判例検索β > 平成28年(わ)第41号
危険運転致死傷(予備的訴因:過失運転致死傷)、道路交通法違反
事件番号平成28(わ)41
事件名危険運転致死傷(予備的訴因:過失運転致死傷),道路交通法違反
裁判年月日平成30年1月19日
法廷名宮崎地方裁判所
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主文
被告人を懲役6年に処する
未決勾留日数中530日をその刑に算入する。
理由
(罪となるべき事実)
第1

(平成28年3月29日付け起訴状記載の公訴事実)
被告人は,鹿児島県公安委員会から中型自動車の運転免許証の交付を受けていたものであるが,平成27年2月23日,鹿児島県日置市a町b番地c所在の公益財団法人甲協会乙協会において,同免許証の有効期間の更新を受けるに当たり,
真実は,
平成23年12月16日頃,てんかんを含む何らかの病気
(医
師による当時の診断名は「てんかん疑い」)による全身けいれんにより身体の全部又は一部が一時的に思い通りに動かせなくなったことがあるにもかかわらず,これを秘し,同公安委員会から交付を受けた質問票の項目2「過去5年以内において,病気を原因として,身体の全部又は一部が,一時的に思い通りに動かせなくなったことがある。」との質問について,「いいえ」の欄に印を付けて,そのような事実がない旨の偽りの事実を記載した上,同質問票を同協会職員に提出し,もって質問票に虚偽の記載をして提出した。

第2

(平成29年7月6日付け予備的訴因等の追加請求書記載の公訴事実)被告人は,平成27年10月28日午前8時頃,鹿児島県日置市d町e番地先北側駐車場から普通乗用自動車(軽四輪)の運転を開始するに当たり,かねてから周囲からの呼び掛けに反応を示さないなど周囲の状況を把握して的確に対応することができない状態に陥ることがあり,同月23日にも同様の状態に陥って同県内の脳神経外科医院に入院して同医院の医師から
「脳血管性認知症」
と診断されるなどし,同月25日に同医院を退院した後も同月27日午後9時頃まで前記状態と同時に発症した言語障害が残存し,被告人の妻であるA及び被告人の子であるBらから数回にわたり自動車の運転を控えるように注意され,
Aが被告人方台所の棚につるしてあった前記自動車の鍵を被告人方居間の電話台の後ろに移動してタオルをかぶせて隠すなどしていたので,このような心身の状態で自動車の運転を開始すれば,再度,周囲の状況を把握して的確に対応することができない状態に陥って安全な運転を遂行することが不可能になることを予見できたのであるから,自動車の運転を厳に差し控えるべき自動車運転上の注意義務があるのにこれを怠り,隠してあった前記自動車の鍵を見付け出し,漫然前記自動車の運転を開始した過失により,同月28日午後2時52分頃,宮崎市fg丁目h番i号先交差点において,道路状況を把握できず,自車を進路北側の歩道に進入させ,周囲の状況を把握して的確に対応することができない状態のまま
1
その頃,同市jk丁目l番m号先南側歩道上を西方から東方に向け自車を時速約17キロメートルの速度で進行させ,折から,同歩道上を自車と同一方向に歩行中のC(当時23歳)に自車前部を衝突させて同人を路上に転倒させ,よって,同人に加療約7日間を要する腰椎捻挫等の傷害を負わせ
2
同日午後2時53分頃,同市no丁目p番q号先南側歩道上を西方から東方に向け自車を時速約39キロメートルないし約42キロメートルの速度で進行させ,折から,同歩道上を自車と同一方向に歩行中のD(当時17歳)に自車前部を衝突させて同人を路上に転倒させるとともに自車左前輪で礫過し,よって,同人に全治約2か月間を要する肺挫傷等の傷害を負わせ
3
その頃,同市no丁目r番s号先南側歩道上を西方から東方に向け自車を時速約56.8キロメートルないし約60.8キロメートルの速度で進行させ,折から,同歩道上を自車と同一方向に走行中のE(当時50歳)運転の自転車後部に自車前部を衝突させて同人を同自転車もろとも路上に転倒させ,よって,同人に脳挫傷等の傷害を負わせ,同日午後8時2分頃,同市t町u番v号所在の丙病院において,同人を同傷害により死亡させ

4
同日午後2時53分頃,同市no丁目r番w号先南側歩道上を西方から東
方に向け自車を時速約55.7キロメートルないし約59.4キロメートルの速度で進行させ,同歩道上のコンクリート製ベンチに自車右前部を衝突させて,その衝撃により自車を横転させながら暴走させ,折から,信号待ちのため同所に佇立中のF(当時66歳)に自車を衝突させて車体で礫過し,同所に佇立中のG(当時26歳)に自車を衝突させて同人を路上に転倒させるとともに,自車前部で同歩道上に駐輪中の自転車を跳ね飛ばし,同所に佇立中のH(当時68歳)に同自転車を衝突させて同人を路上に転倒させ,よって,
Fに多発外傷の傷害を,
Gに加療約5日間を要する頭部打撲等の傷害を,
Hに加療約30日間を要する右上腕骨骨幹部骨折の傷害をそれぞれ負わせ,同日午後4時56分頃,同市x町y番地所在の丁病院において,Fを多発外傷により死亡させた。
(証拠の標目)

(事実認定の補足説明)
第1

平成28年3月2日付け起訴状記載の公訴事実の要旨(第2の事実に係る主位的訴因)
被告人は,平成27年10月28日午前8時頃,普通乗用自動車(軽四輪)を運転し,鹿児島県日置市d町e番地先北側駐車場を西方から東方に向かい発進進行するに当たり,てんかんの影響により,その走行中に発作の影響によって意識障害に陥るおそれのある状態で,同車を運転し,もって自動車の運転に支障を及ぼすおそれのある病気の影響により,その走行中に正常な運転に支障が生じるおそれがある状態で自動車を運転し,
よって,
同日午後2時52分頃,
宮崎市fg丁目h番i号付近道路において,てんかんの発作により意識障害の状態に陥り,その状態のまま,同所先交差点から,自車を進路北側の歩道に進入させて同歩道上を東進させ始め
1
その頃,同市jk丁目l番m号先南側歩道上を西方から東方に向け自車を
時速約17キロメートルの速度で進行させ,折から,同歩道上を自車と同一方向に歩行中のC(当時23歳)に自車前部を衝突させて同人を路上に転倒させ,よって,同人に加療約7日間を要する腰椎捻挫等の傷害を負わせ2
同日午後2時53分頃,同市no丁目p番q号先南側歩道上を西方から東方に向け自車を時速約49キロメートルの速度で進行させ,折から,同歩道上を自車と同一方向に歩行中のD(当時17歳)に自車前部を衝突させて同人を路上に転倒させるとともに自車左前輪で礫過し,よって,同人に全治約2か月間を要する肺挫傷等の傷害を負わせ

3
その頃,同市no丁目r番s号先南側歩道上を西方から東方に向け自車を時速約65キロメートルの速度で進行させ,折から,同歩道上を自車と同一方向に走行中のE(当時50歳)運転の自転車後部に自車前部を衝突させて同人を同自転車もろとも路上に転倒させ,よって,同人に脳挫傷等の傷害を負わせ,同日午後8時2分頃,同市t町u番v号所在の丙病院において,同人を同傷害により死亡させ

4
同日午後2時53分頃,同市no丁目r番w号先南側歩道上を西方から東方に向け自車を時速約65キロメートルの速度で進行させ,同歩道上のコンクリート製ベンチに自車右前部を衝突させて,その衝撃により自車を横転させながら暴走させ,折から,信号待ちのため同所に佇立中のF(当時66歳)に自車を衝突させて車体で礫過し,同所に佇立中のG(当時26歳)に自車を衝突させて同人を路上に転倒させるとともに,自車前部で同歩道上に駐輪中の自転車を跳ね飛ばし,同所に佇立中のH(当時68歳)に同自転車を衝突させて同人を路上に転倒させ,よって,Fに多発外傷の傷害を,Gに加療約5日間を要する頭部打撲等の傷害を,Hに加療約30日間を要する右上腕骨骨幹部骨折の傷害をそれぞれ負わせ,同日午後4時56分頃,同市x町y番地所在の丁病院において,Fを多発外傷により死亡させ

