判例検索β > 平成29年(わ)第1052号
恐喝
事件番号平成29(わ)1052
事件名恐喝
裁判年月日平成30年1月31日
法廷名名古屋地方裁判所
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主文理由
被告人は無罪

第1

本件公訴事実

本件公訴事実は,「被告人は,暴力団甲会若頭であるが,愛知県あま市内でペットサロンを経営するA(当時40歳)が暴力団構成員である被告人を畏怖していることに乗じてAから盆栽購入費の名目で現金を脅し取ろうと企て,平成28年11月27日頃,同市ab番地cdペットサロン乙において,Aに対し,
『今年も鉢持ってくるんで頼む
わ。なめたこと言っとったらあかんよ。付き合い断れるわけねぇだろう。』などと語気鋭く申し向けて現金の交付を要求し,
もしこの要求に応じなければ同人の財産等にいか
なる危害を加えるかもしれない気勢を示して脅迫し,同人を畏怖させ,よって,同年12月21日頃,同店において,情を知らない氏名不詳者を介し,Aから現金1万円の交付を受けてこれを脅し取ったものである。」というものである(平成29年11月2日付け訴因変更請求書に基づく訴因変更後のもの)。
第2
1
争点等
本件の争点は,前記ペットサロン(以下「本件店舗」という。)においてAを脅
迫した犯人が被告人であるか否か,すなわち,被告人の犯人性である。検察官は,①被害者であるAが,Aを脅迫した犯人は被告人である旨を供述していること,②本件店舗の手伝いに来ていたBが,Aが脅迫されていた当時に見た人物が被告人に似ている旨を供述していること,③Aが,Aを脅迫した犯人は黒くて大きなバンに乗って立ち去った旨供述しているところ,被告人の使用車両は黒色のステーションワゴン(ヴェルファイア)であり,車の特徴が合っていること,以上から犯人が被告人であると主張する。
これに対し,被告人は,本件公訴事実記載の日のみならず平成28年の年末頃には本件店舗に行っていない旨供述し,弁護人は,犯人と被告人との同一性を争い,被告人は犯人ではなく無罪であると主張する。
2
本件においては,
Aが脅迫された日がいつであったかという点を除いて本件公訴

事実記載の出来事があったこと自体には概ね争いがなく,後述のとおり証拠上も認められる。もっとも,本件店舗においてAを脅迫した犯人の特定,すなわち犯人性については,物的証拠等の客観的証拠がなく,被害者であるAの供述及びそれに沿うBの供述があるのみであるから,以下,A及びBの供述の信用性について検討する。
第3

前提事実等

関係各証拠によれば,本件の前提事実及び本件の捜査の経過として,以下の事実が認められる。
1⑴

被告人は,平成3年頃に暴力団組員となり,本件当時は,愛知県あま市に事務
所を構える公訴事実記載の暴力団組織甲会の若頭の地位にあった。なお,
甲会は,
平成17年11月頃まで丙組という名称であった。被告人は,黒色のステーションワゴン「トヨタ


ヴェルファイア」を使用している。

Cは,元暴力団組員であり,甲会副会長の地位にあったが,平成24年頃に露
天商を継ぐために自ら望んで除籍され,
その後は丁という屋号で露天商をしてい
た。Cは,白色のバン「トヨタ


ハイエース」を使用している。

Aは,平成18年10月頃,公訴事実記載の場所で,ペット犬のトリミング等
を行うペットサロン(本件店舗)を開業し,主に一人で業務を行っていた。⑷

Bは,Aの知人であり,平成27年の年末頃から,本件店舗の忙しい日曜日な
どに本件店舗で手伝いとして働いていた。
2⑴

甲会は,あま市及びその周辺の地域にある店舗に対し,年末に盆栽や豚肉等を
買わせ,
店舗から受け取った代金とそれらの品物の仕入れ値との差額を儲けるというシノギを行っていた。


