判例検索β > 平成26年(行ウ)第217号
原爆症認定申請却下処分取消等請求事件
事件番号平成26(行ウ)217
事件名原爆症認定申請却下処分取消等請求事件
裁判年月日平成30年1月23日
法廷名大阪地方裁判所
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主1文
厚生労働大臣が平成26年4月8日付けで原告に対してした原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項に基づく認定申請の却下処分を取り消す。

2
原告のその余の請求を棄却する。

3
訴訟費用は,これを2分し,その1を原告の負担とし,その余は被告の負担とする。
事実及び理由

第1章

請求

第1

主文1項と同旨

第2

被告は,原告に対し,300万円及びこれに対する平成26年11月14日
から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2章
第1

事案の概要
事案の骨子

本件は,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下「被爆者援護法」と
いう。
)1条に定める被爆者である原告が,厚生労働大臣に対し,被爆者援護法11条1項に定める厚生労働大臣の認定(以下「原爆症認定」という。)を受けるた
め,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行令(以下「被爆者援護法施行令」という。
)8条1項に定める申請(以下「原爆症認定申請」という。
)をした
が,同大臣がこれを却下したため,被告を相手に,同却下処分の取消しを求めるとともに,国家賠償法1条1項に基づき,300万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成26年11月14日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
第2

1
法令の定め等
被爆者援護法の内容
(1)

被爆者の定義
被爆者援護法において,
「被爆者」とは,次の各号のいずれかに該当する者
であって,被爆者健康手帳の交付を受けたものをいう(被爆者援護法1条。なお,以下,特に断らない限り,
「被爆者」とは同条所定の者を指すものとす
る。。

1号

原子爆弾が投下された際当時の広島市若しくは長崎市の区域内又は政
令で定めるこれらに隣接する区域内に在った者
2号

原子爆弾が投下された時から起算して政令で定める期間(広島市に投
下された原子爆弾については昭和20年8月20日まで,長崎市に投下された原子爆弾については同月23日まで(被爆者援護法施行令1条2項))
内に前号に規定する区域のうちで政令で定める区域内(おおむね爆心地か
ら2km以内の区域。被爆者援護法施行令1条3項,別表第二参照)に在った者
3号

前2号に掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後におい
て,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者4号

前3号に掲げる者が当該各号に規定する事由に該当した当時その者の
胎児であった者
(2)

被爆者健康手帳
被爆者健康手帳の交付を受けようとする者は,その居住地(居住地を有し
ないときは,その現在地)の都道府県知事に申請しなければならず(被爆者援護法2条1項)
,都道府県知事は,同申請に基づいて審査し,申請者が被爆
者に該当すると認めるときは,その者に被爆者健康手帳を交付する(同条3項)

(3)

被爆者に対する援護
健康管理
都道府県知事は,被爆者に対し,毎年,厚生労働省令で定めるところにより,健康診断を行い(被爆者援護法7条)
,同健康診断の結果必要がある
と認めるときは,当該健康診断を受けた者に対し,必要な指導を行う(同法9条)


医療の給付
(ア)

厚生労働大臣は,
原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し,
又は疾病に

かかり,現に医療を要する状態にある被爆者に対し,必要な医療の給付
を行う。ただし,当該負傷又は疾病(以下「疾病等」という。
)が原子爆
弾の放射能に起因するものでないときは,その者の治癒能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に医療を要する状態にある場合に限る(被爆者援護法10条1項)

(イ)

上記医療の給付を受けようとする者は,
あらかじめ,
当該疾病等が原

子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生労働大臣の認定(原爆症認定)を受けなければならない(被爆者援護法11条1項)

2
原爆症認定の手続等
(1)

原爆症認定の申請手続
被爆者援護法11条1項の規定による厚生労働大臣の認定(原爆症認定)
を受けようとする者は,厚生労働省令で定めるところにより,その居住地の都道府県知事を経由して,厚生労働大臣に申請書を提出しなければならない(被爆者援護法施行令8条1項)この規定を受けて,

原子爆弾被爆者に対す
る援護に関する法律施行規則(以下「被爆者援護法施行規則」という。)12
条は,上記申請書は,①被爆者の氏名,性別,生年月日及び居住地並びに被爆者健康手帳の番号,
②疾病等の名称,
③被爆時の状況
(入市の状況を含む。,

④被爆直後の症状及びその後の健康状態の概要等を記載した認定申請書(様式第5号)によらなければならず(同条1項)
,また,同申請書には,当該疾
病等に係る医師の意見書(様式第6号)及び検査成績を記載した書類を添え
なければならない(同条3項)旨規定している。そして,上記医師の意見書には,①疾病等の名称,②被爆者健康手帳の番号,③被爆者の氏名及び生年月日,④既往症,⑤現症所見,⑥当該疾病等に関する原子爆弾の放射線起因性等についての医師の意見及びその理由,⑦必要な医療の内容及び期間を記載すべきものとされている(様式第6号)

(2)
審議会等の意見聴取
厚生労働大臣は,被爆者援護法11条1項の認定(原爆症認定)を行うに
当たっては,審議会等(国家行政組織法8条に規定する機関をいう。)で政令
で定めるものの意見を聴かなければならない。ただし,当該疾病等が原子爆弾の傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らかであるときは,この限りでない
(被爆者援護法11条2項)同項の審議会等で政令で定めるも

のは,疾病・障害認定審査会とされている(同法23条の2,被爆者援護法施行令9条)

厚生労働省組織令(平成12年政令第252号)132条は,厚生労働省に疾病・障害認定審査会を置く旨規定し,
同令133条1項は,
同審査会は,
被爆者援護法等の規定に基づきその権限に属させられた事項を処理する旨規
定している。そして,同条2項は,同条1項に定めるもののほか,疾病・障害認定審査会に関し必要な事項等については,疾病・障害認定審査会令(平成12年政令第287号)の定めるところによる旨規定している。また,疾病・障害認定審査会令によれば,疾病・障害認定審査会は,委員30人以内で組織し(同令1条1項)
,同審査会には,特別の事項を審査させ

るため必要があるときは,臨時委員を置くことができ(同条2項),これら委
員及び臨時委員は,
学識経験のある者のうちから,
厚生労働大臣が任命し
(同
令2条1項)
,同審査会には,被爆者援護法の規定に基づき疾病・障害認定審
査会の権限に属させられた事項を処理する分科会として,原子爆弾被爆者医療分科会(以下「医療分科会」という。
)を置き(同令5条1項)
,医療分科

会に属すべき委員及び臨時委員等は,厚生労働大臣が指名するものとされている(同条2項)

(3)

認定書の交付
厚生労働大臣は,原爆症認定の申請書を提出した者につき被爆者援護法1
1条1項の規定による認定(原爆症認定)をしたときは,その者の居住地の都道府県知事等を経由して,認定書を交付する(被爆者援護法施行令8条4項)


3
原爆症認定に関する審査の方針
医療分科会は,平成13年5月25日付けで「原爆症認定に関する審査の方針」
(乙A4。以下「旧審査の方針」という。
)を作成し,原爆症認定に係る審
査に当たっては,これに定める方針を目安として行うものとしていた。その概
要は,次のとおりである。
(1)

原爆放射線起因性の判断
判断に当たっての基本的な考え方
申請に係る疾病等における原爆放射線起因性の判断に当たっては,原因確率(疾病等の発生が原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると考え
られる確率をいう。及びしきい値

(一定の被曝線量以上の放射線を曝露し
なければ疾病等が発生しない値をいう。を目安として,当該申請に係る疾)
病等の原爆放射線起因性に係る「高度の蓋然性」の有無を判断する。この場合にあっては,当該申請に係る疾病等に関する原因確率が,①おおむね50%以上である場合には,当該申請に係る疾病の発生に関して原
爆放射線による一定の健康影響の可能性があることを推定し,②おおむね10%未満である場合には,当該可能性が低いものと推定する。
ただし,当該判断に当たっては,これらを機械的に適用して判断するものではなく,当該申請者の既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で,判断を行うものとする。

また,原因確率等が設けられていない疾病等に係る審査に当たっては,当該疾病等には,原爆放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が立証されていないことに留意しつつ,当該申請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別にその起因性を判断するものとする。

原爆放射線の被曝線量の算定
(ア)

申請者の被曝線量の算定は,
初期放射線による被曝線量の値に,
残留

放射線による被曝線量及び放射性降下物による被曝線量の値を加えて得た値とする。
(イ)

初期放射線による被曝線量は,申請者の被爆地及び爆心地からの距
離の区分に応じて定めるものとし,その値は別表9(添付省略)に定めるとおりとする。

(ウ)

残留放射線による被曝線量は,申請者の被爆地,
爆心地からの距離及

び爆発後の経過時間の区分に応じて定めるものとし,その値は別表10(添付省略)に定めるとおりとする。
(エ)

放射性降下物による被曝線量は,原爆投下の直後に次の特定の地域
に滞在し,又はその後,長期間に渡って当該特定の地域に居住していた
場合について定めることとし,その値は次のとおりとする。
a
b
(2)

α又はβ(広島)

0.6~2センチグレイ

γδ,ε丁目又はζ(長崎)

12~24センチグレイ

要医療性の判断
要医療性については,当該疾病等の状況に基づき,個別に判断するものと
する。
4
新しい審査の方針
(1)

概要等
医療分科会は,
平成20年3月17日付けで
「新しい審査の方針」乙A1。


以下「新審査の方針」という。
)を作成し,平成21年6月22日付けで改定
した(乙A2)
。その概要は,次のとおりである。

放射線起因性の判断
(ア)

積極的に認定する範囲
①被爆地点が爆心地より約3.5km以内である者,②原爆投下より約
100時間以内に爆心地から約2km以内に入市した者,又は,③原爆投下より約100時間経過後から,原爆投下より約2週間以内の期間に,
爆心地から約2km以内の地点に1週間程度以上滞在した者から,放射線
起因性が推認される以下の疾病についての申請がある場合については,格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝した放射線との関係を積極的に認定する(以下「積極認定」という。
)ものとする。
a
白血病

c
副甲状腺機能亢進症

d
放射線白内障(加齢性白内障を除く)

e
放射線起因性が認められる心筋梗塞

f
放射線起因性が認められる甲状腺機能低下症

g
悪性腫瘍(固形がんなど)

b
放射線起因性が認められる慢性肝炎・肝硬変
この場合,認定の判断に当たっては,積極的に認定を行うため,申請
者から可能な限り客観的な資料を求めることとするが,客観的な資料が無い場合にも,申請書の記載内容の整合性やこれまでの認定例を参考にしつつ判断する。

(イ)

上記(ア)に該当する場合以外の申請について
上記(ア)に該当する場合以外の申請についても,申請者に係る被曝線
量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別にその起因性を総合的に判断するものとする。

要医療性の判断
要医療性については,当該疾病等の状況に基づき,個別に判断するものとする。
(2)

新審査の方針の再改定
医療分科会は,平成25年12月16日付けで新審査の方針を再改定し,
放射線起因性の要件該当性の判断について,科学的知見を基本としながら,総合的に実施するが,特に,被爆者救済及び審査の迅速化の見地から,現在の科学的知見として放射線被曝による健康影響が必ずしも明らかでない範囲を含めるとして,
積極認定の範囲
(上記(1)ア(ア))
を次のとおり設定した
(乙
A3)


悪性腫瘍(固形がんなど)
,白血病,副甲状腺機能亢進症
これらの各疾病については,

(ア)

被爆地点が爆心地より約3.5km以内である者

(イ)

原爆投下より約100時間以内に爆心地から約2km以内に入市した

(ウ)

原爆投下より約100時間経過後から,原爆投下より約2週間以内
の期間に,爆心地から約2km以内の地点に1週間程度以上滞在した者
のいずれかに該当する者から申請がある場合については,格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝した放射線との関係を原則的に認定するものとする。

心筋梗塞,甲状腺機能低下症,慢性肝炎・肝硬変
これらの各疾病については,

(ア)

被爆地点が爆心地より約2.0km以内である者

(イ)

原爆投下より翌日までに爆心地から約1.0km以内に入市した者
のいずれかに該当する者から申請がある場合については,格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝した放射線との関係を積極的に認定するものとする。


放射線白内障(加齢性白内障を除く)
この疾病については,被爆地点が爆心地より約1.5km以内である者から申請がある場合については,格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝した放射線との関係を積極的に認定するものとする。第3
前提事実(当事者間に争いのない事実及び掲記の各証拠等によって容易に認
められる事実。以下,書証番号は特に断らない限り枝番号を含むものとする。)
1
原子爆弾の投下
アメリカ合衆国(以下「アメリカ」という。
)軍は,昭和20年8月6日午前
8時15分,広島市に原子爆弾(以下「広島原爆」という。
)を投下し,同月9
日午前11時2分,長崎市に原子爆弾(以下「長崎原爆」という。)を投下した
(公知の事実)


2
原爆症認定申請却下処分に至る経緯等
(1)

原告は,長崎原爆の被爆者であり,昭和13年2月γγ日生まれ(被爆当
時7歳)の男性である(乙F4,5)

(2)

原告は,長崎県知事に対し,被爆者健康手帳交付申請をし,昭和32年頃
に被爆者健康手帳の交付を受けた(乙F4~6,8)


(3)

原告は,平成25年2月19日,
労作性狭心症及び心房細動を申請疾病と

する原爆症認定申請をした(乙F1)

(4)

厚生労働大臣は,疾病・障害認定審査会の意見を聴いた上で,平成26年
4月8日付けで,上記(3)の原告の原爆症認定申請を却下し,原告は,同月29日に同却下処分を知った(乙F13,弁論の全趣旨)


(5)
3
原告は,
平成26年10月24日,
本件訴えを提起した
(顕著な事実)


放射線量の単位について
放射線量の評価方法については,以下のとおり,吸収線量,等価線量,照射線量等があり,それぞれについて複数の単位が定義されている(甲A139,
乙A104)

(1)

物質に与えたエネルギー量を示す単位(吸収線量)
吸収線量とは,物質が単位質量当たりで吸収したエネルギーの量であり,放射線の種類によることなく用いられる。吸収線量の単位については,以前はラド(rad)が用いられていたが,現在はグレイ(Gy)が用いられている。1グレイは,物質1キログラム当たり1ジュールのエネルギー吸収があるときの吸収線量を示し,1ラドは1センチグレイ(0.01グレイ)に
等しい。
(2)

人体への影響の大きさを示す単位(等価線量,実効線量)
等価線量とは,放射線の種類ごとに異なる人体への影響を直接反映するように工夫された線量である。等価線量は,吸収線量が同一であっても放射線の種類によって人体への放射線の影響の程度が異なるために考案され
た。等価線量の単位については,シーベルト(Sv)が用いられており,その値は,吸収線量(グレイ)に放射線の種類及びエネルギーに応じた放射線荷重係数(ベータ線やガンマ線は1,アルファ線は20,中性子線は2.5から20)を掛けて求められる。

実効線量とは,放射線の種類及び被曝部位による違いを考慮した線量である。実効線量は,同じ強さの放射線被曝をした場合でも,被曝する人体の部位が異なることによって人体への放射線の影響の程度が異なるために考案された。実効線量の単位についても,シーベルトが用いられている。
(3)

光子が空気を電離して生じた電荷量の大きさを示す単位(照射線量)照射線量とは,光子(エックス線・ガンマ線)が乾燥空気中で相互作用し
て作り出す,空気の単位質量当たりの電荷量をいい,単位についてはレントゲン(R)が用いられてきた。
4
放射線影響に関する報告書等
放射線影響に関しては,国内外の機関により,以下のものをはじめとする報
告書等が作成されている(弁論の全趣旨)

(1)

国内の機関による放射線影響に関する報告書として,原爆被爆者の死亡率調査に関する報告書(以下「LSS」という。
)及び成人健康調査に関する
報告書(以下「AHS」という。
)がある。これらは,財団法人放射線影響研
究所(以下「放影研」という。
)が取りまとめた報告書である。
(2)

国外の機関による放射線影響に関する報告書として,原子放射線の影響
に関する国際連合科学委員会(以下「UNSCEAR」という。
)が取りまと

めた報告書があるほか,国際放射線防護委員会(以下「ICRP」という。)
や国際原子力機関(以下「IAEA」という。
)が公表した放射線防護に関す
る基準や報告書がある。
第4
1
争点及びこれに関する当事者の主張
争点
(1)
(2)

原告の原爆症認定要件該当性(争点②)

(3)
2
放射線起因性の判断基準(争点①)

国家賠償責任の成否(争点③)

争点①(放射線起因性の判断基準)
(原告の主張)
(1)

原爆症認定における放射線起因性の判断基準
放射線起因性の立証の程度
①放射線被曝の影響について確立された科学的知見が存在しないこと,②特定の要因から当該疾病の発生機序を立証することは一般的に困難であること,③放射線被曝に起因する疾病の特徴(被曝線量と身体損傷との相
関関係は明確ではないこと,
長期間経過後に影響が出る可能性があること,
放射線被曝に特異な症状があるわけではないこと)
等の特殊性からすれば,
放射線起因性の立証の程度は実質的に軽減されるべきである。

