判例検索β > 平成14年(ネ)第321号
損害賠償請求事件
事件番号平成14(ネ)321
事件名損害賠償請求事件
裁判年月日平成16年7月9日
法廷名広島高等裁判所
判例集等巻・号・頁第57巻3号1頁
原審裁判所名広島地方裁判所
原審事件番号平成10(ワ)52
判示事項1 第2次世界大戦中に日本に強制連行された中国人を劣悪な環境下で発電所建設工事に従事させた行為につき雇用契約関係に準ずる法律関係があったとして安全配慮義務違反の債務不履行が認められた事例
2 第2次世界大戦中の中国人に対する強制連行及び強制労働に伴う安全配慮義務違反の債務不履行を理由とする損害賠償請求権の消滅時効の起算点
3 安全配慮義務違反の債務不履行による損害賠償請求に対する消滅時効の援用が著しく正義に反し条理にもとるとして権利の濫用に当たるとされた事例
4 日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明による同国国民個人の損害賠償請求権の放棄の有無(消極)
裁判要旨1 第2次世界大戦中に,労働力の不足を補うために中国人を被控訴人の管理下に置き,日本に強制連行して,被控訴人の指揮監督により発電所建設工事に従事させたことなど,判示の事情の下では,被控訴人との間には安全配慮義務の発生が問題となる雇用契約関係に準ずる法律関係が成立し,劣悪な環境下で過酷な労働を強いた被控訴人の一連の行為は債務不履行に当たる。
2 第2次世界大戦中の中国人に対する強制連行及び強制労働に伴う安全配慮義務違反の債務不履行を理由とする損害賠償請求権の消滅時効の起算点は,日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約が発効して日本と中華人民共和国の国交回復を経た上,同国において中華人民共和国公民出境入境管理法が施行され一般市民の海外渡航が可能になった昭和61年2月である。
3 判示のように強制連行及び強制労働がそれ自体著しい人権侵害である上,その被害による経済的困窮や国内状況等のために控訴人らによる損害賠償請求権の行使は困難であったもので,控訴人らが権利の上に眠ってきた者とはいえないこと,事実関係の調査や補償交渉等における被控訴人の不適切な態度が控訴人らの権利行使を妨げたとも評価できること,被控訴人は中国人労働者を用いたことに関し戦後国家補償金を取得して利益を得ていることなど,時効を理由に控訴人らの安全配慮義務違反の債務不履行に基づく損害賠償請求権を消滅させることが著しく正義・公平・条理等に反する特段の事情が認められる場合には,被控訴人の消滅時効の援用は権利の濫用として許されない。
4 外国人の加害行為によって被害を受けた者が個人として加害者に対して有する損害賠償請求権は固有の権利であって,その属する国家が他の国家との間に締結した条約をもって放棄させることは原則としてできず,日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明第5項は,そこに明記されていない同国国民個人の有する損害賠償請求権の放棄までも含むものではない。
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主 文
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は,控訴人らそれぞれに対し,各金550万円及びこれに対する平成10年2月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。3 訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。
4 本判決は,第2項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 控訴人ら
主文第1ないし第3項と同旨
2 被控訴人
本件各控訴をいずれも棄却する
第2 事案の概要
本件は,被控訴人が,第2次世界大戦中の昭和19年7月,控訴人A1の父A2,控訴人A3,同A4,同A5の父A6,控訴人A7(1審原告A8の承継人)の伯父A9(以下,各控訴人は姓のみで表示し,既に死亡した被害者本人は「被害者A2」のように「被害者」を付して表示し,全員を併せて「本件被害者ら」といい,生死の如何にかかわらず,被害者各本人を併せて「被害者本人ら」ともいう。)を他の中国人労働者とともに,現在の中華人民共和国の華北から日本に強制連行し,終戦のころまで,広島県山県郡のa水力発電所建設工事現場において強制労働に従事させたとして,控訴人らが,被控訴人に対し,国際法(条約又は国際慣習法。以下同様。)違反,不法行為又は債務不履行(安全配慮義務違反)に基づき,損害賠償(それぞれ慰謝料500万円及び弁護士費用50万円の合計550万円並びにこれに対する訴状送達の日の翌日である平成10年2月10日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金)の支払を求める事案である。 1 原審における当事者の主張は,原判決「事実」の「第二 主張」欄に記載のとおりであるから,これを引用する(ただし,原判決23頁下から4行目の「立たななっていた」を「立たなくなっていた」に改める。)。
これに対し,原審は,次のとおりの理由により,控訴人らの請求を棄却した。
(1) 国際法に基づく損害賠償請求権は認められない。
(2) 被控訴人が,中国の青島で財団法人華北労工協会(以下「華北労工協会」という。)から被害者本人らの引渡しを受けて日本へ連行した行為は強制連行であり,日本国内において被害者本人らを労働に従事させたことは強制労働であって,被控訴人の行為は不法行為を構成するところ,その準拠法は日本法である。しかし,民法724条後段に規定する除斥期間(20年)の経過により,控訴人らの損害賠償請求権は消滅した。
(3) 被控訴人と被害者本人らとの法律関係において,被控訴人が被害者本人らを過酷な生活・労働条件の下で労働に従事させたことは債務不履行(安全配慮義務違反)に当たる。しかし,債務不履行に基づく損害賠償請求権は10年の経過(消滅時効の起算点については,被害者本人らのうち,死亡した者については死亡の時,帰国した者は日本を離れた時であり,さらに,本件被害者らのいずれについても,遅くとも日中国交回復の時。)により消滅した。
被控訴人の時効援用は権利の濫用又は信義則違反ではなく,被控訴人が時効利益を放棄したとも認められない。
2 これを不服として控訴人らは本件控訴を提起した。
なお,1審原告A8は原審訴訟中の平成11年9月10日に死亡し,その相続人らのうち息子である控訴人A7が遺産分割協議により本件訴訟に係る損害賠償請求権を相続し,また,1審原告A2は本件控訴提起後の平成15年8月11日に死亡し,その相続人らのうち息子である控訴人A1が遺産分割協議により本件訴訟に係る損害賠償請求権を相続した(弁論の全趣旨)。
3 当審における争点は,原審とほぼ同様であり,次のとおりである。 (1) 被控訴人による強制連行及び強制労働の有無
(2) 国際法違反に基づく損害賠償請求の可否
(3) 不法行為に基づく損害賠償請求の可否
ア 不法行為の成否
イ 準拠法
ウ 民法724条後段の適用の可否

(4) 債務不履行(安全配慮義務違反)に基づく損害賠償請求の可否 ア 安全配慮義務違反の成否
イ 消滅時効の成否
ウ 時効援用権の濫用又は信義則違反の有無
エ 時効利益の放棄の有無
(5) 「日本国との平和条約」(以下「サンフランシスコ平和条約」という。),「日本国と中華民国との間の平和条約」(以下「日華平和条約」という。),「日本国政府と中華人民共和国政府との共同声明」(以下「日中共同声明」という。)及び「日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約」(以下「日中平和友好条約」という。)による控訴人らの損害賠償請求権の放棄の有無(当審における新しい争点)
(6) 損害額
4 当審における当事者の主張は次のとおりである。
(控訴人ら)
(1) 争点(2)(国際法違反に基づく損害賠償請求)について ア わが国においては,明治憲法下から,条約が公布により国内法としての効力を有することは,学説,裁判所の判決のいずれにおいても認められていたが,この点は,日本国憲法下では一層明らかである。すなわち,憲法98条2項は,「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は,これを誠実に遵守することを必要とする。」と規定している。そして,同法99条は,国内法の実現の任を担う裁判官の憲法尊重擁護義務を課していることからすれば,司法府に国際法の国内的平面での履行確保の役割を委ねたものにほかならないというべきである。 ところで,原判決は,条約の自動執行性(国内法による補完ないし具体化を必要としないで,そのまま国内法として直接実施し私人間の法律関係を規律することができる効力。自動執行力ともいう。)について,当該条約自体が,私人の権利義務の発生要件,効果,手続等を明白に定め,国内法による補完ないし具体化を待つまでもなく,国内において裁判規範としての執行が可能な体裁を具備している必要があるとする。しかし,このような客観的明白性の要件は,いわゆる直接適用可能性(直接適用可能な条約とは,国内裁判所でそのまま適用されることを国際法的に義務づけられているもので,これを国内で適用しなければ国際法違反となるものをいう。)の客観的要件として提起されたものであって,国際的平面での問題であり,条約(国際慣習法を含む。以下同様。)が自動執行力を有するかどうかは国内法の問題である。すなわち,国際法をどのように実施するかは各国の裁量に委ねられているのが現状であるところ,日本においては,前記憲法の規定に照らし,直接適用可能性の要件とされる客観的明白性までを要求することは司法の責任放棄に等しく,許されることではない。
実際の裁判例としては,条約違反の行為を違法として損害賠償を認めるもの,あるいは直接条約を適用したものなどがあり,条約が国内法として裁判規範となる場面や適用の方法は様々であり,条約それ自体が問題になるのではなく,条約上の個々の規定がその事案における個人の権利義務関係にどのように適用ないし準拠させるのが妥当かどうかが判断されなければならない。
イ 前記を踏まえれば,次のとおり,ILO第29号条約(「強制労働ニ関スル条約」。以下「強制労働条約」という。)は,国内において裁判規範性を有するというべきである。
(ア) 国際労働機関(ILO)の下では,大正8年(1919年)の設立以降数多くの国際労働保護条約が成立して現在に至っているところ,ILO条約は,自国民の取扱いを規定しているところから,個人の救済が本国の外交保護権による間接的なものにとどまるという伝統的国際法とは異質である点,及び国家間の利益調整ではなく,各国内の労働者の権利,労働条件の確保,保障という個人の権利等を目的とする点に特殊性があり,これらの労働条約の大部分が労働者の労働条件を直接具体的に定め,あるいは労使の関係を直接具体的に定めている。そして,日本においてもILO条約は,労働条件や労使関係を直接に規律するものと解されてきた。
(イ) 強制労働条約も前記の特殊性を有するILO条約の一つとして昭和7年条約第1号として公布され,国内法律と同一の効力を生じたものである。そうだとすれば,同条約1条により,日本国内においては「一切ノ形式ニ於ケル強制労働ノ使用」は廃止されなければならず,これに反した強制労働は違法となる。また,同4条,5条により,「私ノ個人,会社,又ハ団体」がその利益のために強制
労働をさせたり,仮に特権的な免許を得たとしても,いかなる形式の強制労働も生じさせることは禁止され,これに反すれば,やはり違法となる。さらに,同15条1項は「労働者ノ労働ニ起因スル災害又ハ疾病ニ対スル労働者補償に関スル法令又ハ規則及死亡シ又ハ無能力ト為リタル労働者ノ被扶養者ノ為ノ補償ヲ規定スル法令又ハ規則ニシテ関係地域ニ於テ実施セラレ又ハ実施セラレルベキモノハ強制労働ガ強制セラルル者及任意労働者ニ等シク適用セラルベシ」と規定し,同17条は「労働者ガ労務場所ニ長期間留ルコトヲ必要ナラシムル建設又ハ保存ノ事業ノ為強制労働ヲ使用スルコトヲ許可スルニ先チ権限アル機関ハ左記ヲ確ムベシ①労働者ノ健康ヲ保障シ且必要ナル医療ヲ確保スル為一切ノ必要ナル措置ガ執ラルルコト就中(a)労働者ガ労務開始ニ先チ及労務期間中一定ノ期間毎ニ医学的検査ヲ受クルコト(b)一切ノ要求ニ応ズル為必要ナル薬局,病舎,病院及設備ト共ニ充分ナル医員ガ存在スルコト(c)労務場所ノ衛生状態並ニ飲料水,食糧,燃料,炊事道具及必要アル場合ノ住居及被服ノ供給ガ満足ナルコト」などと規定し,具体的に安全配慮義務を定めている。
これらの規定は,国内法的効力としての裁判規範に欠けるところはなく,強制労働条約の目的を国内的に実施する意味からすれば規範的効力を認める必要があるものである。特に前記17条の規定は,国内法的効力ばかりか,国際法的平面における直接適用可能性の側面からも明確な規定といわなければならない。 (ウ) 原判決は,強制労働条約25条が「強制労働ノ不法ナル強要ハ刑事犯罪トシテ処罰セラルベク又法令ニ依リ科セラルル刑罰ガ真ニ適当ニシテ且厳格ニ実施セラルルコトヲ確保スルコトハ本条約ヲ批准スル締盟国ノ義務タルベシ」として,締盟国に強制労働を刑事罰をもって禁止することを明確に義務づけているにもかかわらず,その刑事罰に関する具体的な規定もない,などとする。しかし,国際社会においては,1990年代までは,国際機関としての国際刑事裁判所が設立されたことはなく,国際刑事法の主要な構造は,国際法の国内的な実施であった。つまり,国際法は,国内法が国際法上の規範を受け止めることにより特定の犯罪について国内法の処罰の法制を整えることを促す役割作用として働いてきたのである。それは,刑罰権が,私人間の権利義務の規律とは異なり,いずれの国でも国家権力が独占していて,大幅な裁量を認めざるを得ず,国際刑事法の義務づけは「結果の義務」にとどまらざるを得なかったからであり,昭和5年(1930年)に採択された強制労働条約もこのような歴史的制約を免れ得なかったのである。条約目的達成のために締盟国が採るべき措置についても条約が規律し,「方法の義務」を締盟国に負わせる傾向が生じてきたのはようやく近年のことである。
このように歴史的制約から国際刑事法の実施が「結果の義務」にとどまらざるを得ないとしても,民事的権利義務の規律については,そのような制約はなく,条約の国内法的効力によって,場面に応じ,裁判所が主体的に解釈適用を図ることができる構造になっているのであり,条項,事案に応じて解釈適用を具体的に検討していくべきである。
(2) 争点(3)ウ(民法724条後段の適用)について
ア 民法724条後段は,次の理由から時効期間を定めたものと解すべきである。
(ア) 同条後段の文言が,その前段の「時効ニヨリテ消滅ス」とあるのを受けて,「亦同シ」とされていることにかんがみると,後段も時効期間を定めたものと解するのが相当である。
(イ) 民法起草者もこの規定を時効と解していた。
(ウ) 立法の際参照されたドイツ民法草案及び現行ドイツ民法でも長期の期間は時効と解するのが判例・通説であり,しかも長期の期間は一般の消滅時効期間と同じく30年と解されている。
(エ) 長期時効と解しても,前段のように起算点に被害者側の主観的認識を含めないのであるから,そこに二重規定の意義を認めることができる。 (オ) 長期時効として,20年の期間の中断を考えた場合も,時効中断の前提として,被害及び加害者を知っているはずであるから,その時から短期の消滅時効が進行するはずであり,浮動性の排除の点で,除斥期間と解することとそれほどの差異はない。
(カ) 短期の消滅時効の中断を繰り返し継続していけば,権利は永続するかもしれないが,それは権利一般に当てはまることで,不法行為に基づく損害賠償請求権の場合にだけ,権利一般には認められないことを認めるべき理由はない。 (キ) 除斥期間説を採用した最高裁平成元年12月21日第一小法廷判決
(民集43巻12号2209頁)においても,河合裁判官が不法行為法の「損害の公平な分担」という理念を前提として,同条後段を時効と解すべきであるとする反対意見を述べている。
イ 本件においては,次のとおり,被害者A2が戦後初めて来日し,被控訴人の中国支店に赴いた平成5年(1993年)8月3日をもって,民法724条後段の「不法行為ノ時」,また,同条前段の「損害及ヒ加害者ヲ知リタルトキ」と解すべきである。
(ア) 同条後段の期間を時効期間と解すべきである以上,権利行使の期待可能性のあることが時効期間の進行の前提とされなければならない。このように解しても,不法行為の成立が明白であり,かつ,損害が填補されていないことに争いがなければ,損害賠償請求権を消滅させなくとも損害の公平な分担という理念に照らして不都合はなく,このような場合,権利消滅を期待する側の賠償責任を免れるという利益は保護に値せず,権利消滅させることは,かえって,正義に反することになる。
(イ) 時効に関しては,民法総則において定められており,不法行為に関する民法724条は,その特則であるところ,同条の解釈においては,民法167条に規定する時効の起算点について,法律上の障害がないことのみならず,事実上の障害がないことと解されていることを加味すべきである。
すなわち,最高裁昭和45年7月15日大法廷判決(民集24巻7号771頁)は,「弁済供託における供託物の払渡請求,すなわち供託物の還付又は取戻の請求について『権利ヲ行使スルコトヲ得ル時』とは,単にその権利の行使につき法律上の障害がないというだけでなく,さらに権利の性質上,その権利行使が現実に期待できるものであることをも必要と解するのが相当である。」と判示している。
(ウ) また,民法724条前段の「損害及ヒ加害者ヲ知リタル時」について,最高裁平成14年1月29日第三小法廷判決(民集56巻1号218頁)は,「被害者が損害の発生を容易に認識し得ることを理由に消滅時効の進行を認めるとすると,被害者は,自己に対する不法行為が存在する可能性のあることを知った時点において,自己の権利を消滅させないために,損害の発生の有無を調査せざるを得なくなるが,不法行為によって損害を被った者に対し,このような負担を課すことは不当である」として,「わずかな努力によって損害や加害者を容易に認識し得るような状況にある場合には,その段階で,損害及び加害者を知ったものと解する」とした原判決を破棄し,「被害者が損害を知った時とは,被害者が損害の発生を現実に認識した時をいう」と判示している。
ウ 前記のとおり,本件においては,平成5年(1993年)8月3日を時効の起算点とすべきであるが,さらに,次のとおり,控訴人らと被控訴人との間の補償交渉の継続中は,時効が停止していたと考えるべきである。
被害者A2が,平成5年(1993年)8月3日に被控訴人中国支店を訪問し,自らの苦難の経験を話し,被控訴人に対し,事実を認めて謝罪することや損害賠償などを要求したのを初めとし,強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会(以下「交流をすすめる会」という。)のメンバーらとともに,①公式の謝罪,②追悼碑,記念館の建設,③賠償と補償の3項目の要求をもとに,被控訴人と交渉するようになり,平成6年(1994年)5月には,加害企業が被控訴人であることを知った控訴人A3も被控訴人に対して同様の要求を行うようになり,平成7年(1995年)5月26日には来日して被控訴人東京本社において交渉をした。控訴人A5も同年8月4日に来日し,被控訴人中国支店において,前記3項目のほか,死亡通知を出すこと,遺骨を遺族の元に返すことなど遺族としての要求を加えた6項目の要求をした。さらに,同月15日には,aに強制連行された被害者や遺族らは「a強制連行・広島原子爆弾受難者聯誼会準備委員会」を結成し,日本政府と被控訴人に対し,真相の究明と公式謝罪及び受難者らに対する補償などを求めた。
この間,被控訴人は,自らが事実を調査し,交渉自体には応じる態度を示してきた。すなわち,被控訴人は,平成6年(1994年)4月5日付け被控訴人中国支店支店長名の回答書で,事実調査については,「当社にて独自に」行う旨明言し,同年7月10日に交流をすすめる会が主催した訪中報告会に被控訴人の交渉担当者B事務部長(当時。以下「B事務部長」という。)などが出席して中国人の被害事実の報告を聴いたり,同年11月17日にb町で行われた当時のことを知る地元住民からの事情聴取の機会にもB事務部長らが立ち会った。平成7年(19
95年)5月26日に控訴人A3が来日して被控訴人東京本社において交渉した際も,C総務部長(当時)が,控訴人A3の失明の原因となった事故の有無を調査することを約束した。その後,被控訴人は,前記C総務部長名の同年7月21日付け回答書で,事実確認はできなかった旨回答したものの,同年10月25日の交渉では,B事務部長から事実調査の中間報告があったほか,平成8年(1996年)6月27日の交渉では,被控訴人は,賃金を支払っていたとする被控訴人の主張に根拠がないことを認め,また,控訴人A3の失明事故について,解決の余地を残す発言もした。
