判例検索β > 平成24年(行ウ)第851号
一時金申請却下処分取消請求事件
事件番号平成24(行ウ)851
事件名一時金申請却下処分取消請求事件
裁判年月日平成27年5月15日
法廷名東京地方裁判所
判示事項戸籍上は父である旨の記載がない者につき,中国残留邦人等の円滑な帰国の促進並びに永住帰国した中国残留邦人等及び特定配偶者の自立の支援に関する法律2条1項の適用上,申請者の父であり,「日本国民として本邦に本籍を有していたもの」に当たると認められた事例
裁判要旨申請者の母の手紙の記載内容等,判示の事情を勘案すれば,戸籍上は父である旨の記載がない者であっても,中国残留邦人等の円滑な帰国の促進並びに永住帰国した中国残留邦人等及び特定配偶者の自立の支援に関する法律2条1項の適用上,申請者の父であり,「日本国民として本邦に本籍を有していたもの」に当たると認められる。
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平成27年5月15日判決言渡
平成24年(行ウ)第851号

一時金申請却下処分取消請求事件
主文

1
厚生労働大臣が原告に対して平成24年7月19日付けでした
別紙関係法令の定め第1記載の支援法13条3項に基づく一時金
の申請を却下する旨の処分を取り消す。

2
訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由

第1

請求
主文同旨

第2
1
事案の概要
本件は,原告が,別紙関係法令の定め第1記載の支援法13条3項に基づく一時金の申請をしたのに対し,厚生労働大臣が平成24年7月19日付けで,原告が支援法2条に定める「中国残留邦人等」とは認められないとして,上記申請を却下する旨の処分(以下「本件処分」という。)をしたことから,原告が,被告に対し,本件処分の取消しを求める事案である。

2
関係法令等の定め
本件の関係法令等は,別紙関係法令の定め記載のとおりであり,その概要は以下のとおりである。
(1)支援法の定め

支援法13条1項及び2項は,同条3項所定の一時金の支給を受けることができる「特定中国残留邦人等」の要件として,①永住帰国した「中国残留邦人等」に該当し,明治44年4月2日以後に生まれた者であって,永住帰国した日から引き続き1年以上本邦に住所を有するもの,②昭和21年12月31日以前に生まれたもの(同日後に生まれた者であって同日以前に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情があるものとし
て厚生労働省令で定める者を含む。),③60歳以上の者,④昭和36年4月1日以後に初めて永住帰国したものと規定する。

支援法における「中国残留邦人等」につき,同法2条1項1号は次のとおり規定する。

中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住している者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有していたもの(同号前段。以下「A類型」という。)


上記Aの者を両親として昭和20年9月3日以後中国の地域で出生し,
引き続き中国の地域に居住している者(同号中段。以下「B類型」という。)

上記A又はBに準ずる事情にあるものとして厚生労働省令で定める者
(同号後段。以下「C類型」という。)
(2)支援法施行規則及び厚生省社会・援護局長通知の定め

支援法施行規則1条は,支援法2条1項1号に規定する「厚生労働省令で定める者」(C類型)について,以下のとおり規定する。

中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住している者であって出生の届出をすることができなかったために同日において日本国民として本邦に本籍を有していなかったもの(その出生の日において日本国民として本邦に本籍を有していた者を両親とするものに限る。)(同条1号。以下「a類型」という。)


中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住している者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有していたものを母親とし,かつ,同日において日本国民として本邦に本籍を
有していた者(同日以前から引き続き中国の地域に居住しているものを除く。)を父親として同月3日以後中国の地域で出生し,引き続き中国の地域に居住している者(同条2号。以下「b類型」という。)

中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住している者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有していたもの及びこれらの者を両親として同月3日以後中国の地域で出生し,引き続き中国の地域に居住している者に準ずる事情にあるものとして厚生労働大臣が認める者(同条3号。以下「c類型」という。)


厚生省社会・援護局長通知(第2の1)は,支援法施行規則1条3号に
規定する「厚生労働大臣が認める者」(c類型)について,以下のとおり規定する。
(1)中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住している者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有していたものを父親とし,かつ,同日以前から中国の地域に居住していた者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有していたものを母親として,同月3日以後中国の地域で出生し,引き続き中国の地域に居住している者(その出生の日以後引き続き中国の地域に居住している者を母親とするものを除く。)(第2の1(1))
(2)中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から中国の地域に居住していた者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有していたものを母親とし,かつ,同日において日本国民として本邦に本籍を有していた者を父親(同日以前から引き続き中国の地域に居住しているものを除く。)として,同月3日以後中国の地域で出生し,引き続き中国の地域
に居住している者(その出生の日以後引き続き中国の地域に居住している者を母親とするものを除く。)(第2の1(2))
(3)省令第1条第1号に規定する者を両親として,昭和20年9月3日以後中国の地域で出生し,引き続き中国の地域に居住している者(第2の1(3))
3
前提事実(当事者間に争いがないか,文中記載の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認定することができる事実)
(1)原告らの身上等

P1は,P2を母として,大正6年8月3日に生まれた。P1は,昭和14年,中華民国(以下,昭和24年10月1日の中華人民共和国の成立の前後を通じて「中国」という。)の東北部(以下「旧満州」という。)へ渡り,昭和19年1月8日,中国吉林省吉林市(以下「吉林市」という。)において,原告の姉であるP3を出産した。(甲2の3,甲19・3頁)


ソビエト社会主義共和国連邦(以下「ソ連」という。)は,昭和20年8月9日,対日参戦し,中国東北地域への侵攻を開始した。
日本は,昭和20年8月15日,ポツダム宣言の受諾により無条件降伏をし,同年9月2日,降伏文書に調印した。


P1は,昭和21年1月21日,吉林市において,原告を出産した。(甲2の1)

(2)原告らの永住帰国

P1は,昭和54年7月19日,本邦に永住帰国した。(甲20)

原告は,平成3年12月13日,本邦に永住帰国した。(甲21)

P3は,平成6年11月,本邦に永住帰国した。(甲20)

(3)原告及びP3の一時金の申請等

P1は,平成8年9月7日に死亡したが,支援法2条1項1号の規定に
よれば,昭和20年8月9日以後の混乱等の状況下で日本に引き揚げることなく,同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住し,同日において日本国民として本邦に本籍を有していたもの(A類型)に当たる。(甲2の3,甲19・3頁)

P3は,昭和20年9月2日以前に出生していることから,同年8月9日以後の混乱等の状況下で日本に引き揚げることなく,同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住し,同日において日本国民として日本に本籍を有していた者(支援法2条1項)に該当するとの理由で,永住帰国した中国残留邦人等であることの証明書の交付を受け,平成22年4月28日,厚生労働大臣から支援法13条3項に基づく中国残留邦人等に対する一時金の支給決定通知を受けた。(甲16,乙4)


原告は,平成24年5月28日,厚生労働大臣に対し,支援法13条3項に基づく中国残留邦人等に対する一時金の支給を申請したが,厚生労働大臣は,平成24年7月19日,原告が支援法2条に定める「中国残留邦人等」とは認められないとして,上記申請を却下する旨の処分(本件処分)をした。(甲1の1及び2,乙5)

(4)本件訴訟の提起
原告は,平成24年12月19日,本件訴訟を提起した。(顕著な事実)4
争点及び争点についての当事者の主張
本件では,上記2(1)アの支援法13条3項の「特定中国残留邦人等」の要件のうち,原告が同法2条1項の「中国残留邦人等」に当たるかが問題となるが,原告は,昭和20年9月3日以後中国の地域で出生した者であり,かつ,同月2日以前から引き続き中国の地域に居住している者であって,同日において日本国民として本邦に本籍を有していた者であるP1を母とするから(上記3(1),(3)ア),本件の争点は,原告がB又はb類型に当たるかに関し,①原告の父が支援法2条1項1号の「日本国民として本邦に本籍を有していた者」
といえるか(争点1),原告がc類型に当たるかに関し,②原告が支援法施行規則1条3号の「準ずる事情にあるものとして厚生労働大臣が認める者」に当たるか(争点2)である。
(1)争点1(原告の父が支援法2条1項1号の「日本国民として本邦に本籍を有していた者」といえるか)について
(原告の主張の要旨)