放射線起因性の具体的な判断方法
放射線起因性の判断に当たっては,①国家補償的配慮から,被爆者に対する総合的な援護政策を講じることを目的として制定されたという被爆者援護法の国家補償的性格に留意することを基本とし,②当該疾病の発症等に至った医学的・病理学的機序を直接証明することを求めるのではなく,原爆症認定申請者の被爆状況,被爆後の行動やその後の生活状況,具体的症状や発症に至る経緯,健康診断や検診の結果等を全体的,総合的に考慮した上で放射線起因性を判断し,
③当該疾病等に係る他の原因
(危険因子)

の影響と原爆放射線による影響が併存し得ることなどを踏まえ,原爆放射線被曝の事実が疾病の発生又は進行に影響を与えた関係が合理的に是認できる場合には,放射線起因性を認めるのが相当である。
(2)

被曝線量の評価
初期放射線による被曝線量
被告は2002年線量推定方式(以下「DS02」という。
)に基づいて
初期放射線による被曝線量を推定しているところ,DS02は爆心地から1300m以遠において初期放射線の放射線量を過小評価しているなどの問題点がある。


誘導放射線による被曝線量
被告は,爆心地から600mから700m以遠においては誘導放射線がほとんど発生していないなどと主張する。しかし,誘導放射化された土壌等が粉塵として遠距離に飛散する可能性があり,また,初期放射線に被曝していないいわゆる入市被爆者や遠距離被爆者にも放射線被曝による急性症状が生じていることなどに照らすと,爆心地から600mから700m
以遠の地域にも誘導放射化物質が相当量存在していたというべきである。ウ
放射性降下物による被曝線量
被告は,広島原爆につきα又はβ(以下「α・β地区」という。
)につい
てのみ,長崎原爆につきγδ,ε丁目又はζ(以下「γ地区」という。)に

ついてのみ放射性降下物による被曝を考慮すれば足りるとしている。しかし,これらの地区以外にも相当量の放射性降下物を含む降雨等があったのであり,放射性降下物による被曝についても看過すべきではない。エ
内部被曝
被告は原子爆弾による被爆においては内部被曝について特段考慮する必要はないと主張する。しかし,内部被曝は,外部被曝とは異なり,①放射性物質が取り込まれた単一の臓器や特定の箇所に局部的集中的に被曝が生
じること,②外部被曝においては問題とならない飛距離の短い放射線(アルファ線,ベータ線)も影響すること,③天然に存在しない人工放射性核種は,核種ごとに特定の部位に濃縮されて蓄積すること,④半減期の短い放射性物質については短期間に大量の被曝をもたらすことなどの危険性がある。このように外部被曝よりも危険性の高い内部被曝を看過すべきでは
ない。

遠距離被爆・入市被爆
遠距離被爆及び入市被爆の被爆者を対象とした調査結果によれば,これらの被爆者に生じた脱毛,皮下出血等の症状は誘導放射線及び放射性降下物による外部被曝及び内部被曝の影響によるものとみるのが自然である。
(被告の主張)
(1)

原爆症認定における放射線起因性の判断基準
放射線起因性の立証の程度
被爆者援護法10条1項の放射線起因性の要件該当性の主張立証責任は
原告が負うべきところ,同要件を満たすというためには,原爆放射線と申請疾病の発症との間に事実上の因果関係があることが必要であり,その立証は,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではないが,経験則に照らして全証拠を総合検討し,当該被爆者が浴びた原爆放射線が当該申請疾病の発症を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり,
より具体的には,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得る証明であることを必要とする。

放射線起因性の具体的な判断方法
放射線起因性の有無については,①当該被爆者の原爆放射線への被曝の程度(考慮要素①)と,②統計学的・疫学的知見等に基づく申請疾病等と原爆放射線被曝との関連性の有無及び程度(考慮要素②)とを中心的な考慮要素としつつ,③これに当該疾病等に係る他の原因(危険因子)の有無
及び程度(考慮要素③)等を総合的に考慮して,原子爆弾の放射線への被曝の事実が当該申請に係る疾病若しくは負傷又は治癒能力の低下を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性が認められるか否かを経験則に照らして判断すべきである。
(2)

被曝線量の評価
初期放射線による被曝線量
初期放射線による被曝線量評価については,日米の放射線学の第一人者が策定した線量評価システムである1986年線量評価方式(以下「DS86」
という。及びこれを更新する最新のシステムとしてDS02が存在)
しているところ,DS02は,実測値とのかい離の程度がごくわずかであ
ることからも明らかなとおり,その精度は高いということができ,初期放射線の評価方法として一般的な妥当性を有しているというべきである。イ
誘導放射線による被曝線量
従前から,広島原爆及び長崎原爆による初期放射線の中性子は,爆心地
から600mから700m程度を超えるとほとんど届かないことが判明していた。また,DS02に基づいた最新の分析においても,爆発から無限時間同じ所に滞在していたというあり得ない仮定に基づいて算出された誘導放射線の積算放射線量でさえ,爆心地から1.5kmの地点において,広島では0.0001グレイ,長崎では0.00005グレイであるから,
これ以上の距離での誘導放射線被曝は無視して構わないとされている。以上のとおり,最新の科学的知見に基づけば,広島原爆及び長崎原爆から放出された誘導放射線による被曝線量が,一般的に健康への影響がある程度に高線量であったとみることは必ずしも合理的ではない。

放射性降下物による被曝線量
多数の調査研究,原爆投下当時の試料に基づき測定された実測値並びに広島原爆及び長崎原爆の爆発状況によれば,広島原爆及び長崎原爆から放
出され,地上に降り注いだ放射性降下物による被曝線量は,健康被害の影響という見地からみると極めて少ない量である(特に線量の高いことが判明した広島のα・β地区及び長崎のγ地区においてすら,その積算線量が限られていたことが判明している。。


内部被曝
原爆で問題となる内部被曝は放射性降下物及び誘導放射線によるものであるところ,これらによる線量が必ずしも一般的に高線量であったとはいえないこと(上記イ,ウ)
,内部被曝による健康影響が外部被曝による場合
と異ならないこと,体内に取り込まれた放射性核種は代謝により排出されること,原爆被爆者について放射性物質が特定の臓器に集積した傾向が見
られないことなどからすると,原爆由来の放射性物質による内部被曝は,必ずしも一般的に健康に悪影響を及ぼすものとまでは考えられないというべきである。

放射線被曝による急性症状
今日では,チェルノブイリ等で起きた様々な放射線被曝事故や,検査又は治療のために行われる放射線照射事例等の経験から,放射線被曝による急性症状には明確な特徴があることが一般的な医学的知見として確立している。他方,被爆者が被爆当時に経験したとする下痢等の身体症状は,他の要因(衛生状況や栄養状況の悪化あるいは精神的影響等)によっても生
じる非特異的なものである。そのため,当該身体症状が放射線被曝による急性症状であるかについては,上記の放射線被曝による急性症状の特徴に関する確立した科学的知見に照らして,慎重に吟味・鑑別することが不可欠である。そして,多くの客観的で専門的な研究報告によれば,遠距離被爆者及び入市被爆者が放射線被曝による急性症状を発症したとは考え難い。3
争点②(原告の原爆症認定要件該当性)について
(原告の主張)
(1)

被爆状況,入市の状況等
被爆状況
原告(当時7歳)は,長崎市η町の友人宅の縁側(爆心地から1.8km)で,次兄らと共に漫画を読んでいる時に長崎原爆に被爆した。被爆時,ブーンという飛行機の音の後,ピカッと光り,地響きのようなドーンという
音とともに爆風が起こって原告は吹き飛ばされ,気付いた時には畳の下敷きになっていた。原告の後頭部には,当時の傷跡が今も残っている。イ
入市の状況等
原告は,長崎原爆投下の翌日である昭和20年8月10日,父及び次兄
と共に,η町の自宅付近から,θ町を通り,川沿いを北上してι(爆心地から500m)付近を経由し,同日昼過ぎにλ町の母の実家まで歩いて行った。途中,農道の脇の水路には,被爆して負傷した人がたくさんいた。「水をくれ」と声を振り絞っていたり,そのまま力尽きて動けなくなっている人ばかりであった。また,農道の脇の石段に腰掛けたまま,黒く焦げ
て死んでいる人もいた。
原告は,母の実家付近の防空壕で1週間から10日ほど過ごし,病院に弁当を運ぶ手伝いなどをした。原告の祖母は,λ町の畑で被爆して大やけどを負い,同月11日に防空壕で亡くなった。原告のいとこは爆風で柱の下敷きになり,同月12日か13日に防空壕で亡くなった。防空壕の中は
蒸し暑く,虫がわき,負傷しても手当てが受けられずうめいている人や,死んでいく人も多かった。
原告は,その後,家族でμにある父の実家へ移り住んだ。

被爆後に生じた症状,被爆後の生活状況等
原告は,被爆前までは,健康な男児であった。
原告は,被爆後から現在に至るまで,日常的に下痢をしやすくなった。また,原告は,皮膚が弱くなり,少しのけがでも傷跡が化のうしたり,た
だれたりしやすくなった。

原告の主な疾病と受診経過
(ア)

原告は,平成12年(当時62歳)頃,大腸にポリープができ,νク
リニックで手術を受けた。
(イ)

原告は,平成13年(当時63歳)頃,胃がんと診断され,ξ病院で
胃の切除手術を受けた。
(ウ)

原告は,平成20年(当時70歳)頃,帰省先の長崎で倒れ,脳梗塞
と診断された。原告は,大阪に戻り,平成22年10月15日から同年11月1日までの間,ο病院で入院治療を受けた。
(エ)

原告は,平成22年11月,π医療センターに転院し,労作性狭心症
と診断され,同月24日,冠動脈造影を受け,左前下行枝のうち#7に75%,左回施枝のうち#11に75%,#12と#13の分岐部に50から75%の狭窄を指摘され,
プラビックス
(血栓や塞栓の治療薬)

バイアスピリン(血液凝固を防ぐ薬)などの処方を受けた。
(オ)

原告は,平成22年12月2日,左前下行枝(#7)に対し,経皮的
冠動脈ステント留置術を受けた。
(カ)

原告は,平成22年12月21日,左回旋枝(#12)に対し,経皮
的冠動脈ステント留置術を受けた。
(キ)
原告は,
平成22年11月以降,
継続して労作性狭心症に対する治療

を受けており,平成27年5月時点で,ミカムロ(降圧剤)
,イグザレル
ト(血栓塞栓症予防薬)などの投薬治療を受けている。
(2)

放射線起因性
原告の被曝の程度
原告は,爆心地からわずか1.8kmの地点で直爆しており,相当量の放射線に被爆していることは明らかである。その上,原告は長崎原爆投下翌日である昭和20年8月10日に,η町からθ町を通り,爆心地に向かっ
て川沿いを北上してι(爆心地から500m)付近を経由し,λ町にあった実母の実家まで歩いた。そして,被爆による死傷者が多く運び込まれていた防空壕で約10日間過ごした。かかる被曝状況からすれば,原告は,直爆により相当量の放射線を浴びただけではなく,長崎原爆投下翌日に爆心地付近を歩いたことで,
相当量の残留放射線を浴びたことは明白である。

さらに,爆心地付近を歩く道中や,被爆者が多数運び込まれた防空壕で約10日間過ごしている間,呼吸等の際に大量のちりやほこりなどを吸い込み,これらに含まれる放射性物質を体内に取り込み,内部被曝をしたものである。

原告の申請疾病である労作性狭心症の放射線起因性
(ア)

LSS第9報(甲A509)
,第11報第3部(甲A501)
,第12

報第2部(甲A502)
,第13報(甲A503)において,循環器疾患
については,高線量域から低線量域にかけて線量反応関係が示されていること,AHS第8報(甲A504)においても,年数の経過とともに心筋梗塞の線量反応関係が明らかになったとされていること,動脈硬化性の循環器疾患に対する放射線影響の機序に関する研究報告もあること(甲A511~513,515)
,新審査の方針において,心筋梗塞が積
極認定疾病とされたことなどからすると,被爆者に生じた循環器疾患と原爆放射線との間に関連性があることは明らかである。

(イ)

被告は,労作性狭心症は心筋梗塞とは病理学的に異なる疾病である
から,心筋梗塞と放射線被曝との関連性がそのまま労作性狭心症と放射線被曝との間にも妥当すると認めることはできないと主張する。
しかし,
心筋梗塞と動脈硬化性の狭心症の発生機序は全く同じであり,両疾病の違いは,血管が閉塞して心筋が壊死してしまうか否かである。したがって,放射性起因性に関しては両疾病を区別して考える理由はない。(ウ)

被告は,原告の喫煙,脂質異常症,高血圧及び年齢(加齢)という危
険因子を挙げて,原告の労作性狭心症は,原爆放射線以外の要因により発症したとみるのが自然かつ合理的であると主張する。しかし,AHS第8報(甲A504)及びUNSCEAR2006年報告書(甲A521)等の知見によれば,放射線の心臓血管疾患(心筋梗塞を含む。)への影響は,飲酒,喫煙,糖尿病,肥満等の交絡因子を考慮しても消失しな
い。また,最近の研究によれば,被告が挙げる上記危険因子のうち,脂質異常症及び高血圧は,放射線被曝から引き起こされている事象であるから,これらの存在は,放射線起因性を否定するものではなく,かえってこれを肯定するものである。さらに,被爆者援護法が前文において被爆者の高齢化を前提としていると解されることからすると,被爆者が高
齢であるという事実を,放射線起因性を否定する事情に用いることは妥当でない。
(エ)

以上のとおりであるから,原告の申請疾病である労作性狭心症に放
射線起因性が認められることは明らかである。
(3)

要医療性
原告は,
現在も,
労作性狭心症の治療のため,
プロブレス錠,
ドキサゾン,

アーチスト,バイアスピリン錠等の投薬による治療を受けており,要医療性があることは明らかである。
(被告の主張)
(1)

被爆の状況等
原告の被爆状況及び入市の状況等については,原告が昭和13年2月γγ日生まれの男性で,被爆当時7歳であったこと,原告の被爆者健康手帳に,原告が長崎市η町で被爆した旨の記載があることは認め,その余は不知である。

原告は,被爆後,日常的に下痢をしやすくなったと主張し,本人尋問においても同旨を述べる。
しかし,原告の原爆被爆者調査票
(乙F7)
には,

被爆してから6か月以内に出現した症状(嘔吐,下痢,発熱,脱毛等)を記載する欄があるが,同欄には何も記載がない上,
「現在の健康状態」欄に
ついても「何も異常がない」に丸印が付され,
「げり」には丸印が付されて
いない。また,平成25年2月19日付け認定申請書(乙F1)にも上記主張に係る下痢の発現は何ら記載されていない。以上によれば,原告の主
張する下痢の症状が発生した事実はなかったものと合理的に考えられる。また,仮に,原告が主張するような下痢の症状が現れていたとしても,下痢の症状は,それ自体,日常生活においても発現し得るものであるし,原告の症状は,IAEAなどが公表する急性放射線症候群の症状には合致しない。
したがって,
仮に,
原告の主張する下痢の症状が現れたとしても,

これが当然に放射線被曝に起因して発現したものと認めることはできない。(2)

放射線起因性
労作性狭心症と放射線被曝の関連性
(ア)

原爆被爆者や,
その他の放射線被曝者に関する研究において,
労作性

狭心症と放射線被曝との間に統計学的に有意な関連性を認めた疫学的知見は存在しない。
(イ)

原告は,心疾患や循環器疾患と放射線被曝との関連性を認めた疫学
的知見が存在することから,労作性狭心症と放射線被曝との関連性も認められる旨主張する。しかし,
「心疾患」や「循環器疾患」といった疾患
カテゴリーは,明らかに発症機序及び病態の異なる多種多様な疾患を包摂する概念であるから,これらと放射線被曝との間に関連性が認められたとしても,放射線被曝と上記カテゴリーに含まれる全疾病との間に関連性が認められたことを意味するものではない。
(ウ)

新審査の方針では,心筋梗塞が原爆症として積極的に認定する対象
に含まれている。しかし,心筋梗塞は,プラークの破綻とそれに続く血栓形成により発症するものと考えられているのに対し,
労作性狭心症は,

プラークの破綻の経過を経ず,プラークの進展により冠動脈内腔が狭小化することで発症するものと考えられているから,
両者の機序は異なり,
放射線被曝がプラークの破綻にのみ寄与している可能性も否定できない。したがって,心筋梗塞が原爆症として積極的に認定する疾病の対象に含まれているからといって,そのことをもって,労作性狭心症についてま
で,放射線被曝と関連性が認められるということはできない。
(エ)

また,
原告は,放射線被曝によって免疫機能の低下と炎症反応の持続

が生じ,アテローム性動脈硬化を引き起こすのであるから,アテローム性動脈硬化に由来する労作性狭心症と放射線被曝との関連性も認められる旨主張する。しかし,放射線被曝と免疫との関係は未だ明らかではな
いというのが現在の国際的に合意された科学的知見であり,原告の主張する機序は認められない。
(オ)