ところが,同日,被控訴人は,初めて,戦争中に起きた事柄は,昭和47年(1972年)の日中共同声明,昭和53年(1978年)の日中平和友好条約で解決済みと主張し,平成9年(1997年)5月13日の交渉でも,同様の主張を繰り返し,翌14日の交渉において,被控訴人は控訴人らの要求を全面的に拒否したため,控訴人らは,本件訴訟提起に至ったものである。
このように被控訴人は,交渉過程において一度も消滅時効を問題とせずに事実関係の存否のみを問題にしてきたのであり,控訴人らとしても,被控訴人の前記一連の対応から,話合いによる解決に期待を抱いており,そのため,訴訟提起に踏み切ることは不可能であった。こうした事情のもとでは,補償交渉が継続している間は,時効が停止していたものと考えるべきである。
なお,民法161条は,天災・事変のときに,その障害事由の止みたるのち2週間内は時効が完成しないことを認めているところ,その趣旨は,現実の権利行使の可能性を考慮して,時効が完成しない場合を規定したものである。その趣旨からすれば,控訴人らのように外国にいる権利者が権利を行使しようとする場合には,天災・事変以上の障害事由があるというべきであるから,これに相当した期間の延長が認められるべきであり,本件では,時効は未だ完成しないというべきである。
エ 原判決のように民法724条後段を除斥期間を定めたものと解し,その起算点が1945年であるとしても,次のような事情を考慮するなら,本件において,控訴人らに発生した不法行為に基づく損害賠償請求権について,同条項を適用して,権利を消滅させることは著しく正義・公平の理念に反し許されないといわなければならない。
(ア) 原判決が,最高裁平成10年6月12日第二小法廷判決(民集52巻4号1087頁)が判示した同条項の適用が制限される場合の「特段の事情」について,その射程を狭く解したのは誤りである。
すなわち,同最高裁判決は,「不法行為の被害者が不法行為の時から20年を経過する前6箇月内において不法行為を原因として心神喪失の常況にあるのに法定代理人を有しなかった場合において,その後当該被害者が禁治産宣告を受け,後見人に就職した者がその時から6箇月内に右不法行為による損害賠償請求権を行使したなどの特段の事情があるときは,民法158条の法意に照らし,同法724条後段の効果は生じないと解するのが相当である。」としたものであるが,同事案を厳密に考えるなら,同被害者(原告本人)が未成年者である間は,親権者があるのであるから,親権者が法定代理権に基づき権利行使をすることも可能であった。しかし,同最高裁判決は,「自らが権利行使をできない状況にした加害者が20年の経過により損害賠償を免れる結果となり,著しく正義・公平の理念に反するものといわざるを得ない。被害者を保護する必要がある限度で,民法724条後段の適用を制限することは条理にも適う。」と述べて,ここに除斥期間の適用の相当性の基準を明らかにしたのである。したがって,本件もこの観点から検討されなければならず,次項以下に述べる事情に照らせば,除斥期間の経過を理由に被控訴人の損害賠償責任を免除することは著しく正義・公平の理念に反することが明らかになる。
(イ) 本件における被害は,強制労働の過酷なこと,その後,帰国してからも被害が継続かつ拡大しているという特殊性を有していることに加え,以下のとおり,控訴人らが権利を行使することは不可能であった。
① 被害者本人らは,本件強制労働により身体的な後遺症等を負ったため,帰国後は経済的にも貧しい生活を余儀なくされ,社会的にも低い生活を送らねばならなかった。しかも,被害者本人らの帰国後の居住地域は,いずれも地方の片田舎であった。このようなことから,被害者本人らは,本件苦難を訴え出るという知識もなく,相談できる機関もないなど方法も存しなかった。
特に,控訴人A3は,本件強制労働における失明事故により情報の
入手が著しく困難であり,平成6年(1994年)になりようやく被控訴人が加害企業であることを知った。また,控訴人A5及び同A7は,被害者本人である親族が本件強制労働現場等日本で死亡したものであるが,こうした事情を全く知り得なかったし,知る術もなく,本件訴訟提起に先立つD河北大学助教授(以下「D助教授」という。)からの情報提供がなければ到底知り得なかった。
② 戦後中国においては,日本に対する反感が極めて強く日本国や日本人と接触していたというだけで迫害の対象となった。当時の中国の民衆は戦時中の日本軍などによる中国人に対する迫害状況から,日本に連行されて無事に帰国できるなどとは信じられず,「日本に行って稼働した」こと自体が,敵国の日本と通じていたものとみなされた。この民衆の認識は,文化大革命時には排外主義と相俟って,日本と接触したこと自体がスパイ行為や裏切り行為とみなされ,批判集会に連れ出されて厳しい追及を受けることとなった。
このような中国における政治状況の下では,被害者本人らは,本件強制連行及び強制労働の事実を話すことさえ不可能であった。
③ 前記①のとおり,被害者本人らは帰国後,経済的に困窮しており,自らの生活の維持に精一杯であって,来日して本件訴訟提起を行うことは到底困難であったが,このような状況は被控訴人が作り出したものである。また,往復の渡航費用は,現在の中国通貨で7800元であるが,この金額はD助教授の7か月分の給与に相当するもので,一般庶民には日本に渡航すること自体不可能である。さらに,中国人が日本に渡航する際に必要なパスポートを取得するためには日本における身元引受人となる個人又は団体が発行する招聘状が必要であるが,控訴人らには,招聘状を発行してくれるような知り合いがいるはずもなく,渡航自体不可能であった。
④ 中国は昭和31年(1956年)から社会主義国家となり,所有観念は否定され,公民である個人が私的な利益に基づき他者に損害賠償を請求すること自体が否定されていた。中国において個人的利益に基づいて請求が認められるようになったのは,人民公社制度の廃止により個人所有が認められ,昭和62年(1987年)に民法通則が制定されて以降である。この手続を行い得るのは弁護士活動を行う「律師」であるが,その制度が復活したのも同年であり,民衆がこの法律を理解し,裁判において賠償請求を行うことが一般化したのは,ようやく1990年代に入ってからである。
⑤ さらに,戦後,日中の国交は断絶されていたため,控訴人らが来日することはできず,国交が回復したのは昭和53年(1978年)8月12日に日中平和友好条約が締結された以後のことである上,これに先立つ昭和47年(1972年)の日中共同声明で,中国政府が日中戦争の損害賠償請求権を放棄したため,民間人の個人的損害賠償請求権も放棄されたのではないかとの疑念が中国国民に生じてしまい,平成7年(1995年)3月7日,中国のS副首相兼外相(以下「S外交部長」という。)が「日中共同声明における日本国の戦争賠償請求の放棄には個人の賠償までは含まれるものではない」と発言して,個人レベルの民間人の賠償請求は直接日本に対して行えることが明らかになって,ようやく控訴人ら中国国民は,民間賠償において,直接被控訴人を相手方として損害賠償請求することを認識し得たのである。
(ウ) 一方,被控訴人は,以下に述べるとおり,種々の背信的行為をしてきたものである。
① 被控訴人は,戦後,外務省の求めに応じて外務省報告書(甲98)作成の基礎資料となった事業場報告書(「華人労務者就労顛末報告書」〔甲2。枝番を含む。以下同様。〕。)を作成したが,このうち待遇に関する事項や死亡診断書等は,戦犯追及を免れるため,虚偽の内容を記載した。しかも,被控訴人において,本件に関する資料が存在していたこと,賃金を支払ったように処理しながら実際には全く支払わなかったこと,広島県食糧事務所から食糧を受給しながら,被害者本人ら中国人労働者にはドングリの粉などで作ったマントウ1個を与えるだけで,食糧を搾取していたこと,などの事実が明らかになっていたにもかかわらず,事実の認否に際し,資料は全くなく,認否のしようがないとしただけでなく,これらの事実を隠して「華北での生活よりも高水準であった」などと主張した。このように,被控訴人は,明らかに証拠隠しを行ったものである。
本件強制労働行為は,明らかに強制労働条約等の国際法に違反する行為であるから被控訴人が事実をありのままに報告していたら,当時の占領軍であるGHQが戦争犯罪として追及するなどして,被控訴人の違法行為は明らかにな
り,控訴人らに対する被害弁償を余儀なくされたか,少なくとも賃金相当分の支払が実現していたはずであり,被控訴人らの虚偽の報告や証拠隠しは重大な問題である。
② また,被控訴人は,昭和35年(1960年)3月21日の広島県の中国人労務調査に対する回答に際し,関係資料がわずかしかなく詳細な回答ができない理由として,労務管理は現場において行われており詳細な報告は支店まで送付されないこと,中国人労務者を使用したa出張所は他の事業場と同様終戦の混乱裡に文書の処理状況が不明であること,労務管理の概要に関する現場から本社への文書も社屋の被接収による3回の移転により散逸したことを挙げ,昭和40年(1965年)6月20日に広島県が実施した調査に対しても資料が存在しないこと,関係者が不明であることなどを回答しているが,広島県は独自調査により,戦時中被控訴人の労務係で調査当時岡山出張所所長であったEをつきとめ,資料が存在したことも明らかにされている。
③ さらに,被控訴人は,平成5年(1993年)以降,約4年間にわたり,控訴人らと交渉を継続し,この間,調査する素振りを見せながら交渉を長引かせ,控訴人らの権利行使を遅らせてきたという事情もある。
さらに,被控訴人は,広島県からの調査において資料の存在が明らかになっていたにもかかわらず,本件訴訟の当初において,本件強制連行及び強制労働については資料が存しないため「知らない」と主張したばかりか,控訴人らは強制連行により華北におけるよりも高水準の生活を送ることができたなどと,控訴人らの気持ちを逆なでするような主張をするなど被控訴人の応訴態度は不誠実きわまりない。
被控訴人は,本件訴訟の審理においてはもとより,訴訟提起以前から全く誠意がないばかりか,人間性がないと思える背信的な対応を一貫して行っている。
(エ) 被控訴人は,華北労工協会との契約では,新華院における適格者の選出による中国人300人の割当てであったにもかかわらず,出航地である青島で規定外に63人もの中国人を狩り集めている(この追加拠出への被控訴人の関与について,原判決は,「推論の域を出ない」と認定したが,生活事実とは異なる歴史事実の公証のあり方を取り違えているといわざるを得ず,失当である。)。中国人強制連行に関わった他の企業をみても,割当て以外に2割以上もの中国人を連行した例は他にない。被控訴人が,このようなことを行い得たのは,被控訴人が単に有力企業であるとか,規模が大きいとかの理由によるのではなく,特権的地位を付与され(長年にわたる日本政府の中国人労働者の入国禁止という国策を一部解除して,日本政府は被控訴人ら企業に特権を付与したのである。),事実上の権力を行使し得たからであって,このことは,被控訴人が強制連行そのものにいかに積極的に関与していたかを示すものである。
(オ) さらに,被控訴人は,中国人労働者に対し,賃金を全く支払わず,満足な食事の支給もしなかったにもかかわらず(したがって,そもそも後記の国家補償金を要求する要件を有していなかった。),賃金の支払及び十分な食事の支給を前提として,戦後,強制労働の実施による損失補償として,日本政府から不当にも国家補償金を獲得している。
国家補償金とは,日本に強制連行してきた中国人を各企業が強制労働させるに当たり,賃金その他の経費のうちの一部を国家が企業に補償するというものである。昭和17年(1942年)の「華人労務者内地移入ニ関スル件」の閣議決定を受けた昭和19年(1944年)の「華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件」の次官会議により,中国人移入及び送還に関する費用について各事業場に対して国家補償金支払の道が開かれ,その後の「華人労務者賃金基準」,「華人労務者給与規定要綱」等により具体化が図られた。そして,中国人の給与は1日約5円プラス食費50銭とされ,そのうち日本での能力水準からみて相応な額を事業主が支払い,給与・食費との差額を国家が補償するが,当面は事業主が立替払いするという原則がたてられた。しかし,その具体的な支払方法が決定されないまま終戦を迎えたことから,被控訴人を含む企業は一体となって,終戦直後から国家補償金獲得に向けて積極的に乗り出し,これらの企業は,結果的に終戦後事業主が負担した休業手当その他の損失及び終戦前損害金(賃金差額,給食費国庫負担額,募集費損失金等)の国家補償金を獲得するに至るが,その中心的役割を果たした日本建設工業統制組合(昭和20年〔1945年〕11月1日戦時建設団に替わって設立された土木建築業者の組合)華鮮労務対策委員会には被控訴人の最高幹部も加わり,組合
ないし委員会の最終的な判断に関与していた。
被控訴人が獲得した国家補償金は75万7151円であるが,同金額は現在の貨幣価値に換算すると約30億円にものぼるものであり,被控訴人は,戦時中強制連行及び強制労働により多くの利益を得ただけでなく,戦後においても莫大な利益を受けたのである。しかも,国家補償金の取得に当たって,日本建設工業統制組合は,中国人の労働能力を1日2円98銭と勝手に判断した上,前記5円との差額を,連行された中国人が全員生存したままで終戦を迎えたものとして計算して要求するという,悪質な水増し工作までした事実が明らかとなっている。 被控訴人ら業界各社が,国家補償金獲得に向けて積極的な活動を展開していたころ,F組のc鉱山出張所の中国人収容施設における戦争犯罪事件の摘発が始まっており,F組は,その問題を国家補償金獲得の工作において中心的な役割を果たしていた前記華鮮労務委員会に持ち込んだところ,関連業者14者が弁護団体制を共同で組むに至ったが,その理由は,戦犯として追及されるという問題が関連各社に波及するおそれがあることを認識していたからであるというべきである。すなわち,被控訴人ら関連各社は,中国人を強制連行し強制労働させたことが戦争犯罪の処罰対象となることを知っていながら,一方で,裏面工作等の手段によって摘発を避け,他方で戦争犯罪行為に基づく利得確保のための工作を続けたのである。
GHQが,昭和20年(1945年)11月24日,「戦時利得の除去及び国家財政の再編成に関する指令」により,戦時利得の没収,軍需補償の打切りを明示した(その趣旨は,戦争は経済的にみて,利益のあるものではないことを日本人すべてに対して知らしめるというところにあった。)のを受けて,昭和21年(1946年)の第90回帝国議会で「戦時補償特別措置法」(同年10月30日施行)が成立し,政府に戦時補償請求権を有するか又は既に決済を受けた者に100%の戦時補償特別税を課すことが定められたが,被控訴人が取得した国家補償金は,大蔵大臣の除外例の定めを利用した政府内部の運用(大蔵省令の改正。昭和21年〔1946年〕12月3日施行)により課税を免れたのである。前記GHQ指令及びこれを受けた戦時補償特別措置法の趣旨からすれば,被控訴人ら企業に対する適用除外は脱法措置であることが明らかである。
(3) 争点(4)ア(安全配慮義務違反)について
強制連行,強制労働について,その歴史的背景,当時の日本国や日本企業の動向をも含め,強制連行,強制労働の行われてきた一連の事実経過,その仕組み及び内容に照らせば,連行した中国人を労働者として,総動員体制下の国内法秩序に組み入れて使役した実態は明らかであり,このことからすれば,被控訴人の行為が安全配慮義務違反であることは明白である。
(4) 争点(4)イ(消滅時効)について
ア 原判決は,安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権は民法167条1項により10年と解され,その起算点は,同法166条1項により「権利ヲ行使スルコトヲ得ル時」から進行するものと解されるから,一般に,安全配慮義務違反の不履行に基づく損害賠償請求権は,その損害が発生した時に成立し,同時にその権利を行使することが法律上可能となるというべきであるとして,控訴人らが,被控訴人の安全配慮義務違反による損害賠償請求権を法律上行使できる時は,遅くとも被害者本人らがa事業場における被控訴人の処遇下から離脱した時としたが,このような時効の起算点に関する原判決の考え方は,現実を無視したもので,被害者を救済するために生まれてきた安全配慮義務の法理を全く無意義にするものである。 イ 前掲最高裁昭和45年7月15日大法廷判決は,供託金払渡請求権という権利の性質に着目して,その権利行使が現実に期待できる時をもって,「権利ヲ行使スルコトヲ得ル時」との解釈基準を示したものであり,これ以後の判決例は,問題となった権利の性質を踏まえて「権利行使の現実的期待可能性」の起算点を具体化してきており,最高裁平成15年12月11日第一小法廷判決(民集57巻11号2196号)においてもこの考え方が確認されている。そして,この趣旨は,不法行為の消滅時効を定めた民法724条の「損害及ヒ加害者ヲ知リタル時」の解釈にも活かされ,前掲最高裁平成14年1月29日第三小法廷判決に至っている。さらに,最高裁平成8年3月5日第三小法廷判決(民集50巻3号383頁)は,自賠法72条の保障金支払請求権について,その消滅時効は民法166条1項により権利を行使することを得る時から進行することを前提として,「『権利ヲ行使スルコトヲ得ル時』とは,単にその権利の行使につき法律上の障害がないというだけでなく,さらに権利の性質上,その権利行使が現実に期待できるものであることを
も必要と解するのが相当である」として,前掲最高裁大法廷判決の射程が,供託金払渡請求権に限定されるものではないことを明確にした。
このような流れの中で,長崎じん肺訴訟の上告審判決である最高裁平成6年2月22日第三小法廷判決(民集48巻2号441頁)は,「雇用者の安全配慮義務違反によりじん肺に罹患したことを理由とする損害賠償請求権の消滅時効は,最終の行政上の決定を受けたときから進行するものと解するのが相当である。」と判示した。同判決は,「雇用契約上の付随義務としての安全配慮義務の不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効期間は,民法167条1項により10年とされ,右10年の消滅時効は,同法166条1項により,右損賠償請求権を行使し得る時から進行するものと解される。そして,一般に,安全配慮義務違反による損害賠償請求権は,その損害が発生した時に成立し,同時にその権利を行使することが法律上可能となるというべきところ,じん肺に罹患した事実は,その旨の行政上の決定がなければ通常認め難いから,本件においては,じん肺の所見がある旨の行政上の決定を受けた時に少なくとも損害の一端が発生したものということができる。しかし,このことから,じん肺に罹患した患者の病状が進行し,より重い行政上の決定を受けた場合においても,重い決定に相当する病状に基づく損害を含む全損害が,最初の行政上の決定を受けた時点で発生していたものとみることはできない。」とした。同判決は,前掲最高裁昭和45年7月15日大法廷判決の趣旨からすれば,被害者の損害賠償請求権の性質に即して現実に権利行使が期待できる基準を「最終の行政上の決定を受けた時」と統一的に示したものというべきであり,実質的にはその趣旨を具体化したものといえる。それは,つまり,民法166条1項の解釈を明らかにするというよりも,じん肺の発症の実態を直視して妥当な起算点を明らかにした実務的判決であり,その具体的判断の中に民法166条1項の形式的解釈による不合理を解消しようとしているのであって,前掲大法廷判決が示した「現実的期待可能性」の基準を否定するものではない。
