判例検索β > 平成29年(わ)第29号
殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反
事件番号平成29(わ)29
事件名殺人,銃砲刀剣類所持等取締法違反
裁判年月日平成30年1月31日
法廷名岐阜地方裁判所
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主文
被告人を懲役21年に処する
未決勾留日数中250日をその刑に算入する。
押収してある包丁1本,包丁の刃1枚,包丁の柄1個及び包丁
の柄の破片2個を没収する。
理由
【犯行に至る経緯】
被告人は,歯の痛みや不自由さを感じていたところ,それが歯科治療を受けていた岐阜市内所在のB歯科医院の歯科医師A(以下「被害者」という。)による前歯のブリッジ治療に起因するものと邪推するようになった。被告人は,平成29年1月16日,治療内容等に関する不満を記載した手紙をB歯科に投函し,翌17日にはB歯科を訪れ,被害者に対し,治療内容等に関する不満を述べ,被害者の説明を受けて他の医院で治療を受けることとなったものの,翌18日,再び治療内容等に対する不満を述べた上,慰謝料を要求し,同月20日にその回答を受けることとなった。
被告人は,同日,包丁2本を隠し持って同医院を訪れ,被害者に慰謝料について返答がないこと,
被害者が警察に相談したこと,
治療についてなど不満を述べたが,
被害者は,
適切に治療を行った旨説明し,
慰謝料の要求には応じない態度を示した。
被告人は,思い通りにならないことに怒りを感じ,持参した包丁を取り出した。【犯罪事実】
被告人は,
第1

同日午後2時15分頃,前記B歯科において,被害者(当時50歳)に対し,殺意をもって,その頚部等を包丁で複数回刺し,よって,同日午後3時6分頃,C病院において,同人を頚部刺創に基づく失血により死亡させて殺害した。
第2

業務その他正当な理由による場合でないのに,同日午後2時15分頃,前記B歯科において,刃体の長さ約11.4センチメートルの包丁1本(以下「短
い包丁」という。)及び刃体の長さ約15.3センチメートルの包丁1本(以下「長い包丁」という。)を携帯した。
【証拠の標目】

【争点に対する判断】
第1

争点
被告人が,包丁2本を隠し持ってB歯科に赴き,被害者の頚部等を包丁で刺して被害者を死亡させたことについては,証拠上容易に認められ,被告人も争っていない。
その上で,被告人及び弁護人は,被告人に殺意がなかった旨主張する。当裁判所は,被告人に殺意は認められると判断したので,以下,その理由を説明する。

第2

争点に対する判断

1
前提事実



被告人の供述,被害者の携帯電話機に録音されていた音声データを含む取調べ済みの各証拠によれば,被告人が,平成29年1月20日,包丁2本を隠し持ってB歯科を訪れ,同日午後1時55分頃から,同所の診察室2(以下「本件現場」という。)において,被害者に対し,慰謝料の要求に対する返答がないことや,被害者が警察に相談したことに対する不満,治療内容等に関する不満を述べ始め,被害者がこれに応対していたこと,同日午後2時15分頃,被告人が「わかりました」と言って会話を打ち切り,その直後,被害者が,「ちょっと勘弁してくださいよ」,「おいっ,警察呼べ,警察呼べ」などと叫び,その後約40秒間にわたり,被告人と被害者との間で大きな物音を立て,被告人が持ってきた長い包丁が刃の付け根から折れるなどの攻防が行われ,その後被告人が立ち去ったことが認められる。



また,当時B歯科に勤務していたD証人は,どたばたという音がして,被害
者の「警察」などという声が聞こえた後,被告人と被害者が,診察室2の中で立った状態で向かい合っており,被告人が右手で被害者の左肩付近をつかんでいた旨述べる。D証人には殊更虚偽を述べる動機は認められない。目撃内容が一瞬の出来事であり,知覚記憶に限界があるとはいえ,被告人と被害者とが立って向かい合っており,双方で何らかのやり取りがあったという限度では,D証言は十分に信用でき,この事実を認めることができる。
2
犯行後の客観的状況