このような現在の科学的知見の状況に鑑みれば,原告の申請疾病で
ある労作性狭心症が放射線被曝に起因するものとは認め難い。

他の原因(危険因子)の有無及び程度
狭心症を含む虚血性心疾患の危険因子としては,喫煙,脂質異常症,高血圧のいわゆる3大危険因子のほかに年齢
(加齢)
等が挙げられるところ,
原告が労作性狭心症を発症するまでの診療経過は,別紙2原告診療経過一覧表記載のとおりであって,原告は,以下のとおり,上記各3大危険因子
のほか,年齢(加齢)という危険因子を同時に有していた。
(ア)

年齢(加齢)
原告が労作性狭心症を発症したのは72歳頃のことであり,それまでの冠動脈の血流のみを考えても,それによって,労作性狭心症の原因となる冠動脈硬化が形成されていた可能性も十分にあるというべきである。(イ)

喫煙
原告は,昭和34年(当時20歳)頃から喫煙を開始し,その後,労
作性狭心症と診断された平成22年11月4日(当時72歳)頃までの約52年間,少なくとも1日15本から20本程度(多いときは30本程度)喫煙していた。
これに対し,原告は,胃の切除手術を受けた平成13年10月3日頃から禁煙をし,
その後,
たばこは一切吸っていない旨供述する。
しかし,
他の病院の医療記録においても原告が喫煙を継続していた旨の記載があるのであって,それらがいずれも虚偽の記載がされたものであるなどとは到底考えられない。よって,原告の上記供述が事実に反することは明らかである。

(ウ)

脂質異常症
原告の総コレステロール値は,平成13年9月12日(当時63歳)
時点で273mg/dLであり,
基準値220mg/dLを大幅に上回っ
ており,原告は,遅くとも同日頃には高コレステロール血症に罹患していたものといえる。また,原告の血液検査結果は,その後も基準値を上回っており,脂質異常治療薬を処方されるようになった後においても時折基準値を超える値を示した。以上の経過に鑑みると,原告は,平成13年9月12日頃から平成22年11月4日に労作性狭心症と診断されるまでの間,継続的か,少なくとも断続的には高LDLコレステロール血症に罹患していたものと合理的に考えられる。

(エ)

高血圧
原告は,
遅くとも平成19年12月26日時点で高血圧症と診断され,
遅くとも平成22年1月12日以降は定期的に高血圧治療薬を処方されていたにもかかわらず,原告のその後の収縮期血圧の値は,高血圧の基準値である140mmHgを超え続けていた。このように,原告は,遅くとも平成19年12月26日以降,労作性狭心症と診断された平成22年11月4日までの間,
高血圧症に罹患していたものといえ,
これは,

原告の喫煙や飲酒,食生活等の生活習慣に起因して発症したものと合理的に考えることができる。
なお,原告は,1日の飲酒量は日本酒をコップ1杯程度で,2合はたまにしか飲まず,3合も飲んではおらず,69歳頃以降は飲酒を止めたなどと供述している。しかし,複数の医療機関の複数の医療記録に日本
酒を2合飲酒している旨の記載があり,これらがいずれも虚偽の記載であることは考え難いことからすれば,上記供述が事実に反することは明らかである。

総合考慮
原告の申請疾病は労作性狭心症であるところ,そもそも労作性狭心症と
放射線被曝との関連性を認めた疫学的知見は見当たらないのであって(上記ア)そのことのみからしても,

原告の労作性狭心症が原爆放射線に起因
していたなどとは容易には考えられない。
その上,
原告は,
加齢
(72歳)
に加え,喫煙,脂質異常症及び高血圧という労作性狭心症を引き起こす3大危険因子の全てを有していたのであるから
(上記イ)専ら上記各危険因


子により労作性狭心症が発症したと考えても,医学的に見て何ら不自然・不合理はない。
以上を総合すれば,
通常人をして,
原告の労作性狭心症は,
原爆放射線被曝とは無関係に,専ら上記各危険因子によって発症したのではないかという合理的疑いがなお残るというべきであり,放射線起因性は認められない。

(3)

要医療性
争う。
4
争点③(国家賠償責任の成否)
(原告の主張)
(1)

国家賠償法上の違法性等
厚生労働大臣は,被爆者援護法の趣旨に則り,同法11条1項を適正に解
釈,適用しなければならないところ,非科学的で不合理な基準を機械的に当てはめて,被爆者らの原爆症認定申請を却下し続けてきた。また,厚生労働大臣は,度重なる被爆者勝訴判決の確定によって,原爆症認定の基準を直ちに見直し,あるべき認定基準に改めるべきであったが,自らが敗訴した被爆者さえ原爆症と認定し得ないような原因確率論という新たな審査基準を導入し,その非科学的で不合理な基準を機械的に当てはめて,更に被爆者らを切り捨て続けてきた。
本件は,上記2及び3における原告の主張で述べたとおり,新審査の方針によっても速やかに原爆症認定をするべきケースであるにもかかわらず,厚
生労働大臣は,放射線起因性を否定して原告の申請を却下した。
よって,被告の公権力の行使に当たる公務員である厚生労働大臣が,原爆症認定という職務を行うについて,上記の故意又は重大な過失によって,違法に原告に与えた損害は,国家賠償法1条1項により,被告が賠償しなければならない。

(2)

損害の発生及びその額
慰謝料

200万円

原告は,当然認定されるべき申請疾病の放射線起因性を認定されず,厚生労働大臣の違法な原爆症認定申請却下処分を受けるなどした。放射線起因性を否定されるなどしたことにより原告が被った精神的苦痛を慰謝するには,200万円をもってするのが相当である。


弁護士費用

100万円
原告は,厚生労働大臣の違法行為により本来不要な裁判を余儀なくされた。原告が代理人に支払うことを約した着手金・報酬のうち少なくとも100万円については,上記違法行為と相当因果関係のある損害というべきである。
(被告の主張)

(1)

国家賠償法上の違法性等
上記2及び3で主張したとおり,厚生労働大臣が原告に対してした原爆症
認定申請の却下処分は,十分な科学的根拠に基づくものであり,厚生労働大臣に職務上の法的義務違反がないことは明らかであって,これを国家賠償法1条1項の適用上違法とする余地はない。

(2)

損害の発生及びその額
争う。

第3章
第1
1
当裁判所の判断
争点①(放射線起因性の判断基準)について
放射線起因性の立証の程度等について
被爆者援護法10条1項,11条1項の規定によれば,原爆症認定の要件と
して,①被爆者が現に医療を要する状態にあること(要医療性)のほか,②現に医療を要する疾病等が原子爆弾の放射線に起因するものであるか,又は,上記疾病等が放射線以外の原子爆弾の傷害作用に起因するものであって,その者の治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けているため上記の状態にあること(放射線起因性)が必要であると解される。
ところで,行政処分の要件として因果関係の存在が必要とされる場合に,その拒否処分の取消訴訟において被処分者がすべき因果関係の立証の程度は,特別の定めがない限り,通常の民事訴訟における場合と異なるものではない。そ
して,訴訟上の因果関係の立証は,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではないが,経験則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり,その判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とすると解すべきである。
そして,被爆者援護法は給付ごとに支給要件を書き分けているところ,健康管理手当や介護手当の支給要件についてはいずれも弱い因果の関係でよい旨
を明文で規定していること(同法27条1項,31条)と対比すれば,原爆症認定については,原爆放射線と疾病等又は治癒能力の低下との間に通常の因果関係があることを要件として定めたものと解するのが相当である。したがって,同法11条1項の原爆症認定の要件とされている放射線起因性については,原告において,原爆放射線に被曝したことにより,その疾病等又
は治癒能力の低下を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明する必要があり,その判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とするものと解すべきである。
(以上につき,最高裁判所平成12年7月18日第三小法廷判決・裁判集民事198号529頁参照)

2
放射線起因性の具体的判断手法
放射線起因性の立証の程度は上記1のとおりであるが,人間の身体に疾病等が生じた場合に,その発症に至る過程においては,多くの要因が複合的に関連していることが通常であって,特定の要因から当該疾病等の発症に至った機序
を逐一解明することには困難が伴うところであり,特に,放射線に起因する疾病等は,放射線に起因することによって特異な症状を呈するとは限らず,放射線に起因しない場合とその症状が同様であることもまま見受けられる上に,放射線が人体に影響を与える機序は,科学的にその詳細が解明されてはおらず,長期間にわたる調査にもかかわらず,放射線と疾病等の関係についての知見は,
統計学的,
疫学的解析による有意性の確認等,
限られたものにとどまっており,
これらの科学的知見にも一定の限界があるところである。
これらからすると,放射線起因性の判断に当たっては,当該疾病等の発症等に至る医学的又は病理学的機序を直接証明することを求めるのではなく,当該被爆者の放射線への被曝の程度と,統計学的又は疫学的知見等に基づく申請疾病等と放射線被曝との関連性の有無及びその程度とを中心的な考慮要素としつつ,これに当該疾病等に係る他の原因(危険因子)の有無及び程度等を総合
的に考慮して,原子爆弾の放射線への被曝の事実が当該申請に係る疾病等又は治癒能力の低下を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性が認められるか否かを経験則に照らして判断するのが相当である。
3
被曝線量の評価方法について
(1)

新審査の方針における被曝線量の評価方法
放射線起因性の判断に当たっては,上記2のとおり,当該被爆者の放射線
への被曝の程度が中心的な考慮要素の一つとなる。厚生労働大臣が原爆症認定を行うに当たっては,原則として,疾病・障害認定審査会の意見を聴かなければならないとされているところ,前記第2章第2の法令の定め等及び弁論の全趣旨によれば,疾病・障害認定審査会の医療分科会は,旧審査の方針の下において,被爆者の被曝線量を①初期放射線による被曝線量の値に,②残留放射線(誘導放射線)による被曝線量の値及び③放射性降下物による被曝線量の値を加えて得た値とし,④内部被曝による被曝線量は特に考慮していなかったところ(乙A2,弁論の全趣旨)
,平成20年3月に策定された新

審査の方針(その後に改定されたものも含む。以下同じ。
)の下においても,
大枠としては同様の評価方法を踏襲しているものと認められる(弁論の全趣旨)

そこで,以下,新審査の方針の下における医療分科会の具体的な評価方法を踏まえつつ,上記①から④までの点についてその評価方法の合理性を検討
し,さらに,上記の各点に関連する⑤遠距離被爆者及び入市被爆者に生じた症状の評価について検討を加え,被曝線量の評価方法の在り方について検討する。
(2)

①初期放射線による被曝線量
初期放射線とは,原子爆弾のウランあるいはプルトニウムが臨界状態に達し,爆弾が炸裂する際に放出される放射線であり,主にガンマ線と中性子線からなる(乙A105,弁論の全趣旨)


旧審査の方針では,広島原爆・長崎原爆の別に,爆心地からの距離に応じた初期放射線による被曝線量の表が用いられていたが,これはDS86に基づくものであった(乙A4)
。新審査の方針では,原因確率を改めると
はしているものの,被爆者の受けた初期放射線による被曝線量について,DS86を改訂したDS02に基づく値を利用して放射線起因性が判断さ
れている。

原爆被爆者の線量推定方式については,当初,T57D(1957年暫定線量)が発表され,次いで,T65D(1965年暫定線量)が発表されて用いられていたが,T65Dに基づく線量推定に問題点や矛盾があることが指摘され,日米合同の研究者グループが線量の評価方法の検討を重
ねた結果,1986年(昭和61年)3月に新しい線量の評価システムとしてDS86が承認された(乙A73)
。その後,DS86に基づく計算値
と測定値とが一致しない部分が認められたことなどから,日米合同の研究者グループが上記不一致等を解消するための検討作業を行い,新たな線量評価方式としてDS02を策定し,2003年(平成15年)3月,原爆
放射線量評価検討会によって被爆生存者追跡調査で用いる線量推定方式として承認された(乙A76)


DS02の初期放射線の推定計算につき,原告はDS02においても遠距離において測定値が計算値を上回るなどの問題点が解消されていない旨
主張するのに対し,被告は,放射線学の専門家集団により,その当時の最新の技術及び手法等を用いて策定されたものであって,現在においても相当の信頼性のある科学的知見であると主張する。
そこで検討するに,証拠(乙A76,92~94)及び弁論の全趣旨によれば,①DS86は,当時の最新の核物理学の理論に基づき,高度なシミュレーション計算法と高性能のコンピュータを用い,原子爆弾の構造,爆発の状況,爆発が起きた環境(大気の状態,密度等)
,被爆者の状態等
に関する諸条件を可能な限り厳密かつ正確に再現し,データ化して被曝線量を推定したものであること,②DS86は,国際放射線防護委員会(ICRP)による基準の根拠としても用いられ,世界の放射線防護の基本的資料とされるなど,世界的にみても優良性を備えた体系的線量評価方式と
して取り扱われてきたこと,③DS02は,DS86の基本的な評価方法を踏襲した上で,更に進歩した当時の最新の大型コンピュータを駆使し,最新のデータやDS86の策定後に可能となった最新の計算法を用いるなどして,DS86よりも高い精度で被曝線量の評価を可能にしたものであることなどが認められ,他方,DS02の線量評価方式の計算過程に疑問
を抱かせるべき事情や,より高次の合理性を備えた線量評価方式が他に存在することを認めるに足りる証拠はない。そうすると,DS02は,被爆者の初期放射線による被曝線量を高い精度で算定することが可能な相当の科学的合理性を有するものであるということができる。
もっとも,DS02は,コンピュータによるシミュレーション計算の結
果を基礎として策定されたものである以上,それに基づく被曝線量の計算値(推定値)は,飽くまでも近似的なものにとどまらざるを得ない。この点は,DS02に係る報告書(以下「DS02報告書」という。
)も,代表
的なDS02被爆者線量の合計誤差は両市とも約30%であり,その範囲は全線量の27%から45%である旨を明らかにしているところである
(乙A76)

次に,DS02の計算値と測定値との一致又は不一致についてみるに,DS02報告書は,ガンマ線について,①広島では,中遠距離におけるTLD一致度(被曝した瓦やタイルに含まれている石英に熱を与えると光を発生する性質
(熱ルミネセンス)
を用いて測定した原爆の放射線量の値
(熱
ルミネセンス測定値)とDS02計算値の一致度。以下同じ。
)は,DS8
6よりもDS02の方が優れているが,遠距離では測定値が計算値を上回ることが依然として示唆されている,②長崎の全般的なTLD一致度は高いが,長崎においては,少なくとも爆心地から約800mまでは測定値が計算値より幾分低い傾向にあり,この傾向はDS86よりもDS02の方が少し強い,長崎における測定値と計算値との比較は,測定位置が限られ
ていること,また,DS86及びDS86以降の測定が行われた位置に適用される透過係数の値の多くに疑問があることから,広島の場合よりも測定値と計算値の比較はかなり困難である,③広島,長崎両市の爆心地から約1.5km以遠の地上距離における原爆ガンマ線量はバックグラウンド(自然放射線)とほぼ同じであり,正味の測定線量は推定バックグラウン
ド線量の誤差に大きく影響されるため,かかる遠距離において現在の熱ルミネセンス測定値(TL測定値)で原爆ガンマ線量を正確に決定することは不可能であるなどと指摘しており(乙A76)
,DS02によっても,初
期放射線のガンマ線量が過小評価になっている可能性はなお残るものといわざるを得ない。

また,熱中性子線のうちコバルト60に関して,DS02報告書は,長崎においては,コバルト60測定値は,DS02に基づく計算値とおおむね一致したが,近距離においてさえも大きな差異を示しているなどと指摘している(乙A76)

以上の検討結果によれば,DS02の計算値が少なくとも1500m以
遠において過小評価になっている疑いを払拭できない。したがって,DS02は,初期放射線量の推定に用いられること自体は合理的であるとしても,具体的な個人の被曝放射線量の推定において約30%(最大45%)の誤差があることに加え,1500m以遠においてDS02による計算値が過小評価になっている疑いがあることをも考慮した上で用いられるべきものといえる。
(3)

②誘導放射線による被曝線量
誘導放射線とは,原子爆弾の初期放射線の中性子が建物や土壌等を構成する物質の特定の元素の原子核と反応を起こすこと(誘導放射化)によって生じた放射性物質(誘導放射性物質)が放出する放射線である(乙A105,弁論の全趣旨)

誘導放射線(残留放射線)による外部被曝線量について,旧審査の方針
は,申請者の被爆地,爆心地からの距離(広島原爆については700mまで,長崎原爆については600mまで)及び爆発後の経過時間(72時間まで)の区分に応じた所定の値(広島原爆については0センチグレイから26センチグレイまで,長崎原爆については0センチグレイから12センチグレイまで)としていた(乙A4)
。これに対し,新審査の方針には,誘

導放射線による外部被曝線量の算定基準は明示されていないが(乙A1~3)
,医療分科会においては,旧審査の方針の考え方を基本的に踏襲し,DS02に基づく研究である今中哲二「DS02に基づく誘導放射線量の評価」
(乙A109。以下「今中論文」という。
)等により,申請者の移動経
路や滞在時間を踏まえて線量を算定・評価しているものと認められる(乙
A19,弁論の全趣旨)


