判例検索β > 平成29年(く)第20号
事件番号平成29(く)20
裁判年月日平成30年3月12日
法廷名福岡高等裁判所  宮崎支部
結果棄却
戻る / PDF版
平成29

20号

再審開始決定に対する即時抗告申立事件
決定主文
本件即時抗告を棄却する

第1


抗告趣意等

本件即時抗告の趣旨及び理由は,鹿児島地方検察庁検察官検事平野大輔作成の「即時抗告申立書」及び福岡高等検察庁宮崎支部検察官検事内田武志作成の「意見書」に各記載のとおりであり,これに対する反論は主任弁護人作成の「ⓐ事件における即時抗告審の審理のあり方」,「再審請求審における新証拠の明白性の判断方法」,「意見書」,「訂正申立書」,「意見書(2)」及び「意見書(3)」に各記載のとおりであるから,これらを引用する(以下,略語等については,本決定で新たに定めるもののほか,確定審及び旧再審請求審における旧証拠の証拠番号の例も含めて原決定別紙「参照語句一覧表」等の原決定の例による。なお,同一覧表記載の各鑑定の書面作成者ないし供述者については,適宜「鑑定人」ないし「証人」と称することがある。)。
論旨は,要するに,原決定は,新規性又は明白性が認められないⒶ鑑定及びⒷ・Ⓒ新鑑定についてこれらをいずれも肯定し,総合評価の手法を誤り,新旧証拠の総合評価においても個々の証拠の評価について誤った判断をして確定判決の事実認定に合理的な疑いが生じたと認定した点において,いずれも失当であるから,原決定を取り消し,本件再審請求を棄却する決定を求める,というものである。
第2
1
当裁判所の判断
はじめに

当裁判所は,①Ⓑ・Ⓒ新鑑定については明白性が認められない,②Ⓐ鑑定について新規性を肯定した原決定には誤りがない,③Ⓐ鑑定について明白性を肯定した原決定は,その証明力を不当に低く判断している点において一部賛同できず,かつ,確定審の有罪判決を支える証拠関係を的確に把握していないことに起因して新旧証拠の総合評価について俄かに賛同し難い説示がみられるものの,Ⓐ鑑定がその立証命題に関連して確定審の有罪判決を支える証拠関係に及ぼす影響を踏まえると,Ⓐ鑑定は,確定審で取り調べられた旧証拠等一切の証拠(原審第2回進行協議期日における鴨志田祐美弁護人の口頭での釈明(主任弁護人作成の平成27年11月10日付け上申書を引用したもの)によって本件についても援用された,Ⓓの第1次再審及び第2次再審並びに請求人の第1次再審(いずれも即時抗告審を含む。以下,特に断らない限り,「第1次再審」とは即時抗告審を含むⒹの第1次再審の,「第2次再審」とはいずれも即時抗告審を含むⒹの第2次再審及び請求人の第1次再審の総称である。)において提出された証拠も含む。以下同じ。)と総合評価することにより確定審の有罪判決における事実認定につき合理的疑いを抱かせる証拠に当たるといえるから,その明白性を肯定した原決定は結論において誤りがない,④以上の次第で,検察官の所論は一部採用できるものの,結局論旨は理由がないことに帰するから,本件即時抗告は棄却すべきであると判断した。以下,その理由を説明する。
2
Ⓑ・Ⓒ新鑑定の明白性判断について

所論は,原決定の明白性判断は,Ⓑ・Ⓒ新鑑定の証明力について何ら具体的根拠を示さずにこれを認めている点,Ⓑ・Ⓒ新鑑定の機能に関して過大評価をしている点,Ⓑ・Ⓒ新鑑定の内容に関して過大評価をしている点,仮に鑑定内容に一定程度の信用性が認められたとして
も確定審の判断に影響を及ぼすものとはいえない点においていずれも不合理であり,Ⓑ・Ⓒ新鑑定はⒺ供述の信用性判断を肯定した確定審の事実認定に合理的な疑いを容れるものではなく,明白性の要件を欠いている,という。
そこで検討すると,原決定は,①「Ⓑ・Ⓒ新鑑定の内容」について,その鑑定手法,分析結果を要約した上で,「Ⓔの本件各目撃供述には,体験記憶に基づかない情報が含まれている可能性が高く,その信用性評価においては,これらの結果を十分に考慮し,慎重な判断をする必要がある。」とした上,②供述そのものの科学的な分析の結果得られた非体験性兆候等は,司法の場での総合的な信用性判断に際して有意な情報として利用することができること,裁判員裁判においては心理学的な供述評価は裁判官と裁判員が実質的に協働して評議を行うための共通の土台やツールの一つとなり得るものであることの2点を根拠に,Ⓑ・Ⓒ新鑑定は,その鑑定手法や鑑定内容に不合理な点がなければ,Ⓔの供述の証明力を減殺させるだけの証明力を有するものとし,③これを踏まえて,Ⓑ・Ⓒ新鑑定の鑑定手法,鑑定内容の合理性を検討し,鑑定手法自体が不合理とはいえないこと,検察官が鑑定内容について合理的でない旨主張するところはⒷ・Ⓒ新鑑定の証明力を明白に弾劾するものではなく,Ⓑ・Ⓒ新鑑定の証明力を大きく損なうような不合理な事情は存しないことから,Ⓑ・Ⓒ新鑑定は,供述心理学の専門家によるⒺの供述の分析として一定程度の合理性を有し,Ⓔの供述の信用性を判断する資料の一つとしてみた場合,十分な証明力を有するものと評価し,④以上によれば,Ⓑ・Ⓒ新鑑定には,本件犯行を直接又は間接的に立証し,共犯者の自白を補強する証拠であるⒺの供述の証明力を減殺させるだけの証明力が認められると結論付けたものである。

