判例検索β > 平成24年(わ)第887号
逮捕監禁、殺人、死体遺棄、監禁、詐欺、生命身体加害略取幇助、生命身体加害略取
事件番号平成24(わ)887
事件名逮捕監禁,殺人,死体遺棄,監禁,詐欺,生命身体加害略取幇助,生命身体加害略取
裁判年月日平成27年9月16日
法廷名神戸地方裁判所
裁判日:西暦2015-09-16
情報公開日2017-10-13 01:34:16
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平成27年9月16日宣告

裁判所書記官

平成24年(わ)第887号,第888号,第985号,第986号,平成25年(わ)第118号,第119号,第207号,第210号,第440号,第441号,第571号,第572号,第829号,第830号

被告人Aに対する逮捕監

禁,殺人,死体遺棄,監禁,詐欺,生命身体加害略取幇助,被告人B及び被告人Cに対する逮捕監禁,殺人,死体遺棄,監禁,詐欺,生命身体加害略取各被告事件判決主文
被告人A,被告人B及び被告人Cを,それぞれ懲役21年に処する。未決勾留日数中,被告人B及び被告人Cに対しては各640日を,被告人Aに対しては260日を,それぞれその刑に算入する。
理由
【罪となるべき事実】
被告人A,被告人B及び被告人Cは,兵庫県尼崎市a通b丁目c番d号所在のeマンションf号室(以下eマンションという。)において,D,E,F,Gのほか,H,I,J,K,L及びMらとも共同生活をしていたことがあるが,Dらと共に以下の行為をした。
第1

被告人3名は,D,E,F,G及びHと共謀の上,被告人Aの戸籍上の配偶者であるIを被保険者とする生命保険等の保険金を入手するため,同人を事故死に見せかけて殺害しようと考え,遅くとも平成17年3月上旬頃には,eマンションにおいて,かねてからDの意のままに従わざるを得ない状況に置かれていたI(当時51歳)に対し,交通事故を装って死ぬように命じ,これを承諾する旨の返事をしたものの,恐怖のため実際に車に当たることができなかった同人に対する制裁として,同年5月下旬頃までの間に,同所において,同人に対し,今更,何言ってんねん,大概にせえよなどと怒鳴りつけ,3
日間にわたって飲食を与えず,同人の両腕を机に打ち付けるなどの暴行を加え,長時間の正座を強制するなどして,死ぬことを拒むことができない状況にした上で,沖縄県の指定名勝gの崖から飛び降りて死ぬよう命じ,同年6月中旬頃,同人を同県へ同行させ,同月30日頃,同県国頭郡h村i番地のj所在のロッジNにおいて,それぞれ同人と死別の挨拶を交わし,翌7月1日午前9時過ぎ頃,同所において,同人に対し,gの崖から飛び降りて死ぬよう改めて申し向けつつ,同人の身に着けていたネックレスを遺品としてDが受け取る形見分けの儀式をした上で,同日午前10時20分頃,同村kl番地所在のgの崖(高さ約27.5メートル)の上において,Iを足場が不安定な同崖の縁に立たせ,その付近に被告人B,同C,E,F,G及びHがIに背を向けて立つなどし,はよせななどと言って,早く同所から飛び降りて死ぬよう同人に命じるなどし,同所から飛び降りる以外に選択することができない状態にして,同人をして,前記崖の縁から飛び降りさせ,よって,その頃,前記崖の下において,同人を頭部損傷により死亡させて殺害した。
第2

被告人3名は,D,E,F,G及びHと共謀の上,被告人Aの戸籍上の配偶者であるIを被保険者とするO保険株式会社の普通傷害保険契約に基づく死亡保険金名目で現金を騙し取ろうと考え,平成17年7月上旬頃,同社と代理店委託契約を締結しているPらを介し,大阪市m区no丁目p番q号大阪Oビル所在の同社r部s課において,担当者のQに対し,真実は被告人らがIを殺害したものであるのに,その事実を秘し,あたかも同人が沖縄県の指定名勝gの崖から誤って転落し,事故死したように装って,うその事故報告を行うとともに,保険金支払事務を進めるよう依頼し,さらに,同年11月1日頃,前記Pを介し,前記r部s課において,同社に対し,前同様のうその内容を記載した保険金請求書を提出するなどして被告人Aに対する保険金の支払を請求し,同社のr部長Rに,Iが急激かつ偶然な外来の事故によって転落死したものであり,同社に保険金の支払義務があるものと誤信させて,被告人Aの相続分に従
った保険金の支払を決意させ,よって,同年11月4日及び平成18年12月29日の2回にわたり,兵庫県尼崎市t町u丁目v番w号S銀行T支店に開設された被告人A名義の普通預金口座に現金合計3000万円を振込送金させ,もって人を欺いて財物を交付させるとともに,同年12月下旬頃,前記大阪Oビル所在の同社r部x課において,担当者のUに対し,真実はIの実弟であるMがその相続分に従った保険金の請求及び受領を被告人Aに委ねた事実はないのに,これあるように装い,保険金の請求及び受領に関し,同被告人を相続人の代表とすることにMが同意した旨の虚偽の書面を提出し,同社に対し,Mの相続分に従った保険金についても被告人Aに対して支払うよう請求し,前記Rをしてその旨誤信させて,同請求に係る支払を決意させ,よって,同年12月29日,前記普通預金口座に現金1000万円を振込送金させ,もって人を欺いて財物を交付させた。
第3

被告人3名は,D,E,F,G及びHと共謀の上,被告人Aの戸籍上の配偶者であるIを被保険者とするV保険会社の普通傷害保険契約に基づく死亡保険金名目で現金を騙し取ろうと考え,平成17年7月8日頃,東京都墨田区yz丁目a1番b1号c1タワー所在の同社d1部e1課に電話をかけるなどし,同社社員のWや担当者のXに対し,真実は被告人らがIを殺害したものであるのに,その事実を秘し,あたかも同人が前記gの崖から誤って転落し,事故死したように装って,うその事故報告を行うとともに,保険金支払事務を進めるよう依頼し,さらに,同月下旬から同年8月上旬頃,前記d1部e1課において,同社と業務委託契約を締結している調査会社のYの調査員A1らを介し,V保険会社に対し,前同様のうその内容を記載した保険金請求書を提出するなどして保険金の支払を請求し,同社のd1部e1課長B1らに,Iが急激かつ偶然な外来の事故によって転落死したものであり,同社に保険金の支払義務があるものと誤信させて支払を決意させ,よって,同年11月7日及び平成18年11月6日の2回にわたり,兵庫県尼崎市t町f1丁目g1番h1号C1銀
行D1支店に開設された被告人A名義の普通預金口座に現金合計1000万円を振込送金させ,もって人を欺いて財物を交付させた。
第4

被告人B及び同Cは,D,F,G,E,Jと共謀の上,かねてDらの暴行等による虐待に耐えかねて行方をくらましていた,F及びJの実母であるE1をら致してeマンションに連れ帰ることを考え,連れ帰った後に暴行を加えるなどの加害の目的をもって,平成19年12月1日から同月3日までの間,同人が住み込みで働いていた,和歌山県西牟婁郡i1町j1k1番地所在のF1ホテルにおいて,前記虐待等によりDやEらを畏怖していたE1(当時58歳)に対し,何考えてんねんなどと怒鳴りつけ,同番地のl1所在のF1ホテル社員寮m1階n1号室において,D,F,G,E,J,K,被告人B及び同CでE1を取り囲み,同人に対し,なんで逃げ出したんや無責任やなよう逃げ出せれたなせなあかん用事があるやろうあんた問題の張本人ちゃうの腹が立つわのんきやな子供のことほったらかしてと罵るなどし,さらに,これに畏怖して一旦尼崎に戻りますなどと発言した同人に対し,前記F1ホテルにおいて,一旦って何やのあんた,1週間や2週間で済む用事ちゃうでと申し向けるなどして,同人の身体,自由等にどのような危害を加えるかもしれない態度を示して脅迫し,同月3日頃,自動車に同人を乗せてeマンションまで連れ帰り,もって身体に対する加害の目的をもって略取した。

第5

被告人Aは,D,F,G,E,J,被告人B,同Cらが前記第4の犯行に及ぶに際し,これに先立つ平成19年11月下旬頃,その情を知りながら,eマンションにおいて,前記F1ホテルの場所を調べて被告人Cに教示し,同年12月1日から同月3日頃までの間,eマンションにおいて,Fの長女(当時11か月)の面倒を見るなどして留守番をし,もって前記犯行を容易にさせてこれを幇助した。

第6

1
被告人3名は,D,E,F,K及びGと共謀の上,eマンションから逃げ出してDらに連れ戻されていたJに対する制裁のため,平成20年7月頃から(ただし,Kについては,9月中旬頃から)同年12月上旬頃までの間,J(昭和57年11月24日生)を全裸又は半袖シャツ姿にし,eマンションのベランダに設置された物置内に監視カメラを取り付けた上で閉じ込めるなどして,逃亡防止用の防犯ブザーが設置された前記ベランダ内に同人を閉じ込め,Dや被告人らの監視の下に一時的に外出させたほかは,Jの動静を前記監視カメラの映像及び直接の目視によって監視するなどし,夏は高温多湿,冬は低温となる前記物置及び前記ベランダから同人が脱出することを不可能にし,もって同人を不法に監禁するとともに,その間,同人に対し,前記物置内を含む前記ベランダ等において,顔面,頭部,身体等を多数回殴ったり蹴ったりするなどの暴行を加え,栄養及び量の偏った食事を不規則に摂取させ,睡眠を短時間に制限し,前記物置内のバケツに排泄させたり,身体を洗う機会を多くても週に1回程度に制限するなどして不衛生な環境下に置き,直立不動や正座など特定の姿勢でいることをしばしば長時間強制するなどし,これらの継続的な虐待行為によって,同人の身体に,多数の外傷を生じさせたほか,下痢等の症状を生じさせ,痩せ細らせるなどして,遅くとも同年11月下旬頃までには,同人を,気温の低下や食事制限等の悪条件が更に加われば,低体温症,低栄養,感染症等によって死に至る危険性がある程度にまで衰弱させ,さらに,D,E,F,K及びGと共謀の上,殺意をもって,その頃から同年12月上旬頃までの間,同所において,上記の程度まで衰弱したJに対し,前同様の監禁,暴行,飲食制限,睡眠制限等の虐待を継続し,よって,その頃,前記物置内において,同人をこれら一連の虐待行為によって惹起された低栄養・低体温に基づく諸臓器の機能不全により死亡させ,殺害した。

2
被告人Aは,D及びFと共謀の上,LがFの長女(Dの孫)の世話中に暴言を吐いた上,Dから叱責され謹慎を命じられたのに無断で外出していたなどと
して,制裁のため,平成20年11月5日頃から同月8日深夜ないし9日未明頃までの間,L(当時67歳)を上記監視カメラ付きの物置内に閉じ込め,同物置の扉を施錠したり,同人の動静を前記監視カメラの映像及び直接の目視によって監視したりするなどし,同人が前記物置から脱出することを不可能にし,さらに,同日頃,事情を知った被告人B,同C,G,E及びKがこれに加わり,ここに被告人3名は,D,F,G,E及びKと共謀の上,同日頃から同月10日頃までの間,前同様の方法によって,Lが前記物置から脱出することを不可能にし,もって同人を不法に監禁した。
第7

被告人3名は,D,E,K,Fと共謀の上,遅くとも平成23年7月25日未明ころ,eマンションにおいて,M(当時53歳)に対し,その顔面を手で殴り,下半身を足で蹴るなどして,同所のベランダに設置された高温多湿の物置内に同人を閉じ込め,同月27日の日中までの間,その四肢等を手錠,丸太,ロープ等で緊縛し,その手錠を重量約24キログラムのステンレス製重しにつなぎ,周囲に金たわしを多数配置するなどして身動きできないようにした上,同物置出入口につっかい棒をし,同人の動静を監視して,同人が同物置から脱出することを不可能にし,もって同人を不法に逮捕監禁した。

第8

被告人3名は,D,E,K,Fと共謀の上,前記第7の逮捕監禁を行っている間,Mに対し,前記のとおり緊縛するなどして身動きできないようにする方法により正座のまま両腕を前記丸太等に固定させ,ガムテープ若しくはタオルで口をふさぎ,飲み水や食事を与えない方法により生存に必要な水分及び栄養を摂らせず,かわるがわる,顔面,腕部,大腿部,下腿部,胸部等を多数回足で蹴り,顔面,頭部等を手拳やサンダルで多数回殴打し,喉をサンダルで多数回突くなどの暴行を加え,平成23年7月26日夜までには同人を衰弱させる傷害を負わせた上,D,E,K,Fにおいては,遅くともそのころまでに,Mの衰弱状態や,同様の監禁及び虐待行為を継続すればMを死に至らせるかもしれないことを認識しながら,その後も前同様の監禁及び虐待行為を継続して同
人をいっそう衰弱させ,よって,同月27日の日中,前記物置内において,これら一連の行為によって惹起された高カリウム血症に基づく心停止又は肺塞栓症に基づく循環不全により同人を死亡させて殺害したが,被告人らにおいては傷害の犯意を有するにとどまっていた。
第9
1
被告人3名は
D,K,E及びFと共謀の上,平成23年7月下旬頃,eマンションの室内から,Mの死体を搬出して,同マンション前に駐車中の普通乗用自動車に積載した上,同死体を兵庫県尼崎市o1通p1丁目q1番r1号所在の倉庫に運び込み,同所において,同死体をドラム缶に入れた上,セメントを流し込み,そのまま同年11月4日頃まで,同死体を同所に放置し

2
D,K,E,F及びGと共謀の上,同年11月4日頃,前記倉庫から,前記のとおりドラム缶にコンクリート詰めにしたMの死体を搬出して,同所前に駐車中の普通乗用自動車に積載した上,同死体を同市s1t1番u1号所在の民家に運び込み,さらに,同月5日頃,同民家から同死体を搬出して,同所前に駐車中の普通乗用自動車に積載した上,同死体を岡山県備前市v1町w1x1番地y1南側岸壁から海中に投棄し

もって死体を遺棄した。
【証拠の標目】

【争点に対する判断】
第1
1
I事件
争点及び当事者の主張
Iを被害者とする殺人被告事件の争点は,①Iの意思抑圧の程度(殺人の実行行為性),②殺意の有無,③殺人の共謀の有無(正犯性)であり,保険会社2社を被害者とする詐欺被告事件の争点は,④被告人B及び同Cにつき共謀の有無(正犯性)である(上記殺人被告事件と詐欺被告事件を併せてI事件
という。)。なお,被告人Aにつき詐欺罪の共同正犯が成立することは争いがない。
Iの意思抑圧の程度(殺人の実行行為性)(争点①)について,検察官は,Dらは,暴行,飲食制限及び正座の強制等によって,Iの意思を抑圧し,崖から飛び降りざるを得ない状況に陥らせたといえるから,Dらの行為は殺人の実行行為に当たると主張する。これに対し,弁護人らは,Iは崖から飛び降りざるを得ない状況に陥ってはおらず,自分の自由な意思で自殺したものであるから,Dらの行為は殺人の実行行為に当たらず,自殺関与の実行行為ないし幇助行為にとどまると主張する。
殺意の有無(争点②)について,検察官は,被告人らはIに対する虐待の状況を認識していたことなどから,Iがgの崖から飛び降りざるを得ない状況に陥ったことを認識し認容していたといえ,被告人らには殺意が認められると主張する。これに対し,弁護人らは,被告人らは暴行等の虐待の全部又は一部を知らず,Iがgの崖から飛び降りざるを得ない状況に陥っていたとは認識していなかったから,被告人らには殺意が認められないと主張する。
殺人の共謀の有無(正犯性)(争点③)について,検察官は,被告人らは殺人の実行行為を分担するなど積極的な関与をしており,Iの保険金でG1家での生活を維持するという利益もあったことなどからすれば,被告人らには殺人の共同正犯が成立すると主張する。これに対し,弁護人らは,被告人らは積極的に関与しておらず,Iの保険金は被告人ら個人のために使われたものではないことなどから,被告人らは幇助犯の責任を負うにとどまると主張する。詐欺の共謀の有無(正犯性)(争点④)についても,争点③と同様の理由により,検察官は被告人らに詐欺の共同正犯が成立すると主張し,B弁護人及びC弁護人は,両被告人には幇助犯が成立するにとどまると主張する。2
当裁判所の判断


前提事実

以下の各事実は,当事者間に概ね争いがなく,関係各証拠によって容易に認められる。

D及びG1家
Dは,弱みを持つ複数の家族に因縁をつけ,一家離散に追い込み,それらの家族の中から気に入った者をG1家に取り込むなどの方法により,血のつながりのない者らによる共同体を形成していった。そのようにして形成されたG1家では,Dが絶対的な上位者であり,D以外の者は,外出の可否,就寝時間等生活全般にわたってDに細かく管理され,Dの意向に沿って行動していた。D以外の者は,Dの意向に沿わない行動をとった場合,DやDの指示を受けた者から暴行されるなどの虐待を受けることを知っており,Dに逆らえない状況にあった。


Iが亡くなるまでの経緯
Iは,昭和57年頃からDらと同居しており,平成12年頃にeマンションを購入してからは同所に居住していた。Iは,昭和59年頃から平成17年2月頃まで尼崎市所在の会社に勤務しており,G1家の中で唯一定職についていたので,eマンションのローン名義人となった。Iは,平成13年12月11日にAと婚姻したが,恋愛感情等の夫婦の実態はなかった。
Iは,平成14年8月31日頃にV保険会社との間で,同年11月15日頃にO保険株式会社との間で,自己を被保険者とし,いずれも急激かつ偶然な外来の事故によって生じた損害に保険金を支払う,保険金を受け取るべき者の故意,被保険者の自殺の場合などを免責事由とする内容の普通傷害保険に加入した。死亡保険金額は,O保険株式会社との契約では4000万円,V保険会社との契約ではその他の偶然な事故(交通事故を除く。)の場合に1000万円であり,いずれも死亡保険金受取人は約款等により法定相続人とされていた。なお,いずれの契約も以
後,1年毎に更新されていた。
G1家の家計の管理はAが担当していた。Aが仕事を辞めた平成16年春以降のG1家の家計は,総額約5000万円の借金の返済や生活費等の支出のために毎月約150万円の赤字となっていた。
平成16年から平成17年にかけてeマンションで同居していた主なG1家のメンバーは,D,C(Dの内縁の夫),A(Dの義理の妹),B(Dの養子,長男),G(Dの戸籍上の実子,次男),F,E,H,L及びIであった。
Iは,平成16年中に,Dから家計が苦しいので保険金を受け取るために事故死を装って死ぬように頼まれて,これを了承した。死ぬ方法は,会社からの帰り道に路地から自転車で飛び出して走っている車に飛び込むというものだった。
Iは,遅くとも平成17年2月中旬ころ(以下,平成17年の記載を省略)から自転車で車に飛び込むことを試み始めたが,死ぬことができなかった。
2月19日頃,Iはeマンションからいなくなった。
3月4日未明,Iは,H1マンションにいるところを見つかり,eマンションに連れ戻された。それから数日間,G1家のメンバーが集まったeマンションのリビングにおいて,Dが死ねないIを責め,G1家の他のメンバーがこれに同調する(DがIを責めているときに,G1家の他のメンバーがこれを止めようとしたり,Iをかばったりすることがない)ということが続いた。
Iは,4月の末頃から,Eと一緒に出かけ,自転車で車に飛び込むことを試みたが,死ぬことができなかった。
5月上旬頃,G1家のメンバーが集まったeマンションのリビングにおいて,DがIに死ねない理由を尋ね,Iがやっぱり怖くて,ようでけへんと答え,それに対してDが今更,何言ってんねんと怒鳴るということがあった。その後,5月16日までの間に,DがEに対し腕の骨一本折ったれというようなことを言い,Eはその言葉を受けて,Iの両腕を机の辺の部分に打ち付ける暴行を加えた。また,5月中に,Iが机の上に手を置き,その甲をEが上から拳で打ち付けるということもあった。これらの暴行により,Iの両腕があざになり,右手の甲にもあざができた。
5月13日から15日にかけて,Dは,Iに対して3日間飲食物を与えないという食事制限を行った。
Iは,5月下旬頃,Dから,1週間から10日くらいの期間にわたり,eマンションのリビング横の部屋で一日中正座をすることを強制された。5月下旬頃,家族会議が開かれ,DがIに対し,死ぬ方法を変更して高いところから飛び降りることを提案し,Iもこれを了承した。飛び降りる場所は,沖縄県の指定名勝gの崖に決まった。
沖縄に行くことが決まると,Iの正座強制が終わった。
D,A,B,C,G,F,E,H及びIは,6月19日に沖縄に向かい,Aが予約したgの近くのロッジに宿泊した。
6月28日,上記G1家のメンバー9名は,Iが飛び降りる場所の下見としてgに行った。
6月30日の夜,Dの発案で,G1家のメンバーが一人ずつIに対して別れの挨拶をした。
7月1日の朝,Dは,自分はgには行かないと言い出し,Eに対し,E,頼んだよなどと言い,Iに対して,チャンスは1回しかないからなというようなことを言った。また,Dは,Iに対し,Iがいつも身に付けていたネックレスを形見に欲しいと言い,これを譲り受けた。その後,Dを除くG1家のメンバー8名がgに向かった。