今中論文(乙A109)は,DS86に係る報告書(以下「DS86報告書」
という。にあるグリッツナーらの計算結果をDS02に応用するこ)
とにより(具体的には地上1mでのコバルト60の放射化量の比(DS0
2/DS86)を,グリッツナーらの計算結果に乗じた。,距離と時間の)
関数として誘導放射線による地上1mでの外部被曝(空気中組織カーマ)を求めた。これによると,爆発直後からずっと同じところに無限時間居続けたときの放射線量は,
爆心地において広島では120センチグレイ
(1.
2グレイ)
,長崎では57センチグレイ(0.57グレイ)
,爆心地から1
000mにおいて広島では0.39センチグレイ(0.0039グレイ),
長崎では0.14センチグレイ(0.0014グレイ)
,爆心地から150
0mにおいて広島では0.01センチグレイ(0.0001グレイ),長崎
では0.005センチグレイ(0.00005グレイ)となったとし,これ以上の距離での誘導放射線被曝は無視して構わないだろうと評価している。

しかし,DS02の線量推定には約30%の誤差があるというのであるから(上記(2)ウ)
,誘導放射線の推定においても少なくとも同程度の誤差
があるものということができる。また,広島及び長崎における土壌中の放射能活性化前元素の含有量や濃度は測定者や測定場所によってかなりのばらつきがあると認められるから(乙A73,108)
,初期放射線量が同一

であったとしても土壌からの誘導放射線の量は必ずしも同一とはならない。さらに,
土壌以外にも建物等の建築資材や空気中の塵埃も誘導放射化され,人体や遺体そのものも誘導放射化されるか誘導放射化された塵埃等が付着している可能性があるところ,被曝の形態も,誘導放射化された塵埃等が身体に付着した場合や,口や傷口から体内に取り入れられた場合,誘導放
射化したがれきや人体・遺体に接触した場合等様々なものが考えられることに照らすと,地上1mにおける誘導放射線量をもって実際の誘導放射線量と同視することには疑問があるといわざるを得ない。そのほか,原子爆弾炸裂後猛烈な爆風や旋風等が生じたことに照らすと,誘導放射化された土壌等が粉塵となり舞い上がるなどして,遠距離に飛散した可能性も十分
に考えられる。
そして,今中論文は,爆心地から1000m地点の誘導放射線による外部被曝線量は1センチグレイ(0.01グレイ)にも満たないとするが,後記(6)のとおり,
初期放射線にほとんど被曝していないいわゆる入市被爆
者や遠距離被爆者にも放射線被曝による急性症状とみられる症状が一定割合生じている旨の調査結果が複数報告されているところ,前記の外部被曝線量評価だけではこれらの調査結果を合理的に説明することは困難である。

以上の検討結果に照らせば,新審査の方針の下における誘導放射線による被曝線量の評価については,過小評価となっている疑いが強いというべきであり,実際に被爆者の被曝線量を評価するに当たっては,旧審査の方針で誘導放射線被曝が考慮された地域(爆心地から600m~700m)より遠い地域にも誘導放射化物質が相当量存在していた可能性を考慮に入
れ,かつ,当該被爆者の被爆状況,被爆後の行動・活動内容,被爆後に生じた症状等に照らして,誘導放射化された放射性物質による様々な形態での外部被曝及び内部被曝の可能性を十分に検討する必要があるというべきである。
(4)

③放射性降下物による被曝線量
放射性降下物による放射線とは,原子爆弾の核分裂によって生成された放射性物質(核分裂生成物)等で地上に降下したものが放出する放射線である(乙A75)

放射性降下物による放射線の外部被曝線量について,旧審査の方針は,
DS86報告書の分析結果に基づき,原爆投下の直後に特定の地域に滞在し,又はその後,長期間にわたって当該地域に居住していた場合についてそれぞれ定めており,具体的には,広島原爆についてはα・β地区につき0.6センチグレイから2センチグレイ(0.006グレイから0.02グレイ)長崎原爆についてはγ地区につき12センチグレイから24セン,

チグレイ(0.12グレイから0.24グレイ)としていた(前記法令の定め等,乙A4,73)
。これに対し,新審査の方針には,放射性降下物に
よる放射線の外部被曝線量の算定基準は明示されていないが,DS02では放射性降下物の線量についての見直しは行われていないことに照らすと,医療分科会は,旧審査の方針の考え方を基本的に踏襲し,DS86報告書の分析結果によって線量を算定・評価しているものと推認される(乙A1~3,95)



原爆投下の数日後から,複数の測定者が放射線量の測定を行っており,これまで多数の測定結果が報告されている(乙A73,95~98)。これ
らの調査の結果,広島ではα・β地区,長崎ではγ地区で放射線の影響が比較的顕著に見られることが分かり,これは,原子爆弾の爆発後,両地区
において激しい降雨があり,これによって放射性降下物が降下したものであることが確認された(乙A73,95~114)
。DS86報告書は,調
査結果を総括した上で,地区における放射性降下物の累積的被曝への寄γ
与は,おそらく20レントゲンから40レントゲンの範囲であり,α・β地区では,それはおそらく1レントゲンから3レントゲンの範囲であると
し,これを組織吸収線量に換算すると,長崎については12ラドから24ラド(0.12グレイ~0.24グレイ)
,広島については0.6ラドから
2ラド(0.006グレイ~0.02グレイ)になると結論付けている(乙A73)同分析は,原爆投下後の調査に基づく複数の調査報告等を総括す。
るものであり,また,その後の静間清らの「広島原爆の早期調査での土壌
サンプル中のセシウム137濃度と放射性降下物の累積線量評価」乙A9(
9)によれば,放射性降下物の累積被曝(地上1mで,原爆爆発1時間後から無限時間後までの被曝率を積分したもの)は,集中した降下物地域では最大で4レントゲンと評価されたというのであり,上記DS86報告書の結論と大きくは齟齬していないことをも踏まえれば,医療分科会が新審
査の方針において用いている放射性降下物による放射線の外部被曝線量の算定方法は,相応の科学的根拠に基づくものということができる。もっとも,DS86報告書自身が多数の測定の精度や全ての外挿の精度が非常に低いことを強調しているほか
(乙A73)原子爆弾投下後数か月

以内の複数の測定結果からは,放射性降下物が相当不均一に存在していたことが推認され
(乙A96~98)放射性降下物の降下形態やその後の集

積により局地的に高い放射線量となる場合があり得ることに照らすと,D
S86報告書で取りまとめられた放射性降下物による放射線量を絶対視することは相当ではない。
なお,
本件においては,
原告は黒い雨に打たれたと主張していないから,
黒い雨の降雨地域が一般的にどの範囲に及んでいたかについての認定・判断はしない。

(5)

④内部被曝による被曝線量
内部被曝とは,呼吸,飲食,外傷,皮膚等を通じて体内に取り込まれた放射性物質が放出する放射線による被曝をいう(弁論の全趣旨)

旧審査の方針においては,内部被曝による被曝線量は特に考慮されておらず(乙A4)
,新審査の方針の下においても,医療分科会は,旧審査の方

針の考え方を基本的に踏襲し,また,内部被曝と外部被曝は同じ臓器線量であれば健康への影響も同等であり,原爆被爆者において有意な内部被曝は見受けられないとの見解に立ち,内部被曝による被曝線量を特に考慮していない(乙A1~3,19)


DS86報告書では,昭和44年及び昭和56年に長崎のγ地区の住民を対象とするホールボディカウンターを用いた測定結果に基づきセシウム137の内部被曝線量を推定した岡島俊三らの研究を取りまとめ,放射性降下物からのセシウム137の値は昭和44年に男性で13ピコキュリー/キログラム,女性で10ピコキュリー/キログラムであること,身体負
荷値が指数的に減少したとの仮定に基づくとセシウム137の有効な半減期は7.4年であることから,昭和20年から昭和60年までの40年間の内部被曝線量は男性で10ミリレム(10ミリラド,0.0001グレイ)
,女性で8ミリレム(8ミリラド,0.00008グレイ)であるとしている(乙A73)
。また,今中論文は,ナトリウム24(半減期15.0
時間)とスカンジウム46(半減期83.8日)に着目して計算を行った結果,
広島原爆投下当日に爆心地から1km以内において8時間の片付け作業に従事した者が吸入する塵埃による内部被曝線量は0.06マイクロシーベルトであり,考えられる外部被曝に比べ無視できるレベルであるとしている(乙A109)
。これらの研究結果によれば,医療分科会が内部被曝
による被曝線量を特に考慮しないとしていることには相応の科学的根拠が
ある。
しかし,これらの研究はより短い半減期を持つ放射性物質を対象としておらず,かかる半減期の短い放射性物質等による内部被曝線量については不明である上に,前記のとおり,爆心地付近に限らず局地的に放射性降下物や誘導放射化物質が集積するなどしていたものと考えられることも考慮
すると,
内部被曝線量は無視し得る程度のものであると評価することには,なお疑問が残るといわざるを得ない。
また,原告は,内部被曝においては,①ガンマ線の線量は線源からの距離の二乗に反比例するから,同一の放射線核種による被曝であっても,外部被曝より被曝量は格段に大きくなる,②外部被曝ではほとんど問題とな
らないアルファ線やベータ線を考慮する必要があり,しかもこれらは飛程距離が短いため,そのエネルギーのほとんど全てが体内に吸収され,核種周辺の体内組織に大きな影響を与える,③人工放射性核種は,核種ごとに生体内の特定の部位に濃縮される特性がある,④放射性核種が体内に沈着すると,体内被曝が長期間継続することになるといった外部被曝と異なる
特徴があり,一時的な外部被曝よりも身体に大きな影響を与える可能性があるなどと主張し,これに沿う証拠(甲A102,137,138,702,711)を提出している。原告の上記各主張が科学的知見として確立しているとはいい難い状況にある(乙A69,111)ものの,内部被曝の機序については必ずしも科学的に解明・実証されておらず,また,低線量放射線による継続的被曝が高線量放射線の短時間被曝よりも深刻な障害を引き起こす可能性について指摘する見解(例えば,原子力安全委員会の
放射線障害防止基本専門部会に設置された低線量放射線影響分科会は,低線量率照射の方が高線量率照射よりも影響が大きいという逆線量率効果,被曝した細胞から隣接する細胞に被曝の情報が伝わるバイスタンダー効果,遅延突然変異頻度の長期にわたる上昇というゲノム不安定性等の可能性を指摘する。
)があり(甲A139)
,このような科学的知見を一概に無

視することはできないこと,後記(6)のとおり,入市被爆者等に放射線被曝による急性症状とみられる症状が一定割合生じているとの調査結果があり,推定される外部被曝線量だけでは必ずしもこれを十分に説明し得ないこと,広島原爆投下後に高放射能を持つ有害物質を含む黒塵と思われる「ガス」を吸った者は「原子症」がひどいといわれるとの報告があること
(甲A133)等に照らすと,被曝線量の評価に当たって,内部被曝線量は無視し得る程度のものであるとしてこれを考慮しないことには疑問があるといわざるを得ない。

この点,被告は,①体内に取り込まれた放射性核種は,人体に備わった代謝機能により体外に排出される,②チェルノブイリ原発事故では,事故から10年後辺りから甲状腺がんの有意な増加が見られるが,遠距離・入市被爆者に見られるがんにそのような傾向は見られず,内部被曝の影響があったとは考え難い,③医療の現場等においても放射性物質の投与が行われており,それによる人体影響がないというのが医療の常識であるなどと
して,原子爆弾の被爆者について内部被曝の影響を重視することは誤りであると主張する。
しかし,①の点については,体内に取り込まれた放射性核種が体外に排出されるまでには相応の日数を要する上,物理学的半減期が短い放射性物質による内部被曝の場合には,体外に排出されるまでに相当の内部被曝が生じているから,この点をもって原子爆弾の被爆者の内部被曝を無視し得るということにはならない。また,②の点については,原子爆弾の被爆者
に甲状腺がんの有意な増加が見られないとする根拠が明らかではない上,原子爆弾の被爆者とチェルノブイリ原発事故における内部被曝の状況を同一視することにも疑問があるといわざるを得ないし,チェルノブイリ原発事故により小児甲状腺がんが増加したということは,かえって,内部被曝により特定の臓器に影響を与えることを明確に裏付けるものといえるので
あって,この点をもって原子爆弾の被爆者の内部被曝を無視し得るということにはならない。また,③の点については,医療上の必要により放射性物質が投与された場合に内部被曝の影響が生じていないとする根拠が明らかではない上,医療上の必要により放射性物質が投与される場合には,現在の医療水準に基づき,放射性物質による影響をできる限り少なくするた
めの処置が講じられていると考えられるのであり,全く無防備で特段の事後対応もされなかった原爆被爆者の場合と同視することにはそもそも疑問がある。
したがって,
被告の上記主張はいずれも採用することができない。

以上によれば,被爆者の被曝線量を評価するに当たっては,当該被爆者の被爆状況,
被爆後の行動・活動内容,
被爆後に生じた症状等に照らして,

誘導放射化物質及び放射性降下物を体内に取り込んだことによる内部被曝の可能性がないかどうかを十分に検討する必要があるというべきであり,加えて,内部被曝による身体への影響には,一時的な外部被曝とは異なる特徴があり得ることを念頭に置く必要があるというべきである。
(6)

⑤遠距離被爆者及び入市被爆者に被爆後に生じた症状の評価遠距離被爆者に生じた症状について
(ア)

放射線被曝による急性症状に関し,被告は,
一般的な医学的知見とし

て,皮下出血(歯茎からの出血,紫斑を含む。
)で2グレイ程度,脱毛で
3グレイ程度のしきい値があると主張するところ,DS02に基づく爆心地からの距離をみると,2グレイは1175m(広島)から1325m(長崎)での初期放射線量に相当し,3グレイは1075m(広島)から1225m(長崎)での初期放射線量に相当する(乙A76)。今中
論文(乙A109)に基づく誘導放射線量,DS86で取りまとめられた放射性降下物による外部被曝線量は,せいぜい数十センチグレイにとどまるものとされているから,爆心地から1500m以遠では上記急性
症状に関する一般的知見を前提とすれば,これら急性症状はほとんど生じないことになる。
(イ)

しかし,原子爆弾投下後,比較的早期に行われた調査の結果では,以
下のとおり爆心地から1500m以遠でも脱毛や皮下出血等の症状が相当数見受けられる。
a
日米合同調査団報告書(甲A148)
日米合同調査団報告書は,被爆直後に広島6882名,長崎6621名の被爆者について調査を行った結果に基づき,遮蔽の有無,距離別に,急性症状とみられる症状の発生割合を分析した(甲A147)。
爆心地から2.
1kmから2.
5kmにおける被爆者の脱毛の頻度は,

広島においては,屋外又は日本家屋内での被爆者1415名中68名(4.
8%)屋内
,(ビルディング)
での被爆者12名中1名
(8.
3%)
(なお,防空壕又はトンネル内での被爆者1名については脱毛なし)であり,長崎においては,屋外又は日本家屋内での被爆者515名中37名
(7.
2%)屋内
,(ビルディング)
での被爆者35名中1名
(2.