しかし,そもそも原決定も前記①で説示するとおり,Ⓑ・Ⓒ新鑑定は,裁判所が司法的観点から行う,他の諸証拠や関連事実を含む総合的な評価による供述の信用性判断に当たり,心理学的見地から非体験性の兆候等をチェックするという視点を提示し,これを踏まえて慎重な検討を行う必要性を裁判所に留意させ,もって十分な信用性判断を行うよう促す機能を有するにすぎないから,その証明力が肯定されたからといって,直ちに供述の信用性が減殺される関係にはない。現に,Ⓑ・Ⓒ新鑑定自体が,その鑑定の意義について,供述の品質確認を行い,その品質が低いということが確認されたとしても,そのことによって非体験供述の有無が確定できるものではなく,最終的に非体験供述の有無は司法の場で総合的に判断してもらう必要がある旨,繰り返し強調しているところである。それにもかかわらず,原決定は,前記②において,Ⓑ・Ⓒ新鑑定が,供述の信用性判断に際して有意な情報として利用でき,評議のための共通の土台やツールとして活用できることのみを理由に,その鑑定手法や鑑定内容に不合理な点がなければ,Ⓔの供述の証明力を減殺させるだけの証明力を有するものと評価しているのであるから,その判断は,論理に飛躍があり,かつ,何ら合理的根拠を示さない不合理なものといわざるを得ない。
なお,原決定は,裁判員裁判における評議の在り方についても言及するのでこの点についても付言する。原決定は,供述の心理的評価が裁判官と裁判員が実質的に協働して評議を行うための共通の土台やツールの一つとなり得ると指摘するが,これをⒷ・Ⓒ新鑑定の場合について検討すると,同鑑定は,供述の信用性判断において,心理学的見地から非体験性の兆候等をチェックするという視点を提示し,これを踏まえて慎重な検討を行う必要性を裁判所に留意させ,もって十分な信用性判断を行うよう促す機能を有するというものであるから,同鑑
定においても強調されるように「供述の品質確認を行う」という趣旨に限定して適切に用いられる場合は,その内容が合理的で科学的根拠を有するものである限り,裁判員裁判において一定の意義を有するものと考えられる。しかしながら,現時点において供述心理学を用いた供述の信用性に関する鑑定手法と鑑定結果の評価方法について異論のないほどに確立しているとは言い難い状況であるから,鑑定内容が科学的根拠に基づいた合理的なものといえるか否かは,個別に評価していく必要がある。その上,「供述の品質確認」と供述の信用性判断とは相当部分において重なるものであり,両者を峻別することは困難であると言わざるを得ないから,本来的には「供述の品質」という心理学的特性は,他の事情と相まって信用性判断をするための一事情と位置付けられるものと考えられるが,ともすると心理学の専門家である鑑定人の意見が信用性判断の結論に直接に結びつくものとして過大に受け取られる危険性があることは否めない。現に,Ⓑ・Ⓒ新鑑定においても,Ⓔの供述につき,「体験記憶に基づかない情報が含まれている可能性が無視できないほどに高い」と信用性判断についての結論を先取りして示唆したものとも受け取られかねない鑑定意見が述べられているのであり,上記の危険性が顕在化しているものといえる。裁判員裁判においては,専門家である裁判官と国民から選出された裁判員とが,市民としての常識に基づいて自由闊達な議論により慎重に検討した上で結論を導くべきものであるが,心理学者により専門的知見に基づいて非体験的兆候が見られた,あるいは見られないとの鑑定意見が述べられた場合に,その鑑定手法や鑑定内容に不合理な点がない以上は,専門家の判断を尊重すべきであるとして,供述の証明力につき,その程度が明らかにならないままに減殺ないし増大するということを前提とした評議が行われるようになれば,専門家の意見ということで
その結論のみが先行して,信用性判断の評議に不適切な影響が及ぶという懸念を払拭することはできない。したがって,このような鑑定につき,科学的根拠を有する合理的なものといえるか否か検討する必要があることは当然であるが,それが肯定されたとしても,裁判員裁判において用いるのであれば,その取扱いについては,相当に慎重な検討がなされる必要がある。
この点を措くとしても,Ⓑ・Ⓒ新鑑定は,公開の法廷で実施された逐語の供述調書を対象とするものではなく,捜査段階の供述調書を対象とした上で,Ⓔと他の事件関係者とのコミュニケーションにおいてⒺの反応の不自然な欠落や行為の不在等をもって非体験性兆候である明らかなコミュニケーション不全と評価したことを主たる根拠として,Ⓔの目撃供述には体験記憶に基づかない情報が含まれている可能性が高く,Ⓔの目撃供述の信用性評価においてはこの点を十分に考慮しつつ慎重な判断を行うことが必要であると結論付けるものである。同鑑定は,

供述そのものの内容の変遷に注目

するものであり,Ⓔが捜査官に対して供述すること自体を躊躇したとか,嫌がったとか,そういう個人の内面を分析することは避けるというスタンスであり,例えばⒺが一部の出来事を隠そうとして供述した場合にもその前後の出来事のみが語られる事態が生じ得るが,推測で考えると色々なことが考えられてしまうので,そのような点は検討せずに,今回は供述調書として残っているもので分析を行ったものである,