たものである。

第2
1
争点
平成28年3月2日付け起訴状記載の公訴事実(第2の事実に係る主位的訴因)のうち,被告人が普通乗用自動車(以下「被告人車両」という。)を運転し,同公訴事実記載の日時に鹿児島県日置市内の駐車場を発進した上で,同公訴事実の1ないし4のとおり同市jk丁目l番m号先南側歩道上から同市no丁目r番w号先南側歩道上に至るまでの間に,各被害者らと被告人車両を接触させるなどして事故(以下「本件事故」という。)を生じさせたことについては当事者間に争いがない。
他方で,弁護人は,被告人は,本件事故当時てんかんに罹患していなかったから,走行中にてんかん発作の影響によって意識障害に陥るおそれのある状態で被告人車両を運転しておらず,また,てんかんの発作により意識障害に陥った状態のまま,本件事故を起こしたともいえないから,被告人に,危険運転致死傷罪は成立せず,平成29年7月6日付け予備的訴因等の追加請求書記載の公訴事実のとおり過失運転致死傷罪が成立するにとどまる旨を主張している。
2
上記争点に関し,検察官は,捜査段階で被告人に対する鑑定を実施したI医師の鑑定意見に基づき,被告人がてんかんに罹患しており,てんかん発作の影響により意識障害に陥って本件事故を起こしたと主張するのに対し,弁護人は,
I医師の鑑定意見を検討したJ医師が,本件事故の原因は認知症の影響であった可能性がある旨証言したことなどを根拠に,I医師の鑑定意見の信用性を争っている。

3
当裁判所は,I医師の鑑定意見のうち,被告人がてんかん発作の影響で意識障害に陥って本件事故を起こしたとする部分については,その信用性に疑問を差し挟む余地があるから,第2の事実に係る主位的訴因である危険運転致死傷罪が成立するとは認められず,被告人には,平成29年7月6日付け予備的訴因等の追加請求書記載の公訴事実のとおり過失運転致死傷罪が成立するにとどまるものと判断したので,以下その理由を説明する。

第3

認定事実
関係証拠によれば,次の事実が認定できる。

1
平成23年以前の被告人の症状等
(1)被告人は,本件事故の20年ほど前に神戸市内で行われた親戚の葬式において,突然前のめりに倒れたことがあり,その後,京都に住んでいた長男B宅に滞在した際には,問い掛けに答えず,ぼうっとして遠くを見詰めているような状態であった(第6回公判期日におけるB証言・1ないし19,228ないし242項)。なお,この出来事については,戊病院が作成した診療情報提供書①(弁9)には,Bが同病院の医師に対し,被告人が倒れた際には痙攣様の発作があった旨を説明した旨記載があるものの,Bは,公判廷では,痙攣様の発作があったことを否定する証言をしている(第6回公判期日におけるB証言・5,6項)ところ,Bの証言を虚偽のものと断定するだけの根拠はないから,痙攣発作を伴うものであったという認定はできない。(2)また,被告人は,約十数年前にも,外出先から戻って自宅の外で車から降りた際に,前のめりに座るように倒れて,病院に救急搬送されたことがあった(第6回公判期日におけるB証言・22ないし35,243ないし251項,K証言・13項)。
(3)他方,被告人は,平成23年の少し前頃から,自分では調理をしないのにジューサーやフライパンをテレビショッピングで購入し,年金証書や生命保険証書をシュレッダーにかけるなどの行動に及ぶことがあった(A証言・325ないし333項)。

2
平成23年12月の被告人の症状等
(1)被告人は,平成23年12月16日,自宅で気分不良を訴え嘔吐し,その直後に痙攣発作があったことから,己外科を受診した(甲59,K証言・5ないし8項,A証言・29ないし42項。ただし,Aは,自宅で痙攣発作があったことについては,覚えていないと曖昧な証言をするにとどまってい
る。)。
己外科のK医師は,被告人が同病院の待合室においても全身痙攣発作(声を掛けても応答せず,
両上肢が突っ張るような発作)
を起こしたことから
(K
証言・7,
8,
130ないし133,
199項,
A証言・11ないし28項)

てんかん発作を疑い,被告人を入院させた上で,痙攣発作を抑えるためのセルシン,アレビアチンといった薬剤を注射するとともに,抗てんかん薬のデパケンRを処方した(甲59,K証言・9,16,17項)。
被告人は,同月19日まで己外科に入院したところ,入院期間中新たな痙攣発作は起きなかった(K証言・12項。なお,己外科の看護日誌(弁10)には,被告人が声掛けすると動きが止まってしまうなど症状が見られた旨の記載がある。)ものの,他方で,夜眠れずに院内をうろうろしたり,入院していることが理解できずに荷物をまとめて帰ろうとしたりする症状が見られたほか,他患者に危害を加えそうになったり,病院の備品を損壊したりしたこともあった(甲59,K証言・80,192ないし198)。これらの症状から,K医師は,同月19日の退院時には,被告人に軽度の認知症が発症しているのではないかと疑うとともに,上記のように新たな痙攣発作が生じなかったことから,てんかんとまでは断定せず,被告人の退院時には,精神安定剤を処方するのみで,抗てんかん薬の処方はしなかった(甲59,K証言・30,31,138ないし141項)。
(2)しかし,被告人は,平成23年12月21日及び同月22日に,自宅でぼうっとしてよだれを垂らし,首を曲げてううっとうなるなど,ひきつけを起こしたかと思うと,
普通に会話をしたりするという症状が見られたことから,
Bらが被告人を連れて,
戊病院を受診した
(第6回公判期日におけるB証言・
63ないし74,274ないし283項)。
被告人は,同月22日に戊病院での再診を終えて帰宅した後,テレビを見ていたところ,
息を詰めたような声を上げ,
上肢が少し硬直したようになり,

これを何度か繰り返したため,己外科に救急搬送された(甲60,第6回公判期日におけるB証言・284ないし289項)。被告人は,己外科に搬送された際には,
目を見開いているものの,
言葉を発しない状態にあり,
また,
名前を呼ぶと言葉は発しないものの握手を求めるように右手を差し出す様子があったほか,診察の待ち時間には,座った姿勢のまま,顔をやや右向きにして,よだれを口にため,口周囲に痙攣の発作が出現した状態で,詰まったような声を律動的に出すという様子が認められた(甲60,K証言・32ないし38,153ないし155項)。
己外科のL医師は,被告人をてんかんの疑いと診断し,抗けいれん作用のあるフェノバールを注射するとともに,デパケンRを200ミリグラムの錠剤で1日2錠,15日分処方した(甲60,K証言・39ないし46項)。(3)Bは,被告人が己外科を退院した後もぼうっとする状態が続いているのを見るなどして,被告人が自動車を運転すると危ないと考え,退院後被告人の自動車を自宅に持ち帰って,被告人が運転できないようにした(甲66,77,第6回公判期日におけるB証言・88ないし114項,A証言・67ないし87項)。
Bは,自動車を1か月ほど持って帰った後,被告人に自動車を返したが,その後も,被告人に車の運転は極力避けるようにことあるごとに言っていた(甲77,B証言・115,116,294,295項)。
3
平成24年1月から平成27年10月までの被告人の症状等
(1)被告人は,平成18年頃から高血圧の持病のために庚医院に通院していた(甲61,M証言・6ないし24項)ところ,同医院のM医師は,平成24年1月14日,被告人が同医院を受診した際に,上記2のとおり被告人がてんかん様発作を起こして己外科に入院したとの報告を受けた(M証言・25ないし41項。
なお,
M医師はAから説明を受けたと証言しているが,
Aは,
被告人本人がM医師に説明したと証言し,被告人も自分で薬の処方を頼んだ
と供述している。A証言・108ないし129項,第6回公判期日における被告人質問・96ないし103項)。M医師は,被告人とその家族からの希望により,同日以降,二、三週間に1回,被告人に対し,デパケンR200ミリグラムを1日2錠処方したところ,その後半年を経過しても,被告人にてんかん発作がなかったことから,デパケンR200ミリグラムの錠剤を1日1錠に減量して処方するようになった(M証言・79ないし109項,A証言・88ないし121項)。
(2)被告人は,徘徊をしたり食事を取ったことを忘れたりするようなことはなかった
(A証言・142ないし147項)
ものの,本件事故の1年前頃から,
水道の出しっ放し,冷蔵庫の閉め忘れ,電気の消し忘れなどの物忘れが目立つようになった(甲66,A証言・130ないし134項)。また,ひどく無口になり,家族が集まって食事をするときに,突然立ち上がって掃除をし始めるなどの落ち着きがない様子も見られた(第6回公判期日におけるB証言・331ないし333,350ないし363項)。
Aは,平成27年9月17日の診察の際,M医師に対し,被告人に物忘れが多い,認知症と言われたなどと相談したが,M医師は,被告人が認知症ではないと判断し,散歩などの運動を指導するとともに,脳代謝を良くする薬剤であるセロクラールを処方するにとどめた(A証言・135ないし142項,M証言・123ないし161項)。
4
被告人の平成27年頃の運転状況
(1)被告人は,週に二、三回,Aを買い物に連れて行くために自動車を運転することがあったほか,平成27年3月以降は,同居する次男を週5回ほど職場に送ったりして頻繁に運転をしていた。被告人は,1人で自動車を運転する際も,Aに行き先を言わずに出かけたり,帰り道が分からなくなって警察から連絡されたりするようなことはなかったが,
本件事故の半年前頃からは,
自動車の運転が急に下手になり,道路の中央線側に寄って運転し,中央線を
タイヤで踏んでしまって,
同乗していたAらが危ないと思うことがあった
(甲
66,68,第6回公判期日におけるB証言・329,330項)。(2)被告人は平成27年2月に運転免許証の有効期間を更新したところ,その際,
Bは,
被告人に対し,
免許の更新をしない方がいいなどと強く言ったが,
被告人は更新できたらしてみるなどと言って更新手続を行った(甲68,77,第6回公判期日におけるB証言・190ないし196項)。
(3)被告人は,平成27年7月11日と同年9月13日に,いずれも店舗の駐車場内で,Aを乗せて運転中に,他の自動車に自車をぶつける物損事故を起こしたほか,平成26年9月24日には単独で運転していた際に,追突事故を起こした。Aは,被告人の運転を危ぶんで,被告人に対し「事故を起こしたじゃない。
もう運転はしない方がいいが。などとその都度言っていたが,