9%)
,防空壕又はトンネル内での被爆者110名中2名(1.8%)
であった(甲A148)

b
マンハッタン調査団の報告書(甲A156)
アメリカ軍は,原子爆弾の影響を調べるために,医師や科学者で組織したマンハッタン調査団を派遣し,昭和20年9月10日から同年10月6日まで長崎で,同月3日から7日まで広島で,日本人医師の作成したカルテなどを基に,入院中の被爆者ら計644人を対象に調
査したところ,
同調査団の報告書では,
爆心地から2.
25kmから4.
25kmで被爆した男女46人中8人(17%)に脱毛が見られ,爆心地から2.
25kmから3.
25kmで被爆した41人中14人
(34%)
に皮下出血があったとした。
c
東京帝国大学医学部診療班「原子爆弾災害調査報告(広島)(甲A」
149)
(a)

東京帝国大学医学部診療班は,
昭和20年10月,
米国原子爆弾

調査団に随行して,広島市の各地点において,爆心地から5km圏内における生存罹災者5120名について診療及び調査をした(第1次調査)

(b)

第1次調査では,
原子爆弾の放射線により生じたと考えられる脱

毛,皮膚溢血斑,口内炎症,白血球減少,下痢,発熱,悪心嘔吐,倦怠感,食思不振その他各種の出血性素因(吐血,下血,血尿,歯齦出血等)のうち,脱毛,皮膚溢血斑及び壊疽性又は出血性口内炎症のうち1症状以上を示したものを放射能傷と定めたところ,全調査例5120例中放射能傷は909例であった。
脱毛の距離別発現頻度は,爆心地1.6kmから2.0kmでは9.0%,2.1kmから2.5kmでは6.4%,2.6kmから3.0kmでは1.7%であった。

(c)

遮蔽状況と脱毛発現率との関係については,
屋外開放のものと屋

外陰にあったものが最も高く,コンクリート建物内のものが最も低く,木造家屋内のものはその中間を示した。また,木造家屋でも,平家及び2階建の2階にいたものと,2階建ての階下にいたものとを比較すると,明らかに後者の発現頻度が低かった。1.0kmから1.5km圏内では,屋外開放のものと屋外陰のものとがほぼ同じ脱毛発現率を示しており,放射能の散乱性を物語るものと考えられた。
d
筧弘毅
「広島市における原子爆弾被爆者の脱毛に関する統計」
(甲A
105(文献番号5)
,149)
昭和20年10月アメリカの原子爆弾災害調査団が広島で被害調
査を行った際,東京帝国大学医学部からも調査班が随行した。その際の5120名を対象とする脱毛に関する調査及び統計的分析によれば,
①爆心地より5km以内の被検者5120例中707例(13.8%)に脱毛症が見られ,②脱毛出現最大距離は爆心地からの水平距離2.8kmで,
全脱毛者の約90%は2km以内にあり,
③爆心からの水平距
離0kmから0.5kmで27例中21例(77.8%)
,0.6kmから
1.0kmで300例中211例(70.3%)
,1.1kmから1.5

kmで947例中257例(27.1%)
,1.6kmから2.0kmで1
474例中134例(9.1%)
,2.1kmから2.5kmで1156
例中75例
(6.
5%)2.
,6kmから3.
0kmで502例中9例
(1.
8%)であった。
e
調来助・吉澤康雄「医師の証言

長崎原爆体験」中の「長崎ニ於ケ

ル原子爆弾災害ノ統計的観察(抄録)(甲A105(文献番号4)」

長崎医科大学教授の調来助は,昭和20年10月から同年12月までの3か月間に長崎原爆の死亡率に関する調査をし,生存者(5520人)
・死亡者(333人)別に距離別の脱毛の頻度について取りまと
めた。これによれば,生存者例の男女合計で,爆心地からの距離が0kmから1kmで443例中138例(31.1%)
,1kmから1.5km
で1401例中362例(25.8%)
,1.5kmから2kmで858
例中76例(8.9%)
,2kmから3kmで1739例中56例(3.
2%)
,3kmから4kmで1079例中19例(1.8%)に脱毛が見られ,また,死亡者例の男女合計で,爆心地からの距離が0kmから1kmで192例中52例(27.1%)
,1kmから1.5kmで105例

中39例(37.1%)
,1.5kmから2kmで26例中4例(15.
4%)
,2kmから3kmで10例中2例(20.0%)に脱毛が見られた。
f
於保源作「原爆残留放射能障碍の統計的観察」
(甲A150)
於保源作医師は,昭和32年1月から同年7月にかけて広島原爆の爆心地から2.0kmから7.0kmに及ぶ一定地区に住む被爆者(広島原爆投下当時広島市内にいた者に限る。
)の生存者全員(3946名)
を対象に調査を行った。なお,同調査では,原爆放射能障碍及び同熱障碍を受けた者は
「有症者」原爆投下から3か月以内に自他覚的身体


異常を訴えなかった者(潜在性放射能障碍者も含む。
)は「無症者」

原子爆弾の爆風のため外傷を受けたのみで他に急性原爆症の症状を認めなかった者
(潜在性放射能障碍者も含む。は
)「外傷のみ」
とされた。
これによれば,①原爆投下直後から3か月以内に原爆中心地(爆心地から1.0km以内。この段落について以下同じ。
)に入らなかった

屋内被爆者1878名中有症率は20.2%であったところ,被爆距離別有症率は被爆地点1.5kmから2.0kmで46.7%(うち下痢37.1%,皮粘膜出血18.5%,脱毛16.7%)
,2.0kmから
2.5kmで30.3%(うち下痢20.9%,皮粘膜出血8.1%,脱毛2.1%)
,2.5kmから3.0kmで27.6%(うち下痢18.

7%,皮粘膜出血5.9%,脱毛5.4%)
,3.0kmから3.5kmで
19.(うち下痢14.
0%
8%,
皮粘膜出血2.
5%,
脱毛2.
9%)

3.5kmから4.0kmで15.7%(うち下痢8.4%,皮粘膜出血2.6%,脱毛0.9%)
,4.0kmから4.5kmで8.0%(うち
下痢4.0%,皮粘膜出血2.0%,脱毛3.0%)であり,②原爆投下直後から3か月以内に原爆中心地に入らなかった屋外被爆者652名中有症率は44.0%であったところ,被爆距離別有症率は被爆
地点1.5kmから2.0kmで75.5%(うち下痢34.6%,皮粘膜出血24.4%,脱毛24.4%)
,2.0kmから2.5kmで67.
4%
(うち下痢36.
0%,
皮粘膜出血20.
2%,
脱毛18.7%)

2.5kmから3.0kmで67.0%(うち下痢23.0%,皮粘膜出血10.9%,脱毛10.9%)
,3.0kmから3.5kmで60.8%

(うち下痢22.9%,皮粘膜出血6.7%,脱毛12.0%)
,3.
5kmから4.
0kmで28.
4%
(うち下痢12.
6%,
皮粘膜出血7.
3%,脱毛0.1%)
,4.0kmから4.5kmで12.8%(うち下
痢7.1%,皮粘膜出血4.2%,脱毛2.8%)であった。
(ウ)

これらの調査結果からは,脱毛や皮下出血(紫斑)が生じたとする者
が,爆心地から1.5kmから2.0kmの地点で被爆した者については10%前後以上,2.0km以遠で被爆した者についても数%以上存在し,かつ,これらの症状(特に脱毛)を生じたとする者の割合が,爆心地からの距離や遮蔽の存在に応じて減少する傾向があると認められる(この傾向は,その他の調査結果(甲A151~153など)ともおおむね合致している。。

このような傾向に照らすと,爆心地からの距離が1.5km以遠において被爆した者に生じたとされる脱毛や皮下出血等の症状は,全てとはいえないまでも,その相当部分について放射線による急性症状であると考
えるのが自然である。
ところで,
DS02の推定によれば爆心地から2.
0kmにおける初期放射線量は広島で0.0764グレイであり,長崎で0.138グレイである(乙A76。なお,DS02の推定値は有効数字3桁であり,和においては小数点以下の少ない桁数に揃えるように端数を四捨五入した。から,

DS02に内在する誤差や過小評価の可能性
を見込んでも,初期放射線による外部被曝線量は,爆心地から2.0km以遠においては1グレイに達しないと考えられる。他方,外部被曝によ
る被告主張の一般的な医学的知見では,皮下出血のしきい値は2グレイ程度,脱毛のしきい値は3グレイ程度とされていることなども考慮すると,爆心地から1.5km以遠に見られる脱毛等の症状につき,初期放射線による外部被曝が主たる原因であると理解することもまた困難であって,むしろ,主として,誘導放射化した大量の粉塵等や放出された放射
性降下物から発せられる放射線による外部被曝及び内部被曝をしたことによるものとみるのが自然かつ合理的というべきである(なお,遮蔽の有無により急性症状の発症率に有意な差があることについては,原子爆弾の爆発直後に発生した短寿命の誘導放射化物質や放射性降下物への接触の程度に差があったためと考えることも可能である。。



入市被爆者に生じた症状について
(ア)

原子爆弾投下時には広島市内又は長崎市内におらず,その後に市内
に入った者(いわゆる入市被爆者)についても,以下のとおり,脱毛等の放射線による急性症状とみられる症状が生じたとする複数の調査結果が存在している。
a
於保源作「原爆残留放射能障碍の統計的観察」
(甲A150。上記ア
(イ)f)
於保源作医師は,昭和32年1月から同年7月にかけて広島原爆の爆心地から2.
0kmから7.
0kmに及ぶ一定地区に住む者のうち広島

原爆投下当時広島市内にいなかった者で,原爆直後入市した人(629名)を対象に調査を行った(なお,原爆直後とは原爆投下から3か月以内を指す。この段落において以下同じ。。このうち原爆直後入市)
し中心地(爆心地から1.0km以内。この段落について以下同じ。)に
入らなかった者(104名)では有症者(原爆放射能障碍及び同熱障碍を受けた者をいう。この段落において以下同じ。
)はなかったが,原
爆直後入市し中心地に出入りした者525名中有症者は230名(有
症率43.8%)であった。原爆直後入市し中心地に出入りした非被爆者には,広島県安佐郡δδ町消防団員120名が含まれていた。同消防団は,8月7日及び8日午前8時に入市してεε町(爆心地から1.5km)から爆心地を経てξξ町(爆心地から1.0km)に至る間の被爆者の救助と道路疎開作業を行った。この作業は,2日間にわた
ったが,団員の中にはその後引き続いて5日間以上中心地付近で人探しその他に従事した者があった。作業は午後4時に打ち切って帰村した。作業中に広島の河川の水を飲用する者はなかった。団員中,帰村して1日から5日後に発熱,下痢,粘血便,皮膚粘膜の出血,全身衰弱等を来し臥床するに至った者が多数あったが,その家族(広島市内
に入らなかった人)には同様の病気に罹った者はなかった。
b
広島市「広島原爆戦災誌

第1編

総説」中の「残留放射能による

障害調査概要」
(甲A118)
原爆投下直後に広島市に入市して救護活動を行った部隊の将兵4
00名を対象として広島市が昭和44年に行った調査では,うち233名から回答があった。このうち,安芸郡江田島幸の浦基地(爆心地から約12km)の部隊(回答者のうち201人)は,昭和20年8月6日に基地から舟艇によりμμに上陸し,正午前既に広島市内に進出して,直ちに活動を開始し,負傷者の安全地帯への集結を行い,同日
夜から翌7日早朝にかけて中央部へ進出,主としてζζ町,ηη町,θθ橋付近,ιιで活動し,1週間後の同月12日から13日まで活動して,基地に帰還した。他方,②豊田郡忠海基地(爆心地から約50km)の部隊(回答者のうち32人)は,同月7日朝から広島市周辺(κκ,λλ,μμ,その他主要道路沿いなど)の負傷者の多数集結場所で救援活動を行った。
出動中の症状として,2日目(同月8日)頃から下痢患者が多数続
出した。また,軍医の診断によれば,基地帰投直後の症状として,白血球3000以下がほとんど全員に及び,下痢患者が出て,発熱する者,点状出血,脱毛の症状の者が少数ながらあった。さらに,回答者のうち,復員後に経験した症状として,120人(51.5%)が白血球減少,80人(34.3%)が脱毛,55人(23.6%)が嘔
吐,24人(10.3%)が下痢を挙げた。
c
NHK広島局・原爆プロジェクト・チーム「ヒロシマ・残留放射能の四十二年」
(甲A124)
広島地区第14特設警備隊(通称「賀北部隊」
)の隊員の一部99名

(工月中隊)は,広島原爆炸裂後の昭和20年8月7日から同月13日まで,入市して負傷者の救護や死体の処理に当たっていた。工月中隊は,同月7日昼頃に爆心地付近のννに到着し,以後,同所付近で作業をした。先発隊は,早い者で同月6日深夜にννに着いていた。土壌試料の測定結果及びDS86のデータから推定した誘導放射

線による被曝線量は,残留放射線による被曝線量が最も大きいと思われる上記の先発隊7名については,最大11.8ラド,最小2.1ラド,平均5.1ラドであり,先発隊を含めた全隊員平均で1.3ラドと推定された。生存者につき,面接又は電話による応答で急性放射線症状があったと答えた者は32名であったが,症状の重症度(脱毛を
例にとるとその範囲が頭髪の3分の2以上,3分の2から4分の1,4分の1以下に分けられた。・経過期間等により,確実なものと不確)
実なものとに分けられ,その結果,ほぼ確実な急性放射線症状があったと思われるものは,脱毛6名(うち3分の2以上頭髪が抜けた者が3名)
,歯齦出血5名,口内炎1名,白血球減少症の見られた者2名で
あり,これらのうち2名は脱毛と歯齦出血の両症状が現れていた。(イ)

これらの調査結果等によれば,入市被爆者についても,放射線被曝に
よる急性症状とみられる脱毛,下痢,発熱等の症状が少なからず生じており,爆心地付近に入った時期が早く,また,滞在時間が長いほど有症率が高いという傾向があると認められるのであって,このような傾向に照らすと,上記のような症状の多くは,誘導放射線及び放射性降下物による外部被曝及び内部被曝の影響によるものとみるのが自然であり,放
射線被曝以外の原因によるものと理解することは困難というべきである。(7)

小括
以上によれば,新審査の方針の下での被曝線量の算定方法は,科学的合理
性を肯定することができるものの,シミュレーションに基づく推定値であることや測定精度の問題等から一定の限界が存することに十分留意する必要が
あることに加え,初期放射線については,爆心地から1500m以遠において過小評価の可能性があり,誘導放射線及び放射性降下物による放射線については,内部被曝の影響を考慮していない点を含め過小評価となっている疑いが強いという問題がある。そうすると,DS02等により算定される被曝線量は,飽くまでも一応の目安とするにとどめるのが相当であり,被爆者の
被曝線量を評価するに当たっては,当該被爆者の被爆状況,被爆後の行動・活動内容,被爆後に生じた症状等に照らし,様々な形態での外部被曝及び内部被曝の可能性がないかどうかを十分に検討する必要があるというべきである。
第2
1
争点②(原告の原爆症認定要件該当性)について
認定事実
前記前提事実に加え,掲記の証拠(ただし,以下の認定に反する部分は採用しない。
)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
(1)

被爆状況等
原告は,昭和13年2月γγ日生まれ(被爆当時7歳)の男性である。原告は,長崎原爆が投下された当時,爆心地の南西にある長崎市η町ρ丁
目σ番地の自宅で,父,妊娠中の母,長兄,次兄及び妹と家族6人で生活しており,特に健康状態に問題はなかった。
(以上につき,甲F2,3,乙
F5,原告本人)

原告は,昭和20年8月9日朝,次兄と共に,自宅近くの友人宅(爆心地から約1.8km)に遊びに行った。上記友人宅はτ山の中腹にあり,上
記友人宅の縁側は家の東側にあり,特に日光をさえぎる物もなかった。(以
上につき,甲F2,3,乙F5,原告本人)

原告は,昭和20年8月9日午前11時頃,空襲警報が解除されて防空壕から出て,上記友人宅の縁側で漫画を読んでいたところ,友人が,「おー
い,飛行機やで。1機,2機,3機」と言ったのが聞こえ,その直後,あ
たり一帯がピカーッと光ったのが見え,続いてボカーンという音が聞こえるとともに爆風を受けて飛ばされた。原告は,柱か何かに当たって気を失い,
気が付くと畳の下敷きになっていた。
原告は,
畳の下からはい出ると,
上記友人宅の中は物が散乱しており,北東にある三菱の工場の方向から爆発音を聞き,煙が上がるのを見た。原告は自宅に戻り,家族6人で過ごし
た。
(以上につき,甲F2,原告本人)
(2)

入市の状況等
昭和20年8月10日朝,原告の母は,λ町(爆心地の北東約2km)にある実家の被害状況を心配し,原告の次兄を連れて実家へ徒歩で行き,原
告は,同日昼頃,原告の父,長兄及び妹と4人で,原告の母の実家へ徒歩で向かった。
(以上につき,甲F2,3,乙F6,原告本人)

原告は,η町の自宅を出て,τ山を降りてκ川西岸の道を北上した。原告は,途中,θ町(爆心地の南西約1.0km)を通過し,κ川を渡ってυ橋(爆心地の西約0.5km)かφ大橋(爆心地の北西約0.5km)を渡ってκ川を越え,ι(爆心地の東約0.5km)の前を通った際,ιの方を向いてお祈りをした。原告は,ιからχ(爆心地の北東約2km)へ向かう一
本道を歩き,
同日夕方近くにλ町にある原告の母の実家に到着したところ,
実家は倒壊していた。
(以上につき,甲F2,3,乙F6,原告本人)

原告は,昭和20年8月10日に母の実家に到着してから1週間から10日ほどの間,同宅付近の防空壕で生活した。原告は,その間,付近の井戸水を飲み,
近くの畑に残っていたかぼちゃを食べながら生活をしていた。

原告が寝泊まりしていた防空壕は蒸し暑くて衛生状態が悪く,原告の祖母やいとこがその防空壕内で死亡した。
(以上につき,
甲F2,原告本人)
3,
(3)

被爆後に生じた症状,被爆後の生活状況等
原告は,
防空壕での生活後,
家族でμにある父の実家へ行くことになり,
自宅からλ町まで来た道を反対方向へ徒歩で進み,ψ町(爆心地から南側
に約2.5km)から船に乗ってμへ向かい,その船中で3回くらい下痢をした。
(以上につき,甲F2,原告本人)

原告は,長崎原爆に被爆する前は健康に特に問題を感じなかった。しかし,原告は,被爆後,毎日ではないものの,しばしば下痢をするようになり,そのような状態は30歳頃まで続いた。原告は,23歳頃から70歳
頃までの間,配送用トラックの運転手の仕事に従事した。
(以上につき,甲
F2,乙F1,原告本人)

