判例検索β > 平成27年(う)第2179号
業務上過失致死
事件番号平成27(う)2179
事件名業務上過失致死
裁判年月日平成30年1月26日
法廷名東京高等裁判所
結果棄却
原審裁判所名東京地方裁判所
原審事件番号平成21刑(わ)2096
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平成30年1月26日宣告東京高等裁判所第3刑事部判決
平成27年

2179号業務上過失致死被告事件
主文
本件控訴を棄却する
理由
本件控訴の趣意は,事実誤認の主張である。
第1本件公訴事実及び検察官の主張
1訴因変更後の本件公訴事実
その要旨は,被告人は,平成16年1月から平成17年11月までの間,A株式会社(以下「A社」という)東京支社保守部保守第2課長として同支社が受託する東京都港区等の区域のエレベーターの保守点検業務の責任者であったものであるが,同支社は,Tとの工事請負契約に基づき,平成10年3月23日までにハイツOにA社製造に係るロープ式エレベーター2機を設置し,同年4月1日から平成17年3月31日までの間,ハイツOの管理を委託されたP公社(以下「公社」という)
から,その保守点検業務を受託していたところ,各エレベーターは,機械室内に綱車,モーター,減速機等が一体として接続された巻上機とかごの昇降等を制御する制御装置を設置し,かごとつり合いおもりを綱車にかけたロープにつり下げ,減速機を介して綱車に接続されたモーターの回転を制御することによりかごを昇降停止させるとともに,減速機とモーターの連結部にあるブレーキドラムの上部にブレー
キコイルとプランジャーと称する鉄心を収納したコイルケースを設置し,コイルケースの外側に突き出ているプランジャーの先端にアイボルトを連結してブレーキアーム1本を接続させるとともにコイルケース本体の端にもブレーキアーム1本を接続させ,かごが停止している間は,ブレーキスプリングのばね力で左右のブレーキアームが閉じ,その内側に取り付けられたライニングによってブレーキドラムを左
右から挟み付けてかごの静止状態を保持し,かごが昇降する際は,制御装置がかご及び全乗降口の各扉が閉じられていることを確認した後,モーター及びブレーキコイルの電源が入り,ブレーキコイルの電磁力によってコイルケース内からプランジャーを外に押し出し,その押し力によって左右のブレーキアームを外側に押し開いてブレーキドラムを開放し,かごが停止する際は,制御装置でモーターの回転を制御してかごを減速させ,かごが停止階で停止するとモーター及びブレーキコイルの電源が切れ,ブレーキコイルの電磁力がなくなるため,ブレーキスプリングのばね力でプランジャーをコイルケース内に押し込み,左右のブレーキアームが内側に閉じ,ライニングによってブレーキドラムを左右から挟み付けてかごの静止状態を保持しつつ,かご及び停止階乗降口の各扉を開く構造であったが,プランジャーをコイルケース内に押し込むことができる長さ(以下「プランジャーストローク」とい
う)には構造上限界があり,ライニングの摩耗によりプランジャーストロークが広がって限界値に達すると,かごが停止した際,各ブレーキアームはそれ以上内側に閉じず,ブレーキドラムを挟み付ける力が不十分となってかごの静止状態を保持することができなくなり,かご及び乗降口の各扉が開いた状態でかごが上昇あるいは下降する事故(以下「戸開走行事故」という)が発生するおそれがあった上,コイ
ルケース内のプランジャーの状態等が外部から目視できないことから,コイルケース外側に取り付けられたストロークインジケーターと称するボルトを目印にしてプランジャーの位置を確認し,プランジャーストロークが限界値に近づいている場合はアイボルトとブレーキアーム接続部のナットを緩めてプランジャーをコイルケースから引き出しプランジャーストロークを調整するよう設計されていたところ,上
記エレベーターのうちの1機(以下「5号機」という)のかごの床面が1階床面から約150cm上方で停止する故障が発生した平成16年11月6日頃,5号機は,ブレーキコイルの巻線の短絡等を原因とする電磁力の低下によってプランジャーがブレーキアームを押し開く力が弱くなり,ブレーキドラムがライニングに接触したまま回転してライニングの摩耗が進行する状態となっており,同月8日,被告人ら
が5号機の点検を実施した際,ライニングの摩耗のためプランジャーストロークが限界値に近づいているのを発見したが,その摩耗原因を調査してその再発防止措置を講じておかなければ,上記方法によりプランジャーストロークを調整したとしても,ライニングの摩耗が再発して進行すると,プランジャーストロークが限界値に達して戸開走行事故が発生する危険性があること,A社は5号機の保守マニュアル等を公開しておらず,入札によって5号機の保守点検業務を受託する他社はプランジャーストロークが限界値に近づいているか否かを確認する方法等を十分に理解しないまま保守点検業務を行い,それが限界値に近づいても気が付かないおそれがあることを予見できたのであるから,ライニングの摩耗原因を調査して自らその再発防止措置を講じ,あるいは,同措置を講じないまま保守点検業務を他社に引き継ぐ場合は,委託者となる公社に対し,ライニングの摩耗が再発して進行するとプラン
ジャーストロークが限界値に達して戸開走行事故が発生する危険性がある旨及びストロークインジケーターを目印にしてプランジャーの位置を確認し,プランジャーストロークが限界値に近づいている場合はその位置を調整することなどにより戸開走行事故の発生を回避できる旨の情報(以下「戸開走行事故発生の危険性及びその回避措置に関する情報」という)を提供することにより,公社をして新たな受注者
に同情報を伝達させるなどすべき業務上の注意義務があるのに,これらを怠り,同日,上記方法によりプランジャーストロークを調整したのみで,ライニングの摩耗原因を調査してその再発防止措置を講じることをせず,かつ,その保守点検業務を他社に引き継ぐ際,公社に対し,戸開走行事故発生の危険性及びその回避措置に関する情報を何ら提供しないまま,5号機の走行を続けさせた過失により,平成18
年6月3日,5号機のかごが12階で停止してかご及び乗降口の各扉が開いた際,ライニングの摩耗の再発・進行によりプランジャーストロークが限界値に達していたため,かごの静止状態を保持することができず,かご及び乗降口の各扉が開いたままかごが上昇し,Bをかごの床面と乗降口の外枠に挟ませて死亡させたというものである。

2検察官の主張
その骨子は,原審証拠によれば,平成16年11月7日ないし8日の時点で,コイルの短絡等に起因する本件ライニングの異常摩耗が発生・進行しており,被告人もそのことを認識して異常摩耗の再発・進行及び他社の行う保守点検の不備のいずれも予見できたのであるから,被告人に本件公訴事実記載の注意義務違反が認められるにもかかわらず,その時点で本件ライニングの異常摩耗が発生していたとは認められないとして被告人を無罪とした原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるというのである。
第2原判決の判断の要旨
1本件事故の状況,直接的な原因及びその前提事実について
原判決は,原審証拠によれば,平成18年6月3日午後7時20分頃,5号機の
かご及び乗降口の各扉が開いたままかごが上昇し,乗降口扉から降りようとしていたBの体がかごの床面と乗降口の外枠に挟まれるという本件事故が発生し,Bが死亡したこと,本件事故の直接的な原因が,5号機のソレノイドのコイルに層間短絡が生じ,ソレノイドの推力が低下したことなどで,ブレーキアームが十分に開かなくなり,回転するブレーキドラムとライニングが摩擦してライニングが摩耗すると
いう現象(以下「異常摩耗」という)が発生して進行したため,プランジャーストロークが限界値に達し,ブレーキ保持力が失われたことにあることが認められるとした。
その上で,原判決が更に原審証拠により認められるとした本件事故に関する事実の要点は,以下のとおりである。