被告人は運転をやめようとはしなかった(甲55,66,68)。5
平成27年10月23日以降の被告人の症状等
(1)被告人は,平成27年10月23日,スーパーマーケットでAと買い物していた際に,Aが「何を食べるね。」などと問い掛けたのに対して口を動かすのみで言葉が出なかったことから,庚医院を受診した。M医師による診察の際,被告人は,M医師の問い掛けに対して,目を見てうなずくものの,口をもぐもぐさせ,言葉が出ない様子であった。このため,M医師は,脳梗塞を併発したことを疑い,己外科の受診を勧めた(甲66,68,M証言・171ないし195項,A証言・148ないし182項)。
(2)被告人は,同日,己外科を受診し,K医師の診断を受けたところ,来院時にはたまに言葉がでないこともあったが,意識状態は普通で,ある程度指示に従って動き,歩いて行動できる状態であった(甲59,K証言・52ないし55項)。
K医師は,被告人に対し,頭部MRI検査を実施したところ,古い脳梗塞の痕が数か所あったものの,当日被告人に生じていた症状を起こすような新
しい脳梗塞は確認されなかった(K証言・56ないし58項)ことから,被告人の症状がてんかん発作後の意識障害である可能性も考え,被告人を入院させて抗てんかん薬を投与して経過を見ることにし,同月23日から同月25日まで,被告人に抗てんかん薬であるアレビアチンを注射し,デパケンR200ミリグラムの錠剤1日2錠を処方した(甲59,K証言・59ないし72項)。
しかし,K医師は,被告人に入院中に痙攣発作の症状がなかったことや,脳波検査においてもてんかん発作を疑う異常を認めなかったことから,被告人に生じた症状はてんかん発作ではないと判断する一方で,被告人が入院中に病棟内をうろうろする,入院中であることを理解できず荷物をまとめて帰ろうとするなど理解力の低下があるなど,平成23年12月の入院中と同様の症状が継続していたこと(Bも,被告人を見舞いに行った際に,会話もなく,落ち着きもなく,うろうろしている様子や,かばんに自分の洋服を詰め込んで,靴を握って部屋着のまま廊下をうろうろしている様子などを目撃している。第6回公判期日におけるB証言・299ないし308項)や,古い脳梗塞の痕があったことから,
脳血管性認知症と診断した
(甲59,
K証言・
73ないし100,172ないし181項。なお,入院中に被告人には尿失禁の症状もあった。K証言・214ないし216項)。
K医師は,被告人の退院時にデパケンRを追加して処方しなかったため,被告人は,庚医院から処方されたデパケンR200ミリグラムの錠剤1日1錠を引き続き服用した(甲56,61,66,68,K証言・208項,A証言・442ないし450項)。
(3)BやAは,平成27年10月25日に被告人が己外科を退院した際に,入院時の被告人の普通ではない状態から自動車を運転すれば事故を起こすのではないかと思い,
被告人に対し車の運転を避けるように言った。
また,
Aは,
被告人が運転しないように,被告人方台所の棚につるしていた被告人車両の
鍵を,自宅居間の電話台の後ろに移動させて,タオルをかぶせて隠した(甲15,66,第6回公判期日におけるB証言・158ないし180,324ないし327項,A証言・215ないし231項,第6回公判期日における被告人質問・75ないし79項)。
6
本件事故前日及び当日の状況等
(1)被告人は,平成27年10月25日の己外科の退院後も,言葉が出ない状態が続いていたが,同月27日の午後9時頃に,Aに対し,「声が出たよ。」などと言ってきた。この際,Aがまだ車に乗ってはだめだと言ったところ,被告人は黙っていた(甲66,68,A証言・232ないし248,403ないし409項)。
(2)被告人は,同月28日午前6時30分頃に,朝食を食べていた際に,Aに対し,居間で使う座椅子を鹿児島県薩摩川内市内のリサイクルショップまで買いに行くと言ったことから,「そこまで行かなくても近くにあるから。Aは

などと言ったが,被告人は黙っていた。また,Aは,その日の朝のうちに被告人に対し何度か自動車に乗らないよう重ねて注意をした(甲66,68,A証言・254ないし280,412ないし418項)。

7
本件事故現場までの運転状況
(1)被告人は,平成27年10月28日午前7時45分から同日午前8時頃までの間に,上記のとおりAが隠していた自動車の鍵を探し出し,Aに何も告げないまま,同自動車で自宅を出発したが,被告人の携帯電話や財布は自宅に置かれたままであった(甲66,A証言・281ないし290,419ないし426項)。
(2)被告人は,鹿児島県日置市内の自宅を出発した後,国道3号等を熊本県葦北郡z町まで北進した後,同町から同県八代市までの間に転回して同国道を南進して鹿児島県出水市から国道447号に入った。被告人は,同国道を東進して鹿児島県伊佐市から国道268号に入って北進し,途中市道に入って
更に北進したが,すぐ転回して今度は国道268号を南進した上で鹿児島県姶良郡

町方面に東進し,宮崎県えびの市に入った。さらに,被告人は,国
道221号を宮崎県小林市方面に向けて東進し,同市から国道268号を宮崎市⒝町方面に向けて東進し,同市⒝町において国道10号に入って同市街地方面に向けて東進し,本件事故現場に至った。
本件事故当日の被告人の総走行距離は約320キロメートルであり,総走行時間も7時間超に及んだ(甲14,91,弁8)。
(3)この間,被告人車両は,同日午後2時30分頃,宮崎市⒝町内にある⒝トンネル前の国道10号線の中央線上で,被告人車両の車体前部を対向車線側に少し斜めに向け,道路を塞ぐようにして停車し,対向車線の大型トラックが通行できなくなるなど渋滞を生じさせた。
被告人は,停車中の被告人車両内の運転席に座り,無表情でまっすぐ前を向いたままの状態で,アクセルを目一杯踏み込んでエンジンを空吹かしさせているような大きなエンジン音をさせていた。後続車両の運転手であるNや上記大型トラックの運転手は,被告人車両が故障して動けなくなっているなどと考え,車を降りて被告人車両に近づき被告人に話し掛けたところ,アクセルを踏み込む程度が少し弱くなったものの,被告人が呼び掛けに反応することはなかった。Nは,そのような状態で被告人に車を運転させるのは危ないと考えて,被告人を降ろすために運転席側ドアを開け,被告人の右肩を揺すりながら,
「とにかく降りて。私がのかすから。」などと言った。しかし,
被告人は,
体をちょっと動かして嫌がるそぶりを見せただけで無反応であり,Nがシートベルトを外そうと装着部に手を伸ばすと,何かの拍子にギアが入ったかのように急発進をして,そのまま宮崎市の市街地方面に向けて急速度で走り去った(甲17,19,20)。なお,後続車両の運転手であるOは,この際,被告人車両は,少し右斜めに止まっていた状態からまっすぐな状態に戻ったかと思うと,急発進したと供述している(甲17,19)。
(4)被告人車両は,⒝トンネル前の道路を発進した後,交差点の信号機が赤信号を表示した際,前車のパトカー等の車両に続いて停止したが,青色信号に変わって発進する際には,パトカーをあおるように後方にべたっと付けて走行し,次の赤色信号の表示された交差点でも,パトカーにベタ付けして停車した。その後も,被告人車両は,前方100メートルほどの地点で信号機が赤色信号になったのに,どんどん加速して赤色信号の表示する交差点を突っ切った。被告人車両は,蛇行やふらつきといった動きはなかったが,どんどん加速していき,別のSUV車両を後方からあおるような運転をし,同車両が道を譲るために車線変更したのにも,追従して車線変更をするなどしていた(甲17ないし19)。
8
本件事故状況等
(1)本件事故現場は,商店や商業ビル等が建ち並び,人通りも車通りも多い宮崎市内の中心市街地に位置する片側二車線の道路の北側歩道上である。被告人車両は,後記のとおり宮崎市fg丁目h番i号先交差点(以下「デパート前交差点」という。)の北東角から北側の歩道に乗り入れ,そのまま辛駅前方面に約671.6メートル進行し,辛駅前交差点北西角まで至って横転して停止したところ,この間,被告人車両が進行した歩道(以下「本件歩道」
という。は,