原告の次兄は,昭和51年(当時41歳)に,胃がんで死亡した(甲F2,原告本人)


(4)

原告の主な病歴,生活歴等
原告は,平成13年(当時63歳),早期胃がんと診断され,同年10月1日から同月22日までξ病院に入院し,同月3日に十二指腸への吻合を伴う胃部分切除手術を受けた(乙F9,18)。

原告は,平成22年10月15日(当時72歳),ο病院で,新しい脳梗塞があると診断され,同日から同年11月1日までの間,同病院で入院治療を受けた(乙F20)。


原告は,平成22年11月1日にπ医療センターを受診し,同月4日に労作性狭心症と診断されて入院した。原告は,同年12月2日及び同月21日に冠動脈ステント留置術(PCI)を受けたほか,血栓や塞栓の治療に用いる薬(プラビックス)や血液凝固を防ぐ薬(バイアスピリン)の投与を受けた
(甲F1,
乙F11,
17,
証人αα
(以下
「αα」
という。)
)。


原告は,平成22年11月4日(当時72歳)に労作性狭心症と診断されて以降,継続して労作性狭心症に対する治療を受けており,平成27年5月時点で,降圧剤であるミカムロや,血栓塞栓症を予防する薬であるイグザレルトなどを服用しており,今後も,血栓予防等のための薬を飲み続ける必要がある(甲F1,証人αα)


(5)

その他の病歴,生活歴等
喫煙
原告は,昭和34年(当時20歳)頃から労作性狭心症と診断される平成22年11月4日(当時72歳)頃までの約52年間,1日当たり15本から20本程度のたばこを吸い,ときには30本程度のたばこを吸って
いた(乙F11,17,18,20,原告本人)


脂質異常症
原告は,平成13年11月13日にξ病院において,平成20年10月8日にββクリニックにおいて,平成22年11月4日にπ医療センター
において,それぞれ高脂血症と診断された(乙F14,16,18)。原告
の血液検査結果の値は,
別紙3原告血液検査結果値一覧表のとおりである。

高血圧
原告は,平成19年12月26日にββクリニックにおいて,平成22年11月4日にπ医療センターにおいて,それぞれ高血圧症と診断された(乙F14,16)
。原告の血圧の値は,別紙4原告血圧値一覧表のとおり
である。


飲酒歴
原告は,平成20年(当時70歳)頃までの約50年間,1日当たりコップ1杯程度の日本酒を飲み,その後は1日当たり酎ハイを少し飲む程度になった(乙F11,17,18,20,原告本人)


2
事実認定の補足説明
(1)

被爆約10日後の下痢の有無について
当事者の主張の骨子
原告は,長崎原爆に被爆してから約10日経過した頃から下痢を発症した旨を主張し,原告本人はこれに沿う供述をする。他方,被告は,原告の上記主張事実を否認し,そのような記載は原爆被爆者調査票(乙F7)や
原爆症認定申請に係る申請書(乙F1)に記載されておらず,上記症状を述べる原告の供述は信用できない旨主張する。

検討
そこで検討するに,原告は,陳述書(甲F2)及び本人尋問において,
μへ向かう船中で3回くらい下痢をし,腹痛で眠れなかったこと,μのωに到着してから30歳になる頃まで下痢が続いたが,毎日ではなく,治まることもあったこと,そのような体調を考慮して単独行動をしやすいトラックによる配送の仕事に就いたことなど,原告が長崎原爆に被爆した後に下痢を発症した時期やその際の症状の内容,その後の症状の程度やこれに
よる日常生活への影響等について具体的に述べており,その内容に特段不自然な点はない。また,原告は,症状が収束した時期についても述べていることや,
急性放射線症候群として典型的な下痢の発症経過
(乙A542)
とは異なる発症経過を述べていることからすると,原爆症認定申請に際して自らの症状を誇張して述べているともいえない。以上によれば,原告の上記供述内容は信用できるものといえる。

原爆被爆者調査票(乙F7)について
これに対し,原告に係る原爆被爆者調査票(乙F7)によれば,同調査票には,(おゝむね六カ月以内)原爆による急性症状」の欄が設けられて「
おり,
「げり」

「その他」
などの各欄に,
それぞれ
「いつから」

「いつまで」

「ていど」を記入する欄が設けられているが,同欄には斜線が引かれていること,また,同調査票の「現在の健康状態」の欄の選択肢のうち「げり」
には丸印が付されず,
「何も異常がない」
に丸印が付されていることが認め
られ,被告は,これらの記載ぶりからすると,原告が被爆直後に下痢を発症したとは認められない旨主張する。
しかし,原告本人によれば,原告は同調査票を直接記入しておらず,原告の父が原告に代わって記入した旨を述べており,同供述は,同じ頃に作
成されたと認められる被爆者健康手帳交付申請書(乙F6)に原告の父の署名があることと整合し,信用できる。そうすると,上記調査票は原告の父が原告に代わって記入したものであるから,原告の被爆当時の症状や記入時の健康状態を原告の記憶に沿って過不足なく記入したものとは認められない。したがって,同調査票における急性症状欄や現在の健康状態の欄
に特段の記入がないからといって,原告に同欄記載の症状がなかったとはいえない。被告の上記主張は採用することができない。

原爆症の認定申請書(乙F1)について
(ア)

次に,原告の原爆症認定申請に係る申請書(乙F1)によれば,同申
請書別紙には,
「昭和31年

18才
(中略)
胃痛と下り状態あった」
「S

34(中略)胃痛や下りジンマシン等があった」との手書きの記載があり,これらの記載及び証拠(甲F2,原告本人)に照らせば,上記記載は,昭和31年や34年頃に原告には下痢の症状があった旨の記載であることが認められる一方,上記別紙には原爆投下後10日後頃に原告が下痢を発症したことをうかがわせる旨の記載はない。被告は,原告が原爆症認定申請に係る申請書に被爆直後に下痢を発症した旨を記載していない以上,そのような事実はなかったと主張する。
しかし,上記各記載は,昭和31年及び34年頃に下痢の症状があったことを示すものであるが,それ以前に同様の症状がなかった旨の記載であるとはいえない。また,同別紙は,被爆者援護法施行規則所定の様
式(前記法令の定め等2(1))による認定申請書のうち「被爆時の状況」欄及び
「被爆直後の症状及びその後の健康状態の概要」
欄の記載として,
一般の罫紙2枚に手書きで記入したものであるところ,原告の症状を全て正確に記載できているとは限らないし,
上記様式下部の注意書きには,
「被爆直後の症状や被爆時以降現在までの健康状態の変化等について記
載してください。などと記載されているにとどまるから,被爆直後の急」
性症状の有無について意識した上で作成したものともいえない。以上によれば,原告の原爆症認定申請に係る申請書には,被爆の約10日後に下痢の症状が発生した旨の記載はないものの,同記載がないことをもって,同事実がないことが推認されるとはいえないし,同事実があった旨
を述べる原告の供述と矛盾するともいえない。したがって,被告の上記主張は採用することができない。
(イ)

なお,
被告は,原告の妻が原告が述べた内容を原爆症認定申請に係る

申請書(乙F1)に記入したという原告本人の供述は,同申請書の体裁に照らし信用できない旨主張する。
そこで検討するに,
陳述書
(甲F2)
及び原告本人尋問調書の宣誓書における原告の氏名は,原告自身が書いたものであることについて争いがないか,当裁判所に顕著である。そして,これらの原告の筆跡と上記申請書の筆跡には,共通する特徴も認められる。しかし,両筆跡を対照すると,上記陳述書及び宣誓書の筆跡は乱れがあり,上記申請書と同一人による筆跡であるとまでは認められない。また,被告は,上記申請書の原告名下の印影が,上記陳述書の原告名下の印影と同一の印章によるものである旨指摘するが,同申請書提出
の約7か月後である平成25年9月24日に大阪府に提出された書面(乙F10)中の原告の妻名下の印影も同一の印章によるものであり,配偶者間で一つの認印を融通し合うことは社会通念上あり得ることを併せ考慮すると,上記申請書と陳述書等の印影が同一の印章によるものであることが,上記申請書の記入者が原告であることを推認させるものと
はいえない。
また,被告は,原告が,本人尋問において,上記申請書の記入者について当初原告の父であると述べ,その後,原告の妻が記入した旨を述べた点について,場当たり的な供述の変遷であって不合理であり,信用できない旨主張する。しかし,原告は,同申請書が昭和の頃に作成された
ものではなかったかと思う旨を述べたところ,同申請書は平成25年のものであることを指摘されて,妻が作成したものである旨を述べるに至ったものであるから,当初の供述は別の書面と誤認して異なる供述をしているにすぎず,不合理な変遷とはいえない。
仮に原告が上記申請書別紙を作成したとしても,これにより原告の下
痢に関する供述の信用性が否定されないことは上記(ア)記載のとおりであり,被告の上記主張は採用することができない。

まとめ
以上のとおり,その症状が原子爆弾による急性症状であるか否かはさて
おき,被爆後約10日後に下痢を発症した旨の原告の供述は信用でき,同供述内容どおりの事実が認められる。
(2)

禁煙の有無について
原告は,平成13年10月3日に胃部分切除手術を受けたところ(上記認定事実(4)ア)
,原告本人尋問において,同手術を受けた頃から禁煙をし
ている旨を述べる。これに対し,被告は,上記供述は,原告の医療記録の記載内容に反し,信用できない旨主張する。


そこで検討するに,掲記の証拠によれば,原告の医療記録には以下の記載が認められる。
(ア)
a
ξ病院
平成13年9月12日
問診票の「たばこ」欄の「吸う」にチェックがあり,
「30本/日」

との記載がある(乙F18)

b
平成13年10月1日
「喫煙の習慣」欄の「有」にチェックがあり,
「25本/日」との記
載があり,
「入院時初期アセスメント」欄には「禁煙指導しOP後の肺
のリスクを減らす」との記載がある(乙F18)


c
平成13年10月2日
評価欄に,
「症状なく経過

禁煙も出来ている」
との記載がある一方,

客観的データ欄に,
「禁煙できているというもPM喫煙臭いあり」
との
記載がある(乙F18)

d
平成14年3月16日
問診票の「たばこ」欄の「吸う」にチェックがあり,
「25本/日」
との記載がある一方,
「やめた」欄にはチェックがない(乙F18)


(イ)

ο病院
平成22年10月15日の記録中,喫煙あり

:(15本/日

との記載がある(乙F20)

(ウ)

π医療センター
50年)


a
平成22年11月1日
問診票の「喫煙の習慣」欄の「現在ある」にチェックがあり,
「15
本/日」
との記載がある一方,
「過去にある」
欄にはチェックがない
(乙
F17)


b
平成22年11月4日
「喫煙:15~20本×52年」との記載がある。なお,同年12月6日,
同月30日)
にも同旨の記載がある。
(以上につき,
乙F11,
17)


c
平成24年11月1日

[タバコ]20本/日×50年」との記載がある(乙F17)


d
平成25年6月7日
「評価」欄に「たばこはやめれていない」との記載がある(乙F17)



上記イで認定したとおり,原告の診察又は治療に当たった3つの医療機関の記録には,原告が1日当たり15本から20本程度,ときには30本程度のたばこを吸っていた旨の記載がある。原告は,担当した医療従事者が事実に反する内容を勝手に書いたなどと述べるが,上記記載は3つの異なる医療機関における約12年間にわたる記録であり,原告の喫煙の事実については一致して記載されていること,各医療機関があえて原告の申告
内容と異なる事実を記録に残す合理的な理由もないことからすると,原告が述べるような虚偽の事実が記録された可能性は全くうかがわれない。また,同じ医療機関の異なる日の記録内容を比較すると,たばこの本数に差異があることが認められ,このような点からすると,上記記録はその記録時点における原告の申告内容を記録したものと認められる。

以上によれば,上記イの医療記録に基づき,原告の喫煙歴は上記認定事実(5)アのとおり認められ,
平成13年頃以降禁煙している旨の原告の供述
は,上記医療記録の内容に反し,信用することができない。
(3)

飲酒量について
原告は,原告本人尋問において,日本酒は毎晩コップ1杯程度飲んでいたが,2合はたまにしか飲まなかったし,3合飲むことはなかった,70歳頃に仕事を辞めたときに飲酒もやめた旨を述べる。
これに対し,
被告は,

上記供述は,
原告の医療記録の記載内容に反し,
信用できない旨主張する。

そこで検討するに,掲記の証拠によれば,原告の医療記録には以下の記載が認められる。
(ア)

a
ξ病院
平成13年9月12日
問診票の「お酒類」欄の「飲む」にチェックがある(乙F18)


b
平成13年10月1日
「飲酒の習慣」欄の「有」にチェックがあり,
「種類」欄には「日本
酒」との記載,
「量」欄には「2合」との記載がある(乙F18)


c
平成14年3月16日
問診票の「お酒類」欄の「飲む」にチェックがある(乙F18)


(イ)

ο病院
平成22年10月15日の記録中,
「飲酒:あり

頻度

毎日

種類・

量:日本酒」との記載がある(乙F20)

(ウ)
a
π医療センター
平成22年11月1日
問診票の「飲酒の習慣」欄の「現在ある」にチェックがあり,
「2合
/日」との記載がある一方,
「過去にある」欄にはチェックがない(乙
F17)


b
平成22年11月4日
「飲酒:日本酒200ml/日を毎日」との記載がある。なお,同年12月6日,同月30日にも同旨の記載がある。
(以上につき,乙F
11,17)
c
平成23年2月19日
「主訴」欄に「心窩部の膨満感,昨日昼頃飲酒後より今までほぼ丸一日持続している」との記載がある(乙F17)


d
平成24年11月1日
「…[酒]70までは3合,今は酎ハイ少し/日」との記載がある(乙F17)



上記イで認定したとおり,原告の診察又は治療に当たった3つの医療機関の記録には,原告が毎日日本酒を飲んでいた旨の記載があり,うち2つ
の医療機関の記録には,原告の飲酒量について,1日当たり2合,200ml又は3合の日本酒を飲んだという旨の記載があり,日本酒は70歳までは飲んでおり,その後は1日当たり酎ハイを少し飲んでいた旨の記載がある。これらの記載は,2つの異なる医療機関による約12年間にわたる記録であり,その内容に特段不自然な点がないことからすると,上記記録
に沿った飲酒歴があったと認められる。これに対し,原告は,70歳頃に仕事を辞めた後に飲酒をやめた旨を述べるが,
原告はその後
(当時73歳)
に飲酒後の症状を主訴として診察を受けていること(上記イ(ウ)c),その
後も酎ハイを少し飲んでいる旨の記載があること
(上記イ(ウ)d)
からする
と,信用できない。

以上によれば,原告の飲酒歴は上記認定事実(5)エのとおり認められる。3
放射線起因性について
(1)

放射線被曝の程度について
上記認定事実(1)によれば,原告は,
長崎原爆の爆心地から約1.
8km離
れた友人宅の縁側において,爆心地との間に遮蔽のない状態で被爆したものと認められるから,
原告は,
相当量の原爆放射線に被爆したといえる
(な
お,DS02報告書(乙76)によれば,長崎原爆の爆心地から1800mでの初期放射線量は,0.299グレイである。。


また,原告は,長崎原爆が炸裂した翌日に,爆心地の北東約2kmにある原告の母の実家へ向かうために爆心地付近を徒歩で通過しており(上記認定事実(2)ア,イ)
,その際,空気中に漂っていた粉塵状の放射性物質が巻

き上げられるなどして原告の身体に付着した可能性があるほか,呼吸等を通じて原告の体内に取り込まれた可能性がある。さらに,原告は,上記実家へ行った後,同所付近の防空壕で約1週間生活し,その間,付近の井戸水を飲み,近くの畑にあった農作物を食べるなどして過ごしていたのであるから(同ウ)
,その際,放射性物質が付着した食物等を食べるなどして放

射性物質を体内に取り込んだ可能性もある。以上によれば,原告は,相当量の放射性物質が衣服,髪,皮膚等に付着することにより至近距離から外部被曝し,また,呼吸や飲食を通じて相当量の放射性物質を体内に取り込み内部被曝したものと推認される。

しかも,原告は,被爆の約10日後頃から下痢をするようになるなど,体調不良が生じ(上記認定事実(3))
,63歳の時には胃がんにより手術を
受け(同(4)ア)
,共に被爆した次兄は41歳の時に胃がんで死亡した(同
(3)ウ)
。このような原告の身体症状並びに原告本人及び親族の病歴は,原告が相当程度の原爆放射線に被曝したことを裏付けるものといえる。