上記8名は,gの崖(高さ約27.5メートル)に着くと,Aがカメラを構え,その他のメンバーが崖の近くに集まり,写真撮影を行った。同日午前10時20分頃,Iは,崖から飛び降り,頭部損傷によって死亡した。

Iが亡くなった後の状況
その後,Dを除くG1家のメンバー7名は,警察から事情聴取を受け,崖で記念撮影中に,後方に立っていたIが誤って転落した旨説明した。それから,D及びAを除くG1家のメンバー6名は,Iの転落に事件性はない旨記載された申述書に署名,指印して警察に提出した。また,Aは,被害者が誤って崖から転落した旨の供述調書に署名,指印をした。Dは7月3日頃O保険株式会社(関係の保険代理店)に対し,Aは7月8日頃V保険会社に対し,それぞれIが崖から誤って転落して死亡した旨を伝えて,保険金支払の手続を進めるよう依頼した。
各保険会社は,調査の結果,Dらの申告どおりの事故であり,免責事由に該当しないと判断して,法定相続人である妻のAの相続分(3分の2)につき,支払を決定した。これに基づき,11月4日,O保険株式会社から2666万6667円が,同月7日にV保険会社から666万6667円が,それぞれA名義の預金口座に振り込まれた。
各保険会社の調査の過程で,Iの母であるI1も法定相続人であり,かつ,その所在が不明であることが発覚し,その後,I1を失踪者とする審判が平成18年10月に確定した。
O保険株式会社は,I1の失踪宣告確定後のIの法定相続人はAと弟であるMの2人であると判断し,Aらに対し,保険金の請求,受領についてAを代表者とする旨のMの同意があれば,保留分(3分の1)についても支払うことができる旨伝えた。これを受けて,Aらは,EがMの署名を勝手に記載するなどして作成した同意書をO保険株式会社に送付
し,決裁を受けて,同年12月29日,A名義の預金口座に1333万3333円が振り込まれた。
V保険会社は,I1の失踪宣告確定後のIの法定相続人はAのみであると判断し,支払手続を再開し,必要書類を確認した上で決裁を行い,同年11月6日,A名義の預金口座に保留分(3分の1)の333万3333円が振り込まれた。
Aは,受け取った保険金をG1家の借金の返済や生活費の支払などに充てた。


認定できる事実

DがIに対して死ねるかと尋ね,Iがこれを了承した場面について上記場面に関するBの公判供述の要旨は,以下のとおりである。
平成16年の夏頃(Iが亡くなる1年くらい前)に,Dの部屋で,AとGがいる前で,家はお金が苦しいんやと言われ,うちが死ね言うたら死ねるかと聞かれたので,本心では死ぬのが嫌だったが,嫌と言ったらDに怒られると思い,はいと答えた。なお,それまでにもDから同じことを何回か聞かれたことがあったが,そのたびに死ねると答えていた。
その後,Dは,その場にIを呼び,家,お金苦しいんやお金残して逝ってくれるかと言い,Iははいと答えた。Dは回せるだけ回すからと言っていた。遅くとも平成16年12月下旬頃までに,Dは,A,G,B,Iがいる場で,Iに対し,回してきたけど,もう限界や逝ってくれるかと言い,Iははいと答えた。Bの上記供述は,その内容が具体的である上,自己に不利益なものといえ,あえて虚偽の供述をする動機が見当たらないことなどから,信用性が高い。したがって,その供述どおりのやりとりが行われたものと認
められる。
なお,この点につき,Aは,公判で,DがIに対して,逝ってくれるかと言ったのは,自分が自殺して保険金で借金を返すということを提案し,Dから止められ,Lに対し,逝ってくれるよう頼み,Lがこれを了承したものの,死ぬことができなかった後のことであり,その場に同席していたのは,D,A,Iの3人である旨供述し,平成16年夏頃にDがIに対して逝ってくれるかと言ったことの有無については言及していない。
しかし,Aは,公判で,当時の出来事に関して尋ねられても,記憶がない旨の供述をすることが多く,そのため供述した事柄についても,その記憶の正確性には疑問がある。また,DがIに逝ってくれるように頼んだ際,自分以外に誰が同席していたのかということは,多人数が暮らす中では,一般に記憶として残りにくい事柄と考えられる。そして,Aの供述は,そもそも平成16年夏頃にDがIに対して逝ってくれるように頼んだ事実を明確に否定するものではない。そうすると,Aの上記供述は,一部信用できないものがある上,B供述と必ずしも完全に矛盾するものでもないから,B供述の信用性には影響しない。

被告人らが5月12日にIが飛び込みを試みていた場所へ行ったことについて
Fは,5月12日に被告人らを含むG1家のメンバーで,Iが飛び込みを試みていた場所(z1)に行ったことがある旨証言している。その証言内容の要旨は,以下のとおりである。
D,C,A,B,G,F及びHは,5月12日に外出し,うどん屋で食事をした後,Cの運転する車でz1に行った。現場に着くと,車を止めてある所にEとIが来た。Eは,Iを離れた所に待たせた上で,車に近付き,ドアを開けて,3列シートの真ん中に座っているDに対し,車
は結構通っており,今やとか行けとか言っているが,Iは車に
飛び込むことができない旨報告した。Dは,Eに対し,あかんなとかE,あんた遊ばれてんねんとか言った上で,もうええでと言
い,話が終わった。その後,全員でeマンションに帰った。G1家では,車内で音楽を掛けるということが余りなく,また,Dが話をしている以上,他のメンバーが話をするということもなかったので,上記のようなDとEのやりとりは,車内のメンバー全員に聞こえる状況だった。F証言の内容は,当時見聞きした出来事やD及びEの発言内容等に関して,詳細かつ具体的である上,Iがなかなか死ねないでいた当時の状況とも整合し,自然である。また,Aの日記の記載(5月12日の欄に,うどん屋に行ったことや,Iが死ねないでいることを非難する言葉(のみのキンタマ根性なし)が記載されていること)や,うど
ん屋での食事風景を撮影した写真にEとIが写っていないこととも整合する。なお,上記写真が撮影されたのが5月12日午後8時過ぎであり(甲493),Aの日記等によれば,Dは,うどん屋で食事をした後,あかすりやマッサージを受けており,その後にz1に行ったとすると相当遅い時間になっていたと考えられるが,Iが遅い時間まで死ぬことを試みていたことを否定する証拠もないことから,F証言の信用性には影響しない。
これに対し,AやBは,z1に見に行った記憶はない旨供述するが,そもそもAは,当時の記憶が極めて曖昧なものとなっている上,両者とも,z1に見に行ったことを明確な根拠に基づいて否定しているわけではないことなどからすれば,両者の供述は,F証言の信用性を減ずるものではないというべきである。
したがって,上記F証言は信用でき,その証言から,5月12日に,被告人3名らが,z1に行き,そこでIがEの監視のもと死ぬことを試
みるも死ねないでいたということを,認識したものと認められる。ウ
飛び降り直前の場面について
上記場面に関するF証言の要旨は以下のとおりである。
7月1日,Dを除く8人でgの崖に向かい,崖の上で,Aが写真を撮ろうとみんなに声を掛け,記念撮影という感じで崖の近くに集まった。Iが飛び降りるまで時間が掛かっていて,Aが,もう1枚撮るわなというのを何回か言っていた。すると,Eがはよせな,はよせなというようなことを言い,その次に,Eが落ちたというように叫んだので,後ろを振り返るとIが飛び降りていた。
F証言の内容は,Fにとっても不利益な事実といえる(Iが飛び降りを躊躇しているときにG1家のメンバーが飛び降りを急かし,その結果Iが飛び降りたという事実は,Iの飛び降りがIの自由意思に基づくものではないことを推認させる,少なくともこれと整合する一つの事情といい得る。)。
また,F証言の内容は,当時の状況からして自然な内容といえる(Eは,それまでDの指示でIの監視役を務めてきており,当日の朝も,Dから,頼んだよというようなかたちで,Iの飛び降りがうまくいくように命を受けていたとのことであるが,これは,EがIを飛び込ませようと積極的に働きかけていることと整合する。)。
なお,Iが飛び降りる直前の状況を撮影した写真は,最終的には1枚しか残っておらず,何枚か写真を撮っていた旨のF証言は,現存している写真の枚数と矛盾するようにもみえる。しかし,この点について,Fは,Iが飛び降りた後,警察署に行って,待っている際,Eが,Iが後ろを振り向き,EがIの顔を見ている写真について,「これ消しとかなあかんでというようなことを言って,Aが写真を削除していた」旨証言しており,この証言内容を踏まえれば,F証言は上記現存している
写真の枚数と必ずしも矛盾するものではない。
そして,F証言の内容は,B供述(Iの飛び降りまで時間がかかったというもの)とも整合する。
これに対し,Aは,公判で,

1回シャッターを押した後,顔を背けていたので,Iが飛び降りるのを見ていない。Cと思われる者の「I

という呼び声か叫び声でIが飛び降りたと思った」旨供述しており,F証言は当該Aの供述と整合しない。
しかし,Aが供述するように,AがIの飛び降りに気付く前に,そこにいた誰かがIと叫んだのであれば,当然,Aよりも叫んだ者に近いところにいたと考えられるBも,この叫び声でIが飛び降りたことに気付いたはずである。ところが,Bは,記念撮影を装っている際,Aが座り込んだことから,Iが飛び降りたと気付いた旨供述している(Bは,このときのAの行動について虚偽を述べる理由がなく,その供述内容も具体的であるから,Bの上記供述は信用できる。)。Bの上記供述によれば,Aは,Iが飛び降りるのを見た(その直後に座り込み,これをBが見た)ということになるから,顔を背けていたので,Iが飛び降りるのを見ておらず,叫び声でIの飛び降りに気付いた旨のAの供述はB供述と相反するといえる。
このように,Aの供述は,信用できるB供述と相反し,信用できないから,F証言の信用性には影響しない。
したがって,上記F証言は信用でき,その証言から,7月1日,gの崖の上で,Iが飛び降りるまで時間が掛かっていると,Eがはよせな,はよせなというようなことを言い,その後,Iが飛び降りたという事実が認められる。


Iの意思抑圧の程度(殺人の実行行為性)(争点①)ア
Iは,2月中旬に,車に飛び込むことを何度か試みた後,同月19日頃
にeマンションからいなくなっている。そして,3月4日未明にG1家のメンバー(C等)に探し出されるまで,G1家の住むeマンションに戻らなかった。Iがeマンションからいなくなるまでの経緯や,その後の家族会議で怖かった旨述べていることからすれば,Iは,死ぬのが怖くなってeマンションから逃げ出していたというべきである(なお,このIの行動につき,弁護人は,死ぬことを決意していたIが,なかなか死ねないことからDに合わす顔がないと考え,H1マンションにいただけである旨主張する。しかし,Iは,連れ戻された後に怖かった旨明言している上,仮にIが真に死ぬことを決意していて,車に飛び込むという方法が難しかっただけなのであれば,Dから逃げ隠れするよりも先に,Iのほうから,他の方法ではだめなのかDに確認したりすると思われるところ,そのような行動をIはとっていない。したがって,弁護人の主張は採用できず,先に認定のとおり,Iは,死ぬことが怖くなってeマンションから逃げ出したものというべきである。)。
このように,Iが一旦死ぬことを了承した後に死ぬのが怖くなってeマンションから逃げ出していることに加え,前記のとおり,その約2週間後,IはG1家のメンバーに見つかり,eマンションに連れ戻されると,Dから死ねないことを責められ,他のメンバーからもDに同調する態度をとられたこと,その後,IがEの監視のもと死ぬことを試みるも死ぬことができないでいると,両腕を机の辺の部分に打ち付けるなどの暴行を加えられる,正座を強制される,食事を制限されるなどの虐待を受けたこと,これらの虐待を受けつつ,Dから,高い所から飛び降りる方法で死ぬことを提案され,これを了承したことが認められる。このような一連の経過からすれば,Iは,Dらからの虐待によって,死ぬことを選択せざるを得ない精神状態に追い込まれ,やむなく高いところから飛び降りる方法で死ぬことを選択したと考えるのが自然かつ合理的である。

そして,沖縄に着いた後,Iに対してG1家のメンバーが一人ずつ別れの挨拶をしたり,DがIに対してチャンスは1回しかないからなと最後の念押しをしつつ,形見分けの儀式をしたりすることで,Iは,退路を断たれた状態となり,飛び降りる直前の崖の上でも,G1家のメンバーに囲まれ,いまさら逃げることはできない状態にされた上,なかなか飛び込めないでいると,Eからはよせな,はよせなと急かされているのであって,Iは,G1家のメンバーからの働きかけによって,意思を抑圧され,飛び込むこと以外の行為を選択することができない状況に置かれ続けたということができる。

この点につき,弁護人らは,①IがDから死ぬように頼まれたとき,すぐに了承していること,②Iは,3月上旬の家族会議でDから責められているとき,死ぬのが嫌だとは言っておらず,死ぬことを受け入れていたといえること,③Iは,eマンションからいなくなっていた間も死ぬことを試みていたこと,④Iは,家族のために命をかける,家族のために死ぬという考えを持っていたこと,⑤Iが,崖から飛び降りる前日に,AやFなどに感謝の言葉や残される者の今後の生活を気遣う言葉を掛けていること,⑥Iに加えられた虐待は,崖から飛び降りるしかないと決意させるほどに強度のものではないことから,Iは意思を抑圧され無理やり飛び降りをさせられたわけではなく,自分の意思で死を決意したといえると主張する。
しかし,①G1家では,Dが,常々メンバーに対し家族のために死ねるかと尋ね,尋ねられたメンバーは,家族のために死ねる旨の返答をするということが繰り返されていたものの,実際には家族のために死んだメンバーはいなかった。このことからすれば,Iは,Dから家族のために死ぬよう頼まれた際,死をそこまで現実的なものと捉えずに了承した可能性が高い。その後の経緯を併せてみれば,Iは,そのような,一応の決意のもと
死ぬことを試みたものの,死に直面して,死に対する恐怖が芽生え,死ぬことができない,死ぬのは嫌だと考えたとみることができる。
次に,②確かに,Iは,Dに対し死ぬのが嫌だとは言っていないが,Dの威圧感や,Iの人に逆らうことができない性格などから,Iは死ぬことが嫌だと考えていても,Dに対して死ぬのが嫌だと言うことは難しかったものと考えられる。前記のとおり,Iが,真に死ぬことを受け入れており,単にそれが怖かったということであれば,怖がらずに死ねる方法をDに尋ねると思われるところ,そのようなことを尋ねることなく,Dのもとから逃げ出していることからすれば,Iは,死ぬのが嫌で,死ぬことを受け入れてはいなかったというべきである。
また,③Iがeマンションからいなくなっていた間に死ぬことを試みていた場面を見た者は誰もおらず,Iが言っていただけであり,当時の状況等を考慮すれば,eマンションから逃げ出したIが,Dらから虐待されるのを避けるためにとっさについたうそである可能性もあるから,結局,Iが上記の間死ぬことを試みていたか否かは不明といわざるを得ず,弁護人の主張は採用できない。
さらに,④Iが家族のために死ぬという考えを持っていたからといって,その死が自殺であるということには必ずしもならない。先に認定したところによれば,Dは,Iに対し,家族のために自殺することを求め,それができないと分かるや,暴行等の虐待を加え,家族のために死ぬことを強要し,虐待を加えられたIは,家族のために死ぬというDが求める行為を選択せざるを得ない精神状態に陥り,そのような精神状態のもと,家族のために崖から飛び降りるという行為を選択したといえるのであるから,Iは家族のために死ぬという考えを持たされていたに過ぎず,Iが死を強制されたことを否定する事情にはならないというべきである。このようなIの心情を前提として,⑤の発言の意図を検討すると,Iに
は,家族のために死ぬ以上は,その家族から愛されて死にたいという気持ちがあったと考えられるし,Iの優しい性格,人に文句を言わない性格などから,死の間際に,家族のことを思いやったり,感謝の言葉を述べたりしたと考えることができる。したがって,虐待等の働きかけにより死を選択せざるを得ない精神状態に陥ったことにより死を選択したIがAらに⑤のような感謝の言葉等を掛けることは十分にあり得ることであり,これらの感謝の言葉等をIが自己の自由意思により死ぬことを決意したことの現れだとみることはできないから,弁護人の主張には理由がない。
そして,⑥についても,広い範囲にあざができるほどの強い力で両腕を机の辺の部分に打ち付け,足の甲に褥瘡ができた後も正座を強制し続け,3日間にわたり他のG1家のメンバーが食事をする中でIにだけ飲食物を与えないというのは,相当強度の虐待といえる。そして,Iは,それまで自分を家族の一員として大切に扱ってくれていたDから死ぬよう言われ,死ねないでいると,Dから言葉で責められるばかりでなく,上記のような虐待を加えられ続け,かつ,それまで同じく家族として過ごしてきた周囲の誰も自分を助けてくれないばかりか,口もきいてくれない(F証言,B供述)という状況に追いやられたというのであるから,その絶望感は想像に難くない。このようなIと上記虐待の主体との関係性等も考慮すれば,Iに加えられた虐待は,Iを高いところから飛び降りることを選択せざるを得ない精神状態に陥らせるに十分であったと評価すべきであるから,弁護人の主張は採用できない。