A社及び被告人について
A社は,昭和60年12月,スイス連邦に本部を置くQの日本法人として設立された。被告人は,平成6年3月,A社に入社し,平成16年1月から平成17年11月まで,東京支社保守部保守第2課長として,東京都港区等の区域におけるエレベーターの保守点検業務の責任者を務めていた。

5号機の設置及び保守点検の経過等について
ハイツOは,地上23階,地下2階の建物の9階から23階までにある賃貸住宅であり,地上1階から8階までにあるRセンターに併設されていた。Rセンター内には,1号機から3号機(以下,それぞれ「1号機」「2号機」「3号機」という)までのエレベーター3機が設置され,また,ハイツOの居住者専用入口側には,居住者用として,2階ないし8階には停止しない4号機(以下「4号機」という)及び5号機のエレベーターが隣接して設置されており,これらのエレベーター5機は,A社製造に係るロープ式エレベーターで,平成10年3月23日までに各設置工事を完了したものであった。
平成10年以降,Tから委託を受けた公社がハイツOの管理に当たっていたが,エレベーターの保守点検業務は専門業者に委託しており,4,5号機の保守点検は,
平成10年度から平成16年度まではA社が受託するなどして実施し,平成17年度は株式会社Dが受託して実施し,平成18年度はC株式会社(以下「C」という)が受託して実施していた。
5号機の基本構造等について
5号機は,4号機と同一仕様のエレベーターであり,インバーター制御方式で,
共通の機械室が屋上階に設けられていた。
巻上機は,A社製のW250型で,モーター,ブレーキ,減速機及び綱車が一体として接続され,モーター,減速機及び綱車の回転軸が連動して回転する構造となっている。
ブレーキは,ブレーキドラム,ソレノイド,ブレーキアーム等から構成されてお
り,コイルケース外側に出ているプランジャーのUリンク部分に連結ピンでアイボルトを連結してアイボルトにブレーキアーム1本が接続され,ソレノイド本体の反対側端にもブレーキアーム1本が接続されており,各ブレーキアーム内にブレーキスプリングが取り付けられ,それぞれの内側には2枚のライニングが取り付けられていた。

ソレノイドは,L社製の13E型で,コイルケース内にコイルとプランジャーの大部分を収納し,密閉式となっていた。プランジャーは,強磁性体のコア,非磁性体のプランジャー軸,Uリンクロックナット,Uリンク等から構成されていた。コイルの仕様は,抵抗値45.5Ω,電圧80V,電流1.76Aであったが,本件事故後の検証時,本件コイルの抵抗値は24.3Ωであった。
プランジャーの移動限界について
ソレノイドは,各部品の実寸値や組み付け状況等により,プランジャーの移動制限部位が変わるものの,コア端部がヨーク底面に接触する箇所(以下「ストロークリミッター1」という),Uリンクロックナットがゴムパッキンを圧縮することにより限界に達する箇所(以下「ストロークリミッター2」という),プランジャーロッド後端がブレーキアーム上部に接触する箇所(以下「ストロークリミッター3」
という)のいずれかでプランジャーの移動が制限されて,プランジャーをソレノイド内に押し込めなくなる構造となっていた。
ブレーキの仕組みについて
かごが昇降する際は,モーター及びソレノイドに電源が入り,コア及びコイルケースの外枠を構成する強磁性体部分(以下「固定鉄心」という)が電磁石となり,
コアと固定鉄心の間に作用する電磁石の吸引力によりコイルケース内からプランジャーを外に押し出し(以下,その押し力を「プランジャー推力」という),プランジャーをUリンク方向へ動かす推力とその反作用により,左右のブレーキアームを外側に押し開いて,ライニングとブレーキドラムとの間に隙間を作り,ブレーキドラムを開放する仕組みとなっていた。

かごが停止する際は,インバーター制御により,モーターの回転を落としてかごを減速,停止させた上,かごが停止すると電源が切れてプランジャー推力がなくなるため,ブレーキスプリングのばね力によって,左右のブレーキアームがプランジャーをコイルケース内に押し込みながら内側に閉じ,回転が停止したドラムをライニングで挟みつけてかごの静止状態を保持する構造となっていた。
開放ストロークとエアギャップについて
コアと固定鉄心の間に作用する吸引力により,ブレーキアームが押し開かれることになるため,ソレノイドの非通電時に,コアとベースとの間に一定の隙間(以下「開放ストローク」という)を設ける必要があり,A社では,開放ストロークの設定値を約2mmと定めていた。ソレノイド内には,コアとベースとの間に厚み約0.73mmの非磁性体のワッシャーが入っていたことから,開放ストロークを約2mmと設定すると,コアとベースとの距離(以下,この距離を「エアギャップ」という)は約2.73mmとなる。
層間短絡とプランジャー推力の関係について
プランジャー推力の源となる電磁力は,通電する電流の大きさとコイルの巻線の巻回数で変化するものであり,コイルに層間短絡が発生してコイルの巻線の巻回数
が実質的に減少すれば,電磁力が低下し,プランジャー推力も低下する関係にあった。
ライニングの摩耗について
インバーター制御方式である5号機は,回転が停止したブレーキドラムをライニングで挟み付けるというものであるから,通常運転時にはライニングがブレーキド
ラムと摩擦して摩耗していく構造とはなっていなかったが,エレベーター据え付け工事時の手動運転等により,ライニングが摩耗し(以下,据え付け工事時に発生する摩耗を「初期摩耗」という),また,その後も停電発生時の非常停止や定期点検の際の手動運転等により,ライニングは摩耗する(以下,日常使用開始後に生じる摩耗を「通常摩耗」という。初期摩耗と通常摩耗を併せて「初期摩耗等」という)。
さらに,ブレーキアームの支点が固渋するなどしてブレーキアームが十分に開かない場合や,コイルの電源電圧の低下や短絡の発生等によりプランジャー推力が低下してブレーキアームが十分に開かない場合にも,ライニングの異常摩耗が発生して,厚みが減ることがある。
ライニングの摩耗による戸開走行事故のおそれについて

ライニングが摩耗して厚みが減ると,その分だけブレーキスプリングのばね力によってブレーキアームが内側に閉じるようになるため,ブレーキアームに接続されているプランジャーは,ライニングの厚みの減少分に比例して,設定位置よりも奥までソレノイド内に押し込まれていき,いずれかの移動制限部位に達すると,プランジャーをソレノイド内に押し込めず,ブレーキアームも内側に閉じることができなくなり,ライニングでブレーキドラムを挟み付ける力が不十分となって,かごの静止状態を保持できなくなり,かごと釣り合いおもりの重量差により,かご及び乗降口の各扉が開いた状態でかごが上昇するなどして戸開走行事故が発生する危険性があった。
2異常摩耗の発生時期について
異常摩耗進行中のプランジャー位置の調整の有無

