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各原爆症認定申請却下処分取消請求事件
事件番号平成25(行ウ)406等
事件名各原爆症認定申請却下処分取消請求事件
裁判年月日平成28年6月29日
法廷名東京地方裁判所
判示事項前立腺がんに罹患している原子爆弾被爆者について,経過観察的待機療法が選択されていても現に医療を要する状態にあると認められるとして,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項の認定の申請を却下した厚生労働大臣の処分が違法であるとされた事例
裁判要旨前立腺がんに対するPSA(前立腺特異抗原)監視療法は,積極的な治療行為は行わない経過観察的待機療法であるが,医師による定期的なフォローアップは必要とされており,被爆者援護法7条の健康診断の範囲では賄うことのできない内容の診療行為であると考えられること,積極的な治療行為を行わないとする判断は,検査したPSA値に異常の認められないことを踏まえてされるものであり,積極的な治療行為が行われないことは当該診察の結果にとどまると考えられることに照らせば,PSA値の異常の有無を確認するために行われる定期的な検査は,同法10条2項1号の「診察」に該当し,同条1項による「必要な医療」に当たるというべきであり,一定の頻度でPSA値の検査が必要な状態にあると認められる前立腺がんに罹患している原子爆弾被爆者について,同項にいう「現に医療を要する状態にある」と認められるから,これについての同法11条1項の認定の申請を却下した厚生労働大臣の処分は違法であるとして,同処分が取り消された事例
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平成28年6月29日判決言渡
平成25年(行ウ)第406号,第408号,第409号,第411号,第471号及び第799号

各原爆症認定申請却下処分取消請求事件
主1文
別表「申請者」欄記載の者がした原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項の認定の申請(同「病名」欄記載の疾病に係るもの)につき,処分行政庁が同
「処分日」
欄記載の日付でした却下処分をいずれも取り消す。

2
原告Z1のその余の請求を棄却する。

3
訴訟費用は,原告Z1に生じた費用の2分の1と被告に生じた費用の12分の1を同原告の負担とし,その余は被告の負担とする。

第1
1実及び理由
請求
第406号,第408号,第409号,第411号,第799号事件主文第1項と同旨

2
第471号事件
訴外Z2がした原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項の認定の申請(胃がん,大腸がん及び肺がんに係るもの)につき,処分行政庁が平成25年1月23日付けでした却下処分を取り消す。

第2

事案の概要
本件は,原子爆弾に被爆し被爆者健康手帳の交付を受けている原告Z3,原
告Z4,原告Z5,原告Z6及び原告Z7(,以上5名の原告を「被爆原告ら」という。)並びに訴外Z2(被爆原告らと合わせて「原告等」という。)が,それぞれ自身の疾病について,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(平成6年法律第117号。以下「被爆者援護法」という。)11条1項の認定(以下「原爆症認定」という。)を厚生労働大臣(処分行政庁)に申請したところ,処分行政庁がこれらをいずれも却下したため,被爆原告らにおいては各自に係
る,
死亡した訴外Z2の妻で相続人である原告Z1においては訴外Z2に係る,当該各却下処分
(原告Z4についてはその一部)
の取消しを求める事案である。
1
関係法令の定め
(1)「被爆者」の意義

原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(昭和32年法律第41号。以下「旧原爆医療法」という。)2条は,同法において「被爆者」とは,原子爆弾が投下された際当時の広島市若しくは長崎市の区域内又は政令で定めるこれらに隣接する区域内に在った者等の同条各号のいずれかに該当する者であって,被爆者健康手帳の交付を受けたものをいう旨を定め,同法3条2項は,都道府県知事は,被爆者健康手帳の交付を受けようとする者の申請に基づいて審査し,申請者が同法2条各号の一に該当すると認めるときは,その者に被爆者健康手帳を交付するものとする旨を定め,同年4月1日に施行された。


平成6年12月16日,被爆者に対する健康診断及び医療について規定していた旧原爆医療法と,被爆者に対する手当等について規定していた原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(昭和43年法律第53号)とを統合する内容の被爆者援護法が制定され,平成7年7月1日から施行されて,前二法は廃止された(被爆者援護法附則1条,3条)。
被爆者援護法1条は,同法において「被爆者」とは,原子爆弾が投下された際当時の広島市若しくは長崎市の区域内又は政令で定めるこれらに隣接する区域内に在った者等の同条各号のいずれかに該当する者であって,被爆者健康手帳の交付を受けたものをいう旨を定め,
同法附則4条2項は,
同法施行日前に旧原爆医療法3条2項の規定により交付された被爆者健康手帳は,被爆者援護法の規定により交付された被爆者健康手帳とみなす旨を定める。

(2)健康診断

被爆者援護法7条は,都道府県知事は,被爆者に対し,毎年,厚生労働省令で定めるところにより,健康診断を行うものとする旨を定める。(3)被爆者に対する医療の給付と原爆症認定

被爆者援護法10条1項は,厚生労働大臣は,原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し,
又は疾病にかかり,
現に医療を要する状態にある
(ただし,
当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射能(放射線の意。)に起因するものでないときは,その者の治癒能力が原子爆弾の放射能(同上)の影響を受けているため現に医療を要する状態にある場合に限る。)被爆者に対し,必要な医療の給付を行う旨を定め,同条2項は,同条1項に規定する医療の給付の範囲を,同項各号において,①診察,②薬剤又は治療材料の支給,③医学的処置,手術及びその他の治療並びに施術,④居宅における療養上の管理及びその療養に伴う世話その他の看護,⑤病院又は診療所への入院及びその療養に伴う世話その他の看護,⑥移送と定め,同条3項は,同条1項に規定する医療の給付は,厚生労働大臣が指定医療機関に委託して行う旨を定める。


被爆者援護法11条1項は,同法10条1項に規定する医療の給付を受けようとする者は,あらかじめ,当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生労働大臣の認定(原爆症認定)を受けなければならない旨を定め,同条2項は,厚生労働大臣は,前項の認定を行うに当たっては,当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らかであるときを除き,政令で定める審議会等の意見を聴かなければならない旨を定めるところ,同法施行令9条は,この審議会等として,疾病・障害認定審査会を定める。
なお,疾病・障害認定審査会は,国家行政組織法8条,厚生労働省組織令132条により置かれた審議会等であり,被爆者援護法の規定に基づきその権限に属させられた事項を処理する(同令133条1項)が,具体的
には,同審査会に置かれた原子爆弾被爆者医療分科会(以下「原爆医療分科会」という。)が同事項を処理することとされている(同条2項,疾病・障害認定審査会令5条1項)。
(4)医療費及び一般疾病医療費の支給

被爆者援護法17条1項は,厚生労働大臣は,被爆者が,緊急その他やむを得ない理由により,指定医療機関以外の者から同法10条2項各号に掲げる医療を受けた場合において,必要があると認めるとき,及び,被爆者が指定医療機関から同各号に掲げる医療を受けた場合において,当該医療が緊急その他やむを得ない事由により同条1項の規定によらないで行われたものであるときは,同項に規定する医療の給付に代えて,医療費を支給することができる旨を定める。


被爆者援護法18条1項及び平成7年厚生省告示第126号は,厚生労働大臣は,被爆者が,同法10条1項に規定する医療の給付を受けることができる負傷又は疾病,遺伝性疾病,先天性疾病,原子爆弾の放射線を浴びた時以前にかかった精神病並びに齲歯のうち第1度齲蝕(C1)及び第2度齲蝕(C2)を除く負傷又は疾病につき被爆者一般疾病医療機関から同法10条2項各号に掲げる医療を受け,又は緊急その他やむを得ない事由により被爆者一般疾病医療機関以外の者からこれらの医療を受けたときは,その者に対し,当該医療に要した費用(患者負担金その他の実費徴収の額)の額を限度として,一般疾病医療費を支給することができる旨を定める。

(5)医療特別手当又は特別手当の支給
被爆者援護法24条1項は,都道府県知事は,原爆症認定を受けた者であって,当該認定に係る負傷又は疾病の状態にあるものに対し,医療特別手当を支給する旨を定め,同法25条1項は,都道府県知事は,医療特別手当の支給を受けている場合を除き,原爆症認定を受けた者に対し,特別手当を支
給する旨を定める。
同各条2項は,各条1項に規定する者は,これらの手当の支給を受けようとするときは,各条1項に規定する要件に該当することについて,都道府県知事の認定を受けなければならない旨を定める。
同各条3項は,これらの手当は,月を単位として支給するものとし,医療特別手当の額は,1月につき,13万5400円とし,特別手当の額は,1月につき,5万円とする旨を定め,同各条4項は,これらの手当の支給は,各条2項の認定の申請をした日の属する月の翌月から始め,各条1項の要件に該当しなくなった日の属する月で終わる旨を定める(ただし,同法29条により,各手当の額については,物価指数に応じた自動改定が予定されている。)。
(6)健康管理手当の支給
被爆者援護法27条1項は,都道府県知事は,被爆者であって,造血機能障害,肝臓機能障害その他の厚生労働省令で定める障害を伴う疾病(原子爆弾の放射能(放射線の意。)の影響によるものでないことが明らかであるものを除く。)にかかっているものに対し,その者が医療特別手当,特別手当等の支給を受けている場合を除き,健康管理手当を支給する旨を定める。同条4項は,健康管理手当は,月を単位として支給するものとし,その額は,1月につき,3万3300円とする旨を定め,同条2項及び5項は,同法24条及び25条の各2項及び4項と同様の趣旨を定める(同法29条により,健康管理手当の額については,物価指数に応じた自動改定が予定されているのも同様である。)。
2
前提事実(当事者間に争いがなく若しくは公知の事実であり,又は弁論の全趣旨によって認められる。)
(1)原子爆弾の投下

米国軍は,昭和20年8月6日,広島市にウラニウム原子爆弾「リトル
ボーイ」(以下「広島原爆」という。)を投下し,同日午前8時15分,同市ω1(以下,地名は当時のもの。)の上空約600メートルで核爆発した。

米国軍は,昭和20年8月9日,長崎市にプルトニウム原子爆弾「ファットマン」(以下「長崎原爆」という。)を投下し,同日午前11時02分,同市ω2の上空約500メートルで核爆発した。

(2)原告等の被爆と被爆者健康手帳の交付

原告Z3
原告Z3は,昭和8年2月5日生まれの男性であり,昭和20年8月9日(当時満12歳),長崎市内で長崎原爆に被爆し,昭和40年10月1日,旧原爆医療法3条2項により被爆者健康手帳の交付を受けた。

原告Z4
原告Z4は,昭和7年5月24日生まれの女性であり,昭和20年8月9日(当時満13歳),長崎市内で長崎原爆に被爆し,昭和47年8月1日,旧原爆医療法3条2項により被爆者健康手帳の交付を受けた。

原告Z5
原告Z5は,昭和11年4月15日生まれの男性であり,昭和20年8月9日(当時満9歳),長崎市内で長崎原爆に被爆し,昭和49年10月31日,旧原爆医療法3条2項により被爆者健康手帳の交付を受けた。

原告Z6
原告Z6は,昭和6年8月19日生まれの男性であり,昭和20年8月9日(当時満13歳),長崎市内で長崎原爆に被爆し,昭和41年12月16日,旧原爆医療法3条2項により被爆者健康手帳の交付を受けた。

訴外Z2
訴外Z2は,昭和16年2月21日生まれの男性であり,昭和20年8月6日(当時満4歳),広島市内で広島原爆に被爆し,昭和47年11月
頃,旧原爆医療法3条2項により被爆者健康手帳の交付を受けた。カ
原告Z7
原告Z7は,昭和13年1月10日生まれの男性であり,昭和20年8月6日(当時満7歳),広島市内で広島原爆に被爆し,昭和55年2月12日,旧原爆医療法3条2項により被爆者健康手帳の交付を受けた。
(3)原告等の原爆症認定申請と却下処分等

原告Z3
原告Z3は,慢性心不全と診断され,治療を受けつつ,平成24年6月29日,その原爆症認定を処分行政庁に申請したが,処分行政庁は,同年10月23日付けで,その申請を却下し,同年11月4日に通知された。原告Z3は,
同年12月28日,
同却下処分に対して異議申立てをしたが,
これについての決定がされないまま,平成25年7月5日,本件訴え(第406号事件)を提起した。
なお,原告Z3は,これに先立つ平成20年4月22日付けで胃がんの原爆症認定を受け,平成26年7月4日付けで大腸がんの原爆症認定を受けている。


原告Z4
原告Z4は,急性心筋梗塞,心不全と診断され,治療を受けつつ,平成22年12月8日,これらの原爆症認定を処分行政庁に申請したが,処分行政庁は,平成23年12月22日付けで,その申請を却下し,平成24年1月19日に通知された。原告Z4は,平成24年3月15日,同却下処分に対して異議申立てをしたが,これについての決定がされないまま,平成25年7月5日,心筋梗塞についての原爆症認定申請却下処分部分の取消しを求める本件訴え(第408号事件)を提起した。


原告Z5
原告Z5は,前立腺がんと診断され,平成23年5月16日,その原爆
症認定を処分行政庁に申請したが,処分行政庁は,平成24年3月23日付けで,その申請を却下し,同年4月4日に通知された。その却下の理由は,専ら当該申請疾病の要医療性が十分に証明されていないというものである。原告Z5は,同年5月31日,同却下処分に対して異議申立てをしたが,これについての決定がされないまま,平成25年7月5日,本件訴え(第409号事件)を提起した。

原告Z6
原告Z6は,甲状腺機能低下症(ただし,自己抗体陰性のもの)と診断され,治療を受けつつ,平成22年11月30日,その原爆症認定を処分行政庁に申請したが,処分行政庁は,平成24年2月24日付けで,その申請を却下した。原告Z6は,同年4月20日,同却下処分に対して異議申立てをしたが,処分行政庁は,平成25年2月15日付けで,これを棄却する旨の決定をした。原告Z6は,平成25年7月5日,本件訴え(第411号事件)を提起した。


訴外Z2
訴外Z2は,
胃がん,
大腸がん及び肺がんと診断され,
治療を受けつつ,
平成24年9月10日,これらの原爆症認定を処分行政庁に申請したが,処分行政庁は,平成25年1月23日付けで,その申請を却下し,同月30日に通知された。訴外Z2は,同年5月15日に死亡し,原告Z1はその妻で相続人である。原告Z1は,同年7月29日,本件訴え(第471号事件)を提起した。


原告Z7
原告Z7は,甲状腺機能低下症(ただし,自己抗体陰性のもの)と診断され,治療を受けつつ,平成25年3月28日,その原爆症認定を処分行政庁に申請したが,処分行政庁は,同年7月12日付けで,その申請を却下した。原告Z7は,同年12月16日,本件訴え(第799号事件)を
提起した。
3
放射線に関する知見と原爆症認定審査の方針

(1)原子の構造と放射能及び原子力
原子は,原子核の周囲の軌道を電子が高速で周回する構造の粒子であり,原子核は陽子(プロトン。核反応式等においてpと記されることがある。)と中性子(ニュートロン。核反応式等においてnと記されることがある。)の2種類の素粒子が核力という強い力で結合した状態のものである(ただし,
通常の水素の原子核は陽子1個のみから成る。)。陽子と中性子は核子と総称され,前者は正電荷を帯び,後者は電荷がない点で異なる。一方,電子(エレクトロン。eと記されることがある。)は負電荷を帯びた素粒子で,質量は核子の約2千分の1である。
陽子数が同一で化学的性質は同一である原子を元素という(元素を特定するのに用いられる原子番号は,陽子数を表す。)。陽子数と中性子数の組合せが同一である原子核を核種といい,陽子数が同一(すなわち,同一の元素)であるが,中性子数の異なる核種を同位体(アイソトープ)という。ある原子が持つ陽子及び中性子の数の合計(すなわち核子の数)を質量数といい,核種は,陽子数を表すことにもなる元素の名称の末尾に質量数を付して炭素14,あるいは元素記号の左肩に質量数を付して14Cのように表す(この場合,炭素は原子番号すなわち陽子数が6の元素であるから,質量数14との差である8個の中性子を有していることになる。)。
各元素の同位体には,陽子数と中性子数の組合せ(すなわち核種)によっては構造が安定せず,安定した構造の核種になろうと自然崩壊するものがあり,自然崩壊時には放射線が放出される。このように自然崩壊によって放射線を放出する能力ないし性質を放射能ないし放射性といい,そのような能力ないし性質を有する核種を放射性核種又は放射性同位体(ラジオアイソトープ)といい,放射能を持つ原子(放射性核種)を含む物質を放射性物質とい
う。
自然崩壊は,一定量の放射性核種について,核種によって崩壊率は異なるものの,一定時間ごとに原子数に比例して定率で崩壊することから,放射能が半減する期間である半減期をもって表されることが多く,半減期が短いほど自然崩壊の平均速度が速い(ただし,一定時間ごとに定率で崩壊するものであるため,半減期が長いからといって短い時間中に放射性崩壊する原子が存在しないわけではなく,その個数が少ないにすぎない。したがって,半減期の短い核種は一定量当たりの一定時間内の自然崩壊量が多く,半減期の長い核種は一定量当たりの一定時間内の自然崩壊量が少ないというのが正確である。)。
なお,原子力とは,このような自然崩壊によるものに限らず,原子核変換の過程において原子核から放出されるすべての種類のエネルギーをいう(原子力基本法3条1号)。((1)全体につき,甲A7の13~14頁,甲A238の添付図1,公知の事実,弁論の全趣旨)
(2)放射線とその種類
通常の状態の原子(及び原子の結合した分子)では,陽子数と電子数が一致するため原子全体としての電荷はプラスマイナス零であるが,何らかの原因で電荷を帯びた状態になることを電離(イオン化)といい,法令上健康への影響の観点から防護を要するとされている放射線は,直接又は間接に空気を電離する能力をもつ電磁波又は粒子線(電離放射線)である(甲A196の4~5丁,甲A229の4~5丁,原子力基本法3条5号,20条,放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律2条1項,放射線を発散させて人の生命等に危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律2条2項)。
電離放射線には,アルフア線,ベータ線,中性子線,ガンマ線及びエックス線などがある(核燃料物質,核原料物質,原子炉及び放射線の定義に関する政令4条,電離放射線障害防止規則2条1項)。このうちアルフア線,ベ
ータ線,ガンマ線及び中性子線は,それぞれ以下の特徴を有する。(甲A132の2,乙B4,乙B5。(2)全体につき,甲A7の191~192頁,甲A48の10頁・47~48頁,甲A75の1の5~7頁,甲A77の資料13,甲A137の1~6頁,甲A194の2~3頁,甲A197,甲A224の2~3頁,甲A225の2頁・5~6頁・付録参考資料(2)(5),・
甲A238の1~2頁・添付図6・9,甲A292の7の6~8頁,甲A653の1丁)

アルフア線(α線)
2個の陽子と2個の中性子から成るヘリウム原子核の粒子線である。質量が大きく,正電荷を帯びているため,物質との相互作用が強く,物
質通過(透過)中に急速にエネルギーを失っていくので,透過力(物質を通過する力)は小さく,空気中では数センチメートル程度,水中では1ミリメートル未満しか進めず,薄い紙1枚で完全に停止することができる。したがって,アルフア線被曝により健康影響が現れるのは,アルフア線を放出する物質が体内に摂取された内部被曝時のみである。

ベータ線(β線)
高速度の電子から成る粒子線である。
エネルギー量,すなわち速度により,透過距離は異なり,空気中では数
十センチメートルないし数メートルの距離まで届くが,アルミニウム板や厚さ数ミリメートルないし1センチメートル程度のプラスチック板でも完全に停止することができるため,主に,健康影響が生じるのは,アルフア線と同様,体内に摂取された内部被曝時である。

ガンマ線(γ線)
可視光線や紫外線よりも波長が短く,すなわち,はるかにエネルギーの
高い電磁波である。
アルフア線やベータ線と異なり,質量や電荷を持たないため,物質との
相互作用の程度が弱く,物質を通過する際にエネルギーを失いにくく,透過力が大きい。

中性子線
中性子から成る粒子線であり,ウランやプルトニウムの核分裂などによ
って発生する。原子爆弾の爆発に至る原子核の連鎖反応を引き起こすのは中性子線であるといわれる。
電荷を帯びていないため,透過力は大きい半面,直接細胞に損傷を与えることはほとんどないが,質量が大きく,人体に大量に含まれる水を構成する水素の原子核,すなわち,正電荷を帯びた陽子にぶつかると,陽子がはじき飛ばされて体内で電離(イオン化)を引き起こし,種々の障害を誘発するとされ,
吸収線量が同じであれば,
ガンマ線よりも中性子線の方が,
人体に重度の障害を引き起こすとされる(したがって,後述の等価線量算出のための放射線加重係数が大きい。)。
エネルギーの高い高速中性子(速中性子ともいう。)線に対して,物質中を伝播・拡散する間に原子核と衝突してエネルギーを失い,物質の分子の熱運動と平衡に達した状態の運動エネルギーの低い中性子線を熱中性子線という。
(3)放射線量等の種別と測量単位
放射線量は,放射線が物質や人体に及ぼす作用や影響の大きさにより評価され,どのような作用や影響に注目するかによって,いくつかの線量の種別とその単位が定義されて用いられている。なお,放射線が物質や人体に及ぼす作用や影響とは関係なく,専ら放射性物質の側で放射線を放出する能力に着目した測量単位もある。(甲A7の194~195頁,甲A27,甲A48の11~13頁,甲A75の1の7~10頁,甲A78の資料13,甲A194の3~4頁・6~9頁,甲A196の8丁・10丁・13~14丁,甲A199,甲A201,甲A224の6~12頁,甲A225の3~5頁・
付録参考資料(4),甲A229の10丁・15丁・18丁・20~21丁,甲A238の8頁,甲A503の53頁,甲A602の2の34,乙B112の26~34頁)

吸収線量(グレイ,ラド)
放射線が物質との相互作用を行った結果,その物質の単位質量当たりに吸収されたエネルギーを吸収線量という。吸収線量は,放射線の種類や放射線が吸収される物質の種類に関係なく使用され,1グレイ(Gy)は物質1キログラム当たり1ジュールのエネルギー吸収があるときの吸収線量である。従来用いられていたラド(rad)は,グレイの100分の1を示す単位(1ラド=1センチグレイ)である。


等価線量及び実効線量(シーベルト)
人体に放射線が当たった場合,同一の吸収線量であっても,放射線の種類やエネルギーによって与えられる影響の程度は異なることから,条件の異なる放射線照射により人体に与えられるリスク(危険度)を,同一尺度に計算し,放射線防護の目的で比較したり,加え合わせたりするために等価線量という概念が用いられる。また,等価線量が同じでもその影響の現れ方は人体の組織や臓器によって異なるため,人体の様々な組織への影響を合計して評価するために実効線量という概念が用いられる。
等価線量は,吸収線量を示すグレイ値に,放射線の種類とエネルギーに応じた放射線加重係数
(ベータ線やガンマ線では1,
アルフア線では20,
中性子線ではエネルギーによって5ないし20)
を乗じて算出した数値を,
単位シーベルト(Sv)で表す。また,実効線量は,更にこれに個別の人体組織についての放射線感受性を表す組織加重係数を乗じたものを,放射線を受けた組織について加え合わせて表す。
もっとも,シーベルトは主にリスク推定ではなく放射線防護の目的で使用されている単位であり,等価線量と実効線量を同一の単位で表示するの
は紛らわしいなどとして,等価線量を「重み付けされた」グレイ(Gy)値で表す方法が採られる場合もあり,最近はこの例が多い(甲A503の1~2頁)。

照射線量(レントゲン)
エックス線やガンマ線(電磁波放射線)を照射して原子がイオン化(電離)
される量に着目した放射線の総量を照射線量という。
1レントゲン
(R)
は,放射線の照射によって標準状態の空気1立方センチメートル当たり1静電単位(esu)のイオン電荷が発生したときの放射線の総量と定義される。1レントゲンは,約0.87ラドの吸収線量に相当するといわれている。


放射能(ベクレル,キュリー)
放射能は,放射線源に含まれる放射性同位元素の量をもって表すことができる。1ベクレル(Bq)は,1秒間に1個の原子が崩壊する放射性同位元素の量を表す。従来用いられていたキュリー(Ci)はベクレルの370億倍(1キュリー=370億ベクレル)に相当する。

(4)原子爆弾の原理と放射線等の放出

原子爆弾の原理
原子爆弾は,高速中性子を照射すると原子核分裂を起こして高エネルギーを放出する性質を有する核物質に核分裂反応を惹起し,その核分裂反応の過程で放出される中性子により周囲の核物質に更に核分裂の連鎖反応を起こすことにより,極めて高エネルギーの破壊力を放出させる核爆弾である。もっとも,原子核分裂が始まると核物質自体が高温高圧となって膨張し密度が急速に減少するため,核分裂連鎖反応が持続するには,核物質が一定密度以上の塊である必要があり,この量を臨界量という(甲A225の付録参考資料(7),甲A280の112頁)。(甲A7の16~17頁)

広島原爆は,核物質としてウラン235を用いた円柱状の砲身型の爆弾で,臨界量以上含有する高濃縮ウランが,それぞれは臨界量未満となるよう,砲弾状のものとリング状のものの2つに分けて砲身内の両端に設置され,砲弾状の核物質よりも更に先端部に設置された火薬に点火すると,砲弾状のものが砲身内をリング状の核物質の方向に移動して,核物質が臨界量以上の塊となると同時に,その移動の衝撃により中性子発生装置を起動して,核分裂連鎖反応を惹起する構造のものである(甲A7の24頁,甲A48の8頁・図1,甲A163の47~49頁・中挿絵1丁裏,乙B8の1の添付資料9丁)。
一方,長崎原爆は,核物質としてプルトニウム239を用いた球状の爆縮型の爆弾で,中心部に設置された中性子発生装置の周囲に標準状態で臨界量未満の核物質を設置し,その更に周囲に燃焼速度の速い火薬と遅い火薬とを組み合わせて設置し,これに点火すると,中心部に向かって収縮する球面波が発生して,中心部の核物質が極めて短時間に圧縮されて臨界量相当以上の密度の高い状態となり,中性子発生装置も押しつぶされることにより起動して,核分裂連鎖反応を惹起する構造のものである(甲A7の26~27頁,甲A48の10頁・図3,甲A163の48頁,乙B8の1の添付資料9丁)。

原子爆弾の放出する放射線等
原子爆弾は,起爆後100万分の1秒ほどの間に,核分裂連鎖反応により数百万度の超高温,数十万気圧の超高圧に達し,核物質,核分裂生成物及び爆弾器材の大部分が電離したプラズマ状態の火球を形成した後,火球が急激に膨張し,放射線のほか,熱線並びに衝撃波及び爆風としてもエネルギーを放出する(甲A82の10~15頁,甲A84の3頁,甲A229の42丁,甲A287の3頁)。
原子爆弾に起因する放射線は,①火球が膨張を始める前の核分裂連鎖反
応時に核物質が放出する即発放射線のほか,②一部未分裂のものとして残った核物質や核分裂生成物が放射性崩壊するに際して放出する放射線,③これらの放射線として放出された中性子が地面や建造物等を構成する物質中の原子核と核反応を起こして中性子数の多い放射性核種を形成し(これを放射化又は誘導放射化という。),これが放射性崩壊するに際して放出する誘導放射線などに分類することができる。②及び③の放射性物質が降下物となったものが放射性降下物(フォールアウト)である。
核爆発からの1分間に放出される放射線を初期放射線,それ以後に放出される放射線を残留放射線と分類することもあり,初期放射線のうち即発放射線でないものを遅発放射線ということもある。(イ全体につき,甲A7の42~79頁,甲A37(乙B6)の3~7頁,甲A48の8~10頁・47頁,甲A238の2~5頁・添付図3・4・13・15・16,甲A278の6~10頁,甲A607,乙B69,乙B79,弁論の全趣旨)
(5)放射線影響に関する研究機関と報告書等

原子爆弾傷害調査委員会及び放射線影響研究所
米国学士院は,昭和22年(1947年),広島原爆及び長崎原爆の被爆者の健康影響を調査するため,広島市及び長崎市に原子爆弾傷害調査委員会(AtomicBombCasualtyCommission。以下「ABCC」という。)を設立した。財団法人放射線影響研究所(RadiationEffectsResearch
Fo

undation(RERF)。以下「放影研」という。)は,昭和50年(1975年)4月1日に日米両国の共同出資で設立されて,ABCCの被爆者追跡調査をそのまま引き継ぎ,現在まで,両国政府の共同運営により放射線の人体影響に関する研究等を行ってきている日米共同研究機関であり,旧厚生省(厚生労働省)の補助金と,米国エネルギー省との契約に基づく同国学士院の補助金とで経費を折半されている。
(甲A296の1の2丁,

甲A501の8丁,甲A503の1頁,乙B110の1頁)
放影研では,疫学部,統計部,臨床研究部,遺伝学部,放射線生物学/分子疫学部,情報技術部が設けられ,昭和25年の国勢調査時の原子爆弾被爆者調査により確認された28万4000人の日本人被爆者のうち,当時,広島又は長崎に居住していた約20万人を基本群として,そこから一定の基準に基づいて抽出した副次集団について,厚生労働省及び法務省の公式許可を得て日本国内で死亡した被爆者の死因に関する情報を入手した上での「原爆被爆者の死亡率調査」(寿命調査。LifeSpanStudy)に関する報告書(以下「LSS」という。)や,広島県及び長崎県の腫瘍・組織登録からの情報によりがんの発生率を把握したり,疾患の発生と健康状態に関する追加情報を得たりした上での「成人健康調査」(AdultHealthStudy)に関する報告書(以下「AHS」という。)を,ABCCの時代から不定期にまとめて公表してきている(甲A296の1,甲A503,乙B110)。

原子放射線の影響に関する国際連合科学委員会
1950年(昭和25年)初頭に頻繁に行われた核実験による環境影響及び人間への健康影響を世界的に調査するために,1955年(昭和30年),国際連合に原子放射線の影響に関する国際連合科学委員会(UnitedNationsScientificCommitteeontheEffectsofAtomicRadiation。以
下「UNSCEAR」という。)が設置された。現在では,年1回,世界21か国から各国政府の代表団として100人程度の科学者が集い,放射線による人体への影響について,科学的知見を議論した結果を報告書にまとめている。
この報告書は,国際放射線防護委員会(InternationalCommissiononRadiologicalProtection。以下「ICRP」という。)及び国際原子力機関(InternationalAtomicEnergyAgency。以下「IAEA」という。)
の基礎資料となり,
世界各国の放射線防護の基準の参考となっている。
(イ
全体につき,弁論の全趣旨)
(6)個人被曝線量評価に関する研究成果
ABCC,米国のオーク・リッジ国立研究所及び日本の放射線医学総合研究所は,第2次世界大戦終戦後間もなくから,個人放射線被曝線量推定に関する研究を行い,昭和40年(1965年),核実験等によって得られたデータに基づいて,暫定1965線量(Tentative1965Dose。以下「T65D」という。)を発表した。
もっとも,この試案は,日本の気候,風土や生活条件を考慮せず,また,専らプルトニウム原子爆弾による放射線被曝を前提としたものであったことなどから,昭和56年(1981年)に設置された日米共同の線量推定再評価グループにより,これらの点を修正するとともに,その後実用されるようになった大型計算機(コンピュータ)による数値シミュレーションを採り入れるなどして,広島原爆及び長崎原爆による放射線被曝に固有の線量を推定しようとするものとして,昭和61年(1986年)に,被曝線量評価体系1986(DosimetrySystem1986。以下「DS86」という。)が開発され,日米共同原子爆弾放射線量推定委員会に承認されて発表された。
さらに,平成14年(2002年)には,DS86の方法論を基本的に維持しつつ,
計算方法を精緻化する内容の被曝線量評価体系2002
(以下
「D
S02」という。)が承認されて発表された。((6)全体につき,甲A18の413~414頁,甲A503の1~2頁,乙B7の1~2頁,乙B15の緒言・413~414頁)
(7)原爆症認定審査の方針

原因確率を基礎とする旧来の審査の方針
前記1(3)イのとおり,原爆症認定に際し諮問を受ける立場にある疾病・障害認定審査会の原爆医療分科会は,平成13年5月25日付けで,申請
に係る負傷又は疾病(以下「疾病等」という。)における原子爆弾放射線起因性の判断に当たって,①被曝した放射線量が多いほど出現する確率が高まる「確率的影響」があるとされてきた疾病等については,その発生が原子爆弾放射線の影響を受けている蓋然性があると考えられる確率を指す「原因確率」を目安として,当該申請に係る疾病等の原子爆弾放射線起因性に係る高度の蓋然性の有無を判断し,②ある一定の線量以上の放射線を被曝すると出現するとされる「確定的影響」があるとされてきた疾病等については,当該被曝線量である「しきい値」を目安として,当該申請に係る疾病等の原子爆弾放射線起因性に係る高度の蓋然性の有無を判断し,③ただし,これらを機械的に適用して判断するものではなく,当該申請者の既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案して判断を行い,④原因確率又はしきい値が設けられていない疾病等に係る審査に当たっては,原子爆弾放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が立証されていないことに留意しつつ,当該申請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別にその起因性を判断することを骨子とする「原爆症認定に関する審査の方針」(以下「旧審査の方針」という。)を策定した。このうち上記①の場合にあっては,原因確率が,おおむね50パーセント以上である場合には,当該申請に係る疾病の発生に関して原子爆弾放射線による一定の健康影響の可能性があることを推定し,おおむね10パーセント未満である場合には,当該可能性が低いものと推定するが,当該原因確率は,申請者の性別,被爆時年齢及び被曝線量を基礎として算定することとされ,その被曝線量は,DS86に基づく初期放射線による被曝線量の値に,誘導放射線(旧審査の方針においては「残留放射線」と表示されていた。)による被曝線量及び放射性降下物による被曝線量の値を加えて得た値とするものとされていた。(ア全体につき,乙A2,弁論の全趣旨)


「新しい審査の方針」
その後,原爆症認定申請却下処分取消訴訟において請求認容の判決が相次いだことなどを受けて,平成19年,政府は,原爆医療分科会の委員でない学識経験者ら及び法曹によって構成される「原爆症認定の在り方に関する検討会」(以下「認定在り方検討会」という。)を発足させ,当時の政権与党であるZ8党及びZ9党は,原爆被爆者対策に関するプロジェクトチームを発足させた。原爆医療分科会は,これらの検討会の報告及びチームの提言を受けて,平成20年3月17日付けで,「被爆者援護法の精神に則り,より被爆者救済の立場に立ち,原因確率を改め,被爆の実態に一層即したものとするため」,放射線起因性の判断について,旧審査の方針の上記アの①及び②に代えて,被爆地点が爆心地から約3.5キロメートル以内である者,原子爆弾投下から約100時間以内に爆心地から約2キロメートル以内に入市した者,又はその後原子爆弾投下から約2週間以内の期間に同範囲の市内に1週間程度滞在した者から,固形がんなどの悪性腫瘍,白血病,副甲状腺機能亢進症,放射線白内障(加齢性白内障を除く。)又は放射線起因性が認められる心筋梗塞についての申請がある場合については,格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝した放射線との関係を積極的に認定するものとすること(以下「積極認定」という。)を骨子とする「新しい審査の方針」を策定した。(乙A6,7,17)
なお,上記の積極認定に当たっては,申請者から可能な限り客観的な資料を求めることとするが,客観的な資料がない場合にも,申請書の記載内容の整合性やこれまでの認定例を参考にしつつ判断することとされていた。また,積極認定に該当する場合以外の申請については,上記アの③又は④を踏襲して,被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別にその起因性を判断すること(以下「総合認定」という。)とされて
いた。
原爆医療分科会は,平成21年6月22日付けで,上記の方針における積極認定の対象とする疾病として,放射線起因性が認められる甲状腺機能低下症及び放射線起因性が認められる慢性肝炎・肝硬変を追加する内容の改定をした(以下「平成21年改定」といい,同改定までの「新しい審査の方針」を「従前の新審査の方針」という。)。(イ全体につき,乙A1の1・2,弁論の全趣旨)

「新しい審査の方針」の再改定
平成21年8月6日,Z10協議会と当時の麻生太郎内閣総理大臣Z8党総裁との間で,「原爆症認定集団訴訟の終結に関する基本方針」が確認された(甲A308の1,乙A70)ところ,訴訟を契機に原爆症認定に関する見直しが行われたことを踏まえ,訴訟の長期化,被爆者である原告の高齢化等の事情にかんがみ,上記確認の内容に基づき,必要な事項を定める趣旨の「原爆症認定集団訴訟の原告に係る問題の解決のための基金に対する補助に関する法律」が同年12月9日に制定され,平成22年4月1日から施行された(同法1条,附則1項)。同法附則2項において,「政
府は,原爆症認定等に係る制度の在り方について検討を加え,その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする。」旨規定されたことを受けて,政府は,学識経験者ら,法曹並びに広島市,長崎市,被爆者団体及び放影研その他の関係団体の有識者らによって構成される「原爆症認定制度の在り方に関する検討会」(以下「制度在り方検討会」という。)を発足させた。原爆医療分科会は,同検討会における3年間にわたる検討の結果を取りまとめた報告を受けて,平成25年12月16日付けで,放射線起因性の要件該当性の判断は,科学的知見を基本としながら,総合的に実施するものであるとしつつ,特に被爆者救済及び審査の迅速化の見地から,現在の科学的知見として放射線被曝による健康影響を肯定することのできる範
囲に加え,
放射線被曝による健康影響が必ずしも明らかでない範囲を含め,
以下の者を積極認定の対象とすることを骨子として,従前の新審査の方針を改定した(以下,この改定後の方針を「現行の新審査の方針」といい,従前の新審査の方針と合わせて,単に「新審査の方針」という。)。(ア)

固形がんなどの悪性腫瘍,白血病及び副甲状腺機能亢進症について
は,従前の新審査の方針どおり。
(イ)

心筋梗塞並びに平成21年改定により積極認定の対象に加えられた
甲状腺機能低下症,慢性肝炎及び肝硬変については,被爆地点が爆心地から約2.
0キロメートル以内である者又は原子爆弾投下から翌日までに爆
心地から約1.0キロメートル以内に入市した者
(ウ)

放射線白内障(加齢性白内障を除く。)については,被爆地点が爆
心地から約1.5キロメートル以内である者
なお,客観的な資料がない場合の積極認定及び積極認定に該当する以外の場合の総合認定については,従前の新審査の方針どおりとされた。(ウ全体につき,甲A647,乙A15ないし18,弁論の全趣旨)
4
主な争点と当事者の主張
本件の主な争点は,(1)原告Z3,原告Z4,原告Z6,訴外Z2及び原告Z7の原爆症認定申請疾病の放射線起因性について,①放射線起因性の判断基準(争点1)及び②各原爆症認定申請疾病(原告Z4については原爆症認定申請疾病のうち心筋梗塞)の放射線起因性該当性(争点2),並びに(2)原告Z5の原爆症認定申請疾病である前立腺がんの要医療性該当性(争点3)であり,これらに関する当事者の主張は以下のとおりである。
(1)原爆症認定に係る放射線起因性の判断基準(争点1)
(原告らの主張)

放射線起因性要件の解釈の在り方
(ア)

原子爆弾被害の複合性

原子爆弾による放射線障害は,他の種々の要因で拡大する。
すなわち,肉体的被害としては,放射線被害について,直曝放射線による被害ばかりか残留放射線による被害が加わるほか,
熱線による外傷,
爆風による外傷が加わり,これらに感染症の合併が加わる複合被害が生ずる。
また,原子爆弾の被害は,人類が経験したことのない破局的な破壊であり,そこにいた人間に様々な心的外傷をもたらし,生きている人間の気力を奪い,症状の改善にも抑制的に作用して,先の肉体的被害に加えて様々な影響を被爆者の人生に与えた。戦後のGHQや我が国政府による原子爆弾被害の隠蔽が被爆者の心的外傷を更に深いものにしている。さらに,原子爆弾は,地域社会全体の崩壊をもたらした結果,本来救済の場となるべき家族,学校,職場,病院等あらゆる社会基盤を崩壊させてしまい,その結果,被爆者は立ち直りに大きな障害を負った。のみならず,
我が国政府は,
米国政府と一体となって,被爆の実態を隠蔽し,
原子爆弾被害を放置した結果,多くの被爆者が多大な苦難を歩まなければならなかった。
このような事情を踏まえたとき,原爆症認定要件の解釈,適用に当たっては,以上などの放射線による影響の拡大の諸要因を含め考慮し,被害の複合的な性格を十分踏まえて判断されるべきである。
(イ)

放射線起因性の立証の程度

上記(ア)の事情を踏まえて,原爆症認定の要件は,被爆者に過重な負担を掛けないよう解釈,運用されなければならず,特に起因性の要件に関しては,被爆者が,放射線に影響があることを否定し得ない負傷又は疾病にかかり,医療を要する状態となった場合には,放射線起因性が推定され,放射線の影響を否定し得る特段の事情が認められない限り,その負傷又は疾病は原子爆弾放射線の影響を受けたものとして原爆症認定
がされるべきである。
そのように解されるべき根拠としては,①原子爆弾の投下が確定した国際法違反であり,被爆者援護法の前文の趣旨を踏まえれば,このような違法かつ残虐な行為によって生じた被害の把握に関して,核兵器の影響を過小評価するのではなく,可能な限り広い範囲で放射線の影響を認定することが,被爆国としてのありようであり,被爆者援護法の正しい法解釈のあり方であること,②そもそも行政処分の要件としての因果関係において求められる立証の程度は,通常の損害賠償請求訴訟における因果関係とは必ずしも同一である必然性はないところ,国が加害者の立場にあるものとして,戦争被害者として,一定の条件と必要性のある国民に対して,一律の給付を行う広義の社会保障立法をすることで実質的に国家補償を行おうとするという被爆者援護法の目的からすれば,処分行政庁の裁量の幅は極めて限定され,その給付対象者指定について,国の都合で狭く限定することは絶対に許されない上,被爆者援護のための制度として,その給付手続は簡易にすべきで,援護の必要がある者を広く援護の対象とする解釈が採られるべきであり,
制度の運用に当たって,
給付漏れを作ってはならないという国家の義務が認められること,③放射線被害における被曝線量の推定や放射線の人体に与える影響について,現代科学は多くの部分をいまだ解明できないでおり,証拠は散逸し,隠蔽され,被爆者の入手することのできる証拠は限られており,放射線の影響に関する科学的調査や疫学的調査などは,
米国政府や軍,ABCC・
放影研,さらには厚生労働省がすべてのデータを独占しているといった事情の下で,放射線起因性の立証責任について通常の損害賠償請求訴訟の因果関係と同程度のものを求めることは公平の理念に著しく反することが挙げられる。
なお,最高裁判所平成12年7月18日第三小法廷判決・裁判集民事
198号529頁(以下「最高裁平成12年判決」という。)は,被処分者がすべき因果関係の立証の程度は,特別の定めがない限り,通常の民事訴訟における場合と異なるものではないとして,その因果関係の立証の程度について「高度の蓋然性」を要するとしたが,もともと損害賠償請求訴訟においても,「高度の蓋然性」という考え方は,訴訟上の因果関係の立証について,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく,経験則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することで足りるとして,被害者救済のために,因果関係の立証の負担を軽減することを目的として,立論されたものである。実際に同判決において行われた「高度の蓋然性」の当てはめも,DS86の機械的適用を厳に戒め,実質的には立証の負担を軽減したものとみることができ,同判決は,被爆者援護法の根本には国家の責任が立法趣旨としてあり,被爆者救済のための社会保障としての特殊な性格を併有していることに配慮したとみるべきものである。
(ウ)

被告の主張について

被告は,原爆症認定を受けた被爆者に対しては,最も手厚い援護措置を施すことになるとした上,十分な根拠のある一般的な科学的・医学的知見に基づく必要があると主張しており,国際的に確立した科学的知見をもって科学的な真理であると主張しているわけではないなどと述べてはいるものの,その結論の内実は,国際的に確立した科学的知見による立証が必要であると論ずるものにほかならず,最高裁平成12年判決が要求していない一点の疑義もない自然科学的証明を求めるに等しい。この主張は,現行の原爆症認定制度があたかも極端に手厚い措置であるかのごとく歪曲する点で既に失当であるが,その根本的な問題点は,原子爆弾の放射線の人体影響が未解明であることを前提に,高齢化の進
行している被爆者の救済を図るために制定された,原爆症認定の根拠法である被爆者援護法の立法趣旨を完全に無視し,被爆者に対して厳密な科学的立証を求め,その認定の範囲を極めて限定しようとしている点にある。すなわち,被爆者に「不動の」科学的知見による被曝線量や因果関係の立証を要求すれば,
不可能を強いて結局は救済を拒む結果となり,
上記の被爆者援護法の趣旨が没却されてしまう。こうした法の趣旨を没却する解釈が明白な誤りであることは,厚生労働省自身が,「被爆者援護法の精神に則り,より被爆者救済の立場に立ち,原因確率を改め,被爆の実態に一層即したものとするため」,旧審査の方針を抜本的に改めたことにはっきりと現れている。
(エ)