原告の父はP4であること
P1とP4の同居及び原告とP3の出生の経緯
P1は,昭和8年,P5と婚姻し,昭和9年10月,長女P6をもうけたが,昭和10年3月,P5は死亡した。P1は,昭和14年2月,P6を実母に預けて単身で中国東北部(旧満州)に行き,奉天市のP7医院に見習看護婦として勤務していたが,その際,P4と知り合い,一時期交際していた。P4は,当時,旧満州の鉄道工事を満州全土にわたり施工できる資格を有していたP8という会社に勤務し,P8出張所で南満州鉄道の鉄道工事の仕事をしていた。
P1は,昭和16年,吉林市のP9病院に移り,看護婦として住み込みで勤務していたところ,昭和18年春,P4がP1を訪ねきた。P4は,P1に対し,日本にいる子を引き取って3人で一緒に暮らそうと言い,吉林市に住宅を借り,日本までの往復の旅費を渡した。P1は,日本にいる子と一緒に暮らすことができると喜び,P4と同居を開始し,日本に帰る準備のために看護婦の仕事を辞めた。P4は,当時,旧満州国興安北省αへ転勤になり,モンゴルの鉄道建設の仕事に従事しており,会社が必要とする物資,道具等の調達を担当していたもので,一度帰宅すると20日から30日程度滞在しては仕事に戻るという生活を続けていた。
P1は,昭和19年1月8日,P4との間の子である長女P3を出産
した。P1が,P4に入籍やP3の出生届のことを相談すると,P4は,九州の出身であるが病気の妻がいて,妻をその実家に預けてあるので,そのうちに妻との問題を解決してからP3の出生届を出すと言い,P1はP3の出生届を出すには至らず,P4は,昭和20年5月に召集されたまま戻らなかった。
P1は,幼いP3を抱え,原告を妊娠している状態で同年8月15日の終戦を迎えた。P1は,終戦後,奉天市にいる親戚を訪ねたが援助を拒否され,幼子を抱え,かつ妊娠をしているという悪条件のもとで生きてゆくために,やむなくP9病院で事務をしていたP10を頼って吉林市に戻り,昭和21年1月21日,原告を出産した。その後,P1は,P10と婚姻し,P10との間に3人の子(原告の妹ら)をもうけた。P1の手紙の記載内容には信用性があること
P1は,P3と原告の父はP4である旨法務大臣等に対する手紙(甲5ないし7)に記載しており,その手紙の記載内容は,究明カード(甲19,乙12)の親族に宛てた手紙の内容とも矛盾せず,P1が,昭和25年7月6日付けのP6に宛てた手紙(甲4)の中で,中国人のP10とは別に,昭和20年5月に召集されたP3と原告の父がいたことを明らかにしており,P4の存在を既に示していたこととも整合し,信用性が高い。
P1が第三者に対してP4の名前を明らかにしたのは,平成7年7月19日付けの手紙(甲7)が初めてであるが,それは,大正6年生まれで,看護婦という職業に就き,社会でも活動していたP1が,妻との離婚手続をしていないP4と内縁関係になり,子をもうけたことを心に恥じていたからであり,P1が恥を忍んで第三者に対して原告とP3の父がP4であると訴えた上記手紙の内容が,虚偽であるとは到底考えられない。

P3の証言及び原告の供述には信用性があること
P1がP3に対してP4が父であることを初めて打ち明けたのは,平成6年12月1日である。P1は,熊谷駅のホームで,P3及び妹と共に電車を待っていた際,トイレに行った妹の後ろ姿を見て,P3に対し,「貴方達の背中はそれぞれ父親にそっくりですね。」と言い,P3の父はP10ではなくP4であることを打ち明けたが,妹がトイレから戻ってくると,口を閉ざした。その後,P3は,P1の自宅を訪ね,2人きりの時に,P4が九州出身であること等を聞き,P1が「あなた方の父親」がP4であると言っていたため,P3は,自分と原告の父がP4であると理解した。P1は,当時,77歳と高齢であり,P3に対して実の父親を伝える機会がそう多くはないと考えたことも容易に想像がつき,また,妹には聞かさずにP3に対してだけ実の父親がP4であることを打ち明けた経緯は自然かつ合理的であり,上記P3の証言内容には信用性がある。
また,P1が原告に対してP4が父であることを初めて打ち明けたのは,平成7年7月頃である。P1は,越谷の法務局からの帰り道,原告に対し,原告の父はP10でなくP4であることを打ち明けた。原告は,以降,法務局の行き帰り等に,P1から,P4はP8という会社に勤め,モンゴルの近くで鉄道建設の仕事をしていたこと,九州出身で,家には正式に離婚していない妻がいたこと等を少しずつ聞いた。平成7年7月頃は,丁度,P1がP11に対する平成7年7月19日付けの手紙(甲7)を書き,第三者に対してP3と原告の父がP4であることを打ち明けた時期と一致しており,また,P1が,原告の妻や子の在留資格のことで奔走していた時期でもあり,かかる時期にP1が原告に対して実の父親がP4であることを開示した経緯は合理的であり,原告の上記供述内容には信用性がある。

小括
以上によれば,原告の父は,姉のP3の父と同じP4である。

P4が「日本国民として本邦に本籍を有していたもの」(支援法2条1項1号)に当たること
「日本国民として本邦に本籍を有していたもの」(支援法2条1項1号)の解釈
支援法は,今次の大戦に起因して生じた混乱等により,本邦に引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされたという事情に鑑み,当該事情の下に置かれた者のうち永住帰国した者の自立の支援を行うことを目的として制定された。すなわち,支援法は,平成20年8月9日のソ連軍の対日参戦による中国東北部への侵攻とこれに伴う混乱,同月15日のポツダム宣言受諾による日本の無条件降伏,同年9月2日の降伏文書への調印による日本の海外における実効支配の終焉という歴史的諸事実を踏まえ,このような混乱の中で中国に残らざるを得なかった日本人を支援の対象としている。
このような趣旨からすれば,支援法の「中国残留邦人等」とは,終戦の前後に何らかの事情で中国の地に居住し,敗戦時の混乱で帰国をすることができなかった日本人と言える者を,当時の極めて混乱した状況を前提に柔軟に考えるべきであって,支援法2条1項1号の「日本国民として本邦に本籍を有していたもの」とは,戸籍の記載に拘泥することを前提としていないというべきである。
P4が「日本国民として本邦に本籍を有していたもの」(支援法2条1項1号)に当たること
P1は,終戦後,旧満州に置き去りにされたいわゆる残留婦人の1人であり,終戦当時,幼子を抱え,かつ妊娠をしているという悪条件のもとで生きてゆくためには,中国の男性と婚姻せざるを得なかった。しか
し,終戦前の旧満州では,日本人は日本人以外の者を非常に差別していたから,看護婦の資格を有しており収入も高かったP1が,終戦前の旧満州において,日本人以外の者と親しくなり子をもうけたとは考え難い。また,①P4は,昭和20年5月に召集されており,激戦があった満州里付近で根こそぎ動員の対象となった可能性が高いが,当時,戸籍上日本人である者以外は召集の対象とならなかったはずであること,②P4の名前は「P4」を「○」と訓読みするから,日本人の父ないしそれに準じる者が命名したと考えられること,③P4が勤務していたP8は旧満州の鉄道工事を請け負う会社として大手9社に入っており,そのような大手の土木建設会社において資材等の調達という重要なポストを日本人以外の者が担当していたとは考え難いこと,④中国人や朝鮮人の父の子であれば父の氏を引継いで名付けることが一般的であるが,原告はP1の前夫の名前の一字をとって「P12」と名付けられており,氏も中国人や朝鮮人のものではないこと,⑤P1は昭和40年3月付けのP13への手紙(甲19)の中で,「介戦直后,私は,奉天にP14の姉をたづねてゆき一緒に内地に帰るのが目的だったのです。…私は当時一人の子供を連れて二人目の子はもう五ヶ月位…」と記載しており,P3が日本人のP4の子であったからこそ,生きるために身内を頼って内地に帰ろうと躊躇なく考えたものと思われること等の事情からすれば,P4は日本人であるといえる。
したがって,P4は,「日本国民として本邦に本籍を有していたもの」(支援法2条1項1号)に当たる。