供述調書には本人の語った内容が本人の言葉に近い形で相当程

度適切に録取されているという前提で鑑定しているので,供述調書に現れていないことをもって供述人が供述をしていないといえるかどうかは鑑定のフォーカスの外にある,

そのような前提は,何らかの根

拠に基づいて判断したというものではなく,前提として定義したとい
うことである,

供述調書に記載されている内容の中に非体験性兆候

がないのか,ということを考えるので,Ⓓから口止めされていたというⒺ供述のような外在的条件は鑑定のフォーカスに入っておらず,外在的条件と供述の間にどういう整合性があるかということは検討していない,というのである。そうすると,Ⓑ・Ⓒ新鑑定は,鑑定人が設定ないし定義した前記の限られた各前提条件の下での分析結果にすぎないのであり,これを具体的なⒺ供述の信用性判断にそのまま当てはめることができないことは論を俟たないから,相当程度に限定的な意義を有するにとどまるものといわざるを得ない。この点,Ⓑ・Ⓒ新鑑定は,その追加鑑定において,供述調書の性質に由来する様々な見えにくい部分を相殺するような分析の手法を追加的に行う必要があるとして,すべての供述調書を参照し,警察官調書でも検察官調書でも同じような兆候が見られるとか,特殊な事情が起こったときにその事情が反映しない形で安定して供述が同じパターンで見られるなどの点を確認した,これによって様々な問題が相当程度相殺できるのではないかと考えている,というが,これも

を前提として設

定ないし定義した上で,供述調書の記載内容のみを検討し,すべての供述調書を対象に分析しても当初のⒷ・Ⓒ新鑑定の結論と同じ結論が導き出せたというものにすぎず,前記の本質的な問題点は何ら解決されておらず,依然として前記の限られた各前提条件の下に分析されたものという点では同様であり,相当程度に限定的な意義を有するにとどまるものといわざるを得ない。
また,Ⓑ・Ⓒ新鑑定の信頼性については,同様の手法を用いてⒻ,Ⓖ,Ⓗの公判供述を分析したとするⒷ・Ⓒ旧鑑定との整合性も指摘せざるを得ない。すなわち,Ⓑ・Ⓒ

心理学的供述

評価の基本類型のうち,供述自体が持つ特徴に着目した供述分析の代
表的手法として,内容的特徴を分析する「CBCA」,変遷パターンを分析する「供述分析」,文体的特徴を分析する「スキーマ・アプロは,CBCAについては,適切な
手法で得られた供述の逐語記録が利用できること,供述分析については,同一事項について繰り返し聴取された供述調書が利用できること,スキーマ・アプローチについては,供述の逐語記録が利用できること鑑定人の得意な手法を用いる
ということではなく,供述資料の状況に応じて特定のもの,若しくはそれを
Aに関しては,きちんとした聞き方で取られた体験の語りを分析することが大前提の方法であり,聞き方に誘導等が含まれていると供述者が影響されてしまうので,基本的には使えないが,供述調書等をCBCAの基準で判断して,もしかするとこの部分に何か問題があるかもしれないという探索の手掛かりに使うことは可能であるので,補助的
跡できる程度の充実した供述調書がないと本格的な分析ができないところ,Ⓕ,Ⓖ,Ⓗについては,供述調書が一定量存在するものの,本格的な供述分析を行うに足るほどの量はないが,変遷パターンの分析を行って,そこで見られる注目すべき兆候というものを更に深めて,別の方法で検討していくという探索的な分析として副次的に用いるこⒻ,Ⓖ,Ⓗの供述の最も大きな特徴は,公判廷で自白が
行われているということであり,公判廷の自白というのは非常に重要な情報源であり,本人の生の言葉でいかに犯行体験を語っているのかということが最も精緻に分析できるタイプの資料であり,このような逐語記録の自白の分析において一番有用な方法がスキーマ・アプローチである,

スキーマ・アプローチの手法を使用するには,供述者に

よって体験の説明が一定量なされており,かつその逐語記録が利用可能であることが必要であるところ,公判廷での自白についてスキーマ・アプローチの手法を使用する場合,本件の確定審の事例が最低限のレベルであり,Ⓕ,Ⓖ,Ⓗの場合は分析可能な程度に具体的なことを供述しているので分析が可能であった,とされている。スキーマ・アプローチが,供述の文体的特徴を分析対象とするものである以上,その分析を利用するには供述者の語り口を正確に把握する必要があると考えられるから,供述の逐語記録が利用可能であることが必要になるとの説明は合理的といえる。この点は,請求人の第1次再審即時抗告審において平成25年11月14日に実施されたⒷ証人の尋問において前記のとおり説明されているのみならず,専門雑誌に平成17年6月14日に受理された同人らの論文(原審弁10)においても,「供述者と尋問者のコミュニケーションを逐語的に記録した資料が不可欠である」とされているところである。ところが,Ⓑ・Ⓒ新鑑定は,平成27年6月27日に作成された鑑定書以降,当初鑑定においては逐語記録でないⒺの検察官調書を分析対象とし,追加鑑定においては逐語記録でないⒺの警察官調書も分析対象に加えて,スキーマ・アプローチの手法を用いて分析したというのであるが,なぜ「逐語記録が必要不可欠であるはずの鑑定手法」を「逐語記録でない供述調書」の分析に用いたのかという点については,スキーマ・アプローチの開発当初は逐語記録が必要であったが,変遷分析も取り入れた分析技術の向上により現在では供述調書についても応用可能となった旨説明するにとどまっている。しかし,前記のとおり専門雑誌に平成17年6月14日に受理された論文において逐語記録が必要不可欠であると説明し,平成25年11月14日に実施されたⒷ証人の尋問においてもこれと同旨の説明をしていたのに,それから平成27年6月27日に鑑定書
を作成するまでのごく短期間に,スキーマ・アプローチという分析手法の核心部分を根底から変えるほどの分析技術の向上が得られたとする合理的根拠は何ら示されていない。むしろ,当初鑑定においては,単に検察官調書が最も分量が多く充実しているという理由で,検察官調書を対象とした分析を実施し,原審裁判長から,検察官調書は検察官が起訴する上で重要と考えた部分の供述を要約して録取するものであり,そこに供述が記載されていないからといって供述人が供述していないことにはならないのではないかという趣旨の補充尋問を受けたことを契機として,初めて警察官調書も含むすべての供述調書を対象とした追加鑑定を実施したという原審の審理経過をみても,Ⓑ・Ⓒ新鑑定は,逐語記録がほとんど得られないⒺの供述を分析するという目的を達成するために,消去法的にⒺの検察官調書を分析対象として選択し,従前の見解に従えばスキーマ・アプローチの手法に適さない分析対象であったのに,その分析手法を用いるについて科学的かつ合理的な根拠を十分に示さないまま強引に当てはめて実施した結果,Ⓑ・Ⓒ旧鑑定において開陳していた鑑定手法の信頼性との整合性を失い,当初鑑定のみではその信頼性を維持できなくなったために追加鑑定を余儀なくされたものである疑いが強く,鑑定としての信頼性に欠けているといわざるを得ない。
以上のとおり,Ⓑ・Ⓒ新鑑定は,その鑑定手法及び鑑定内容も不合理といわざるを得ない。原決定の前記③の説示は,単に検察官が主張するⒷ・Ⓒ新鑑定の不合理性についてその主張は採用できないということを説示することに終始しており,Ⓑ・Ⓒ新鑑定が十分な信頼性を有する合理的な鑑定であるとみるべき根拠は何ら説示されておらず,スキーマ・アプローチによる供述心理学鑑定の根幹部分に関わる前記問題点を看過したものというほかなく,不合理である。