Aは,本件店舗を開業して間もない頃に,甲会の組員数名から品物と引き換え
に現金を支払うよう要求されるようになり,
その要求を断ることができずに平成
18年の年末に品物と引き換えに1万円を支払い,それ以後は毎年年末に,同組員らから要求されるたびに盆栽等と引き換えに1万円を支払っていた。⑶

Aは,平成28年11月27日(この日付については,後述のとおり,Aの公
判供述から認定できる。),本件店舗を訪れた男から,盆栽と引き換えに現金を支払うよう要求された(この男が被告人であるか否かが本件の争点である。)。Aは,同年12月21日頃,本件店舗において,氏名不詳者から盆栽1鉢(単価5000円のもの)を手渡され,1万円を支払った。氏名不詳者は,Aに対し,金額や日付欄が空白の領収証を手渡した。その領収証の領収者欄には,「丁

表C」などと記載された記名印等が押されていた。
Aは,数日後,その領収証の日付欄に「28(年)12(月)21(日)」,金額欄に「¥25,000-」と自ら記入した。


Aは,前記⑵及び⑶の出来事について,自主的に警察に被害申告をしたことは
なかった。
3
本件の捜査の経過


甲会によるみかじめ料の恐喝事件の捜査を担当していた愛知県警のD警察官
は,数年前に押収したみかじめ料の支払店舗のリストを基に,平成29年1月24日に本件店舗を訪れ,
Aに対し,
被害に遭っていないか事情聴取をした。
Aは,
当初は被害を届け出ることをためらったが,警察官から「ほかにも同じような被害に遭っている人が何人もいて,みんなで被害を届け出るようにしている」との説明を受け,本件の被害を申告した。
D警察官は,同日,Aに対し,甲会の現組員,Cら元組員,破門者等を含む合計39人の顔写真が載せられた写真帳を示し,
この中に知っている人物がいるか
もしれないし,いないかもしれないと注意を与えた上で,Aが見たことのある人物,知っている人物を選ぶように求めたところ,Aは被告人の写真を選んだ。⑵

Aは,同年1月26日に本件の盆栽を,翌27日に前記領収証を,それぞれ警
察官に任意提出した。


警察官は,同年2月1日,本件の盆栽を販売した生花店経営者(販売当時)から事情聴取し,本件でAが受け取った盆栽は,被告人が平成28年12月初旬頃に盆栽等10鉢を注文し,
同年12月20日頃に被告人の自宅に届けられたもの
のうちの1鉢であることが判明した。


愛知県警のE警察官は,平成29年2月8日,Aが本件で脅迫された日に本件
店舗にいたというBに対し,
この中にBが見た人物がいるとは限らないと注意を
与えた上で,Aに示したものと同じ写真帳を示したところ,Bは見覚えがある人物として被告人の写真を選んだ。


E警察官は,同年2月10日,Bから事情聴取を行い,同日,Bの警察官調書
が作成された。


D警察官は,同年2月14日,Aから事情聴取を行い,同日,Aの警察官調書
が作成された。Aは,同調書において,平成28年11月27日に盆栽を買うよう脅されたこと,脅した男が被告人であること,呈示された写真帳のうち被告人の顔写真について,「物静かな印象で,一昨年,昨年と盆栽を買うよう強要してきたヤクザ」であることなどを供述した。


平成29年5月10日,Cの自宅に対する捜索差押えが行われ,本件店舗を含
む複数の店舗の名前や電話番号等が記載された名簿等が押収された。その中には,
平成27年の年末に複数の店舗に盆栽や豚肉等を購入させた際の記録が記載された名簿と,平成28年の年末の同様の記録が記載された名簿が含まれていた。また,前記領収証に押されていたものと同じ「丁