ウ これを本件についてみると,被害者本人らは,戦後中国に帰国し,中国に居住してきたために,前記(2)エ(イ)①ないし⑤のとおり,権利行使が不可能であったのである。これらの事情は,控訴人らの主観的,あるいは個別的な事情ではなく,控訴人らにとって,権利行使は,絶対的かつ客観的障害の中で閉ざされていたのであって,これを単なる地理的条件等と矮小化することは許されない。このことは,権利者の属性というより,まさに外国人である中国人が日本国内に強制的に連行され,強制労働させられたことによって発生した損害賠償請求権の性質に属するというべきである。すなわち,従来から述べられている「『権利ヲ行使スルコトヲ得ル時』を,債権について法律上の障害がなくなった時であり,権利行使について事実上の障害があることは消滅時効の進行を妨げない」とする理論においても,そこで考えられてきた「事実上の障害」とは,「債権者の病気その他の個人的な事実上の障害」であり,これに権利の不知を加えたとしても,そのような障害を持たない権利者であれば権利行使が可能であるという前提であったところ,控訴人らの場合,権利行使が,その立場に置かれれば,客観的には可能であるのに,ある個々人にとっては行使できないやむを得ない事情がある,というのではなく,その立場に置かれたならば誰であろうと,権利行使は客観的に不可能であったのである。原判決は,権利行使の可否に関する請求権者の主観的認識,経済状態,地理的条件等の事実上の障害は,時効の進行を妨げる事由にはならないとしているが,本件における障害は,個々人の事情をはるかに超えた国際的,制度的な客観的障害であって,何人をもってしても乗り越えたり克服したりできないものであったのである。そして,控訴人らにおいて,権利行使が客観的,かつ現実的に可能になったのは,前掲の平成7年(1995年)3月7日の中国のS外交部長の発言のころ以降である。 (5) 争点(4)ウ(時効援用権の濫用又は信義則違反)について ア 原判決は,本件の被害の重大性や多大な損害等は時効援用権の濫用の要件にはならないとしている。しかし,時効の援用が権利の濫用であるかどうかの判断には,原判決も述べるように,債務者が時効を援用することが社会的に許容された限界を逸脱するかどうかが問題なのであり,その場合に考慮すべき要素の中に本件被害の重大さや安全配慮義務違反の態様や程度は当然考慮すべきものであり,被控訴人の事後の対応を含めて検討すべきが当然である。この点に関し,筑豊じん肺控訴審判決である福岡高裁平成13年7月19日判決(判時1785号89頁)は,「権利の行使を妨害する等の債務者の側に責めるべき事由あったことを認めるに足りる証拠はないが,債権者らのじん肺患者は,先に認定判断したとおり,債務者らの長年にわたって続けられた重大な安全配慮義務違反によって惹起されたもの
であって,その被害は,極めて長期にわたり,重篤であり,債権者らは,そのような被害に耐えながら,入退院を繰り返したりして,困窮した生活を送っているのに対し,債務者らは,十分なじん肺対策を施さなかったことによる設備投資の省略などによる利益を受けているだけでなく,強大な資本力を持つ大企業であること,(中略)本件において認められる事実関係の下においては,(中略)消滅時効を援用して,損害賠償義務を免れさせることは,著しく正義に反し,条理にも悖るものというべきであり,債務者らの消滅時効の援用は権利の濫用として許されない。」とし,きめ細かな認定をしている。このように,時効援用権の濫用になるかどうかの判断については,画一的な法解釈論ではなく,個別具体的な事情を考慮し,消滅時効を援用することが著しく正義に反し,条理にも悖るか,社会的に許容された限界を逸脱するか,また時効制度の趣旨に照らして妥当か否かが検討されなければならない。
イ これを本件についてみると,以下に述べるような事情から,被控訴人の消滅時効の援用は,明らかに権利の濫用というべきである。
(ア) 被害者本人らが被控訴人によって受けた被害はいうまでもなく極めて重大である。突然家族から引き離されて日本に連行され,過酷な条件の下,重労働を強いられ,その後半世紀以上も精神的,身体的後遺症で悩まされ続け,経済的にも困窮した生活を続け,政治的には,日本に行ったことがあるというだけで迫害され続けた現実は,およそ生きた人間が受ける被害としては最たるものであることは否定できない。
(イ) 原判決も具体的に認定した安全配慮義務違反の態様から明らかになることは,被控訴人が,被害者本人らの安全に配慮するどころか,人間としての尊厳と名誉を害して顧みることなく酷薄に冷遇し続けた事実である。本件は,義務の履行の不十分さが問題となる事例とは異なり,逆に安全配慮義務に真向から反する行為が被控訴人によりされたという極めて悪質なものである。
(ウ) 控訴人らは,前記(2)エ(イ)①ないし⑤のとおり,長期間にわたり本件における権利行使ができない状況に置かれていた。これらの事情は,被控訴人が日本への強制連行,強制労働を行ったことから生じたのであり,その責任は被控訴人にある。すなわち,被害者本人らは,中国に生まれ育ち家族ら友人らに囲まれた幸せな生活を築いていたところ,突然日本へ強制連行され過酷な労働を強いられたものであるから,強制労働から解放された際には,中国の国内事情,中国と日本の政治,外交状況のいかんを問わず中国に帰国するのが当然であり,また,そうせざるを得なかったのであって,権利行使が困難ないし不可能な状態になる中国に帰国することが,被害者本人らの自由勝手なことで被控訴人に責任がないとはいえないのである。
(エ) また,被控訴人の事後の対応は,前記2エ(ウ)①ないし③のとおりであって,背信的なものである。
(オ) 時効制度の存在理由については,①長期間継続している社会秩序,法律関係の安定,②証拠保全の困難性の救済,③「権利の上に眠る者は保護しない」といった考えにあるとされている。
本件について,これをみると,前記①が要求されるのは第三者の信頼を保護する必要からであると解されるところ,本件は当事者間の問題であり,当事者間の法律関係の上に新たに構築された社会秩序や法律関係はない。同②についても,本件により被害者本人らの受けた被害は極めて甚大,かつ深刻なものであり,被害事実は被控訴人の安全配慮義務違反により生じたこと,被控訴人がその賠償義務を果たしていないことは明白であるから,本件には当てはまらないし,被控訴人は,戦後証拠資料の隠滅を積極的に行っており,立証の困難の故に時効の利益を与える必要もない。また,③についても,控訴人らが権利行使できなかった事情は繰り返し述べてきたとおりであって,控訴人らは決して権利の上に眠っていたのではないのである。
(カ) なお,本件のような戦後補償訴訟の重要な争点の一つである中国人強制連行事件を全体的かつ総合的に把握し得る地点に立って考えた場合,時効規制のあり方について,更に一歩進める必要がある。
すなわち,本件は民法が適用される事案ではあるが,問題となっている被害は,侵略戦争の評価を含む国際関係において発生したものであり,民法上の不法行為や安全配慮義務違反は,同時に国際法違反を生じさせている。そして,国際法違反による国家責任には,もとより時効という時間制限は存在しない。 また,中国人強制連行は,綿密な計画と制度化によって政府及び企
業によって進められ,組織的かつ法体制に組み込まれて実施されてきたものであるから,本来は詳細な記録が存在したはずであるが,日本政府及び関連企業は,終戦直後証拠書類を焼却・隠滅しただけでなく,本件との関連では昭和21年(1946年)に作成された外務省報告書についても,政府は,その後廃棄を命じ,中国人強制連行及び強制労働の事実を一貫して否定してきたことから,被害者側に利用されることを妨害するために,もはや存在しないと国会で繰り返し答弁してきたのである。この外務省報告書は,中国人に対する処遇等について必ずしも正確でない部分があるとしても,控訴人らの権利行使に不可欠な証拠資料である。これなくしては,控訴人らは,加害者を知ることも損害賠償請求権の立証もできなかったのである。そして,被控訴人も,自ら証拠資料を散逸させながら,控訴人らの証拠資料の少なさを見透かして,「資料不存在」,「関係者の存在・生死不明」という「高をくくる」対応を繰り返してきた。こうした状況の下,控訴人らは,長年にわたる在野研究者らの調査研究の成果,地元市民らで構成される「交流をすすめる会」が中心となって多大な努力を尽くして収集された資料を証拠として提出してきた。これらの証拠資料は,政府や企業の無責任な資料隠しや冷淡かつ非協力の中で,いわば「歴史の倉庫」から探し出してきたものなのである。
しかも,既に繰り返し述べてきたように,戦後長期間にわたり控訴人らの権利行使は客観的にも不可能であったのである。
そして,強制連行被害者の権利行使を法的正義に合致するものとして実質的に保障するためには,既に国際社会における公序となりつつあり,憲法の国際主義の観点からも法的規範として成立している「内外人平等原則」を民法の解釈に反映する必要がある。
こうした諸点を踏まえれば,本件のような中国人強制連行事件においては,被害者たる請求権者が,加害者たる債務者によらず,いわば「歴史の倉庫」から証拠を探し出し得て,安全配慮義務違反等その請求を根拠づける事実の立証をなし得た場合には,加害者たる債務者が時効を援用することは原則として権利の濫用になると考えるべきである。
(6) 争点(5)(日中共同声明等による損害賠償請求権の放棄)について ア この点に関する被控訴人の主張については,東京地裁平成15年4月24日判決(判時1823号61頁)が,「日中共同声明も,国際法の基本的な枠組みの中で解釈されるべきものであって,日中戦争における加害国であるわが国に対し,その相手国である中華人民共和国(戦争当時は中華民国)が損害賠償請求,いわゆる『戦争賠償』を放棄したにとどまり,相手国の国民である被害者個人のわが国に対する損害賠償,いわゆる『被害賠償』まで放棄したものではない。被害を受けた国民が個人として加害者に対して損害賠償を求めることは,当該国民固有の権利であって,その加害者が被害者の属する国家とは別の国家であったとしても,その属する国家が他の国家との間で締結した条約をもって被害者の相手国に対する損害賠償請求権を放棄させ得るのは,自国民である被害者に自ら賠償義務を履行する場合など,その代償措置が講じられているときに限られるべきところ,中華人民共和国においては,日中共同声明を調印することによって自国民に対し日中戦争に係る被害を自ら賠償することとして,わが国に対する損害賠償請求権を放棄させたという形跡はない。」と指摘するとおりである。
イ 被控訴人の主張の要旨は,「日華平和条約11条及びサンフランシスコ平和条約14条(b)により,中国国民の日本国及びその国民に対する請求権は,国によって放棄されている。日中共同声明第5項にいう『戦争賠償の請求』は,中国国民の日本国及びその国民に対する請求権を含むものとして,中華人民共和国政府がその『放棄』を宣言したのである。」,また「日華平和条約11条及びサンフランシスコ平和条約14条(b)により,中国国民の日本国及びその国民に対する請求権は,国によって放棄されている。日中共同声明第5項にいう『戦争賠償の請求』は,中国国民の日本国及びその国民に対する請求権を含むものとして,中華人民共和国政府がその『放棄』を『宣言』したものである。したがって,このような請求権については,日本国及びその国民は,これに基づく請求に応じるべき法律上の義務は消滅しているので救済が拒否され,裁判上の請求も,許容される余地がないことが明らかである。」とするものと解される。このような主張は,戦後補償訴訟の中で国が最近になってサンフランシスコ平和条約14条(b)の解釈を変更したことに平仄を合わせるものであるが,中国人被害者の請求権の消滅を図ろうとする意図が明らかである上,法的構成としてはずさんであり,詭弁に満ちており,無理な主張というほかない。仮に,サンフランシスコ平和条約14条(b)の解釈の変更を前
提としても,サンフランシスコ講和会議に招聘もされず,平和条約の締結国でもない中国に,これをそのまま及ぼそうとする点に大きな論理の飛躍があり,国際法解釈の常軌をはるかに逸している。
ウ すなわち,条約は,「条約法に関するウィーン条約」(以下「条約法条約」という。)2条(a)が定義するとおり,国際法によって規律される国際的合意文書のことであり,その拘束力は権力作用からくるのではなく,「合意は守られなければならない」ことに根拠があるのである。そこで,条約の解釈に関する一般原則を定めた条約法条約のような国際規範が必要なのである。そして,条約法条約31条1項は「条約は,文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い,誠実に解釈するものとする。」という一般的解釈原則を定め,同法32条は,文言が曖昧であったり条文が自己矛盾を犯しているような場合,解釈の補助として補足的資料を用いることができると規定している。これを踏まえて日華平和条約,日中共同声明及び日中平和友好条約を検討してみても,次のとおり,被控訴人主張の解釈を導き出すことは到底できない。
(ア) 日華平和条約11条は,「この条約及びこれを補足する文書に別段の定めがある場合を除く外,日本国と中華民国との間に戦争状態の存在の結果として生じた問題は,サンフランシスコ平和条約の相当規定に従って解決するものとする。」と規定し,「別段の定め」としては,同条約議定書1(b)において,「中華民国は,日本国民に対する寛厚と善意の表徴として,サンフランシスコ平和条約14条(a)1に基づき日本国が提供すべき役務の利益を自発的に放棄する。」と定められている。昭和26年(1951年)のサンフランシスコ平和条約締結当時,中華民国は中国大陸の実効的支配を失い,中国大陸には中華人民共和国が成立していた。同条約はこのような状況の中でいずれの政府の参加もなく締結されたものであるところ,同条約21条では,中国に10条及び14条(a)2の利益を受ける権利を認める,いわゆる受益条項が規定されている。
しかし,これらの規定だけから「サンフランシスコ平和条約の相当規定」に14条(b)及び19条(a)を含め,これに従って日本国及びその国民と中国及びその国民との間の相互の請求権は,14条(a)1に基づく損害賠償請求権と併せてすべて放棄されたと解釈する被控訴人の主張は条約解釈の一般原則を逸脱していることが明白である。ましてや中華民国の支配下にない中華人民共和国政府の支配下にある中国人の個人の請求権の放棄という重大処分がなされうるなどとすることは非常識の極みというほかない。
(イ) 日中共同声明第5項は,「中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。」と規定するところ,同共同声明それ自体は,条約ではなく,日本政府は憲法73条2号に基づき中華人民共和国政府の承認を「外交関係を処理すること」という内閣の権限に属するものとして扱った。同共同声明は,両国代表が,日中国交回復を最大の目的として交渉した結果であり,法的文書というよりも極めて政治的な色彩の強いものである。日中国交正常化に当たっては,中華人民共和国政府は,復交三原則,すなわち,①中華人民共和国政府は,中国を代表する唯一の合法政府である,②台湾は中華人民共和国の領土の不可分の一部である,③日華平和条約は,不法であり,無効であって,破棄されなければならない,を堅持していた。そして,その後の昭和53年(1978年)に締結された日中平和友好条約の前文に,「共同声明の示された諸原則が厳格に遵守されるべきことを確認する」とされていることからすると,前記共同声明が条約の一部になったと解される余地がある。 そこで,同共同声明の国際文書としての性格にかんがみ,条約の一般解釈原則に従って解釈した場合に,前記「戦争賠償の請求」の中に被控訴人が主張するように中国国民の日本国及びその国民に対する請求権を含むと解することができるかどうかであるが,サンフランシスコ平和条約を含めて昭和47年(1972年)までに日本政府が締結した諸条約では,国の請求権と国民の請求権を書き分けていること,「戦争賠償」という用語の通常の意味からしても,中国人個人の請求権を含むと解釈することは,通例の解釈の域を全く超えている。「戦争賠償の請求」の解釈としては,前掲東京地裁平成15年4月24日判決が判示するところが,用語の通常の意味として妥当するものと解するのが常識的である。補足資料としての交渉過程記録をみても,同条項は中国政府の当初の草案どおりであり,表現内容はもとより中国人個人の権利や請求権の処分なども全くテーマになっていない。
(被控訴人)

(1) 争点(2)(国際法違反に基づく損害賠償請求権)について 個人による国際法に基づく権利行使ができない旨の原審の判断は合理的で妥当であり,本件と同種の最近の裁判例(乙9,10)においても同様の判断がされている。
(2) 争点(3)ウ(民法724条後段の適用)について
民法724条後段が除斥期間を定めたものであることは確定した判例であり,これに反する控訴人らの主張は独自の見解である。したがって,同条項を時効の規定と解することを前提とした控訴人らの「不法行為ノ時」に関する解釈及び時効停止の主張はいずれも理由がない。
なお,本件訴訟提起前における被控訴人と控訴人らとの補償交渉において,被控訴人が,控訴人らの請求に応じるような対応をした事実はなく,いわんや時効の利益を放棄する意思を表明したことは全くない。
また,本件においては,前掲最高裁平成10年6月12日第二小法廷判決にいう「特段の事情」は認められない。
なお,被控訴人は,本件については長期間の経過により資料もなく関係者もいなかったため,調査ができなかった状況にあったのであり,前記控訴人らとの補償交渉において,これを故意に引き延ばしたことはなく,その他背信的対応をしたこともない。
終戦後の国家補償金についても,当時の事実の詳細は分からないが,仮にこれを取得していたとすれば,それは日本政府が認めたので受領したものと思われる。
(3) 争点(4)ア(安全配慮義務違反)について
本件は,控訴人らによれば,被害者本人らがその意思に反して,被控訴人の事業所において強制的に労働に従事させられたと主張するのであって,被害者本人らと被控訴人との間に生じた社会的接触は,安全配慮義務の発生が問題となる雇用契約関係又はこれに準ずる法律関係に基づくものではない。控訴人らの主張に係る事実関係において,被控訴人が負うべき義務については不法行為規範を適用して判断すべきものであり,安全配慮義務違反の問題は生じない。
(4) 争点(4)イ(消滅時効)について
消滅時効の起算点に関する控訴人らの主張は争う。控訴人ら引用に係る裁判例は,権利の性質上行使の期待が不可能なものや,被害発生及びその程度の認識のないもの等であり,本件のように被害認識は明確で法律上権利行使が可能である事案に適用されるものではない。また,控訴人らの主張する資料の確保の有無,現実の出国の有無を消滅時効の起算点の資料とすることは,消滅時効の法理を根底から否定するもので,妥当ではない。
(5) 争点(4)ウ(時効援用権の濫用又は信義則違反)について 控訴人らの主張は,戦後補償訴訟であることを理由として時効援用規制のあり方を問うものであり,独自・独特の主張であって,このような主張は法の下の平等を害する危険性がある。
(6) 争点(5)(日中共同声明等による損害賠償請求権の放棄)について 以下に述べるとおり,日華平和条約11条及びサンフランシスコ平和条約14条(b)により,中国国民の日本国及びその国民に対する請求権は,国によって放棄されており,日中共同声明第5項にいう「戦争賠償の請求」は,中国国民の日本国及び日本国民に対する請求権を含むものとして,中華人民共和国政府がその「放棄」を「宣言」したものである。したがって,控訴人らの請求については,日本国及び日本国民がその請求に応ずるべき法律上の義務は消滅している。 ア(ア) わが国の戦後処理の枠組みを決定したのはサンフランシスコ平和条約であるところ,第1次世界大戦後に締結されたベルサイユ条約において敗戦国ドイツに過酷な賠償責任を認めたことにより,ドイツの経済的破綻,ヒトラーの出現を招き,結果的に新たな紛争の火種をその後に残すことになったことの反省から,サンフランシスコ平和条約の下では,戦後賠償は,原則として国家間の直接処理,又は求償国内の旧敵国資産による満足の方法により,個々の国民の被害については,原則として,賠償を受けた当該当事国の国内問題として,各国がその国の財政事情等を考慮し,救済立法を行うなどして解決が図られることになった。 (イ) 具体的には,サンフランシスコ平和条約は,第2次世界大戦の連合国とわが国の間の戦争状態を終了させ,連合国最高司令官の制限の下に置かれたわが国の主権を完全に回復するとともに,戦争状態の存在の結果として未決の問題であった領域,政治,経済並びに請求権及び財産などの問題を最終的に解決するため
に締結されたものである(同条約前文,1条)とし,このうち,請求権及び財産に関する条項(第5章)において,戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して,日本国が連合国に賠償を支払うべきことが承認されたが,同時に,すべての損害及び苦痛に対して完全な賠償を行いかつ同時に他の債務を履行させるためには,日本の資源は充分ではないことが承認された(14条(a)柱書)。これを受けて,日本が次のような義務の履行を求められた。
① 日本国は,その領域が日本軍隊によって占領され,かつ,日本国によって損害を与えられた連合国のうち,希望する国との間で,生産,沈船引揚げその他の作業における日本人の役務を提供すること(いわゆる役務賠償)によって,与えた損害を当該連合国に補償するために,すみやかに交渉を開始しなければならない(14条(a)1)。