なお,後述するとおり,確定審がⒻに対する殺人,死体遺棄被告事件を有罪と認定した証拠関係は,Ⓕ,Ⓖ及びⒽが公訴事実を認めており,Ⓔの各供述調書も含めてこれらが大筋において符合していることから相互に各自白を補強し合うと共に,確定審判決が「証拠の標目」に挙示した証拠から認定できる客観的状況から推認できる事実関係及び客観的証拠とも大筋において符合することから,これらが各自白の補強証拠になると同時にその信用性を担保しているものと解されるのであり,仮にⒷ・Ⓒ新鑑定がⒺの各供述調書における供述の信用性を減殺されるだけの証明力を有しており,このために信用性の減殺されたⒺの各検察官調書における供述を旧証拠から除外したとしてもなお,これによって前記客観的状況はいささかも動揺せず,かつ,大筋においてこれと符合することから信用できるⒻ,Ⓖ及びⒽの各自白の信用性を大きく減殺させる関係にもないから,これを新旧全証拠と総合評価をしたとしてもⒻが有罪であることに合理的疑いを容れるものでもない。
このように,Ⓑ・Ⓒ新鑑定は,およそ「無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠」に当たらないから,新規性の所論については検討するまでもなく刑訴法435条6号所定の証拠に当たらないというべきである。所論は理由がある。
3
Ⓐ鑑定の新規性について

所論は,Ⓐ鑑定には,鑑定資料,鑑定手法及び知見,実質的内容のいずれを見ても何ら新規性がないことが明らかであるから,Ⓐ鑑定の新規性を肯定した原決定は誤りである,という。
そこで検討すると,原決定は,鑑定内容が従前の鑑定と結論を異にするか,あるいは結論は同じでも鑑定の方法又は鑑定に用いた基礎資料において異なる等証拠資料としての意義,内容において異なると認
められる場合は刑訴法435条6号にいう「あらた」な証拠に当たると解するのが相当であるとした上で,Ⓐ鑑定については,いずれもその新規性を認めることができると判断している。原決定がいかなる理由でⒶ鑑定の新規性を肯定したのかについて,上記説示からは必ずしも判然としないが,おそらくは,Ⓐ鑑定がⒾ旧鑑定と結論を異にしているものと認められると判断したか,あるいは,たとえ結論は同じでも鑑定の方法又は鑑定に用いた基礎資料において異なる等証拠資料としての意義,内容において異なるものと認められると判断したものと解される。
この点,証拠の新規性とは,確定審における証拠の未判断性をいうものであり,確定審で取り調べられた鑑定(旧鑑定)によって裁判所に補充された専門的知見が確定審の判断においてどのように用いられたのかを検討した上で,再審請求審で新たに請求された鑑定(新鑑定)がこれと実質的に異なる専門的知見を裁判所に新たに補充するものであるか否かを検討すべきものであるから,原決定が,このような検討を経ることなく,およそ形式的に結論を異にする鑑定でありさえすれば常に証拠としての新規性が肯定されるとの見解に立っているとするならば,俄かに賛同し難い。
もっとも,Ⓐ鑑定は,Ⓘ旧鑑定の解剖所見と解剖時の写真等の資料を参照しながらも,Ⓘ旧鑑定において言及がないために確定審では全く検討されていなかった出血性ショック死の可能性を推定する内容である上,死因究明においては死体解剖所見に加えて遺体の発見状況及び死亡前の行動の分析が必須であるとの前提に立って,死体解剖所見に加えて遺体の発見状況や死亡前の行動も総合的に分析した上で一定の科学的推論を導く内容となっているところ,Ⓙ鑑定においても,法医学鑑定というのはあくまでも科学的推論であって,死体所見のみで
確定的に診断できるものもあれば,状況を含めて窒息であると推定できるものもあり,このような状況も含めた一番の蓋然性を明らかにすることを目的とするものであるというのであるから,本件のように死因鑑別に必要な所見に乏しい死体に関する法医学鑑定の場合には,解剖所見を出発点として重視しつつも,その周辺事情としての死体の発見状況や死亡前の行動分析も科学的推論の基礎事情としての価値を相対的に増すものと考えられる。Ⓘ旧鑑定は,腐敗の著しいⓀの死体を解剖した結果,断片的に得られた死体所見を基に,他に著しい所見がないという消去法的考察によってⓀが窒息死したものと推定し,その原因として頸項部に作用した外力を想像し,仮にそうであるならば他殺ではないかと想像したものであるから,Ⓘ旧鑑定の解剖所見にみられるその他の所見を出発点として,Ⓘ旧鑑定が鑑定資料として考慮していなかったⓀの転落事故という頸部に作用した外力の原因となり得る死亡直前の有意な状況を新たに加えて,改めてⓀの死因を検討した結果,Ⓚの死因は頸部圧迫による窒息死ではなく転落事故による出血性ショック死の可能性が高いとするⒶ鑑定は,鑑定に用いた知見及び基礎資料の点においてⒾ旧鑑定と実質的に異なる新たな鑑定というべきであり,これにより確定審の裁判所が判断の基礎としなかった事故死の可能性という専門的知見を裁判所に新たに補充する証拠と位置付けられる。よって,Ⓐ鑑定は刑訴法435条6号所定の「あらた」な証拠に当たるといえるから,これと同旨の判断を含むものと解される原決定の判断に誤りがあるとは認められない。
所論は,Ⓐ鑑定が,Ⓘ旧鑑定の評価のために第1次再審及び第2次再審で提出された累次の法医学者の所見と,鑑定資料の点においても,その分析のための専門家としての特別な知見の点においても,何ら新規性を有していないというが,刑訴法435条6号所定の「あらた」
な証拠とは,確定審段階で実質的に判断の基礎とされた証拠であるか否かで判断されるべきものであるから,実質的にみて刑訴法447条2項により再審請求が制限されるべき証拠に該当する場合であるならば同条項に反することを理由に不適法な主張とされることがあり得ることは別論として,単に旧再審請求審において提出された鑑定と実質的に同じ鑑定であることを理由に証拠の新規性が否定されることはない(なお,所論は,このような観点から,Ⓐ鑑定の証明力に関する原決定の判断は,旧再審請求審において提出された鑑定と実質的に同じ鑑定であると評価したものにほかならないから,そのような証拠を刑訴法435条6号所定の証拠と認めて再審を開始することは,刑訴法447条2項に反すると主張する部分もみられるが,後述するとおり,原決定は,Ⓐ鑑定の証明力を不当に低く評価している点において誤りがあり,その証明力を正当に評価すれば刑訴法447条2項の問題は生じ得ない。この点に関する所論は前提を欠くから,失当である。)。所論は,Ⓐ鑑定がⒾ旧鑑定との関係でも新規性が認められないとして縷々主張するが,いずれも当審の前記説示と異なる前提に立つものであるから採用できない。
所論は理由がない。
4
Ⓐ鑑定の明白性について
検察官の主張について