アプランジャーの最大移動可能距離
原判決は,本件ソレノイドを三次元測定器で計測した結果(原審甲248,249)に基づき,本件プランジャーの最大移動可能距離は約5.57ないし5.59mmであるとしたEの鑑定書(原審甲196)について,鑑定で用いた数値は,同一面を複数回計測した結果の平均値である上,その測定結果は,ソレノイド表面の
さびや塗装面の厚みや組み付け状況によって誤差が生じ得ることなどからすると,本件事故当時における本件ソレノイドの実寸値からは,少なくとも0.01mm単位の誤差があり,また計測箇所によっては0.1mm単位の誤差があり得るとした。次に,原判決は,本件事故当時の本件ソレノイドの移動制限部位がストロークリミッター3であるとするEの上記鑑定書について検討し,①ストロークリミッター
3とストロークリミッター2の差は0.46ないし0.48mmにすぎないこと,②ストロークリミッター3に達した際,ストロークリミッター2のゴムパッキンが最大圧縮量に達していないことを根拠としているが,最大圧縮量との差は0.25ないし0.27mmにすぎない上,本件事故時から計測時までの経年劣化等によりゴムパッキンの硬度が変化した可能性も否定できないこと,③本件ソレノイドの計
測結果に0.01ないし0.1mm単位の誤差があり得ることなどからすると,本件事故当時の移動制限部位がストロークリミッター2であった可能性が相当程度認められるとした。その上で,本件検証時にプランジャーロッド後端部の状況を確認した者らの原審証言や写真等によっても,プランジャーロッド後端がブレーキアーム上部に接触していたとまでは認められないとし,本件ソレノイドの移動制限部位は,ストロークリミッター2又はストロークリミッター3のいずれかであったとまでしか認定できないとした。
以上のことから,原判決は,Eの上記鑑定書で算出された最大移動可能距離は,0.1mm単位での誤差を含むものと認められ,本件プランジャーの最大移動可能距離は,約5.5ないし5.6mmに一定の誤差を含むものとして検討するとした。イライニングの摩耗に伴うプランジャーの移動量
原判決は,初期摩耗等による移動量について,初期摩耗等の実験を行ったN
の原審証言等によると,初期摩耗等に伴うプランジャー移動量とライニング中央部の摩耗厚みの関係は,ブレーキアームの支点から各部までの距離のてこ比で計算,説明しきれないこと,異常摩耗に伴うプランジャー移動量とライニングの摩耗量はてこ比で計算できることが認められ,初期摩耗等に伴うプランジャー移動量と異常摩耗に伴うプランジャー移動量は別個に算出し,これを合算するのが相当であるとした。
その上で,異常摩耗開始時におけるライニング中央部とブレーキドラムの隙間量(A)について,原判決は,層間短絡が発生し,コイルの起磁力が低下した状態におけるプランジャー推力とばね力を前提にしなければならないところ,ブレー
キスプリングのばね長が設計値に設定された場合,プランジャーの取り付け位置で作用するばね力が約859.6ないし869.1Nとされていることなどを踏まえると,ライニングとブレーキドラムの隙間値を解析したSの原審証言によって認められるばね力が10Nの際の隙間量と500Nの際の隙間量との間であったといえ,0.02ないし0.1mm程度であったと推認できるとした。

また,ライニング中央部の摩耗量(B)について,原判決は,5号機のライニングの初期厚みを証拠上特定することはできないものの,初期値は7.5mmとされ,初期値下限は7.3mmとされている上,本件事故後の1号機ないし4号機のライニング中央部の厚さは,いずれも7.5mm以上となっていたことも踏まえると,5号機のライニング中央部の初期厚みは7.5mm以上であったと推認され,初期厚みが7.5mmであったとすると,5号機のライニング中央部の摩耗量(B)は,ソレノイド側で平均約1.462mm,アイボルト側で平均約1.705mmとなるとした。
次いで,プランジャーが移動制限部位に達した際のブレーキドラムの熱膨張量について,原判決は,本件事故後に測定された左右のブレーキアーム上端内径の計測値(原審甲144)は,本件検証時の状態を正確に再現したものといえないこ
となどから,その計測値を根拠として正確な値を算出することはできないなどとし,検察官が主張する0.356mmという値は一定の目安になるにすぎないとした。他方で,原判決は,本件検証時に,プランジャーが移動制限部位に達した状態で計測したアイボルト側のブレーキアーム内側からアイボルト側のプランジャーロッド後端までの長さと,調整ナットMを緩めてブレーキアームでブレーキドラムを挟
み込んだ上,プランジャーを適正位置まで引き出した状態の上記長さの差から算出した数値も,測定結果の正確性に疑問があるが,計算結果が最も小さくなる測定値に基づいて算出した数値は,一定程度参考にすることができ,ブレーキドラム表面の温度を解析したSの原審証言も踏まえると,ブレーキドラム膨張量が0.6mmを超えていた可能性も十分認められるとした。

以上のことから,原判決は,5号機のブレーキドラムの最高温度や膨張量については,確定的な数値として認定できないが,プランジャーが移動制限部位に達した際のブレーキドラム半径の熱膨張量(C)は,0.356ないし0.671mmとして,本件異常摩耗に伴うプランジャー移動量を計算するとした。さらに,プランジャーが移動制限部位に達した際のライニング中央部とブレ
ーキドラムの隙間量(Y)について,原判決は,ライニングの摩耗に伴うプランジャーの移動量に関する実験を行ったNの原審証言等によれば,ライニング中央部の摩耗量にてこ比を掛けて算出したプランジャーの移動量が,実際のプランジャー移動量よりも過大になること,上記実験終了後のブレーキドラムが冷えた時点におけるブレーキドラムとライニングの隙間は,ライニング上部よりも中央部の隙間量が明らかに大きかったこと,Sの解析結果では,0.1ないし0.11mmであったことから,プランジャーが移動制限部位に達した際のライニング中央部とブレーキドラムの隙間量は,0.1ないし0.11mm前後であったと推認されるとした。初期摩耗等によるプランジャー移動量について,原判決は,Nによる初期摩耗等の実験では,2回ともにプランジャーが1mm以上移動していること,コイルに短絡が生じていない1号機及び3号機のプランジャーを適正位置に調整したとこ
ろ,それぞれ1.12mmと2.55mm動いたことからすれば,5号機も初期摩耗等によりプランジャーが少なくとも1mmは移動したと推認できるとした。以上のことから,原判決は,ライニングの異常摩耗に伴う本件プランジャーの移動量は,(A+B-C-Y)×2.8の計算式で求められ,プランジャー移動量が最小になる値によって計算すると,ソレノイド側は約1.96mm,アイボル
ト側は約2.64mmとなり,本件プランジャーの移動量は約4.60mmと算出され,これに初期摩耗等に伴う本件プランジャーの移動量として1mmを加算すると,ライニングの摩耗に伴う本件プランジャーの移動量は約5.6mmとなるとした。
ウプランジャー移動量と最大移動可能距離の関係による結論