② 日本国は,外交及び領事財産等,一定の例外を除き,各連合国がその管轄下に有する日本国及び日本国民等の財産,権利及び利益等を差し押さえ,留置し,清算し,その他何らかの方法で処分することを認めなければならない(14条(a)2)。
③ 日本国は,日本国の捕虜であった間に不当な苦難を被った連合国軍隊の構成員に対する償いをする願望の表現として,中立国又は連合国と戦争状態にあった国にある日本国及びその国民の資産又はこれと等価のものを赤十字国際委員会に引き渡さなければならない(16条)。
(ウ) 日本政府は,前記条項に従って連合国各国と交渉を開始し,順次2国間条約等を締結し,多額の戦後賠償を行ってきた。このような義務の履行と引換えに,サンフランシスコ平和条約14条(b)は「連合国は,連合国のすべての賠償請求権,戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事経費に関する連合国の請求権を放棄する。」と規定した。
同条項により,連合国が日本国及び日本国民に有していた請求権は放棄され,この請求権には,戦時国際法違反等による国際法上の請求権のみならず,各国国内法に基づく債権も含まれていた(同条約4条(a)参照)。また,同条項の文言上,連合国国民の請求権(債権を含む。)も連合国によって「放棄」されたのである。
すなわち,同条約は各国国内法に基づく債権を含む請求権(同条約4条(a))及び財産の問題を最終的に解決するために締結されたものであって,同請求権ないし債権について何らの処理をしなかったものとは考えられないところ,サンフランシスコ講和会議におけるオランダ代表との交渉経過の中で,日本政府が,同条項は,国民の私権を消滅させるもの,すなわち,私権没収の効果をもつものではなく,ただ条約の結果国民は請求権を日本政府又は日本国民に対して追及してくることはできなくなることにとどまる旨の解釈を示し,オランダ代表は,これを前提として,日本国政府が,良心ないし良識ある便宜手段の問題として,自発的に自らの方法で処置することを望むと思われる,連合国民のあるタイプの私的請求権があることを指摘したことなどからすれば,同条項にいう「請求権の放棄」とは,日本国及び日本国民が連合国国民による国内法上の権利に基づく請求に応ずる法律上の義務が消滅したものとして,これを拒絶することができる旨規定されたものと解される。このようなサンフランシスコ平和条約による国家間の戦後処理が,請求権の問題の完全かつ最終的解決であることは,第2次世界大戦中に旧日本軍の捕虜となった元米国軍人らが日本企業の事業場で強制労働させられたと主張して,日本企業を被告として,アメリカ合衆国国内の裁判所に提訴した多数の損害賠償請求訴訟において,日米両政府の示した見解からも明らかである。そして,同条項は,条約締約国が国内において直接適用を認める意思を有し(主観的要件),規定内容が明確である(客観的要件)から,その内容を具体化する法律を待つまでもなく,裁判所において直接適用が可能である。なお,同条項の表現は,「連合国のすべての損害賠償請求権」のみならず,「戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権」とされている。政府と国民とを総括的にいうときは,日本国,又は連合国というのが条約上の慣行であり,戦争賠償の処理は,当然,国家及びその国民の相手国及びその国民に対する請求権の処理を含むが,同条項はこれを明確にするために,あえて,このような表現がとられたものである。
また,同条約19条(a)は「日本国は,戦争から生じ,又は戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及
びその国民のすべての請求権を放棄する。」と規定し,日本も連合国及びその国民に有していた請求権を放棄した。
イ(ア) 中国は,連合国の一員としてサンフランシスコ講和会議に招待されるべきであったが,昭和24年(1949年)の中華人民共和国政府の成立を含めた当時の政治的及び国際状況のために,中華人民共和国政府及び中華民国政府のいずれも講和会議には招待されなかった。
しかし,同条約21条は,「この条約の第25条の規定にかかわらず,中国は,第10条及び第14条(a)2の利益を受ける権利を有する」ものとされ,条約の当事国とならなかった中国も,中国領域内にある日本国及び日本国民の資産の処分が認められた。これを受けて,中国両政府は,同条項に従いその領域内にある日本人の財産(終戦当時,中国に存在した日本財産の規模は,台湾425億4200万円,中華民国東北1465億3200万円,華北554億3700万円,華中・華南367億1800万円とされている。ちなみに,昭和21年度の日本の一般会計の歳入は1188億円余り,同年度の国民総生産は4740億円余りであった。)を没収した。
(イ) 日本と中国の戦後処理については,昭和27年(1952年)4月28日,日華平和条約が締結された。同条約の議定書1(b)で,「中華民国は,日本国民に対する寛厚と善意の表徴として,サンフランシスコ平和条約第14条(a)1に基づき日本国が提供すべき役務の利益を自発的に放棄する。」と規定し,これによりサンフランシスコ平和条約第14条(a)1に規定する損害賠償請求権を放棄した。そして,日華平和条約11条は,「この条約及びこれを補足する文書に別段の定めがある場合を除く外,日本国と中華民国との間に戦争状態の存在の結果として生じた問題は,サンフランシスコ条約の相当規定に従って解決するものとする。」と規定しているところ,この規定にいう「サンフランシスコ条約の相当規定」には,14条(b)及び19条(a)も含まれるから,これらの規定に従って,日本国及びその国民と中国及びその国民との間の相互の請求権は,前記サンフランシスコ平和条約第14条(a)1に基づく賠償請求権と併せてすべて放棄されたことになる。その法的効果は,前記ア(ウ)で述べたサンフランシスコ平和条約におけるものと同様である。
(ウ) 日本政府は,その後20年を経た昭和47年(1972年),日中共同声明に署名した。同共同声明第5項においては,「中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。」と規定された。日華平和条約の効力について,日中間に立場の違いはあったものの,実質的に戦争賠償の問題の完全かつ最終的な解決を図るべく,このように規定されたもので,結果的には日華平和条約による処理と同様であることを意図したものである。すなわち,同条項は「戦争賠償の請求」のみに言及しているが,ここには第2次世界大戦に係る中国国民の日本国及び日本国民に対する請求権の問題も処理済みであるとの認識が当然に含まれているのであって,この点については,中国政府も同様の認識である。
(エ) 控訴人らの損害賠償請求権が消滅していないとする根拠として,控訴人らは,平成7年(1995年)3月7日の中国のS外交部長による「日中共同声明における日本国の戦争賠償請求の放棄には個人の賠償までは含まれるものではない」との発言を挙げるが,これをして,中国政府が,同条項について,日本政府と異なる見解を表明したなどと主張するのは誤りである。
同発言は,報道にすぎず,中国政府により確認されていない。むしろ,陳健中国外交部新聞司長は,平成7年(1995年)5月3日,記者から「中国政府は,日本に対する損害賠償請求を正式に放棄したが,民間組織が賠償請求を提起していることに対する見解如何。」と問われたのに対し,「賠償問題は既に解決している。この問題における我々の立場に変化はない。」と発言している。また,S外交部長自身,平成4年(1992年)3月の記者会見で,記者から民間賠償請求の動きについての考え方を問われ,「戦争によってもたらされたいくつかの複雑な問題に対し,日本側は適切に処理を行うべきである。」と述べつつ,戦争賠償の問題については「中国政府は,1972年の日中共同声明の中で明確に表明を行っており,かかる立場に変化はない。」と表明している。さらに,平成10年(1998年)12月の香港の報道によれば,T外交部長は,記者から中国政府の民間人の対日賠償請求について質問された際,「中国の対日賠償請求問題は,既に解決済みであり,国家と民間(国民)は一つの統一体であるので,民間(国民)の立場は,国家の立場と同じであるべきである。」と述べている。

これらの発言によれば,日中間の請求権の問題についての両国政府の認識は一致していると考えるべきである。
ウ ところで,控訴人らは,①日華平和条約は,中華民国と日本国との間の条約であるところ,同条約によっては,中華民国の支配下にない中華人民共和国政府の支配下にある中国人の個人の請求権の放棄という重大処分がなされうるなどとすることはできない,②日中共同声明は,復交三原則の第3原則(日華平和条約は,不法であり,無効であって,破棄されなければならない。)を受け入れた上で発表されたものであるから,日華平和条約により控訴人らの権利が消滅したとすることはできない,などと主張するが,以下に述べるように控訴人らの主張は失当である。
(ア) 第2次世界大戦後の中国において,一つの国家としての「中国(china)」を代表する政府として,中華民国政府と中華人民共和国政府が互いに自己の正統性を主張していた。このような状況下,日本政府は中華民国政府をもって,中国を代表する正統政府であると承認した上,国家としての中国と日本国との戦争状態の終結等の問題を解決するため日華平和条約を締結した。当時,中華民国政府は,中国大陸の実効的支配を失い台湾及び澎湖諸島等の実効的支配をしているにすぎなかった。しかし,戦争状態の終結,賠償並びに財産及び請求権の問題の処理といった国と国との間で最終的に解決すべき処分的な条項は,国家間の関係として定められるべきものであって,その性質上,適用地域を限定することはできない。したがって,日華平和条約は,戦争状態の終了と戦争に係る賠償並びに財産及び請求権の問題に関し国家としての中国と日本との間で完全かつ最終的に解決したものである。このことは,同条約の附属交換文の「この条約の条項が,中華民国に関しては,中華民国政府の支配下に現にあり,又は今後入るすべての領域に適用がある。」との記載及び同条約1条の「日本国と中華民国との間の戦争状態は,この条約が効力を生ずる日に終了する。」との規定からも裏付けられる。すなわち,前記のとおり,中華民国は,当時,台湾及び澎湖諸島等を実効的支配しているにすぎなかったところ,これらの地域は,第2次世界大戦中,日本国の領土の一部であり,日本国との間に戦争状態は存在しなかったことからすると,同条約附属交換文の記載は,適用地域を台湾及び澎湖諸島等に限定するものではないことを明確にし,同条約1条は,それを前提として,国家としての中国との間の戦争状態の終了を中国を正統に代表していた中華民国政府との間で定めたものであるというべきである。日本は,中国を代表する唯一,合法の政府としての中華民国政府との間で日華平和条約を締結したから,この条約が国際法上合法かつ有効な条約であることに疑いの余地はない。しかも,同条約による日華平和条約による日中間の戦争状態の終結及び賠償並びに財産及び請求権の解決は,一度きりの処分的行為であるから,係る規定の内容は,条約発効と同時に最終的効果が生じ,その後における条約の存続の有無によってその法的効果が変わることはない。そして,日本政府も,一貫してこのような見解を明らかにしている。
(イ) また,前記の日本政府の見解からすれば,日本政府が,日中正常化交渉において,いわゆる復交三原則の第3原則を受け入れることは法的にも政治的にも不可能であった。日本政府としては,当時中華民国政府によって代表された中国との間の戦争状態は,日華平和条約1条により終結しており,賠償並びに財産及び請求権の問題も同条約11条等によって解決済みであるという立場を維持せざるを得なかった。このような状況の下,日中双方が両者の立場の違いを十分理解した上で実体としてこの問題の完全かつ最終的な解決を図るべく,日中共同声明第5項の表現を採ることで一致したのであり,結果は日華平和条約における処理と同じである。同共同声明前文第5項が「日本側は,中華人民共和国が提起した『復交三原則』を十分に理解する立場に立って国交正常化の実現をはかるという見解を再確認する」としているのも,日本政府が,復交三原則に完全に同意したわけではないことを示している。
第3 当裁判所の判断
本件について,当裁判所は,次のとおり判断する。
(1) 被控訴人による強制連行及び強制労働の事実を認めることができる。 (2) 同事実につき国際法違反に基づく損害賠償請求権を認めることはできない。 (3) 被控訴人らの行為は不法行為を構成するものというべきであるが,不法行為に基づく損害賠償請求権は民法724条後段の除斥期間の経過により消滅した。 (4) 被控訴人が被害者本人らに対し,劣悪な環境の下で過酷な労働に従事させていたことは債務不履行(安全配慮義務違反)というべきところ,債務不履行に基づ
く損害賠償請求権についても消滅時効の期間は経過したものというほかないが,被控訴人がこれを援用することは,権利の濫用であって許されない。 (5) 日中共同声明等により損害賠償請求権に応じる法律上の義務が消滅したとする被控訴人の主張は理由がない。
その理由については,後記のとおり付加・訂正するほか,原判決の「理由」に記載のとおりであるから,これを引用する(ただし,当然のことながら,原審の判断を変更する時効援用権の濫用に関する部分〔原判決217頁14行目から同219頁6行目まで〕及び結論部分〔原判決219頁下から5行目から同220頁9行目まで〕は,この限りではないし,その他原判決中当審における判断と異なる部分についても,当審の判断どおり改めるものとする。なお,原判決95頁17行目の「3月11月」を「11月7日」に,同行の「中支那振興課株式会社」を「中支那振興株式会社」に,同100頁12行目及び同101頁11行目の「労働不足」をいずれも「労働力不足」に,同124頁10行目の「骨骨膜関節病」を「骨・骨膜関節病」に,同138頁20行目の「抗木」を「坑木」に,同139頁17行目から18行目にかけての「元気の言い」を「元気のいい」に,同141頁16行目の「ものもいう」を「ものをいう」に,同170頁17行目の「踏んだ」を「積んだ」に,同185頁2行目の「昭和21年月」を「昭和21年3月」に,同6行目の「31にまで」を「31日まで」に,同188頁下から6行目の「関する」を「関スル」にそれぞれ改める。)。
1 争点(1)(被控訴人による強制連行及び強制労働の有無)について (1) 原審の認定した事実の要旨は次のとおりであり(なお,証拠〔甲2,86,98,165〕及び弁論の全趣旨により認められる事実を付加する。),これらの事実によれば,原審認定のとおり,被控訴人による本件強制連行及び強制労働の事実を認めることができる。
ア 昭和7年(1932年)3月の満州国建国以来,同国は,基幹産業の生産力を増強して経済発展を図り,それによる関連諸産業の発展及び日中戦争の勃発に伴う軍需産業の急激な発展をみる一方,治安の悪化を原因とする同国からの中国人の流出,華北地域における抗日運動の激化による同国への出稼ぎ労働者の減少などにより,労働力不足に陥った。日本から満州に進出した企業等からも,満州国政府に対し,労働力確保を求める要請等がされ(被控訴人が所属していた満州建築業協会も,労働力不足の問題に取り組み,軍や満州国の援助を求めていた。),同国は労務統制等のため,昭和13年(1938年)1月満州労工協会を設置し,同年2月日本に先駆けて国家総動員法を公布するなどしたが,労働力不足を解消することはできなかった。
昭和16年(1941年)7月,華北政務委員会と北支那開発株式会社との共同出資により,華北における労務の一元統制機関として,華北労工協会が設立され,華北における労働力供給の効果的実現とともに,華北から満州への労働力供給の効果的実施も図られることになった。なお,昭和15年(1940年)3月南京に中華民国国民政府が中央政権として樹立されたが,そこに,日本軍の影響下において北京に昭和12年(1937年)に成立していた中華民国臨時政府が組み込まれることになったが,その際,日本の影響力の行使によって設置された華北政務委員会は,華北のいわば地方政権としての権限を与えられたものであった。また,北支那開発株式会社は,昭和13年(1938年)に設立され,華北の経済的支配等の中枢となった日本の国策会社であった。
このころ,既に任意募集者だけでは十分な労働力の確保は困難であったことから,半ば強制的な方法を含む労働者の確保供出が行われるようになっていた。また,日本軍の主要な俘虜収容所(済南,石門,青島等)には華北労工協会の事務組織が置かれ,中国各地の戦闘等により俘虜収容所に収容した俘虜を,同協会の労工訓練所において訓練した形をとり,労工として満州等に供出してゆく体制が整えられるに至った。
イ 被控訴人は,昭和7年(1932年)12月南満州鉄道指定請負人となって出張所を大連においたのを皮切りに満州へ進出し,昭和15年(1940年)10月には満州G組を設立するなどして営業活動を拡大し,満州における受注量を飛躍的に伸ばして多大な利益を上げ,F組と並ぶトップ企業へと発展していった。被控訴人が請け負ったのは,発電,鉄道,鉱山開発など大規模なものが多く,軍発注のものも含まれていた。被控訴人もまた,こうした工事における労働力不足を補うため,労工協会から中国人労働者の供給を受け,使役していた。 ウ 日本国内においても,日中戦争勃発以降,出兵により男子労働人口が減
少する一方,生産力の拡充が国家の主要な政策となり,軍需産業,土木建築業や関連諸産業が急激に発展し,国内における労働力不足が顕著となり,日本政府による昭和13年(1938年)4月の国家総動員法を初めとして対策法令を公布するなどしていたが,労働力不足は解消されなかった。また,昭和14年(1939年)9月ヨーロッパで第2次世界大戦が勃発すると,日本の輸出入も思い通りには行かなくなったことなどから,昭和15年(1940年)7月に成立した第2次近衛文麿内閣は,企業には公益優先の理念を求め,会社経理統制令,賃金統制令,物価統制令,国民徴用令等を次々と定め,国家による経済の直接的管理を図った。 エ 国内の人的資源の枯渇が深刻化したため,被控訴人を含む大手土木建築会社が加盟する土木工業協会,石炭鉱業聯合会,全国産業団体聯合会などの業界団体は,日本政府に対し,労働力不足による支障が生じている実情を訴え,事態の打開策として,朝鮮人労働者の内地移入を要請し,さらに,華北から満州国への中国人労働者移入措置の実績を基に,中国人も国内に移入するよう働きかけをした。 中国人労働者は,明治32年(1899年)7月28日に公布されて同年8月4日に施行された明治32年勅令第352号以降,他の外国人と異なり,日本国内での居住や労働が制限されていたが(居留地,雑居地以外において居住したり,労働に従事するためには行政官庁の許可が必要であった。),日本政府により前記昭和17年の内閣閣議決定,昭和19年の次官会議決定を経て,移入が本格的に開始された。
日本国内へ移入された労働者の大半は華北出身者で,これには,既に満州国に対して労働者供給を行っていた華北労工協会が大きな役割を果たした。移入される中国人労働者の供出のための方法としては,特別供出,自由募集,訓練生供出,行政供出の方法があり,当初は,前記のとおり,日本軍の俘虜収容所から華北労工協会の労工訓練所を経て供出する訓練生供出が予定されていたが,その数は十分でなく,華北労工協会による供出は,約7割が中国側行政機関(華北政務委員会)の供出命令に基づく募集によることとなり,各省,道,県,郷村へと上級庁より下部機構に対し供出員数の割当てを行い,責任数の供出をさせる行政供出であり,強制的な手法が用いられることが多かった。