以上より,Dらは,暴行,正座強制等の働きかけにより,Iの意思を抑圧し,崖から飛び降りざるを得ない状況に陥らせ,Iはこのような精神状態のもと崖から飛び降りたといえるから,Dらの行為は殺人の実行行為であると認められる。
殺意の有無(争点②)


被告人らに殺意が認められるためには,被告人らが,①Iが,Dらの暴行,正座強制等の働きかけによって意思を抑圧され,崖から飛び降りる以外の行為を選択することができない精神状態に陥っていたことを認識しており,かつ,②それを受け入れていたことが認められることが必要である。I
なIが,Dらからの虐待等の働きかけを受けたために死を決意したことを分かっていれば,①の認識があったといえる。


Aの認識について

Aは,Iを死なせる計画が発案された当初の段階から,その計画を知っていたと認められる。また,日記その他の証拠から,Aは,Iがeマンションから逃げ出し,連れ戻された直後に開かれた家族会議にも参加していることが認められ,その家族会議におけるDやIの発言内容から,Iが死ぬのが怖くなってeマンションから逃げ出したことを認識できたといえる。また,Iが,その後(4月頃)Eの監視のもと,死ぬことを何度か試みたが,死ねないでいたことについても,Aの当時の日記の記載(のみのキンタマ,根性なしなど)及びA自身の供述から,
Aは認識していたといえる。このように,Iが,死ぬのが怖くなってeマンションから逃げ出していることや,その後,Eの監視のもと死ぬことを試みさせられるも,死ねないでいたことは,Iが死にたくないと考えていることを窺わせる事実であるから,これらの事実を認識していたAは,I
きである。

Iに対する虐待の内容及びそれに関するAの認識につき検討する。前認定のとおり,Iは,1週間から10日くらいの期間にわたり終日
正座を強制させられていたところ,その正座はeマンションのリビング横の部屋で行われていたのであるから,一緒に生活していたAは認識できたはずであるし,AはIの正座によってできた傷を見ているのであるから(A自身が認めている),少なくとも,その傷を見た時点で,相当厳しい正座を(相当長い期間正座を)させられていたことを認識できたものと認められる。
暴行については,Iの両腕のあざの大きさ,場所,Iの当時の服装(上半身は半袖のシャツ)からすれば,一見して気付くようなものといえ,AがIとeマンションで一緒に生活し,食事を一緒にとるなどしていたことからすれば,上記あざには気付いていたものと認められる。そして,当時,IがDの意思に反した行動をとったことでDに責められていたこと,EがIの監視役を務めていたこと,そのあざが認められる時期から間もなくしてIが正座をさせられており,Aもこれを認識していたことからすれば,Aは,上記あざについて,DないしEが,Dの意思に反した行動をとったIに対し,暴行を加えたために生じたものであることを認識していたものと認められる。
食事制限については,A自身が日記に絶飲食と記載している上,
その期間(平成17年5月13日から15日まで)の食事の風景を撮影した写真にIが写っていない(甲423)ことや,A自身がIに対して食事制限がされていたと思う旨供述していることなどから,Iに対して3日間飲食物を与えないという食事制限が行われ,Aがそれを認識していたと認められる。
そして,信用できるF証言及びB供述によれば,Iは,上記虐待を加えられた後,正座をさせられている間の最後のほうに,崖から飛び降りる方法で死ぬことを了承しているところ,Aは,この家族会議の場面に同席していたことを自認しているから,Aは,Iが,上記虐待を加えら
れた後に,崖から飛び降りる方法で死ぬことを了承したことを認識していたといえる。
以上のとおり,Aは,Iに対して,暴行,正座,食事制限といった虐待が加えられたことを認識しており,かつ,その虐待を加えられた後に,Iが,崖から飛び降りる方法で死ぬことを了承したことを認識していたといえることから,Aは,本当は死にたくなかったIがDらからの虐待
いえる。
このように,A


うなIが,Dらからの虐待等の働きかけを受けたために死を決意したことを分かっていたといえるから,①Dらの働きかけによってIが崖から飛び降りる以外の行為を選択することができないような精神状態に陥っていたことを認識していたといえる。
そのうえで,Aは,DらによるIに対する虐待を止めたり,Iが死ぬことを止めたりしないばかりか,死ねないIに対して冷たい態度をとったり,沖縄においてIが死ぬ現場まで同行し,Iが死から逃れられない状況を作出したりしているのであるから,それ(上記①)を受け入れていた(上記②)と認められる。
したがって,Aには殺意が認められる。

Bの認識について

B自身,平成16年にIが死ぬことを了承した
(はいと答えた)ところを見た上で,平成17年2月にIがeマンションから逃げた際,Iは死ぬのが怖くなって逃げたと思った旨供述している。さらに,Bは,Iがeマンションに連れ戻された後,Eの監視のもと,死ぬことを試みるも,死ねないでいたことを知っていた旨供述
している。そうすると,これらの事実を認識していたBは,Iが本当は
Iに対する虐待の内容に関するBの認識につき検討する。
正座については,前認定のとおり,eマンションのリビング横の部屋で1週間から10日くらいの期間にわたり続いていたこと,B自身,公判で,当時Iが何日も正座をさせられているのを見た旨供述していることなどからすれば,Bは,Iが相当厳しい正座を(相当長い期間正座を)させられていたことを認識できたものと認められる。
暴行については,Aに関する検討と同様,Iの両腕のあざの大きさ等からすれば一見して気付くようなものといえ,BがIとeマンションで一緒に生活し,食事を一緒にとるなどしていた(残されている写真から,Iの直ぐ前や隣で食事をとっていたことが認められる)ことからすれば,Bは,上記あざには気付いており,かつ,上記あざは,DないしEが,Dの意思に反した行動をとったIに対し,暴行を加えたために生じたものであることを認識していたものと認められる。
食事制限については,前記のとおり,3日間にわたって行われたことが認められるところ,その期間中のBを含むメンバーらの食事風景を撮影した写真にIが写っていないことや,Bは通常Iの前や隣で食事をとっていたのであり,Iがいなければすぐに気付くはずであることなどから,BはIに対する食事制限を認識していたものと認められる。
そして,Bは,Iが,上記虐待を加えられた後,正座をさせられている間の最後のほうに,崖から飛び降りる方法で死ぬことを了承した場面に同席していたことを自認しているから,Bは,Iが,上記虐待を加えられた後に,崖から飛び降りる方法で死ぬことを了承したことを認識していたといえる。

以上のとおり,Bは,Iに対して,暴行,正座,食事制限といった虐待が加えられたことを認識しており,かつ,その虐待を加えられた後に,Iが,崖から飛び降りる方法で死ぬことを了承したことを認識していたといえることから,Bは,本当は死にたくなかったIがDらからの虐待
いえる。
このように,B


うなIが,Dらからの虐待等の働きかけを受けたために死を決意したことを分かっていたといえるから,①Dらの働きかけによってIが崖から飛び降りる以外の行為を選択することができないような精神状態に陥っていたことを認識していたといえる。
そのうえで,Bは,A同様,DらによるIに対する虐待を止めたり,Iが死ぬことを止めたりしないばかりか,死ねないIに対して冷たい態度をとったり,沖縄においてIが死ぬ現場まで同行し,Iが死から逃れられない状況を作出したりしているのであるから,それ(上記①)を受け入れていた(上記②)と認められる。
したがって,Bには殺意が認められる。

Cの認識について

まず,Iが2月19日頃にeマンションから逃げ出したことの認識については,CがIを見つけ出したことを自認する供述をしていることなどから認められる。そして,Iが逃げ出した理由の認識については,Iがeマンションに連れ戻された後の家族会議において,Dが死ねないIを責め,Iが怖かったと述べた場面に同席し,わしが行こかな
どと発言したこと(このことはF証言及びB供述から認められる)が認められ,このような事実から,Cが,遅くともこの時点では,Iが死ぬ
ことになっているものの,Iが死ねないでいることを理解していたといえる。
また,前記のとおり,Cは,5月12日,z1において,IがEの監視のもと車に飛び込む方法で死ぬことを試みたが,死ねなかったということを認識したものと認められるから,Iがそれ以前からその日まで死ぬことを試みるも死ねないでいたということも,認識していたといえる。そうすると,Cは,I
いたというべきである。

Iに対する虐待の内容に関するCの認識につき検討する。
正座については,前認定のとおり,eマンションのリビング横の部屋で1週間から10日くらいの期間にわたり続いていたこと,Iが正座をさせられている場所近くにCが座っていたこともあったこと(甲425)などからすれば,Cも,Iが相当厳しい正座を(相当長い期間正座を)させられていたことを認識できたものと認められる。
暴行については,A,Bにおける検討と同様,Iの両腕のあざの大きさ等からすれば一見して気付くようなものといえ,CがIとeマンションで一緒に生活し,食事を一緒にとるなどしていたことからすれば,上記あざには気付いており,かつ,上記あざは,DないしEが,Dの意思に反した行動をとったIに対し,暴行を加えたために生じたものであることを認識していたものと認められる。
そして,A供述(DがCに対し「お父さん一緒に逝ったってえや
というと,Cが運転ミスを装ってa2とかの崖から車ごと一緒に落ちるという話になったが,その後,Cはわし,運転うまいからなあというように冗談っぽく言っていた」というもの)によれば,Cは,Iが,上記虐待を加えられた後,正座をさせられている間の最後のほうに,崖
から飛び降りる方法で死ぬことを了承した場面に同席していたことが認められる。そうすると,Cは,Iが,上記虐待を加えられた後に,崖から飛び降りる方法で死ぬことを了承したことを認識していたといえる。以上のとおり,Cは,Iに対して,暴行,正座といった虐待が加えられたことを認識しており,かつ,その虐待を加えられた後に,Iが,崖から飛び降りる方法で死ぬことを了承したことを認識していたといえることから,本当は死にたくなかったIがDらからの虐待等の働きかけを
このように,C


うなIが,Dらからの虐待等の働きかけを受けたために死を決意したことを分かっていたといえるから,①Dらの働きかけによってIが崖から飛び降りる以外の行為を選択することができないような精神状態に陥っていたことを認識していたといえる。
そのうえで,Cは,DらによるIに対する虐待を止めたり,Iが死ぬことを止めたりせず,そのまま沖縄に同行して,Iが死ぬことに関与しているのであるから,それ(上記①)を受け入れていた(上記②)と認められる。
したがって,Cには殺意が認められる。
殺人の共謀の有無(正犯性)(争点③)
被告人らは,Iの殺人に関し,Dと意思を通じた上,DがIに対して虐待を加えている間,Dに同調する,虐待を放置する,Iを無視するといった行動をとり,Iが死ぬことになる沖縄においても,別れの挨拶をする,Iの飛び込みの現場に同行し,Iを取り囲んだりするなどして,Iを精神的に追いつめて,その意思を抑圧する,ないし,その抑圧を維持するという,殺人の実行行為ないしこれと密接に関連する行為を行ったものであり,Iの殺人に強く関与しているといえる。

次に,被告人らには,当時,多額の借金を負っていたG1家が,Iの死亡保険金により借金を返済し,持家を失うことなく当時の生活を維持できるという,DをはじめとするG1家のメンバー全員に共通する利益があったといえる。とりわけ,G1家の家計を預かる立場だったAにとって,借金の返済等のために金をやりくりすることが大きな精神的負担となっていたのであり,その悩みの種である借金を返済できるというのは,大きな利益であったというべきである。また,B及びCも,Iが死んでくれれば,自分らが保険金のために死なないですむという点で,Iの死亡により自己の不利益を免れる立場にあったといえる。その上,被告人らには,Dの意向に沿った行動をとることで,Dに虐待されることなく,衣食住が満たされた生活を送ることができるという利益もあったといえる。
以上のように,被告人らがIの殺人に関して重要な役割を果たすとともに,大きな利益を得たことなどを考慮すれば,被告人らは,Iに対する殺人を,自己の犯罪としてDと一緒に行ったと評価できるから,被告人らとDとの間には共謀が認められる。
詐欺の共謀の有無(正犯性)(争点④)
まず,B及びCは,保険金詐取目的でIを死なせることを認識していたから,Iが死んだ後,DないしG1家のメンバーが,保険会社に対し,保険金をだまし取るための手続を行うことは認識ないし予見していたといえる。両名は,そのような認識のもと,観光を装ってIが崖から飛び降りる場面に同行して,Iの死亡が記念撮影中の事故死であることを装うために,記念撮影をしているかのような写真を撮影するのに協力したり,Iが死んだ直後に,警察に対して,Iが事故で死んだ旨の虚偽の説明をしたりしている。保険会社は,保険金の請求があれば,警察等から情報を収集して,Iの死亡が事故死なのか否かを調査するのであるから,事故死を偽装する写真を作成したり,警察に対して虚偽の説明をしたりするという両名の行為は,上記調査
を行うであろう保険会社を欺くために重要であったといえる。
また,前認定のとおり,両名には,Iの死亡保険金により借金を返済し,持家を失うことなく当時の生活を維持できるという利益や,Dの意向に沿った行動をとることで,Dに虐待されることなく,衣食住が満たされた生活を送ることができるという利益があったといえる。
以上のように,両名が保険金の詐取に関して重要な役割を果たすとともに,これによって利益を得たことなどを考慮すれば,両名は,各保険会社に対する詐欺を自己の犯罪としてDと一緒に行ったと評価できるから,両名とDとの間には共謀が認められる。
なお,この点について争いのないAについても,その果たした役割の重要性や得た利益の大きさ等からすれば,各保険会社に対する詐欺に関するDとの共謀が認められる。
まとめ
以上のとおり,I事件については,被告人3名に殺人罪及び詐欺罪の共同正犯が成立する。
第2
1
E1事件
争点及び当事者の主張
E1を被害者とする生命身体加害略取(Aについては生命身体加害略取幇助)被告事件(以下E1事件という。)の争点は,被告人ら3名につき①略取行為の有無,②加害目的の有無,B及びCにつき③共謀の有無,Aにつき④eマンションで留守番をしてFの長女の面倒を見た行為の幇助行為該当性及び幇助の故意の有無である。
略取行為の有無(争点①)について,検察官は,E1は,平成15年に,高松でのDらによる虐待に耐えかねて逃亡していたところ,その虐待をした張本人たちが和歌山に現れたのであるから,E1が怖がらないはずはなく,この事情に,社員寮でDがE1を一方的に責めていることなどを加味すれば,DがE
1を脅して,eマンションに戻らざるを得ないような状況を作り出したものといえ,略取行為に当たると主張する。これに対し,弁護人らはいずれも,Dらの言動は脅迫に当たらず,また,それによってE1は畏怖していないとして事実の評価を争うとともに,尼崎への連れ戻しはE1の意思に反するものではないと主張する。さらに,A弁護人はAについて,C弁護人はCについて,それぞれDの略取行為の認識,認容がなかった旨を主張する。
加害目的の有無(争点②)について,検察官は,加害目的とは加害結果の発生についての未必的な認識,認容で足りるとの見解を前提として,平成15年にE1が虐待を受けて逃げ出した経緯や,Dは支配欲が強く,それまでもG1家から逃げた者を連れ戻してより低い地位に置いていたことからすれば,Dが連れ戻したE1に暴力を振るうことは目に見えており,実際に連れ戻し直後から暴力を含む虐待を始めていることからしても,Dには加害目的があり,被告人らは,平成15年の虐待経緯やDの支配欲を認識し,Dの加害目的も認識しながら,これを受け入れていたと主張する。これに対して,弁護人らはいずれも,加害目的とは被害者に対する加害を動機とする場合に限定されるべきであり,加害結果の発生についての未必的な認識,認容では足りないとの見解を述べた上で,逃げたE1に対するDの怒りや執着心はそれほど強くなかったこと,過去に連れ戻された者が虐待を受けた理由は逃げたこと自体ではなくその後のDとの関係悪化にあること,連れ戻し直後の2人の関係は悪くはなく,連れ戻し直後からの継続的な,あるいは激しい暴行はなかったことなどから,Dには加害の動機も加害結果発生の認識,認容もなかったと主張する。さらに,A弁護人はAについて,C弁護人はCについて,それぞれDの加害目的の認識,認容がなかった旨も主張する。
共謀の有無(争点③)について,検察官は,B及びCは,Dらと意思連絡の上和歌山に同行しており,実行行為も行っているから,事前共謀又は現場共謀が成立すると主張する。これに対し,B弁護人は,BはもともとE1が帰って
こないことを望んでいたこと,本件犯行に積極的に関与していないこと,利益,報酬がないことなどから,Dに生命身体加害目的略取が成立してもBはせいぜい幇助にとどまると主張し,C弁護人は,CにはDとの意思の連絡がなく,自分たちの犯罪を一緒にやる意思もなく,重要な役割を果たしてもいないとして,共謀は成立しないと主張する。
そして,Aの幇助の故意の有無(争点④の一部)について,検察官は,AはDらがE1を加害目的で略取することを認識,予見しつつ幇助行為を行っていることから幇助の故意がある旨主張する。これに対し,A弁護人は,Aにはそのような認識,予見がなかったことから幇助の故意がない旨主張する。2
当裁判所の判断


前提事実
以下の各事実は,当事者間に概ね争いがなく,関係各証拠によって容易に認められる。

平成15年の出来事(以下,平成15年の記載を省略)
G1家に同居していたEは,J1の先妻の連れ子であったが,Eの面倒を誰がみるかなどについて,DがK1家の親族を集めて話合いをさせた。K1家からM1家に嫁いで高松市で暮らしていたE1も,その話合いに加わった。E1は,M1家で引き取ると言って,2月4日頃,Eを連れて高松市に帰った。
Dは,高松市のEと電話で連絡を取り,無理難題を言って,E1やその夫のL1を困らせるように指示した。Eは,このDの意を受けて,M1家で暴れるなどした。E1は,Eの言動に耐えかねて,DにEを引き取るよう懇願した。
2月7日,Dは,K1家の親族であるN1(E1の母。),J1,H(いずれもE1の兄弟)らを連れて,高松市のM1家に行った。Dは,Eを犬猫みたいに扱ったなどと言ってE1を責め,その始末につい
て,K1家の親族同士で話合いをさせるなどした。B及びCは,DからM1家に来るよう言われ,2月12日,Gとともに高松市に行った。2月中に,Dの強い勧めにより,L1とE1は離婚することが決まった。また,Eの扱いに関する始末については,DにEの面倒をみてもらう代わりに金を支払わねばならないこととなり,L1らは3月上旬までに約2000万円をDに渡した。
3月6日に,D,E,B,G,Cは高松市から尼崎市へ帰った。その際,上記のとおりL1との離婚が決まっていたE1と,J,F,K1家の親族らも尼崎市へ移動した。しかし,N1は,当時,Dに仕向けられたK1家の者らによって虐待されていたところ,同日,eマンションで急死した。Dの発案により,N1の遺体はEらの手により高松市で地中に埋められた。その後,K1家の親族らは,Dにeマンションに呼び出されるなどして,N1の死の隠蔽工作について定期的に話し合った。6月初旬,Dは,再度高松市のM1家へ乗り込んだ。このとき,E1,F,Jのほか,E,B,G,C,AもDに同行した。Dは,M1家に居座って,L1にさらに金を要求するなどした。その後,G1家のメンバーは,一時的に尼崎市に戻っている期間もあったが,概ね10月上旬まで高松市に滞在した。
E1は,8月23日頃に着の身着のままで高松市から逃げ,9月末頃からはF1ホテルで住み込みの従業員として働くようになった。9月中旬には,L1も虐待に耐えかねて逃げ出し,J及びFは,秋頃からは,Dらと尼崎に行ってeマンションで暮らすようになった。
平成15年当時にE1がDらから受けた主な虐待の状況は,以下のとおりであった。
E1は,親族との話合いの中で,D自身からのみならず,Dから暗に仕向けられた親族らによって何度も殴られた。また,Eからも,体を突
く,頭をはたくなどの暴行を加えられた。E1の顔には,暴行を受けたことによるあざや腫れが,しばしば見られた。E1に対する暴力の頻度や程度はだんだんひどくなって,夏頃には毎日のように強く殴られていた。
DがM1家にいる間は,そこにいる全員の食事の差配を,Dがしていた。E1は,Dから水や食事を満足に与えられない一方で,時に大量の食べ物を,無理やり一気に食べさせられることもあった。E1は,元々細身の体であったが,この飲食制限によって逃げる直前には痩せ細っていた。
また,E1は,他人の食事を目で追わないようにという理由で,顔にガムテープを巻かれたり,話をするときや聞くときに手を動かす癖が出ないようにという理由で,両手にガムテープを巻かれたりした。
E1は,Dから,室内や外出先で裸にされて,写真を撮られることがあった。特に理由もなく裸で正座をさせられることが何度もあった。公園で裸にされて踊りや歌を強要された上,体にたばこの火を近づけられたことがあった。また,E1は,Dから命じられて,K1家の親族や,J,Fらの前で,L1と性交や性交類似行為をさせられたこともあった。
E1は,Dに毎日のように朝から夜までK1家の親族との話合いをさせられて睡眠時間が足りず,親族との話合い中に居眠りをしてしまい,親族に怒られることが多かった。

