているとおりである。
被控訴人は、本件国道の管理者が右予報を受けたのち的確な防災活動をなさなかつたことにつき、右雷雨注意報にしでもきわめて広範な予想であり、かつ、一般的には雷雨に対する注意を喚起するためのものであり、この予報をもつてその後に発生した集中豪雨まで予測することは不可能である。まして、美濃加茂国道維持出張所附近では、当時さしたる降雨もなかつた等と弁明している。
しかし、前述のとおり、同夜二〇時〇〇分発表の注意報は、その内容を一読すれば明らかなように、単に落雷に対する注意を喚起したものではなく、むしろ主として集中豪雨による被害の発生を警告していることが明らかである。 また、国道四一号のうち、美濃加茂国道維持出張所が管轄する区域は、各務原市s1(三八・一㎞地点)から益田郡j1町t1(一一四・二㎞地点)までの全長七六・一キロメートルの区間であつて、決して出張所附近のみでなく、かつ、予報というものは将来に対する警告であつて、現状を報告するものではない。したがつて、出張所附近に当時降雨がなかつたことなどは、およそ、何らの弁解にもならないというべきであろう。
3 予測すべき降雨量について
(一) 原判決は、設置の瑕疵を論ずるにあたつて、本件事故現場附近を含む東濃山間部と呼ばれる地域の過去の降雨量の記録から、日最大降雨量においては二〇〇~二六〇ミリメートル、時間最大降雨量においては六〇~八〇ミリメートル程度の降雨が時としてあり得ることは通常予測し得たものというべきであるが、本件事故当夜の降雨は、地域的に狭く短時間に集中し、降雨強度の強かつたことが最大の特徴で、日降雨量は三八二ミリメートル(f1)時間降雨量は九〇ミリメートル(f1)に達したのであるから、これではもはやこの地域で通常予測され得る限界を越えた異常な集中豪雨であつたといわなければならない、と認定している。 (二) しかし、右の判断は、(1)まず、ここにいう東濃山間部における予測可能な降雨量を何ら合理的な根拠に基づかず認定している点において不当であるのみならず、(2)国道四一号の管理にあたるものがきわめて狭い地域における降雨量のみを予測して防災対策をととのえておればそれで十分であるという意味をも含んだものである点において、二重の誤りをおかしているといわざるを得ない。すなわち、
(1) 原判決は「東濃山間部」という言葉を使用しながら、それが通常意味するよりもさらに狭い地域にこれを限定し、右地域における通常予測される降雨量を
認定するにあたつて、わずかに四ケ所(日降雨量)ないし三ケ所(時間降雨量)の過去十数年ないし数十年間の降雨記録のみを唯一の資料として、その既往最大降雨量をそのまま同地域における予測可能な降雨量としている(時間雨量は観測期間が比較的短期間であることを考慮し、ある程度の余裕は見ているが)。このように、既往最大規模の降雨量をもとに防災対策を考えるのが誤りであることは前述したとおりである。
また、原判決は、同地域に集中豪雨が発生した場合の降雨については、何らの配慮も加えられていない。しかし、前述の如く集中豪雨がわが国のどこにでも発生する可能性を秘めたものであることおよび岐阜県地方が過去に集中豪雨発生の頻度の高い地域であつたことを考えれば、同地域に集中豪雨が発生した場合、降雨量についても十分考慮した上で降雨量の予測をなすべきであろう。
また、右のように「東濃山間部」といつたきわめて狭い地域における将来の隆雨量の予測を、その地域における過去のわずかな期間の降雨量の記録のみから推定することは危険であるのみならず、原判決が予測すべき降雨量の資料として用いているm1は、東濃地方ではあるが、山間部とはいい難く、また、p1は、長良川流域で東濃地方ではない。さらにこれとは逆に、すでに指摘したとおり、原判決は東濃山間部にあるj2で本件事故の前年に時間最大降用量八六ミリメートルを記録していることを故意に無視し、さらに明らかに飛騨川流域に属する湯屋(甲第三九号証二〇頁)の記録を長良川揖斐川流域に属するとして排除しているのは明らかに不当である。
また、原判決は先にのべた「東濃山間部」と長良川・揖斐川流域とは気象上別範疇に属するから後者のそれは参考にならないとしているが、これも全く合理的な根拠もない独断というべきである。同じ太平洋側で北側に山岳地帯を控えた地形であり、距離的にも十数キロメートルないし数十キロメートルしか離れてない両地域の気象状況が全く別範疇に属するというためには余程の科学的な根拠が要求されることは当然であり、これを有しない限り右認定は失当である(D3第六回三四丁以下、D4第七回四七丁以下)。
(2) 次に、降雨量の予測は災害対策上どの程度の降雨量を想定すべきかという観点から定められるべきであり、岐阜県下とりわけ岐阜県の東部には過去に集中豪雨の発生頻度が高いという統計上の記録がある以上、防災対策上は当然のことながらその地域において集中豪雨が発生した場合についてもそれなりの考慮が払われなければならないはずである。
そして、集中豪雨は一旦それが発生した場合、その地域にとつては文字通り未曽有の降雨量となるおそれのあることは、本件事故当時すでに広く知られていたのであり、さらに前述のとおり、集中豪雨は「岐阜県東部」といつた比較的広い地域で見るならば、その発生頻度の高い地域とそれ以外の地域とを区別することは可能であるといえるが、それ以上に厳格に狭い地域に特定してその地域に集中豪雨が発生するか否かを予測することは不可能である。
してみれば、東濃山間部といつた狭い地域における過去の降雨量のみを資料として将来の降雨量を集中豪雨発生の場合のそれまでを含めて的確に予測することは不可能であり、したがつて、その予測に基づき防災対策を講ずることは誤りというべきであろう。
(三) そこで、以下、本件国道の管理者がどの程度の降雨量を予測すべきであるかについて検討を加える。前述のとおり、国道四一号の設置されている岐阜県東部地方には過去に集中豪雨が再三発生しており、したがつて、将来も同地方で集中豪雨の発生する蓋然性が高い地域と考えられること、そして一旦集中豪雨が発生したときその降雨量はその地域としでは未曽有の降雨量となつて現れることが多いこと、しかし集中豪雨がいつ、どこで発生するかを正確に予見することは困難であること等の事実を併せ考えるならば、その降雨量については岐阜県全域は勿論、少なくとも木曾z1流域、すなわち、中部地方全域の過去の降雨量程度のものは参考にすべきであろうし、その最高値程度の降雨(甲第三九号証、第八〇号証の七、乙第七号証参照)が発生する可能性のあることを想定して防災対策を講ずべきであつたというべきである。したがつて、原判決の前記判断は失当である。 4 再現確率雨量について
(一) 被控訴人は、本件事故当夜の集中豪雨が予見し難い異常なものであつたと当審においでも主張し、その根拠として、本件国道附近に設置された三つの観測所の過去の降雨記録を使用して、当時道路設計および河川計画洪水量算定に用いられている統計計算を行ない再現確率雨量を求めると、u1観測所においでは二四〇
~三三〇年に一回、g1観測所においては一七〇~二〇〇年に一回、f1観測所においては一、〇〇〇年に一回の再現確率であるとする。
(二) しかし、被控訴人が右再現確率年を算出する資料の一つとして使用したと推認される乙第一六号証の降雨量の記録は、わずかに過去一五年(f1)ないし二五年(u1)間の記録にすぎず、この程度のデータをもつて、被控訴人の主張のごとく、数百年に一回とか、一、〇〇〇年に一回という推定をなすことは、計算式の上からは可能であつても、その信頼性はきわめて低いものである(D3第四回二二~二五丁)。
このことは、右u1からきわめて近接した位置にあるi1(甲第九号証によればせいぜい一キロメートル見当の距離)における明治二七年以降の観測記録においても、本件事故当夜の降雨量二二七・五ミリメートルを上まわる二六三ミリメートルの降雨が二回にわたつて記録されていることからも明らかである(D3第六回五丁、乙第七号証八五頁)。被控訴人の右主張はこの点においてもまた失当である。 五 本件土石流の予見可能性
1 土石流について
(一) 土石流の発生原因
土石流は、山間の溪谷において多量の土石などがそれ自身の重力と水の潤滑作用によつて流下する現象であつて、急峻な溪谷に多量の不安定な土石などが堆積しているところに豪雨が降り、あるいはこれにともなつて上流部に山くずれ、がけくずれがあるときに発生することが多い(乙第一三号証、甲第五八号証一七六頁)。 要するに、土石流は、溪谷の地形、不安定な土石の堆積、水の供給という三つの原因が、一定の条件をみたす場合に発生することが明らかとなつている。 (1) 地 形
上流部に降雨を受ける面積が広がり、下流部に狭くなつているところがあつて、溪流がそこを通つて流下するような流域形状の溪谷では、多量の降雨を集中しやすく、しかも、この降雨が狭い出口で流下をさまたげられるので、土石流が発生しやすい(D1第四回四〇丁・五一丁)。また、このような流域形状の溪谷では、浸食と土石の堆積速度が早い(甲第七五号証の五、四四〇頁)。
溪谷の勾配についてみると、大体一五度から四〇度位の傾斜面範囲のところで発生することが多く、これよりゆるやかな勾配であると土石は流動しにくいし、これより急峻であると土石が堆積しにくい(甲第五八号証一七六頁、甲第七五号証の五、四三七頁、D1第四回四九丁)。
(2) 土石の堆積状況
「土石流の発生の難易は溪谷の堆積土砂の量できまる。また、発生の頻度は溪谷の堆積とこの堆積上に表面流を起こす豪雨の発生の頻度によってきまる。土石流の発生したところでも風化のはげしいところでは、一般に、山腹崩壊を伴うことから堆積の成長は早く、もし同じ程度の降雨に遭遇すると再び発生すると考えるのが妥当であろう」(甲第七五号証の五、四四〇頁)。
したがつて、前述の流域形状であつて、地層が複雑で断層・節理・破砕帯などがある溪谷では、風化作用の進行が早いため、上流部や谷の両岸の斜面からたえず多量の不安定な土石が供給されて堆積し、それだけ土石流の発生の頻度も高い(D1第四回五一丁)。
現実に土石流を調査した結果によると、土石が二~三メートルから四~五メートルぐらいの厚みで堆積していた場合に発生していることが多い(D1第四回五八丁以下)。土石が継続的に供給され土石流の発生しやすい厚みに堆積するには、一定の年月がかかる。この堆積期間は溪谷の地形、地質の状況及び降雨量と関連する。土石流が現実に発生して溪谷沿いの堆積土石が一掃され、岩盤が露出したような溪谷では、その後豪雨にみまわれても土石流は発生しにくく、堆積期間が経過するにつれて発生の危険が高まる。焼岳東麓の小溪流のように、特殊な地質で谷の両岸からたえず堆績物が供給される溪流では、堆積期間がきわめて短いため毎年のように土石流が発生する(甲第五八号証一七七頁以下)。
(3) 降 雨
「わが国の多くの沢では連続降水量が一〇〇ミリメートルを越えると堆積物の表面に水流が生じて土石流が発生しやすくなり、さらにまた短期間の強い雨が直接に土石流の発生に関連する」(甲第五八号証一七七頁)ことが指摘されている。 土石流発生の現場を数多く調査したD1によると、全国各地で災害をもたらした土石流とこれに関連の深い斜面崩壊は、地域によつて雨量が異り、北海道では一〇〇ミリメートル、九州・四国の南部では三〇〇ミリメートル、中部地方では一五〇
ないし二〇〇ミリメートルぐらいの降雨があると多く発生し、焼岳東麓のように堆積土石が急速に供給される溪谷では一〇〇ミリメートルを少し越した程度で土石流が発生している。
したがつて、平地で一〇〇ミリメートル前後の降雨量を記録すれば、山間部ではこれを上廻る降雨がある場合が多いので、土石流の発生を警戒しなければならない(甲第五八号証一七七頁以下、甲第六六号証二二頁、D1第四回五四丁)。 (二) 土石流の引き金としての斜面崩壊
(1) 前述の発生原因が具備された場合に、直接に土石流の発生を引き起こす引き金作用を果すのは、山くずれ・がけくずれ(斜面崩壊)である。溪谷の上流に崩れやすい斜面が多く、これが降雨などによつて斜面崩壊を起こすと、この衝撃によつて谷床に堆積している不安定な土石が流動し始め、あるいは谷沿いの斜面崩壊によつて落下した崩壊土石により溪流がせき止められて水位があがり、このせきが決壊して多量の水がいちじに放出され堆積土石などをまきあげて流下することもある(D1第四回六一丁以下)。
(2) 斜面崩壊は、傾斜面に降つた雨が地中に浸みこんで水圧をまし、斜面の土塊の支持力を弱めて崩れ落ちる現象であつて、一般に表面近くにすき間が多くて比重の小さな岩石の風化物や土塊がのつており(表層)、その底に風化の進んでいない固い岩盤あるいはよくしまつて水の浸透しにくい土層(底層)が存在している急斜面やくぼんだ形状の斜面に、豪雨により多量の水が供給されると起こりやすい(甲第五八号証一五五頁)。
このように斜面崩壊の発生原理は、土石流のそれと同質であり、いずれも豪雨などによつて発生する山地災害である。
したがつて、斜面崩壊の起こりやすい地域では、豪雨にみまわれると斜面崩壊が発生するとともに、これが引き金となつて土石流をひき起こすことが多いことを覚悟しなければならない(D1第四回六二丁以下)。過去において大きな災害をもたらした顕著な土石流の事例をみると、ほとんど斜面崩壊が引き金となつて発生している。
D1証人は、土石流の現場を実地踏査した経験に基づいて、「引き金作用がなかつたと申しますのは、我々が後から行つてそういう引き金作用を明瞭に認めえなかつたということで、引き金作用自体がなかつたということではないと思います。ただ実際の場合、やはり後で土石流発生地を航空写真で調べたり、あるいは谷に沿つて水のたまつた痕跡の有無なんか見た場合にはやはり何らかの形で崩壊が起こるとか、あるいは一時的に遮断されたと思われるケースのほうが割合的に多いように思います」(D1第四回六一丁以下)と証言している。
(3) 斜面崩壊と土石流(特に溪流堆積物の流動によるもの)とは、「広く常識的に使用されている割合には、相互の厳密な区別がなされておらず、学術上の定義もさまざまな学説があつて統一されていない。」(甲第七五号証の四、三九八頁、甲第八四号証の二、四九七頁)といわれている。
また、たとえ学術上は厳密な定義が可能であつた(甲第七五号証の五、四三三頁)としても、斜面崩壊と土石流の境界を明らかにすることは、きわめて困難であることが多い(甲第七五号証の四、三九六頁)のも真実であろう。 沢・溪流から土石が流出した場合に、個々の具体的現象について発生後の状況の観察に基づいて、それが山腹の崩壊土砂の掃流(土砂流)か、あるいは土石流かを判断するのは、大規模で典型的な土石流またはきわめて小量の土砂流の場合を除き、困難であると思われる。
ことに、本件土石流は後記のようにきわめて小規模のものであることを考えると、原判決のように本件土石流を斜面崩壊と全く異質な自然現象ととらえ、両者を峻別してこれを土石流一般の概念に解消して取扱う態度は、自然科学的な観点からも誤りであるといわなければならない。
2 土石流についての研究等
(一) 土石流に関する研究
自然科学特に防災の観点から土石流を調査研究し、報告した論文のうち、控訴人らの知り得たものだけでも、本件事故前および事故後を通じて多くのものがあるが、これによれば、次のことがいえる。
(1) 地 質
昭和三九年発行の防災ハンドブック(甲第七六号証の八、五〇一頁)には、山くずれを起こしやすい地質として、「1」粗粒の花崗岩 「2」浮石質火山灰砂の地積層 「3」石英粗面岩の順であげている。

右「1」は花崗岩が風化した「マサ土」と呼ばれ、「2」は九州霧島山麓などの「シラス台地」であるが、石英粗面岩類の一種である流紋岩(同号証四八九頁)は、「マサ土」「シラス台地」について、崩壊しやすい地質である(甲第八四号証の二参照)。
本件土石流となつた溪流堆積物の大半は、濃飛流紋岩類の風化土あるいは崖錐様堆積物であるが、濃飛流紋岩類は白亜紀火山岩類の総称であつて、古くは「石英斑岩」「花山崗質斑岩」と呼ばれていた(甲第四八号証)ように、岩質の組成が花崗岩と類似し、きわめて風化しやすい。
また、甲第七六号証の八(五〇一頁)によれば「一般的な意見として、破砕帯や断層線にそう基盤がはげしい〃もめ〃を受けている地帯に山くずれが多いことも広く認められ」た事実である。
右に述べた崩壊及び土石流を生じやすい地質ならびに地質構造は、本件事故前に発生した著名な土石流災害である猪野山土石流(甲第九四号証参照)、浦川土石流(甲第九六号証参照)、根尾川上流の崩壊(甲第八一号証の一ないし三参照)、足和田村土石流(甲第八〇号証の六参照)、六甲山系の崩壊(甲第五九号証参照)、都辺田、鍬江土石流(甲第八四号証の三参照)などによつて、実証されている。 本件事故当時、後記地質及び地質構造を有する本件沢周辺を含む前記危険区間が、地質的にも地質構造的にも崩壊および土石流に対しきわめて弱い区間であつたことは、明らかであつたといわねばならない(甲第三七号証の一、二、甲第三八号証、甲第四七号証、甲第七二号証)。
(2) 地 形
溪流堆積物の流動による土石流の発生は、勾配が二〇度から三〇度の溪流に多い(甲第七五号証の五、四三七頁)、あるいは土石流の発生地点は溪谷の勾配が大体一五度から四〇度位の範囲に多い(甲第五八号証一七六頁)という知見も、本件事故当時にはすでに明らかなことであつた。これらの知見は、昭和二九年の柿徳市の実験(甲第九三号証)、昭和三六年の猪野山土石流(勾配三・三分の一)、昭和三九年の浦川土石流(平均勾配二〇度三六分)、昭和四一年の足和田村土石流(二〇度ないし三〇度)など各地の土石流の調査結果によるものである。 また変換点をもつ斜面は、変換点附近から崩壊を生じやすいとの知見も、昭和三〇年(一九五五年)にE1が著書「山くずれ」の中で経験的に指摘したとのことであるが、その後に発生した土石流について、引き金となつた斜面崩壊の多くの斜面に、あてはまつている(甲第八一号証の三、甲第八四号証の三、甲第九四号証、甲第九六号証)。
(3) 降 雨
連続雨量が一〇〇ミリメートルをこえると、土石流が発生しやすくなるという知見は、昭和四六年の「水災害の科学」(甲第七五号証の五)にもあるが、執筆者のA1も記しているように、この知見は、突如その時期に発見されたのではなく「いままでの資料」から経験的に帰納すると「一〇〇ミリ程度のようである」というにすぎない。A1のいう「いままでの資料」が何を指すか不明であるが、過去の多数の調査例を集約したものであることは間違いない(D1第七回六五丁ないし六七丁)。
その中には、昭和四〇年五月三日の浦川土石流が日雨量一〇四・七ミリメートルで発生したのも、右一〇〇ミリメートルの根拠のひとつになつていると思われる。 なお、昭和二九年(一九五四年)に書かれたE2の論文(甲第八五号証)は、昭和二〇年から同二七年の間に国鉄沿線に発生した斜面崩壊を調査し、関東以西の表日本では一〇〇ミリメートル、北海道、東日本では五〇ミリメートルをこえると斜面崩壊が塚発すると指摘している。
昭和二四年から同三四年までの全国の斜面崩壊の調査に基づき、E3ら「地すべり、斜面崩壊の実態と対策」(甲第九八号証の三、四一四頁)は、斜面崩壊が発生したときの平均雨量は、北海道で連続雨量一〇〇ミリメートル、九州で二二〇ミリメートルであり、これはのり面災害だけでなく水害一般の傾向であると結論している。
これらの知見は、いずれも本件事故前の崩壊例より集約された結論であつて、本件事故当時には当然知り得たものである。
(4) 土石流の発生機構
土石流の発生機構を研究するために、土石流そのものの観察が必要であることは、つとにE4が力説していたところである。そのためE4は、昭和二九年「類似土石流」の実験をしている(甲第九三号証)。

その後、各種の土石流のモデル実験が試みられているが、A1も「水災害の科学」(甲第七五号証の五、四三六頁)の中で土石流の実態を見きわめることが必要だと述べている。そして、A1が「石塊を先頭に進む土石流の縦断面図」として描いた図は、E4が右論文中で記載しているE4自身の土石流流下状況の観察結果とE1の観察結果に基づく土石流流況図とを組み合わせたものである。 このように、土石流の流下状況の観察についても、その発生機構の解明についても、基本的にはE4やE1の研究と変つていない。
昭和四五年以来のD1らの土石流研究グループによる土石流の動態に関する研究も、現象の実態を分析し、その発生機構をより定量的に精密に把握しようとするものである(甲第六〇号証、D1第四回九丁・一〇丁)。
E4以後のE5、A1らのモデル実験、D1らの計測研究は、いずれも土石流の発生機構についての定量的精確性を追及するものであるが、メカニズムの基本的原理的要素については、本件事故前に解明されていた(D1第七回八三丁・八四丁)。土石流発生のメカニズムが定量的に厳格な精密性をもつて把握できなければ、土石流の被害を防げないものでないことは、すでに述べとおりである。 (5) 自然現象を対象とする学問または技術は、当然のことながら現象の観察から出発しなければならない。土石流に関する学問も同様に、災害発生の都度、多くの学者が現地調査をし、それぞれの立場から原因究明に当たり、また防災に対する意見を発表している。
土石流は、本件事故前にわが国において無数に発生しており、その調査研究も多数存在し、控訴人らが入手し得なかつた資料も多い。また、土石流そのものは事故の前後によつて全く変化はないのであるから、現在の学問水準も過去の調査研究の上に、新しいそれがひとつひとつ積み上げられてきたにすぎず、事故当時の学問水準と現在の学問水準との間に隔絶した飛躍が存するわけではない。 土石流の発生要因である地質、地形、降雨の各条件、土石流の発生機構について、現在判明している諸事実のうち本質的な部分は、本件事故当時にもすべて解明されており、専門学者はもとより防災工事、道路工事関係者には知悉されていた。土石流発生の諸要因に関し、定量的(数量的)に未解明な部分があつても、少くとも現場の工事あるいは管理関係者らにとつて経験上具体的な幅をもつた危険域の判断は、十分可能な学問、技術の水準にあつたものである。
(二) 土石流等の災害についての研究機関
(1) 大学および附属施設
わが国では地震に関する研究が古くから発達し、特に東京大学地震研究所は最も古い歴史を持つ防災研究所である。土石流に関する災害研究も、大正時代の二回の火山噴火(焼岳、十勝岳)にともなう土石流の発生が始まりであり、上石流研究の当初には右研究所の寄与が大きかつた。
昭和二六年に至つて、災害の学理とその防禦に関する応用研究を行なう目的で、京都大学に防災研究所が設立され、昭和三八年にはその中に土石流、斜面崩壊などの研究を専門とする地形土じょう災害防止研究部門が設置された(甲第六古写証)。
昭和三五年には、文部省科学研究費による特定研究として災害科学研究が開始され、その研究成果を発表する場として、昭和三九年から災害科学総合シンポジウムが開かれた。以後現在まで同シンポジウムは継続し、全国の災害科学研究に携わる学者、技術者の交流が行われている。
昭和四五年からは、全国にある土石流研究グループのひとつとして京都大学防災研究所の研究者が中心となつて、土石流研究グループ(代表D1)が組織され活動を始めた。
(2) 国等の研究機関
山地災害から国民の生命財産を守るため、主として治山治水の観点から国も古くから斜面崩壊、土石流の研究とその防止対策を行なつており、内務技官柿徳市らの研究、建設省土木研究所員の研究(甲第六三号証、甲第九四号証、甲第九五号証)、建設省の各地工事事務所員の研究(甲第九六号証、甲第六六号証)などがある。建設省関係者の研究は、いずれも防災工事の現場に働く技術者の研究であつて、経験に基づく原因究明、対策を行なつている。
昭和三八年には、科学技術庁に国立防災科学技術センターが設置され、国の各機関の研究、各学者の研究のセンターとして各分野の研究成果をここへ集め、研究の応用、技術化を図るようになつた(甲第八七号証、D1第四回一五丁)。 国鉄は、全国に鉄道網を有する主要交通機関というだけでなく、線路上に生じた
障害は、直ちに多数の人命の危険にかかわることから、古くから独自の災害防止研究機関(鉄道技術研究所)を有し、落石、土砂害、雪崩れ、地震、強風などに対する種々の研究を行なつている。
その研究の結果として、すでに昭和三八年には降雨による運転規制市量の基準を設け、昭和三九年には主要駅に警報装置付自記雨量計の設置を行なつている(甲第四六号証、甲第五七号証)。
したがつて、国鉄の技術陣は、落石、斜面崩壊、地すべり、土石流などの災害に関する研究について、建設省以上のすぐれた研究成果をもつている(甲第六七号証の三、甲第八五号証、甲第九八号証の一ないし三)。
(三) 災害関係法規の整備
自然現象にともなう災害を防止するための法律としては、昭和三三年三月三一日成立(同年四月一日施行)した「地すべり等防止法」が古い。同法によつて、地すべり地区等を指定する場合には、地形、地質、降水、地表水もしくは地下水または土地の滑動状況に関する現地調査を行なうことになつつている。
次に、昭和三六年一一月には災害対策基本法(同月一五日成立、昭和三七年七月一〇日施行)、宅地造成等規制法(同月七日成立、昭和三七年二月一日施行)が相次いで定められた。前者は、昭和三三年九月の狩野川台風、翌三四年九月の伊勢湾台風と続いた大災害を契機として、防災に関し国、地方公共団体、その他の公共機関の責務を定めたものであり、後者は、昭和三六年六月の六甲山系(神戸市)の大崩壊災害が契機となつて、宅地造成にともない生ずるおそれのあるがけくずれ、土砂流出を防止しようとするものである。右宅地造成等規制法の施行令では、「がけ」とは地表面が水平面に対し三〇度を越える角度をなす土地で硬岩盤(風化の著しいものを除く)以外のものをいうと定め、三〇度を越える斜面を危険な斜面としている。
さらに昭和四四年には急傾斜地法(同年七月一日成立、八月一日施行)が定められたが、同法にいう急傾斜地とは、傾斜度が三〇度以上である土地をいうと規定し、三〇度以上の斜面を崩壊の危険のある斜面として、崩壊を生ずるおそれある場合には防災対策をとることにしている。
これら法律の整備拡張は、先に述べた法律制定以前の学問水準を前提とするものであり、他方、山地災害を含めた災害関係学問の助成をなすことにより(昭和三五年からの文部省科学研究費による特定研究等)、その学問水準を高め、その成果を法律がとり入れたものでもある。
したがつて、昭和三七年一月三〇日の宅地造成等規制法施行令で、三〇度を越える斜面を規制の対象としたのは、これら斜面が崩壊を起こすおそれのある危険斜面であるとの認識が、学問、技術的には勿論、行政的にも肯認されたからである(この意味において、国道四一号の本件沢を含むl2、h1間のように山腹を切り拓いた部分では、それが宅地造成を目的とする工事でなくても、切土によつて新たに生ずる危険はわかつていたはずであるといわなければならない。)。 3 事故現場附近の危険性
(一) 地質・地形
(1) 地質
原審第一回検証時に断層と指示した飛騨川対岸の尾根の鞍部から飛騨川へ向つて延びる沢状の箇所(原審検証調書四、3、第一写真綴(10)(11))は、当審検証の結果、濃飛流紋岩類と古生層とが接する断層であり、同派を形成する不安定な小岩石、岩石の細片などは、断層破砕帯であつて、この沢附近に転在する浮石は、ほとんどが濃飛流紋岩類の風化による崖錐である。
この断層は、右涸れ沢に沿つてくだり、飛騨川を横断し(当審検此調書10、写真(3)(4)、原審第一回検証調書第一見取図ト点、第一写真綴(7))、本件沢の第九堰堤下の断層につながつている。
また、六四・八二㎞の沢(甲第五号証実況見分調書Cの沢)は、濃飛流紋岩類であり、右断層による濃飛流紋岩類と古生層との接点よりやや北方に位置している(当審検証調書9)。
当審における本件沢の検証調書7の断層附近の岩片(写真(8)(21))は、断層運動により古生層が破砕を受けている部分のものである。
(2) 地 形
国道四一号のうち、g1橋以北、特に飛水峡(五五・一㎞)からh1l1橋(六六・七㎞)までの間は、急峻な山腹が飛騨川岸まで迫つており、道路拡幅のため山腹を削り取つたので、ほとんどの地点で傾斜角二〇度以上の山腹が道路の東側上部
につづいている(当審検証調書6、写真(33)~(43)(55)(56)、原審第二回検証調書第六見取図、第七見取図各写真)。
本件事故当夜に崩壊を起こした斜面の傾斜角は、六四・八二㎞地点の沢の左岸斜面が約三七度(当審検証調書9)、本件沢の第一一堰堤と第一二堰堤との間の左岸崩壊斜面は約四〇度(原審第一回検証調書三、10)本件土石流の崩壊起点となつた第二石垣東寄左岸斜面は約四〇度(右回三、13)、六四・一七㎞の斜面は四〇度ないし四五度(甲第六号証)であり、その他事故当夜に崩壊を起こした斜面は、いずれも約三〇度以上と思われる(当審検証調8、写真(6)(16)(18)(19)(20)(22)(24)、同12、写真(3)(4))。 (3) まとめ
濃飛流紋岩類西縁部の南端に位置する本件沢を中心とする五九・六㎞地点から六五・九㎞地点までの、わずか六・三キロメートルの区間に、本件事故当夜だけでも一五ケ所以上の斜面崩壊、土砂流、土石流が発生した。
同区間には事故以前にも二回(昭和四一年六月二九日六四・四㎞地点、同四三年三月一二日六四・二㎞地点―ただし、ここは本件でいう六四・一七㎞地点と同じ)の斜面崩壊があつた。
右事実は、この地帯が先・濃飛の断層運動、先・濃飛の火成活動、飛騨川流紋岩頬の火砕流の噴出、a1流紋岩の火砕流堆積および断層運動、後・濃飛の火成活動などの複雑な地質形成史と地質構造をもち、しかも時期を異にする断層運動、火成活動により各地層の接触部が破砕され、熱変成を被り、地質構造的に弱くなつていること、風化しやすい流紋岩、花崗斑岩などの地層が古生層の上部にあつて、風化堆積物が斜面や溪流河床に堆積しているわめに、降雨によりきわめて崩れやすいことを示している。
同様のことが、本件当夜二ヶ所(七八・〇〇㎞と七八・四五㎞)の崩落のあつたd1附近および一ヶ所(六九・六〇㎞)の崩落のあつたa1町c1附近についてもいいうる。
d1附近では本件事故前にも四回(昭和四一年七月一六日七八・五㎞、同月二六日八〇・〇㎞、昭和四二年三月二九日七八・五㎞、同年七月九日七九・四㎞)の崩落があり、本件当夜と合わせて六件の崩落が七八・〇〇㎞地点から八〇・〇〇㎞地点の二キロメートルの間に集中している。またc1附近では、昭和四三年六月一九日六八・〇㎞地点で崩落しており、同じく二キロメートルの間で本件当夜と合わせて二回崩落している。
d1附近及びc1附近についても、前述と同じ理由により断層が分布し(甲第三七号証の一、二)、角礫岩層が露出しており(甲第四七号証)、地質構造的に非常に弱くなつている。
結局、国道四一号上の前記三区間(二、2)は、地質的にも地形的にも斜面崩壊、土石流を含めた山地災害に対し、きわめて弱い地帯であることが明らかである。右三区間にそれぞれ含まれている本件沢附近、d1附近、c1附近では、同じ場所附近でくり返し崩壊が発生しているのも右原因に基づくものである。 (二) 本件国道上に発生した過去の崩落事例
(1) 国道四一号では、昭和四〇年五月建設大臣の直轄管理区間に指定されたのち、本件事故当夜までに八件の崩落事例があつた。
そのうち、次表の六件は、降雨が崩落の直接の原因となつたと思われる。<記載内容は末尾4添付>
右六件について降雨との関係を考察すると、最大時間雨量が八ミリメートルを越えると崩落の発生が多くなり、連続降雨量が一五〇ミリメートルを越え、あるいは最大時間雨量が三〇ミリメートルを越えると崩落の危険はきわめて高いことがわかる。
この結果は、時間雨量との関係で「集中豪雨」(甲第五八号証一六九頁)の呉市における「がけくずれの発生個所数と時間雨量との関係(その一)」と、酷似している。
しかも、右六件のうち、一五〇ミリメートル以上の連続降雨量のあつた表3の時には洪水注意報が、表4の時には大雨注意報が、表6の時には雷雨注意報が出されていた(甲第九二号証)。
右呉市の場合も、学者は消防署の集めた斜面崩壊と降雨量とのデーターをグラフに表わしただけのことである。したがつて、現実に当該地域で防災、道路管理、土木工事に従事している担当者は、担当区域に関する限り、経験的な知識、勘として右の関係をよく知つていたはずである。このこのことは、国道四一号についても同
様であろう。
(2) 人身事故をともなつた斜面崩壊による道路災害として、昭和四二年七月九日a1町e1で発生した例がある。
この災害に関する油井道路災害報告書(甲第六五号証)には、「連日の降雨により地山か飽和状態となつているところへ当日は異常豪雨(時間雨量三五・五ミリメートル)のため、小溪が氾濫し官地外上部より土砂崩壊を起こし石積上部の道路敷法面が崩落した」とある。そして、右災害発生前に美濃加茂出張所では、降雨と大雨注意報の発令により日曜日にもかかわらず、特別パトロールを編成して警戒に当たつていた。このことから、当時すでに道路管理の現場担当者は、相当の先行降雨と当日雨量があれば、国道四一号では斜面崩壊、あるいは沢からの土砂流出などの被害が生ずることを知つていたことがわかる。
本件事故当時において、道路管理関係者が斜面崩壊などの被害をひき起こすおそれのある危険雨量として、経験的にどの程度の雨量を考えていたかは必ずしも明確ではない。しかし、事故後とられるようになつた予備規制(甲第一五号証)の当初の基準雨量が、連続降雨量六〇ミリメートルで通行任意、八〇ミリメートルで通行止であつたことは、事故当時における道路管理関係者が考えていた危険雨量が連続降雨量八〇ミリメートル、警戒雨量が同じく六〇ミリメートル程度であつたことを裏付けるものといえよう(その後、基準雨量は八〇ミリメートル、一二〇ミリメートルに変更されたが、この変更については、どの程度の情報蒐集、防護対策の強化に基づいたか、はなはだ疑問がある。)。
e1の道路災害発生前に特別パトロールを行なつた当日雨量は、一五時出発までに四六ミリメートル、二〇時終了までに一〇四ミリメートルであり、これは昭和四二年七月当時の道路管理関係者の警戒雨量についての認識を窺わせる数値である(甲第六五号証)。
(3) 本件バス集団が南下を阻まれた六四・一七㎞附近の斜面は、同年三月一二日連続降雨量二六・八ミリメートル、最大時間雨量八・五ミリメートルで崩壊(三月災)し、事故前に修復工事が行なわれた。O11らの「降雨特性からみた斜面の地辷りおよび崩壊の機構とその予知の研究」(甲第七七号証の五)には、当該斜面を十分調査しさえすれば、どの程度の降雨で崩落し、その土量や形状まで予想しうるし、予防法として崩壊条件が発生しないような工法をとることはさして難しくないと報告されている。
してみると、右三月災に対する修復工事は、斜面に関する十分な調査(崩壊条件、臨界降雨量など)と予防工事を行なつていなかつたものである。修復工事に際し、道路管理者は斜面の降雨特性(連続雨量、時間雨量)に対する限界を知り得たはずであり、崩壊に至る前の警戒雨量も当然把握できた。
前記過去の崩落例と降雨との関係、事故後の交通規制基準雨量、後記高山線の警戒雨量などに照らし、本件事故当時、国道四一号においても、連続雨量六〇ミリメートル、最大時間雨量二〇ミリメートルくらいの降雨から、特別パトロールを行なつて警戒に当たるべきであつた。
本件事故当日、本件沢附近の危険区間が右警戒用量に達したのは、一七日一五時ないし一六時ころであつた(甲第六四号証)。右時刻以後は、斜面崩壊の危険性が具体的(危険な斜面毎に)に予想されるのであるから、道路管理者としては過去の崩落場所附近を中心に、厳重な警戒措置をとるべきであつた。
(三) 国鉄高山線の防災対策
(1) 国鉄では気象警報および天候状態によつては、時雨量警報器を二〇ミリメートル又は二五ミリメートルに調整しておくことになつている(甲第五七号証第二七〇条二項)。
(2) 本件沢と飛騨川をはさんだ対岸の沢(原審第一回検証調書第一写真綴(10)(11)、当審検証調書11、写真(1)(2)(3))は、高山線では岐阜駅起点五〇・八㎞地点であるが、地質的には濃飛流紋岩類(左岸)と古生層(右岸)の接点であり、沢自体が断層運動によつて生じた破砕帯である。ここに推積している小岩石、礫などははなはだ不安定で崩れやすく、沢の勾配は約四〇度の急傾斜であり、沢および周辺に散在する浮石はほとんどが濃飛流紋岩類の風化、剥落した崖錐であつて、落石の危険の多い場所である(当審検証調書11、検証結果一~八)。これら不安定な浮石、石片が風雨、震動などにより線路上に崩落もしくは流出するのを防ぐため、国鉄では線路沿いの山腹を砂防杆止保安林にして檜などを植林している。そのほか、昭和二九年に線路沿いに石積の落石防止壁を、沢の中腹にも二段の石積を築き、さらに昭和三二年には、線路沿いにコンクリート擁壁
を、沢の左岸山腹にそそり立つ濃飛流紋岩類の岩壁の風化、剥落、移動を防ぐため岩壁直下に大コンクリート擁壁を設けている(当審検証調書11、甲第八九号証)。
(3) 落石による列車事故を防止するため、昭和二八年ころからm1(岐阜駅起点四二・一㎞)からj1駅(八八・三㎞)までの四六・二キロメートルのうち二二・七七キロメートルの距離にわたつて浮石の管理を行ない、その間に存在する約一万二〇〇〇個の浮石に番号を書き入れ、台帳、図面を作成保存している。そして、担当保線区員が梅雨期、台風期の前に巡回監視し、異常の有無を確かめ台帳に記入している。
これら管理を行なつている浮石の範囲は、線路に面した山腹斜面で、落石が線路上に支障をもたらすと判断されるもののすべてにわたつており、その所在が国鉄所有地であると否とを問わず、また線路からの距離三六〇メートル、高度差三〇〇メートルにまでおよんでいる(甲第八九号証)。
(4) 高山線の防災対策は、運転規制、防護施設、落石管理のみでなく、落石および異常気象(台風、豪雨など)により線路に災害発生のおそれある場所(過去に災害のあつた場所、防護設備の手薄な場所)では、担当員が常時固定して警戒にあたつており、かつては特に危険な場所は平時においても固定警戒場所が定められていた。当審で検証した岐阜駅起点五〇・八㎞の沢と線路の出会い附近の五〇・七~五一・三㎞の区間も平時の固定警戒場所と定められており、昭和六年ころから昭和三五年三月ころまで常時警戒してきた場所である。
このように、本件事故当時、国鉄高山線における山地災害に対する防災態勢と国道四一号におけるそれとの間には、非常なへだたりがあり、その差が本件事故当夜の高山線での事故防止と国道上での本件事故発生とにつながつているものと考えるべきである。
(5) 高山線における防災対策は、多分に経験に基づいたものであつて、必ずしも地質調査、物理科学的調査、水文調査などの結果によるものではないが、過去の崩落事例や現地調査などを参考にして作り上げられた点は見逃せない。 それゆえ、国道四一号についても、同様に降雨と土砂崩落との間の定量的な関係が明らかでなくとも、降雨に対し一定の幅をもつた危険性の予測は、経験的に十分可能であつたといわなければならない。
4 本件事故当夜の斜面崩壊と土石流
(一) 斜面崩壊
(1) 本件事故当夜(一七日夜から一八日未明まで)、国道四一号上の五四・二二㎞地点(g1橋附近)から七八・四五㎞地点(d1附近)までの間に、一九ケ所以上の崩落があつた。そのうち、原判決別紙7に記載されている各崩落の状況は次のとおりである。
<記載内容は末尾5添付>
(2) 右一九ケ所以外にも、当夜本件国道上の五五㎞、五七・八㎞、六〇・〇八㎞、六〇・二五㎞、六〇・七㎞、六一・六㎞、六一・七㎞、六一・七五㎞、六二・一㎞、六二・二㎞、六二・三㎞、六三・二㎞、六三・八七㎞、、六三・九三㎞、六四㎞、六四・〇五㎞、六九・五㎞、六九・七㎞、六九・八㎞、六九・九㎞、七七・四㎞、七七・五五㎞、七八・三㎞、、(乙第二号証)の各地点にも斜面崩壊もしくは土砂流出があつた。
前記一九ケ所および右二三ケ所の崩落は、いずれも本件沢附近、a1剛c1附近、d1附近の三危険区間に分布している。
(3) 表4(大洞)、9(甲第五号証E点)、11(甲第五号証の滝)、18 19(d1)の沢沿いの土砂流出は、単なる斜面崩壊でもまた典型的な土石流でもないが、沢沿いの斜面の崩壊土砂と河床の堆積土砂の両方が流出しており、斜面崩壊、土石流のどちらにも分類しにくい中間形態に属する。これらの土砂流出は、沢水によつて土石が運ばれたため、流出土石量も多い。
斜面崩壊を起こした斜面は、いずれも勾配が急な(約三〇度以上)うえ、基岩(表2、3、5、6は古生層、8以降は概ね濃飛流紋岩類)の上に、厚さ数十センチメートルから数メートル以内の土砂が表土となつて堆積し、短時間の強雨に対して崩落を生じやすい条件を備えていた。特に、バス集団が南下をさえぎられた六四・一七㎞地点の斜面は、基岩の古生層には、一、二本の断層があり、基岩上に厚さ数十センチメートルから数メートルの風化したチヤート、濃飛流紋岩類が堆積して表土をなしており、勾配は四〇度ないし四五度で急なうえ、基岩表面が凹状のスプーン形をしていて、斜面周辺の雨水はすべて斜面中央に集水する形状をしている
(甲第六号証第二、写真第一第二、D1第七回三五丁)。
したがつて、この斜面は、地質、地層の構成、表土の厚さ、勾配、幾何学的形状のすべての点において、最も崩壊を起こしやすい斜面であり、この斜面がこの附近で最初に崩壊を起こしたのも当然のことといえる。
(二) 土石流
(1) 本件沢の地質および地質構造
ア 原判決は、本件沢の地質について証人D6の証言に基づき「第九堰堤の上下では地質が異なり、上方は濃飛流紋岩類、下方は古生層で、第九堰堤直下のほぼ垂直方向の断層で両層が接して」いると認定した。
しかし、原判決は一方では第五堰堤西寄左岸には古生層と濃飛流紋岩類の接触部が露出していることも認定しており、この二つの事実がどのような関係に立つのか明らかにしなかつた。
イ ところが、事故直後に本件沢の地質調査を行なつたE6によれば、沢の下流狭さく部では古生層の新鮮かつ堅硬な頁岩があり、これにつづいて古生層の接触変成帯(迸人時の破砕作用を部分的に被る)があり、中流部は濃飛流紋岩類よりなるが、そこに古生層捕獲岩が残つているとのことである(甲第六九号証)。この古生層捕獲岩と濃飛流紋岩類との境界が、甲第六八号証写真(31)であるが、その位置は第九堰堤直下と考えられる(甲第六八号証写真(32)は第九堰堤と第一〇堰堤の中間、すなわち原審第一回検証調書第八写真綴(4)の写真と同一場所を写したものであること、甲第六九号証の沢の左岸中央部附近の崩壊は、第八堰堤上部の崩壊、すなわち同検証調書第二見取図ル点にあたると考えられるからである。)。してみると、証人D6が第九堰堤直下で古生層と濃飛流紋岩類が接していると指摘した古生層とは、E6のいう古生層捕獲岩であるということになろう。そして、本来の古生層と濃飛流紋岩類との接点は、甲第六九号証の図面でも第八堰堤上部の崩壊より下流であり、証人D2の指摘する第五堰堤附近であると認められる。第五堰堤の西寄左岸附近(原審第一回検証調書第二見取図ハ点)で古生層と濃飛流紋岩類とが接することは、被控訴人の認めるところでもある(右検証時における被告指示、なお被控訴人は当審検証の際には、古生層のなかに花崗斑岩と濃飛流紋岩類が貫入してきたものと思われると指示し、E6の調査結果を肯認している。)。 ウ 原判決は、本件沢の第九堰堤上流にも沢に沿う断層があるか否かにつき、これを肯定する証人D2の証言より、証人D6の証言の方が合理性において勝るものがあるとして、これを否定している。
原判決は、その根拠として河田の濃飛流紋岩頬の形成史(甲第四七号証)をあげるが、その形成史には飛騨川流紋岩類が堆積したのち、さらにa1流紋岩が堆積した時期においても、古生層との境界部での断層活動は引き続いて生じ、その後に花崗斑岩の岩脈が古生層と流紋岩中に貫入したとある部分を、故意に無視している。 また、地質鉱産図(甲第三七号証の一、二)のh1附近には、濃飛流紋岩類と古生層の接点となつている断層に直交する断層があり、この断層は、古生層と濃飛流紋岩類の双方を貫き、直交する断層の活動によつて、先の接点たる断層にずれが生じている。
エ 次に、原判決は濃飛流紋岩類はその両側に分布する古生層とほとんどの場合、断層関係で接触していることをあげている。それ自体は甲第三七号証の一、二より見て正しいが、同号証によつても本件沢附近では断層関係で接しているとの表示はなく、断層で接する場合にもh1附近のように直交する断層の場合もある。 控訴人は、原判決の指摘するa点、b点、c点の各断層が一本の断層であると主張しているのではなく、a点の断層は沢の方向に走つているが、b点の断層は北西方向に走つており沢の方向に沿うものではない。c点の断層については証人D6も小規模の断層を観察している。右事実と証人D2の証言を総合すれば、本件沢の第九堰堤上部の流紋岩類の地質部分にも断層が存在すること明らかである。 オ 結局、本件沢の地質を全体としてみれば、古生層と濃飛流紋岩類が接していること、断層が広く分布し、断層運動による破砕作用や花嵐斑岩の貫入による熱変成作用を強く受けており、地質構造的に著しく弱くなつていること明らかである(甲第七六号証の七、第八〇号証の六、D1第七回二七・二八丁)。 (2) 本件沢の地形について
本件沢は、はなはだしい段落を呈する部分と比較的勾配のゆるやかなところがあり、急勾配のところでは谷の両岸は切り立つて狭くV字形をしており、勾配のゆるやかなところでは谷幅もやや広くU字形をしている。段落の激しい狭い部分は、第二第三堰堤間、第六第七堰堤間、第九第一〇堰堰間であり、いずれも三〇度の勾配
がある(原審第一回検証調書)。これらの段落のある場所は、落差数メートルから一〇メートル位の滝状となつている(甲第一号証)。
国道上から第三堰提を見通した角度は約二〇度、第三第四間の勾配は約一五度、第四第五間は約二五度、第五第八間は約二六度、第八第九間は約二五度、第一〇第一一間は約三三度である。、沢全体の平均勾配は約三〇度である(原審第一回検証調書)。
沢は第四堰堤から第八堰堤にかけて南側に凸の形で大きく湾曲し、その上部はほぼ真直ぐ東方に延びている。
左右の山腹は、第一〇堰堤下附近(原審第一回検証調書第八写真綴(4)(5))で最もせばまつていて、この狭さく部をスプーンの首に例えれば、それより上部は上向きにしたスプーンの頭部のようにスプーンの縁にあたる山腹の尾根が楕円形になつて、その最先端が山頂で会している、(乙第一二号証の二航空写真参照)。
このような山腹の幾何学的形状は、広範囲な山腹斜面に降つた雨水を沢に最も集水しやすい形状であり、沢の奥行の深さ、斜面の形(凹)状とともに、本件沢の南の沢(当審検証調書5)に比べ、きわめて土石流を生じやすい(D1第四回九二・八三丁)。
(3) 崖錐様堆積物の状況
ア 本件沢には、事故前に主として濃飛流紋岩類よりなる多量の崖錐様堆積物があつた(当審検審調書7、写真(12)(15)(24)(33)(35)(37)(38)の岩石、土砂も濃飛流紋岩類の堆積である)。原審第一回検証時にも、旧堆積の痕跡が第七堰堤西寄り右岸、第八堰堤右岸などに残つていた。 原判決の認定によつても沢の断面がV字型の部分には三〇㎝~五〇㎝、傾斜のゆるくて広いU字形の部分(第三第四堰堤間、第七第八堰堤間、第八第九堰堤間など)では、一・五~二メートルぐらい推積していた。
イ 本件沢における崖錐様堆積物の生産速度は、相当速いことが、当審の検証によつて明らかとなつた。右事実は、原審第一回検証時と当審検証時とにおける各堰堤の土砂堆積量の変化(例えば第三堰堤、第七堰堤)をみれば歴然としている。本件沢の堰堤および石垣は、昭和四二年二月ころ設置された(原審第一回検証調書三、2被告指示説明)ものであるが、昭和四五年六月二日の原審第一回検証当時には第三堰堤で上から八段目までは埋まつていなかつた(同調書第二写真綴(7))のに、昭和四八年一〇月二五日の当審検証時には上から六段目以下は埋つており(当審検証調書7、検証結果五、写真6)、三年余の間にスクリーンの二段が土石で埋まつた。今後も、右速度と同じ割合いで埋まりつづけるかは不明としでも、それ程大きな時間的相違はないものと推定すべきであるから、本件沢の堰堤は今後十数年から四、五十年の間に完全に埋没するであろう。(D1第四回一〇四丁)。 原判決の認定によつても、事故当夜に流出した土石は、五〇年ないし一〇〇年の間に堆積したものとされており、本件土石流は数百年に一回という長期間のサイクルを経て発生したもの(諌早、足和田村、西谷村、都辺田の土石流)でなく、数十年に一回のサイクルで発生した小土石流のひとつである(D1第七回三〇・三一丁)
(4) 沢の流水の状況
ア 第二石垣の上部で沢の本流は、上流に向つてやや左に曲つているが、この附近には平常は沢の表流水はなく(原審第一回検証調書第一三写真綴(9))、沢に集まる水は地下の水みちを通つて流れていると思われる。この地下水流が初めて沢の表面に出るのは第一〇堰堤の上部であるが(同第九写真綴(4))、同堰堤下流の流紋岩類の比較的大きな崖錐の堆積している場所では、堆積物の下をくぐつて岩盤上をゴウゴウと音をたてて流れ(当審検証調書7、検証結果一二、写真(24))、第九堰堤上流では滝となつて流下している(原審第一回検証調書第八写真綴(1)ないし(5))。
さらにその下流では、岩盤が露出していたり、比軽的細い土砂がち密に堆積している場所では、流水は地表を流れるが、流紋岩類の荒い崖錐の堆積している場所では、その堆積の下部にもぐつて基岩の表面や堆積土石中の水みちを伏流している(当審検証調書7、検証結果五ないし一一)。
このように沢水が堆積土石の表面を流れたり、堆積物中を流れたり、堆積物の底の基岩表面を流れたりするのは、土石流の構成物ともいうべき渓流堆積物と流水との特徴であり、過去に土石流が発生して沢の下流で停滞した痕跡のある南の沢(六三・八五㎞)においても全く同様である(当審検証調書6)。