被告人が立ち去った後の本件現場の状況
本件現場の南西角付近に,被害者が,頭を西側,足を東側に向けて仰向けに倒れており,
被害者の頚部付近の着衣には短い包丁がひっかかっていた。
また,
倒れた被害者の上半身の周囲に,長い包丁が折れた状態で散らばっていた。被害者の周囲の床面には大量の血溜まりがあった。本件現場の西壁には,低い位置に多く血液が付着しているものの,高い位置にはほとんど血液が付着していなかった。
また,
西壁の床面からの高さ約43cmから約50cmの位置には,
弧線状の深さ約2mm,幅約1mmに満たない鋭利な傷跡があった。その他,南側システム棚,北側の診察台等にも血液の付着があった。



被害者の状態
被害者の解剖を実施した証人Eによると,事件後の被害者の状態は以下のとおりであった。
被害者の頭部,顔面及び頚部には合計12か所,両手掌には合計14か所,その他胸腹部等には合計7か所の損傷があった。
致命傷となったのは左下顎の左から右方向に向かう水平の哆開創(傷口のある傷をいう。)(長さ約4.5cm,刺創管長約7.0cm,前創角が鋭,後創角が鈍,左内頚静脈及び左外頚動脈を切断している。)であり,その他,前頚部左側に右壁側胸膜に向かう哆開創(長さ約5.7cm,刺創管長約8.0cm,耳側が鋭,気管前壁を切断している。)があった。被害者の肺には血液
が吸引されており,被害者が前頚部左側を刺された後に複数回の深い呼吸をしたことがうかがわれることから,被害者が前頚部左側を刺されてから,左下顎付近を刺されるまでに,相当の間隔があったものと考えられる。
また,被害者の左手には,手掌を貫通した哆開創を含む防御損傷が3か所あり,右手にも1か所の防御損傷があった。被害者の左上腕前部にも哆開創があった。
被害者の全身の出血状況等を踏まえると,傷が浅く,出血量を判定できない2つの損傷を除けば,左下顎付近の哆開創が最後の損傷であると考えられる。⑶

推認される犯行状況


被害者の防御回数
被害者の左手掌の貫通した哆開創は,手根骨の間に存在し,骨を傷つけていないことから,左手掌の正面から刺されたものとうかがわれ,振り回された包丁がたまたま当たったものではなく,被害者が自己の身体を包丁から守る際にできたものと認められる。また,左手掌の哆開創を含む左手の3か所の傷が同時にできるということは考えられないから,被害者は,少なくとも3回,包丁の攻撃を左手で防御したものといえる。


頚部の哆開創の形成状況
本件犯行は,全体で40秒ほどの間に行われたものであり,被害者が前頚部左側を刺されてから左下顎付近を刺されるまでに複数回の呼吸をするだけの間隔があったことからすると,被害者は,本件犯行の間の遅くない時点で前頚部左側を刺され,最終盤において左下顎付近を刺されたことが認められる。そして,前頚部左側と左下顎付近の両哆開創を生じさせた刃の向きがほぼ180度逆であり,挿入方向にもずれがあることからすると,これらの創傷が同一の体勢で連続的に形成されたとは考え難く,前頚部左側の哆開創が形成されてから被害者が左下顎付近を刺されるまでに,被告人が包丁を持ち替え,あるいは被告人及び被害者の体勢が変わるなどの状況の変化があったものと認められる。
さらに,被告人が持参した長い包丁が,本件現場で折れていること,倒れた被害者の頚部付近に短い包丁がひっかかっていることを考えると,被害者の左下顎付近に刺さったのは,短い包丁であると認められる。

致命傷を受けた際の被害者の体勢
致命傷である左下顎付近の哆開創は,被害者の左内頚静脈及び左外頚動脈を切断しており,被害者が致命傷を受けた際には,相当量の血液が飛び散ったものと考えられる。そして,本件現場西壁の高い位置にはほとんど血液が付着しておらず,その他周囲の高い場所にも血液の付着が多くないこと,他方で西壁の低い位置及び西壁付近の床面に大量の血液が付着していることからすると,被害者は,致命傷を受けた際,立位ではなく,低い体勢で,頭部が西壁付近の床面に近い場所にあったものと推認される。
また,被害者が上半身を前方に傾けた状態で致命傷を受けたのであれば,前に倒れるのが自然であり,被告人との攻防に疲弊し,既に相当の傷害を負っている被害者において,頚部に致命傷を受けた後,大きく動いたり,大きく後ろに反り返り,仰向けに倒れたりするということは考え難い。
そうすると,被害者は,致命傷を受けた際,本件現場の西壁付近で,頭部を西側に向け,仰向け又はこれに近い状態にあったものと合理的に認められる。