平成19年以降の出来事(以下,平成19年の記載を省略)
1月,GとFが入籍し,同月に長女が産まれた。2月には,KとJが入籍した。
11月28日頃,Dらは,E1の住所がF1ホテルに移っていることを知った。Dは,GとFの結婚や出産の報告をするためE1に会いに行
くと言い出し,12月1日,C,B,G,F,E,K及びJとともに,Cの運転する車で和歌山に向け出発した。なお,Aは,パソコンでF1ホテルの場所を調べてCに伝えたが,自らは和歌山には行かず,Lらと共に留守番をしてFの長女の面倒をみていた。
同日夜に,F1ホテルに着き,JとFがホテルのフロントに行って,E1を呼び出した。現れたE1に対してDが声をかけ,話し合う場所の用意を求めた。話合いは社員寮のE1の部屋ですることになり,E1を含めた9人全員が寮の部屋に入った。寮の部屋は,全員が座るには手狭で,隣同士の者の身体が触れあうような状態であった。E1は正座し,DはE1の前に,手を伸ばせば届くくらいの距離に座った。Dは,最初に,GとKからE1に結婚の報告をさせた。その後,Dは,E1に対して,なんで逃げ出したんやなどと言い,逃げた後和歌山で仕事にたどり着くまでの経緯などについて,E1から聞き出していった。Dは,E1の返事一つ一つに対して怒り,無責任やなよう逃げ出せれたなせなあかん用事があるやろうあんた問題の張本人ちゃうの腹が立つわのんきやな子供のことほったらかしてなどと怒
鳴り上げていた。Dは,一通り文句を言い終えると,E1に宿泊する部屋を用意させて,この日の話合いを終わらせた。この日は,E1が一緒に尼崎に帰るという話は出ていない。
12月2日,E1,F,J及びKの4人は,Dに指示されて,この先どうするかについて話合いをさせられた。Dが,指示の際に4人で生活してもええしなと発言していたため,E1は4人で暮らすことについて他の3人の意見を聞いたが,JやKはこれを拒否し,Fはそもそも話合いにほとんど参加しなかった。さらに,Jは,E1に対して,初日にDが言っていたことをかみ砕いて説教した。Dが戻ると,F,J,KはそれぞれDと一緒に生活する旨を伝えた。E1は,Jに言って聞かせてもらって,自分がどんだけのんきにしてたかっていうことがよく分かりましたすいませんでしたと言った後,用事もあるから,一旦尼崎に戻りますなどと言った。それを聞いたDが一旦って何やのあんた,1週間や2週間で済む用事ちゃうでと言って怒ると,E1は,和歌山から引き上げると言った上で,尼崎で住む場所についてはE1の実家(b2)やアパートなど複数の場所を提案した。しかし,Dに全て拒否されたため,最終的にはeマンションで生活することになった。Dは,E1に,ホテルの仕事を辞める旨の挨拶に行くよう言った。12月3日,E1は,Dの提言により住民票の異動手続や銀行預金の解約を行った。寮の荷物については,Dが選別して運送業者に運ばせた。その際,荷物の搬出の手伝いは,B,G,E,Kが行った。なお,後に尼崎で荷物の搬入をしたのは,G,B,Cである。そして,E1やDらは,Cの運転する車で和歌山を出発し,同月4日未明にeマンションに到着した。


認定できる事実
尼崎に戻ったE1に対する暴力の開始時期はいつごろか

Fの証言によれば,12月中には,主にDから言われてJが殴るという形で,E1に対する暴力が始まっていたものと認めることができる。上記認定にかかるFの証言は,以下の理由から十分に信用することがで
きる。
すなわち,まず,同月21日に撮影された動画には,E1の左目の周りが黒っぽくあざになっている様子が記録されており(甲456,459),上記証言に整合する時期に,暴力を受けていたとみられる痕跡が客観的に存在する。
また,G1家の中では,外食時にメニューを選ぶときは,Dの意向を聞いてそれに沿うものを注文するのが暗黙の了解であったのに,同月8日に
定食屋に行った際には,E1がそうしないで自分の食べたいチゲ鍋定食を注文したため,Dが怒って,定食に調味料を大量にかけてE1に食べさせたことがあった(A供述,B供述,F証言,甲453)。その後,E1は,同月14日のEからAに対するメールの文中では,Jとともにボケ2人と呼ばれ,同月17日には,Dに怒られて,G1家の他のメンバーは鉄板焼き屋に食事に行っているのに車の中に残らされている(A供述,甲452,453)。このように,同月中からE1がDに怒られ,G1家の中で低い地位にあったことも,暴力の開始時期に関する上記F証言に整合するものである。

なお,この点に関し,Fは,E1に対する暴行は年末ぎりぎりまであった旨証言している。しかし,平成20年1月1日撮影の写真に写るE1の顔にはあざがみられない。このF証言における年末という表現は,ぎりぎりという言葉を付加しても,その意味に一定の幅がありうる上,暴行が加えられた箇所も必ずしも顔には限られないから,上記写真からF証言の信用性は否定されない。


なお,Eは,平成19年12月4日にパチンコ屋でE1の頭を殴る暴行を加えているけれども(甲454),それがDの指示に基づくものであると認めるに足りる証拠はない。



略取行為の有無(脅して支配下に置いたといえるか)(争点①)ア
和歌山に出発する時点で,DにはE1を連れ戻す意図があったか
Dがその性格上,G1家から逃げた者を許さないこと,本件以前にも,G1家から逃げた者は居場所が分かれば連れ戻されていたことに関しては,Fの証言とA及びBの各供述とが整合している上,本件の経緯において,後にDは実際にE1を連れ戻していることからすれば,和歌山に向けて出発する時点で,DにはE1を連れ戻す意図があったものと認められる。確かに,このとき,D

Fの結婚な

どを報告するため会いに行くというものではあったが,Dがそれらの目的には関係のないBやCなども同行させた上,和歌山の社員寮では,結婚報告は最初にしただけで,その後はもっぱらDがE1を責めているのであるから,それらの発言の存在によっても,Dの連れ戻し意図が否定されることにはならない。

Dらの言動は脅迫に当たるか
前提事実のとおり,E1は,平成15年2月に,Eに対する扱いを責めるDらから高松のM1家に乗り込まれて居座られ,それ以降,暴行,食事制限,正座強制,睡眠制限のほか,性的なものも含めた虐待を受け,同年8月に逃亡した。
そのような経緯のあるE1に対して,Dは,上記の居座りや虐待に関わった者を含むメンバーで寮の一室に入り,1対8の状況で無責任やなよう逃げ出せれたなせなあかん用事があるやろうあんた問題の張本人ちゃうの腹が立つわのんきやな子供のことほったらかしてなどと,E1のとった行動や態度を取り上げて責めたのであり,このようなDの言動は,その態度をもってE1の身体,自由等に対する害悪を加える旨を黙示に告知した脅迫行為であると評価できる。B弁護人は,Dが用事を持ち出してE1を理詰めで説き伏せたのであり脅迫に当たらない旨主張するが,このときの話合いにおいて,Dはそもそも用事の内容を具体的に述べてすらいないのであるから,その発言をもって理詰めで説得したなどとは評価できない。


DにE1が畏怖する可能性の認識はあったか
Dは,平成15年の虐待を主導した者であり,その虐待の状況や結果としてE1が逃亡したことを認識していたから,そのような経緯を前提とすれば当然に,寮の一室で1対8の状況でその行動や態度について責めるという言動によって,E1が身体,自由等に対する害悪を加えられると思う
であろうことについて,Dには認識があったというべきである。

E1は脅迫により畏怖してeマンションに戻ったのか
上記のとおり,平成15年に虐待された経緯のあるE1に対して,Dらは上記の脅迫行為を行ったのであるから,E1がeマンションに戻ったのはこの脅迫行為により畏怖したためであると認めることができる。A弁護人は,JとFの訪問を受けてフロントに呼び出されたE1が,会うと言った時点で,E1にはDとも会って話す覚悟ができていたはずであるから,E1は畏怖していなかったと主張する。
確かに,平成15年の時点で,すでにFはDに取り込まれていたこと,JとFが何の予兆もなく訪ねてきたことからすれば,E1は,呼出しを受けた時点で,JやFと一緒にDも来ていること,あるいは少なくともJやFがDとつながっていることは予想できたものと考えられる。しかし,そのような予想がありながら会ったからといって,直ちにE1の恐怖心が低かったとはいえない。予兆なく訪問された時点で,E1がDに会わないままで済ますことは無理である。E1には和歌山での4年間で築いた関係があるから逃げることは現実的ではなく,また,Dの性格からすれば,会わないことによってホテルに迷惑がかかることも予想できる。したがって,E1としては,Dも来ていると予想していても,JとFに会うしかなく,その上で成り行きに任せるしかない。すなわち,JとFに会ったのは他に現実的な選択肢がなかったからであって,恐怖心が低いことを意味しない。
A弁護人,B弁護人は,E1が12月1日の話合いの際にDに対して(子供のことを)忘れたことないですだってCさんがFは子供やと思うなって言ったじゃないですかなどとはっきりした口調で反論していることを指摘して,E1が恐怖に支配されてはいなかった旨主張する。また,さらにいえば,E1は,12月2日にも,Jらに対し,4人
で暮らすことについてどうかと尋ねたり,Dに対し,尼崎に戻るとしてもb2に暮らす,アパートを借りるなどの提案をしたりしており,eマンションで同居することに対する抵抗を試みていないわけではない。しかし,実際のところ,12月1日には,E1は直ぐにDに言い返せなくなっているし,12月2日にした提案などは全てDに拒否されているのであるから,上記の事実があるからといって,E1の虐待に対する恐怖心の存在を軽くみるべきとはいえない。
A弁護人は,N1の死の隠蔽工作をやらずに逃げたという罪悪感や子供に対する愛情,後悔から,E1は自分の意思で尼崎に戻った旨主張する。また,B弁護人も,用事すなわち隠蔽工作をしなければいけないという気持ちが大きな動機となって,E1は尼崎行きを決意した旨主張する。しかし,隠蔽工作は,E1にとっては4年間放置していた事柄であり,そもそも対処の必要性が高いとは解されないから,これが虐待に対する恐怖心を上回るほどの動機であったとはみることができない。また,E1は,FやJとも4年間連絡を取っていなかった上,この時点ではFもJもDに取り込まれており,FはE1を無視し,JもE1に対し険悪な態度を示しているという状況であったから,子供らに対する愛情や後悔が,虐待に対する恐怖心を上回るほどの動機であったとみることもできない。
また,A弁護人やB弁護人は,各日の話合い終了後には和気あいあいとした雰囲気が生じていることを指摘する。しかし,そのような雰囲気が生じたのは,各日の話合いの経過が,大勢で押しかけて居座り,そこで家族会議をさせるという,Dの一連の手口に沿ったものになったことに対するDの安心感と,E1のあきらめによるものとみるべきである。その結果として,E1が尼崎に戻ることについて納得しているかのような状況が見られるとしても,それは上記のあきらめを前提とする表面的
なものに過ぎないというべきである。
Dに加害目的があったか(争点②)

加害目的の意義
生命身体加害略取罪の加害目的は,加害結果の発生についての未必的な認識,認容で足りるものと解するべきである。


和歌山に向けて出発する時点で,DにE1への加害目的があったか平成15年当時の虐待理由について
まず,Dは,Eを犬猫のように扱ったなどと因縁をつけてK1,M1家に介入し,これを支配して金銭を奪う目的を有しており,その手段としてE1らを虐待する場面があったと考えられる。
また,Dは,E1の気取った態度,ないし,中流志向といった態度が気に入らなかったし,E1に性的虐待を行って見世物にしたり,笑いものにしたりするなど,E1に対する虐待自体を楽しんでいるような様子も窺われる。
しかし,Dは,次第にE1の性格や行動一つ一つを怒るようになり,そのような状況はE1が逃げるまで延々と続いた。当時の状況に照らせば,それらの怒りにはそれぞれ当然に虐待が伴ったものと解されるところ,上記のような理由のみでは,そのように約半年にわたって一つ一つ延々と続いた虐待を十分には説明できない。
Fの証言によれば,Dは,周囲の者に対して自分を慕ってついてきてほしいという気持ちを持つ一方で,それより何倍も強く,人のすることが気に障って腹が立つという気持ちを持っていた。そして,GやF,CなどG1家の者たちでも,Dから怒られて暴行を加えられることがあったし,JらG1家以外の者は,概して,一旦怒られると,理不尽なことでいつまでも怒られ続けるという。
I事件の項で述べたように,このようなDに対しては,被告人ら周囲
の者は,怒られて暴行を加えられたり,虐待の対象となったりすることを避けるため,Dの意向を酌んでこれに同調し,Dが怒るようなことはしないように配慮していた。
Dは,同居するE1に対して同様の対応,すなわち,いわばDのルールを守ってDの意思に沿う生活をすることを,押し付けようとしていたと考えられる。しかし,E1は元々楽観的な人間であり,空気が読めずに,自分の意見や気持ちなど思ったことをそのまま口に出してしまってDを怒らせていた(F証言)。
このように,E1の性格や行動一つ一つに対して延々と行われた暴行を含む虐待は,単にその場の怒りをぶつけるだけのもののほか,Dからすればルール違反に対する制裁の意味をも持つものもあったと解するべきである。しかし,E1は,そのような虐待を受けて気をつけてみても,なお口を滑らせるなどしてDを怒らせることを繰り返しており,結局は,虐待に耐えかねて逃亡した。
Dの加害目的の有無
そうすると,Dは,同居する者がDの意向に反する行動をとったり,Dのルールを守らなかったりするときは,暴行を加えて従わせるということをしていたと認められるところ,E1は,平成15年にDらと同居する中,Dの意向を酌めなかったり,Dのルールを守れなかったりして,暴行を含む虐待をされ続けた末に逃げ出して,4年間自由な生活をしていた者である。
したがって,Dには,そのようなE1をeマンションに連れて帰れば,Dの意向を酌めず,Dのルールを守れないE1に対して,Dが,あるいはDの命を受けた者が,暴行を加える可能性が高いことの認識があったと認めることができる。
弁護人の主張

A弁護人は,DがFに対してE1を恨んでいない旨発言していたことを指摘して,DはE1をそれほど怒っていなかったと主張する。
しかし,上記発言は,E1の所在もつかめないような状況下でなされたものに過ぎないから,余り大きな意味をもたない。実際には,Dは,E1に会った際,その返事の一つ一つについて怒って,怒鳴り上げていることとも一貫しない。上記発言があるからといって,E1への虐待可能性が高い旨の認識があったことは否定されない。
被告人らはDの略取行為,加害目的を認識していたか(争点①,②)ア
略取行為について
連れ戻す意図について

A,Bはいずれも,DがE1に会いに行くと言うのを聞いた時点で,E1を連れ戻す目的であると思った旨の供述をしており,それぞれ,Dの連れ戻し意図については認識があったものと認めることができる。AもBも,連れ戻す目的であると考えた理由について,それぞれ,Dが,逃げ出して自由にしている者を許さず,居場所が分かれば自分の下に置いておきたいという性格であることや,それ以前にG1家から逃げ出した者の名前を複数挙げた上で,それらの者らがいずれも見つかって連れ戻されたことを見聞きした経験など,具体的な根拠を挙げていることから,それぞれの供述は,いずれも合理的で十分に信用できるものである。


Cは,上記両名と同様にG1家の中で長年生活しており,上記のようなDの性格を十分知っていたと考えられる上,自身も平成12年ころにG1家から逃亡し,発見されて連れ戻されているし,平成17年3月ころにはIについて,平成18年12月ころにはJについて,それぞれ逃亡後の連れ戻しに関与したことがある。そのような過去の経験からすれば,平成19年12月にDがE1に会いに行くと言うのを
聞いた時点で,DにE1を連れ戻す意図があることを認識したものと認めることができる。
連れ戻しの手段として脅迫することについて

Aの認識
A自身,E1がDから受けた虐待に関し,大量のケーキを無理やり食べさせられた場面,J1とともに裸にされて押し入れに入れられた場面,みんなの前でL1と性交類似行為をさせられた場面については記憶がある旨供述している。また,E1が室内や屋外で裸にさせられて撮られた写真については,Eの携帯※ラ絶対見ないでという

タイトルでCD-Rに保存されていたところ,そのようなタイトルをつけて保存したのは自分であり,当時,裸にされていたE1らがDから裸族と呼ばれていたことからラとつけた旨供述しており,裸に
されて写真を撮られる虐待については認識があったものと認めることができる。さらに,平成15年5月21日に撮影された右頰にあざのあるE1の写った写真については自分が撮影したと認めており,同年6月4日に撮影された顔にあざのあるE1の写った写真については同じ時間帯に同じ公園でAの姿も撮影されていることから,E1が当時暴行を受けていたことについても認識があったと認めることができる。さらに,Aは,少なくとも同年7月中はM1家に滞在して同じ建物内で生活しており,虐待に関しても,上記で認定したこと以上に認識があったものと推認することができる。
以上のように,Aは,平成15年当時のE1に対する虐待について一定程度認識しており,そのような経緯のあるE1が自分の意思では尼崎に戻らない可能性が高いことについても認識していたというべきであるから,上記のとおり,DがE1に会いに行くと言うのを聞いて,Dの連れ戻し意図を認識した時点で,DがE1の連れ戻し手段として
脅迫を用いるかもしれないことについても認識していたものと認めることができる。
確かに,Aは,連れ戻しの方法についてはDは口が達者やから理詰めで話して相手を納得させて戻ってくるんやろうなと思っていた旨供述しており,A弁護人は,ゆえにAには略取行為の認識がなかった旨主張する。しかし,他方で,Aは,かつて自身がDと一時離れて暮らすも,再び同居するようになった理由に関しては,口が達者なDにこうやろう,ああやろうと話で押されたら,怖い思いもあり,納得しなければ仕方なかった旨を供述している。このことを踏まえると,Aが供述するDの理詰めとは,実際には,言葉でまくし立てて恐
怖を与え,有無を言わせない恫喝に近いものであると解される。すなわち,言葉で従わせるという点では理詰めという一面もあるが,
それは他面から見れば脅迫である。したがって,Aが理詰めと供
述したからといって,その認識において脅迫が除外されているものとは評価できない。