新審査の方針について

新審査の方針における積極認定は,放射線起因性を推定するものであり,この場合の放射線起因性の推定は,積極認定の対象となる被爆の範囲では,一定の放射線被曝を推定し,積極認定の対象となる疾病について,当該疾患が放射線の影響で発症するものであることを認め,当該疾患を発病した被爆者が積極認定の対象となる被爆をした被爆者であるときには,放射線起因性を推定するという意味を持っている。すなわち,新審査の方針は,原爆症認定申請却下処分取消訴訟における原告勝訴判決の積み重ねを受け,一定範囲では被爆当時の個々人の感受性の相違から急性症状が出現しなくとも相当量の放射線被曝をしている者がいると考えられること,また,被爆後60年以上を経過しており,行政認定に当たって被爆当時の事情を明らかにすることが困難であること等を考慮し,一定範囲の被爆を受けた者が一定範囲の放射線の影響のある疾患を発症した場合には,個別に症状経過をみることなく,その発症した疾患が原子爆弾放射線に起因すると推定しようとするものである
(もっとも,
積極認定の対象となる被爆の距離や時間を超えると一律に申請を却下す
るという処理が行われたり,放射線の健康影響について,確率的影響と確定的影響の峻別に固執することの合理性そのものに重大な疑問が生じているのに,確定的影響における「しきい値」の残滓とみられる表現があったりするという問題を,なお残している。)。
被告は,広島原爆及び長崎原爆に由来する放射性降下物及び誘導放射化による残留放射線の量が,健康への影響という見地からみて極めて少なかったと主張するが,当の厚生労働省が新たに採用した新審査の方針が入市被爆者に生じたがんの放射線起因性を原則認定するとしたのは,残留放射線の影響を考慮したのでなければ説明がつかないものであり,これと両立しないDS86と原因確率,そして,しきい値による原爆症認定を改めたものであることは明らかである。
また,被告は,現行の新審査の方針の基礎とされた制度在り方検討会の報告書における多数意見を構成する部分が,現時点における科学的知見の到達点を確認したものであると主張するが,上記多数意見は,公平な人選により公平かつ合理的な議論がされ妥当な結論が導かれたとは到底いえない制度在り方検討会という狭い領域内では多数意見であっても,現時点における科学的知見の到達点を確認したものとは到底いえない。科学的到達点というのであれば,原子爆弾における放射線被曝は態様が非常に複雑である等の理由から,特に残留放射線の影響を明らかにすることがもはや不可能であること,さらに,疫学調査にも多くの限界と問題が存在する中で,長期間にわたる調査によってかつては放射線と無関係と思われていた現象や疾病が放射線被曝と関連していることが次々に明らかになってきていること,また,今後も更に解明がされる途上の段階にあり様々な研究や報告がされていること等を踏まえるべきで,そのことが科学的到達点といえ,このことは制度在り方検討会の議論の中でも明確になっていた。

被告が,現行の新審査の方針において,積極認定の対象として挙げられた7種類の疾病に該当するものについて,被爆者救済及び審査の迅速化という観点から,現在の科学的知見として放射線被曝による健康影響が必ずしも明らかでない範囲も含めるものとして,放射線起因性の判断をすることとされたと主張しているのは,被告がいうところの信頼性の高い国際的なコンセンサスを得られた
「科学的知見」
に到達しない知見,
あるいは,当該分野の科学者による一般的な承認が得られていないような未熟な論文等でも,放射線起因性は肯定できるということであり,科学的に厳密な立証が必要であるとしていた被告のこれまでの考え方が,現行の新審査の方針が策定される過程で,公式に捨てられたことを意味する。この点,被告は,放射線起因性を肯定するためには,少なくとも,積極認定の対象疾病の場合には,当該分野の科学者による一般的な承認が得られていないような未熟な論文等や,「科学的知見」に到達しないような知見に基づき放射線起因性を肯定することは,一般的な科学的知見から離れるものとして,法的判断として妥当し得るとはいい難いと主張するが,積極認定の対象疾病の場合には,そのような論文等や知見に基づき放射線起因性を肯定できると主張しながら,その範囲を超えると突然厳密な科学的な証明を求めることになる線引きの科学的な説明は一切行われておらず,現行の新審査の方針による両者の線引きは,極めて恣意的,非科学的,かつ不合理なものである。上記の被告の考え方は,現行の新審査の方針前文で「被爆者援護法の精神に則り,被爆の実態に一層即したものとする」と定め,放射線起因性の判断に関する一般論でも
「放射線被曝による健康影響が必ずしも明らかでない範囲を含めて『積
極的に認定する範囲』を設定する」とした考え方が,総合認定の場合にも及んでいるはずであることとも矛盾している。

放射線起因性判断における放射線被曝側からの留意点

(ア)

原子爆弾放射線被曝の複雑性

原子爆弾による被曝は,放射線事故とは異なり,初期放射線と残留放射線が複合し,初期放射線もガンマ線と中性子線の両者を含み(更に中性子線の比較生物学的効果比も大きく揺れ動いている。),残留放射線も放射性降下物から放出されたものと誘導放射化物質から放出されたものがあり(残留放射線の線量が基本的に測定されていないという点も大きな問題となる。),被曝の態様も体外からの外部被曝と体内に取り込まれた放射性物質による内部被曝とがある。
内部被曝の機序については,
誘導放射化された塵やほこりを呼吸により吸入するという態様,放射性物質により汚染された食物や飲み水を経口摂取するという態様,さらには被爆者が熱線や衝撃波の被害により負った傷口から体内に直接放射性物質が入り込むなどの態様が存在する。さらにいえば,被爆者個々人の被曝の具体的態様も千差万別である。
このように原子爆弾による放射線被曝の態様は極めて複雑なものであり,
その大きな特徴の1つは,
速やかな汚染除去が行われなかった結果,
放射性物質から放出される放射線により持続的に被曝したことであり,医療被曝はもちろん,チェルノブイリ,ゴイアニア,Z11等の放射線事故とも決定的に異なる点である。原子爆弾による被害を真に理解するためには,このような被曝の複雑な実態と未解明性に率直に向き合うことが必要不可欠である。
(イ)

初期放射線について

DS86からDS02へと検討が進められるに従って,原子爆弾の初期放射線の線量評価はある程度正確になりつつあるが,ウラン型原子爆弾は広島のみで用いられ,核兵器実験もその後ないことから,その中性子線量は,長崎原爆のプルトニウム型に比較して必ずしも正確に追試されていないという問題がある。

さらに,仮に中性子線量の評価が正確になっても,人体影響の指標とされる中性子線のRBE(ガンマ線と中性子線との間の生物学的影響の比)は,既知の理論的な数値ではなく,広島原爆及び長崎原爆の中性子線量とガンマ線量を踏まえて,双方で生じた人体影響を比較検討することでしか算出できない数値であり,そこに残留放射線による影響の評価問題が介在するため,初期放射線の人体影響を評価しようにも,その段階で不確定性が残ることになる。
(ウ)

残留放射線一般について

被告が多くの被爆者の原爆症認定を否定してきた最大の理由が,原子爆弾による残留放射能の無視にある。
すなわち,原子爆弾の投下によって生じた放射性降下物には,核分裂生成物,未分裂の核物質,そして誘導放射化した原子爆弾容器がある。例えば,
広島原爆の場合,
核物質であるウランは,約40種類に分裂し,
約80種類の放射性核種が生じた。1核分裂当たり,平均4種の放射性核種が生成され,一連の逐次崩壊によって,最終的には300種類を超える放射性核種が生成された。これらの放射性降下物は,原子爆弾の爆風と熱線の作用によって作り出された火事嵐による煤煙,更には大気中の水蒸気にも付着するなどして原子雲(いわゆるキノコ雲)となり,流動,拡散し,極めて複雑な挙動を示し,拡散→下降→巻込み→上昇というダイナミックな循環流動を繰り返しながら被曝を与え続けたと考えられる。これに伴う放射線も,ガンマ線だけでなく,ベータ線やアルフア線も存在した。放射性降下物による被曝としては,
「黒い雨」に限らず,
放射性微粒子や放射性粉塵による被曝もある。広範囲にわたって地上の人々に降り注いだ放射性核種は,大気中の酸素原子等と結合し,様々な化合物に変化して,体内を移動し,蓄積され,予想し得ない影響を被爆者に与えたものと考えられる。

また,原子爆弾は,原子爆弾容器のみならず,爆心地付近の様々な物質を誘導放射化して誘導放射能を形成した。このような誘導放射化物質は,原子爆弾によって生じた衝撃波によって粉砕され,地上に舞い上がり,
このようにして飛散した誘導放射化物質も放射線被曝の原因となる。そして,原子爆弾による被曝には,初期放射線による外部被曝のみならず,上記のような残留放射線による汚染型の外部被曝及び内部被曝が複合したものであるという,
放射線事故にはない特徴がある。
被爆者は,
残留放射線の影響を知らないままに,放射性降下物や誘導放射化物質で汚染された空気を吸引し,水を飲み,更に食事として様々な放射性物質を体内に取り込み,また,放射性物質を体に付着させた。そのため,被爆者たちは,
そのような放射性物質から放出されるガンマ線,
ベータ線,
あるいはアルフア線を受け続け,
毛母細胞や胃腸管の細胞等を被曝させ,
様々な症状を出現させたと考えられる。
さらに,
原子爆弾被曝の場合には,
多くの被爆者は外傷や火傷を伴い,
その治療もままならなかったのであるから,これらの傷害部位から放射性物質が侵入したことによる内部被曝も複合していたのであり,加えて被爆者は,外傷の治癒能力が放射線被曝の影響によって奪われていたことによる複合効果も加わっていた。IAEAの報告に,汚染型の放射線事故の場合,放射性核種は,洗浄,溶解,あるいははく離物質の皮膚への塗布により除去されるべきであり,全身への汚染の拡大は防がなければならず,
皮膚を通じての物質の透過を促進する物質を使ってはならず,
主要な皮膚の汚染除去は,その部分だけで行われるべきであると記載されているように,放射線被曝において外傷が重要な意味を有することは明らかであり,被曝者が外傷を負わないよう細心の注意がなされ,仮に外傷を負う場合速やかな治療と汚染除去がされる他の放射線事故と原子爆弾被曝では,この点においても決定的に被曝態様が異なる。

この点,
放射線事故においては,
汚染除去は当初の重要な課題とされ,
更には人体に内部蓄積した放射能を体外に排出する努力がされるが,原子爆弾被曝の場合,そもそも被爆当時,被曝者はもちろん医師も,放射線被曝であるという認識を欠いていたのであるから,そのような汚染除去は行い得なかった。原子爆弾被爆者は,放射性物質の充満した被爆地にとどまり,体内はもちろん体表面から放射性物質を取り除くという努力は一切されず,その結果,様々な放射性物質により,外部あるいは体内から持続的に被曝したのである。
加えて,原子爆弾自体が軍事機密であり,そのためにその構造や器材の内容の詳細は不明で,そのことによって誘導放射線や放射性降下物の評価線量の正確性に影響を及ぼす側面も否定できない。
(エ)

放射性降下物について
被告は,広島及び長崎両市内に降り注いだ放射性降下物の量及び降
下した範囲を極めて限定的にしか認めず,被曝線量の評価に当たって放射性降下物による放射線はほとんど無視できると主張し,その論拠の1つとして,核分裂によって生成される放射性物質の大部分は短寿命核種であるため,その放射能は急速に減衰し,放射線量も急速に減衰すると主張する。
しかし,半減期の短い放射性核種でも,核分裂生成原子の逐次崩壊の過程で,ほとんどの核分裂生成原子は1回のベータ崩壊では安定した原子にはならず,次々とベータ線を放出するベータ崩壊を繰り返す(崩壊過程でガンマ線を放出する場合もある。)崩壊系列を形成するので,現実に展開した広島及び長崎での放射能環境は,短い半減期の原子がたった1回ベータ崩壊すると仮定した従来考えられていた放射線量よりも,はるかに放射線は多く,実効的半減期も桁違いに長いものになっていたのが実際の状況である。

しかも,ベータ崩壊中の放射線の強度は,最初に放出される放射線の強さと比較して,減衰しないどころか,かえって増強することもあるとされ,例えば親原子の放射性半減期が娘原子の半減期より長い場合のように放射平衡を形成すると,崩壊前の親原子の放出する放射線と崩壊後の娘原子の放出する放射線は,最初の崩壊の場合だけの強度の2倍以上の値に近付いていく。これは崩壊系列が2つだけであると仮定しての試算であるが,広島原爆の場合,平均4回の崩壊を起こしており,仮に放射平衡を形成する放射系列が4回続くとすると,放射線強度は最初だけの放射の場合の4倍以上となる場合もあり,親核種による放射能と,親核種の中に系列として生成する娘核種の放射能を足した値は,親核種だけによる放射能を大幅に上回ることになる。他方,親核種の崩壊半減期の方が短い場合は放射平衡を形成しないが,親核種の放射線が減衰しきっていない時間内は,最初から娘核種の半減期が行われたと仮定した場合の放射線強度より僅かに高い放射線強度を示し,その後,長い方の娘核種の半減期に従う放射線強度となる。
すなわち,核分裂で生まれた最初の原子の半減期が短いことはほとんど関係なく,系列の最長半減期が重大な意味を持つところ,放射系列の最長半減期の分布を見ると,100日以下の半減期を持つ場合はわずか全体の3分の1程度しかなく,100日目ではいまだ強烈な放射能が残存している。崩壊系列の最長半減期が1週間以上となるもので見ると,核分裂生成原子の崩壊系列の62パーセントを占めることとなり,爆発後1週間の時点では,放射線強度は原子爆弾投下直後に比べてさほど減少していないとも指摘される。
DS86には,短命核分裂生成物への潜在的被曝を評価する方法はないとされているところ,半減期の短い放射性核種を無視してよいと
する考えは誤りである。

また,被告は,広島原爆及び長崎原爆は空中核爆発をしたものであり,未分裂の核物質や核分裂生成物の大半は,瞬時に蒸散して火球とともに上昇し,成層圏にまで達した後,上層の気流によって広範囲に広がったので,広島及び長崎市内に降り注いだ放射性降下物は極めて少なかったと主張する。
しかしながら,原子爆弾の核爆発後,火球が熱によって急速に膨張する際,火球表面にはショックフロントと呼ばれる大気の超高圧の層が形成され,この高圧層の伝播速度が火球の膨張速度を超えると火球から離れて強い衝撃波となって外に向かって伝播し,衝撃波と大気の圧力差によって外向きの強烈な爆風が発生したところ,衝撃波が発生して火球から離れ,爆風が発生した時点では,原子爆弾核物質の核分裂によって発生した大量の放射性物質は,ショックフロントを通り抜けて火球外に出ることができず,依然として火球の内部に留まっていたのであって,決して爆風によって上空の高層大気に吹き飛ばされることはなかった。
その後,火球は上昇して冷却するが,火球内部にあった放射性原子核は電子を捕らえてプラズマ状態が解消し放射性の原子になり,大気中の酸素や窒素と結合して分子になり,更に分子どうしが合体して放射性微粒子になる。微粒子には,これを核として大気中の水蒸気が吸着されて水滴が作られ,原子雲が形成され,原子雲中の放射性微粒子は,いわゆる「黒い雨」となって,広島及び長崎市内並びにその周辺に降り注いだほか,激しい対流の中での下降気流に乗って水滴を蒸発させ,放射性微粒子(「黒いすす」や更に目に見えない微細な粒子)となって原子雲の下に降り注いだ。この放射性物質を大量に含んだ原子雲は,気象条件と重なって,上昇する中心軸の周りに対流圏と成層
圏の境界面である圏界面に沿って横に広がるので,放射性微粒子の降下範囲は,その濃度こそ爆心付近とその周辺,更に遠距離では異なるものの,原子雲の広がりの範囲に及んでいると解してよいところ,原子爆弾投下後1時間で,爆心から,広島の原子雲は15キロメートル程度,長崎の原子雲は20キロメートル程度まで広がった。原告らとしても,10キロメートル以上の広範囲に放射性降下物が均等に降り注いだと主張するものではないが,放射性微粒子の総量は膨大な量に及ぶので,そのほんの一部分だけが地上に降下したと考えるだけでも,爆心から少なくとも3.5キロメートルをはるかに超えた範囲に大量の放射性降下物が降り注いだことになるものである。
そのほか,火球と衝撃波の外にあって原子爆弾から放射された中性子線により放射化された地上の誘導放射化物質は,衝撃波と爆風により爆心地から粉砕,飛散したと考えられ,これが残留放射能として影響を与えたことは否定できず,このような誘導放射化物質は,原子爆弾炸裂後に発生した火災により,広い範囲で降下したと考えられる。誘導放射線と放射性降下物を分離して理解するのではなく,むしろ人体に起こったことから全体としての放射線の影響を理解することが必要である。

被告が残留放射線の影響を軽視している原因には,原子爆弾投下後の放射線直接測定又は土壌中のセシウム137の測定のデータが,広島のω3・ω4地区及び長崎のω5地区以外では低い値を示しているという点があるが,これらの測定の多くは,昭和20年9月17日に広島と長崎を襲った戦後最大級の枕崎台風,並びに長崎では同月2日に降った大雨,広島では同年10月10日にも襲来した台風の後のもので,土壌中の放射性物質の多くが既に洗い流されており,データの正確性に多大な疑問がある。被告が論拠とするDS86自体,この点
については,「測定の正確性に関する多くの要素は,爆弾投下後40年経ってもよく知られておらず,したがって,被曝の推定線量は大まかな近似にならざるを得ない。一般的に,被曝率の測定は,風雨の影響がある以前は速やかに測定されなかったし,その後の風雨の影響を明らかにしたり,放射能の時間分布を与えるのに十分なほど繰り返されなかった。」と認めているところである。
被告は,上記のような台風の影響について,広島原爆投下から3日後に採取された試料からの被曝線量は,台風後の測定結果からの被曝線量と類似していることが判明していると反論するが,その分析でも,被爆後3日採取の試料では,ω6(ω7)の測定値がω4地区の20倍以上となっている一方,台風後の測定では,洪水に見舞われたω7ではもはや高い放射能は検出されず,山の手のω4地区では流出を免れて従前の測定と変化のない結果が出たと考えられるのであって,むしろこれから見れば,試料は台風の影響を明確に示すものとなっているものである。

結局,どの範囲にどれくらいの放射性降下物が降下したかという問題については,事後的な検証はもはや不可能であり,被曝者に現れた急性症状や,その後の長期間の体調不良といった事実から,相当程度の被曝をしていることを推定するしかない。
実際,爆心から2キロメートルを超える遠距離で被爆していながら,放射線被曝の影響があったとしか考えられない事例が存在し,DS86では全く放射線が到達しないとされる爆心地から3キロメートルの被爆者に,およそ放射線の影響としか考えられない組織の変容をきたしている例があるから,この点からだけでもDS86ないしDS02が原子爆弾による放射線被曝の実態にそぐわないことが明らかである。

以上のとおり,原子爆弾の爆発及びその後の放射性物質の挙動とい
う物理学的観点から見ても,被爆者に実際に起こった生理学的影響から見ても,放射性降下物の影響をごく過小に評価し,爆心から2キロメートルを超えると放射線の影響はほとんどないという被告の従来からの主張は,明らかに誤りである。
(オ)

誘導放射線について

被告は,誘導放射線について,極めて短時間に放射化する元素は限られている上,新たに生じた放射性核種の半減期が比較的短いなどと主張する。しかしながら,被告の主張の根拠は,土壌中の物質の誘導放射化が中心であり,生活の場であった広島及び長崎両市のあらゆる物質の検討がされたわけではない。道路や建物の建築資材や電線,電柱などの物質の中にも硫黄などの誘導放射化される物質は含まれていた。土壌や構造物だけではなく,
広島では川の汽水に含まれる塩分も問題となり得る。
また,
炭素のように,
核断面積が小さく放射化しにくい物質であっても,
総量が大量にあれば大量の放射性物質が生じるのであり,被告はその点も見落としている。結局,原子爆弾の初期放射線により誘導放射化された放射性物質の量も看過し得ない多量のものであり,誘導放射化された土壌からの土埃,建築資材や家屋の木材が焼けたすすなどは,衝撃波や火災の影響もあって大量に舞い上がり,原子爆弾本体由来の微粒子とともに,単に地上から外部被曝をさせるだけでなく,皮膚に付着しあるいは体内に取り込んで影響を与えることがあるものである。なお,誘導放射化物質は,いずれも半減期が短いため,マンハッタン調査団の調査書の線量推計の基礎には入っていないが,そのすべての半減期が極めて短いとまではいえず(例えば,鉄59の半減期は45.5日,コバルト60の半減期は5.
3年,
硫黄35及びリン32の半減期は14日である。,

地上の物質に従って持続的に被曝した場合には,大きな影響を受けることがあり得るものである。

さらに,人体の誘導放射化について,平成11年9月30日午前10時35分頃に茨城県ω8村のZ11ウラン加工工場で発生した臨界事故(以下「Z11事故」という。)に関する最終報告書でも,人体にはナトリウム23,リン31,カリウム39,カリウム41,カルシウム44といった熱中性子により放射化されやすい核種が含まれていると指摘されている。この点,被告は,Z11事故で約25グレイの被曝をした従業員の人体の誘導放射化を調査した結果において,最も高い放射線量を示した者の右肩部の放射線量の測定結果は,1時間当たりで10マイクロシーベルト(0.01ミリグレイ)であり,歯科エックス線撮影1回程度の放射線量にすぎないと主張する。しかし,Z11事故は中性子線とガンマ線の外部被曝のみによる事故であるのに対し,原子爆弾被爆者は放射性物質が充満する環境に置かれ,表面汚染も極めて深刻だったのであり,Z11事故の調査結果をもって被爆者と接したことによる被曝の影響を否定することはできない。さらに,上記の最終報告書でも,ナトリウム23から生成されるナトリウム24は,生成放射能が多く,全身に均等分布し,半減期も14.96時間と適度に長く,また検出しやすい高エネルギーガンマ線を放出するとも指摘されているところ,被告の依拠する測定が実施されたのは,事故発生から30時間以上が経過した時点である上,熱ルミネッセンス線量計も布団の上から装着し,布団も測定時間中必ず掛けていたわけではないという注意書きも付されており,測定結果の正確性についても疑義がある。むしろ,同報告書で,事故発生当日の午後3時25分頃,3名の被曝従業員を受け入れ,廊下にてそれぞれの表面汚染検査を実施し,異常に高い数値であることが次々と記録報告されたと指摘され,放射化した人体内から多量の放射線が放出されていたことが示唆されていることこそが重要である。
(カ)

内部被曝について


被告は,原子爆弾由来の放射性物質による内部被曝の影響は人体の健康への影響という観点からは重視する必要がないと主張する。
しかし,
そもそも内部被曝が問題となるのは,
外部被曝の場合には,
汚染型でも,洗い流したりふるい落としたりすれば済むのに対して,放射性物質の排除(除染)が非常に困難であり,しかも排除できない場合に体内で持続的に被曝を受けるという点からである。とりわけ原子爆弾からの被曝の場合,短半減期で線量率(単位時間当たりの放射線量を線量率という。)の高い放射性物質が様々生み出され,それが体内で放射線を照射し続ける。数マイクロメートル程度の放射性微粒子1個の中には,何百万個,何百億個の放射性原子核を含んでいることも十分に考えられ,したがって放射性微粒子の周辺細胞は次々と放射線を浴びるので,局所的に見れば極めて高線量の被曝をする状態になることがあるのであり,これらを無視して外部被曝と内部被曝が同じというのは,余りにも実態を無視した議論といわなければならない。また,内部被曝では,飛距離の短いアルフア線やベータ線も大きな影響を及ぼす。ベータ線の体内組織での1センチメートル程度の短い飛程で放射線エネルギーはほとんど細胞に吸収されるが,そのエネルギーはほとんどの場合に100万エレクトロンボルト単位で表される巨大なものであって,こうしたエネルギーが細胞に吸収されることによって,
DNAの二重らせん構造が多数破壊され,
細胞の誤った修復,
あるいは,遺伝的不安定性をもたらし,いずれがんなどの人体影響が生じると考えられている。ガンマ線についても,遮蔽の有無で線量が異なる以上,例えば,骨に蓄積する場合に,骨髄に外部から被曝するのとは異なった影響を及ぼすことは明らかである。
さらに,低線量被曝の人体影響については,現在においても未解明な部分が多くを占めているものの,高LET(linearenergytrans-f
er=線エネルギー付与)放射線,とりわけ核分裂中性子について,低線量率の方が高線量率照射よりも影響が大きい場合が報告されていて,逆線量率効果と呼ばれ,低LET放射線でも,突然変異の誘発を指標に逆線量率効果が見られるとの報告があるなどと指摘されていることからすると,確立した現象とまではいい難いものの,少なくとも,被告が主張するように,総線量が同じであれば短時間の被曝(急性被曝)より影響が少ないなどとは断定できない。被曝した細胞から被曝しなかった周辺の細胞に遠隔的に被曝の情報が伝えられ,被曝しなかった細胞にも遺伝的影響が及ぶ現象としてほぼ確立されているバイスタンダー(細胞隣接)効果や,放射線被曝によって生じた初期の損傷を乗り越え生き残った細胞集団に,長期間にわたって非照射時の数倍ないし数十倍の高い頻度で様々な遺伝的変化が生じ続ける状態が続く現象をいうゲノム(遺伝的)不安定性といった現象は,低線量被曝の危険性を示唆するものである。
このように,内部被曝は外部被曝とは異なった被曝経過をたどるものであり,その危険性を過小評価することはできない。被告は,放射性降下物が最も顕著に降下していた長崎のω5地区の住民についてさえ,昭和20年から昭和60年までの40年間の内部被曝線量を積算しても,自然放射線による年間の内部被曝線量と比較しても格段に小さく,広島原爆投下当日に爆心地から1キロメートルの地点で焼け跡の片付けに8時間従事した人々の塵埃吸入を想定して,内部被曝による線量評価を試みても,被曝線量が低いことが科学的に実証されていると主張するが,被告が依拠する論文の論者自身,大雑把な仮定を基にどの程度の被曝になりそうか見積もってみることにしたものにすぎないと認めた上で,誘導放射線による内部被曝のみを計算しているにすぎず,放射性降下物による内部被曝については考慮していないこと,
吸入の対象とした放射能も土壌中のナトリウムとスカンジウムに限られていること,人体に現実に発生した健康状態を検討することなく,考えられる外部被曝に比べ無視できるレベルとの結論のみを示すにすぎないことから,この論文をもって内部被曝の影響を無視してもよいとする理由にはなり得ない。

被告は,チェルノブイリ原子力発電所(以下「チェルノブイリ原発」という。)事故と比較しても,被爆者らには,特定の臓器についてがんが多発したという傾向は全く見られていないとして,被爆者が有意な内部被曝の影響を受けていないことは明らかなどと主張する。
しかし,チェルノブイリにおいては,放射線影響の範囲が広範囲に及んだことから,その線量評価は困難であり,そのため,どの範囲に影響があったかについて様々な議論が行われており,その現在の評価だけで被爆者における内部被曝の影響を否定することはできない。原子爆弾においても,がんについて放射線影響が認められるようになったのは,かなり年月が経過した後のことであり,線量評価(特に対照群設定)の困難性を考えると,有意な相関を示さないことが放射線影響を否定する論拠とはならない。むしろ,チェルノブイリにおける甲状腺の異常については,内部被曝の影響が大きいことを示唆するものとして活用すべきである。

(キ)

急性症状等について
放射線被曝については,内部被曝を含む残留放射線被曝を考慮する
必要があり,急性症状の発症が1つのメルクマールとなる。過去の原爆症認定申請却下処分取消訴訟の判決は,DS86による線量評価の限界や,その評価が不十分ないし無視されている残留放射線や内部被曝問題の重要性を指摘し,むしろ被爆者に起こった事実から放射線の影響を認めてきたが,
このことは,
原子爆弾被害ないし被曝の複合性,

未解明性から考えれば,当然のことである。
もっとも,急性症状の発症がなければ当該被爆者は相当量の放射線を浴びていないと結論付けることは正しくない。急性症状の発症は,しきい値があるとしても一定の幅があり,かつ放射線に対する感受性,さらにはその時の被爆者それぞれの体調など,被爆者の側の具体的身体的症状によって発症に差異が生じ得るものであり,急性症状を生じさせない程度の低線量による持続的被曝による影響も否定できないからである。これまでも,急性症状がなくても原爆症認定がされている被爆者は多数存在する。仮に急性症状の記憶がなくても,周囲の人間の状況等から総合的に判断すべきである。

被告は,上記の原告らの主張に対し,生物学的線量評価をも援用して,急性症状は放射線被曝によるものではない趣旨の主張をするが,その援用する生物学的線量評価は,検知できる放射線量と線質が限られていることなどから,信頼性に疑問があり,そこから残留放射線の線量が低かったという結論を導き出すことはできない。


また,被告は,放射線被曝直後の放射線によると考えられる人体の症状の変化は,被曝医療において「急性放射線症候群(acuteradiationsyndrome。ARS)」と呼ばれる以外のものはないという認識を大前提として,被爆者が訴える身体症状が放射線被曝による急性症状であるかどうかを検討する基準としての十分な信頼性を有し,同症候群の特徴と原告等の症状が一致しなければ,放射線による人体影響とはいえない旨主張する。
しかし,IAEAの報告による限り,急性放射線症候群の概念は,透過性の放射線(ガンマ線及び中性子線)による外部被曝のうちの全身を被曝した場合に関するもので,その結果起こる「血液・骨髄障害」の治療を中心とする概念として用いられ,放射能汚染による被曝とは
異なる概念に基づいて記載されていることは明らかであり,残留放射線による被曝を受けた原子爆弾被爆者には,そのまま適用できない。すなわち,原子爆弾による急性症状は,被爆後放射線によって生じたと考えられるものを広く示しており,必ずしも,ガンマ線,中性子線による透過性の外部被曝のみを前提としておらず,多種多様な放射性物質,アルフア線,ベータ線による被曝,更には皮膚表面の付着や体内摂取による被曝,消化管への付着など,様々な被曝態様が存在しており,急性放射線症候群による線量評価だけでは全体を理解することができないものである。そもそも原子爆弾放射線の被曝における急性症状について,急性放射線症候群の概念を持ちだして,これから線量評価をすること自体,全く的外れである。
この点,被告は,急性症状,とりわけ脱毛の原因について,火傷,栄養状態,又は心因による可能性があると主張するが,被爆距離による相関及び遮蔽による相違があるとする多数の調査結果の説明が不能であるし,皮下出血や歯根出血の出現や,その出現率が被爆距離に相関することを説明できず,心因論は説明とはなり得ない。また,東京や大阪の空襲等で激烈な戦災に遭遇した者等について,一定の割合で脱毛等の症状が生じたとする調査結果は認められず,原子爆弾被爆者の脱毛が火傷を前提としていないことは,頭部の脱毛に方向性がありと考えられる例が1パーセントにすぎないとされていることなどからも明らかである。また,被告は,被爆者が訴えた下痢について,衛生状態,栄養状態から感染症による発症が考えられると主張するが,外来感染症である発疹チフス及びコレラの流行が本格化するのは復員が本格化した後であり,腸チフスについては下痢を発症しない例も多く,赤痢についてはこれを疑って培養検査をしたものの,ほとんど陰性であった。これらに加え,被爆距離との相関,被爆状況(とりわけ遮蔽)
に従って,下痢の発症率が異なるとは考えられない。遠距離・入市被爆者に見られた急性症状は,放射線によると考えるしかなく,他の原因では説明が付かない。
旧厚生省も,昭和33年の通達においては,被爆後10年以上を経過して,原子爆弾後障害症というべき症状を呈する者がある状態であり,この種疾病には,被爆時の影響が慢性化して引き続き身体に異常を認めるものと,一見良好な健康状態にあるかに見えながら,被爆による影響が滞在し,突然,造血機能障害等の疾病を出現するものがある旨指摘した上,脱毛,発熱,口内出血,下痢等の諸症状は,原子爆弾による障害の急性症状を意味する場合が多いと記載して,そのように認識していたのであり,急性放射線症候群に合致するもの以外は放射線によるものとはいえないとする被告の主張と,被爆の実態とは大きく異なることは明らかである。
なお,急性放射線症候群の症状経過やしきい値は,被爆者のデータによって確立したものであるとは到底いえない。

放射線起因性判断における疾病側からの留意点
(ア)

放射線晩発性障害の特徴

原爆症認定の対象となる疾病は,いわゆる晩発性障害であり,その特徴として,出現してきた人体影響は,個々の症例を観察する限り,放射線に特異的な症状を持っているわけではなく,一般にみられる疾病と全く同様の症状を持ち,放射線に起因するか否かの見極めは不可能な疾患とされること(非特異性)に加えて,急性症状のようにすぐに出現するものではなく(遅発性),発症までに白血病で数年,がんについては数年から数十年という期間を要し,さらに非がん疾患についても原子爆弾の放射線の影響の全体像が見えていないことがある。
(イ)

疫学の必要性と問題点

このような特徴から,疾患が放射線の影響であるかを判断するには,原因としての放射線の影響と,
結果としての晩発性障害との間について,
大規模な調査をして統計的に関係を判断する疫学の必要がある。
しかし,被爆者の疫学調査としてABCCと放影研が行ってきたLSS及びAHSでは,調査対象集団の1人1人に線量を割り当て,それとその後の死因や健康調査結果との関係を調査し,その関係を統計処理しているところ,
この線量の割当てにおいて,
初期放射線のみを割り当て,
放射性降下物及び誘導放射線による残留放射線量が全く考慮されていないといった重大な問題があり,残留放射線に被曝した者が比較対象中に含められているため,放射線による疾病の発症に係る超過リスクが現れにくいという問題点も指摘されている。また,いずれの調査でも調査開始時までに生き残った者,つまり放射線の影響を中心とした原子爆弾の破局的事態を生き抜いた人々,すなわち相対的に放射線に対する耐性の強い人々だけが調査対象者となっており,
継続的な調査の過程において,
更に相対的に放射線に対する耐性の強い人々が生存者として選別されていくおそれもにわかに否定しきれず,これらは放射線の影響の過小評価につながる要因である。
むしろ,放影研の疫学調査について,放射線起因性を考えるに当たっては,上記のように(過剰)相対リスクが過小評価され,有意な線量反応関係が認められにくい状況にあるにもかかわらず,疫学調査の継続によって,放射線の影響のある疾患が,がんに限られず,非がん疾患を含めて徐々に明らかにされている点こそが重要である。
(ウ)

「促進」の考え方

被爆から疾患の出現まで長期間を要し,
その間に様々な要因が複合し,
晩発性障害の非特異性も加わって,放射線の影響と放射線以外の影響との区別ができない場合に非常に重要な考え方は,放射線の影響は,基本
的に発病の促進であるということである。著名な疫学者も,放射線の影響が促進であるとすれば,
疫学調査上,
比較対照群との間で増加した分,
つまり過剰相対リスクだけが放射線の影響を受けたとみるべきではなく,極端な場合,数字上増加をしていなくても,全員が放射線の影響を受けているとみるべきであると指摘しており,すなわち,全員が少しずつ促進しているような場合には,全体が影響を受けていると考えるべきなのである。放射線の影響としては,特に寿命短縮がいわれ,原子爆弾放射線は,加齢と同様に炎症マーカーや抗体産生量の増加に寄与し,体内の炎症の持続や免疫の低下が線量に相関していることが明らかになり,これらの中間因子が,悪性腫瘍のみならず,非がん疾患の発症に関与していると考えられるようになっている。
(エ)

小括

他の要因との複合的被害であり,また,時間的促進も関与し,さらに加齢との区別も困難となっている場合に,原爆症認定をどのように判断するかは,正に被爆者援護法の立法趣旨をどのように解するかとかかわる問題である。
この点,他要因との複合を理由に放射線起因性を否定してはならず,その場合,促進でも足りること等が,これまでの司法判断において,重要な判断基準として述べられており,それは正に科学の問題である以上に,法的評価ないし価値判断の問題であることが司法の共通理解となっていることを示すものである。
(被告の主張)

放射線起因性要件の解釈の在り方
(ア)

被爆者援護法に基づく援護の趣旨

被爆者援護法は,実際に原子爆弾による影響(健康障害)を受けているか否かにかかわらず,一定の範囲の者を「被爆者」として援護するこ
ととし,健康管理及び一般疾病医療費の支給を,被爆者全体が受けることのできる援護とし,被爆者の罹患した疾病につき,具体的な放射線の被曝線量や疾病と放射線との関係の立証を求めることなく,医療費の無料化という援護措置を講じている。その上で,同法は,被爆者が原子爆弾の放射線の被曝に起因すると認められる疾病に罹患し,それが現に医療を要する場合に該当することが積極的に認められた場合に,原爆症認定を行うこととし,上記の援護に加え,更に医療の給付及び医療特別手当を支給し,その治癒後においても特別手当の支給を受けることができるという援護措置を講じている。
このように,被爆者援護法が,空襲被災者などの他の戦争犠牲者と異なり,被爆者に対して手厚い援護を行っている理由は,原子爆弾の放射線による被爆者の健康障害が他の戦争損害とは一線を画する「特別の犠牲」であるからにほかならない。他方,同時に,同法が,その援護を被爆者全員につき画一的なものとせず,原子爆弾の放射線との関連の程度に応じた段階的なものとしているのは,被爆者といっても障害の程度に差があり,対策の必要性も異なるにもかかわらず,画一的な対策を行うことは,必要性の高い被爆者に対し適切な対策を執ることを困難にするとともに,補償等のない一般戦災者との間で不均衡をきたすことに鑑みたことによる。
被爆者援護法は,このような被曝による健康被害の特殊性に着眼し,個々の被爆者と放射線との関連性の程度に応じ,当該被爆者が手厚い施策を受けることができるように実体法上の要件の規定の仕方に差異を設ける形で制度設計されており,その中で,原爆症認定制度は,段階的援護施策の拡大・充実の沿革とともに,その意義が変化してきているが,現在では,最も手厚い援護施策というべき医療特別手当及び特別手当の支給を受けるための前提要件としての意義が重要になる。現行の新審査
の方針を策定するに向けての制度在り方検討会での議論においても,すべての被爆者を対象として手当を支給すべきとする被爆者団体の代表による意見もある中で,多数意見としては,引き続き放射線起因性を要件とする必要があるとされたものである。
(イ)

放射線起因性の立証の程度

被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件を満たすというためには,原子爆弾の放射線と申請疾病の発症との間に事実上の因果関係があることが必要であり,その立証は,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではないが,経験則に照らして全証拠を総合検討し,当該申請者が浴びた原子爆弾の放射線が当該申請疾病の発症を招来したことを高度の蓋然性で証明することであり,より具体的には,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得る証明であることを必要とする(最高裁平成12年判決)。このことは,被爆者援護法27条1項が,健康管理手当については,原子爆弾の放射線と造血機能障害等との間に通常の因果関係の厳格な存在を必要とはせず,因果関係が明らかにないとはいえないことを要件としており,同法10条1項の放射線起因性とは要件を書き分けていることからも裏付けられる。このように,放射線起因性の立証は,
一点の疑義も許されない自然科学的証明ではないとしても,
その性質上,自然科学の分野における科学的経験則を用いて証明されなければならない。
この点,原告らは,法解釈論としてではなく,事実上のものとしてであれば,最高裁平成12年判決を前提にしても,放射線と負傷又は疾病との間に何らかの関連性が肯定されることで直ちに放射線起因性が認められることを一般的に帰結し得るとの理解に基づいて主張しているようであるが,最高裁平成12年判決は,被爆者の特異性を有する外傷性の原爆症認定申請疾病の状態を観察し,これが通常の医学的知見に基づき
認められる疾病の経過とは異なることを認定し,その重篤化の原因を放射線に求めることも経験則上成り立ち得ないではないとの判断を示したものであり,法解釈はもとより,事実の評価のレベルにおいても,被爆者が放射線に影響があることを否定し得ない負傷又は疾病にかかり,医療を要する状態となった場合には放射線起因性が推定されると判断したものではないし,放射線と負傷又は疾病との間に何らかの関連性があることさえ認められれば,放射線起因性を肯定すべきとの考え方を是認したものでもない。
本件における原告らの原爆症認定申請疾病のように,放射線被曝によらずに一般的に発症し得る特異的でない疾病については,その発症の時期や症状の経過について被爆者に特異な事情を見出すことがおよそ困難であるという特殊性がある。それゆえに,通常人にとっては,被爆者に生じた当該疾病の発症が放射線被曝によるかどうかの確信を持つことは困難であり,ましてや通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持つことは相当困難といわざるを得ない。また,科学的知見は日々進歩するものであり,放射線被曝についての知見も例外ではない。
このような諸点を考慮すると,最高裁平成12年判決に依拠しつつ,原子爆弾放射線被曝によらずに一般的に発症し得る疾病について放射線起因性の要件該当性を判断する場合,①放射線と疾病の発症との関係に係る疫学的知見の的確な分析(因果関係判断の基礎となるべき科学的経験則の有無及び内容)②上記①の科学的経験則を特定の原告に当てはめ,,
特定の原告について原子爆弾放射線被曝による発症のリスクを導き出すための科学的経験則に基づく的確な線量評価,③原子爆弾放射線に基づく罹患のリスクとそれ以外のリスクを対比した上で,なお,高度の蓋然性をもって原子爆弾放射線被曝により疾病を発症したと評価し得るかというリスクの的確な評価という3段階を経なければ,特定の原告が,当
該原告が受けた原子爆弾放射線に起因して当該原告の疾病を発症したということを,高度の蓋然性をもって証明したといえるか否かを判断することはできない。
このように,放射線起因性の判断の際には,少なくとも,申請疾病の側から,当該疾病に関して得られている病因や発生機序,病態,自然経過等に関する一般的な医学的知見と,当該申請者に生じた当該疾病に係る経緯等を照らし合わせるなどして,慎重に吟味・鑑別して検討する必要があり(上記①),発症原因や危険因子の存在及び程度に関する疫学的知見が確立した疾病である場合には,これを踏まえた上で,放射線被曝以外の要因の有無・程度,当該申請者が有する危険因子の有無・程度について,慎重に検討する必要がある(上記③)。また,放射線被曝の側からも,国際的に確立された一般的な科学的知見に基づき,放射線起因性の判断の出発点となる重要な指標である当該申請者が被曝した放射線量を具体的に把握する必要があるのは当然であり,放射線被曝による急性症状には明確な特徴があることが一般的な科学的知見として確立しているから,申請者が被爆当時,身体症状を発症したと主張している場合には,まず,当該申請者に当該身体症状が生じていたといえるのかという点について慎重に検討し,その上で,当該身体症状が生じていたとしても,その身体症状が原子爆弾の放射線被曝による急性症状であるのか,他の要因によるものなのかについて,上記の確立した一般的な科学的知見を指標として検討することも必要である(上記②)。
この点,被告は,国際的な確立した科学的知見をもって科学的な真理であると主張しているわけではなく,例えば,DS02やDS86における推定値と実測値に一定の誤差が存在すること等,その時点における国際的に確立された科学的知見の限界を踏まえつつも,他にそれに取っ
て代わる客観的かつ定量的な知見が存在しない以上,それを十分に考慮した上で事実を認定すべきであると主張しているものであり,それこそが科学的経験則に基づいた正当な認定・判断手法というべきである。一般の戦争被害とは異なる「特別の犠牲」を受けた被爆者の中でも最も手厚い援護措置を施すことになる原爆症認定は,いまだ仮説の域を出ず一般的な知見とはいえない独自の知見であっても,何らかの知見がありさえすれば,国家補償的な見地から広く認定すべきなどというものではなく,その時点における科学的経験則といい得る,十分な根拠のある一般的な科学的・医学的知見を踏まえて行う必要がある。いまだ一般的知見として確立しておらず,将来覆される可能性も十分にあり得るような,不安定な仮説段階(可能性が示唆されているにすぎない段階)の知見に基づき,広く原爆症認定を行い,国民一般から徴収した財源を用いて最も手厚い援護措置を広く施すことは,国民一般の理解を得られるものでなく,法の解釈として採り得ない。
原告らの主張は,訴訟上の主張としては,放射線起因性の要件解釈の形を採っているものの,その実質は,放射線による被害に限定することなく,広く原告ら全員が原爆症認定を受けて救済されることを求めるものであって,実質的に立法論を目指すものといわざるを得ない。
(ウ)

新審査の方針について

新審査の方針における審査基準は,被爆態様が単に形式的に積極認定の範囲内にあるというだけで,同方針に掲げられた疾病の放射線起因性を肯定するというものではなく,種々の医学的,科学的知見を踏まえ,経験則に照らして全証拠を吟味した上,対象疾病が放射線に起因するために,被爆者に対する援護の中でも特に手厚い援護を相当とする関係があることが高度の蓋然性をもって立証された場合に原爆症認定をするというものである。

この点,現行の新審査の方針は,制度在り方検討会の報告書などを踏まえて原爆医療分科会に示された従前の新審査の方針の改正案が最終的に了承されて策定されたものであるところ,
制度在り方検討会は,
医学,
放射線防護学の専門家のみならず幅広い有識者で構成され,多角的な検討に基づいて報告書を取りまとめたものであり,同報告書において多数意見を構成する部分は,現時点における科学的知見の到達点を確認したというべきものである。そうすると,かかる知見を踏まえ,従来の行政認定と司法判断との乖離については,現在でも行政認定は救済の観点から厳密な科学的知見を超えて放射線起因性を認めているのに対し,判決を一般化して基準を設定するのは難しいとした上,従前の新審査の方針の基準は放射線の影響が不明確な範囲にまで広げており,それ以上に緩和することは慎重に考えるべきであり,また,残留放射線に着目して積極認定の範囲を広げることも適当ではないとする同報告書の帰結は,十分な合理性を有するものであるから,司法判断においても十分尊重されるべきである。
現行の新審査の方針における積極認定の考え方が,本来であれば科学的知見を基礎としつつ総合的に考察されるべき放射線起因性の認められる範囲を,被爆者援護の精神を踏まえて,被爆者救済及び審査の迅速化という観点に基づき,放射線被曝による健康影響についての科学的知見が明らかでない範囲をも取り込む形で拡大するものであることから,このように拡大された積極認定の対象にさえ当たらない場合については,現在の科学的知見の到達点に照らして,放射線起因性を認めるべき科学的根拠が一般的に乏しいといえるものであり,その認定は極めて慎重にされなければならない。