以上によれば,本件犯行の際,被告人は,素手で防御する被害者に対し,包丁で複数回の攻撃を加えたこと,被害者の前頚部左側を刺した後,ある程度の時間が経過し,その間に被告人が包丁を持ち替え,あるいは被害者及び被告人の体勢が変わり,その後,被告人は,本件現場南西付近で頭部を西側に向け,仰向け又はこれに近い状態になっていた被害者の左下顎付近を短い包丁で刺したことが認められる。
このように,被告人は,積極的に包丁で攻撃を加えている上,既に前頚部左側に深く包丁を突き刺すという被害者の生命への危険を十分感じさせる傷害を負わせた後にも,包丁を持ち替えるか,あるいは体勢を変え,更に攻撃を加え
ている。また,致命傷を負わせた時点で被害者が仰向け又はこれに近い状態であり,被告人が包丁の刺さる部位を認識することが可能な状況にあったものといえる。
3
被告人の犯行後の言動



関係各証拠によると,被告人は,被害者を刺した際又はその直後,本件現場で「こんで終わりだ」,「俺も懲役行くわ」などと言葉を発し,B歯科の受付で「逃げも隠れもせんわ」などと述べ,被害者の救命措置等をとらずにB歯科を去ったことが認められる(なお,被告人は,本件現場での「こんで終わりだ」という言葉につき,これを述べたのは被害者である旨供述するものの,頚部等を多数刺されている被害者が,咄嗟に「こんで終わりだ」と述べることは考え難い上,被害者は当時既に気管前壁を切断され,明瞭な声を出すことはできなかったことを踏まえると,被告人の当該供述は信用できず,被告人の言葉であると優に認められる。)。



そして,このような言動からすると,被告人において,被害者の頚部に包丁が刺さることは想定の範囲内であったというべきである。

4
総合判断
以上からすると,被告人の殺意が強く推認される。

5
被告人の供述



被告人の公判廷における供述内容は次のとおりである。
被告人は,被害者を脅かして謝罪等させようと思い,包丁2本を取り出し,左手に長い包丁,右手に短い包丁を持った。すると,被害者が後ずさりして本件現場南側に頭を向けて転倒し,被告人も被害者の足にひっかかり,本件現場南側に頭を向けて転倒した。
その後,被害者が,床に仰向けになった被告人に正面から覆いかぶさり,左腕を被告人の首の右背面に回すように入れて,被告人の上半身をロックしてきた。このとき,被害者は,被告人から見て,正面よりもやや右側にずれた位置
におり,被告人の右手の可動域は制限されていた。
被害者は,被告人が左手に持っていた長い包丁を奪い,右手に持って,被告人の顔に近づけてきた。被告人は,被害者に包丁で刺されると思い,左腕を前に出してガードするとともに,右手に持った短い包丁をやみくもに五,六回振り回したところ,包丁が被害者の左頚部に命中した。その間,被害者が,被告人の右手の包丁を奪おうとしたことはなかった。


信用性判断


前記被告人供述によると,被害者の頚部の2か所の哆開創は,被告人及び被害者がほぼ同じ体勢にある状態で,
ある程度連続的に形成されたことになるが,
これは被害者の両哆開創の刃の向きが正反対であることと整合しない。また,被告人の述べる経過によると,被告人と被害者とが攻防の際に,立位で向き合うことはなかったことになるが,これは前記信用できるD証言に反する。
さらに,被告人の述べるような体勢で,被害者が,被告人の上半身をロックし,被告人の右腕の可動域を制限した上で,被告人の左手から包丁を奪って,被告人の顔に近づけるということが可能であるかにつき疑問がある。そもそも,
突如包丁を持ち出された被害者において,逃げずに,両手に包丁を持っている被告人に覆いかぶさり,被告人の右手の包丁に対する防御を一切行わず,奪った包丁を被告人の顔面に近づけるという行動に出ることは考え難い。その上,被告人は,捜査段階から,被害者を刺した状況等について供述を変遷させており,当公判廷においても供述内容を二転三転させている。このような一連の供述態度からすると,被告人において,真に記憶に基づいて,体験を語っているものとは考えられない。
以上によると,前記被告人の供述は信用できない。