Bの認識
Bは,平成15年にE1がDから受けた虐待に関し,暴行,食事制限,睡眠制限のほか,裸にする,性交させるなどの性的虐待についても認識はあった旨供述している。そうすると,Bも,そのような経緯のあるE1が自分の意思では尼崎に戻らない可能性が高いことを認識していたというべきであるから,上記のとおり,DがE1に会いに行くと言うのを聞いて,Dの連れ戻し意図を認識した時点で,DがE1の連れ戻し手段として脅迫を用いるかもしれないことについても認識していたものと認めることができる。
その上,実際にもBは,DがF1ホテルの社員寮で,E1を責めて罵り,E1を畏怖させる場面に同席し,それを認識していたと認めら
れる。この点,B自身も,E1は平成15年にも虐待されていることから,Dを見ただけで怖いと思うというのもあって尼崎へ帰ったと思う旨供述している。

Cの認識
C自身,E1がDから受けた虐待に関し,裸にされてEに二,三回水をかけられた場面や,人前でL1と性交させられた場面については記憶がある旨供述している。また,平成15年5月21日に撮影された右頰にあざのあるE1の写った写真にはC自身も写り込んでおり,E1が当時暴行を受けていたことについても認識があったと認めることができる。さらに,同年6月27日にE1らがM1家において裸で正座させられている場面が写っている写真には,そのようなE1らがちょうど目に入る位置にCが座って食事をしている様子も写っており,E1が当時裸にされ,正座を強制されていたことについても認識があったと認めることができる。そして,Cは,Bと同じ期間M1家に滞在して同じ建物内で生活しているのであるから,上記で認定したこと以上の虐待に関しても,Bと同程度に認識があったものと推認することができる。
以上のように,Cも,平成15年当時のE1に対する虐待について一定程度認識しており,そのような経緯のあるE1が自分の意思では尼崎に戻らない可能性が高いことについても認識していたというべきであるから,上記のとおり,DがE1に会いに行くと言うのを聞いて,Dの連れ戻し意図を認識した時点で,DがE1の連れ戻し手段として脅迫を用いるかもしれないことについても認識していたものと認めることができる。
その上,実際にもCは,DがF1ホテルの社員寮で,E1を責めて罵り,E1を畏怖させる場面に同席し,それを認識していたと認めら
れる。

加害目的について
そもそも,G1家から逃げ出したが連れ戻された人に対してはDが虐待を加えている事実,及び,E1が平成15年にはDから虐待を受けて逃げ出した事実の認識があれば,連れ戻されたE1がDから虐待を受ける可能性が高いことの認識はあるものと認めることができる。なぜなら,そのように過去に虐待を受けていた経験がある人がG1家に戻された場合,虐待を受ける状態を変えるような特段の事情がない限りは,当然に再び虐待を受けるであろうことは極めて容易に想定できるからである。信用できるF証言,A供述,B供述によれば,平成19年以前にもM,J,J1など,G1家から逃げ出したが連れ戻された者が複数おり,それらの者は連れ戻し後にDから虐待されていたという事実を認めることができる。A,Bのそれぞれについて,DがE1に会いに行くと言うのを聞いてDの連れ戻し意図を認識した時点で上記事実の認識があったことは,上記のそれぞれの供述から明白である。そして,Cについても,それまでにAやBらとともにG1家で長期間暮らしていたことに加え,自身が平成12年ころにG1家から逃亡し,発見されて連れ戻され,虐待を受けた旨供述していることも考え合わせれば,やはり同様の時点で上記事実を認識していたものと認めることができる。
そして,前記のとおり,被告人らはそれぞれ,E1が平成15年にDから虐待を受けて逃げ出した事実を認識していたことが認められる(被告人らも,それぞれその旨を供述する)。
したがって,被告人らそれぞれについて,Dの加害目的,すなわち,連れ戻されたE1がDから虐待を受ける可能性が高いことの認識があったものと認めることができる。
(B・Cにつき)共謀の有無(争点③)


被告人らにはDの意向に沿って犯行に関与する利益があったか
被告人らは,Dの意向に沿った行動をとれば,Dの怒りを買うことなく,それぞれのG1家における立場(基本的には虐待を加えられない,いわばG1家の中の上位者たる立場)を維持しつつ,衣食住が満たされた生活を送ることができるという利益を有していたといえる。なお,被告人らは,Dに対する恐れや不満を口にはしているが,仮にそのような恐れや不満などがあったのだとしても,被告人らはいずれも,それらの不都合を含めたG1家での生活を自ら選択していたものとみるべきである。そもそも被告人らはいずれもG1家内の序列においては上位にあり,虐待を受ける危険性が高かったとはいえないし,G1家から逃亡した者も多数いたのであるから,被告人らに他の選択の可能性がなかったともいえない。


B及びCにつき共謀が認められるか
B及びCはいずれも,上記のとおり,Dの意向に沿っていれば,自らが虐待の対象になることはないし,衣食住が確保されるという利益状況のもとで,Dの略取行為,加害目的を認識,認容しながら,いずれもDの指示により和歌山へ同行し,寮の一室ですし詰めになってE1を責める場に同席する,和歌山からの連れ帰りにも同行する,和歌山から送られた荷物のH1マンションへの搬入を手伝うなど,略取行為の重要部分に関与している。さらに,Bは和歌山からの荷物の搬出にも関与しており,Cは和歌山への行き帰りの車の運転もしている。以上によれば,B,Cのいずれについても共謀の成立が認められる。
なお,Bについては,確かに,E1が尼崎に帰ってくるのを望んではいな
かった旨も供述しているが,それでも,Dの意向を認識しながら,それに反論することもなく,一員として同行しているのであるから,納得の上で本件の犯行に関与したものと見るほかなく,上記の供述があるからといってBに共謀が成立しないとはいえない。

(Aにつき)留守番行為の幇助該当性(争点④)
パソコンでF1ホテルの場所を調べてCに伝えた行為が幇助行為に当たることはもとより,Lらと共に留守番をしてFの長女の面倒をみていた行為についても,E1の娘であるFを和歌山に同行させることは本件の犯行において重要な要素であったと解されるところ,そのようなFにおいて留守番をするAに子供を代わりに見てもらえるのは助かるという気持ちがあったというのであるから,Dらの正犯行為に対する精神的幇助に当たるものというべきである。
そして,上記のとおり,AにはDの略取行為,加害目的の認識があり,その上で上記の各幇助行為をしているのであるから,Aに幇助の故意があることは明白である。
まとめ
以上のとおり,E1事件については,B及びCに生命身体加害略取罪の共同正犯が,Aに生命身体加害略取罪の幇助犯が,それぞれ成立する。なお,生命身体加害略取罪は,状態犯と解するのが相当であるから,E1をeマンションに連れ帰った時点で既遂に達し,その後の事実経過は同罪を構成しない。
第3
1
J・L事件
争点及び当事者の主張
Jを被害者とする監禁,殺人被告事件(以下J事件という。)の争点は,①監禁の共謀の有無,②殺人の実行行為性,③殺意の有無,④殺人の共謀の有無であり,Lを被害者とする監禁被告事件(以下L事件という。)の争点は,監禁の共謀の有無である。
J事件の争点に関する当事者の主張は,次のとおりである。
監禁の共謀の有無(争点①)及び殺人の共謀の有無(争点④)について,検察官は,被告人らは,監禁中のJをモニターで監視するなどの関与をしている
こと,被告人らには,Dの意向に従ってG1家での立場を維持するなどの,関与の利益があったことから,Dらとの間に監禁及び殺人の共謀が認められると主張する。これに対し,弁護人らは,Jを監視したことはなく,関与の程度は弱いこと,被告人らにJの監禁及び殺人に関与する利益がないことなどから,Dらとの間に,監禁及び殺人の共謀は認められないと主張する。
殺人の実行行為性(争点②)について,検察官は,約5か月間に及ぶ物置内での監禁や虐待行為は,極めて過酷なものであって,このような継続的な虐待を受けたJは低栄養により衰弱していた上,平成20年11月中旬以降の外気温の低下等によって,さらに環境が劣悪になる中でも,監禁や虐待を継続していたことからすれば,同年11月中旬以降のDの行為は,死の危険性の高い行為といえ,殺人の実行行為に当たると主張する。これに対し,弁護人らは,Jが11月中旬ないし下旬に顕著に衰弱していたとはいえないとして,同年11月中旬以降の監禁及び虐待行為は,死の危険性の高い行為とまではいえず,殺人の実行行為には当たらないと主張する。
殺意(争点③)について,検察官は,被告人らは,約5か月間にわたって,直接ないしモニターを通じて,Jに対する監禁及び虐待の状況や,Jの衰弱が顕著であることを認識しており,監禁及び虐待の継続による死の危険性を認識していたといえるから,殺意が認められると主張する。これに対し,Aの弁護人及びCの弁護人は,各被告人は,Jに対する虐待の具体的な内容は知らず,Jの衰弱の程度も知らなかったことから,Jが死ぬ危険性を認識していなかったとして,Bの弁護人は,Jが死ぬ数日前に,同人が死ぬ危険性を認識したが,これを認容したことはないとして,それぞれ被告人らに殺意は認められないと主張する。
そして,L事件における監禁の共謀の有無について,検察官は,被告人らが,Dの監視の意思を受けて,自らも監視の意思でモニターを見るなどしていたことから,被告人らには,Dらとの間に監禁の共謀が認められると主張する。こ
れに対し,弁護人らは,被告人らは,監視の意思でモニターを見てはいないなどとして,監禁の共謀は認められないと主張する。
2
当裁判所の判断


前提事実
以下の各事実は,当事者間に概ね争いがなく,関係各証拠により容易に認められる。

Jは,前記のとおり,DらによってM1家が一家離散に追い込まれた
後,平成15年秋頃から,Dらとともにeマンションで暮らすようになった。Jは,Dらと共同生活を送る中で虐待を受けるなどしたため,平成16年春頃にeマンションから逃げ出したが,平成18年12月,Dらによってeマンションに連れ戻された。

Jは,平成19年2月,Kと結婚した。その後,JとKは,Dから虐待を受けるようになり,平成20年(以下,平成20年の記載を省略)6月の初め頃,eマンションから逃げ出したが,7月6日頃,Dらによってeマンションに連れ戻され,数日間はeマンションのベランダにいたが,その後は,ベランダに設置された物置の中に入れられた。


Jは,7月6日頃に連れ戻されてから,死亡する12月上旬頃までの間,Dないしその他のG1家のメンバーによる監視のもとeマンションの部屋又は外に連れ出される以外は,物置ないしベランダから出ることは許されなかった。


7月中旬から下旬にかけて,物置の中にカメラが設置され,リビングに設置されたモニターで物置の中の状況を見ることができるようになったが,画質が悪いなどの理由で,それから1週間くらいの間に,カメラとモニターが別のものに取り替えられた。


9月中旬頃,KはDから許され,物置の外に出された。


11月初旬頃,Lは,G及びFの長女に対して暴言を吐いたことをDか
ら怒られ,G1家が借りていたアパートに行かされた。11月5日,B,G,K及びEは,和歌山県までパチンコを打ちに出かけた。同日,Lは,アパートに行かされている間にDに無断で通院していたことなどが発覚し,Dによって,eマンションのベランダに設置された物置に入れられた。キ
11月8日,D,C及びFは,和歌山県に行き,Bらと合流した。Aは,Dらが和歌山県から戻るまで,eマンションで留守番をしていた。

D,B,Cらは,8日夜から9日未明頃にeマンションに戻り,その直後,Dは,和歌山から戻ったG1家のメンバーに対し,Lを物置に入れたことと,その理由を説明した。


11月10日頃,物置の中でLが死亡しているのが見つかった。


12月上旬頃,Jが物置の中で死亡しているのが見つかった。



認定できる事実
Jが死亡する直前に加えられた暴行について

Bは,

Jが死亡する五,六日前に,EとDが,それぞれ正座しているJを蹴り倒し,その側頭部を二,三回踏んだ。それから二,三日すると,Jは寝たきりの状態になった

旨供述する。また,Fは,

Jが死亡する前日に,EとDが仰向けに寝ているJの頭部を10回くらいまとめて踏んだ。それが二,三セットあった

旨証言している。


Bが供述する暴行の態様やD及びEの位置と,Fが証言する暴行の態様等との間には食い違いがあり,同じ暴行のことを証言,供述しているとは考えにくい。
F証言は,Jが暴行を加えられてから死亡するまでの間に見聞きした事実を時間的な経過に従って述べており,その内容は具体的である。また,B供述の内容は,B自身にとっては不利益な事実である(激しい暴行を受けた数日後からJは寝たきりの状態になり,そのような状態のJを見て,
死んでしまうと思ったとの供述は,その後もJを物置内に監禁し続けた行為について,殺意を認定する方向に働き得る事実を認める供述といえる)。そして,あえてうそをついてまで,自己に不利益になり得る事実を供述するとは思われない。
以上からすれば,上記のB供述及びF証言は,いずれも信用することができ,それぞれが供述,証言する内容の暴行が行われたものと認められる。⑶

J事件における監禁の共謀の有無(争点①)

意思の連絡の有無
Jが物置に監禁されて数日後からJが死亡するまでの間,物置内にカメラが,リビングにモニターがそれぞれ設置され,同モニターに物置内のJの姿が映っていたこと,被告人らはリビングで生活することが多く,モニターの映像を見ることがあったことから,DがJを物置内に監禁していることは分かったはずであり,被告人3名とも,その事実は認識していたと供述している。
そして,被告人3名は,後記のとおり,DによるJの監禁事実を認識した上で当該監禁に関与し,Dも被告人らによる関与を認識していたと考えられるから,Dと被告人3名との間で,Jの監禁に関する意思の連絡があったものと認められる。


被告人らの犯行への寄与,役割に関する事実
被告人らがモニターを見たことの意味

Dがカメラやモニターを設置した意図
Dが物置内にカメラを設置し,このカメラで撮影した映像を見るためのモニターをリビングに設置した意図につき検討する。
まず,Dが,モニターに映るJがDの言いつけを守っていないところを見つけるや,これを責めてJを虐待するということを繰り返していたことから,①物置内のJがDの言いつけ(正座等の姿勢の維持,
寝ないこと等)を守っているかどうか,その動静を確認するという点にあったことが認められる。
また,F証言その他関係各証拠によれば,DがJに対して逃げられるもんなら逃げてみいといった発言をしていることや,勝手口に防犯ブザーを設置したり,逃走後に生活基盤を築く上で重要な役割を果たす運転免許証を返納させたりしていることが認められる。これらの事実からすれば,DはJがいまだに逃走しようとする意思を持ち続けているかどうかを気にしていたと考えられ,そのようなDの心理や,カメラやモニターを設置した時期(まだJが衰弱していない時期に設置されていること)等の事情からすると,Dには,②物置内のJに対し,常に見張られているとの心理を植え付け,逃走しようとする意思を奪うとともに,Jが実際に逃走を図ろうとしていないかを常に確認することで,その逃走を防止するという意図もあったと認められる。さらに,Dは,Jに対して虐待を加え,その様子をG1家のメンバーとともに楽しもうとしていたことが窺われ,そのようなDには,③物置内のJに対する虐待の様子をG1家のメンバーに見せ,これを家族で話題にしようという意図があったとも認められる。

被告人らがモニターを見ていた際の意図
被告人らが供述するように,被告人らにとってDは逆らうことのできない絶対的な存在であり,常にその意向を酌んで,その意向に沿った行動をとろうとしていたはずである(Dの意向に沿った行動をとることがG1家のルールであったことは,B供述等から明らかであ
る。)。
そして,Dがモニターをリビングに設置した意図は,上記認定のとおり,①JがDの指示,言いつけを守っているか監視する,②Jの逃走を防止する,③Jに対する虐待を家族で楽しむという点にあるので
あるから,被告人らは,その意向を理解し,その意向に沿うかたちでモニターを見ていたはずである。
現に,被告人らは,次のとおり,DのJに対する虐待を楽しむ素振りを見せたり,Dに同調したりしている。Bは,Jがコントのようなことをさせられる場面に立ち会い,Dらと一緒になって笑い,Cは,Dと一緒にモニターに映るJの姿を見ながら,DからJちゃんやったら,いつでもさしてくれるでというようなことを言われた際,わしにも選ぶ権利あるわと返答した(Dには,女好きな父さんでもこんなん言うてるわといった感じで大いに受けていた。)。Aについては,モニターの前でDと会話をしていて,Dがこの子一体何考えて1日中過ごしてんねやろうな信じられへんなAちゃんもよう気に掛けたったのになと振り,Aは,これを否定しないという態度をとっていた。
モニターを見る以外の関与
Aは,Jの物置への監禁が始まって数日後,Eからモニターの所在を尋ねられて,家の中にあったモニターを持ってきてEに渡した。また,Aは,10月30日からの3日間,11月8日,9日及び21日,DをはじめとするG1家のメンバーが外出ないし遠出をした際,留守番役を務めた。この際,Dから時々でええから見といてなと言われ,実際に,モニターの電源を自分でつけるなどした。このAの留守番行為は,監禁そのもの,もしくはこれと極めて密接なものである。なお,弁護人は,Dの時々でええから見といてなという発言は挨拶のようなもので指示ではない旨主張するが,Aは実際にモニターの電源をつけているのであるから,単なる挨拶とは捉えていなかったことも明白である。Bは,DがJやKを物置に監禁する前に,GやEとともに物置から荷物を出した(物置にJらを監禁するための準備行為を行った。)。また,
BはJを水浴びさせるために公園や墓地に連れていくのに同行し,公園においてJが水浴びをしている際には,周囲に人がこないか見張りをした。
Cは,物置内のカメラを取り替える際,カメラとモニターの配線をつなぐなどして,その設置を手伝った。また,そのカメラが動いてしまわないように,カメラをねじで固定したり,勝手口のドアに防犯ブザーを設置したりもした。
なお,B及びCは,A等と比べて,Jの監禁に関して個別的に果たした役割は多くはないが,それはたまたまDからの指示がなかっただけであり,Dとともにeマンションの中で生活し,Dから何らかの指示があれば即座に指示通りに行動するという,いわば待機要員としての役割があったと評価することができる。