科学的な知見に基づく被曝線量評価
(ア)

放射線被曝の機序による分類

今日の科学的知見においては,一般に,原子爆弾の放射線による被曝形態としては,外部被曝に関しては,初期放射線によるもの,放射性降下物が放出する放射線によるもの及び誘導放射線によるものがあり,また,内部被曝に関しては,誘導放射線及び放射性降下物が放出する放射線によるもの(中でも後者)があると解され,科学的知見に裏付けられた被曝線量評価方式に基づいて被曝線量ないし累積線量を算出することにより,人体に与える放射線被曝の影響の度合いを知ることができると理解されており,原爆症認定の審査においても,信頼性のある最新の科学的知見に裏付けられた被曝線量評価方式に基づいて,申請者の被曝状況の評価を行っている。
これは,
疫学的知見の集積から導き出された科学的経験則を用いつつ,
放射線被曝の人体影響を的確に把握しようとするためには,放射線被曝を受けたか否かという二者択一の観点のみでは足りず,これに加えて,放射線被曝を量的に把握することが不可避であるためである。
(イ)

初期放射線について

このうち,初期放射線による被曝線量の評価体系として,新審査の方針の下で用いられているDS02は,広島原爆と長崎原爆の物理学的特徴と,放出された放射線の量及びその放射線が空中をどのように移動し建築物や人体の組織を通過した際にどのような影響を与えたかについての核物理学上の理論的モデルとに基づいて,ガンマ線の光子や中性子線の粒子の1個1個の挙動や相互作用を忠実に再現し,最終的にすべてのガンマ線と中性子線の動きを評価し,放射線量の計算値を算出したDS86に,再評価の過程で修正が加えられて,科学的緻密性及び厳密性の見地からより信頼性の高いものとして策定されたものである。
(ウ)

放射性降下物について

放射性降下物による被曝線量評価については,核分裂により生ずる放
射性物質(核種)は,質量数90及び140付近の物質で約200種類に及ぶが,その大部分は短寿命核種であるため,その放射能は急速に減衰し,放射線量も急速に減衰するところ,DS86の報告書では,爆発1時間後から無限時間を想定した地上1メートルの地点での放射線の積算線量は,原子爆弾の爆発後に激しい降雨によって放射性降下物が降下したため放射線の影響が比較的顕著に見られることが確認されている広島のω3・ω4地区,長崎のω5地区についても,前者では1ないし3レントゲン
(組織吸収線量に換算して0.
006ないし0.
02グレイ)

後者では20ないし40レントゲン(同じく0.12ないし0.24グレイ)の範囲であるとしている。この記述等を基に定められていた旧審査の方針については,認定在り方検討会においても,放射性降下物による被曝線量が占める割合は,一般化できるほどには大きくないと考えられるとして,その合理性が是認されている。
新審査の方針策定後の審査においては,これらの従前の科学的知見に加え,DS86策定後に現れた最新の科学的知見をも踏まえ,その線量評価が行われているところ,広島原爆及び長崎原爆から放出され,地上に降下した放射性降下物の量が極めて少なかったことは,①広島原爆投下3日後に爆心地から5キロメートル以内で収集された土壌サンプル中のセシウム137濃度の実測値や,②地表核爆発であれば,大量の土砂等が火球に触れることによって大量の放射性物質が生じ,汚染された土壌の粉塵を大気中に巻き上げ,放射性降下物としてこれを周辺に拡散させる事態が容易に想定されるのに比べて,これらの核爆発が,生じた放射性物質も未分裂の核物質も含めて瞬時に数百万度の超高温の気体となり,そのほとんどは成層圏まで上昇して地球規模の汚染となる結果,直下の放射性降下物による被害が著しく小さい空中核爆発であったことからも裏付けられている。

なお,上記①について,昭和20年9月下旬の台風の風雨の影響により放射性降下物が流出していることや,測定場所が少ないため標本に偏りが生じていることなどを根拠として,過小評価であるとの批判もあるが,広島原爆投下から3日後に採取された試料からの被曝線量は,台風後の測定結果からの被曝線量と類似していることが,最近の研究において判明し,また,科学者たちは,原子爆弾投下直後から最近に至るまで様々な場所を選択して実地調査を行い,結果もよく一致しており,過小評価であるとはいえない。
(エ)

誘導放射線について

誘導放射線による被曝線量評価については,原子爆弾から放出された中性子線(瞬間的な中性子照射)に核反応を起こして極めて短時間に放射化する元素は限られ(すなわち,①被曝に寄与する可能性のある誘導放射線は,金属元素が高速中性子を吸収することによって起こされる荷電粒子放出反応によるものであり,これによって生じた放射性核種の半減期は比較的短く,②中性子が爆央から大気中を伝播する過程において大気中の水蒸気等との相互作用により急速にエネルギーを低下させた熱中性子を吸収して捕獲反応が生じる元素は,土壌中にほとんど存在しないため,被曝に寄与することはほとんどない。),新たに生じた放射性核種の半減期が比較的短い誘導放射線が問題となり得る核種としては,マンガン56とナトリウム24が問題になるにとどまる(半減期が2.31分と極めて短いアルミニウム28による被曝を考慮したとしても,爆心地における最大積算線量で0.48グレイにすぎない。)。
しかるところ,DS86によって原子爆弾の初期放射線の被曝線量評価が策定された際の,広島及び長崎の実際の土壌中の元素の種類,含有量及び放射化断面積をもとに生成された放射能量のZ12らによる計算の結果によれば,爆発後1時間における誘導放射線量は爆心地からの距
離に応じて逓減し,広島では爆心地から700メートル,長崎では600メートルの地点に至ると,1時間当たりの誘導放射線量はほぼ0.001グレイにまで低減することが明らかにされた(これによれば,原子爆弾の初期放射線中の中性子線による放射化は,これらの地点付近ではほとんど起こらなかったことが分かる。)。また,複数の研究者らによって,広島及び長崎の実際の土壌等に中性子を照射して誘導放射線量を測定する実証的な調査研究が行われたところ,その一例においても,土壌中の誘導放射能からのガンマ線量は,主としてナトリウム24及びマンガン56に負うものであり,広島原爆投下後1日目に爆心地付近に入り,そこに8時間滞在した者の推定被曝線量は0.03グレイ,爆心地から500メートル及び1000メートルの距離における線量は,それぞれ爆心地の18パーセント及び0.07パーセントであり,爆発直後から無限時までの推定累積ガンマ線量は,広島で0.8グレイ,長崎では0.3グレイであったとしており,要するに,土壌だけでなく様々な建築資材の存在を考慮してみても,発生した誘導放射線の量は,僅かなものにすぎなかったことが明らかにされた。
DS86の報告書では,このような調査結果を総括し,爆発1時間後から無限時間を想定した爆心地における地上1メートルの地点での誘導放射線の積算線量は,広島について約80レントゲン(組織吸収線量に換算して0.5グレイ),長崎について30ないし40レントゲン(同じく0.18ないし0.24グレイ)になるとし,この記述等を基に定められていた旧審査の方針について,認定在り方検討会において,誘導放射線による被曝線量が占める割合は,一般化できるほどには大きくないと考えられるとして,その合理性が是認されたことは放射性降下物による被曝線量の場合と同様である。
新審査の方針策定後の審査においては,DS86策定後に現れた最新
の科学的知見をも踏まえ,その線量評価が行われ,Z12らの計算結果をDS02に応用して求めた誘導放射能による地上1メートルでの外部被曝(空気中組織カーマ)の計算結果でも,爆心から1500メートル以上の距離での誘導放射線被曝は無視して構わないとされているところ,これに基づけば,広島原爆及び長崎原爆に由来する誘導放射線についても,その量は,健康への影響という見地からみて極めて少なかったことが判明している。
なお,この考え方については,土壌以外の建造物からの誘導放射線量を考慮していないことなどを根拠として,過小評価であるとの批判もあるが,土壌等に中性子を照射して誘導放射線量を測定した研究は,考慮に入れなければならない土壌以外の物質の誘導放射線をあえて考慮外としたものではなく,土壌以外にも屋根瓦等に含まれる誘導放射化され得る物質とその比放射能を調べている。その結果,屋根瓦と土壌からそれぞれ発せられる誘導放射線量(中性子誘導放射能によるガンマ線の照射率)は,ナトリウムとマンガンのいずれについても,屋根瓦の方が土壌よりも圧倒的に低い結果となっており,これは,屋根瓦自体が遮蔽となり,放射線が屋根瓦の外に出られないことによるものと考えられる。以上を総合すれば,特に爆心地の場合には爆風及び熱線により屋根瓦等の建築材料ほとんどは崩壊して,地面(土壌)の上に散らばって遮蔽となっていたと考えるのが合理的であるところ,そのような状況下においては,土壌と建築材料のうち誘導放射線量の最も高い土壌からの誘導放射線量を考慮すれば被曝線量を最も高く評価することになるはずであり,土壌の誘導放射線量と建築材料からの誘導放射線量を合算して被曝線量を評価することに合理的な根拠はないものである。
また,被爆により誘導放射化した人体からの被曝線量を考慮していないことを根拠として過小評価であるとの批判もあるが,Z11事故で約
25グレイの被曝をした従業員の人体の誘導放射化を調査した結果において,対象者のうち汚染検査において最も高い放射線量を示した者の右肩部の放射線量の測定結果は1時間当たりで10マイクロシーベルトであり(事故発生時の30時間前に遡っても40マイクロシーベルト),この値は,歯科エックス線撮影1回程度(同じく4回程度)や胃の1回のレントゲン検査による被曝の300分の1程度にすぎない。
(オ)

内部被曝について

原子爆弾で問題となる内部被曝は放射性降下物及び誘導放射線によるものであるところ,これらの線量がいずれも健康への影響という見地からは極めて少ないものであったことは,上記(ウ)及び(エ)のとおりである。現在は,1ベクレルの放射性核種を体内に摂取した場合にその放射性核種が体内から消失するまでの間に受ける実効線量を表す線量換算係数を用いて,摂取した放射性核種の量から内部被曝線量を特定することができ,この手法は世界的に確立しているところ,内部被曝による身体症状を発症する最低1グレイの被曝をもたらすためには,マンガン56であれば広島の爆心地の爆発直後の土壌約36キログラムを,ナトリウム24であれば同じく111キログラムを,1度に体内に摂取する必要があることになり,半減期が比較的長い放射化された核種は,土壌中の割合が極めて少ないから,更に多くの土壌を摂取しなければならない。それゆえ,原告等が原子爆弾投下後に空中に浮遊していた粉塵を吸入した可能性があるとしても,これによって有意な内部被曝をしたとは考え難い。
被曝線量が同じ場合には,内部被曝による健康影響は外部被曝による健康影響と同等又は後者よりも低く,前者の方がより危険であるとする根拠はないということについては,認定在り方検討会の平成19年12月17日付け報告書,福島第一原子力発電所(以下「福島第一原発」と
いう。)の事故を受けてICRPの構成委員である日本の委員らが平成23年10月に作成した報告,放影研が平成24年12月8日付けで発表した見解においても,同様に明記されており,このように複数の異なる非常に信頼性の高い専門家集団において,最近まで一貫して同様の見解が示されていることからすれば,現在の確立した科学的知見というべきものであることは明らかであり,放射線起因性の判断においても,これを無視してはならないことは当然である。
また,内部被曝について検討するに当たっては,取り込まれた放射性核種の量のみならず,その代謝による排出も考慮しなければならない。体内に取り込まれた放射性物質は,その臓器親和性に従って種々の臓器・組織に分布し,その後排出され,その生物学的減少は,実際には複雑な過程をたどるが,指数関数的に減少するものと仮定し,排泄機構により体内量が2分の1になるまでの時間を生物学的半減期と呼ぶ(物理学的半減期と生物学的半減期との相乗によって体内の放射能が半減する期間を有効半減期という。)とされ,これが現在における放射線医学の到達点であるといえる。
上記のような知見を踏まえ,最新の科学的知見においても,放射性降下物が最も顕著に降下していた長崎のω5地区の住民を対象としたセシウム137の実測データを用いて,昭和20年から昭和60年までの40年間の内部被曝線量を積算しても,自然放射線による年間の内部被曝線量と比較しても格段に小さく,広島原爆投下当日に爆心地から1キロメートルの地点で焼け跡の片付けに8時間従事した人々の塵埃吸入を想定し,誘導放射線による内部被曝を評価しても,ラドンの自然放射線による吸入被曝を起こす1日の被曝線量を優に下回っていることなどが実証されている。
さらに,放射性物質の中には,放射性ヨウ素の甲状腺,ストロンチウ
ム90の骨のように,それぞれ特異的に集積する臓器が決まっているものがあることから,仮に内部被曝の影響が無視できないものであるとすれば,甲状腺がんや骨がんのように特定の臓器に発生するがんが顕著に見られるはずであるが,事故後10年が経過した頃から甲状腺がん(特に小児甲状腺がん)が多数発生したとされるチェルノブイリ原発事故と比較しても,被爆者らには,特定の臓器についてがんが多発したという傾向は全く見られていない。また,核医学の分野では,診断に役立てる目的で,原子爆弾による内部被曝の場合より圧倒的に高い線量の特定の人体組織に集まる放射性核種を投与するということを行っているところ,これによって一定量の内部被曝が起きているものの,人体への健康影響が現れるという知見はない(そもそもそのようなことが想定されるのであれば,核医学診断そのものが成り立たない。)。
以上のとおり,原子爆弾由来の放射性物質による内部被曝の影響は,人体の健康への影響という観点から重視する必要がないというのが現在の科学的知見である。
(カ)

急性症状から被曝放射線量を推定する方法について

科学的観点から見た場合,現在の主な被曝放射線量の推定方法としては,①爆心地からの距離と遮蔽状況を基に計算で被曝線量を求める物理学的推定法,②実際に被曝した人の生体資料を調べて,その検査結果から線量を推定する生物学的線量推定法,
③放射線被曝による急性症状
(急
性放射線症候群)の特徴から被曝放射線量を推定する方法が挙げられるが,このうち③については,過去の様々な放射線被曝事故や検査,治療のための放射線照射事例などを集約して確立した成果として,明確なしきい線量があるとされており,この知見を指標として,被曝による急性症状の内容,発症時期,程度,回復時期に着目して,いつ,どのような身体症状が見られたのかを観察することにより,当該急性症状とされる
ものが,放射線被曝によるものであるのか,他の要因によるものであるのかを検討する姿勢が欠かせない。
この点,原告らの主張は,一定の身体症状が放射線被曝による急性症状(急性放射線症候群)であることを前提とするものであると考えられるが,その主張する下痢などといった身体的症状は,IAEA及び世界保健機関(WHO)によって公表され,既に世界的な共通認識となっている急性放射線症候群,すなわち,ある程度高線量の被曝をした場合,嘔吐等の前駆症状が出た後,無症状の潜伏期を経て,多様な脱毛,下痢等の症状が発症し,その後回復に向かうものとされており,前駆期及び発症期における各症状が,被曝線量によって異なることも明らかになっているものとは全く異なる。あるいは,原告らは,原子爆弾被爆者の場合には,急性放射線症候群の典型的な特徴やしきい値がそのまま当てはまらないと考え,被告が主張するような観点からの検討が必要ないと解しているようにも思われるが,急性放射線症候群の概念は,広島及び長崎のそれぞれ6000人以上の追跡調査等をまとめる過程で検証され,現在の科学的知見として確立されるに至ったもので,原子爆弾による放射線被曝に妥当することに疑問の余地はなく,むしろ,これが当てはまらないとか,整合性を考慮する必要がないなどという知見こそ存在しない。
現在,科学的な線量評価方法については,上記①の物理学的推定法であるDS02が基本として位置付けられた上で,上記②の生物学的線量推定法による推定線量を指標とすることにより,DS02の誤差を縮めてより精度を高める努力が続けられているところ,②の方法(染色体異常頻度を基にした方法及び歯エナメル質の電子スピン共鳴法
(Electron
SpinResonance。以下「ESR法」という。))による推定被曝線量は,①の方法による推定被曝線量と整合的であることが近時明らかになって
いる。原告らは,上記のような①ないし③の線量評価方法相互の科学的な位置付けを正解せず,遠距離被爆者及び入市被爆者に現れた身体症状を不完全に上記③の放射線被曝による急性症状(急性放射線症候群)の特徴から被曝放射線量を推定する方法に当てはめ,もって誘導放射線による外部被曝及び内部被曝による線量を過大評価するものであり,このような判断方法は,現在の科学的知見とはおよそ相容れない独自の見解に基づくもので,明らかに誤っている。
すなわち,上記③の方法は,被曝線量ごとの前駆症状の種類や出現時期,潜伏期間,主症状の種類,出現時期等の特徴から被曝線量を大まかに推定するものであり,多様な事故経験等を踏まえ,明らかな高線量被曝が確実である場合に,その被曝の程度を表すものとして被曝線量を推測するために用いられ,その段階で初めて適切な適用ができるものであり,
初期の前駆症状や局所の所見はいずれも非特異的なものであるから,当該手法による線量推定のみで被曝の根拠とするのは誤用である。上記③の推定方法は,①の物理学的推定法及び②の生物学的線量推定法が有効でなく,その他の情報から高線量放射線被曝が確信されているような場面において,被曝線量の程度を計る目的で暫定的に使用されるものである。
この点,
疫学的知見の集積から導き出された科学的経験則を用いつつ,
放射線被曝の人体影響を的確に把握しようとするためには,放射線被曝を受けたか否かという二者択一の観点のみでは足りず,これに加えて,放射線被曝を量的に把握することが不可避であるところ,仮に急性放射線症候群を用いた線量評価を行う場合においても定量的に被曝線量を把握する必要がある。そして,疫学研究の過程において示された「関連性」や「関連性の示唆」等の結果から因果関係についての法則性を導くためには,当該研究によって示された結果が「有意な関連性」といえるもの
であることがまず最低限必要であるし,法則性を有するといえるだけの実質を伴うものであるかを慎重に吟味する必要があり,また,疫学研究の過程において示された「仮説」や「可能性」自体は直ちに因果関係についての科学的経験則を意味するものではないところ,被爆後の身体症状により線量を評価する方法も,疫学研究に基づくものであれば,これがいかなる段階の疫学研究で,科学的経験則となり得るものであるのか否かが慎重に吟味されなければならず,知見についても単なる「仮説」や「可能性」や「関連性の示唆」や「関連性」では足りないのである。線量評価が可能な放射線被曝による急性症状との対比に基づかずに,単にこれに類する身体症状を捉えて上記①及び②の線量推定方法の一致した結果を否定することは,線量推定方法の基本的な意義をも正解しないものといわざるを得ず,身体症状の内容及び程度,発症時期等について不明確であったり,明確な定義付けがされていないなど,科学的な被曝線量の評価を行うには著しく不十分といわざるを得ないような調査結果に基づいては,一推論としてならばともかく,これに依拠して科学的に合理性を有する被曝線量の評価を行うことは不可能である。
そして,被爆者に対する調査の中で,必ずしも急性放射線症候群の知見に合致しないと思われる脱毛,
下痢等の身体症状の報告も存在するが,
それらの身体症状については,原子爆弾投下後70年が経過した現在においても,それらが原子爆弾放射線に起因して発症したと認めるに足りるほどの疫学的知見は存在しない。そもそも原子爆弾による影響としては,爆風や熱線による影響も無視できないし,下痢や脱毛自体は,深刻な食糧難,かつ,保健衛生の劣悪な状態にあった当時の日常生活において,火傷や外傷によって身体的・精神的ストレスが過重となり,抵抗力が弱まり,また栄養障害も重なり,感染症等に罹患しやすい状態にあったことからも発症し得るところである。したがって,仮に,原告らに,
被爆後,何らかの身体症状が発症していたと認められたとしても,それが放射線被曝に起因するものか否かについては慎重な判断を要し,そのような身体症状を発症したことから,直ちに,当該原告が,健康に影響があり得る程度の線量の放射線に被曝したなどと認めることもできないのである。

放射線と疾病との関係に係る疫学的知見
放射線起因性が認められるか否かを判断するためには,法的因果関係判断の基礎となるべき(原子爆弾)放射線被曝により原爆症認定申請疾病が発症するという因果関係についての法則性を肯定する科学的経験則の存在が大前提となるが,この科学的経験則は,当該分野における臨床的及び実験的研究の困難性ないし限界に鑑み,多くは,放射線と疾病との関係を疫学的に研究した知見の集積から導き出されることになる。
疫学研究においては,相関関係(統計学的関連性)の有無並びにその有意性及び程度が探索されるが,その過程で疾病の増加とある因子との間に相関関係(統計学的関連性)を示す結果が得られたとしても,両者間に直ちに疫学的因果関係が認められるものではない。そのためには,まず,研究結果に,偶然や真の状況とは系統的に異なる影響(バイアス)がないかを見極める必要がある。また,要因と想定する事象と結果と想定する疾病の両方に関係のある別の因子の影響をもって,関連性として観察してしまうことなどがあるから,①異なった研究方法でも同様な結論であるという関係が常に存在し(関連の一致性又は普遍性),②ある疾病の要因を持っている群は,それを持たない群に比べてその疾病の発生率が高いという関係の程度が強く(関連の強固性),③疾病とその要因を同時に両方とも持っている人が多いという関係が特異であり(関連の特異性),④要因の存在は疾病の発生より先行するという関係が時間的に矛盾せず(関連の時間的関係),⑤医学生物学的な筋道と一致しているという関係が首尾一貫し
ており(関連の整合性),⑥その要因を多く持っている群ほどその疾病により多く罹患するという量反応関係である(量反応関係)というような条件が満たされることにより,初めて疫学的因果関係が一般に受け入れられる。
また,疫学的因果関係は,集団現象としての疾病についての原因を記述するのみであり,その集団に帰属する個人の罹患する疾病の原因を記述するものではないという特質を有することに留意する必要があり,疫学的因果関係を認定できたとしても,特定の個々人が罹患した疾病の原因が何であるかという点まで直ちに導き出すことはできない。疫学的因果関係を基に具体的個人の罹患した疾病の原因について何らかの言及ができるとするならば,当該疫学的因果関係の認定に用いられた関連の強固性の指標である相対的危険度
(相対リスク)
を基に,
一定の推論をすることだけである。
もっとも,法的な因果関係が認められるためには,自然科学的証明までは必要とされていないため,ある疫学研究において有意な関連性を示す結果が得られた場合に,疫学的因果関係の証明がされていない段階にあったとしても,当該疫学研究(有意な関連性を示す結果)から一定の因果関係が推測されるとして,これを用いて法的な因果関係を認めることが考えられないではない。しかしながら,その場合であっても,因果関係としての法則性について通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものといえるためには,通常,有意な関連性を示した研究結果から推測される因果関係が法則性を有するといえるだけの実質を伴うものでなければならず,単に有意な関連性を示す研究結果が得られたというだけで直ちに因果関係についての法則性を獲得し得るものではないと考えられる。ある科学的に研究結果に基づく意見を経験則として用いるためには,反対の考え方を上回る合理性が認められなければならず,このような合理性が認められないにもかかわらず,
当該意見を経験則として用いるということは,

相互に矛盾する結論が並立することになり,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るとはいえないから,当該意見が経験則としての法則性を獲得したことにはならない。そして,ある科学的意見について,反対の考え方を上回る合理性が認められ,一定の法則性を獲得したといえるためには,まず,当該意見自体の科学的合理性の有無について,科学的観点から慎重に吟味されなければならないことはいうまでもない。例えば,疫学的研究であれば,一般的に指摘され得るような交絡因子その他のバイアスは当然に排除される必要があるし,基本的な再現性がなければ法則性を認めることは困難である。それのみならず,当該意見について,反対の考え方との比較において,当該意見を採用すべき積極的な根拠が認められなければならない。これらの主張立証責任は,当該経験則について主張立証責任を原告らが負担すべきものである。
なお,原告らが原爆症認定訴訟の特殊性として殊更強調する人体影響の未解明性というものは,原子爆弾放射線に限った問題ではなく,医学的知見に基づき因果関係の成否を判断すべき訴訟において一般的に問題となり得るものであるから,このことは,決して仮説をもって科学的経験則として用いることを許すべき根拠となり得るものではない。

原子爆弾放射線による罹患リスクと他原因による罹患リスクの対比放射線被曝に特異的でない疾病の場合,一般的な発病のリスクに基づいて発症したのか,それとも放射線被曝の影響により発症したのかを判断するためには,
単に放射線に被曝したか否かを明らかにしただけでは足りず,
放射線の影響と一般的な発病リスクとの定量的なリスクの比較が不可欠である。例えば,放射線と生活習慣の発がんの相対リスクを比較すると,野菜不足のリスクは1.06倍,100ないし200ミリシーベルトの放射線被曝のリスクは1.08倍,塩分の取りすぎは1.11ないし1.15倍,運動不足は1.15ないし1.19倍,200ないし500ミリシー
ベルトの放射線被曝のリスクは1.19倍,肥満は1.22倍,500ないし1000ミリシーベルトの放射線被曝のリスクは1.4倍,毎日2合以上の飲酒は1.4倍,喫煙や毎日3合以上の飲酒のリスクは1.5倍,1000ないし2000ミリシーベルトの放射線被曝のリスクは1.8倍とされている。
このように,当該がんの発症が,放射線被曝によるものか,それ以外の喫煙,肥満,運動不足等のリスクによるものかの科学的な比較は,放射線被曝線量が定量的に明らかにされない限りは行うことができないから,放射線起因性の有無を判断するに当たっては,放射線と疾病発症との関連性が存在するだけでは足りず,関連の程度を具体的に検討することが不可欠である。
そして,特定の事実が特定の損害の発生を招来したことを是認し得る程度の高度の蓋然性が証明されたというためには,他原因の可能性を原告が高度の蓋然性をもって否定する必要があり,被告は,反証として,当該結果の発生が専ら他原因によるのではないかとの疑いを抱かせる程度の立証をすれば足りるものと解されているところ,このことは放射線に非特異的な疾患を発症した場合の放射線起因性の判断についても,
同様に妥当する。
他原因の不存在についての立証責任は,個別の原告が負担すべきことになる。
(2)原告Z3の原爆症認定申請疾病である慢性心不全の放射線起因性該当性(争点2の1)
(原告Z3の主張)

原告Z3の原子爆弾放射線被曝の程度
(ア)

被爆等の状況
原告Z3は,12歳当時の昭和20年8月9日,爆心地から約4.
2キロメートルの長崎市ω9の自宅裏の崖で防空壕を掘っている最中
に長崎原爆に被爆した。防空壕を1メートルほど掘り進んだところで,爆撃機の爆音が北の方角から聞こえ,音量からかなり遠いと判断し安心した瞬間,真っ白な光のベールに包まれ,何も見えなくなったものである。
原告Z3は,慌てて這うようにして防空壕に逃げ込み,一,二分後に防空壕を出ると,自宅は大きく破壊され,家中も惨憺たる有様であった。

その後,原告Z3は,昼頃までの間,自宅付近で,大量に降ってきた灰や,通り雨のように激しく降った雨を浴びて,濡れた。原告Z3は,同日午後2時頃,長崎市の中心部に向かい,爆心地から約3キロメートルの市役所付近まで近付いて午後4時頃まで滞在し,兄を捜すため,逃れてくる人々の顔を確認し続けた。なお,兄は,爆心地近くで被爆しており,当日午後8時頃に帰宅した。


原告Z3は,同月12日か13日頃,きょうだいとともに爆心地付近の様子を見に行き,早朝から昼過ぎまでの相当時間,爆心地周辺に滞在し,そこで吹き出していた水も飲んだ。この間,上記のような被爆をした兄と共に行動し,さらに,同月17日頃から,脱毛,血性下痢,嘔吐,高熱幻覚,激しい呼吸困難,意識混濁等の症状を発症した兄の看病をした。

(イ)

被爆後の健康状態
原告Z3は,昭和24年夏,高校2年生時に,肋膜炎と肺浸潤に罹
患し,3か月間2学期のほとんどを休学し,高校3年生になっても快癒しなかった。

原告Z3は,昭和26年に上京して以降も体調のすぐれない日が続いた。毎年のように,扁桃腺炎を起こして40度の熱を出し10日くらい寝込んでいた。22歳時には赤痢に罹患し,隔離病院に収容され
た。

原告Z3は,平成7年9月25日,職場で大量下血をして,救急搬送され2週間入院し,検査をしたが出血箇所は不明であった。


原告Z3は,平成8年から高血圧症での治療を開始した。


原告Z3は,平成14年7月に,後に原爆症認定をされる胃がんの診断を受け,同年8月に内視鏡的摘出手術を受け,現在も医師の管理下にある。


原告Z3は,平成19年7月28日に右半身にしびれを自覚し,同月30日も持続していたため病院を受診したところ,左橋(脳幹)に新鮮梗塞があると診断された。1週間入院して抗トロンビン薬の点滴治療を受け,軽快して同年8月8日に退院した。


原告Z3は,この間の平成18年3月及び7月並びに平成20年3月,9月及び10月9日に意識消失発作が繰り返しあり,その精査のため,平成21年1月5日,Z13病院で心臓カテーテル検査及び心臓電気生理学的検査を受けたところ,
右冠状動脈#4PD
(後下行枝。
#による区画番号につき,乙D①6の76頁参照。以下同じ。)に90パーセントの狭窄を認めて狭心症と診断され,経皮的冠動脈形成術(PCI)でステントを挿入された。同年7月に再び失神したが,傾斜台試験や心筋シンチグラフィでは異常がなかった。
原告Z3は,平成22年7月頃から労作時の胸痛があり,同年12月7日の冠動脈造影で右冠状動脈♯1に90パーセントの狭窄があり,同月15日に経皮的冠動脈形成術を受けた。
原告Z3は,平成23年3月5日には,急性鬱血性心不全で緊急入院して加療を受け,同月9日の冠動脈造影で#1が99パーセント,#6及び7が75ないし90パーセント,#9が90パーセントと冠動脈狭窄の進行があり,同月14日に3回目の経皮的冠動脈形成術を
受けた。
退院後も2回失神があり,同年4月25日に冠動脈造影で#1のステント内狭窄が認められ,同年5月2日に4回目の経皮的冠動脈形成術を受けた。この入院中の病棟のモニターで完全房室ブロックがとらえられ,同年5月6日にペースメーカーを装着し,以後失神発作はなくなった。
原告Z3は,同年8月,経過を見るための冠動脈造影で同じく#1に再狭窄が認められ,度重なる再狭窄のため経皮的冠動脈形成術ではなくバイパス術が必要とされ,同年9月13日に,心拍動下冠動脈バイパス術(CABG)4枝を受けた。
原告Z3は,現在,多くの内服を続け,併せて厳重な水分管理も行っている状態である。

原告Z3は,平成25年10月,後に原爆症認定をされる大腸がんを発見され,平成26年1月20日に開腹で右側結腸切除術を受けた。
(ウ)

小括

原告Z3は,上記のように,12歳時に爆心地から約4.2キロメートル地点で直爆を受け,3日ないし4日後に爆心地付近に相当時間滞在し,現地で水を飲むなどし,また大量の放射線に被曝した可能性のある兄を看病した。原告Z3は,胃がんと大腸がんについて既に原爆症認定を受けていることからも,相当量の被曝をしたものと考えられる。また,過去の被爆者調査等から,被爆者には全般的な多疾病傾向が見られることが明らかにされており,こうした被爆者の多疾病傾向や虚弱性は,原子爆弾放射線の治癒能力等への影響を表すもので,原子爆弾放射線の人体影響を推認させる有力な事情であり,特に原爆症認定申請疾病以外にも,がんなど放射線との関連性が強い疾病に罹患したことがあれば,原子爆弾放射線の人体影響はより強く推認される。上記(イ)のよ
うな原告Z3の被爆後の扁桃腺炎,大量下血,胃がん,脳梗塞,大腸がん等の健康状態は,多疾病傾向ないし脆弱性を裏付ける事実である。イ
放射線と慢性心不全の関連性に関する知見
(ア)

慢性心不全(狭心症)の原因

心不全とは,心臓の血液拍出が不十分であり,全身が必要とするだけの循環量を保てない状態をいい,急性心不全と慢性心不全とに分けられるところ,慢性心不全は,すべての心疾患の終末的な病態で,心筋梗塞や狭心症,
冠動脈の動脈硬化による虚血性心疾患がその原因となり得る。
また,その生命予後は不良である。
動脈硬化性の狭心症は,心筋梗塞と同様に,冠動脈の内壁や中膜にコレステロールのような一種の脂質が沈着し,その部分が肥厚して,血管内の血流を妨げることによって生じるものである。つまり,心筋梗塞と動脈硬化性の狭心症の発生機序は全く同じであり,両疾病の違いは血管が閉塞して心筋が壊死してしまうか否か,すなわち症状が可逆的であるか不可逆的であるかの違いしかない。
(イ)

放射線と慢性心不全との関連性

被爆者の死亡率に関する追跡調査であるLSSが,最初に循環器疾患の死亡率に線量反応関係があること,すなわち被曝放射線量と死因疾患との間に有意な関係があることを示唆したのは第11報
(1950年
(昭
和25年)-1985年(昭和60年))であり,続く第12報(1950年-1990年(平成2年)),第13報(1950年-1997年(平成9年)),さらに,最新の第14報(1950年-2003年(平成15年))でも循環器疾患の死亡率にほぼ線形の線量反応関係のあることが認められた。
また,疾患の発生率に関する調査であるAHSでは,第7報(1958年(昭和33年)-1986年(昭和61年))において若年被爆者
の心筋梗塞の増加が示唆され,
続く第8報
(1958年-1998年
(平
成10年))では,被爆時年齢40歳未満の若年被爆者における心筋梗塞発症率に有意な2次の線量反応関係が認められた。
さらに,原子爆弾の放射線が,動脈硬化の促進に抗する生理的,免疫学的防御機構に長期間にわたって影響を与え,動脈硬化性の循環器疾患の発症が促進される機序も科学的に解明されつつある。心筋梗塞の放射線起因性については,以上のとおり,疫学的に因果関係が認められるのみならず,その機序についても相応の科学的根拠があるところ,放射線の影響について,発生機序が全く同じである心筋梗塞と動脈硬化性の狭心症を区別することに何らの合理性もない。

原告Z3の慢性心不全の放射線起因性
原告Z3の慢性心不全については,胸痛もあったが,繰り返す失神という非典型的な症状に対して冠状動脈造影が行われ,冠動脈狭窄が判明し,適切に管理されてきたことが幸いして,心筋梗塞に至らずに狭心症にとどまったものの,こうした冠状動脈の動脈硬化が原因で慢性的な虚血状態による心機能不全,すなわち慢性心不全となっており,病態としては心筋梗塞の原因と同じといえる。しかも,冠状動脈3枝の多くの場所に狭窄を認める原告Z3の心筋では,慢性的な虚血状態による機能不全が起きやすい状態で,1か所の心筋梗塞で心筋壊死があっても他の心筋で心機能を維持できている状態より重症といえる。
このように原告Z3の慢性心不全は冠動脈の動脈硬化を原因とするものであることが明らかであるところ,この点は,冠動脈の動脈硬化を基礎とする心筋梗塞と共通している。したがって,原告Z3の慢性心不全は,心筋梗塞と共通の発生機序を持つといえ,疾病の発生に対する放射線の影響についても心筋梗塞と同様に考えられる。
なお,被告は,原告Z3の慢性心不全は安定狭心症で急性心筋梗塞など
とは発生機序が異なると主張するが,安定狭心症と不安定狭心症は,臨床経過に基づく分類であって発生機序を分けるものではないし,原告Z3は不安定狭心症と見られるのであるから,その主張は失当である。
原告Z3の被爆態様,疾病歴,医学的事実からすれば,原告Z3の慢性心不全の放射線起因性は明らかである。
(被告の主張)

原告Z3の原子爆弾放射線被曝の程度
(ア)

認否

原告Z3の被爆等の状況は知らず又は否認し,被爆後の健康状態は知らない。
(イ)

科学的被曝線量

仮に原告Z3の主張を前提としても,相当量の被曝をしたとの主張は全く不明確であって,少なくとも科学的な根拠を有する主張とは到底いえない上,爆心地から約4.2キロメートルの地点において被爆したとして,DS02による長崎原爆の初期放射線に係る推定被曝線量は0.2ミリグレイを下回る値であり,入市及び兄を看病したことに伴う誘導放射線による被曝線量,
並びに内部被曝線量を合計した全体量としても,
推定被曝線量は0.21ミリグレイを下回る程度にすぎず,せいぜい東京とニューヨークとの間を飛行機で1回往復した際に受ける被曝線量程度の低線量である。
この点,原告Z3は,胃がんを申請疾病として提起していた原爆症認定申請却下処分取消訴訟の第1審判決において,被爆状況やその後の行動は,旧審査の方針による推定値を相当程度上回るような被曝があったことをうかがわせるようなものではなかったといわざるを得ず,身体症状等の事情を併せ考慮しても,胃がんの放射線起因性を肯定することは困難である旨判示されて,その請求を棄却されている(その後,新審査
の方針が策定され,原爆症認定を受けたことに伴い,控訴審判決において,上記原判決は取り消され,原告Z3の訴えは却下された。)。(ウ)

他の疾病の原爆症認定がされていることについて

原告Z3は,胃がんと大腸がんについて既に原爆症認定を受けていることからも,相当量の被曝をしたものと考えられると主張する。
しかしながら,新審査の方針における積極認定の範囲が,放射線被曝による健康影響についての科学的知見が明らかでない範囲をも取り込む形で拡大されていることについては,
前記(1)の被告の主張ア(ウ)のとお
りであるから,積極認定の範囲に該当するものとして行政認定されたという事実をもって,当然に放射線被曝による健康影響が科学的知見として認められる程度の被曝をしているとはいえない。
また,原告Z3がこれまでに認定を受けた疾病はいずれもがんであるのに対し,本件の原爆症認定申請疾病は慢性心不全という循環器疾患であって,疾病の類型としても全く異なっており,放射線被曝による健康影響の有無及び程度は疾病ごとに異なっているから,がんで原爆症認定を受けているからといって,がん以外の疾病についても,当然に放射線被曝による健康影響が認められることにはならない。
さらに,放射線の感受性は臓器ごとに異なるところ,胃や大腸は比較的放射線感受性の高い組織とされている。
以上によれば,原告Z3について胃がん及び大腸がんで原爆症認定がされていたとしても,そのことから直ちに原告Z3の慢性心不全についてまで放射線起因性が認められるということにならないことは明らかである。
(エ)

疾病歴について

さらに,原告Z3は,肋膜炎,扁桃腺炎,赤痢,下血,高血圧,脳梗塞,狭心症等,これまでの病歴を羅列等した上で,被爆者の多疾病傾向
や虚弱性は,原子爆弾放射線の治癒能力等への影響を表し,原告Z3の被爆後の健康状態は,多疾病傾向ないし脆弱性を裏付ける事実であると主張する。
しかしながら,人が加齢とともに多数の疾患に罹患するようになるのは,被爆者に限られるものではない。この点,原告Z3が被爆者の多疾病傾向や虚弱性の論拠とする報告のうち,昭和40年11月に健康調査を受けた9042人の被爆者から,当時の身体障害及び身体異常の有無について問診により調査した旧厚生省公衆衛生局報告は,当該症状について医師による診察や,その具体的な態様,原因等に関しての医学的判断を経たものではなく,当該身体障害等が原子爆弾放射線の影響によるものであるかも何ら確認したものでもないし,その調査結果を見ても,被爆者の多疾病傾向は何ら明らかにされておらず,むしろ高年齢層ほど身体障害率が高くなっていることは加齢による要因がうかがわれる等として,被爆者の身体障害等が必ずしも原子爆弾放射線被曝の影響であると結論付けていない。また,別の被爆時年齢別の死亡原因別割合の調査に関する旧厚生省保健医療局報告も,昭和20年末までの原因不明の死亡をすべて急性障害による死亡と整理し,死亡の原因について医学的判断もされておらず,このような調査結果をもって,若年被爆者において放射線感受性が高いとか,高齢被爆者において放射線被曝に対して脆弱であるなどとはいえず,そのようにいえる理由は全く不明であるし,その他の報告等は,およそ医学的,疫学的研究報告や大規模な疫学調査の結果に基づくものではない。
被爆者において一般的に多疾病傾向にあるとか,放射線に対して脆弱性があるなどとはいえない。

放射線と慢性心不全の関連性に関する知見
(ア)

原告Z3の主張

原告Z3は,平成18年3月頃から数回発作を起こし,平成21年1月の検査により,狭心症(労作性狭心症)と診断されているが,これまで心筋梗塞と診断されたことはない。また,原告Z3の原爆症認定申請書に添付された医師の意見書には,疾病名として冠動脈硬化性虚血による慢性心不全と記載され,現症所見欄にも専ら狭心症の治療状況について記載されていることからすれば,上記の冠動脈硬化性虚血は,労作性狭心症を指すものと考えられる。原告Z3の慢性心不全の主張は,労作性狭心症を意味するものと理解される。
(イ)

狭心症の原因

心臓は,主に心筋と呼ばれる筋肉で構成され,身体の各部位に血液を運ぶことによって酸素・栄養等の供給をする臓器である。心臓そのものも活動のために血液(酸素・栄養)を必要とすることから,心臓の周りには冠動脈という動脈が走行しており,心臓に血液を供給している。狭心症と心筋梗塞は,いずれも何らかの原因で心筋への血液供給が阻害され,その結果,心筋細胞が酸素不足(虚血)に陥った状態をいい,虚血性心疾患の1つとされているが,狭心症は一過性の心筋虚血を原因とし,胸部又はその周辺の不快感を主症状とする臨床症候群であって,疾病経過としては可逆的であるのに対して,心筋梗塞は,心筋虚血が一定時間持続した結果,病理学的には心筋が壊死(心筋細胞死)するに至った疾患であり,疾病経過としては不可逆的である。
狭心症は,発生機序によって分類すると,大まかには,主に動脈硬化が原因となり器質的に(物理的に)冠動脈が狭窄することによって起こる器質性狭心症と,必ずしも器質的な病変を伴わないが冠動脈平滑筋が攣縮することによって起こる冠攣縮性狭心症とに分けることができ,症状の発現の経過(臨床経過)によって分類すると,一定以上の労作により生じ,それ以下であれば症状を生じることがなく発作頻度も変化のな
い安定狭心症と,不安定狭心症(安静狭心症,新規狭心症,増悪型狭心症がこれに該当する。)とに分けられる。
動脈硬化は,本質的には加齢に伴った老化現象とされており,ヒトの冠動脈に,加齢に伴い,プラークと呼ばれる内膜の肥厚性病変が形成される。このプラークの形成,進展のメカニズムについてはいまだ不明な点も多いものの,血管内皮細胞の機能障害や障害に始まり,血液中のコレステロール,特にLDLコレステロールが動脈壁に入って沈着し,それが酸化されたものを免疫細胞の一種であるマクロファージが細胞内に取り込んで(貪食)泡沫細胞に変化させ,これと脂質を含めてアテローム(粥腫)というものを形成し,このアテロームと繊維組織が混在したものがプラークである。
安定狭心症の発生機序は,こうしたプラークの進展や増大によって生じる冠動脈の内腔の狭小化が心筋への酸素供給量を低下させ,その結果需要量との間で較差を生じることで心筋虚血がもたらされることと考えられている。これに対し,急性心筋梗塞や冠動脈疾患に起因した虚血突然死などとともに急性冠症候群(acutecoronarysyndrome。ACS)と総称される不安定狭心症の発生機序としては,プラークそのものによる冠動脈内腔の狭小化というよりは,脂質に富んだプラークが,これを覆う線維成分
(線維性被膜)
が局所的に薄く,
不安定で脆弱であるために,
破裂やびらんを生じ,それに続いて局所での血栓形成を引き起こすことが主な機序であると考えられており,
安定狭心症と急性冠症候群とでは,
臨床的な経過・病態の違いとともに,病理学的なプラーク組織性状においても大きく異なっていることが明らかにされている。
実際,急性冠症候群の約70パーセントでは急性期における冠動脈造影検査上,狭窄率が50パーセント以下の軽度狭窄であり,その患者の多くは発症まで無症状であることが多いのであり,労作性狭心症が,動
脈硬化が徐々に進展することで心筋梗塞に至る同一機序の一連の疾患とすることはできない。
(ウ)

放射線と狭心症との関連性について
心筋梗塞に直結する粥腫の破綻を伴う不安定狭心症と粥腫の破綻を
伴わない安定狭心症では,それぞれ機序が異なるところ,この粥腫形成過程に放射線が寄与することは考え難く,実際,狭心症と放射線被曝との間の関連性を認めた科学的知見は存在しない。
原告Z3が,放射線と慢性心不全との関連性を示す知見として挙げるLSS第11報ないし第14報並びにAHS第7報及び第8報は,飽くまでも「循環器疾患」や「心筋梗塞」という疾病分類に関するものであって,当然に「狭心症」(慢性心不全)という疾病分類にそのまま妥当するものではない。
そのうちLSS第12報及び第13報並びにAHS第8報の内容は,既にUNSCEAR報告書によって総括された上で,約1ないし2グレイ未満の線量における電離放射線への被曝と心血管疾患の罹患との間に因果関係があると結論付けるには不十分であるとする国際的合意が取りまとめられている。また,放射線防護の観点から基準を定めるICRP2012年(平成24年)勧告の中では,0.5グレイ以下の線量域におけるいかなる重症度や種類の循環器疾患リスクも,依然として不確実であることが強調されるべきであると結論付けられ,その内容は,放射線防護の観点から低線量被曝の影響に関する科学的知見の最下限を画する最新のものとして,既に国際的に共有されている。原子爆弾放射線被曝の大規模な疫学調査である放影研のLSS,AHSにおいてすら,放射線被曝との関連性が示唆されているのは,飽くまで高線量の放射線被曝における循環器疾患ないし心疾患のリスクにとどまっており,低線量の放射線被曝との関連性まで一般的知見と
して肯定されているものではないし,まして心筋梗塞あるいは狭心症という疾病分類についてまで低線量の放射線被曝との関連性を認めるものでもない。

