判例検索β > 平成25年(わ)第145号
嘱託殺人被告事件
事件番号平成25(わ)145
事件名嘱託殺人被告事件
裁判年月日平成26年4月30日
法廷名函館地方裁判所
裁判日:西暦2014-04-30
情報公開日2017-10-13 01:34:40
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主文
被告人を懲役3年に処する
未決勾留日数中90日をその刑に算入する。
この裁判が確定した日から5年間その刑の執行を猶予する。
理由
【罪となるべき事実】
被告人は,平成25年5月13日午後5時20分頃,北海道函館市a町b番c号Ad号室被告人方において,真実は,妻のB(当時58歳)が,殺害されることを望んでいなかったにもかかわらず,同人からその殺害を依頼されたものと思い込み,その頃から同日午後5時31分頃までの間,殺意をもって,その首を両手で絞め,更に電気コードをその首に巻いて締め付け,よって,同月14日午後9時30分頃,同市e町f丁目g番h号C病院において,同人を頸部圧迫により窒息死させて殺害した。なお,被告人は,本件犯行当時,うつ病の影響のため心神耗弱の状態にあった。本件の争点は,①殺意の有無,②責任能力の有無及び程度並びに③被害者の真意に基づく殺害依頼の有無である。以下,①及び③は事実の認定に関わるので【事実認定の補足的説明】で,②は刑事訴訟法335条2項の主張に関わるので【弁護人の主張に対する判断】で,それぞれ判断を示す。【事実認定の補足的説明】
1
被害者の真意に基づく殺害依頼の有無(争点③)について
(1)弁護人は,本件において,被害者の真意に基づく殺害依頼があった旨主張しており,他方,検察官は,そのような依頼は客観的には存在しなかった旨主張するので,以下,その有無について検討する。
(2)被告人及び被害者の親族あるいは知人等の供述調書,生前の被告人らの電子メールのやり取り等によれば,本件犯行当時,被告人は,当時の自分自身の最大の関心事である就職のこと等について,妻である被害者
に相談するなどしており,その夫婦関係に問題があったとは認められない。また,被害者は事件の前日頃に息子と電話で話をしており,その際,自らの死をほのめかすような発言はなく特に変わった様子も認められない。さらに,本件犯行当時,被害者が対人関係や健康上の問題を抱えていたとも認められない。加えて,これまで自殺を企図したこともない被害者が,突然,死に駆り立てられ,被告人に自分を殺して欲しいと依頼するような事情も何ら認められない。たしかに,本件犯行当時,被告人が職を失っていたことからすれば,被害者は経済的に不安定な状況に置かれていたとも考えられるが,そのことから,被害者が死を望むほど深刻な精神状態に陥っていたとも認められない。
結局,本件犯行当時,被害者が自ら死を望むような事情は,証拠上,全く認められないといえる。
(3)被告人は,本件犯行当時,居間でテレビを見ていた被告人に対し,被害者が顔をぐっと近づけ,お願いします,殺してくださいと日本語(標準語)で真剣に言った旨公判廷で述べる。
しかし,前記のとおり,被害者が死を望んだり,突然,死に駆り立てられたりするような事情は,証拠上何ら認められない。被告人の公判供述に拠っても,被告人と被害者は直前まで何も会話をしていなかったというのであるから,そのような被害者が,いきなり何の脈絡もなく,自分を殺して欲しいと真剣に依頼するとは到底考えられない。
弁護人は,被害者が抵抗した形跡がないことから,被害者による殺害依頼行為の存在を排斥できない旨主張するが,本件では,被害者がいきなり首を強く締め付けられて何ら抵抗できなかったとも考えられるし,仮に抵抗したとしてもその形跡が残らないということもあり得るから,弁護人の主張は抽象的な可能性を指摘するものに過ぎず,前記認定を揺るがすものではない。