イ 沢の流水は、降雨にしたがい次第に水量を増し、ち密な堆積物の表面に降つた雨水は地下に浸透して基岩の表面に達し、その上に流れを生ずるが、さらに降雨が継続すれば基岩表面の水位が上昇し、表土のすべり崩壊、基岩に沿つての崩壊、パイピング、被圧地下水圧による崩壊などを起こすに至り、他方、土砂の表面では水流による表面浸食が始まつて、堆積土砂の運搬移動が起こる。
また、大きい崖錐の堆積しでいる場所では、基岩表面もしくは堆積物中の水みちの水量の増加にしたがい、水位の上昇、水圧の増大をきたし、堆積岩石の周辺の細砂、泥を洗い流すため、堆積岩石は摩さつ係数を減ずるとともに浮力を増し、水深が礫の高さにおよぶとわずかな衝撃によつて急勾配を落下するようにたる。 それゆえ、本件沢においてもまず前者の堆積物が降雨により徐々に細砂泥流となり、後者の大きな岩石の堆積が移動しやすい状態のときに、短時間の強面により斜面崩壊なとの引き金があると、溪流堆積物はいつきに流下し、巨礫を先頭に鎌首を持ち上げた蛇の形で押し出す(甲第九三号証、甲第五八号証、甲第七五号証の五、甲第七七号証の七)。
(5) 本件土石流の発生状況
ア 本件沢附近には、一七日一一時より一六時までに降つた約一〇〇ミリメートルの降雨(甲第六四号証)があり、斜面の表土は水分が飽和状態に近くなつたが、その後一六時から二三時ころまで降雨がやんだため、辛うじて支持力を保つて崩壊を免れていた。
ところが、一七日二三時から一八日零時までの時間雨量約一〇〇ミリメートルの強雨により、保水力をはるかに上廻る雨水を供給された山腹斜面では、ほとんど地中に浸透する余地なく、雨水はそのまま表土の表面を流れて沢に集まり、沢の流水の水位、堆積物中の被圧地下水圧が上昇しつづけた。その後降雨はやや減少したが、沢に集まる雨水の量は増大の一途をたどり、沢の堆積土砂に表面浸食を生じ、大きな崖錐様堆積物周辺の土砂も洗われ、浮力も増して一八日二時ころには一触即発の危険な状態になつていた。
イ そこへ、沢の崩壊起点となつた第四石垣と第五石垣との間にある長径約三五メートル短径約一二メートル、および第五石垣と第六石垣との間にある長径約二〇メートル短径約五メートルの、断層によるすべり面(鏡肌)を有する勾配約四〇度の濃飛流紋岩類の表面に堆積していた、厚さ五〇センチメートルないし一メートルの表土、崖錐様堆積物が二時一〇分ころ沢に向けて崩壊し、この崩壊土砂が沢の水流によつて運ばれると同時に、崩壊による衝撃が引き金となつて、沢の溪流堆積物を巻き込み、流動させ、土石流となつて流下したものである(原審第一回検証調書三、13、甲第五八号証、D1第四回一九七丁・一九八丁)。原判決が、何ら科学的合理的根拠を示さないまま、崩壊起点の崩壊をそれほど大きな本件土石流発生の要因になつていないと簡単に判断しているのは、明らかに誤りである。 本件土石流も流下しながら、谷幅の広いU字谷の部分では、河床および山腹下部を洗堀して土石の量を増し、谷幅の狭い段落のある場所の上部ではせき止められて盛り上り、そこを通過するたびに落下速度を増して段波状になり、国道上のバスに二回にわたつて襲いかかつた(甲第一号証写真(10)、D7第五回二七丁)。その第一回目の土石流の鎌首の部分の衝撃圧を真横から受けた二台のバスは、もろくも飛騨川へと転落した。
本件土石流の規模は、沢が小さく推積土石量も少いことから、土石流としては非常に小規模なもの(焼岳上々堀沢の土石流の一〇分の一、その他各地の大規模な土石流の数百分の一程度)であり、土石流の秒速は一〇メートル以下、流出土石量数千立方メートルのものであつた(D1第四回一〇〇~一〇一丁)。 5 本件土石流の予見可能性について
(一) 「予見」の意義
(1) 原判決における「予見」のとらえ方
原判決は「本件土石流の発生を予見することは不可能であつた」といつているが、そこにいわれている「予見」というのは土石流の発生の時期および場所を具体的に事前に予知することを意味している。このことは判決がA1証人の「発生前に現地を見ていないが、土石流の発生、時期を予知することは現在の段階では困難であると考える。土石流は現在一部の発生機構が判つただけでその全容は不明である云々。」の意見書および証言等を引用して説示しているところからも明らかである(ニ・1~4丁)。
このように、「予見」の内容、範囲をきわめて狭く限定し、具体性を要求していることは、原判決の不可抗力論の一つの特徴であるが、このような考え方は従来の
判例、学説によつて確立された「予見」概念にも反するのみならず、災害対策上も首肯しがたいし、損害賠償制度のうえからみてもその基本理念である被害者の救済に反するものできわめて不当なものである。以下まず、この点について述べる。 (2) 判例、学説における「予見」のとらえ方
ア 国家賠償法二条関係中道路管理に関するもの
a 函館バス海中転落事件(札幌高判昭四七・二・二八判例時報六五九号二二頁)
右判決は予見の判断基準として「災害発生時におけるわが国の土木工学、地質学等、道路管理上関係を有する科学技術の水準によるべきであり……」と説いたのち、予見(予測)について、つぎのように述べている。
「本件の如き規模と形態の地すべり自体の発生を予測することは不可能としても、すくなくとも本件道路区間の全般又はそのいずれかの区域において、通行者の生命、身体又は財産に対して危害をおよぼすおそれのあるような地すべり、山崩れ或いはこれに類した災害の発生を予測することは決して不可能ではなかつたものと認められる。」
ここで、予測の対象となつている自然現象について、その種類、発生時期、場所等が必ずしも特定されていないことに注目すべきである。
災害防止のための予見は、原判決が求めているような具体性を具備したものでなくでも、「通行者の生命、身体又は財産に対し危害をおよぼすおそれのある」なんらかの災害発生のおそれをもつて十分なものとしている。
b 高知落石事件(高松高判昭四二・五・二一判例時報五〇九号四一頁、最判昭四五・八・二〇判例時報六〇〇号七一頁)
右控訴審判決は、まず、危険発生の場所について局限して考えるべきでないとし、「本件道路においでは、従来しばしば落石或は崩土があつた事実とを総合すると、右落石或は崩土は本件道路の山側の地層にその原因があるものと推認される。従つて……本件事故発生地点に局限して、道路管理の瑕疵の有無を論ずるのは妥当でなく、本件の場合においては、本件事故発生現場を含む本件道路全般について、危険状況及び管理状況等を考慮に容れて道路管理の瑕疵の有無を決するのが相当である。」と述べている。そして、この点につき右最高裁判決もこれを全面的に支持している。
さらに、右控訴審判決は「降雨の続いた後などに落石または崩土が起こるかも知れないことは十分予測しうる。」と述べ、その予測の内容について、落石または崩土を一体のものとしてとらえ、発生時期についても必ずしも厳密に特定はしていないことに注意すべきである。
イ 最近の公害判決
最近相次いで出されたいわゆる四大公害判決のうち予見可能性について、正面から論じられているものに次の二つがある。
a 四日市ぜんそく事件(津地裁四日市支部判昭四七・七・二四判例時報六七二号三〇頁)
右事件において、被告らは、硫黄酸化物の影響の場合はその濃度や量が問題となるのであるが、その濃度等についていまだ定説はなく、したがつて、本件についての予見可能性がなかつたと主張したが、これに対し裁判所は「この場合被告らのいうように科学的定説はないとしても、右答申等により、低濃度のいおう酸化物でも人の健康に悪影響がありうることは十分に予見しえたものというべく本件の場合、右の程度の予見可能性をもつてたりると解すべきである。」と述べている。 予見の範囲、内容を狭く解すべきではないという考えがそこに説かれている。 b 熊本水俣病事件(熊本地判昭四八・三・二〇判例時報六九六号一五頁) 右事件において、被告チツソは、水俣病の原因物質である塩化メチル水銀がアセトアルデヒドの製造工程で生成されることは昭和三七年半ばころ、熊本大学医学部衛生学教室においてこれを分析検知するまで、化学工業や学界でも全く予知できなかつたのであるから、被告としても廃水中にメチル水銀化合物の存在することを認識できなかつたのは当然であり況んやその廃水中のメチル水銀化合物が海中で魚介類に蓄積され、これを摂取した地域住民が水俣病に罹患するに至る経緯を被告において認識することは不可能というべく、したがつてこのような結果に対する予見可能性のないところに過失責任はあり得ないと主張したが、それに対して裁判所は、およそ化学工場は、化学反応の過程を利用して各種の生産をおこなうものであり、その過程において多種多量の危険物を原料や触媒として使用するから、工場廃水中に未反応原料や、触媒、中間生成物などのほか、予想しない危険な副反応生成物が
混入する可能性もきわめて大であり、かりに廃水中にこれらの危険物が混入してそのまま河川や海中に放流されるときは動植物や人体に危害をおよぼすことが容易に予想される、ところであるとし、さらに、被告は、予見の対象を特定の原因物質の生成のみに限定し、不可予見性の観点に立つて被告には何ら注意義務違反がなかつたと主張するもののようであるが、このような考え方をおしすすめると、環境が汚染破壊され、住民の生命、健康に危害がおよんだ段階で初めてその危険性が実証されるわけであり、それまでは危険性のある廃水の放流も許容されざるを得ず、その必然的結果として、住民の生命、健康を侵害することもやむを得ないこととされ、住民をいわば人体実験に供することを容認することにもなるから、明らかに不当といわなければならない、と手きびしく批判している。ここでも、予見の範囲、対象を具体的に狭く限定すべきものではないとの考え方が打出されている。 ウ 学 説
判例における右のような考え方は学説によつても支持されている。 a 例えば、前記四日市ぜんそく事件判決について
「判決は、予見可能性については、人の健康に悪影響がありうることの予見可能性でよく、それ以上の濃度等まで予見できる必要はないとしているが、それは当然かつ正当である。予見可能性は結果が確実に発生することの予見可能性でもなければ、ましてや結果発生のメカニズムについての予見可能性でもない。人の健康とか財産とかに被害が発生する危険性があることの予見可能性で十分なのである。」(淡路剛久「四日市公害判決の法的意義」判例時報六七二号七頁)。 b また熊本水俣病事件判決について
「被告側主張のように予見可能性の対象を狭く限定することは誤りである。従来の学説も予見可能性の対象となる事実は他人の法益を侵害する可能性があるということでよく、具体的に特定されたところの結果ないしメカニズムではない、としてきたのであるから、被告側主張のメカニズム論が認められる可能性はなかつたといえよう。」(同氏「水俣病における責任論」判例時報六九六号三頁)。 (3) 原判決における「予見」のとらえ方の誤り
以上原判決の「予見」の考え方は、従来の判例、学説に逆行するものである。 原審におけるA1証人が述べているところは、要するに、土石流発生の機構は現在の学問的水準においても、まだ十分解明されていないので予知は困難であるというのにとどまるものであつて、危険発生のおそれがあることまで否定しているのではない。原判決は、右土石流発生のメカニズムが解明されていない点をとらえ、具体的に土石流発生の日時場所が確知し得ないかぎり「予見」は不可能とするのである。
しかしながら、法律上、賠償責任の有無を定めるための「予見」というのは、前記札幌高裁判決も述べているように、自然現象の発生そのものについての予知ではなく、これによる災害発生のおそれについての予測なのであつて、自然現象発生の日時、場所、規模についてまでの具体的な予知まで要求されるのではない。 このことは、防災対策のうえからみても、原判決のようなとらえ方が根本的に間違つていることは明らかである。
道路の災害対策として土石流を考える場合、ここまで具体的な予見ができなくても差支えない。
「崩落や土石流発生のための必要条件のいくつか(主に地形的条件)はわかつており、崩落や土石流発生の危険が大きい箇所を予め指摘することはできる」ということだけで十分である。原判決のいう通常予測し得る降雨量のもとでも土砂崩落や土石流は発生する可能性があるのだから、右のごとき危険箇所が明らかになれば、当然その危険に対する対策が要請されるのである。
災害をひき起こすおそれのある自然現象の発生がその具体的な日時、場所が予め確知されなければ不可抗力として免責されてしまうということになれば、防災対策はほとんどなおざりにされてしまうことになるであろう。また、法律上の予見の可否を判断するに当たつて、学問上の目的とされる具体的な予知まで要請されるのであれば、自然現象により発生する大半の災害をいわば偶然の不幸として法的救済を切りすてることになつてしまうであろう。これでは国家賠償法二条が憲法一七条の被害者救済の精神を公の管理作用にも実現しようとした趣旨は全く没却されてしまう。
土砂崩落と土石流はいずれも降雨にともなう国道上の危険として一体として考察すべきことはすでに述べたところであるが、原判決のいうように、特定の地域でどれだけの雨量が降れば発生するのか不明であるという点では、土石流も一般の土砂
崩落もかわるところはない。また、本件事故当夜の集中豪雨が通常予測され得る範囲を超えた異常に激しいものであつたとの認定には異論があるが、仮にそうであつたとしても、土石流は連続雨量一〇〇ミリメートルを超えると発生しやすいとされているように、原判決のいう通常予測し得る雨量でも土石流は発生する可能性があるのである。通常予測し得る雨量でも土石流発生の危険がある以上、事故当夜がそうでないからといつて「瑕疵」なしとすることはできない。
原判決のような考え方が誤つていることは立法のうえからも明らかである。例えば、「地すべり等防止法」(昭和三三年法律第三〇号)によれば主務大臣は地すべり発生のおそれのある地域を地すべり区域に指定し、この区域の管理を都道府県知事に行こなわせることを通じて地すべりによる被害を防止しようとしている。 地すべりについて、その発生時期・場所・態様規模を具体的に予知することはできないとされているが、同法は、地形・地質・降水・地表水若しくは地下水などに関する現地調査をおこなうことによつて、発生するおそれのある区域を指定しうることを前提としている。
また、「急傾斜地法」(昭和四四年法律第五七号)によれば、傾斜度三〇度以上である土地を急傾斜地とし、急傾斜地の崩壊による災害から国民の生命財産を保護するため崩壊防止の諸措置を規定している。急傾斜地の崩壊について現在の科学技術の水準からその時期・場所・態様規模を具体的に予知することはできないとされているが、同法は、傾斜度三〇度の傾斜地を災害の発生するおそれがあるものとして災害対策の措置を講じようとしている。このように、法律上、災害の発生が予見しうるか否かの問題は、自然科学上の具体的予知の有無をそのままとりいれているのではなく、人間が社会生活を営むうえで災害発生のおそれがあるか否かによるものとしている。したがつて、本件土石流発生の予見の問題にあつても、現在の科学技術の水準からみて、本件のような土石流発生の原因が存在するかどうか、土石流の発生する可能性があるかどうかの判定で十分であつて、これ以上に発生の時期・場所および態様規模を予知しうることまで確定しなければならないいわれはない。 原判決が予見について、このようにことさら狭く解した根底には安全ということに対する理念が稀薄であるとの批判を免れない。
(4) 原判決が、本件土石流の予見判断の唯一の根拠としたA1の意見書(乙第一三号証)には、「土石流を発生させるに至る降雨量は、土石流の性質によつて異なり、一概にはいえない。」とあるが、右意見書(昭和四七年一一月三日付)作成以前に同人の執筆した「水災害の科学」中の土石流の項(甲第七五号証の五、四五二頁)には、一般的に土石流を発生させる降雨量は「いままでの資料から連続降雨にして一〇〇mm程度のようである」明記してある。
A1意見書が、土石流発生の厳格な予知を前提に作成されているとしても、いやしくも自己の著作に矛盾することを記載する以上、何らかの註釈を付するのが科学者の常識であろう。
それのみでなく、連続降雨量が一〇〇ミリメートルを越えると斜面崩壊などの土砂害が多発し始め、土石流が一〇〇ミリメートルを少し越えた雨量で発生した例もあるとの知見は、本件事故当時にも判明していた(前記2、(一)、(3))。 (二) 本件土石流発生の予見可能性
(1) 土石流発生の予見について
前述した土石流の発生原因はいずれも自然現象であり、そのうち地形・地質は地理的条件であるから、沢筋を調査することにより容易にこれを知ることができる。堆積土石については、その堆積が量的に多いか少ないかおよびその堆積状態が安定しているか不安定であるかもまた同様に安易に知ることができるものである。 土石流は、堆積土石の流出現象であるから、土石の堆積が多ければ多いほど、不安定であればあるほど、その発生の危険性が大であるということも明らかなことである。
このように、土石流発生の危険性は、「水流の淘汰を受けていない堆積の有無を調べればよく」「既往の土石流の痕跡がみられるので、踏査すると容易に見いだされる」(甲第七五号証の五、四五二頁)のであつて、本件沢の南の沢のように、過去の土石流発生の有無および将来の危険性は、専門家が調べれば、比較的容易に発見できた。
降雨についてみても、過去における全国各地あるいは岐阜県下各地の観測記録を調査することにより、比較的容易に事故当夜程度の降雨があることも十分予見できたのである。さらにいえば、集中豪雨はわが国のどの地域においても起こり得る共通の自然現象であるから、東濃山間部にあつても、いつ何どき起こるかもしれない
ものとして、予めその対策を考えておく必要があつたのである。
以上のとおり、土石流の発生原因を知ることができるのであるから、これを予め知ることができる以上、土石流発生の危険性を予見できるというべきである。 (2) 本件土石流発生の予見について
ア 原判決は、前記のとおり本件沢には多量の崖錐様堆積物が堆積していたこと、本件沢の傾斜が前述のように土石流を発生させやすい角度であつたことおよび本件沢周辺部は土石の供給が継続的になされる地形・地質であつたことを認定しているのであるから、相当の降雨がありさえすれば本件土石流が発生する危険性のあつたことが予見されたものであるといつてさしつかえない。そして、発生原因としての降雨も同様に予測できる範囲内の雨量で足りるものであつた。したがつて、本件土石流の発生は予見できたといわなければならない。
附言すれば、原判決は、崖錐様堆積物が五〇年ないし一〇〇年の年月を経て、沢に堆積したものであることを認め、土石流発生の周期性を肯定しているのであるから、本件沢の状況に照し近い将来における土石流発生の危険をなおさら容易に予見できたものといわねばならない。
イ 本件国道の設置に際し、g1橋(五四・一㎞)からl1橋(六六・七㎞)の区間において、国が綿密な地質調査を行つたのは、v1トンネル(六五・五㎞)とおう穴箇所附近(五六・三㎞)のわずか二ケ所のみである。その余の箇所については、ほとんどの部分で山腹を削つて拡幅する方法をとつたにもかかわらず、沢筋や山腹の地形・地質あるいは水文調査などの斜面崩壊や土石流などの山地災害を念頭に入れた現地調査を全くしていない。
当時の国道改良工事における防災を目的とする調査は全くずさんなものであつた(甲第八二号証の三)。
右改良工事以後、本件事故発生までの間に八件の崩落事例があるのに、道路管理者は一度も沢、溪流堆積物、沢の山腹斜面の状況などを調査していない。 ちなみに、本件事故直後に、岐阜国道工事事務所が地すべり地区、落石地区などの総点検をしていたところ、本件沢附近を危険箇所と指定し、本件沢にスクリーン堰堤一二ケ所、石垣六ケ所を築造し、周辺の沢にも堰堤や防護柵を設置した。 これは、とりもなおさず本件沢および周辺の沢が、いかに土石流、斜面崩壊の危険を包蔵しているかを示すものである。土石流発生の危険性について予見可能性があればこそ防護施設が設置されるのであつて、もし、予見可能性がないとすれば、本件事故後本件沢以外の沢でも実施されている堰堤の築造等はまことに無意味といわざるをえない。
ウ 観点を変えて論ずるに、斜面の土砂崩落はごくわずかの雨量によつて発生することが過去の記録によつて明らかになつている(被控訴人の明らかにした過去の崩落事例の中には雨量六・八ミリメートルで発生したものがある)。 一般に土石流は連続雨量が一〇〇ミリメートル位に達した際に起こりやすいといわれているのであるから、その程度の雨が連続した場合には崩落発生の危険はきわめて高いものとなつているといわなければならない。
したがつて、前述のような状況の下にあつた本件沢にあつては沢の上部で斜面崩落が起きれば、それが引き金となつて典型的な土石流が発生する危険のあつたことをも十分予見できたことになる。
しかも、原判決は、本件沢上部の崩落は幅約一〇メートル長さ一三七メートルにわたるものであり、この広範囲の表土が傾斜角三六度の急坂を一挙に本件沢に崩れ落ちてきたものであり、これとともに本件沢に堆積していた崖錐様堆積物が一挙に流出したことを認めながら、右崩落がそれほど大きな本件土石流発生の原因となつていないとの判断をなしたのは明らかに誤りである。したがつて、本件土石流は最も典型的、最も発生頻度の高い土石流の一つに過ぎなかつたというべきであり、この点に於でも本件土石流発生の危険は容易に予見されていたものである。 本件当夜国鉄高山線のd1駅からh1駅寄り一五〇メートルの地点の沢で土砂流が発生していること、六八・〇㎞地点(第二回検証調書第一〇見取図写真(1)参照)および七八・五五㎞地点(前回第一一見取図写真(7))の沢では過去に土石流ないし土砂流が発生していること、本件当夜に発せられた二〇時〇分の雷雨注意報および二二時三〇分の大雨警報洪水注意報がいずれも飛騨川流域において多量の降雨と山くずれ・がけくずれの発生を予報していたこと、ならびにこれらの事情と本件沢の前述した状況を総合すれば、本件沢に本件のような土石流が発生する危険がであつたことを容易に予見し得たというべきである。
(3) 以上述べたところから明らかなとおり、本件事故当時における学問研究
の水準、土木技術の実践的な成果に照らし、危険区間の過去における崩落事例と降雨との相関関係、地質、地形および水文の状況ならびに多量の不安定な崖錐様堆積物の状態からみれば、相当の降雨があれば、原判決が認定した国道沿いの斜面の崩壊が予見されたのみならず、各沢の山腹斜面にも崩壊が発生し、これにともなつて土石流が誘発される危険が増大したことも同様に予見できたものである。 六 管理態勢と管理者の手落ち
1 災害態勢について
原判決は、道路管理関係者がとらなければならないと定められていた当時の災害態勢のたてまえおよび事故当夜における道路管理関係者の行動経過を詳細に認定している。
しかしながら、当夜の道路管理関係者の行動と本来あるべく予定されていた災害態勢との対比における評価について、原判決は全くその判断をしていない。 わずかに道路管理に携わる事務所、出張所の職員が事故当夜とつた行動に「当時の管理態勢を前提とする限り」「過失ないし客観的に見て手落ちと認むべきところは見当らない」(二・12丁)と述べているのみである。
道路管理関係者のとつた行動がとるべく予定されていた災害態勢や通達に則つたものであつたかどうかは、本件全体を考える上できわめて重要な判断であるし、原審における大きな争点の一つであつた。
道路管理関係者の過失ないし手落ちの有無を判断する前に、災害態勢に準拠した行動があつたかどうかをまず判断する必要がある(少くとも、事故当夜は何らかの災害態勢をとらなければならない事態であつたことは疑問がない)。道路を管理するのは事務所、出張所といつた組織体であり、この組織としての事務所、出張所が災害に対処するには、予め定められた災害態勢というルールにしたがつて行動すべきであるから、これにしたがつた行動があつたかどうかは非常に大きな問題となる。そして、これらの組織をその事態に対応し動かして行く長たる者の判断が適切であつたか、あるいは態勢にしたがつて行動している個々の職員の判断に誤りがなかつたかということが、次に論じられなければならない。
原判決の認定した事故当夜の道路管理関係者の行動は、警くべき無秩序、混乱に終始しており、管内全域に目を向け全体の掌握に努力したあとは全く見受けられない。すなわち、個々の職員が崩落あるいは気象情報の通知を受け、バラバラに自分の直面した場面をながめて右往左往したのみで、組織体としての行動はなかつたし、組織を動かし全体に目を配るという判断中枢も存在しなかつたのである。災害態勢に定められた各班の活動、殊に情報収集の上での活動は全くないにも等しかつたし、組織を指揮する対策部長もいなかつた。
右事実に照し、事故当夜にあつては、道路管理にあたる事務所、出張所が、このような異常事態発生時の準則として予め定められていた災害態勢のうち、いずれの態勢もとらなかつたことはきわめて明らかである。
管内全域にわたつてあれほどの規模程度の大災害が発生し、しかも災害発生の危険やその兆候あるいは被害発生の事実を気象情報や崩落の通知により組織の一部は比較的早い時期に知つていたものである。にもかかわらず、管内全域に適切な手段を講ずることなく、予めこのような場合に対処して定められた災害態勢をとらずに夜明けを迎えたのである。
したがつて、道路管理に重大な手抜かりがあり、その仕事に当夜携さわつていた担当職員には「過失ないし客観的に見て手落ち」ありと考えなければならなかつたはずである。
しかるに、原判決がこのような諸事実に全く目をつむつて、事故当夜の職員の行動には「過失ないし客観的に見て手落ち」と認むべきものは見当らないと軽々しく断定し、道路管理関係者を免責しているのは、明らかに論理の飛躍があつて速断といわざるを得ず、とうてい納得できないところである。
特に、控訴人らは、原審において、当時の管理態勢を前提として事故当夜道路管理者が取るべきであつた災害態勢と具体的な管理行動につき時間を追つて詳細に論じている。
したがつて、原判決は、管理者の手落ちあるいは過失に触れる以上、この点に関するらかの判断を示さなければならないのに、故意にその判断を避けたまま、一足飛びに道路管理関係者の行動に「過失ないし客観的に見て手落ち」と認むべき点はないと判示したのは、重大な事実の誤認であると同時に理由不備の判断といわざるを得ない。
2 当夜の国道管理関係者の行動について

(一) 二〇時〇分発表の雷雨注意報の連絡
まず、原判決は、気象台二〇時〇分発表の雷雨注意報の連絡とこれの出張所への伝達について、次のとおり認定している。
「その後、B3は右注意報解除を出張所に電話で伝え、宿直室にいたところ、二〇時五〇分、気象台から二〇時発表の雷雨注意報の連絡を受けた。 右注意報は、前示のとおり、今夜半頃まで、所によつては落雷や局地的に強い雨が降りますので注意して下さいという内容のものであつたが、B3は、自己の判断で二一時頃右注意報を美濃加茂、大垣、岐南の三出張所のみに伝え、岐阜出張所は事務所構内にあるため、w1出張所は新設したばかりであつたため、右両出張所には通報しなかつた。また、美濃加茂出張所に連絡した際、美濃加茂附近では降雨が認められないとの報告を受けたところから管理課長へは右注意報発表を連絡しなかつた。
しかし、この当時すでにw1町所在の雨量観測所では、二〇時から二一時の時間雨量五一ミリメートルという降雨を記録していた(乙第七号証)のであるが、w1出張所からは豪雨についての報告は全くなく、宿直員B3において同出張所方面の天候について配慮することは思いもよらぬ事柄であつた。」(ハ・9丁) しかし、B3のとつた右行動には重大な過誤があつた。
第一点は、B3が自己の個人的判断で右注意報を管理課長に伝えず、したがつて、同課長の指示を仰がなかつたことである。当時の宿直室には、宿直中に気象台から気象に関する情報が入つた場合には、管理課長へ連絡するよう指示した「お願い」と題する掲示があつた。これは、いうまでもなく、管理課員とは限らない宿直員(現にB3は工務課員であつて道路管理の経験なし)に対し、個人的な判断で事態に対処することを禁じ、国道管理に当たる事務所として組織的に、かつ、責任をもつて行動するために定められている管理規定であり、宿直員はこれにしたがう義務がある。この管理規定は、具体的な当該気象通報が道路管理上、いかなる意味を持つ資料であるかの判断を管理課長にさせるためのものである。ことに、気象通報のもたらす意義の判断にあたつては、その内容のみでなく、その通報がどのような気象情況本件では一六日の台風情報、以後の諸注意報の発令と解除の経緯)の下で出されたかが重要な基礎資料であり、しかも、事務所では右諸注意報に関する情報は管理課員のみが把握しており、B3も宿直の任務につくまでの諸注意報については何も知らなかつたのである。当時のかかる管理態勢上の必要から「お願い」と題する規定は、重要な義務を宿直員に課したのである。
しかるに、B3は右規定に反し、勝手に個人的判断で前記注意報を管理課長に伝えず、美濃加茂、大垣、岐南の三出張所のみに伝えた。B3が管理課長に伝えなかつた理由として美濃加茂出張所へ連絡した際、その附近で降雨がなかつたことをあげているが、それはB3の義務違反を免責するものでないこと明らかである(管轄のw1出張所附近ではすでに当時豪雨が降つており、美濃加茂で降つていないことが管轄下全域で降雨のないことにはならない)。
第二点は、宿直員は、気象台から気象通報の伝達を受けた場合、最小限度の職務として、これを管轄の全出張所に伝達する義務があつた。それにより出張所の宿直は気象通報の内容に応じた宿直勤務をなすことになる。
しかるに、B3は、w1出張所が新設であることを理由に右伝達を怠つた。w1出張所附近では、そのころ(二〇時から二一時までの間)時間雨量五一ミリメートルの豪雨の最中であつた。したがつて、B3が事務所宿直員として同出張所宿直員B4に右注意報の連絡を行つていれば、同出張所附近の豪雨の模様が当然B4から伝えられ(後刻B3がB4に架電した際、B4は「雷と雨が強くてパンツ一つでおるんだ」と返事している)、同所附近の異常豪雨が、B3からB5管理課長にこの時点で伝えられたことが十分推定できる。原判決認定によれば「w1出張所からは豪雨についての報告は全くなく、宿直員B3において同出張所方面の天候について配慮することは思いもよらぬ事柄であつた」とあるが、これはB3が注意報の伝達を怠つたことが最大の原因であるのに、これを看過したものであつて、この点に対する判断を欠いているのは不当である。
しかも、その豪雨の結果、w1出張所の隣接地域の国道一五六号x1地内で土砂崩落が発生したが、事務所も出張所も県警本部から連絡を受けるまで全く知らなかつた。
当夜の管理態勢の全体としての立ち遅れの第一歩は、B3のこの重大な義務違反にある。
(二) 災害対策