以上のことから,原判決は,本件ソレノイドの計測誤差や異常摩耗に伴う本件プランジャーの移動量を算出するのに用いた各数値に生じうる誤差等を考慮しても,ライニングの異常摩耗のみに伴う本件プランジャーの移動量だけでも,本件プランジャーの最大移動可能距離(約5.5ないし5.6mm)から開放ストローク(約2mm)を差し引いた値を一定程度上回る上,初期摩耗等を含む摩耗に伴う本件プ
ランジャーの移動量は,その値を相当程度上回るものといえ,このことから,本件ライニングの異常摩耗の進行中に本件プランジャーの位置の調整が行われたことが強く推認されるとした。
エ異常摩耗進行中のプランジャー位置の調整に関するその他の事実本件検証時のアイボルトのねじ山の状況
原判決は,本件検証に立ち会ったEらの各原審証言等及び本件検証時に撮影された写真によれば,5号機のアイボルトのブレーキアーム外側調整ナットM直近のねじ山部分が2山程度光っていたことが認められ,本件ブレーキの構造を踏まえると,アイボルトの上記光沢部分は,本件事故以前に上記調整ナットMが締め込まれたことにより,その分だけ本件プランジャーがアイボルト側へ引き出されたことを示すものといえ,このことからすると,本件ライニングの異常摩耗が進行している最中
に,人為的に調整ナットMが緩められた上で,本件プランジャーが引き戻されたことが推認されるとした。
コアの摩擦痕跡
原判決は,原審証拠によれば,本件ソレノイドのコア表面には,摩擦痕跡が2か所にあり,ヨーク内側の摩擦痕跡は1か所であること,コア表面の2か所の摩擦痕
跡はほぼ点対称の位置にあり,コア表面の1か所の摩擦痕跡はヨーク内側の摩擦痕跡に対応する位置にあることなどが認められ,本件プランジャーが調整ナットM等により固定されていることを踏まえると,このことから,コアとヨークの摩擦が始まった後,本件ブレーキの点検等で調整ナットMが緩められるなどした際に,コアが半回転したといえ,5号機設置後いずれかの時点で,調整ナットMが緩められて
プランジャー位置の調整が行われたことが認められるとした。
オ異常摩耗進行中のプランジャー位置の調整の有無に関する結論
原判決は,以上のようなライニングの摩耗に伴う本件プランジャーの移動量と本件プランジャーの最大移動可能距離の関係に加え,本件プランジャーの位置の調整が行われた痕跡がアイボルトに存在したこと,調整ナットMが緩められて本件プラ
ンジャーの位置が調整されたことを示すコアの摩擦痕跡が存在することを併せると,ライニングの異常摩耗進行中に本件プランジャーの位置の調整が行われたと認められるとした。
異常摩耗進行中のプランジャー位置の調整時期について

その上で,ライニングの異常摩耗進行中に本件プランジャーの位置の調整が
行われた時期について,原判決は,平成17年4月1日から4号機と5号機の保守点検業務を受託していたDに派遣されて実質的な保守点検等を行っていた株式会社GのFらが,ブレーキ部分の調整をしたことはないなどと証言しているが,F以外の複数名のGの保守点検員が,両機の故障対応に当たっていること,Fらが作成した作業報告書の記載内容は実際に行った作業を記載しないなど正確でないことなどからすると,平成16年11月9日以降に,G等の保守点検員らによって,本件プ
ランジャーの位置の調整が行われていないとまで認めることはできないとした。イ次に,原判決は,平成16年11月6日ないし8日の5号機の状態等について,原審証拠によれば,以下の事実が認められるとした。
①平成16年11月6日深夜,4号機が1階で扉が開いたまま動かなくなった旨の連絡があったことから,A社従業員が対応したところ,5号機のかご床の部分が
1階のフロアから150cmほど上方の位置で停止していた。
②その後,A社従業員のHが到着し,主電源を一度落として再度入れ直したところ,5号機は動き出し復旧した。そのとき,Hは,ブレーキ開放時のプランジャーの動きがスムーズではなかったことから,ブレーキを手動開放しようとしたところ,綱車が上昇方向にゆっくりと動いているように見えた。そのため,ブレーキアーム
を押さえたところ,綱車の動きは止まった。
③このような5号機の動きについて,Hは,せりと呼ばれる現象が起きており,ブレーキアームの戻りが悪くなったことが原因ではないかと考え,電源を落とし,調整ナットMを緩めてプランジャーを動かしたり,潤滑油を差したりするなどの処置を行い,その後,プランジャーを元の位置付近に再セットするなどして電源を入
れたところ,ブレーキアームとプランジャーの動きは良好になり,異状は見られなかったので,作業を終了した。
④11月8日,被告人,A社東京支社の保守部長であったI及び検査改修課専任課長であったJは,5号機のプランジャーやブレーキアームの動き等を確認するなどしたが,問題はなく,せりも確認されなかった。その後,Iが,開放ストロークが約2mmになるようにプランジャー位置を再セットした上で,改めてプランジャーやブレーキアームの動きに異状がないことを確認した。
⑤Hは,11月9日付け「ハイツOエレベーター4,5号機故障報告書」を作成し,その作業結果欄に5号機について「ブレーキコア(電磁ブレーキ)内部シャフトのセリにより作動不具合を起こした為と思われます」と記載した。⑥Iは,上記報告書の作業結果欄の記載を「ブレーキコア(電磁ブレーキ)の隙
間が作動限界点近くになり作動不具合を起こした為と思われます」と書き換えるなどした11月15日付け「ハイツOエレベーター4,5号機故障報告書」(以下「11月15日付け故障報告書」という)を作成した。
以上の事実から,原判決は,エレベーターの保守点検や故障対応について相当な経験を有し,相応の知識,技量を備えている被告人ら4名全員が,ブレーキ異状が
原因であるとして点検したにもかかわらず,本件ライニングの異常摩耗の兆候を見逃すとは考えにくいことを踏まえると,11月7日ないし8日時点で,異音,異臭,ブレーキドラムの発熱等,ライニングの異常摩耗発生をうかがわせる兆候が見られなかったことが認められるとした。
また,原判決は,Hが見たプランジャーの動きについて,その原因がせりである
としても十分に説明が可能であり,その時点で5号機のプランジャー推力が低下していたことを推認させるものではないとした。

原判決は,電気機器の故障解析を専門分野とするKの原審証言について,次
のとおりであると指摘した。
①本件コイルと同じ製造者の同種コイルを使用し,異なる稼働率(エレベーターの運転時間÷(エレベーターの運転時間+停止時間)を百分率で示すもの)でコイルにそれぞれ通電する実験を行った結果,熱的ストレス等によりコイルに短絡が発生した。短絡発生後も更なる通電によりコイルは強い熱的ストレス等にさらされ,絶縁材の劣化が加速して短絡が進行した。
②5号機の設置環境等を併せて考えると,本件コイルは,熱疲労ストレス(稼働時に発生する熱,機械室の熱,夏季の室温上昇),機械的ストレス(振動や衝撃により受けるもの),環境的ストレス(湿気,ほこり等の影響により受けるもの),電気的ストレス(通電時や電源遮断時に発生する電圧等により受けるもの)にさらされ,絶縁材を劣化させる複数の要因が相互に作用して,絶縁寿命が加速度的に短縮されることになるといえ,短絡が最初の層で発生した後に,更に短絡が加速度的に進行したと考えられる。

このような証言に基づき,原判決は,本件コイルで最初に短絡が発生し,抵抗値が低下した時期については確定できないが,本件コイルにかかる上記各ストレスにより短絡が加速度的に進行することなどからすると,本件ライニングの異常摩耗が発生したのは本件事故とある程度近接した日時であることがうかがわれるとした。異常摩耗発生時期に関する結論

以上のことから,原判決は,平成16年11月8日以前から本件コイルに短絡が発生し,その短絡等に起因する本件ライニングの異常摩耗が発生,進行していたことを認めるに足る科学的な根拠はなく,同日時点の5号機の巻上機等の状況に照らすと,同日までに本件ライニングの異常摩耗が発生していたとは認め難く,このことなどを踏まえると,異常摩耗進行中の本件プランジャーの位置の調整は,本件事
故に一定程度近接した時点で行われたものと認められるのであって,同日時点で本件ライニングの異常摩耗が発生していたと認めることはできないとした。結論
以上のことから,原判決は,被告人の本件公訴事実について犯罪の証明がないとした。