オ 被控訴人も,昭和19年(1944年)4月,a発電所建設のために,厚生省に対し,中国人労働者400人の移入を申請し,300人が割り当てられた。そして,被控訴人は,同年5月担当者を中国に派遣し,華北労工協会との間で契約書を取り交わした。同契約によれば,募集供出人数は300名(多少の増減を考慮する)とされているが,被控訴人の引率責任者が,昭和19年(1944年)7月29日,青島港において警察官の監視の下に,華北労工協会から管理を引き継いだのは,日本軍の山東省済南市所在の俘虜収容所で労工訓練所とも称されていた「新華院」から移動させて来た「労工」297人の集団に,別の63人の中国人の集団を合流させ,日本の貨物船「I丸」に乗船させた合計360人であった。 この63人については,「移入ハ予定ヨリ約三ヶ月遅レタルモ割当人員三〇〇名青島ニ於テ華北政務委員会並労工協会辯事処ノ斡旋ニ依六十名ノ供出ヲ受ケ出発セシ」とされ,華北労工協会の青島辨事処(事務所)の斡旋により追加拠出を受けた旨が被控訴人作成に係る「華人労務者就労顛末報告書」(甲2)に記載されている。同文書には,これら中国人労働者の名簿等が附表として添付されているが,それによると297人については,具体的な前歴(「兵・八路」,「中士・十二師」,「農業」等)が記載され,「労工」と記載された者はいないが,63人に関しては全員「労工」とのみ記載されている。また,乗船者数が契約を上回ったのは,Hjが500人の契約に対し,504人を乗船させた例のみであった。 カ 被害者本人らのうち,被害者A2は,昭和19年(1944年)7月1日,山東省済南市の日本軍の軍需物資供給所において就労中,土木建築関係の日本人責任者の指示によりトラックに乗せられ,その後,日本に連行されることを知らされたが,逃げる術もないまま「新華院」に約1か月程度収容された。控訴人A3は,国民党遊撃隊に所属していたところ,同年6月,山東省即墨県で日本軍との戦闘中その捕虜となり,尋問を受けたのち,「新華院」に収容された。被害者A6も,国民党軍12師団に所属していたところ,同年6月,山東省即墨県で日本軍との戦闘中その捕虜となって,「新華院」に収容された。被害者A9は,山東省青島市に居住していたところ,同年4月ころ,当時の占領国日本の影響下で樹立された傀儡政権下において,村長に「仕事を紹介してやる」などと言われ,事情を知らないまま連れて行かれ,「新華院」に収容された。「新華院」では,不十分な食糧しか支給されず,病人が後を絶たないような不衛生な状況において,行動の自由を奪
われた生活を強いられていた。控訴人A4は,同年7月ころ,青島港でたばこの仕入れをしていたとき,突然トラックから飛びおりてきたヤクザのような3人の中国人に拉致され,煉瓦造りの建物に監禁され,日本へ連行されることを知らされたが,逃げ出す術もなく1週間ほどのち,青島港に運ばれた。
被害者本人らを含む360人の中国人が乗船させられた「I丸」は,前記のとおり,同年7月29日に青島港を出航し,途中嵐に遭遇するなどし,同年8月5日下関港に到着した。これらの中国人は,前記貨物船の船底に収容され,航行中は積載された鉱石の上に起居し,食糧も水もわずかしか支給されない(被害者A2によれば,食事は1日2食で,1回につきトウモロコシの粉で作ったマントウ〔饅頭〕と小さな生のタマネギ1個)ような状況であったため,航行中に3名の死亡者が出た。
キ 被害者本人らを含む360人の中国人は,下関港に到着後,列車で広島まで送られ,さらにトラックでa事業場に運ばれた。これら中国人のうち,「新華院」に収容されていた300人については,これを1個大隊として,各100人ずつの3個中隊に編成され,青島港で合流した60人は1個中隊とされていた。そして,aに到着後,第1中隊に属する者らはhの現場に設置された収容所,第2中隊に属する者らはdの現場に設置された収容所,第3中隊に属する者らはeに設置された収容所,第4中隊に属する者らはfに設置された収容所にそれぞれ収容された。これら収容所においては,監視員と警察官が常時監視しており,中国人労働者は自由に外出することはできず,逃亡した者もいたが,山狩りなどにより連れ戻された。
a発電所は,水力発電所であり,その地域を流れるg川の水を上流のfで引き込み,d及びeを通過する山中約8キロメートルの導水トンネルを通して,下流のhまで導き,60メートルほどの落差のあるk川に落下させることにより発電させる構造となっていた。最も上流の取水口となるfの工事現場では,川に堰堤を築く作業とトンネル掘りの作業が行われ,d及びeの工事現場では,トンネル掘りの作業が行われ,最も下流の放水口となるhの工事現場では,発電所の建設とトンネル掘りの作業が行われた。取水口から放水口までの全長約8キロメートルの発電用の導水トンネルの掘削に当たっては,主に朝鮮人労働者がダイナマイトを仕掛けて爆破するなどの作業を担当し,中国人労働者が砕石をトロッコで外に運び出し,トンネル内で坑木を組み,袋入りのセメント(1俵約50キログラム)を運び,川の中に入って川底の石を取り除き,これをトラックに積み込むなどの作業を担当した。現場監督は,被控訴人の配下の日本人が行っていたが,トンネルを堀ってできた穴に坑木で枠を作る作業には日本人が従事していた。また,a発電所工事現場では,発注者のJ株式会社の測量技師らも勤務しており,出来高を調べるなどの作業に従事していた。
中国人労働者は,昼夜2交替で作業に従事していたが,仕事が深夜に及ぶときでも,日本人とは異なり夜食は支給されず,1日3食支給される食事にしても,量が極めて少なく,粗悪なものであったため,常に空腹状態で,次第に元気を失い,やせ細っていった。また,衣服や靴の支給も極めて不十分であったため,服はぼろぼろで,着の身着のままであり,靴も破れた地下足袋を履いていたり,裸足であったりという状態であったが,冬で雪が降るような時でも同様であった。 また,中国人労働者は,大隊長,中隊長らの限られた者を除けば,風呂の使用もできず,前記のとおり,衣服の替えもない状況であり,長期間湿度の高いトンネル内の労働が多かったことから,不潔にならざるを得ず,シラミがわき,多くの者が疥癬に罹患したり,下痢等の症状が出た。しかし,a事業場には,病院・診療所は設置されておらず,病人やけが人に対する治療は甚だ不十分であった。 ク 被害者A2,同A6,同A9は第1中隊に属しており,広島県山県郡a村hの収容所に収容された。同収容所は,非衛生的で,風呂は使えず,冬の暖房施設はなく,出入口は1箇所で警察官や民間人の監視員が絶えず監視しており,収容所の外に自由に出ることはできなかった。前記3名が従事したのは,水力発電用のトンネル掘削の際に生じた砕石をトロッコに積み,押して運び出す作業,トンネル内の坑木を組む作業,1俵約50キログラムのセメントの袋を担いでセメント倉庫から急な山道を通って山の上まで運ぶ作業であった。労働時間は,毎日12時間から14時間の昼夜2交替制で,休日は旧正月の2日だけであった。前記3名を含む中国人労働者は,現場において,被控訴人の現場監督の監督下で作業に従事していたが,特に作業の手順等についての指導もなかったため,作業中の事故も少なくなかった。作業中,日本語が分からないため,体力が低下しているためなどの理由か
ら作業が監督の指示と異なり,あるいは遅れたりすると,殴打するなどの暴力を頻繁にふるわれた。また,食事は,1日3食であったが,1回につき茶碗すりきり1飯のコーリャン飯,あるいはマントウ1個のみであり,しかもその中に砂やカビなどが入っているような粗末なもので,他には小さな漬物が1枚入っているだけであり,中国人労働者は常に空腹状態に置かれていた。衣類については,「新華院」で薄い単衣と靴が支給されただけで,a発電所工事現場では支給されず,破れたりしても,そのままで作業をしなければならず,雪も多く寒さの厳しいaにおいては耐え難い状況であった。
こうした中,被害者A9は,昭和20年(1945年)3月ころ,高熱を発し,朝食も取れない状況であったのに無理に仕事に就かされ,現場監督から殴る蹴るの暴行を受け,その夜収容所で死亡した。
また,昭和20年(1945年)7月13日,同収容所内において,牛肉の分配をめぐって争いになり,日頃,被控訴人の現場監督に取り入り,他の中国人労働者を虐待し,仕事もせず,特別待遇にあった大隊長らが撲殺される事件が起き,被害者A2及び同A6は,容疑者として逮捕されて広島市の広島刑務所に収監されたところ,同年8月6日,広島に原爆投下された際,被爆し,同A6は死亡した。
被害者A2は,終戦時,広島刑務所に収監されていたが,昭和20年(1945年)9月13日に釈放され,同年11月24日,送還のためGHQのトラックで長崎まで行き,同月29日に同所から米軍の船舶に乗船し,天津市のi港に到着した。
ケ 控訴人A3は,第2中隊に属しており,広島県山県郡b町dの収容所に収容された。収容所は狭く,風呂はあったが使用させてもらえず,出入口は1箇所で被控訴人監視員と警察官が常時監視しており,自由に外出することはできなかった。従事した作業は,水力発電用のトンネル内で朝鮮人労働者が機械を使い,爆破するなどして掘削し,崩した石をトロッコに積んで外に運び出すというもので,この作業は24時間休まず,昼夜2交替で行われ,休憩もなく,崩した石を全部運び終わるまで作業を終えることは許されず,休みは中秋節と旧正月の2回だけであった。食糧や衣類に関する事情は,被害者A2らと似たような状況であった。 前記トロッコによる作業は,トロッコが脱線したり,乗っている人が振り落とされたりする事故がよく起こっており,控訴人A3もトロッコの転落事故ののち治療も受けられず,激しい痛みののちついに失明してしまった。そして,仕事ができなくなると,食事は1日2食に減らされた。
コ 控訴人A4は,第4中隊に属し,広島県山県郡b町fの収容所に収容された。同収容所は粗末な建物で,狭く,風呂は小さなものがあったが,使用させてもらえず,また,出入口は1箇所しかなく,警察官と監視人が24時間態勢で監視しており,自由に外に出ることはできなかった。控訴人A4は,当初,収容所の前を流れる川の流れを良くするために,その川に入って川底の石を除去し,トラックに積み込むという作業に従事していたが,その後,トンネル内の砕石を担いでトロッコに乗せて運び出す作業に従事することになった。作業は昼夜2交替で,12時間働き,昼食時以外に休憩時間はなかった。食糧事情は,被害者A2らと似たような状況であった。衣服は,控訴人A4ら青島港で合流した第4中隊配属の中国人労働者は,日本に着いてから衣服や布団の支給を受けたが,不十分であったことは,被害者A2らと同様である。
控訴人A4は,こうした状況の中,昭和19年(1944年)12月ころ,疥癬に罹患したが,十分な治療も受けられず,症状が悪化し,作業に従事できなくなった。そして,仕事ができなくなると,食事は1日2食に減らされた。 控訴人A4は,仕事ができなくなったので,同様に作業に従事できなくなった同A3を含む12人の中国人労働者とともに昭和20年(1945年)3月ころ,中国に送還された。
(2) 以上の事実によれば,日中戦争以降,生産力の拡充が国家の主要な政策となる一方,出兵による男子労働人口の減少により労働力不足が顕著となった中で,国策に従って大きな利益を上げることを期待した被控訴人を含む大手土木建築会社が加盟する土木工業協会を初めとする業界団体が,満州国における実績を背景に,それまで日本国内における居住や労働の制限されていた中国人についても,その移入を積極的に政府に働きかけ,日本政府もこれに応え閣議決定等をするなどして制度を整え,実際の中国人労働者の確保には,日本軍及び日本政府の影響の強い華北労工協会が重要な役割を果たし,日本軍はその確保に直接的に関与してきたもの
で,日本政府,日本軍及び被控訴人ら関連業者が協力して,中国人労働者を日本国内に移入し,労働に従事させる制度を作り上げ,これを実行したものということができる。そして,被害者本人らを含む中国人労働者は,自らの意思に反して,「新華院」に連れてこられ,あるいは突然拉致されて日本へ連行されたものであり,原審認定のとおり,これが強制連行に当たることは明らかである。また,被害者本人らは,いずれもa発電所建築工事現場で労働に従事したものであるが,前記(1)によれば,被害者ら本人の意思に反して労働に従事させられたのであり,しかもその環境は,被控訴人及び警察官による24時間の監視の下で自由な外出は一切できず,衛生状態や食糧事情が極めて劣悪な環境下で,長時間にわたり危険な重労働を強いられた上,監督から暴行を受けるなどしたのであって,その実態は強制労働そのものであったというべきである。
2 争点(2)(国際法違反に基づく損害賠償請求の可否)について (1) 控訴人らは,被控訴人の前記行為について国際法違反による損害賠償責任を主張するが,原審認定・判断のとおり,これを認めることはできない。 原審判示のとおり,国際法は,国家間の権利義務を規律するものであるから,国民個人が他の国又はその国民の行為によって損害を被った場合に,直ちに国際法を根拠に被害の回復を図ることはできないし,また,条約が締結され,発効しても,その条約の内容が直ちに私人相互間又は私人と国家との法律関係を規律する裁判規範になるということもできない。各国民の権利義務に直接かかわる条項を各国内において裁判規範とするためには,通常,各国の立法措置による具体化が必要である。ただ例外的に,そのまま国内法として直接実施し私人の法律関係を規律することができる(いわゆる自動執行力を有する)条約もあるが,その場合,当該条約自体が,私人の権利義務の発生要件,効果,手続等を明白に定め,国内法による補完ないし具体化を待つまでもなく,国内において裁判規範としての執行が可能な体裁を具備している必要があり,このことは国際慣習法においても同様である。 そして,強制労働条約については,後記(2)のとおりであり,陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約3条についても,原審判示のとおり,その文言上,交戦国相互の責任に関する規定であり,個人間ないし個人と国家間の責任に関する規定でないことが明らかであり,これを根拠に,被害を受けた一個人が直接加害国ないし加害国民に対して責任を追及する根拠とはならないというべきである。さらに,奴隷的拘束下での非人道的行為の禁止及び奴隷制の禁止に関する国際慣習法についても,原審判示のとおりであり,極東国際軍事裁判所条例(昭和21年〔1946年〕1月19日,改正同年4月26日)5条,奴隷条約(大正15年〔1926年〕9月25日国際連盟で採択,昭和2年〔1927年〕3月9日発効,日本は批准していない。)5条1項,世界人権宣言(昭和23年〔1948年〕12月10日国際連合で採択)4条,「1926年9月25日に署名された奴隷条約を改正する議定書」(昭和28年〔1953年〕10月23日国際連合で採択),「奴隷制度,奴隷取引並びに奴隷制度類似の制度及び慣行の廃止に関する補足条約」(昭和31年〔1956年〕9月7日国際連合で採択)に照らせば,戦中において既に奴隷制度を禁止する国際慣習法が確立していたと認める余地はあるにしろ,更にそれを超えて奴隷制度による被害に遭った個人の加害国又は加害私人に対する損害賠償請求権を根拠づける規定は前掲各条約等にもなく,結局,これを認めることはできないというほかはない。
(2) 控訴人らは,当審においても,強制労働条約は国内において裁判規範性を有するものであるとしてるる主張する。
しかしながら,この点については,原審判示のとおりであり,同条約は,子細に検討してみても,締盟国ないしその権限ある機関に対し,強制労働を禁止するような措置を講ずるよう義務づける内容を有してはいるが,それを超えて,私人間の法律関係を直接規律し,私人が他の私人を強制労働させる行為を直接禁止するような規定はもとより,直接私人間に適用されることを前提とするような規定(例えば賠償請求権に関する実体・手続規定)も有しないのであって,同条約を直接の根拠として,当然に私人が他の私人に対し同条約のいう強制労働に基づいて損害賠償請求をすることができると解することはできない。このことは,被控訴人が,大規模な企業であって,本件強制連行及び強制労働を控訴人ら主張のように日本国とともに行ったものであったとしても,私人であることに変わりはなく,国家と同視することもできない以上,結論に消長を来すものではない。
3 争点(3)ア(不法行為の成否)及びイ(準拠法)について (1) 前記1で認定したとおり,中国人労働者の強制連行の制度及び実態は,日
本政府,日本軍及び被控訴人を含む関連企業の双方の利害が一致し(国は軍需産業を初めとする生産力の拡充を,関連企業は利益の増加をそれぞれ目的としたもの),互いに協力して作りあげてきたものである。そして,被控訴人については,本件各証拠によっても,被害者本人らの拉致等の実行行為に直接関与したとまでは認めることができないものの,満州国へ進出し,業界団体の一員として政府に積極的に働きかけて中国人の使役を可能にし,同国におけるトップ企業へと発展し,その実績を前提として,日本国内においても中国人労働者の強制連行及び強制労働の制度及び実態の創出に深く関与し,また,本件においては,華北労工協会から,同協会との契約に基づいて,中国の青島港において,被害者本人らを含む中国人労働者の引渡しを受け,そのまま日本に連行したものであって,被控訴人のこうした一連の行為は不法行為に当たる。また,被控訴人は,日本に連行した被害者本人らに前記1認定のとおり強制労働に従事させたものであって,これが不法行為に当たることは明らかである。
したがって,被控訴人は,本件強制連行及び強制労働について不法行為責任を負うものである。
(2) ところで,被控訴人による不法行為は,前記のとおり,その行為地が中国及び日本の双方にまたがることから準拠法が問題となり,控訴人らは,法例11条1項により当時の中国国内法を適用すべきである旨主張する。
法例11条1項は,不法行為の準拠法について,不法行為の原因たる事実の発生した地の法律によることを規定しており,不法行為が複数の国にまたがるいわゆる隔地的不法行為の準拠法は,原則として,不法行為が行われたいずれかの地の法律となるところ,ある国において不法行為の主要な部分が行われ,他の国においては,副次的又は軽微な部分しか行われていないときは,主要な部分が行われた地の法律によらなければ,最も密接な利害を有する地の公益が維持されないし,行為者の予測も困難になるのであるから,その主要な部分が行われた国の法律が準拠法となると解するのが相当である。
これを本件についてみると,被控訴人は,本件強制連行及び強制労働に関し,被害者本人らの拉致等の行為には直接関与しておらず,被控訴人が直接関与したのは,華北労工協会が青島港において被害者本人らを含む360人の中国人労働者を日本の貨物船に乗船させ,その管理を被控訴人に引き継いだ時点から強制労働の終了までの間であり,また,強制連行は,被控訴人の被害者本人らに対する日本における強制労働を目的とする,いわばその手段として行われたものである。このようなことからすれば,本件においては,不法行為の主要な部分は,日本において行われたというべきであるから,準拠法としては,日本民法を適用すべきである。 したがって,被控訴人の行為は,民法709条の不法行為に当たるというべきである。
4 争点(3)ウ(民法724条後段の適用の可否)について
(1) 民法724条後段は,不法行為に基づく損害賠償請求権について,「不法行為ノ時」から20年を経過すると消滅する旨規定している。そこで,被控訴人の行為が不法行為に当たるとしても,控訴人らの損害賠償請求権が同条項により消滅したかどうかが問題となる。
この点について,まず,控訴人らは,その文言,立法者意思,母法たるドイツ民法の規定などを根拠として,民法724条後段は長期の時効期間を定めたものであると主張する。
確かに,文言,立法者意思及び母法などが,条文を解釈する上で重要な指針となる場合のあることは否定できないが,時代及び社会の状況の変化や差異,全体の法的構造等を無視してまで立法者意思や母法に従うべきものとはいえないこと,日本民法においては,時効と除斥期間とが文言によって明確に区別されているとは言い難いことなどからすると,その文言に拘泥せず,当該権利の性質や規定の趣旨・目的に従って実質的に判断するのが相当である。
不法行為は,同条前段において,3年の短期の消滅時効が規定されているように,法律関係のすみやかな確定が意図されていると考えられるところ,短期の消滅時効の中断を繰り返し継続すれば,権利はまさに永続することになり,前記意図に反し,法的安定性を損なうことにもなる。このような法的安定性を尊重すること(言い換えれば,継続する事実状態に対する事実上法律上の信頼を尊重するということであって,それは,当該事実状態を前提に取引などの法律行為によって新たに関わりを有するようになった第三者の利益を守るというような狭い意味には限られず,長期間の事実状態を前提とする社会秩序ともいうべきものである。)は,重
要なことであって,法政策上も合理性のあることといえる。このような観点からすれば,同条後段の20年の期間は,被害者側の認識のいかんを問わず,一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたもの,すなわち除斥期間と解するのが相当である。
そして,その起算点である「不法行為ノ時」は,前記の除斥期間の趣旨からすれば,同条前段のように主観的事情が入り込む余地はなく,その字義どおり,客観的事実としての不法行為の時と解すべきであるから,本件強制連行及び強制労働に関しては,原審認定のとおり,すなわち,遅くともa事業場における被控訴人の支配下から脱した時と認めるのが相当であるから,被害者A2については送還のための船舶が日本を出航した昭和20年(1945年)11月29日,控訴人A3及び同A4については同様に同年3月末ころ,被害者A6については広島において原爆投下により死亡した同年8月6日,被害者A9についてはa事業場内で死亡した同年3月ころというべきである。