以上から,被告人の述べるような被害者による殺害依頼は,客観的には存在しなかったと認められる。
2
殺意の有無(争点①)について

(1)弁護人は,被告人が被害者の首を手や電気コードで締めた事実及び被告人が上記行為時において自らがそのような行為に及んでいるとの認識を有していた事実は争わないが,当時の被告人の精神状態に照らせば,被告人において,自らの行為が人の死という結果を招くほどの危険性を有するという認識(行為の持つ意味の認識)を欠いていた疑いがあるから,本件犯行当時,被告人に殺意があったとまでは認められない旨主張する。
(2)そこで検討するに,まず,犯行直後における被害者の頸部の状況に関する捜査報告書及び被害者の死体を解剖した医師の所見によれば,被害者の首には頸部を締められた痕が残っており,皮下出血,甲状軟骨の骨折等の損傷も認められる。また,被告人の供述によれば,被告人は被害者が意識を失ってぐったりするまでその首を締め続けたものと認められる。そうすると,被告人は,被害者が意識を失うまで,かなり強い力で被害者の首を締め続けたとの事実を認定することができる(なお,そのような被告人の行為は,客観的にみて,人を死に至らしめる危険性の極めて高い行為であると評価することができる。)。そして,本件犯行当時,被告人は自分がどのような行為に及んでいるかについての認識は有しており,このことは弁護人も争っていない。
次に,前記認定のとおり,被告人は,被害者による殺害依頼があったものと思い込み,それを契機として被害者の首を絞めたことからすると,被告人は,被害者の依頼に応じて被害者を殺すつもりでその首を絞めたものと認められる。
(3)以上によれば,本件犯行当時,被告人は,客観的には人を死に至らし
めるに足る程度の強い力で,被害者がぐったりと意識を失うまで同人の首を締め続け,かつ,自らがそのような行為にでていることを認識していた。加えて,被告人は,被害者の依頼を受けたものと思い込み,被害者を殺すつもりでそのような行為(被害者の首を強く締める行為)に及んでいるのであって,このような場合,被告人には被害者の死という結果発生に対する認識・認容があったといえるから,被告人の被害者に対する殺意を優に認定することができる。
【弁護人の主張に対する判断(争点②)】
1
当事者の主張
弁護人は,本件犯行当時,被告人は,是非弁別能力又は行動制御能力の少なくともいずれかの能力を完全に失っていた可能性があり,心神喪失の状態にあった疑いがある旨主張するので,以下,当裁判所の判断を説明する。

2
本件犯行当時の被告人の精神状態及びそれが犯行に及ぼした影響
証人Dの当公判廷における供述及び同人作成の鑑定書によれば,本件犯行当時,被告人は,精神病症状を伴わない重症うつ病に罹患しており,その精神障害の影響により,通常時よりも思考狭窄に陥りやすい状態にあったと認められ,本件被告人の行動は,そのような精神状態に陥った被告人が,希死念慮や回避願望を強め,思考狭窄に陥った結果,被害者のふとした仕草等から被害者が死を望んでいると思い込んで採ったものとして理解することができるとされる。
鑑定書等に示された上記判断は,関係各証拠から認定することのできる本件の経緯や当時の被告人の身体の状態等をよく踏まえたものであり,その判断の手法も精神医学の一般的な手法に沿ったものと認められるから,これに依拠して被告人の責任能力を判断することに問題はない。
3
法的判断