第3当裁判所の判断
原判決の判断には,支持できない部分もあるが,結論を導くのに不可欠な説示において経験則等に照らして不合理なところはなく,原審記録を検討しても,平成16年11月8日以前から本件ライニングの異常摩耗が発生,進行していたとは認められないとして本件公訴事実の証明がないとした原判決の判断に事実の誤認はない。このような当裁判所の判断の概要を説明すると,層間短絡の発生・進行の機序に関するKの原審証言によれば,異常摩耗の原因である本件コイルの層間短絡は,加速度的に進行した可能性が極めて高いと認められるところ,このことなどからすると,検察官が主張するように,平成16年11月6日の時点で,本件プランジャーの位置が移動限界近くまで移動するほど本件ライニングの異常摩耗が進行していながら,その後1年6か月以上もの期間,ブレーキの不具合は生じていないことや,
本件事故時の本件コイルの抵抗値が定格の半分程度を維持していたことを合理的に説明できず,その時点において異常摩耗が発生していなかった可能性が高いといえる。
また,異常摩耗が発生,進行していれば,通常,ライニングとブレーキドラムの接触,それに伴う異音,異臭,ドラムの発熱・変色,摩耗粉の発生等といった現象
が見られるが,平成16年11月6日ないし8日にA社の従業員らによって行われた2度にわたる点検の際,こうした現象が見られなかったことからすると,その時点で異常摩耗が発生,進行していなかったことを強くうかがわせ,上記可能性をより強固なものとしている。
他方で,本件プランジャーの移動量と最大移動可能距離の関係等から本件ライニ
ングの異常摩耗の発生時期を検討しても,本件ライニング中央部の摩耗量等から計算上求められる本件プランジャーの移動量が,本件プランジャーの最大移動可能距離を確実に上回っているとはいえず,本件ライニングの異常摩耗の進行中に本件プランジャーの位置の調整が少なくとも1回行われたとは認められないから,これが認められることを前提として,平成16年11月6日以前から異常摩耗が発生,進
行していたともいえない。
これらのことなどからすると,そのほかに検察官が主張する点を踏まえて検討しても,平成16年11月6日の時点で,本件ライニングの異常摩耗が発生していたとは認められない。
上記のとおり,原判決は,本件プランジャーの移動量と最大移動可能距離の関係等から異常摩耗の発生時期を検討する中で,本件プランジャーの移動量が最大移動可能距離を上回るとして,異常摩耗進行中に少なくとも1回本件プランジャーの位置の調整が行われたなどと認めており,その判断については経験則等に照らして不合理であって支持できないが,原判決は,この点の判断によって,平成16年11月8日以前から本件ライニングの異常摩耗が発生,進行していたとは認められないとの結論を導いたものでなく,結論を導くのに不可欠な説示においては原判決も上
記説明と同様の判断をしているものと理解でき,その時点で本件ライニングに異常摩耗が発生していたことを前提とした本件公訴事実が認められないとした原判決に事実の誤認はない。
以下,検察官及び弁護人の主張を踏まえて,補足して説明する。
本件コイルの層間短絡の発生・進行機序と異常摩耗の発生時期の関係

Kは,原審公判において,①本件コイルは,熱を主な原因として層間短絡が
複数箇所で発生した,②いったん層間短絡が起きた場合,更にコイル温度が高くなるため,その層間短絡は加速度的に進行する可能性が極めて高いとの見解を述べているところ,その前提として実施した実験の概要は,以下のとおりである。①本件コイルと同じL社製の同種コイル(定格の抵抗値は45.5Ω)で,短絡により抵抗値が35.6Ωに低下しているものを準備し,それをオーブンに入れた上で,85Vの電圧を使い,稼働率100%で約2.5時間通電した結果,抵抗値が28.2Ωになった。さらに,コイルが室温程度まで冷えた後,同様に約1時間通電したところ,抵抗値は23.6Ωになった。
次に,上記コイルをソレノイドに組み込んだ上,ブレーキアームを取り付けてオ
ーブンに入れ,稼働率30%(20秒通電,46.67秒非通電)で2時間間欠通電,2時間休止を5サイクル繰り返し,次に,稼働率40%(20秒通電,30秒非通電)で同様に6サイクル繰り返し,最後に,稼働率60%(20秒通電,13.3秒非通電)で同様に7サイクル繰り返した。各間欠通電は,コイルが室温程度まで冷えた状態か,相当程度コイル温度が低下している状態で行われた。その結果,稼働率30%と稼働率40%では新たな短絡は確認されなかった。また,稼働率60%の初めの2サイクルでも新たな短絡は見つからなかった。しかし,稼働率60%で7サイクル繰り返した結果(3回目から6回目のサイクル終了後の抵抗値の測定は行われなかった),抵抗値は23.6Ωから4Ωになった。他方,短絡が生じていないL社製の同種コイルについても,オーブンに入れて,稼働率60%で2時間間欠通電,2時間休止を142時間行った。その結果,抵抗
値は,当初の46.6Ωから45.2Ωになった。
②もう一つの実験では,短絡が生じているL社製の3つの同種ないしほぼ同種のコイルを準備し,エポキシモールドの一部を切削して銅線を露出させ,露出した各層の抵抗値を測定する方法で短絡箇所を調査した。その結果,いずれのコイルについても,独立した3か所以上で層間短絡が発生していることが確認された。
そこで,Kの上記見解の信用性についてみると,電気機器の故障解析を専門分野とし,ソレノイドの故障についても調査した経験を有するKは,上記のとおり,5号機と同じ会社が製造した同種のコイルを使用して,異なる稼働率でそれぞれ通電するなどの実験を行い,その実験結果を基礎としながら,警視庁科学捜査研究所研究員が実施した4号機コイルの2時間間欠通電実験(60秒通電,15秒非通電を
2時間継続することを2回繰り返したもの)の結果(原審甲12)や自らの科学的知見・経験をも踏まえて,本件コイルは,熱的ストレス,機械的ストレス,環境的ストレス,電気的ストレスを受け,それらが複合的に作用して絶縁材が耐熱温度以下でも(エナメル線の耐熱温度は180℃で,本件ソレノイドの耐熱クラスは130℃とされている)絶縁性能が劣化し,絶縁寿命が加速度的に短縮されると考えら
れるなどとし,上記見解を導いているのであって,その判断根拠等に不合理な点は見当たらない。特に,短絡の主たる原因が熱的ストレスであることを前提に,特定の箇所で短絡が発生して抵抗値が低下すれば,電流が増大し,それに伴ってコイル温度が高くなることなどによって,更に別の箇所で短絡が発生し,短絡が加速度的に進行するという点は,科学的知見に基づいた合理的な説明である。これらのことなどからすると,層間短絡の発生・進行機序に関するKの上記見解は,十分信用できる。
したがって,Kの原審証言によれば,本件コイルは,劣化により層間短絡を発生,進行させて,そのため通電による本件コイルの温度が高くなっていき,熱を主な原因として,層間短絡を加速度的に進行させ,層間短絡が複数個所で発生しているという本件事故時の状態になった可能性が極めて高いと認められる。

このことを踏まえて本件ソレノイドの異常摩耗の発生時期について検討する
と,原審証拠(原審甲9,133)によれば,製品仕様が要求する本件ソレノイドによる下限の推力は,コイル温度が高くなり,常温時よりも推力が相当落ちる稼働率が40%の場合でも,エアギャップ2.0mmで約1200N,エアギャップ5.0mmでも約1030Nあり,本件ブレーキアームのばねを基準長に設定した場合,エアギャップ2.0mmでのばね力は約864Nで,エアギャップ5.0mmでのばね力は約789Nであったから,本件ソレノイドによる推力の方が,ブレーキアームを開放するためのばね力より約336N(約28%の余力)ないし約241N(約23%の余力)と相当上回っており,本件ソレノイドによる推力が多少低下しただけではブレーキアームが開かない現象は起こりえないことが認められる。
しかも,プランジャー推力は,通電する電流の大きさとコイルの巻線の巻回数で変化するところ,短絡が発生すれば,実質的な巻回数は減り,推力は低下するが,他方で,抵抗値が低下することにより電流が上昇し,その分推力が回復するため,それでもなお,その推力がばね力を下回るほどに短絡が進行しなければ,異常摩耗は発生しない。