そうすると,控訴人らが被控訴人に対して損害賠償等を求めて交渉を開始したのさえ平成5年(1993年)以降であり,その時点で既に20年をはるかに経過しており,控訴人らの被控訴人に対する不法行為に基づく損害賠償請求権は法律上消滅したことになるといわざるを得ない。
(2) 控訴人らは,民法724条後段を除斥期間と解したとしても,本件強制連行及び強制労働に関しては,その適用を制限すべきであると主張する。 既に述べたように,同条後段は20年という長期の期間を除斥期間(したがって,中断は認められず,また,期間の経過によって当然に適用されるのであって,援用の必要もない。)として定めたものであり,法律関係をすみやかに確定し,法的安定性を維持するという趣旨からすれば,その期間は,客観的事実を前提として,画一的かつ厳格に確定されなければならない。もっとも,法律関係のすみやかな確定や法的安定性を犠牲にしてもなお損害賠償請求権を消滅させないことが正義にかなう場合も皆無とはいえず,そのような場合,同条後段の適用が制限されると解する余地はあり,最高裁平成10年6月12日第二小法廷判決(民集52巻4号1087頁)も,被害者が集団予防接種により重篤な障害を負った事案において,同条後段の適用を制限している。控訴人らも,同判決は正義と公平の理念から除斥期間の適用を制限したものであり,その理はまさしく本件強制連行及び強制労働にも当てはまると主張する。
同判決は,「心神喪失の常況が当該不法行為に起因する場合であっても,被害者は,およそ権利行使が不可能であるのに,単に20年が経過したということのみをもって一切の権利行使が許されないこととなる反面,心神喪失の原因を与えた加害者は,20年の経過によって損害賠償義務を免れる結果となり,著しく正義・公平の理念に反するものといわざるを得ない」として,「不法行為の被害者が不法行為の時から20年を経過する前6か月内において右不法行為を原因として心神喪失の常況にあるのに法定代理人を有しなかった場合において,その後当該被害者が禁治産宣告を受け,後見人に就職した者がその時から6か月内に右不法行為による損害賠償請求権を行使したなど特段の事情があるときは,民法158条の法意に照らし,同法724条後段の効果は生じない」と判示しており,同判決の根底に控訴人らが主張するような正義・公平の理念があることは明白である。そうはいっても,先にみた除斥期間制度の趣旨に照らせば,その適用制限は,極めて例外的な場合に限られるべきであり,したがって,その判断は慎重でなければならない。同判決についても,その点を踏まえたものとして理解すべきであり,本件強制連行及び強制労働について除斥期間の適用を制限すべきかどうかの判断に当たっても,その点が考慮されなければならない。
そこで検討すべき事情としては,正義・公平の理念に反するかどうかとの観点からすれば,加害行為の悪質性や被害の重大性,除斥期間経過前の権利行使の客観的可能性,その他加害者に損害賠償義務を免れさせることが相当でないような事情の有無なども無視できないところである。そして,本件においては,被控訴人は,日本政府に積極的に働きかけ,協力して強制連行及び強制労働の制度及び実態を創出した上,実際にも本件強制連行及び強制労働に及び,被害者本人らの人権を著しく侵害したものであって,加害行為の悪質性は否定できないのみならず,劣悪な環境の下過酷な労働を強いられ,戦後も後遺症や病気に悩まされ,経済的困窮を余儀なくされた被害者本人らの被害も甚だ重大であることは明らかである。また,除斥期間経過前の権利行使の客観的可能性については,本件不法行為時から除斥期間の20年が経過する昭和40年(1965年)ころは,後記6のとおり,日中間
に国交はなく,また,一般庶民が旅券を申請することも中国国内法上不可能であり,控訴人らが日本に渡航して訴訟を提起する等の損害賠償請求権を行使することについては客観的可能性もなかったというべきである。もっとも,そのように控訴人らが損害賠償請求権を行使することが客観的に不可能であったのは,前記のとおり,日中間に国交がなかったことや中国の法制度上日本への渡航が不可能であったことに原因するものであり,被控訴人の不法行為に直接原因するというものではない。
また,除斥期間の適用を制限するについては,既に述べた除斥期間の趣旨である法的安定性の確保に照らしても,また,前掲最高裁平成10年6月12日第二小法廷判決が「民法158条の法意に照らし」と判示していること(民法158条は,時効期間の満了前6か月内に未成年者又は成年被後見人に法定代理人がない場合には,未成年者又は成年被後見人が能力者となり又は法定代理人が就職した時から6か月内に限って時効が完成しない旨規定している。)に照らしても,権利行使が客観的に可能となったのちすみやかに権利行使がされたかどうかが,重要な要素であるというべきである。
これを本件についてみると,本件訴訟提起は,権利行使が可能になった時点を後記6のように中華人民共和国公民出境入境管理法が施行された昭和61年(1986年)と解すると,その12年後であり,権利行使が客観的に可能となった時点からかなりの期間が経過した後である(ちなみに,前掲最高裁判決の事案では,当該被害者について禁治産宣告がされ,後見人が就任して,客観的に権利行使が可能となってから13日目に権利行使〔訴訟の提起〕が行われている。)のであるから,本件について前記判決にいう「特段の事情」を認めることは困難であって,除斥期間の適用を制限することはできないというほかはない。 5 争点(4)ア(安全配慮義務違反の有無)について
【要旨1】被控訴人が,華北労工協会との契約に基づいて青島港において日本の貨物船に乗船させた被害者本人らを含む360人の引渡しを受けた上,同人らをその管理下において日本のa発電所工事現場に連行し,同所において劣悪な環境の下で過酷な労働を強いた一連の行為が債務不履行(安全配慮義務違反)となることは,原審判示のとおりである。
これに対し,被控訴人は,本件被害者らとの間に生じた社会的接触は,単なる事実的なものにすぎず,安全配慮義務が問題となる雇用関係又はこれに準ずる法律関係ではないと主張する。
しかしながら,以下に述べるとおり,被控訴人と本件被害者らとの間には,雇用関係又はこれに準ずる法律関係を認めることができるのであって,被控訴人の主張は採用できない。
(1) 安全配慮義務は,ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において,当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務である(最高裁昭和50年2月25日第三小法廷判決・民集29巻2号143頁参照)ところ,「特別な社会的接触の関係」については,典型的には,雇用契約が考えられてきたが,その後これにとどまらず,双方間に直接の契約関係がない場合であっても,それに準ずる,ないし類似する関係にある場合には安全配慮義務が認められると解されるに至っている(最高裁平成3年4月11日第一小法廷判決・判時1391号3頁参照)。
もっとも,社会的接触の関係が,単に事実上のものにとどまり,せいぜい不法行為規範が妥当する程度である場合には,安全配慮義務を負わせることはできない。不法行為と債務不履行とは,その事実関係に照らし,重畳的に適用される場合があることは否定できないが,両者は,構造的には,契約の有無を契機としてその制度趣旨を異にするものであり,それ故,立証責任,時効等に関し異なる規定がされている。そうであれば,直接的な契約関係にないにもかかわらず,債務不履行が認められる社会的接触の関係であるというためには,形式的には契約がないという理由で債務不履行を否定するのが相当でない場合,すなわち,契約関係と同視し得る程度の関係であることを要すると解するのが相当である。
(2) これを踏まえて検討するに,確かに,被害者本人らは,その意思に反して集められ,中国の青島港から日本の貨物船に乗船させられて日本に強制的に連行され,日本に到着後,被控訴人の本件現場で強制的に労働に従事させられたものであり,被害者本人らは,一貫してその意思に反した行動を強いられており,もとより雇用契約も締結されていないのであって,被控訴人が主張するように,こうした関係を事実上のものと解する余地もなくはない。

しかしながら,引用した原審認定にかかる事実,証拠(甲2,14,15,86,98,165)並びに弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められ,同事実によれば,被控訴人と被害者本人らとの間には,単なる事実上の関係にとどまらず雇用契約に準ずる関係を認めるのが相当である。
ア 昭和12年(1937年)7月の日中戦争勃発以降,出兵による国内労働人口の減少に加え,生産力の拡充が国家の主要な政策となり,軍需産業,土木建築事業及び関連諸産業の急激な発展等もあって,深刻な労働力不足が顕著となった。日本政府は,昭和13年(1938年)4月国家総動員法を,昭和14年(1939年)7月には国民徴用令をそれぞれ公布するなどして国民皆励運動を展開したが,労働力不足は解消しなかった。そこで,日本政府は,業界団体の要請に応じ,昭和14年(1939年)7月朝鮮人を日本国内に移入する政策を確認したが,それによっても日本国内の労働力が不足していたため,業界団体は,満州国における中国人労働者移入措置の実績をもとに,日本政府に対し,中国人の国内移入を要請した。
なお,明治32年(1899年)7月28日の勅令第352号以降中国人についてのみ,朝鮮人その他外国人とは異なり,日本国内における居住の制限を受け,労働に従事するためには行政官庁の許可が必要とされるような取扱いがされていた。
イ このような流れの中で,中国占領地統治機関として設置された興亜院が,中国人労働者の移入に関し,「華北労務者ノ対日供出ニ関スル件(興亜院案)」(甲14)と題する文書を出し,方針を示している。同文書には,供出,募集,輸送,管理,経理に関する要領等の記載があり,華北労工協会,事業主のそれぞれの役割分担や経費の負担のほか,労働者の待遇(宿舎,生活必需品の現物支給,賃金,就労期間を限定すること)などの記載もある。
これを受けて,昭和17年(1942年)10月,被控訴人もその構成員であった土木工業協会は,「華北労務者ノ使役ニ関スル件(一七、一〇、二〇)」(甲15)と題する書面で,移入に関する具体的な要領を定めた。これには,中国人労働者一人当たりの移入費用のほか,賃金,休日,成績優秀者に対する臨時手当,就労期間(2年),就労期間中の出勤率や成績に応じて支給する賞与,などの記載がある。
ウ 一方,日本政府は,昭和17年(1942年)11月27日,「華人労務者内地移入ニ関スル件」について閣議決定をした。同決定には,中国人の移入は日本国内の労働力不足を補う目的であることが示され,中国人労働者の募集,斡旋は華北労工協会が行うこととされているほか,中国人労働者の食事内容(華人労務者の通常食),就労期間(2年),賃金(現地で通常支払われる賃金)などの定めもある。
この内閣閣議決定に附帯する内閣企画院の「華人労務者内地移入ニ関スル件第三措置ニ基ク実施要領」には,契約期間(1年),移入に要する費用は事業者負担として賃金から控除しないこと,休日,賃金,就業時間などについて規定されている。
エ 前記内閣閣議決定では,まず試験移入を行い,その成績によって,本格的移入に移行することが決められていたところ,昭和18年(1943年)4月から11月まで試験移入が実施され,その実施がおおむね良好と報告されたことから,日本政府は,昭和19年(1944年)2月28日,次官会議において「華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件」を決定し,中国人労働者の本格移入を決定した。同文書にも,移入対象とすべき労働者の条件(年齢等),従事すべき産業(国民動員計画産業中鉱山業,国防土木建築業及び重要工業等),契約期間(2年),事業場における労務管理の方法などのほか,休養,食事,娯楽施設の用意,賃金,就労時間,休日等の待遇に関する記載がある。
そして,この次官会議決定に附帯するものとして「華人労務者内地移入手続」が定められた。これには,「第二 移入雇傭申請ノ処理」として,厚生省から事業主別雇傭員数の割当予定の通報を受けた事業主は「華人労務者移入雇傭願」を提出することとされ,厚生省が割当てを決定した場合には,移入が可能になる。そして,「第四 到着後の措置」として,事業主は,移入華人労務者が日本に到着したときは,前記明治32年勅令第352号に従い「労働許可証」の申請手続をしなければならないこと,また,事業主には,華人労務者のために,所轄警察署,国民職業指導所等の指示に従って訓練施設,技術教育施設及び適切な娯楽施設を設置し,健康診断,生活訓練等を行うことが義務づけられている。

オ 被控訴人は,J株式会社から,昭和18年(1943年)6月から昭和22年(1947年)3月までを工期として,広島県山県郡b町ないし同郡a村におけるa発電所の建設工事を受注したが,労働力が不足していたため,昭和19年(1944年)4月,厚生省に対し中国人労働者の移入を申請し,300人の割当てを受けた。そこで,被控訴人は,担当者を北京に派遣し,同年5月,華北労工協会との間で,中国人労働者の斡旋に関し契約書を取り交わした。同契約書には,募集供出方法,経費の負担及び輸送に関する定め(被控訴人は,同社が派遣した現場管理人の中から引率責任者を定め,労働者の引渡しを受けたのち現場到着までこれを管理すること,輸送運賃及び輸送間の食糧は被控訴人の負担とすることなどが定められている。)のほか,中国人労働者について,作業種類(土木),契約期間(2年),日本における訓練,賃金,休日,宿舎施設,生活必需品の支給,風呂,労働災害に対する救済等に関しての規定がある。
カ 被控訴人担当者は,前記被控訴人と華北労工協会との間の契約に基づいて昭和19年(1944年)7月29日,青島において,華北労工協会が,日本軍や警察官の監視下に,日本の貨物船「I丸」に乗船させた360人の管理を引き継いだ。同貨物船は,同日青島港を出航し,同年8月5日,山口県下関港に到着した。中国人労働者は,その後a発電所工事現場において,日本人の監督の下,朝鮮人らとともに就労した(なお,被害者本人らの具体的な生活及び就労実態については,前記の契約書,政府決定の内容とは甚だしく異なり,劣悪かつ過酷なものであったことは,原審認定のとおりである。)。
そして,被害者本人らの生活及び就労状況については,「華人労務者就労顛末報告書」(甲2)に記載があるところ,そこには賃金が契約に従って支給された旨記載されている(なお,同文書は,後記のとおり,「外務省報告書」作成のもととなった資料であるが,待遇に関しての記載は,事実と異なる部分が多く,信憑性が低く,賃金支給にしても,実際上は記載どおりには行われていない。) 以上の事実,すなわち,【要旨1】被控訴人は,労働力の不足を補うために華北労工協会との契約に基づいて,同協会から,青島港において,被害者本人らを含む中国人360人の引渡しを受け,被害者本人らを被控訴人の管理下において日本に連行し,本件現場で労働に従事させたものであり,その契約書には,被控訴人が管理を引き継いだ以降の輸送費,食糧費を被控訴人が負担することを初めとし,移入する中国人労働者のいわば労働条件ともいうべきものが詳細,かつ具体的に記載されていること,中国人労働者の移入に関する日本政府の一連の決定にしても,このような労働条件が明記されているだけでなく,事業主に労働許可証の申請を義務づけたり,直接的に「雇傭」という文言を使用しているものもあること,前記1のとおり,実態としても(実際の待遇は,契約書や決定とはまるで異なるものであったとしても),本件被害者らは,被控訴人の指揮監督下,日本人労働者,朝鮮人労働者とともにa発電所建築工事現場で作業に従事していたが,それにとどまらず,生活全般を含めて被控訴人の管理下に置かれその指示に従わなければならなかったことなどからすれば,被控訴人と被害者本人らとの間においては,形式的には雇用契約は締結されていなかったが,雇用契約の締結が予定されており,両者間を規律するものとして想定されていた各規定も実質的には雇用契約の場合と同様のものであり,さらに実態としても,被害者本人らが他の従業員とともに(待遇において著しい差があったとしても)被控訴人の指揮監督下において作業に従事するという雇用契約の主たる部分と同様の実態があるのであって,被控訴人と被害者本人らとの関係は,形式的に契約が締結されていないだけであって,実質的にみれば,雇用契約そのものともいえる関係であったというべきである。したがって,両者間の「社会的接触」は,事実上のものを超えて,安全配慮義務の発生が問題となる雇用契約関係に準ずる法律関係であったというべきである。
なお,被控訴人と被害者本人らとの間の前記雇用契約関係に準ずる法律関係は,青島港において被害者本人らが被控訴人の管理下に入った時点で成立し,前記強制労働の終了まで継続していたというべきである。
したがって,その準拠法についても問題となり,法例7条2項は,法律行為の成立及び効力について,当事者間に合意がない場合について行為地法によると規定するところ,前記不法行為に関する準拠法で述べたのと同様の理由により(被控訴人は,被害者本人らを日本で労働させることを目的として華北労工協会と契約を締結し,同契約に基づいて,青島港で被害者本人らの引渡しを受けてその管理下に置いて日本に連行し,そのまま労働に従事させたのであり,その主要部分の効力は日本において発生したというべきである。),準拠法は日本民法と解するの
が相当である。
6 争点(4)イ(消滅時効の成否)及びウ(時効援用権の濫用又は信義則違反の有無)について
(1) 引用した原審認定に係る事実,証拠(甲2,35,38,82,86,98,99,106,107,112,117,123ないし127,129ないし132,148,150,158,161,162,164,166〔枝番を含む。以下同様。〕,原審証人D,同K,同L,原審における原告A2本人)並びに弁論の全趣旨によれば,前記争点に関し,次の事実が認められる。 (外務省報告書について)
ア 日本外務省は,昭和21年(1946年)になり,中国人の強制連行及び強制労働に関する調査を開始した。具体的には,中国人を使役した全国135の事業場から膨大かつ詳細な資料(「事業場報告書」。被控訴人a出張所作成に係る「華人労務者就労顛末報告書」〔甲2〕がそれである。)を作成,提出させ,嘱託した調査員(満鉄調査部,東亜研究所,華北交通社などから選任)を現地事業場に派遣して「現地調査報告書」を作成させた。外務省は,この事業場報告書と現地調査報告書をもとに「外務省報告書」を作成した。その調査項目は,招致事情,就労事情,送還事情であり,これにより,連行された中国人個々人の状況を含めた基本的データが明らかになった。同報告書のこれらのデータの中で,連行された人数,死亡者数,個々人の氏名等といった客観的なものについては,相当程度に正確で信頼できるのであったが,一方において,外務省報告書作成作業が進行中の昭和21年(1946年)5月ころ,中国人労働者が使役されていたF組c鉱山で発生した事件に関して戦犯追及の問題が生じていたことなどもあって,戦犯追及に対する懸念から,労働,衣食等の処遇や死亡原因等については,事実が歪曲,隠ぺいされている部分が少なくない疑いがあるとされている。
イ 当時,外務省報告書は30部作成されたが,その後,外務省は,同報告書及び基礎資料をすべて焼却することとした。しかし,同報告書の作成に携わった調査員数名が,将来,世に問うことがあるかもしれないと考え,外務省報告書及び事業報告書を密かに持ち出し,昭和25年ころ,東京華僑総会にその保管を委託した。東京華僑総会は,これらの文書を公表することによって,強制連行及び強制労働に関係した者が戦犯として追及されること,日中間に新たな紛争が生じることを危惧し,公表を控えてきたが,平成5年(1993年)5月17日放送の「クローズアップ現代」,同年8月14日放送の「NHKスペシャル」においてその存在及び内容が報道され,本件強制連行及び強制労働の実態が公に知られるところとなった。
ウ この間,昭和33年(1958年)2月8日,第2次世界大戦中日本に強制連行されたMが北海道の山中で発見されるといった事件や第2次世界大戦中の日本で死亡した中国人の遺骨送還の問題などが発生した際,外務省報告書の存在が国会で議論されたが,日本政府は,「現存しない」との答弁で一貫し,昭和35年(1960年)3月17日に外務省報告書作成当時の担当課長から聴取した話(①中国側から戦時中日本で就労した中国人労働者の実情につき調査のために来日する場合に備えて作成することにしたこと,②作成後間もなく戦犯関係資料として使用されることが懸念されたので一部を残して焼却したこと,③外部に流出したものがある可能性があることなど)を受け,外務省のアジア局長は,同報告書が問題となったときは,「外務省としては,戦後,問題の資料を作成したことは事実であるが,その直後これが戦犯問題に利用されるおそれが生じ,本件関係の人々,例えば,華人労務者を就労させた事業関係者等に迷惑がかかることを避けるため,本件資料はすべて焼却した。したがって,現在外務省には一部も残っておらず,外部に流出した趣の調査報告書については,外務省において作成したものか否か確認し得ない実情にある。」と答弁することとしたいと述べており,その方針は,前記イのテレビ報道を受けて国会答弁がされた平成6年(1994年)6月22日まで継続された。