P3や孤児との比較
P3との比較
原告の姉であるP3は,平成22年4月28日,被告から支援法13条3項に基づく中国残留邦人等に対する一時金の支給決定通知を受けた。
しかし,P1は,昭和20年9月2日時点において,P3の出生届を提出しておらず,P3は,「昭和20年9月2日以前に出生し,日本国民として本邦の本籍を有していた者」(A類型)に当たるとは考え難いから,「同日以前に出生していたが,出生の届出をすることができなかった者(出生の日において,両親が日本国民として本邦に本籍を有していた者に限る。)」(a類型)に当たると考えられる。したがって,P3が,一時金の支給決定に際し,a類型に当たると認定されたのであれば,父のP4が日本国民として本邦に本籍を有していたものと認められたことになる。
そして,一時金支給決定の判断に際し,P3と原告の判断資料は同一であったことからすれば,P3の弟である原告についても,同様に,父のP4は日本国民として本邦に本籍を有していたものと認められなければ不合理である。
孤児との比較
旧満州在住の残留邦人の子で中国の養父母に預けられた中国残留日本人孤児(以下「孤児」という。)は,ほとんどの事例で父親が本邦に本籍を有する日本人であるかどうかなど分かるはずもなかったにもかかわらず,家庭裁判所により,両親が不明であっても,例えば養親や関係者に預けたのが日本人であった,あるいは預けられた時の所持品が日本のものであったというような緩やかな基準で就籍が認められ,国は,このような緩やかな基準で就籍が認められた孤児に対し,一時金を支給し,支援策の適用を認めてきた。このような孤児と比較すると,原告は,母が日本人であることが確定しており,その母が原告の父のP4は九州出身の日本人であると説明していたという事実があり,資料が調っているのであるから,原告について一時金の給付を拒むのは不当である。(被告の主張の要旨)


原告の父がP4であるとは認められないこと
原告の父を明らかにする資料が存在しないこと
原告の戸籍の父蘭には,当初,「P10」と記載されていたが,平成21年9月24日戸籍訂正許可の裁判の確定により上記記載は消除されており,原告の父がP10でないことは一応認められるものの,原告の父を明らかにする資料は存在しない。
P2の回答に基づいて記載された埼玉県の究明カードには,P1が「満人と結婚

同年五月夫は召集」との記載があり(甲19・12頁),

中国人が召集されることは考えられない一方,当時,満州には日本人よりも多くの朝鮮籍の者が居住していたことからすれば,上記の「夫」とは,満州に居住して召集された朝鮮籍の者であったと考えられる。P1の手紙の記載内容には信用性がないこと
原告は,原告の父がP4であると記載されているP1の手紙(甲5ないし7)の記載内容は信用性が高い旨主張するが,P1がP6に宛てた手紙(甲4)や義姉P13に宛てた手紙(乙8)には原告の父親の名前がP4であるとの記載はなく,昭和25年頃から昭和45年頃に作成された究明カード(乙12)にもP4の記載はなく,P1が原告の父の名前がP4であると手紙に記載し始めたのは,平成以降のことであることや,土建業(各組)の職域名簿の中のP8の資料(乙14)や,昭和20年5月に召集されたとされる陸海軍の人事関係資料を含めた厚生労働省の保有資料にもP4の名前は確認できなかったことからすれば,上記のP1の手紙の記載内容には信用性がない。
P3の証言及び原告の供述には信用性がないこと
P3は,平成6年12月1日にP1から初めてP4の名前を聞いた旨証言するが,P1が同日までP3の父親について語らなかった理由は明らかではなく,支援法が平成6年10月1日に施行された後になって,
初めてP3に対してP4の名前を打ち明けたというのは余りに唐突であって不自然である。また,P3は,原告の父親がP4であることをP1に確かめたことはない旨証言しており,P1が「あなた方の父親」がP4であると述べたのかどうかも疑わしいから,原告の父親がP4なる日本人であるということはP3の想像に過ぎない。
原告は,平成7年7月にP1から自分の父親がP4なる日本人であることを聞いた旨主張するが,P1がその頃まで原告の父親について語らなかった理由は明らかではなく,父親についてP3に伝えた時期と原告に伝えた時期に半年以上の隔たりがある理由も不明であり,平成7年7月頃になって唐突にP1が原告に対して父親について伝えたというのも不自然であって信用し難い。また,原告の供述は,P1が原告の戸籍の記載に関して助力したことに関し,聴取書(甲21)の記載内容と合理的理由なく大きく変遷しているし,P1は,平成7年5月ないし6月頃から衰え出し,そのまま入院したというのであるから,同年7月頃に原告とともに法務局に行って帰ってきたということ自体信用性がない。原告は,平成7年7月にP1から父親がP10ではないと聞いたにもかかわらず,平成20年まで父をP10とする戸籍の訂正をすることなく放置していたというのも不自然である。原告は,父親が中国人では国の支援が受けられないと聞いたため,父親が日本人であると突然主張し始めたと考えるのが合理的であって,原告の供述は信用し難い。
小括
原告の父親は,朝鮮籍を有する者であった可能性が高く,P1の手紙の記載内容,P3の証言,原告の供述は信用し難いから,原告の父親がP4なる日本人であると認めることはできない。

原告の父が「日本国民として本邦に本籍を有していたもの」(支援法2条1項1号)に当たらないこと

「日本国民として本邦に本籍を有していたもの」(支援法2条1項1号)の解釈
支援法2条1項1号は,日本国籍を有していたものと規定せず,「日本国民として本邦に本籍を有していたもの」と規定していること,支援法による各種施策は,先の大戦の終結に伴う在外邦人の引揚援護そのものとして,「今次の大戦に起因して生じた混乱等により,本邦に引き揚げることができず,引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた」邦人を対象に行うことが予定されていることからすれば,支援法2条1項1号の「同日において日本国民として本邦に本籍を有していたもの」とは,昭和20年9月2日において,単に国籍法に基づき日本国籍を有していただけでなく,戸籍法に基づき本邦に本籍を有していたことをいうと解すべきである。
P4が「日本国民として本邦に本籍を有していたもの」(支援法2条1項1号)に当たるとは認められないこと
中国東北部に展開していた関東軍の中には,日本人のみならず,多数の朝鮮籍の者が所属していたし,原告はP4が昭和20年5月に召集されたと主張しているが,いわゆる旧満州の根こそぎ動員により約25万人が召集されて関東軍の部隊に編入されたのは同年7月であることからすれば,P4は根こそぎ動員以前に召集されたことになる。したがって,P4が召集されたことは,P4が日本人であったことを基礎付ける事情とはいえない。
また,当時,いわゆる創氏改名により,朝鮮籍の者であっても本邦に本籍を有する者と同様の名前である者が多数存在しており,姓のみならず,名についても日本式に変更し,訓読みの名を使用していた者も少なくはなかったし,P1が日本人以外の者と結婚する理由がないというのは原告の単なる憶測にすぎない。さらに,土建業(各組)の職域名簿の
中のP8の資料(乙14)や,昭和20年5月に召集されたとされる陸海軍の人事関係資料を含めた厚生労働省の保有資料にもP4の名前は確認できなかった。
したがって,P4が「日本国民として本邦に本籍を有していたもの」(支援法2条1項1号)に当たるとは認められない。

P3や孤児との比較には意味がないこと
他の事案との比較には意味がないこと
原告の父が本邦に本籍を有する者であるか否かの認定は,原告の個別的な事情を踏まえた事実認定の問題であるから,個々の申請者の個別的事情を考慮せずに,他の事案と比較をすることには意味がない。
また,支援法の規定によれば,同法13条3項に基づく一時金の支給に関する処分は,裁量処分ではなく,羈束処分であることが明らかであるから,原告の事情に照らして一時金の支給要件を具備しているかどうかを判断すれば足り,他の事案と比較する必要はない。
P3との比較には意味がないこと
原告は,P3に対して一時金が支給されていることと比較するが,原告が昭和20年9月3日以後に出生したものであるのに対し,P3は,同月2日以前に出生した者であるから,原告とは中国残留邦人等の認定の判断構造が異なること,戸籍上,P3と原告の父親欄はともに消除されており,両名の父親が同一人であることが証明されているとまではいえないことから,両事案の比較は無意味である。もっとも,P3に対する処分の資料と原告の処分に対する資料は,いずれもP1の究明カード(乙12)であり,当事者が提出した書面の差異がある他は,P3に対する処分においてのみ考慮された資料はない。
原告は,P3はa類型として判断されたものと考えざるを得ないと主張するが,原告についての判断には影響しないと思料するため,特段こ
れについては反論しない。
孤児との比較には意味がないこと
らず日本人(本邦に本籍を有