これらのことからすると,異常摩耗が発生するのは,コイルの層間短絡が相当進行し,プランジャー推力が相当低下した後であることになる。このことは,4号機のコイルが,短絡によって抵抗値が約39.4Ωに低下していたにもかかわらず,ライニングには異常摩耗が生じていなかったことからも裏付けられている。そうすると,検察官が主張するように,平成16年11月6日の時点で,本件ライニングの異常摩耗が進行していて,本件プランジャーの位置が移動限界近くまで移動していたとすれば,プランジャー推力はかなり低下していて,本件コイルの層間短絡もかなり進行した状態になっていたことになり,本件プランジャーが適正位置(開放ストロークが約2mmの位置)に調整されたことにより,プランジャー推力が多少回復したとしても,層間短絡の進行が止まるわけでないから,その加速度的な進行に伴いプランジャー推力が低下していき,それほど経過しないうちに異常
摩耗が再開し,本件事故と同様の現象が生じる可能性がかなり高いといえる。しかし,原判決が指摘するとおり,5号機においては,平成16年11月8日から1年6か月以上もの期間,本件事故のような戸開走行事故はもちろん,ブレーキの不具合すら生じておらず,本件コイルの抵抗値も定格の半分程度を維持していたのであって,検察官が主張するように11月6日の時点で異常摩耗がかなり進行し
た状態になっていたとすると,このことを合理的に説明することができない。以上のことからすると,平成16年11月6日の時点で,本件プランジャーの位置が移動限界近くまで移動するほど本件ライニングの異常摩耗が進行していたとは考えられず,異常摩耗が発生していなかった可能性が高いといえる。ウ
検察官は,Kの実験は,抵抗値を半分まで低下させたコイルについて,その
後の短絡の進行状況等を明らかにするために行われたもので,本件コイルの短絡の発生時期や抵抗値が半分に低下するまでの短絡の進行状況等を確認する実験ではなく,また,稼働率100%で合計3時間半通電するという5号機の実際の稼働環境よりも過酷な条件下でコイルの抵抗値を定格の約半分まで引き下げるなどして行われたにもかかわらず,新たな短絡は直ちに発生しなかったとの実験結果は,抵抗値
が半分程度まで低下したコイルですら,直ちには新たな短絡が発生,進行しないことを示すものといえ,Kの実験結果から,抵抗値が半分程度まで低下していないコイルについて,稼働率60%等の稼働状況下で,短絡が加速度的に進行するとはいえないから,Kの原審証言により,本件事故にある程度近接した日時に最初の短絡が起こったと推認されるとした原判決の判断は,Kの実験の目的,前提条件や射程範囲を正確に把握することなく,結論を導いたものであり,経験則等に反するなどと主張する。
確かに,本件コイルに最初の短絡が起こった時期について「本件事故にある程度近接した日時」と推認できるとした原判決の趣旨が,平成16年11月8日以降であるというのであれば,Kの原審証言からそのような認定はできず,この点の原判決の判断は支持できない。しかし,Kは,本件コイルと同種コイルが異常摩耗の生
じていない4号機コイルの抵抗値に近い35.6Ωから4Ωになった層間短絡の進行状況や,短絡が生じていない同種コイルが46.6Ωから45.2Ωになった層間短絡の進行状況の上記実験結果に加え,平均コイル温度がおおよそ110℃でも2回層間短絡が起きたことを示している4号機の上記実験の結果をも踏まえて,いったん層間短絡が起きた場合,更にコイル温度が高くなるため,その層間短絡は加
速度的に進行する可能性が極めて高いとの上記見解を述べているものであり,抵抗値が半分程度まで低下していないコイルも含めた見解として合理的であるといえる上,4号機の点検等における5号機の単独運転時にはかなり高い稼働率に達していた可能性があることなども考慮すると,5号機の実際の稼働環境よりも過酷な条件下で実験が行われたともいえず,これらのことからすると,本件ライニングの異常
摩耗が発生したのは本件事故とある程度近接した日時であることがうかがわれるとした原判決の判断は,Kの原審証言について誤った評価をしたことに基づいているとはいえず,上記説明と同趣旨のものとして支持することができる。異常摩耗を示す現象の有無と異常摩耗の発生時期の関係

原審が実施した検証によれば,摩擦トルクがプランジャー推力よりばね力が
若干上回っている程度の約17Nでも,シュルシュルという音が聞こえ,何ともいえない化学臭が発生したことが認められ,このことによって信用性が裏付けられているA社のM,GのFらの各原審証言によれば,少なくともライニングとブレーキドラムの接触,それに伴う擦過音や異臭といった現象については,異常摩耗がごくわずかなものでない限り,エレベーターの保守点検員であれば,通常気付くことができるものであると認められる。
この点について,A社のHは,原審公判において,平成16年11月7日に本件ブレーキ等を点検した際,ライニングとブレーキドラムの接触,それに伴う擦過音,異臭等の現象はなかった旨証言している。この証言は,H本人が点検終了後に作成した平成16年11月8日付け「4,5号機エレベーターの不具合について(社内用)」と題する書面(以下「11月8日付け社内報告書」という。原審弁AB24
資料1-2)を見ても,上記のような現象があったことをうかがわせる記載はなく,5号機の段違い停止の原因がせりであるとされていることと整合しており,十分信用できる。
また,翌8日に本件ブレーキ等を再度点検したJも,原審公判において,異常摩耗を示す上記現象はなく,ブレーキ等の異常はなかったなどと証言しており,また,
Iも,供述調書(原審乙3,9)において,ブレーキの点検では,擦過音等の異音,摩耗粉等の汚れ,発熱等によって異常が発見できるが,そのような兆候はなかったと供述し,被告人も,原審公判において,ブレーキが不調である兆しはなかったと供述している。これらの供述は,Hの上記証言や,11月15日付け故障報告書(原審甲62)に異常摩耗を示す上記現象があったことを示す記載がないことと整
合しており,信用することができる。
以上のことからすると,平成16年11月6日ないし8日にA社の従業員らによって行われた点検の際に,異常摩耗を示す現象がなかったと認められ,このことは,その時点において,本件ライニングに異常摩耗が発生していなかったことを強くうかがわせるものである。