これに対し,弁護人は,D証人が「警察」などという被害者の言葉を聞いた際,どたばたという音を聞いていること及び本件犯行後被告人の左頬等に合計
3か所の切創があったことが,被告人の供述に整合する旨主張する。しかし,これらは,被告人の述べる経過,状況でなければ説明できないものではない。
6
結論
以上より,被告人に殺意が認められる。

【法令の適用】

【量刑の理由】
1
事件そのものに関する事情



犯行態様及び結果
被告人は,防御する被害者を包丁で多数回刺した上,最後には被害者の首に対し強い殺意を持って刺しており,その態様は極めて危険かつ残忍なものである。そして,被害者の死亡という重大な結果が生じている。被告人から無理な要求を受けたにもかかわらず,追い返すことなく,本件犯行の直前まで説明を繰り返し,解決策を提案するなど誠実に対応していた被害者には何の落ち度もない。それにもかかわらず,突如として本件凶行を受けた被害者の痛みは大きく,その無念さは想像を絶する。被害者家族の悲しみも大きく,その悲しみと苦しみは今日においても全く癒えることがない。被害者の家族が被告人に対し,最大の刑罰を求めることも至極当然である。



計画性
被告人は,B歯科に包丁を持って行ったのは,被害者を脅して謝罪等させるためであり,被害者を刺すためではない旨述べる。
これにつき,被告人が,本件犯行の2日前に被害者に対し慰謝料を要求し,その返答期限が本件犯行日であったこと,被告人と被害者の本件犯行日の会話の冒頭では金銭に関するやり取りがあることを考えると,B歯科を訪れた被告人の主たる目的は金銭を得ることにあったと認められる。そして,被害者を刺すと被告
人は金銭を得られなくなること,本件犯行日の午前中に被告人が他の歯科医院に赴き,治療を受け,次回予約をしていることを併せ考えると,被告人が,B歯科に赴く際,被害者を刺すことを確定的に計画していたとまでは認定できない。しかし,他方において,被害者を脅すためだけであれば,包丁は一本で足り,二本持参する必要はないこと,本件犯行直前,被告人が被害者に包丁を示しながら脅す言葉を述べたことはないこと,犯行直後に被告人が前記のような言動をとっていることからすると,
被告人において,
被害者を刺すことをも想定した上で,
包丁を持参したものと推認するのが相当である。
したがって,被告人が被害者を刺すことを確定的に計画してB歯科に赴いたとまで認められないものの,選択肢としては想定した上でB歯科に赴いたものと認められる。


経緯,動機
本件犯行は,被告人が歯の痛みに苦しみ,不便な思いをしていたことに端を発しており,それ自体は同情の余地がないわけではないが,それを踏まえたとしても,大学病院の治療を受ける等他の適切な解決策を講じず,思い通りにならないことから怒りに任せて本件凶行に及んだという動機及び経緯は,被告人の知能水準の低さを考慮しても,なお強く非難されるべきである。



そうすると,本件犯行は,刃物を用いた殺人(単独犯,被害者1名)の中で,重い部類に属するというべきである。

2
事件そのもの以外に関する事情
被告人は,当公判廷において謝罪の言葉を述べるものの,本件犯行につき不合理な弁解に終始しており,事件と真摯に向き合う姿勢は全くうかがわれず,その反省は表面的なものにとどまる。また,被告人は懲役前科3犯があるにもかかわらず,本件犯行を敢行しており,規範意識の低さは顕著である。

3
そこで,上記1の事件そのものに関する事情に,上記2の事件そのもの以外に関する事情をも併せて考慮し,主文の刑を量定した。

よって,主文のとおり判決する。
(検察官の求刑―懲役22年,弁護人の量刑意見─懲役10年(傷害致死罪を前提として),被害者参加人弁護士の量刑意見─死刑)
平成30年1月31日
岐阜地方裁判所刑事部

裁判長裁判官


裁判官


裁判官

森木藤芳胤由紀香太
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