北側に自転車通行帯と南側に歩行者通行帯が設置され,
関係証拠により最も広い部分で10メートルを超える幅が認められる。本件歩道には,デパート前交差点から辛駅前交差点までの間に9か所の交差道路があり,本件歩道上のそれらの交差道路と接する部分には,自転車通行帯と歩行者通行帯を分ける位置に車止めが設置されている(甲2,10,24,26,29,32,弁1)。
(2)被告人車両は,平成27年10月28日午後2時52分頃,デパート前交差点付近道路において,赤色信号に従って先行車両に続き第1車両通行帯上に停止した。被告人車両は,信号機が青色表示に変わるとやや左寄りに進行
を始め,交差点手前で同交差点北西側歩道沿いの縁石をまたぐようにして,左側の前輪と後輪を歩道に乗り入れた状態で進行し,そのまま左斜め前方向に同交差点内を斜走して縦断して,同交差点から本件歩道上に進入した(甲21ないし23)。
(3)被告人車両は,本件歩道上の歩行者通行帯を辛駅方向(東側)に向けて途中に設置された車止めに接触することなく進行した上,同歩道上を東方から対向歩行してきたPの約二、三メートル手前付近で一瞬停止した。被告人車両は,Pらが被告人車両を避けると再び発進し,本件歩道の歩行者用通行帯を東進したところ,被告人車両がPらの脇を通過する際,被告人は,しっかりハンドルを握り,
目を見開いてまっすぐ前を見ており,
Pらが
「危ないね。

などと大きな声で言っても,そのまま運転を続けた(甲24,25,P証言・9ないし68,
90ないし142項)なお,

先行車両を運転していたQは,
上記のとおり,Pの手前で停止した地点に前後した地点でも,被告人車両が一旦停止したのを目撃しているが,その具体的な地点は,証拠上必ずしも一定していない(甲22,23)。
被告人車両は,デパート前交差点北東角の本件歩道への進入地点から約138メートル進行した宮崎市jk丁目l番m号先路上において,時速約17キロメートルの速度で進行中に,被告人車両と同一方向に向けて歩行中のCに,同車両前部を衝突させて同人を路上に転倒させたが,その場で停止することなく進行した(甲10,11,24,25,44,P証言・69ないし89項)。なお,同所付近のコンビニエンスストアに設置された防犯カメラの映像には,被告人車両とCの接触した地点から数十メートル先にある壬郵便局前の歩道上において,被告人車両がブレーキを作動させた様子が記録されている(弁5)。
被告人車両は,Cに衝突した地点から約322.5メートル先の宮崎市no丁目p番q号先路上において,時速約39キロメートルないし約42キロ
メートルの速度で進行中に,被告人車両と同一方向に向けて歩行中のDに対し,同車両前部を衝突させて同人を路上に転倒させるとともに,左前輪で礫過したが,減速せずそのまま進行した(甲10,26ないし28,89,R証言・10ないし36項)。その直後,被告人は,ハンドルを両手でつかみ,やや前のめりになって,運転に集中しているような感じで前を一点だけ見詰めて走行していた(R証言・37ないし45項)。
被告人車両は,Dに衝突した地点から約154メートル先の宮崎市no丁目r番s号先路上において,時速約56.8キロメートルないし約60.8キロメートルの速度で進行中に,被告人車両と同一方向に向けて自転車で走行中のEの後方に,被告人車両前部を衝突させて同人を自転車もろとも路上に転倒させた後,更に時速約55.7キロメートルないし約59.4キロメートルの速度で進行し,同歩道上のコンクリート製ベンチに衝突させて,その衝撃により横転しながら,同市no丁目r番w号先路上で,判示第2の4のとおりF,G,Hに被告人車両や被告人車両が跳ね飛ばした自転車を衝突させるなどした(甲2,10,13,22,23,29ないし33,47,49,90,S証言・11ないし47項)。
(4)

被告人車両は,
車体底部を上にした状態で辛駅前交差点内で停止した
(甲

2)。被告人は,運転席側の窓から,上半身を外に出し仰向けになって身動きが取れないような状態であったが,意識はあり,Qが声を掛けると,返事はしなかったものの,首を上下に振って頷くような仕草をした(甲22,23)。
9
本件事故後の被告人の状況等
(1)被告人は,癸病院に緊急搬送され,引き続き同病院で入院治療を受けた。被告人は,同病院で,外傷性くも膜下出血,局所性脳挫傷,頭部打撲挫傷と診断された(甲62,T証言・6ないし17項)。
(2)被告人に対しては,平成27年10月29日及び翌30日に脳波検査が実
施されたところ,同検査では,右前頭部から中心部に局在するてんかん性放電が間欠的に出現していることが確認された。そして,被告人は,同月30日午前5時40分頃に全身痙攣を伴うてんかん発作を生じたものの,その後の脳波検査では,明らかなてんかん性放電は認められなかった(T証言・36ないし103,141ないし145項)。
第4
1
I医師の鑑定意見の信用性について
I医師の鑑定意見の概要
I医師は,捜査段階で被告人に対する鑑定を行い,その内容を記した鑑定書を作成した上で,第7回公判期日,第8回公判期日,第11回公判期日の3回にわたって証人として出廷して,被告人がてんかんに罹患しており,本件事故がその発作による意識障害により惹起されたものであるとの鑑定意見を証言したものである。I医師の鑑定意見の内容は,上記のとおり3回の証人尋問を経る間に,相当の部分が変遷,修正されていることから,その論拠として最終的に述べるところには必ずしも明確でない部分もあるものの,おおむね次のような内容と理解できる。
(1)まず,I医師は,てんかんの病態の特徴につき,「てんかんは,発作性疾患に分類されるところ,発作とは,それまで全く異常がなかった人が突然病的な状態になって,
しばらくするとまた元に戻ることを繰り返す病態をいう。
そして,発作性疾患の中でも,てんかんとは,大脳が原因となって,神経症状を短時間繰り返す病気をいう。」(第7回公判期日におけるI証言・28項)などと説明した上で,被告人がてんかんであると判断される根拠について,「被告人が,⒝トンネル前の道路において,中央線にかかるように自車を停車させたまま,前方をじっと見詰めて周囲の呼び掛けには何の反応もせず,エンジンを空吹かしした後,走り去ったという状況は,一点を凝視したまま動作が静止し,その状態が短時間で回復するというもので,てんかん発作の要件をよく満たしているから,⒝トンネル前の道路では,被告人には一