検察官は,HがハイツOに到着したのが5号機の事故発生から2時間半以上
経過した後であったため,コイルの温度低下によりある程度プランジャー推力が回復し,5号機のライニングとブレーキドラムが接触・摩擦するまでには至らず,異音,異臭,発熱は見られなかったものであり,摩耗粉については,微量であったことなどから,Hが見逃したとしても不自然ではない上,能力,経験が劣っており,5号機の段違い停止の原因がせりではないかと考えていたのであるから,異常摩耗の兆候があっても気付かなかった可能性が十分にあると主張する。しかし,上記のとおり,異常摩耗が進行していたとすると,本件コイルの層間短絡が相当進行していて,プランジャー推力が相当低下していたことになる上,5号機の段違い停止が起きたのは,稼働率の低い深夜であったことをも踏まえると,5号機が停止してから2時間半程度の時間が経過してコイル温度が低下したからとい
って,異常摩耗が解消するほどプランジャー推力が回復したとは考え難い。また,プランジャー推力が多少回復して一時的に異常摩耗が解消していたとしても,ライニングとブレーキドラムの隙間の拡大,ブレーキアームの開閉音の増大,ブレーキドラムの変色等の異常摩耗を示す現象は解消されないことからすると,エレベーター保守について相応の知識と経験を有するHが,ブレーキの不具合を疑って点検を
したにもかからず,これらの現象を全て見逃し,異常摩耗の発生・進行に気付かなかったとも考えられない。
さらに,検察官が主張するように,プランジャーの位置が移動限界近くまで移動するほど異常摩耗が進行していたとすると,異常摩耗はかなり進行していたことになり,本件ライニングと本件ブレーキドラムの接触,それに伴う擦過音,異臭,摩
耗粉の発生,ブレーキドラムの発熱・変色等の異常摩耗を示す現象が顕著に生じていたことになるから,そのような現象が上記程度の時間の経過で気付かなくなるほどに消失するとは考え難い。
これらのことからすると,Hが異常摩耗を示す現象を見逃したとは認められない。ウ
また,検察官は,11月8日付け社内報告書の記載等によって認められる1
1月7日にHが見たプランジャーのスムーズでない動きや綱車の上昇方向へのゆっくりした動きは,5号機のプランジャー推力が低下していたことや,プランジャー位置が移動限界近くにあったことを示す兆候・現象であることなどからすれば,その時点で,ソレノイド内のコイルに故障等が発生しており,ライニングの異常摩耗が発生,進行していたことが推認できると主張する。
しかし,11月7日の本件プランジャーの動きについて,Hは,検察官調書(原審甲65)において,プランジャーがそれなりの幅を動くが,起動し出すときの動きがゆっくりで,スピードが全体として遅いという感じであったなどと供述している。他方,Eは,原審公判において,プランジャー推力が低下してブレーキスプリングのばね力と拮抗した状態となった場合のプランジャーの作動状態について,作動開始時点ではゆっくりと動き出し,その後,プランジャーがソレノイドから出て
エアギャップが小さくなると,プランジャー推力が大きくなって早く動くなどと証言している。このように,スピードが全体として遅いという感じであったとのHの上記供述と,エアギャップが小さくなると早く動くとのEの上記証言には食い違いがあるといえ,11月8日付け社内報告書等によって認められる本件プランジャーの動きから,プランジャー推力が低下していたと推認することはできない。
また,11月8日付け社内報告書の記載等によれば,Hは,上記プランジャーの動き等の原因は,ブレーキコア内部のせりであると考えていたと認められるところ,原審証拠によれば,せりとは,可動部に異物が挟まることなどにより,機械的摩擦力が発生し,円滑に動作しなくなる現象をいうものであり,エレベーターの保守点検員の間では,せりがあると,プランジャーの動きに影響を及ぼす可能性があると
一般的に認識されていたこと,本件事故後,本件ソレノイド内にはさびや金属粉が見られた上,本件コアには,原判決が指摘するとおりの摩擦痕跡があったこと(原審甲180)が認められる。これらのことからすると,Hが見た本件プランジャーのスムーズでない動きは,本件ソレノイド内のヨークとコアの間やプランジャーロッドと軸受の間に,さびや金属粉が挟まるなどして摩擦力が生じ,プランジャーの
動きが影響を受け,ブレーキアームが開くのが若干遅くなったことによるもので,せりによるものであった可能性が十分にあるといえる。
Hが電源を切った際に5号機の綱車が上昇方向にゆっくり動くように見えたことについても,その原因がプランジャー推力の低下にあったとすると,ブレーキの作動にプランジャー推力は関係なく,ばね力が阻害されることもないのであるから,そのような綱車の動きを見たHがブレーキアームを両手で押さえただけで綱車の動きが止まったことの説明がつかないのに対し,このことは,上記のようなせりによって生じた摩擦力がばね力を阻害したことにより,プランジャーの動きに影響を与え,ブレーキアームが閉じるのが遅れたことと符合しており,その可能性が十分にあるといえる。
以上のことからすると,Hが見たプランジャーの動き等は,せりによるものと説
明することが十分可能であるから,プランジャー推力が低下していたことを推認させるものではないのであって,これとおおむね同じ趣旨と解される原判決の判断に誤りはない。
プランジャー移動量と最大移動可能距離の関係
原判決は,上記のとおり,①本件プランジャーの最大移動可能距離については,
約5.5ないし5.6mmに0.1mm単位の誤差を含むものとし,②本件プランジャーの移動量については,本件ライニングの異常摩耗に伴うものは(A+B-C-Y)×2.8の計算式で算出でき,プランジャー移動量が最小になる値によって計算すると約4.6mmと算出され,これに初期摩耗等に伴うものを加算すると,約5.6mmになるとし,③本件プランジャーの移動量は,最大移動可能距離から
開放ストロークを引いた数値(約3.5ないし3.6mm)を上回っていることから,本件ライニングの異常摩耗の進行中に本件プランジャーの位置の調整が少なくとも1回行われたと推認できるとしている。
しかし,本件プランジャーの最大移動可能距離の計算に用いた数値は,原判決も指摘しているとおり,同一面を複数回計測した結果の平均値である上,その測定結
果も本件ソレノイド表面のさびや塗装面の厚みや組み付け状況によって誤差が生じ得るものであるのに,原判決は,その誤差の最大値を確定することなく,本件プランジャーの移動量と対比して結論を導いており,証拠上確実な事実に基づいた判断とはいえない。このことは,同一面を複数回計測した結果の平均値ではなく,その計測結果のうち本件プランジャーの最大移動可能距離が最長になる数値により計算すると,約5.90mmであった可能性があったことになることだけからしても,原判決の判断が不適切であったことは明らかである。
また,原判決は,本件プランジャーの移動量についても,上記のとおり,本件ライニング中央部の摩耗量を算出するに当たり,本件ライニングの初期厚みは証拠上特定することはできないとしながら,ライニングの設計上の初期値が7.5mmで,下限は7.3mmとされている上,本件事故後の1号機ないし4号機のライニング
中央部の厚みがいずれも7.5mm以上であることからすれば,本件ライニングの初期厚みは7.5mm以上であったと推認されるとし,本件ライニング中央部の初期厚みを7.5mmとして摩耗量を計算している。
しかし,本件ライニングの厚みの設計値は7.3から7.5mmとされているのであって,7.5mm未満の製品が出荷されていることも否定できない上,1号機
ないし4号機のライニングを見ても,その厚みは同一ではなく,各測定部位によってばらつきがあり(原審甲130,204,206),デジタルノギスで計測された1号機や4号機のライニングの厚みも,中央部に限定しなければ,7.5mm未満の箇所も複数あり,これらのライニングと5号機のライニングが,同じ時期に同じ製造ラインで製造されたものであるかどうかも証拠上明らかでないことからする
と,本件事故後の1号機ないし4号機のライニングの厚さから,5号機のライニングの厚さを推認することはできない。
しかも,Nの原審証言によれば,ライニングの摩耗実験のために入手した本件ライニングと同時期頃に製造された同種の新品のライニング2組8枚について,各組4枚の中央部の初期厚みの平均値は7.35mmと7.38mmであったこと,上
部や下部の平均値はいずれも7.3mmを下回っていたことが認められる。以上のことからすると,本件ライニングの初期厚みも7.5mmを下回っていた可能性を否定することはできず,本件ライニングの初期厚みを7.5mmとした原判決の判断は,経験則等に照らして不合理である。
さらに,原判決は,初期摩耗等に伴うプランジャー移動量とライニング中央部の摩耗量の関係は,ブレーキアーム支点からの距離のてこ比では説明しきれないものとし,これと異常摩耗に伴うプランジャー移動量を別個に算出して合算しているが,この考え方自体,証拠上の根拠があるものとはいい難く,本件プランジャーの移動量を過大に算出している疑いがある。
以上のことを踏まえて,本件ライニングの中央部の初期厚みを設計上の下限である7.3mmとし,それ以外の数値について原判決が用いたものに基づいて計算を
してみると,本件プランジャーの移動量は3.5mm弱となり,本件プランジャーの最大移動可能距離から開放ストロークの適正値を引いた数値を確実に上回るとはいえないことになる。
以上のことからすると,本件プランジャーの移動量が最大移動可能距離を上回っていることを根拠に,本件ライニングの異常摩耗の進行中に本件プランジャーの位
置の調整が少なくとも1回行われたと認めることはできない。したがって,これが認定できることを前提として,平成16年11月6日の時点で異常摩耗が発生,進行していたと認めることもできない。
そのほかの検察官の主張について
ア11月15日付け故障報告書等に基づく主張について