原告Z3は,
原子爆弾の放射線が,
動脈硬化の促進に抗する生理的,
免疫学的防御機構に長期間にわたって影響を与え,心血管疾患発症の原因となった可能性が否定できないと主張するが,その論拠とする報告は,未発表データに基づき,心筋梗塞の既往症のある被爆者において,炎症の指標と考えられているC反応蛋白(CRP)レベルとインターロイキン-6(IL-6)レベルの有意な上昇が認められたとしつつ,その有意な上昇が要因ではなく結果である可能性を否定できない等とされている上に,データ自体が未発表でいかなる批判にもさらされていないものであり,その信用性を直ちに首肯できるものではないし,いまだ仮説の域を出ないものであるから,これを直ちに科学的経験則として用いることは許されない。


原告Z3の慢性心不全の放射線起因性
原告Z3の症状に鑑みれば,不安定狭心症であるとは考え難く,安定狭心症については,前記イ(ウ)のとおり,粥腫形成過程に放射線が寄与することは考え難い点のみから考えても,原告Z3の慢性心不全(狭心症)の放射線起因性は否定されるべきである。
また,動脈硬化の危険因子としては,血液中余分な脂質が変化してアテロームの形状につながる脂質異常症,
心臓に余計な負担を掛ける高血圧症,
細かい動脈の動脈硬化を促進したり,血液が詰まりやすくなったりする糖尿病,喫煙が4大危険因子として挙げられているほか,加齢,男性であること,肥満,家族歴(遺伝)等も危険因子として挙げられており,これらの危険因子が多くなればなるほど発症率が加速度的に増加するなど,そのリスク要因やリスク上昇の程度が,疫学上もメカニズム上も比較的明瞭に
されている。この点,原告Z3は,加齢や性差だけでなく,高血圧,糖尿病,肥満,飲酒及び喫煙という動脈硬化の危険因子を複数保有していたといえる。
原告Z3の被曝線量は,放射線防護の観点に基づく最新のICRP勧告においても心疾患と放射線被曝との間の直接的な因果関係の認められていない0.5グレイを,大幅に4桁も下回る被曝線量にすぎない上,原告Z3は,上記のとおり,動脈硬化の危険因子を重畳的に有している。これらを総合考慮すれば,原告Z3の慢性心不全が原子爆弾放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえず,むしろ,その発症は,加齢や高血圧等の原子爆弾放射線以外の要因によると見るのが自然かつ合理的である。
原告Z3の申請疾病である慢性心不全(狭心症)について放射線起因性の要件を満たしているとはいえない。
(3)原告Z4の原爆症認定申請疾病のうち心筋梗塞の放射線起因性該当性(争点2の2)
(原告Z4の主張)

原告Z4の原子爆弾放射線被曝の程度
(ア)

被爆等の状況
原告Z4は,13歳の昭和20年当時,長崎市ω10の自宅で両親
と2人の姉と暮らしており,同年8月9日,自宅近くの爆心地から約3キロメートルの同市ω11の屋外で防空壕を掘る手伝いをしている際に長崎原爆の直爆を受けて被爆し,防空壕の中に吹き飛ばされ,左肘を火傷し,熱風を吸い込んで喉も火傷を負った。
原告Z4は,
家族のことが心配になり,
防空壕を飛び出したところ,
外は夕方のように薄暗く,どんよりと雲が覆い被さったようになって
いた。町中では,頭にガラスが突き刺さったまま走り回っている人,腕がない人,火傷で苦しんでいる人がいた。

原告Z4は,ω11にあったZ14病院跡地の防空壕に向かったところ,そこで家族に会えた。原告Z4ら家族は,一旦ω10の自宅に戻ったが,炎から逃れるため,中島川を越えて,ω12のZ15に避難したところ,そこに向かう途中,雨に降られた。Z15では,怪我を負っている人が本堂からあふれていた。


原告Z4は,翌同月10日,家族とともにω10の自宅に向かったが,跡形もなく焼け落ちていたため,Z15に引き返し,重症の被爆者たちが寝泊まりする中で生活し,翌同月11日も一日中Z15で過ごした。


原告Z4ら家族は,同月12日頃,自宅に近いZ14病院近くの空地に移り,掘っ立て小屋を建てて生活を始め,飲み水や生活用水には破裂した水道管から吹き出る水を使った。同月13日頃,道路や路地には荼毘に付されていない死体が転がっており,原告Z4ら家族が生活していた空地のすぐそばでも,遺体を荼毘に付していた。
原告Z4は,その頃,救援のため,被爆者の収容所になっていたZ16小学校の教室で,重症を負った被爆者の身体に湧いた蛆を割り箸で取り,それを空き缶に入れるという作業もした。


原告Z4ら家族は,同月15日に玉音放送を聞いた後,原告Z4の母親の実家のある西彼杵郡ω13に向かうこととし,夕方にω10を出発し,長崎駅付近から線路沿いに歩き,爆心地付近を通過し,ω14を経由して,翌同月16日に到着した。

(イ)

被爆後の健康状態


原告Z4は,被爆前は健康であった。


原告Z4は,被爆により左肘を火傷し,また,熱風を吸い込んだこ
とにより喉を火傷し,水や食べ物が喉を通らないことがあった。
また,原告Z4は,被爆後,腹痛を伴う下痢が何日か続き,ω13に行った昭和20年8月16日頃には,指先に集中して石けんの泡のように幾重にも重なったいぼが出来た。

原告Z4は,
昭和21年初夏頃からは,
体調を崩すことが多くなり,
この頃から,腹痛を伴う下痢と嘔吐でたびたび苦しい思いをした。また,喉が腫れ,膿が出ることもたびたびあり,寝たきりの状態で,病院に歩いて行くこともできずに往診に来てもらっていた。昭和22年頃も,
依然として体調を崩しやすく,
疲れやすいことに変わりはなく,
この頃も原因不明の腹痛があり,嘔吐と下痢を繰り返した。この間,腫れと発熱を繰り返すようになり,最終的には扁桃腺を切除した。

原告Z4は,昭和24年頃になって,ようやく寝込むこともなくなり,通学もできるようになり,昭和32年に結婚し,昭和37年12月2日に長女を,昭和40年11月22日に二女を出産した。


原告Z4は,昭和47年以降,腹痛や胃痛を頻繁に起こすようになり,嘔吐や胃けいれんを繰り返した。


原告Z4は,
昭和50年頃,
Z17病院で高血圧症,
大腸ポリープ,
胃潰瘍等の治療を始め,平成元年頃より,脂質異常症に対しても投薬治療を開始した。


原告Z4は,平成8年頃から,めまい症の発作を突発的に起こすようになった。平成13年頃には,高血圧で,嘔吐,めまいがひどく,Z18診療所で診察を受け,血圧が200以上だったため直ぐにZ19病院に入院し,10日間で退院した。


原告Z4は,平成17年1月,Z17病院で大腸腫瘍を手術した。

原告Z4は,
この間の平成15年6月,
労作時の胸部圧迫感があり,
狭心症について検査し,更に平成17年,平成19年と検査し経過観
察となっていた。
原告Z4は,平成21年8月15日午前9時頃,15分程度続く胸痛があったが自然に改善したため様子を見ていた。同月22日に肩,胸の痛みがあったが,筋肉痛と考えられるとして安静を指示された。同月26日頃から労作時の呼吸苦があり,同月29日にZ20診療所を受診したところ,不整脈が発見され,前壁心筋梗塞と心不全の状態でZ21病院に救急搬送されて入院した。
原告Z4は,入院後の血液検査でトロポニンT(定性)が陽性,心臓超音波検査で前壁中隔の心尖部寄りの壁運動消失部位があり,心筋梗塞及び心不全の診断で治療を受けた。同年9月3日に心臓カテーテル検査を行い,#6の99パーセント狭窄に対して経皮的冠動脈形成術(PCI)を施行された。そして,心臓リハビリテーションを受け,同月12日に退院した。
原告Z4は,退院後もおよそ1年半は血圧が安定せず,めまいや吐き気があった。経過を見るための平成22年5月13日の心臓カテーテル検査の結果は再狭窄もなく,引き続き内科的な治療を継続する方針となった。現在,
12種類の薬を服用し,心筋梗塞の経過観察中で,
Z20診療所で心筋梗塞の2次予防と心不全のコントロールのための治療を継続中である。
(ウ)

家族の健康状態
原告Z4と被爆直後から行動を共にしてきた母は,被爆後ずっと寝
て過ごし,身体が痛い痛いと言って,昭和21年1月15日に死亡した。

原告Z4の父は,昭和38年11月11日,口腔がんで死亡した。

原告Z4と被爆直後から行動を共にした姉は,2人とも子宮がんを患っている。

(エ)

小括

原告Z4は,上記のように,爆心地から約3キロメートルの屋外で被爆し,周囲が暗くなることを認識しており,放射性粉塵を含む放射性降下物に遭っているばかりか雨に降られている。加えて,重症の被爆者の間近で寝泊まりしていること,被爆者の救護活動を行っていることなどから,かなり濃厚な放射性物質が漂う空間にいて,体表面や呼吸を通じて被曝をしたと考えられる。
被爆後腹痛を伴う下痢の症状があることは,
相当量放射線に被曝した被爆者に認められる症状と考えられる。破裂した水道管の水を飲んでいたことからは,水とともに放射性降下物等を摂取して内部被曝をしている可能性もある。

放射線と心筋梗塞の関連性に関する知見
被爆者の死亡率に関する追跡調査であるLSSが,最初に循環器疾患や心疾患の死亡率に線量反応関係があることを報告したのは第11報(1950年(昭和25年)-1985年(昭和60年))であり,続く第12報(1950年-1990年(平成2年))及び第13報(1950年-1997年(平成9年))でも心疾患死亡率の有意な線量反応関係が認められ,最新の第14報(1950年-2003年(平成15年))でも「循環器疾患」という分類で有意な死亡率の増加が報告されている。
また,疾患の発生率に関する調査であるAHSでは,第7報(1958年(昭和33年)-1986年(昭和61年))において若年被爆者の心筋梗塞の増加が示唆され,続く第8報(1958年-1998年(平成10年))では,40歳未満被爆者の心筋梗塞及び高血圧について有意な2次線量反応関係が報告された。
そして,心筋梗塞については,原子爆弾被爆者の疫学調査のみならず,動物実験を含む多くの研究結果により,放射線量との関連があるとの知見が集積している。

さらに,被爆者において,大動脈弓石灰化,収縮期高血圧,コレステロール等の放射線との関連が明らかにされているほか,最近では,放射線が持続的な無症状性炎症を引き起こすとの報告や,放射線が免疫能の低下をもたらし,引き起こされた慢性感染が動脈硬化促進を助長するとの報告もある。
以上,心筋梗塞等心疾患の放射線起因性については,疫学的に因果関係が認められているのみならず,その機序の面からも裏付けられつつある。ウ
原告Z4の心筋梗塞の放射線起因性
原告Z4は,昭和24年頃まで,腹痛を伴う下痢が続き,嘔吐,喉の腫れが引かずに発熱を繰り返し,最終的には扁桃腺を切除したことなど,微量の炎症反応,
免疫能の低下を思わせる状態が持続していた可能性がある。
冠動脈の動脈硬化の発生機序として軽度の炎症の関与があるとも考えられており,
13歳という放射線の影響を受けやすい思春期での被爆であった。原告Z4には,
冠動脈疾患のリスク要因とされる糖尿病も喫煙歴もない。
原告Z4の心筋梗塞の放射線起因性は明らかである。

(被告の主張)

原告Z4の原子爆弾放射線被曝の程度
(ア)

認否

原告Z4の被爆等の状況と被爆後の健康状態及び家族の健康状態は知らない。
なお,原告Z4が被爆後雨に降られた事実は,これに関する唯一の証拠である原告Z4本人の供述自体,極めて不確かなものであるから,その供述内容をもって,同事実を認めることはできない。
また,原告Z4に被曝後に腹痛を伴う下痢の症状が見られたことについても,昭和32年6月に被爆者健康手帳交付申請をした際,被爆者調書票の当該項目に何らの記載もしておらず,このことについて原告Z4
が合理的な説明はされていないことから,
そのこと自体かなり疑わしく,
かかる事実は認められない。
(イ)

科学的被曝線量

仮に原告Z4の主張を前提としても,相当量の被曝をしたとの主張は全く不明確であって,少なくとも科学的な根拠を有する主張とは到底いえない上,爆心地から約3.0キロメートルの地点において被爆したとして,DS02による長崎原爆の初期放射線に係る推定被曝線量は約4ミリグレイであり,放射性降下物並びに重症被爆者の近くでの寝泊まり及び救護活動に伴う誘導放射線による被曝線量,並びに内部被曝線量を合計した全体量としても,推定被曝線量は4ミリグレイを下回る程度にすぎず,胃のエックス線検査1回程度の低線量である。
(ウ)

身体症状及び疾病歴について

原告Z4は,被爆後腹痛を伴う下痢の症状があることは相当量放射線に被曝した被爆者に認められる症状と考えられると主張する。しかしながら,仮に原告Z4に被爆後に下痢の症状が認められたとしても,原告Z4の主張する身体症状と科学的知見における急性症状(急性放射線症候群)との整合性等についての具体的な主張立証はされておらず,もはや科学的な根拠に基づくものとは考えられないところ,そのような身体症状に基づき心筋梗塞が発症する程度の線量の被曝があったと帰結することは,科学的経験則に基づかずに一定線量の放射線被曝の事実を認めるものであって,到底許されるものではない。また,急性放射線症候群の前駆症状として出現する下痢は,4ないし6グレイの全身被曝であれば,被曝後3ないし8時間の間に,6ないし8グレイの全身被曝であれば,被曝後1ないし3時間の間に,それぞれ一過性に出現し,4グレイ以下であれば出現せず,潜伏期に入るとすぐに軽減するという明確な特徴があるし,主症状としての下痢は,大量出血を伴う重篤かつ血性の下
痢であるという大きな特徴があり,現代の医学的水準をもってしても救命可能性はないとされているところ,原告Z4の述べる下痢は,これらの特徴を備えていないことも明らかであり,原告Z4に被爆後に下痢の症状が出現したとしても,そのことをもって原告Z4が健康に影響を及ぼす程度の被曝をしたとの結論を導くことはできない。
また,原告Z4は,ほかにもイボ,嘔吐,胃痛,胃けいれん,喉の腫れ,膿,発熱,高血圧症,大腸ポリープ,胃潰瘍,脂質異常症,めまい,狭心症,大腸腫瘍を発症した事実を羅列する。しかしながら,これらの各疾病等の罹患により同原告の心筋梗塞が放射線起因性の要件を満たす根拠となる理由について,何ら主張立証がないばかりか,これらの各疾病等は,いずれも放射線被曝以外の原因により発症するものであり,被爆後から原爆症認定申請までの約65年もの間に見られたとされるものであるから,非被爆者と比較して特異な健康状態にあるものともいえないものであり,放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。

放射線と心筋梗塞の関連性に関する知見
(ア)

心筋梗塞の原因

急性心筋梗塞は,冠攣縮性狭心症が発展してなることもあり,すべてが動脈硬化によるものではないものの,
前記(2)の原告Z3の主張に対す
る被告の主張イ(イ)のとおり,その発症には,冠動脈プラークの破綻・びらんと,それに続く血栓形成が中心的な意義を有していることが明らかになっており,血栓が形成されることにより,血管が塞がれ,心筋梗塞に至ると考えられている。
(イ)

放射線と心筋梗塞との関連性について
原告Z4が放射線と心筋梗塞との関連性に関する知見として挙げる
ようであるLSS第11報ないし第14報並びにAHS第7報及び第
8報については,「循環器疾患」や「心筋梗塞」についての放射線被曝との「線量反応関係」(相関関係,関連性)が認められたという報告が存在することをもって,直ちに「心筋梗塞」と放射線被曝との「疫学的因果関係」が認められたということにはならない。そもそも,原告らは,被曝線量との相関関係(関連性)を認めた報告が存在することを,「放射線起因性」という用語を用いて表現しているが,これと被爆者援護法10条の要件である放射線起因性とは異なる概念であって,一般的に疾病に対して被曝線量増加と発症リスクとの相関関係が認められたからといって,被曝線量の違い(関連性の程度)等を考慮せずに,その要件を満たすという根拠にはならず,直ちに「疫学的因果関係」が認められることにはならない。
なお,LSS及びAHSが低線量被曝における心筋梗塞の放射線起因性を認める根拠とすることができないことは,上記(2)の原告Z3の主張に対する被告の主張イ(ウ)aのとおりであるが,敷衍すると,LSSにおいては,死亡診断書に基づいて死因を分類するため,放射線に起因するがんによって死亡した患者をがん以外による死亡と誤って観察した結果による可能性や,平成7年1月以降我が国の人口動態統計調査について改正がされる以前は,がんを患っている患者が心不全を直接の原因として死亡した場合であっても,死亡診断書の死亡原因記入欄に心不全との記載がされ,心不全患者として統計が取られていた可能性があることから,死亡診断書に基づく寿命調査の信頼性には限界があるとされている。

放射線と高血圧等並びに免疫能及び感染症との関連性について
原告Z4は,大動脈弓石灰化,収縮期高血圧やコレステロールについて放射線との関連が明らかにされているほか,最近では放射線が持続的な無症状性炎症を引き起こすとの報告がされていると主張する。
しかし,その論拠とするLSS第13報においては,大動脈弓石灰化等や持続性の免疫学的不均衡等と放射線との関連等が,がん以外の疾患に対する放射線影響の機序に何らかの関連性を有するか否かについて,関連するものかもしれないという程度の1つの可能性が述べられたものにすぎないことが明らかにされており,大動脈弓石灰化等や持続性の免疫学的不均衡等と放射線との関連が,心疾患を含むがん以外の疾患に対する放射線影響の機序に何らかの関連性を有するものと解することはできない。
また,原告Z4は,放射線が免疫能の低下をもたらし,引き起こされた慢性感染が動脈硬化促進を助長するとの報告もあると主張するが,その論拠とする論文は,上記見解が仮説にすぎないことを明言した上で,この仮説につき,今後,検討,調査する予定であると帰結しており,これをもって,放射線被曝により免疫機能の低下が生じ,これにより心筋梗塞を発症するとの科学的経験則があるとすることは誤りである。

原告Z4の心筋梗塞の放射線起因性
動脈硬化の危険因子は,
上記(2)の被告の主張ウのとおりである。
この点,
原告Z4は,加齢だけでなく,高血圧,脂質異常症(高脂血症),さらに2人の兄がいずれも心筋梗塞や心疾患で死亡している家族歴という心筋梗塞(動脈硬化)の危険因子を複数有していたといえる。
原告Z4の被曝線量は,放射線防護の観点に基づく最新のICRP勧告においても心疾患と放射線被曝との間の直接的な因果関係の認められていない0.5グレイを,大幅に2桁も下回る被曝線量にすぎない上,原告Z4は,上記のとおり,心筋梗塞(動脈硬化)の危険因子を重畳的に有している。
これらを総合考慮すれば,原告Z4の心筋梗塞が原子爆弾放射線により
発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえず,むしろ,その発症は,加齢,高血圧,脂質異常症(高脂血症),家族歴等の原子爆弾放射線以外の要因によると見るのが自然かつ合理的である。
原告Z4の心筋梗塞について放射線起因性の要件を満たしているとはいえない。
(4)原告Z6の原爆症認定申請疾病である甲状腺機能低下症の放射線起因性該当性(争点2の3)
(原告Z6の主張)

原告Z6の原子爆弾放射線被曝の程度
(ア)

被爆等の状況
原告Z6は,13歳当時の昭和20年8月9日,Z22郵便局に出
かけた母親を迎えに行った帰り,爆心地から約3.0キロメートルの長崎市ω15の自宅付近の物陰のない道路上において長崎原爆に被爆した。原告Z6は,ランニングシャツと半ズボンという軽装で,被爆の瞬間,強烈な閃光に包まれ,母親ともども思わず頭を抱えてその場の地面に突っ伏したまま,間髪を入れず強烈な爆風にさらされた。その後,原告Z6は自宅に戻り,爆心地付近から避難してくる重傷者の手当てや救護所の案内をした。

原告Z6は,
被爆当日,
母親と妹とともにω5町の防空壕に避難し,
翌日から2日程度,そこから自宅に通い,家の片付けをした。


原告Z6は,自宅の片付けが一区切りした後,母親とともに,知り合いに預けていた荷物を取りに行くため,ω16を目指した。ω17付近を通過し,ω18を渡ったが,がれきが散乱していてそれ以上は進めなかったため,その日は知人宅にたどり着くことはできなかった。

原告Z6及び母親は,その後一,二週間程度,自宅や防空壕から,
ω16付近に通い知人宅を探すとともに,負傷者の蛆を取ったり,負傷者をトラックの荷台に乗せたりするなどの救護活動も行った。
(イ)

被爆後の健康状態
原告Z6は,被爆するまでは健康で,学校も休むことなく通ってい
たが,被爆後は疲れやすくなった。

原告Z6は,被爆から1年くらい経過した昭和21年秋頃,体中に紫斑ができ,歯茎からの出血にも悩まされ,この症状は1年間から2年間続いた。


原告Z6は,昭和37年7月,右顔面神経麻痺に罹患し,現在でも軽度の麻痺が残っている。


原告Z6は,昭和42年3月,急性肝炎のため,Z23病院に3か月間入院して治療を受けた。


原告Z6は,昭和57年6月には,変形性脊椎症に罹患し,Z17病院に通院して治療を受けた。


原告Z6は,平成元年7月,勤務先の医務室で,甲状腺機能低下症の疑いがあるとして,精密検査を強く勧められたところ,紹介されたZ24クリニックで甲状腺機能低下症と診断され,その後,同クリニックに継続して通院の上,甲状腺ホルモン(○)の投薬と2か月に1回の血液検査を受けている。


原告Z6は,平成11年7月,左肩甲骨の下辺りの背中に腫れ物が出来,Z25病院で除去手術を受けた。


原告Z6は,この間の同年4月には,Z24クリニックにおいて高血圧症と診断され,現在も降圧薬の投薬を受けている。原告Z6は,平成22年8月からは椎骨脳底動脈循環不全のため抗血小板薬(バイアスピリン)も服用している。

(ウ)

小括

原告Z6は,上記のとおり,13歳という若年で爆心地から約3.0キロメートルの遮蔽物のない道路上において爆風にさらされ,当時の服装は薄着であり,飛んでくるがれきの破片を肌で感じている。また,原告Z6は,被爆直後には,爆心地から避難してきた重傷者の手当てを行い,多数の被爆者と接触しており,その中には人体が誘導放射化している者や,放射性降下物により高度に汚染された者も多く含まれていた可能性がある。さらに,原告Z6は,長崎原爆投下の二,三日後にω17やω18など爆心地付近まで入市し,その後一,二週間は,連日この爆心地付近を通り,ω16付近でがれきをかき分けながら知人宅を探すとともに,負傷者の救護活動に従事した。
こうした経過から,
原告Z6が,
初期放射線はもちろん,
土壌や塵埃,
誘導放射化した建造物や人体などの残留放射能により外部被曝及び内部被曝していることは明らかである。

放射線と甲状腺機能低下症の関連性に関する知見
(ア)

甲状腺機能低下症の原因

甲状腺は,相当量の放射線に被曝すると,その後数か月ないし数年の期間を置いて細胞が破壊されるため,甲状腺ホルモンの産生と分泌が減少し,甲状腺機能低下症を発症することが知られている。
(イ)

放射線と甲状腺機能低下症との関連性

原子爆弾放射線と甲状腺機能低下症との関連性については,昭和35年には甲状腺機能低下症及び悪性甲状腺種で2キロメートル以内の発現頻度が有意に高かったことが報告されており,かなり早い時期から注目されていたほか,その後,自己免疫性甲状腺機能低下症については,昭和60年のZ26の報告(以下「Z26報告」という。),昭和63年のZ27及びZ28らの長崎原爆被爆者についての報告
(以下
「Z27・
Z28報告」という。),平成6年のZ28らの長崎原爆被爆者につい
ての論文(以下「Z28論文」という。)などで,放射線との線量反応関係が認められ,特にZ28論文では,0.7グレイの被曝線量において最も高い有病率を示している(なお,広島・長崎両市の被爆者を対象に平成12年3月から平成15年2月に実施された甲状腺疾患の有病率調査についての,平成18年3月1日発行の誌上に発表されたZ29らの論文(以下「Z29論文」という。)では,自己免疫性甲状腺機能低下症に関して,有意な線量反応関係は観察されなかったと報告されているが,同論文は,上記の長崎原爆被爆者についての調査結果との不一致については,広島・長崎両市の被爆者に調査対象が広がったこと,甲状腺抗体検査方法の違い及び調査時期の推移による調査対象者の線量分布の変動によるものかもしれないと指摘し,長崎の調査結果を否定しているわけではない。Z29論文では,線量反応関係の分析に用いられた対照群が,真のゼロ線量群でなく残留放射線被曝をしていることから,有病率の差が隠されてしまった可能性があるとともに,生存していれば甲状腺機能低下症を発症していた可能性のある比較的高線量の被爆者ががん等の他疾患で早期に死亡したため,線量反応関係に歪みが生じている。)。
また,AHS第7報(1958年(昭和33年)-1986年(昭和61年)。論文は平成4年。)では,甲状腺機能低下症を含む甲状腺疾患について,その発症率に有意な正の放射線量反応関係が認められ,第8報(1958年-1998年(平成10年)。論文は平成16年。)でも同様の線量反応関係が認められ,放射線のリスクはより低年齢で被爆した場合に高まることも報告されている。
さらに,マーシャル諸島の核実験で被曝した子どもにおいて,10年以内に甲状腺機能低下症が見られ,その多くが自己免疫型ではなかったことも報告されている。

(ウ)

小括

甲状腺機能低下症の機序はいまだ解明途上にあるものの,原子爆弾被爆直後の10年くらいの間に近距離での高線量被曝者の多くが死亡し十分な調査が行われていないとか,甲状腺は内部被曝の感受性が高い臓器であるにもかかわらずDS02では内部被曝が評価されていないとかいった制約のある中で,上記のとおり,自己免疫性か否かを問わず,被爆者の甲状腺機能低下症が原子爆弾の放射線に起因することを強く疑わせる知見が複数存在する。
こうした知見等に鑑みれば,原子爆弾放射線と甲状腺機能低下症の間に関連性があると考えるのが妥当であり,新審査の方針においても,甲状腺機能低下症が,自己免疫性か否かを問わず,積極認定の対象疾病とされている十分な根拠がある。

原告Z6の甲状腺機能低下症の放射線起因性
原告Z6が初期放射線や相当量の残留放射線に被曝したと考えられること,加えて原告Z6が当時13歳で放射線感受性の高い年齢であったことからすると,
原告Z6の甲状腺機能低下症の放射線起因性は明らかである。

(被告の主張)

原告Z6の原子爆弾放射線被曝の程度
(ア)

認否

原告Z6の被爆等の状況と被爆後の健康状態は知らない。
(イ)

科学的被曝線量

仮に原告Z6の主張を前提としても,相当量の被曝をしたとの主張は全く不明確であって,少なくとも科学的な根拠を有する主張とは到底いえない上,爆心地から約3.0キロメートルの地点において被爆したとして,DS02による長崎原爆の初期放射線に係る推定被曝線量は約4ミリグレイであり,入市及び被爆者の救護活動したことに伴う誘導放射
線による被曝線量,並びに内部被曝線量を合計した全体量としても,推定被曝線量は26.8ミリグレイを下回る程度にすぎず,せいぜいCT検査1回で受ける被曝線量程度の低線量である。
(ウ)

身体症状及び疾病歴について

原告Z6は,被爆後は疲れやすくなり,1年くらい経過した頃から体中に紫斑ができ,歯茎からの出血に悩まされ,この症状は1年間から2年間続いたと主張するが,これらの身体症状が同原告の甲状腺機能低下症の放射線起因性とどのような関係があるのかという点すら何ら主張しておらず,放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。仮に上記の原告Z6の主張が急性放射線症候群に該当する特定の身体症状の発現を根拠に一定の線量の被曝があったことを主張するものであるとしても,原告Z6の主張する身体症状と科学的知見における急性症状(急性放射線症候群)との整合性等についての具体的な主張立証はされておらず,もはや科学的な根拠に基づくものとは考えられないところ,そのような身体症状に基づき甲状腺機能低下症が発症する程度の線量の被曝があったと帰結することは,科学的経験則に基づかずに一定線量の放射線被曝の事実を認めるものであって,到底許されるものではない。
また,原告Z6は,ほかにも右顔面神経麻痺,急性肺炎,変形性脊椎症,高血圧症,脊椎脳底動脈循環不全,背中の腫れ物等,これまでの病歴を羅列する。しかしながら,これらの各疾病等の罹患により同原告の甲状腺機能低下症が放射線起因性の要件を満たす根拠となる理由について,何ら主張立証がないばかりか,これらの各疾病等は,いずれも放射線被曝以外の原因により発症するものであり,被爆後から原爆症認定申請までの約65年もの間に見られたとされるものであるから,非被爆者と比較して特異な健康状態にあるものともいえないものであり,放射線
起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。

放射線と甲状腺機能低下症の関連性に関する知見
(ア)

甲状腺機能低下症の原因

甲状腺は,頸部の前面に位置する蝶々型の臓器で右葉と左葉の2つに分かれ,第2ないし第4気管軟骨の高さに位置する峡部で連結し,濾胞上皮細胞により囲まれた球形の濾胞等から構成されており,甲状腺ホルモンと呼ばれる物質を分泌する。濾胞の内部には,濾胞上皮細胞によって合成されたコロイドと呼ばれるゼリー状の巨大な糖タンパク質が充満し,その主成分はサイログロブリン(thyroglobulin。以下「Tg」ともいう。)と呼ばれるところ,甲状腺ホルモンは,濾胞上皮細胞によって取り込まれたヨード(ヨウ素)がTgの一部と結合することによって合成される仕組みとなっている。
甲状腺ホルモンとは,全身の諸臓器・組織に作用して代謝を亢進させる生理活性物質であり,毛細血管中に分泌されて各細胞と結合し,これにより細胞の酸素の消費量を増加させて基礎代謝率を上昇させ,熱量の産生を促す。甲状腺ホルモンの分泌が亢進状態(過剰状態)となれば,細胞の被刺激性が高まり,代謝の亢進としての体重減少,循環器への作用としての動悸(頻拍),精神活動の過剰な亢進によるいらいら,不穏などが出現する。逆に,甲状腺ホルモンの分泌が低下した状態では,発汗低下,脱力感が見られるほか,精神活動の停滞により,思考過程が滞り,記銘力も衰え,無気力状態となる。
甲状腺ホルモンが分泌される仕組みは,脳の視床下部から分泌される甲状腺刺激ホルモン放出ホルモン(thyrotropin-releasinghormone。以下「TRH」ともいう。)の作用によって,脳の下垂体から甲状腺刺激ホルモン(thyroid-stimulatinghormone。以下「TSH」ともいう。)が分泌され,これが甲状腺にあるTSH受容体と結合されることによっ
て甲状腺ホルモンが分泌されるというものである。甲状腺ホルモンが血中に増えすぎると,甲状腺ホルモン自体が下垂体や視床下部に対しTSHやTRHの分泌を抑えるよう作用し,甲状腺ホルモンの分泌を抑える仕組みになっている。
甲状腺機能低下症は,甲状腺ホルモンの欠乏又は作用不足により,前記の甲状腺ホルモンの分泌が低下した状態における様々な症状を示す病態をいう。
その原因としては,
甲状腺組織そのものに障害がある場合
(原
発性甲状腺機能低下症と呼ばれる。),視床下部や脳下垂体に異常があるためにこれらからのTSH等の分泌が障害され甲状腺に対する刺激因子が欠乏した場合(中枢性又は2次性甲状腺機能低下症と呼ばれる。)のほか,慢性腎不全等の疾患によって引き起こされる場合(甲状腺ホルモンは新陳代謝を促進するホルモンであることから,身体の消耗や飢餓によりエネルギーが不足している場合や,慢性腎不全や尿毒症等で身体内に不要物が貯蓄している状態にあるような場合などにおいては,それ以上の身体への負担の増加を防止するため,甲状腺ホルモンの分泌が低下することがあり,
ユーサイロイド・シック・シンドロームと呼ばれる。,

海藻等の摂取による一時的なヨードの過剰摂取や,甲状腺ホルモンの分泌の抑制のきかない病態であるバセドウ病の治療の一環として行われる甲状腺切除や抗甲状腺剤の過剰投与によっても甲状腺機能低下状態が惹起されることがある。なお,甲状腺機能低下症の臨床症状が見られず,検査においてTSHのみが上昇しているものを潜在性甲状腺機能低下症といい,甲状腺機能低下症のうち最も症状が軽く,かつ初期のものと考えられている。
甲状腺機能低下症は,一般的には女性に多く見られ,また,年齢が高くなるほど頻度も増すとされる。
その約95パーセントは原発性であり,
原発性甲状腺機能低下症は慢性甲状腺炎を原因とするものが最も多いと
いわれているところ,慢性甲状腺炎の発生に最も関係の深い抗甲状腺ペルオキシダーゼ抗体(抗サイログロブリン抗体等とともに自己の体成分に対する抗体である自己抗体の一種であり,自己抗体が産生されると自己の細胞・組織障害をきたす。)陽性の頻度は成人で約5パーセント,高齢女性で15パーセントとされ,潜在性甲状腺機能低下症の頻度もこれに近く,成人女性の約8パーセント,男性の3.5パーセント,60歳を超えると女性の約15パーセント,男性の約8パーセントが潜在性甲状腺機能低下症であるといわれている。
(イ)

放射線と甲状腺機能低下症との関連性について

原告Z6が放射線と甲状腺機能低下症との関連性を示す知見として挙げる報告等は,放射線の影響に関する世界的権威であり,その時点における国際的な基準として尊重され,極めて信頼性の高いUNSCEAR報告書によって,甲状腺機能低下症の放射線起因性を認める根拠とならないことが総括されている。すなわち,UNSCEAR2008年(平成20年)報告書においては,原子爆弾被爆者の調査結果を含め,放射線被曝と自己免疫性甲状腺炎(慢性甲状腺炎)の間に関係性は見出せないと結論付けられ,UNSCEAR2010年(平成22年)報告書においては,非がん疾患については,少なくとも約1ないし2グレイ未満の線量の被曝との間の直接的な因果関係は認められないとされており,甲状腺機能低下症を格別に取り出して,これに反する知見があるなどといった記載はされていない。したがって,原告Z6が根拠とする報告等の存在のみから,上記のUNSCEAR報告書の内容と明らかに抵触する,低線量の放射線被曝により甲状腺機能低下症が発症するという結論を導くことは,
明らかに科学的経験則に反するものであり,
許されない。
そもそも原告Z6が根拠とする報告等は,統計学的な解析で発生頻度の差に有意性があったとの記載は見当たらなかったり,甲状腺機能低下
症の発症率の上昇が有意とされたのが,飽くまで1グレイ以上の高線量放射線による影響にとどまり,それ未満については有意とされていないものであったり,0.1ないし0.49グレイの低線量放射線被曝群では有意な発生頻度の増加が認められるが,それを超える線量では有意差は認められない逆転現象が生じているものであったりするし,AHS第7報及び第8報は,いずれも病態も機序も全く異なる複数の疾患を「甲状腺疾患」という疾患群としてまとめてしまったもので,特定の甲状腺疾患に対する放射線の影響について評価したものではなく,これに依拠して甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性を検討すること自体が不適当である。
そして,「甲状腺機能低下症」と原子爆弾放射線被曝との関連性についてのZ28論文の調査結果については,
甲状腺被曝線量の決定につき,
DS02を使用してより正確な推計を期し,甲状腺疾患の診断につき,より新しい精度の高い検査機器等を使用して明確な診断基準を用い,調査集団をより大人数に拡大し,広島及び長崎の双方の被爆者を含むことにより地域による偏りを排し,より精緻な手法を用いて調査結果を分析し,高い信頼性を認めることのできるZ29論文(なお,Z29論文の共著者には,Z28論文の筆頭著者であるZ28も含まれている。)を始めとして,その後現在まで再現性は得られていない(Z28自身もその旨の客観的な理解を示している。)から,いまだ可能性を示した仮説にとどまる。この点,原告Z6は,Z29論文がZ28論文の結論を否定しているわけではないと主張するが,Z28論文においては,自己免疫性甲状腺機能低下症の有病率が約0.7プラスマイナス0.2シーベルトに最大レベルに達するという,上に凸の線量反応関係を示したとされているのに対して,Z29論文ではこれとは明らかに相反する結論が得られているのであって,これは正にZ28論文の結論を否定するもの
にほかならない。原告Z6が,Z29論文について,線量反応関係の分析に用いられた対照群が,真のゼロ線量群でなく残留放射線被曝をしていることから,有病率の差が隠されてしまった可能性があるとともに,生存していれば甲状腺機能低下症を発症していた可能性のある比較的高線量の被爆者ががん等の他疾患で早期に死亡したため,線量反応関係に歪みが生じていると指摘する点は,いずれもZ28論文においても妥当し得るものであるから,
何ら同原告の主張を基礎付けるものではないし,
その可能性や歪みの存在を示す客観的な根拠に欠け,憶測を述べるにとどまる点で,批判として失当である。
なお,マーシャル諸島の核実験は,地上核爆発によって,爆発地点の珊瑚礁等の地上物質を瞬時に誘導放射化させ,それらの物質が大量の放射性降下物として降り注いだという事例であり,空中核爆発である原子爆弾における放射性降下物の被曝線量と同様に考えることはできない。また,その核実験で比較的低線量を甲状腺に浴びて甲状腺機能低下症を引き起こした場合として報告されている事例は,最低の可能性を取ってみても約4グレイという高線量被曝に属する発症例しかなく,ICRPは,そのような事例も総合して勘案した上で,甲状腺全体が照射された場合における正常な成人の甲状腺に関する重篤な機能的損傷のしきい値を,30日間における分割照射で25ないし30グレイ程度であると推定しており,低線量の放射線被曝と甲状腺機能低下症との関連性を認める根拠となるものではない。
しかも,原告Z6が挙げる以上の各報告は,自己免疫性の甲状腺機能低下症
(甲状腺自己抗体陽性の甲状腺機能低下症)
に係るものばかりで,
自己免疫性でない甲状腺機能低下症の放射線起因性を裏付ける報告等とはいえない。
(ウ)

新審査の方針について

原告Z6は,新審査の方針において甲状腺機能低下症が積極認定の対象疾病に加えられていることをもって,甲状腺機能低下症と診断されていれば放射線起因性が認められると主張するようである。
しかしながら,甲状腺機能低下症については,一定以上の放射線量との関連があるとの知見があることを前提に,がん,白血病等と差別化して,「放射線起因性が認められる」甲状腺機能低下症が,積極認定の対象疾病として,従前の新審査の方針の改定に盛り込まれたものであり,放射線量いかんに関わらず,甲状腺機能低下症すべてに放射線起因性が認められると理解されていたものではない。また,現行の新審査の方針において,「放射線起因性の認められる」という条件に代えて新たに悪性腫瘍(固形がん等)とは異なる外形的な要件が設定されたことについては,被爆者救済及び審査の迅速化の観点から,現在の科学的知見として放射線被曝による健康影響が必ずしも明らかでない範囲を含めることとして,改正されたのであり,これをもって甲状腺機能低下症と低線量の放射線被曝との関係が現在の科学的知見の到達点として認められることにはならない。

原告Z6の甲状腺機能低下症の放射線起因性
原告Z6の推定被曝線量は,同原告の供述を前提としてもCT検査1回分程度の低線量であり,残留放射線による外部被曝及び内部被曝の被曝線量が原告らが主張するような高線量であることを裏付ける結果が得られていないことは明らかである。そして,少なくとも25ないし30グレイを下回る被曝線量についてまで甲状腺機能低下症と放射線被曝との間の直接的な因果関係は認められていない。
さらに,前記イ(ア)のとおり,甲状腺機能低下症については,原子爆弾に被爆していなくても,誰にでも発症し得る一般的な疾病であり,年齢が高くなるほど発症頻度が増すとされているから,当該被爆者の被曝線量の
程度や他の原因,症状の具体的態様等にかかわらず,一律に原子爆弾放射線によるものであるということはできないところ,原告Z6の診療経過を見ても,特別に放射線被曝により甲状腺機能低下症が発症したことを疑わせるようなものも認められず,かえってその原爆症認定申請の際の医師意見書の「当該負傷又は疾病に関する原子爆弾の放射線起因性等についての医師の意見及びその理由」欄には,原告Z6の甲状腺機能低下症と原子爆弾との因果関係は不明である旨記載されている。一方で,原告Z6の主張によれば,同原告が甲状腺機能低下症と診断されたのは,平成元年の57歳時というのであるから,原告Z6の甲状腺機能低下症は加齢に伴って発症したというべきである。
これらを総合考慮すれば,原告Z6の甲状腺機能低下症が原子爆弾放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえず,むしろ,その発症は,加齢等の原子爆弾放射線以外の要因によると見るのが自然かつ合理的である。
原告Z6の甲状腺機能低下症について放射線起因性の要件を満たしているとはいえない。
(5)訴外Z2の原爆症認定申請疾病である胃がん,大腸がん及び肺がんの放射線起因性該当性(争点2の4)
(原告Z1の主張)

訴外Z2の原子爆弾放射線被曝の程度
(ア)

被爆等の状況
訴外Z2は,4歳の昭和20年当時,広島市ω19所在の自宅で母
親,兄及び姉と生活しており,同年8月6日,爆心地から約3.6キロメートルの同自宅内において広島原爆に被爆した。訴外Z2は,家族と共に朝食を済ませた後,台所において飯釜の中に残った御飯粒が
ないか探していたとき,突然,目の前が閃光に包まれ,その数秒後に轟音とともに爆風に襲われたものであった。
訴外Z2の自宅の窓ガラスは,壊れて吹き飛び,柱や障子に突き刺さり,訴外Z2は,母親とともに慌てて自宅の外に逃げ出した。

訴外Z2は,その後は自宅内に戻りしばらく室内にいたが,「黒い雨」が降り始めると,はしゃぎながら雨の中をずぶ濡れになりながら駆け回っていた。
そのうち,訴外Z2の自宅近辺に,皮膚の垂れ下がった人々が,
「水
をくれ」と泣き叫びながら避難してきた。
午後になって,ω20方面に勤労奉仕に出向いていた訴外Z2の兄が帰宅したが,顔面や右半身にひどい熱傷を負った姿であった。

(イ)

被爆後の健康状態
訴外Z2は,被爆前は特に健康上の問題はなかったが,被爆後ちょ
っとしたことで疲れやすくなった。

訴外Z2は,その後,時期は定かではないが,慢性腎臓病,関節リウマチ,高血圧症,右椎骨動脈後下小脳動脈分岐部動脈瘤など多くの疾病に罹患し,慢性腎臓病の治療のため,Z30病院に通院して定期的に受診していた。


訴外Z2は,平成24年5月頃,Z30病院腎臓内科受診時に胸が詰まるような痛みを感じることがある旨申し出たところ,同年6月12日に実施された内視鏡検査の結果,進行胃がんが認められ,生検により,高分化環状腺がんと診断された。
また,同月27日に実施された内視鏡検査により,上行結腸に悪性腫瘍である大腸がんが認められて,同月末から入院し,同年7月29日に,胃全摘,胆のう摘出,右半結腸切除の手術が施行された。
その後,肺がんに罹患していることも判明し,同年9月19日には
CTガイド下生検の結果,胃がん及び大腸がんと組織型が異なる扁平上皮がんと診断され,同月29日に切除手術を受けたが,術中,手術適応外と診断され,閉胸となり,同年10月1日から肺がん化学療法を施行された。
以後,訴外Z2は入退院を繰り返したが,平成25年3月12日に以降の緩和ケア及び化学療法を希望せずにZ30病院を退院し,在宅で他院に通院しながらホルモン療法を試みたが,功を奏することはなく,同年4月28日に再度Z30病院に入院し,同院で同年5月15日に死亡した。
(ウ)

小括

訴外Z2は,爆心地から約3.6キロメートルで被爆したところ,その被爆地域は,「黒い雨」が観察され,高線量の残留放射線が観測された地域でもある。訴外Z2は,その「黒い雨」が降る中,屋外ではしゃぎ回り,放射性降下物等に由来する多量の残留放射線に被曝することとなった。また,ω20方面に勤労奉仕に出ていた訴外Z2の兄が被爆当日の午後にひどい熱傷を負って帰宅しており,同人の衣服・身体・頭髪等に付着していた放射性降下物や誘導放射化物質由来の残留放射線に被曝した可能性も高い。さらには,ガス状や粉塵になって大気中に存在した放射性物質を吸引し,あるいは飲食物とともに摂取して内部被曝をしている可能性も大きい。
(エ)