当夜の管理者が何時の時点で各災害態勢に入つたかという点について、原判決は、「気象台から右警報が通報された後、B5課長はB6事務所長にx1およびd1の崩落と大雨警報が発表されたことを報告した」(ハ・13丁)とか、「B5課長は……その旨を二時頃B6事務所長に報告し、さらにこれから非常態勢に入り、人員を動員し、重機の手配等も行なう旨報告した。事勢所長はよろしいといつた趣旨の返事を与え、事務所には出所しなかつた」(ハ・14丁)と認定しているのみで、原判決の判断としていつ事務所・出張所は警戒態勢、非常態勢に入つたのか明言しない。そのうえ、最も初期の段階でととるべき注意態勢については、事実認定においても全くふれられていない。この点について、B5管理課長は、同人が事務所へ出所した時点(一七日二二時三五分ころ)で事務所は注意態勢に入つたものと解する旨証言している。もし、この時点で事務所が「運営計画」にいう注意態勢に入つたとすれば(この時点では警戒態勢に入るべきであつたが)、事務所管内の全地域について、(1)気象資料の収集、(2)交通状態の把握、(3)関係諸機関との連絡、(4)管内道路の巡回と交通障害の防除等の対策および人員配置がなされなければならない。具体的にいえば、直ちに全出張所・工区に対し、(1)x1地内に土砂崩落が発生したことおよび同地域に現在豪雨が降つていることを通報すること、(2)各出張所・工区も直ちに注意態勢に入り、管内国道の警戒のため異常時パトロールに出るよう指令すること、(3)各出張所・工区の管轄路線における現実の雨量に関する情報を事務所に報告させること、(4)木曾川上流工事事務所、気象台、関係市町村役場、警察署と連絡をとつて気象及び道路の状況についての情報を入手するよう努めること等の行動が組織的になされるべきであつた。 この時点で美濃加茂出張所から異常時パトロールに出ていれば、パトロールは本件バス集団の少し前方を北上することになり、バス集団と同じくg1橋をこえる附近から異常な豪雨に遭遇したのであつて、早期に交通規制その他必要な措置がとりえた。
この様に定められた災害態勢に入らず、かつ、当夜の事務所、出張所関係者の行動が全く当を得ていなかつたのは、いずれも道路管理の衝にあたる者ことにその長たる者が、かかる事態のために定められた行動規範(「運営計画」「運営事項」)を厳格に遵守する意思に欠けていたからである。
すなわち、「運営計画」によれば、同計画に定める各態勢の発令は、事務所長の権限であり、しかも原判決認定のように一七日二三時三五分過ぎころと一八日二時ころの二回にわたつてB5課長から事態の報告を受けたのに、同事務所長は直ちに出所もせずあるいは対策計画に基づく注意・警戒・非常態勢に入るべきことを指示もしなかつた。気象情報のうち警報が発表されるのは一年に一、二回あるかないかの異常事態であり、しかもその状況下で、道路に土砂崩落事故が生じたのであるから、事務所長としても、直ちに出所し、自ら全管轄地域の状況を把握して適切な態勢をとると共に、陣頭に立つて所員を指揮しなければならなかつた。しかるに、B6事務所長は当夜遂に最後まで出所せず、翌朝八時に至つてようやく出所したのである。
他方、当夜の所長代行をもつて自認しているB5管理課長も、二〇時〇分発表の雷雨注意報、二二時三〇分発表の大雨警報・洪水注意報の各伝達を受けながら、当然要請されていた災害態勢をとらず、その場限りの事態の収拾にのみ没頭し、事務所の事実上の責任者としての義務を果さなかつた。
当時の事務所・出張所が非常事態において適切、有効な管理ができなかつたのは、事務所・出張所が組織として運営計画に定める各態勢をとらなかつたためであり、その原因はB6事務所長、B5管理課長にみられる職務怠慢行為である。 事務所の最高責任者らが右のごとくであれば、出張所の責任者であるB7所長も同様に、一七日二三時四〇分ころ、事務所のB8維持修繕係長からd1の崩落と大雨警報が発表等を連絡され、すぐ出動するよううながされた際、晩酌をやりすぎたのですぐ出られないと答え、B5課長から自分で自動車の運転ができなければ、タクシーか名四国道工事事務所の自動車を使えとたしなめられる有様であつた。結局、B7所長が酔いをさまして自宅を出発したのは、一八日零時三〇分ころであり、B8係長から連絡を受けてから五〇分後であつた。出張所では一七日二三時三五分ころ、B1、B2がパトロールに出たため、事態の推移を知る者がなかつた。B1に代つて何んの情報も持たないB9運転手がしばらく留守番をしていたが、同人がB7所長の指示でy1町の官舎にB10を迎えに行つている間、さらにその留守を預つたB9運転手の妻は何一つなすことができず、美濃加茂署よりの土砂崩落に対する手配の要請にも、B5課長からの大雨警報の伝達にも適切な処置をとりえ
なかつた。
一八日零時一五分ころにはB9のほか、B10、B11、B12の三名も出所したが、これらの者に事態を説明して指揮する者がおらず、せつかく集合した所員達も慢然と事務室で待機するのみで、零時三〇分ころ、B10がy1町役場からの連絡を事務所に伝えただけであつた。そのため一時四〇分ころB1、B2がパトロールから帰るまで、出張所前における交通止めの措置さえされていなかつた。この様に出張所でも当夜の非常事態に対処する態勢が整わず、特に所員を指揮して、これに当たる責任者が不在で、何ら運営事項に則した行動がとりえなかつた。このことは国道管理の上での重大な手落ちというべきである。
(三) 出張所B1の職務懈怠
出張所宿直員B1は、
(1) 二〇時ころ、i1工区のF1から降雨により九三㎞地点の三淵で道路上に土砂が流出していたとの報告を受けたのに、これを事務所に連絡しなかつたこと、
(2) 二一時ころ事務所のB3より気象台二〇時〇分発表の雷雨注意報の通報を受けながら、これをi1工区に伝えなかつたこと、
の二点において、宿直員としての職務を怠つた。
出張所において、宿直中、注意報の通報を受けた場合、それを工区に伝えることは、出張所宿直員の最少限度の義務であり、次いで、B7所長もしくはB2技術係長に連絡して、その指示を仰ぐべきである。しかるに、本件事故当夜、B1は、右(1)(2)記載の連絡を受けたのに、事務所あるいはi1工区に伝えず、事務所宿直員B3と同様に、自己の判断で処理し、しかも現実には何の措置もとらなかつた。B1が(1)の報告を受け、これを事務所B3に連絡しておれば、B3はi1工区附近にも相当の降雨のあつたことを知ることができ、二〇時〇分発表の雷雨注意報の連絡を受けた際、注意報をB5課長に伝えたものと思われ(B3が伝えなかつた理由が前記のように美濃加茂出張所附近で降雨のないことがあげられているから)、また、(2)の注意報をi1工区に伝えておれば、それまでに相当の降雨のあつたi1工区のF2、F1としては、さらにパトロールに出るか、待機して警戒に当たるかしたことが十分に推定される。いずれにしても、出張所宿直員B1は、降雨により最初に異常のあつたi1工区と事務所との中間にあつてその両者をつなぐパイプを中断してしまつた。この意味においてB1の職務違反は重大である。 ところで、原判決はB1が右注意報をi1工区に伝えたか否かについて、B1とF2の各証言を引用し、結局、「右F2の証言に照し、B1の右証言部分は措信し難く、二〇時発表の雷雨注意報は出張所からi1工区に伝達されていないものと認められる」(ハ・18~19丁)と認定している。
しかしながら、原判決は右認定事実すなわちB1が注意報をi1工区に伝えなかつたかという行為に対し、何ら言及することなく、結論において管理者に「過失ないし客観的にみて手落ち」はなかつたと判断している。わざわざくい違うB1とF2の各証言を引用して事実を認定し、しかもそれが当然なすべきことをしなかつたという内容である以上、それがいかなる理由により「過失ないし客観的にみて手落ち」とならないかを判示しない限り、原判決は理由不備のそしりを免れない。 本件事故発生後、B7出張所長は、B1、B2ら出張所員と共謀して、二〇時から二二時までの間、国道四一号を美濃加茂市からj1町までパトロールを行つたが、道路に異常を認めなかつたと偽装パトロールをデッチ上げて上司に報告し、これを受けた建設省箕輪道路局長はそのまま国会に報告して国民を欺いた。それのみでなく、B7所長らは、岐阜県警が本件事故を刑事事件として捜査した際にも、パトロールを行つたように虚偽の供述をし、刑事事件において自己が被るおそれのある不利益を逃れようと工作した(パトロール日誌への虚偽の記入、出張所職員に対する虚偽供述の強要など)。この事は、本件事故現場の直接の管理者である出張所員は、当夜の右時間帯に当然異常時パトロールに出なければいけなかつたこと、したがつて、これを怠つたのは、自己の責任であることを十分承知しており、この責任を免れるために共謀して架空のパトロールをねつ造したものである。 この偽装パトロールは、(1)出張所B1は二〇時ころi1工区F1から三淵の異常について連絡を受けて、さらに二一時ころ事務所B3から雷雨注意報の伝達を受けたことから、当然、出張所がパトロールを出す必要かあつたこと、(2)他方、事務所が二二時三五分の時点(B5課長、B8係長の出所した時点)で注意態勢に入つたとこじつけるためには、遅くともその時点て各出張所にパトロールに出ることを指令する必要のあることの二重の意味において、作り上げられたものであ
る。
しかるに、原判決は、B7らが偽装パトロールを作り上げたという事実そのものも事実認定から抹消し、これについて何らの判断、評価を下していない。管理者の行動とそこに含まれる過失ないし手落ちを判断する上で、右偽装パトロールの持つ意味に対する評価は避けることのできない問題点である。
(四) 原判決は、B1、B2は美濃加茂署からd1地内に土砂崩れ発生の連絡を受けた後の二三時三五分ころパトロールカーで第一回パトロールに出発したが、途中、g1橋附近から突如ものすごい雷鳴と豪雨の中に突入し、無線による連絡もできず、路面には山側から土砂流がポンプのようにふき出し道路に溢れて激しい勢いで流れており、滝に打たれているような豪雨で、見透しは利かず、車に乗つていること自体が怖ろしいような状態であつた(ハ・21、22丁)旨認定している。 第一回パトロールをした時の降雨および道路の状態が右認定のとおりであるならば、路上に居ること自体が生命の危険を招く状態であり、その危険性の大きさは、毎日、本件道路を管理しているB1、B2が最もよく知つていることである。 してみれば、当然、右状態に彼らが直面した時点で、危険地帯での車両の通行の禁止、最低限g1橋での北進禁止、l1橋での南進禁止の措置と危険地帯内で停車中の車両に対する避難、救護の措置をとるべきであつた(パトロール中に出会つた停車車両については警告を与えている)。
そして、通行禁止は、g1橋では自らの手で行いえたし、l1橋についではg1橋附近(例えばg1村役場)で電話を借り、a1警察官派出所へ連絡して措置しえた。B1、B2の第一回パトロールがg1橋を通過したのは二三時四五分と認められるので、派出所への連絡時間、派出所からl1橋まで赴く時間等に二〇分ないし二五分を要したとしても、おそくとも一八日零時一〇分ころにはl1橋での南進禁止措置が完了した筈であり、原判決認定によれば、本件バス集団は零時一八分ころl1橋を南下したのであるから、この地点で十分バス集団の南下を阻止することができた。
B1、B2の両名が道路上における現実の危険を知りながら、危険区域内への車両が進入を禁止しなかつたのは、右両名の重大な判断の誤りであり、道路管理における過失または手落ちである。
(五) 六四・一七㎞地点での措置
B1、B2は、一八日零時三〇分ころ六四・一七㎞地点に到着し、行く手を崩落によつてさえぎられた。現場には、すでに三重急行の乗鞍行バスが停車しており、B1らがバリケードを置くのをみて引き返して行つた。
原判決認定によれば、「B2係長とB1の両名は、右崩落にあつてさらにその北方にも同じような土砂崩落が発生するかもしれないと予測はしたが、降雨の状況から、右崩落の北側に車両が多数停車しているとはまつたく予想していなかつた。」(ハ・23丁)とのことである。
しかしながら、崩落の南側には三重急行のバスがパトロールカーの前に停車しており、かつ、当夜が盛夏の土曜日であることを考えれば南進車両があつたことは、当然、予想しうることである(i1工区のF2、F1は一七日一八時ころの降雨をみて翌日が日曜日で車両の通行が多いことを慮りパトロールに出た)。また、事実、崩落の北側にはG1運転の車両が崩落に近接して車幅灯を点灯したまま停車しており、同人はパトロールカーの回転灯および職員一名が標識を置いたのを目撃しているのであるから、B1、B2の方からも右G1の車両が見えたか、少なくともわずかの注意を払えば、発見することは容易であつた。
原判決認定のようにB1、B2が崩落の北側の車両の存在を全く予想しなかつたとすれば、両名の職務の内容に照らし、あまりにも軽率な判断であつて、重大な過誤を犯したものであり、崩落現場においてわずかな努力で本件バス集団をはじめ崩落北側の多数の車両の発見が可能であつたのに、これを怠り、これら車両を発見しなかつたことは、同人等の職務怠慢による過失である。
結局、B1、B2両名の重大な判断の誤りにより、両名は崩落の北側に停車中の多数の車両に乗車していた人々に対し何らの避難、救助措置をとらなかつた。そのため、救われることのできた多数の人命がここに失われる結果となつた。 3 本件事故後の改善について
本件事故後において、国道四一号の管理はいくつかの面で改善されたが、原判決はこれら改善点については控訴人らが原審で主張したのとほぼ同一の事実を認定している。(ハ・40~47丁)
原判決は、このように具体的な改善点を詳細に認めながらも、これが「設置・管
理の瑕疵」とどのような関連にあるかを全く明らかにしていない。 控訴人らは、原審において、これらの改善は道路法四六条の改正によることなく同条の解釈の枠内で行われており、このことは取りも直さず事故当時においても最低限必要なものとして実施されていなければならなかつた対策の不備を具体的かつ端的に示したもので、「設置・管理の瑕疵」を浮き彫りにしていると主張してきている。
しかしながら、原判決がこれらの改善点を細かく認定しながらも、当時の災害態勢と事故当夜における道路管理者の具体的行動との関連において、これらの点がどのような意味を持つているかについて裁判所の判断が示されなかつたのはきわめて不当である。
ことに、本件事故を契機として道路管理の基本姿勢が大幅に転換されたことについては、単に当時の管理態勢の記述(ニ・12丁以下)で触れるのみにとどまらず、もつと明確な瑕疵に対する判断の基準を、この点を通じて示すのが裁判所の職責であると考える。
4 国鉄高山線と木曾川の災害態勢について
国道四一号と併行して走る国鉄高山線と飛騨川を含む木曾川洪水予報連絡会の災害対策につき、原判決が認定した事実についても、同様のことがいえる。 原判決は、控訴人らが原審において国道四一号、国鉄高山線、木曾川洪水予報連絡会の三つの災害態勢を対比する形で主張した事実をほとんどそのまま認定して(口・31~43丁)、国道四一号の災害態勢が立ち遅れており、きわめて不備なものであつたことを事実として認めながらも、これが管理の瑕疵を考える上でどのような意味を持つかという点、すなわち管理者側の手落ちと結びつけて考察する場合には故意にその判断を避けている。これは判決の理由に不備があるといわなければならない。
5 被控訴人の主張について
(一) 当夜の降雨の把握と管理態勢
本件事故当夜の集中豪雨は局地的かつ短時間に現出する異常な降雨であつたから、このような降雨を的確に把握して交通規制を実施することは道路管理者に不能を強いるものであるというのが、被控訴人の主張の骨子である。
道路が一つの長大な区間であり、その間においでは地形・地質・気象等の自然条件に多種多様なもののあることはあたりまえのことである。このような道路を管理する者は、その長大な区間内にどのような降雨があるかを的確に知るためには「数多くのテレメーターをきめ細く適切に設置する」ことは必要であり、原判決のこの点に関する指摘は誤つてはいない。
雨量観測所の設置の基準は、道路の危険区間の降雨を的確に把握するためには、どことどこに置くべきか、という観点から論じられるべきものであつて、被控訴人のいう、気象台の観測網の基準とか、一つの区間に一個のテレメーターとかいつた議論は、的外れもはなはだしいといわなければならない。
また、被控訴人は事故当夜の降雨状況の把握に関しても、ことさら国道四一号と離れたz1とかo1とかの観測記録を引いて規制雨量を論じているが、この議論も見当違いである。国道四一号に並行して流れている飛騨川には、中部電力株式会社の堰堤、発電所がいくつもあり、そこで雨量流量の観測をしていることは、道路管理者ならずとも誰もが知つていたことである。道路管理者が連絡をとつて雨量をきくとすれば、この国道四一号上にすでに置かれている観測点の用量をまず考えるべきであり、これらを抜きにして、z1とかo1のみの雨量を論ずるのは明らかに不合理である。事故当時としでも把握し得た雨量に関する控訴人らの主張は、原審で述べたとおりである。すなわち、これら飛騨川沿いのダムに設置されていた雨量の情報を集めていれば、二二時〇分の連続雨量がu1ダム(八四・五㎞)で一一〇ミリメートル、g1ダム(八一・〇㎞)で八二ミリメートル、下原ダム(九一・〇㎞)で一五〇ミリメートルといつたふうに、事故後の規制雨量をはるかに超えていたことを容易に知ることができたのである。
(二) 事前交通規制について
被控訴人は、現行の予備規制を事故当時実施して的確に運用しでも、本件バス集団がl1橋を渡つて南下するのを阻止することはできなかつたから、事故発生と道路管理の間には因果関係がないとの主張をくり返している。
この主張の誤りであることは、控訴人らの原審および当審の主張から十分論証できたと考えるので、あえてここに繰り返さない。
ただ交通規制の実施方法について、次の点の指摘を追加することにとどめたい。
先に述べたように国道四一号の山間部(五四・〇㎞以北)は避難場所もない出入り制限の行われている道路と理解すべきであるから、危険区間内には東名高速道路等の取扱いに準じて緊急非常用の電話を設ける必要があつた(甲第九九号証の四~六)。当時このような電話が五〇〇メートルあるいは一〇〇〇メートルの間隔で配置してあれば、降雨や崩落の状況を管理者は速やかにかつ正確に知ることができ、比較的安全な場所に自動車を誘導して本件の惨事を未然に防ぎ得たとも考えられる(証人D8第六回三七丁)。被控訴人は通行規制の完全な実施までに二〇分の時間を要するというが、予め危険区間の前後に信号機を数ケ所(Uターンできるところの近くが好ましいが)に設置しておき、管理者がボタンを押せば直ちに赤信号に変るようにして置けば、仮に完全な通行止めに二〇分を要したとしても、通行車両が危険区域に進入することを防止することが容易にできるのであるから(証人D8第六回五一丁)、被控訴人の右主張の不合理は明らかであろう(原判決の指摘する電導式情報板もこれと同じ発相心と考えられるが)。
七 バス運行関係者の過失について
1 被控訴人の主張
そもそも、運転手の過失を論ずるについて、本来事故の要因として、人的、物的要因の諸問題があり、これを総合的、立体的にとらえる必要があるのにかかわらず、一般的には、事故があれば、まず、運転手の過失の有無について考えるという発想が安易におこなわれており、このような考え方からは、道路の欠陥の有無や、道路管理者の過失の有無などは第二次的な対象としてしかとりあげられないことを指摘しないわけにはいかない。そして、このような誤つた考えを背景にして、道路管理の責任が希薄化され、安易な天災論が打出されてくるのである。被控訴人の運行関係者の過失に関する主張は右のような間違つた考えに立脚している。そして、残念なことには、原判決は被控訴人のこのような誤つた考えにひきずられて、運転手らの過失を認めるに至つた。
そこで、被控訴人の運行関係者の過失についてどのような主張をしたか、ここで、いま一度ふりかえつてみる必要がある。
被控訴人の運行関係者の過失についての議論は、要するに、本件事故は不可抗力であつて、国が責任を負うべきものではないが、他にその責任を負うべきものがあるとすれば、運行関係者らであるとし、運行関係者の過失は豪雨のなかをH1モーテルから名古屋に向つて南下したことにあるといい、当時、諸般の状況から国道四一号の危険性に想到すべきであつたと主張するのである。つまり本件事故は、道路管理者にとつては、まさに、不可抗力であり、天災であつたが、運行関係者にとつては、避くべかりし事故であり、人災であつたというのである。そして、例えば、「けだし、豪雨の継続と、山間の崖地の迫つた地形とその時までに崩落にくりかえし遭遇したことを総合すれば、現在地点がもはや危険地帯にあることは疑う余地もない云々」等々と述べるのである。
しかし、これらの言葉は、本来、史上未曾有のバス事故を惹起した国道四一号の道路管理について責任を有する者に対する非難の言葉ではあるまいか。自己に向けられるべき批判の言葉を平然として他に向けるその態度にこそ、実は大きな問題があるのである。
そして、また、例えば、落石注意標識について、「気象の如何によつては崖上から、土砂くずれ、落石のありうる地域であることを了知すべく、しかるうえは、かかる危険地域の通行を諦めるか、自己の危険負担において通過するかを決すべく、道路管理者としでは通行者に対し、かかる判断資料ないし、注意喚起を与えることによつて当面の管理責任を果したものとみるべきである」ともいうのである。 どんな欠陥道路でも、事故があれば、それをあえて通行した運転手に問題があり、責任がある、とする発想である。
このような考えがあるかぎり、道路の欠陥に起因する国道上の事故は絶えないのであるし、このような考え方こそが、本件訴訟で裁かれているのである。 原判決は、このような責任逃避、責任転嫁の考え方にきびしく批判のメスをふるうべきであつた。残念ながら、原判決は、かえつてこのような間違つた考え方にひきずられて、誤つた結論を出したのである。
それは道路管理者の過失の有無についての判断によくあらわれている。 原判決は道路管理者の当夜の行動について、過失ないし、客観的に見て手落ちと認むべきものはないと判断したが、原判決が認定した行動内容をみても、そこには明らかに過失が認められるのである。
2 過失認定について

(一) 原判決は、旅行主催者両名およびバス運転手が多数の人命を預つている点のみを強調して、右バス運行関係者に高度の注意義務を負わせている。しかし、一般にいつて国道を進行する者は、交通規制等の措置がなされないときは、道路管理関係者により、通行の安全性が確保されていることを信じて通行している。 特に、本件国道四一号は表日本と裏日本とを中部山岳地帯を貫通して直結する重要幹線道路であつて、沿線の市町村の産業経済、文化の上で、また観光ルートとしても、大きな役割を有しており、大量輸送施設として重要な価値を有しており、右国道四一号を利用する者にとつて、それは日常生活と切離し得ない存在なのである。
したがつて、そこに要求される安全性がより高度なものとなり、その反面利用する者が安全性に対して抱く信頼もより強くなるのであつて、この信頼を、原判決のいうように非難するのは的外れである。
さらに、道路管理関係者は地形、地質、気象、過去の崩落事例等の詳細な判断資料を有しており、降雨等一定の条件の下では通行の危険が顕在化することを十分知り得る立場にある。これに対して国道を通行する者はこれらの判断資料を全く有していないのが通常である。
したがつて、道路管理関係者こそ、原判決認定の具体的諸条件が国道四一号上で発生したとき、本件六台のバス等国道上を進行する車両につき、交通規制等適切な措置をとるべき義務があるのである。
(二) さきにもふれたように、一般に交通事故の要因としては人的、物的なものがあり、運転手の問題のほかに、車両、道路の問題があることはいうまでもない。そして、交通事故の背景の主要な点を考えてみると、基本的には自動車交通が円滑化されるための道路の条件がないことが第一に指摘できるし、同時にこのことは最も基本的な問題である。
わが国の道路行政は歴史的にも、諸外国にくらべて、はなはだ立ちおくれているものであつて、とりわけ道路の安全保持がなおざりにされていることは、すでに、原審でわれわれが指摘しておいたところである。
国道四一号についても、仔細に点検すると、一級国道であり重要幹線道路であるにもかかわらず、照明、待避場所、山地災害に対する防護施設、交通規制に関する設備等について少なからぬ欠陥があることが、すでに明らかにされている。 このような道路の欠陥をさておいて、事故の責任を直線的に運転手に求めようとする発想は、単に運転手に酷というよりも、きわめて危険な考え方であるといわなければならない。
原判決は運転手らの注意義務の前提として「それぞれのバスの運転手が個々のバスの運行について五十余名の乗客の人命を預つていた」ことをあげている。運転手について、この点を指摘するならば、当時、国道四一号の交通量は場所によつて若干の差異はあるが、一日三、〇〇〇台ないし五、〇〇〇台といわれていたのであつて、この重要幹線道路をあずかる者としては、それこそ、「慎重の上にも慎重を期し」て管理に細心の注意を払うべき義務があつたといわなければならないのであるが、この点、原判決は何もふれていない。きわめて片手落ちの考え方である。 (三) 原判決は、バス集団が六五・二五㎞地点を越えてなお南下をつづけたことをとらえて過失とみとめた。その理由として、降雨がなおつづいていたこと、すでに崩落に出合つていたこと等を挙げているのであるが、次の諸事実からも、バス集団が六五・二五㎞地点を越えて南下したことを非難する理由のないことが明らかとなろう。すなわち、
「1」 バス集団が北上の際遭遇した豪雨は、m1附近からl1橋手前までに限られ、一時的な夕立と受取られていたこと。
「2」 その後、バス集団が南下して再度六五・二五㎞附近にさしかかつたときまでの降雨状態は、決して異常というほどのものではなかつたこと(バス集団のスピードが落ちていないことがタコグラフでも明らかであり、当審証人D7(七号車の運転手)の証言によつでも、帰り(南下)は往き(北上)にくらべて「うんと小降りになつていた」というのである。)。
「3」 六五・二五㎞地点の崩落は、排除作業の所要時間から推してごく小規模なもので、危険を感じさせるようなものでなかつたこと。
「4」 六五・二五㎞地点の崩落をはさみ対向車線には、東海観光バス等多数の北上車両がいたが、これらは直前に六五・二五㎞地点以南を無事通過してきたもの(以南の最も新しい状況を知つていたもの)で、何の疑間もなく反転し南下を決定したこと。

「5」 仮にバス集団が六五・二五㎞地点で南下を中止したとしても、その場所にとどまることで安全が保障されるものではないし、また道路管理関係者の誘導等の措置が全くなされていない状況下で、反転またはバックして安全場所に避難することはきわめて困難と考えられること。
「6」 一般に山間部より平野部の方が安全なのが常識であるから、六五・二五㎞地点を越えて南下を続けることが新たな危険地帯に入るとは考えず、あと少しで危険地帯を抜けて安全な平野部に出られると考えたのも無理からぬ判断であること。
したがつて、当時、他の多くの車両の運転手達も、誰一人として危険を感ずるものはなく、なんの危倶も抱くことなく南下して行つたのである。本件バスの運転手達のみが、南下にふみきつたわけのものではない。
ことに本件バスの運転手の場合には、彼らの決断だけで南下したのではなく、旅行主催者らの指示にしたがつて南下したものであることは十分考慮さるべきである。本件バス集団の運転手らのみに特別高度の注意義務が課せられるべきものではない。
原判決は「……慎重の上にも慎重を期し、もはやそれ以上の南下は思い止まるべきであつた」というのであるが、当時運転手らがおかれた状況からして、なにが予見可能であり、なにが回避可能であつたかについてはふれるところがない。 降雨と崩落の関係、とくに先行降雨との関係、さらに地形、地質との関係について、専門的な知識をもたない運転手らは、当時のおかれた状況からして、危険の発生を予見することは不可能であつたといわなければならない。
降雨状況、崩落状況、山間の地形状況からバス集団に危険をおよぼす山地災害が発生するおそれが必至であるということは、本件国道をとりまく地形、地質、気象等について、充分な知識をもち、あるいはもたなければならない道路管理者にこそ、これを予見すべきことが求められるものである。たまたま、そこを通行する車両の運転手にとつては、交通止めがない限りは、一級国道という信頼に一応依拠して通行するのは当然であろう。予見可能のないところに過失責任を認めることはできない。
以上によつて、原判決の認定が誤りであることは明らかである。 (四) そのほか、細い点の事実誤認について述べれば、以下のとおりである。 (1) 降雨量について
原判決は、バス集団が六五・二五㎞附近を北上した際の雨量については「時間雨量にして五〇ミリメートルはあつたと思われる」と認定し、バス集団が南下して再度l1橋を渡り六五・二五㎞地点に達した際の雨量については「一〇分間に一二ミリメートル(時間雨量に換算すると七二ミリメートル)の激しい雨」と認定している。(二・19、20丁)
しかしながら、この認定には科学的合理的な証拠の裏づけが全く乏しいのである。
この認定の資料となつたのは、f1(五五・一㎞附近)、a2(七七・〇㎞附近)、g1(八五・一㎞附近)の観測データーと思われるが、最も近い観測点のf1をとつでもその観測点に六五・二五㎞地点とは約一〇キロメートルの距離があるので、その観測データーを直ちに六五二・五㎞地点の雨量と判定するのは余りに早計速断といわなければならない(原判決は、南下してバス集団が六五・二五㎞地点にさしかかり、運転手が車を降りた際の降雨を、ことさら誇張し際立たせようとする意思が働いたようにうかがえる。)。
当夜の集中豪雨の動きを考えても一〇キロメートルの距離があるときは、その雨量に相当極端な差がついていることは明らかであるから、乙第七号証の雨量観測データの利用には十分慎重でなければならないのに、原判決は、この点への十分の配慮を欠き、科学的根拠の乏しいまま安直にf1の観測点の雨量が六五・二五㎞地点附近の雨量と同一と考えたようである。ことに一八日午前零時二〇分ころにおける六五・二五㎞地点の雨量を判断するにあたつては、その時刻ころのf1の観測点(五五・一㎞地点附近)の観測雨量と全く同一と安易に考えたのは明白な事実の誤認といわざるを得ない。
(2) 六五・二五㎞地点の土砂排除について
原判決は南下したバス集団が六五・二五㎞地点で土砂排除に要した時間を一五分と認定している(イ・13丁)が、この認定にも誤りがある。
証人D9の証言(D9第一六回三丁・七五丁・七六丁)および原告本人I1の供述(第一七回七~一二丁)によつても作業にはせいぜい二~三分を要した程度で、
残りの時間は対向していたバスのUターンを待つていた時間や対向車の運転手との会話に費されていることが明らかであり、これと矛盾する証拠は存在しないのである。
八 損害
1 本件事故は、被控訴人国の直接管理する国道上において、被控訴人国の重大な任務解怠によつて発生したものであり、これを通常の自動車事故と同視することは明らかに誤りであり、損害額の算定に際しても、原裁判所はこれらの点を十分に参酌しなければならなかつたはずである。
しかるに、原裁判所は、これらの点に関し何らの配慮も加えなかつたのみならず、それ自体が現在すでに被害者救済の実を十分果しているとはとうていいい難い統一処理基準を安易に本件事故による損害の算定にも適用したものであつて、原判決の損害の算定方法は明らかに失当である。
2 算定基準等に対する批判
(一) 逸失利益について
(1) 控訴人らの逸失利益に関する主張は、原判決別紙4記載のとおりであるが、原判決は控訴人らの右主張を何らの理由も明らかにしないまま排斥し、いわゆる統一的処理基準により事故当時の実収入、あるいは、平均初任給が就労可能年数の全期間を通じ不変のものとする固定方式を採用した。
しかし、右算出方法は死亡者の逸失利益の計算方法としては決して妥当なものとはいい難いものである。
すなわち、死亡者の逸失利益の算定は、過去に現実に発生した損害額の確定とは異なり、その損害額を的確に把握することはきわめて困難ではあるが、各種資料によつて明らかになつた事実を前提として可能な限り経験則上蓋然性の高い方法を選択すべきであり、また、その算出の方法及びその結果として算出される損害額は、事故当時に社会的妥当性を有するだけではなく、以後現在に至るまでの社会状勢の変化をも考慮し、それが実現される時点においでもなお社会的妥当性を有するものでなければ、とうてい蓋然性の高い的確な方法といい難いのである。 ところで、原判決の採用した算出方法は、前記のとおり本件事故当時の収入(あるいは推定される収入)が、就労可能期間を通じ終始一定不要のものとみるのであつて、すでにこの点でとうてい蓋然性の高いものとはいい難いものであるのみならず、次に述べるような社会状勢の顕著な変化に関して何らの配慮も加えられていないものであつて、この点でも同様の批判を免れることはできないであろう。 「1」 諸物価の高騰
消費者物価指数は、昭和四五年を一〇〇とすれば、同四三年は八八・二、同四六年は一〇七・七であり、三年間に約二二パーセントの上昇率である(昭和四六年日本統計年鑑二六六表)。また、総理府統計局が去る六月二九日発表した昭和四八年五月の消費者物価指数は、一年前に比較し、一〇・九パーセント上昇したと報じられている(昭和四八年六月二九日朝日新聞)。
「2」 初任給を含む賃金の著しい上昇傾向
平均給与額の上昇率は、昭和四三年から同四六年までの三年間に男子五四・九パーセント、女子六二・四パーセント(原判決別紙4の末尾「全産業常用労働者の平均給与支給表」)である。
「3」 貨幣価値の下落
原判決は、このような社会状勢の変化についての配慮を全く欠いた結果、現在すでに社会的妥当性を欠き控訴人らにとって著しく不利益なものとなつている反面、被控訴人国に不当な判益を与える結果となつているのであり、これは憲法一七条及び国家賠償法の精神からかけはなれた結果となつていることは勿論、損害の公平な分担を窮極の目的とする損害賠償制度の理念にも、もとる結果をもたらしているものというべきである。
この点に関する不合理を修正すべく、すでに多くの判例が収入の上昇を認め原判決のもたらした被害者に対する不利益を防止することに努めているが(最判昭和四三・八・二七民集二二巻八号一七〇四頁、横浜地判昭和四七・六・二〇交通事故民事裁判例集第五巻三号八二五頁等)、去る昭和四八年六月三〇日東京高等裁判所が言渡した判決は、労災事故により再起不能の重傷を負つた被害者に対し、その逸失利益の算定に際し「わが国の賃金上昇傾向はとどまる気配がない」として停年まで毎年一〇パーセントの昇給率を認め、諸物価の高騰等先にのべた社会状勢の変化に対応した措置を講じているのである(判例時報七一三号六一頁)。 これらの判例からみれば、控訴人らの逸失利益に関する主張はきわめてひかえめ
なものばかりであり、直ちに認容されるべきものであつたはずである。 (2) 主婦の逸失利益
原判決はまた主婦および家事手伝いの逸失利益に関しても、同様に収入の上昇率を認めなかつたのみならず、さらに二〇パーセンートを減額した。 しかし、主婦の家事労働に財産的価値が認められることは万人の認めるところであり、またその算定の方法についても、過去の判例の多くは少なくとも女子の平均賃金あるいは家政婦の賃金相当額を基準としている。(高松地判昭四三・一・二五判例タイムズ二一八号一二七頁、東京地判昭四三・二・二七判例タイムズ二一八号一八〇頁、東京地判昭四五・一・二八判例時報五八五号六五頁)。しかるに、原判決はこの点についても何らの合理的な理由も明らかにしないまま女子の平均賃金から二〇パーセントを減額しているのであるが、もともと女子の平均賃金が男子に比較して著しく低い割にとどまつている重要な原因の一つが、婦女子の家事労働による負担に負うところが大であることは明らかであるにもかかわらず、その平均賃金からさらに二〇パーセント減額することが不当であることは明らかであろう。 (二) 慰籍料について
(1) 原判決は、控訴人らの請求にかかる犠牲者一名につき金四五〇万円~五五〇万円の慰籍料の額についても、金三〇〇万円~四〇〇万円の限度でのみこれを認容した。
しかし、慰藉料を死亡者一名につき金三〇〇万円~四〇〇万円とする処理基準が、前述のような社会状勢の変化に適応したものとは、いい難いきわめて不十分なものであることは誰の目にも明らかであるのみならず、前述のごとく、本件事故が被控訴人国の直接管理する国道上において、その任務懈怠によつて生じたものであることを看過したものであり、明らかに不当なものである。
(2) したがつて、慰藉料の算定にあたつでは、右のような点を考慮し、被害者らの被つた精神的苦痛を慰藉するに十分な金額を認めるべきことは当然であるか、右の点と併せて加害者の負担能力が考慮されるべきは当然である(大判大九・五・二〇民録二六巻七一〇頁、大判昭八・七・七民集一二巻一八〇五頁)。 この負担能力の点を重視したものと考えられるJ1号墜落事故事件の判決(大阪地判昭四二・六・一二判例時報四八四号二一頁)は、昭和三九年四月に発生した事故に関し死者一名につき合計四五〇万円の慰藉料を認めており、さらに最近の裁判例で本件同様に国の責任が問われたJ2大採血ミス事件判決(千葉地裁佐倉支部判昭四六・三・一五判例時報六二四号三四頁)において、裁判所は慰藉料の算定に関し「従来、人の生命侵害賠償就中、慰藉料について被害者に何ら責むべき過失がないのに理論上の理由で全くこれを否定し或はこれを否定しないまでも生命の重大さに比べともするとその賠償額に至つては極めて少額に終らせる傾向がないではない。而して本件の場合、被告(国)は直接の被害者に対する慰藉料請求につき全くこれを否定するとまではいかなくとも、その額については極めて消極的であるが一般的にいつてこれは改めるべきであり、能う限り被害者側に対しても合理的な納得のいく額を容認する必要と理由がある。加えて本件加害者の被告国は単なる一個人と異なり一般的に財産的資力が大であり、たとえ予算上の制約を受けるにしろ不法行為の場合の賠償能力においても亦、右財産的資力に比例して一個人よりも遥かに優つているものと認めることは、一般公知の事実であるので、これを本件の賠償額の認定には重要な参酌事由の一つに加えて然るべきものと思われる。この場合使用者である被害国から直接の加害者に対する事実上求債権の行動の能・不能は考慮に入れる必要も理由も存しないことは当然である。それは加害者側の内部的事情に過ぎないことと、被告国は対外的な被害者側に対しては右の被害者とは別個に賠償責任を負うべきものと認められるからである。」と判示し、実に合計金八、〇〇〇万円の慰藉料の支払を被告国に命じたのである(なお、この事件の控訴審判決で慰藉料額は減額されたとはいえ、なお合計金一、三〇〇万円の範囲で認容されている(東京高判、昭四七・三・三一判例時報六六三号六五頁))。
これらの判例と比較すれば、原判決の認容した慰藉料の額が低きに失し、不当なものであることはあまりにも明らかであろう。
(三) 弁護士費用について
原判決は弁護士費用についても控訴人の主張した損害額の一〇パーセント相当額を認容しなかつた。
しかし、本件はきわめて多数の当事者が提起した訴訟であり、一審のみで実に三年四ケ月を経過していること、その争点も多岐にわたり、かつ、その多くが自然科学に関する専門的知識を必要とする困難なものであること、被控訴人国が自らの公
益的立場を忘れ、事故後現在に至るまで終始責任の追及を逃れることのみに専念し、積極的に本件事故の真の原因と、自らの責任の有無を裁判の場でも明らかにしょうとしなかつたため、ほとんど手持証拠のない控訴人らはその立証のため多大の労力と費用を必要としたこと、それが長期裁判の一つの原因となつていること等を合わせ考えるならば、控訴人らが被控訴人に対し弁護士費用のうち、損害額の一〇パーセント相当額の負担を求めることは当然であり、これをさらに減額した原判決はこの点でも失当であることは明らかであろう。
(四) 仮執行宣言について
原判決は被控訴人国の責任を認めながら、仮執行の宣言についても相当でないとしてこれをしりぞけた。
しかし、本件事故は昭和四三年八月に発生したものであり、一審判決までにすでに約四年七ケ月を要した事件である。その間、控訴人らは僅かに犠牲者一人につき金三〇〇万円の自賠責保険金と旅行の主催者らから金三三万円の示談金が支払われたにとどまつている。さらに死亡した運転手二名の遺族は右の金員さえ受領しないまま現在に至つているのである。
先にのべたような現在の社会状勢の変化の中で右の金員が決して十分なものでないことはあまりにも明らかであり、さらに右運転者二名の遺族のその後の生活がきわめて厳しいものであつたことは、原審における原告本人尋問の結果に徴すれば明らかであろう。
しかるに、原判決は通常の自動車事故では当然のこととされている仮執行に関する控訴人らの主張にさえ耳をかそうとしなかつたものであり、まことに不当な措置といわざるを得ないのである。
九 死亡した第一審原告らの本件損害賠償請求権の承継等について 1 本件訴訟が第一審裁判所に係属中に第一審原告K1(原判決別紙2請求金額目録No.10)、同K2(同No.16)、同K3(同No.23)、同K4(同No.23)、同K5(同No.27)、同K6(同No.32)の六名は死亡し、同原告らの本件損害賠償請求権は、当該各法定相続人によつて法定相続分に従つた割合で承継された。同原告らの請求権を承継した控訴人の表示およびその承継取得の金額の詳細は、次のとおりである。
(一) 第一審原告K1の関係
第一審原告K1は昭和四六年一一月一一日死亡し、その相続関係は次の(ア)相続関係表記載のとおりである。
右K1の法定相続人である控訴人らは、法定相続分に従い、次の(イ)承継債権目録記載のとおり右K1の本訴損害賠償請求権を承継取得した。
(ア) 相続関係表
<記載内容は末尾6添付>
(イ) 承継債権目録
「1」 請求債権総額 金六七六万七、〇二七円
「2」 原判決認容額 金 一六万二、五四七円
「3」 残余請求債権額 金六六〇万四、四八〇円
<記載内容は末尾7添付>
(二) 第一審原告K2の関係
第一審原告K2は昭和四七年四月一四日死亡し、その相続関係は次の(ア)相続関係表記載のとおりである。
右K2の法定相続人である控訴人らは、法定相続分に従い、次の(イ)承継債権目録記載のとおり右K2の本訴損害賠償請求権を承継取得した。
(ア) 相続関係表
<記載内容は末尾8添付>
(イ) 承継債権目録
「1」 請求債権総額 金三七一万五、七五二円
「2」 原判決認容額 金 七二万八、八七四円
「3」 残余請求債権額 金二九八万六、八七八円
<記載内容は末尾9添付>
(三) 第一審原告K3、同K4の関係
第一審原告K3は昭和四七年六月二一日、同K4は同年九月二七日それぞれ死亡し、その相続関係は次の(ア)相続関係表記載のとおりである(○印を付した控訴人が右K3の法定相続人であり、その余の控訴人らは右K4の法定相続人である。)。

右K3、同K4の法定相続人である控訴人らは、法定相続分に従い、次の(イ)承継債権目録記載のとおり右二名の本訴損害賠償請求権を承継取得した。 (ア) 相続関係表
<記載内容は末尾10添付>
(イ) 承継債権目録
a 第一審原告K3の関係
「1」 請求債権総額 金一、一三四万七、四九八円
「2」 原判決認容額 金 四七一万九、七四三円
「3」 残余請求債権額 金 六六二万七、七五五円
<記載内容は末尾11添付>
b 第一審原告K4の関係
「1」 請求債権総額 金五五万〇、〇〇〇円
「2」 原判決認容額 金一七万七、二〇〇円
「3」 残余請求債権額 金三七万二、八〇〇円
「4」 右K3の請求債権相続分 金 三三一万三、八七七円
「5」 残余請求債権総額(「3」十「4」)金三六八万六、六七七円<記載内容は末尾12添付>
(四) 第一審原告K5の関係
第一審原告K5は昭和四六年一月二一日死亡し、その相続関係は次の(ア)相続関係表記載のとおりである。
右K5の法定相続人である控訴人らは、法定相続分に従い、次の(イ)承継債権目録記載のとおり右K5の本訴損害賠償請求権を承継取得した。
(ア) 相続関係表
<記載内容は末尾13添付>
(イ) 承継債権目録
「1」 請求債権総額 金二四六万四、八二五円
「2」 原判決認容額 金 一二万八、〇二四円
「3」 残余請求債権額 金二三三万六、八〇一円
<記載内容は末尾14添付>
(五) 第一審原告K6の関係
第一審原告K6は昭和四六年三月一五日死亡し、その相続関係は次の(ア)相続関係表記載のとおりである。
右K6の法定相続人である控訴人らは、法定相続分に従い、次の(イ)承継債権目録記載のとおり右K6の本訴損害賠償請求権を承継取得した(△印の相続人はいまだ控訴を申立てていない。)。
(ア) 相続関係表
<記載内容は末尾15添付>
(イ) 承継債権目録
「1」 請求債権総額 金七二五万三、五三七円
「2」 原判決認容額 金一一四万七、四八六円
「3」 残余請求債権額 金六一〇万六、〇五一円
<記載内容は末尾16添付>
2 請求の一部減縮
控訴人K7は、控訴状において一、〇四三万二、〇八四円の支払を求めていたが、前記承継債権目録の控訴金額一、〇二九万六、三九四円を越える部分につき請求を減縮する。
控訴人K8は、控訴状において八一万四、一四〇円の支払を求めていたが、前記承継債権目録記載の控訴金額六七万八、四五〇円を越える部分につき請求を減縮する。
一〇 結 語
1 控訴人らは、当審における審理の中で、原判決がおかしたいくつもの重大な誤りを明らかにすることができたと考える。
控訴人らは、まず、原判決が本件に対する判断の基礎ともいうべき国家賠償法二条の考え方および災害対策の基本姿勢の考え方において誤つていることを明らかにした。
小さい危険の兆候の見えたときに、その延長線上にある大きい危険についても早期に対処していくという災害対策の基本的観点から見るとき、本件事故当夜の集中豪雨も、土石流発生の危険も道路管理者として「予見」することができたし、「予
見」しておくべきものであつたのであり、原判決が自然科学における正確な定量的予知概念と、災害対策において要求される交通の安全を妨げるべき事態発生に対する抽象的予見の概念とを、すり換えないしは混同した誤りは、十分論証できたと考える。
まだ、道路管理者の行動に大きな手落ちがあつたことも、明白にできたし、すでにくり返して述べてきたように、運転手らの過失についての判断にも誤りがあることも明らかにした。
さらには、原判決の採用している不可抗力概念も分割責任の考え方も、従来の判例の見解とはかけ離れた特異なもので、少くも本件にこれらの考え方をあてはめることは、明白な間違いであることも明らかにできたと考えている。 2 不法行為法を貫く指導理念の大きな一つは、迅速で十分な被害者救済にあるといわれるが、具体的かつ究極の意味における被害者救済は、金銭賠償のもとでは、損害賠償の金額によらねばならない。
この意味から考えると、原判決が考え得る最低の収入基準を採用して計算し、その中で考え得る最低の金額を控訴人らの受取るべき損害額とし、さらには控訴人らの仮執行宣言の申立をしりぞけ、判決確定までは自ら被控訴人国に責任ありと判断した金額さえも控訴人らの手に渡さず、実質的な意味における救済を拒否したことは、この被害者救済の理念を全く没却した判断といわざるを得ない。 3 本件控訴を提起した控訴人らの目的は、この事故の原因を究明し真の責任の所在を追求することにあつた。
すなわち、事故の原因は人命尊重、交通安全確保よりも産業の利便を優先させて来た国の道路行政にあり、事故の責任を負うべき者は本件国道四一号を管理する被控訴人国であることを明らかにすることによつて、人命尊重、安全最優先の方向に道路行政の基本姿勢を転換させて、そのための施策を充実させ、このように悲惨な事故の絶滅を最終の念願とし、あわせて事故により受けた損害の補填を求めるところにある。
裁判所は、この裁判がわが国の道路行政の方向付けにきわめて重要な意味をもつものであることを十分認識して、原判決のおかした誤りを是正し、人命よりも産業の利便を重視してきた今までの道路行政を安全確保の観点から厳しく批判し、将来の道路行政に新らしい展望を与えるべき公正な判決を期待する。
(控訴についての被控訴人の主張)
一 本件国道の安全性について
1 設置の合理性と安全性
国道四一号の概要ならびに改良工事の経過については、ほぼ原判決認定のとおりである。しかしながら、控訴人らにおいて、本件国道の設置について「改良工事における調査の不備と、拡幅の実施により、土砂崩落等の新しい危険が生じた」として、設置の瑕疵を主張するので、再度本件国道の設置について陳述する。 (一) 調査計画の概要
(1) 航空写真およびその図化
昭和三四年中部地方建設局において、国道四一号全線の経済調査の完了にあわせて全線の航空写真の撮影を行なつている。
航空写真は、アジア航空測量株式会社に依頼し、昭和三四年七月二九日RC8全自動航空測量用写真機を用いて、縮尺二万分の一で行なつている。この航空写真は、路線を合理的に決定するために利用されたほか、本件国道附近においては、立体鏡を用いて、地形を拡大立体化し、山腹、斜面、沢、河川等の地形状況を入念に観察し、過去の崩壊地、沢の浸食の形態、森林等植生の状況、斜面勾配の不自然な変化、河川活動の状況、その他鉄道、道路、ダム、橋梁、聚落の位置等を確認することによつて、道路設置計画上の土木的総合判断の基としたものである。 続いて、昭和三五年国道四一号の前記航空写真を縮尺五千分の一に拡大図化し、五メートルおきの等高線を記入することによつて、山腹斜面が等傾斜をしているか、凹斜面か、凸斜面か、あるいは凹凸斜面か、階段的斜面か、または山頂、山背、谷の状態がどのようになつているかを入念に観察することによつて、等高線のみだれ等より地形的な崩壊地、岩壁等の異常地を見出し、その後における調査の基とした。
(2) 計画線調査
計画線調査は、路線を選定するに当り、最も合理的な位置を決定するための調査であつて、特に本件国道附近(g1b2~加茂益田郡界)について述べることとする。