代表C」などと記載され

たゴム印等も押収された。
第4

Aの供述について

1
Aの公判供述の要旨
本件の被害状況及び犯人目撃状況等に関するAの公判供述の要旨は,以下のとお

りである。


平成28年11月27日,
自分がBと一緒に本件店舗のトリミング室で働いて

いると,やくざの男が一人で店内に入ってきたので,自分はトリミング室から出て応対した。自分は,その男が今年も年末の盆栽の注文を取りに来たのだと思った。
男が「丙んとこの者だけど,今年も鉢持ってくるんで頼むわ。」などと言ってきたので,1万円で盆栽を買うことを要求しているのだとわかった。自分は,様子をうかがいながら,買わないと駄目ですかね,などと言って断ってみたが,男が威圧的な口調の低い声で,「なめたこと言っとったらあかんよ。付き合い断れるわけねえだろう。」などと言ったので,これ以上断ると怖いし,仕方がないと考えて承諾した。
男は車に乗って立ち去った。その車は,車種は分からないがアルファードやエルグランドみたいな大きな黒いバンで,
助手席に42歳から45歳ぐらいの年齢
の女性が乗り,後ろのシートに二十歳前後の年齢の男性が乗っていた。自分がトリミング室に戻ると,Bは「Fかと思った。」と言ってきた。Fは自分が以前同居していたウガンダ人の元彼氏で,Bとも面識があったが,自分がFと別れて本件の直前の月曜日に自宅の鍵を変えたばかりで,
その後の日曜日に働
きに来たBにその話をして,
Fが店に来たらどうしようなどと話していたことか
ら,Bは「Fかと思った。」と言ったのだと思う。自分は,Bに「ああ,違う,違う。」とだけ言い,男から脅された話をしなかった。自分は,Bに心配を掛けたくなかったので,
毎年暴力団組員から盆栽等を買わされている話もBに伝えて
いなかった。


この日が平成28年11月27日であったことに間違いはない。
自分が記載し

ていた予約ノートには,同月21日(月曜日)の欄に「大家さん

12:00-」

と記載があり,その日に自宅の鍵を変えてもらったことがわかる。その直後にBが勤務した日に,Bと,鍵を変えてもらった,Fが店に来たらどうしよう,という話をしていた。予約ノートの同月27日(日曜日)の欄にBの名前の頭文字が記載されているとおり,
同月21日の直後のBの勤務日は同月27日であったか
ら,この日が同月27日であったといえる。


同年12月21日,二十歳前後の若い男性が盆栽を持ってきたので,1万円を
手渡し,領収証を受け取った。本件店舗の外には白いバンが止まっていて,小柄な年配の男性もいた。
その後,盆栽を買わされて腹が立っていたこともあり,領収証の金額欄に自分で2万5000円と記載した。


同年11月27日に脅してきた犯人の男は,顔がごつい感じで,短髪で,体が
結構がしっと,ごつい感じの色黒の五十二,三歳に見える男だった。その男は,これまでにも何度か本件店舗に来たことがあり,
年末になると盆栽の注文を取り
にくるか,盆栽を持ってくるかをしていた暴力団組員である。その男は平成27年の年末にも盆栽を届けに来て,自分はその際にもその男と話をした。平成28年11月27日は,自分は本件店舗のカウンター越しに,男と1メートルあるかないかぐらいの距離のところで,向かい合った状態で応対した。自分の視力は裸眼で1.5と1.2である。


平成29年の1月か2月に,本件店舗に来た警察官から,何か困っていること
はありませんかと尋ねられて本件の話をした。
警察官から事情聴取を受けた際,
たくさんの人の顔写真が載っている写真帳を
見せられて,知っている人がいたら教えてくださいと言われ,被告人の写真を選んだ。
検察官から事情聴取を受けた際にも,
たくさんの人の顔写真が載っている写真
帳を見せられて,知っている人がいたら教えてくださいと言われたが,その際も被告人の写真を選んだ。
今,写真帳や動画を見ても,本件当日に自分を脅した男は,被告人であったと思う。また,いずれの写真帳を見ても,盆栽を届けに来た際にいた年配の男性の写真が載っているかは分からないが,
盆栽を届けに来た若い男性は載っていない
と思う。
2
信用性判断