点凝視を伴う複雑部分発作(意識減損)が生じていた。」(第7回公判期日におけるI証言・49項)などと指摘するほか,過去の診療録や病歴に関しても,「己外科の記録に,被告人が,平成23年の入院時にぼうっとして上肢を硬直させたりするという症状が繰り返し起きていたことが記載されていた。また,平成27年には,被告人は,一時的に言葉が出なくなって,それが戻るという症状があった。さらに,Bの供述調書には,約20年前に,葬儀の出棺の際に全身痙攣を起こし,その後時々ぼうっとすることがあったという記載されていた。」(第7回公判期日におけるI証言・50項)点を参考にした旨を証言している。このほか,I医師は,被告人の脳波検査の結果について,「本件事故後に癸病院で実施した脳波検査の結果にはてんかん性放電が認められるが,これは,本件事故による頭部外傷による急性症候性発作によるものであることは否定できない。しかし,本件事故前の平成27年10月24日に己外科で行われた脳波検査から認められる一連の脳波の波形は,当時,被告人に発作を起こすような病態が,繰り返し不安定な状態で長時間持続していたことを示している。」(第7回公判期日におけるI証言・72ないし106項,第8回公判期日におけるI証言・20ないし26項)などとして,被告人が本件事故当時てんかんに罹患していたと結論付けている。
他方で,
I医師は,
被告人が認知症に罹患していた可能性については,
「認
知症は,
変性疾患であるから,
神経細胞が少しずつ減っていくことによって,
元気な状態から進行していく病態である。一時的に改善することはあるとは思うが,基本的には進行する病気である。」(第7回公判期日におけるI証言・39,40項)などと説明した上で,「被告人について,平成27年に至るまでに日常生活が明らかに損なわれているというような状態にはなかった。また,事件後3か月置きに外来で診察する限り状態がよくなっており,認知症の検査であるMMSEの点も,当初は8点だったのが後に15点に改
善していた。確かに,脳血流シンチ等の画像検査の一部は,認知症が存在するパターンを示してはいるものの,認知症があったとしても軽いものであったと思われる。」(第7回公判期日におけるI証言・120,121項,第8回公判期日におけるI証言・218ないし221,276ないし279項)旨証言している。
(2)また,I医師は,本件事故がてんかんの影響によるものであることについて,「⒝町でてんかん発作を起こした後,被告人は,パトカーをあおるような運転をしたり,赤信号を無視したりするなど一般の運転手から見ても奇異に思われることをしているのは,発作後に完全には覚醒していない状態である発作後もうろう状態にあったと考えられる。」(第7回公判期日におけるI証言・109項)などと証言をした上で,本件事故現場付近での状況については,「デパート前交差点では,被告人車両が,交差点手前の左側の縁石に引っかかった後,それから脱出してずるずると交差点内に入っているように見える。これは,少なくとも,(⒝トンネルを通過した後に)被告人がパトカーを追走したような感じの自動車の運転操作をしているようには見えない。かなりの程度意識レベルが落ちており,ひどい発作後もうろう状態又は意識減損状態にあったと考えられる。(第11回公判期日におけるI証言・」
93,114ないし116項),「そのまま進むとビルにぶつかってしまうが,そこで覚醒レベルが上がったため,ビルにぶつからないように方向を切り替えて本件歩道に進入し,その状態のままPらの前に来た際には止まることができたが,その後覚醒レベルが少しずつ下がっていって,最終的に事故に至った。被告人は,人に当たっても振り向きもしていないので,人が見えてはなかったといえる。最終的には⒝町のときと同じように意識減損状態になって,走行させながらアクセルを踏んでしまい,暴走状態になったと考えられるが,そこに至る途中は,車止めに当たらずにまっすぐに走行していることや,一旦停止していることから,全く意識がなかったとはいえず,発作
後もうろう状態であったと考えられる。」(第11回公判期日におけるI証言・94ないし116項)などと説明している。
その上で,I医師は,本件事故がてんかんが原因であり,認知症の影響を除外できる理由について,「被告人のこれまでのエピソードや病歴,10月24日の脳波の所見に加え,⒝町での出来事などはてんかんの発作と考えられるところ,その僅か20分後に起きた事故をてんかんと結びつけずに考えることは理屈に合わない。そして,本件歩道上の進行状況については,意識レベルの変動が見られることからすると,認知症は除外できると考えられる。」(第11回公判期日におけるI証言・122ないし125項)旨証言している。
2
てんかんの罹患の有無について
(1)I医師は,臨床神経学一般,その中でもてんかんや脳波を専門とする医師であり,日本てんかん学会認定臨床専門医や日本臨床神経生理学会脳波分野認定医の資格を取得している上,癸病院の神経内科の部長として勤務するなどしててんかん患者の治療や診断を日常的に行っており,脳波判読の点も含めてんかんの診断に関する専門的な知見と豊富な臨床経験を有していることが認められる。
そして,前記のとおり,I医師は,被告人の入通院先の診療録等や,関係者の供述調書等の資料を検討して,被告人が過去に発作による一時的な症状の悪化と回復を繰り返していることを把握した上,平成27年10月24日に己外科において実施された脳波検査の結果を分析して,てんかん発作を起こすような明らかな異常が認められたことも踏まえて,本件事故当時,被告人がてんかんに罹患していたと結論付けている。
このような説明内容は,被告人の過去の病歴や症状と整合するものであって,その判断内容に特に不合理というべき点はないから,信用性が高いというべきである。