調査は昭和三五年度において、まず踏査から始められたが、基本的な資料として前記航空写真および同縮尺五千分の一の地形図を用い、あらかじめ指摘しておいた問題点の確認検討から行なわれた。これらの代表的な箇所としては、原判決も認定しているように、c2峠地区(七二~七三㎞附近)、v1トンネル附近(六五・五㎞附近)、欧穴箇所(五六・三㎞附近)等であり、それぞれ地質調査、比較ルート調査を含めて現道拡幅の是非を慎重に検討している。
その他の地区については、現道拡幅が最も合理的なものとしたが、これについても、中心線決定に際しては河側に拡幅すべきか、山側に拡幅すべきか、あるいはその中間にすべきか、橋梁の位置はどこにすべきか、橋長はどの程度にすべきか、法面保護はどのような工法を用いるべきか、河川洪水との関係に如何に対処すべきか、等々を現地において地上測量を重ね合わせ、時には、図化地形図からのペーパーロケーシヨン等の手法を用いて、入念に調査したものである。
これらは建設省技術職員をもつて実施されたものであるが、原審においても主張したように、これらの作業の過程において地質学的な立場から、また、土木工学的な立場から、学者の意見や助言を現地において受けており、また、従前の道路管理者、地元町村関係者、地域住民の古老等から過去の異常実績等を聴取したりして路線決定を行なつたものである。
(3) 実測線調査
実測線調査は、昭和三六年調査を完了(ただし、c2峠地区は昭和三七年調査完了)したが、この調査は、実施設計をたてるために詳細な地上測量を行なつて、地形を把握し、事実上の道路の構造を決定するために行なわれたものである。 すなわち、計画線調査結果の方針に基づいて、縮尺千分の一地形図、縮尺百分の一縦横断図を道路中心線にそつて最少二〇メートル毎に作図し、この図面に道路の構造を具体的に決め込んで検討を加えるものである。これらの作業にあたつての技術的な基準は、総括的には道路技術基準である。
個々には、道路構造令、土工指針、コンクリート標準示方書、舗装要綱、その他橋梁、トンネル等の設計施工指針、その他数多くの土木工学の文献資料が用いられている。
(二) (1) ところで、航空写真測量は、写真機その他関連機器の高度の発達により測量技術の中に取り入れられた最新の技法の一つであるが、特に最近に至つては、写真判読にきわめて重要な役割を果たす図化機の開発にめざましいものがある。
甲第五八号証一六一頁から一六三頁までにおいても、航空写真の技術が最近進歩してきたこと、および航空写真や地形図を作る図化の過程で過去の崩壊の痕跡を見出したり、崩壊に関連する小規模な断層線を発見したりする等々の情報を引き出すことができるようになつていることが記載されている。
また、乙第二一号証四〇頁「写真判読によるがけ崩れ発生予測調査」(昭和四五年・四六年)においても、航空写真の判読が基本となつている。
その他、甲第五九号証「崩壊災害の地形的特性」という論文においても、昭和四二年に西日本を襲つた七月豪雨によつて発生した六甲山糸の崩壊災害および羽越豪雨による菱ケ岳山麓の崩壊災害の分析・検討に航空写真判読が主要な役割を果たしていることが記載されている。
これらはいずれも昭和四〇年代になつてからの論文であるが、昭和三〇年代前半の道路調査において、本件国道のように一本の路線を単独で航空写真を撮影し、しかも五メートルおきの等高線を記入した図化図面を作成して調査に当つたことは、当時としてはいかに最新の技術を導入したものであるかが首肯されるであろう。 (2) 次に、計画線調査および実測線調査に当つては、技術者による現地踏査を何回となく繰り返して行ない、詳細な地形測量に基づき、具体的には道路の縦断形(縮尺一〇〇分の一)、横断形(縮尺一〇〇分の一)、平面形(縮尺一〇〇〇分の一)、その他主要構造物の構造を作図し、設計上の問題点、供用開始後の維持管理上の問題点等を総合検討したものである。
その主な検討内容と適用示方書等は、次のとおりである。
「1」 線形、勾配、幅員等の検討は道路構造令(昭和三三年八月一日政令第二四四号)
「2」 斜面の安定、排水の構造、切土・盛土の工法と安定等の検討については道路土工指針(日本道路協会)
「3」 擁壁、函渠、橋台、橋脚等コンクリート構造等の検討についてはコンクリート標準示方書(土木学会)

「4」 道路舗装の構造及び強度等の検討については道路舗装要綱(日本道路協会)
「5」 橋梁の構造および強度等の検討については橋梁に関する各種示方書および指針(日本道路協会等)
右政令は、当時の技術水準で最新最高の基準を示したものであり、示方書および指針は、土木学会、日本道路協会等が専門的な学者、技術陣を動員して編さんしたものである。
その他、数多くの土木工学の文献、外国の関係マニユアル等を参考にしたことはいうまでもないが、この調査結果は、実施設計および施工に反映しており、当時の科学水準をもつて行なわれたきめの細かな調査・計画であつたものということができる。
そのほか、土木工学者、地質学者に現地での調査を依頼して意見や助言を得ており、また地元関係者などから聴き取り調査を行なつて慎重に計画して調査に当たつたことは、原審においてもすでに明らかにしたところである。
(三) 次に、実際施行された工事について、施工方法の概略を述べる。 まず、工事は今まで述べてきたような調査成果に基づいて、具体的な工事が行なわれたのであるが、工事着工に当つては、一般交通に迷惑のかからないように、交通止め等の処置は原則として行なわず、しかも、自然条件との調和安定を計り、なお、作業中の安全性をも十分に配慮したうえ、如何なる工法を採用すべきかの検討を行なつて実施されたものである。
すなわち、まず河側にコンクリート擁壁、または、石積擁壁で張出し、道路の構造的安定を計つたうえ、山腹の自然的制約を尊重しながら、山側の切取りは必要最少限度にとどめて所定の幅員を確保したものである。
この点について、原判決は、甲第四一号証三二頁を引用して、「g1橋b2~加茂益田郡界間約二六キロメートルでは、拡幅に当つては旧道拡幅を原則とし、まずできるだけ山側へ切込み、旧道(幅員三・五~四・〇メートル)と合せて六・五メートルの暫定幅員を確保しておいてから、河側に拡幅して八・五メートルの所定幅員を完成するという方法がとられた。」としているが誤りである。 原判決記載の右工法は道路整備五ケ年計画の第二次計画での案であつて、工事途中で第三次計画に移行したため、甲第四一号証三四頁に記載されてある方針により現に施工されたものである。
第三次計画にかかる右の方針により作図された図面が三九頁上段の標準断面図であるが、この図はあくまで標準的な概略図であつて、詳細な構造を示すものではない。
この図面で、左側は河側であり、標準的なコンクリート擁壁および石積擁壁の位置と勾配を示し、右側は標準的な山側切取りの位置と法面勾配を示すものである。 現に採用した工法において、まず河側に拡幅したとは、この図面左下半分のコンクリート擁壁および同左上半分の石積擁壁から構築したということであり、次の段階でこの図面右側半分に画かれた山側切取りをして、所定の幅員を確保したのである。
(四) 以上のことからして、計画調査時点における調査の内容、施行段階における工法の選択、安全性に対する配慮等は、当時の技術水準をもつて行なわれたものであつて、控訴人らが主張するような「調査の不備」も「拡幅工事による新しい危険が生じた」事実も何ら存在しないものである。
このように、国道四一号は、本件事故当時において山岳道路として具備すべき構造と安全性について何ら疑いをさしはさむ余地はなかつたのであり、東海・北陸地域を直結する幹線道路として、また沿線地域の生活道路として、その機能を十分に発揮していたものである。その間、道路管理者において、常に最新の技術成果を導入して、その維持管理にたゆみない努力を読けてきたのである。
(五) しかるに、控訴人らは、本件国道が現在の位置に設置されたことについて、企画当時から重大な誤りがあつたかのように主張する。その根拠は、甲第七二号証の原審判決後の朝日新聞「文化」欄における平吉功氏の所説である。 これを要約すれば、
「1」 国道四一号の旧道は、現在のg1町f1からa1町経由i1町に至るルートではなくて、f1からd2を経由しe2峠を通つてi1町に至るルートであつたこと。
「2」 e2峠のルートの方が旧式の設備のままでもほとんどこれといつた事故が起こらなかつたことからして安全であること。

「3」 したがつて、e2峠をトンネルで抜いてバイパスを建設することが望ましいこと。
などを列挙し、小説「夜明け前」の主人公もf2を避けて通つたことなどを引用して、いかにも本件国道が他の路線よりも危険であるというのである。 しかしながら、国道四一号は、その前身である二級国道一五五号に指定された昭和二八年以降、f1村(現在はg1町f1)からa1町を経てi1町に至る現道と同じルートであつたのであり、それ以前の大正九年岐阜県道として認定されていた当時、さらに遡つて明冶二五年郡道「a1街道」として供用されていた当時においても、いずれも現在位置のルートであつたのである。平吉氏がいうような旧国道かd2経由e2峠越えであつたことは全く事実に反するし、現在のe2峠の道路にしても、過去に国道と称したことは一度もない。
ただし、本件国道が拡幅改良されるまでの昭和三〇年代においては、g1町f1からi1町へ至る交通として、a1町経由のほかにe2峠を迂回する交通があつたことは事実である。
このことは、甲第四一号証「四一号線(美濃加茂市g2・益田郡界)改良計画概要」九頁から一七頁までの説明でも明らかなように、七一・五㎞地点から七四・五㎞地点附近の通称c2峠が存在したからであつて、この部分の旧道は道路幅員三・〇メートルから四・〇メートルまで、最急縦断勾配一五パーセント(水平距離一〇〇メートルで垂直高一五メートルの勾配)、ヘヤーピン屈曲R=一〇メートル(道路中心線の曲線半径が一〇メートルの円弧)七ケ所という極悪の道路条件であつたことや、しかも飛騨川水面より約八〇メートルの標高を有する断崖の中腹を縫うように蛇行していた区間であつたため、以前はこのc2峠を避けるためにわざわざe2峠へ迂回した車輌もあつたのである。
しかし、このc2峠の難所が昭和四〇年四月飛騨川に架設されたc2橋(延長一二〇メートル)h2橋(延長一四〇メートル)の二橋で新しいルートに付け替えられるや、この難所は解消されほとんどの運転者は、現在のルートを利用するようになつたのである。
第二点のe2峠の方が安全であるということについても、本件事故当日の昭和四三年八月一七日から一八日にかけての豪雨において乙第一五号証に示すように岐阜県g2土木事務所管内だけでも、道路災害として一一ケ所の被害を受けていることからしでも、何をもつて安全というのかとうてい了解することができないのである。
第三点の本件国道のバイパスとしてe2峠を推奨していることは、主として、防災灼見地からの主張のようであるが、道路建設行政は、国土の利用の偏在を解消し、均衡のとれた国土利用構造を達成するためのものであるから、道路は国土全体に有機的に配置されるべきものであるところ、本件国道を基幹として、a1町からは主要地方道たるi2・a1線、a1・j2線など東濃地方と結ぶ道路があり、i1町からは回じく主要地方道たるk2・i1線、w1・i1線など長良川流域地方の市町村と結ぶ道路が存している。また、j1町からは国道二五七号が分岐するなどして、これがあたかも人体における血脈のように有機的な連係をもつて、合理的に設定されているのである。このような見地からバイパスをとるにしでも、他路線との接続、集落の位置、防災的な検討など詳細な調査を行なつて後、決定されるべきことであり、一概にe2峠ルートの方が妥当であるとはいい切れない。 また、通称f2とは、i1町からj1町までの間をいうのであつて、本件国道が平吉氏のいうようにe2峠を経由して計画されたとしても、f2は通らなければならないのであつて、f2が危険であるがゆえに昔も今もe2峠の方が安全であるという見解は、その真意を理解することができない。
2 雨量による土砂崩落の予見について
原判決は、本件事故現場附近の国道四一号を予見可能な危険が存在する道路とし、その根拠として、次のことを列挙しているので、以下順次反論することとする。
(一) 原判決は、まず、本件事故現場附近の予測すべき降雨量について、乙第七号証「異常気象調査報告書」の八四頁以下の第四・四表「日最大降水累年順位表」を引用して、日最大降水量については、f1観測所ほか三ケ所の既往最大日降水量から、二〇〇ミリメートルから二六〇ミリメートルまで、時間最大降水量については、o1観測所ほか一ケ所の既往最大時間最大降水量から余裕を約二〇ミリメートル上のせして六〇ミリメートルから八〇ミリメートルまでと判断している。 そこで、斜面崩壊と降雨量との相関関係の問題を考えるに、甲第五八号証一六七
頁以下に「降雨と斜面崩壊発生の関係」が記述されているが、これを要約すれば、 「1」 斜面崩壊の直接の原因は、豪雨であるが、地域によつて非常に異なつていること。
「2」 崩壊の発生は降雨量のみでなく、ほかの多くの因子が関連していること。
「3」 崩壊発生は、その時の降雨量のみでなく、先行降市が重要な役割を果たしているが、定量的に評価することは非常に難しいこと。
「4」 崩壊は、連続雨量のみでなく、時間降雨量の強度も関係することが認められること。
などを挙げて、斜面崩壊現象は学問的に十分解明されていない面があり、具体的な崩壊発生の予想も高い信頼を寄せることができない現状であるというのである。 このように降雨量と斜面崩壊との関係が解明されないがゆえに、各研究者においては、現在なお懸命の研究・調査を続けているのである。
甲第五九号証は京都大学防災研究所年報(昭和四七年三月)として発表された昭和四二年七月豪雨・羽越豪雨に伴う崩壊から、主として地形的特性を明らかにしょうとする論文である。
乙第二一号証は、昭和四七年一〇月建設省土木研究所土木研究資料七八二号として発表された、昭和四六年九月六日から七日にかけての秋雨前線および台風二五号によるがけくずれと千葉県下で代表的三地域を中心にして主として植生と崩壊発生率および崩壊斜面の各断面形状との関係を調査研究した論文である。 乙第一八号証は、昭和四六年「新砂防」二月号に掲載された第三回砂防学会シンポジユウムでのテーマ論文である。
これによると、
まず、第一に降雨が崩壊を起こさせる外力であることは明らかであるが、その量のみで崩壊現象をストレートに結びつけられない。同じ強い雨でも同一地域で同じ崩壊が起こるとは限らない。
第二には、土の強度であり、すべての破壊理論の中心は破壊されるものの強度論である。斜面の安定性は土質工学的に検討し得る手法が確立されているが、現実の斜面において適用し難い最大の理由は、土の強度がわからない(というより簡単に測定できない。)ことである。わが国のように複雑な土層の強度をいかに表現するか測定はどうするか等が今後の問題である。
第三には、いかなる大災害でも崩壊する斜面は全斜面の一割以下だろうから、崩壊斜面は何らかの崩壊しやすい不均質性あるいは不連続性(境界条件)をもつものと考えられる。この境界条件の面的な広がりがつかみ難く、地形計測による崩壊現象を説明しようとする試みは、その手法の一つであるけれども、斜面内部の測定が加味されないと飛躍的な精度の向上は期しがたい。以上のように記述されており、今後の研究を進めるための、問題点と考え方が示されている。
これらの論文は、いずれもわが国で最も高い水準の研究機関や学会から発表されたものであるが、いずれにしても、斜面崩壊と降雨の関係は、先行降雨と一〇分間ピーク降雨の寄与が探求されつつあるものの、定量的な相関関係は、現在、いまだに確立されていないのである。したがつて、降雨と斜面崩壊の相関についての現在の科学水準が右のような状況にある以上、既往最大降雨量の実績事例を基準として、その既往実績以下の雨量で崩壊したかどうかで、管理の瑕疵によるものであると判定することは全く非科学的態度と評せざるを得ない。
(二) 次に、原判決は、当夜の四崩落例と過去の六崩落例について右基準以下の降雨で発生したとしているが、次の点で疑問である。
(1) 第一点として、当夜の雨は、乙第七号証、甲第一七号証からわかるように典型的な集中豪雨の特性を示すものであるから、崩落地点から離れた地点の観測データーをもつて、基準以下の雨による崩落と断定することは誤りである。 特に、原判決が引用した崩落地点六五・二五㎞および六四・一七㎞の崩落地点に対応させた雨量観測地点はf1観測所であり、直線距離で約六ないし六・六キロメートル離れている。
しかるに、これより直線距離約二・四ないし二・八キロメートルとより近い位置で観測された甲第六四号証三川小学校での記録によれば、崩落時刻二三時五五分ころおよび零時一〇分ごろの前一時間の雨量は、約一〇〇ミリメートルであることからして、原判決が認定した予想時間降雨量六〇ミリメートルから八〇ミリメートルまでを大きく上回つているといえる。したがつて、六五・二五㎞地点および六四・一七㎞地点の崩落は、時間雨量約一〇〇ミリメートルという未曽有の不可抗力的な
集中豪雨により発生したものであるということができる。
(2) 第二点として、過去の崩落事例六例にしでも、別紙表B記載の1・2・5は崩落当日の雨量とは関係なさそうである。また、当夜崩落した七八㎞地点および七八・四五㎞地点についでも、最短距離約一・三キロメートルの位置にあるa2観測所の雨量記録によれば、崩落推定時刻二三時〇五分ごろの前一時間の降水量は三〇ミリメートルであり、それまでの連続雨量にしでも、わずか三二ミリメートルなのである。
にもかかわらず、対岸の国鉄高山線側では、ほとんど同時刻に発生したと推定される土石流まで発生しているのである。これらのことは、現在研究中の前記先行雨量が関係しているものと推察されるが、この先行雨量と崩落との定量的関係も明らかでない現在、既往降雨実績に基づいて予想した基準をあてはめて、予想することができる崩壊であると断じたことは明らかに誤りである。
(三) 以上要約すれば、原判決において、本件国道には、予見可能な危険が存在していたとの判断を下したことは、全く科学的根拠を欠いたものといわざるを得ない。
(四) 落石検知装置等について
(1) 控訴人らは、本件国道に現在落石検知装置を使つて、落石の研究を道路管理者が行なつていることを理由として、落石は崩壊の前兆の意味を持つとの観点から、本件国道が危険な道路であることを道路管理者自らが自認していると指摘する。
そもそも、落石検知装置は数年前から開発研究されてきたものであつて、現在まだ試行実験中の段階であり、これが全面的な実用化には今後相当の時間を要するものと考えられる。
甲第六七号証の四は、このような段階において、いろいろ手を尽してはいるが、発生の誘因がなかなか把握できないので、やむを得ず実際に落ちてくる落石現象を計器を使つて調べ、でき得れば落石検知装置と道路情報盤とを連結するなどして、道路交通安全の向上を図りたいとの念願から、現在懸命に調査研究している中間的な報告論文である。
現在実験試行中の落石検知装置の問題点として
「1」 センサーが検知する衝撃加速度の範囲(現在は二〇G)の研究 「2」 センサーの取付位置と配置の問題
「3」 落石の大きさ別に判明するようなセンサーの開発
「4」 落雷等に対する処置方法
「5」 現場監視装置の落石現象の記録と点検の問題
などの根本的な問題が今後の研究として残されており、現在いまだ手さぐりの段階である。
(2) 当審において、実地検証の際、控訴人らは、国鉄高山線の保線区員が国鉄沿線斜面に点在する浮石に番号を付して、落石の保守点検に当たつていると指示説明したが、これは何も国鉄のみが実施していることではない。本件国道においても、j1地区において拡幅改良後実施しているところである。
(3) 控訴人らは、甲第七三号証の新聞記事を証拠として五五・一㎞地点附近のトンネル設置は、落石防止も大きな目的の一つであり、被控訴人の指示説明では故意にこれを落していると主張する。当該箇所は山側が切り立つた岩壁になつてはいるが、拡幅改良時にモルタル吹付の保護工を施し、また、本件事故後ではあるが、ポケット式ロックネットを施工し、一応の安全対策が終わつている場所である。
今回のトンネル施工箇所は、甲第七三号証でも明らかなように、曲線半径五〇メートルと、曲線半径一〇〇メートルのS字型カーブで、しかも冬期にはほとんど日照時間がなく路面凍結する箇所である。
近年本件国道は交通量の増加が著しいが、特に土曜日、日曜日、祝日などの観光交通が目立つて多くなつた。
これらの交通は、他県からの遠来客が大部分で、本件国道の走行条件以上で走行する車も多い。
したがつて、道路管理者においては、このような箇所を解消するために、交通量増加とのバランスを勘案検討しながら、バイパスを施工しているのである。 二 本件事故当夜の集中豪雨の異常性について
1 原判決において、「本件当夜の集中豪雨は、地域的に狭く、短時間に集中し、降雨強度の極めて強かつたことが最大の特徴で、日降水量は三八二ミリメート
ル(f1)、時間降水量は九〇ミリメートル(f1)に達したものであるから、これではもはや、この地域で通常予想され得る限界を越えた異常な集中豪雨であつた」と認定している。
しかしながら、控訴人らは、災害対策をとるための基準として降雨を考えるとき、東濃山間部という狭い地域に限定することは明らかに誤りであると主張している。
そもそも、災害対策を策定するには、山地、丘陵、平野等の地形、地質及び気象等の種々な要素を総合勘案して、しかも地域別に判断すべきものである。したがつて、災害対策上の雨量を、現在の科学技術水準をもつて定量的に決め込むことは真に至難の業といわざるを得ない。以下当夜の集中豪雨が、その性状においてまた降水量において、如何に予見しがたい異常なものであつたかを述べる。 本件集中豪雨による本件事故現場附近の各地の被害状況は、原判決理由の三「本件事故当時の集中豪雨による各地の被害状況」(イ一八~二〇)で認定されているところであり、この災害が如何に局地部分に発生し、それらがいずれも如何に大災害となつたかは、乙第七号証及び乙第一五号証の一ないし四、昭和四三年八月一七・一八日発生公共土木施設災害箇所図から窺われるところである。 2 ちなみに、本件災害をもたらした集中豪雨の異常性を本件国道四一号附近の観測資料により、その確率而雨から考察する。
(一) 建設省中部地方建設局木曽川上流工事事務所において、取りまとめを行なつた飛騨川水系の降雨記録中、本件国道附近に設置されているのは、左にかかげる三つの観測所である。
u1観測所(岐阜県益田郡i1町u1)中部電力所管
g1観測所 (岐阜県益田郡i1町g1)中部電力所管
f1観測所(岐阜県加茂郡g1村f1)建設省所管
この三つの観測所の過去の記録を使用して、当時道路設計および河川計画洪水量算定に用いられていた統計計算を行ない、確率雨量を求めて、本件事故発生日(昭和四三年八月一七~一八日)の再現確率雨量を求めれば次のとおりとなる。<記載内容は末尾17添付>
以上のことから判断しても、再現確率年はg1観測所では一七〇年から二〇〇年に面であり、またf1観測所では一、〇〇〇年に一回が発生するであろうと推計できることは、如何に当夜の降雨が異常なものであつたかを推察することができよう。
(二) 再現確率年の理論的根拠及び計算方法の概略は次のとおりであり、別紙資料(一)は昭和四五年一〇月森北出版株式会社から発行された水分学の基礎と応用についての解説の抜すいである。
「1」 まずある期間の降雨量の数値を調べる(今回の場合乙第一六号証に示す日降雨量がそれに当たる。)
「2」 調べた数値を大きい順番に並べてある単位(例えば一〇ミリメートル単位)ごとに横軸に雨量数値の大きさをとり、縦軸に頻度をとると資料(一)の図五・一の(1)のような図を画くことができる。
「3」 自然現象である降雨量などの統計は、平均値を中心に左右対称形とならず、左に偏つた非対称分布となる。この数値の対数をとると正規分布になり、これを対数正規分布と呼び水文学に取り入れたのがHazenである。 「4」 「2」で画かれた図で、ある値以上の数値(降雨)が起る超過確率W(X)は斜線の部分であり、これを理論的に表したのが(五・一)式である。 「5」 この超過確率W(X)と再現期間との関係は、理論的には(五・三)式で表される。
「6」 この理論を近似的に図表上で解く手段として一般化されたものが対数確率紙である。
「7」 対数確率紙の横軸には対数、縦軸には超過確率を一〇〇倍した値が記入してあり、それぞれ対応できるように作られている。
「8」 この対数確率紙の横軸に雨量値、縦軸にはその雨量値に対応する超過確率をとつて前記「1」の日降雨量の数値を大きい順番にプロットし、プロットされた諸点の中央を貫く線を引く。このときの超過確率は(五・八)式で理論的に表される。
「9」 別紙資料(二)の一ないし(二)の三は乙第一六号証の記録から、本件事故前の数値を用いて前記手法で作成したものである。
これにより、前記のとおりの再現確率年の値が求められる。

なお、u1観測所およびg1観測所の対数確率紙に二本の線が引いであるのは、最大値と最少値の範囲を示す。
三 本件土石流について
1 土石流に関する字問的水準
土石流に関する学問的水準は、甲第五八号証、乙第二〇号証を検討してみても、乙第一三号証A1氏の意見書で代表されるとおり、いまだ研究の過程であつて、その発生機構においでも、降雨量との相関関係においても、また土石流の調査方法においても、さらに、予知方法においても、巨視的にしろ微視的にしろ、いずれも把握し難い未解明の要素が非常に多い自然現象であるというべきである。 2 土石流に対する防災工法について
しからば、この発生機構も発生予知も不明な要素の多い土石流現象に対する防災工法はあるのだろうか、この点を検討してみることにする。
乙第一四号証はD10氏の本件土石流を発生せしめた沢の防止工法についての意見書であるが、これによると、工法として一応
「1」 低ダム群を階段状に築設する。
「2」 十分な容量を持つた防砂ダムを築設する。
ことを掲げつつ、しかしながら、「1」の考えに立つた場合は土石流の発生を防止する機能はあまり期待することができない。むしろ、土石流によつて構造物も同時流失するものと考えた方が妥当である。「2」の方法は、本件沢において適当なダムサイトは見当たらない。と述べてある。
このことは、六三・八五㎞地点の沢に、砂防ダムが施工されているが、当審実地検証の際測量した結果では、その貯砂量は七九立方メートルであることから推察しでも、本件沢に本件土石流量五〇〇〇立方メートルの貯砂量を有するダムを造ることは不可能であることがわかる。
乙第一七号証は、昭和四九年一月第六回砂防学会シンポジユウムで土石流の研究を進めるための今後の方向と問題点を述べたものであり、現時点(昭和四八年現在)の研究水準を窺い知ることができる。
要約すれば、
土石流の運動から土石流制御の問題を述べたD1氏によれば、問題の対象をしぼるために、発生からある時間を経過し、ある速度を得て、運動のパターンが急激な遷移現象過程を脱した段階から取り上げることとする、と前置きして、 「1」 土石流を目撃した印象から、流れ全体にブレーキをかけることは、よほど恵まれた場合以外非常に困難であろう。
「2」 土石流の先端に集中する巨礫・大木の類をなるべく下流に到達させないように泥流と分離させたら、下流域の被害は減少するであろう。
「3」 もし、さらにこの期待を少しでも現実の問題として試してみるとすれば、土石流の大きな固体塊だけをねらって、途中で引つ掛けるような障害物を設けたらどうか。
「4」 土石流の運動を遠心分離的なふるいわけで、流路にカーブをつけておいて分離したらどうか。
などの制御方法を提唱されている。
また、現場において、土石流対策の砂防を担当している者の立場から問題を述べたD11氏によれば、土石流のもつ巨大な力を人為的に抑制することが、不可能でないとしても、実際に当たつては、それを避けるべきだと前置きして、 「1」 土石流を発生させない工法
「2」 土石流が発生した処で止める工法
「3」 運動中の土石流のエネルギーを発散させる工法
などの実務的な工法の研究を、今後現場の細分な調査と土石流の運動の基礎研究とのタィァツプをしながら、推し進めるべきだとしている。
すなわち、土石流に関する防災工法としては、いまだ確実に抑止する工法は開発されていないものと判断される。仮に、昔から経験的に実施されていた谷止工、山腹水路工、などの土石流を抑制する工法を本件沢に施工してあつたとしても、本件事故を発生せしめた集中豪雨による土石流の発生を抑止できたとは、本件事故当時はいうにおよばず、現在においても、前記D10氏の意見書および原審における証言内容から判断してとうてい考えられないことである。
3 控訴人らの主張について
(一) まず、控訴人らは、「土石流は土砂崩落の一つの形態として、山岳地帯でしばしば生ずる現象であり、一五度ないし四〇度傾斜している土石の堆積してい
る渓流では、連続雨量一〇〇ミリメートルを超えると発生しやすい」とし、「通常予測し得ない程度の雨量でなければ発生しないものではなく、一般の土砂崩落(山くずれ、がけくずれ)と、土石流とは決して質的な差異があるわけではない」とし、「降雨における国道上の危険としては一体として考察すべきもの」として、原判決の「本件土石流の発生は予見不可能であつた」旨の認定判断は誤りであると主張する。
そこで、土石流、山くずれ、がけくずれ等の自然現象が、その発生機構、規模、場所、素因、誘因等について、それぞれ異なることを述べ、道路の設置管理上、その対策や防護施設等の対応策が、如何に異なるかを論じることとする。 (1) 土石流とは(土木学会監修土木用語辞典による)
「1」 山間のけい川において多量の土砂、石れき、ときにはこれに木材などの破片を混じたものが、それ自身の重量と水の潤滑作用とによつて流下する現象をいう。
「2」 通常強大なエネルギーと破壊力を持つ。
「3」 急こう配のけい流に多量の不安定な砂れきの沈積がある所に豪雨が降り、あるいはこれに伴つて上流部で山くずれがある場合に起りやすい。 「4」 土石流においては、水が固形物を運ぶのではなく、固形物の集合体が水を含んで流動する、いわゆる集合運搬が行われる。
「5」 速度は構成物質や河床の条件によつて二ないし二〇メートル1秒前後の間で種々ある。
「6」 主として火山灰沈積地域に起りやすいので泥流も土石流の一種とみなしうることがある。
(2) 山くずれとは(同土木用語辞典による)
「1」 山体の一部または滞積体が比較的急激に崩落すること。 「2」 原因としては豪雨、地震、火山爆発、地下水、凍結、なだれなど。 「3」 広義には地すべり(比較的緩慢に移動するもの)を含める場合もある。 「4」 この意味においては、移動物質が地山(基岩)であるか、岩せつ(屑)(土壊)であるか、また運動形式が滑動であるか流動であるかに着目する分類も行われる。
(3) 地すべりとは(同土木用語辞典による)
「1」 大地の一部が相当広い地域にわたつて、重力の作用を受けて緩慢な運動を起す現象。
「2」 地すべりの底部の不動の山体との境界面を「すべり面」という。 「3」 地すべりが生ずると、特に慢性的な地すべりでは、特異な地形(地すべり地形)ができる。
「4」 地すべりの運動は地下水と関係することが多い。
「5」 防止対策として水抜き、くい打ちなどがある。
また、財団法人日本道路協会の道路土工委員会、地すべり、のり面小委員会が作成した「のり面工と斜面安定工指針」によれば、
「1」 地すべりは長大な斜面全体が主として地下水の働きによつて滑動する現象である。
「2」 長期間の連続降雨、融雪などによる地下水の増加と密接な関連をもつ。 「3」 滑落土塊の厚さは五~三〇メートル(平均二〇メートル程度)にも達し、斜面長も五〇~五〇〇メートルに達するものが多く、その勾配は五度~二〇度である。
「4」 地すべりには明瞭な現象として、き裂、段落ち、陥落、隆起などを生じ滑動はゆるく、連続的かあるいは断続的である。
(4) がけくずれ、落石などとは(同前記指針による)
「1」 地すべりに比べ比較的規模は小さい。
「2」 主として海食、何食によつて生成された自然の急傾斜面の一部が豪雨や地震の影響で滑落する現象で、滑落土塊の厚さは二メートル以下が普通である。 「3」 ほとんど前駆現象(き裂の発生、地盤の明瞭な変形など)が認められない間に一時に滑落する現象である。
以上のことを参酌すれば、原判決において認定している、昭和四一年七月一六日から昭和四三年六月一九日までの約二年間に、本件国道附近で発生した雨量が原因と思われる土砂崩落六例は、崩落推定土量四・五立方メートルの落石および法面の小崩壊に類するもの、および崩落推定土量六九六立方メートルのがけくずれに類するもの程度であり、また各事例毎の降雨量も、それぞれまちまちであることからし
て、本件土石流の発生の規模、機構、素因、誘因と質的に同一視することは絶対にできないことがらであるといわざるを得ない。
(二) 次に、控訴人らは、「土石流の発生原因を知ることができるのであるから、これを予め知ることができる以上、土石流発生の危険性を予見できるというべきである。」と主張する。
控訴人らの右主張の根拠は、当審で提出された各甲号証によつていると思われるので、以下それぞれ反論する。
(1) 甲第五八号証は、本件事故後の昭和四八年五月三〇日に発行された集中豪雨に関する一般向け解説書であるが、控訴人らは、同証によつて集中豪雨の予測、土石流発生の予測は可能であつて、本件事故当時にあつても、斜面崩壊、土石流による災害の防止は十分可能であつたと主張する(証拠説明書参照)。 同証は、二三六頁以下に記載されている執筆者三名の対談で、その内容が要約されていると考えられるので、これを引用すると、
D3(錬)=―略―日本での集中豪雨が、そのようなメソスケールの現象で起るのだということは、そのころはまだわかつていない。諌早の豪雨でメソ低気圧が見出され、四三年から始まつた特別研究によつて、さらに確められたわけです(二四二頁)。
D3(錬)=―略―いわゆるポイント予報は現在できない。では、これから五年以内に局地的な豪雨の予報則を作れといつても、正直な話、私はできないだろうと思います。では一〇年ならどうかというと、一〇年でも非常に困難ではないかと思います。
ただいえるのは、かなり広い地域について豪雨の可能性を予測する、いわゆる″ポテンシヤル予報″このほうは、去年四七年に割合に進歩しました(二四四頁)。 D1=壊災害については、学問的な研究は徐々に進んでいるけれども、まだその成果は発表されていない。極端にいえば字問があつてもなくても同じではないかという段階に近いような気持ちさえします(二四九頁)。
D1=―略―まず住民の安全ということが一番大切です。その安全なところという抽象的なことばはいいのだけれども、本当にどこが安全かという問いに答えようと思うと学問・技術を前進させなければしかたない面は、たくさんあると思うのですが(二七九頁)。
と話されており、このような対談内容から推察すれば、昭和四三年本件事故当時、集中豪雨の予測や、土石流発生の予測が可能であり、防止対策も可能であつたと主張する根拠はどこにあるのだろうか。
(2) 甲第五九号証は、前記第二においても説明したところであるが、昭和四二年七月豪雨による六甲山系の崩壊と、同年八月羽越豪雨に伴なう崩壊とを対比させ、地形的特性を明らかにしょうとした論文である。両地域は、地質的に、両地域とも花崗岩風化地帯であることに注目すべきであり、本研究を本件沢にあてはめ、本件土石流の発生の予知に対して、直ちに、応用することは非常に難しい。 また、本論文によつても、土石流発生の機構や発生の予知が明らかになつていたとは考え難い。
(3) 甲第六〇号証は、すでに述べたように、乙第二〇号証と内容的には同じであつて、この論文においても、最後の結びの項において「以上各項において、土石流災害に対するいろいろな観点から、現地調査の実状が報告されているが、既存の専門分野別の考察ではとうてい土石流の実態は把握し難くー中略ー本質的には、土石流の実態を現地調査にもとづいて総合的に究明してゆく研究体制の歴史が浅く、充分な成果が上つていないことを反省し、……」と記載されている。 このことがらみても、控訴人らがいう土石流の実態か明らかになつた(証拠説明書参照)とはいい難い。
(4) 甲第六一号証は、京都大字研究所要覧であつて、地形土壌災害や、地すべりおよび災害気象を研究する部門が置かれていることが記載されているにすぎない。
(5) 甲第六二号証は、昭和二三年一月に創刊された雑誌「新砂防」である。 この論文では、山津波や土石流について、一般論的概念を述べたものであつて、治水・砂防工学の分野でも、具体的な土石流抑制・抑止・予知等を示す基準として一般化していたとは考えられない。
(6) 甲第六三号証は、前記雑誌「新砂防」に発表された土石流等に関する基礎的、実験的、実務的、調査資料の分析等の各専門分野の立場から研究された論文の標題集であるが、これをもつて土石流の実態や抑止工法、予知方法が解明されて
いたとは考えられない。
(7) 甲第六六号証は、前記雑誌「新砂防」八九号(昭和四八年一一月号)である。この論文は、建設省砂防課が昭和四七年度緊急砂防事業の申請の際に土砂害実態調査として調査したもの及び昭和四六年度の緊急砂防事業も含めて、一七八溪流例の資料をまとめて解析したものである。
控訴人らは、この論文の表1によれば岐阜県下では土石流が多く発生していること、時間雨量が三〇ミリメートルを超えると、岐阜県下では土石流発生の危険が増大することを知り得ることが明らかである(証拠説明書参照)と主張している。 しかしながら、この調査は、昭和四七年と昭和四六年の一部というわずかな期間での実態調査であつて、もし、過去五カ年間とか一〇ケ年間とかの調査を行ない得たとすれば、はたして岐阜県下が特に土石流の発生が多いといえるかは、まことに疑わしい。
(8) 甲第七五号証の五は「水災害の科学」という書物の中で、原審証人A1が担当執筆した土石流についての項である。
控訴人らは、この四五二頁土石流の予知の記述内容と、原審証人A1の証言及び乙第一三号証の意見書とが明らかに相違していると指摘する(証拠説明書参照)。 ここで、さきに述べた甲第六六号証表1の一七八例(溪流数)をもう一度検討するに、各県別に土石流発生までの総雨量を整理すれば、次表のとおりとなる。<記載内容は末尾18添付>
この表でもわかるように、土石流を発生せしめた降雨量は、最小値で六五ミリメートル、最大値で七八二ミリメートルと非常に広い範囲を示している。 すなわち、「土石流を発生させるにいたる降雨量は、土石流の性質によつて、ことなり、一概にいえない」のであつて、一般論的に花崗岩の風化地帯のマサ土とか、火山堆積物のシラスなどの非常に水に弱い特殊な地帯のことを考慮すれば、「連続降雨量一〇〇ミリメートル程度」という表現もまた妥当なところである。 (9) 甲第八〇号証の三は、昭和四七年一一月号の雑誌「施工技術」に掲載された『集中豪雨と土砂災害を語る座談会』の記録である。
この座談会では、各方面の専門家が学問的・技術的に意見を交換し、将来の研究方向を示唆したものにすぎず、これをもつて、集中豪雨の予見と、土石流、がけくずれ等による被災を防止することが可能であることが明らかにされている(証拠説明書参照)という控訴人らの主張は、当を得ていない。
(10) 甲第八〇号証の四は、前記雑誌に掲載された「集中豪雨とマサ土斜面の崩壊」という論文であり、マサ土という特殊土質地域について(広島市附近)の斜面崩壊を論じた論文である。
ここでわかることは、甲第五八号証一六八頁の図IV―4はマサ土という特殊な土質条件で作成された図表であることである。マサ土は、花崗岩の風化したもので、一般に水に対しては浸食されやすく、崩壊を起こしやすいとされている。 (11) 甲第八〇号証六は、前記雑誌「施工技術」昭和四七年一一月号に掲載された昭和四一年九月山梨県足和田村に発生した土石流について、地質と崩壊と土石流の関係を研究して、土石流に対する一つの考え方を述べようとした論文である。
これには、結びの填で「土石流の発生を防止することはできない。局部的な砂防堰堤の設置は土石流を大きくしないという消極的な効果しかないことを知る必要がある。」とのべている。
(12) その他の甲号証においても、それぞれの分野から研究された水準の高い論文であるが、集中豪雨による土石流発生の機構や予知を、またその防止対策を明快に結論づけた論文は見当たらない。
したがつて、控訴人らの前記主張は、学問的裏付けのないばくとした主張であり、まして、本件事故当時において、道路の設置や管理の暇疵を主張することは全く当を得ないものと思われる。
(三) さらに、控訴人らは、道路の災害対策として土石流を考える場合、具体的な予見ができなくてもさしつかえなく、「崩落や土石流発生のための必要条件のいくつか(主として地形的条件)はわかつており、崩落や土石流発生の危険が大きい箇所を、予め指摘することはできる」ということだけで十分であるとする。 そもそも、土砂崩落や土石流の発生には、素因と誘因とがあり、素因とは地質、地形、土壌、森林等の形態であり、誘因とは気象、地震、火山活動、人為等の状態である。これらの事象が複雑に混合して発生するものとすれば、それを予測することは至難の業であるといわざるを得ない。このことについでは原審における専門学
者の証言および意見書を総合判断すれば明白なことである。
(四) 以上記述してきたように、土石流に関する研究は、本件事故以前から研究されていたことは事実である。特に、数年前からは、学会においても重要な研究テーマに指定され、積極的に研究されだしたことも、これらの論文が数多く発表されるようになつたことからして、また事実である。
しかしながら、現在の科学水準において土石流の発生機構については、「ある程度急峻な溪谷に沿つて、大量の土や石が堆積しており、豪雨によつて多量の水が集中するときに発生する。」という程度しか解明されておらず、その予知についではほぼ一〇度以上の勾配の溪谷で、多量の土石が堆積していると、一〇〇ミリメートル程度の雨量で発生するおそれがあるという程度にしか判明していない。 しかし、そのような谷は、わが国のほとんどの谷がそれに該当するのであつて、そのすべてについて防災工事を施すことは、甲第五八号証二〇六頁および証人D1の証言でもわかるように、河川の中、下流部における河床の低下に伴なう堤防の沈下、河川流出土砂の減少による海岸の浸食など下流部での大災害にもなりかねないし、これらに起因する農業・工業・水道など集水口の問題、水産業に対する影響などがあつて非現実的であるという意味において、予知不可能な不可抗力的自然現象である。
4 本件土石流について
(一) 本件沢に則していつても、勾配三〇度から四〇度は、谷としてごく一般的な条件であり、土石の堆積状況も何ら特異条件を示していない。本件事故当夜の集中豪雨で本件沢の隣の沢(六三・八五㎞地点)とは流域面積、溪床勾配、頂上附近の植生状況(航空写真で判定すると本件沢と同じ頂上尾根となつていることがわかる。)、溪流土砂の堆積状況およびその地質等、土石流を発生せしめる条件がほとんど質的に同一でありながら、本件沢で土石流が発生して、なぜ隣の沢で発生しなかつたのだろうか。
いい換えれば、土石流の発生は、地形・地質等外的な形状だけでは、具体的な予知に結びつかないのであつて、「ほんとうにわからない。」というのが実情である。
すなわち、本件事故は、現代科学水準ではとうてい予知不可能な土石流によつてひき起こされたものといわざるを得ない。
たとえ百歩譲つて、本件沢について土石流の危険があるという程度の予測ができたとしても、前述のごとく、その防災工法はない。低ダム群工法も、かえつて不安定な土砂を生産し、溪流の荒廃を促して実践的でないと考えられる。 (二) A1作成の意見書(乙第一三号証)およびその原審における証言によれば、本件沢について、「風化の進んだ沢、長年にわたつて土石が堆積しているところ、雨のよく降るところ、こういう条件のところが日本中いつぱいある。だからそれだけで土石流が起りますよ、という判定にはならない。」とし、 証人D6の原審における証言によれば
「1」 本件沢およびその周辺に分布している断層は、日本の古生層で構成されている地域の平均的な数に比較して決して多いとはいえない。
「2」 これらの断層は、一億年ないし六千万年前にできた古いもので、その断層部分は右の長い年月を経て再堅化しており、わが国にある多数の他の沢に比べて、地質的に特に脆い沢であるとは認められない。
としている。
本件沢が、地形的・地質的条件から高度の学問的水準をもつて観察したにかかわらず、わが国山岳部の沢と比べて、何ら特別に変つた要素をもつた沢でないことは明らかであり、控訴人らが主張するように、崩落や土石流発生の危険が大きい箇所を予め指摘するには、「地形的条件」のみで十分であるとすることは、いかに茫漠とした議論であるかが窺われる。
四 防護施設について
1 防護施設の種類と意味
控訴人らは、「土石流発生の危険があればこそ、防護施設が設置されるのであつて、もし予見可能性がないとすれば、本件事故後、本件沢以外の沢でも実施されている堰堤の築造等はまことに無意味である。」と主張する。
前項までにおいて、土石流と山くずれ、がけくずれとの根本的な相違が如何なるものであるかを論じ、さらに、本件土石流が現在の科学水準をもつてしても、予見不可能な事象であることを主張してきた。
この意味において、現在実施されている防護施設は、それぞれの事象に対応した
工法が採用されているのであつて、全く無意味なものではない。
以下順次、各工法および標準的な考え方を記述する。
「1」 ストンガード類
比較的緩斜面における落石、小崩壊に対応する工法であり、落石エネルギーは、斜面垂直高と落石重量で決まるが、通常落石崩土が斜面を転滑してくるものと想定している。
「2」 ロツクネツト類
比較的急斜面の落石、小崩壊に対応するもので、覆式とポケツト式があり、斜面を転滑してくる落石、崩土に対応するものである。
「3」 洞門および落石シエート類
比較的中規模な崩落土および落石に対応するもので、鋼構造のものとコンクリート構造のもの等がある。設計荷重としては、地形、地質等の条件によりさまざまであるが、斜面転滑の他に通常予想される直撃荷重およびなだれ荷重も考慮される場合が多い。
「4」 植生工
雨水の浸食防止、凍上崩落の抑制、緑化による降雨流出量の調整をするものであり、地形、地質、勾配により経験的にさまざまな方法がある。
「5」 モルタル吹付工
切取岩盤面の風化防止、節理等の亀裂面からのはく離防止工。
「6」 石積み、法枠等
風化、浸食の防止、表面部の崩落抑制であり、力学的に土圧の働く場所に設け、小規模な滑りを止める工法である。
「7」 堰堤
小溪流の溪床土砂の流出防止、間接的には床溪勾配の安定に役立つが、土石流のような大規模な事象に対応したものではない。
2 土石流等の防止について
通常斜面崩壊等による災害には、原因によつて直接災害と間接災害があるといわれている。直接災害とは、「地すべり」、「法くずれ」、「がけくずれ」、「落石」等の斜面が直接崩壊することによつて災害を発生せしめるものであり、間接災害とは、「土石流」、「土砂流」、「鉄砲水」等により、沢、河川の下流部に被害をもたらすものである。
したがつて、間接災害に類する被害を未然に防止する手段は、災害が発生する場所、規模等が何処で、どのような状態で起こるかを予測することが至難である以上、防護施設の場所、構造等を決めることもまた至難といわざるを得ない。 本件事故以前および本件事故後に設置した防護施設も、各工法の適用範囲が示すように、一応斜面の直接崩壊に対してでき得るかぎりの叡智をもつて対処しているものであつて、土石流のような発生の予知が不可能で、また、対応工法も至難な事象に対応したものではない。
D10氏の意見書(乙第一四号証)においても、今回の土石流に対しては、土砂流出を防止することはできなかつたものと推定されるとし、また、現在設置されている構造物の意味については、現状において、なお不安定な溪岸、および上部崩壊地など、土砂生産源が存在するので、これらの流出を防止するため有効適切な工法であるとしている。
以上のことを要約すれば、現在実施されている防護施設は、通常予想される範囲内の気象等の条件により、生起する自然事象がもたらすであろう道路の障害を防止するものとして、つまり道路の通常の安全性を保たしめるものとして意味があり、複雑な自然現象の複合事象にでき得るかぎりの叡智をもつて対処しているものである。
五 管理態勢
原判決は、管理の態勢は不完全であつたとし、事故後改善されている程度の管理態勢をもつてしても、本件事故の発止を未然に回避できたと認定したうえ、被告の主張を斥けた。
そこで、管理の態勢を検討する。
1 本件事故当夜の降雨の把握と管理態勢
集中豪雨が発生する具体的な場所、時期、雨量等についての気象予報か、現在の予報技術で可能であるかどうかであるが、局地的に短時間に出現し消滅する現象がどのような状態のとき発生し発達するかは、現在のところそれほど明確に解明されていないのが実状で、いまだ研究途上のものである。