自分たちの犯罪を一緒に行う意思に関する事実
まず,被告人3名に共通する事情を検討する。
Jに対する監禁及び虐待は,G1家という共同体から逃げ出した者に対する制裁という意味を持ち,Dは,これを共同体の存続に関わる問題であり,共同体のメンバー全員で行うことを意図していたと認められる。被告人らは,そのような,DがJに対する監禁及び虐待を行う動機,Jに対する監禁等の性質を理解した上で関わり,これを受け入れていたといえる,すなわち,Dと共通の動機に基づいてJに対する監禁等に関与していたといえる。
また,E1事件で述べたとおり,被告人3名とも,Dの意向に沿った行動をとれば,それぞれのG1家における立場を維持しつつ,衣食住が満たされた生活を送ることができるという利益を有していたといえる。次に,被告人3名の個別的な事情を検討する。
Aは,DをはじめとするG1家のメンバーが外出し,自分が留守番を
任されたとき,自らの手で物置の中を見るためのモニターの電源をつけていた。これは,Aが,Jの監禁に積極的に関与していたことの一つの現れといえる。なお,Aが,帰宅したDに何の報告もしていないとしても,それはたまたま何も報告することがなかっただけといえるから,Aの積極性を否定するものではない。
Bは,Jを水浴びさせるために公園に連れて行った際,特に指示を受けていなかったにもかかわらず,自らの意思で,周囲を見張るという行動をとっている。また,Bは,子供会(B,G,F,K,Eを構成員とする集まり)のまとめ役として,子供会のメンバーに対して意見を言える立場にあったにもかかわらず,JがDの言いつけを守っていないことをDに告げ口していたFに対して,そのようなことを止めるように言うこともなく,これを放置していた。これらのBの行為等から,Jを監禁することに対するBの積極性を認めることができる。
Cは,前記のとおり,Dと一緒にモニターに映るJの姿を見ながら,DからJちゃんやったら,いつでもさしてくれるでというようなことを言われた際,わしにも選ぶ権利あるわと返答しており,Jに対する虐待を面白がって同調していたといえる。これは,Jに対する虐待及びその前提となる監禁に,Cが積極的に関与していたことの現れといえる。
なお,C弁護人は,Cが①声をあげながらJに虐待を加えているDに対して,近所に聞こえる旨諭したことがあること,②Gに対してモニターを消せと言ったことがあること,③Dに対して,Jに食事を与えているのか確認したことがあることを指摘し,これらはCがJに対する監禁及び虐待に関する不満の現れである旨主張する。しかし,①については,その発言内容(虐待を止めろというようなことは言っていないこと)からすれば,近所に聞こえて警察に通報等されることを気にした発言に過
ぎないと考えられ,Jのことを心配して出た発言,ないし,Jに対する虐待を不満に思って出た発言ということはできない。また,②についても,そのような発言をしたのが,Jが排泄をしている場面だったことからすれば,皆でモニターを見ているときに,たまたま汚い場面が映ったので消すように言っただけであって,皆で日常的にモニターを見るということに対する不満を述べたものとは評価できない。さらに,③についても,その食べさせてるかという発言の後に,食事を与えろと
いうような発言があれば,Jのことを心配して出た発言と捉える余地もあるが,証拠上そのような発言があったとは認められない以上,Cのこの発言の意図,趣旨は不明確といわざるを得ない(単に関心があったので聞いただけだったり,食べさせてないよなという方向での確認だったりする可能性がある。)。

総合評価(自分たちの犯罪を一緒に行ったといえるか)
以上検討したとおり,被告人らは,それぞれ,Jを監視する意図でリビングに設置されたモニターを見るなど,Jの監禁について重要な役割を果たしていたといえる上,Jの監禁に関与することで利益を得るとともに,Jの監禁に積極的に関与していたと評価できる部分もあることを考慮すれば,被告人らとDとの間に,Jの監禁についての共謀が認められるというべきである。
殺人の実行行為性(争点②)
検察官は,遅くとも11月中旬には,Jの衰弱が顕著であったのに,それ
以降もそれまでと同様の虐待を継続した行為が,人の死の危険性の高い行為であり,殺人の実行行為に当たる旨主張する。

Jの死因
そこで,まず,そもそもJの死因が何だったのかを検討する。
Jに加えられた虐待の内容について

Fの証言,その他写真等の関係各証拠によれば,Jに対する監禁及び虐待の状況は以下のとおりと認められる。

Jは,物置に入れられている間,全裸(おむつを着けているときも含む)のときを除いて,半袖シャツに七分丈のズボンという服装だった。最低気温が10度を下回ることが多かった11月下旬及び12月上旬になっても,服装はそのままであり,物置の中に寝具や暖房器具が置かれることもなかった。


食事は1日1回与えられるのが基本だが,二,三日出ないこともあった。基本的にラーメンとごはんで,これにおかず1品や果物が付くこともあった。水は,当初1日2リットル与えられていたが,監禁期間の後半には時々しか与えられていなかった可能性が高い。


日常的に(9月中旬以降はほぼ毎日),DやEから殴る蹴るの暴行を受け,身体中に傷ができており,傷が治りきることはなかった。

Dが起きている間は寝ることは許されず,居眠りをするとDから暴行を受けた。夜の睡眠時間も短かった。


トイレを使わせてもらえず,物置内に置かれたバケツに排泄させられた。トイレットペーパーも使えない状況だった。お風呂も使わせてもらえず,1週間から10日に1回程度,公園等で水浴びをするだけだったが,10月以降は,その水浴びもなくなった。


Dから,正座,直立,足踏みといった姿勢を強制され,正座等の言いつけを守らないと暴行を受けた。
Jの死因について
O1医師は,公判で,Jの死因について,低栄養,低体温などの複合
による諸臓器の機能不全(いわゆる衰弱死)の可能性が最も高い旨証言している。また,Jが死亡する前日に,DやEから頭を足で踏まれるなどの激しい暴行を受けているものの,Jの遺体の頭蓋骨に骨折がなかっ
たことや,その暴行の後,Jに意識障害がみられなかったことなどから,脳挫傷や硬膜下血腫によりJが死亡した可能性は極めて低いと証言している。
O1医師は,救急医療等を専門として相当期間臨床に従事しており,その医師としての経験等に照らして,専門家証人としての適格性に欠けるところはない。また,O1医師が証言の前提とした事実と,前記のとおり証拠から認められる事実との間に齟齬はなく,証言の前提条件に誤りはない上,その証言内容自体にも不合理,不自然な点は認められない。したがって,O1医師の証言は信用することができる。
このようなO1医師の証言の内容や,Jに対して加えられた虐待の内容などからすれば,Jの死因が衰弱死であること,具体的には,Jが,飲食を制限されたことなどを原因として低栄養状態に陥り,熱産生を十分にできなくなったことと,気温が低い時期に,暖房設備等のない物置の中に薄着でおかれたということとが相まって,低体温症に陥り,死亡したことが認められる。
なお,Jの死因につき,弁護人らは,Fが証言する死亡前日頃の強い暴行と,12月上旬の気温低下によって,Jが死亡した可能性があるなどとして,Jの死因が衰弱死であることを争っている。しかし,この点につき,O1医師は,仮に死亡前日頃の暴行による体力の消耗がJの死に影響していたとしても,前記のような態様で監禁していることによる影響のほうが大きい旨証言している。このようなO1医師の証言や,Jに対する監禁及び虐待の期間や態様を考慮すれば,死亡前日頃の暴行がJの死に影響していたとしても,その影響の程度は大きいものではなく,死の根本的な原因は,やはりそれまでの監禁及び虐待による衰弱にあると考えるのが合理的であるから,弁護人の主張は採用できない。

Jの衰弱が顕著になった時期及びそれ以降虐待を継続する行為の危険性
F,O1医師の各証言その他写真等の関係各証拠によれば,①11月24日のモニターに写っているJが顕著に痩せていること(O1医師も,この写真をみて,中程度以上の低栄養状態だったと証言していること),②J
な環境で,食事や睡眠を制限されていたこと,③11月24日のモニターに写っているJは仰向けに寝ており,普段であれば横になることを許さないDが横になることを許すほどに衰弱していたといえることが認められる。以上からすれば,遅くとも11月24日の時点で,Jの衰弱は顕著であり,気温の低下や食事制限等の悪条件がさらに加われば,いつ死ぬようなことになってもおかしくない状態であったといえる。
そのようなJを,その後も低温かつ不衛生な環境の物置内に監禁し,食事制限などの虐待を加える行為は,低体温症,低栄養,感染症等によって死亡させる危険性が高い行為といえる。
殺意の有無(争点③)

Dに殺意が認められるか
Dは,Jに対して虐待を加えていた張本人であり,常にJの状態を観察していたと考えられるから,Jの痩せ具合や,それまで加えた虐待の内容から,11月中旬の時点でJが相当程度衰弱していたことは分かっていたはずである。11月中旬以降,DがJに対して横になることを許したりしていることは,DがJの衰弱状況を認識していたことを示す事情といえる。また,上記のように衰弱していたJに対して,さらに飲食制限等の虐待を加えれば,死ぬ危険性が高いということは常識的に分かるといえる。そうすると,Dは,11月中旬以降,死ぬ危険性が高いことを認識しながら,Jを物置に監禁し,飲食制限等の虐待を加え続けたといえるから,Dには殺意が認められる。
なお,F証言等によれば,Dが,11月頃,Jの爪や舌を確認して健康そのものの色やなどと言っていたことや,Jに対してバナナを与えたり,卵かけご飯を与えたりしていたことが認められる。しかし,これらの行為は,Jの健康状態を確かめたり,Jの体力を回復させたりする方法としては不十分である。仮に,DがJに死なれては困ると考えていたのであれば,このような行為にとどまらず,物置内への監禁や虐待を止めたはずであるが,監禁や虐待を止めてはいない(むしろ,暴行の強度が増している)のであるから,やはり,DはJが死んでも構わないと考えていたというべきである。

被告人らがJの衰弱状況や監禁及び虐待を継続する危険性を認識していたか
被告人らは,11月24日のモニターの映像から,当時のJの痩せ具合は分かったはずである(B供述によれば,証拠となっている写真より,実際のモニターの映像のほうが鮮明であったことが認められる。)。また,同モニターの映像等から,普段であれば横になることを許さないDがJに対して横になることを許していること,そして,それぐらいJが衰弱していることを認識していたと認められる。なお,その頃のモニターの映像を被告人らが見ていたことは,Bについては同人の供述から,Aについては,11月21日の映像(Jが横になっている状況が写っているモニターの近くでAが子供をあやしていること)や11月24日の写真(Aが食べる予定であったと認められるパンがモニターの近くに置かれていること)から,Cについては,食事の際の着席位置(モニターの隣)や,Bと一緒に食事をとるなど同じような行動をとっていること(したがって,Bと同程度は見ているであろうと推認されること)から,それぞれ認められる。また,被告人3名は,DがJに対して加えていた虐待の詳細までは知らなくとも,過去の経験やモニターによる観察を通じて,Jに対して加えられていた虐待の大まかな内容(4か月余りにわたり,不衛生かつ低温にな
りうる物置に監禁し,食事を1日1回程度に制限し,衣類や睡眠を制限していたこと)は認識していたといえる。
そうすると,被告人3名は,遅くとも11月24日の時点で,JがDによる虐待によって顕著に衰弱していたことを認識していたといえる。そして,そのように顕著に衰弱したJを,その後も低温かつ不衛生な環境の物置内に監禁し,食事制限などの虐待を加えれば,Jが低体温症,低栄養,感染症等によって死亡する危険性が高いことは,常識的に認識しうるはずであるし,その直前に同じ物置内に監禁されていたLが死亡した経験からも推測できたはずであることなどから,被告人3名は,DがJを物置内に監禁し虐待を加え続ける行為が,人を死亡させる危険性の高い行為であることも認識していたといえる。
なお,Lが死亡した経験からJを物置内に監禁する行為の危険性を推測できたはずであるという点については,被告人らは,Lが,高血圧等が原因で死亡したと考えていたから,そのような事情のないJの死の危険には思い至らなかったという可能性が想定されるが,少なくとも高血圧等に匹敵するような死の危険を高める因子を有する者(健康体ではない者)であれば死んでしまう危険性があるということは分かるはずであるから,上記の認定は動かない。

Dの殺意の認識
被告人3名は,物置内に監禁していたLが死亡した後もJに対する監禁及び虐待を改めようとしないDの行動から,Dが人の命を軽視し,人を殺すことに躊躇を覚えないこと,すなわち,Jの衰弱が顕著になり,死の危険が生じて以降も,DがJに対する監禁及び虐待を継続する意図を有していたことを認識していたといえる。


Dによる殺人の認容(受け入れていたのか)
被告人らは,遅くとも11月24日の時点で,Jの衰弱が顕著であり,
それ以上Jを物置内に監禁し虐待を加え続ける行為が,Jを死亡させる危険性の高い行為であることを認識した後も,Jに対する監禁及び虐待を止めようともしなかったし,Jに対する監禁及び虐待を加える集団であるG1家から抜け出そうともしなかった。そればかりか,Jに対する監禁について,リビングに設置されたモニターを見るなどの行為によって関与を継続していた。このような被告人らの態度,行動からすれば,被告人らはJの死の危険を受け入れていた(Jが死んでも仕方がないと思っていた)といわざるを得ない。
この点につき,弁護人らは,被告人らにはJに対する監禁及び虐待を止める行動に出ることは極めて困難であった旨主張するが,被告人らが監禁及び虐待を止める行動に出たとしても,Jに対して行われていたような過酷な虐待が被告人らに加えられることは想定されなかったのであるから,そのような止める行動に出ることが極めて困難であったとはいえない。そうであれば,被告人らは,仮に,Jの死を受け入れないというのであれば,Jに対する監禁及び虐待を止める行動に出る,それが無理であれば,最低限,犯罪を行っているDを中心とするG1家から抜け出すべきであったといえる(何としても抜け出そうとすれば,抜け出せたはずである。)。それにもかかわらず,Jに対する監禁及び虐待を止める行動に出たり,G1家から抜け出したりせずに,監禁行為の一翼を担い続けた以上は,やはり,被告人らは,Jの死の危険を受け入れていたと評価されてもやむを得ないというべきである。

したがって,被告人らには,Jに対する殺意が認められる。
殺人の共謀の有無(争点④)
これまで検討したように,衰弱しているJに対して,飲食制限等の虐待を
伴う監禁を継続することが,Jに対する殺人の実行行為の核心部分である。そして,先に認定したとおり,被告人らは,そのような殺人の実行行為の核
心部分である虐待を伴う監禁に,上記のような殺意を持ちつつ,モニターでの監視といった行為によって相応の役割を果たしていたのであるから,Jに対する殺人についても相応の役割を果たしているといえる。また,監禁の共謀の有無の部分でも検討したとおり,被告人らには,Dが発案し,主導する犯行に関与する利益が認められ,Dが主導したJの殺人についても関与する利益が認められる。
以上からすれば,被告人らは,Jに対する殺人についても,自己の犯罪として一緒に行ったといえ,Dとの間に共謀が認められる。L事件における監禁の共謀の有無(L事件の争点)
まず,Aについては,同人の供述等によれば,Lが物置に入れられる場面に同席し,その場でLが物置に入れられる理由も聞いた上,それ以降,Lが亡くなるまでの間,物置内のLをモニターで見ながら食事をとるなどしていたことが認められる。
次に,Bについては,同人の供述等によれば,和歌山へのパチンコ遠征から戻った11月9日未明に,Lが物置に入れられていることや,その理由を知り,それ以降,Lが亡くなるまでの間,物置内のLをモニターで見ながら食事をとるなどしていたことが認められる。
そして,Cについても,K証言及びB供述等によれば,遅くとも11月9日未明には,Lが物置に入れられていることや,その理由を知り,それ以降,Lが亡くなるまでの間,物置内のLをモニターで見ながら食事をとるなどしていたと認められる。
このように,被告人らが,Lの監禁の事実及び理由を知った後,少なくとも1日程度は,これに異議を唱えたり,Lを助け出そうとしたりすることなく,物置内のLをモニターで見ながら食事をとるなどしていたことからすれば,被告人ら3名がLを監禁することに納得し,これを受け入れていたことは明らかである。なぜなら,仮に,Lの監禁に納得せず,これを受け入れて
いなければ,異議を唱える,助け出そうとする,G1家から抜け出すといった,Lの監禁を止めさせようとする行動や,監禁を行う集団から離脱しようとする行動をとるはずだからである。
そして,Lが監禁された物置は,被告人ら3名を含むG1家のメンバーが,自分たちの犯罪として,Jを監禁していた場所であり,そこに入れられているJを監禁の対象として監視していた場所であるから,被告人らが,そのような物置の中にLを監禁することに納得し,受け入れている以上は,Lについても,監禁の対象として監視すること,すなわち,自分たちの犯罪として監禁する意思があったといわざるを得ない。
被告人らが,上記のような自分たちの犯罪としてLを監禁する意思を持ちながら,モニターで監視するなど,監禁についての相応の役割を果たしていたこと,被告人らは,Lを監禁することについて,Jの監禁の際と同様の利益を有していたことなどに照らせば,被告人ら3名について,Lの監禁に関するDとの間での共謀が認められる。
なお,B及びCが,Lの監禁の事実やその理由を(確実に)知ったのは11月9日未明であるから,両名については,11月9日未明頃からLが死亡した同月10日頃までの間に限り監禁罪が成立するにとどまる。
まとめ
以上のとおり,被告人3名には,L事件については監禁罪の共同正犯が,J事件については監禁罪,殺人罪の共同正犯が成立する。
第4
1
M事件
争点及び当事者の主張
Mを被害者とする逮捕監禁被告事件の争点は,①被告人らとDとの監禁の共謀の有無であり,Mを被害者とする殺人被告事件の争点は,②被告人らの殺意の有無と,③Dとの殺人の共謀の有無である。なお,Mの死体に対する死体遺棄被告事件に関し,被告人らに死体遺棄罪が成立することは争いがないが,A
弁護人及びB弁護人は,それぞれ④死体遺棄罪についての関与の範囲を争う(上記逮捕監禁被告事件,殺人被告事件,死体遺棄被告事件を併せてM事件という。)。監禁の共謀の有無(争点①)について,まず,Dと被告人らとの間に,Mの監禁について意思の疎通があったことは争いがない。検察官は,被告人らがそれぞれ監禁に関与したとみられる具体的な行動をしている上,Mの逃亡を阻止する役割を認識しながらeマンションにいたことなども関与といえること,被告人らには,Dの意向に従っていれば,衣食住が満たされ,G1家内での立場が維持されるという利益があったことなどから,被告人らとDとの間には監禁の共謀が成立していると主張する。これに対し,弁護人らは,被告人らの各関与は重要なものではないし,被告人らには自分たちの犯罪を一緒に行う意思もなかったとして,いずれも監禁の共謀の成立を争い,そのうちB弁護人及びC弁護人は,監禁の幇助にとどまる旨を主張する。
殺意の有無(争点②)について,検察官は,被告人らはMの監禁状態(物置の気温等の環境,緊縛,暴行,飲食制限等)が過酷で死に至る危険のあるものであると認識しており,また,過去の経験,Dの性格や動機の理解から,Dの命ずる監禁は人を死に至らせるほど過酷なものになると予測していたにもかかわらず,虐待を含む監禁を継続したことから,死の結果の認識,認容があったと主張する。弁護人らは,被告人らはいずれもMの監禁状態の過酷さについて具体的に認識しておらず,また,過去の虐待例も,本件の場合とは理由や状況が異なっていること,被告人らはいずれはDから許されるだろうとか,Dに許しを請おうなどと思っていたことなどから監禁が過酷になるとの予測もなく,Mの死の危険の認識がなかった旨主張する。
殺人の共謀の有無(争点③)について,検察官は,G1家では,虐待して死亡させ,その死体処理をするという一連の過程が過去に繰り返されており,それらはDの主導によってメンバーが連携して行っていたから,被告人らには殺
人についても意思の連絡があったと主張するほかは,争点①に関するものと同様の理由により,被告人らには殺人の共謀が成立する旨主張する。弁護人らは,被告人らがDと,殺人についても意思の疎通があったことを争うほかは,争点①に関するものと同様の理由により,被告人らには殺人の共謀は成立しない旨主張する。
2
当裁判所の判断