Aの前記供述内容は,詳細かつ具体的で,当時の心情も交えた迫真的なもので
ある。
Aの供述のうち,
盆栽と引き換えに1万円を支払わされたという事実について
は,
Aが盆栽と領収証を保管していたことやC方から押収された名簿の記載内容によっても裏付けられている。
また,Aの供述のうち,本件店舗で脅迫された日が平成28年11月27日であったという点については,
Aが記載していた予約ノートの記載内容と関連付け
て具体的かつ合理的な説明がなされているし,後述のBの供述とも整合している。
そうすると,
本件店舗で脅迫された日が平成28年11月27日であったとい
う点も含めて,
本件の被害事実に関するAの公判供述は,
信用することができる。


この点につき,Cは,同年11月22日に自分が本件店舗に行って盆栽の注文
を取り付けた旨を供述するが,その日付は,前記のとおり信用できるAの被害事実に関する供述内容に反する。また,Cは,同日に本件店舗に行った際の様子について,店の奥で2人の女性が作業をしていたと述べているが,Aが記載していた予約ノートには手伝いの従業員がいた日にはその旨のメモが記載されているのに,同年11月22日の欄にはその旨の記載がない。したがって,Cの前記供述は信用することができない。


そこで,本件で問題となるのは,同年11月27日に本件店舗で脅迫行為(以
下「本件脅迫行為」ともいう。)をした犯人が被告人である旨の犯人性に関するAの供述の信用性である。
前述のとおり,本件の被害事実については,盆栽や領収証という客観的な裏付け証拠や,予約ノートのようにAの供述を支える証拠が存在する。しかし,犯人性については,防犯カメラ映像や指紋等の客観的証拠がないから,Aの犯人性に関する供述の信用性については,
Aの供述が詳細かつ具体的で迫真的なものであ
ることを踏まえても,より慎重に判断する必要がある。

そこで検討するに,
まず,
同日に本件店舗に来たのが真実はCであったのに,
Aが被告人と見間違えた可能性を否定することができない。
すなわち,Cと被告人は,身長,体格,髪型,顔立ち等の外見が比較的よく似ているところ,
Aはこれまでに品物の注文を取られたり品物を届けられたり
という本件と同種の場面で被告人と複数回顔を合わせていた一方で,Cとは面
識がなかったから,本件店舗に来たCを見て,被告人と見間違えて,また被告人が来たのだと思い込んだ余地がある。
同年11月22日に本件店舗に行って盆栽の注文を取り付けた旨のCの供述は前述のとおり信用することができないが,前記認定のとおり,Cの自宅か
ら,
平成28年の年末に本件店舗を含む複数の店舗に盆栽等を購入させた記録が記載された名簿やAが受領した領収証に押されていたゴム印等が押収されたことによれば,
Cが同年の年末に盆栽等を購入させた件に関与していたこと
は明らかであり,
Cが日付を勘違いしていて,
Cが同月27日に本件店舗に行
ってAから盆栽の注文を取り付けたというのが真実である可能性はある。Cと
Cの妻は,
同日はCが自宅にいた旨述べているが,
同日の行動について勘違い
している余地があるし,
Cが自宅にいたとしても短時間の外出もできなかった
とは考え難い。
また,
Aは同日本件店舗に来た男が黒い車で立ち去った旨述べ,
Cが普段白い車を使用していることと合わないが,
男が黒い車で立ち去ったと
いうのがAの記憶違いであるという可能性や,
Cが同日は黒い車で本件店舗に
行ったという可能性も否定できない。