本件事故当夜二〇時発表の雷雨注意報にしてもきわめて広汎な予報であり、かつ、一般的には雷雨が起こつて落雷のおそれがある場合に出される注意報であつた。原審証人D5(岐阜地方気象台)によれば、「これは落雷を伴つて被害が起ることを予想される場合に発表するわけです。」と証言しており、落雷に対する注意を喚起したものであつたのである。道路管理者が、この雷雨注意報をもつて、爾後において急速に発達し、本件当夜の災害をもたらした集中豪雨にまで進展することを、予測し得るものではない。
このように、特に大雨をその内容とする予報ではなく、まして美濃加茂国道維持出張所附近ではほとんど降雨がなかつたのであるから、その後二二時三〇分に発令された大雨警報が、同出張所に通報されるまでの間、同出張所が本件集中豪雨を予測しこれに対処する措置を講じなかつたのは、前叙の経緯に照らし当然といえるのである。
集中豪雨の特性は、短時間に発生、発達し、あるいは、消滅するなどきわめて移動性の激しい現象で、ときとして時間の経過なく出現するものであり、道路管理者がかかる現象を把握した時点では、もはや交通規制の時期を経過するのであつて、この場合における交通規制はきわめて困難である。このことからしても、原判決において道路管理者が、性能の高い雨量計を多数配置し降雨状況の把握に万全を期すべきであるとすることは、現実にはほとんど意味をなさないものである。道路管理者にかかる局地的、かつ、短時間に現出する異常な降雨現象を予測し、あるいは、的確に把握しこれに対処する交通規制の実施を要求することは至難な業であり、道路管理者に不能を強いるものである。
本件事故当夜の交通規制および事故後降雨量による事前交通規制の制度が実施された経緯ならびにこの制度が本件事故当時的確に運用されたものと想定した場合については、原審で詳論したが、交通規制の基準連続雨量の決定にあたつては、過去の土砂崩落事例を参考としたものの、これらの崩落事例は統計的にも降雨との相関関係はきわめて把握し難く、当面他に依るべき基準がないので、降雨が土砂崩落の一要因であることに鑑み、連続雨量のみを一応の目安として八〇ミリメートルを想定し、雨量による事前交通規制を実施したものである。
ところで、原判決はこの規制雨量の把握について「数多くのテレメーターをきめ細く適切に設置すべきである」と判示しているが、交通規制基準雨量が一応の目安のうえに想定されているのであれば、これを運用するテレメーターの設置位置も、マクロ的に決められた規制雨量を把握するに必要な限度で設置せざるを得ない。 ちなみに、雨量観測所の設置間隔は、気象台の観測網では五ケ年計画の完了時期である昭和五一年度末で約一七キロメートルごとに一ケ所、河川の観測網(通報観測所)は約一五〇平方キロメートルに一ケ所(D12証人調書二四丁)、となつているのが現状であり、道路管理者の設置する雨量計を前記交通規制基準雨量を決定した経過からしても、通常規制区間に一ケ所が妥当であると考えられる。本件g1橋(五四・七㎞)からi1町k1(八一・六㎞)間の交通規制区間(直線距離一三・〇㎞)では、雨量計設置上の立地および道路条件を勘案し、ほぼ中間地点の六二・四㎞地点が選定されるのは当然とされなければならない。
以上のことからして、原判決においてg1観測所附近に雨量計を設置すべきであるとしていることも、道路管理の常識としてとうてい承服し難いものである。 なお、本件交通規制区間では、現在実質的にg1橋(五四・七㎞)からL1石油店前(六六・〇㎞)と、h1駅前(六七・二㎞)からi1町k1(八一・六㎞)間の二ケ所に分割し、交通規制を実施している実状に鑑み、仮にそれぞれの中間部にテレメーターが設置されたと想定してみよう。
その場合、h1駅前(六七・二㎞)からi1町k1(八一・六㎞)間においでは、直線距離約七・五キロメートルのほぼ中間地点の七四㎞地点附近にテレメーターの設置が予定されるのであり、この交通規制区間のテレメーターの位置に最も接近する当夜の雨量記録として現存するものは、同テレメーターの位置から直線距離北方約一・五キロメートルの中部電力a2堰堤観測所(七七・〇㎞)となるから、原審で主張したように出張所が基準雨量を超えたことを確認できたのは、一八日零時であるとしか想定できない。
また、原判決は、関係諸機関との連絡を密にして降雨状況の把握に万全を期す旨判示したが、岐阜地方気象台および中部地方建設局河川部に集中される雨量観測結果の通報態勢は、本件事故当時飛騨川流域の本件国道沿線g1橋(五四・七㎞)からi1町は(八一・六㎞)間の交通規制区間において、前記機関の用量通報観測所は一ケ所も存存せず、山間を隔てたz1(建設省民間委託観測所)およびo1(気
象庁所属民間委託観測所)の両観測所があるにすぎなかつたのである(甲第三八号証二五~二九頁、ただし、h1観測所は昭和四四年五月一四日新設)。 道路管理者が仮に本件事故当夜前記観測所の雨量記録を入手し得たと想定しても、両観測所が連続雨量八〇ミリメートルを記録した時間は、z1観測所(甲第三八号証七九頁)で一八日零時の八六・五ミリメートルと、o1観測所で一八日の二時における一一五ミリメートル(乙第七号証)の時点となるのである。 2 交通規制について
(一) 異常気象時における交通規制は、物理的には通行が不能でないのに、道路交通の危険を事前に防止するために行なわれる予防的なものであるから、一方においては道路利用者に多大の不便を強いることになる。
したがつて、道路管理者が行なう交通規制は、利用者に不便を強いるに足るだけの合理的かつ統一的な基準によらねばならないが、降雨などの気象条件と斜面崩壊などの危険現象の発生との間の定量的相関について、科学的成果が与えられない限り、その合理的な運用は本来非常に至難な業なのである。
現在斜面崩壊の発生機構について、科学的成果として先行降雨と短時間ピーク降雨が関係するらしいことが一部で提唱されているが、規制雨量を策定するについて、どの程度以前の先行降雨まで考慮するか、ピーク降雨後どの時点で解除するのか等について、何らの定量的資料は与えられていない。
(二) 乙第二二号証は、土木研究会発行「土木技術資料」の昭和四八年三月号に掲載された「斜面の崩壊と問題点」という論文である。
この論文によると、
「1」 雨量観測の精度(局地豪雨が非常に多い。)、連続雨量の定義(降雨の中断に対する考え方)が不明確なことが多く、実際の運用に困ることになる。 このような処置がうまく行ない得たとしても、いつ規制解除を行なうかということが問題として残つてくる。
「2」 崩壊現象は降雨時だけに起こるものではなく、降雨後数日間にわたつて危険が内蔵されている。
さらに、落石などの特殊な場合は、雨天よりむしろ晴天時にたびたび起こり、雨量条件だけでは決められない。
「3」 「安全を確認した後、すみやかに解除を行う」ということは、何をもつて「安全である」とするかについての技術的判断基準は明示されていないし、また、簡単に作成できるとは思われない。
「4」 災害の発生の度に、施工現場、維持管理の担当者が何かと批判され勝ちである。技術水準を上げるべき責任ある研究者グループが、明確な基準を示し得ないことは、まことに申し訳ないと思つている。
などと記述されている。
(三) 右のような科学水準の状況の中では、一方において道路利用者の安全はもとより最大の要請であるにしても、他方において道路が国民の日常生活の基盤をなす不可欠の施設であり、ことに山岳地域においては、代替性のないものであるから、できる限りの手段を尽くして交通規制をしないで通行を確保することも道路管理者の責務であつて、両者の調和点が問題なのである。
例えば、長期にわたる降雨が続く梅雨期などの場合に、二日も三日も道路の使用を禁止することは、沿道住民の食糧供給、医療衛生、災害対策活動、通学、通勤などのもろもろの生活活動に大打撃を与えることになりかねないからである。したがつて、斜面崩壊や土石流の発生に先行降雨が関係すると定性的にはいい得たとしても、いつの時点から交通規制を始め、いつの時点に解除するかの判断決定に当たつては、実務的に非常に困難な作業となるわけである。
このように、どのような基準で交通規制をすれば安全であるかの科学的策定が得られないのであるが、この場合、控訴人らが主張するように、道路の安全性の要請にすべてを譲り、わずかの降雨でもその度に交通規制をすることは、道路管理者として、これ程た易すいことはないが、規制基準を低く決定することだけが問題の解決ではないのであつて、交通規制によりひき起こされる国民生活の混乱との調和点をどこに見付けるかが、道路管理者に課せられた責務である。
この調和点の策定について科学的成果の与えられていないという状況は、本件事故前も事故後も変わりがないのであつて、そのような状況においては、道路管理者が仮に科学的根拠が不明確であつても、あえて安全第一の見地から交通規制を行なうかどうかは、その時代の世論に裏付けを得てはじめてなし得るものといわざるを得ない。

現行の雨量による交通規制を全国いつせいに採用したのは、紛れもなく本件飛騨川事故を契機にした世論の動向に対処したものなのである。
すなわち、本件国道においても、本件事故直後試行的に連続雨量六〇ミリメートルで通行注意、八〇ミリメートルで通行止めとして始められたが、その後の運用実績から、昭和四七年になつて、前記雨量基準は八〇ミリメートルで通行注意、一二〇ミリメートルで通行止め、さらに昭和四八年になつて、j1地区の一部につき通行注意一五〇ミリメートル、通行止め二〇〇ミリメートルと改訂し、防災施設と調整しながら、漸次国民の不便を軽減する方向への不断の検討を続けているというのが実情である。
本件事故前までは、異常気象時においては、沿線地域の防災や避難のために、できるだけの手段を尽くして道路機能を維持することこそ道路管理者の責務と考えられていたのである。
(四) 以上のように、現在時点における交通規制の実施基準も概括的な一応のものであるし、本件事故当時においては、事前の交通規制は必ずしも合理的施策と考えられていなかつたのであるから、本件事故以前に交通規制の要領が定められていなかつたことや、本件事故当夜交通規制を行なわなかつたことをもつて、道路管理の瑕疵としたり、まして本件事故直後の規制基準をもつて、道路管理のあるべき客観的水準を決め込むことは明らかに誤りであるといわざるを得ない。 3 現行交通規制の仮定適用について
現行の交通規制を当夜実施したとしても、本件事故は免れなかつたものである。 (一) 本件事故当夜の降雨は集中豪雨の特性を遺憾なく示すものであつた。 集中豪雨は、ごく限られた狭い地域に、かつ、限られた短い時間に大量の雨が降る現象であるが、ごくわずかの時間に発生・発達して、消滅し、その移動性が激しく、その移動方向もまつたく不規則なものである。そして、その発生機構自体もいまだ解明されていない研究途上のものであつて、現在の気象予報技術でも、相当の広い地域にその可能性を予測するいわゆるポテンシセル予報の域を出ないのが現状である。このことは、気象専門家の当審証人D3、D4各証言によつても明らかである。
これに対し、通常の低気圧や前線性の降雨現象は、気流の動きはゆつくりしたもので、広範囲にわたり、かつ時間的経過を伴つて、降雨の現象が現れるものである。
そもそも、降雨による事前交通規制が有効となるのは、いわゆる通常の低気圧や前線性の降雨のような降雨量の累積が時間的経過を伴う場合である。 本件事故当夜のg1橋からh1附近の降雨の状況につき、原審証人B2は、「g1橋附近から突如ものすごい雷鳴と豪雨の中に突人した……豪雨の中での自分の世界というものが、ほんの極限された部分にしか感じられなかつた……」等当時の状況を証言し、また、原審証人近藤(a1町消防副団長)は、「雨水が雨樋へ入つて落ちるという観念を破り、瓦屋根の溝を直立に道路までぶつたぎるぐらいの雨量でした」と証言している。
事実、この附近の降雨資料の二三時から二四時の一時間降雨量は、f1観測所では七八ミリメートル、z1観測所では一〇〇ミリメートルを記録している。 しかるに、a2観測所ではわずか二八ミリメートルが記録されているにとどまるのであつて、集中豪雨の局地性を如実に示すものである。また、当夜の集中豪雨は、前記資料により明らかなとおり、降り始めてからきわめて短時間のうちにピークに達するものであつた。
したがつて、交通規制の時点で規制区間内にある車輌は脱出のいとまがないうちに崩壊の直撃の危険に遭遇するか、あるいは進路と退路を断たれて危険区域に閉じ込められることになつたであろう。
当夜の場合、仮に交通規制が実施されても、まつたく効を奏しなかつたことは、次の事実によつても明らかである。
すなわち、l1橋・k1間において、仮に原判決のいうように、一七日二三時をもつて交通規制雨量に達したとして、右区間で直ちに交通規制を行なつたとしても、その直後の二三時〇五分に七八・〇㎞地点および七八・四五㎞地点で土砂流出が発生しており、この区間内にある通行車輌は、土砂流の直撃を受けることも想定される。
また、g1橋・l1橋の間において、二四時に交通規制雨量に達したとし、交通規制を右区間で実施したとしても、その直後の一八日零時一〇分には六四・一七㎞地点で土砂崩落が起こつているのである。

当夜の集中豪雨の場合は、交通規制をしたとしても、規制区間内の車輌が脱出のいとまがないうちに、崩落の危険にさらされることになるのである。 これを本件バス集団についていえば、仮に零時の時点で交通規制をしたとして、この時すでに規制区間内に入つていたのであつて、その脱出途上、本件現場附近において、進路と退路を断たれたことには変わりがないのである。
(二) そのうえ、当夜の降雨は局地的集中性の特性を遺憾なく示すものであつたから、現行のテレメーターをもつてしても当夜何時に交通規制雨量を把握できたかは全く不確定の想定にすぎない。
ところで、原判決はg1観測所(八一・三㎞)附近の当夜の降雨資料をもつて、l1橋からk1間で交通規制をすべきであつたというが、その地点は、右規制区間の北端であつて、その附近にテレメーターの設置を期待することは安易な結果論にすぎず、道路管理の実務の立場からしてとうてい承服できない机上の議論である。 集中豪雨災害に備えてテレメーターを設置するにしても、集中豪雨は、きわめて移動性の激しい現象であるから、具体的にどのような場所にどのような密度で設置するかを策定することすら困難であり、交通規制の実務から非現実的なことである。
また原判決は、l1橋からk1間を二三時に交通規制し、l1橋で北進車輌に対する交通止めを実施していれば、本件バス集団は反転し、六五・二五㎞および六四・一七㎞の各地点の崩落以前に無事通過して南下できたとするが、右区間で交通規制をしなかつたことと、六五・二五㎞や六四・一七㎞各地点の崩落前にそこを通過できたこととの間には、本件バス集団が必ず反転したかどうかは不確定なことなのであるから相当因果関係はない。
(三) g1橋からl1橋間の交通規制について、仮に零時に右区間で交通規制雨量に達したことが現行テレメーターでカウント送信された場合において、この前後の時点で想定される具体的な現地の状況の中で、道路管理者はどのように行動を展開し、それに要した時間がどのようなものであつたかなどについて検討することにする。
当夜、美濃加茂国道維持出張所へは、二三時二五分にd1地内の土砂崩落の情報がg2警察署からもたらされたが、この情報では特に土砂崩落の具体的場所とその規模が不明であつたのであるから、当夜の場合と同様その情況確認のためパトロール員が現地に急きよ派遣されたであろう。
その間、出張所に動員された職員は、パトロール員からの状況報告を待ち、あるいは警察、役場等へ積極的に情報照会をしながら、不安のまま待機を続けることになつたであろう。
さて、一方a1町附近はこのころ、折からの激しい豪雨と、とどろく雷鳴と雷光が絶え間なく、折しもa1の異常な増水などがあつて、a1と飛騨川の合流点に位置するこの山間の小さな町の住民は洪水の危険におびえ、不安と恐怖のさなかにあつたのである。このため、a1町消防団では、非常事態に対処するため、団員の緊急召集がなされ、水没家屋の救出など洪水に対する警戒対策に追われるなどきわめて混乱した状態になつていたのである。
このような状態の中で、出張所は、二四時すぎテレメーターで雨量が規制雨量に達したことを知ることになる。ところでこの降雨は、集中豪雨の特性を強度に示し、急激に上昇ピークをたどつたものであつた。そして、一方a1地域は、a1と飛騨川の合流点に位置し、両川の水位の急激な上昇も当然考えられ、その状況いかんによつては、a1地域の国道上は路上冠水による車輌流出の危険が当然心配されたであろう。そこで、l1橋・g1橋間を交通止めにして、a1地域の国道上に車輌の停滞を余儀なくさせるには、a1地域の河川水位の現況および今後の見込みについてその確認の措置を欠かすことはできなかつたと思われる。
これらの情報収集や、その検討を経て、l1橋・g1橋間の交通止めの実施に踏み切るまでに、どれくらいの時間を費したものか、全く不確定なことであつて、とうてい想定できることではない。
さらに、g1橋・l1橋間の通行止めをB型情報板で表示する場合に、g1橋附近居住のモニターとl1橋東詰附近居住のモニターL1石油店に電話で板面表示の操作を依頼することとなるが、どちらの道路モニターへ先に指示するかは想定の限りでない。百歩譲つて、最初にL1石油店のモニターに電話したものと仮定しよう。
「1」 電話でモニターを呼び起こす(これにどのくらいの時間を費したか想定できない。)。

「2」 附近の降雨量、道路状況を確認させて報告させる。
「3」 道路管理者は、モニターの報告に基づき、状況分析を進め交通規制の必要性を即決する。
「4」 B型情報板の標示内容を伝達する。この場合誤達のないようモニターは必ず伝達簿に記入する取扱いである。
「5」 さらに記入された標示内容は伝達の正確を期するため必ず復唱して間違いのないことを確認し合う取扱いである。
「6」 モニターはその後、着替え、雨具の着用など身支度を行なつたうえ、操作鍵、懐中電灯などをととのえ、豪雨、雷鳴のさなかを懐中電灯を頼りに情報板まで走行する。
「7」 施錠をはずし、情報板を操作し、三面の情報板を掲げることになる。 「1」から「7」の作業だけで、それが最も順調に進行したとしても、B型情報板の操作を終わるには、最低二〇分を必要とし、異常事態のさなかであることや、モニターが民間人であることなどを考慮に入れれば、どのくらい時間を要したかは全く不確定である。
(四) 原判決は、「交通規制を実施する時期について過去の崩落事例六件と、事故当夜の崩落の四件を対象として連続雨量六〇ないし八〇ミリメートルに達した段階で、交通規制等の措置に出るべきであつた」と判示したが、この雨量は事故後道路管理者が本件事故に鑑み採用した雨量による交通規制基準との関係を、マクロ的に考慮した程度の根拠として首肯し検討するに、雨量の把握に要する観測所の位置は、前記1で述べたごとく相当程度の制約を受けることは避け難いものである。 そこで、想定される雨量観測所は、現行テレメーター(六二・四㎞)と、h1駅前(六七・二㎞)、i1町k1(八一・六㎞)間の想定テレメーター(七四・〇㎞)の二ケ所と、他機関の民間委託雨量観測所のz1およびo1の両観測所の都合四ケ所の雨量計が適用されるとして、これらの地点で本件事故当夜a1町d1地内(七八・〇㎞)において土砂崩落が発生(二三時〇五分)し、他機関のa1警察官派出所から二三時二五分に美濃加茂国道維持出張所にこの情報がもたらされた時点で、直ちに(現にa1警察官派出所M1巡査部長がl1橋で交通規制を二三時三〇分に実施した)h1駅前からi1町井間の北進する車輌に対し、h1駅前で交通止めを実施したと仮定しても、道路モニター(仮設)への通報、職員の動員などに相当の時間を要し、二三時三〇分に前記M1巡査部長等が行なつたl1橋での北進車輌に対する規制措置には遠く及ばないことは明瞭である。
原審で、L1石油店前のB型情報板により、南下車輌に対する交通止め(規制区間g1橋からh1)の規制に要する所要時間を二〇分程度とした被告の主張に対し、原判決は南下車輌に対する措置に再び二〇分もの時間を要しないと判示したが、前記出張所からL1石油店の道路モニターに対する措置は、零時の時点に初めて行なわれるのであり、同モニターが待機することはあり得ないのであるから、B型情報板の標示に至るまでの所要時間を短縮できるとはとうてい考えられないものである。
仮に、h1駅前で前記a1町d1地内の土砂崩落により、交通規制を二三時三〇分以降において職員を配置して実施したと想定し、同職員に対し出張所から最寄り官公署を通じL1石油店前で南進軍輌の交通規制を指示し、同職員等をL1石油店前に移動させ交通規制措置をとつたとしても、h1駅前の現制箇所は六七・二㎞地点であり、同地点とa1町役場までの距離は約七〇〇メートル、a1警察官派出所までは約七五〇メートル、h1駅前までは約二〇〇メートルの位置となる。さらに、前記交通規制箇所からL1石油店前までの距離は約一、二〇〇メートルあり、出張所の指示が前記官公署を通じh1駅前で交通規制中の職員に伝達され、同職員等がL1石油店前に移動するに要する時間は、その距離的な差からしても、同石油店道路モニターがB型情報板操作に要する所要時間の二〇分を短縮して、交通規制措置をとることはとうていでき得ないことは明らかである。
(五) 以上のとおり、現行の降雨量による事前規制を本件事故当時的確に運用したものと想定して、あらゆる可能な限りの仮定を立ててみても、本件バス集団の南下を阻止できなかつたとする原審における被控訴人の主張は正当であるといわざるを得ない。
なお、本件事故当夜のような急激な気象の変化に対しては、そのすべての場合に、道路管理者が、事前交通規制をもつて、通行車輌の危険回避の措置を講ずることは、不可能を強いるものである。
かかる場合においては、道路本来の機能として、道路利用者の個々の判断によら
ざるを得ないのであり、本件当夜のごとく豪雨の降り続く現場の中にある通行車輌としては、周囲の状況により通行の中止等危険回避の措置の決定を行なうべきである。
道路管理者は、本件集中豪雨を契機として、種々道路の管理態勢の改善を図つたが、本件のごとき集中豪雨に対しては、前述のとおり、いまだなお有効的確な方法、手段を見出すことができないのである。
六 結 語
以上これを要するに、本件国道四一号は、その設置に当たり綿密な調査検討を行ない、道路が通常具備すべき安全性を確保したうえ、供用が開始され、その後においても日々不断の維持管理が行なわれていたのであつて、設置、管理に何ら瑕疵はなかつた。
本件事故を発生せしめた土石流は、現在の科学技術の最高水準をもつてしても予見不可能な、しかも防災工法の見当たらない規模のものであつて、いかんともし難い自然の暴威によるものである。また、これを誘発せしめた集中豪雨は予報不可能なもので、局地的にかつ短時間に集中したものであつたために、現在想定可能ないかなる交通規制をもつてしても、本件事故に回避できなかつたものである。 かかる予見不可能かつ防止不可能な自然現象に起因して発生した本件事故は、まさに道路管理者にとつて不可抗力というべきであり、これらが可能であつたことを前提とする控訴人らの主張は全く理由がない。
なお、被控訴人が本件につき控訴をしなかつたのは、必ずしも原判決を承服したものではないが、遺族をこれ以上不安定な状況に置くのを避けたいという配慮によるものである。
(附帯控訴についての被控訴人の主張)
一 原判決は、控訴人らの本訴請求中、控訴人C1につき二五八万一、六三六円、同C2につき一四八万九、八五四円、同C3につき二六九万二、八二七円を認容したが、右控訴人らは、本件事故を原因として、労働者災害補償保険法(以下、労災保険法という。)に基づき、昭和四三年八月一八日から同四九年一月三一日までの間に、次表記載の各保険給はを受けているので、右各認容額からこれを控除すべきである。
そこで、原判決中右控訴人らの本訴請求を認容する部分は、次表記載の各合計額の範囲において不当であるから、本件附帯控訴に及ぶ次第である。<記載内容は末尾19添付>
ただし、
「1」 遺族年金控除分について
遺族年金の支給額が原判決認定の逸失利益の額を超える場合は、後者の金額に相当する額。
「2」 弁護士費用控除分について
原判決認定の弁護士費用の額と、原判決認定の損害額から労災保険給付額を控除した後の額に原判決算定基準率を乗じた額との差額。
二 なお、右控訴人らは、本件附帯控訴は時機に遅れた防禦方法である旨主張するが、以下に述べるとおり理由がない。
1 労災保険給付は、被控訴人である国の行為によつて亡O8らが被災したということが前提となるわけであるが、国は原審において本件事故は国の行為によつて生じたものではないと一貫して主張していたのであるから、そのような段階において、国が自らの行為によつて被災が生じたということを自陳するような主張を出し得ようもなく、提出すべき筋合のものでもない。原判決が国の責任を一部認めたため、国としては初めて労災保険給付額控除の主張を出す必要に迫られたわけである。
2 また、労災保険給付は口頭弁論終結時までに支給された分を控除し得るから(最判昭和四六・一二・二判例時報六五六号九〇頁参照)、控訴審の最終口頭弁論の段階でこの控除の抗弁を主張することはきわめて当然であり、決して時機に遅れた防禦方法というべき筋合のものではない。
3 前記最高裁判所の判決によれば、すでに支給ずみの労災保険給付額は損害賠償額から控除すべきだとされており、右控訴人らの主張するように、さらにこの点に関し当審において審理を受ける必要はない。
4 労災保険給付額が控除されるとして、過失相殺前の金額から控除するのか、あるいは過失相殺後の金額から控除するのかについては、学説・判例で争われており、さらに控除する労災保険給付額は年金スタート時の支給額を基準とすべきであ
るとの点も法律論であり、これらの点についてさらに事案関係の審理をする必要はなく、審理の遅延を招くものではない。
次に、控除の仕方について、まず遅延損害金に充当し、その後に元本に充当すべきだとの点については、前記最高裁判所の判決によれば、労災保険給付額に相当する額の損害賠償請求権が消滅するのであるから、元本から控除するのが当然である。
以上のとおり、本件附帯控訴につき民訴法一三九条が適用される余地はない。 (附帯控訴についての控訴人C1、同C2、同C3の主張)
一 本件附帯控訴に対する本案前の抗弁
1 本件附帯控訴の目的は、被控訴人が控訴人C1、同C2、同C3に対し支払うべき本件損害賠償額から、右控訴人らが労災保険法により給付を受けた金額分等を控除せよとの抗弁を提出することにある。
2 しかしながら、右抗弁は、時機に遅れた防禦方法であり、民訴法一三九条一項により却下されるべきである。すなわち、
(一) 右抗弁は、原審において二七回、当審において七回の口頭弁論を経た今日、しかも弁論終結に熟した時期に提出されるものであり、著しく時機に遅れたものといわなければならない。
(二) そして、右抗弁は、右の合計三四回にも及ぶ口頭弁論の際、いつでも提出できたものである。原裁判所は、原審における右控訴人らの補充尋問の際、労災保険給付の有無と数額につき、それぞれ補充尋問を行なつている。したがつて、右抗弁提出の遅れは、被控訴人の故意または重大な過失によるということができ、訴訟上の信義則にも悖るというべきである。
(三) また、右抗弁の提出は、昭和四四年一二月一日の訴の提起以来、遅延を重ねてすでに四年四ケ月余りを経過している本件訴訟の完結を、さらに遅延させることになる。
なぜなら、被控訴人は、労災保険法による給付につき、包括的主張はしているが、個々の給付年月日及び金額についての具体的主張を欠いており、そのため改めてこれを釈明・補正しなければならないものであり、そして、被控訴人は、右の給付は右控訴人らの損害の一部を補填するから、当然に本件賠償額から控除すべきであるとの前提に立つが、右控訴人らは、右の給付は労災被害者の遺族に対する生活保障を目的とした福祉的給付であるから、右の控除はなされるべきではないという反論を用意しており、この争点をめぐる論争は、複雑・難解であり、当事者双方に新たな準備が要求されることとなるからである。
(四) 右の給付が本件賠償額から控除されるべきものだとしても、減額処理をした原判決の認定損害額から単純に控除すべきではなく、仮に減額処理が必要であるとして、本件損害総額から右の給付額を控除した後、その残額につき減額処理が行なわれるべきであろうし、逸失利益が本件事故時における収入額を基礎として計算されている以上、これから控除する右の給付額は、スライドされた現実の遺族補償年金額の合計では不合理であり、同年金スタート時の給付額を基礎に計算されたものでなければならないであろう。また、この場合、控除の仕方についても、まず遅延損害賠償金に充当した後、その残額を本件損害賠償債権元本に充当する方法でなされるべきであろう。
被控訴人の右抗弁に対するこれらの多様で複雑な防禦について、右控訴人らからその準備と主張のための時間を奪うことは許されない。
(五) 結局、右抗弁の審理には、さらに数回の口頭弁論を必要とし、その間数ケ月が経過することは明らかである。
二 本件附帯控訴の理由に対する答弁
1 理由一項中、原判決の認容額の点は認めるが、その余は否認する。 2 理由二項は否認する。
第三 証拠(省略)
理 由
第一 本件事故の発生およびその状況ならびに本件事故当夜の集中豪雨による各地の被害状況等
一 本件事故の発生については、当事者間に争いがないこと、原判決理由欄一項に記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
二 本件事故の発生状況については、原判決掲記の各証拠に当審証人D7の証言および当審の検証の結果を加えて検討したところによるも、次に付加・訂正するほかは、原判決理由欄二項に記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
付加・訂正は次のとおりである。
1 原判決イ・7丁表七行目から八行目にかけて、「g1橋(五四・一㎞)」とあるを、「g1橋(五四・二㎞)」と訂正する。
2 原判決イ・7丁裏六行目から七行目にかけて、「当日二三時から二四時までの一時間雨量は、」とある次に、「別紙表Aのとおり、z1(本件事故現場から東北の方向に直線約三キロメートルの距離の三川小学校にある雨量観測所)で七五ミリメートル(成立に争いのない甲第三八号証。なお、同観測所の雨量観測記録としては、成立に争いのない甲第六四号証も提出されているが、形式および内容より検討すると、甲第三八号証によるのが相当であると認める。)、」と加える。 3 原判決イ・13丁裏五行目から七行目にかけて、「以上の作業に約一五分間を要したうえ同崩落地点を通過してさらに南進をつづけた。」とあるを、「以上の作業を終え、約一五分後に同崩落地点を通過して、さらに南進を続けた。」と訂正する。
4 原判決イ・15丁表八行目から九行目にかけて、「その頃の一時間当りの雨量は、」とある次に「別紙表Aのとおり、z1において、零時~一時の間に三五ミリメートル、一時~二時の間に三七ミリメートル、」と加える。
三 本件事故当夜の集中豪雨による各地の被害状況については、成立に争いのない乙第七号証及び第一五号証の一ないし四によれば、原判決理由欄三項に記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
第二 本件国道の概要ならびに管理状況等
一 本件国道の概要(位置・機能・改良工事の経過・交通量)、本件国道を取り巻く自然条件(地形・地質・気象)、本件国道改良後の状況(本件国道上の崩落等・防護施設等)ならびに本件国道管理の担当官署、災害態勢と気象情報、本件事故当夜本件国道関係者の取つた行動、事故後の道路管理における措置については、原判決掲記の各証拠に、当審証人D3、同D1、同D4の各証言および当審の検証の結果を加えて検討したところによるも、次に加除・訂正し、後記二で一部付加するほかは、原判決理由欄五項ならびに六項(原判決ロ・28丁裏六行目に五とあるを六と訂正する。)に記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。 加除・訂正は次のとおりである。
1 原判決イ・34丁(6)項の次に(7)項として、「現在五五・一㎞地点で、飛騨川にせり出した大きな岩盤の山腹を貫いてトンネル工事が行なわれている。同所には、「落石注意」の標識も設置されていないが、道路が急なS型カーブになつているため、出合頭による衝突事故や凍結事故が多かつたので、道路の線形改良が目的である(当審検証調書二二丁以下)。」と加える。
2 原判決ロ・1丁表八行目に、「g1橋(五四・一㎞)」とあるを、「g1橋(五四・二㎞)」と訂正する。
3 原判決ロ・1丁裏四行目から一〇行目にかけて、「この区間を含むg1村b2~g2・益田郡界間約二六キロメートルでは拡幅にあたつては、旧道拡幅を原則とし、まずできるだけ山側へ切り込み旧道(幅員三・五~四・〇メートル)と合せて六・五メートルの暫定幅員を確保しておいてそれから川側に拡幅して八・五メートルの所定幅員を完成するという方法がとられた(甲第四一号証三二頁)。」とあるを、「この区間を含むg1村b2~g2・益田郡界間約二六キロメートルでは、拡幅に当たつては、旧道拡幅を原則とし、標準工法として、まず、河側にコンクリート擁壁または石積擁壁で張り出し、旧道(幅員三・五~四・〇メートル)と合わせて六・五メートルの幅員のほか、路肩一・一メートルを確保しておいて、それから山側に一・六五メートル切り込み、八・五メートルの所定幅員を完成するという方法がとられた(甲第四一号証三二頁ないし三九頁)。」と改める。 4 原判決ロ・5丁裏九行の「飛騨川流域」の前に、「本件事故現場附近以北の」を加える。
5 原判決ロ・5丁裏一一行目の次に、「本件沢でも濃飛流紋岩類の方が古生層よりも浸食に対する抵抗が弱い。」と加える。
6 原判決ロ・14丁表七行目から裏七行目にかけて、「そして、……と考えられる。」とあるまでを削り、その跡に、「そして、第九堰堤の上流にも沢に沿う断層があるかどうかについては、証人D2は、(問)「九号堰堤から上流については流紋岩に生じているわけですか。」(三五六四丁)に対し、(答)「これは流紋岩に生じているかどうかという前に、下に古生層があるわけですから、古生層と流紋岩が同時に断層を受けていると解釈していいんじやないかと思います。」と述べている証言内容によつてうかがわれるように、D2証人自身は前記D6証言にあるよ
うな断層についての具体的な追跡をしたわけではないのであつて、D2証言によつては、いまだ断層があるものとはにわかに認定し難い。また、控訴人らが本件沢において断層だと指摘するその他のものについては、右両証人の証言によつてもこれを断層とも節理とも断定し難いし、飛騨川をはさんで本件沢と対岸(右岸)の谷とが一つの断層でつながつているか否かについては、右両証人の証言及び当審の検証の結果によつてもいずれともにわかに断定し難い。
なお、本件沢の第五堰堤の西寄り左岸で古生層と濃飛流紋岩が重なつている事実に、本件沢の写真であることは当事者間に争いがなく、その余の部分については当審証人D1の証言によつて成立の認められる甲第六八号証、同証言によつて成立の認められる甲第六九号証、原審第一回検証調書第八写真綴写真(4)(5)ならびに同検証調書第二見取図を総合検討すると、控訴人らの指摘するように、本件沢における本来の古生層と濃飛流紋岩類との接点は第五堰堤附近ではないかとも思われるが、この点は以上に認定した断層の有無の判断には直接影響を及ぼさないと考える。」と加える。
7 原判決ロ・20丁裏一〇行目に、「別紙13のとおりである。」とあるを、「別紙13及び別紙表Aのとおりである。」と改める。
8 原判決ロ・22丁表六行目に、「崩落」とあるを、「主な崩落」と訂正する。
9 原判決ロ・22丁表九行目に、「g1橋(五四・一㎞)」とあるを、「g1橋(五四・二㎞)」と訂正する。
10 原判決ロ・24丁裏九行目からロ・25丁表一行目までを削り、その跡に、「右崩壊起点の崩壊ならびに前記第一一堰堤と第一二堰堤間の左岸の崩壊と本件土石流の関係については、崩壊が土石流発生の要因となつたか否かについては、いずれとも断定し難い。」と加える。
11 原判決ロ・25丁表五行目から九行目にかけて、「国道四一号g1橋(五五・一㎞)からh1駅(六六・八㎞)間に設置された防護施設は別紙9の事故前の防護施設一覧表のとおり種子吹付・植生・モルタル吹付・PNC・ストーンガード・石積擁壁よりなるが、」とあるを、「国道四一号g1橋(五四・二㎞)からh1駅(六六・八㎞)間に設置された防護施設は、別紙9の事故前の防護施設一覧表の種子吹付・植生・モルタル吹付・PNC・ストーンガード・石積擁壁ならびに成立に争いのない甲第五号証、当審の検証の結果(検証調書七〇丁以下)によつて認められる金網・石垣(六四・五㎞地点~六四・六㎞地点)よりなるが、」と改める。
12 原判決ロ・28丁表六行目から七行目にかけて、「この沢の附近の他の沢についても同様にスクリーン堰堤と石垣が設けられた。」とあるを、「この沢の附近の他の沢についても、スクリーン堰堤、石垣、ロツクネツト等の防護施設が設けられた。すなわち、六三・八五㎞地点の沢には一ケ所のコンクリート堰堤(当審検証調書5)、六四・六㎞地点の沢(甲第五号証Eの場所、本件事故当夜崩落)には二ケ所のスクリーン堰堤とロツクネツト(原審第二回検証調書第七見取図写真(17)(18)、当審検証調書8の一二)、六四・八二㎞地点の沢(甲第五号証Cの場所、本件事故当夜崩落)には二ケ所のスクリーン堰堤(原審第二回検証調書第八見取図写真(2)、当審検証調書9)、六五・一㎞地点の沢(本件事故当夜崩落)にはロツクネツト(原審第二回検証調書第八見取図写真(4)、当審検証調書8の一一)、六五・二五㎞地点の沢(甲第五号証Aの場所、本件事故当夜崩落)には流路工(原審第二回検証調書第八見取図写真(6)、当審検証調書8の一〇)、七八㎞地点の沢(本件事故当夜崩落)にはコンクリート堰堤(原審第二回検証調書第一一見取図写真(4)、当審検証調書14の二)等である。」と改める。 13 原判決ロ・28丁裏五行目の次に、「ことに、l2トンネル(六二・四㎞)を出た所からh1の町近く(六六㎞)までの間は、随所に拡幅のためにけずられた岩壁が道路に接して切り立ち、そこには低いものは五メートル余、高いものは二〇メートル以上のモルタルを吹き付けて、その上をロツクネツトを張つて覆つてあり、また山すそには石積やストーンガードを設けてあるが、このような箇所が間断なく続いている(原審第二回検証調書第六ないし第八見取図、当審検証調書4の三および8)。」と加える。
14 原判決ロ・46丁表七行目の次に、「なお、i1工区にも本件事故後に警報器付自記雨量計が設置された。」と加える。
15 原判決ハ・12丁表九行目に、「g1橋(五四・一㎞)」とあるを、「g1橋(五四・二㎞)」と訂正する。