において,昭和20年8月9日(ソ連参戦の日)以降の混乱により,保
から引き続き中国に残留し成長した者であることという5つの要件を備えた者を,孤児として肉親捜しの対象とし,日本と中華人民共和国政府の共同調査を行った結果,①孤児である確証が得られた者,②孤児であるか否かの確証が得られない者,③孤児でない確証が得られた者に分類し,両政府が①に当たると判断した場合のみ孤児であると確認する。もっとも,孤児であると確認された場合であっても,その両親が具体的に誰であるかが分からない場合も多いが,孤児であると認められた者は,具体的な身元が判明していない者を含め,本人の申告,証言者の証言の
たることが確認されている。
したがって,孤児であると認められた者は,身元が判明していない者であっても,A又はB類型,aないしc類型のいずれかに当たることから,支援法施行規則1条3号にいう「準ずる事情にあるものとして厚生労働大臣が認める者」として一時金の支給を受けているものである。(2)争点2(原告が支援法施行規則1条3号の「準ずる事情にあるものとして厚生労働大臣が認める者」(c類型)に当たるか)について
(原告の主張の要旨)

前記(1)
支援法2条1項1号後段が「これらの者に準ずる事情にあるものとして厚
生労働省令で定める者」と規定している理由は,厳密には同号前段及び中段に当たらない場合であっても,厚生労働大臣が支援法の趣旨に則った認定とそれに基づく支援法の適用ができるようにするためである。
そして,支援法がそもそも戸籍の記載に拘泥することを前提としていないというべきであることからすれば,これを受けた支援法施行規則1条3号による「中国残留邦人等」の該当性の判断においても,戸籍の記載の有無に拘泥すべきではなく,両親が日本国民であることの厳格な立証ができない場合であっても,少なくとも両親が日本国民であることを否定するだけの積極的根拠がないような場合,すなわち両親が日本国民に準ずる事情があれば,「中国残留邦人等」に当たることを認めるべきである。イ
本件において,少なくとも,P4は日本国民であったことを否定するだけの積極的根拠がないのであるから,支援法施行規則1条3号所定の「準ずる事情」にあるものとして,原告を支援法2条1項1号の「中国残留邦人等」と認めるべきである。

(被告の主張の要旨)

支援法施行規則1条3号は,A及びB類型に「準ずる事情があるものとして厚生労働大臣が認める者」(C類型)を対象としているから,結局,C類型でいうところのA及びB類型に準ずる事情にあるものの判断を厚生労働大臣に委ねている。そして,支援法がA及びB類型に準ずる事情にあるものの判断を厚生労働大臣に委ねた趣旨は,A及びB類型のように,今次の大戦に起因して生じた混乱がなければ,本邦への引揚援護の対象になっていたはずの者や,その者と共に引き揚げていた可能性の高いその子らで中国の地域への居住を余儀なくされたものを引き揚げ援護の一環として各種施策の対象とする趣旨である。
また,両親が昭和20年9月2日において日本国民として本邦に本籍を有していた者(B類型)は,両親が共に本邦に引き揚げていれば,その子
も両親と共に引き揚げていた可能性が高かったと考えられるのに対し,一方の親のみが同日において日本国民として本邦に本籍を有していたという者は,他方の親の居住地において生活することも十分に想定され,両親と共に本邦に引き揚げる可能性は,B類型の者ほど大きくないと考えられる。このような法の趣旨,目的からすれば,支援法施行規則1条3号にいうA類型及びBに「準ずる事情にあるものとして厚生労働大臣が認める者」(c類型)は,日本国民として本邦に本籍を有していたものを両親としていることを要件としているというべきであり,一方の親のみが昭和20年9月2日において日本国民として本邦に本籍を有していたという者は含まれないというべきである。

本件では,前記(1)
父がP4であったとしても,P4が昭和20年9月2日において日本国民として本邦に本籍を有していたとは認められないから,原告は,支援法施行規則1条3号の「準ずる事情にあるものとして厚生労働大臣が認める者」(c類型)に当たらない。

第3
1
当裁判所の判断
争点1(原告の父が支援法2条1項1号の「日本国民として本邦に本籍を有していた者」といえるか)について
(1)認定事実
前提事実,争いのない事実,文中記載の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

原告の出生に至る経緯等
P1(大正6年8月3日生まれ)は,昭和9年9月18日,P5と婚姻し,同年10月3日,長女P6をもうけたが,P5は,昭和10年12月23日,死亡した。(甲2の2,甲19・8,9頁)
P1は,その後,長女P6を連れて実家に戻って生活していたが,昭
和12年12月に長兄が死亡した後,実家で同居していた兄嫁から実家から出て行くよう命じられたため,P1は,やむなく長女P6を日本に残し,昭和14年2月,旧満州の奉天市にいた次兄を頼って旧満州に渡った。P1は,奉天市のP7医院で見習い看護婦として住み込みで働き,昭和16年,看護婦国家試験に合格した後,吉林市のP9病院で看護婦として住み込みで働いた。(甲6・1及び2頁,甲7・2ないし4頁)P1は,昭和18年頃,看護婦の仕事を辞め,吉林市において男性と同居を開始し,昭和19年1月8日,同男性との間の子であるP3を出産したが,同男性は,昭和20年5月に召集されたまま帰ってこなかった。(甲19・27頁)
P1は,昭和20年8月15日の終戦当時,1歳のP3を連れ,原告を妊娠しており,妊娠5か月の状態であった。P1は,住む場所もなく,食料にも事欠く状態で難民となって生活を続け,一緒に内地に帰国するつもりで奉天市にいた親戚を頼って行ったが,援助を断られたため,やむなく吉林市に戻り,P9病院で勤務していた際に知り合ったP10を頼り,同人がそのきょうだいと共に住んでいた吉林市の家で世話になり,昭和21年1月21日,原告を出産した。(甲2の1及び3,甲6・4及び5頁,甲19・83ないし86頁)

原告の中国での生活等
P1は,日本への引き揚げをP10に反対され,困った時に世話になりながら帰ることはできないと考えたことや,原告を出産した後,看護婦の仕事を再開し,留用者(技術員)として中国政府から帰国の許可を受けられなかったことなどから,日本へは引き揚げず,P10と共に生活を続けた。P1は,昭和24年10月1日,中華人民共和国の成立と同時に,P10との婚姻の届出をし,P3と原告をP10の長女及び長男として届け出た。P1は,その後,P10との間に,3人の子(二女,
三女,四女)をもうけた。(甲6・5ないし7頁,甲7・11頁,甲19・29ないし30,84頁)
P10は,原告とP3には怒鳴ったり暴力をふるったりしたが,3人の妹らにはそのようなことをすることはなかった。原告とP3は,背も高くなく,腕の前腕部分が短いのに対し,3人の妹らは,背が高くやせ形であり,腕も長いという身体的特徴の違いがあり,他人からは,原告とP3は,3人の妹らとは本当のきょうだいではないのではないかと言われたこともあったが,原告とP3は,P10を実父であると信じて育った。
原告とP3は,母のP1が日本人であることから,小学校や近所では「小日本鬼子」などと言われていじめられたこともあった。(甲20,21,証人P3・3ないし5頁,原告本人2及び3頁)
P1は,昭和36年から昭和43年にかけて,肝臓,腎臓,心臓等の疾患により,何度か入院して治療を受けた。
P10は,昭和41年から文化大革命が始まると,日本人を妻にしているという理由で,反革命分子とされ,約8か月間拘束された。P10は,その間,ひどい暴行を受け,反革命分子の看板を首に掛けて見せ物として街頭を行進させられるなどの扱いを受けたため,帰宅後,P1のためにこのようなひどい目にあわされたと言って,P1に対して暴力をふるうなどした。(甲20,21)
原告は,昭和42年,中国で婚姻してP1らとは別居し,その後2人の子をもうけた(甲21)。
P3は,昭和43年,中国で婚姻してP1らとは別居し,その後3人の子をもうけた(甲20)。