(被控訴人の国家補償金の取得について)
ア 中国人の使役については,昭和17年(1942年)11月27日の閣議決定「華人労務者内地移入ニ関スル件」を受けて昭和19年(1944年)2月28日に次官会議決定「華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件」が出されたところ,次官会議決定中「第三 移入及送還方法」において「移入及送還ニ要スル経費ハ労務者ノ賃金ヨリ控除セザルコトトシ原則トシテ工場事業場ノ負担トスルモ差当リ要スレバ国家補償等適当ノ方途を講ズルコト」,「国家補償ノ方法及限度等ニ付
イテハ別ニ之ヲ定ムルコト」とされた。この国家補償金については,同年12月14日の「華人労務者賃金基準ニ関スル通牒」(厚生省勤労局長・軍需省総動員局長),昭和20年(1945年)2月24日の「華人労務者給与規定要綱及実施要領ニ関スル件」(前同様)によって,その内容が具体化された。それによれば,華人労務者の給与は,1日約5円に食費50銭を加算したものとされ,そのうち日本での能率水準からみて相応な額を事業主が支払い,給与・食費との差額を国家が負担することにするが,当面は事業主の立替払いとするという原則が立てられた。しかし,国家補償金の具体的な支払方法については,決定されないまま戦争終結を迎えた。
イ 昭和20年(1945年)3月に土木建築事業の一元的統制運営を目指して設立された「戦時建設団」に代わり同年11月1日に「日本建設工業統制組合」が設立されたのに伴い,戦時建設団当時の「外地労務対策委員会」は,同月12日「華鮮労務対策委員会」として再編された。同委員会は,F組,N組,O建設(当時はP土木),Q組,H組,被控訴人ほかの土木建築業界の有力企業の代表取締役,専務取締役らによって構成されていた。同委員会は,同年11月12日,中国人関係の損失金(終戦前損害金として賃金差額,給食費国庫負担額,募集費損失金等があり,終戦後損害金として休業手当,食費損失金,金品の給与強制強奪による損害金があり,それらの合計は約7060万円である。)を計上した陳情書を大蔵省に提出した。その後も,日本建設工業統制組合華鮮労務対策委員会は関係機関に対する陳情を繰り返すなどした。その結果,同委員会は,昭和21年(1946年)3月30日付けの決定により,終戦前損害金として土建業者14社分として合計545万3000円(炭坑関係,金属関係を含めると合計1000万円であった。)を,また,同月22日付けの決定により,終戦後損害金として中国人関係分合計2184万0524円,朝鮮人関係分合計1015万9476円の合計3200万円を取得した。このうち被控訴人は,前者につき16万3590円,後者につき合計75万7151円を取得した。
なお,これらの企業は,終戦後損害金のうち,休業手当,食費損失金などについて,死亡し,あるいは帰国したりした中国人を「在籍人員」に含めて算定して,国家補償金を取得した疑いがある。
さらに,中国人労働者の賃金の支払方法に関して前記「華人労務者賃金基準ニ関スル通牒」に付された「華人労務者賃金基準」によれば,賃金の一定額を所定の支払日に支給し,残額を各労働者名義で郵便貯金とする旨が規定されており,被控訴人a出張所の場合,労務係によれば,これに従いb郵便局に各個人名義で貯金したとしているが,昭和42年(1967年)11月の広島県の調査によれば,b郵便局の預貯金簿には中国人労務者について,預貯金した形跡は全くなかった。
ウ ところで,国家補償金について,土木工業協会・電力建設業協会編「日本土木建設業史」(甲161)には,戦時補償特別措置法施行(昭和21年〔1946年〕10月)により吸い上げられたとの記載がある。戦時補償特別措置法は,GHQによる「戦時利得の除去及び国家財政の再編成に関する指令」を踏まえ,戦争終結のために損害を被った民間企業は国家から補償を受けるという考え方に対し,戦争で莫大な利潤を得た軍需企業への国家補償は,戦争の再来を招き,民主的な制度を運営する上で障害になるとの判断の下に,戦時補償請求権の存在を認めつつ,その請求権に対して戦時補償特別税を課し,その税率を100%として,既に決済の終了したものであっても,国家補償金を償還するという原則を示したものであった。しかし,戦時補償特別措置法施行規則の除外規定及び昭和21年(1946年)12月3日の大蔵省令により,中国人強制連行に関わる国家補償金については,同月時点で特別税の課税が免除された。
(控訴人らの本件提訴に至る経緯)
ア 戦後帰国した被害者本人らは,被害者A2が被爆の後遺症,控訴人A3が失明,同A4が疥癬など,いずれも本件強制連行及び強制労働により後遺症を負うこととなったため,仕事に就くことが困難となり,その後長期間にわたり経済的に困窮した生活を余儀なくされた。死亡した被害者本人の遺族にしても,一家の働き手を失ったことから,経済的に困窮したのは同様であった。また,本件被害者らは,いずれも地方に居住していたことから,情報に乏しく,知識も不足していた上,相談すべき機関なども存在しなかったことから,自らの体験を訴えたり,権利を行使したりすることには思い及ばなかった。
特に,被害者A6,同A9の遺族は,同被害者らの安否すら分からなか
った。
また,戦時中の日本軍の中国人に対する行為から,中国人の対日感情は悪く,日本へ強制連行されて強制労働させられた中国人が生きて帰国するとは考えられておらず,日本と何らかの接触を持った経験がある者については,日本のスパイなどの疑いをかけられて迫害されることもあった。
このような一般民衆の認識は,文化大革命時には排外主義も伴って激化し,日本と接触した者は,批判集会に連れ出されて厳しい追及にさらされることにもなった。
そのため,本件被害者らは,自らの体験を第三者に話すことはできず,平成4年(1992年)ころから河北大学のD助教授が調査を開始し,本件被害者らのもとを訪れたことにより,ようやく本件強制連行及び強制労働による被害を具体的に話すことができるようになった。
イ 中華人民共和国は,昭和31年(1956年)以降社会主義国家となり,所有権観念が否定され,公民である個人が,私的な利益に基づき他者に損害賠償を請求すること自体否定されていた。同国においては,人民公社制度が廃止され,個人所有が認められたのは,昭和59年(1984年)のことであり,民法通則が制定され,個人的利益に基づく請求権が法的に確立し,訴訟手続を行う「律師」の制度が復活したのは,昭和62年(1987年)のことであった。 ウ 日本と中華人民共和国との国交は,昭和47年(1972年)9月29日の日中共同声明をもって正常化され,昭和53年(1978年)8月12日に日中平和友好条約が締結され,昭和54年(1979年)には中国から戦後初めて留学生が来日した。しかし,一般市民が出国して来日することは容易には実現せず,昭和60年(1985年)11月中華人民共和国公民出境入境管理法が制定され(昭和61年〔1986年〕2月の施行),一般的な旅券申請方式が定められたことにより,ようやく一般市民が出国できる制度が確立されるに至った。もっとも,同法によっても,海外渡航のためには外国たる相手国からの招請状が必要とされる状況であった。
また,中国から日本への往復渡航費用は平成12年(2000年)現在で7800元であり,D助教授の7か月分の給与に相当する額であって,経済的に余裕のない生活をしている控訴人らにとっては,負担することが事実上困難ともいうべき程のものであった。
エ 平成4年(1992年)にD助教授と「交流をすすめる会」が共同で調査をするようになったのちの平成5年(1993年)7月に被害者A2が来日し,同年8月3日,被控訴人中国支店を訪れて自らの体験を語り,被控訴人に対し,被害事実を認め,謝罪することや損害賠償などの要求をした。これ以降,被害者A2,控訴人代理人足立修一弁護士,「交流をすすめる会」のメンバーらが,被害者A2の①公式の謝罪,②追悼碑,記念館の建設,③賠償と補償,の3項目の要求を掲げて被控訴人中国支店と交渉を行うことになった。両者間の交渉は,平成9年(1997年)5月14日を最後に打ち切られ,それから間もない平成10年(1998年)1月16日,本件被害者らは本件訴訟を提起するに至った。 この間,平成7年(1995年)5月26日には控訴人A3も来日して被控訴人東京本社において交渉し,同年8月4日には控訴人A5も来日して被控訴人中国支店を訪れ,遺族としての要求を行った。
こうした要求に対し,被控訴人は,交流をすすめる会からの共同調査の申入れについては,平成6年(1994年)4月5日付け被控訴人中国支店支店長名の文書で,事実調査は被控訴人独自で行う旨を回答したが,同年7月10日に交流をすすめる会が主催した訪中報告会や同年11月17日にb町で行われた地元住民からの事情聴取などには,被控訴人中国支店の交渉担当者であったB事務部長が出席するなどした。しかし,被控訴人は,おおむね資料が存在しないため事実関係が不明であるなどとして,被害事実の存否自体を問題とする姿勢であって,要求受入れ,あるいは要求拒否といった明確な態度を表明することはなかったところ,平成8年(1996年)6月27日に至って,被控訴人は,突如として,本件強制連行及び強制労働に係る賠償問題は,日中共同声明,日中平和友好条約において解決済みであるとの姿勢を明らかにし,平成9年(1997年)5月13日の交渉においても同様の回答を繰り返し,翌14日最終的に交渉は決裂した。 そこで,本件被害者らは,被控訴人との交渉による解決は困難であると判断して,前記のとおり,本件訴訟を提起するに至った。
オ ところで,本件被害者らが本件訴訟提起に踏み切ることが可能となった
のは,外務省報告書及び事業場報告書の存在に負うところが大きい。これらの資料により,被害者本人らについて,被控訴人a出張所の現場に連行されたこと,その経緯,労働に従事させられたことなどの事実が具体的かつ客観的に明らかになり,控訴人らとしても,本件強制連行及び強制労働の事実を立証することが可能であるとの判断に至ったからであった。
こうした戦時中の資料に関しては,被控訴人も構成メンバーであった戦時建設団が,終戦直後の昭和20年(1945年)8月16日から,戦時中の華人及び朝鮮人に関する統計資料訓令その他の重要書類を軍需省に命じられて焼毀している。事業場報告書はその後に作成されたものであるが,戦犯追及の懸念から,被控訴人a出張所の事業報告書,すなわち「華人労務者就労顛末報告書」(甲2)の場合も,待遇(賃金,食糧,衛生,その他労働,生活状況)に関する事項や死亡診断書等については,事実とは異なる記載がされている部分もあり,信憑性に乏しい。
また,広島県には「中国人死没者調査関係文書(昭和32年度~昭和44年度)」という文書が保管されている。中国人死没者調査とは,戦時中広島県内に強制連行されて死亡した中国人の遺骨調査のことであり,中国で死亡した旧日本軍人,一般邦人らの遺骨調査を中国側に依頼したことに関連して,当時の厚生省の指示により昭和32年(1957年)から昭和42年(1967年)にかけて実施されたものである。被控訴人に対しては,昭和35年(1960年)2月29日に最初の調査が行われたが,これに対し,被控訴人は,同年3月21日付け書面で,①労務管理は現場において行い,詳細の報告は本支店まで送達されないこと,②中国人労務者を使用したa出張所は他の工事場と同様終戦の混乱裡により文書の処理状況は不明であること,③労務管理の概要に関する現場から本社に対する文書も本社社屋の被接収(昭和20年9月~26年11月)の両3回にわたる社屋移転により散逸したこと,以上の諸点を理由とし,資料の少ないことを断りながらも,移入総数,死亡者数,中途帰国者及びその氏名などを回答した。さらに昭和40年(1965年)に入って,広島県は,6月26日付けで,被控訴人に対し,資料調査だけでなく,関係者に対する聞き取り調査をも要請したが,被控訴人は,同年7月27日付けで,新資料はないこと,関係者の氏名が不明であることを回答した。ところが,広島県が,同月16日に地元関係者,被控訴人関係者等に直接聞き取り調査を行ったところ,事情を知る者の存在が明らかになったので,同年8月28日付けで,存在の判明した当時の労務係E(調査当時は岡山出張所勤務。以下「E係長」という。)に照会文書を送付した。これに対し,E係長は,同年9月1日に電話で回答し,同年10月28日には広島県庁を訪れて事情聴取に応じ,さらに,昭和42年(1967年)1月31日から2月2日にかけて広島県から派遣された職員の事情聴取に被控訴人岡山出張所で応じた。E係長は,これらの調査の中で,①昭和19年(1944年)4月から昭和21年(1946年)までa出張所労務係として勤務したこと,②中国人労務者受入時,名簿を広島県庁に提出したこと,提出は食糧受給のために必要であり,毎月名簿に基づいて受給チケットを受け,食糧事務所で食糧を受けたこと,③賃金は,本人名で郵便貯金通帳を作成し,戦後本人へ印鑑通帳とも渡したこと,④終戦の翌月ころ,米軍から求められたので,中国人労働者の受入れから米軍引渡しまでの間の食糧,賃金等あらゆる待遇についてまとめた20㎝くらいの厚さの報告書を作成して米軍に引き渡したこと,⑤中国人労務者に関する記録は一切を整理し,資料はすべて本社に引き継いだこと,などを述べている。
(2) 消滅時効について
ア 安全配慮義務の不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効期間は,民法167条1項により10年と解され(前掲最高裁昭和50年2月25日第三小法廷判決),同10年の消滅時効は,同法166条1項により,「権利ヲ行使シ得ル時」から進行するものと解されている(前掲最高裁平成6年2月22日第三小法廷判決)。そして,同条項には,民法724条前段などとは異なり,権利者が一定の事情を知った時から時効が進行する旨の規定はないから,同条項にいう「権利ヲ行使スルコトヲ得ル」とは,原則として権利を行使する上で法律上の障害がないことを意味し,権利行使の可否に関する請求権者の主観的認識等の事実上の障害は,時効の進行を妨げる事由にはならないというべきであるが,当該権利の性質上,その権利行使が現実に期待できるものであることは必要であると解される(前掲最高裁昭和45年7月15日大法廷判決)。そして,一般に,安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権は,その損害が発生した時点で成立し,同時にその権利を行使する
ことが法律上可能となるだけでなく,現実にも権利行使が期待できるものというべきである。しかし,長崎じん肺訴訟の上告審判決である前掲最高裁平成6年2月22日第三小法廷判決が,じん肺に罹患した事実はその旨の行政上の決定がなければ通常認められないこと,じん肺は進行性の疾病であるが,その進行の有無,程度,速度が患者によって多様であり,かつこれについて現在の医学では確定することができないことなど,被害事実の特殊性を踏まえた上で時効の起算点を判断しているように,安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権であっても,現実的な権利行使について期待可能性の観点を無視し得ない場合のあることに留意すべきである。 イ 本件は,安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権であるから,前記のとおり一般には,損害発生の時から時効が進行すべきものであり,その権利の性質上,権利行使が期待できないというものではなく,また,被害者本人らそれぞれにおいては,死亡時ないし遅くとも日本を離れた時点において,全損害が発生し,かつそれが確定していたのであるから,この限りでは,症状が顕在化した時点では,全損害が発生したとも確定したともいえない前記じん肺の場合とは事案を異にするものといわざるを得ず,また,控訴人らの法的認識や経済的事情,地理的条件等の事実上の障害については,時効の進行を妨げる事由に当たるとは認められないというほかはない。
しかしながら,【要旨2】本件において問題となっているのは,第2次世界大戦中の中国人の強制連行及び強制労働という極めて特殊な事案であって,その被害者が戦後中華人民共和国に帰国した中国人,あるいはその相続人であるということから,日本国内における一般の安全配慮義務違反とは同様には論じられない面がある。すなわち,前記のとおり,第2次世界大戦後,昭和53年(1978年)10月23日に日中平和友好条約が発効するまで日中間に国交はなかったこと,昭和60年(1985年)11月に中華人民共和国公民出境入境管理法が制定されてようやく一般的な旅券申請方式が定められ,昭和61年(1986年)2月に同法が施行されて始めて中国の一般市民にも海外渡航の道が開かれたことなどからすれば,一般の中国人が日本に渡航することは,中国国内においては,このころまで政治上あるいは法律上不可能であったということである。このような事情は,被害事実の特殊性という観点からすると,前記じん肺の場合におけると同様に,本件被害者らの被害事実の顕著な特殊性であって,むしろ,法律上の障害に準じるともいうべきものである。
そうすると,控訴人らに対して,現実的な権利行使を期待することが客観的に可能となったのは,前記昭和61年(1986年)2月の中華人民共和国公民出境入境管理法の施行以降であるというべきである。控訴人らが本件訴訟を提起したのは,更にそれから12年後の平成10年(1998年)1月16日であり,既に10年の時効期間が経過したのちであるから,本件の安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権は時効により消滅したものというほかはない。
ウ なお,このように解すると,控訴人らが被控訴人と補償交渉を開始した平成5年(1993年)8月時点では未だ10年の時効期間が経過していなかったことになるところ,前記のとおり((1)(控訴人らの本件提訴に至る経緯)エ),被控訴人は,平成8年(1996年)6月27日の補償交渉において初めて,本件強制連行及び強制労働に係る賠償問題は,日中共同声明及び日中平和友好条約により解決済みであるとの姿勢を明らかにしたのであり,それまでの間は,補償に応じるか否かについて明確な態度を採ってはいなかったのである。したがって,そのような補償交渉の事実をもって,被控訴人が債務を承認したということも,時効が中断したとも認めることはできないし,控訴人らが主張するように時効の停止を認めることもできない(なお,控訴人らは,被控訴人が交渉を故意に引き延ばした旨主張するが,これを根拠づけるに足りる的確な証拠はない。)。
【要旨3】(3) 時効援用権の濫用又は信義則違反について
ア 控訴人らは,被害者本人らの受けた被害の重大性,被控訴人の安全配慮義務違反の態様,本件被害後被害者本人らが置かれた状況,被控訴人の事後の対応等から,本件において債務者(被控訴人)が時効を援用することは,社会的に許容された限界を逸脱するもので,権利の濫用に当たり許されない旨主張する。 ところで,時効制度の機能ないし目的については,①長期間継続している社会秩序,法律関係の安定,②証拠保全の困難性の救済,③「権利の上に眠る者は保護しない」,との各点にあると解されているところ,時効による利益を受けるためには,単に期間の経過のみでは足らず,当事者がこれを援用しなければならないとされており(民法145条),この点,除斥期間とは性質を異にしている。そ
して,債務についての消滅時効の援用は,債務者の権利に属するが,債権者が期間内に消滅時効に係る権利を行使しなかったことについて,債務者に,債権者の権利の行使を妨害するなどの責められるべき事由があったり,債務発生に至る債務者の行為の内容や結果,債権者と債務者の社会的・経済的地位や能力,その他当該事案における諸般の事実関係に照らして,時効期間の経過を理由に債権を消滅させることが,著しく正義・公平・条理等に反すると認めるべき特段の事情があり,かつ援用権を行使させないことによって前記時効制度の目的に著しく反する事情がない場合には,時効の援用は権利の濫用としてこれを許さず,債権の行使を許すべきであると解するのが相当である(なお,最高裁平成13年(受)第1760号・平成16年4月27日第三小法廷判決は,前記の内容とほぼ同趣旨の事由を根拠として時効の援用が権利の濫用に当たるとして被害者らの請求を認容した前掲福岡高裁平成13年7月19日判決を維持して上告を棄却している〔もっとも,当該事由が上告理由とされてはいない。当裁判所に顕著な事実〕。)。