被告の主張について

被告は,訴外Z2の母親が回答したABCCの調査記録に基づいて,被爆直後に「黒い雨」に遭った旨の訴外Z2の供述は信用することはできないと主張する。
しかし,ABCCは原子爆弾を投下した米国の調査機関であり,調査はするが治療はしない上,その調査は,女性も子どもも例外なく裸にし
て写真に撮る,腋毛,恥毛,肛門周辺の毛等のあらゆる体毛を観察される,女性は乳房の大きさや形状の分類がされ,男性はペニスの長さまで測られる,亡くなった直後の被爆者の遺族の下に行き,遺体を解剖させてほしいと要求する等の,被爆者をモルモット扱いするような方法で行われ,人間としての尊厳を踏みにじる極めて屈辱的なものであった。したがって,被爆者が,ABCCの調査に利用されていると感じ,不信感を抱くと同時に,調査を早く終わらせ,2度と調査を受けることがないように,被爆状況や急性症状を正確に告知しなかった被爆者が多くいたことは容易に想像できる。
また,当時,被爆者に対しては,根強い差別,偏見があり,多くの被爆者は,自身の就職や結婚等の際にそうした差別を受けることを恐れ,特に低年齢の被爆者については,本人に代わってABCCの調査を受けた両親が,我が子の将来を案じ,放射線ないし放射線の影響をできるだけ隠そうとした。上記のような被爆者から見たABCCの評価を考えれば,その調査に対して,被爆者としてはできるだけ被爆による影響から自らないし子どもを遠ざけようとしていたと容易に想像できる。
さらに,被爆者の多くは,被爆後も自分の家族や周囲にいた被爆者が苦しみ,死んでいく姿を目の当たりにし,いつ自分も倒れるか分からないという恐怖感や不安を常に抱えたまま生きていたから,被爆者にとって,急性症状の記憶は凄惨な被爆体験を思い起こさせるものであり,その体験自体を記憶の中から閉め出すことによって,人間としてのバランスを保って生活しているというケースが少なくなく,こうした心理状態にある被爆者が,2度と悲惨な経験を思い出したくない,早く調査が終わってほしいとの思いから,ABCCの調査に対し,急性症状はなかったと回答したことも少なくなかった。また,治療機関でもないABCCに対して,自身の健康不安を煽られるような調査に余り協力したくない
と思うのも自然であった。
そのほか,ABCCによる聴取り調査は,医療従事者によって行われたものでなく,基本的に医学的知識を有しない調査員が大勢の被爆者の調査を行わなければならず,1日で35人の被爆者の調査を行うなど,各人に対する調査が杜撰な様々な問題をはらんだものであり,とりわけ被爆による被害が過小に記録されているおそれが高い。
訴外Z2が,広島原爆による「黒い雨」が激しく降ったω3・ω4地域に隣接するω19にいたにもかかわらず,被爆直後に雨に遭ったことを否定する回答をするのは不自然であり,上述のような過小申告が強く疑われる。回答したのが訴外Z2ではなく母親であり,その調査記録自体においても,
信頼度が乏しいとされていることからすれば尚更である。
ABCCの調査記録は安易に信用することはできず,被告の主張は失当である。

放射線と大腸がん及び肺がんの関連性に関する知見
(ア)

結腸がんについては,LSS第10報(1950年(昭和25年)
-1982年(昭和57年))以降で放射線との関連に有意差があるとされている。
また,肺がんは,同報以降,被爆者に有意な増加が指摘され続けている疾病であり,新審査の方針においても積極認定の対象であり,放射線起因性が認められる疾病であることは明らかである。
なお,被告は,現在の科学的知見の到達点としてがんと放射線被曝との有意な関連性が認められているのは,0.1ないし0.2グレイ以上の放射線被曝の場合であると主張する。しかし,がんにはしきい値がないということ(線形しきい値なし仮説。LNT仮説ともいう。)が一層強化されているのが現在の科学的知見の到達点であり,国際的な合意となっている。

(イ)

さらに,多重がんの発症は被爆者に特徴的な傾向であり,長崎原爆
の直接被爆者7572名の中から511名の多重がん症例を同定したデータから,多重がん罹患率は被爆距離の増加又は被爆時年齢の上昇とともに有意に減少し,原子爆弾放射線被曝の関与が示唆され,1990年代まで多重がん罹患率の増加が持続しているとの報告がある。また,LSS第14報(1950年-2003年(平成15年))でも全固形がんにおける被爆による過剰がん症例数が,線形線量反応関係を示し生涯を通して増加し続けていることが報告され,特に被爆時年齢10歳未満の群でのリスクの増加が強調されている。

訴外Z2の胃がん,大腸がん及び肺がんの放射線起因性
訴外Z2の胃がんについては,関節リウマチの治療薬による副作用としてリンパ球増殖による胃MALTリンパ腫が起こったものであり,放射線との関連は不明である。
しかし,訴外Z2の大腸がんは高分化環状腺がんである一方,肺がんは扁平上皮がんであり,組織が全く別であることから,それぞれ被爆者に特徴的な原発性多重がんであり,相当量の放射線被曝により,がんの易発症性に影響を与えられた可能性が極めて高いと考えられる。
しかも,訴外Z2の場合,放射線感受性の高い幼少期の被曝であるところ,LSS第14報でも,若年被爆によるがんリスクの増加は重要な調査結果と評価されており,被爆時4歳であった訴外Z2は,被爆時30歳の者が同一の被爆をした場合と比較して2倍以上のリスクを負う。この点に関して,訴外Z2の過剰相対リスクが約0.000394にすぎないとする被告の主張は,訴外Z2の推定被曝線量が0.3ミリグレイを下回る程度であることを前提とするものであるが,それ自体がそもそも大きな誤りである。
なお,訴外Z2は,67歳時(平成20年)以降は禁煙し,大腸がん,
肺がんを発症したのはその約4年後であるところ,約4年間の禁煙によってリスクは低下していた。また,LSS第14報で,放射線と喫煙の強い相互作用が肺がんリスクに認められたので,喫煙に関連したがんの高いERRは,一部このような相互作用に起因しているかもしれないと指摘されているところでもある。
訴外Z2の少なくとも大腸がん及び肺がんの放射線起因性は明らかである。
(被告の主張)

訴外Z2の原子爆弾放射線被曝の程度
(ア)

認否

訴外Z2の被爆等の状況と被爆後の健康状態は知らない。
なお,被爆時に訴外Z2と行動を共にしていた母親が回答した訴外Z2に関する昭和31年5月29日付けABCCの調査記録において,被爆直後に雨に遭ったかという質問に対して,これを否定する記載がされているから,そもそも被爆直後に自宅で「黒い雨」に遭った旨の訴外Z2の供述は信用することはできない。
(イ)

科学的被曝線量

仮に原告Z1の主張を前提としても,訴外Z2が相当量の被曝をしたとの主張は不明確であって,少なくとも科学的な根拠を有する主張とは到底いえない上,爆心地から約3.6キロメートルの地点において被爆したとして,DS02による広島原爆の初期放射線に係る推定被曝線量は約0.3ミリグレイであり,放射線に被曝した可能性のある実兄と接触したことに伴う放射性降下物及び誘導放射線による被曝線量,並びに内部被曝線量を合計した全体量としても,推定被曝線量は0.3ミリグレイを下回る程度にすぎず,せいぜい東京とニューヨークとの間を飛行機で1回往復した際に受ける被曝線量程度の低線量である。

(ウ)

身体症状及び疾病歴について

原告Z1は,訴外Z2が被爆後にちょっとしたことで疲れやすくなったと主張するが,原告Z1の主張する訴外Z2の身体症状と科学的知見における急性症状(急性放射線症候群)との整合性等についての具体的な主張立証はされておらず,もはや科学的な根拠に基づくものとは考えられないところ,そのような身体症状に基づき甲状腺機能低下症が発症する程度の線量の被曝があったと帰結することは,科学的経験則に基づかずに一定線量の放射線被曝の事実を認めるものであって,到底許されるものではない。
また,原告Z1は,ほかにも慢性腎臓病,関節リウマチ,高血圧症,右椎骨動脈後下脳動脈分岐部動脈瘤等,訴外Z2のこれまでの病歴を羅列する。しかしながら,これらの各疾病等の罹患により訴外Z2の大腸がん及び肺がんが放射線起因性の要件を満たす根拠となる理由について,何ら主張立証がないばかりか,これらの各疾病等は,いずれも放射線被曝以外の原因により発症するものであり,被爆後から原爆症認定申請までの約67年もの間に見られたとされるものであるから,非被爆者と比較して特異な健康状態にあるものともいえないものであり,放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。

放射線と大腸がん及び肺がんの関連性に関する知見
がんと放射線被曝との関係については,放射線による健康影響として,発がんのリスクが統計学的に有意に上昇する(発がんのリスクと放射線量を関数で表すと当該グラフに直線性がある)と科学的な事実として認められているのは0.1ないし0.2グレイ以上であり,0.1グレイを下回る放射線では健康影響があるとはいえない
(直線性になるか否かも含めて,
どのようなグラフになるか分からない)というのが現在の科学的知見の到達点である。この点,最新のLSS第14報では,全固形がんについて過
剰相対危険度が有意となる最小推定線量範囲は0ないし0.2グレイであり,その最も適合するモデル直線のしきい値はゼロであるが,リスクが有意となる線量域は0.20グレイ以上であったとされているところ,ここで重要な点は,数学的モデルを適用し全線量領域を通じた放射線による健康影響の傾向を把握することと,どの線量から健康影響が明らかに認められるか(リスクが統計学的に有意となるか)とは別次元の話として取り扱われていることである(全線領域で線量反応関係が認められることと,低線量域では有意でないことは矛盾しない。)。むしろ,健康影響が認められる線量域
(有意な関連性が認められる線量域)
が0.
1グレイでなく0.
2グレイに引き上げられている点に着目しなければならない。大腸がん及び肺がんの場合に殊更に低線量側において健康影響が認められることが明らかとなっているわけではない。
原告Z1は,
多重がんの発症は被爆者に特徴的な傾向であると主張する。
しかしながら,多重がんは,放射線被曝者だけに見られる特異的な疾病ではない。すなわち,日本人男性の60パーセントは生涯で何らかのがんに罹患し,年齢を経れば経るほどがん罹患率も上昇する。そのため,一生に2度,3度とがんに罹患するということも,決して珍しいことではなく,多重がんは,がん患者の1ないし2パーセントに見られ,いわゆる「がん家系」によく見られるとされている。この点,胃がん,大腸がん及び肺がんは,いずれも平成22年の男性の罹患数でそれぞれ第1位,第3位,第2位を占めるがんである。特に,大腸がんは,比較的重複がんを併発しやすい疾患として知られ,手術症例2141例中18.1パーセントの387例について重複がんを併発し,うち男性については,胃がんが43.8パーセント,肺がんが15.3パーセントであったとする報告例がある。なお,原告Z1が上記主張の根拠とする報告は,非被爆者対照群との比較を示すものではなく,長崎原爆被爆者における重複がん発症者の一般的傾
向を指摘するものであり,かかる傾向は単発のがん発症者にも見られるものであるから,多重がんを発症したこと自体が放射線被曝によるものとする根拠となるものではない。
また,原告Z1は,LSS第14報を根拠として,特に被爆時年齢10歳未満の群でのリスクの増加が強調されていると主張する。しかし,同報では,固形がんの過剰相対リスクは被爆時年齢が10歳増加するごとに29パーセント減少し,いずれの影響修飾も有意であったとしながら,むしろ,特定のがん部位における年齢の影響は全固形がんの場合と類似していたが,大部分は統計学的に有意ではなかった(統計学上の95パーセント信頼区間の値が0をまたいでいる。)とされており,被爆時年齢が下がるほどリスクが増加するか否かはがん部位によって明らかではないというのが現在の統計学的な知見における到達点である。全固形がんについて被爆時年齢が増加するごとにリスクが有意に減少したとの結果が得られたとしても,大腸がん及び肺がんという特定のがん部位について,これが直ちに当てはまるものとはいえない。
さらに,原告Z1は,肺がんを含む悪性腫瘍が新審査の方針の積極認定の対象疾病とされていることをもって,肺がんと診断されていれば放射線起因性が認められると主張するようであるが,いかなる理由で訴外Z2の肺がんの放射線起因性を基礎付けることになるのか何らの根拠も示さず具体的な主張もしておらず,これをもって,訴外Z2の肺がんだけでなく大腸がんについても放射線起因性の根拠として用いることは許されない。ウ
訴外Z2の胃がんの放射線起因性
訴外Z2の胃がんについては,原告Z1は,関節リウマチの治療薬による副作用としてリンパ球増殖による胃MALTリンパ腫が起こったものである旨自認し,放射線起因性が認められる旨の積極的な主張をしていない以上,その余の主張を検討するまでもなく,放射線起因性を満たしていな
いことは明らかである。

訴外Z2の大腸がん及び肺がんの放射線起因性
大腸がんの好発年齢は,男女ともに50歳以上であって高齢になるほど高くなり,罹患率及び死亡率ともに男性が女性の2倍と高い傾向がある。大腸がんのリスク要因として,がん一般の危険因子とされる喫煙歴(喫煙者の相対リスクは,全部位について1.6倍となる。)のほか,家族歴,高脂肪食,肉食,低繊維食,アルコール長期多量飲酒などが指摘されている。また,肺がんの罹患率及び死亡率はともに40歳代後半から増加し始め,高齢になるほど高くなり,いずれも男性は女性の2倍から3倍に上るとされている。肺がんの重大な危険因子としては喫煙が挙げられ,喫煙者の相対リスクは4.2ないし4.5倍とされているほか,受働喫煙,アスベスト,シリカなどの曝露なども肺がんの危険因子となる。この点,訴外Z2が大腸がんと診断され,肺がんに罹患していると判明したのはいずれも71歳時の平成24年6月であり,また,訴外Z2は20歳から67歳までの47年間にわたって1日に40ないし50本の喫煙の習慣があったから,訴外Z2は,加齢,性差,喫煙という大腸がん及び肺がんにおける危険因子をいずれも重畳的に有していたことは明らかである。なお,非喫煙者を基準とした肺がん死亡率比は,現喫煙者が4.71,禁煙後0ないし4年の者が3.99とされており,訴外Z2の4年間の禁煙によって,さほどそれまでの喫煙によるリスクが低下したとは考え難い。
以上の危険因子と比較して,放射線被曝によるリスクは,前記イのとおり,統計学的に有意な上昇が認められているのは0.1ないし0.2グレイ以上であり,1グレイもの大量の被曝をした場合の全固形がんの相対リスクが1.5倍程度(過剰相対リスクは0.5倍程度)であるところ,前記アのとおり,訴外Z2の推定被曝線量は,全体量としても約0.3ミリグレイを下回る程度にすぎないことからすると,発症のリスクの上昇はご
く僅かなものであると考えられ,訴外Z2の主治医も,がん罹患好発年齢でもあり不明として,訴外Z2の大腸がんが放射線被曝以外の原因によって生じた可能性を否定できないことを明確に述べている。一方,訴外Z2は,
上記のとおり,
大腸がん及び肺がんの危険因子を重畳的に有していた。
これらを総合考慮すれば,訴外Z2の大腸がん及び肺がんが原子爆弾放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえず,むしろ,その発症は,加齢や喫煙等の原子爆弾放射線以外の要因によると見るのが自然かつ合理的である。
なお,原告Z1は,訴外Z2が多重がんであったことをもって,相当量の放射線被曝により,がんの易発症性に影響を与えられた可能性が極めて高いと主張するが,多重がんと放射線被曝との線量反応関係(関連性)が認められたことをもって直ちに個別の原告の多重がんが放射線被曝によるものだとする論理は,放射線被曝との線量反応関係(関連性)が認められた疾病に罹患しさえすれば,常に放射線が原因となるということに等しいものであることから,明らかに失当といわざるを得ない。
また,原告Z1は,訴外Z2が放射線感受性の高い幼少期の被爆であったと主張するが,上記の訴外Z2の推定被曝線量に基づけば,被爆年齢を0歳だと仮定しても,被爆時年齢を加味した過剰相対リスクは約0.000394にすぎない。
訴外Z2の大腸がん及び肺がんについて放射線起因性の要件を満たしているとはいえない。
(6)原告Z7の原爆症認定申請疾病である甲状腺機能低下症の放射線起因性該当性(争点2の5)
(原告Z7の主張)

原告Z7の原子爆弾放射線被曝の程度

(ア)

被爆等の状況
原告Z7は,7歳当時の昭和20年8月6日,爆心地から約2.2
キロメートルの広島市ω21所在の自宅の庭に面した1階の窓際において広島原爆に被爆した。被爆の瞬間,庭の向こうから閃光が走り,原告Z7の目の前が真っ白になった。次の瞬間,ドカッという音とともに凄まじい爆風が到来し,気が付くと自宅の廊下に倒れており,この時に飛散した自宅の窓ガラスのガラス片によって,原告Z7は左耳の下を切る怪我を負った。

原告Z7は,被爆後,両親,兄,弟及び妹の家族とともに自宅で待機していたが,しばらくすると火災が迫ってきたので,ω22のω23を通り,ω24を越えてZ31国民学校に避難した。Z31国民学校には広島市内から大勢の人が避難してきており,火傷で真っ黒になったり,皮膚がずるずるにむけてしまったりした被爆者も多くいた。原告Z7と家族は,Z31国民学校で少し休んだ後,広島県安佐郡ω25にある親戚宅を目指して出発し,昭和20年8月6日午後6時頃にたどり着いた。


原告Z7は,親戚宅に避難して少し経った頃,両親に連れられて家族で自宅の様子を見に行ったところ,ω21は焼け野原となり,原告Z7の自宅も焼失していた。自宅のそばを流れる太田川には,真っ黒焦げになった遺体が多数浮いていた。
原告Z7は,自宅の跡地で家財などを捜し,焼け跡を掘り返したりした。その際に自宅の柱や梁に使われていた釘が焼け残っていたので,原告Z7はそれを拾って持ち帰った。


その後も,原告Z7は,同月中に何度か自宅跡に行って家財などを捜した。

(イ)

被爆後の健康状態


被爆前の原告Z7の健康状態に問題はなかったが,被爆時にガラス片で負った左耳下の傷は,大きく腫れ上がり化膿が治まらなかったため,昭和20年の年末に手術を受けた。


原告Z7は,高校生のとき,頭皮から異常な分泌物が出たことがあった。その後も,原告Z7は,喉がすぐに腫れ,皮膚が弱かった。

原告Z7は,平成7年にⅡ型糖尿病と診断された。


原告Z7は,平成12年には脳梗塞と診断された。


原告Z7は,平成21年には逆流性食道炎と診断された。


原告Z7は,この間の平成10年頃から,毎月一,二回,就寝時に激しい揺れを感じるようになった。
原告Z7は,
平成21年10月,
動悸,体重減少などの症状があり,
血液検査で甲状腺機能亢進状態と診断された。同時に,甲状腺超音波検査では,びまん性の甲状腺腫大を指摘されている。原告Z7の甲状腺機能は,対症療法のみで同年11月には正常化し,一過性の甲状腺炎との判断で経過観察となり,平成22年2月2日の血液検査で,甲状腺機能低下症と診断された。なお,慢性甲状腺炎のために甲状腺機能低下症をきたす場合,一過性に甲状腺機能亢進状態になることがあることはよく知られており,原告Z7の甲状腺機能低下症は,このような経過をたどって発症したものである。
原告Z7は,
現在も通院の上,○の処方を受け,
服用を続けている。

(ウ)

小括

原告Z7は,
爆心地から約2.
2キロメートルの自宅で被爆しており,
初期放射線による被曝をした可能性がある。
その後,原告Z7は,Z31国民学校で多数の被爆者と接したが,これらの被爆者の中には,自らの体液や骨が誘導放射化していた者や放射性降下物で高度に汚染されていた者が多数含まれていたと考えられる。
また,原告Z7は,親戚宅に避難してから少し経った頃,自宅のあった場所まで入市したが,
多数の遺体が太田川に浮いていた状況からすると,
広島原爆投下から間もない時期のことで,自宅近辺は放射性降下物や誘導放射化した物質により汚染されていたと考えられ,汚染された地面を繰り返し掘り返していることから,外部被曝だけではなく,塵埃等を気道から体内に取り込み内部被曝をした可能性もある。しかも,原告Z7は,昭和20年8月中に何度も同様の作業を繰り返している。さらに,原告Z7には,被爆後,傷が化膿して治りにくい,喉がすぐ腫れる,皮膚が弱く異常な分泌物が出るなどの体調不良が生じている。これらの事情からすれば,
原告Z7は相当量の残留放射線に被曝したと考えられる。

放射線と甲状腺機能低下症の関連性に関する知見
上記(4)の原告Z6の主張イと同様である。


原告Z7の甲状腺機能低下症の放射線起因性
原告Z7が初期放射線や相当量の残留放射線に被曝したと考えられること,加えて,原告Z7が当時7歳で放射線感受性の極め高い年齢であったことからすると,原告Z7の甲状腺機能低下症の放射線起因性は明らかである。

(被告の主張)

原告Z7の原子爆弾放射線被曝の程度
(ア)

認否

原告Z7の被爆等の状況と被爆後の健康状態は知らない。
(イ)

科学的被曝線量

仮に原告Z7の主張を前提としても,相当量の被曝をしたとの主張は全く不明確であって,少なくとも科学的な根拠を有する主張とは到底いえない上,爆心地から約2.2キロメートルの地点において被爆したとして,DS02による広島原爆の初期放射線に係る推定被曝線量は約3
6.016ミリグレイであり,自宅付近に何度か行ったこと及び多数の被爆者と接したことに伴う誘導放射線による被曝線量,並びに内部被曝線量を合計した全体量としても,推定被曝線量は36.016585ミリグレイを下回る程度にすぎず,せいぜいCT検査1回分程度の低線量である。
(ウ)

身体症状及び疾病歴について

原告Z7は,被爆後,傷が化膿して治りにくい,喉がすぐに腫れる,皮膚が弱く,異常な分泌物が出るなどの体調不良が生じていることをも相当量の残留放射線に被曝したと考えられる根拠とするが,原告Z7の主張する身体症状と科学的知見における急性症状(急性放射線症候群)との整合性等についての具体的な主張立証はされておらず,もはや科学的な根拠に基づくものとは考えられないところ,そのような身体症状に基づき甲状腺機能低下症が発症する程度の線量の被曝があったと帰結することは,科学的経験則に基づかずに一定線量の放射線被曝の事実を認めるものであって,到底許されるものではない。
また,
原告Z7は,
ほかにもⅡ型糖尿病,
脳梗塞及び逆流性食道炎と,
これまでの病歴を羅列する。しかしながら,これらの各疾病等の罹患により同原告の甲状腺機能低下症が放射線起因性の要件を満たす根拠となる理由について,何ら主張立証がないばかりか,これらの各疾病等は,いずれも放射線被曝以外の原因により発症するものであり,被爆後から原爆症認定申請までの約65年もの間に見られたとされるものであるから,非被爆者と比較して特異な健康状態にあるものともいえないものであり,放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。

放射線と甲状腺機能低下症の関連性に関する知見
上記(4)の原告Z6の主張に対する被告の主張イと同様である。

原告Z7の甲状腺機能低下症の放射線起因性
原告Z7の推定被曝線量は,同原告の供述を前提としてもCT検査1回分程度の低線量であり,残留放射線による外部被曝及び内部被曝の被曝線量が原告らが主張するような高線量であることを裏付ける結果が得られていないことは明らかである。そして,少なくとも25ないし30グレイを下回る被曝線量についてまで甲状腺機能低下症と放射線被曝との間の直接的な因果関係は認められていない。
さらに,前記(4)の原告Z6の主張に対する被告の主張イ(ア)のとおり,甲状腺機能低下症については,原子爆弾に被爆していなくても,誰にでも発症し得る一般的な疾病であり,年齢が高くなるほど発症頻度が増すとされているから,当該被爆者の被曝線量の程度や他の原因,症状の具体的態様等にかかわらず,一律に原子爆弾放射線によるものであるということはできないところ,原告Z7の診療経過を見ても,特別に放射線被曝により甲状腺機能低下症が発症したことを疑わせるようなものも認められない。一方で,原告Z7の主張によれば,同原告が甲状腺機能低下症と診断されたのは,平成22年の72歳時というのであるから,原告Z7の甲状腺機能低下症は加齢に伴って発症したというべきである。
これらを総合考慮すれば,原告Z7の甲状腺機能低下症が原子爆弾放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえず,むしろ,その発症は,加齢等の原子爆弾放射線以外の要因によると見るのが自然かつ合理的である。
原告Z7の甲状腺機能低下症について放射線起因性の要件を満たしているとはいえない。

(7)原告Z5の原爆症認定申請疾病である前立腺がんの要医療性該当性(争点3)

(原告Z5の主張)

要医療性の判断枠組み
被爆者援護法10条2項は,要医療性の認められた被爆者に対して,必要な医療の給付として,「薬剤又は治療材料の支給」,「医学的処置,手術及びその他の治療並びに施術」とは別に,「診察」も予定しており,要医療性を積極的な治療行為等が行われている場合だけに限っていない。そもそも疾病には増悪や再発といった危険があるところ,その早期発見によって,治療困難な事態を未然に防止するとともに早期回復が見込まれることになるのであり,定期的に検査を実施し,早期発見を図ることが重要であることはいうまでもない。また,治療によるリスクが高いなどの理由により,患者の状態によって治療が行えない場合もある。だからこそ,被爆者援護法10条2項は,必要な医療の給付として「診察」を掲げているのである。
原爆症認定の要件としての要医療性には,積極的な治療行為等が行われている場合に限らず,将来予想される治療のために医師による定期的な経過観察を受けている場合も含まれる。


前立腺がんの治療に関する知見
前立腺がんは,前立腺の細胞が正常な増殖機能を失い,無秩序に自己増殖することにより発生する。そのがん細胞は,近くのリンパ節や骨に転移することがあり,また肺や肝臓に転移することもある。
前立腺がんになると,血液中の前立腺特異抗原(PSA)が増加することから,そのスクリーニング検査として,これを腫瘍マーカーとする血液検査が最も有用であると考えられており,その早期発見においてはPSA値(血液1ミリリットル当たりのナノグラム単位のPSA量)を測定するPSA検査が必須となっている。その基準値は,全年齢で4以下と考えられており,4ないし10はいわゆるグレーゾーンとして,25ないし40
パーセントの割合でがんが発見され,4以下でも前立腺がんが発見されることもある。PSA検査の結果,がんが疑われると,前立腺の組織の一部を採取して病理検査・病理診断が行われ,がん細胞の有無や性質が調べられる(前立腺生検)。
前立腺がんの治療法には,手術(外科治療),放射線治療,内分泌療法(ホルモン療法),さらには特別な治療を実施せず,経過観察するPSA監視療法(待機療法)などがあるが,このうちPSA監視療法は,前立腺生検の結果,比較的リスクの少ないがんと認められ,治療を開始しなくても,余命に影響がないと判断される場合に選択される方法である。特に高齢者の場合には,なるべく体への負担の少ない治療法を選択していくことが大切になり,特に積極的な治療を行わないため治療による副作用のないこの療法は,選択肢の1つとして重要視されているが,選択肢の1つにすぎず,前立腺がん自体は存在するため,低リスク群の前立腺がんにおいても,外科治療や放射線治療の一種である組織内照射療法(密封小線源療法)などが採られる場合もある(例えば,がんと診断されながら何もしないことに精神的な負担を感じる人にはPSA監視療法は向いておらず,他の積極的な治療が選択されることになる。)。
もっとも,PSA監視療法は,この先前立腺がんに対する治療を全く行わないということではなく,PSA値を3か月ないし6か月ごとに測定して確認するとともに,症状の変化を見たり,時には再び生検を行ったりなどし,その都度,経過観察を続けるか,根治的治療あるいはホルモン療法などの治療に切り替えるかについて判断する。PSA値の上昇率を確認して倍になる時間(PSA倍加時間)が2年以上と評価される場合はそのまま経過観察でよいと考えられたり,PSA値10ないし20に至った場合を積極治療への切替えの判断基準とされたりする場合がある。
このように,PSA値は,前立腺がんの発症又は治療後の再発を疑う基
準とされるとともに,PSA監視療法を選択した場合,積極的な治療に切り替えるか否かの基準にもなっている。

原告Z5の前立腺がんの治療の状況
原告Z5は,平成22年12月3日,かかりつけ医であるZ32病院において血液検査を受けた結果,PSA値が上限値を超えていることを指摘され,平成23年2月21日のZ33病院での検査においても,PSA値8.78であった。同年3月1日には,MRI検査を受けてがんの疑いが強いと診断され,同月25日,同病院で,前立腺生検の結果,12検体中1体に腫瘍が認められ,
同年4月19日に同病院でCT検査を受けた結果,
前立腺がんと診断された。
当初,根治目的で密封小線源療法が予定されたが,放射線科医による検討の結果,前立腺結石症のため同療法は困難と判断され,PSA監視療法を選択肢,PSA値の上昇があれば外照射治療を検討することになった。そのため,原告Z5は,1か月ないし3か月に1回の頻度でZ32病院に通院してPSA値検査などを受けており,その値は時を追って順次上昇し,平成26年4月4日には12.69になっている。


原告Z5の前立腺がんの要医療性
原告Z5の前立腺がんは,原子爆弾の放射線に起因するものであるが,前立腺がんは,その他のがんと比較して進行が遅く,高齢者の場合には経過観察といった処置が執られることがある疾患である。もっとも,悪性腫瘍であることには違いなく,放置した場合,がんの進行によって死亡に至る危険性がある。
原告Z5は,
平成22年3月25日に前立腺がんの確定診断を受け,
様々
な治療方法を検討中の同年5月10日に原爆症認定申請を行っているところ,要医療性は申請時で判断する以上,原告Z5の前立腺がんの要医療性が存在することはこのことだけからも明らかである。

また,原告Z5は,まずは積極的治療行為である密封小線源療法を検討されたものの,結果的にその適応が消極に判断されたため,PSA監視療法を選択されたものであり,この療法は,前記のとおり,将来の積極的治療を前提とするものであり,これに匹敵する行為ないし前立腺がんを治療するために必要な行為である。
なお,原告Z5のPSA値は原爆症認定申請後において時を追って着実に上昇しているところ,原告Z5は,医師の厳密な管理の下で,放射線外部照射といった前立腺がんに対する介入(積極的な治療)を行うかどうかの経過の確認を受けている状態にある。
原告Z5は,前立腺がんのごく一般的な治療経過をたどり,原爆症認定申請時において,現に存在する前立腺がんを治療するために必要な行為を行い始め,将来予想される治療のために医師による定期的な経過観察を受けているものであり,これにつき医療が必要な状態であることに疑いはない。
(被告の主張)

要医療性の判断枠組み
要医療性の判断においても,
前記(1)の被告の主張ア(ア)の観点を踏まえ
る必要があるというべきであって,積極的な治療を施さない経過観察程度の医療を受けていることをもって,被爆者援護法10条1項が規定する原爆症認定の要件としての要医療性の該当性が肯定されるものではない(なお,仮に再発や増悪があった場合には,その時点において,再度,原爆症認定の申請が行われれば,審査が行われる仕組みとなっている。)。すなわち,原爆症認定制度は,認定に係る疾病等について必要かつ適切な医療を受けられることとその医療効果の向上を意図したものであり,この観点からすれば,被爆者援護法10条1項の「現に医療を要する状態にある」にいう「医療」とは,認定に係る負傷又は疾病について医療効果の
向上を図るべく,医師による継続的な医学的管理の下に,必要かつ適切な内容において行われる範囲の医療をいうと解するのが相当である。したがって,治療が必要となるかどうかが不明で経過観察をしているにすぎない場合や医師による医療であっても不必要,不適切な内容の医療などについては,上記医療に当たるとはいえないから,「現に医療を要する状態にある」といえる余地のないことは明らかであり,そのような経過観察をしているにすぎない者について,医療の給付を目的とする原爆症認定をすることは,被爆者援護法上予定されていないというほかない。イ
前立腺がんの治療に関する知見
前立腺がんは,加齢とともに増加するがんの典型とされており,特にその罹患率は65歳以上で増加するとされ,その中には比較的進行が遅く,寿命に影響をきたさないであろうと考えられるがんも存在しており,他の原因で死亡した日本人男性においても,
70歳を超える者の2ないし3割,
80歳を超える者の3ないし4割の者に前立腺がんが発生しているとされている。
PSA検査などによる積極的経過観察は,飽くまで無治療経過観察であり,同検査により病勢の予兆を捉えた場合には積極的治療介入を行うというものである。さらに,前立腺がんガイドラインでは,発症した前立腺がんの病期,悪性度,PSA値から患者をリスク群に層別化し,当該リスクの程度や期待余命等に照らし,考慮すべき適切な治療法の選択肢が示されており,その中で,適切な治療法(対処法)として,上記の無治療での観察(積極的経過観察)が推奨される場合があることが示されている。すなわち,前立腺がんは,加齢により多く発生する上,進行が遅く,治療等の必要がない場合にまで過剰医療が行われてしまう可能性があり,かかる過剰医療により身体に悪影響を及ぼす可能性があることから,積極的経過観察という無治療の観察を行うという選択肢が与えられているのであ
り,その選択肢は,症状が悪化することを前提として設けられたものではなく,むしろこれが悪化せずに積極的治療を要しない可能性を考慮して設けられているのである。

原告Z5の前立腺がんの治療の状況
原告Z5の前立腺がんの治療の状況は知らない。


原告Z5の前立腺がんの要医療性
もっとも,平成23年4月25日付けでZ33病院の医師が,原告Z5について作成した意見書の「必要な医療の内容及び期間」欄には,「PSA検査による監視」と記載されており,その同年5月16日の原爆症認定申請当時,前立腺がんの治療を行っておらず,PSA検査による監視をしているのみであり,また,必要な医療としても,監視のみ,すなわち無治療での経過観察とされていたことが認められる。また,上記意見書には,原告Z5に必要な治療について,入院を要せず,「(通院)定期的,生涯」と記載されており,積極的な治療は必要でなかったものといえる。原告Z5は,PSA監視療法について,積極的治療行為に匹敵する行為ないし当該疾病を治療するために必要な行為であると主張する。しかしながら,前立腺がんガイドラインにおいても,積極的経過観察が推奨されているのは,前立腺がんに対する過剰医療による患者の身体への悪影響等を懸念してのことであって,積極的経過観察が,積極的治療であるとか,これに匹敵するものであるとはされていない。そして,PSA検査で行う積極的経過観察は,6か月以上の間隔でPSA測定をし,これにより病状の進行を示唆する所見が認められた時に初めて根治的治療に切り替えるもので,
本来必要とされない治療を減らせるなどのメリットがあり,
そのため,
積極的経過観察は,直ちに介入的治療が行われる必要がある患者には,そもそも適応がない。原告Z5については,前立腺がんの悪性度が低く,前立腺がんガイドラインの基準に当てはめても治療介入をせずに済む状態で
あったのであるから,かかる状態における無治療での経過観察をもって,積極的治療に匹敵するなどとすることはできないというべきである。原告Z5は,密封小線源療法の適応が消極に判断されたため,PSA監視療法を選択されたなどと主張し,前者が検討されたことをもって前立腺がんの要医療性があると主張するものとも思われる。しかし,選択可能とされた治療法について検討がされたからといって,直ちに積極的治療が必要な状態にあったということにはならない。
原告Z5の前立腺がんは,原爆症認定申請当時,「現に医療を要する状態にある」ということはできない。
第3
1
当裁判所の判断
争点1(原爆症認定に係る放射線起因性の判断基準)について

(1)判断の枠組みについて
行政処分の要件として因果関係の存在が必要とされる場合に,その拒否処分の取消訴訟において被処分者がすべき因果関係の立証の程度は,特別の定めがない限り,
通常の民事訴訟における場合と異なるものではない。
そして,
訴訟上の因果関係の立証は,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではないが,経験則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり,その判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とすると解すべきである。(最高裁平成12年判決)
これを原爆症認定処分についてみると,現に医療を要する負傷若しくは疾病が原子爆弾の放射線に起因するものであるか,又はその負傷若しくは疾病が放射線以外の原子爆弾の傷害作用に起因するものであって,その者の治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けているために現に医療を要する状態にあること(放射線起因性)がその要件とされているものであり,因果関係の立証の程度に関する特別の定めは存在しないから,経験則に照らして全証拠
を総合検討し,原子爆弾の放射線が申請者である被爆者の負傷又は疾病等を招来した関係を,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものとして是認し得る高度の蓋然性が認められるか否かによって,放射線起因性の要件が認められるか否かを判定すべきものである。
そして,上記の関係の有無を判定するためには,①申請者の放射線への被曝の程度,②申請疾病等と放射線被曝との一般的な関連性の有無及び程度,③申請者における当該疾病等の具体的症状やその症状の推移,当該疾病等に係る他の原因(危険因子)の有無及び程度,申請者におけるその他の疾病に係る病歴(既往歴)などにつき,科学的な経験則を基礎としてそれぞれ検討した上,上記の関係の有無を総合的に判断することが,合理的であり,かつ理想的であるということができる。
もっとも,現時点においても,「放射性物質による放射線が人の健康に及ぼす危険については科学的に十分解明されていない」(Z34原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律(平成24年法律第48号)1条参照)
という状況にあるとされていることからすると,
上記の各要素
(取
り分け①及び②)
の検討の基礎となる科学的な経験則の信頼性の程度自体が,
まず検討を要する問題となり,上記の関係の有無の判断は,科学的な研究の到達度を踏まえた総合的な考慮の下において行われるべきものであると解される。
他方,原告らは,①被爆国としての被爆者援護法のありよう,②加害者たる国による被爆者援護法の国家補償的性格,③証拠の散逸,隠蔽等の事情から放射線起因性の立証責任について通常の損害賠償請求訴訟の因果関係と同程度のものを求めることは公平の理念に著しく反することから,被爆者が放射線に影響があることを否定し得ない負傷又は疾病にかかり,医療を要する状態となった場合は,特段の事情が認められない限り,放射線起因性が推定
されるべき旨主張する。しかしながら,被爆者援護法27条1項が,健康管理手当の支給要件としての原子爆弾の放射線との因果関係については,放射線の影響によるものでないことが明らかにないとはいえない場合でも,これを支給しようとしているのに対して,同法10条1項の医療の給付の要件としての原爆症認定における放射線起因性については,そのような定め方をしていないことに照らして,上記のような因果関係の推定を認める趣旨の規定であるとはいえないことは明らかである。したがって,上記の原告らの主張は採用することができない。
(2)申請者の放射線への被曝の程度

被告の主張の要旨
被告は,放射線への被曝の程度は,定量的に評価されるべきであって,おおざっぱにでも定量的に放射線被曝線量を算出しなければ,当該疾病の発症リスク等を推認することが不可能であるとした上,放射線被曝線量の推定方法としては,①爆心地からの距離と遮蔽状況を基に計算で被曝線量を求める物理学的推定法,②実際に被曝した人の生体資料を調べて,その検査結果から線量を推定する生物学的線量推定法,及び③放射線被曝による急性症状(急性放射線症候群)の特徴から被曝放射線量を推定する方法が挙げられるところ,上記①の物理学的推定法であるDS02(及びその前身であるDS86)による線量評価を基本として被曝線量を評価することが合理的であり,これに上記②の生物学的線量推定法により推定する方法が併せて考慮されるべきであって,他方,上記③の放射線被曝による急性症状から推定する方法は,この手法による推定線量のみで被曝の根拠とするのは誤用であり,上記①及び②が有効ではなく,その他の情報から高線量放射線被曝が確信されているような場面において,被曝線量の程度を図る目的で暫定的に使用されるものであると主張する。そこで,被告の上記主張の当否について検討する。


物理学的推定法について
(ア)

DS02の概要
被告が物理学的推定法の中心に位置付けるDS02は,DS86を
発展させたものであり,
DS86は,
広島原爆及び長崎原爆による個々
の被爆者の被曝放射線量推定のための評価体系である。その被曝放射線量推定の方法は,①原子爆弾の爆発に起因して放出されるであろう放射線の機序及び種類を複数想定し,②それぞれの放射線量を広島原爆及び長崎原爆の出力から理論的に算出した上で,その算出値に被爆地点に到達するまでの環境条件を考慮した修正を加える計算をし,③その理論計算値と被爆遺構等から測定される各種実測値とを照合するとおおむね整合することを前提に,④個別の各被爆者について,この計算値に,残留放射能による被曝並びに地形及び家屋による遮蔽の状況並びに被爆時の体位に基づく自身の人体による遮蔽の状況等の個別条件を加味して各臓器の被曝線量を推定しようとすることを骨子とするものである。(甲A7の82~90頁,甲A37(乙B6)の332~356頁,甲A41の文献13,乙B7,乙B15,弁論の全趣旨)。

DS02は,DS86の採用した上記の推定の過程のうち,②の環境条件について更に検討して修正し,③の実測値について新たに得られたもの等とも照合した上で,実測値と理論計算値とがより整合するものになるとした上で,④の個別条件についても再評価して改訂することにより,被曝放射線量を精緻化することを試みようとするものであるが,推定の方法そのものは,DS86における上記①ないし④の過程を踏襲するものである(乙B9の1・2,乙B27)。


DS86において,原子爆弾から放出されることを想定して放射線量が計算されている放射線の種類は,中性子線及びガンマ線であり,
中性子線については,(i)起爆後1マイクロ秒未満に核分裂連鎖反応により発生する「即発中性子線」及び(ii)起爆後1分未満に未分裂の核物質から核分裂により発生する「遅発中性子線」が想定されている。また,ガンマ線については,(iii)起爆後1マイクロ秒未満に核分裂連鎖反応過程において発生する「即発ガンマ線」,(iv)起爆後1マイクロ秒未満に高速中性子と爆弾器材元素との相互反応(非弾性散乱及び荷電粒子放出反応)により発生する1次ガンマ線,(v)起爆後10マイクロ秒未満に高速中性子と大気や土壌中の元素との相互反応(非弾性散乱及び荷電粒子放出反応)により発生する2次ガンマ線,(vi)起爆後数ミリ秒から0.2秒までの間に熱中性子と大気や土壌中の元素との相互反応
(捕獲反応)
に伴い発生する2次ガンマ線,
(vii)起爆後0.
2秒から1分までの間の核分裂生成物の放射性崩壊により発生する「遅発ガンマ線」が想定されている。(甲A37(乙B6)の334頁)。

DS86においては,被爆者の受けた放射線量の大部分は初期放射線であるとしてその線量を個別的に算出するほか,残留放射能の放射線量についても検討し,その線源としては,降下した核分裂生成物(放射性降下物)と,原子爆弾由来の中性子により爆心地周辺の地表やその他の物質中に誘導された放射能とを指摘し,これらから有意な線量を受けた被爆者がいたとも考えられるとしつつも,放射性降下物による線量については個別的には算出せず,高残留放射能地区の人々を疫学研究のため非被曝群に含めないようにすべきであると指摘するに留めている。(乙B15の21~22頁)


DS02において算出された初期放射線の推定被曝線量(中性子線及びガンマ線の合計)は,①爆心地から2キロメートルの地点ではおおむね0.1グレイ(広島では約0.076786グレイ,長崎では
約0.138244グレイ),②爆心地から2.5キロメートルの地点ではおおむね0.01ないし0.02グレイ(広島では約0.0125199グレイ,長崎では約0.0228135グレイ)であり,③爆心地から3.5キロメートルの地点ではおおむね0.001グレイと推計されており(乙A79,乙B9の1の195頁・201頁,乙B98),いずれも低線量とされる値である。
もっとも,上記のような理論計算値については,実測値との不一がなおみられ,広島市及び長崎市ともに,ガンマ線又は熱中性子線による核反応を示すと考えられる各種被曝試料からの実測値は,爆心地から1ないし1.5キロメートル付近を越える遠距離において,DS02による理論計算値よりも高く観測される傾向にあり,ユーロピウムなどは爆心地からの距離1.4キロメートル弱でその乖離が10倍以上に及び(甲A48の29頁,乙B9の1の449~460頁,乙B9の2の486~489頁・495~499頁・512~535頁・557~563頁・571~572頁・602~603頁),硫黄の速中性子放射化反応を示すと考えられる被曝試料に至っては,実測値は,DS02による理論計算値よりも,爆心地近くにおいても高く,爆心地から離れるに従ってその乖離が大きくなる傾向があり,爆心地から1.3キロメートル地点において実測値が理論計算値の10倍以上に達しているとされているものもあること(乙B9の2の665~669頁)が認められる。
この点について,DS02は,DS86による理論計算値よりは実測値とより整合するとした上で,なお残る乖離の原因については,自然放射線等によるバックグラウンド値との比較における実測値側の問題として考察を立てて整理している(実測値と理論計算値とを比較した上記の書証部分のほか,乙B9の1の16~17頁)。しかし,異
なる少なくない種類の元素について,おおむね上記のような乖離傾向は一致していて,その乖離は系統的な原因に基づくものであることがうかがわれること,バックグラウンド値との比較だけでは,近距離において理論計算値よりも実測値が低いことの合理的説明が尽くされたとはいえないことからすると,その乖離の原因については,上記のDS02における考察どおりに理解してよいか,なお解釈の余地を残すものということができる。
(イ)

放射性降下物について
被告は,原子爆弾被爆者が被曝した放射線量のうち,放射性降下物
による被曝線量が占める割合は,一般化できるほどには大きくなく,健康への影響という見地からみると極めて少なかった旨主張し,その論拠として,①原子爆弾投下直後から複数の測定者によって行われた放射線量の測定データによると,広島のω3・ω4地区,長崎のω5地区の地上において,放射性降下物による放射線の影響が比較的顕著に見られることなどを報告した複数の調査研究(初期調査)があり(甲
A37(乙B6)の348頁),これらを総括したDS86では,爆発1時間後から無限時間を想定した放射線の積算線量を推定すると,ω3・ω4地区では1から3レントゲン程度,ω5地区では20から40レントゲン程度となって(乙B15・218頁),放射性降下物による被曝線量は少ないと評価されていること,②このことは,広島原爆投下から3日後に爆心地から5キロメートル以内で収集された22の土壌サンプルによるZ35らの研究(乙B16の1・2,乙B11)でも確認されていることを主張する。
しかしながら,上記の研究で用いられた基礎試料は,原子爆弾投下直後の昭和20年8月中及び同年9月初旬に収集された一部のものを除けば,同年に到来した複数の台風による水害を被爆地が被った後に
収集されたものであり,この間の台風によって原子爆弾投下当初に存在した土壌の表面も相当量が流失したといったことも十分に想定することができるところ,その前後における放射能量の変動を含む詳細についての事後的な検証に耐える量及び質の試料が,台風前の原子爆弾投下直後の段階で十分に収集されていたとは必ずしもいえない(上記②の研究の基礎となった試料は比較的少数にとどまる。)(甲A237の2~3頁,
甲A238,
甲A616,
甲A617,
弁論の全趣旨)