P1が親族に対して送付した手紙
P1は,昭和25年7月6日,P6に対して手紙を送り,P6は同月
30日,これを受領した。同手紙には,「今貴女は17どんなにか美しい…女になって」,「母ちゃんは…いつまで定まった家というもののない看護婦生活をやめて結婚し,その時は丁度渡満後6年目でした。どんな小さな家庭でも自分の家早く貴女をよんでとあせる中に,丁度,貴女には妹にあたるP3…が生まれて1年位の時に日本降復という悲しい運命…何も持つひまもなく家を追ひ出され其の時母ちゃんはもう一人の赤ちゃんがお腹の中にあったのです。…P3の父はあの年の5月,應召したきり帰らず,仕方なく母ちゃんはP15病院で働いて居た中国人を1人連れて奉天のP16ちゃん達をたよって行きました。」との記載がある。(甲3の1・3頁,甲4,甲19・18,20,26ないし33頁)P1は,昭和26年9月24日,昭和27年2月5日,同年8月31日,同年9月2日,昭和31年8月25日,昭和39年1月1日,いずれもP6に対して手紙を送った。(甲19・21ないし25,34ないし41,44ないし48,72,73頁)
P1は,昭和40年3月31日,義姉P13に対して手紙を送った。同手紙には「介戦直后,私は,奉天にP14の姉をたづねてゆき一緒に内地に帰るのが目的だったのです。P14さんは冷たく私をつきはなしました。」「私は当時1人の子供を連れて,2人目の子はもう5か月位でした。身重の体で私は失業無一文で社会の真ん中にほうり出されて着るものもなく…その時前P9病院に働いて居る時事務室にいた人でP10と言う人。私が奉天にP14さんをたづねる時も其の人が送って居ったのです。仕方なく,私は4才も年下のP10と共に小さな子供をつれて,其の人の保護の下にあの悲しい…混乱の生活をこう…て来ました。1946年8月,日本人が引きあげる時私はP10の反対にあい,困る時世話になりながら,無情にかへることも出来ず,それに小さな子供を連れて家にかへれば又も姉上に迷惑をかけなければならないそんな気持
が先に立って…そんな思いでP10と一緒にあらゆる苦難の生活をのり切って来ました。」との記載がある。(甲19・70,83ないし86頁)

P1に関する究明カードの作成等
戦後,旧軍人軍属の未復員者の調査は主として厚生省が行い,未引揚一般邦人の調査に関する事務は外務省が行っていたところ,昭和27年に地方自治法が改正され,後者についても,都道府県がその調査を行う義務があることが明確化された。その後,昭和28年に未帰還者留守家族等援護法(昭和28年法律第161号)が制定され,厚生省は,昭和29年4月,同法に基づく事務を実施するため,その付属機関として未帰還調査部を設置し,未引揚邦人の留守家族に対する調査は,同部の依頼により,主として未引揚邦人の本籍地の都道府県が行うこととなった。そして,昭和29年4月からの調査の開始に当たり,未引揚邦人ごとの資料の整理,究明カードの作成,厚生省と都道府県との間の資料の照合が行われ,その後調査により新たに把握した情報は,究明カードに記録,管理されるとともに,必要に応じて相互に情報共有がされた。(弁論の全趣旨・平成26年9月12日付け被告準備書面(4)3頁)
P2は,埼玉県に対し,P1に関する未引揚邦人届を提出し,昭和26年4月には外務省がこれを受理した。埼玉県(福祉部社会福祉課)は,昭和27年1月10日,P2に対し,通信調査を行い,P2は,同月15日,上記調査に対する回答をした。P2の回答書には「昭和14年1月14日奉天β町に住んでいた兄を頼って渡満,そこで看護学校に学び,看護婦になって働くうち昭和廿年一生満州の土地で暮すと覚悟をきめ満人と結婚,同年5月夫は召集,行方不明となり再び看護婦になって今日に至った」との記載がある。(甲19・5,12,13,16,18頁)厚生省(援護局)は,埼玉県との情報共有に基づき,P1の究明カー
ドを作成しており,上記情報共有に基づいて記載された厚生省の究明カードには,「昭和14年1月14日奉天β町に住んでいた兄を頼って渡満,そこの看護婦学校に学び,看護婦として働いていた昭和20年,中国人と結婚,20.5.夫召集,行方不明となり再び看護婦となる。」との記載がある。(乙12・1頁)
P1は,昭和49年4月24日,日本に一時帰国し,埼玉県の担当者に身上を申告し,これに基づいて記載された埼玉県の究明カードの「身上申告書」には,「18年7月結婚,20年5月夫死亡,…21年1月結婚」と記載されている。(甲19・114,127,128頁)オ
P1,原告,P3の永住帰国等
P1は,昭和49年4月24日に一時帰国した後,同年10月23日,中国に再出国したが,昭和54年7月19日,四女(P17)と共に日本に永住帰国した。(甲5,甲7,甲19・114,144頁)
原告は,平成3年12月13日,原告とその妻,長男夫婦,次男の5人で日本に永住帰国した。(甲21)
P3は,平成6年11月,夫と3人の子らと共に日本に永住帰国した。(甲20)
原告は,日本に永住帰国した後,平成5年11月24日,中国で婚姻した妻と離婚し,妻は中国に帰国した。原告は,平成6年10月11日,ボリビア国籍の日系三世のP18と婚姻し,長男P19をもうけたが,P18は,在留資格に問題が生じ,平成12年になっても在留資格を得られなかったため,P19を連れてボリビアに帰国し,原告は,平成22年,P18との離婚の手続をした。(甲21)


P1が永住帰国後に作成した手紙
P1は,平成7年7月19日,法務局の係官のP11に宛てた手紙を書いた。同手紙は,P1と共に入国した四女が中国に残した2人の子の
在留資格認定証明書申請の手続と,原告の妻の在留に係る手続のため,P1の戸籍にP10との婚姻の記載が必要であるとして,その助力を求める内容のものであり,その中に「14年前恥多い私の2番目の人P4と言ふ人との同棲をかくしたために思いもかけない苦しい立場となった私は今度こそ恥も外聞もかまわず本当の事をお話し致したいと思います。」,「当時27才の私は…子供と一緒に暮らすことが出来ると言ふよろこびに母としての分別も忘れ,P4さんと吉林市に所帯を持ち日本にかへる準備のために病院の仕事もやめて家に入りました。」,「昭和19年1月8日私は女の子が生れその子の戸籍のことでそれまでにも私の入籍のことでP4に相談したのですが言を左右してなかなか入籍してくれず子供が生れてから彼に妻の居ることを知り毎日后悔の日々を送って居る中に昭和20年8月15日長い戦争は終り」,「人民政府成立と同時に2人の子供はP10の長女,長男としてとどけました。私は妻のある人との2年間の同棲はかくしとうしました。」,「私の公証書を昭和18年P4さんと同棲した年月日をP10と書いてもらったために…」との記載がある。(甲7)
P1は,平成7年9月22日,法務大臣に宛てた手紙を書いた。同手紙は,原告の妻子の日本入国の許可を求める内容のものであり,その中に「昭和19年1月8日に生まれた女の子と昭和21年1月21日に生まれた男の子と2人の子供をP10の子供として届けました。2人の本当の父は日本人でP4と言ふ人ですが,昭和19年女の子が生まれた時,P4には妻が居て私の戸籍は元より子供の戸籍を入籍することも出来ずに居る中に…」との記載がある。(甲5)
P1は,平成8年6月1日,法務大臣に宛てた手紙を書いた。同手紙は,二女P20の子供達の在留期間変更の申請の許可を求める内容のものであり,その中に「昭和18年の春そのP4と言ふ人が突然たづねて
来て私に日本にかへって子供を連れて来て3人で世帯を持てばお互いに助かるとのことでその日の中に吉林市に住宅を借り…」,「私は昭和19年1月に女の子を産み,子供の戸籍の事をP4に相談すると彼は初めて病気の妻が妻の実家にあづけてあり妻には子供はなく折をみて子供の戸籍を入れる様にするから少しの間待ってくれと言はれ」,「二年間妻の居る人との同棲の日々は恥づかしくくやしく自分が知らなかったとは言いながら重罪を犯した様に心苦しく后悔の日々を送る中に」との記載がある。(甲6)