検察官は,Iが平成16年11月8日に5号機の総合点検を実施した後,Hから送付された報告書を基に作成した11月15日付け故障報告書は,5号機の総合点検等に基づく技術者の判断が虚偽を交えることなく,正しく記載されていると認められるところ,その中に「ブレーキコアの隙間が作動限界点近くになり作動不具合を起こした為と思われます。」と記載していることからすると,11月8日の時点
で本件プランジャーの位置が移動限界近くにあったといえ,アイボルトに2山程度の光沢部分があったことやコアの摩擦痕跡も,このことを裏付けるものであり,11月6日の時点で,本件ライニングの異常摩耗が発生,進行していたことを強く推認することができると主張する。
確かに,11月6日の時点で,本件プランジャーの位置がエアギャップで5mm前後の移動限界近くにあって,被告人らが本件プランジャーを3mm程度引き出し,適正位置に調整するなどし,その際にコアが反転してしまったとすれば,アイボルトのねじ山の光沢部分やコアの摩擦痕跡を矛盾なく説明することができ,このことからすると,検察官が主張するように,その時点で本件プランジャーの位置が移動限界近くにあった可能性も高いといえる。
しかし,Nの原審証言等の原審証拠によれば,プランジャー位置の初期設定には
個体差があり,エレベーターの設置当初から,エアギャップが適正位置より相当広がっている場合もあり得ることに加え,エレベーター設置時の作業等により初期摩耗等が生じ,プランジャー位置が移動限界方向に移動して,異常摩耗が発生していなくても,プランジャー位置が移動限界近くにあることもあり得ることが認められる。現に,本件事故後に行われた検証では(原審弁AB86,87,甲6),1号
機から4号機では,いずれもライニングの異常摩耗は発生していないにもかかわらず,プランジャー位置は,いずれも適正位置よりも移動限界方向にあり,開放ストロークの値にかなりばらつきが見られ,3号機では,プランジャー位置がエアギャップで5mmを超えて移動限界近くにあった。このことは,プランジャー位置が移動限界近くにあるからといって異常摩耗が発生しているとは限らないことを示して
いる。
このことからすると,11月6日の時点で,本件プランジャーの位置が移動限界近くにあったとしても,そのことだけで直ちに本件ライニングに異常摩耗が発生,進行していたと推認できるものではない。
しかも,上記のとおり,本件コイルの層間短絡の発生・進行機序と異常摩耗の発
生時期の関係等からすると,その時点で本件プランジャーの位置が移動限界近くまで移動するほど異常摩耗が進行していたと考えられないのであって,11月15日付け事故報告書の上記記載についても,本件プランジャーの位置が移動限界近くにあったからといって異常摩耗が発生していたといえないことを踏まえると,本件ライニングに異常摩耗が発生,進行していたと推認させるものであるとはいえず,検察官の上記主張は失当である。
その上,11月6日の時点で移動限界近くに達するほど異常摩耗が進行していたとすれば,被告人らによって本件プランジャーが3mm程度引き出されたとしても,その後間もなく異常摩耗が再発,進行し,次第にプランジャー位置が移動限界方向に移動していく可能性が高いといえ,ブレーキ作動に伴うプランジャーの動きによって摩擦痕跡が徐々に拡大していくはずであるから,コアが反転された後の摩擦痕
跡が反転前の約19mmよりも短い約16mmにとどまっていることは,11月8日以降本件事故に近接した頃まで,プランジャーが移動限界方向に移動することなく,作動していた可能性を示すものであって,11月6日の時点で異常摩耗が進行していたことと整合しないといえる。
イソレノイドの発注に関する主張について

検察官は,平成16年11月8日の朝,被告人が,Hの報告を聞いて,海外からわざわざ取り寄せなければならないソレノイドの発注を許可したのは,Hが見た5号機のプランジャーの動き等の原因について,せりではなく,ソレノイド自体を交換しなければならない根本的原因が存在すると判断したからであり,11月8日の点検後も,ソレノイドの発注を取り消さず,それが到着するや,ハイツOの機械室
に持ち込んで備え置かせているのも,被告人が5号機のソレノイドには根本的な故障の原因が残っているなどと考えていたことを示すものであると主張する。しかし,被告人が,Hの報告を聞くなどして,5号機のソレノイドには根本的な故障等の原因が残っているなどと考えていたとしても,直ちに本件ライニングに異常摩耗が進行していて,そのことを認識していたことを示すものではない。また,
本件ソレノイドは分解できない構造で,オーバーホール等によってせりを取り除くことができないものであることからすると,せりによる不具合が再発した場合に迅速に交換できるように,念のためソレノイドを発注し,在庫として確保しておくことも十分あり得ることである。そうすると,被告人が,ソレノイドの発注を許可し,その後取り消さなかったことから,本件ソレノイドにせり以外の根本的な故障があり,本件ライニングに異常摩耗が進行していると認識していたとは認められない。更に言えば,被告人が,検察官主張のような認識であったならば,被告人らが,上記点検の際に,本件ソレノイドの電圧や抵抗値等を測定するのが自然であるのに,それをしていないというのは不合理である上,注文したソレノイドがハイツOの機械室に持ち込まれた際に,直ちに交換されていないというのも不合理である。そうすると,被告人がソレノイドの発注を許可するなどした事実は,異常摩耗が
発生,進行していたことを示すものとはいえず,異常摩耗の発生時期に関する上記判断を左右するものではない。
そのほかに検察官が主張している点を踏まえて検討しても,異常摩耗の発生時期に関する上記判断は揺るがない。
まとめ

検察官は,5号機を製造・設置して保守点検業務を受託していたA社の東京支社において担当区域にある5号機の保守点検業務の責任者という立場であった被告人について,本件公訴事実の注意義務があると主張するものであるところ,以上のとおり,平成16年11月6日の時点で本件ライニングに異常摩耗が発生していたとは認められないのであって,このことからすると,検察官が主張する注意義務の前
提となる予見可能性を基礎付ける事実が認められないことになる。したがって,その余の点について判断するまでもなく,被告人に業務上過失致死罪は成立しないから,被告人は無罪であるとした原判決に事実の誤認はない。第4結語
よって,本件控訴趣意には理由がないので,刑事訴訟法396条により本件控訴
を棄却する。
平成30年2月7日
東京高等裁判所第3刑事部

裁判長裁判官

秋葉康弘
裁判官

矢数昌雄
裁判官

須田雄

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