前提事実
以下の各事実は,当事者間に概ね争いがなく,関係各証拠によって容易に認められる。

家族会議の状況
平成23年7月下旬ころ,Fは,当時Dがeマンションで預かっていたP1家の長女から,Mが何か月か前から胸を触ってくるとの相談を受けた。同月25日未明ころ,Fは,Dにこの相談内容を報告した。Dは,Fに命じ,それぞれ寝ていたE,K,B,Mを起こさせて,リビングに集めた。DがMを追及すると,Mは上記のわいせつ行為を認めた。
その直後,Bは,床に正座していたMの右足の付け根からおしりの辺りを強く蹴った。また,Eも,Mを二,三発殴った。
Dは,Mに対して怒り,絶対許さんただで済むと思うなもう死ぬしかないな助かると思うななどと告げた。Dは,Eに対して,Mをベランダに設置されたラティス製の物置に入れるよう指示し,Kもこれに同行した。他方,BはDから就寝を許された。EとKは,Dの指示に従って,Mを緊縛した上で物置に閉じ込めるなどして逮捕し,監禁した(なお,逮捕監禁やそれに伴う虐待の具体的内容については後に述べる。)。


監禁及びその理由に関するAの認識
Aは,上記の家族会議の直後(同月25日未明)又は同日の朝に,eマ
ンションの廊下で,BからMが上記わいせつ行為をしたことを聞いた。そして,同日の朝には,Mが普段寝ている場所で寝ていないことや,物置の戸が閉まっていて様子が違うと感じたことから,Mが物置に監禁されていると認識した。

監禁に関するCの認識
Cは,同日の朝起きてベランダに出たときに,Mが物置の中で座っているのをラティスの隙間から目にし,Mが閉じ込められていることを認識した。


天神祭とCの留守番
同日夜,G1家のメンバーは大阪市で行われた天神祭に出かけたが,この間,Cはeマンションで留守番をしていた。


監禁及び虐待の具体的内容
夏場,閉め切った物置への監禁
Mが監禁されている間,物置の戸は閉められていた。さらに,G1家のメンバーが天神祭に行く直前に,Cは,Dから戸を開かんよう考えてくれと指示され,50センチメートルくらいの角材を用意して戸のつっかい棒とした。このつっかい棒は,それ以降も使用され続けた。そして,Mが監禁されていた同月25日から同月27日までの3日間の気象は,最高気温がいずれも約31度前後,最大湿度がいずれも約74%前後であった。
なお,物置に使用されていたラティスにはブラインド状の隙間があったが,たくさんの荷物等が置かれていたことなどから,室内の風通しは悪かった。
緊縛について
EとKは,Dの指示に従って,Mを後ろ手にしてその両手首に手錠をかける,足首,腿やすねをPPロープで縛って正座させる,手錠をロー
プで重しに固定するなどの緊縛を行った。しかし,しばらくしてDやE,Kが物置内の様子を見ると,Mが動いて縛りをゆるめていたため,DらはMに後述する暴行を加えた上で,ロープをきつく縛り直した。また,手や腕の固定の仕方も,手錠と重しから,丸太等に縛り付けるなどの方法に変えた。このような確認して暴行を加え縛り直すという流れは,Mが死亡するまでの間に五,六回繰り返されており,そのたびに縛る箇所が増え,巻き付ける回数が多くなるなどして,ロープによる緊縛はどんどんきつくなっていった。事後にKがした再現によれば,最終段階での緊縛の強さは,ロープがMの手足の肉に食い込むほどのものであった。プランター台,金たわしの使用
上記の縛り直しの際には,プランター台が使用されることがあった。その使用方法は,Mの右手とプランター台をロープで結びつける,Mの背中に横倒しにしたプランター台を当てるといったものである。
また,金たわしが使用されることもあった。その使用方法は,正座したMの回りの床に並べて,動くと刺さるようにする,後述する丸太の使用と併せて,手でロープをゆるめさせないように,両手に軍手をはめさせた上で,金たわしをその中に,手のひらに刺さるような向きで入れ,その上からガムテープで巻くといったものである。
丸太の使用
同月25日の昼か夕方に,Kは,Cが運転する自動車で資材置場に行き,長さ2メートル,直径5センチメートル程度の丸太一本を盗んだ。このとき,EとAも,自動車に同乗していた。
この丸太は,長さ1メートル60センチ程度に切断された上で,G1家のメンバーが天神祭に行く直前ころからMが死亡するまで,Mの緊縛に使用された。その緊縛方法は,丸太を地面と平行にして正座させたMの背中に置き,水平に挙げさせたMの両腕をロープで丸太に縛り付ける
といったものである。
口ふさぎ
丸太の使用開始と同じころから,Mは,口がきけないように,切った布を口に入れられ,その上からガムテープを巻かれた。
飲食途絶
本件の監禁期間において,Mには,食べ物も飲み物も与えられていない。ただし,25日未明には,重しの代わりに水の入ったバケツを使っていたため,同日朝までMはその水を飲んでいた。
暴力
監禁の当初や上記の縛り直しの際には,D,E,KがMに対して暴行を加えた。具体的には,Dはサンダルで殴ったり目を突いたりし,また太ももなどを蹴ったり踏みつけたりした。EはMの頭を拳で殴りつけ,Kも手の甲で二,三発殴った。
排泄制限(おむつの使用)
監禁当初は,KらはベランダでMに排泄をさせていたが,G1家のメンバーが天神祭に向かう直前から,Mにはおむつがはかせられた。なお,この際,Aは,Dの指示により,おむつをDに手渡した。

Mの衰弱,死亡と死因
監禁期間の最後の方(同月26日の夜)にも,Mに対する暴行と縛り直し等が行われているが,その際のMの様子は,声が弱々しく,眉間にしわを寄せてきつそうな表情であり,緊縛をいったんほどかれておむつを自分ではき替える際にも,中腰の姿勢で壁に当たったり,ふらふらしたりしていた。Dは,そのようなMに対して,弱ったふりすんななどと怒鳴って,殴る蹴るの暴行を加えた。その後,EとKは,Mを再びきつく縛り直した。なお,このときは,Fも縛り直しを手伝った。
同月27日の日中,Mが緊縛されたまま物置の中で死亡しているのが発
見された。Mの死因は,高カリウム血症に基づく心停止又は肺塞栓症に基づく循環不全である。


認定できる事実
監禁理由についてのCの認識について

C自身は,Mの監禁を認識するより前に,FからMのわいせつ行為のことを聞き,Mを子供部屋に連れて行って問いただしたことがあると述べているところ,その供述内容は,Cには話していないとするFの証言と食い違っている。


しかし,問いただした際,Mが弁解しないので,やってんなあと思って頭を軽く叩いたというCの供述は,内容が具体的であること,Mのわいせつ行為を知っていたことは,Cに不利な事実といえ,これを承認するものであること,この点につきうそを述べる必要もないことなどから,上記C供述は信用できるというべきである。よって,Cは,上記供述のとおりの経緯によってMのわいせつ行為を認識していたから,その後,Mの監禁の事実を認識した時点で,その理由も認識したものと認められる。



監禁の共謀の有無(争点①)

前提事実に記載のとおり,いずれの被告人においても,MがDらに監禁されていた事実や監禁の理由について認識があったのであるから,被告人らとDらとの間に,Mの監禁に関する意思の疎通があったことは容易に認められる。


被告人らについて,G1家の一員としてeマンションにいたこと自体によって,Mの監禁に関与したと評価できるか。
G1家において絶対的な存在であるDと,被告人らとの間で,上記のとおりMの監禁について意思の疎通があったのであるから,仮に,Mが物置を出て逃亡しようとし,被告人らがeマンションにいてこれを認識したとすれば,被告人らはいずれも,G1家の一員として,Dと通じた上記の意
思に従ってMの逃亡を阻止したものと考えられ,また,監禁されているMにも,その旨の認識はあったものと考えられる。以上によれば,被告人らがeマンションにいること自体が,Mの行動に対する物理的あるいは心理的な障害であったといえるから,これは監禁への関与行為であるということができる。
確かに,Mは,緊縛された上で物置内に閉じ込められており,上記で想定したような,Mが物置を出る事態が現実に生じる可能性は低かったものと考えられる。しかし,Cが留守番をする際にDから頼みますなどと言われていたことも示すように,被告人らはいずれも,eマンションにいること自体によって,潜在的には逃亡防止のための見張りの役割を期待されていたものというべきである。そして,被害者の行動を見張るという方法は,監禁の手段としては,緊縛や閉じ込めと並んで典型的な態様であるといえる上,Mが緊縛を解いて物置の外に脱出する可能性が皆無ではなかったのであるから,緊縛や閉じ込めが併用されているからといって,監禁の手段としての見張りの意義が失われるとはいえない。

そして,E1事件で述べたとおり,被告人らは,Dの意向に従っていれば,G1家における上位者としての立場を維持しつつ,衣食住を満たすことができたのであり,このことは被告人らにとっても利益であったということができる。


被告人らについて,監禁の共謀が認められるか
Aについて
以上みたとおり,Aは,Dの意向に従っていればG1家において衣食住を満たすことができるといった利益状況のもとで,Mの監禁についてDと意思を通じた上で,G1家の一員としてeマンションにいる,おむつを渡す,丸太の窃取に同行するといった監禁への関与とみられる行為を行ったのであるから,AとDらとの間には,Mの監禁に対する共謀を
認めることができる。
Bについて
BがMの下半身を蹴ったのは,DがMを物置に入れるよう言うより前のことであるが,この行為については,家族会議の直前にDからMのわいせつ行為について気付かなかったのかと尋ねられていることなど,Mの指導役としてのBの責任が問われていた状況において,Bが,Mを責めた上で物置に監禁するというDの意向を酌んで,Dや他のメンバーに先んじて怒りを示すことで,Dへの同調をアピールするものであったとみるべきで,その後の監禁への移行に寄与するものであったと認められる。
Bもまた,Dの意向に従っていればG1家において衣食住を満たすことができるといった利益状況のもとで,Mの監禁についてDと意思を通じた上で,Mが物置に入るのは当然であるとの考えを持って,上記のとおり下半身を蹴る行為を積極的に行ったほか,G1家の一員としてeマンションにいるといった監禁への関与とみられる行為を行ったのであるから,BとDらとの間には,Mの監禁に対する共謀を認めることができる。
Cについて
Cもまた,Dの意向に従っていればG1家において衣食住を満たすことができるといった利益状況のもとで,Mの監禁についてDと意思を通じた上で,Dの指示を受けて,戸が開かないようにする手段としてつっかい棒を考案して設置する,天神祭の際に留守番をするなど,まさに監禁行為の一部を行ったほか,丸太の窃取に同行する,G1家の一員としてeマンションにいるといった監禁への関与とみられる行為を行ったのであるから,CとDらとの間には,Mの監禁に対する共謀を認めることができる。

殺意の有無(争点②)

Dらの殺意の有無
前提事実に記載のとおりの監禁及び虐待の具体的内容を前提とすれば,Dらの監禁及び虐待行為の態様は,2日ないし3日も続けば死の危険が高くなるようなものであったと認めることができる。
その理由としては,特に,暑い中で飲み水が(同月25日朝以降は)全く与えられなかったことの危険性が重視される。一般人の感覚としては,熱中症の危険が想定されるが,Q1医師の特定した死因においても,脱水傾向は,高カリウム血症の要因のうち血液が酸性に傾くことの要因とされており,また,肺塞栓症の要因のうち血液の濃度が濃くなることの要因ともされている。
そして,実際の経過においても,遅くともMが死ぬ前日である同月26日の夜に,ロープを縛り直した時点で,Mは監禁及び虐待行為によって衰弱した状態に陥っていた。
そうすると,このときに縛り直しや暴行に関与したD,E,K,Fについては,Mの衰弱状態や,同様の監禁及び虐待行為を継続すればMを死に至らせるかもしれないことを,それぞれ認識したものというべきであるから,同人らには遅くともこの時点で殺意を認めることができる。なお,Dは,Mを監禁する直前にもう死ぬしかないななどと発言
し,E,K,Fもその発言を聞いていたと認められることからすれば,同人らについて,より早い時期に,より確定的な殺意が存在した可能性も否定はできないが,監禁当初の緊縛状況等が,M自らほどいて休むことが可能な程度の緩やかなものであったことなども考慮すると,その存在の確信にまでは至らない。


Aの殺意
Mの監禁及び虐待の具体的状況について,Aが認識していたと認めら
れる事情は以下のとおりである。
Aは,物置の戸が閉まっていることや,戸につっかい棒が使用されていることについては,見て認識している。また,季節が夏場であることは,当然に認識していた。
Aは,夜にカチャカチャという金属音を聞いて,手錠が使用されていることを想像している。また,Aは,丸太を目にして,それがMに使用されるであろうことも想像している。以上の事実から,Aは,Mが緊縛されている可能性を認識していたものと認めることができる。また,過去の経験から,Mが正座をさせられているであろうと推測することができた。
Aは,Mに飲食が提供される場面を見てはいないが,Dはいつも,虐待や反省をさせる人に対しては食事を1日1回に制限しているので,今回もそうだろうと考えた旨供述している。
Aは,Dが怒ったら当然に暴力はあるだろうというのが頭にあった旨供述しており,Mが暴行を受けている可能性の認識はあった。
Aは,Dの指示によりおむつをDに手渡しており,Mがトイレを使わせてもらえないことの認識はあった。
上記のように,Aは,Mが,夏場の物置の中に監禁され,食事,トイレの使用等を制限されていることや,丸太や手錠を使って緊縛され,正座を強制されたり,暴行を加えられたりしている可能性があることなどを認識していたといえる。
しかし,Aに,緊縛の具体的な態様やその強度,PPロープ,プランター台,金たわしの使用,口ふさぎの認識があったとは認めるに足りない。
そして,監禁及び虐待の具体的内容に関するAの認識が上記のものにとどまること,特に,緊縛の具体的態様やその強度などの認識を認める
に足りないこと,1日1食はあると思っていた旨の供述を排斥できず,絶飲食の認識を認めるに足りないことを踏まえれば,Mの監禁状況に対する認識の面からみて,監禁が数日続けば死の危険が高くなるほど過酷な態様のものである旨の認識までAにあったとはいえない。
Dの怒りの大きさに対するAの認識について
確かに,A自身,BからMのわいせつ行為を聞いて,なんちゅうことするんやと感じた旨を述べており,また,当時DがP1家の家族関係に介入していたことも知っていたというのであるから,上記で認定した程度の監禁状況の認識を前提としても,DがMに対してとても怒っていることは容易に想像できたはずであり,実際,A自身も過去の件よりは怒っていると思った旨供述している。
しかしながら,Aは,家族会議でDがMを怒る発言を直接聞いてはいない。また,上記で認定した程度以上に,Mに対する監禁及び虐待の具体的状況を認識していたとは認めるに足りない。以上のことも考え合わせると,Mについては許されるのが当然と考えていたとか,監禁中のG1家の雰囲気は殺気立っている様子ではなかったように思うという,Aの当時の認識に対する供述も,直ちに不自然として排斥することはできない。なお,Aの捜査段階の弁解録取書(乙109)における私としては,M君は,死ぬまで出られへんと思っていましたとの供述については,監禁の終期はMの死であると考えたと述べるものにとどまり,監禁自体によって,あるいは監禁中の行為によってDがMを殺害しようとしていると考えた旨を述べるものではないものとみる余地があるから,この捜査段階の供述によって直ちにAにDの殺意の認識があったとまでは認定できない。
結論
以上のとおり,具体的な監禁状況に関する認識の面からみても,Dの
怒りの大きさに対する認識の面からみても,Aにおいて,Mに対する監禁が数日のうちに死ぬ危険の高い行為である旨の認識や認容があったと認めるには足りず,Aの殺意は認定できない。

Bの殺意
Mの監禁状況について,Bが認識していたと認められる事情は以下のとおりである。
Bは,物置の戸が閉められ,つっかい棒が使用されているのを見ている。また,夏なので物置の中は蒸し暑いだろうと思っていた。
Bは,過去にMがラティスに入れられたとき,片手と重しを手錠や紐でつながれているのを見たことがあるので,今回も縛られている可能性があると認識していた。また,正座の強制もあると考えていた。
飲食制限に関しては,Bは,公判で食事は二,三日出ないかもしれないが,水はあるんじゃないか,1日目はなかったとしても,2日目ぐらいからは出るんじゃないかと思っていた旨供述している。この供述は,これまでのDの虐待の多くが,生かしていたぶるような態様であったこと,過去に,DからMよりも嫌われていたJでさえ,監禁中に水が与えられていたこととの整合性から,一定程度信用できるものである。これに対して,Bの捜査段階の供述調書には,過去,Mがラティスに些細な理由で監禁された際の経験では,2~3日は水や食事を与えていなかったと記憶しており,今回は重大なことをしでかしこれまでになく怒っていたから,過去よりも長く水や食事を与えないこともあるだろうと思っていた旨の記載がある(乙24)。しかし,その記載は,過去,Mが生還した際の監禁の経験を踏まえ,Dの怒りがより大きいという観点のみから単純により長い期間の絶飲食があり得ると述べたものと理解する余地があり,そもそも夏場に水を与えないことの危険性
(すなわち死の危険性)を想定した供述ではない可能性がある。以上か
らすれば,この捜査段階の供述から直ちにBに絶飲食の認識があったとは認定できず,この供述の存在によって上記公判供述の信用性が失われるとまではいえない。
Bは,Mが物置に入れられている際に,壁にぶつかる音を聞いたことから,Mが暴行を加えられていることを認識していた。
上記のように,Bは,Mが,夏場で蒸し暑い物置の中に監禁され,食事を制限されていることや,手錠等を使って緊縛され,正座を強制されたり,暴行を受けたりしている可能性があることなどを認識していたといえる。
しかし,Bに,緊縛の具体的な態様やその強度,丸太,プランター台,金たわしの使用,口ふさぎの認識があったとは認めるに足りない。そして,監禁及び虐待の具体的内容に関するBの認識が上記のものにとどまること,特に,緊縛の具体的態様や強度などの認識を認めるに足りないこと,水は出るんじゃないかと思っていた旨の供述を排斥できず,水分途絶の認識を認めるに足りないことを踏まえれば,Mの監禁状況に対する認識の面からみて,数日続けば死の危険が高くなるほど過酷な態様のものである旨の認識までBにあったとはいえない。
Dの怒りの大きさに対するBの認識について
Bは,家族会議の場において,DがMを怒る発言を直接聞いている。Dの口調について,B自身は,通常怒っているときと余り違いを感じなかった旨を供述しているが,同じ場面に同席したKやFが,普通の怒りと違って冷静で怖いとか爆発しきっておらず不気味などと供述していることと整合せず,採用できない。また,B自身も,この発言の瞬間には,Dの殺意を感じた旨を述べている。
しかし,Dは,このとき発言した絶対許さんという言葉や,生きていられると思うな殺したるなどの生死に関わる言葉を,それ
までも口癖のように用いていた。また,Bは,公判では,3日ぐらい経った後にDに許しを請うつもりであり,いつもより時間はかかるかもしれないが,許してもらえるだろうと考えたと供述している。Bは,Mが物置に入れられたことは本件を含めて五,六回あり,その期間は最低3日,長くて1週間から10日であったが,本件までは全部Bが間に入って解放してもらったとも供述しているところ,この過去の経験に関する供述を虚偽として排斥することはできない。そうすると,Bが,そのような過去の経験を踏まえて,今回もいずれは許してもらえるだろうと考えていたとしても,不合理とまではいえない。
この点に関し,他方では,Bの検察官調書(乙21)に,これまでとは原因が違っていたので,何回もDを説得しても許してもらえないのではないかと思っていました何回言っても許してもらえず,許してもらえないうちにMが死んでしまう可能性はかなり高いと思っていました私がどれだけ努力しても,許してもらえないだろうと思っていましたなどの記載がある。しかし,それらの記載の前後には,私は,どうやって許してもらおうかとかなり頭を悩ませました最低でも3日は日を開けなければいけない,3~4日すれば行こうかなと思っていましたそれでも私のできることはやらなければいけないだろうと思っていましたなどの記載も見られる。そうすると,DがMを許す可能性の高さに関するニュアンスに差はあるが,検察官調書においても,三,四日後からMを許すようにDを説得するつもりであった旨を述べているものとみることができるから,検察官調書に上記のような記載があるからといって,上記公判供述が信用できないとまではいえない。
結論
以上のとおり,具体的な監禁状況に関する認識の面からみても,Dの怒りの大きさに対する認識の面からみても,Bにおいて,Mに対する監
禁が数日のうちに死ぬ危険の高い行為である旨の認識や認容があったと認めるには足りず,Bの殺意は認定できない。