(1)そこで,このような鑑定書等による判断に基づいて,被告人の本件犯行当時の責任能力について検討する。
(2)前記認定のとおり,本件では被害者による殺害依頼は客観的には存在しなかったと認められる。また,被告人が,長年連れ添ってきた妻である被害者を殺害する理由も何ら認められない。そうすると,被告人が被害者の首をいきなり強く絞めた理由としては,鑑定書等にもあるとおり,被告人において,被害者から殺して欲しい旨の依頼を受けたものと思い込み,そのような被害者の依頼に応じて行動したものと理解するほかはない。
しかし,そもそも,被害者には死を望む理由が見当たらないのに被告人がそのように思い込んだこと,あるいは,被告人が被害者に対して死を思いとどまるよう説得もせずに咄嗟に被害者の首を絞めるという行動に及んだことは,通常の精神状態にある者の行動傾向からは逸脱しているというほかない。
そうすると,鑑定書等にもあるとおり,本件は,重症うつ病に罹患した被告人が,その精神障害の影響により思考が狭窄した状態に陥り,行動選択の幅が著しく狭まった結果として,自らの行動を制御する能力が著しく減退し,被害者を殺害するという行動選択に至ったものと考えられる。
(3)なお,被告人は重症うつ病に罹患してはいたものの,犯行後速やかに自ら110番通報をするなどしているほか,被告人の通常の知的水準も併せ考えれば,被告人は自らの行為が法的に許されないものであることを理解して行動していたと認められるから,本件犯行当時,被告人の是非弁別能力が失われていなかったことは明らかである。
また,被告人の罹患していた重症うつ病は,精神病症状を伴うものではないから,被告人の行動が幻覚や妄想に支配されたものとは認められ
ない上,被告人が本件犯行に及んでいた時間が数分間にとどまることや犯行態様に際だった異常性まではみられないこと等の事情に照らせば,被告人が行動制御能力を完全に喪失してはいなかったことも明らかである。
(4)以上から,本件犯行当時,被告人は,行動制御能力を著しく減退させた心神耗弱の状態であったと認められる。
4
弁護人は,①是非弁別能力につき,被告人が被害者を殺害する動機が曖昧であること,犯行が合目的性を欠いていること等からすると,本件犯行当時,被告人に是非弁別能力があったとまではいえない旨主張する。また,②行動制御能力につき,被告人が手の力が入らなくなるまで被害者の首を締め続けたこと等からすると,本件犯行当時,被告人は行動制御能力を失っていた等と主張する。
しかし,本件では,被告人は被害者による殺害依頼があったものと思い込み,被告人なりにその依頼の趣旨に沿って行動しているのであり,そのような被告人の内心の状態を前提とすれば,弁護人の主張はいずれも理由のないものと考えられる。さらに,弁護人は,本件犯行の態様が普段の被告人の行動性格と比較して異質なものであるなどとも主張するが,本件犯行当時の被告人の精神状態からすれば,通常の精神状態下にあるときと比べて異質な行動選択をすることはむしろ当然であり,弁護人の主張は理由がない。

【法令の適用】
罰刑法条種律の上選の減
刑法202条後段


(懲役刑を選択)


刑法39条2項,68条3号

未決勾留日数の算入

刑法21条


刑法25条1項

の執行猶予
訴訟費用の不負担

刑事訴訟法181条1項ただし書

なお,証拠上,被害者の嘱託があったとの事実を客観的に認めることはできないものの,被告人において,被害者から嘱託を受けたものと思い込んで被害者を殺害したものと認められるから,被告人には嘱託殺人罪(刑法202条後段)が成立する。
【量刑の理由】
本件は,被告人が,被害者の真意に基づく依頼がないのに,それがあるものと思い込み,その首を両手で絞め,更に電気コードをその首に巻いて締め付けて,同人を頸部圧迫により窒息死させて殺害したという嘱託殺人の事案である。
本件で量刑上最も重視すべきであるのは,結果の重大性である。すなわち,被害者は,自らの意思に反して,58歳という年齢で命を絶たれている。刑法が嘱託殺人罪として本来予定している犯罪類型は,被害者による法益の放棄を前提とするものであり,本件はそのような法が本来予定している嘱託殺人罪の類型とはやや性質を異にする事案である。したがって,被告人の責任を考えるにあたり,本件の結果の重大性は最も重視されるべきである。また,被告人は,被害者の首を,数分間にわたり,相当な力を込めて,素手のみならず電気コードを用いて執拗に締め続けている。このような殺害態様は残忍で,悪質であるといえる。これらの事情からすると,本件犯行は強い非難に値するというべきである。
そうすると,被告人の本件犯行が,重症うつ病という精神障害に起因する思考狭窄の影響を受けた心神耗弱の状態で行われたものであることを考慮しても,本件は,嘱託殺人の事案の中でも重い部類に位置づけられる事案というべきであるから,心神耗弱による減軽をした刑期の中では上限に近い刑が相当である。
他方,被告人が本件犯行直後に110番通報をして犯行を申告している
こと,被告人に対しては精神障害の治療の必要性が認められること等被告人にとって有利な事情も認められることを考慮すれば,本件事案の内容を踏まえても,なお,今回に限って,被告人に対してはその刑の執行を猶予することが相当である。
(検察官寺田佳澄及び国選弁護人山内良輔各出席)
(検察官の求刑・懲役3年)
平成26年4月30日
函館地方裁判所刑事部
裁判長裁判官

佐藤卓生
裁判官

大倉靖広
裁判官

宍戸崇
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