この点,DS86においても,「一般的に,被曝率の測定は風雨の影響がある以前に速やかには測定されなかったし,その後の風雨の影響を明らかにしたり,放射能の時間分布を与えるのに十分なほど繰り返されなかった。測定場所の数は余りにも少なく,放射能の詳細な地理的分布について十分推定できるものではなかった。またかかる調査では,代表的でない標本が抽出されることが多く,かかる標本の偏りが存在しているかどうかも不明である。最後に,較正や測定の詳細については,必ずしも入手できていない。」旨注記されている(乙B15の210頁)。
そうすると,上記の各調査研究をもって,放射性降下物による被曝線量は一般的に少ないとの評価が科学的に見て十分な根拠を有するといえるか否かについては,なお疑問があるといわざるを得ない。

また,上記a①のDS86における無限時間推定積算線量についても,その前提に上記aのとおり試料上の問題があることに加え,その計算自体についても,核分裂生成物の約3パーセントを占めるセシウム137が発するガンマ線について行われているにとどまり,一連の放射性崩壊に伴い生じるそれ以外の核分裂生成物が発するベータ線等を考慮しておらず,その放射系列全体の半減期を考慮すると,原子爆弾投下後2週間時点での放射線強度はそれほど減少していなかったと
いうことができるとの指摘がある(なお,上記の推定積算に用いられているレントゲンという単位自体,ガンマ線等の電磁波放射線の照射線量単位であり,ベータ線等のその他の放射線量を測定するには適しない単位である。前記第2の3(3)ウ)。この点,ベータ線は,未分裂の核物質や核分裂生成物の放射性崩壊によって放出され得る放射線であり,そうした放射性崩壊(ベータ壊変)をする放射性核種は多岐にわたり,特に核分裂生成物は安定性の低いものが多いと想定できるため,親核種から娘核種,孫核種などへと数次の崩壊系列を短時間で繰り返し,その累積回数分のベータ線等が放出されることにより,親核種と娘核種の半減期の関係次第では,親核種だけが存在するよりも放射能強度が高くなる過渡平衡現象も起こし得るものである。(甲A278の6頁・14頁・20~23頁)
そして,広島原爆の核物質として用いられたウラン235からの核分裂生成物についていえば,現在の知見においては,セシウム137を崩壊(壊変)系列に含むキセノン137の収率6.13パーセントやストロンチウム90を崩壊系列に含むクリプトン90の収率4.90パーセントよりも高い収率6.63パーセントを示すキセノン133の半減期が5.25日,キセノン137やクリプトン90には及ばないものの,収率が4.46パーセントと低くないクリプトン89の崩壊系列に属するストロンチウム89の半減期が50.
5日,
収率3.
70パーセントのキセノン140の崩壊系列に属するバリウム140の半減期が12.75日,そのバリウム140の放射性崩壊により生成されるランタン140の半減期が40.27時間,収率3.07パーセントのクリプトン91の崩壊系列に属するストロンチウム91の半減期が9.5時間,そのストロンチウム91の放射性崩壊により生成されるイットリウム91の半減期が58.51日,収率1.33パ
ーセントのキセノン141の崩壊系列に属するセリウム141の半減期が32.5日であるなどとする報告(甲A280のZ11事故最終報告書114頁)も存在するところであって,これらのデータは,核分裂開始後数日ないし数週の期間では放射能が十分に減衰しないために放射線の放出を無視できない十分な放射能を持つ放射性降下物となった可能性があるが,数年を経た後には放射能が十分に減衰してほとんどが安定物質となってしまうために事後的には放射能を検出することが困難な状態に至った核分裂生成物が,ウラン235からの核分裂生成物全体の合計としてみれば,セシウム137や,同様に半減期が長いために相当期間を経過しても放射能の計測が可能なストロンチウム90が生成されるよりも高いか,少なくともこれらに匹敵する収率で存在し,強度の放射能を有していた蓋然性を示すものである。同様のことは,長崎原爆の核物質であるプルトニウム239についても指摘し得るものと想定される。
そうすると,セシウム137以外の核種についても,核分裂開始後数日ないし数週の期間では放射能が十分に減衰しないために放射線の放出を無視できない放射能を持つ核分裂生成物の存在とそれによる各人の被曝
(内部被曝)
の可能性についての検討を要することとなるが,
DS86による上記の分析は,そこまでには至っていないという問題があるといわざるを得ない。

さらに,被告は,空中核爆発の場合,核爆発により生じた放射性物質も未分裂の核物質も瞬時に数百万度の超高温の気体となり,そのほとんどは成層圏まで上昇して地球規模の汚染となる結果,直下の放射性降下物による被害は著しく小さい旨主張する。
しかしながら,UNSCEAR2000年(平成12年)報告書の附属書(乙B20の239頁)によれば,1945年(昭和20年)
の3回の核実験(うち2回は軍事実戦使用とされ,広島原爆及び長崎原爆を意味すると考えられる。)において,成層圏に至った核分裂収量はなく,約2割の収量が局地及び地域に,約8割の収量が対流圏に拡散したとされているところ,対流圏にとどまる限りは,成層圏にまで上昇した場合とは異なり,直ちに地球規模で拡散することはないと解され,爆心地の直近とは限らないが,さほど遠くない場所への降下もあり得るといえる(甲A238の14頁,乙B21の32頁・34頁の図4.8参照)。

以上のとおり,放射性降下物による被曝線量については,それを推定するための適切な測定データが不足しているという状況があるにもかかわらず,それを補うに足りる十分な研究がされているとはいえないから,そのような研究による科学的知見には限界があるといわざるを得ず,同知見をもって,放射性降下物による被曝線量は健康に対して影響を与える程度のものではないと断じることには困難があるといわざるを得ない。
このことは,長崎原爆投下42年後にω5地区の住民180人について行われた調査において,結節性甲状腺腫が有意に高率であったとの結果が得られていること(甲A37(乙B6)の116頁)からもうかがわれる。


なお,上記のとおり,放射性降下物による被曝の影響を無視することが相当ではないとすれば,その影響が必ずしも爆心地から同心円状に及ぶものではないことをも考慮さぜるを得ない。
すなわち,平成23年3月に発生した福島第一原発事故後に明らかになっている状況によれば,同事故による放射能汚染は,放射線源である福島県双葉郡ω26所在の福島第一原発から北北西ないし北西の阿武隈高地に位置する相馬郡ω27方向において,遠距離でも汚染の
程度が高い地域が存在する一方,より福島第一原発からの地上距離としては近い沿岸の平野部においては汚染の程度が低い地域も存在する現況にあり(甲A602の25頁の図19下・32頁の図23下,甲A602の2の22),このような放射能汚染の状況は,地形による遮蔽のみでは説明が付かないことが明らかである(地表核爆発であったトリニティ核実験後や,チェルノブイリ原発事故後の放射能汚染の状況も同心円状のものではない。甲A602の19~20頁,甲A602の2の17,甲A602の4の44頁,乙A62の51頁,乙A63の65頁,乙B35の150頁)。こうした現象は,事故時の自然風その他の何らかの条件に左右されて発生したと考えざるを得ないところ,放射能汚染がそのような条件に左右され得るものであることは,もはや公知の経験則といえると考えられるものであり,これと同様の事象が広島原爆及び長崎原爆の投下後に起こらなかった保証はないし,むしろ起こったことが推認される。現に,広島原爆及び長崎原爆投下約2か月後に,マンハッタン調査団が実施したガイガー計数管を用いたガンマ線測定においても,等線量曲線はかなりの変形をなし,長崎では爆心地よりもω5地区の方が高いほどの状態にあり(甲A602の3~9頁,甲A602の2の7の164~172頁,甲A602の2の14,
甲A602の2の31の10頁,
乙B18の5~8頁)

更に1か月ほど経過して日米合同調査団が実施したガイガー・ミュラー管による測定でも同様の傾向が現れていること(甲A602の2の3の504~516頁,甲A602の2の5)からしても,上記の経験則を広島原爆及び長崎原爆に適用することに支障がないことが裏付けられるというべきである。

以上で判示したところによると,原子爆弾被爆者が被曝した放射線量のうち,放射性降下物による被曝線量が占める割合は,一般化でき
るほどには大きくなく,健康への影響という見地からみると極めて少なかったとする被告の主張は,必ずしも科学的な根拠に裏付けられたものではないのではないかという疑問を払拭できないというべきである。
(ウ)

誘導放射線について
被告は,原子爆弾被爆者が被曝した放射線量のうち,誘導放射線に
よる被曝線量が占める割合は,一般化できるほどには大きくなく,健康への影響という見地からみると極めて少なかった旨主張し,放射化により新たに生じた放射線核種からの誘導放射線による被曝線量評価を重視しなくてよい理由として,原子爆弾から放出された中性子線に核反応を起こして極めて短時間に放射化する元素は限られており,新たに生じた放射性核種の半減期が比較的短い,誘導放射線が問題となり得る核種としては,マンガン56とナトリウム24が問題になるにとどまること,また,熱中性子捕獲反応によって放射化が生じる元素(ホウ素,カドミウム,ユーロピウム,ガドリニウム)は土壌中にほとんど存在しないため,被曝に寄与することはほとんどないことを主張する。
そして,上記の主張は,主として,①土壌を試料としたZ12による計算(乙B24),②土壌及び建築資材(屋根瓦,煉瓦,アスファルト,木材,コンクリートブロック片)を試料としたZ36らによる研究(乙B25),③Z12による計算をDS02に応用したZ37による研究(乙B27)に依拠するものであるところ,上記の試料に関する研究等において誘導放射線に寄与する元素とされたものは,アルミニウム,ナトリウム,マンガン,鉄,スカンジウム,コバルト及びセシウムである。
なお,Z12による計算(上記①)によれば,爆心地での無限積算
外部被曝線量は,広島で140センチグレイ,長崎で70グレイであり,Z37による研究(上記③)によれば,爆心地での無限積算外部被曝線量は広島で120センチグレイ,長崎で57センチグレイであり,爆心地から1キロメートルでは広島で0.39センチグレイ,長崎で0.14センチグレイであり,1.5キロメートル以上での距離での誘導放射線被曝は無視してもよいとされている(乙B27)。b
しかしながら,中性子による物質の放射化は,上記の試料中に存在する上記の元素のみに生じるわけではなく,例えば,人体中に存在するその他の元素(リン,カリウム,カルシウム)についても生じ得るとされている(甲A280の17頁)。そして,証拠(乙B22)によると,ケイ素30(30Si),リン31(31P),硫黄34(34S),アルゴン40(40Ar),カリウム41(41K),カルシウム44及び48(44Ca及び48Ca),チタン50(50Ti),クロム50及び54(50Cr及び54Cr),ニッケル62及び64(62Ni及び64Ni),銅63及び65(63Cu及び65Cu),臭素79及び81(79Br及び81Br),銀107及び109(107Ag及び109Ag)などの核反応断面積は,アルミニウム,ナトリウム,マンガン,鉄におけるそれに匹敵し又は上回るものであることが認められ,また,これらは,土壌ばかりではなく,
大気,生物,
人工物等に一定量存在することが想定されるところ,
上記の研究では,これらの元素の放射化については必ずしも検討の対象とされていない。
他方,旧日本海軍の指示を受けて昭和20年8月10日に広島市に入った調査団の報告によると,同日午後,Z38(広島市の爆心地から東北東方向に2ないし3キロメートルの位置にあるもの。甲A8の1参照)から収集した2キログラムの砂を写真乾板の上に12時間放
置したところ,感光したとされており(乙B12の3頁),これは,上記の地点において,写真作用を惹起するだけの放射線が放出される程度の誘導放射化が起こっていたことを示唆するものと考えられる(甲A668の2の25頁)。

以上のとおり,誘導放射化は原子爆弾投下後に多様な物質について生じるものであり,また,その影響は必ずしも爆心地近辺のみに限定されないことがうかがわれるにもかかわらず,上記の各研究は,それらについて十分な検討を加えたものかどうかについては疑問があるから,そのような研究をもって,誘導放射化物質による被曝線量は健康に対して影響を与える程度のものではないと断じることには困難があるといわざるを得ない。
以上で判示したところによると,原子爆弾被爆者が被曝した放射線量のうち,誘導放射線による被曝線量が占める割合は,一般化できるほどには大きくなく,健康への影響という見地からみると極めて少なかったとする被告の主張は,必ずしも科学的な根拠に裏付けられたものではないのではないかという疑問を払拭できないというべきである。
(エ)

内部被曝について
被告は,原子爆弾について問題となる内部被曝は,放射性降下物及
び誘導放射線によるものであるところ,これらの線量がいずれも健康への影響という見地からは極めて少ないものであったと主張する。しかしながら,これらの線量が健康への影響という見地からみると極めて少なかったとする主張自体,疑問があることは上記(イ)及び(ウ)に判示したとおりである。

被告は,土壌中の放射性物質として想定されるマンガン56やナトリウム24がそれぞれ単一で有意な内部被曝をもたらすためには膨大な量の土の体内摂取が必要であり,浮遊した粉塵を吸入した可能性が
あるとしても,その被曝の影響は重視する必要がない旨主張する。しかし,そもそもある元素が一定量誘導放射化されているとすれば,他の元素もそれぞれの核反応断面積に応じて同じように誘導放射化を起こしていることを想定すべきであるから,ある単一の元素のみを採り上げて,有意な内部被曝をもたらすための当該元素の量を含む土の量が膨大であるといってみても実態を正しく把握するものであるとはいい難い。したがって,仮に土壌中の誘導放射化物質のみの量を計算するとしても,各元素について誘導放射化の想定される量の総和を算出しなければ意味がないものと考えられるところ,土壌中において誘導放射化するのはマンガン56とナトリウム24だけではない(乙B24の2頁)。また,土壌中の物質以外にも,大気中,人工利用物質中及び人体内の各物質においても多様な誘導放射化が起こり得ることは,前記(ウ)bに判示したとおりである。結局,これらを複合的に検討するのでなければ,誘導放射化物質からの内部被曝の危険性を総体的に把握することにはならないと考えられる。

また,
被告は,
半減期の長いセシウム137の実測データを用いて,
ω5地区に住む者の昭和20年から昭和60年までの40年間の内部被曝線量を積算したところ,男性で0.0001グレイ,女性で0.00008グレイに過ぎないとの研究
(乙B15の219頁)
を挙げ,
内部被曝線量が小さいことが実証されていると主張する。
しかし,上記の研究は,ホールボディーカウンターを用いたものであるところ,その手法は必ずしも検出精度が高いとはいえないとされている(乙B30の2頁)ことに加え,セシウム137の計測値をもって他の物質からの放射線がなかったことを帰結するものとはいえないこと(前記(イ)b)も勘案すると,この研究をもって,内部被曝線量が小さいことが実証されていると断定することには困難がある。
さらに,被告は,ω5地区の被爆者が浦上川の水を飲んだと仮定した場合のセシウム137及びストロンチウム90による内部被曝線量の推定結果(乙B33)や,広島で焼け跡の片付け作業に従事し粉塵を吸入したと仮定した場合のナトリウム24とスカンジウム46による内部被曝の研究(乙B27)において,内部被曝が小さいとされたと主張する。
しかし,前者の研究については,DS86で参照されたセシウム137の降下量に関する初期調査を基礎とするものであるところ,当該調査に用いられた基礎試料に問題があることは上記(イ)aで判示したとおりである。また,後者については,上記bで判示したところと同様の問題を指摘することができる。そうすると,これらの研究をもって,内部被曝線量は人体の健康への影響から重視する必要のない程度のものであると断定することは困難であるといわざるを得ない。

なお,
内部被曝線源が被爆者の体内に侵入する経路についてみると,
まず,終戦時,かつ原子爆弾投下後の食糧や水の供給事情からして,被爆者らが現在と同じような衛生状態において飲食することができたことは到底想定し難く,泥がついたままの食材や,不純物の含まれた水などを経口摂取する機会も多くあったことを想起しなければならない。
また,放射性降下物を構成する核分裂生成物は,固体のみならず,クリプトンやキセノン等の希ガスとしても存在し得るし,固体として存在することが想定される核分裂生成物や未分裂の各物質であっても,極めて微小に分解された場合には,空気抵抗を受けて微細な浮遊粒子状物質の形態で存在することも考えられ,被爆者において粉塵等として認識し得る状態になくても,吸入により摂取して内部被曝することも十分想定できるところである。

さらに,原子爆弾投下後は,原子爆弾の熱線,衝撃波,爆風や,その後に発生した火災などによっても,創傷を負った被爆者が非常に多かったことも容易に想定されるところ,このような創傷部位から直接血管内に放射性物質が入る態様で被爆者らに内部被曝の起こった可能性も大いに考えられる(電離放射線障害防止規則44条1項5号も参照)。しかも,これに関しては,当時の環境下にあっては,例えば擦過傷程度の怪我では危険な怪我の部類には入らないと認識された蓋然性が高く,そうした軽微な創傷自体が,被爆者自身の記憶やその申告による記録に残されなかった場合も少なくなかったと考えられることにも十分に留意する必要がある。また,この機序による内部被曝の場合には,体内に入った放射性物質が,消化器官や呼吸器官内の生体防御機構によって何ら防護されることのないまま,血管を通って体内循環することになるから,経口摂取や吸入摂取の場合よりも一般に被曝の影響が大きいと考えられるという問題もある(甲A283の1の43~45頁参照)。
そして,以上のことは,あらかじめ放射線被曝の可能性が一定程度あり得ることを想定して,放射性物質を吸入摂取し,又は経口摂取するおそれのある作業場で労働者が喫煙し,
又は飲食してはならない
(電
離放射線障害防止規則41条の2第1項,2項)とか,放射性物質に関する知識や電離放射線の生体に与える影響,被曝線量の管理の方法等について労働者に対する特別の教育が行われなければならない(同規則52条の6ないし52条の8)とかいった放射線防護のための措置を執るべきこととされている原子力平和利用施設における放射線事故等の場合とは,特に大きく状況を異にする事情であると考えられる。原子力平和利用施設における放射線事故等の場合において内部被曝が発生する危険性と,原子爆弾投下後の環境において内部被曝が発生す
る危険性とを,同列に論じることは相当でない。

以上で判示したところによると,原子爆弾由来の放射性物質による内部被曝の影響は人体の健康への影響という観点から重視する必要がないとする被告の主張については,必ずしも科学的な根拠に裏付けられたものではないのではないかという疑問をなお払拭できないというべきである。


生物学的線量推定法について
(ア)

被告は,DS02を中心とする上記イの被曝線量の物理学的推定法
については,他の線量推定法である前記ア②の生物学的線量推定法による推定値が,物理学的推定法による線量推定値と整合的で,これを裏付けている旨を主張するところ,そこで具体的に主張されている生物学的線量推定法は,大別して,①染色体異常頻度を基にした残留放射線の推定方法と,②歯エナメル質のESR法である。
しかしながら,被告が証拠として提出した文献(「原爆放射線の人体影響

改訂第2版」平成24年発行)の記載によると,(i)上記①の染色
体異常頻度を基にした残留放射線の推定方法については,推定被曝線量(DS86)との関連性の解析の要約として,染色体異常を持つ細胞の割合は被曝線量の増加とともに増えるが,推定被曝線量に対してプロットすると染色体異常頻度は幅広い分散(ばらつき)を示すとされ(乙B63の64頁)また,

(ii)上記②のESR法と上記①の染色体異常は,コバルト60等価線量では相互に整合的である一方,DS02(DS86)個人線量との関係はどちらも余り良くないとされている(乙B64の74頁)。
これらの記載からすると,これらの生物学的線量推定法は,DS02(DS86)による推定被曝線量の絶対値を裏付けているとの評価は困難であり,せいぜい,DS86ないしDS02によっても被曝線量が多
いとされる者は,染色体異常頻度も多いという関係が認められるという程度であると考えられる。
むしろ,ESR法による分析結果(乙B66の1・2,乙B67)は,DS02では推定直接被曝線量が5ミリグレイ未満であるとされる3キロメートル以遠被爆者の中にも,大臼歯のESR法による推定被曝線量が300ないし400ミリグレイを示した者が複数名存在した事実を示しているところ,これは,誤差として説明ができる範囲の乖離であるとは到底いい難く,DS02を基本とする被曝線量推定法の限界を示唆するものというべきである(なお,上記のESR法によって推定できるのは,ガンマ線かこれと性質の同じエックス線の被曝線量のみであると考えられ(乙B64),放射線加重係数の高い中性子線や,ベータ線などの,その余の放射線による被曝線量を推定できるものではないと解される。)。
(イ)

また,被告は,広島原爆投下後の早期に広島市に入市しその後の行
動がほぼ正確に把握されているとされるZ39部隊のケースについて,物理学的推定法による被曝線量の研究(乙B61の214~223頁のもの)の結果と,生物学的線量推定法による被曝線量の研究(①乙B61の233~238頁のもの(以下「Z40論文」という。)及び②乙B65のもの(以下「Z41・Z40論文」という。))の結果とが,ほぼ一致している旨主張する。
しかし,Z40論文における「推定被曝線量」は,DS86の前身であるT65Dを基にした染色体異常数からの線量推定式を用いたものとされており(乙B61の237頁),この方法が,物理学的計算から独立した推定方法といえるものかどうか必ずしも明らかではない。また,Z41・Z40論文における「推定線量」も,T65Dに基づくものとされており(乙B65の238頁),上記と同様の問題を有することが
うかがわれる。そうすると,生物学的線量推定法によるとされるこれらの論文も,元をたどれば,原子爆弾被爆者についての物理学的推定法による被曝線量に頼った推定値であるということができ,これをもって,DS86ないしDS02に基づく物理学的推定法による推定被曝線量が,原子爆弾被爆者とは無関係に承認されているような確立した生物学的線量推定法による推定被曝線量と整合していて正しいものであることが裏付けられているといった結論を導くことができるかどうかについては,なお疑問があるといわざるを得ない。
長崎市のω5地区住民の染色体異常に基づく被曝線量推定
(乙B71,
乙B72)についても,これと同様のことを指摘することができ,元々のω5地区における推定被曝線量自体がDS86ないしDS02を離れて論証されているとはいい難いから,全く異なる推定法の間の比較として意味を持つものであるとはいえない。
(ウ)

以上によれば,生物学的線量推定法による線量推定が,物理学的推
定法による線量推定と整合しているようにみえる外観をもって,後者による推定の正しさを裏付けているといえるかどうかは疑わしいものといわざるを得ない。

原子爆弾投下後に生じた急性症状について
(ア)

被爆者に生じた急性症状に関する集団的な調査研究
日米合同調査団は,昭和20年秋から昭和21年にかけて,広島市
の被爆者6663名及び長崎市の被爆者6427名を対象として,被災状況調査を実施した。同調査の結果によると,投下後20日時点の生存者について,①脱毛,紫斑(皮膚出血斑),壊死性歯肉炎を含む咽頭傷害,出血性のものを含む下痢,嘔吐,吐き気を発症した被爆者の割合は,おおむね被爆距離が遠くなるほど低い傾向にあること,②爆心地から2キロメートルを超える地点で被曝した者の中にも,前記
の各症状を発症した者が一定程度存在すること,③同程度の被爆距離集団であれば,被爆時に遮蔽物のあった被爆者らの方が,そうでない被爆者らよりも前記の各症状を発症した者の割合が全般的には低い傾向にあることが認められる(甲A19,乙B77の1・2)。

東京帝国大学医学部診療班(当時)は,昭和20年10月ないし11月に広島原爆の被爆者5120名を対象として,人体に及ぼす障害作用の調査を行った。同調査によると,「放射能傷」と分類された脱毛,皮膚溢血斑,口内炎症の症状を発症した者が4406名おり,被爆距離との関係については上記①及び②と同様の傾向にあることが認められる(甲A61の9,乙B88)。


LSSの対象集団である広島原爆の被爆者5万8500名及び長崎原爆の被爆者2万8132名につき,その脱毛と爆心地からの距離との関係を分析したZ42らの研究においては,爆心地から2キロメートル以内での脱毛の頻度は距離と共に急速に減少し,2キロメートルから3キロメートルにかけて穏やかに減少した(ただし,3キロメートル以遠では殆ど距離とは独立である)旨の報告がされている(甲A91)。


Z43が昭和32年1月から7月までに広島市内の一定地区に居住する被爆者全員3946人を対象として実施した調査によると,広島原爆投下後3か月以内に爆心地から1キロメートル以内の中心地に入市していない被爆者においては,倦怠感,食欲不振,吐き気,頭痛,目まい等の自覚症状を除く発熱,下痢,皮膚粘膜出血,咽頭痛,脱毛について,距離相関関係及び遮蔽の有無との相関関係につき,上記①ないし③と同様の発症傾向が認められ,また,入市した被爆者においては被爆距離に応じたこうした傾向が崩れることが認められる(甲A20。以下「Z43論文」という。)。

他方,Z43論文は,広島原爆投下後2か月以内に入市した外傷のない非被爆者629名を対象として実施された調査においても,上記の非自覚的症状及び全身衰弱を発症する者がおり,その症状発現の頻度は,集団ごとの母数が1桁と少ない中心地滞留時間15日を超える者を除き,中心地滞留時間が長い集団ほど高い傾向にある旨の調査結果を報告している。

長崎原爆の被爆者健康手帳保持者のうち無作為抽出した3000人や全数1万2905人を対象とした被爆者健康手帳申請時の調査票に基づく調査において,Z44らは,主として脱毛について,被爆距離が遠くなるほど発症の頻度や程度が低く,被爆距離3キロメートル未満では,被爆時に遮蔽物のあった被爆者らの方が,そうでない被爆者らよりも脱毛を発症した頻度が低い傾向が認められるとしつつ,2キロメートル以上の群については,距離との相関が見られるが放射線の影響かどうかは当該調査の結果からは判断できない旨の報告をしている(甲A106,甲A107)。

(イ)

集団的調査研究の評価

以上の調査研究については,必ずしも客観的な検査等を踏まえたものではなく,基本的には被爆者らの主観的な申告に基礎を置くといえる方法による調査内容を取りまとめたものであり,基礎となる個々の情報の正確性が完全には担保されていないという問題があるものの,極めて多数の者を対象として実施された調査主体や情報へのアプローチの方法を異にする複数の調査において,全般的な傾向がほぼ同一の調査結果が出ていることからすれば,これらは,少なくとも,被爆距離が2キロメートル以内の被爆者らについては被爆距離に相関する頻度で上記の急性症状が生じたというマクロ的な傾向を示すものとしては,十分に意味を持つものであると解することができる。

これに対し,被告は,日米合同調査団の調査結果について,全般的な傾向とは異にする数値傾向の例が一部に認められることを指摘する。しかし,それは,全体から見れば一部の数値であり,主に爆心地から2ないし3キロメートル以遠のものであるところ,これについて全体的な発症傾向と異にする調査結果が認められるとしても,日米合同調査団による調査では着目されていなかった被爆後の入市の有無等の別のバイアス要素によって発症傾向が異にするものが現れた例と考えても矛盾はないということができ,上記の全体的な傾向の存在を揺るがすような事情であるとはいえないと解される。
(ウ)

Z39部隊に発現した身体症状
上記に類似した身体症状は,原子爆弾投下後,救護作業等のために広
島市及び長崎市に入市した部隊にも発現したことが認められる。
すなわち,広島原爆投下後の昭和20年8月6日深夜から翌7日昼頃に掛けて爆心地1キロメートル圏内のZ45(甲A8の1)に入り,その後周辺市域で作業したZ39部隊Z46中隊93名(隊全体99名のうち入市していない本部6名を除く。)のうち,32名に脱毛,歯根出血,皮膚の点状出血,口内炎,嘔吐・下痢などの胃腸障害を発症したことが昭和62年5月に実施された追跡調査によって明らかになったことが報告されている(乙B61の224~232頁)。
そして,当該報告は,原子爆弾被爆者に被爆直後から2,3か月にわたっていわゆる急性放射線症状が現れたことは良く知られているとした上で,上記32名に発現した症状のうち,重症度や経過期間に照らし,ほぼ確実な急性放射線症状があったと思われるものは,脱毛6名(うち3分の2以上頭髪が抜けた者が3名),歯齦出血5名,口内炎1名,白血球減少症2名(延べ14名の発症者のうち複数症状の発症者が2名)いたとされている。

(エ)

小括

以上のような被爆者らに生じた急性症状に関する集団的な調査結果及び入市部隊に関する調査結果によれば,これらの被爆者の症状は,原子爆弾投下後,
爆心地近辺を中心に少なくとも半月程度効果が残り,
かつ,
遮蔽の有無によっても効果に差の出る原子爆弾の傷害作用によって惹起されたと推測することが十分に可能であるというべきであり,このような効果の発現の仕方をする原子爆弾の傷害作用といえば,放射線によるものをおいてほかにないと考えられる。
この点,被告は,上記の各調査結果において被爆者らに発現したとされる症状のうち,下痢,脱毛及び出血傾向等の身体症状は,他の要因(体力の低下,劣悪な生活環境,精神的影響)によっても生じる非特異的なものであるから,慎重に吟味・鑑別する必要がある旨を主張する。しかしながら,これらの被爆者の症状について,個別の症状だけを見れば放射線影響に特異的でないものであり,また,個別の被爆者だけを見れば心因性等の放射線以外の原因の可能性があるものも含まれる余地があるとしても,特定の被爆者が原子爆弾投下を境にして少なくない数の症状を同時ないし順次に発し,また,1人の被爆者のみならず,多数の被爆者について集団的に,原子爆弾投下を境にして被爆距離や遮蔽の有無とも相関した共通の症状が認められるときに,原子爆弾投下と無関係の要因によって,たまたまそのような相関関係で集団的発症傾向が見られたと理解するのは,合理的ではないといわざるを得ない。
なお,心理的要因は,後に原子爆弾がいかなるものかが周知されるようになってからであれば,原子爆弾投下と無関係ではない要因として,被爆距離に比例傾向を示して作用する可能性はあると考えられるが,原子爆弾の本質について,一般国民においてはせいぜい新型爆弾としてしか認識されていなかったであろう投下後間もない昭和20年秋から昭和
21年の時点において,放射線被曝への恐怖心理に由来する身体症状が被爆者らに集団的に発現するとは考えにくく,この時期における日米合同調査団による調査においても,先に判示したような遮蔽の有無とも相関関係を示す集団的発症傾向が認められていることからすれば,これが心理的要因によって発現した可能性も除外することができるというべきである(この点,事故当初から放射線漏えいの可能性があるものとして周辺住民に認識されていたと考えられるZ11事故の場合とは異なる。なお,このようなZ11事故の場合においてすら,周辺住民が身体症状を主訴する割合の増加は,
パーセンテージにして数ポイントにとどまる。
乙B54参照。)。
(オ)

急性放射線症候群との関係について
急性放射線症候群とは,1グレイを超える急性放射線被曝を全身に
受けると,骨髄障害,皮膚障害,口腔粘膜障害,消化管障害などの放射線による確定的な影響が,被曝した線量に応じて発現するものをいう。その病期は,前駆期(悪心,嘔吐,下痢,発熱,初期紅斑,唾液腺の腫脹などが一過性に発現する被曝後48時間以内の時期),潜伏期(放射線感受性が高い組織の細胞死に伴う細胞欠落症状が発現するまでの比較的無症状の期間),発症期(線量に応じて種々の症候群が発生する時期)などに分けられる。
主症状としては,①1グレイ以上の全身被曝で生じる骨髄障害(骨髄の造血幹細胞が細胞死により減少するため,血液細胞が担う諸機能の低下が引き起こす各種の病態),②顔面に5グレイ以上の被曝を受けると発症する口腔粘膜障害(口腔粘膜に発赤,腫脹,出血,潰瘍,壊死を生じるもの),③10グレイを超える被曝例で生じる消化管症候群(粘膜上皮細胞に再生障害が生じ,水溶性下痢や下血などを生じるもの),④局所に12ないし15グレイ以上の被曝を受けると発症
する放射線皮膚障害(紅斑,脱毛,落

,水疱形成,壊死などの皮膚

変化が身体の異なった部位に生じるもの)などがある。
前駆症状の出現時期,その後に主症状が生じるまでの潜伏期の長さ,主症状の種類とその出現時期は,それぞれ被曝線量に依存するとされ,また,線量が高いほど前駆症状の発症頻度は高まり,同じ線量の急性被曝であれば,被曝時間が短いほど前駆症状は早期に発現し,亜急性の被曝(分割照射又は持続的であるが時間あたりの線量は低い被曝)の場合は合計の線量に比して臨床症状は少ないとされている。
この疾病概念は,広島・長崎の被曝医療調査や米国の原子力の軍事運用の開発初期に起こった被曝事故の診療経験をまとめる過程でできあがり,その後,急性放射線症候群を呈した事故例としては,米国の原子爆弾開発過程におけるロスアラモス事故,旧ソビエト連邦のチェルノブイリ原発事故,イスラエルの大型照射施設におけるソレク事故,Z11事故などがあり,1945年から2000年までの55年間で30件以上あるとされている。(以上につき,乙B55)
なお,初期の研究(1950年発表,乙B55の83頁で言及されている文献1)においても,急性放射線症候群の症状として,無力症(適切な説明のつかない衰弱の訴え),下痢,吐き気と嘔吐,点状出血と紫斑,脱毛,発熱等が指摘されており(乙B60の1の210~211頁,乙B60の2の3~4頁),日米合同調査団の調査結果の取りまとめ(上記(ア)a参照)は,上記の研究を踏まえたものであることがうかがわれる。

被告は,被爆者に生じた症状が,放射線被曝による急性症状に該当するかどうかは,上記の急性放射線症候群についての医学的知見を踏まえて,慎重に吟味・鑑別すべきであり,単に「脱毛」「皮下出血(紫斑)」といった放射線被曝に非特異的な身体症状の存在を示すだけで
は,被曝線量の評価を行うのに著しく不十分である旨主張する。
しかしながら,急性放射線症候群に特徴的な前駆症状の有無は,原子力施設等で起こった強い外部線源による被曝事故の後で,急性放射線症候群の可能性を診断するために重視されるものであり(乙B55の77頁),急性放射線症候群に関する上記の知見によっても,急性放射線症候群の前駆症状(被曝後48時間以内に生じるとされるもの)の発症頻度は,被曝線量に依存するものとされているが,亜急性の被曝においてそれがどのように生じるのかは必ずしも明らかではないことからすると,本件のような原子爆弾による被曝の場合において,前駆症状の有無をもって急性放射線症候群の発症の有無を鑑別することは必ずしも合理的ではなく,むしろ,主症状として上記の各種障害が認められるのであれば,当該症状の存在は,被曝線量の評価に当たって積極的に考慮すべき事情となり得るものであると考えられる。

総括
以上によれば,DS02を基本とする物理学的推定法により被曝線量を推定し,被曝の程度を判断する場合には,①初期放射線につき,爆心地から離れるに従って理論計算値と実測値との乖離が大きくなる傾向があるため,遠距離被爆者に関しては,初期放射線の影響を過小評価することとなる点を考慮する必要があり(上記イ(ア)),②放射性降下物や誘導放射化物質による放射線及び内部被曝につき,その影響を過小評価することとなる点を考慮する必要があり(上記イ(イ)ないし(エ)),また,生物学的線量推定法がDS02を基本とする物理学的推定法の正しさを裏付けているということは困難である(上記ウ)。
他方,原子爆弾投下後に生じた急性症状については,それに関する集団的な調査研究等によれば,放射線被曝に起因するものであるとの推測が十分に可能であり(上記エ(エ)),急性放射線症候群に関する知見に照らせ
ば,急性放射線症候群に該当する急性症状を発症したと認められる被爆者については,1グレイを超える被曝を受けた可能性を考慮すべきこととなる(上記エ(オ))。なお,上記エ(ア)の調査研究等によれば,爆心地から2キロメートルの場所でも急性放射線症候群の主症状が生じていたことが認められるところ,このことは,DS02により算出した初期放射線の被曝線量(爆心地から約2キロメートルではおおむね0.1グレイ。上記イ(ア)e参照)にのみ依拠して個々の被爆者の被曝線量を推定するという手法には一般的な妥当性に欠けるおそれが高いことを示唆するものと解される。
そうすると,原子爆弾被爆者について,その被曝線量を推定するに当たっては,近距離被爆者の初期放射線による被曝についてはDS02を基本とする物理学的推定法に拠ることができるとしても,遠距離被爆者について,また,放射性降下物や誘導放射化物質による放射線の被曝や内部被曝の影響については,別途の評価を経る必要があり,個々の被爆者についての原子爆弾の被爆の状況や急性症状の有無等の具体的な事実関係のいかんによっては,急性放射線症候群が発症し得る水準の線量の放射線被曝が確信されるような場合もあり得ると考えられる。
(3)疾病と放射線被曝との一般的な関連性の有無及び程度
疾病の発症と放射線被曝との一般的な関連性については,統計学的な関連性の分析を基礎とした疫学的な研究が行われているところ,本件で問題とされている原爆症認定申請疾病について,その内容を検討する。

放射線被曝と胃がん,大腸がん及び肺がん発症への影響について
(ア)

放射線と固形がんとの関連性に関する知見
放影研のLSS第14報は,DS02で線量推定が行われている原
子爆弾被爆者のうち昭和25年から平成15年までの死亡者について,固形がんに関する付加的な放射線リスクは,線形の線量反応関係を示
し,生涯を通して増加を続けていること,1グレイに被曝した人の全固形がん罹患率は被曝していない人に比較して47パーセント増加する(1グレイ当たりの過剰相対リスク(ERR)が0.47)と推定されること,過剰相対危険度が有意となる最少推定線量範囲は0ないし0.
2グレイで,
この場合の1グレイ当たりの過剰相対リスクは0.
56と推定されること,定型的な線量しきい値解析ではしきい値は示されず,ゼロ線量が最良のしきい値推定値であること,主要部位のがん死亡リスクは,胃,肺,結腸等で有意な増加が認められること,多くのがん部位の相対リスクは小児期被爆者の方が高かったことを報告した。また,過剰絶対率は到達年齢とともに増加し続ける一方,相対リスクは,調査対象者の到達年齢及び被爆後経過時間の増加とともに減少したとしている。(甲A614の3の1~2頁・6~11頁。なお,用語につき,乙B110の42頁も参照。)。

UNSCEAR2010年(平成22年)報告書は,日本の原子爆弾被爆者のデータを分析し,受けた放射線量とがん誘発リスクの関係につき,低線量における死亡率に対する線量反応関係は,直線と曲線の両方の関数によって記述することができ,統計学的に有意なリスク上昇は100ないし200ミリグレイまたはそれ以上で観察されるとしている(乙D①18の9頁)。


ICRPでは,放射線防護の目的には,約100ミリシーベルトを下回る低線量域についても,がんの発生量は関係する臓器又は組織の等価線量の増加に正比例して増加するであろうと仮定するのが科学的にもっともらしいという見解を支持するとしつつ,他方で,このモデルの根拠となっている仮説を明確に実証する生物学的・疫学的知見がすぐには得られそうにもないともしている。(乙B73の144頁・176頁,乙B112の17頁)。

(イ)

検討

上記の報告書等によれば,少なくとも0.1グレイを超える被曝を受けた被爆者については,被曝線量や被曝時年齢などのリスク要素に応じて,固形がんに罹患する可能性が高まるというのが疫学的にみて確実な経験則であるということができるから,上記の被爆者が固形がんを発症した場合には,その発症について他に有力なリスク要因がない限り,被曝による影響を受けたものと認められることになると解される。

放射線被曝と心筋梗塞又は狭心症発症への影響について
(ア)

疾病の概要
心筋梗塞は,急激な冠動脈血流の途絶により心筋の壊死をきたす虚
血性心疾患であり,冠動脈に存在する動脈硬化プラークに閉塞性血栓を生じることにより,
冠血流が途絶するために発症することが多い
(乙
D①8,乙D①9の503頁,乙D①10,乙D①23の497頁,乙D①25の213~214頁)。

狭心症は,一過性の心筋虚血により胸痛,胸部苦悶感等の自覚症状をもたらす心疾患をいう。心筋虚血として冠動脈狭窄度は重要であるが,冠動脈の狭窄度と冠血流との関係は直線的な関係はなく,安静時で血流が低下し始める狭窄度は75パーセントを超えたところであり,運動時に相当する最大血液量が減少し始めるのも狭窄度が50パーセントを超えた場合とされており,狭心症症状を呈するのは,50パーセント狭窄を超えた有意な冠動脈病変が存在することに相応すると考えられるが,心筋虚血があっても狭心痛を認めない場合もしばしばある。(乙D①7の9~11頁,乙B133の6~7頁)狭心症を,発生機序により分類すると,冠動脈平滑筋の一過性の攣縮により冠動脈内腔が一過性に閉塞又は狭小化する冠攣縮性の狭心症と,内膜の肥厚性病変であるプラークによる動脈硬化性の狭心症とに
大別でき,後者はさらに,平滑筋細胞を主体として線維成分に富む安定プラークにより冠動脈内腔が器質的に狭窄しているものと,脂質成分に富み線維成分に乏しく,線維性被膜が局所的に菲薄化した不安定プラークの破綻やびらん等に伴う血栓形成により冠動脈内腔の狭窄,閉塞を生じるものとに分けられる。この不安定プラークの破綻等による血栓形成を機序とするものは,同様の機序により発生する急性心筋梗塞等とともに,急性冠症候群と総称される場合がある。(乙D①7の12~13頁,乙D①9,乙D①10,乙D①23の487~488頁,乙D①25の213~214頁)
狭心症を,発症の誘因により分類すると,労作時に発症する労作性狭心症,安静時に発症する安静狭心症,いずれの場合にも発症する労作兼安静狭心症に区別され,臨床経過により分類すると,ある一定以上の労作により生じ,それ以下であれば症状を生じることがない安定狭心症と,そうでない不安定狭心症に区別される。しかし,この2つの分類法は,それぞれ分類の観点が異なるため,相互に分類が対応しているわけではなく,労作性狭心症のうち新規労作性狭心症,増悪型労作性狭心症や,新規安静狭心症は,不安定狭心症とされる。(乙B133の5頁,乙D①7の14~16頁)
(イ)

放射線一般と心疾患との関連性に関する知見
放射線一般と循環器疾患との関係については,昭和30年代から,
がんなどの病気に対する放射線療法に引き続き発症した心筋梗塞及び虚血性心疾患死亡についての数多くの臨床的,病理解剖学的症例報告がされていたところ,その後,追跡調査により,昭和50年代に,乳がん手術後の患者について,追跡期間5年以降にコバルト60照射群に心筋梗塞死亡の過剰発生を認め,ホジキン氏病患者群の追跡期間1年以降に虚血性心疾患死亡の危険度の増加を示唆する結果が見られた。
これらは,対象の患者群に対する放射線照射においては,心臓に対する遮蔽が十分に行われていない時期のもので,被曝線量が莫大であったと考えられ,その後の時期の遮蔽の十分に考慮された放射線療法を受けた患者については,被曝群と対照群との間に,平成4年の時点で虚血性心疾患死亡率に有意差は認められず,更に追跡調査が必要であるとされつつも,大量の心臓への放射線被曝が虚血性心疾患を引き起こす可能性は十分に示唆される調査結果であると総括されていた(甲A37(乙B6)の158~160頁)。

1984年(昭和59年)のICRPの報告書は,放射線照射による血管の典型的な晩発性の変化として,巣状の内皮増殖,血管壁の肥厚,内腔の狭細化及び血流の低下などがあり,これらの変化は普通,動脈と細動脈の蛇行,平滑筋の萎縮,動脈壁の弾性成分の変性,及び巣状の血管狭窄と拡張を伴うとしていた(甲A284の29頁)。
(ウ)

原子爆弾放射線と心疾患との関連性に関する知見
放影研のLSS第11報は,昭和41年から昭和60年までの死亡
者についての検討によれば,心疾患につき,被爆時年齢40歳未満の若年被曝群の対象者では死亡率が線量と有意な関係を示し,高線量域で相対リスクの過剰が認められることを報告した(乙D①12の1頁・12頁・16頁)。また,LSS第12報は,昭和25年から平成2年までの死亡者についての検討によれば,心疾患(冠状動脈性心疾患,高血圧性心疾患その他の合計)についての過剰相対リスクは,全被曝線量の範囲で0.14であり,0.5ないし1.0シーベルトの線量の範囲で約0.
2であることを報告し
(乙D①13の8~9頁)

また,LSS第13報は,昭和43年から平成9年までの死亡者についての検討によれば,線形線量反応モデルに基づくと,心疾患についての過剰相対リスクは0.17であり,心疾患には有意な過剰リスク
があるとした(乙D①14の36頁)。
他方,AHS第8報は,昭和33年から平成10年までの成人健康調査受診者についての検討によれば,有意な放射線影響は心筋梗塞を含めた他の心臓血管疾患では認められなかったが,被爆時年齢40歳未満の対象者では,心筋梗塞の発生率は有意な曲線状の線量反応関係を示していることを報告した(乙D①15の2の4~9頁)。LSS第14報は,昭和25年から平成15年までの死亡者についての検討によれば,原子爆弾放射線により「循環器疾患」のリスクは有意に増加したと報告している(甲A614の3の18頁)。同報告が依拠したZ47らの論文(乙D①21の1~3,乙D①28,乙B139,
甲A614の7)では,心疾患についての過剰相対リスクは,
全被曝線量の範囲で14パーセントであるが,0ないし0.5グレイに限定した場合,線量反応は有意ではなかったこと,喫煙,飲酒,教育歴,職歴,肥満,糖尿病の有無は放射線リスク推定にほとんど影響を及ぼさなかったことを報告している。