イ 本件について,これらの観点から被控訴人による時効の援用が権利の濫用に当たるかどうかを検討する。
原審が具体的に認定しているとおり,被害者ら本人は,劣悪な環境の下で過酷な労働を強いられ,その実態は,奴隷的労働というに等しく,著しい人権侵害を伴うものであった。前記のとおり((1)(控訴人らの本件提訴に至るまでの経緯)ア),これにより被害者本人らは,前記被害者A6,同A9は広島において死亡し,被害者A2は被爆し,控訴人A3は失明し,同A4は重篤な疥癬に罹患するなどの被害を受け,帰国後も経済的に困窮した生活を余儀なくされただけでなく,中国の国内事情によるとはいえ,日本と関わりを持ったことから,迫害を受けなければならない状況に置かれるなど,長期間にわたり経済的なものを含め身体的及び精神的苦痛を被ってきた。このような重大な被害は,被控訴人の安全配慮義務違反によりもたらされたものである。
本件被害者らは,このような経済的困窮(なお,日本への渡航費用は,一般庶民の収入に照らしてもかなりの高額に相当するものである。),中国の国内事情,また,前記のとおり((1)(控訴人らの本件提訴に至るまでの経緯)イ),昭和31年(1956年)中華人民共和国が社会主義国家となったことから,中国国内の法律によっては私的な利益を侵害されたことを理由とする損害賠償請求権が認められなかったことなどの中国国内の法律状況,さらには,昭和21年(1946年)にまとめられた外務省報告書もその後30部のうちの大部分が焼却され,残ったものもその存在が判明しなかったことに典型的なように,本件被害者らにとって権利を行使するために必要な情報が極めて乏しかったことなどが相俟って,事実上権利行使が著しく困難な状況に置かれてきたということができる。加えて,時効完成以前の平成5年(1993年)8月には,被控訴人との間で補償交渉を開始し,その後4年もの長期にわたって補償への期待を抱きながら交渉を継続したことなどの事情をも併せ考慮すれば,本件被害者らが権利の上に眠ってきた者であるなどとは,到底認めることができない。
一方,被害者本人らを興亜院ないし青島に集めるについて被控訴人の直接的な関与があったかどうかについては,必ずしも定かでないとはいうものの,強制労働の前提手段ともいうべき強制連行については,前記のとおり(1(1)),当時の国策に従うものであったとはいえ,被控訴人を含め満州国にも進出して中国人労働者を使役していた大手土木建築会社が加盟する土木工業協会などが中心となり,当時の日本政府に積極的に働きかけるなどして,本件を含む強制連行・強制労働という一連の制度及び実態を創出したというべきであり,中でも,被控訴人は,満州国においてF組などと並びトップ企業の地位にあってその発言権も絶大であったものと推定できる上,厚生省の割当てを約60人も上回る他に例をみない程の追加拠出を華北労工協会から受け得る立場にあったのであって,これらのことからしても被控訴人の本件強制連行への関与の深さがうかがい知れるところである。 また,前記のとおり,本件被害者らの権利行使が困難であった理由には,経済的困窮や情報不足等の点があるが,被控訴人はこれらの点についても無関係であるとはいえない。すなわち,被害者本人らの残された家族は重要な働き手を失ったことから経済的に困窮し,被害者本人らが帰国したのちにおいても,それぞれ身体的に後遺症や病気のために就労が困難で経済的に困窮することとなったのであるが,これらはまさに被控訴人による本件強制連行及び強制労働によるものというべきであるからである。情報不足の点についても,前記のとおり((1)(控訴人らの本件提訴に至る経緯)オ),まず,被控訴人もその構成メンバーであった戦時建
設団が,終戦直後,軍需省の命令とはいえ,戦時中の資料を焼却し,その後である昭和21年(1946年)にまとめられた外務省報告書作成のために被控訴人により作成された「華人労務者就労顛末報告書」(甲2)にも,待遇(食糧事情を含めた生活環境一般や労働時間・給与等の労働条件全般)等について,戦犯としての追及を懸念してことさら虚偽の事実が記載されており,また,厚生省の指示により広島県が昭和32年(1957年)から昭和44年(1969年)にかけて実施した中国人死没者調査においても,被控訴人は,関係者に対する十分な調査や資料の存否に関する調査を怠っていたことがうかがわれるのであって,被控訴人側の姿勢に起因する部分も小さくはない。そして,これらの事情からすれば,時間の経過により,被控訴人の反証が困難になったとしても,それは,一つには被控訴人自身の誠実とはいえない態度によるものであることも否定できないのであるから,反証が困難であることから生じる結果については,被控訴人としても甘受しなければならないものがあるというべきである。このような,被控訴人の誠実とはいえない,あるいは怠慢ともいうべき態度は,平成5年(1993年)からの本件被害者らとの補償交渉にも現れている。被控訴人が,姿勢を明らかにしないまま,補償交渉を継続したことによって,結果的に控訴人らの訴訟提起が遅れたこともうかがわれなくはない。
さらに,前記のとおり((1)(被控訴人の国家補償金の取得)),被控訴人は,戦後,被控訴人もその一員であった日本建設工業統制組合の華鮮労務対策委員会を通じて積極的に政府に働きかけて交渉し,国家補償金を取得した上,戦時補償特別税の適用も免れるなどして,一定の利益を得て(あるいは損失が補填されて)いる上,当時の他の大手土木建築会社の多くと同様,戦後発展を続け,現在もその地位を維持している。
以上述べた諸事情にかんがみれば,本件においては,被控訴人が直接的に本件被害者らの権利行使を妨げた事実までは認められないものの,安全配慮義務違反により本件被害者らに重大な被害を与えた結果本件被害者らは長期間にわたって経済的に困窮したこと,また,被控訴人の資料作成や事実関係の調査における不適切な態度のため本件被害者らに情報が不足していたことなども控訴人らの訴訟提起を困難たらしめ,補償交渉においても被控訴人は態度を明確にしないままこれを継続させ,結果として本件被害者らの訴訟提起を遅らせたと認められるから,被控訴人には,実質的にみれば,控訴人らの権利行使を妨げたものと評価できる事情があるというべきであり,さらに,前記のとおり,控訴人らは権利の上に眠ってきた者とはいえないこと,被控訴人には反証が困難であるにしろ,この点を甘受しなければならない面があること,被害者本人らが重大な被害を受けて,その後も種々の苦痛を受け続けたのに対し,被控訴人は国家補償金の取得により一定の利益を得たことなどの各事由を指摘することができるのであって,本件においては,時効の援用を許さなければ,時効制度の目的に著しく反するという事情はない上,時効期間の徒過を理由に権利を消滅させることが,著しく正義・公平・条理等に反すると認めるべき特段の事情が認められるから,被控訴人に,消滅時効を援用して,損害賠償義務を免れさせることは,著しく正義に反し,条理にも悖るものというべきである。したがって,被控訴人の消滅時効の援用は権利の濫用として許されないものといわなければならない(ちなみに,被控訴人は時効の利益を放棄したというべきである旨の控訴人らの主張を認めるに足りる証拠はない。)。
7 争点(5)(日中共同声明等による損害賠償請求権の放棄の有無)について (1) 証拠(乙12,14,16)及び弁論の全趣旨によれば,第2次世界大戦の戦後処理について,次の事実が認められる。
ア 第2次世界大戦後の東西冷戦構造の下,日本は,昭和26年(1951年)9月8日,ソ連,中国などを除く連合国45か国との間でサンフランシスコ平和条約を締結した。同条約は,第2次世界大戦の連合国と日本との間の戦争状態を終了させ,日本の主権を完全に回復するとともに,領域,政治,経済並びに請求権及び財産などの問題を最終的に解決するために締結されたものであり,昭和27年(1952年)4月28日に公布された。
イ 同条約は日本の戦後処理のいわば枠組みを決定するものであったが,そのうち賠償問題に関し,次のような規定がある。
(ア) 日本国は,戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して,連合国に賠償を支払うべきことを承認する。同時に,日本には,すべての損害及び苦痛に対して完全な賠償を行いかつ同時に他の債務を履行するためには,その資源が充分でないことをも併せて承認する(14条(a)柱書)。

(イ) 日本国は,その領域が日本国軍隊によって占領され,かつ,日本国によって損害を与えられた連合国のうち,希望する国との間で,生産,沈船引揚げその他の作業における日本人の役務を提供すること(いわゆる役務賠償)によって,与えた損害を当該連合国に補償するために,すみやかに交渉を開始しなければならない(14条(a)1)。
(ウ) 日本国は,外交及び領事財産等,一定の例外を除き,各連合国がその管轄下に有する日本国及び日本国民等の財産,権利及び利益等を差し押さえ,留置し,清算し,その他何らかの方法で処分することを認めなければならない(14条(a)2)。
(エ) 日本国は,日本国の捕虜であった間に不当な苦難を被った連合国軍隊の構成員に対する償いをする願望の表現として,中立国又は連合国と戦争状態にあった国にある日本国及びその国民の資産又はこれと等価のものを赤十字国際委員会に引き渡さなければならない(16条)。
ウ また,同条約中,請求権の放棄に関し,次のような条項がある。 (ア) この条約に別段の定めがある場合を除き,連合国は,連合国のすべての賠償請求権,戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びにその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事経費に関する連合国の請求権を放棄する(14条(b))。
(イ) 日本国は,戦争から生じ,又は戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄する(19条(a))。
エ 中国は,同条約締結に先立つサンフランシスコ講和会議に,連合国の一員として招待されるべきであったが,昭和24年(1949年)に中華人民共和国政府が成立して以来,中華人民共和国と中華民国の両政府が国家としての正統性を主張するようになったことを含めた当時の政治的,国際状況のために,前記両政府とも招待されなかったが,サンフランシスコ平和条約21条に「この条約の第25条の規定にかかわらず,中国は,第10条及び第14条(a)2の利益を受ける権利を有する」ものとされ,その結果,中国領域内にある日本国及び日本国民の資産の処分が認められた。両政府は,同条項に従い,その領域内にある日本国及び日本国民の資産を処分した。
オ 日本は,前記イの枠組みに従って連合国各国との交渉を開始し,順次2国間で条約等の締結を進めていった。そして,サンフランシスコ講和会議に招待されなかった中国については,昭和27年(1952年)4月28日,当時台湾及び澎湖諸島等に対してのみ実効的支配を及ぼす状況になっていた中華民国との間で日華平和条約が締結され,同年8月5日に公布され,同日発効した。 同条約には次のような規定等がある。
(ア) 中華民国は,日本国民に対する寛厚と善意の表徴として,サンフランシスコ平和条約第14条(a)1に基づき日本が提供すべき役務の利益を自発的に放棄する(議定書1(b))。
(イ) 日本国と中華民国との間の戦争状態は,この条約が効力を生ずる日に終了する(1条)。
(ウ) この条約及びこれを補足する文書に別段の定めがある場合を除く外,日本国と中華民国との間に戦争状態の存在の結果として生じた問題は,サンフランシスコ平和条約の相当規定に従って解決するものとする(11条)。 (エ) この条約の条項が,中華民国に関しては,中華民国政府の支配下に現にあり,又は今後入るすべての領域に適用がある(附属交換公文)。 カ 一方,中華人民共和国との間では,日本は昭和47年(1972年)9月29日,日中共同声明に署名した。同共同声明第5項には「中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。」とされている。
この日中共同声明に至る日中国交正常化交渉の中で,中華人民共和国政府は,復交三原則,すなわち,①中華人民共和国政府は,中国を代表する唯一の合法政府である,②台湾は中華人民共和国の領土の不可分の一部である,③日華平和条約は,不法であり,無効であって,破棄されなければならない,との三原則を堅持する姿勢を示していた。
その後,両国政府間で,昭和53年(1978年)8月12日,日中平和友好条約が締結され,同年10月23日に公布され,同日発効したところ,同条
約前文には「共同声明の示された諸原則が厳格に遵守されるべきことを確認する。」とされている。
キ ところで,前記日中共同声明の解釈をめぐっては,中華人民共和国の政府高官の次のような発言が報道等されている。
(ア) 平成7年(1995年)3月7日,S外交部長は,「日中共同声明で放棄したのは国家間の賠償であって,個人の補償請求は含まれない」との見解を示し,また,「補償の請求は国民の権利であり,政府は干渉できない」と述べた。なお,同部長は,これに先立つ平成4年(1992年)3月の記者会見で,民間賠償請求の動きについての考え方を問われ,「戦争によってもたらされたいくつかの複雑な問題に対し,日本側は適切に処理を行うべきである。」と述べつつ,戦後賠償の問題については,「中国政府は,昭和47年(1972年)の日中共同声明の中で明確に表明を行っており,かかる立場に変化はない。」と表明した。 (イ) 平成7年(1995年)5月3日,陳健外交部新聞司長は,記者から「中国政府は,日本に対する損害賠償請求を正式に放棄したが,民間組織が賠償請求を提起していることに対する見解如何。」と問われ,「賠償問題は既に解決している。この問題における我々の立場に変化はない。」と述べた。 (ウ) 平成10年(1998年)12月の香港の報道によれば,T外交部長は,記者から中国政府の民間人の対日賠償請求について質問された際,「中国の対日賠償請求問題は,既に解決済みであり,国家と民間(国民)は一つの統一体であるので,民間(国民)の立場は,国家の立場と同じであるべきである。」と述べた。
(2) 被控訴人は,控訴人らに損害賠償請求権が認められるとしても,同権利は,日中共同声明第5項で,中華人民共和国政府が戦争賠償の請求を放棄したことによって,日本及び日本国民は,中国国民個人による損害賠償請求に応じる法律上の義務が消滅した旨主張する。
前記のとおり,日中共同声明第5項は,サンフランシスコ平和条約14条(b)が「連合国は,連合国すべての賠償請求権,戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事経費に関する連合国の請求権を放棄する。」と規定しているのと明らかに異なり,中国国民が請求権を放棄することは明記されていないし,中華人民共和国政府が放棄するとしたのは「戦争賠償の請求」のみである。
これに対し,被控訴人は,サンフランシスコ平和条約は,第2次世界大戦の連合国と日本との間の戦争状態を終了させ,日本の主権を完全に回復するとともに領域,政治,経済並びに請求権及び財産などの問題を最終的に解決するために締結されたもので,これに沿って日華平和条約が締結され,その後日中共同声明に至ったのであるから,同声明については,サンフランシスコ平和条約と同様に解されなければならないと主張する。確かに,サンフランシスコ平和条約には,前記のとおり中国の受益条項が規定され,中華民国及び中華人民共和国は,中国領域内にある日本国及び日本国民の資産を処分しており,また,日華平和条約11条には,日本国と中華民国との間に戦争状態の存在の結果として生じた問題は,サンフランシスコ平和条約の相当規定に従って解決するものとする旨の規定がある。 しかしながら,【要旨4】本来,外国人の加害行為によって被害を受けた国民が個人として加害者に対して損害賠償を求めることは,当該国民固有の権利であって,その加害者が被害者の属する国家とは別の国家であったとしても,その属する国家が他の国家との間で締結した条約をもって,被害者に加害者に対する損害賠償請求権を放棄させることは原則としてできないというべきであることからすると,当時の日本政府側の意図はともかく,日中共同声明第5項に,明記されていない中国国民の加害者に対する損害(被害)賠償請求権の放棄までも当然に含まれているものと解することは困難である。このことは,サンフランシスコ講和会議に中華人民共和国が招待されず,サンフランシスコ平和条約の締結当事者になっていないことに照らせば,なお一層明らかであるといういうべきである。 また,日華平和条約11条にいう「相当規定」に,このように重要な個人の損害賠償請求権の放棄規定まで含まれるかどうかについても疑問があるが,この点はおくとしても,日華平和条約は,日本と中華民国との間で締結された条約であって,これをそのまま中華人民共和国国民である控訴人らに適用できるのかもまた疑問である。すなわち,被控訴人は,同条約締結当時,日本は,中華民国を中国を代表する唯一の合法政府として,同国と条約を締結した旨主張するのであるが,その後,日本は中華人民共和国との国交を回復し,政治的な判断から日中共同声明に
署名し,同国と日中平和友好条約を締結している。ここにおける日本の立場はともかく,少なくとも,中華人民共和国政府が復交三原則で明らかにしている見解,すなわち,同国政府が中国を代表する唯一の合法政府であり,台湾は中華人民共和国の領土の一部であるとの見解を堅持していることは,現在の国際情勢においても明白なことである。しかも,前記のとおり,同国政府高官の発言にしても,日中共同声明により国家の賠償請求権のみならず中国国民の損害賠償請求権も放棄したものとする見解や日中共同声明は国家間の戦争賠償請求権を放棄したもので個人の補償請求は含まれないとする見解(S外交部長の発言として報道されたものであるところ,被控訴人は中国政府により確認されていない旨主張するが,仮にそうであるからといって,直ちに同発言がなかったということにはならないのはいうまでもない。)などがあり,政府高官の発言がすべて一致しているわけでもない。 こうしたことからすれば,日中共同声明第5項により,日本及び日本国民は,中国国民個人による損害賠償請求に応じる法律上の義務が消滅した旨の被控訴人の主張は採用することはできない。
8 争点(6)(損害額)について
原審認定及び当審認定の前記各事実によれば,被控訴人による本件強制連行及び強制労働によって,被害者A2,控訴人A3,同A4,被害者A6,同A9らは,突然,家族らから引き離されて日本に連行され,劣悪な環境の下,重労働を強いられたのであり,このうち被害者A6及び同A9は,祖国を遠く離れた日本において,わずか20歳前後の若年で生命を奪われ,帰国した者についても,控訴人A3は,強制労働中の事故が原因で失明し,控訴人A4も重篤な疥癬に罹患し,被害者A2も被爆の後遺症に悩まされるなどして,帰国後も長期間にわたって過酷な生活を強いられてきたのであって,被害者らの精神的苦痛には筆舌に尽くし難いものがある。これらの事情に本件記録上認められるその他一切の事情を考慮すると,被控訴人の債務不履行(安全配慮義務違反)によって前掲控訴人ら及び被害者らが被った精神的苦痛に対する慰謝料としては,控訴人らがそれぞれ本訴で請求している金額である500万円を下ることはないというべきであるから,前同額をもって本件における各慰謝料額と認めるのが相当であり,また,本件訴訟提起に至るまでの控訴人ら訴訟代理人の関与及び本件訴訟における訴訟活動等一連の経過にかんがみれば,弁護士費用としてそれぞれ50万円を認めるのが相当である。 そして,控訴人A5は被害者A6の息子であってその相続人であり,原審原告A8は被害者A9の弟であってその相続人である(原審証人A7〔当審においては控訴人〕,同控訴人本人A5及び弁論の全趣旨)から,死亡した各被害者本人の損害賠償請求権をそれぞれ相続した。
また,控訴人A2及び同A7は,前記第2のとおり,それぞれ被害者A2,原審原告A8の相続人として,その損害賠償請求権をそれぞれ相続した。 したがって,被控訴人は,控訴人らそれぞれに対し,安全配慮義務違反に基づく損害賠償として各550万円を支払う義務がある。
第4 結論
以上の次第であって,控訴人らの本件請求は理由があるからすべて認容すべきであり,これと異なる原判決は不当であるから取り消すこととする。 よって,職権により仮執行宣言を付した上,主文のとおり判決する。(裁判長裁判官 鈴木敏之 裁判官 松井千鶴子 裁判官 工藤涼二)
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