P1,原告,P3の戸籍の記載等
P1は,昭和24年10月1日,中国政府に対し,原告とP3をP10の長男と長女として届け出たことから,中国政府発行の公証書には,P10が原告とP3の父である旨の記載がされていた。P1は,平成7年頃から,法務局において,中国政府発行の公証書を提出して戸籍にP10との婚姻の記載をするよう求めた。(甲6・6,7,9頁,甲7・11,15頁)
P1は,腎臓,肝臓,心臓等の疾患が悪化し,平成8年5月,入院し,同年9月7日,死亡した。(甲20,21)
平成10年5月18日,P1の戸籍に,昭和24年10月1日にP1がP10と婚姻した旨が記載された。(甲2の3)
原告は,平成11年2月26日,戸籍への記載が許可され,同年3月2日,筆頭者をP21(P1の父)とする戸籍に父欄をP10,母欄をP1として記載がされた上,同日,原告を筆頭者とする新戸籍が編製された。(甲2の3)
P3は,平成11年4月22日,戸籍への記載が許可され,同月23日,筆頭者をP21(P1の父)とする戸籍に父欄をP10,母欄をP1として記載がされた上,同日,P3を筆頭者とする新戸籍が編製され
た。(甲2の3)
原告は,平成20年,さいたま家庭裁判所熊谷支部に対し,原告の戸籍の父欄の「P10」の記載を削除するよう求め,戸籍訂正許可の申立てをしたが,却下されたため,抗告したところ,東京高等裁判所は,平成21年9月16日,原審判を取り消し,戸籍の訂正を許可する旨の決定をし,同月24日,上記裁判が確定した。これにより,同年10月13日,原告の戸籍の父欄の「P10」の記載は削除された。(甲2の1,甲3の1,甲21)
P3は,平成21年,さいたま家庭裁判所熊谷支部に対し,P3の戸籍の父欄の「P10」の記載を削除するよう求め,戸籍訂正許可の申立てをしたところ,平成22年1月20日,これを許可する旨の審判がされた。(甲3の2)

原告,P3の一時金の申請等
P3は,厚生労働大臣に対し,支援法13条3項に基づく一時金の申請をし,平成22年4月28日,一時金の支給決定を受けた。(甲16)原告は,平成22年12月20日,厚生労働省社会・援護局長に対し,永住帰国した中国残留邦人等であることの証明書の交付申請をしたが,平成23年5月11日,上記証明書を交付することはできない旨の回答を受けるとともに,上記交付申請書の返戻を受けた。(乙1,2)原告とP3の支援法13条3項に基づく一時金の申請に対する判断に際しては,同じくP1の究明カード(乙12)が用いられており,当事者が提出した申請書を除けば,P3に対する処分においてのみ考慮された資料はなかった。(弁論の全趣旨・平成26年9月12日付け被告準備書面(4)9頁)
原告代理人は,平成23年5月31日,厚生労働省社会援護局援護企画課中国孤児等対策室自立援護係に対し,P3が残留邦人と認定されて
いることを指摘し,原告が中国残留邦人等に該当しない理由について回答を求めたところ,同年6月22日付けの回答文書で,「なお,P3様につきましては,昭和20年9月2日以前に出生されていることから,昭和20年8月9日以後の混乱等の状況下で日本に引き揚げることなく,同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住し,同日において日本国民として日本に本籍を有していた者(支援法第2条第1項)に該当するため,証明書を交付した」との説明を受けた。(乙3,4)
(2)検討

原告の父はP4であるか
原告の父がP10ではないこと
上記(1)

P3は,いずれも

平成11年に父欄をP10,母欄をP1として戸籍の記載がされたが,原告については,戸籍訂正許可の裁判の確定により,平成21年10月13日,その戸籍の父欄の「P10」の記載が削除されたこと,P3についても,平成22年1月20日,戸籍訂正許可の申立てに対し,その戸籍の父欄の「P10」の記載の削除を許可する旨の審判がされたことからすれば,原告とP3の父は,いずれもP10ではないことが認められる。
原告の父とP3の父が同一人物であること
上記(1)

P1は,昭和20年

8月15日の終戦当時妊娠5か月で,昭和21年1月21日に原告を出産したことから,昭和20年3月頃妊娠したものと推認されるところ,当時,P1は同年5月に召集されたP3の父と同居していたこと,②昭和49年作成の埼玉県の究明カードの「身上申告書」に,「18年7月結婚,20年5月夫死亡,21年1月結婚」と記載されているとおり,P1は,埼玉県の調査に対し,中国で2人の男性と順次結婚した旨の申
告をしており,P3の父とP10という2人の男性と順次交際したことが認められるものの,それ以外の男性との交際をうかがわせる事情はないことからすれば,P3の父は原告の父と同一人物であると認められる。P1が作成した手紙の内容の信用性について
上記(1)

P1は,昭和25年作

成のP6に宛てた手紙,昭和40年の義姉P13に宛てた手紙において,既に,P10とは別にP3の父がいる旨の記載をしていたこと,②P1は,平成7年作成の法務局の担当者P11に宛てた手紙,同年及び平成8年作成の法務大臣に宛てた手紙において,原告とP3の父が,P10ではなくP4であることを明らかにしているが,その手紙の記載内容は具体的かつ詳細であり,上記の昭和25年作成のP6に宛てた手紙,昭和40年の義姉P13に宛てた手紙の記載内容とも整合すること,③平成7年作成の法務局の担当者P11に宛てた手紙,同年及び平成8年作成の法務大臣に宛てた手紙の趣旨は,中国に居住するP1の四女の2人の子の入国手続,あるいは原告の当時の妻の在留手続のために,P1の戸籍にP10との婚姻の事実を記載するよう求めるものであるところ,原告とP3の父がP10ではなくP4であることを明らかにすることは,P1の上記要求の実現のために必ずしも有利になるという関係にはないにもかかわらず,P1が,「今度こそ恥も外聞もかまわず本当の事をお話し致したいと思います」として,過去の事実関係の全てを第三者に明らかにした経過があることからすれば,原告とP3の父がP4である旨の上記各手紙の記載内容は,信用性があるものと認められる。
これに対し,被告は,P1が原告の父の名前がP4であると手紙に記載し始めた時期が平成以降であることや,土建業(各組)の職域名簿の中のP8の資料(乙14)や,昭和20年5月に召集されたとされる陸海軍の人事関係資料を含めた厚生労働省の保有資料にもP4の名前は確
認できなかったことからすれば,上記のP1の手紙の記載内容には信用性がない旨主張する。
しかしながら,上記(1)

P1は,「二年間

妻の居る人との同棲の日々は恥づかしくくやしく自分が知らなかったとは言いながら重罪を犯した様に心苦しく后悔の日々を送る中に」と記載しているとおり,妻帯者であったP4と内縁関係にあった事実を恥じ,P3や原告に対しても平成6,7年までP4が父親であることを明らかにしなかったのであるから,P6や義姉P13などの親族や第三者に対し,P4との内縁関係を秘匿していたことには相応の理由があるというべきである。また,昭和20年5月に召集されたとされる陸海軍の人事関係資料を含めた厚生労働省の保有資料が,当時召集された日本人の全てを網羅したものであるかは明らかではないことからすれば,これらにP4の名前がないことをもって,上記のP1の手紙の記載の信用性を減殺することはできないというべきである。したがって,上記被告の主張は採用できない。
P3及び原告の供述内容について
P3は,平成6年12月1日,P1及び妹と共に熊谷駅で電車を待っていた際,トイレに行った妹の後ろ姿を見て,P1が,P3に対し,妹とP3の後ろ姿はそれぞれの父親にそっくりだと言い,P3がその意味を問うと,P1から,初めて,P3の父はP10ではなくP4であると告げられ,その後,何度かP1の自宅を訪ね,P1から,P4が九州の出身であること等を聞いた旨供述する。(甲20,証人P3・1ないし3頁)また,原告は,平成7年7月,法務局への行き帰りの途中,P1から,初めて,原告の父はP4であると告げられ,P4は九州の出身で,鉄道を建設する仕事をしていたこと等を聞いた旨供述する。(甲21,原告本人1ないし3頁)

上記(1)