所論は,Ⓐ鑑定の明白性を肯定した原決定の判断は,①弁護人らが原審では一貫してⒶ鑑定の立証命題を「Ⓚの死因が頸部圧迫による窒息死ではないこと」と設定し,主張立証を尽くしていたのに,その立証命題を離れ,新たな異なる立証命題を裁判所が独自に設定し得るとするのは公平に悖り,不合理である,②Ⓐ鑑定の証明力を否定し,Ⓐ鑑定によっても死因が窒息死であるとした確定判決の認定は揺らがな
いと結論付けながら,単に旧証拠の証明力の程度を減じたとして新規明白な証拠に当たり得るという判断枠組みは,再審請求審における審理の構造に反する,③そもそもⒾ旧鑑定は頸部圧迫による窒息死との所見を示したものではないから,「Ⓘ旧鑑定が何を根拠に頸部圧迫による窒息死と判断したのか不明である」との原決定の判断は前提となるⒾ旧鑑定の評価を誤っているし,Ⓘ旧鑑定は窒息死を積極的に示す所見がないことを前提に消去法で窒息死を推定したものにすぎないから,窒息死を積極的に示す所見がないというⒶ鑑定によってⒾ旧鑑定の証明力が減殺されることもない,として,Ⓐ鑑定の明白性を肯定した原決定の判断は不合理である,という。
そこで検討すると,所論①については,刑事裁判において,証拠の証明力をどのように評価するかは元来裁判所の自由心証に委ねられているのであり,当事者にとって不意打ちとなるような評価をする場合にはあらかじめ反証の機会を与えるべきで,このような機会を与えないまま当事者の設定した立証命題と全く異なる評価をすることは適正手続の観点から許されないといえる場合があり得るとはいえても,当事者の設定した立証命題に拘束され,これと異なる評価をしてはならないものとはいえない。これを本件についてみると,本件再審請求書には,「Ⓐ鑑定の最大の意義は,本件死体に死斑・血液就下が認められないことから,確定判決の死因である『頸部圧迫による窒息死』を否定したことである。」(再審請求書別紙本文11頁)と記載され,さらに,「確定判決が認定した殺害方法(頸部圧迫による窒息死)であれば(これを示す所見を認めるはずであるのに)本件遺体にはいずれの所見も認められないため確定判決が認定した殺害方法と矛盾する」というのがⒶ鑑定の要旨の一つであり,これが,「確定判決が本件死因を『頸部圧迫による窒息死』と判断した根拠となる旧証拠である,
Ⓕ,Ⓖ,Ⓗの犯行供述,及び,Ⓘ鑑定書の証拠価値をいずれも減殺する」(同11ないし13頁)とも記載されているのだから,窒息死を積極的に示す所見がないというⒶ鑑定がⒾ旧鑑定の証明力を減殺する証明力を有するものであると判断した原決定が,検察官にとって不意打ちとなるような証拠評価をしたものとはいえない。所論①は失当である。
所論②については,原決定が,確定審の証拠関係におけるⒾ旧鑑定の位置付け及びその証明力を検討した上で,Ⓐ鑑定がⒾ旧鑑定の証明力を減殺するだけの証明力を有するものと判断し,仮にⒶ鑑定が確定審において提出され,Ⓘ旧鑑定の証明力が減殺されていた場合でもなお,死因が窒息死であるとした確定判決の認定は維持し得るのかどうかという観点でⓀの死因を検討した部分を論難するものと解される。確かに上記の点に関する原決定の認定判断は後記のとおり首肯し難いものではあるが,原決定は,Ⓐ鑑定によっても死因が窒息死であるとした確定判決の認定が揺らがないと結論付けた上でⒶ鑑定が新規明白な証拠に当たり得ると判断しているわけではないから,所論②は前提を欠いており,失当である。
所論③については,原決定は,Ⓘ旧鑑定の位置付けとして,「窒息死であることを積極的に認定できるだけの証明力はない」としつつ,「Ⓘ鑑定人が,解剖医として直接遺体を解剖した上で,医学的見地から,窒息死以外の死因を排除し,窒息死であることを強く推認しているものであることからすれば,窒息死であることを推認させるだけの証明力はあった」と説示し,また,「Ⓘ旧鑑定は,頸部に外力が作用した可能性を指摘しているところ,直接遺体を解剖し,遺体の所見を取った上で,医学的見地から意見を述べていることからすれば,頸部に外力が作用したことを推認するだけの証明力はあった」と説示して
いる。その上で,原決定は,Ⓐ鑑定の証明力について,「頸部圧迫による窒息死であることを積極的に認定できる所見がないという限度では信用できる」と説示し,「窒息死であることを積極的に認める所見がないということは,Ⓘ旧鑑定が何をもって窒息死と推認するのかその根拠が薄弱であることを示しており,信用性を低下させるという意味で,その証明力を減殺している。」とし,また,「Ⓘ旧鑑定が頸部に外力が作用したとしている点についても,これを積極的に示す所見がないのであるから,頸部圧迫との鑑定結果の信用性は低下しており,Ⓕ及びⒼの自白との関係でも,Ⓘ旧鑑定がこれらを積極的に裏付けるものとはならないという意味で証明力を減殺している」として,「新証拠であるⒶ鑑定には,Ⓘ旧鑑定の証明力を減殺させるだけの証明力が認められる」と結論付けたものである。しかしながら,原決定の上記説示自体,Ⓘ旧鑑定が,窒息死であることを積極的に認める所見に基づいて窒息死と推認したものではなく,窒息死以外の死因を排除することにより消去法的に窒息死を推認したものであることを前提とするものであるから,Ⓐ鑑定の証明力を「頸部圧迫による窒息死であることを積極的に認定できる所見がない」という限度で肯定する限り,Ⓐ鑑定はⒾ旧鑑定と同旨の鑑定内容ということになり,Ⓘ旧鑑定をいささかも左右しない。のみならず,Ⓘ旧鑑定は,死体の腐敗が著しいために損傷の有無,程度等が判然としないこと,死体の内外に外力の作用した痕跡を認めること,凶器の種類,成傷方法は判然としないことを指摘した後で,「死因において,他に著しい所見を認めませんので,窒息死を推定する他はありません。」と鑑定しているのであるから,Ⓘ旧鑑定が死因につき窒息死と「推定」した根拠は「他に著しい所見を認めなかった」ことであると明確に示されている。さらに,原決定は,Ⓐ鑑定の証明力について検討する上で,Ⓘ旧鑑定が「頸部圧