(2)なお,I医師は,前記のとおり,本件事故の約20年前に被告人が神戸で行われた親戚の葬儀において倒れたという出来事についても,てんかんの発作と見られるとして鑑定意見の根拠にしているところ,これについては,認定事実のとおりBが痙攣発作を伴うものであったことを否定する証言をしており,そのような事実があったという認定はできないから,I医師の鑑定意見には前提とした事実に一部誤認があるといわざるを得ない。しかし,I医師は,平成23年12月と平成27年10月の己外科に入院した際の症状も踏まえて判断しているのであって,I医師自身も,上記の約20年前の被告人の症状を除外しても,被告人がてんかんに罹患していたとの結論は左右されないと証言している
(第8回公判期日におけるI証言352,

353項)

したがって,この点の誤認は,I医師の鑑定意見全体の信用性を揺るがすようなものではない。
(3)弁護人は,①てんかん発作は,同じ症状を繰り返す反復性の発作でなければならないところ,被告人にてんかん発作が出現したとして挙げられている各症状には,てんかん発作といえる反復性は認められない,②本件事故発生前に,被告人がてんかんであるとの確定診断がなされた事実は存在せず,診察したK医師やL医師らも,
てんかんの確定診断を下していないなどとして,
I医師の鑑定意見の信用性を論難している。
しかし,①の点は,I医師は,被告人について,ぼうっと前方を見てよだれを垂らすなどの状態となることを繰り返しており,中核となる症状は同じである
(第11回公判期日におけるI証言・181項)
などと説明しており,
その説明は十分納得できるものである。この点に関し,弁護人は,被告人の言葉が出なくなる症状は,平成27年10月に初めて生じたものである旨主張しているが,認定事実のとおり,Bは,被告人が平成23年12月に己外科に入院した際にも,言葉が出ない症状があったと証言しており(第6回公判期日におけるB証言・36ないし42項。なお,戊病院の医師が作成した
診療情報提供書にも,同様の記載が認められる。弁9),弁護人の主張は前提を欠く。また,②の点は,認定事実のとおり,K医師は,確定診断まではしなかったものの,平成23年12月と平成27年10月のいずれの入院の際にも,
被告人にてんかんを強く疑ってその治療を行っている上,
事件後に,
同月24日の被告人の脳波検査の結果を改めて見ても,典型的なてんかん波とは違うと思うが,通常の遊動の中にいくつか徐波が散発的に見られる点を異常と見ることもできるなどとも証言している(K証言・88ないし100項)。これらからすると,K医師らがてんかんの確定診断をしなかったことが直ちにI医師の鑑定意見と矛盾するとはいえない。
このほか,弁護人は,平成27年10月24日に己外科で実施された脳波検査の結果をてんかんの診断の根拠とすることはできないなどとも主張しているところ,後記のとおりI医師が同脳波検査の結果につきどの程度慎重に検討した上で鑑定意見を述べたかは疑問があり,その結果を過度に重視することは相当でないというべきであるが,他方で,てんかん性の異常があることについては,I医師と協働して鑑定を行ったT医師だけでなく,K医師も上記のとおり典型的なものではないとしながらも一応異常があったことを認める証言をしている。したがって,同脳波検査の結果を診断の根拠としたこと自体が不合理とまではいえない。弁護人の主張はいずれも採用できない。3
認知症の罹患の有無について
(1)他方で,I医師は,前記のとおり,被告人には中程度の認知機能障害が認められるとしつつも,少なくとも治療が必要な程度の認知症を有していたとは考えられない旨を証言している
(第8回公判期日におけるI証言・173,
174項)。
しかし,認定事実のとおり,被告人には,平成23年頃から,自分では調理をしないはずであるのに調理器具をテレビショッピングで購入したり,年金証書や生命保険証書をシュレッダーにかけるなどの行動に及ぶなど,認知
症を疑わせる具体的な行動があったほか,本件事故の1年くらい前からは,物忘れが目立ち,それ以外にもひどく無口になったり,家族が集まって食事をしている際に突然立ち上がって掃除をし始めたりするといった奇異な行動も見られたというのである。また,被告人は,平成23年12月と平成27年10月の己外科へのいずれの入院期間中にも,夜眠れずに院内をうろうろしたり,入院していることを理解できずに荷物をまとめて帰ろうとしたりするといった行動が見られたことから,K医師は認知症を疑ったというのである。
それにもかかわらず,I医師は,Aの供述調書に記載された物忘れが目立つとの若干の記載を参照しただけで,家族らと改めて直接面談をして聞き取りを行うなどして,家庭内での認知症をうかがわせるエピソードがなかったかを十分に把握しようとはした形跡は見られないし(第8回公判期日におけるI証言・178,192項),鑑定に当たって参照したはずのK医師の供述調書(甲59)にも,上記のような奇異な行動があったことが記載されているのに,そのことについて十分に検討した様子も認められない。このように,I医師の鑑定意見は,被告人が認知症を始めとするてんかん以外の病気に罹患していた可能性がないかを公平な見地から十分に検討したものとは認め難く,被告人が罹患する認知症による認知機能障害は,I医師が証言するよりも重篤なものであった疑いは否定できないというべきである。(2)この点,J医師は,公判廷において,「被告人には明らかな中等度程度の認知障害があるところ,その認知障害は主に前頭葉機能低下によるもので,前頭側頭型認知症の可能性が非常に高いと考えられる。」などと証言している(J証言・174,175,284,285項)。
J医師は,
日本神経学会認定専門医に加え,
指導医の資格も有している上,
病院神経内科の脳神経センター臨床研究部長として勤務しており,てんかんや認知症に関する専門的な知見と豊富な臨床経験を有している。
確かに,J医師は,I医師と異なり被告人に対する鑑定を行ったわけではないから,被告人の行動観察や診察を十分な時間を掛けて実施しておらず,そのため,確定的な診断をしているわけではない。しかし,J医師は,上記意見書を作成するに当たっては,これまでの被告人の入通院先病院の診療録と看護記録のほか,本件事故現場の走行状況に関する弁護人作成の図面も検討した上で,被告人に対する問診や被告人の家族(A,B)との直接の面談を実施し,さらに,被告人に対し,見当識や記銘力など評価する簡易検査等の神経学的診察と諸検査,CTによる画像検査等を実施して,両側前頭葉萎縮や左優位の側頭葉萎縮の所見が見られることを踏まえて意見を述べたものであって(J証言・18ないし180項),前頭側頭型認知症に罹患している可能性を指摘する部分に関する限り,その結論を導く過程にも明らかに不合理といえるような点は見当たらない。
これらに照らすと,
J医師の意見もまた一概に排斥できない信用性を備えて
おり,前記のとおりI医師の鑑定意見には,被告人の認知症が軽度であると判断した部分の判断過程の信用性に疑問というべき点があることも踏まえると,被告人が前頭側頭型認知症であった可能性は否定できないといえる。(3)検察官は,前頭側頭型認知症は緩徐進行性の脳変性疾患のはずであるのに,同居していたAの証言からは行動の異常が継続的に進行していたことをうかがわせるエピソードは認められず,また,仮に本件時の被告人の行動に前頭側頭型認知症が影響しているとすれば,その病状は相当高度なものであり,本件事故以前にも同症状の徴候が認められてしかるべきであるのに,そうした徴候が認められた形跡はないなどと主張する。しかし,J医師は,上記のとおり,被告人の家族から本件事故前の行動状況を聞き取るなどして,本件事故前の数年間における被告人の性格,行動の変化として,無為,無気力の結果としての自室への閉じこもり,食行動の変化,自動車の接触事故等を頻回に起こしていたことなど,前頭葉の機能の低下に由来すると考えられる事
実関係を確認した上で意見を述べたものであり,診断の前提となるエピソードが認められないとか,その徴候がなかったなどいう批判は当たらない。このほか,検察官は,J医師の見解につき,J医師の面談では,AやBが被告人のてんかん発作を疑わせる事実関係につき公判での証言内容等と異なる話をしていることなど,前提としている資料に問題があることをるる指摘するほか,被告人の過去の症状を分断して,それぞれに症状が類似する病名を抽象的に列挙しているなどと主張している。しかし,これらの検察官の主張については,J医師が被告人の症状につきてんかんと積極的に診断していないことに対して反論するものと理解できるところ,そもそもJ医師も被告人がてんかんであることを否定しているわけではない上,J医師が様々な病名を上げている点も,もとより確定的な診断をした趣旨ではなく,弁護人の依頼を受けてI医師の鑑定意見を批判的に検討する立場から,他のあり得る疾患の可能性がないかを慎重に検討する必要がある旨を述べているにすぎないとも理解できる。したがって,検察官が指摘する点は,前頭側頭型認知症に罹患している可能性があるとするJ医師の見解全体の信用性を左右するものではない。
4
本件事故に及ぼした影響の有無について
次に,I医師の鑑定意見のうち,本件事故がてんかんの影響で起きたものとする部分については,次の事情が指摘できる。
(1)I医師は,前記のとおりてんかんの診断に関しては十分な臨床経験と専門的な知識を有しているものの,刑事事件の鑑定についてはこれまでに経験が全くなく,鑑定人としては,単に被告人がてんかんなどの疾患に罹患しているかどうかを検討するだけではなく,
そのような疾患に罹患している場合に,
それが本件事故に及ぼした影響の有無や程度を検討することが求められていることを十分に理解しないまま鑑定を行ったものと認められる。
すなわち,I医師は,当初鑑定書を作成した時点では,本件事故状況や事
故現場の状況に関する実況見分調書等を十分に検討しておらず,本件歩道上に多数の車止めが設置され,被告人車両がこれらの車止めと衝突することなく相当の距離を走行したことも把握していなかったことを自認している(第8回公判期日におけるI証言・108ないし114項)。また,I医師は,被告人車両が本件歩道上でPらの前で一旦停止した状況についても,Pらの供述によれば,被告人車両がPらの数メートル前で一旦停車した上で,Pらが被告人車両を避けると再度進行を始めた状況が認められ,そのような走行状況からは,被告人がPらとの接触を避けるために被告人車両を意図的に停止したことは明らかであるのに,この事実についても,被告人車両は,⒝町で停止した際と同様にてんかん発作による影響で停止したと考えられるなどと証言していた
(第8回公判期日におけるI証言・103ないし106項)