P3は,

中国において,母親が日本人であるために学校でいじめられるなどした経過があったことや,P1自身が,妻帯者のP4と内縁関係にあった事実を恥じていたことから,P1が,少なくとも原告やP3が中国に居住する間は,父親がP4であることを話さなかったとしても不自然であるということはできず,P3が,永住帰国した平成6年11月の翌月である同年12月になって初めてP1から父親がP4であることを聞いたことや,P1が平成7年7月に第三者(法務局の係官のP11)に対して初めて原告とP3の父がP4であることを明らかにし,原告が,同月になって初めてP1から父親がP4であることを聞いたとの供述内容には信用性があるというべきである。
また,P4が九州の出身であることは,P1の手紙には記載されていないものの,P3は,平成6年まで中国に居住しており,日本語での意思疎通が困難であって,今でも九州が日本のどこにあるのかよく分からないというのであり(証人P3・7頁),P4の出身地につき作為的な供述をすることは困難であると考えられる上,P3と原告はともにP1からP4が九州の出身であることを聞いた旨供述することからすれば,P1からP4が九州の出身であることを聞いた旨の原告及びP3の供述内容には信用性があるというべきである。
これに対し,被告は,原告の供述は,①P1が原告の戸籍の記載に関して助力したことに関し,聴取書(甲21)の記載内容と合理的理由なく大きく変遷しているし,②P1は,平成7年5月ないし6月頃から衰え出し,そのまま入院したというのであるから,同年7月頃に原告とともに法務局に行って帰ってきたということ自体信用性がない。③原告は,平成7年7月にP1から父親がP10ではないと聞いたにもかかわらず,平成20年まで父をP10とする戸籍の訂正をすることなく放置してい
たというのも不自然である旨主張する。
しかしながら,上記①については,P1がP10との婚姻の事実を戸籍に記載してもらうために提出した中国政府発行の公証書を入手した経緯や,原告の戸籍が平成11年2月26日に許可されたことについてもP1が助力した旨の聴取書の記載内容(甲21)は誤っている旨,原告が本人尋問において訂正した経過が認められるものの(原告本人4ないし7頁),これらはいずれも,平成7年7月頃に原告の妻の在留資格の取得のためにP1の戸籍の記載に関してP1が法務局と折衝していた旨の原告の供述内容(甲21,原告本人4ないし5頁)とは直接関係しない事情であるから,これをもって上記原告の供述内容の信用性が減殺されるということはできない。また,上記②については,P1が衰え出したのが平成7年5月か6月頃であったとしても(証人P3・7頁),上記(1)

P1が入院したのは翌年の平成8年5

月であるから,P1が平成7年7月頃に法務局に行くなどしていたことは不自然ではないというべきである。さらに,上記③については,原告は,平成11年に戸籍の父欄にP10と記載された際,間違いだと言ったが,法務局の職員からは,父をP10とする資料しかないし,原告は既に日本国籍を取得したから構わないのではないかと説明された旨供述しており(原告本人8ないし9頁),原告が日本語での意思疎通が困難であることをも考慮すると,上記のような説明を受けた原告がその後戸籍の父欄の訂正のために適切な法的手続をとることなく平成20年まで放置したことが不合理であるとまでいうことはできない。
したがって,上記被告の主張を採用することはできない。

原告の父が支援法2条1項1号の「同日において日本国民として本邦に本籍を有していたもの」に当たるか
同号の解釈について

支援法の目的は,今次の大戦に起因して生じた混乱等により,本邦に引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた中国残留邦人等の置かれている事情にかんがみ,これらの者の円滑な帰国を促進するとともに,永住帰国した者の自立の支援を行うことであり(同法1条),同法2条1項1号は,日本国籍を有していたものと規定せず,「日本国民として本邦に本籍を有していたもの」と規定している。
このような支援法の目的や,規定の文言からすれば,同法2条1項1号の「同日において日本国民として本邦に本籍を有していたもの」とは,単に国籍法に基づき日本国籍を有していただけでなく,昭和20年9月2日において戸籍法に基づき本邦に本籍を有していたことをいうものと解するのが相当である。
P4は同号の「同日において日本国民として本邦に本籍を有していたもの」に当たるか
P1の平成7年作成の法務局の担当者P11に宛
てた手紙,同年及び平成8年作成の法務大臣に宛てた手紙の記載内容は,いずれも信用性があると認められるところ,P1の上記手紙にはP4が日本人である旨の記載があり,また,P3が生まれた後に,P4に対し,P1とP3の入籍のことを相談すると,「病気の妻が妻の実家にあづけてあり妻には子供はなく折をみて子供の戸籍を入れる様にする」と言われ,戸籍に入籍することができなかったとの記載があり,上記のP1の手紙の記載内容は,P4には戸籍があり,その戸籍には妻の記載がされP1
から父がP4であると告げられた旨の原告及びP3の供述内容には信用性があると認められるところ,原告とP3は,いずれもP1からP4が九州の出身であると聞いた旨供述している。

また,上記(1)

実によれば,P3は,平成11年4月2

2日にようやく本邦の戸籍への記載が許可された者であって,昭和20年9月2日において戸籍法に基づき本邦に本籍を有していたとはいえないことが明らかであることからすれば,P3が支援法2条1項の「中国残留邦人等」と認められたのは,A類型ではなく,a類型に当たると判断されたものと解するのが合理的である。そうすると,a類型では,その出生の日において,両親が日本国民として本邦に本籍を有していたことが要件とされているから,P3の支援法13条3項に基づく一時金の申請に対する判断に際しては,P3の父は,日本国民として本邦に本籍を有してたものと認められたことになる。そして,上記(1)
P3と原告の父は同じくP4であって,P
3の支援法13条3項に基づく一時金の申請に対する判断に際しては,原告と同じくP1の究明カード(乙12)が用いられており,当事者が提出した申請書を除けば,P3に対する処分においてのみ考慮された資料はなかったというのであるから,P4が日本人として本邦に本籍を有していた者であるとの認定は,P3が支援法2条1項の「中国残留邦人等」と認められたこととも整合する。
さらに,支援法2条1項1号が両親が「日本国民として本邦の本籍を有していた者」を対象としている趣旨は,一方の親のみが日本人である場合には,他方の親の居住地において生活することも十分に想定されるのに対し,両親が日本人である場合には,その子も両親と共に本邦へ引き揚げる可能性が高かったといえることから,両親が日本人である場合のみを対象とする趣旨であると解されるところ,上記(1)
実によれば,P1が終戦後に原告と共に本邦へ引き揚げなかった理由は,終戦直後に本邦に引き揚げるつもりで奉天の親戚を頼ったにもかかわらず援助を断られたため,当時1歳のP3を抱え,原告を妊娠している状
態で生きていくために,中国でP10を頼るほかなかったことや,原告を出産後,看護婦として中国政府に留用されたことなどを理由とするものであって,父が日本国籍を有していない故に中国にとどまったものであるものとは認められない。
以上によれば,P4は,昭和20年9月2日において戸籍法に基づき本邦に本籍を有していたものとして,支援法2条1項1号の「同日において日本国民として本邦に本籍を有していたもの」と認められる。究明カード(乙12)の記載について
①埼玉県(福祉部社会福祉課)作成の究明カード中には,「看護婦になって働くうち昭和廿年一生満州の土地で暮すと覚悟をきめ満人と結婚同年5月夫は召集行方不明となり再び看護婦になって今日に至った」との記載がある書面が綴られており(甲19・12頁),また,②厚生省(援護局)作成の究明カードには,「昭和20年中国人と結婚,20.5.夫召集,行方不明となり再び看護婦となる」との記載がある(乙12・1頁)。
上記(1)
玉県との情報共有に基づいて作成されたものであり,上記①の書面を前提にしており,上記①の「満人と結婚」との記載を,上記②では「中国人と結婚」と記載したものと認められる。そして,上記①の書面は,未引揚邦人届を提出したP2が,調査に対する回答として送付した回答書
この回答におけるP2の認識が正しいものであることを裏付ける資料は見当たらず,むしろ誤りであることは上記アで判示したところから明らかである。したがって,上記究明カードの記載等をもって,P4が支援法2条1項1号の「同日において日本国民として本邦に本籍を有していたもの」に当たるとの上記認定判断は左右されない。

被告は,「満人と結婚

同年五月夫は召集」との記載(甲19・12

頁)は,中国人が召集されることは考えられない一方,当時,満州には日本人よりも多くの朝鮮籍の者が居住していたことからすれば,上記の「夫」とは,満州に居住して召集された朝鮮籍の者であったと考えられる旨主張するが,当時,満州には多くの朝鮮籍の者が居住していたという一般的な事情の他に,具体的に原告の父が朝鮮籍を有するものであったことをうかがわせる証拠はないから,上記被告の主張を採用することはできない。