また,本件脅迫行為をした人物が被告人以外の別人であったのに,Aが警察官に被害申告するまでの間にAの記憶に混乱,
混同が生じ,その人物を被告人
であったと勘違いしたという可能性も否定することができない。
すなわち,Aは,平成18年からの過去10年間と同様に自主的に警察に被害申告をせず,
本件脅迫行為を受けた日に本件店舗にいたBにも被害に遭った
話をせず,
平成29年1月24日に本件店舗を訪れた警察官から被害に遭っていないか事情聴取されて初めて被害申告するに至ったものである。警察官から
事情聴取された際には本件脅迫行為から2か月近くもの期間が経過していた上,Aは,脅迫を受けた当時は警察に被害申告する意思など有しておらず,被害申告して犯人を逮捕してもらうために積極的,
意識的に犯人の特徴を記憶し
ようという考えもなかったといえるから,被害申告に至るまでの間に,本件脅迫行為をした犯人の特徴について記憶が曖昧になり,
過去の出来事と記憶の混
乱が生じた可能性が否定できない。とりわけ,Aは平成18年から平成28年まで毎年年末に合計11回も甲会の暴力団組員らと同様のやり取りを続けていたものであるし,
品物の注文を取られたり品物を届けられたりという本件と
同種の場面で被告人と複数回顔を合わせていたのであるから,
そのような場面
との記憶の混同が生じ,
本件脅迫行為の犯人も被告人であったと勘違いしたと
いう余地があるといえる。

あるいは,本件脅迫行為をした人物が被告人以外の別人であったのに,Aが警察官から被告人の顔写真を含む写真帳を見せられたことで,
Aの記憶に変容
が生じたり,暗示にかかったりしたという可能性も否定することができない。すなわち,Aは,平成29年1月24日に警察官から事情聴取された際,被告人ら甲会の現組員,元組員,破門者等を含む合計39人の顔写真が載せられた写真帳を示されたものであるが,
その際,
Aは,
「Aが見たことのある人物,
知っている人物」を選ぶよう求められて被告人の写真を選び,その後,本件脅迫行為の犯人が被告人であると特定されていったというのである。その写真帳
の中でAが見たことのある人物は複数名いたが,被告人のほかは,Aが本件店舗を開店して間もなくの平成18年頃に来たにすぎない者や直近でも平成25年頃まで来ていた者など,
いずれもかなり前に本件店舗に来ていた者であっ
たから,
それより最近の平成27年の年末まで来ていたと記憶している被告人の顔写真が写真帳に載っていたことを受けて,Aの記憶に変容が生じたり,暗示にかかって本件脅迫行為の犯人も最近まで来ていた被告人だろうという考えになったりした余地が否定できない。
警察官は写真帳の中に犯人がいるとは
限らないなどという注意を与えていたが,
そのような注意を与えられていたと
しても,
「見たことのある人物」の中に今回の犯人がいるという先入観を無意識のうちに持ってしまうことは,あり得るといえる。

以上によれば,
本件脅迫行為の犯人が被告人である旨のAの供述,
すなわち,
犯人性に関するAの供述には,その信用性に疑いをいれる余地がある。
第5

Bの供述について

1
Bの供述の要旨
犯人目撃状況等に関するBの公判供述の要旨は,以下のとおりである。⑴

平成28年11月27日,
自分がAと一緒に本件店舗のトリミング室で働いて

いると,男が一人で店内に入ってきた。自分はトリミング室の奥の方にあるトリミングテーブルのところで,トリミング室のガラス越しに,本件店舗の出入口付近にいた男の顔を正面から一,二秒間見た。男は,ガタイが良くて,短髪で,顔がごつい感じで目力があり,四十代ぐらいの年齢で,Aより少し背が高く,ラフな格好をしていた。
その男の体格のごつい感じがFに似ていたので,最初の一瞬はFが来た,やばい,と思ったが,肌の色を見て違う人だとわかったので,自分はトリミング室で仕事を再開した。
Aと男は一,二分間,普通にしゃべっている様子だった。自分はトリミング室の出入口近くの方のトリミングテーブルのところから,ガラス越しに,カウンター付近にいた男の顔を,その斜め前から,ちらっちらっと一,二秒間ずつ数回見た。自分は当時コンタクトレンズを入れていて,視力は1.5ぐらいであった。その後,Aがトリミング室に帰ってきたので,自分が「Fかと思った。」と言うと,Aは「違う違う。」と言い,二人は仕事を再開した。