Cの殺意
Mの監禁状況について,Cが認識していたと認められる事情は以下のとおりである。
Cは,Mが物置に閉じ込められているのは目にしており,つっかい棒は自ら用意して設置した。また,季節が夏場であることは当然に認識していたものと解される。
緊縛については,丸太の窃取に同行し,その際,Eが丸太やったら締めれれる,角材やったらゆるむと発言するのを聞いて,丸太にMを縛り付けることは予想したが,予想した態様は,立てた丸太にMの両手を上下に分けて縛るというものである旨供述している。また,正座はたぶんしていると思っていた。
飲食制限に関しては,Cは,Mに食事や水が与えられていたかどうかは全く分からないが,夏だから喉が渇くのではないかということで,水は飲ませるかなと思っていた旨供述している。この供述の内容に加え,Cは,過去に監禁されたJの場合に食事制限があったことを知っていることから,Mの場合にも,食事について制限されている可能性があることは認識していたといえる。
DやEによる暴行については,Cは,見ていない旨供述するが,過去にJやLらが監禁された際に暴行が加えられたことを,見て知っているのであるから,同様にDに怒られて監禁されたMの場合も,暴行を加えられる可能性があることは認識していたものというべきである。
上記のように,Cは,Mが,夏場の物置の中に監禁され,食事を制限されていることや,丸太を使って緊縛され,正座を強制されたり,暴行を受けたりしている可能性があることなどを認識していたといえる。
しかし,Cに,実際に行われた緊縛の態様やその強度,口ふさぎの認識があったとは認めるに足りない。
そして,監禁及び虐待の具体的内容に関するCの認識が上記のものにとどまること,特に,実際の緊縛態様や強度などの十分な認識を認めるに足りないこと,水くらいはあるやろうとの供述を排斥でき
ず,水分途絶の認識を認めるに足りないことを踏まえれば,Mの監禁状況に対する認識の面からみて,数日続けば死の危険が高くなるほど過酷な態様のものである旨の認識までCにあったとはいえない。
Dの怒りの大きさに対するCの認識について
Cは,FからMのわいせつ行為を聞いて,Mをリビングから子供部屋に連れ出して問いただしたり,Mの頭を平手で叩いたりしており,このようなC自身の言動からは,事の重大性に関する一定の認識があったことが窺える。
しかし,Cは,家族会議でDがMを怒る発言を直接聞いてはいない。Cに,DがP1家からの金の巻き上げを計画していたことについての十分な認識があったとも認定できない。以上のほか,G1家においては過去,今回のわいせつ行為を上回るような性的な虐待が繰り返されていたことも考慮すれば,Mの行為はたいしたことではなく,Gが免許合宿から戻ったらBと一緒にDに取りなしてもらえばすぐ出てくると思っていた旨のCの供述を,不合理であるとして直ちに排斥することはできない。
結論
以上のとおり,具体的な監禁状況に関する認識の面からみても,Dの怒りの大きさに対する認識の面からみても,Cにおいて,Mに対する監禁が数日のうちに死ぬ危険の高い行為である旨の認識や認容があったと認めるには足りず,Cの殺意は認定できない。


検察官の主張について
検察官は,被告人らが,JやLが監禁された末に亡くなった経験を意識したはずである旨主張するが,Jに関しては,少なくとも監禁当初は飲食物を与えるなど,生かして虐待する態様であったし,短期間で死亡したLに関しても,Mと異なり,元々通院を要する病気を抱えていた上,Bは寒さによる衰弱が死因であると思った旨,Cは高血圧が死因と聞かされた旨をそれぞれ述べている。さらに,Kは監禁から生還していること,M自身もJの死後に複数回物置に入れられてはいるが後に許されていることも考慮すれば,被告人らにおいて,本件で監禁されること自体が直ちに死の危険性の高い行為であると認識していたとまでは断定できない。
Mの死に対する被告人らの罪責


上記の被告人らの殺意の有無の検討においてみたとおり,被告人らはいずれも,DがMを怒っていることやその理由については認識しており,また,夏場の物置の中に監禁され,食事を制限されていることや暴行を受けている可能性があることなど,具体的な監禁及び虐待状況についても一定程度は認識していた。さらに,G1家においてはそれまでにもDの怒りを買った者が虐待を受けており,その中にはJのように顕著に衰弱させられた者もいたし,そこまででなくとも平成15年のE1や平成20年のKのように痩せ細り,顔面等にあざを残すなどした者もいたのであるから,被告人らにはいずれも,Dらが監禁中のMに対して暴行,正座強制,飲食制限などの虐待を加えることや,これらの虐待行為によって,Mに外傷を負わせたり,Mを衰弱させたりするなど,傷害を負わせることの可能性についての認識とその認容があったといえる。


そして,過去の経緯からG1家においてこのような監禁に虐待を伴うことは当然といえるから,上記のとおり,被告人らがMの監禁について共同正犯として関与したことは,Mの監禁に伴う虐待に対しても重要な役割を
果たしていることになる。さらに,このようなG1家における監禁と虐待の密接な関係については,被告人らも過去の経験から当然に認識していたと解されることも考慮すれば,被告人らには,Dらが加えた監禁中のMに対する暴行その他の虐待行為についても共謀が認められる。

以上によれば,被告人らには,Mに対する暴行その他の虐待行為と,それによってMに傷害を負わせることに対する故意や,Dらとの共謀が認められるから,Mが一連の行為によって惹起された高カリウム血症に基づく心停止又は肺塞栓症に基づく循環不全によって死亡したことについては,傷害致死罪の共同正犯の罪責を負う。
死体遺棄罪に関するA,Bの関与開始時期


A弁護人及びB弁護人は,Mの死体遺棄のうち,平成23年7月にeマンションから搬出して倉庫に運び込み,ドラム缶に詰めて放置した行為(罪となるべき事実第9の1)に関して,A,Bはそれぞれ共同正犯の罪責を負わない旨主張するので検討する。


Aについて
この点に関するAの供述内容は以下のとおりである。
Dから要らんシーツないかと言われて用意した。このときDから
Mが死んだとは聞かされていないが,JやLの時も同様に要らないシーツを求められたことから,Dのこの発言によってMが死んだと分かった。JやLの死体は,いずれもDらによってeマンションから搬出され,遺棄されており(甲412),当時eマンションで生活していたAにも当然その認識はあったものと解されるから,それらの時と同じようにDから要らないシーツを求められ,Mの死を認識したというのであれば,その時点でAは当然に,Dの死体遺棄の意図をも認識したものというべきである。そして,Aは,死体を包むシーツを用意したことによって,Dと死体遺棄の意思を通じるとともに死体遺棄に重要な関与をしたとい
うことができる。そして,Mは自らも関与した監禁に伴う虐待行為により亡くなったのであるから,その死体を遺棄することについては,自己の犯罪の発覚を防ぐという点で,Aにも利害がある。したがって,上記の行為についても,Aには死体遺棄罪の共同正犯が成立する。
A弁護人は,この時点でAはMの死体がどうされるのかは知らなかった旨主張するが,仮に,Aに死体遺棄の場所や方法等に関する具体的認識がなかったとしても,死体遺棄の故意や共謀などに欠けるところはない。

Bについて
この点に関するBの供述内容は以下のとおりである
Mの死を知ったDはすぐにEに死体を出せと指示した。その指示を聞いてBは,死体を出して倉庫に持っていくのだと認識した。B自身は死体の搬出について指示を受けていないが,子供部屋にいた子供らに死体を見せないようにしようと考え,子供部屋のカーテンを閉めに行った。その後,ドラム缶に詰めることについての話合いには加わったが,コンクリート詰めの作業には加わっていない。
Bは,Dの死体遺棄の意図を認識している。DはBに直接指示をしていないが,それまでにBがLの死体を運ぶのを手伝ったりJの死体を埋めたりしていたこと,Bがドラム缶詰めの話合いには参加していることからすれば,DにおいてBを特に共犯から除外する意思があったとも解されないから,BとDとの間には死体遺棄の意思の疎通が認められる。そして,死体を子供らの目に触れさせないことは,DらG1家のメンバーにとって,死体遺棄の遂行に必要な要素であったといえるから,カーテンを閉めに行った行為は重要な関与といえる。そして,Mは自らも関与した監禁に伴う虐待行為により亡くなったのであるから,その死体を遺棄することについては,自己の犯罪の発覚を防ぐという点で,Bにも
利害がある。したがって,上記の行為についても,Bには死体遺棄罪の共同正犯が成立する。
【確定裁判】
被告人Aについて
1
事実
平成25年3月25日神戸地方裁判所尼崎支部宣告
窃盗罪により懲役2年
平成25年4月9日上記裁判確定

2
証拠
統合捜査報告書(乙107)

【法令の適用】
1
被告人B及び被告人Cについて(各共通)


判示第1の行為

刑法60条,199条

判示第2及び第3の行為

いずれも刑法60条,246条1項

判示第4の行為

刑法60条,225条

判示第6の1の行為のうち
監禁の点

刑法60条,220条

殺人の点

刑法60条,199条

判示第6の2の行為

刑法60条,220条

判示第7の行為

刑法60条,220条

判示第8の行為

刑法60条,205条

判示第9の行為

包括して刑法60条,190条

科刑上一罪の処理

刑法54条1項前段,10条(判示第6の1の
監禁及び殺人の各罪は,1個の行為が2個の罪
名に触れる場合であり,判示第6の1の監禁及

び判示第6の2の監禁の各罪も,1個の行為が
2個の罪名に触れる場合であるから,結局以上
を一罪として最も重い判示第6の1の殺人罪の
刑で処断する。)
刑種の選択
判示第1及び第6の各罪につき有期懲役刑を
それぞれ選択

併合罪の処理

刑法45条前段,47条本文,10条(刑及
び犯情の最も重い判示第1の罪の刑に法定の
加重)

未決勾留日数の算入

刑法21条

訴訟費用の不負担

刑事訴訟法181条1項ただし書

2
被告人Aについて


判示第1の行為

刑法60条,199条

判示第2及び第3の行為

いずれも刑法60条,246条1項

判示第5の行為

刑法62条1項,225条

判示第6の1の行為のうち
監禁の点

刑法60条,220条

殺人の点

刑法60条,199条

判示第6の2の行為

刑法60条,220条

判示第7の行為

刑法60条,220条

判示第8の行為

刑法60条,205条

判示第9の行為

包括して刑法60条,190条

科刑上一罪の処理

刑法54条1項前段,10条(判示第6の1の
監禁及び殺人の各罪は,1個の行為が2個の罪
名に触れる場合であり,判示第6の1の監禁及

び判示第6の2の監禁の各罪も,1個の行為が
2個の罪名に触れる場合であるから,結局以上
を一罪として最も重い判示第6の1の殺人罪の
刑で処断する。)
刑種の選択
判示第1及び第6の各罪につき有期懲役刑を
それぞれ選択

法律上の減軽

判示第5の罪につき刑法63条,68条3号
(従犯)

併合罪の処理

刑法45条後段,50条(判示各罪につき更
に処断),45条前段,47条本文,10条
(刑及び犯情の最も重い判示第1の罪の刑に法
定の加重))

未決勾留日数の算入

刑法21条

訴訟費用の不負担

刑事訴訟法181条1項ただし書

【量刑の理由】
1
本件の一連の犯行のうち,特に重いのは,保険金目的で被害者1名を殺害した判示第1の殺人(I事件)と,被害者1名を監禁し,虐待を加えて殺害した判示第6の1の監禁・殺人(J事件)であり,次に重いのは,被害者1名を逮捕監禁し,虐待を加えて死亡させた判示第7・第8の逮捕監禁・傷害致死(M事件)である。そこで,まず,これら2件の殺人及び1件の傷害致死並びに付随する逮捕・監禁について順次被告人の行為責任を検討する。

2
I事件において,Dは,被害者に対して自殺するように迫り,被害者が自殺できないと分かるや,暴行,正座強制,飲食制限などの虐待を執拗に加えて死ぬことを迫るとともに,家族全員で冷淡な態度をとるなどの方法で心理的に追い込んで,死を強制的に承諾させ,その後も,死別の挨拶などにより被害者の逃げ道を断った上で,崖から飛び降りさせている。被害者を死に追い込む手はずは極めて
執拗かつ周到なものであり,犯行態様は相当悪質である。また,その計画の緻密さなどからすれば,Dの殺意が強固なものであったことも明らかである。そして,被害者自身には死ななければならない理由は全くなかったことなどを考慮すると,死亡保険金を詐取するために被害者を殺すというDらの犯行動機や犯行に至る経緯に酌量すべき点は皆無である。以上からすれば,I事件におけるDらの行為は非常に悪質である。
他方で,被告人3名の具体的な関与をみると,死ねないことでDから責められている被害者のことを無視し,被害者が崖から飛び降りる直前に被害者を取り囲むなどして,被害者の意思を抑圧することに関与してはいるものの,被害者の意思の抑圧に関して決定的な役割を果たした暴行等の虐待行為への関与は大きくない。そうすると,本件犯行の計画を発案し,これを主導したDと比較すれば,被告人3名の関与の程度は小さく,従属的なものにとどまるというべきである。また,被告人3名とも,DによってG1家に取り込まれ(Cについても,一旦G1家から抜け出した後,Dに連れ戻され),その後,G1家で生活する中で,絶対的な存在であるDの意向に逆らうことが不可能ではなかったものの相当困難であったことは否定できないから,そのような状況下においてDの意向に従って本件に関与したという経緯には,一定の酌量の余地がある。
これらの点を考慮すると,I事件における被告人3名の行為責任は,保険金の取得を目的とする殺人事件の類型の中で比較すれば,かなり軽いほうの部類に属するといえる。
3
J事件において,Dらは,長期間にわたり,被害者を物置に監禁し,飲食の制限や暴行といった虐待を加えて衰弱させたあげく,更に虐待を加えて被害者を殺害しており,その犯行態様は,非常に残虐である上,人を死に追いやる危険性が高いものである。被害者の苦痛も計り知れず,本件犯行全体の経緯は極めて悪質である。そして,虐待に耐えかねてG1家から逃げ出した被害者に対し,逃げたことに対する制裁として更に虐待を加えるという動機は身勝手なものというほか
ない。
他方で,被告人3名の具体的な関与をみると,物置内の被害者の動静をモニターで監視するなど,本件犯行に相応の関与はしているものの,被害者を衰弱させ,死亡させた根本的な原因である飲食制限等の虐待にはほとんど関与しておらず,犯行への関与は従属的なものにとどまる。このことに加え,I事件と同様,共同体の中の絶対的な存在であるDの意向に逆らうことが相当困難な状況下において犯行に関与したという経緯には,一定の酌量の余地がある。
これらの点を考慮すると,J事件における被告人3名の行為責任は,被害者1名の殺人事件に従属的に関与した者に対する量刑傾向を一つの参考にし,その中で比較すれば,相当軽いほうの部類に属するものと考える。
4
M事件においては,Dらは,夏場の物置に監禁し,丸太や手錠を使って緊縛した上,飲食を制限するなどの虐待を加えて被害者を衰弱させた後,さらに虐待を加えて死亡させており,被害者が監禁されてから3日足らずで死に至っていることも考慮すると,その監禁及び虐待が非常に過酷なものであったことは明らかである。被害者が同居の少女にわいせつな行為をしたという経緯があったとしても,その制裁として本件犯行を行うことは釣り合いが全くとれておらず,Dらの動機に酌むべき点はない。
しかし,被告人3名は,被害者の死亡に直結する行為にはほとんど関与しておらず,その関与は従属的なものにとどまることや,I事件やJ事件と同様,Dの意向に逆らうことが相当困難な状況下において本件に関与したという経緯には,一定の酌量の余地があることを考慮すれば,被告人3名の行為責任は,傷害致死のみの事案の量刑傾向を参考としてみた中で比較すれば,軽いほうの部類に属するというべきである。

5
以上のような点を踏まえて,まず,殺人2件に関する行為責任の範囲について検討する。殺人を2件以上犯した場合の量刑分布をみると,無理心中事案や心神耗弱が認められた事案などを除けば,概ね懲役20年以上に分布している。しか
し,本件では,被告人らの犯行への関与が従属的なものにとどまる上,犯行に関与するに至った経緯に一定の酌量の余地がある。これに加え,共犯者との刑の均衡などを考慮すれば,本件の殺人2件のうち1件が保険金目的の殺人であることを踏まえても,両事件の行為責任の範囲は,懲役20年以上でなければ見合わないとはいえず,これを下回るといえる。これに,上記逮捕監禁・傷害致死事件の行為責任や,被害額5000万円の詐欺(なお,この行為責任の大部分は保険金目的殺人の行為責任に取り込まれている),虐待を苦にG1家から逃げていた被害者を,虐待を加える認識のもと無理やりG1家に連れ戻した生命身体加害略取ないし同幇助,短期間の監禁,死体遺棄といった他に成立する各犯罪(いずれも従属的な関与にとどまるもの)の行為責任を加味すれば,全ての事件を併せた被告人3名の行為責任の範囲は,懲役20年を少し上回ると考える。6
その上で,被告人らがそれぞれ被告人らなりの反省の態度を示していることなどの更生に関する事情を考慮しても,主文の刑は免れないと考えた。
(求刑

被告人3名につき懲役30年)
平成27年9月28日
神戸地方裁判所第2刑事部

裁判長裁判官


裁判官


裁判官

内田兒幸山耕督裕史
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