小括
以上のとおりア及びイにおいて判示したところによれば,原告の父はP4であり,P4は支援法2条1項1号の「同日において日本国民として本邦に本籍を有していたもの」と認められる。そうすると,原告は,「昭和20年9月3日以後中国の地域で出生」し,平成20年9月2日において日本国民として本邦に本籍を有していた者を両親とするものに当たるから,父親が「昭和20年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住している」場合はB類型に,それ以外の場合は死亡の場合を含めてb類型に当たるところ,上記(1)

P4は,昭和20

年5月に召集されたまま帰らなかったことが認められ,同年9月2日時点において引き続き中国の地域に居住していたものとは認められないから,原告は,b類型(支援法施行規則1条2号)に当たるものと認められる。したがって,原告は,支援法2条1項の「中国残留邦人等」に当たるものと認められるから,厚生労働大臣が平成24年7月19日付けで,原告が支援法2条に定める「中国残留邦人等」とは認められないとしてした本件処分には,取り消すべき違法があるというべきである。
2
結論
よって,原告の請求は,その余の点について判断するまでもなく理由がある
から認容することとし,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第38部

裁判長裁判官

谷口


裁判官横田典子及び裁判官下和弘は,転補のため署名押印することができない。

裁判長裁判官

谷口


(別紙)
関係法令の定め
第1

中国残留邦人等の円滑な帰国の促進並びに永住帰国した中国残留邦人等及び特定配偶者の自立の支援に関する法律(平成25年法律第106号による改正前の題名は「中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援に関する法律」。以下「支援法」という。)

1
1条(目的)
この法律は,今次の大戦に起因して生じた混乱等により,本邦に引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた中国残留邦人等の置かれている事情にかんがみ,これらの者の円滑な帰国を促進するとともに,永住帰国した者の自立の支援を行うことを目的とする(ただし,平成25年法律第106号による改正前のもの。)。

2
2条1項(定義)
この法律において「中国残留邦人等」とは,次に掲げる者をいう。1号

中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住している者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有していたもの及びこれらの者を両親として同月3日以後中国の地域で出生し,引き続き中国の地域に居住している者並びにこれらの者に準ずる事情にあるものとして厚生労働省令で定める者

2号

中国の地域以外の地域において前号に規定する者と同様の事情にあるものとして厚生労働省令で定める者

3
13条(国民年金の特例等)
1項

永住帰国した中国残留邦人等(明治44年4月2日以後に生まれた者であって,永住帰国した日から引き続き1年以上本邦に住所を有するものに限る。以下この項及び第5項において同じ。)であって,昭和21年12
月31日以前に生まれたもの(同日後に生まれた者であって同日以前に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものとして厚生労働省令で定める者を含む。)に係る昭和36年4月1日から初めて永住帰国した日の前日までの期間であって政令で定めるものについては,政令で定めるところにより,国民年金法等の一部を改正する法律(昭和60年法律第34号。第3項において「昭和60年法律第34号」という。)第1条の規定による改正前の国民年金法(昭和34年法律第141号)(以下「旧国民年金法」という。)による被保険者期間(以下「旧被保険者期間」という。)又は国民年金法第7条第1項第1号に規定する第1号被保険者としての国民年金の被保険者期間(以下「新被保険者期間」という。)とみなす。
2項

前項に規定する永住帰国した中国残留邦人等(60歳以上の者に限る。)であって昭和36年4月1日以後に初めて永住帰国したもの(以下「特定中国残留邦人等」という。)は,旧被保険者期間又は新被保険者期間(同項の規定により旧被保険者期間又は新被保険者期間とみなされた期間を含み,旧国民年金法第5条第3項に規定する保険料納付済期間,国民年金法第5条第2項に規定する保険料納付済期間その他の政令で定める期間を除く。第4項において同じ。)に係る保険料を納付することができる。
3項

国は,特定中国残留邦人等に対し,厚生労働省令で定めるところにより,当該特定中国残留邦人等の旧被保険者期間(第1項の規定により旧被保険者期間とみなされた期間を含む。)及び昭和60年法律第34号附則第8条第2項各号に掲げる期間(政令で定める期間に限る。)並びに国民年金法による被保険者期間(第1項の規定により新被保険者期間とみなされた期間を含み,政令で定める期間を除く。)に応じ,政令で定める額の一時金を支給する。

4項

国は,前項の一時金の支給に当たっては,特定中国残留邦人等が満額の
老齢基礎年金等の支給を受けるために納付する旧被保険者期間又は新被保険者期間に係る保険料に相当する額として政令で定める額を当該一時金から控除し,当該特定中国残留邦人等に代わって当該保険料を納付するものとする。
第2

中国残留邦人等の円滑な帰国の促進並びに永住帰国した中国残留邦人等及び特定配偶者の自立の支援に関する法律施行規則(平成26年厚生労働省令第122号による改正前の題名は「中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援に関する法律施行規則」。以下「支援法施行規則」という。)
1
1条(支援法第2条第1項第1号に規定する厚生労働省令で定める者)支援法第2条第1項第1号に規定する厚生労働省令で定める者は,次のとおりとする(ただし,平成26年厚生労働省令第104号による改正前のもの。)。
1号

中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住している者であって出生の届出をすることができなかったために同日において日本国民として本邦に本籍を有していなかったもの(その出生の日において日本国民として本邦に本籍を有していた者を両親とするものに限る。)
2号

中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住している者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有していたものを母親とし,かつ,同日において日本国民として本邦に本籍を有していた者(同日以前から引き続き中国の地域に居住しているものを除く。)を父親として同月3日以後中国の地域で出生し,引き続き中国の地域に居住している者

3号

中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住し
ている者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有していたもの及びこれらの者を両親として同月3日以後中国の地域で出生し,引き続き中国の地域に居住している者に準ずる事情にあるものとして厚生労働大臣が認める者
2
2条(支援法第2条第1項第2号に規定する厚生労働省令で定める者)支援法第2条第1項第2号に規定する厚生労働省令で定める者は,次のとおりとする。
1号

樺太の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き樺太の地域に居住している者であって同日において日本国民として本邦又は樺太に本籍を有していたもの

2号

前号に掲げる者を両親として昭和20年9月3日以後樺太の地域で出生し,引き続き樺太の地域に居住している者

3号

中国の地域以外の地域において前2号に掲げる者と同様の事情にあるものとして厚生労働大臣が認める者

3
13条の2(支援法第13条第1項に規定する厚生労働省令で定める者)支援法第13条第1項に規定する厚生労働省令で定める者は,昭和22年1月1日以後に生まれた永住帰国した中国残留邦人等(永住帰国した日から引き続き1年以上本邦に住所を有するものに限る。以下この条において同じ。)であって,その生まれた日以後中国の地域又は樺太の地域その他の中国の地域以外の地域においてその者の置かれていた事情にかんがみ,明治44年4月2日から昭和21年12月31日までの間に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものとして厚生労働大臣が認めるものとする。
第3「中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援に関する法律施行事務の取扱いについて」(平成6年9月30日社援発第665号厚生省社会・援護局長通知。以下「厚生省社会・援護局長通知」という。)
第2

中国残留邦人等のうち,省令第1条第3号及び第2条第3号に規定する厚生大臣が認める者

1
中国残留邦人等のうち,省令第1条第3号に規定する厚生大臣が認める者としては,次に掲げる者等が考えられる。
(1)中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住している者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有していたものを父親とし,かつ,同日以前から中国の地域に居住していた者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有していたものを母親として,同月3日以後中国の地域で出生し,引き続き中国の地域に居住している者(その出生の日以後引き続き中国の地域に居住している者を母親とするものを除く。)
(2)中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から中国の地域に居住していた者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有していたものを母親とし,かつ,同日において日本国民として本邦に本籍を有していた者を父親(同日以前から引き続き中国の地域に居住しているものを除く。)として,同月3日以後中国の地域で出生し,引き続き中国の地域に居住している者(その出生の日以後引き続き中国の地域に居住している者を母親とするものを除く。)
(3)省令第1条第1号に規定する者を両親として,昭和20年9月3日以後中国の地域で出生し,引き続き中国の地域に居住している者
以上
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