迫との鑑定結果」を示したものであることを前提に,「頸部圧迫との鑑定結果の信用性が低下した」と説示するが,原決定自身,Ⓘ旧鑑定については「頸部に外力が作用したことを推認するだけの証明力があった」と説示しているにすぎず,「頸部圧迫との鑑定結果を示したもの」とは説示していないのだから,元々Ⓘ旧鑑定に存在しない鑑定結果を想定した上で,当該鑑定結果の信用性が低下したからといって,Ⓘ旧鑑定の証明力が低下するものともいえない(そもそもⓀの死体所見としてⒾ旧鑑定が指摘する頸椎体前面の組織間出血が,過伸展,過屈曲,回転等を頸部に生じさせ得る,転落や追突等の頸部に対する外力の作用によって生じた可能性が高いという点はⒶ鑑定も前提としているのであって(原審弁13等),Ⓐ鑑定が,原決定のいうⒾ旧鑑定の「頸部に外力が作用したことを推認するだけの証明力」を低下させるものとも認め難い。)。原決定は,Ⓘ旧鑑定の内容を正解せず,Ⓘ旧鑑定の死因に関する証明力の問題と当該鑑定等に基づく確定1審判決の事実認定の問題を混同した結果,実際には存在しないⒾ旧鑑定の結果を想定し,それをⒶ鑑定が減殺したと評価し,これによりⒾ旧鑑定の証明力が低下したと評価したものであるが,実際には原決定のいう「証明力低下後のⒾ旧鑑定」とはⒾ旧鑑定が元来有していた証明力をいうものにほかならない。原決定は,このような証拠関係において,確定1審判決が認定したような頸部圧迫による窒息死という事実を認定し得るのかどうかを検討するものであるが,このような判断は,形式的にみればⒾ旧鑑定の証明力を減殺していないものを減殺したものと評価している点において不合理な判断といわざるを得ず,その結果として,特段の新証拠もないままいたずらに確定審の心証形成に立ち入る判断をしているものと何ら異なるところがない判断に至ったものと評価せざるを得ない。このような原決定の判断は再審請求の枠組み
を逸脱するものであって許されないから,是認できない。所論③は理由がある。
以上のとおり,Ⓐ鑑定の証明力を「頸部圧迫による窒息死であることを積極的に認定できる所見がない」ことをいう限度で肯定する限り,Ⓐ鑑定はⒾ旧鑑定の証明力を左右するものとはいえず,たとえそのような鑑定が確定審において提出されたとしても,確定審の認定判断はいささかも動揺しないから,Ⓐ鑑定の明白性を肯定することは困難といわざるを得ない。
もっとも,再審請求審の審理対象は,刑訴法435条6号所定の
「無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠があらたに発見されたとき」に該当するか否かという点にあるから,再審請求を受けた原審裁判所は,弁護人らが提出したⒶ鑑定が「無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠」に該当するか否かを判断するのであり,事後審としての即時抗告審の審査も,Ⓐ鑑定が「無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠」に該当するとした原決定の判断の当否を対象とするものである。仮に原決定が新証拠の証明力を不当に低く評価し,そのように低く評価した証明力を前提とした場合には明白性を肯定できないという結論に至った場合,原決定の認定判断が不合理であるからといって直ちに原決定を取り消すべきであるとすると,正当に評価した証明力を前提とすれば明白性を肯定し得る新証拠であるにもかかわらず,当該新証拠が刑訴法435条6号所定の「無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠」に該当しないとする判断が確定してしまい,同一の理由によっては再審請求をすることができない(刑訴法447条2項)とされていることと相まって,当該新証拠が明白性を有する新証拠であるとの正当な評価を得られる機会が失われることにもなりかねず,著しく不当であるから,このような見解を採用するのは相当でない。再審請求審の審
理対象が前記のとおりである以上,当審が事後審として審査すべき対象は,あくまでも当該新証拠を同号所定の証拠と認めた原決定の判断の当否であり,当審においては,当該新証拠を同号所定の証拠と認めた原決定の判断の当否を事後的に審査するため,原審において弁護人らが主張した新証拠の証明力を一部認めず,限定的な証明力を認めるにとどめた原決定の判断の当否についても改めて審査すべきであり,その結果,証明力に関する原決定の判断が不合理であることが判明すれば,これを是正した上,正当な証明力を前提に,改めて当該新証拠がその立証命題に係る旧証拠の証明力をどの程度弾劾し,これが確定審における証拠関係に照らして確定審の認定判断を揺るがすものといえるかどうかを検討し,その結果,確定審の認定判断に合理的疑いを容れる程度の証明力を有する証拠であることが確認できれば,当該新証拠を同号所定の証拠と認めた原決定の判断は結論において誤りがないと判断すべきである。この理は,原決定が当該新証拠を同号所定の証拠と認める理由として,原審において弁護人らが主張した新証拠の証明力を一部認めず,限定的な証明力を認めるにとどめたのに対し,当審において弁護人らが再審開始決定に対する検察官からの即時抗告申立てを審査する当審に対して迅速な決定を求めるため,事後審であることに徹すべきであると強調する余り,原決定において弁護人らの主張が排斥された部分も含めてその判断のすべてを正当なものとして追認する態度を示した場合であっても変わりはない。上記のような判断が,事後審としての抗告審の性質に反するものとは解されないし,検察官も,当審において,単に所論③のような原決定の論理則違反や再審制度の枠組み違反を主張するだけでなく,Ⓐ鑑定の証明力に関する原決定の判断の当否を論じた上で,これを正当な評価であるとする原審と同旨の意見を改めて述べているから,検察官にとって不意打ち
となるものでもない。そこで,以下においては,Ⓐ鑑定の証明力について改めて検討した上,その結果を踏まえてもなお,Ⓐ鑑定の明白性を肯定した原決定の判断に誤りがあるといえるか否かという観点から更なる検討を加えることとする。
Ⓐ鑑定の証明力について