UNSCEAR2006年(平成18年)報告書は,約1ないし2グレイ未満の線領域での致死的な心血管疾患と放射線被曝との関連を示す証拠は,これまで日本の原子爆弾被爆者のデータ解析から得られているだけであり,その他の研究は明確な証拠を提供していないとしている(乙D①16の6頁)。また,同2010年(平成22年)報告書も,上記の見解を踏襲し,低線量における線量反応関係の形状はまだ明らかではないとし,また,低線量の場合においても非がん疾患のリスクが増加することを示す最近の疫学調査からの新たな証拠があるとしつつ,関連するメカニズムはまだ不明瞭であるとしている(乙D①18の16頁)。


なお,放射線が心疾患に影響する機序について,LSS第13報で
は,被爆者において,大動脈弓石灰化,収縮期高血圧,コレステロール及び血圧の年齢に伴う変動などの幾つかの前駆症状について長期にわたるわずかな放射線との関連が報告され,最近の調査では,被爆者に持続性の免疫学的不均衡及び無症状性炎症との放射線との関連が認められ,これらはがん以外の広範な疾患に対する放射線影響の機序と関連するものかもしれないとされている(乙D①14の41頁)。また,放影研のZ48は,これまでの多くの研究から,被爆者では心・血管疾患の危険因子が集蔟し,
このため動脈硬化進展が促進され,
心疾患による死亡あるいは心筋梗塞発症のリスクが高くなっていることが推測されるとし(甲A604),放射線被曝と心・血管疾患に関連があることを支持する証左として,①心筋梗塞の危険因子である大動脈弓石灰化は,年齢,喫煙,収縮期血圧,肥満度,ヘモグロビンAlc及び白血球数を調整した多変量ロジスティック解析において,被曝放射線量と関連していることを示す研究があること,②心・血管疾患の古典的危険因子に及ぼす放射線の影響についても,昭和5年以降に生まれた若年被爆者において,加齢に伴う収縮期血圧及び拡張期血圧経過が上方に偏位し,加齢に伴うコレステロール経過はすべての被爆時年齢の被爆者で上方に偏位していることを示す研究があること,③最近動脈硬化の危険因子であることが広く知られるようになってきた炎症についても,CRP,IL-6,TNF―α,赤血球沈降速度等の複数の炎症マーカーが,被曝線量の増加とともに有意に増えているとの報告があること(甲A98)などを挙げている。もっとも,Z48は,上記報告について,心筋梗塞と放射線被曝との間には低線量域も含めて関連性が認められるなどと一般化することの科学的根拠となるものではないし,そのように用いられることは全く意図するところではないとしている(乙D①40)。

(エ)

検討
上記(ウ)の報告書等によれば,少なくとも0.5グレイを超える被
曝を受けた被爆者については,被曝線量や被爆時年齢などのリスク要素に応じて,心疾患一般に罹患する可能性が高まるというのが疫学的にみても確実な経験則であるということができるから,上記の被爆者が心疾患を発症した場合には,その発症について他に有力なリスク要因がない限り,被曝による影響を受けたものと認められることになると解される。

被告は,放射線と循環器疾患や心筋梗塞との関連性に関する知見がそのまま狭心症に当てはまるものではない旨主張するが,上記(ウ)の各報告等は心疾患全般についての研究を基礎とするものであることや,上記(ア)のとおり心筋梗塞と動脈硬化性の狭心症はいずれも動脈硬化が背景にあって発症するという点で共通する部分があることに照らすと,少なくとも動脈硬化性の狭心症に関する限り,放射線起因性の判断に当たり,両者を厳格に区別すべき理由はないといわざるを得ない。

放射線被曝と甲状腺機能低下症発症への影響について
(ア)

甲状腺機能低下症の病態と機序
甲状腺は,身体や脳の正常な発育,体内での酸素や糖質や脂質の代
謝,循環器系の調節等の作用を司る甲状腺ホルモンを合成して分泌する器官であり,甲状腺機能低下症は,甲状腺ホルモンの合成が抑制されたり,甲状腺ホルモン受容体の異常により甲状腺ホルモンが作用しなかったりすることにより,上記の甲状腺ホルモンの作用が十分でない状態に陥る病態である。甲状腺が正常に機能する場合には,甲状腺ホルモン分泌量が上昇すると,
下垂体に対して甲状腺刺激ホルモン
(T
SH)の分泌を,視床下部に対して甲状腺刺激ホルモン放出ホルモン(TRH)の分泌を,それぞれ抑制するように作用し,甲状腺ホルモ
ンの合成・分泌量を自動的に抑制・調整するネガティブ・フィードバックの関係が働くが,甲状腺機能低下症の95パーセントを占める甲状腺の機能そのものに障害のある原発性甲状腺機能低下症の場合,下垂体TSHが上昇しているのに甲状腺ホルモンの産生が低下した状態のままとなって,このネガティブ・フィードバックの作用そのものも低下するため,甲状腺ホルモンが少ない一方,TSHが基準値より高い状態となる(顕在性甲状腺機能低下症)。(乙D⑥4の89~92頁・96~101頁,乙D⑥15の1609頁,乙D⑥16の165~166頁・178~181頁)

生体においては,自己の体成分に対しては免疫反応を起こさないように調節されているが,この調節が何らかの機序により破綻し自己の体成分に対して抗体(antibody。Abと略記されることがある。)として産生するようになったものを自己抗体といい,自己抗体により自己の細胞・組織障害をきたすことにより惹起される疾患を自己免疫疾患という(乙D⑥7の303頁)。甲状腺機能低下症の原因は,外科手術後やヨウ素131治療後などの人工的な原因によるものを除くと,自己免疫性慢性甲状腺炎(橋本病)によるものが最も多い(甲A293の添付文献14・16,乙D⑥4の95頁)。
自己免疫性の甲状腺機能低下症をもたらす自己抗体としては,甲状腺濾胞細胞内にコロイドの主成分として貯蔵されているサイログロブリン(Tg)と反応する抗サイログロブリン抗体(TgAb)と,甲状腺濾胞上皮細胞においてサイログロブリン分子のチロシン残基のヨード化等に働く酵素である甲状腺ペルオキシダーゼ(thyroidperoxidase。以下「TPO」ともいう。)と反応する抗甲状腺ペルオキシダーゼ抗体(TPOAb)が知られている。後者は,当初,甲状腺マイクロゾーム(ミクロゾーム)分画中の物質に対する自己抗体として発見
されたことから,従来,
(抗)マイクロゾーム抗体と呼ばれていたが,
後に対応する抗原がTPOであることが明らかにされた。(甲A293の添付文献9,乙D⑥7,乙D⑥16の169頁)c
甲状腺機能低下症は徐々に進行するために軽症例はほとんど自覚症状がなく,同症のために病院を受診する者は極めて少ないと考えられ,また,その臨床症状は,疲労,寒がり,便秘など非特異的で,不定愁訴と混同しやすく,見逃されている甲状腺機能低下症患者が大変多い(甲A293の添付文献5の21頁・添付文献16,甲A619の35頁)。

(イ)

放射線一般と甲状腺疾患との関連性に関する知見

治療のためのエックス線ないしガンマ線の頭頸部外部照射の数か月ないし数年後に甲状腺の線維化が起こり,それらの中には生前機能低下を示すものもあったとの報告があり,エックス線の外部照射を受けた者で甲状腺疾患のうち特に甲状腺がんと機能低下の危険性が増加することについても複数の報告があり,その中には,放射線照射と慢性甲状腺炎ないし甲状腺機能低下症との関連を示唆するものが含まれる
(甲A37
(甲
A293の添付文献1,乙B6)の112~113頁,甲A284の40頁(乙D⑥13),甲A289の1・2,甲A306の添付文献11の1・2・添付文献12,乙D①4の254頁)。動物実験の結果,低線量放射線が自己抗体を産生し甲状腺炎を増悪させるとの報告もある(甲A302の1)。
また,バセドウ病(甲状腺機能亢進症の一種)等に対しては,放射性のヨウ素131を経口投与し,これから放出されるベータ線により甲状腺を破壊して過剰のホルモン合成を抑制する治療法が広く行われているところ,この治療法が採られた場合,自然に甲状腺機能低下症になる頻度に比較して,被曝線量に依存してはるかに高率に甲状腺機能低下症が
出現し,その発生率は経過年数とともに漸増するとの報告がある(甲A37(甲A293の添付文献1,乙B6)の114頁,甲A293の添付文献2の29頁,乙D⑥11の1頁・5~6頁,乙D⑥16の175頁)。
1960年代(昭和35年ないし昭和44年)のマーシャル諸島における水素爆弾実験による放射線被曝者群においても,甲状腺がんと甲状腺機能低下症の発生率の上昇が認められているところ,その被曝は主として内部被曝によるものが多いとされ,その甲状腺機能低下症の多くは自己免疫型ではない(甲A37(甲A293の添付文献1,乙B6)の117頁,甲A284の40頁(乙D⑥13),甲A293の添付文献3の72頁,乙D⑥11の9頁)。
(ウ)

原子爆弾放射線と甲状腺機能障害との関連性に関する知見
昭和60年のZ26報告(甲A293の添付文献5・6)は,原子
爆弾被爆者について,甲状腺機能低下症の頻度は被爆距離1.5キロメートル以内群に高率である一方,自己抗体の1つである抗マイクロゾーム抗体陽性率は被爆距離1.5キロメートル以内群で著しく低率となっており,近距離被爆者の甲状腺機能低下症の発症機序は慢性甲状腺炎による甲状腺組織の傷害によって招来する症例とは異なる機序が推測されるとの考察をした。

昭和63年のZ27・Z28報告(甲A293の添付文献7)は,原子爆弾被爆の人体に及ぼす長期影響として,低線量被曝者(1ないし49ラド群)のみに甲状腺機能低下症の有意な発生頻度の増加を認め,原因別としては,橋本病によるもののみに有意な発生頻度の増加を認めたとした。


平成4年発表のAHS第7報(甲A293の添付文献9(乙B145))は,非中毒性結節性甲状腺腫,びまん性甲状腺腫,甲状腺中毒
症,甲状腺炎,甲状腺機能低下症のうち1つ以上が存在する広義の甲状腺疾患(非特異的甲状腺疾患)の発生率に有意な正の線量反応関係があり(ただし,過剰リスクは若年被爆者に限る。),被爆者の16パーセントという推定寄与リスクはがん以外の疾患では最も高いものの1つであるとされた。同様の傾向がLSSの甲状腺がんにも見られたところ,交絡効果を取り除くために甲状腺がんと診断されたAHS対象者を除いて行った解析も,一貫して正の線量反応を示したとされ,若年者の甲状腺は,悪性腫瘍だけでなくその他の甲状腺疾患をもたらすということでも電離放射線の影響に敏感であり,甲状腺疾患の過剰リスクが数十年の追跡期間中不変であったことは注目すべきであると総括された。なお,同報においては,AHSの通常検診手順により収集した情報に基づく甲状腺疾患の診断にはかなりの重複があるため,電離放射線被曝が特定のタイプの甲状腺疾患のリスクを増加させるのかどうかを断定することは不可能であるとされ,甲状腺機能低下症のような機能障害にあっては,疾患の多面性が放射線被曝により誘発され,すなわち,甲状腺機能そのものの低下だけでなく,その他の甲状腺異常(例えば,慢性甲状腺炎)の存在や甲状腺中毒症,甲状腺腫,甲状腺がんの治療も同様の機能不全をもたらすから,甲状腺機能低下をもたらした真の病理学的変化を同定することを妨げることが注記されている。

平成16年発表のAHSの最新の第8報においては,統一した診断基準(超音波検査法,甲状腺機能試験,自己免疫抗体)を適用した最近の長崎のAHSでの甲状腺疾患の発生率調査では,特に若年で被爆した人において,女性の充実性結節との有意な線量反応と自己免疫性甲状腺機能低下症の凸型の線量反応を示したが,他の甲状腺疾患では有意な放射線のリスクは認められなかったとされた(甲A293の添
付文献12(乙D①15の1・2))。
なお,上記の最近の長崎の甲状腺疾患の発生率調査とはZ28論文を指すが,同論文では,甲状腺線量と続発性甲状腺機能低下症又は抗体陰性特発性甲状腺機能低下症の有病率との間には関連が認められなかったので,抗体陽性特発性甲状腺機能低下症に認められた関係は,おそらく慢性甲状腺炎などの潜在的な自己免疫性甲状腺障害に起因すると考えられると推論され,これを裏付けると思われる調査として,原子爆弾被爆者と無関係の複数の調査結果が援用されている。また,甲状腺を照射野に含む35グレイ以上の線量の放射線治療の後に,甲状腺機能低下症の有病率が増加することが報告されていることにも言及されている一方,低線量又は中程度の線量を受けた者についてはほとんどデータがないとされている。(甲A293の添付文献3の71頁)
一方,上記AHS第8報において,特定の甲状腺疾患への放射線の影響を検証し,また甲状腺機能低下症と自己免疫性甲状腺疾患に関する知見を確証するために有用となるであろうとされていた平成12年に開始された広島及び長崎で進行中のAHS甲状腺研究の成果と考えられるZ29論文においては,広島原爆及び長崎原爆双方の被爆者について,甲状腺がんや,若年被爆者の甲状腺結節で放射線被曝のリスクが高いことが示されたとしつつ,高度な技法と明確な診断基準を用いて自己免疫性甲状腺疾患を診断した結果,線量反応解析において,甲状腺自己抗体陽性率と甲状腺自己抗体陽性甲状腺機能低下症のいずれについても有意な放射線量反応関係は認められなかったとされ(乙D⑥9の1・2),Z28論文における調査結果との相違について,複数の要因があり得ることが考察されている(甲A293の添付文献13(乙D⑥10))。

(エ)

検討

上記(ウ)の論文等によれば,原子爆弾放射線と甲状腺機能低下症の発症との関連性については,疫学的な関連性を肯定する研究もあるが,自己免疫性の甲状腺機能低下症については否定するものもあり,確実な知見が未だ定まっていない状況にあることが認められる。
もっとも,上記(イ)によれば,治療のための放射線照射,放射性のヨウ素131の経口投与,水素爆弾実験の例においては,甲状腺機能低下症の発症がみられるというのであり,内部被曝によるものでは自己免疫型ではないものが多いとされているところ,最近の研究成果が,低線量の原子爆弾放射線被曝と,主として自己抗体陽性の慢性甲状腺炎に起因すると見られる晩発性の甲状腺機能低下症との疫学的な関連性を立証することに成功していないからといって,高線量の原子爆弾放射線被曝と甲状腺機能低下症との関連性に関する知見までが否定されることになるものではない。そして,原子爆弾の爆発によっても,半減期が短く,その分短期に多くのベータ線を放出すると考えられる放射性のヨウ素131は,核分裂反応の生成物として多く放出されると想定される(甲A653の4丁シート14,乙B124の58頁)ことに照らすと,核分裂性の放射線の被曝と甲状腺機能低下症の発症との関連性を一概に否定すべきものとは考えられない。

現行の新審査の方針の内容を踏まえた検討
(ア)

新審査の方針における放射線起因性の判断の実質について
被告の原爆医療分科会が定めた新審査の方針
(前記第2の3(7)イ及び

ウ参照)
によると,
固形がんについては,①被爆地点が爆心地から約3.5キロメートル以内である者,②原子爆弾投下から約100時間以内に爆心地から約2キロメートル以内に入市した者,③その後原子爆弾投下から約2週間以内の期間に同範囲の市内に1週間程度滞在した者からの
申請があった場合,格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝した放射線との関係を原則的に認定するものとしている。また,心筋梗塞と甲状腺機能低下症については,現行の新審査の方針(前記第2の3(7)ウ参照)において,①被爆地点が爆心地から約2.0キロメートル以内である者,②原子爆弾投下から翌日までに爆心地から約1.0キロメートル以内に入市した者からの申請があった場合,格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝した放射線との関係を積極的に認定するものとしている。
この現行の新審査の方針の内容は,上記の各距離で被爆した場合にDS02を基本として計算される初期放射線の数値(上記(2)イ(ア)e参照)等を基礎として,上記アからウまでのとおり現時点において確実とされる各疾患との関連性に関する疫学的な知見を単純に当てはめた場合には,放射線起因性を肯定し得ないと考えられる者についても,それを肯定するという内容のものといえる。
しかして,
被告において,
上記のような内容を有する新審査の方針が,
原子爆弾被爆者のかかった疾病の放射線起因性の有無の判断に用いられるべきものとされているのは,放射性起因性の有無の判断においては,それが物理学的,疫学的,医学的な知見によっては十分な厳密さをもって証明できないとしても,そのことが研究上の種々の制約によってもたらされている可能性があり,科学的な研究の到達度が必ずしも十分ではないことに由来するのであれば,現時点において確実であるとされている科学的な経験則では証明できないという理由のみによって,放射線起因性を直ちに否定することには,なお慎重であるべきとの考え方を取り入れていることによるものと解するのが相当である。現行の新審査の方針が,「被爆者救済及び審査の迅速化の見地から」「放射線被曝による健康影響が必ずしも明らかでない範囲を含め」たものであるとしている
趣旨は,上記のようなものとして理解すべきである。
上記のような考え方に基づく放射性起因性の有無の判断は,原爆症認定の制度が,「国の責任において,原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ,高齢化の進行している被爆者に対する保健,医療及び福祉にわたる総合的な援護対策」(被爆者援護法前文)の一環として設けられていることと整合するものであって,新審査の方針の内容は,被爆者援護法上許容される解釈を反映しているものと解することが相当である。
(イ)

新審査の方針が定める「積極的に認定する範囲」の位置付け
現行の新審査の方針において,特定の申請疾病につき,積極認定の対
象とする被爆距離と入市時間に関し,前記のとおりの各数値が定られたのは,①固形がんについては,ゼロ線量が最良のしきい値推定値であるとされていることを踏まえ,自然界の放射線量(1ミリシーベルト)を超える放射線を受けたと考えられる被爆者について,原則として放射線起因性を認めるとする考え方によるものであることがうかがわれ(乙A8),②心筋梗塞と甲状腺機能低下症については,平成22年4月から平成25年6月までの被告における審査で原爆症認定がされた事例の中には,爆心地からの距離が最大で1.5ないし2.0キロメートルのものがあったことを踏まえたものであることがうかがわれる(乙A74の2,乙A77)。そうすると,これらの数値は,現時点において確実であるとされている科学的な経験則とまではいえないものの相応の信頼性を有するといえる経験則に依拠しつつ,いわば一般的な目安として定められたものにすぎないと考えられ,一切の例外を許さないとすべき基準であるとはいえない。
そうであるとすれば,上記の各数値を形式的に充足しないからといっ
て,直ちに放射線起因性が認められないことにはならないというべきであり,被爆者援護法が原爆症認定の要件として定める放射線起因性の証明について上記(ア)のように考えられることにも鑑みると,公平の原則に照らし,現行の新審査の方針が積極認定の対象として定める各疾病に係る被爆距離及び入市時間の範囲には多少及ばない被爆者であっても,その被爆の状況等からみて,実質的にみて放射線被曝の程度が同等であることが推認できる者であれば,現行の新審査の方針において放射線起因性を原則的には積極認定するとされている者と同様に取り扱うことが要請されるべきものと解される。
他方,上記の被爆距離及び入市時間の範囲とは乖離がある者や,積極認定の対象外となっている疾病に罹患した者であっても,当然に放射性起因性が認められないと判断することは早計であり,このような者については,積極認定の範囲にあるとはいえないとしても,申請者の個別的な特殊事情の有無(特にその身体に関する状況)や当該疾病の発症機序等を踏まえ,その放射線起因性の有無を慎重に検討すべきものと解される。このことは,新審査の方針自体が,旧審査の方針の内容を踏襲して総合認定の手法を予定していることにも端的に表れているということができる。
(4)放射線起因性の有無についての総合的な判断材料
以上に判示したところによれば,原爆症認定の要件の1つとしての法的因果関係としての放射線起因性は,申請者である被爆者の放射線被曝の程度並びに申請に係る疾病と放射線被曝との関連性の有無及び程度を中心的な考慮要素として,その有無を判定すべきものであり,より具体的には,当該被爆者の被爆の状況,原子爆弾投下直後の時期における行動及び負傷等の状況,被爆後における急性症状の有無及び内容,被爆時の年齢及び被爆前後における健康状態の変化,被爆時及びその直後の時期に当該被爆者と行動を共にし
た家族等に係るこれらの事情を踏まえ,放射線と当該疾病との関連性に関する疫学的,統計学的知見ないし被爆後の健康障害と当該疾病との発症機序の共通性,現行の新審査の方針の内容等を総合的に勘案し,さらに,専ら原子爆弾放射線以外の原因によって発症したことを疑わせる事情がないかも考慮して,原子爆弾の放射線が申請者である被爆者の負傷又は疾病等を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性が認められるか否かを判定するのが相当である。
なお,上記の判定は,(科学的な研究の到達度が必ずしも十分ではないことを含めて)一定の科学的知見を前提とするものであるところ,原爆症認定申請却下処分の取消訴訟においては,申請時の知見にとどまらず,現在の知見に照らして当該処分の適否を判断すべきものである(最高裁判所平成4年10月29日第一小法廷判決・民集46巻7号1174頁参照)。以下,上記の見地に立って,各原告等の原爆症認定申請疾病の放射線起因性を判断する。
2
原告Z3の慢性心不全に係る原爆症認定申請却下処分の適否
(1)認定事実
前記第2の2の前提事実(1)イ,(2)ア及び(3)ア並びに証拠(甲A8の2,甲D1の1,乙D①1の2~6丁,原告Z3本人のほか,各事実の末尾に後掲する当該事実を認める根拠となるもの)及び弁論の全趣旨によれば,原告Z3について,以下の各事実が認められる。

被爆前の生活状況
昭和8年2月5日生まれの原告Z3は,7歳時に腸チフスに,8歳時に湿性肋膜炎を発病し(乙D①5の3の1丁),昭和19年の小学校(国民学校)6年生の2学期には学校を主に風邪で13日病欠した。


被爆等の状況
(ア)

原告Z3は,満12歳の中学1年生であった昭和20年8月9日,
長崎市東部の国道を通る路面電車の終点であるω28から更に上った先の国道に面したω9の自宅裏の高台の中腹に1人用の防空壕を掘っていたところ,1メートルほど掘り進んだ午前11時頃,北方に米国軍の爆撃機の爆音を聞き,空を見上げたが,機体の位置を確認できないでいると,全身を白い閃光に包まれ,視界を失った。北西約4.2キロメートルの長崎市ω2に長崎原爆が投下されたことによるものであった。原告Z3は,掘っていた出来合いの防空壕にはい込み,当時,学校で爆撃を受けた時に取るように言われていた目と耳を塞いで口を開けた姿勢で数分間を過ごしたが,爆撃が続いている感覚がなかったため,防空壕を出て高台に上り,自宅の方を見ると,窓ガラスや戸障子がそれごと飛ばされて,開口部が枠だけになっている状態であったため,自宅に戻って中を見ると,畳は浮き,大きな書棚が倒れた状態であった。
原告Z3は,爆撃機は遠くを飛んでいたとは思うが,自宅の被害の状況からは近くに被弾したとしか思えないと考えて,近所で投下された爆弾を探し回ったが,しばらくすると新聞紙や書籍類がある程度の形をとどめたまま焼け焦げたものが降ってきて,午後になって白色の雨が降り始めた。雲は出ていたものの一見して雨雲ではなかったため,原告Z3は,なぜ雨が降るのだろうと思いながらも,傘を差さないままに独りで爆弾を探し続けた。
(イ)

同日午後になると,原告Z3の自宅前の国道を上って避難してくる
人々が,ω29がやられてすごい火事になっている旨を口にしていたため,自宅からは距離のあるω29がやられてなぜ家の近所までがひどい状況になるのかと疑問に思いながらも,様子を確かめようと国道を下りていくと,ω28付近で市役所周辺に火が上がっているのが見えた。原告Z3は,そのまま市役所付近まで進んだが,壁状に火が上がって,消防でも手を付けられず非常線が張られた状態で立入禁止となっていた。
原告Z3は,ω29方面のZ49中学校に助教として勤めていた5歳年上の兄のことが心配だったこともあり,姿を見付けられないか付近でしばらく待ったものの,見付からずに諦めて,午後4時頃,帰宅した。(ウ)

原告Z3の兄は,同日午後8時前頃,杖を突いて頭に白い布をぶら
下げて疲れた様子で帰宅したが,大きな外傷はない様子であった。もっとも,後に聞いたところでは,原告Z3の兄は,校舎の下敷きになっており,足を傷めたので杖を突いていたものと思われた。原告Z3は,他の家族とともに兄からω29が全部燃えているなどの状況を聞いた。(エ)

原告Z3の兄は,生徒を助けなければと言って,翌日も翌々日もZ
49中学校との間を往復したが,何日かすると,ω29も落ち着いてきたので見ておいた方がいいと言って,同月13日と思われる暑い日の半日以上,原告Z3とその更に弟を,路面電車道に沿った経路でZ49中学校まで連れて行った。往復の道すがら,人の死体は片付けられていたが,後に爆心地と分かる地点から約3キロメートルの市役所以北は一面焼け野原になっており,爆心地から南南西方向約800メートルの高台にあるZ49中学校からは南方に1.5キロメートル以上離れた長崎港も見通せる状態であった。また,電車道から逸れたZ50病院付近では馬の死体は放置されていた。Z49中学校に行くには,長崎市内中央部を爆心地方向から来て南流する浦上川を渡る必要があり,
原告Z3らは,
片道はZ50病院に近い爆心地約500メートル付近の橋を通過した。この日は暑い日であったこともあり,原告Z3は,途中のあちこちで水道の蛇口が壊れて噴きこぼれていた水を飲んだ。
(オ)

原告Z3がZ49中学校に赴いた翌日頃の同月14日,原告Z3の
自宅付近では,朝から原告Z3の父を含む警防団の者が次の日に重大放送があるのでラジオを聞くように触れ回っており,原告Z3は,同月15日,自宅で家族全員で玉音放送を聞いた。

(カ)

被爆前は健康体であった原告Z3の兄は,玉音放送を聞いた二,三
日後から,坊主頭に残った短い頭髪が落ちて,こすればこするだけ落ちるような状態となり,次いで,食べた物は食べるそばから嘔吐し,それが尽きると胃液も吐いて,水を飲めるだけになり,さらに,高熱を出して息が上がり,
幻覚も見るようになり,
しばらくすると下痢も発症して,
間もなく血便も出て,
尻を真っ赤にして手洗いを出てくることもあった。
原告Z3は兄1人,弟1人,妹3人の第2子であり,父は警防団の仕事で家にいられず,母は弟妹の面倒を見ることに手一杯だったこともあって,兄を看病する時間が長くなり,頭に当てる熱冷ましを交換するなどしていた。
原告Z3の兄は,昭和21年2月ないし3月頃に再び発毛するようになって,春には畑に出られるまでに回復した。

被爆後の健康状態
(ア)

原告Z3は,高校進学後,2年生時に湿性肋膜炎と肺浸潤を発病し
て(乙D①5の3の1丁)2学期をほとんど休学し,3年生時は病欠こそしなかったものの運動会に出られるまでには回復しなかった。
(イ)

原告Z3は,昭和26年,大学に入学するために上京した後も,扁
桃腺が腫れて40度の熱を出し10日くらい寝込むことが断続した。昭和31年に法律事務所に就職して間もなくの24歳時には赤痢で隔離入院されたこともあった(乙D①5の3の1丁)。
原告Z3は,20歳から40歳くらいまでは喫煙習慣があった(乙D①5の1の7丁,乙D①5の3の2丁)。(ウ)

原告Z3は,昭和50年代後半頃,糖尿病の嫌いがあるとして,注
意するように指示されたところ,その後悪化も快癒もしていない。(エ)

原告Z3は,平成7年,大腸ポリープと診断され,一部切除された
(乙D①5の3の1丁)。

(オ)

原告Z3は,同年9月25日,事後的に800ミリリットル程度と
診断されるほどの大量の下血をして,大腸ポリープを切除したのと同じ病院に救急搬送された。肛門,大腸及び小腸の,次いで胃及び十二指腸の,さらに再度大腸の内視鏡検査がされたが出血痕は認められず,別の病院で動脈カテーテルにより薬液を注入して毛細血管の破裂の有無まで調べられたものの,出血箇所は特定できず,出血原因は不明とされたまま,原告Z3は約2週間後に退院した。
(カ)

原告Z3は,平成11年8月18日,平成7年に切除しきらなかっ
た大腸ポリープを切除する目的で別の病院に入院したところ,少なくともこの頃までほぼ毎日飲酒する習慣があった(乙D①5の3の1丁・2丁)。
(キ)

原告Z3は,平成14年7月,直径5ミリメートル大の胃がんを発
見され,同年8月に内視鏡的摘出手術を受けた(甲D1の2,乙D①1の7丁)。
原告Z3は,この胃がんについて,厚生労働大臣に対し原爆症認定を申請したところ,これを却下する処分をされ,提訴した同処分取消請求も東京地方裁判所において平成19年3月22日に棄却された(乙D①3)が,控訴審係属中の平成20年3月17日付けで新審査の方針が策定された(前記第2の3(7)イ)のを受けて,いわゆる自庁取消しにより同年4月22日付けで原爆症認定がされた。
(ク)

原告Z3は,平成18年3月にバスのロータリーで,同年7月に駅
の階段で意識を消失する発作を起こした。
原告Z3は,平成19年7月28日,仕事の会合中に気力がなくなって病院に行ったところ,原因が分からず帰されたが,同月30日にも同様の症状があったため別の病院を受診したところ,左橋(脳幹)の脳梗塞によりしびれが出ていると診断され,入院して抗トロンビン薬の点滴
治療を受け,同年8月8日に退院した。
原告Z3は,平成20年3月及び9月にも意識を消失する発作を繰り返し,複数の病院を受診したが原因が判明しない中,同月9日にも失神したため,
同月17日にZ13病院を紹介され,
受診した。原告Z3は,
平成21年1月5日に同院に検査入院し,心臓カテーテル検査及び心臓電気生理学的検査(EPS)を受けたところ,伝導障害は認められなかったものの,冠動脈の少なくない箇所に50パーセント,一部には90パーセントの狭窄を認められて狭心症と診断され,同年3月30日に同箇所に経皮的冠動脈形成術(PCI)が実施されてステントを留置された。
原告Z3は,同年7月に再び失神したものの,傾斜台試験や心筋シンチグラフィでは異常がなく,その後失神はなく,同年12月10日の冠動脈造影でも異常がなかったため,内服治療の方針が採られていたが,平成22年7月頃から労作時の胸痛を自覚するようになったところ,同年11月に心筋シンチグラフィで下壁に虚血が認められた。同年12月7日の冠動脈造影による精査により,ステント留置したのとは別の冠状動脈に90パーセントの狭窄が認められたため,同月14日に入院し,翌15日に同箇所に経皮的冠動脈形成術を受けた。((ク)全体につき,甲D1の2,乙D①5の1の1~3丁)
(ケ)

原告Z3には,平成23年3月,急性鬱血性心不全で緊急入院した
ところ,ステント内狭窄が認められ,治療を受けるも,同年4月と8月にも繰り返された。同年4月からの入院中にモニターで完全房室ブロックが記録されたため,同年5月6日にペースメーカーを装着すると,以後失神発作は起こらなくなった。同年9月にはバイパス手術を受けた。原告Z3は,平成24年6月18日,冠動脈硬化性虚血による慢性心不全である旨の診断を受け,同月29日,慢性心不全について厚生労働
大臣に対し原爆症認定を申請した。((ケ)全体につき,甲D1の2,乙D①1の7丁)
(コ)

原告Z3は,平成25年10月,大腸がんを発見されて,平成26
年1月20日に開腹で右側結腸切除術を受けた(甲D1の2)。
原告Z3は,この大腸がんについて,厚生労働大臣に対し原爆症認定を申請したところ,同年7月4日付けで原爆症認定がされた。

家族の健康状態
(ア)

原告Z3は,母方家系に高血圧の者がいるものの,家系にがんや心
臓病の者はいない(乙D①5の3の3丁)。
(イ)

被爆時,Z49中学校に勤めていた原告Z3の兄は,その後,昭和
20年代に肺結核を患い,平成に替わった頃,脳梗塞に倒れて植物状態となり,64歳で死亡した。
(2)争点2の1(原告Z3の慢性心不全の放射線起因性該当性)についてア
原告Z3の放射線被曝について
上記(1)に認定した事実によれば,原告Z3は,12歳当時の昭和20年8月9日に長崎原爆の爆心地から約4.2キロメートルの遮蔽のない場所で被爆し,同日に降ってきた雨に濡れつつ一定時間にわたって爆弾を探し続けた上,同日中に爆心地3キロメートル以内の市役所まで赴いて一定時間そこに滞在し,さらに,爆心地1キロメートル以内のZ49中学校で被爆して同日夜に帰宅した兄と一定程度の接触をしたこと,同月13日と思われる暑い日に半日以上掛けて爆心地500メートル付近までとの間を往復した上,その間,爆心地1キロメートル以内のZ49中学校にかなりの時間滞在し,その途上の随所で壊れた水道から噴きこぼれた水を相当量経口摂取したこと,その後,脱毛,嘔吐,発熱,幻覚,血性下痢を発症して長期間寝込んだ兄に相当時間付き添って看病したことが認められる。また,原告Z3は,被爆前に腸チフスと湿性肋膜炎の既往があり,風邪
などで学校を1つの学期に10日以上病欠するなど,必ずしも頑健であったとはいい難いものの,青年期の大学生時に扁桃腺を腫らして高熱で寝込むことが断続したり,
20歳代で赤痢に罹患したりしたことがあったこと,
62歳時の平成7年に大量下血をしたこと,さらに,胃がんと大腸がんをそれぞれ発症して,いずれも原爆症認定を受けたことが認められる。以上の認定事実によれば,原告Z3は,特に昭和20年8月9日に直接雨に濡れ,爆心地3キロメートル以内に相当時間滞在し,同月13日と思われる日にも爆心地約500メートルにまで入市したことにより,長崎原爆の残留放射線をある程度被曝した可能性を否定し難く,遺伝的要因がないのに複数のがんの既往があることとを併せ鑑みれば,原告Z3は,DS02に基づいた被告の試算を上回る線量の長崎原爆の放射線に被曝したことが推認される。

放射線起因性についての総合判断
以上を前提に,原告Z3が原爆症認定を申請する慢性心不全(狭心症)が原子爆弾放射線に起因するものであるかをみると,原告Z3は,爆心地から約4.2キロメートルの地点で被爆しており,入市したのは長崎原爆投下4日後であるから,現行の新審査の方針が定める心筋梗塞についての積極認定の範囲から相当乖離があるけれども,上記アのとおり,原告Z3は頑健な体質ではないことや,原爆症認定の対象となった胃がんと大腸がんに罹患していることに照らすと,放射線による侵襲の影響を受けやすい素地があることがうかがわれ,他方,原告Z3の上記狭心症は,冠動脈硬化性の虚血性心疾患であり(前記(1)ウ(ケ)),動脈硬化の危険因子である炎症は,被曝線量の増加とともに有意に増えるとされていること(前記1(3)イ(ウ)c)をも勘案すれば,原告Z3の動脈硬化性の狭心症の発症は,原子爆弾放射線の被曝に起因する蓋然性が高いものというべきである。なお,被告は,原告Z3の狭心症が労作性狭心症と診断されていること
(乙D①5の1),及び不安定狭心症は,①最近2か月以内に発症した狭心症で1日に3回以上発作が頻発するか,軽労作で発作が起きる増悪型労作狭心症,②最近1か月以内に1回以上の安静狭心症があるが,48時間以内に発作を認めない亜急性安静狭心症,③48時間以内に1回以上の安静時発作を認める急性安静狭心症のいずれかであること(乙B133の6頁表2参照)を論拠として,原告Z3の狭心症は安定狭心症であるとし,これを前提に,原告Z3の狭心症と不安定プラークの形成に起因する急性心筋梗塞とを同列に論じることはできない旨主張する。しかし,労作性狭心症即ち安定狭心症であるとはいえないことは,
前記1(3)イ(ア)bに判示
したとおりであって,むしろ,原告Z3の一部の冠動脈の狭窄率が90パーセントにも達していること(乙D①5の1)によれば,原告Z3の狭心症は,安静時冠血流量にも問題のある不安定狭心症(乙D①7の10頁参照)と見ざるを得ない(証人Z51

29~30頁も参照。)。被告の主

張する上記①ないし③の不安定狭心症の分類は,他に臨床像や治療の状況を加味して分類する方法における重症度を見極めるための分類部分にすぎず(乙B133の5~6頁),不安定狭心症が上記①ないし③に尽きるという意味での分類ではなく,これらに当てはまらないからといって,重症度に留意する必要のない不安定狭心症であることを排除する趣旨ではないと解される。また,原告Z3が労作時にしか自覚症状を呈さなかったとしても,典型的な症状を生じる狭心症は半数に満たず,心筋虚血があっても狭心痛を認めない場合もしばしばあること(前記1(3)イ(ア)b)に照らせば,不安定狭心症であることと必ずしも矛盾するものではないというべきである。上記の被告の主張は,原告Z3が安定狭心症であるとするその前提において採用することができない。
また,被告が,動脈硬化の危険性を高めるものとして原告Z3において具有していたと主張する因子のうち,加齢,性差,喫煙,肥満及び血圧に
よる差を調整しても,放射線被曝と心筋梗塞とが関連しているとの研究成果が認められることは,いずれも上記前記1(3)イ(ウ)のとおりであって,飲酒や糖尿病を含め,原告Z3の慢性心不全(狭心症)が専ら原子爆弾放射線以外の原因によって発症したことを疑わせるほどの事情であるとはいい難く,他にこれを疑わせるような事情もうかがわれない。
原告Z3の慢性心不全(狭心症)は,原子爆弾の放射線が招来した蓋然性が高いものと認められる。
(3)結論
以上によれば,原告Z3の慢性心不全についての原爆症認定申請を却下した厚生労働大臣の処分は違法であり,取消しを免れない。
3
原告Z4の心筋梗塞に係る原爆症認定申請却下処分の適否
(1)認定事実
前記第2の2の前提事実(1)イ,(2)イ及び(3)イ並びに証拠(甲A8の2,甲D3の1,乙D③1の2丁以下,原告Z4本人のほか,各事実の末尾に後掲する当該事実を認める根拠となるもの)によれば,原告Z4について,以下の各事実が認められる。

被爆前の生活状況
昭和7年5月24日生まれの原告Z4は,満13歳の昭和20年8月9日当時,長崎市中心部に近いZ52国民学校そばのω10の自宅で両親と2人の姉と5人で暮らす女学校1年生であった(乙D③8)。原告Z4にはほかに2人の兄がいたが,当時,長兄はビルマに出征中であり,次兄は福岡で勤めていた。


被爆等の状況
(ア)

原告Z4は,昭和20年8月9日,自宅から200メートルほど離
れた路面電車道を挟んで反対側の長崎市ω11(第1回口頭弁論における原告Z4意見陳述要旨添付の図面)の疎開用の空地で防空壕を掘る手
伝いをしていると,飛行機の爆音が聞こえ,年上の女性と音がするという会話をした瞬間,閃光が走ったため,慌てて目と耳を塞いで防空壕の入り口に身を伏せたところ,熱風で防空壕の中に飛ばされ,その際,左肘と喉に火傷を負った(乙D③8)。北西方向3キロメートル強の長崎市ω2に長崎原爆が投下されたことによるものであった。
原告Z4がその場で震えていると,近所の年配の男性が,原告Z4宅に爆弾が落ちた旨を言いながら防空壕に来たため,原告Z4は,我に返って家族のことを思い出し,防空壕を飛び出したところ,辺りは午前11時過ぎであるのに夕方のように暗かった。原告Z4は,いつも避難していた近所の病院跡地の防空壕に家族がいるのではないかと当たりを付けて赴こうとしたところ,通りには怒号が飛び交い,頭にガラスが刺さったまま走る人や,負傷で流血しながら走る人が行き交っていた。原告Z4は,当てを付けた防空壕で家族全員とめぐり会うことができ,泣いて無事を喜び合った。
(イ)

原告Z4ら家族は,炎が回ってきているという消防団員の声にせき
立てられ,一旦自宅に戻ったが,家は傾き,屋根や戸口も吹き飛ばされて中に入ることはできなかったため,何も持ち出せないままに,中島川を越えた反対側の高台にあるω12のZ15に避難した。暗くなる頃に着いたZ15には,皮膚がめくれたり,髪が焼け焦げたりした負傷者があふれ返り,怒号が飛び交っていた。原告Z4は,Z15の高台から,長崎市内を炎が進み上がってきて自宅の方向も焼かれるのを見た。(ウ)

日が明けると,Z15にいた負傷者らの皮膚がめくれた箇所にはハ
エやウジがたかり,折からの暑さも相まって,悪臭もし始めていた。原告Z4ら家族は,自宅のあった場所に赴いたが,すべてが跡形なく焼けており,泣き尽くした後にやむなくZ15に戻った。
Z15では,翌同月11日の夕方に炊き出しでおにぎりが1人に1つ
ずつ支給されたが,原告Z4は,火傷した喉が痛くて飲み込むことができず,食べられなかった。
(エ)

原告Z4の父は,同月12日,ω10の自宅跡地近くに掘っ立て小
屋を建て,
破裂した水道管から噴き出る水を使って家族で生活を始めた。
同月13日には,原告Z4の父と長姉が,長崎駅そばの憲兵隊の倉庫の焼け跡から膨張した缶詰も拾ってきて,家族でそれを美味しく食べた。原告Z4は,
市役所の先のZ16国民学校に友達とその母と3人で赴き,
悪臭の中,負傷者のウジ取りをしたが,途中で耐えられず,家族の下に戻った。この頃,路地端には死体もそのままになっていたが,避難生活をしていた掘っ立て小屋のそばで遺体が燃やされた。
(オ)

同月15日に玉音放送が流れると,憲兵隊から,女,子どもは米兵
におもちゃにされるから逃げるようにとの指示が出た。
原告Z4らは,母の実家のある長崎市北側の長崎県西彼杵郡ω13に向かうため,その頃の日の夕方にω10を発って長崎駅から国道の線路沿いに北上し,爆心地付近を通過し,途中のω14で仮眠して,翌日に目的地に着いた(乙D③8)。

被爆後の健康状態
(ア)

原告Z4は,ω13に着いた翌日頃,指先にいぼが出来はじめて,
最終的には幾重にも重なるようにしてヤツガシラのようになった。イボに物が当たると痛いため,原告Z4は,例えば,茶碗も手の平の付け根部分で支えるような生活を強いられたほか,ω13の子供らからも「鬼の手」と気味悪がられた。原告Z4のいぼが完治したのは約3か月後だった。
昭和20年10月から女学校が再開されることになり,原告Z4は,いとこと一緒に,ω13に来たときと同じ経路で長崎市内に戻り,ω30に居を構えた(乙D③8)。被爆後原告Z4と行動の多くを共にし,
体が痛いと言って床に伏せがちであった母は,昭和21年1月15日に52歳で死亡した。
(イ)

原告Z4は,昭和21年夏頃から,下痢と嘔吐を繰り返し,喉が腫
れ,膿が出ることもたびたびあった。寝たきりの状態で長姉の看病にあずかり,病院に歩いて行けないため医師に往診してもらっていた。昭和22年になっても,原告Z4は,体調を崩して疲れやすく,原因不明の腹痛で嘔吐と下痢も繰り返し,家族は原告Z4の死を覚悟するような心持ちでいた。原告Z4は,その頃も喉が腫れ,結局,扁桃腺を切除した。(ウ)

原告Z4は,昭和24年頃にようやく通学できる状態にまでは回復
したが,なお頻繁に体のだるくなるような状態にはあった。
(エ)

原告Z4は,昭和32年4月1日の旧原爆医療法施行(前記第2の
1の関係法令の定め(1)ア)
後間もない同年6月13日付けで被爆者健康
手帳の交付を申請した(乙D③8)。
原告Z4は,同年結婚し,昭和37年12月2日と昭和40年11月22日に娘2人を出産したが,いずれのときも妊娠中毒症を患い,医師には出産を諦めるよう勧められていた。
(オ)

原告Z4は,
昭和40年代後半頃以降,
頻繁に胃痛や腹痛を起こし,

嘔吐や胃けいれんも繰り返した。やがて胃潰瘍や胃や大腸のポリープが発見されるようになり,潰瘍が治りかけるとまた潰瘍になるような状態で,これを繰り返すとがんになると医師に警告され,転居していた東京都中野区の病院で投薬治療した。なお,転居時に被爆者健康手帳を紛失したことから,昭和47年8月1日に再度その交付を受けた。
(カ)

原告Z4は,昭和50年頃には高血圧症と,平成元年に脂質異常症
とそれぞれ診断され,投薬を受けている。この頃から,原告Z4は,動悸や心臓の熱感があるなどもしたところ,心臓検査の結果,狭心症と診断されて投薬を受けている。