警察官から事情聴取を受けた際,写真帳を見せられて,この中に見たことがあ
る人がいますか,いない場合はいないと言ってもらえれば結構ですと言われ,自分は被告人の写真を選んだ。
検察官から事情聴取を受けた際にも写真帳を見せられて,
この中に見たことが
ある人はいますか,いない場合もありますと言われ,自分は被告人の写真を選んだ。
その写真の男は,近所や幼稚園などで見掛けたのではないし,あとは人に会うのは本件店舗ぐらいなので,消去法で考えて,本件店舗で見たのだと思う。そして,その写真の男は,本件店舗に別の日に来たお客さんではない。自分は,本件店舗ではほとんど接客をしないし,お客さんの顔はほとんど覚えていないが,Fと見間違えたという一件があったので,覚えていた。
2
信用性判断
⑴ア

Bは,本件脅迫行為の際に,本件店舗で勤務していて,ガラス越しに犯人を見たものである。
しかし,
Bはその時点ではAがそのような被害に遭っている
ことを知らなかったものであるから,
Bとしては,
本件店舗に入ってきた人物
を見て,
最初の一瞬はFが来たのかと思って関心を払ったといえるものの,F
ではないと分かった後は,
その人物をそれほど意識的に注意深く観察したとは
考えにくい
(B自身もFとは違う人だと分かったので仕事を再開した旨供述している。)。また,Bは,犯人が帰った後もAからそのような被害に遭ったことを知らされなかったものであるから,
本件店舗に来た際に見たその人物の特
徴をその後意識的に記憶に留めようとしたとも考えにくい。


しかも,Bは,最初は,その人物を9メートルほど離れた位置から,ガラス越しに一,
二秒間見たにすぎず,
その状況を再現した写真撮影報告書の写真よ
り実際には顔がはっきり見えるとしても,その視認状況は良いとはいえないし,見ていた時間も短い。Bは更にその人物がFではないと分かった後,その人物を4メートルほど離れた位置から,
ガラス越しに一,
二秒間ずつ数回見た
というが,
その状況を再現した前記写真撮影報告書の写真を見ても,
その視認
状況は必ずしも良いとはいえないし,見ていた時間もさほど長くはない。ウ
また,Bは公判廷において,その人物について,
「ガタイが良くて,短髪で,
顔がごつい感じで目力があり,四十代ぐらいの年齢で,Aより少し背が高く,ラフな格好をしていた」
と供述しているが,
いずれもかなり一般的な特徴であ
って,他の人物と区別できるほどの何らかの特徴を捉えているとはいえない。しかも,
Bが見た写真帳の顔写真は,
人物の顔と首元辺りは写っているが肩先
までは写っていないものであり,
Bの述べる前記特徴の中で写真帳から分かる
のは,髪型と顔の雰囲気と見た目の年齢のみである。


Bは,
写真帳の中から本件店舗で見た人物として被告人の写真を選んだものであるが,
前述のとおり,
Aが被害に遭っているとは知らなかったBが本件店
舗に来た人物をそれほど意識的に注意深く観察したとは考えにくいし,その人
物の特徴を意識的に記憶に留めようとしたとも考えにくいこと,
Bがその人物
を見た視認状況は必ずしも良いとはいえないし,
見ていた時間もさほど長くは
ないこと,
Bがいう人物の特徴は一般的な特徴にすぎず,他の人物と区別できるほどの何らかの特徴を捉えているものではないこと,
しかも,
Bが写真帳を
見たのは,
本件店舗でその人物を見たときから2か月以上もの期間が経過した後であることに照らせば,
Bが本件店舗で見た人物として被告人の写真を選ん
だことに高い信頼を置くことはできず,
Bの目撃供述についてはその正確性に
疑いをいれる余地があるといえる。