これに対し,被告は,仮に,原告が主張する下痢の症状が現れていたとしても,その具体的な症状は,原爆放射線被曝に起因するものであると直ちに認められるものではない旨主張する。
しかし,被告が依拠する文献等(乙A130,134,135,542)において指摘されている国際的な知見(甲A172)は放射線被曝事故に
関するものであるところ,前述のとおり,原子爆弾による放射線被曝は,その後,同様の被害が再現されたことのない特異なケースであり,これを他の一般的な放射線被曝事故の場合と同列に扱えるかどうか自体疑問であって,原爆被爆者の場合には,上記文献及び知見において指摘されている急性症状の典型的な特徴やしきい線量が必ずしもそのとおり当てはまらないと考える方が,より自然かつ合理的というべきである。また,被告は,平成28年に発生した熊本地震の避難所において下痢や嘔吐を訴える者が
現れた例
(乙A541)
を挙げて,
原告の症状が原爆投下当時の衛生環境,
栄養状態又は精神的影響等からも十分起こり得る旨主張するが,上記の例は原爆被爆と全く状況が異なることからすると,上記主張は抽象的な可能性を指摘するにとどまるものとみるべきである。以上によれば,被告の主張を考慮しても,原告に現れた下痢の症状は,原告が相当程度の原爆放射
線に被曝したことを裏付けるとの評価
(上記ウ)
を左右するものではない。
被告の上記主張は採用することができない。

そうすると,原告は,長崎原爆の原爆放射線により,健康に影響を及ぼすような相当程度の外部被曝及び内部被曝を受けていたと認めるのが相当である。

(2)

労作性狭心症と原爆放射線被曝との関連性について
狭心症及び心筋梗塞の一般的知見
(ア)
a
狭心症の定義,機序,分類等
原告の申請疾病の一つは
「労作性狭心症」
であるところ,
狭心症は,
冠動脈病変により,心筋が一過性に虚血,すなわち酸素欠乏に陥った
ために生じる特有な胸部及びその隣接部の不快感(狭心痛)を主症状とする臨床症候群である(乙A502)

b
狭心症は,冠動脈病変を基盤とする心筋の酸素需要の増加,酸素供給の減少又はその両方が生じることによって生じる。この機序にはい
くつかの類型があるが,その一つに器質的狭心症がある。これは,冠動脈の器質的狭窄が50%以上と強くなった場合において,運動や精神的興奮時等の心筋酸素需要量が増加したときに,心筋に必要な酸素が供給されずに心筋虚血が生じるという機序により生じる。以上のとおり,器質的狭心症は冠動脈の器質的狭窄によって生じるが,冠動脈の器質的狭窄の原因としては,冠動脈の動脈硬化が挙げられる。
(以上
につき,乙A502)

動脈硬化は,一般に,粥状動脈硬化症(アテローム性動脈硬化症)のことを指す。これは,血管の内膜表面を覆っている内膜細胞が様々な刺激により傷害され,そこに単球(白血球)由来マクロファージなどが浸潤して血中の脂質を取り込んでアテローム(粥腫)を形成し,そこに平滑筋や線維細胞等が増殖,蓄積してプラークとなり,プラー
クが大きくなることよって生じると考えられている。そして,プラーク内に平滑筋と繊維成分が多くなると繊維性プラークになって安定化する一方,プラークが多量の柔らかい脂質等を多量に含み,これを覆う被膜が薄くなると,交感神経の亢進や化学的因子,物理的なストレスによって破綻することがある。
(以上につき,乙A502,504,

514)
c
狭心症は,発生機序,発作の誘因又は経過の観点から,以下のとおり分類されている(甲A514,乙A502,506)

(a)

狭心症は,
発生機序の観点から,
器質性狭心症
(上記b)
のほか,

冠動脈が異常に収縮して心筋の虚血を来す冠攣縮性狭心症,冠動脈プラークの傷害やびらんを背景に急速に血栓が形成される冠血栓
性狭心症に分類される。
(b)

狭心症は,
発作の生じ方や誘因の観点から,
一定以上の労作によ

って誘発され,安静により必ず消失する労作性狭心症のほか,安静時においても発生する安静狭心症等に分類される。このうち,労作性狭心症は,器質性狭心症であることが多く,安静狭心症は冠攣縮性狭心症であることが多いとされる。
(c)

狭心症は,
臨床経過の観点から,
ある一定以上の労作によって生

じる安定狭心症と,発作の頻度又は強度が増加してくる不安定狭心症に分類され,不安定狭心症はプラークの破綻によって生じ,急性心筋梗塞や突然死に至る可能性があるとされる。

(イ)

心筋梗塞の定義,機序等
心筋梗塞とは,冠動脈が何らかの原因で部分的にあるいは完全に閉塞
することによって急激に冠動脈血流が減少し,その結果,心筋壊死を来す疾患であり,狭心症との違いは臨床的に心筋壊死が捉えられるか否かである。
心筋梗塞の病因の大部分は,
冠動脈硬化によるプラークの破綻,

これに続く血小板凝集と血栓とされている。
(以上につき,乙A502)

心疾患と原爆放射線被曝との関連性
(ア)

心筋梗塞をはじめとする心疾患については,原爆放射線被曝との関
連性につき,以下の知見があることが認められる。なお,各知見で挙げられている信頼区間について,例えば,95%信頼区間とは,100回の同一の調査を行い,同一の計算方法を用いた場合,95回はこの信頼区間の中に母平均値が入るということである。
a
LSS第11報(甲A501・平成5年)によれば,1950年(昭和25年)から1985年(昭和60年)までの循環器疾患による死亡率は線量との有意な関係を示し,1966年(昭和41年)から1
985年
(昭和60年)
までの後期になると,
被爆時年齢が低い群
(4
0歳未満)では,循環器疾患全体の死亡率及び脳卒中又は心疾患の死亡率は線量と有意な関係を示しているとされている。
b
LSS第12報(甲A502・平成11年)によれば,1950年(昭和25年)から1990年(平成2年)までのがん以外の疾患による死亡者について解析した結果,放射線との統計的に有意な関係ががん以外の複数の疾病(心臓病,脳卒中,消化器疾患,呼吸器疾患及び造血器系疾患)に見られるとされ,心疾患(死亡数6826人)の1シーベルト当たりの過剰相対リスクは0.(90%信頼区間0.14
05~0.22,P値(片側検定)0.003)
,そのうち冠状動脈性
心疾患(死亡数2362人)の同過剰相対リスクは0.06(90%
信頼区間-0.06~0.20)とされている。なお,P値とは,帰無仮説(得られたグループ間の差は個体差による偶然の結果によるものであるという仮説)が起こる確率のことであり,P値が0.05以下の場合を統計学上有意であるとすることが多い
(乙A527)また,

その考察においては,
「低線量,例えば約0.5Svにおいてどの程度

の関連性があるかはまだ不明であるが,影響はもはや最も高い線量域に限らない。,

「心筋梗塞および脳梗塞,
ならびにアテローム性動脈硬
化症と高血圧症の様々な指標について有意な線量反応が観察されている。
」といった内容が指摘されており,その機序に関し,
「このような
影響に関する機序が解明されていないからといって,機序が存在しな
いという意味ではないと我々は考えている。…一つの興味深い機序として免疫機能不全が考えられる。健康に直接影響が出るわけではないが,T細胞とB細胞の機能的・量的異常において原爆放射線の後影響がみられる。最近の研究では,クラミジア・ニューモニエ,…に感染するとアテローム性動脈硬化症が発症しやすいことが示唆されてい
る。
」とされている。
c
LSS第13報(甲A503・平成15年)によれば,1968年(昭和43年)から1997年(平成9年)までの期間の寿命調査における心疾患,脳卒中,呼吸器疾患及び消化器疾患に有意な過剰リス
クが認められたとされ,心疾患の1シーベルト当たりの過剰相対リスクは0.17(90%信頼区間0.08~0.26,P値0.001)とされている。
d
LSS第14報(甲A520・平成24年)によれば,1966年(昭和41年)から2003年(平成15年)までの「長期追跡調査期間における線量反応の変化については,循環器・呼吸器・消化器疾患のリスクがすべて1965年以降有意に増加した」とされた。そし
て,追跡調査の初期(1950年~1965年)と後期(1966年~2003年)における非がん疾患の死亡率の線量反応関係を比較したところ,
「初期における線量反応関係…には約1.5Gy未満で放射
線影響は基本的に認められなかったが,後期においては,全体的にがん以外の疾患についてほぼ線形の線量反応関係が認められ,両期間に
おける線量反応の形状の差異は有意であった」とされた。
e
AHS第8報(甲A504・平成16年)によれば,40歳未満で被爆した人の心筋梗塞に有意な二次線量反応関係を認めたとされ(P値0.049,1シーベルト当たりの相対リスク1.25,95%信頼区間1.00~1.69)
,二次モデルで,放射線被曝の寄与リスク

は16%であったとされている。
f
赤星正純(放影研)の「原爆被爆者の動脈硬化・虚血性心疾患の疫学」
(甲A506・平成20年。以下「赤星論文」という。
)は,放影
研で行った放射線被曝と心・血管疾患及びその危険因子との関連につ
いての調査結果によれば,心疾患による死亡及び心筋梗塞が増加しており,大動脈弓の石灰化及び網膜細動脈硬化を認めることから,被爆者でも被曝の影響として動脈硬化による心・血管疾患が増加していると考えられるとされ,動脈硬化あるいは心・血管疾患の危険因子である高血圧,高脂血症及び炎症にも放射線被曝が関与していることも明
らかになり,これらを介して動脈硬化が促進され,心・血管疾患の増加につながったと考えられるとしている。
g
井上典子
(広島原爆傷害対策協議会健康管理・増進センター)「原

爆被爆者と心血管疾患」
(甲A505・平成20年)
は,
1987年
(昭
和62年)から2003年(平成15年)までに原爆検診を受診した40歳から79歳の被爆者1万6335例につき,
大動脈脈波速度
(P
WV)を測定したところ,被曝と大動脈硬化の関連を認める結果が出
たとし,特に被爆時年齢が20歳未満の男性の若年直接被爆者では大血管の動脈硬化が強く,特に10歳未満の近距離被爆者に強いとの結果を得たとしている。また,頸動脈超音波法においても,近距離被爆者,特に10歳未満で被爆した男性の若年被爆者に頸動脈内膜中膜複合厚(IMT)の肥厚が強い傾向があるとの結論を得た(ただし,指
尖加速度脈波(APG)とCAVIにおいては被爆状況では差が見られなかった。とし,最近の循環器疾患と被曝についての疫学的研究に)
おいても若年被爆者における同様の結果が報告されているとしている。h
清水由紀子ら「
『放射線被曝と循環器疾患のリスクの関係』広島,長
崎の被爆者データに基づく1950-2003」
(甲A507・平成2

2年。
以下
「清水論文」
という。によれば,

1950年
(昭和25年)
から2003年(平成15年)までの間に,対象者のうち8463人が心臓病で死亡し,心疾患については1グレイ当たり0.14の過剰相対リスク(95%信頼区間0.06~0.23,P値<0.001)があったとされ,さらに,線形モデルが最も適合し,低線量被曝領域
でも過剰リスクがあることが示唆されたが,線量反応関係は一定の被曝線量以上に限定しており,0~0.5グレイの被曝線量では有意差は認めなかったとされ,結論として,0.5グレイを上回る被曝線量は心疾患のリスク上昇に関連していたが,それより少ない線量では明確ではなかったとされている。

i
なお,平成19年12月17日付け「原爆症認定の在り方に関する検討会報告」
(乙A19)は,心筋梗塞については,原爆被爆者を対象
とした疫学調査のみならず,動物実験を含む多くの研究結果により,一定以上の放射線量との関連があるとの知見が集積してきており,認定疾病に追加する方向でしきい値の設定等の検討を行う必要があるとしており,これを受けて,平成20年3月17日付けで策定された新
審査の方針(乙A1)は,積極認定の対象疾病として,
「放射線起因性
が認められる心筋梗塞」を掲げている。
(イ)

以上のとおり,
心筋梗塞については,
原爆放射線被曝との関連性を肯

定する疫学的知見が集積しており,しかも,医療分科会が策定した新審査の方針において,積極認定の対象疾病に「放射線起因性が認められる
心筋梗塞」が掲げられていることも考慮すると,心筋梗塞と放射線被曝との関連性については,これを一般的に肯定することができる。
さらに,近時,放射線被曝が,ヘルパーT細胞数の減少に伴う免疫機能低下を引き起こし,ウイルスによる慢性的な炎症反応を誘発し,心筋梗塞の発症の促進に寄与していることを示唆する複数の研究報告が示さ
れており(LSS第12報及び赤星論文のほか,楠洋一郎ほか「原爆放射線が免疫系に及ぼす長期的影響:半世紀を超えて」
(甲A508),放

射線被曝が粥状動脈硬化及び心筋梗塞の発症を促進する機序についても科学的な知見が集積しつつあるということができるのであって,このことは,
心筋梗塞と放射線被曝との関連性を更に強固に裏付けるとともに,
原爆放射線被曝と動脈硬化との関連性をも肯定させるものといえる。ウ
労作性狭心症と放射線被曝との関連性
(ア)

労作性狭心症は,発生機序についてみると器質性狭心症であること
が多いところ(上記ア(ア)c(b))
,器質性狭心症は,冠動脈の粥状動脈硬
化症(アテローム性動脈硬化症)による器質的狭窄によって生じるとされている(上記ア(ア)b)
。他方,心筋梗塞の大部分は,冠動脈硬化によ
るプラークの破綻によって生じ,狭心症との違いは臨床的に心筋壊死が捉えられるか否かであるとされている(上記ア(イ))
。以上によれば,労
作性狭心症と心筋梗塞は粥状動脈硬化症を主因とする虚血性心疾患であるという機序において異なるところがないといえる。そして,心筋梗塞と放射線被曝との関連性については一般的に肯定することができること(上記イ(イ))を併せ考慮すると,労作性狭心症についても,放射線被曝との関連性を一般的に肯定することができるというべきである。
(イ)

これに対し,被告は,原爆被爆者や,その他の放射線被曝者に関する
研究において,労作性狭心症と放射線被曝との間に統計学的に有意な関連性を認めた疫学的知見は存在しないとして,労作性狭心症と放射線被曝との関連性は認められない旨主張する。
そこで検討するに,確かに,労作性狭心症について,放射線被曝との関連性を直接に認めた疫学的知見等は見当たらない。
しかし,
上記(ア)の
とおり,労作性狭心症はアテロームがその発症に関連するという点にお
いて心筋梗塞と病理学的機序における一定の範囲で共通する部分があるところ,
心筋梗塞と原爆放射線との関連性については上記イ(ア)のとおり相当数の疫学的知見が認められる上,アテローム性動脈硬化症等と原爆放射線についても疫学的知見が認められる。すなわち,まず,LSS第11報第3部(甲A501)では,アテローム硬化症への放射線の影響
に注意が向けられ,粥状斑における変異遺伝子の存在が最近立証されたことを考えると,心臓血管疾患の増加は特に興味ある所見であり,このことは,関連が実際にあるとすれば,アテローム硬化症への電離放射線の影響が確率的現象として扱われるべきことを示唆しており,この点について更にデータが得られれば特に興味深いとの指摘がある。また,L
SS第12報第2部(甲A502)では,解析結果によれば,放射線量とともにがん以外の疾患の死亡率が統計的に優位に増加するという前回の解析結果を強化するものであったとされ,概して,高線量被曝したLSS対象者の大部分を含む放影研臨床追跡調査
(1958-1990年)
が個々の疾患の研究に関してはより有益であり,これらの臨床研究対象者において,心筋梗塞及び脳梗塞並びにアテローム性動脈硬化症と高血圧症の様々な指標について有意な線量反応が観察されているとの報告がされた。
以上のとおり,労作性狭心症は心筋梗塞と病理学的機序における一定の範囲で共通する部分があること,アテローム性動脈硬化症等と原爆放射線との関連性をうかがわせる疫学的知見があることに照らせば,労作
性狭心症と放射線被曝との関連性を直接に認めた疫学的知見が見当たらないことをもって,同関連性を否定することはできない。被告の上記主張は採用することができない。
(ウ)

また,被告は,清水論文に添付されているウェブ表B「循環器疾患の
亜分類による放射線リスク要約」
(WebTableB)によれば,虚血性心疾
患の1グレイごとの過剰相対リスクは2%であるが,95%信頼区間の下限値はマイナス10%である上,P値も0.5より大となっている以上,虚血性心疾患と放射線被曝との間には有意な関連性は認められていないから,清水論文をもって上記関連性があると主張することは誤りである旨主張する。

しかし,清水論文は,死亡診断書上の分析の正確さについて,広いカテゴリーについてはかなりよかったとされ,死亡診断書と剖検報告書との一致度は,脳卒中では86%,心疾患では92%とされたのに対し,脳卒中や心疾患のより詳しい分類の鑑別診断となると精度は貧弱とされており,上記一致度は,虚血性心疾患では69%,高血圧性心疾患では
22%にとどまるとされた。
また,
心筋梗塞と放射線被曝との関連性は,
少なくとも高線量被曝においてほぼ争いがないにもかかわらず,ウェブ表Bでは有意な関連性がない(1グレイごとの過剰相対リスク0%,P値>0.5)とされている。以上によれば,ウェブ表における心疾患の下位分類ごとのデータについては,その信頼性を慎重に検討する必要があるといえ,ウェブ表Bの心筋梗塞及び虚血性心疾患に係るデータを数値どおりに捉えて,心疾患のうち虚血性心疾患及び心筋梗塞については放射線との関連性がないと判断することは相当ではない。したがって,被告の上記主張は採用することができない。
(エ)