16 原判決ハ・45丁表一行目に、「第二回検証第五見取図(10)の写真)、」とある次に、「a1町地内の六六㎞地点(L1石油店前、当審検証調書8の二)と六九・〇七㎞地点(同町c1峡地内、同調書12の三)」と、同七行目に「八月中旬頃」とある次に、「、a1町地内の二つのゲイトは昭和四八年一〇月頃」とそれぞれ加える。
二 右のうち、国道四一号の機能、地形、地質および気象状況ならびに管理担当官署について要点を摘記し、さらに一部付加認定したところを記載すれば、次のとおりである。
1 機能
国道四一号の本件事故現場附近は、もと郡道「a1街道」であつたものが、大正九年に県道に認定され、次いで昭和二八年に二級国道一五五号に、さらに昭和三三年には一級国道四一号に指定されたものであるが、昭和三四年の第二次道路整備五ケ年計画および昭和三六年の第三次道路整備五ケ年計画に基づき改良工事がなされ、昭和四〇年一一月には国道四一号全線の路面改良舗装工事が完成したことにより、国道四一号は、従来と全く面目を一新し、表日本と裏日本を中部山岳地帯を貫通して直結する重要幹線道路として、路線の地域開発および産業活動にも大きな役割を果たしており、バス等を利用して乗鞍岳やj1方面へ向う観光客等の増加も伴い、交通量は飛躍的に増加している。
2 地形・地質
(一) 地形
国道四一号は、濃尾平野・富山平野・高山盆地を除けば、大半は川に沿い、一方の路肩には急傾斜の山腹や岩壁が迫つている。管理担当官署の岐阜国道工事事務所管内では、美濃加茂市より飛騨川に沿うことになるが、g1橋(五四・二㎞)以北はほとんどすべて右のごとき山岳道路である。ことに、本件事故現場を含むg1橋とl1橋(六六・七㎞)との間の飛騨川約一二キロメートルは飛水峡といわれ、深く浸食された河床で知られているが、道路は蛇行する飛騨川に沿つて急峻な山岳のすそを縫うように走つている。
(二) 地質
(1) 本件沢附近を含む飛騨川上流域の地質
チヤート・砂岩・粘板岩からなる古生層が広く発達分布し、その基礎の上に濃飛流紋岩類が堆積している。濃飛流紋岩類は、東濃から飛騨地方へかけて広大に分布する白亜紀火山岩類(複合岩体)の総称として呼ばれ、岐阜県の三分の一以上の面積を占めて露出している。塊状無層理の流紋岩質溶結凝灰岩を主体として構成され、しばしば砂岩・泥岩・凝灰岩、礫岩などから成る陸水成層(飛騨川流域では古生層に由来する崖錐角礫岩「h1層」)を狭有し、花崗斑岩頬の岩株ないし岩脈状迸入岩類を密接にともなつている。本件事故現場附近以北の飛騨川流域は濃飛流紋岩類分布地域の西縁部にあたり、ここでは水底に堆積した凝灰岩層(宇津尾層)を基準として、それより上位のa1流紋岩頬と下位の飛騨川流紋岩類とに大別される。流紋岩類の中でもa1流紋岩類が最も新しい岩層である。
成立に争いのない甲第七六号証の八(五〇一頁)によれば、一般的な意見として、破砕帯や断層線にそう基盤がはげしい〃もめ〃を受けている地帯に山くずれが多いことも広く認められているが、本件沢附近を含む飛騨川上流地域は、濃飛流紋岩類の形成史のところ(原判決引用部分)で見たように、複雑な地質形成と地質構造を持ち、しかも時期を異にする断層運動・火成活動により、各地層の接触部が破砕され、熱変成作用を被つていることは推察される。地質は形成の古いものほど堅く、一般には古生層よりも相対的に濃飛流紋岩類の方が早く浸食されやすい。 (2) 本件沢附近の地質
本件沢附近は、飛騨川上流地域の南端にあたり、古生層の基盤の上にa1流紋岩類が堆積している。本件バス集団が南進をはばまれた六四・一七㎞地点の崩落附近も古生層(粘板岩)の最上部に濃飛流紋岩類が堆積している。
原審(第一回)および当審の各検証の結果によると、本件沢および六四・八二㎞地点の沢における各斜面崩壊箇所の山腹は、濃飛流紋岩の崖錐を含む土砂が堆積していたもので、崩壊の跡には大きな岩盤が露出しており、崩壊箇所の土砂や露出している岩石等はなお不安定で、登り降りするときは土砂や岩石がずり落ちる状態であることが認められる。そして、右事実と右各検証の結果によつて認められる六四・一七㎞地点の崩落箇所の状況から見て、本件事故現場を含む飛騨川上流域の山腹の土質の風化具合および地質状況についてもある程度推認し得るといえよう。 なお、本件沢における古生層と濃飛流紋岩類との接触点が第五堰堤附近かあるい
は第九堰堤附近であるかということと断層については、先に触れたごとく明らかではないので、断層が本件沢の堆積土石の生産に果たす役割の程度も明らかにはし得ないが、右に認定した本件沢の山腹の土質の風化具合および地質状況から見ても、後記認定のように、本件沢の溪谷自体は、決して土石生産の少ない安定したものとはいえないものである。
(3) 本件沢附近より以南の飛騨川流域の地質
成立に争いのない甲第三七号証の一、二によれば、本件沢附近より以南の飛騨川流域の地質は古生層であることが認められる。
3 気象
本件事故現場附近は、飛騨山脈を中心とする中部山岳地帯と濃尾平野とのほぼ中間に位置し、東濃山間部と呼ばれ、わが国でも年間を通じて比較的降雨量の多い地域に属し、特に毎年六月から九月の降雨量がその他の月と比較して著しく、降雨特徴も、山岳地帯の一般に共通する驟雨性のもので、変化が激しくかつ集中豪雨となつて現われることが多い。
なお、岐阜県下の降雨現象としては、多雨の起きることの多い地域は、揖斐川上流域、長良川上流域および牧田川上流域で、東濃山間部はこれらの地域に比べるとそれほど多くはないが、強雨の起きることの多い地域となると、揖斐川上流域と東濃山間部で、両地域とも、一時間降水量三〇ミリメートル以上の降雨が、毎年三回程度の割合で起つている。
4 管理担当官署
本件事故当時には、国道四一号全域が道路法一三条による建設大臣の指定区間に指定され、建設大臣が管理を行なつており、その具体的担当官署は、中部地方建設局の下部機関である岐阜国道工事事務所、同事務所の維持出張所である美濃加茂国道維持出張所及びi1町所在の出張所現場監督員詰所(通称「i1工区」)で、その管理担当区間は、事務所及び出張所が各務原市s1(三八・一㎞)から益田郡j1町t1(一一四・二㎞)までの七六・一キロメートル、i1工区が加茂郡a1町m2(七八㎞)からj1町t1までの三六キロメートルであつた。 第三 責任
控訴人らは、本件事故は本件国道の設置及び管理に瑕疵があつたことによつて生じたものであると主張するので判断する。
ところで、道路の設置または管理に瑕疵があるとは、道路が通常有すべき安全性に欠けていることをいうと解するのが相当であるから、当該道路において通常予測される自然現象(外力)に対し安全性を具備していなければならないものである。したがつて、当該道路に対し交通の安全を阻害する土砂崩落等の災害が発生する危険があり、その危険を通常予測することができる場合には、当該道路の設置または管理に当たり、交通の安全を確保する措置が講じられなければならず、もしこれに欠けるところがあつたために事故が発生したとすれば、設置または管理の瑕疵による責任が生ずることになるから、以下、順次検討することとする。 一 国道四一号の危険性とその危険区間
1 過去の崩落事例及びその原因
(一) 改良工事前
改良工事完成以前の昭和三八年一一月二八日、l2トンネル(六二・四㎞)北側入口附近で、同所を南進中のトラツクに国道東側上方より岩石を含む土砂の落下事故があり、運転手が重傷を負つたが、崩落の原因についでは本件全証拠によるも明らかではない。
(二) 改良工事後
改良工事完成後の昭和四一年七月一六日から本件事故前の昭和四三年六月一九日までの約二年間に、事務所管内国道四一号上において、原判決添付別紙10に記載の八件の崩落があつた。このうち、昭和四二年七月九日a1町e1地内(七九・四㎞)の崩落では、北進する二台の自動車に乗つていた人が国道上の崩落土砂に遭遇し、通行可能か否か降りて現場を見に行つたとき、突然発生した第二次崩落により四人位が生き埋めとなり、死者一名および負傷者二名が出ている。 右八件のうち、別紙表Bの六件は、降雨が直接の原因(誘因)をなしていると認められる。すなわち、成立に争いない甲第五八号証、第九八号証の三(四一三頁)及び当審証人D1の証言(第四回四三丁)に照らすと、崩落(後記のごとく斜面崩壊の一種である)等は先行雨量、連続雨量および時間雨量に関係するとされているが、前記別紙10によれば、これら六件のうち、番号1の昭和四一年七月一六日a1町d1(七八・五㎞地点)の崩落を除く五件は、いずれも先行雨量があり、か
つ、崩落時に降雨があるかまたは降雨がなくとも時間最大降雨量があつたときから一時間あるいは九時間後に発生していること(甲第五八号証一七〇頁によれば、崩落は降雨のピークから数時間あるいは一日位遅れて起こることがあるとされる。)から推察して、降雨が直接の原因(誘因)をなしているといつてさしつかえはないと考える。
なお、前記番号1の件についても、原審第二回検証の結果(第一一見取図写真(7))および当審の検証の結果(検証調書14の四)によれば、同所には沢があることが認められ、右崩落はこの沢からの土砂流出であると思われるので、土量が四・五立方メートルであつたことから見て、当時の降雨量程度でも直接の原因(誘因)となり得るものと考える。
しかし、残りの二件は、崩落時にも崩落前にも降雨がなかつたと認められるので、降雨が直接の原因(誘因)をなしているとは認め難いものである。 2 本件事故当夜の崩落等およびその原因
(一) 崩落等の箇所及び原因
本件事故当夜、事務所管内の国道四一号上で起きた崩落等のうち、主なものは原判決添付別紙7に記載のとおりである。これによると、g1橋(五四・二㎞)からa1町e1(七九㎞)にかけての間に一九ケ所の崩落等があつた。ことに本件事故現場に近接する六三・二五㎞地点と六五・九㎞地点との間約三キロメートルに一四ケ所の崩落等があつたことになり、そして、この間の「落石注意」の標識が設置されていた箇所附近は、例外なく崩落等が起こつている。
右崩落等があつた箇所の六四・六㎞、六四・八二㎞、六五・一㎞、六五・二五㎞、七八㎞の各地点には、前記認定のごとく形状は異なるがそれぞれ沢があり、七八・四五㎞地点にも当審の検証の結果(検証調書14の四)によれば沢があることが認められるもので、本件事故当夜の右各地点における崩落等は、これらの沢からの土砂流出であると思われる。
なお、成立に争いのない乙第二号証によれば、右のほかにも、控訴人らの指摘する五五㎞地点から七八・三㎞地点の間の二三ケ所において、土砂流出や崩落があつたことが認められる。
以上の崩落等は、一七日から一八日にかけて飛騨川流域に降つた集中豪雨が直接の原因(誘因)をなしているものであることは明らかである。
(二) 六四・一七㎞地点の崩落
右(一)の崩落等のうち、本件バス集団が南進をはばまれた六四・一七㎞地点の崩落は、道路山側の急斜面の岩壁が高さ八三・五メートル、幅二三・七メートルにわたつて崩れ落ち、道路上に約七四〇立方メートルの土砂が堆積したものである。これは、長年月の風化と断層によりもろくなつていた古生層(粘板岩)・濃飛流紋岩類およびこれらの風化土から成る表土に、折から急激な豪雨による雨水が浸透した結果発生したものと推定される。
なお、この崩落箇所は、前記1の(二)(原判決添付別紙10)に記載の昭和四三年三月一二日a1町b1(六四・二㎞)の崩落箇所が再度崩落したもので、右三月崩落の時に加えられた防護施設の補強も役立たなかつたものである。 (三) 本件沢の土石流
右(一)の崩落等のうち、本件沢の土石流は、国道から数百メートルという沢の遙か上方二ケ所の急斜面に堆積していた表土が、折からの激しい集中豪雨によつて沢へ向つて崩落し、これとともに、五〇年ないし一〇〇年の年月を経て以前から沢に堆積しており、右のような集中豪雨によつて不安定な状態となつていた三、〇〇〇ないし七、〇〇〇立方メートルという大量の崖錐様堆積物が、秒速約一〇メートルの速さで流出したものである。
3 降雨による崩落等の危険とその区間
右1および2の認定事実によれば、事務所管内の国道四一号には、本件事故前において降雨を直接の原因とする崩落があり、本件事故当夜においても降雨を直接の原因として随所に崩落等が発生したもので、その場所は、本件事故前における崩落も本件事故当夜における崩落等も、いずれにおいても、「1」g1橋(五四・二㎞)からl1橋(六六・七㎞)までの区間と、「2」l1橋からa1町e1(八〇㎞)までの区間に集中しているから、先に認定したごとく国道四一号のg1橋以北の地形・地質・気象等の自然的条件に照らすと、国道四一号は、これら「1」および「2」の区間地域において、集中豪雨などによる相当量の降雨の際には崩落等の発生する危険があつたものである。
二 本件事故当夜の集中豪雨及び崩落等の予測可能性