Ⓐ鑑定の要旨は,①「頸部圧迫による窒息死」と診断する
には,頸部圧迫所見(外表所見として圧痕,蒼白帯,顔面(圧迫部上方)鬱血,内部所見として筋肉内出血,上頸部リンパ節鬱血,舌骨・甲状軟骨骨折)及び窒息所見(心臓血暗赤色流動性,眼瞼結膜等溢血点,臓器鬱血)が認められ,かつ,他に死因となるべき損傷,疾病を認めないことを示す必要がある,②頸部圧迫所見の外表所見のうち,圧痕と蒼白帯は判然としないこともあるが,顔面(圧迫部上方)鬱血は必ず生じる,鬱血は腐敗の影響によって黒くなる,③頸部圧迫所見の内部所見のうち,筋肉内出血は,経験上必ずと言っていいほど生じ,法医学成書でも大部分生じるとされており,かなり腐敗が進んだ状態でも腐敗の影響を受けない,④上頸部リンパ節鬱血は,しばしば生じるが,腐敗の影響によって分かりにくくなる,⑤舌骨・甲状軟骨骨折は,中年以降の男性の場合,発生頻度が高く,かなり腐敗が進んだ状態でも腐敗の影響を受けない,⑥窒息所見は,窒息の古典的三徴候であるが,内因死・外因死を問わず,窒息以外の急死例にも多くみられ,腐敗の影響によって分かりにくくなる,⑦死斑(血液就下が皮膚表面から見えている状態)は,重力に従い死後毛細血管内を血液が低位部に移動することにより生じる現象であり,腐敗の影響によって黒くなる,⑧出血していた場合は死斑が出ないから,経験的に白っぽい死体を見たら出血死を疑うのが通常である,⑨死後の腐敗が生じる機序として,腸内の細菌が外に広がることにより盲腸付近から緑色の変色が
広がるものや,血液の中で増殖した細菌が血管の走行に従って広がっていく腐敗血管網がある,⑩腐敗は,血液のある部分から進行し,血液が少なければ腐敗の進行が抑えられる,腐敗の影響により,血管周辺が緑色・赤褐色から黒味を帯びた変色が広がるが,白くなることはない,外表の死斑が腐敗の影響で見えにくくなることはあるが,その場合でも内部を調べれば血液就下は分かるはずである,⑪以上を前提にして,腹臥位で遺棄されていたというⓀの死体所見を検討すると,遺体の前面と後面にほとんど差がなく全体的に白っぽいこと,顔面に鬱血がないこと,特に前頸部については,遺体の腐敗が全体的に進んでいるとはいえ腐敗の影響を余り受けずに済んでいると思われる部位であるのに,圧迫部の上方が外表のみならず筋肉内部まで白っぽいこと,頸部筋肉内出血の所見がないこと,肋骨周辺の右胸筋肉内出血を除く胸筋ないし肋間筋が血液に乏しい白っぽい色を呈していることから,頸部圧迫による窒息死とみるには矛盾があり,出血死が強く示唆される,⑫仮に頸部圧迫によって窒息死させた死体をうつ伏せで遺棄したという確定1審判決の認定事実のとおりであったとするならば,Ⓚの遺体には,圧迫部上方と顔面の鬱血,低位部の顔面,前額部,前胸部の死斑,血液就下を必ず認めるはずであり,これらは腐敗により黒くなることはあっても白くなることはなく消えることもないのに,Ⓚの顔面,前頸上部,胸部外表,前頸部・胸部内筋肉はどう見ても白っぽく見えること,顔面・陰部の膨隆,腐敗による表皮剥脱は認めるものの腐敗早期に認める腐敗血管網が認められないのは血管内に血液が乏しいからと考えられること,左鎖骨上,右胸筋の出血は明瞭であり,このようなものが明瞭であることを考えると頸部筋肉内出血が明瞭でないはずがないことから,確定1審判決の認定事実と死体所見は全く矛盾している,⑬Ⓚの遺体には,死斑・血液就下を認めず,白っ