被告は,
心筋梗塞は,
プラークの破綻を伴う点で労作性狭心症と機序

が異なり,放射線被曝がプラークの破綻にのみ寄与している可能性も否定できない以上,心筋梗塞と放射線被曝との関連性が認められるとしても,労作性狭心症と放射線被曝との関連性が認められるとはいえない旨主張する。
しかし,
上記ア(ア)bで説示したとおり,
プラークが破綻するか否かは,
プラークがより多くの脂質等を含むことにより被膜が薄くなるか否かや,
その上で破綻のきっかけに遭うか否かによるのであり,心筋梗塞と労作性狭心症とでプラークの形成機序が異なるものとはいえない。そして,被告は,放射線被曝がプラークの破綻にのみ寄与している可能性を指摘するが,本件全証拠によってもそのような可能性をうかがわせる事情はなく,抽象的な可能性を指摘するにとどまる。したがって,被告の上記
主張は上記(ア)の認定判断を左右するものではないから,
採用することは
できない。
(オ)

被告は,UNSCEAR2006年報告書(乙A520)及び201
0年報告書(乙A517の10)は,放射線被曝と免疫との関係は未だ明らかではないとしている以上,同関係を前提とする放射線被曝と動脈硬化との関係も明らかでないといわざるを得ないとして,動脈硬化を原因とする労作性狭心症と原爆放射線との間に関連性は認められない旨主張する。
しかし,上記(ア)のとおり,労作性狭心症は,粥状動脈硬化症を主因とする虚血性心疾患であるという機序において心筋梗塞と異なるところがなく,心筋梗塞と放射線被曝との関連性については一般的に肯定されていることに照らせば,労作性狭心症についても,放射線被曝との関連性
を一般的に肯定することができ,放射線被曝が動脈硬化に影響を及ぼす機序が解明されていないことは,上記認定判断を左右しない。したがって,被告の上記主張は採用することができない。
(3)

検討
放射線起因性について
上記(1)オのとおり,
原告は,
健康に影響を及ぼす程度の放射線被曝を受
けていたと認められ,
上記(2)ウのとおり,
労作性狭心症と放射線被曝との
関連性は一般的に肯定することができる。加えて,被爆地点が爆心地より約2.
0km以内である者の申請に係る心筋梗塞が積極認定の対象とされており(法令の定め等4(2)イ)
,心筋梗塞と労作性狭心症は粥状動脈硬化症

を主因とする虚血性心疾患であるという機序において異なるところはない(上記(2)ウ)
。そして,原告は,放射線被曝の影響が大きいとされる若年
時(当時7歳)に爆心地から約1.8kmの地点で直接被爆した上,翌日には爆心地から約500mの地点を移動していること(上記認定事実(1),(2))
,63歳時に放射線起因性の否定できない早期胃がんにより胃部分切
除手術を受け,一緒に被爆した次兄が41歳で胃がんにより死亡していること(同(3),(4))なども併せ考慮すれば,後述する他の危険因子の存在を考慮しても,原告の申請疾病である労作性狭心症は,原爆放射線に起因する,すなわち放射線起因性があると認めるのが相当である。

労作性狭心症の危険因子について
(ア)

被告の指摘する危険因子
被告は,労作性狭心症を発症した平成22年当時,原告は,①加齢,②喫煙,③脂質異常症及び④高血圧といった危険因子を重畳的に有していたのであるから,原告の労作性狭心症発症は,放射線被曝とは無関係に,原告の危険因子が現実化したことにより発症したものであるとして合理的な説明が可能である旨主張する。
そこで検討するに,被告が主張するとおり,上記①から④まではいずれも動脈硬化及びこれを原因とする労作性狭心症の危険因子であると認められる(乙A510)
。もっとも,AHS第8報は,心筋梗塞につき有
意な二次線量反応を認めた上で,喫煙や飲酒で調整しても結果は変わら
なかったとしており(甲A504)
,また,清水論文は,心疾患の放射線
リスクを認めた上で,喫煙,アルコールの摂取量,教育,職業,肥満(BMI肥満度指数)糖尿病等の交絡因子を調整しても,

心疾患の放射線リ
スクの評価にほとんど影響を及ぼさなかったとしている(甲A507)。
これらの知見を踏まえれば,喫煙等の危険因子があるからといって,動
脈硬化やこれを原因とする心筋梗塞と放射線被曝との間の関連性が直ちに否定されるわけではないというべきである。他方,このような交絡因子の調整は,一般的な疫学的因果関係の判断のために行われるものであるから,これによっても,個々の具体的事例において当該疾患が他の危険因子によって発症したものとみることが否定されるものではなく,放
射線起因性の証明の有無を判断するに当たっては,当該疾病等に係る他の原因(危険因子)の有無及び程度の検討が必要というべきである。(イ)
a
加齢(年齢)
証拠(乙A510)によれば,労作性狭心症は虚血性心疾患の一つであるところ,
日本人における虚血性心疾患の危険因子となる年齢は,

男性では45歳以上とされており,70歳以降で発症率はピークとなるとされている。
b
上記認定事実(4)エによれば,
原告は平成22年11月4日
(当時7
2歳)に労作性狭心症と診断されたものであるところ,上記aに照らすと,原告が当時上記危険因子を有していたものといえる。

(ウ)
喫煙

a
証拠(乙A510)によれば,冠動脈疾患の危険度は1日の喫煙本数に応じて高まるとされており,1日1本以上25本未満喫煙した場合の相対危険率は2.
1であり,
25本以上では2.
9とされており,
我が国の大規模臨床介入試験では,喫煙習慣を有する者の冠動脈イベント発症のリスクは,非喫煙者に比べて1.6倍高かった。

b
そして,上記認定事実(5)アのとおり,原告は,昭和34年(当時20歳)頃から労作性狭心症と診断された平成22年11月4日(当時72歳)頃までの約52年間,1日15本から20本程度,多いときは30本程度喫煙していた。上記aを踏まえると,原告の上記喫煙歴は,喫煙期間が相当長期間にわたるという点で危険因子として相応のものであるといえるものの,相対危険率が2.9となる25本以上に
は至っていないことからすると,危険因子の程度として深刻なものとはいえない。
(エ)
a
脂質異常症
証拠(乙A510)によれば,高コレステロール血症が冠動脈疾患の重要な危険因子であることは,これまでの多くの疫学的研究により明らかであるとされ,男性については,虚血性心疾患の発症率は総コレステロール値
(TC)LDLコレステロール値及びトリグリセライ

ド値(TG)の各値の増加とともに上昇するものとされている。そして,証拠(乙A513,543)によれば,脂質異常症のスクリーニ
ングのための診断基準として,総コレステロール値220mg/dL以上又はLDLコレステロール値140mg/dL以上を高コレステロール血症(後者を特に「高LDLコレステロール血症」ともいう。)
と,トリグリセライド値150mg/dL以上を高トリグリセライド血症といい,いずれも治療の対象としている。
b
別紙3原告血液検査結果値一覧表のとおり,原告の平成13年9月12日から同年11月13日(当時63歳)までの総コレステロール値(計6回)は,1回を除いて高コレステロール血症の基準値である220mg/dL(上記a)を上回っており,平成20年以降の値もしばしば220mg/dLを上回っていたことからすると,原告は,平成13年9月12日以降,労作性狭心症と診断された平成22年1
1月4日(当時72歳)頃までの間,おおむね高コレステロール血症であったといえる。
もっとも,上記一覧表の総コレステロール値(計22回)のうち,診断基準値である220mg/dLを上回ったもの(計13回)のうち約半数(計6回)は230mg/dL未満であることからすると,
原告の総コレステロール値が総じて大幅に上記診断基準値を上回っていたとは評価できない(なお,平成13年11月13日の総コレステロール値は277mg/dLであるが,
これは食後1時間の値であり,
上記診断基準値が空腹時(食後10~12時間以上の絶食)の値であること(乙A513)を踏まえると,上記検査結果値をもって原告の
脂質異常症の程度が重いとはいえない。。

また,原告のトリグリセライド(TG)値は平成22年3月以降に上記診断基準値を超えたことがあるものの
(計5回)それまでの値は

診断基準値を下回っているし,LDLコレステロール値についても,上記診断基準値を上回っていたのは計5回にとどまり,うち1回(平
成13年11月13日)は上記説示のとおり食後1時間の値であることから,
その値をもって原告の脂質異常症の程度が重いとはいえない。
また,HDLコレステロール値は冠動脈疾患その他の動脈硬化性疾患率と負の相関関係を示すとされているところ
(乙A510)上記一覧

表中の原告の検査結果値はいずれも低HDLコレステロール血症の診断基準値(40mg/dL未満。乙A513)を満たしていない。以上によれば,原告は,平成13年9月12日頃から平成22年1
1月4日に労作性狭心症と診断されるまでの間,少なくとも断続的には高コレステロール血症に罹患していたものと認められるところ,その検査結果値によれば同症状の程度が重いとはいえない。
そうすると,
原告が罹患していた脂質異常症は,原告の労作性狭心症の危険因子ではあるものの,
その影響は限定的なものにとどまるとみるべきである。

(オ)
a
高血圧
証拠(乙A510,531)によれば,高血圧は他の危険因子と独立した虚血性心疾患の危険因子であり,血圧値の上昇に従って虚血性心疾患の発生リスクが高まるという量依存関係が存在し,日本人を対象とする疫学成績を見ると,収縮期血圧10mmHgの上昇で虚血性
心疾患の発症リスクが1.16倍から1.22倍まで上昇することが認められる。そして,証拠(乙A537)によれば,収縮期血圧139mmHg以下のものは正常血圧と分類され,140mmHg以上159mmHg以下のものはⅠ度高血圧と分類され,160mmHg以上179mmHg以下のものはⅡ度高血圧と分類され,180mmH
g以上のものはⅢ度高血圧と分類されていることが認められる。
b
その上で,証拠(乙F16,19)及び弁論の全趣旨によれば,原告は,遅くとも平成19年12月26日時点で高血圧症と診断されたことが認められるものの(同日より前の原告の血圧値を認定するに足
りる証拠はない。,遅くとも平成22年1月12日以降は定期的に高)
血圧治療薬であるカルデナリン及びプロブレスを処方され,別紙4原告血圧値一覧表のとおり,同日以降の原告の収縮期血圧は,ほとんどの日において正常域血圧又はⅠ度高血圧にとどまるものであることが認められる。以上に加え,上記aのとおり,血圧値の上昇に従って虚血性心疾患の発症リスクが高まるという量依存関係が存在することからすると,原告が罹患していた高血圧は,原告の申請疾病である労作
性狭心症の危険因子ではあるものの,その程度は重いものとはいえない(なお,高血圧には喫煙や飲酒等の生活習慣が関与しているとされているところ
(乙A531)原告の喫煙歴は昭和34年から平成22

年頃までの約52年間であり,飲酒歴は平成20年頃までの約50年間であること(上記認定事実(5)ア,エ)からすると,原告の喫煙及び
飲酒の生活習慣が高血圧に関与していることがうかがわれ,これは,平成19年12月26日以前にも原告が高血圧の状態にあったことをうかがわせる事情であるといえる。しかし,同事情を考慮しても,原告の高血圧が,労作性狭心症の危険因子の程度として重いものとは認められない。。


(カ)

小括
以上によれば,原告の①加齢,②喫煙,③脂質異常症及び④高血圧が
それぞれ労作性狭心症の発症に影響していること自体は否定できない。しかし,これらが重畳して存在することによる悪影響も指摘される(乙A510,545)一方で,脂質異常症及び高血圧の程度はいずれも重
くないことなどを考慮すると,上記各因子によって原爆放射線被曝の影響まで否定されるものではなく,むしろ,原告の原爆放射線被曝とその他の危険因子とが相まって,労作性狭心症の発症に寄与したものと考えるのが自然かつ合理的である。したがって,被告の上記主張は採用することができない。

4
要医療性について
上記認定事実(4)エ及び証人ααによれば,
原告は,
労作性狭心症を発症した
後,現在に至るまで,高血圧治療薬,抗血小板薬,脂質異常治療薬を処方されていること,今後もこれらの薬をはじめとする投薬治療等を受け続ける必要があることが認められるから,申請疾病について要医療性の要件を満たしていたといえる。

5
小括
以上によれば,原告がした原爆症認定申請に係る申請疾病である労作性狭心症は,放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められる。そうすると,これを却下した処分は違法というべきであり,取消しを免れない。
第3
1
争点③(国家賠償責任の成否)について
国家賠償法上の違法性について
(1)

国家賠償法1条1項は,国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員
が個別の国民に対して負う職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときに,国又は公共団体がこれを賠償する責任を負うことを規定するものであり,原爆症認定申請に対する却下処分が放射線起因性又は要医療性の要件の具備の有無に関する判断を誤ったため違法であり,これによって申請者の権利ないし利益を害するところがあったとしても,そのことから直ちに国家賠償法1条1項にいう違法があったとの評価を受けるものではなく,被爆者援護法11条1項に基づく認定に関する権限を有する厚生労働大臣
が職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と当該却下処分をしたと認め得るような事情がある場合に限り,違法の評価を受けるものと解するのが相当である(最高裁判所平成5年3月11日第一小法廷判決・民集47巻4号2863頁参照)

ところで,厚生労働大臣が原爆症認定を行うに当たっては,申請疾病が原
子爆弾の傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らかである場合を除き,
疾病・障害認定審査会の意見を聴かなければならないとされている(同
法11条2項,被爆者援護法施行令9条)
。これは,原爆症認定の判断が専門
的分野に属するものであることから,厚生労働大臣が処分をするに当たっては,原則として,必要な専門的知識経験を有する諮問機関の意見を聴くこととし,その処分の内容を適正ならしめる趣旨に出たものであると解され,厚生労働大臣は,特段の合理的理由がない限り,その意見を尊重すべきことが要請されているものと解される。そして,同審査会には,被爆者援護法の規定に基づき同審査会の権限に属させられた事項を処理する分科会として,医療分科会を置くこととされ(疾病・認定審査会令5条1項)
,同分科会に属す
べき委員及び臨時委員等は,厚生労働大臣が指名するものとされているとこ
ろ(同条2項)
,医療分科会の委員及び臨時委員は,放射線科学者,被爆者医
療に従事している医学関係者,内科や外科等の専門的医師といった,疾病等の放射線起因性について高い識見と豊かな学問的知見を備えた者により構成されていることが認められる(弁論の全趣旨)
。以上に鑑みれば,厚生労働大
臣が原爆症認定申請につき疾病・障害認定審査会の意見を聴き,その意見に
従って却下処分を行った場合においては,その意見が関係資料に照らし明らかに誤りであるなど,答申された意見を尊重すべきではない特段の事情が存在し,厚生労働大臣がこれを知りながら漫然とその意見に従い却下処分をしたと認め得るような場合に限り,職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と当該却下処分をしたものとして,国家賠償法上違法の評価を受
けると解するのが相当である。
以上を前提として検討するに,原告の原爆症認定申請を却下する処分については,それぞれ,厚生労働大臣が疾病・障害認定審査会の意見を聴いた上で,その意見に従ってされたものであると認められるところ(乙F13,弁論の全趣旨)その意見が関係資料に照らし明らかに誤りであるなど,答申さ,

れた意見を尊重すべきではない特段の事情が存在したとまでは認められず,厚生労働大臣が原告の原爆症認定申請を却下したことにつき,国家賠償法上違法であるとは認められない。
(2)

この点,原告は,新審査の方針によれば,原告の申請疾病は積極認定の対
象となることが明らかであるにもかかわらず,厚生労働大臣は「格段に反対すべき事由」がないのに却下処分を行ったものであり,上記却下処分は国家賠償法上違法であると主張する。

しかし,これまでに認定説示したところに照らせば,原告の労作性狭心症が放射線起因性のあるものに該当するかどうかは,原告の被爆後の生活状況や既往症に関する事実認定を踏まえて上記申請疾病に係る他の原因(危険因子)の有無及び程度等について慎重な検討を行う必要があるものであって,関係資料に照らし明らかであったとまではいえない。

したがって,原告の上記申請疾病につき放射線起因性が認められることが明らかであったとまではいえないから,原告の上記主張は採用することができない。
2
小括
以上によれば,原告の被告に対する国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請
求は,その余の点について判断するまでもなく,理由がない。
第4

結論
以上のとおりであるから,原告の請求のうち,原爆症認定申請の却下処分の取
消しを求める請求は理由があるから認容し,被告に対して損害賠償を求める請求は理由がないから棄却することとして,主文のとおり判決する。
大阪地方裁判所第7民事部

裁判長裁判官

山田明
裁判官

岩佐圭
裁判官

小林真祐由美
(別紙1)省略
(別紙2)原告診療経過一覧表
(別紙3)原告血液検査結果値一覧表
(別紙4)原告血圧値一覧表

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