このような事情からすると,I医師の鑑定意見には,鑑定の基礎となる資料に対する明らかな検討不足があり,そのために重要な事実関係に関し明らかな誤解に基づく判断をした部分が含まれている可能性が高いものといわざるを得ない。
実際に,I医師は,公判廷において,鑑定では,被告人の病気を明らかにすればよいと考えていたことから,本件歩道上での走行状況等に重きを置かなかったなどとも証言している
(第11回公判期日におけるI証言・121,
122項)。このような証言は,I医師が,刑事事件における鑑定の意義や鑑定人に求められる役割に対する理解が不足したまま鑑定意見を作成したことを端的に示すものであり,I医師の鑑定意見全体の信用性に重大な疑問を抱かせるものといわざるを得ない。
(2)なるほど,I医師は,前記のとおり3回の証人尋問を経て,最終的に本件事故当時,被告人にてんかん発作が生じていたと考える根拠として,平成27年10月24日の被告人の脳波に明らかな異常が見られることを前提に,被告人が⒝トンネル前の道路中央付近でてんかん発作と思われる行動をとっ
た後,その約20分後に本件事故が起こったのであるから,これらを結び付けて考えるべきであることや,本件事故現場での被告人車両の走行状況からは被告人に短時間のうちに意識レベルの変動が認められることからすると,認知症が原因であったとは考えにくいなどと分析している。このようなI医師の説明内容は,それ自体としては相応に説得力があり,本件事故がてんかんの影響によるものである疑いも否定できないようにも思われる。(3)しかし,I医師の鑑定意見の内容を子細に見ると,I医師は,本件歩道での被告人車両の走行状況に関し,第8回公判期日において,被告人は一点凝視の症状を伴うてんかん発作が生じ,意識減損の状態となったことで,本件事故を引き起こしたものであり,仮に一点凝視の症状が認められないとすれば,認知症が原因である可能性も排除できない旨を明確に証言していた(第7回公判期日におけるI証言・107,115項,第8回公判期日におけるI証言・357ないし359,367ないし369項)。一方で,I医師は,弁護人からの反対尋問において,自分の目の前を通り過ぎていく自動車の運転手を見るだけで一点凝視と判断できるのか(第8回公判期日におけるI証言・76項),あるいは,被告人車両が本件歩道に進入する際や本件歩道上を進行する際の走行状況は,被告人が意識減損状態にあったことと整合しないのではないかという趣旨の質問をされても,明確な説明をすることができなかった(第8回公判期日におけるI証言・97項)。そして,I医師は,第11回公判期日においては,上記のような本件歩道上で被告人に一点凝視の症状が認められることを前提とした説明を撤回し,被告人車両が本件歩道上に進入して車止めなどにも接触しないまま進行し,Pの前で一時停止するなどしたのはいわゆる発作後もうろう状態にあったためであるが,その後,被告人車両が暴走状態になって本件事故を引き起こした段階では,被告人が再度てんかん発作による意識減損の状態に陥ったと考えられるなどと,被告人の覚醒レベルに変動があったとする説明を始めた(第11回公判期日におけるI証言・93ないし133項)。
このようなI医師の証言内容に関しては,I医師は,第11回公判期日において,それまで鑑定意見を支える最も重要な根拠として指摘していた一点凝視の症状は存在しなかったことを認めたのであるから,本来,そのような証言を前提とすれば,本件事故がてんかん以外の疾病の影響で生じた可能性があることになるはずである。それにもかかわらず,I医師は,覚醒レベルの変動が短時間で生じたと考えるようになったと説明しているのであって,このような説明は,道路状況等に合わせて運転しているところは発作後もうろう状態であり,そうでないところは発作による意識減損状態であると推測しているにすぎず,事故状況に関するあり得る一つの解釈であるにしても,被告人車両の走行状況自体からてんかん以外の疾患を原因とすることを一切除外できるほどの根拠が示されているとは認め難い。むしろ,そのような短時間にてんかん発作ともうろう状態が繰り返しているにもかかわらず,一応の運転操作ができるということがあり得るのかという疑問も生じ得る。結局のところ,I医師は,てんかんによる事故であるという当初の見立てに沿うように,本件事故を起こすまでの間の被告人の走行状況に合わせて覚醒レベルが上下していたなどという後付けの説明を始めたものと考えざるを得ず,そのような説明は容易に納得できるものではない。
(4)また,I医師が平成27年10月24日に己外科において実施された脳波検査の結果からも,当然に本件事故がてんかんが原因であり,認知症の影響を排除できるかのように証言する点(第11回公判期日におけるI証言・140,141項)については,I医師は,当初作成した鑑定書では,上記10月24日の脳波検査の結果は参考資料として記載されるにとどめ,鑑定主文を導く根拠として明確には挙げていなかったことが認められる。この点,I医師は,もともと鑑定意見の根拠としては本件事故後に癸病院で実施した脳波検査の結果で十分と考えていたところ,J医師の意見書において,本件事故後の脳波検査の結果は,頭部外傷による脳波異常の可能性が
あるとの指摘を受けたために,頭部外傷が発生する前の上記10月24日の脳波検査の結果を強調する説明を行うようになった旨を説明している(第11回公判期日におけるI証言・136ないし138項)。しかし,そもそも,上記10月24日の脳波検査の結果は,I医師の勤務先病院である癸病院で実施されたものではなく,脳波検査の検討において重要となるはずの記録条件等も異なるはずであるのに,I医師は,捜査機関を通じて己外科に問い合わせるなどして,脳波検査の記録条件等につき慎重に吟味検討した形跡はうかがえない。かえって,I医師は,弁護人の反対尋問において,捜査段階で鑑定書を作成した際に,上記10月24日の脳波検査の結果をどのように参照したのかを尋ねられても,同記録が鑑定書作成時に手元にあったかどうかも定かでないなど,曖昧な証言内容に終始しただけでなく(第8回公判期日におけるI証言・323ないし327,335ないし343頁),第11回公判期日においては,被告人が覚醒していない状態で記録されたものであるなどと,脳波の記録条件に関し,それまでの2回の証人尋問ではしていなかった新たな証言を始めている(第11回公判期日におけるI証言・11ないし60項)。
これらの事情に照らすと,上記10月24日の脳波検査の結果につき,前記のとおりてんかんに関係する異常が認められることまでは否定できないにしても,
これを過度に重視することは相当でなく,
I医師の鑑定意見のうち,
上記10月24日の脳波検査の結果から,当然に本件事故の原因がてんかんであり,認知症の影響を排斥できるかのようにいう部分は容易に納得できるものではないといえる。
(5)さらに,認定事実のとおり,被告人の本件事故当日の異常行動は,⒝トンネル前から始まったわけではないことは明らかであって,I医師の鑑定意見は,その結論を導く過程において,この点の考察が十分にされたものとは認め難い。すなわち,被告人は,本件事故当日,Aに対しては座椅子を買いに
行くと述べていたにもかかわらず,財布や携帯電話も自宅に置いたまま鹿児島県内の自宅を出発し,国道を北上して熊本県内に入った後,途中で引き返すなどして宮崎県に入り,本件事故現場に至るまで合計約320キロメートルの道のりを約7時間かけて走行している。この間の被告人車両の走行状況は定かではないが,少なくとも,途中相当数設置されていたはずの信号機の信号表示に従って交差点で停止したり,適切な進路変更を行ったりすることを含め道路状況に合わせた運転操作を行わなければ,長時間にわたり事故なく進行することはできないと考えられる。そのような当初述べていた目的に合わない長距離長時間の運転行為が,意識減損の状態ではないにせよ,てんかん発作によって意識障害が生じたことによる影響で引き起こされたと見るにはやや無理があり,むしろ,認知症による見当識や判断能力の低下により生じた症状と見るのが自然で合理的と考えられる。
この点,I医師は,てんかん患者が自分でも気付かないうちに相当離れた場所に何時間もかけて移動するとん走という症例が存在する旨を説明する(第7回公判期日におけるI証言・34,35項)とともに,体に染みついた学習の結果として,自動車の運転は完全に覚醒していない状態でも手続記憶として遂行可能であるなどとも証言している(第11回公判期日におけるI証言・119,120項)。しかし,そもそも,I医師は,鑑定書にはとん走などの事例については全く記載しておらず,むしろ本件事故発生以前の行為として,被告人が自動車を200キロメートル以上の距離を問題なく走行していることを被告人が意識清明であったことの根拠として挙げている。この記載は,被告人が本件事故現場に行き着くまでの距離が200キロメートル程度であり,その間も特段問題なく走行してきたという前提で記載されている点で,やはりI医師が前提となる事実関係を十分に把握しないままに鑑定書を作成したのではないかという疑問を抱かせるものである。そして,その点を措くとしても,I医師の指摘する症例の中に,被告人のように長時
間にわたり自動車を運転して長距離を移動した事例が含まれているというわけではないし,てんかんによる意識障害が生じることによりとん走が発現する機序が解明されているわけでもないから(甲94),いずれにしても,十分納得のできる説明となっているとは認め難い(実際に,I医師は,第11回公判期日において,弁護人からこの間の走行についてどう説明するかを改めて問われると,「分からない。」と証言している。第11回公判期日におけるI証言・204項)。
加えて,被告人は,⒝トンネル前の道路を出発した後,先行車両をあおるような運転をしたり,また,赤信号無視を繰り返したりするなど,周囲の運転手が奇異と判断するような運転を行っていたところ,I医師は,このような行動は,てんかん発作により意識減損状態から若干回復した状態である発作後もうろう状態にあったためと説明している(第7回公判期日におけるI証言・27,109項,第11回公判期日におけるI証言・88項)。しかし,この説明についても,なぜてんかんによる発作後のもうろう状態になると,突然パトカーをあおったり,赤色信号無視をしたりするなどの反社会的とも思える行動をとることになるのか,その納得できる理由の説明はなされておらず(第8回公判期日におけるI証言・376ないし381項,第11回公判期日におけるI証言・448ないし453項),I医師が,被告人の奇異な行動は全ててんかんが原因であるとの予断に基づき説明しているという印象は否めない。実際に,I医師は,発作後もうろう状態で自動車が何百メートルも走った例はない旨証言し(第8回公判期日におけるI証言・136項),また,弁護人が,発作後もうろう状態にある者が先行車両をあおるような運転しながら追突しないということが可能なのかと質問したのに対しては,
確認したことはないと証言しており
(第8回公判期日におけるI証言・
85項,第11回公判期日におけるI証言・452項),十分な具体的な根拠に基づく説明がされているとはいい難い。