ところで、前記のごとく、災害をもたらす自然現象(外力)に対し道路の設置または管理の瑕疵を問い得るためには、まず当該自然現象の発生の危険を通常予測できるものであることを要すると解するのが相当であるが、元来、発生するか否か、発生するとしでもその時期・場所・規模等において不確定要素の多い自然現象について、いかなる場合に発生の危険が通常予測できるといえるかが問題となる。 <要旨>思うに、自然現象については、必ずしも学問的にその発生機構が十分解明されているとはいい難いが、自然現象のもたらす災害は、学問的にすべてが解明されなければ防止できないというものではなく、また、そのために防災対策をゆるがせにすることは許されないのであつて、その当時において科学技術の到達した水準に応じて防災の行動をとり得るものであり、防災科学はまさにそのような見地に立つて、自然現象発生の危険性を検討し防災対策を研究する総合的な学問の分野である。そして、道路の設置・管理も当然このような防災科学の見地を取り入れて検討されるべきものである以上、当該自然現象の発生の危険を定量的に表現して、時期・場所・規模等において具体的に予知・予測することは困難であつても、当時の科学的調査・研究の成果として、当該自然現象の発生の危険があるとされる定性的要因が一応判明していて、右要因を満たしていること及び諸般の情況から判断して、その発生の危険が蓋然的に認められる場合であれば、これを通常予測し得るものといつて妨げないと考える。
以下、右の見解により、予測可能性について検討する。
1 集中豪雨について
被控訴人は、本件事故当夜の集中豪雨は、その性状および降雨量において、通常予測し難い異常なものであつたと主張する。
しかして、本件事故当夜の集中豪雨は、先に認定したごとく(原判決引用部分)、特に飛驛川流域および長良川流域に局地的に現れて大きな被害をもたらしたもので、飛驛川流域の降雨量は原判決添付別紙13及び別紙表Aのごときものであつたが、このような性状及び降雨量の集中豪雨は、飛驛川流域において通常予測し得なかつたものであろうか。
(一) そこで、まず、集中豪雨という自然現象について考察する。 (1) 甲第五八号証、乙第七号証、成立に争いない甲第七八号証の三、第一〇〇号証ならびに原審証人D5、当審証人D3、同D4の各証言を総合すると、次のことが認められる。
いわゆる集中豪雨とは、短時間に局地的に非常に多量の雨が集中して降る現象をいい、通常、三、四回の雨量ピークがある。一般に集中豪雨というと、とかく、梅雨前線豪雨を想起し勝ちであるが、必ずしも梅雨前線だけが舞台ではなく、台風のときでもいちじるしい集中豪雨が起きることがある。台風に伴う集中豪雨は台風の動きによつて予報しやすいのに対し、台風に伴わない集中豪雨はいわばゲリラ部隊であつて、いつどこでどんな勢力で襲つてくるか分らない。このような集中豪雨が台風に伴う豪雨災害とはつきり区別して認識されるようになつたのは、昭和三二年七月の諌早豪雨からで、集中豪雨という言葉が始めて用いられたのも、諌早豪雨の翌年である昭和三三年七月一日付の朝日新聞の夕刊記事の記載によるといわれる。そして、昭和三〇年以降、集中豪雨による災害が目立つて増加し、最近の自然現象による災害に関する限り、集中豪雨はその主役の座を奪つた感さえある。しかるに、集中豪雨の発生機構については、昭和四二年七月豪雨と同年八月下旬の下越豪雨が発端となり、早急に集中豪雨の研究を促進し、予報技術を改善しなければならないという気運が高まり、本件事故前年の昭和四二年には気象研究所で「梅雨末期集中豪雨特別研究」なるテーマで取り上げられ、同四三年から「梅雨末期集中豪雨特別観測計画」として五ケ年間研究観測が行なわれ、相当の成果をあげ、現在もその資料をもとにしてなお研究が続けられているが、いまだその現象が十分解明されているとはいえない。したがつて、集中豪雨の予報も、ポテンシヤル予報といつて、広い範囲(例えば九州北部とか四国南部)で豪雨の可能性のあることを予報し、次に気象レーダーによつて豪雨を降らす積乱雲を観測し、また現地における雨量の観測通報を入手し、それが集中豪雨の初期であると判断した場合に、さらに地域をしぼつて、たとえば県の西部とか北部とか地域を指定して、そこにいつごろ、およそ何ミリの雨が降るか、注意報・警報を発表するという方法で行なわれているが、その予報則が確立されているとはいえず、降雨量を予測することは困難で、その意味では、災害対策も困難で危険な自然現象であるといえる。
しかし、他方、本件事故当時においても、集中豪雨の発生機構としては、南西方向から暖かくて湿つた空気(湿舌)が日本の上空に入り込み、さらにその上空に大
陸からの乾いた冷い空気が流入している場合には、大気の状態は不安定となり対流が生ずるので、積乱雲が生じ、集中豪雨が降りやすく(したがつて、日本では、東南アジアから海洋性の湿つた季節風気団が吹き込んでくる六月から九月にかけて集中豪雨が多い。)、その空気中の活発な対流を起こす原因は空気の収束であり、収束の原因は低気圧であるが、集中豪雨の場合に収束を起こす低気圧は非常に小さく、メソ低気圧(小型低気圧)と呼ばれるものであるということが見いだされていて、活発な研究対象となつていた。
すなわち、昭和三二年の諌早豪雨の際には、福岡気象台の背振山レーダーもあり、高層観測も行なわれ、特に細かい雨量のネツトワークが敷かれていたこともあつて、諌早豪雨のあとで初めて細かい解析が行なわれ、メソ低気圧が見いだされ、そのメカニズムが少しわかつてきたが、その後気象研究所が中心となつて、日本海の豪雪の機構を研究し、そのころから局地的豪雪がメソ低気圧で起きるということがわかつてきて、いわゆるメソ気象学といわれる、小さな気象現象を追求する研究がなされるようになつた。その後、たまたま昭和四二年七月豪雨でメソ低気圧がキヤツチされてメソ低気圧の移動が解析され、さらにそのあとの同年八月下旬の下越豪雨があつて、その二つを契機にして、昭和四三年から前記の集中豪雨特別研究がなされ、メソ低気圧によつて集中豪雨が起こるということが確かめられた。 なお、メソ低気圧が発見されたのは、決して新しいことではなく、すでに一九四七年アメリカで雷雨特別研究観測が行われたときに、メソ高気圧やメソ低気圧についていろいろなことがわかつた。
メソ低気圧には進行性のものと停滞性のものがあり、したがつて、メソ低気圧に伴う降雨域も進行性と停滞性とがあるが、それが非常に明瞭に見られたのは昭和四二年七月豪雨のさいである。その時の降雨域は九州から山陽を通つて北東へ進み、この降雨域つまりメソ低気圧が到達した時刻に、佐世保、呉、神戸などで豪雨が降つた。また一方、同じ日に神戸地区では、比較的長時間にわたつて、メソ低気圧が停滞し、したがつてその間降雨域が停滞した。
集中豪雨の降雨特性としては、例えば、北海道あたりは大雨が降ることは非常に少ないのに、苫小牧で昭和二五年に一時間降水量一二六ミリメートルという全国歴代一二位に入る集中豪雨が降つたことがあるように(甲第五八号証八三頁表Ⅱ―2)、ある地域に限つて発生するものでもなく、またある一定の地域に限つてみでも、その地域として非常に記録的な降雨量になることもめずらしくはない。そして、発達した積乱雲には雷雨を伴い、その多くは夏の特別の気象状態や前線に関連して起こるものであるが、集中豪雨の場合ほとんど雷雨を伴つている。過去の集中豪雨により大きな災害が起こつた例によると、ほとんどの場合が雷を伴つていることからみて、黒い雨雲と雷は集中豪雨のシンボルともいうべき重要な現象である。 (2) ところで、岐阜県下においても集中豪雨が降ることはめずらしくはなく、観測記録(乙第七号証、成立に争いのない甲第三九号証、第八一号証の三)により集中豪雨と認められるものの歴代一〇位をあげると、別紙表Dのとおりである。この中で、日雨量順位1の揖斐川電工(揖斐郡q1村)の八四五ミリメートル(昭和四〇年九月一四日九時から一五日九時までの二四時間)は、歴代全国九位(甲第五八号証八一頁表Ⅱ―参照。同表九位の本戸(福井)の八四四ミリメートルもこの時の集中豪雨域のものであつた。甲第八一号証の三、九三頁)で、過去の岐阜県下の記録をはるかに上回るという激しい集中豪雨であつた。そして、この時の天気図(甲第八一号証の三、九二頁)における寒冷前線と温暖前線との様子は、先に述べた集中豪雨の発生機構の特性をよく現しているものである。 (3) これに対し、前記のように、一七日から一八日にかけての飛驛川流域及び長良川流域に降つた集中豪雨は、地域的に狭く、短時間に集中し、降雨強度も、f1(五五・一㎞)で日降雨量三八二ミリメートル、時間降雨量一七日零時から一八日一時までの一時間に九〇ミリメートル、z1で日降雨量三五四ミリメートル、時間降雨量一七日二三時から二四時までの一時間に七五ミリメートルに達したものであつて、集中豪雨としての特性をいかんなく現したものといえるが、前示表Dに明らかなごとく、岐阜県下で発生する集中豪雨として見る限り、被控訴人の主張するように特に異常な集中豪雨であつたとはいい難い。
(二) それでは、地域的な観点からみて、本件事故現場附近の東濃山間部においては、このような集中豪雨は通常予測しえなかつたものであろうか。 (1) 前記危険区間またはこれに比較的近い地域における雨量観測所の記録(乙第七号証、成立に争いのない乙第一六号証)により、過去の降雨量(日降水量及び一時間降水量)記録と一七日から一八日にかけての降雨量とを対比してみる
と、別紙表Cのとおりである。
これによると、一七日から一八日にかけての降雨量は、日降水量においては、g1とu1では過去の記録を三〇ないし四〇ミリメートル上回つており、f1では過去の記録の約二倍の雨量であり、n1でも過去の記録をはるかに越える雨量であつたことがわかる(なお、i1では過去の記録を上回つていない。)。 次に、一時間降水量においては、資料に乏しく、右日降水量について検討したと同一の観測地点における記録はないが、p1では過去の記録の約二倍の雨量であつたことがわかる。
(2) そこで、被控訴人は、乙第一六号証を資料として統計計算を行ない、再現確率雨量を求めると、本件事故発生日(昭和四三年八月一七~一八日)の降雨量の再現確率年は、u1で二四〇年から三三〇年に、g1で一七〇年から二〇〇年に、f1で一、〇〇〇年にそれぞれ一回であるとし、本件事故当夜の降雨がいかに予見し難い異常なものであつたかがわかると主張する。
しかし、成立に争いのない甲第七六号証の五(二四頁以下)によると、一般的にいつて、再現確率年とは確率論的に既往の資料からある確率年に災害が発生することを推計することをいうのであつて、この方法は既往最大規模という単純な考え方よりは進んでいるので、戦後は広く採択されているものであるが、この方法においては過去の資料がよりどころとなるので、それが豊富に存在することが必要とされ、この方法の問題点としては、第一に少ない資料で確率災害規模を計算しても信頼度があるかどうかという疑問があることであり、第二は確率年をどうして決めるかという問題もあることである、とされており、当審証人D3の証言によるも、同様にこの再現確率年の方法は、その資料となる過去の記録期間が短いと、信頼度がうすくなるとされている。そして、このことは、次の一例によつて実証されるといえよう。すなわち、被控訴人にu1の本件事故発生日の降雨量の再現確率年は二四〇年から三三〇年に一回であるというのであるが、乙第一六号証によれば、u1の一七日から一八日にかけての降雨量二二七・五ミリメートルは、昭和一八年から始まつた観測期間中の日最大降水量記録である昭和三五年の一八八・五ミリメートルを三九ミリメートル上回つているにすぎず、しかも、前示表Cによれば、u1と同じくi1町にあつてさほど距離も隔たつてはいないと認められるi1において、明治二七年から始まつた観測期間中(本件事故当年まで七五年間)に、大正四年と昭和三三年の二回にわたり日降水量二六三ミリメートルを記録しているのであつて、この事実に照らすと、被控訴人の指摘するu1の再現確率年の数値は信頼度に疑問なしとせず、右数値をもつてu1地区における災害対策上の予測降雨量とすることは危険であると思われ、したがつて、右数値は実用性に乏しいものといわざるを得ない。
右のごとくであるから、被控訴人の主張するg1の一七日から一八日にかけての降雨量二四一・一ミリメートルが再現確率年一七〇年から二〇〇年に一回であるとの数値も、乙第一六号証によれば、昭和二六年から始まつた観測期間中の日最大降水量記録である昭和二八年の二一一・六ミリメートルを二九・五ミリメートル上回つているにすぎないこと及びその観測期間がu1の場合よりも短い一七年間にすぎないことから見て、信頼度のうすいものといえよう。
また、f1にしても、観測が始まつたのは昭和二八年であつて、観測期間が同様に短いので、この点からだけでもにわかに予測し難い降雨量と断定することはできないと考える。
(3) それでも、f1、n1、p1においては、いずれも短い観測期間ではあるが、その間の過去の記録を相当に上回つた降雨量であつたことは明らかであり、しかも、前示表A、C、Dより見ると、東濃山間部と揖斐川上流域等の西部地域とでは、日降水量および一時間降水量のいずれにおいても、揖斐川上流域等の西部地域の方が上回つているので、これらの点よりすると、本件事故当夜のごとき集中豪雨は、過去において同程度あるいはこれを上回る集中豪雨記録のある揖斐川上流域等の西部地域においては予測されても、過去に同程度の集中豪雨記録のない東濃山間部においては予測し難いものではなかつたかとの疑問が生ずるかもしれないので、さらに、この点について検討する。
ところで、東濃山間部においても、毎年六月から九月の降雨は、山岳地帯の一般に共通する驟雨性のもので、変化が激しくかつ集中豪雨となつて現れることが多く、一時間降水量三〇ミリメートル以上の降雨は揖斐川上流域と同様に毎年三回程度の割合で起こつており、一時間降水量五〇ミリメートル以上の降雨も、本件事故現場に比較的近い岐阜地方気象台の加茂郡n2町o1観測所において、昭和三一年
から同四二年までの一二年間に、四回記録されていることから見てもわかるように、降耐量には差があり、揖斐川上流域等の西部地域ほど多くないにしても、集中豪雨型の降雨の発生頻度としては、東濃山間部も揖斐川上流域等の西部地域に劣るものではない。
そして、集中豪雨としては、その地域として非常に記録的な降雨量になることもめずらしくはないことは前記のとおりであり、しかも、前掲証人D4の証言に照らすと、集中豪雨につきその地域性を無視することはできないとしても、他方、前掲証人D3の証言に照らすと、岐阜県下において、揖斐川上流域等の西部地域と東濃山間部とをはつきり区別できるほどの地域性があるとは認め難く、むしろ、集中豪雨については、そのような狭い範囲の地域性を考え、過去の記録から、東濃山間部においては集中豪雨が起こつても揖斐川上流域ほどの降雨量がないと判断するのは危険であるとされているのである。
(4) 以上の諸点から考えると、本件事故現場附近を含む前記危険区間一帯の地域における一七日から一八日にかけての集中豪雨は、集中豪雨の決して少くない東濃山間部としてみても、過去の降水量をかなり上廻る激しいものではあつたが、前示表Dに見られるように、岐阜県Fにおいてこれをさらに上回る降水量の記録も多いことなどから、通常予測しうる規模のものであつたといわなければならない。 2 山地において災害の原因となる自然現象の形態
(一) 甲第五八号証、成立に争いのない第七五号証の四、第七六号証の八、第九八号証の三、乙第一八、第一九号証および当審一証人D1の証言によれば、次のことが認められる。
山地において災害の原因となる自然現象には、山腹におけるものとして、山くずれ、がけくずれ、地すべり、土砂くずれ、落石等の名称で呼ばれるものと、溪床におけるものとして、土石流、土砂流、泥流等の名称で呼ばれるものがあり、山くずれにも崩落、滑落、流動の三形態がある。
山くずれとがけくずれは、その発生機構の類似性のゆえに斜面崩壊とも総称される。
また、土石流の流動機構としては、岩石や土砂が水でねりあげられて一体となつた物質としてまとまつて運ばれる形式として「集合運搬」と呼ばれ、普通の洪水流のように、砂や泥の粒子がばらばらで水に流されて運ばれる形式は「各個運搬」と呼ばれ、区別される。したがつて、いかに多量の土砂でも掃流形式で生じたものは土砂流であつて、土石流とはされない。
しかし、これらの用語は広く常識的に使用されている割合には、山腹におけるもの及び溪床におけるもののそれぞれにつき、相互の厳密な区別がなされておらず、学術上の定義もさまざまな学説があつて統一されていなく、実際にはこれらの形態の境界を明らかにすることはきわめて困難であることが多い。
そして、これらの自然現象については、それぞれにつき発生機構及び発生原因(素因および誘因)が考えられ、これらに共通の発生原因として考えられるものについても、素因としての地質・土質(土の強度、斜面内部の不均質性あるいは不連続性)・地形・植生等と、誘因としての降雨(地下水または地表水)・人為(切土・盛土の工事等)等とが複雑に関係し合つている。
(二) 前記一の1の(二)(改良工事後)に認定したところによれば、改良工事後で本件事故前までの崩落は、右(一)で述べた山地災害の形態のうち、斜面崩壊、沢からの土砂流の形態に属するものであつたと思われる。
また、前記一の2(本件事故当夜の崩落等およびその原因)に認定したところによれば、本件事故当夜の崩落等は、右(一)で述べた山地災害の形態のうち、斜面崩壊、土石流、土砂流の形態に属するものであつたと思われるので、次に、これらの形態に分けて、その予測可能性を検討することとする(以下、本件事故当夜の崩落等というときは、これらの形態の総称をいう。)。
3 斜面崩壊について
(一) 斜面崩壊の発生機構及び原因
甲第五八号証(一五五頁)、第九八号証の三、乙第一八号証、当審証人D1の証言によれば、斜面崩壊の発生機構及び原因として考えられているのは、次のとおりであることが認められる。
斜面崩壊の形態には二種類あるとされる。一つは、山腹の風化された表層の底に風化の進んでいない固い岩盤あるいは水のしみ込みにくい土層(底層)が存在しているような斜面に、豪雨による雨水が多量に供給され、表層からしみ込んだりあるいは岩の割目を通り抜けたりして底層の表面に水がたまると、その水力によつて表
層の土が底層と押し合う力が減少し、その結果摩擦力が減少し、また水の貯留によつて粘着力も減少してくると、表層の土塊を引き止めようとする力が減少してついにくずれ落ちるようになる。もう一つは、底層の表面にたまつた水の層が次第に厚みを増して、ついに地表に達して吹き出す(この現象をパイピングという)ようになると、吹き出した地点附近の土塊がこわれて崩壊が始まるものである。 次に、斜面崩壊の原因は、前記のように素因と誘因が複雑にからみ合つているが、過去の統計によると、素因としての地形・地質については、水を集めやすいくぼんだ形状の三〇から四〇度の急斜面で、十分風化された五〇センチメートルからニメートル位の表土が水の浸透しにくいちみつな岩層をおおつている斜面で発生しやすい。その典型的例が、九州地方のシラス地帯とか、関西に多いマサ土(花崗岩の風化土)地帯である。また、誘因としての降雨については、十分な先行雨量の後の強雨が崩壊を起こしやすく、したがつて、集中豪雨によるものが多い。斜面及びその周辺の土地利用状況は、雨水の地中へのしみ込みやすさと土質の変化を通じて、崩壊の起こりやすさに大きな影響を及ぼすことがある。例えば、植生(地表の植物の生育状態)は降水の地面への到達や地中へのしみ込み具合を変え、またその根系の発達状況は土塊の抵抗力に影響を及ぼすから、森林の皆伐は崩壊を起こしやすくし、道路の建設や宅地造成による切土・盛土も崩壊を起こしやすくする。 (二) 斜面崩壊の予知・予測方法
甲第五八号証(一五八頁以下)、第七五号証の四(四〇〇頁)、第七六号証の五、第八一号証の三、第九八号証の三、乙第一八、第一九号証、成立に争いのない甲第五九、第六六号証、第六七号証の三、五、第七七号証の五、第八〇号証の四、第八四号証の二、三、第八五号証の三、第八六号証の三、乙第二一、第二二号証及び当審証人D1の証言(第四回六六丁以下)によれば、次のことが認められる。 斜面崩壊発生の予知・予側方法には、統計的(巨視的)方法と物理的(微視的)方法とがあり、統計的方法とは、多くの斜面崩壊例を集めて外観的に判別しやすい要素との相関性を統計的に求め、総合的な危険度を定量的に表現する方法であり(たとえば、各要素にそれぞれ点をつけ、その合計点から危険度を表現する。)、物理的方法とは、特定の対象斜面についてできるだけ詳しく物理的特性を調査して、危険度を力学的計算に基づいて定量的に表現する方法であつて、それぞれに研究が積み重ねられてきている。しかし、統計的方法は、二つの地域の危険度の相対的な比較や、広い地方を対象にした総合的な防災計画の資料としては有効に利用できるが、個々の対象斜面についてその自然現象の発生を具体的に予知・予測するには不十分であるとされ、また、物理的方法は、原理的にはほとんど問題はないが、実際に適用する場合に困難な問題が残されている。一つは、ある計算方式をたてたときの前提が、実際の斜面にあてはまるかどうかであり、他の一つは、もし計算式の前提が完全に適用されたとしても、計算に用いる具体的な数値が十分入手できるかどうかである。つまり、理論的には崩壊予知の可能性はあつても、具体的な計算に必要な数値が十分入手できるかという点で、非常に制約を受けるから、実行可能な調査によつて得られる数値の信頼性の範囲でしか、危険度の表現はできないとされる。したがつて、現実の問題としては、まず統計的方法で大体の危険域を予想し、次に個々の対象斜面について精密な調査を行なつて、物理的方法である程度の定量的な危険度を判断することになる(甲第五八号証一六一頁)。特に、重要な問題である斜面崩壊の直接の原因である降雨との関連性については、いまだ数式をもつて表現するまでには至つていないが、各地域で豪雨のたびに資料を集めて整理し、それぞれの地域の危険降雨の目安をたてておけば、ある程度の崩壊予想の判断に役立ち、警報の発令や避難の指示に大いに利用し得るものであり、あるいはまた、崩壊機構がすべて明らかにされていない現段階では、崩壊についていろいろな要因との関係を見て統計的に分析し、因果関係を見ることは、やむをえないし、有力な手法であり、仮にすべての形式について崩壊機構が明らかにされても、複雑な自然現象を考えると、統計的手法を用いざるをえないと考えられる(乙第一八号証一〇頁)。しかし、いずれにしろ、斜面崩壊の予知・予測には、概観調査、土質調査、水文調査などの現地調査を実施することが必要であるが、いずれの調査も崩壊の機構の一、二の因子をとらえるものであり、一つの方法で完全を期することはできないから、対象斜面の特質に応じた調査法を組み合わせて効果を高めなければならない。
要するに、斜面崩壊現象は、学問的に十分解明されていない面があり、具体的な崩壊発生の予想も高い信頼を寄せることができない現状であるが、斜面崩壊現象による被害については、現在の学問、技術の段階に応じた対策行動によつて、ある程
度の抑制、軽減の効果をあげることは可能である(甲第五八号証一七一頁)。 (三) 本件斜面崩壊の予測可能性
(1) 右(一)および(二)に考察したところによれば、斜面崩壊現象は学問的に十分解明されていない面があり、斜面崩壊発生の危険があるとされる要因を定量的に表現して、その発生の危険を時期・場所・規模等において具体的に予知・予測することは困難であることが認められる。
しかし、その発生の危険があるとされる定性的要因は本件事故当時において一応判明していたものと認められるので、先に述べた見解により、本件事故当夜の斜面崩壊につき、その発生の危険を通常予測しえたものであるか否かについて、次に検討することとする。
(2) 前記「1」「2」の危険区間は、その地形は、g1橋を渡つてしばらくすると急傾斜の険しい山腹や岩壁が迫るようになり、ことにl2トンネル(六二・四㎞)からh1の町近くまでの間は、道路は蛇行してS型のカーブが多く、拡幅のためにけずられた岩壁が道路に接して切り立つている。
また、その地質は、本件事故現場附近を含む飛騨川上流域は古生層の基盤の上にa1流紋岩類が推積しているものであるが、一般に古生層よりも流紋岩類の方が浸食されやすく、先に認定したところからうかがわれるように、右飛騨川上流域の風化は相当進んでいるといえよう。
このような地形・地質であるため、国道四一号では、拡幅の完了した昭和三九年二月から本件事故前の昭和四三年七月までに、g1橋(五四・二㎞)からh1駅(六六・八㎞)間に、種子吹付・植生・モルタル吹付・PNC・ストーンガード・石積擁壁のほか、金網・石垣(六四・五㎞地点~六四・六㎞地点)等の防護施設が施されたが(原判決引用部分及び当審認定部分)、原審証人B8の証言によれば、右防護施設は一時間雨量五〇ミリメートルの降雨に耐えることを一応の目安として設置されたものであることが認められる。
なお、弁論の全趣旨によれば、防護施設の工法とそれに対応する事象との関係は次のとおりであることが認められる。
「1」 ストーンガード類は、比較的緩斜面における落石、小崩壊に対応する工法であり、落石エネルギーは斜面垂直高と落石荷重で決まるが、通常落石崩土が斜面を転滑してくることを想定しているものである。
「2」 ロツクネツト類は、比較的急斜面の落石、小崩壊に対応するもので、覆式とポケツト式があり、斜面を転滑してくる落石、崩土に対応するものである。 「3」 洞門および落石シエード類は、比較的中規模の崩落および落石に対応するもので、鋼構造のものとコンクリート構造のものなどがある。設計荷重としては、地形・地質等の条件によりさまざまであるが、斜面転滑のほかに通常予想される直撃荷重及びなだれ荷重も考慮される場合が多い。
「4」 植生工は、雨水の浸食防止、凍上崩落の抑制、緑化による降雨流出量の調整をするものであり、地形・地質・勾配により種々の方法がある。 「5」 モルタル吹付工は、切取岩盤面の風化防止、節理等の亀裂面からの剥離防止工である。
「6」 石積み、法枠等は、風化、浸食の防止、表面部の崩落抑制であり、力学的に土圧の働く場所に設け、小規模な滑りを止める工法である。
「7」 堰堤は、小渓流の溪床土砂の流出防止、間接的には溪床勾配の安定に役立つが、土石流のような大規模の事象に対応したものではない。
本件事故前になされた右防護施設のうち、六四・四㎞地点(h1b1)では、昭和三九年に種子吹付がなされたが、同四二年六月二九日に崩落し、六四・二㎞地点では、同三九年に石積擁壁の上にストーンガード、法面の中段にPNC工法が施されたが、同四三年三月一二日崩落している。
右六四・二㎞地点は同四三年三月崩落後PNC工法にかえて、スロープネツトが設けられていたが、本件事故当夜石垣の約八〇メートルの上部から幅二三・七メートルにわたつた六四・一七㎞地点の崩落に対し防護の役を果し得なかつた。 また、前記「1」「2」の危険区間には、原判決添付別紙6のとおり、「落石注意」の標識が設置されていた。このうち、本件事故現場附近の六四・四八㎞地点から六五・六五㎞地点の間には四ケ所設置されていたが、本件事故当夜にはこれらの標識のある場所から一〇〇メートル以内で、例外なく崩落が発生している(原判決引用部分)。
そこで、原判決添付別紙9・10と前示別紙6を比較対照して検討すると、右「落石注意」の標識の設けられた六四・四㎞地点は、前記のとおり、本件事故前に
おいて、昭和四二年六月二九日崩落のあつた六四・四㎞地点および、同三九年三月一二日崩落のあつた六四・二㎞地点に近い箇所であり、かつ、乙第二号証、成立に争いのない甲第一、ないし第六号証および当審の検証の結果によれば、六四・一七㎞地点附近から六四・六㎞地点にかけて、本件国道の山側は一帯に切り立つた岩壁やがけが続いていることが認められる。
そして、前記のごとく前記危険区間では本件事故当夜において随所に崩落等があつたが、前示別紙6のごとく、すでに本件事故発生前においても、前記「1」の危険区間では、本件事故当夜に六四・一七㎞地点等本件事故現場附近で斜面崩壊があつた箇所附近において、また、前記「2」の危険区間では、本件事故当夜に斜面崩壊があつた箇所附近において、いずれも降雨を直接の原因とする斜面崩壊があつたものである。
以上の事実に照らすと、前記「1」の危険区間では六四・一七㎞地点等本件事故現場附近で本件事故当夜に斜面崩壊があつた箇所附近および前記「2」の危険区間では本件事故当夜に斜面崩壊があつた箇所附近は、いずれも前記認定の斜面崩壊発生の危険があるとされる定性的要因を満たしていることおよび本件事故前過去において崩落した事例があるなど前記認定の諸般の情況から判断すると、前記1認定の規模の集中豪雨など強い雨の予測される地域内にある右各崩壊箇所附近では、右のような規模の降雨の際には斜面崩壊発生の危険のあることを通常予測しえたものということができる。
4 土石流について
(一) 土石流の発生機構および原因
甲第五八号証、第八四号証の三、成立に争いのない甲第六〇、第六二号証、第七五号証の五、第七八号証の四、第八四号証の四、第九三ないし第九六号証、乙第一三、第一四、第一七、第二〇号証ならびに原審証人A1、与審証人D1の各証言を総合すると、次のことが認められる。
土石流は、古来より「山津波」「山潮」「蛇抜け」などといわれて地域住民に恐れられているもので、数多くの災害のつめあとを残してきている。その定義は、学者によつて必ずしも一様ではないが、土木用語辞典(土木学会監修)によると、「山間のけい川において、多量の土砂、石れき、ときにこれに木材などの破片を混じたものが、それ自身の重力と水の潤滑作用によつて流下する現象をいう。」とされ、その態様も、「ア」火山の噴出に伴うもの、「イ」山腹の崩壊に伴うもの、「ウ」渓流堆積物の流動によるもの、「エ」地すべりに伴うものなど、地形・地質・水文条件(降雨・気温)に応じてさまざまな形態が考えられているが、学問的研究の歴史が比較的浅いうえ、その対象が複雑でかつ観察による裏付けが得難いため、その発生機構についていまだ十分な解明がなされていないし、したがつてまた、土石流運動の力学的研究についても定量的な運動則が確立されていないので、土石流制禦の問題についても研究途上にあり、土石流を防止する工法は現在の科学技術の水準ではなかなか困難である。
しかし、土石流についての研究結果から得られたところによると、土石流の発生は、溪床の勾配、溪床の堆積土石の量、溪谷の供給雨量、渓谷の地形・地質等に相関づけられ、「1」溪床の勾配は、二〇度から三〇度の所に多く、中でも三〇度から四〇度位が発生率が高いこと「2」溪床の堆積土石の量は、二、三メートルから四、五メートルの厚みで堆積している所に多いこと、「3」溪谷の供給雨量は、一般的に雨量との対応だけで土石流の発生を予測することは困難であるが、連続降雨量が一〇〇ミリメートルを越えると、堆積物の表面に水流が生じて土石流が発生しやすくなり、さらにまた短時間の強い雨が直接に土石流の発生に関連すること、「4」溪谷の地形・地質は、右「1」及び「3」の要因と関連し、地形は多量の降雨を集水しやすいように、上流部に広がりを持ち、下流部が狭くなつている形状で、地質は堆積物が供給されやすいような風化された溪谷や、断層・節理・破砕帯等のある溪谷に頻度が高い。
次に、前記のとおり、土石流の発生機構については、いまだ定量的に解明されていないのであるが、ある程度急峻な谷に沿つて、大量の土石が堆積しており、豪雨によつて多量の水が集中するときに発生することは明らかであつて、要するに、溪谷の勾配、水の供給、不安定な土石の堆積状況の原因が揃つて土石流が発生するのであるが、このような原因が揃つているとき、直接に発生を引き起こすいわゆる「引きがね作用」については、次のようなことが考えられている。 その一つは、山くずれ、がけくずれであつて、溪谷の上流において豪雨によつて斜面が崩壊し、この衝撃によつて、溪床に堆積していた不安定な土石が流動し始め
るものであり、他の一つは、一時的な溪流のせきとめであり、溪流が岸からの崩壊土石により一時的にせきとめられて水位が上がり、このせきが決壊して多量の水が短時間に放出され、溪床の堆積土石をまきあげて流下するものである。 しかし、このような特殊な現象がなくても、急峻な勾配に大量の土石が堆積して不安定な状態にあるとき、十分水がしみこんで流動しやすくなれば、それ以上のわずかの水の供給によつて表層の土砂が流れ出し、これがきつかけで雪だるま式に堆積物を引きずつて流下する可能性がある。
要するに、きわめて不安定な状態で谷沿いにたまつている土石は、十分水がしみこんだ場合には、どのような形であつてもわずかな刺激でくずれて流下する可能性がある。
もつとも、右にあげた土石流発生についての定性的要因がどの程度に重なり合つた場合に土石流が発生するかという定量的な相関関係は不明である。 以上が本件事故当時における土石流の発生機構についてのおおよその学問的知識の水準である。
(二) 土石流の予知・予測方法
甲第五八号証(一七九頁以下)および当審証人D1の証言によれば、次のとおり認められる。
土石流発生の予知・予測についても、統計的方法と物理的方法があるが、土石流についても、統計的方法により、個々の谷についてその危険度を正確に表現することは困難な場合が多いし、しかも土石流の発生は、斜面崩壊よりもさらに頻度が少なく、特定の地方では数百年に一回しか発生せず、統計的処理を行なうためには資料が不足することが多く、また、ちみつな現地調査による物理的方法をとるにしても、一つの谷の流域の調査範囲は、斜面崩壊の対象域に比べて広く、さらに土石流の発生条件そのものについての定量的判定も、物理的法則に基づく基準がまだ確立されていないから、物理的方法もいまのところあまり有効ではない。結局、土石流発生の定性的要因は一応判明していても、これらの要因を定量的に表現して土石流発生の具体的予知法を確立するまでには、まだ多くの課題が解決されなければならないものである。
(三) 本件土石流の予測可能性
(1) 右(一)および(二)で考察したところによれば、土石流発生の危険があるとされる要因を定量的に表現して、その発生の危険を時期・場所・規模等において具体的に予知・予測することは、斜面崩壊に比べて一層困難なことは明らかであるが、土石流についても、その発生の危険があるとされる定性的要因は一応判明しているものと認められるので、先に述べた見解により、本件土石流発生の危険を通常予測し得たものであるか否かについて、次に検討することとする。 (2) 本件沢は、原審(第一回)及び当審の各検証の結果ならびに当審証人D1の証言によれば、「ア」溪床の勾配は約二四、五度から約三〇度であること、「イ」溪床の堆積土石は三〇センチメートルから二メートル位あつたこと(原判決引用部分)、「ウ」溪谷の形状は上流に広く下流(出口)に狭くて深いことがそれぞれ認められ、「エ」渓谷の地質については、ことに上流部及び左岸山腹は濃飛流紋岩の相当に風化した一メートル前後の表土(濃飛流紋岩より成る崖錐を含む)で形成され、傾斜角も約三六度から四〇度という急斜面で(原判決引用部分)、その地質及び傾斜角の点では崩壊しやすい条件にあり(甲第八一号証の三、第八四号証の二、三、成立に争いのない第九七号証)、当審証人D1の証言(第四回九八丁裏)および原審証人D10の証言(四〇四七丁)によれば、本件事故発生当夜の崩落は非常によく起こる形態及び規模のものであつて、土石の生産という点では、本件沢は決して安定したものではないことが認められること(なお、このことは、原審(第一回)及び当審の各検証の結果ならびに当審証人D1の証言(第四回九七丁裏)によれば、本件沢の第三、第五、第七の各スクリーン堰堤に相当量の土石が堆積しているが、その全部が山腹から供給されたものではないとしても、石の大きさや形状から見て、山腹から供給されたものも相当量あると思われることからも推認される。)、以上によれば、本件沢は前記定性的要因のうちの「1」、「2」及び「4」を満たしていることが認められ、そして、「3」の供給雨量については、本件事故現場附近において、集中豪雨など強い雨の際には、連続雨量一〇〇ミリメートルを越える降雨量を予測し得たものであることは先に認定したところにより明らかである。
(3) なお、供給雨量として、連続雨量一〇〇ミリメートルを越えると、堆積物の表面に水流が生じて土石流が発生しやすくなるという要因については、本件土
石流発生時までの連続雨量がz1で一五〇ミリメートルを越えており、また甲第六六号証によれば、昭和四六年八月三〇日から三一日にかけての台風二三号にともなう降雨の際に、岐阜県養老郡の江原谷及び小山谷において、連続雨量二五二ミリメートル(上石津観測所)で土石流が発生している例が記録されているなど、かなりかけ離れた数値となつているが、同じく甲第六六号証によれば、昭和四七年七月の梅雨前線の際、岐阜県下において発生した土石流発生溪流数二二を、土石流発生までの総雨量で分類すると、一六〇ミリメートルが九一九二ミリメートルが七、二六五ミリメートルが二、三六〇ミリメートルが四と、一六〇ミリメートルと一九二ミリメートルに集中している結果が出ており、これを全国的に眺めて見ると、連続雨量一五〇ミリメートル以上になると土石流が発生し始めている結果が出ていることが認められる。しかして、当審証人D1の証言(第四回五四丁以下、第七回六五丁以下)によれば、全国各地の現地調査等による資料統計によると、土石流発生の危険がある降雨量は、日頃から降雨量が多い地域か少ない地域かによつて異なり、少ない地域である北海道では連続雨量が一〇〇ミリメートルを越えるとよく発生し、多い地域である九州の南部とか四国の南部や三重県の尾鷲のような所では連続雨量が三〇〇ミリメートル近くにならないとなかなか発生しなく、比較的多い地域である中部地方では連続雨量が一五〇から二〇〇ミリメートルを越えると発生するが、山のふもとの方で測つた雨量と、山の上で土石流の起こる源の近くで測つた雨量とでは異なる場合が非常に多く、一般的には平地よりも山の高い所の方が雨量が多いので、一般的に利用できる雨量は、特殊の場合を除いて、平地で得られた雨量であることを考慮すると、一般的な警戒の目標として利用できる雨量としては、連続雨量一〇〇ミリメートル位にしておいた方が相当であることが認められる。加えて、統計的方法としては、複雑な自然現象に対しそう正確な数値を求めること自体がもともと無理であり、しかも、土石流発生の危険のある定量的な雨量を統計的方法により求める以上、右D1証言にあるように、できるだけひかえめな数値とするのが安全であり、これを一応の警戒数値として、それぞれその地方における実情に見合つた数値を求めて行くようにすればよいのであるから、前記連続雨量一〇〇ミリメートルという数値は、本件土石流発生の危険があるとされる要因としては、決して非科学的なものとはいえないと考えられる。
(4) さらに、本件沢においては少くともここ五〇年ないし一〇〇年位の間は土石流が発生していないことがうかがわれるが、このことは、溪流堆積物の流動による土石流の場合にみられる周期性(甲第六〇号証一〇頁、第五九号証八頁、成立に争いない甲第八〇号証の六、八四頁参照)に徴すると、かえつて安心のできない事情といえるし、しかも、当審証人D1の証言及び当審の検証の結果によれば、本件沢よりも溪床勾配のゆるやかな南隣りの沢(六三・八五km地点)において、かつて発生した土石流の痕跡と推認される巨大な岩石が堆積していることが認められるという事情もある。
(5) しかして、事務所管内の本件国道には、本件事故現場附近だけでも数本の沢があり、この沢において土石流が発生した場合、本件国道の通行者に対し大きな災害をもたらす危険があることは容易に予想し得たところであり、ことに、本件沢附近には「落石注意」の標識が設置されており、かねがね斜面崩壊もあり、地質的には相当に風化した地域であることは前記認定のとおりであるから、道路設置管理の担当者としては、各沢の地形・地質・堆積土石量及び既往の土石流の痕跡の有無等につき十分の調査を要するものであつた。そして、このような調査・発見は、成立に争いのない甲第四一号証によれば、国道四一号の改良工事の際に、現に地質調査のなされたことが認められることや、甲第五八号証、甲第七五号証の五(四五二頁)及び乙第一九号証に照らせば、本件事故当時可能な技術水準にあつたことが認められるのであるから、専門家に依頼して実地踏査をするなどして、右諸点を調査・発見することは十分可能であつた。
(6) 被控訴人の主張に対して
ア 被控訴人は、計画線調査及び実測線調査に当たつては、技術者による現地調査を何回となく繰り返えして行ない、詳細な地形測量に基づき、使用開始後の維持管理上の問題点を総合検討したものであると主張するが、右調査・検討がその主張のとおり実際になされたものであつたならば、それにもかかわらず本件事故が起こつたのは、いかに本件事故当夜の集中豪雨や崩落等が予測不可能なものであつたかを推認せしめるものとも考えられるので、右主張について検討する。 「1」 成立に争いのない甲第五〇号証の一ないし三および原審証人B6の証言によれば、「イ」「計画線調査」とは、改築せらるべき道路の経済性・走行性・安
全性(走行上及び構造上)を調査して、線形、勾配、幅員などについて具体的に決定し、また必要に応じその他の調査も行ない、事業費の概算を求めるもの、「イ」「実測線調査」とは、工事が実施できる程度に道路が通る予定地の地形・高さを測量及び調査を行ない、事業費の算定を行なうもの、であることが認められること、 「2」 地質調査については、原審証人B6は、「c2峠以外に全然地質調査がなかつたということではないと思う。」「地質調査をしておれば、編集の際落さない限り、工事記録に書いてあると思う。」「別表一(原判決添付別紙一〇)にある崩落の補修工事でその周辺の地質を専門家に調べてもらつたことはないと思う。」「土砂の崩落に関しては地質屋さんが専門に必要だとは考えていない。「本件沢の上流部を調査したという書類はなかつた。」「本件沢に登つたとか、職員を登らせたというようなことはない。本件沢の上流部の土質等が気になつたことはない。」「本件事故前に危険箇所ということで調べたことはないが、……」「私の在任中(昭和四〇年一二月から同四五年八月)、地質調査を含めた大規模な調査をすべきであるということを中部地建に具申したことはない。」旨の一連の証言をしていること、
「3」 甲第四一号証(国道四一号線工事計画概要)には、c2峠の地質調査、欧穴箇所の地質概査・弾性波探査等の記録はあるが、本件沢及び前記危険区間の各沢について地質調査を行なつたとの記載はないこと、本件事故後に被控訴人から本件沢の調査を依頼された原審証人D6は、「右依頼を受けた際に手渡された資料中には、道路を建設する際に建設省が行なつた地質調査の結果についての資料はなかつた。」旨証言していること、
以上の諸事実に照らすと、被控訴人のいう現地踏査は、本件沢及び本件事故当夜崩落のあつた前記各沢の沢筋にまでは及ばなかつたものであることがうかがわれるし、土石流発生の危険性について専門学者からも意見を徴しなかつたものと推認される。したがつて、被控訴人の右主張は採用し難い。
イ また、被控訴人は、本件沢の溪床勾配三〇度から四〇度は谷としてごく一般的なものであり、断層や崖錐様堆積物の分布状況等もなんら特異のものではなく、そのほかに本件沢において特異な地質条件の要因を見出すことはできず、また本件沢と流域面積、溪床勾配、頂上附近の植生状況(航空写真で判定すると本件沢と同じ頂上尾根となつていることがわかる)、溪流土石の堆積状況及びその地質等、土石流を発生せしめる条件がほとんど質的に同一である南隣りの沢(六三・八五km地点)で土石流が発生しなかつたことから見ても、土石流の発生は、地形・地質等の外的形状だけでは、具体的予知に結びつかないものである旨主張する。 しかし、本件沢が焼岳東麓の上堀沢等の沢(上高地大正池西岸にある)のような特殊な地質条件(頂上から山腹にかけて浸食を受けやすい噴出物でおおわれ、溪床にたえず土石が供給されて不安定な堆積状態にあり、毎年一、二回はかなりの規模の土石流が発生している。甲第五号証一八六頁。)の沢でないことは勿論であり、また、原審証人D6(三八八四丁裏)及び当審証人D1(第七回五九丁)の各証言に照らすと、本件沢が日本の多くの沢と比べて特別に破砕された危険な沢とはいえないことも認められるが、本件沢が右のような特殊な地質条件や他の沢に比べて特別に危険な条件を備えていなくとも、前記定性的要因を満たしているものであるか否か及び諸般の情況から判断して、本件沢につき個別的・具体的に土石流発生の危険を検討すべきものである。もし、本件沢のほかにも前記定性的要因を満たす沢があれば、その沢についても、右判断基準の下に、土石流発生の危険を検討すべきものである。本件沢がほかの山岳道路における沢と比べて特別に危険なものであるとはいえないからといつて、本件沢について土石流発生の危険を予測しえないとするのでは本末転倒というべきである(勿論、このことが、各沢について土石流発生の危険性の度合に差異があることを無視するものではないことはいうまでもない。) この点、被控訴人は南隣りの沢との対比を問題とするが、当審証人D1の証言及び当審の検証の結果によれば、南隣りの沢は、国道四一号より二〇〇から三〇〇メートル辺りの距離の溪床勾配は二〇度以内であることが認められ、その上流の方もこれと同程度の勾配であると推認せられ、本件沢の溪床勾配約二四、五度から約三〇度に比べると、少なくとも勾配において異なつているのであり、しかも溪床勾配三〇度から四〇度位の沢に土石流の発生率が高いことに照らすと、溪床勾配の点において、本件沢は非常に危険の程度の高いものであるといえるのに対し、南隣りの沢はそれほどでもないといえるのであり、同証人も、相対的問題としては、堆積土石の供給具合や上流部分の地形・植生の状況等から見て、本件沢の方が南隣りの沢よりも土石流発生の危険性が高いと思う旨証言しているように(第四回九三丁
裏)、南隣りの沢に土石流が発生しなかつたからといつて、本件沢について土石流発生の危険を予測しえなかつたものとはいえない。のみならず、前記認定のごとく、南隣りの沢にもかつての土石流の痕跡と認められる巨大な岩石が堆積していることが認められることからすると、たまたま本件事故当夜の条件下において発生しなかつたからといつて危険がないとするのは、溪流堆積物の流動による土石流については、前記認定のごとく堆積土石量との関係において周期性があり、特殊な地質条件の沢でない限り、そうたびたび発生するものではないことに照らすと早計であつて、この沢においても、将来、集中豪雨による降雨量のいかんによつては土石流発生の危険を予測し得ないものでもない。
沢の地質学的・堆積学的調査及び前歴調査の必要が指摘されるゆえんである(甲第六〇号証一一頁、第七五号証の五の四五二頁、第七八号証の四)。したがつて、被控訴人の右主張は採用し難い。
ウ 次に、被控訴人は土石流発生の要因としての、「ほぼ一〇度以上の勾配の溪谷で、多量の土石が堆積していると、一〇〇ミリメートル程度の連続雨量で発生する危険性がある。」という条件の谷は、わが国のほとんどの谷がそれに該当することになるので、そのすべてについて防災工事を施すことは、河川の中、下流部における河床の低下に伴う堤防の沈下、河川流出土砂の減少による海岸の浸食など、下流部での大災害にもなりかねないし、これらに起因する農業・工業・水道など集水口の問題、水産業に対する影響などがあつて非現実的であるという意味において、予知不可能な不可抗力的自然現象である旨主張する。
しかし、山岳道路の多いわが国の道路において、前記のような要因を満たすすべての沢について一様に防災工事を施すことは、工法上の可否、土石流発生の周期性から見た経済性の問題だけではなく、それが自然の調和を乱し自然環境の破壊につながるおそれがあるという問題もからみ、道路管理面からのみ眺められないことは、被控訴人の指摘するとおりであるが、今ここで問題としている道路管理の面から眺めた土石流発生の危険性の予測も、右のような問題を一切無視して防護施設を講ずべきであるとまでいつているのでは勿論ないのみならず、このような問題点があるからといつて、土石流発生の危険性を予測しえないものではないこともまた勿論である。土石流発生の予知・予測の問題とこれに対処する防災方法とは密接な関係にはあるが、防災方法は、右に述べたような問題点の総合的観点に立つて、それぞれの目的および場合に応じた適切な処置を講ずべきである。したがつて、被控訴人の右主張は採用し難い。
(7) なお、本件土石流が先に述べた土石流の態様のうちの山腹崩壊に伴うものであつたか、それとも溪流堆積物の流動によるものであつたかについては、学者の見解が一致しておらず、これをいずれとも断定し難いものであつて(乙第一三号証、原審証人A1、当審証人D1)、本件土石流の崩壊起点の崩壊ならびに本件沢の第一一堰堤と第一二堰堤間の左岸の崩壊が本件土石流発生の要因となつたか否かについては、先に認定したとおり、いずれとも断定し難いものである。 (8) 以上のような事実に照らすと、本件沢は、土石流の形態が山腹崩壊に伴うものであれ、溪流堆積物の流動によるものであれ、土石流の発生の危険があるとされる定性的要因を満たしていること(ことに供給雨量が連続雨量一〇〇ミリメートルを越えてかなりの雨量に達するような激しい集中豪雨などによるものであつた場合には、本件沢はその他の要因から見て相当に危険な沢であつたと考えられる)、および近くに土石流の痕跡のある沢があり、過去に土石流発生の事例があること(これは専門家が見れば比較的容易に発見され得るものである)など諸般の情況から判断して、前記1認定の規模の集中豪雨など強い雨の予測される地域内の本件沢では、右のような規模の降雨の際には土石流発生の危険のあることを通常予測し得たものということができる。
5 土砂流について
(一) 本件事故当夜において、前記認定のごとく、前記「1」の危険区間における本件沢附近の沢及び前記「2」の危険区間における七八km地点、七八・四五km地点の沢から土砂流のあつたことが認められる。
(二) しかして、土砂流には、土石流と同様に山腹崩壊による土砂流出と溪床堆積土砂の流出などが考えられるが、その流動機構が土石流と区別されることは前記のとおりであり、したがつてまたその発生機構及び原因も土石流とは異なるものではあるが、本件事故前においても、七八・五五km地点の沢において降雨を直接の原因とする土砂流があつたこと、前記のごとく、本件事故当夜の崩落等のうち、土石流および斜面崩壊の発生の危険は通常予測し得たものであることに照らすと、
前記1認定の規模の集中豪雨など強い雨の予測される右各沢では、右のような規模の降雨の際には土砂流発生の危険を通常予測し得たものということができる。 6 国道四一号の前記「1」「2」の危険区間における危険性
前記「1」「2」の危険区間は、前記1認定の規模の集中豪雨など強い雨の予測される地域にあり、前記2・3・4で考察したように、右のような規模の降雨の際には前記のような斜面崩壊、土石流および土砂流の発生の危険が通常予測しえたのであるから、激しい集中豪雨などによつてこれらの崩落等が実際に発生した場合には、これらが互いに関連して事故の発生する危険があつた。すなわち、その場合、通行車両等が崩落等の直撃を受ける事故のほか、本件のごとくすでに発生した崩落等によつて通行を阻止されているところへさらに続いて生起する崩落等の直撃を受け、これにより飛騨川へ転落したり、あるいは、道路上で崩落した土砂等の下敷きとなるなどの事故の発生の危険があつたものであり、これらはいずれも通常予測しえたものである。
7 本件事故当夜の崩落等の発生の危険及びこれによる事故発生の危険の予測可能性
(一) ところで、本件事故前後の岐阜県下の気象情況は先に認定(原判決引用部分)のとおりであつて、台風七号の接近に伴い、岐阜地方気象台では、八月一六日一七時三五分発表の台風情報第一号に始まり、各種の注意報を発表し、特に、同月一七日二〇時には、「岐阜県南部のところどころに雷を伴う強い雨雲が発生していますので、今夜半頃まで、所によつては落雷や局地的に強い雨が降りますので注意して下さい。このため低地の浸水・河川の増水・山くずれ・がけくずれの起こるおそれがあります。……」との雷雨注意報を発表し、同注意報は二〇時五〇分に事務所に伝達され、次いで、同日二二時三〇分には、「県内のところどころに雷を伴う雨雲があり、二二時現在、長良川流域の美並では二一時までの前一時間五六ミリメートル、二二時までの前一時間一四九ミリメートル、降り始めてから二七四ミリメートルになりました。今後もまだところどころに強い雨が降りますから警戒して下さい。……今後雨は明朝まで時々強く降り、長良川流域・飛騨川流域・東濃地方では一〇〇~一五〇ミリメートルに達する見込、このため低地の浸水・洪水・山くずれ・がけくずれの起こるおそれがあり、……警戒して下さい。……」との大雨警報・洪水注意報を発表し、同警報・注意報は二三時二五分事務所に伝達され、現に二三時までの前一時間に、原判決添付別紙13及び別紙表Aによつて明らかなごとく、y1(四四・七km地点)では三六ミリメートル、f1(五五・一km地点)では四四ミリメートル、a2(七七km地点)では三〇ミリメートル、g1(八一・三km地点)では八〇ミリメートルの降雨があり、さらに二四時までの前一時間に、y1では三三ミリメートル、f1では七八ミリメートル、z1(a1町三川小学校)では七五ミリメートル、a2では二八ミリメートル、g1では二〇ミリメートルという降雨が降り続いていたのであるから、国道四一号の管理担当官署である事務所・出張所は、本件事故当夜において、本件事故現場附近を含む東濃山間部に集中豪雨が起こつていることを把握し得たものである。(なお、美並の降雨量については、乙第七号証(四二頁)によれば、二一時までの前一時間五一ミリメートル、二二時までの前一時間八三ミリメートルとなつていることが認められるので、これと異なる前記大雨警報・洪水注意報にある美並の降雨量は誤りであると思われる。)
したがつて、前記認定より明らかなごとく、本件事故当夜のような集中豪雨があり得ることも予測し得たものであるから、本件事故当夜にあつては、前記内容の注意報・警報の発せられた時点以降において、本件事故当夜のごとき激しい集中豪雨があり、これを原因とする斜面崩壊、土石流、土砂流などの崩落等の発生する危険のさし迫つていることを予測し得る状況にあつたものというべきであり、したがつて、本件のごとき事故の発生の危険も予測し得たものというべきである。 三 設置または管理の瑕疵の有無
国道四一号の前記「1」「2」の危険区間は、前記認定のとおり集中豪雨の通常予測される地域にあり、斜面崩壊、土石流、土砂流の発生の危険及びこれらの関連による事故発生の危険のある道路であつたことが認められるので、このような危険性を有する国道の設置または管理に当たる官署としては、その当時における科学技術の最高水準に拠つて、適切妥当な措置をとることを要し、これを欠いた場合には設置・管理の瑕疵があることになるので、以下その瑕疵の有無について検討する。 そこで、最初に、そのような危険性のある国道に対する適切妥当な対処の基本的なあり方について考察するに、自然現象による災害(自然災害)を防止し、被害を
被らないようにするためには、まず、将来発生すると考えられる災害の諸現象を科学的に推定し、それに基づいて防災計画を立てることになるが、防災計画を立てる上に、二つの方策が考えられる。第一は施設の強化によつて災害を防止する施設対策であり、第二は被害を被らないようにする避難対策である。災害防止のため、防護施設を設けたり、強化拡充することにより、ある程度の被害を防止することは可能であるが、これには現在の科学技術の限界があることなどからみて、絶対安全に防止することは至難であるから、ある程度以上の自然災害に対しては、その予報を確実に行なつて避難をし、危険の判明した時には危険域から退避することが必要である。したがつて、ある程度以上の自然災害に対しては、施設対策と避難対策の二つを併用する必要がある。
ところで、自然現象について純粋に学問の分野で考えると、なお未知の分野が多いのであるが、現実の科学知識あるいは情報の程度に応じて有効な対策を立てることは可能であり、たとえば判明した科学的知識や情報の次元に応じて、それが低いときにはより低いところから警戒に入り、徐々に情報の次元が高くなれば、警戒の範囲を上げてゆくという方法もとり得るのである。そして、そのような対処の仕方は防災科学がその研究対象とするところで、本件事故以前から研究が重ねられていて、前記の災害対策の基本的考え方とともにすでに以前から明らかにされていたものである(以上甲第五八号証、成立に争いのない甲第七六号証の一ないし八、甲第八七号証の一ないし六、当審証人D1の証言)。
次に、近年道路網の発達に伴い、レジャーなどの目的で他県からの流入車両が多くなり、いわゆる土地勘のない運転者が多い関係上、道路についての総合的な情報を把握しやすい立場にある道路管理者は、できるだけ必要な情報収集に努めるとともに、これを通行車両の運転者に対し適時に提供する必要があるが、これは結局、適切なパトロールの実施とともに前記の避難対策を有効適切なものとするのに必要な方法である。
1 設置の瑕疵の有無
まず、控訴人らは、本件国道は、改良に当たつて道路の安全性を犠牲にしたルートの選定及び工法の選択がなされ、その設置に瑕疵があつた旨主張するので検討する。
控訴人らが設置の瑕疵として主張する事実のうち、その主張自体から考えて、本件事故当時においても、その瑕疵が存続し、本件事故の発生に寄与したものと考えられるものを挙げると、「1」本件国道の改良に当たり、防災の見地に立つて、使用開始後の維持管理上の問題点につき、詳細な事前調査が十分になされたか否か、「2」ルートの選定および工法について、道路の安全性を犠牲にしたことはなかつたかどうかの二点である。なお、防護施設の不備についでは、本件国道の設置(改良)の時から本件事故の時まで相当の日時が経過しており、設置当時の不備があつたとしても、設置後の道路管理の面において検討するのが相当と考えられるから、この点については後記管理の瑕疵の項で判断することとする。
(一) まず、右「1」については、前記認定のとおり、使用開始後の維持管理上の問題点につき詳細な事前調査のなされた事実は認め難いので、そのため前記崩落等の危険が予め十分に認識せられず、設置の時点のみならずその後における防災対策や道路管理上重要な影響を及ぼした根本原因となつていることは否定できない。したがつて、この点における瑕疵ありとされる余地がないではない。しかし、本件事故に対する責任の有無を考える上においては、右事前調査の不備が直接管理態勢、管理行動として現われる点において、その瑕疵の有無を検討するのが相当であるから、特に設置の瑕疵としてはこれを取り上げないこととする。 (二) 次に、右「2」の点について、道路の設置に当たつてのルートの選定および工法の選択は、地形・地質・気象および予想される交通状況等に照らし、道路の安全確保の見地に立脚して最善と認められるものでなければならないことはいうまでもない。
そこで、国道四一号の改良工事の経過は、前記認定(原判決引用)のとおりであり、被控訴人は、昭和三八年五月から国道四一号の全面改良工事に着手するに先立ち、昭和三四年から同三七年にかけて、全線の航空写真撮影と航空写真図化を行ない、事務所管内の未改良区間である美濃加茂―加茂・益田郡界までの間についていえば、全般的な計画線調査および実測線調査や、g1橋・o2橋・h2橋等の重要構造物調査は勿論、ことに重要な難所とされたところの、「1」c2峠地区(七二~七三㎞)のルート決定、「2」v1トンネル(六五・五㎞附近)の工法、「3」欧穴箇所(g1トンネル、五六・三㎞附近)の工法については、地質の調査のうえ
各種の工法案が慎重に比較検討されて、最終案が決定されたものである。また、道路構造は、美濃加茂ーg1村b2までは旧道路構造令(昭和三三年政令第二四四号)第二種平地部の規格に、g1村b2ー加茂・益田郡界までは同令第二種山地部の規格にそれぞれ合うように設計施行され、ことに山地部を適用される右区間は、前記のように急峻な山岳と蛇行した河川にはさまれているため、新ルートを設定するのではなく、前記認定のごとき標準工法により、旧道を拡幅するという方法が採用されたものである。
以上の経緯に照らせば、本件国道の改良に当たつてのルートの選定及び工法は、その地形・地質上やむをえないものであつたというべきであつて、控訴人らの主張するように安全性を無視したものであつたとは認め難いところであるから、この点において、設置の瑕疵があつたということはできない。
2 管理の瑕疵の有無
道路の管理に当たつても、地形・地質・気象および交通状況等を考慮し、特にその道路の有する危険性については万全の配慮を払い、防護施設その他適切妥当な方法を講じることにより、道路の安全を確保しなければならないことはいうまでもない。
そこで、以下、本件事故当時における本件国道の管理が適切妥当なものであつたか否かについて検討する。
(一) まず、前記区間に設置されていた防護施設につき見ることとする。 (1) 本件事故発生前において、前記認定の区間には、原判決添付別紙6記載の位置に「落石注意」の標識が設置され、同別紙9記載の位置にその記載のごとき法面保護の防護施設がなされ、さらに六五㎞地点附近、六五・二五㎞地点附近および六四・五㎞地点から六四・六㎞地点にかけて石垣・金網等の法面保護の防護施設がそれぞれなされていた。
(2) 右防護施設のうち、六四・四㎞地点では、昭和三九年に種子吹付をしてあつたが、昭和四二年六月に崩落しており、六四・二㎞地点では、昭和三九年にPNC工法をしてあつたが、昭和四三年三月に崩落したので、PNC工法にかえてスロープネツトが設けてあつたが、本件事故当夜の約八〇メートルの上部から幅二三・七メートルにわたつた六四・一七㎞地点の崩落に対し防護の役を果たし得なかつた。
その他の本件事故当夜の崩落箇所には、防護施設はなかつたか、あつてもモルタル吹付・種子吹付等の程度のものであつた。ことに、原判決添付別紙9、当審付加認定部分(第二の一の12)、甲第五号証ならびに原審(第二回)および当審における各検証の結果によれば、本件沢(六四・三㎞地点)、六四・六㎞地点の沢(「E」の沢)、六四・八二㎞地点の沢(「C」の沢)、六五・一㎞地点の瀧状沢、六五・二五㎞地点の沢(「A」の沢)、七八㎞地点の沢、七八・四五㎞地点の沢には、堰堤などの防護施設はなんら設けられていなかつたが、本件事故当夜、これらの沢ではすべて土砂の流出(本件沢では土石流)があつて、交通が阻害された。
(3) 右(1)及び(2)の認定事実によれば、前記「1」「2」の危険区間に設けられていた防護施設は、道路の安全性を確保するのに十分なものではなかつたといわなければならない。ちなみに、本件事故後、建設省の「道路の災害による事故防止の強化対策に関する実施要領について」と題する通達により総点検がなされた結果、事務所管内の国道四一号約七六・一キロメートル間に、主に落石・崩落等の危険箇所が五〇ないし六〇ケ所指摘された。本件沢については一二ケ所のスクリーン堰堤と六ケ所の石垣が設けられ、前記その他の沢についても同様にスクリーン堰堤やコンクリート堰堤が設けられ、本件バス集団の南進を阻んだ六四・一七㎞地点については、崩落の危険をはらむ土砂を山側法面から約七〇〇立方メートルを取除いて岩盤を露出させたうえ、いくつもの防護柵が設けられたほか、危険箇所については、堰堤や石垣の設置、崩落の危険のある土砂の取除き、ネツト張り立て等種々の工法を用いて、防護施設の強化が実施されてきている。
(4) しかし、ひるがえって考えてみると、前記認定のとおり、事務所管内の本件国道に設けられていた防護施設は、本件事故前より、一時間雨量五〇ミリメートルの降雨に耐え得ることを一応の目安として設置されていたというのであるから、右雨量を越える本件事故当夜のごとき集中豪雨の際には、防護の役を果たし得るかどうか疑問であつたといえようし、山くずれやがけくずれ等を防護施設によつて防止することには工学上の限界があろうと思われる。
また、前記認定のように、土石流を防止する工法は現在の科学技術の水準ではな
かなか困難であり、本件沢に本件事故後に設置された防護施設の効用についても、A1の意見書(乙第一四号証)、同人の原審における証言(四〇四四丁裏)、当審証人D1の証言(第四同一〇三丁表・裏、一〇五丁、一〇六丁表・裏)に徴すると、これが本件土石流の発生の防止あるいはそのエネルギーの緩和に全く役立ち得なかつたとはいえないにしても、本件土石流の発生を確実に防止し得たとまではいいえないように思われる。
しかも、前記認定のごとく、前記「1」「2」の危険区間には、本件事故当夜のような集中豪雨の際には、崩落等の危険およびこれによる事故発生の危険かあつたのであるから、このような危険区間においては、防護施設にたよるだけでは交通の安全を確保することは困難であつたといわなければならない。
(二) ところで、すでに明らかにされたとおり、前記「1」「2」の危険区間では、防護施設のみによつて、その予測される災害を安全に防止し、交通の安全を確保することは至難なものといわなければならないから、このような場合には、まず災害防止の基本的な考え方として、先に述べたところに従い、防護対策とともに避難対策の併用が検討されるべきであり、現に道路法四六条において、道路管理者は、交通の危険を防止するため、区間を定めて、道路の通行を禁止し、または制限することかできる旨定められている。すなわち、本件危険区間は、本件事故当夜のような集中豪市など強い而の際には、いつなんどき崩落等が発生するかもしれなかつたのであるから、このような場合には、この区間へ進入すること自体がもはや危険であり、交通の安全が確保されないと見なければならず、したがつて、現に崩落等か発生しているか否かを問わず、崩落等の危険かあると認められる雨量時点で、この区間への進入を禁止するといういわゆる通行の事前規制措置をとるべきものであつた。そして、かかる通行の事前規制措置を的確に実施するには、平素から災害態勢の中にこれを取り入れ、危険箇所の調査・点検を行ない、また降雨量による規制基準を定めるなどの準備を整えておく必要があり、かつ、実際にこれを実施するに当たつでは、気象台から発表される気象情報の迅速な伝達と路線における降雨量の綿密かつ迅速な把握が不可欠であつた。
しかるに、従来の道路管理は、先に認定(原判決引用部分)のごとく、道路の通行の確保をいかにはかり、道路に障害か発生した場合いかに迅速に通行を回復させるかに主眼があり、道路上に現実の交通障害か発生し、物理的に通行か不能となつて始めてその部分のみの通行止めの措置をとつていたものである。したがつて、本件事故当時においては、いきおい、気象台からの気象情報の伝達に迅速を欠き、路線における降用量の把握も不十分であつた(原判決引用部分参照)。 かかる道路管理の姿勢によつては、前記「1」「2」の危険区間に対処した適切妥当な道路管理をなしえないことは明らかであつて、本件事故後にとられたところの、「1」基本姿勢の変更、「2」予備規制の実施、「3」気象情報の重視と伝達の迅速化、「4」パトロールの強化、「5」関係諸機関との連絡強化、等の措置が、従来の道路管理の姿勢を反省し、道路管理の基本理念である安全かつ円滑な交通の確保に向けられた施策であることはいうまでもない。そして、これらの施策を本件事故以前においてとり得ないものではなかつたことは次の(三)に述べるとおりである。
(三) 被控訴人は、現在時点における通行規制の実施基準も概括的な一応のものであるし、事前の通行規制は、本件事故を契機に世論の高まりがあつたからこそ実施しえたもので、本件事故当時においては必らずしも合理的施策とは考えられていなかつたのであるから、本件事故以前に通行規制の要領が定められていなかつたことや、本件事故当夜通行規制を行なわなかつたことをもつて、道路管理の瑕疵としたり、まして本件事故直後の規制基準をもつて、道路管理のあるべき客観的基準を決め込むことは明らかに誤りであるといわざるをえないと主張する。 たしかに、降雨による災害が予測される場合の通行規制の実施については、現実の問題として、基準とすべき降雨量の定め方、通行車両の運転者らとの紛争の解決、さらに例えば急病人のごとき緊急を要するものに対する処置など問題点は多い。しかし、防護施設のみによつて災害を完全に防止することが至難であることは、前記のとおりであつて、降雨等による落石・崩落等の危険がある道路をより機能的・合理的に管理するためには、実施の当初概括的な雨量基準によることはやむを得ないとしても、漸次実情に沿うように改めてゆけばよいのであつて、そのためにはテレメーター・落石検知器の開発・設置等による機械化・自動化と相応して、適時適切な雨量基準等(例えば、風雨による落石の多い箇所では、雨量だけではなく、風力も規制基準とすべきであろう。)による通行規制ができるようにしてゆけ
ば、防護施設を補いあるいは相当な助護施設を設けえない場合の合理的な管理方法でありうるものと認められる。
なお、別紙表Bの番号1・2・5の崩落等は、現行通行規制の基準雨量よりはるかに低い連続雨量で発生しているが、前に述べたように、道路管理の方法には施設対策と避難対策の双方を併用する必要があるのであるから、右にあげた事例のごとく比較的少い雨量による崩落等についでは、本来事前規制の観点からではなく、むしろ、防護施設に問題があるものとしてその運用・改善の観点から検討されるべきが相当と考えられる。
次に、今日のごとき道路交通が重要な生活様式の一部を占める時代において、交通の安全の確保は、窮極のところ、道路を利用する国民の利益に合致するものであつて、道路管理の基本理念もここにあるといえよう。したがつて、事前規制に当たつての雨量基準については、過去の災害例に関する資料等を検討・研究し、現実の実情に照らしてより相当な基準の策定に努めるべく、また、通行車両の運転者等との紛争とか、緊急を要するものに対する問題については、道路利用者や住民の側にとつて重要な問題であることに鑑み、ひとり道路管理の面のみではなく、当該道路を中心とした地域社会の防災・生活環境の問題としてより総合的見地からの検討を加え(特に緊急を要する問題については、現場責任者の判断により臨機の処置を要することはいうまでもない)、交通の安全の確保という道路管理の理念に合致する方策を見いだすことが肝要であつて、これが通行車両の運転者等道路利用者や当該地域在民の利益に背馳するものとは考えられないところであるから、右に述べたような方法によりそれぞれ適切妥当な解決方法を採ることこそ至当であつて、右のような問題点を抱えているから通行規制を実施しえないというのでは、本末顛倒というべきである。
したがつて、本件事故の後に実施されている通行規制は、なお適宜改善の余地があるものではあろうが、通行規制そのものは合理的な避難対策の一つであるということができ、かつ、本件事故当時において実施可能なものであつたことは、もとより明らかなところであるから、被控訴人の右主張は採用し難いものである。 (四) そこで次に、現行の雨量基準による事前規制を的確に運用した場合の本件事故の回避可能性について考察する。
(1) まず、雨量基準による事前規制を的確に実施するには、規制区間の降雨量を綿密かつ短時間単位で迅速に把握する必要があるから、この観点に立つて、テレメーターの設置によりあるいは他機関の有する観測所との連係による雨量観測態勢をとるべきである。テレメーターの設置による場合は、設置場所としては、各規制区間が直線距離で約八キロメートルあること、過去および本件事故当夜の崩落等のあつた箇所の位置ならびに集中豪雨域というものが時には一〇キロメートル以内という狭い範囲の場合もあることから考えると、少くとも各規制区間の境界附近であるg1橋、l1橋およびa1町k1附近に各一ケ所位設置するのが理想的であろう。しかし、要は、右のような集中豪雨の特性から考えて、集中豪雨にテレメーターを避けて降られるようなことのないようにするために、できるだけ密な配置が望ましいのであるから、この観点から適切な配置を検討すべきである。 なお、被控訴人は、g1観測所(八一・三㎞)附近にテレメーターを設置することは、道路管理の常識として承服し難いというが、この批判は必らずしも当たらないことは右に述べたところからうなずけよう。
ところで、本件事故当時、前記規制区間沿線における雨量観測所としては、f1(五五・一㎞)、z1(a1町三川小学校)、a2(七七㎞)、g1(八一・三㎞)があり、f1はg1橋に、z1はl1橋に、g1はk1に近いものであるから、右の関係でほぼ同一降雨量と認めて、これらの観測所の観測記録を利用し、現行事前規制の運用による本件事故の回避可能性を考察しても不当ではないと考えるので、次に検討することとする。
(2) 本件事故後事務所管内の国道四一号では別紙表Fの「1」「2」の区間が通行規制の区間として指定されたが(原判決引用部分)、右各区間につき通行規制の基準雨量に達した時点を検討するに、同表記載のごとく、交通注意の連続而量八〇ミリメートルについでは、右「1」の区間では、その一観測所であるf1が、二三時の連続雨量が四六ミリメートルであること、及び、二四時までの前一時間雨量が七八ミリメートルで、本件バス集団は、二三時ころ篠突く豪雨の中をf1近くのg1橋(五四・一㎞)を通過したが、この降雨状態は二三時一九分ころl1橋を渡り終るまで降り続いたことに照らすと、f1では二三時以降二四時の相当以前には右基準値に達していると推定してもさしつかえはないと考えられるし、右「2」
の区間では、その一観測所であるg1で二三時前ころにはすでに右基準値に達している。また、交通止めの連続雨量一二〇ミリメートルについでは、右「1」の区間では、その一観測所であるf1で二四時前ころに、右「2」の区間では、その一観測所であるg1で二四時にそれぞれ右基準値に達している(前示別紙13によれば、g1の連続雨量は二四時で一一七ミリメートルであるが、当時の降雨状況に照らすと、規制雨量基準としての一二〇ミリメートルに達したものと認めてさしつかえないと考える。)。
そして、これらの用量は、f1およびg1から出張所へ右基準値に達し次第速やかに通報される態勢にあるべきだから、出張所では、右各時刻ころに右各基準雨量を把握し得たものである。これをテレメーターによる場合でも、前述のようにできるだけ短時間単位、すくなくとも一時間に三、四回位すなわち一五分か二〇分位の割で降用量を受信できるように設置すべきであるから、g1での連続雨量八〇ミリメートルは二三時ころに、f1での連続雨量八〇ミリメートルは二三時以降二四時の相当以前に、f1およびg1での連続雨量一二〇ミリメートルはいずれも二四時ころにそれぞれ出張所へ送信されてきていることになる。しかも、二二時三〇分発表の大雨警報・洪水注意報が、二三時二五分には事務所へ、同五〇分ころには出張所へそれぞれ伝達されており、現に、g1では二三時までの前一時間雨量が八〇ミリメートル、f1では二四時までの前一時間雨量が七八ミリメートル、z1では二四時までの前一時間雨量が七五ミリメートルをそれぞれ記録する豪雨が降つたのである。
右のようなわけであるが、規制区間の性質から考えると、降雨量が一つの規制箇所で規制基準に達すれば、その全区間につき通行規制措置に入るべきであるから、f1とg1で通行注意の基準に達した段階で、右両規制区間のすべての規制箇所で通行注意の措置に入り、事前規制を的確に実施するための当然の措置として、各規制箇所に職員が配置されたか、あるいは予め委嘱してあるa1派出所・a1町役場や地元住民等に通行注意の措置に入つた旨および通行止めに移行する可能性があるから待機されたい旨の連絡がなされたことになる。したがつて、通行止めの基準に達した時点ですみやかにその措置に入れば、「1」L1石油店(六六㎞)前路上であれば、同店に直接依頼しても、配置されている職員に同店から連絡してもらつても、数分の間には右措置を完了し得たと思われるし、(2)l1橋(六六・七㎞)であれば、前記官公署からl1橋までの距離が後記のごとく数百メートルと推認されることから見て、右官公署に直接依頼しても、配置されている職員に同官公署から連絡してもらつても、一〇分位の間には右措置を完了し得たと思われるので、右いずれの箇所で規制したにしても、零時一〇分ころには優にその措置を完了し得たことになるから、本件バス集団が右(1)の危険区間へ進入するのを阻止し得たものと推定してさしつかえはないと考える。
なお、第一回パトロール隊のg1橋附近からの連絡により、出張所が前記官公署に依頼してl1橋附近で南進禁止の措置をとるという場合については、後記のごとく、当時における右官公署等の情況から推察して、計算どおりの行動をなし得たかどうか疑問に思うのであるが、現行事前規制を運用した場合は、右に検討したように、零時以前において、かなりの時間的余裕をもつて予め通行止めの用意を依頼し得たものであるから、第一回パトロール隊の場合と同様には論じ得ないと考える。 このように、現行事前規制が当時実施されていれば、本件バス集団は前記(1)の危険区間内に進入せずにすみ、本件事故を回避し得たものと認められる。 (3) ところで、被控訴人は、本件事故当夜のような急激な気象の変化に対しては、そのすべての場合に道路管理者が事前規制をもつて通行車両の危険回避の措置を講ずることは不可能を強いるものであると主張する。
しかし、先に認定(原判決引用部分)した本件事故前後の気象概況および集中豪雨のところより見てわかるように、集中豪雨は突如としておそつてくる全く予報不可能な自然現象ではなく、集中豪雨をもたらすような気象配置、積乱雲の発生、降雨の開始という段階と時間的経過を伴うものであり、そして、この間、気象台は、気象配置の動きをとらえつつ、ポテンシャル予報としての気象情報の発表、次いで気象の動きに従い各種注意報および警報を発表し、道路・河川・鉄道その他の災害対策関係者にこれを逐次伝達するのであるから、集中豪雨に対し注意および警戒の態勢をとるべき余裕がないものではなく、現に、本件事故当夜の集中豪雨についても、気象台からは比較的的確に気象情報および注意報・警報が発表されていたものであり、被控訴人において防災態勢を整える余裕がなかつたとは認められない。 また、集中豪雨には、先に認定したごとく、通常、三、四回の雨量ピークがあ
り、降再現象の緩急それ自体は集中豪雨そのものの特性なのであるから、道路管理者としては、このことを十分のみこんで防災態勢をとるべきものである。 なお、集中豪雨の際の降雨量が事前規制の基準雨量に達するには、短時間ではあれ、時間的経過を要するものであること、および前記規制区間の距離から見て、現行の事前規制の措置を的確に実施したとしても、交通止めとなつた時点で右規制区間内に通行車両がいないとも限らないであろう。そこで、ヒのような車両をどのようにして安全に誘導・退避させるかが、事前規制をとる際の一つの問題点となる。そして、この点については、例えば、右規制区間内をできる限りパトロールして適切な指示・誘導に当たるように考えるべきであろうし、また、右規制区間内に道路情報板や非常電話などを設けたりすることや、現在はほとんど設けられていないが、バス等の大型車両が反転できる場所とか、車両が一時的に退避できる場所を設けたりすることも検討を要するところであろう。勿論、右規制区間内に残つている車両の運転者の側においても、適切な情況判断と行動が求められることはいうまでもなかろう。
(五) ところで、本件事故当時とられていた本件国道の管理は、その基本姿勢そのものに問題があつたといえるのであるが、当時の管理態勢の下において、はたして手落ちのない管理行動がとられたものであるか否かにつき、さらに検討を進めることとする。
(1) 気象情報、降雨状況、崩落等の伝達とパトロールについて ア 当時の管理態勢の下においても、事務所、出張所およびi1工区は、気象情報、降雨量、崩落等を把握し、パトロールをするなど、適切な管理行動をとるべきであつたことはいうまでもない。
イ 当夜の事務所の宿直員B3は、二〇時五〇分宿直室においで、気象台二〇時発表の雷雨注意報の連絡を受けたのであるが、原審証人B5の証言(二五六二丁表・裏)によれば、当時、事務所の宿直係に入つた気象情報は、宿直員において、各出張所へはすべて通報し、B5管理課長へは緊急を要するもののみを連絡することになつていたことが認められるので、B3は右雷雨注意報を速やかに管内の各出張所へ通報すべきであつたのに、これを岐阜出張所及びw1出張所へは通報せず、また、美濃加茂出張所へ通報した際美濃加茂附近では降雨が認められないとの報告を受けたことから、B5管理課長へも連絡をしなかつた。しかし、この時w1町所在の雨量観測所では二〇時から二一時の間の時間雨量五一ミリメートルという降雨を記録していたのであるから、B3が右雷雨注意報をw1出張所に通報しておれば、同出張所の当夜の宿直員であつたB4から何らかの降雨情報を入手しえたかもしれず、したがつてまた、B3からB5課長へ右雷雨注意報とともにw1出張所の降雨状況が報告されたものと思われる。
ウ 出張所の当夜の宿直員B1は、二一時ころB3から前記雷雨注意報の通報を受けたのであるから、これを速やかにi1工区へ通報すべきであつた。ことに、B1は、二〇時ころにi1工区のF1から、降雨があつたのでパトロールした結果、九三㎞地点の三ツ淵において落石があつたとの報告を受けていたのであるから、i1工区に右雷雨注意報を通報し、降雨状況も尋ねるべきであつたし、また、i1工区からの右落石の報告を、直ちにまたは遅くとも事務所のB3から右雷雨注意報の通報を受けた時点で、事務所へ報告すべきであつたと思われるのに、これをなさなかつた。ちなみに、i1工区では、国道沿いに一・七、八キロメートル北方にある中部電力のu1堰堤で、一一時までの前一時間雨量が二〇ミリメートル、一七時までの前一時間雨量が二五ミリメートル、一八時までの前一時間雨量が一九ミリメートルを記録したので、翌日が日曜日のことでもあり、道路に不安を感じ、F1がj1方面にパトロールに向かい、右落石に出合つたものであつた。
エ そして、もし、B3から、右雷雨注意報及びw1出張所の降雨情報がB5課長に報告され、また、B1からB3を経てB5課長にi1工区での落石が報告されていれば、当時の気象状況、すなわち、一六日から一七日にかけて台風七号が日本海を北上しながら通過したため、岐阜県北部・西部の山間部に局地的な大雨が予想され、気象台は、「1」一六日一七時三五分台風情報第一号、「2」同日二二時〇〇分風雨注意報、「3」一七日九時三〇分大雨注意報等、「4」同日一一時一〇分大雨注意報・雷雨注意報等が相次いで発表され、「5」同日一七時一五分右各注意報が解除されたという状況下にあつて、B5課長より具申し、B6事務所長の裁断を得て、直ちに災害対策本部を設けて注意態勢に入り、出張所に対してもその旨を指示し、出張所においても、できるだけ速やかに運営事項に定められた注意態勢下の人員を確保するように努力すべきであつた(当時、出張所構内の官舎にはB2係
長とB9が居住しており、また出張所から七、八キロメートル離れたy1町の官舎にはB11、B10、B12が居住していたから、宿直員のB1を含めて緊急に六名の人員は確保し得た。)。
オ 次いで、二二時二〇分ころ、宿直員B3に岐阜県警察本部から国道一五六号x1地内で土砂くずれがあつたことを知らせる電話が入つた時点では、災害対策本部としては、国道四一号につき警戒態勢に入り、その旨を出張所に指示し、出張所では、遅くともこの時点ではパトロールに出発すべきであつた。けだし、当時の防災態勢がパトロールによる現場確認を重視する方法であつたことに鑑みれば、控訴人らの主張するごとくB1が二一時ころ事務所のB3から二〇時発表の雷雨注意報の通報を受けた段階で注意パトロールに出発すべきであつたかどうかはともかくとして、二二時二〇分ころの時点では、その情況から見て、パトロールヘの出発は当然な措置であつたといえよう(成立に争いのない甲第七一号証、原審証人F2の証言によれば、B7所長の指示により二〇時から二二時までの間のパトロールを行なつたごとくパトロール日誌に記載された事実から見ると、出張所における現場管理担当者の感覚としては、右二二時二〇分以前においてもパトロールに出発すべきであつたとの考えがあつたからであろうと思われる。そうとすれば、前記認定のような情況から見て、右二二時二〇分ころの時点においてのパトロールは当然な措置であたといえよう。)。
カ 以上のように指摘することができよう。そして、右の時点でパトロールに出発しておれば、このパトロール隊は、本件バス集団と相前後してg1橋に向かい(本件バス集団が出張所附近を通過したのは二二時四〇分ころと推定される)、m1地内からの篠突く豪雨の中をl1橋に至り、二三時三〇分ころi1工区へ向う途中でd1地内(七八㎞)の崩落に対面したことになろう。
しかして、このころには二二時三〇分発表の大雨警報が事務所に伝達されていたのであるから、事務所管内の国道四一号としては正に非常態勢の発生である。ここにおいて、事務所・出張所・工区およびパトロール隊としでは、当時の管理態勢のもとにおいて、いかなる措置を講ずべきであり、またそれが可能な情況であつたかどうかが問題となるが、ここで考えられるのは、パトロール隊による前記「1」の危険区間の通行規制である。
前に述べたとおり、当時の災害態勢では、非常の場合の通行規制として、予め雨量基準を定めておいて、その用量に達すれば、危険な段階になつたものとして通行規制に入るといういわゆる事前通行規制を取り入れてはいなかつたが、パトロールを中心として、現実に危険のさし迫つていることを確めたうえ、その時における必要な区間を通行規制する方法が取り入れられていたことは明らかである。すなわち、中部地建においては、本件事故当時、「建設省中部地方建設局巡回要領」(乙第六号証)に、大雨、洪水、暴風などの際に特別に行われる異常時パトロールがあり、被害状況、交通状況を連絡し、適切な指示をなすことになつており、また、異常事態の予想される場合には、重点的にパトロールし、緊急の事態に備えて、「生意」、「通行止め」などの道路標識・保安柵を携行することか定められていた(原判決引用部分)。
したがつて、前記のように篠つく豪雨の中を進行し、d1附近で崩落に行き当たつたパトロール隊としては、右「巡回要領」に従つて、非常態勢下において最も適切な行動をとるべきであり、それは前記「1」の危険区間の通行規制にほかならないものと考えられる。
そして、パトロール隊が右に述べたような適切妥当な管理行動をとつておれば、あるいは本件バス集団は、l1橋附近における南進禁止の通行規制措置によつて、南下を阻止されたかもしれない。
キ しかし、これはあくまでも二二時二〇分ころの時点でパトロールに出発したことを前提としての一つの想定であつて、パトロール隊が右に述べたような管理行動をとるべきであつたといつても、はたしてその過程において何らの支障もなくそのような管理行動をとり得たものといえるかについては、いまひとつ断定し難いところといわなければならない。
(2) 第一回パトロール隊による南進禁止措置の可否について 控訴人らは、B1・B2が第一回パトロールをした時の降雨(B2は、原審において、「g1橋辺りからはほとんど走れる状態ではなかつた」旨証言しているが、その時のg1橋附近の降雨は、f1発電所(五五・一㎞)での二三時から二四時の間の時間雨量は七八ミリメートルという豪雨であつた。)及び道路の状況から見て、g1橋附近で電話を借り、a1警察官派出所へ連絡してl1橋での南進禁止の
措置を依頼すべきであつたと主張する。しかして、B2は、原審において、降雨状況を出張所へ連絡しようとしたが交信不能であつたと証言していることから見でも、右時点における出張所への連絡及びl1橋における南進禁止の措置自体は相当な措置であつたと考えられるから、この時点での右南進禁止の依頼措置の可否及びこれによるl1橋での南進禁止措置が、本件バス集団がl1橋を南下したと認められる一八日零時一七分ころ以前にとりえたかどうかを検討する。
第一回パトロール隊が出張所を出発したのは二三時三五分ころであり、時速五〇キロメートル位の速度でg1橋へ向つたというのであるから、g1橋(五四・二㎞)には二三時五三分ころにさしかかつていることになり、g1橋から一キロメートル位の地点にあるg1町役場で電話を借りるとして、若干の余裕を見て同役場へ一八日零時ころ到達し得たとして、本件バス集団がl1橋を通過した一八日零時一七分ころまでには、十数分の時間があり、a1派出所やa1町役場からl1橋までは数百メートルの距離と認められるので(右各距離は、原審第二回検証の結果及び、弁論の全趣旨により認められる右各地点と六七・二㎞地点との距離を総合比較することにより推認することができる)、第一回パトロール隊が出張所へ降雨状況等を報告した後、出張所において、速やかに決断のうえ、a1派出所やa1町役場へl1橋における南進禁止の措置を連絡依頼し、依頼先において迅速適切な行動をとつておれば、右十数分の間にl1橋での南進禁止の措置をとることはあるいは不可能ではなかつたとも考えられる。
しかし、同時刻ころ、a1派出所では、M1巡査部長及び巣山巡査はd1崩落による交通整理のため不在で、同派出所にはM1巡査部長の家族だけしかおらず、また、a1町役場の状況は詳らかではないが、a1町自体が一八日零時ころに飛騨川の水位が上つて危険な状態となり、零時一〇分ころには消防団員召集のためのサイレンが吹鳴されるというあわただしい状況下にあつて、零時過ぎころになつて右のような措置依頼をしでも、はたして計算どおりの行動をなし得たかどうか疑わしい面もある。したがつて、第一回パトロール隊がg1橋附近で出張所へ連絡のうえ、出張所がl1橋での南進禁止の措置に踏み切つたとしでも、はたして本件バス集団の南進をl1橋でくい止めることができたかどうかは疑問が残るものといわなければならない。
(3) 六四・一七㎞地点での処置について
控訴人らは、B1・B2の第一回パトロール隊が六四・一七㎞地点において判断を誤り、何らの避難・救助の措置をとらなかつた旨主張する。
しかして、第一回パトロール隊は、六四・一七㎞地点の崩落現場にさしかかつた際、崩落北側には車両がいようとは思わなかつたというが、途中北進車両があり、六四・一七㎞地点にも第一回パトロール隊と相前後して北進してきたN1バスがいたことはB1も現認していることや、当夜が土曜日であり、季節柄乗鞍へ向う観光バスなどがd1の崩落に会つて引き返えすかもしれないことも容易に想像し得たところであるから、同地点で無線の交信もできず、l1橋附近での南進禁止の措置がなされているかどうかも確認し得なかつた以上、もう少し慎重に北側の様子を探るべきであつたといえよう。ことに、G1運転の自動車が北側の川側に車幅灯を点灯したままで停車しており(同人の原審における証言)、同人はパトロールカーの赤と黄色のライトと一人の人が標識を置いたのを目撃していること、B1らが同地点に到達した頃は、崩落の規模もガードレール側で高さ五〇センチメートル、前後の幅二メートル位であつたので、崩落上を強いて渡ろうとすれば渡れない状態ではなかつたことに照らすと、右のような印象を免れない。
しかし、よしんば、B1らが崩落の北側に本件バス集団等多数の車両がいることを確認し得たとしても、その退避につき、いかなる適切な行動をとり得たかになると疑問であるといえる。けだし先に見たように(原判決引用部分)、六四・一七㎞崩落地点から北方約四六〇メートルにある中部電力株式会社f1発電所下山堰堤にかけての道路上には、当時約三〇台に及ぶ観光バス・トラック・乗用車等が無秩序に駐車し、その間を縫つて後退することは至難の状況にあり、道路幅員からしても観光バスが反転することは不可能なことであつたこと、これに加えて、同日一時ころ、本件事故現場北方約一五〇メートルの道路上において、同所に停車中の定期観光バス「のりくら号」等の数台の観光バスの間を通り抜けようとしたトラック二台か、ともに左前輪を道路山側の側溝に落し、これを引き上げるべく後退したトラックの右後部が「のりくら号」の左後部ボデーに接触破損し、その頃から約一時間にわたり同所附近は通行不能となる事態が発生し、さらには、同日二時ころまでの間に、本件事故現場北方約五〇〇メートルの道路上(六四・八〇㎞地点)および同方
向約三〇〇メートルの道路上(六四・六〇㎞地点)に土砂崩落が発生し、これにより本件バス集団は前後方とも封鎖されるに至つたこと、同日一時過きころ六四・一七㎞地点の崩落箇所附近までやつてきたa1消防団員か、手分けして駐車車両の運転者に対しh1駅方面へ脱出・移動するよう勧告したが、前記のような道路状況のため、後部にいた五、六台の乗用車がa1町方面へ引き返えしたにすぎなかつたこと、以上の諸事実に照らすと、B1らか、本件バス集団の退避につき、いかなる程度の行動をなし得たかも疑問なしとしないからである。
(4) 右(1)ないし(3)で見たように、当時の管理行動にも問題がなくはながつたが、本件事故の原因と認められるほどの手落ちがあつたとは認め難いといわなければならない。
四 被控訴人の不可抗力の主張に対して
被控訴人は、本件事故を発生せしめた土石流は、現在の科学技術の最高水準をもつてしても予見不可能な、しかも防災工法の見当たらない規模のものであり、また、これを誘発せしめた集中豪雨は予報不可能なものであつたために、現在想定可能ないかなる交通規制をもつてしても、本件事故は回避できなかつたものであるから、かかる予見不可能かつ防止不可能な自然現象に起因して発生した本件事故は、道路管理者にとつて不可抗力である旨主張する。
しかし、被控訴人が本件事故は道路管理者にとつて不可抗力であるとする事由のすべては、すでに判断したとおりいずれも理由のないものであるから、被控訴人の右主張は採用し難いものである。すなわち、本件土石流の発生そのものが予知し得なかつたものであることは前記認定のとおりであるか、その発生の危険およびこれを誘発せしめた集中豪雨は通常予測し得たものであることも前記認定のとおりであるから、被控訴人は、本件土石流による事故を防止するために、適切な管理方広を講ずべきものであつた。たしかに、本件土石流を防止することは、現在の科学技術の水準ではなかなか困難であつたことは前記のとおりであるが、本件土石流による事故を防止するためには、防護施設が唯一のものではなく、避難方式たる事前規制その他の方法により、その目的を達し得たものであるから、被控訴人の主張するような事由によつでは、本件事故が不可抗力であつたとはとうていいい得ない。 五 旅行主催者および運転手らの過失の有無
ところで、道路の設置および管理に瑕疵にがあつたにしても、道路に崩落等の危険か予測され、道路の利用者側において、これによる事故を回避するための適切な判断・行動を期待し得たのに、かかる判断・行動を欠いたことが事故発生の一因をなしていれば、道路の利用者側においても、事故発生につき過失があるといわなければならない。
そこで、本件事故当夜、本件バス集団の旅行主催者及び運転手らは、本件事故現場附近における崩落等の危険を予測しうる事情にあつたか否かにつき検討するに、本件バス集団は往路にm1地内からl1橋を渡り終る頃まで激しい豪雨に遭つていること、d1地内崩落により行き先を断念させられ、モーテル飛騨から反転帰路に着いた際にも、往路ほどではなかつたが、かなりの降雨(z1で一八日一時までの前一時間雨量は三五ミリメートル)であつたこと、六五・二五㎞地点で小崩落に出会つたのに、さらに前進したこと等の事情があるので、右事情を六四・一七㎞地点の崩落による停止、果ては本件土石流の発生という結果に結びつけて考えれば、これらの危険を予測し得たかのように見えないでもない。
しかし、このような事実関係だけからでは、右旅行主催者及び運転手らが右崩落等の危険を予測し得たといえるかどうかは疑問である。なぜなら、地元の人以外は必らずしも道路の危険性を判断するのに十分な知識・情報を有しないのが通常であろうから、本件事故後に設けられたような道路情報板の設置、道路情報モニター制度、交通規制の制度等、危険性を客観的に判断し得る情報の取得手段が設けられていない以上、前記のような個別的事象の認識があつたというだけでは、これから進行しようとする道路についての危険性を予測することは、道路の利用者にとつては必ずしも容易ではないと思われるからである。現に、モーテルH1において、反転帰路に着くことに決定した際に、誰一人として反対した者はなく、本件バス集団以外の他の車両もその前後に相次いで反転帰路につき南下していること、また、六五・二五㎞地点でも、北進車がd1の崩落を知つて反転帰路に着いており、本件バス集団の後にも、d1の崩落によつて行き先を断念させられ、反転帰路につき南下しようとしていた多数の車両があつたことも、この間の事情を物語るものといえよう。勿論、被控訴人の指摘するごとく、これらの車両の存在が復路の安全を保証するものではないが、当夜の車両の運転手等が復路につき有していた一般的認識の程
度を推測せしめる証左にはなり得よう。したがつて、右旅行主催者及び運転手らにおいて、本件事故当夜の判断・行動につき、より慎重な配慮が望ましかつたとはいえようが、過失があつたとまで断定するのは酷というべきである。被控訴人の右主張は採用できない。
六 結 語
以上のとおり、国道四一号は、その設置(改良)に当たり、防災の見地に立つて、使用開始後の維持管理上の問題点につき、詳細な事前調査がなされたとは認め難く、そのため崩落等の危険が十分に認識せられなかつたため、その後における防災対策や道路管理上重要な影響を及ぼし、防護対策および避難対策の双方を併用する立場からの適切妥当な道路管理の方法が取られていなかつたもので、国道四一号の管理には、交通の安全を確保するに欠けるところがあり、道路管理に瑕疵があつたものといわなければたらない。そして、本件事故は右管理の瑕疵があつたために生じたものであるから、被控訴人は国家賠償法二条により本件事故によつて生じた損害を賠償すべき義務がある。
第四 損 害
一 概 説
まず、損害額算定についての一般的な説明をする。
1 親族関係等
各控訴人と各死亡者との親族関係(承継関係を含む)、各死亡者の年令、職業、収入については、年令につき、番号(22)の亡O1の「八才一ケ月」とあるを「七才〇ケ月」と、同亡O2の「六才一ケ月」とあるを「五才〇ケ月」と、番号(23)の亡O3の「四〇才六ケ月」とあるを「三七才五ケ月」とそれぞれ訂正し、収入につき、番号(14)のO4のところに「亡O4の営んでいたサツシ取付業の収入が明らかでないので、同O4の収入は、当裁判所に顕著な労働大臣官房労働統計調査部賃金統計課編集の昭和四三年賃金構造基本統計調査報告による産業計・企業規模計の男子労働者学歴計の平均月間給与五一、二〇〇円と平均年間賞与等一四三、二一〇円より算出する。」と付加し、番号(26)の亡O5の総収入「八九九、三六〇円」とあるを「八五九、三六〇円」と訂正し、番号(31)の亡O6のところに、「第二〇回日本統計年鑑によれば……である。」とあるを削り、その跡に、「前記昭和四三年賃金構造基本統計調査報告によれば、出版業・企業規模計の男子労働者学歴計の平均月間給与は五三、七〇〇円、平均年間賞与等は一四九、四〇〇円である。」と加えるほかは、原判決理由欄八項にある各死亡者毎の損害欄各1(親族関係等)一の項に記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
2 逸失利益
各死亡者の逸失利益については、逸失利益の項に記載のとおりであるが、その基準は次のとおりである。
(一) 就労可能年数
原則として一八才から六三才までとし、死亡時に五五才以上の者(未就職者、主婦、家事手伝を除く)については、昭和四三年簡易生命表による日本男子・女子の平均余命年数の二分の一を就労可能年数とする。なお、年令は満年令により、また就労可能年数は一年未満は切り捨てる。
(二) 死亡者の年間所得
(1)有職者
本件事故当時における実際の所得額を基礎として逸失利益を算定するが、なお、控訴人らは本件事故後における賃金上昇を考慮すべきであると主張するので検討するに、死亡者が生存していたならば、賃金上昇による収入の増加を得たであろうことが証拠に基づいて相当程度の確かさをもつて推定できる場合には、逸失利益の算定にあたつてこれを考慮することも許されるものと解するのが相当である。そして、賃金上昇の確実性については、各死亡者毎に当該職場における同僚の事例等により個別的・具体的に立証されるべきところ、本件においではそのような立証はなされていないのであるが、本件事故当時より最近までの間において、わが国における労働者の賃金上昇傾向は公知の事実であり、これを本件事故当年の昭和四三年以降について見るに、当裁判所に顕著な労働大臣官房労働統計調査部賃金統計課編集の昭和四三年から同四七年の各賃金構造基本統計調査報告(本件口頭弁論終結時までに利用しうる資料)によれば、企業規模一〇~九九人・産業計の男子労働者(字歴計)および女子労働者(学歴計)の月間所定内給与額の上昇率は、右統計に表れている各年令層毎に検討したところによると、別紙賃金上昇率表のとおり、昭和四
四年から同四七年までの間、前年比の各一〇パーセント以上という結果となつていることか認められるので、この事実に照らすと、本件各有職死亡者についでも相当程度の賃金上昇はあつたものと推認し得べく、その程度は、昭和四四年から同四七年までの間、前年の少くとも各五パーセントは確実であつたと認めてもさしつかえないといえるから、本件各有職死亡者の逸失利益の算定にあたつでは、右の限度で賃金上昇を考慮するのが相当であると考える。したがつて、就労可能年数一年目((a))の昭和四三年九月から同四四年八月にかけでは本件事故当時における実際の所得額を基礎とし、同二年目((b))の昭和四四年九月から同四五年八月にかけては一年目の所得額に五パーセント、同三年目((c))の昭和四五年九月から同四六年八月にかけては二年目の所得額に五パーセント、同四年目((d))の昭和四六年九月から同四七年八月にかけては三年目の所得額に五パーセントをそれぞれ加算した金額をもつて当該年度の所得額とし、同五年目((e))の昭和四七年九月から同四八年八月にかけて以降は四年目の所得額に五パーセントを加算した金額をもつて当該年度の所得額とし、これらの所得額を基礎として、逸失利益を算定する。ただし、右上昇率を加算して行く途中において、すでに一般的な就労可能年数と認めた満六三才の年限に至つた者についでは、その時点で上昇を認めないこととする。なお、以下、計算関係においでは、すべて円未満は切り捨てる。 (2) 主婦・家事手伝
前記昭和四三年賃金構造基本統計調査報告による産業計・企業規模計の女子労働者学歴計の平均年間総所得額三六万八、三〇〇円(平均月間給与二万五、八〇〇円と平均年間賞与その他の特別給与五万八、七〇〇円より算出)をもつて、家事労働による財産上の利益とし、これを基礎として逸失利益を算出する。 控訴人らは、主婦や家事手伝の逸失利益についでも、賃金上昇を考慮し、本件口頭弁論終結に至るまでの年毎の前記賃金構造基本統計調査報告によつて算出される平均賃金により順次算出すべきである旨主張する。しかし、主婦や家事手伝の家事労働は、財産上の利益を生ずるものとして、右に述べた基準によりその財産上の収益を推定するのを相当と考えるのであるが、主婦や家事手伝が事故により死亡した場合の財産上の収益を推定するに当たり、これを有職者と同様に取り扱つて一般的賃金上昇に見合つた収益の増加を考慮することは必ずしも相当ではないと考えるので、控訴人らの主張する算定基準は採用しない。
(3) 男子大学生
死亡時大学生であつた男子については、前記昭和四三年賃金構造基本統計調査報告による産業計・企業規模計の男子労働者新大卒二〇才~二四才の平均年間総所得額四九万九、〇〇〇円(平均月間給与三方六、八〇〇円と平均年間賞与その他の特別給与五万七、四〇〇円より算出)をもつて、年間収入とし、その固定方式によつて逸失利益を算出する。
控訴人らは、男子大学生以下の未就職者の逸失利益についでも賃金上昇を考慮し、本件口頭弁論終結に至るまでの年毎の前記賃金構造基本統計調査報告によつて算出される平均賃金により順次算出すべきである旨主張する。しかし、これら未就職者は、程度の差はあつても、将来いかなる職業につき、いかなる形態の収入をあげ得べきものか予測することが困難であるから、逸失利益もひかえめに算定すべきものであり、したかつて、賃金上昇による収入の増加を予測することも疑問であるから、有職者と同様に賃金上昇を考慮する結果となるような逸失利益の算定方広は必ずしも相当ではないと考えるので、前記および後記(4)ないし(6)のことき基準によりひかえめに算定するのが相当であると認める。控訴人らの主張する算定基準は採用しない。
(4) 男子高校生以下
死亡時高校生以下であつた男子については、前記昭和四三年賃金構造基本統計調査報告による産業計・企業規模計の男子労働者新高卒一八才~一九才の平均年間総所得額三五万二、〇〇〇円(平均月間給与二万七、五〇〇円と平均年間賞与その他の特別給与二万、二、〇〇〇円より算出)をもつて、年間の収入とし、その固定方式によつて逸失利益を算定する。
(5) 女子短大生
死亡時短大生であつた女子については、前記昭和四三年賃金構造基本統計調査被告による産業計・企業規模計の女子労働者新高卒以上二〇才~二四才の平均年間総所得額三八万九、五〇〇円(平均月間給与二万六、一〇〇円と平均年間賞与その他の特別給与七万六、一一〇〇円より算出)をもつて、年間の収入とし、その固定方式によつて逸失利益を算定する。