加えて,
Bは,
犯人を見てから2か月余り後の平成29年2月10日には,
「そ

の人を見たのは,その時の1回だけで,しかも近くでじっくりと見たわけではないので,その人の顔をもう一度見ても分かるかどうか正直分かりません。」と供述し,呈示された39人の顔写真が載せられた写真帳のうち,被告人の顔写真について「私が店で見た感じの人」と供述しながらも,「正直,39人の中で,今回,
私が店で見たのはこの人で間違いないと完全に言い切れる人はいませんでした。」と供述していたのに,犯人を見てから1年近く後の証人尋問の際には,弁護人からの反対尋問で同年2月10日の前記供述内容を指摘されるまでは,被告
人のことを「消去法で,お店で見た人だと思いました。」「Fの一件があったので,それで人間違いをしたので,覚えていました。」などと述べ,犯行時に近く記憶が比較的鮮明なはずの同年2月10日時点の供述内容に比べて,より強く断
定的に供述しているものであり,
そのような公判供述の信用性をにわかに肯定す
ることはできない。


以上によれば,
本件脅迫行為の犯人と被告人との同一性に関するBの前記供述

には,その信用性に疑いをいれる余地があるというべきであって,犯人性に関するAの供述を裏付け,補強するものであるということはできない。第6
1
検察官のその他の主張等について
検察官は,本件脅迫行為の犯人が被告人であることの根拠の一つとして,Aが,犯人は黒くて大きなバンに乗って立ち去った旨供述しているところ,被告人の使用車両は黒色のステーションワゴン
(ヴェルファイア)
であり,
車の特徴が合って
いることを主張するが,Aの供述は車種やナンバープレートの番号等の具体的な特徴を述べたものではないから,その供述が信用できるとしても,黒くて大きなバンという一般的な特徴が一致しているにすぎず,この程度の特徴が一致していることは,被告人の犯人性を積極的に推認させる事情とはいえない。
2
また,前記認定のとおり,本件でAが受け取った盆栽は,被告人が平成28年12月初旬頃に生花店に対して自ら注文し,被告人の自宅に届けさせたもののうちの1鉢であるが,被告人がその前年の平成27年の年末にも同じ生花店で盆栽を注文したのであるから,本件店舗で注文を取り付けた別の人物から依頼されて被告人が盆栽を注文するという事態は十分にあり得るといえるし,また,実際にも盆栽を本件店舗に届けに行ったのは別の人物であって,被告人自身が届けに行ったのではないことも考慮すると,被告人が盆栽を注文して自宅に届けさせたことは,被告人が本件店舗に行って本件脅迫行為を行ったという事実を積極的に推認させる事情とはいえない。

第7

被告人の供述について
被告人は,捜査段階から一貫して,平成28年の年末に生花店に対して盆栽を自ら注文したことや,生花店から盆栽を自宅に届けてもらったことは認める一方で,本件公訴事実記載の日のみならず平成28年の年末頃には本件店舗に行っていないと供述しているが,前記のとおりそのような事態もあり得るといえ,このような被告人の供述が不自然,不合理であるとまではいえない。
第8

結論

以上のとおり,
被害者であるAの犯人性に関する供述及び犯人を目撃したBの犯人と被告人との同一性に関する供述には,
いずれもその信用性に疑いをいれる余地があると
ころ,ほかに被告人が本件脅迫行為の犯人であることを積極的に推認させる事情はない。
そうすると,
被告人が本件脅迫行為の犯人であると認定するにはなお合理的な疑いが残る。したがって,本件公訴事実については,犯罪の証明がなかったことになるから,刑事訴訟法336条により,被告人に対して無罪の言渡しをする。(求刑

懲役3年

平成30年2月5日
名古屋地方裁判所刑事第6部

裁判官

寺本真依子
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