このように,本件事故当日の被告人の行動には,てんかんによる症状によるものとして見ると,必ずしも説明がつかない部分も少なからず見られるのであって,I医師の鑑定意見ではこれらの部分を含め全体として合理的,整合的な説明をしたものとは認め難い。このような事情は,I医師の鑑定意見全体の信用性を減殺させる事情といわざるを得ない。
(6)これに対し,J医師は,公判廷において,前記のとおり被告人に中程度の認知機能障害があり,前頭側頭型認知症の可能性が高いと指摘した上で,まず,被告人が自宅を出た後,本件事故現場まで無目的に長距離を運転した理由については,「単に記憶障害や虚言という解釈も可能かもしれないが,当初は何らかの目的・意図があって自宅を出たものの,(認知症の影響により)その目的を保持できず,あるいは,注意障害により道路標識等の見逃しなどのため,本来の目的であったどこかに行くという行動が遂行できずに,結果的に一見無目的の長距離の運転になったと考える。」などと説明するとともに(J証言・182項),⒝トンネル前の道路での状況についても,「てんかんの可能性を否定するものではないが,本人なりに何らかの事情があって中央線をまたぐような位置に停車したが,前頭側頭型認知症等の認知障害により,それを迷惑行為と考えない精神構造にあったと考えれば,てんかん以外では起こらないとはいえない。また,被告人が周りの人から声を掛けられても反応しなかったのは,周囲に対する関心の欠如とか,注意が広がらないという意味で起こり得る症状である。急に声を掛けられたり,手を触られたりしたことで,本人なりの戸惑いとか恐怖心から攻撃されたと誤解することもあり得る。」
旨説明し
(J証言・
200,201,350項),さらに,⒝トンネル通過後本件事故現場に至る間に,被告人がパトカーにあおり運転を行ったり,赤信号無視を繰り返したりしたことについても,「てんかん発作中ではあり得ず,警察車両をあおるという反社会的な行為について抑制が効かない状態であり,前頭側頭型認知症に罹患した状態ではあり得ることである。」旨を説明している(J証言・391,
392項)。
J医師は,本件歩道上での被告人車両の走行状況について,「デパート前交差点内から本件歩道に進入するためには,ハンドルを左に切ってもう一回右に切り直さなければならず,そういった一連の動作は,少なくとも意識が保たれて視覚的にも情報が目から入っている状態でないと不可能である。被告人は,広い通りの一番左側に位置する本件歩道を,人も車も同時に通行する一番左側の車線と誤認して侵入したが,それを歩道と判断する能力が欠けているため,歩道と気付かず,あるいは,気付いても速やかに修正する行動ができなかったと解釈できる。そして,本件歩道上で,被害者らとぶつかっても止まらなかったことについて,ぶつかってもそれを全く認識しなかった可能性も否定はできないが,意識が保たれていたという前提で考えても,当初は注意視野が非常に狭くなった状況で何かにぶつかったという程度の認識であり,途中では人にぶつかったらしいと認識したが,被害者の方からぶつかってきたというような明らかに自分勝手な解釈をしたとも考えられる。そして,どういう考えか,本来の車道側に速度を上げて出ようとしたが,これも状況の判断とそれに基づいた合理的な行動ができなかったという意味で,前頭側頭型認知症であればあり得ると考えられる。」(J証言・183ないし187,353ないし365,377項)などと証言している。
J医師の上記のような説明は,被告人が本件当日に特異な行動をとった原因につきあり得る解釈を示したものにすぎないとはいえ,いずれもそれなりに筋が通ったものというべきであり,前記のとおりてんかん発作の症状によるものと断定するI医師の鑑定意見に多くの疑問点が指摘できることを合わせ考えると,一概には排斥できない合理性を備えたものといえる。
検察官は,I医師の鑑定意見を前提に,被告人は,⒝トンネル手前の道路からデパート前交差点までの間,先行車両等に衝突することなく運転しただけでなく,また,本件歩道に進入した後においても,Pの前でいったん停止するな
どしていたにもかかわらず,その後間もなく3名の被害者に立て続けに衝突したことから,被告人の認知機能が急激に悪化したことが原因と考えるほかなく,認知機能の急激な悪化という症状は,緩徐進行性の脳変性疾患である認知症の病態と整合しない旨主張している。しかし,上記のようなJ医師の説明によれば,認知機能障害による注意の欠損や判断力の低下が生じていたことにより,本件事故時のような走行状況になった可能性も一概に否定できないというべきである。むしろ,J医師は,本件当日に,長距離の数時間に及ぶ無目的な運転行為が行われていることなど,認知症によるとしか考えられない異常行動と本件事故を切り離して考えるのは相当ではなく,認知症による影響と統一して考えるのが常識的であるなどとも指摘している(J証言・393項)ところ,このような見解も踏まえれば,検察官がいうように,被告人の認知機能が急激に悪化したと考えるしかないなどとはいえない。
第5
1
結論
以上のとおり,I医師の鑑定意見は,それなりに首肯できる部分もあるとはいえ,本件事故状況の把握など,刑事事件の鑑定人としての役割の理解や公平性に疑問がないとはいえない上,結論を導く過程の説明についても,重要な事実の検討が欠落し,あるいは,その指摘を受けて後付けの説明を始めたと見られる部分があるなど,必ずしも合理的で納得できる内容とはいい難い部分も少なからず見受けられる。そして,J医師の見解も踏まえて考えれば,本件事故状況は,I医師の鑑定意見のように,てんかん発作により被告人の意識レベルの変動があったと考えなければ説明が付かないものではなく,むしろ,被告人の認知機能の低下により本件事故が引き起こされた可能性も一概には否定できないというべきである。
したがって,I医師の鑑定意見の信用性には疑問を差し挟む余地があり,被告人がてんかんの発作により意識障害の状態に陥った状態のまま,本件事故を起こしたと認定することはできないから,第2の事実に係る主位的訴因である危険運
転致死傷罪の成立を認めるには合理的な疑いを入れる余地があるというべきである。
2
なお,検察官は,本件事故がてんかんの影響によるものでないとしても,被告
人が意識障害や運動障害の状態に陥ることを予見しながら,被告人車両の運転を開始したことにより本件事故が発生したものであるとして,平成29年6月14日付け予備的訴因等の追加請求書記載の公訴事実記載の過失運転致死傷罪が成立するとも主張しているが,前記のとおり,本件事故は,被告人が意識障害に陥ったことを原因とするものではない可能性が否定できない。したがって,上記予備的訴因に係る過失運転致死傷罪の成立も認められない。
3
以上の次第で,被告人には,判示のとおり平成29年7月6日付け予備的訴因
等の追加請求書記載の公訴事実のとおり過失運転致死傷罪が成立するにとどまるものと判断した。
(法令の適用)

(量刑の理由)
1(1)まず,処断罪である判示第2の過失運転致死傷の犯行を見ると,被告人は,平成23年12月に入院して以降,長男や妻ら家族から,重大な事故が生じる危険があるとして運転を控えるよう再三注意されていた上,本件当日も妻から改めて運転はしないように言われていたにもかかわらず,妻が隠した自動車の鍵を見つけ出して運転行為に及んでいる。なるほど,事実認定の補足説明のとおり,被告人が認知症に罹患していたため判断力がある程度低下していた可能性があることは,量刑上それなりに有利に考慮すべき事情といえる。しかし,被告人は,周囲の呼びかけにも反応を示さないような状態に陥ったことから,脳神経外科で入院治療を受けたばかりであり,しかも,本件事故の前日の夜まで言語障害が残っていた。被告人は,自分でも,運転をしてはいけない体調であることは認識していたというのであるから,上記のような家族の説得を聞き入れて運転を思いとど
まることはできたはずである。そうだとすれば,本件は,多数の人の生命身体に及ぼす危険を顧みずに敢行された身勝手な犯行であり,被告人の過失の程度は重いといわざるを得ない。
そして,実際に,被告人は,運転中に,道路状況を把握して的確な運転ができない状態に陥り,宮崎市内の中心部の多数の歩行者が往来する道路の歩道上に自車を乗り入れ,同歩道上を約670メートルもの距離にわたって暴走させ,通行していた被害者6名に対し次々と自車を衝突させて,そのうち2名を死亡させ,4名に傷害を負わせるという重大な事故を起こしている。本件の事故態様は,同種の事案の中でも特に危険で悪質な部類のものということができ,この点は本件の犯情を評価するに当たっては重視せざるを得ない。
被害者らは,本来安全であるはずの歩道上を通行していただけであって,もとより何らの落ち度は認められない。それにもかかわらず,上記のような理不尽な事故により,突如として生命を奪われた死亡被害者らの無念は察するに余りあり,残された遺族らが突然肉親を失ったことで感じた衝撃の大きさや悲しみの深さも計り知れない。また,傷害被害者の中には重傷を負った者が複数名おり,比較的軽微な傷害結果にとどまった被害者らも,突然事故に遭ったことで多大な恐怖感等の精神的苦痛を味わっている。本件結果はまことに重大である。(2)また,判示第1の道路交通法違反の犯行を見ても,被告人は,本件事故の数か月前に運転免許証の有効期限を更新する際,長男からは免許の更新をしないよう強く注意されていたのに,買い物に不便であるとか,車の運転が好きで運転をしたいなどという理由から,虚偽の申告をしてその更新手続を行ったものである。非常に身勝手な犯行であり,これが悲惨な事故を起こした判示第2の犯行の遠因となったことも考えると,被告人は厳しい非難を免れない。
2
以上のような犯罪事実に関する事情を中心に据えた上で,刑の公平性の観点から,同種事案の量刑傾向にも照らして検討すると,本件は,2名の被害者を死亡させた過失運転致死傷罪1件を中心とする事案の中で,特に重い部類に属するというべき
であるから,被告人に対しては相当長期間の実刑をもって臨まざるを得ない。3
そして,被告人に対する具体的な刑を定めるに当たっては,上記の事情に加えて,犯情以外の点で,死亡被害者らの遺族らが,被告人に対するまことに厳しい処罰感情を有していることも相応に重視すべきである。そうすると,被告人が,死亡被害者1名の遺族を除く被害者と遺族との間で,任意保険によって合計3960万円余りの賠償金等が支払われたことで示談が成立しており,残る死亡被害者1名の遺族との間でも今後示談の成立が見込まれること,被告人が,公判廷において,言葉足らずな印象はあるものの,自らの軽率な行為を振り返って被害者らに対する謝罪の弁を述べるなど,被告人なりに反省の態度を示したこと,長男が出廷して,社会復帰後の監督を誓約したこと,業務上過失傷害罪によるやや古い罰金前科がある以外には前科がないことなど,犯情以外の点で被告人にとって有利な事情を十分考慮しても,被告人に対して主文程度の刑を科すのはまことにやむを得ないものと判断した。

(求刑

主位的訴因につき懲役10年,予備的訴因につき懲役7年)

平成30年1月24日
宮崎地方裁判所刑事部
裁判長裁判官

岡﨑忠之
裁判官

織川逸平
裁判官

岩尾悠矢
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