原告Z4は,平成8年頃から,良性発作性調節めまい症を発症し,以後も発作が起こるため,薬を携帯している。
原告Z4は,平成13年6月11日,親類の看病等のために長崎市に赴いていた時に,血圧が上昇して嘔吐とめまいが起こり,内科医の往診を頼んだ。血圧が220ミリ水銀にまで上昇していたため,投薬で一時的に血圧を下げて,
東京都のZ20診療所に宛てた紹介状が記された
(乙
D③7の3)。
原告Z4は,平成14年2月22日の起床時,回転性めまいが30分ほど続き,吐き気と嘔吐,高血圧も出現したため,Z18診療所に電話し,指示された追加の服薬をしたが,症状が改善しないため,同診療所を受診したところ,吐き気もあったため高血圧性脳症を疑われて,Z19病院に転医されて即時入院したが,入院時にはめまい,吐き気ともに軽快し,血圧も安定しており,その後の安静のみで症状は出現しなかったため,同年3月1日に退院した(乙D③7の4)。原告Z4は,平成15年6月,労作時に胸部の圧迫感があったため,トレッドミル(運動負荷心電図)を施行したところ,異常陽性と陰性との境界域の結果だった(乙D③7の1)。
(キ)

原告Z4は,平成16年ないし平成17年の72歳時,大腸腫瘍を
4つ切除したところ,そのうち1つががんに近い大きく成長したものであった(乙D③7の5)。
(ク)

原告Z4は,平成17年5月,胸部の灼熱感があり,トレッドミル
を施行したところ,異常陽性であった。
原告Z4は,平成19年1月25日付けで,Z20診療所の紹介を受けて,Z53クリニックで同年2月に負荷心筋シンチグラフィを受けたところ,虚血は否定的で,経過観察とされた(乙D③10)。原告Z4は,平成21年8月15日の午前9時頃に15分程度と夕刻
に胸痛を感じたが,いずれも自然に改善したため様子を見,同月22日にZ20診療所を受診したところ,血圧は正常範囲であったため,疲れによるものと判断された。原告Z4は,同月26日頃から階段を2階まで昇ると息切れが強く休まなければならないほどの労作時の呼吸苦があり,
安静にすると改善したが,
同月29日,
労作時の呼吸苦を主訴して,
かかりつけのZ20診療所を受診したところ,顔色が悪く,心電図で不整脈が,胸部レントゲンで胸水が認められたため,Z21病院に救急搬送された。同院におけるカテーテル検査で,左前下行枝近位部に99パーセントの狭窄が認められ,経皮的冠動脈形成術(PCI)を施行してステントが留置された。その後,心臓リハビリテーションと投薬によるコントロールを経て退院し,
Z20診療所に外来通院加療している。
(乙
D③7の5)
原告Z4は,平成22年2月24日,心筋梗塞と鬱血性心不全である旨の診断を受け,同年12月8日,急性心筋梗塞と心不全について厚生労働大臣に対し原爆症認定を申請した。
((キ)全体につき乙D③7の1)

家族の健康状態
(ア)

原告Z4の母は,被爆前から少し心臓が弱かったが,前記ウ(ア)の
とおり,昭和21年1月15日に心弁膜症で52歳で死亡した(乙D③10)。
(イ)

被爆前は健康だった原告Z4の父は,昭和38年11月11日に口
腔がん(上顎がん)で73歳で死亡した(乙D③10)。(ウ)

被爆していない原告Z4の長兄は,心筋梗塞で74歳で死亡し,同
じく被爆していない原告Z4の次兄は,平成18年3月に心疾患で86歳で死亡した(乙D③7の1,乙D③10)。(エ)

原告Z4と被爆後の行動を共にする時間の長かった長姉は子宮がん
を患い,次姉は卵巣がんと脳梗塞を患っている(乙D③7の1,乙D③
10)。
(2)争点2の2(原告Z4の原爆症認定申請疾病のうち心筋梗塞の放射線起因性該当性)について

原告Z4の放射線被曝について
上記(1)に認定した事実によれば,原告Z4は,13歳当時の昭和20年8月9日に長崎原爆の爆心地から3キロメートル強の遮蔽のない場所で被爆して喉を火傷した上,同日から数日間にわたり爆心地3キロメートル以内の自宅跡地やZ16国民学校との間を相当回往復し,さらに,同月15日の玉音放送後間もなく爆心地付近を縦断したことが認められる。また,原告Z4は,上記の爆心地付近を縦断した直後から指先の皮膚に幾重にも重なるイボを生じ,翌昭和21年夏頃からは,下痢,嘔吐,喉の腫れ,化膿を発症して最終的には扁桃腺を切除し,この間の昭和22年頃には腹痛と嘔吐,下痢を繰り返して,近親が死を覚悟するほどの健康状態にあり,その後も倦怠感が継続したことが認められる。
以上の認定事実によれば,原告Z4は,被爆後1週間程度の期間内に爆心地付近を縦断した上,この間,火傷を患った喉から摂食したことによって,
長崎原爆の残留放射線を相当程度被曝したことが推認される。
そして,
相当程度の放射線被曝を想定しない限り,被爆前は通常の青少年と同等の健康状態にあったとうかがわれる女学生について,幾重にも重なるいぼのような皮膚障害や,被爆2年後の死線をさまようほどの健康状態の悪化を説明することは困難というべきであり,原告Z4は,DS02に基づいた被告の試算を上回る線量の長崎原爆の放射線に被曝したことが推認されるというべきである。


放射線起因性についての総合判断
以上を前提に,原告Z4が原爆症認定を申請する心筋梗塞が原子爆弾放射線に起因するものであるかをみると,原告Z4は,上記のとおり,爆心
地から3キロメートル強の地点で被爆しており,爆心地付近を縦断したのは長崎原爆投下6日後の玉音放送より後であるから,現行の新審査の方針が定める心筋梗塞についての積極認定の範囲からは乖離があるけれども,被爆時に喉を火傷して消化器官等の生体防御機構を経由しない内部被曝をした蓋然性があること,その後,異常な皮膚障害を発症しているところ,この障害は,急性放射線症候群に該当する可能性があること,加えて,被爆2年後には死線をさまようほどの健康状態の悪化を経験していることを勘案すれば,原告Z4については,現行の新審査の方針において心筋梗塞について放射線起因性を積極認定するとされている者と実質的にみて同程度の放射線被曝があったものと推認することができ,その心筋梗塞の発症は,
原子爆弾放射線の被曝に起因する蓋然性が高いものというべきである。また,被告が,動脈硬化の危険性を高めるものとして原告Z4において具有していたと主張する因子のうち,
高血圧や脂質異常症
(高脂血症)
は,
それ自体について被爆者の放射線被曝と関連性がうかがわれるとの研究成果がある上,加齢及び血圧による差を調整しても,放射線被曝と心筋梗塞とが関連しているとの研究成果が認められることは,いずれも前記1(3)イ(ウ)のとおりであって,家族の心疾患歴を含め,原告Z4の心筋梗塞が専ら原子爆弾放射線以外の原因によって発症したことを疑わせるほどの事情であるとはいい難く,
他にこれを疑わせるような事情もうかがわれない。
そうすると,原告Z4の心筋梗塞は,原子爆弾の放射線が招来した蓋然性が高いものと認められる。
(3)結論
以上によれば,原告Z4の心筋梗塞についての原爆症認定申請を却下した厚生労働大臣の処分は違法であり,取消しを免れない。
4
原告Z6の甲状腺機能低下症に係る原爆症認定申請却下処分の適否(1)認定事実

前記第2の2の前提事実(1)イ,(2)エ及び(3)エ並びに証拠(甲A8の2,甲D6の1,乙D⑥1の1の2丁,原告Z6本人のほか,各事実の末尾に後掲する当該事実を認める根拠となるもの)によれば,原告Z6について,以下の各事実が認められる。

被爆前の生活状況
昭和6年8月19日生まれの原告Z6は,満13歳の昭和20年8月9日当時,長崎市東部の路面電車道に近いω15の自宅で両親と10歳の妹と4人で暮らす中学生であった。小学校(国民学校)は皆勤賞で卒業した健康体であり,中学校にも休むことなく通学し,同年の夏休み期間中も工作室での奉仕活動があったため当番制で1日置きに通っていたが,同月9日は非番の日で,自宅にいた。


被爆等の状況
(ア)

昭和20年8月9日,原告Z6の父が仕事に出た後の午前10時過
ぎ頃,原告Z6の母はZ22郵便局に電話を架けに行ったが,帰りが遅いため,原告Z6は,妹に留守番をさせて半袖シャツと半ズボンのまま母の様子を見に出た。すると,大通りに出て右折した所で母と会うことができたため,再び自宅方向に戻る道すがら,家の近くのZ54の石垣の横で強い閃光に包まれた。原告Z6と母が,慌てて手で顔を覆ってその場に伏せると,続いて爆風を浴び,原告Z6の体にはがれきの破片も当たった。北西方向3キロメートル強の長崎市ω2に長崎原爆が投下されたことによるものであった。
辺りが静まり,
原告Z6と母が恐る恐る体を起こして周囲を見渡すと,
家々は壊れ,割れた窓ガラスの破片などが散乱していたものの,原告Z6にも母にも怪我はなかった。2人は,原告Z6の妹の安否を確かめるため,がれきを掻き分けつつ走って自宅に戻ると,妹は,泣いてはいたものの,爆風が来たと思しき方向からは物陰に当たる場所にいたようで
怪我はなかったが,窓ガラスはすべて砕け散って一部は畳に刺さり,柱は傾き,裏庭にあった下駄が家の表側にまで飛ばされるなど日用品も足の踏み場もないほどに散乱し,ガラスや日用品で敷地内の防空壕の入り口も塞がれている有様だった。
(イ)

原告Z6が,家に飛び散ったガラス片を片付け,自宅前の道を人が
通れるくらいに掃除すると,しばらくして,服がぼろぼろになり,皮膚の焼けただれた様子の負傷者らが行き交うようになり,救護所や病院の場所を尋ねに来る者も後を絶たず,当てもなかったものの,近くのZ55国民学校の運動場を紹介するなどした。軽傷者には家にあった赤チンを塗るようなこともしたが,重傷者については助けになれなかった。(ウ)

原告Z6は,同日,家をある程度片付けると,母と妹とともに家か
らω5方向に少し上った所にある小さなトンネル上にある共用の防空壕に避難し,
当面はそこで共同水道から水を汲んで寝食をするようになり,
原告Z6と母は,
2日ほどは,
妹を防空壕に置いて家を片付けに戻った。
(エ)

原告Z6と母は,家がおおむね片付いた頃,食糧難の時期に衣類と
食糧の交換に訪ねていたω29方面で知り合いになった人で,ω15周辺の非常時には疎開させてもらう約束をして,その時に備えて冬物の衣類を預けていた長崎市北部のω31在住の知人を訪ねることにした。2人は防空壕からω5方面に北上し,金比羅山の東麓を回り込むようにして山系を抜けて平野部に出ると(甲A602の11頁の図9参照),市街地だったω17周辺は一面廃墟と化しており,性別も分からないほどに焼け焦げた死体がここそこに横たわり,全身を焼けただらせながら水を求める生存男性もいた。原告Z6と母が水筒の蓋に水を満たして分け飲ませたところ,その生存男性が息を引き取ってしまったため,大きなショックを受けて,それ以後は求められても水を上げられないようになった。傷口にウジを湧かせている生存者もいたが,取り除いてあげよう
としても痛くて我慢もできなさそうな状況のため,
やがてそれも諦めた。
原告Z6と母は,浦上川を渡って,Z56付近まで行ったが,がれきで進むのが難しい状態で,日も落ち始めたため,拠点にしていた防空壕に引き返した。
原告Z6と母は,ω31を目指す同様の行動を連日繰り返し,ラジオで重大発表がある旨をあらかじめ近所の人から聞かされた同月15日に自宅で玉音放送を聞いた後もしばらく同様の行動を続けたが,目標物もない街の状況で,結局,その知人には会えなかった。

被爆後の健康状態
(ア)

原告Z6は,被爆して一,二週間後頃から疲れやすく感じるように
はなったが,病気とは思っていなかった。間もなく,歯磨きの折に始まり,歯根から出血する回数が多くなり,背中に内出血様のあざが出来ているのを母から指摘されたことがあった。原告Z6は,その後,太ももに一,二センチ大の紫色の斑点が,それぞれの脚に10個ほど,両脚で計20個以上現れることも経験したが,両親には言わずにおいた。これらの背中と太ももの斑点はやがて消えたが,歯根の出血は,これらが消えた後も,何度か起こることがあった。
(イ)

原告Z6は,長崎大学薬学部に進学した後,昭和31年に大阪で就
職したところ,
昭和37年7月に右顔面神経麻痺に罹患し
(甲D6の2)

現在でも軽度の麻痺が残っている。
(ウ)

原告Z6は,昭和41年,電話で母から勧められ,同年10月24
日,大阪府茨木保健所に被爆者健康手帳の交付を申請した。これに添付した調査票には,「被爆時の事情及びその後の状況」欄の「3」「原子爆弾が投下された後二週間以内に被爆地に入った時」の項は固定文字以外は空欄とされ,「原爆によると思われる急性症状(おおむね六ヵ月以内)」欄の「皮下に血のはんてんがでた」及び「歯ぐきから血がでた」
の項には,いずれも「なし」との記載がある一方,「現在までにかかった病気」欄の「被爆後」の項には「右顔面神圣麻痺」との,「原爆によると思われる慢性症状」欄の「疲労感」の項には「有」との記載がある。また,同票の「現在の健康状況」欄には,「何も異状がない。」及び「べんぴ。」に丸が付される一方,「つかれやすい。」の項には丸は付されず,「神経痛の部位」の項も空欄のままとなっている。(乙D⑥14)(エ)

原告Z6は,
昭和42年3月から,
急性肝炎で3か月間入院した
(甲

D6の2)。
(オ)

原告Z6は,昭和57年6月,変形性脊椎症に罹患した(甲D6の
2)。
(カ)

原告Z6は,サラリーマンをしていた平成元年,足のむくみと疲れ
やすさを感じて,勤務先の医務室の医師を受診したところ,心臓や腎臓の検査でも異常が認められないため,甲状腺機能に問題のある可能性があるとして,専門のZ24クリニックを紹介され,検査の結果,自己抗体陰性の甲状腺機能低下症と診断された(乙D⑥1の3)。同クリニックの専門医から,生涯,継続的な投薬が必要であると言われ,現在まで月に1回の投薬処方を受けるとともに,2か月に1回は血液検査で甲状腺ホルモン値の確認も受けている(乙D⑥1の2)。(キ)

原告Z6は,平成11年4月,そのZ24クリニックで高血圧症と
診断されて,降圧薬の処方も受けるようになり,平成22年8月からは椎骨脳底動脈循環不全のため血液を固まりにくくする抗血小板薬の処方も加わるようになった(甲D6の2)。
(ク)

原告Z6は,この間の平成11年7月,左肩甲骨下の背部に出来た
腫れ物の除去手術を受けた(甲D6の2)。
(ケ)

原告Z6は,
平成22年11月30日,
甲状腺機能低下症について,

原爆症認定を申請した。

(2)争点2の3(原告Z6の甲状腺機能低下症の放射線起因性該当性)についてア
原告Z6の放射線被曝について
上記(1)に認定した事実によれば,原告Z6は,13歳当時の昭和20年8月9日に長崎原爆の爆心地から3キロメートル強の長崎市東部の遮蔽のない場所で被爆したこと,数日後から週単位で連日,ω5地区を経由して長崎市北部との間を往復したことが認められるところ,このω5地区は,長崎原爆投下から2か月弱を経過した段階で,爆心地よりむしろ高い残留放射線量を示す記録の残る(乙B18の8頁の図5)高度の放射能汚染があったことが想定される地区である。
また,被爆前に小学校(国民学校)を皆勤賞で卒業するほどの健康体であった原告Z6は,被爆後間もなくから疲れやすさ,歯根出血や斑点などの放射線に起因すると見られる急性症状を発症したことが認められる。なお,原告Z6の昭和41年の被爆者健康手帳交付申請時の調査票(乙D⑥14)における「原爆によると思われる急性症状(おおむね六ヵ月以内)」欄には,これらの急性症状は記入されていないが,同調査票を熟読せずに一見した場合には,「おおむね六ヵ月以内」の意味を,被爆後6か月以内の意味ではなく,申請前6か月以内の意味に臆断してしまうことも考えられないではない体裁のものといえるところ,原告Z6本人尋問の結果(17~18頁)によれば,むしろ,原告Z6は,上記調査票の質問事項をそのような意味のものとして臆断して記入した蓋然性が高いと考えられ,上記調査票の記入内容をもって,上記の急性症状発症の事実が左右されるものではないというべきである。
以上の認定事実によれば,原告Z6は,被爆の前後で健康状態を大きく質的に変化させたことが明らかというべきであり,高度の放射能汚染があったことがうかがわれるω5地区を何度も経由して移動を繰り返している
ことと相まって,原告Z6は,DS02に基づいた被告の試算を上回る線量の長崎原爆の放射線を被曝したことが推認されるというべきである。イ
放射線起因性についての総合判断
以上を前提に,原告Z6が原爆症認定を申請する甲状腺機能低下症が原子爆弾放射線に起因するものであるかをみると,原告Z6は,上記のとおり,爆心地から3キロメートル強の地点で被爆しており,ω5地区を往復するようになったのは長崎原爆投下数日後であるから,ω5地区が爆心地よりもむしろ高度の放射能汚染が想定される地区であることを考慮し,その往復を爆心地付近への入市と仮に同視しても,現行の新審査の方針が定める甲状腺機能低下症についての積極認定の範囲からは乖離があるけれども,上記のとおり,ω5地区は爆心地よりもむしろ高度の放射能汚染が想定される地区であること,その後,急性放射線症候群に該当する可能性のある急性症状を発症していることを勘案すれば,原告Z6については,現行の新審査の方針において甲状腺機能低下症について放射線起因性を積極認定するとされている者と実質的にみて同程度の放射線被曝があったものと推認することができ,その甲状腺機能低下症の発症は,原子爆弾放射線の被曝に起因する蓋然性が高いものというべきである。
被告は,原告Z6が,甲状腺機能低下症の危険因子である加齢によってこれを発症した可能性を主張するが,
前記(1)ウに認定した被爆後の健康状
態を見れば,原告Z6は,むしろ,易疲労感や便秘といった甲状腺機能低下症の臨床症状を30歳代までの壮年期に発症していたことが認められ,単に甲状腺機能低下症であるとの診断名が確定したのが50歳代後半に至っただけであると推認されるものであって(なお,甲状腺機能低下症においてこのような臨床経過が珍しいものでないことにつき,
前記1(3)ウ(ア)
参照。),原告Z6については,被告の主張する甲状腺機能低下症の危険因子がその発症時に存在したこと自体を認めることができず,他にその甲
状腺機能低下症が専ら原子爆弾放射線以外の原因によって発症したことを疑わせるような事情もうかがわれない。
原告Z6の甲状腺機能低下症は,原子爆弾の放射線が招来した蓋然性が高いものと認められる。
(3)結論
以上によれば,原告Z6の甲状腺機能低下症についての原爆症認定申請を却下した厚生労働大臣の処分は違法であり,取消しを免れない。
5
訴外Z2の胃がん,大腸がん及び肺がんに係る原爆症認定申請却下処分の適否
(1)認定事実
前記第2の2の前提事実(1)ア,(2)オ及び(3)オ並びに証拠(甲A8の1,甲D9の1,乙D⑨1の4丁のほか,各事実の末尾に後掲する当該事実を認める根拠となるもの)によれば,訴外Z2について,以下の各事実が認められる。

被爆前の生活状況
昭和16年2月21日生まれの訴外Z2は,満4歳の昭和20年8月6日当時,広島市西部の路面電車ω4駅から徒歩二,三分のω19所在の木造平家建ての自宅で母と昭和5年生まれの兄及び昭和11年生まれの姉(乙D⑨2)と4人で暮らしていた。


被爆等の状況
(ア)

昭和20年8月6日朝,訴外Z2の兄は,広島市東部のω20方面
のω32付近(乙D⑨2)に勤労奉仕に出ていたが,訴外Z2は,シャツと半ズボンを着て,朝食後に台所の釜に飯粒が残っていないか漁っていたところ,突如,目の前が閃光で満たされ,次いで,轟音と爆風が到来した。東北東方向約3.7キロメートル(乙D⑨2の1丁)の広島市ω1に広島原爆が投下されたことによるものであった。

訴外Z2の家の窓ガラスが砕け散り,柱や障子に突き刺さるなどしたため,訴外Z2は,母に連れられて一時屋外に避難し,その後屋内に戻ったが,しばらくして「黒い雨」が降り始めると,見たことのない色の雨に興味を惹かれ,屋外で雨に濡れてはしゃぎ駆け回った。この前後,訴外Z2の自宅近辺では,皮膚の垂れ下がった負傷者が,水を求めて歩き回っていた。
(イ)

同日午後,訴外Z2の兄が顔面と右半身に火傷を負って帰宅した。
(ウ)

日が経つと,訴外Z2の兄の火傷が化膿して悪臭を放つようになっ
てきたこともあり,兄のみが自宅の庭の端に掘ってあった防空壕で離れて生活した。
訴外Z2は,母らと近所の芋を食べたり,井戸水を飲んだりして自宅で生活した。

被爆後の健康状態
(ア)

訴外Z2ら家族は,昭和22年頃,広島市南部のω33に転居した
(乙D⑨2の1丁)。
(イ)

訴外Z2は,若くから疲労しやすく,10歳代頃の青年期から神経
痛のような痛みを各関節に感じるようになった(乙D⑨1の5丁)。もっとも,訴外Z2が高校1年生に進学した昭和31年5月29日にABCCの調査員が行った被爆状況調査(以下「訴外Z2ABCC調査」という。)に対し,訴外Z2の母は,訴外Z2について,原爆症状歴として,裂傷・挫傷・ガラス破片傷・骨折その他の外傷,原爆火傷及び火災火傷の瘢痕・ケロイド,発熱,全身倦怠,嘔吐,悪心,食欲不振,非血性又は血性の下痢,咽喉痛,口内痛,歯肉痛,歯根出血,斑点出血,その他の出血,脱毛についていずれも無しと回答し,現在の容態も健康にして主訴なしの旨を回答したところ,
調査員のものと思われる筆跡で,
信頼度はpoor(低い)との旨の付記がされている(乙D⑨2の1~
2丁)。
他方,訴外Z2は,就職して東京都新宿区に転居した昭和47年11月,被爆者健康手帳の交付を申請し,その際,健康状態として,上記の易疲労感と関節痛を申告している。訴外Z2は,後に関節リウマチと診断され,爾来,同区所在のZ30病院膠原病科に通院した。(乙D⑨1)(ウ)

訴外Z2は,その後,高血圧で同病院の腎臓内科にも通院するよう
になり,慢性腎不全とも診断された(乙D⑨1の1~2丁)。(エ)

訴外Z2は,成人後67歳時まで,1日に四,五十本の喫煙慣習が
あった。
(オ)

訴外Z2は,平成24年6月頃,同病院に通院するに当たり,心窩
部痛を主訴したところ,その後の精査により,胃がん及び盲腸~上行結腸がんが認められ,
同年7月23日から入院して,
同月下旬に胃全摘術,
胆のう摘出術,右半結腸切除術が施行された。訴外Z2は,この頃から同年9月10日までの間に,上葉肺がんとも診断され,同日,胃がん,大腸がん及び肺がんについて,原爆症認定を申請した。(乙D⑨1の1~2丁,乙D⑨8の2丁)
なお,生検の結果,訴外Z2の胃がん及び大腸がんは高分化環状腺がん,肺がんは扁平上皮がんと鑑別された(甲D9の2)。
訴外Z2は,肺がんについても同年9月29日に胸腔鏡下左肺上葉切除術に着手されたが,術中発見した胸膜結節の病理検査により播種性転移が認められたため,手術適応外と判断されて閉胸され,次いで,化学療法(抗がん剤治療)が実施されたものの,副作用が強いとして,その後,
免疫療法に切り替えられたまま,
平成25年5月15日に死亡した。
((オ)全体につき,乙D⑨8の1丁)
(2)事実認定の補足説明
被告は,訴外Z2ABCC調査において「原爆直後雨ニ逢イマシタカ?」
との質問に対し訴外Z2の母により否定の回答がされていることを論拠として,上記(1)イ(ア)に認定した訴外Z2が広島原爆投下当日の「黒い雨」に濡れた事実を否認する。
しかしながら,訴外Z2の兄が帰宅後,火傷部の悪臭がひどくなったために防空壕で起居した旨の訴外Z2の陳述は,相当に具体的で迫真性が認められるところ,訴外Z2ABCC調査においては,その兄の「被爆状況及び備考」についてすら,
「症状なし,健康」の旨が録取され(乙D⑨2の1丁),また,訴外Z2本人についても,当時易疲労の症状は出ていたこともうかがわれるのに,「全身倦怠」もないと録取されていること(上記(1)ウ(イ))などからすると,同調査に対応した訴外Z2の母としては,なるべく家族の健康状態に問題がないように応答しようとしたことが推認されるというべきである。証拠(甲A24の2の4頁,甲A296の3・5)及び弁論の全趣旨によれば,ABCCが,治療には消極的で,原子爆弾被爆者らから好意的に受け止められず,むしろ反感をもって応対されがちであったことが認められることに照らせば,訴外Z2ABCC調査の結果には到底信用を置くことができないというべきであり,当の調査記録自体において,調査員自身が回答の信頼度が低い旨記載されていること(上記(1)ウ(イ))も,このことを裏付けるものである。
信用性が低いと考えられる上記の訴外Z2ABCC調査のほかには特にこれを疑うべき事情も認められないから,この点に関する訴外Z2の生前の陳述は,信用するに足りるものと判断すべきである。
上記の被告の主張は採用することができない。
(3)争点2の4(訴外Z2の胃がん,大腸がん及び肺がんの放射線起因性該当性)について

訴外Z2の放射線被曝について
上記(1)に認定した事実によれば,訴外Z2は,4歳当時の昭和20年8
月6日に広島原爆の爆心地から約3.7キロメートルの広島市西部のω3・ω4地区に属するω19(甲D9の3)の木造家屋内で被爆し,同日に同地区に降った雨にずぶ濡れになった上,同市東部の勤労奉仕場所から市内を横断し爆心地付近を通って同日午後に帰宅したと考えられる兄と一定程度の接触をし,その後も昭和22年頃までω3・ω4地区で生活を続けたことが認められるところ,このω3・ω4地区は,広島原爆投下から約2か月を経過した段階で,爆心地1キロメートル圏内と同程度以上の残留放射線量を示す記録の残る(乙B18の7頁の図4)高度の放射能汚染があったことが想定される地区である(乙B14,証人Z51

12頁も

参照。)。
また,訴外Z2は,被爆後の若い時期から疲れやすい体質であったことが認められる。
以上の認定事実によれば,訴外Z2は,特に極めて若年で昭和20年8月6日にω3・ω4地区に降った雨に直接一定時間濡れ,さらに同地区で生活を継続したことにより,DS02に基づいた被告の試算を上回る線量の広島原爆の放射線に被曝したことが推認されるというべきである。イ
放射線起因性についての総合判断
以上を前提に,訴外Z2が原爆症認定を申請した胃がん,大腸がん及び肺がんが原子爆弾放射線に起因するものであるかをみると,訴外Z2は,上記のとおり,爆心地から約3.7キロメートルのω3・ω4地区において被爆し,降雨に触れていること,爆心地から1キロメートル圏内と同程度以上の残留放射線量を示す記録の残る同地区に昭和22年まで居住していたことを勘案すると,その放射線被曝の程度は,現行の新審査の方針において固形がんについて放射線起因性を積極認定するとされている者と同等ということができるというべきである。
もっとも,証拠(甲D9の2)及び弁論の全趣旨によれば,訴外Z2の
胃がんについては,専ら関節リウマチの治療薬の副作用として胃MALTリンパ腫が起こったことを疑わせる事情が認められるというべきである。また,訴外Z2は,前記(1)ウ(エ)のとおり,成人後67歳に至るまで1日2箱以上の喫煙習慣を有していたいわゆるヘビースモーカーであったと認められるところ,証拠によれば,喫煙による肺がんの相対危険度は4倍を超え(乙D⑨6の6丁以下),かつ,喫煙量が多く喫煙開始年齢が若いほど発がんのリスクが高いとされていて,訴外Z2は上記の喫煙習慣に基づいても肺がん高度危険群に該当する喫煙指数に達していたと考えられること(乙D⑨12),しかも,訴外Z2の発症した肺がんが喫煙との関連が大きいとされる扁平上皮がん(乙D⑨9の3頁)であったこと(前記(1)ウ(オ))に照らせば,訴外Z2の肺がんについては,専ら喫煙により発症したとの疑いを払拭することができないというべきである。
なお,
この点,
原告Z1は,訴外Z2は67歳時に禁煙し,肺がんを発症したのはその約4年後であったから,喫煙による肺がんのリスクは低下していた旨主張するが,訴外Z2の肺がんは,発見されたのが平成24年の71歳時であったにすぎず,
同年時点で播種性転移が認められ手術適応外とされたこと
(前
記(1)ウ(オ))によれば,実際の発症時期は,これを年単位で遡る頃であったと考えざるを得ず,禁煙の期間は,これによる肺がんのリスクの低下を考慮できるほどの期間に達していたとは考えにくい。また,訴外Z2が,原子爆弾放射線の被曝と喫煙との相互作用により,リスクを増大させて肺がんを発症した可能性は否定はできないものの,訴外Z2の肺がんは,上記のような重度の喫煙習慣のみによってこれを発症した可能性もまた,否定し難いところであって,少なくとも,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものとして後者の可能性を排除し得る程度の高度の蓋然性までは認めることができない。
他方,訴外Z2の大腸がんについては,喫煙習慣も,扁平上皮がんであ
る肺がんほどには強固な関連性を認め難く,また,肺がんとは組織型の異なる高分化環状腺がんであることにも照らせば,他に被告が危険因子として主張する加齢や性差ともども,専ら原子爆弾放射線以外の原因によって発症したことを疑わせるほどの事情は認められず,他にこれを疑わせるような事情もうかがわれないというべきである。
訴外Z2の大腸がんは,
原子爆弾の放射線が招来した蓋然性が高い一方,
胃がん及び肺がんは専ら原子爆弾放射線以外の原因によって発症した疑いを否定できないというべきである。
(4)結論
以上によれば,訴外Z2の大腸がんについての原爆症認定申請を却下した厚生労働大臣の処分は違法であり,当該部分は取消しを免れないが,訴外Z2の胃がん及び肺がんについての原爆症認定申請を却下した厚生労働大臣の処分は違法であるとはいえず,当該部分の取消しを求める原告Z1の請求は理由がない。
6
原告Z7の甲状腺機能低下症に係る原爆症認定申請却下処分の適否(1)認定事実
前記第2の2の前提事実(1)ア,(2)カ及び(3)カ並びに証拠(甲A8の1,甲D11の1,乙D⑪1の1の2丁,原告Z7本人のほか,各事実の末尾に後掲する当該事実を認める根拠となるもの)によれば,原告Z7について,以下の各事実が認められる。

被爆前の生活状況
昭和13年1月10日生まれの原告Z7は,満7歳の昭和20年8月6日当時,国民学校生で,共に暮らす祖母,両親,2歳年上の兄(甲D11の4の1・2,甲D11の5),弟及び妹と7人で疎開していた広島県安佐郡ω25所在の大叔母宅に祖母を残して,広島市北東部のω34そばのω21の木造平家建ての自宅に一時帰宅していた。


被爆等の状況
(ア)

昭和20年8月6日午前8時過ぎ頃,原告Z7の父は近所を見廻り
に出ており,原告Z7は,自宅南西側の庭に面した居間できょうだいで遊んでいたところ,庭の向こうに真っ白い閃光が光った。次いで,轟音と爆風が到来し,原告Z7は,廊下近くにうずくまり,その際,砕け散った家の窓ガラス片で左耳の下の頸部を一,二センチメートル切り,原告Z7の母の背中の服の上からもガラス片が刺さった。南東方向約2.2キロメートルの広島市ω1に広島原爆が投下されたことによるものであった。
(イ)

間もなく外を見廻っていた原告Z7の父も家に戻ってきたので,原
告Z7ら家族は,いずれ疎開先に戻る準備をしつつ,自宅に待機していたが,そのうち自宅向かいのZ57付近まで火の手が迫ってきたので,疎開先の大叔母宅に戻ることにした。原告Z7ら家族が,ω24に向かう途中,東方のω24を越えてZ31国民学校に立ち寄ると,皮膚が焦げたり,めくれて垂れ下がったりしている負傷者らが大勢集まってきていた。原告Z7ら家族は,同日夕刻,大叔母宅にたどり着いた。
(ウ)

原告Z7ら家族は,数日経つと,自宅がどうなっているかを確かめ
るため,両親並びに兄,原告Z7及び妹で連れ立って再度帰宅したが,自宅は全焼し,少し上流に上った太田川の水門のそばには,死体が積み重なっていた。原告Z7は,自宅跡地を掘り返して遺品を見付けようとしたが,角釘が見付かった程度だった。
原告Z7は,疎開先に戻ると,祖母から自宅にあった白鞘の小刀を探し出すよう頼まれ,また,友人から角釘をくれるようにせがまれたこともあり,これらの要望に答えるため,同月中に少なくとももう1度,父や兄らとともに自宅跡に赴いた。

被爆後の健康状態

(ア)

昭和20年末頃,原告Z7の左耳下の切傷そばのリンパ腺が大きく
腫れて化膿が治らず,原告Z7は,これを切除する手術を受け,8センチメートルほどの手術痕が現在でも残っている。
その頃,ω24では感染するのではないかと疎まれ,原告Z7ら家族は,昭和21年,広島市ω35に転居し,歯科医だった原告の父はそこで開業して生計を立てるようになったが,
昭和25年頃に体調を崩して,
昭和26年に末期の膀胱がんと診断され,間もなく39歳で死亡した。(イ)

原告Z7は,当時,中学生だったが,中学,高校時代を通じて,頭
皮から汗とは異なる液状の分泌物が流れ出るために,タオルを巻いた上に帽子をして通学しても,額が赤くなるなどしていた。その後も原告Z7の皮膚はただれがちで,夏に半袖のシャツを着ると露出部の皮膚が真っ赤になるため,半袖は着られないほどであった。後の平成10年代にアトピー性皮膚炎の診断名が付けられたが,現在もその治療のための通院を継続している。
(ウ)

また,原告Z7は,中学,高校時代を通じて,喉が腫れやすく咳が
出て,
メスで喉を切開して血を抜いたこともあったが,
改善しなかった。
原告Z7は,
後の平成25年頃に膠原病と診断されているところ,
現在,
医師からは,咳はそのせいだとも言われている。
なお,原告Z7は,30歳までの多い時に1日20本の喫煙習慣があったが,30歳で止めた。
(エ)

原告Z7は,
平成7年にⅡ型糖尿病と診断された
(乙D⑪1の2)


(オ)

原告Z7は,平成10年頃から,月に一,二回,就寝時に地震と間
違えるほどの横揺れを感じるようになり,平成22年2月2日の血液検査の結果,自己抗体陰性の甲状腺機能低下症と診断された(甲D11の2,乙D⑪1の3,乙D⑪3)。
(カ)

原告Z7は,この間の平成12年に脳梗塞を発症し,平成21年に
は逆流性食道炎を発症した(乙D⑪1の2)。
(キ)

原告Z7は,平成25年3月28日,甲状腺機能低下症について,
原爆症認定を申請した。
(ク)

原告Z7は,平成26年末頃から,不整脈と動悸にも苦しむように
なり,平成27年1月から心電図等の循環器の検査を受けている。エ
家族の健康状態
(ア)

原告Z7の父は,前記ウ(ア)のとおり,昭和26年に膀胱がんで3
9歳で死亡した。
(イ)

原告Z7の2歳年上の兄は,昭和57年と昭和59年に脳梗塞を発
症し,平成14年1月に肺がんと診断されて,同月21日に右肺上葉切除術を受け,平成18年6月20日までには喉頭がんと甲状腺機能低下症も患って,平成20年6月18日,肺がんについて原爆症認定を受けた(甲D11の5,甲D11の6)。
(2)争点2の5(原告Z7の甲状腺機能低下症の放射線起因性該当性)についてア
原告Z7の放射線被曝について
上記(1)に認定した事実によれば,原告Z7は,7歳当時の昭和20年8月6日に広島原爆の爆心地から約2.2キロメートルの広島市北東部のω21の木造家屋内で被爆し,窓ガラス片で左耳の下の頸部に切傷を負い,これが同年中治らなかったこと,被爆後は基本的に爆心地から離れる方向のω24(甲D11の3)に避難して生活したが,被爆数日後と1か月以内に複数回にわたってω21の自宅に戻って焼け跡を探査したことが認められるところ,このω21地区を含む爆心地から北東方向は,広島原爆投下から約2か月を経過した段階で,爆心地3キロメートル超まで爆心地から他方向の2キロメートル圏内より多い残留放射線量を示し,ω21自体も,爆心地から他方向であれば1キロメートル圏内とほぼ同程度の残留放
射線量を示す記録の残る(乙B18の7頁の図4)相当程度の放射能汚染があったことが想定される地区である。
また,原告Z7は,中学,高校の青少年期から皮膚や喉が弱い健康状態にあったこと,被爆後の1か月ほどを原告Z7とほぼ同じ行動を取ったと見られる(甲D11の5の2~3丁参照)2歳年上の兄は,脳梗塞,肺がん,喉頭がん及び甲状腺機能低下症を患い,うち肺がんについて原爆症認定を受けていることが認められる。
以上の認定事実によれば,原告Z7は,特に若年で相当程度の放射能汚染の残った地区で被爆し,1週間以内と1か月以内に再度当該地区に入市したこと,その際,焼け跡を探査して灰や泥に汚れた手で左耳下の切創に何度も触れたことが容易に想定され,通常の経口摂取より被曝の程度が深刻になると考えられる創傷部位からの内部被曝をしたことが高い蓋然性をもって推認されることを含め,DS02に基づいた被告の試算を上回る線量の広島原爆の放射線に被曝したことが推認されるというべきである。イ
放射線起因性についての総合判断
以上を前提に,原告Z7が原爆症認定を申請する甲状腺機能低下症が原子爆弾放射線に起因するものであるかをみると,原告Z7は,上記のとおり,爆心地から約2.2キロメートルのω21で被爆し,広島原爆の爆心地から北東方向の同地区は,爆心地から他方向であれば1キロメートル圏内とほぼ同程度の相当程度高い放射能汚染があったことが想定される地区に当たることを勘案すると,その放射線被曝の程度は,現行の新審査の方針において甲状腺機能低下症について放射線起因性を積極認定するとされている者と同等ということができ,その甲状腺機能低下症の発症は,原子爆弾放射線の被曝に起因する蓋然性が高いものというべきである。この点,被告が,甲状腺機能低下症の危険因子として主張する加齢は,原告Z7の甲状腺機能低下症が専ら原子爆弾放射線以外の原因によって発
症したことを疑わせるほどの事情であるとはいえず,他にこれを疑わせるような事情もうかがわれない。
原告Z7の甲状腺機能低下症は,原子爆弾の放射線が招来した蓋然性が高いものと認められる。
(3)結論
以上によれば,原告Z7の甲状腺機能低下症についての原爆症認定申請を却下した厚生労働大臣の処分は違法であり,取消しを免れない。
7
原告Z5の前立腺がんに係る原爆症認定申請却下処分の適否
(1)原告Z5の前立腺がんの放射線起因性該当性について
証拠(甲A8の2,甲D4の1,原告Z5本人)によれば,原告Z5は,長崎原爆に爆心地から南東方向約3キロメートルの長崎市ω36で被曝した者であるところ,被告は,原告Z5の前立腺がんが原子爆弾の放射線に起因するものであることを明らかに争わないので,
これを自白したものとみなす。
(2)争点3(原告Z5の前立腺がんの要医療性該当性)についてア
要医療性の判断枠組み
被爆者援護法10条1項は,厚生労働大臣は,原子爆弾の放射線に起因して負傷し,又は疾病にかかり,現に医療を要する状態にある被爆者に対し,必要な医療の給付を行う旨を定めるところ,同条2項は,同条1項に規定する医療の給付の範囲として,①診察,②薬剤又は治療材料の支給,③医学的処置,手術及びその他の治療並びに施術,④居宅における療養上の管理及びその療養に伴う世話その他の看護,⑤病院又は診療所への入院及びその療養に伴う世話その他の看護,及び⑥移送を定めている(前記第2の1の関係法令の定め(3)ア)。
上記のとおり,原子爆弾放射線に起因する傷病について厚生労働大臣が被爆者に対して給付すべき「医療」には,「診察」に加えて,診察の結果として具体的に執られる措置である「医学的処置,手術及びその他の治療
並びに施術」,「薬剤又は治療材料の支給」,「居宅における療養上の管理」等も挙げられており,診察は,これらの具体的な措置の要否を判断するための最も基本的で先行されるべき医療行為として位置付けられているということができる。そうすると,被爆者が罹患している傷病の現状について,これらの措置の要否を判断するために検査等を行うなどして診察を行ったのであれば,結果として,その後の医学的処置等の具体的な措置が不要であるとか,直ちには行わないとかの判断がされた場合であっても,上記の「診察」に当たるといわざるを得ない。
なお,被爆者援護法7条は,上記の診察に類似するものとして,都道府県知事は,被爆者に対し,毎年,厚生労働省令で定めるところにより,健康診断を行うものとする旨を定めている(前記第2の1の関係法令の定め(2))が,ここにいう健康診断とは,基本的には,労働安全衛生上の定期健康診断の範囲を出るものではないと解される(同法施行規則9条。労働安全衛生法66条1項,労働安全衛生規則4条1項対照)。そうであれば,このような健康診断の域を超えて,具体的な疾病についての具体的な措置の要否を判断するために行われる検査等は,健康診断とは異なる「診察」に該当し,厚生労働大臣が原子爆弾の放射線に起因する被爆者の傷病に対して給付すべき「医療」に当たるというべきである。そのように解するのでなければ,被爆者援護法が,原子爆弾の放射線に起因する被爆者の傷病に対しては特にいわゆる現物として医療を給付すべきものとした趣旨は没却されると考えられる。
積極的な治療を施さない経過観察程度の医療を受けているだけでは,被爆者援護法10条1項が規定する要医療性の要件を満たさない旨の被告の主張は,採用することができない。

前立腺がんの治療法と被爆者援護法上の「診察」
そこで,
以上の見地から,
前立腺がんに対する医療行為についてみると,

証拠(甲D4の3・7~9,乙D④2ないし4,乙D④6)及び弁論の全趣旨によれば,他の悪性腫瘍に比べて進行性が遅いといわれている前立腺がんについては,がん細胞が前立腺内にとどまる限局がんの場合,当該前立腺がんの進行速度,患者の年齢等を念頭に置いた身体的な負担,患者の精神的な気質等を考慮して,PSA値を観察しつつ,その際の数値に異常の認められない限り,それ以上の積極的な治療行為を行わないままにするPSA監視療法が,経過観察的待機療法として選択肢の1つとされることがあるが,この場合でも,医師による定期的なフォローアップは必要とされていることが認められる。
このように,前立腺がんに対する療法として,PSA監視療法は,患者の心身の状態に応じた重要な選択肢の1つとされているところ,このようなPSA値の観察は,被爆者援護法7条の健康診断の範囲では賄うことのできない内容の診療行為であると考えられること,積極的な治療行為を行わないとする判断は,検査したPSA値に異常の認められないことを踏まえてされるものであり,積極的な治療行為が行われないことは当該診察の結果にとどまると考えられることに照らせば,原子爆弾放射線に起因する前立腺がんについてPSA監視療法が選択された場合,PSA値の異常の有無を確認するために行われる定期的な検査は,
同法10条2項1号の
「診
察」に該当するものとして,同条1項による「必要な医療」に当たるというべきである。

原告Z5の前立腺がんの要医療性
そして,原告Z5の前立腺がんの治療経過を見ると,第2の2の前提事実(3)ウ及び証拠(甲D4の4~6,乙D④5)によれば,原告Z5は,平成23年3月25日に前立腺生検により前立腺がんと診断された後,同年5月に根治療法である小線源療法も検討されたが,前立腺結石症のため適応外であると診断されて,その後3年以上にわたり,数か月に1度以上の
頻度でPSA値を含む血液検査を行って前立腺がんの悪化がないか経過観察をしている状態にあり,この間の平成23年5月16日に上記前立腺がんについて,原爆症認定を申請したが,平成24年3月23日付けで当該申請が却下された事実が認められる。
上記認定の事実によれば,原告Z5の前立腺がんは,PSA値の異常の有無を確認するために一定の頻度での検査が必要な状態にあると認められ,前記イに判示したところに鑑みれば,被爆者援護法10条1項にいう「現に医療を要する状態にある」と認められるというべきである。
(3)結論
以上によれば,原告Z5の前立腺がんについての原爆症認定申請を却下した厚生労働大臣の処分は違法であり,取消しを免れない。
8
まとめ
よって,原告Z1が訴外Z2の胃がん及び肺がんについての原爆症認定申請の却下処分の取消しを求める部分を除くほか,原告らの請求はすべて理由があるからこれらを認容するとともに,原告Z1の上記請求部分は理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民事訴訟法64条本文,61条を適用して,主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第38部

裁判長裁判官

谷口豊
裁判官

平山馨
裁判官

馬場潤
(別

表)
申請者

病名

処分日

原告Z3

慢性心不全

平成24年10月23日

原告Z4

心筋梗塞

平成23年12月22日

原告Z5

前立腺がん

平成24年3月23日

原告Z6

甲状腺機能低下症

平成24年2月24日

訴外Z2

大腸がん

平成25年1月23日

原告Z7

甲状腺機能低下症

平成25年7月12日

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