(6) 女子高校生以下
死亡時女子高校生以下であつた女子については、前記昭和四三年賃金基本構造統計調査報告による産業計・企業規模計の女子労働者新高卒以上一八才~一九才の平均年間総所得額二八万五、六〇〇円(平均月間給与二万二、一〇〇円と平均年間賞与その他の特別給与二万〇、四〇〇円より算出)をもつて、年間の収入とし、その固定方式によつて逸失利益を算定する。
(三) 死亡者の年間生活費控除
(1) 扶養家族のある者、配偶者のある者については、年間所得額の三分の一を控除する。
(2) 単身者で世帯の一員として生活を営んでいると認められる者については、年間所得額の五分の二を控除する。
(3) 単身者で世帯の一員として生活を営んでいるとは認められない者については、年間所得額の二分の一を控除する。
(四) 中間利息控除の方式
本件事故当時における現価計算をする場合の中間利息控除については、ホフマン係数(小数点第五位以下は切り捨てる)を用いる。
3 慰籍料
死亡者一人につき、その慰籍料額を三〇〇万円と認定する。たたし、番号(23)の亡O7については二〇〇万円とする。
なお、右のほか、相続権を有しない固有の慰籍料請求権者には、一率三〇万円の慰藉料を認める。
控訴人らは、右程度の慰藉料金額は、本件事案としては低きに失すると主張する。しかし、本件に現れた一切の事情を斟酌すると、右金額をもつて相当と認める。
4 損害の填補
原審における各控訴人らの本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、本件事故を原因として、死亡者一人当たり、自動車損害賠償責任保険金三〇〇万円及び本件バス旅行に関与した三社(P1観光サービス株式会社、P2ジャーナル株式会社、P3観光自動車株式会社)よりの示談金三三万円が支払われていることが認められる。ただし、番号(23)の亡O7についでは二五万円であり、番号(38)の亡O8、番号(39)の亡O9、番号(40)の亡O10については、本判決引用の原判決の親族関係等の項に記載のとおりである。
そこで、右金員を、各死亡者の法定相続人である控訴人らの損害額から、その相続分に応じた割合による金額でそれぞれ控除することとする。
5 労災保険法による保険給付額の控除
(一) 控訴人C1、同C2、同C3は、被控訴人の保険給付額控除の主張は時期に遅れた防禦方法であり、かつ、訴訟の完結を遅延させるものであるから、民訴法一三九条により却下されるべきであり、したがつて、本件附帯控訴は不適法として却下を免れない旨主張する。
ところで、昭和四八年法律第八五号による改正前の労災保険法二〇条の規定は、災害補償の原因である事故が第三者の行為によつて生じた場合に、その第三者の民法上の損害賠償責任と政府の労災保険法上の災害補償責任とは相互補完の関係にあり、同一事由による損害の二重填補を排除する趣旨と解せられ、右改正法一二条の四の規定も根本的には同趣旨と解せられる。これらの規定の趣旨によれば、遺族が現実に労災保険法による保険給付を受けたときは、その価額の限度で、同一事由による第三者に対する損害賠償請求権は政府に代位取得されることにより減縮するものと解するのが相当である。それゆえ、被控訴人としでは、右控訴人らが本件損害賠償請求権と同一事由により現実に労災保険法による保険給付を受けた事実があるときは、本件損害賠償請求権の減縮事由として口頭弁論終結に至るまで提出できる筋合いであるから、本件附帯控訴による保険給付額控除の主張が時期に遅れたものというを得ないし、また、右主張は保険給付の種類、給付額及び給付年月日を特定すれば足りるところ、被控訴人はこれを乙第二四号証によつて立証しようというのであるから、訴訟の完結を遅延させることにもならない。右控訴人らの右主張は採用できない。
(二) そこで、成立に争いのない乙第二四号証によれば、右控訴人らは被控訴人の主張する各遺族補償年金及び葬祭料の保険給付を受けていることが認められる。したがつて、右控訴人らの本件損害賠償請求権のうち、右各保険給付と同一事由による各逸失利益及び葬儀費の損害賠償請求権は、右各給付額の限度で減縮する
ものと認められるので、右各損害額から右各給付額を控除する。
右控除は、損害賠償請求権そのものの減縮によるものであるから、その元本債権についてなされるべきであるが、保険給付のときまでにすでに発生している遅延損害金債権は、元本債権が減縮されたからといつて当然に消滅するものではない。したがつて、右控除に関する計算関係は、(38)の亡O8、(39)の亡O9、(40)の亡O10の各保険給付額控除の項に記載のとおりとなる。 (三) なお、労災保険法(昭和四〇年法律第一三〇号)附則四一条、同法(昭和三五年法律第二九号)附則一六条によれば、遺族補償年金等の給付額についてはいわゆるスライド制が採用されているから、右制度の下に改訂された遺族補償年金給付額を本件逸失利益の損害額から控除することになるが、この点については、一時金賠償たる民法上の損害賠償制度の下においては将来の予想し難い賃金上昇を考慮することは困難であるから、年金制度の下にスライド制を採用している労災保険法上の給付額と民法上の損害額をそのまま対比すること自体疑問であるのみならず、右控除は、前述した二重填補の排除という趣旨により、損害額から保険給付という形で損害の填補があつたと認められる金額を控除しょうというにすぎないから、その限りにおいでは不合理ではないと考える。
6 弁護士費用
弁護の全趣旨によれば、控訴人らは、控訴代理人らに本訴の提起と追行を委任し、その弁護士費用として控訴人ら主張の金員の支払を約していることが認められる。しかして、本件事案の内容、審理の経緯、損害の請求額、算出額(6損害の填補欄に記載の残額。以下同じ。)その他諸般の事情を斟酌すると、控訴人らが被控訴人に対し本件事故による損害として賠償を求め得べき弁護士費用は、算出額(ただし、前記残額が損害の請求額をこえるときは同請求額。)につき、原判決がとつたと同一割合により算出される別紙認容金額目録(一)ないし(四)内訳欄弁護士費用の項に記載の各金額と認めるのが相当である。
7 認容額
ところで、一つの事故により生じた生命侵害を理由とする精神上の損害と財産上の損害(弁護士費用を含めて)との賠償請求の訴訟物は一個であると解するのが相当であるから、算出額が損害の請求額をこえる別紙認容金額目録(二)記載の控訴人らについては、その本訴請求額の限度において、同目録内訳欄記載のとおり損害額と弁護士費用が認容されることになる。
8 なお、前記1の親族関係等にある死亡者の年令のうち、月令を訂正したものは、就労可能年数に影響を及ぼさないので、特に掲記しなかつた。<記載内容は末尾20添付>
第五 結 論
以上のとおりであるから、被控訴人は、別紙認容金額目録(一)ないし(三)記載の各控訴人に対し、同各目録認容金額欄の各金員およびそのうちの内訳欄損害額の各金額について本件事故発生日である昭和四三年八月一八日から、内訳欄弁護士費用の各金額について原判決言渡の日の翌日であること記録上明らかな同四八年三月三一日からそれぞれ支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、別紙認容金額目録(四)記載の控訴人C1に対し、同目録認容金額欄の金員及びそのうちの内訳欄損害額(1)アの逸失利益残額については遺族年金か被控訴人の附帯控訴額まで給付されたと認められる日の翌日である昭和四八年八月六日から、同イの葬儀費残額については葬祭料が給付された日の翌日である同四三年一一月二三日から、同ウの慰籍料額についでは本件事故発生日である同四三年八月一八日から、内訳欄弁護士費用の金額については原判決言渡の日の翌日であること記録上明らかな同四八年三月三一日からそれぞれ支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、同目録記載の控訴人C2に対し、同目録認容金額欄の金員およびそのうちの内訳欄損害額(1)アの逸失利益残額については遺族年金が被控訴人の附帯控訴額まで給付されたと認められる日の翌日である昭和四九年二月六日から、同イの葬儀費及び同ウの慰籍料の各残額についてはいずれも本件事故発生日である同四三年八月一八日から、内訳欄弁護士費用の金額については原判決言渡の日の翌日であること記録上明らかな同四八年三月三一日から、同目録記載の控訴人C3に対し、同目録認容金額欄の金員及びそのうちの内訳欄損害額(1)アの逸失利益残額については遺族年金が被控訴人の附帯控訴額まで給付されたと認められる日の翌日である昭和四八年二月一二日から、同イの葬儀費残額については葬祭料が給付された日の翌日である同四三年一一月二三日から、同ウの慰藉料額については本件事故発生日である同四八年八月一八日から、内訳欄弁護士費用の金額について
は原判決言渡の日の翌日であること記録上明らかな同四八年三旦三日からそれぞれ支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。したがつて、控訴人らの本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却すべきである。
よつて、原判決中、右と結論を異にする別紙認容金額目録(一)記載の各控訴人に関する部分は不当であるから控訴に基づきこれを取消し、右と結論の一部を異にする別紙認容金額目録(二)および(三)記載の各控訴人に関する部分は控訴に基づきその限度においてこれを変更し、右と結論の一部を異にする別紙認容金額目録(四)記載の各控訴人に関する部分は控訴および附帯控訴に基づきその限度においてこれを変更することとし、訴訟の総費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用し、仮執行免脱の宣言は相当でないから付さないこととして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 西川豊長 裁判官 土井俊文 裁判官 寺本栄一)<記載内容は末尾21添付>

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