ぽい死体であることから,死因として出血性ショックの可能性を検討すると,右胸筋・肋間筋出血,肋骨骨折,右鎖骨下出血,前胸壁肋間筋出血,右後胸壁・胸椎体前出血の所見から胸部右側をかなり強く打撲したことが明らかであること,上行結腸から横行結腸に移行する部分が黒く見えるのは腐敗でなく出血の可能性があること,右側胸部,右側腹部,右側腰部,右前腕伸側に各皮下出血があるもののその表皮に挫創や表皮剥脱がないことなどから,胸腹部右側を凹凸の少なく,広く,硬くない鈍体で打撲したことを推定でき,Ⓚの発見状況などから考えると,土手に衝突したとして矛盾しない所見といえる,口と両耳に侵入していた泥土の存在,両下腿の著しい皮下出血,自転車の損傷の存在も考慮すると,何かに衝突したときに下腿の内側同士が激しく当たったか,あるいは自転車の車体と下腿が当たったことが推定される,以上を踏まえて検討すると,Ⓚは,身体の右側を土手に激しく衝突し,前記の出血や骨折などが発生している部位において,見えているもの,見えていないものも含めて,大量の出血が起こり,それにより出血性ショックに陥ったものと考えられる,⑭Ⓚの右胸腹部,腰部の変色は,深層に,肋骨骨折による胸壁出血,腎損傷による後腹膜下血腫,骨盤骨折による骨盤腔軟部組織出血,腰背部に皮下・筋肉内出血等の存在を示唆するので切開すべきであるのに,Ⓘ旧鑑定においては切開されていない,⑮Ⓘ旧鑑定が頸部圧迫の根拠とした頸椎体前出血の所見は,頸椎過伸展,過屈曲,捩じり等によって生じるものであって頸部圧迫によって生じるものではなく,自転車運転中,車に追突されて投げ出されたか,路外に飛び出して頭部・顔面が土手に衝突したか,路外に飛び出して頭部に力を入れ,あるいは無理な力が加わったかして,その後,体の右側が土手に衝突した際に生じたものと推定される,⑯以上を要するに,頸部圧迫による窒息死ならば,圧迫部
上方や顔面の鬱血を必ず認め,頸部筋肉内出血を大半に認め,腹臥位で遺棄された場合には体前面に死斑・血液就下を認め,腐敗が進むと鬱血,死斑,血液就下は黒くなるはずであるから,これらの所見をすべて欠くⓀの遺体は,タオルで頸部を全力で絞めて殺したとする確定判決の認定事実と矛盾する,頸椎体前出血を唯一の根拠として頸部圧迫による窒息死と鑑定したⒾ鑑定人は根拠の誤りを自ら認めている上,外傷による死亡の可能性を除外できないので,Ⓘ旧鑑定は誤りである,死斑,血液就下,腐敗血管網を認めず,体の右側に打撲によると推定される広範な出血を認めるⓀの死因は,農道上の発見状況も勘案して,出血性ショックによる死亡の可能性が極めて高い,というものである。イ
Ⓐ鑑定のうち,出血性ショック死の可能性を検討する際,

仮にそのような所見が存在すれば当然に指摘があるものと思われるのにⒾ旧鑑定において解剖所見として記載されていない肋骨骨折,右後胸壁・胸椎体前出血の存在を,Ⓘ鑑定人が解剖時に見落としたものと決めつけて解剖時の写真のみから認めた点,及び,Ⓘ旧鑑定において腐敗であると明言されているのに,写真の色調のみを根拠に,上行結腸から横行結腸に移行する部分が黒く見えるのは腐敗でなく出血の可能性があるとした点は,いずれも不合理な判断といわざるを得ないが,その余の指摘はいずれも専門家としての合理的な推論と認められ,上記の不合理な判断部分が存在することを割り引いて考慮してもなお,Ⓚの死因につき窒息死と推定し,頸項部に作用した外力により窒息死したと想像したⒾ旧鑑定が誤りであるとし,タオルで頸部を力いっぱい絞めて殺したとする確定判決の認定事実とⓀの解剖所見は矛盾するとし,Ⓚの死因は転落事故等による出血性ショック死の可能性が高いとした結論部分は十分な信用性を有するものといえる。
すなわち,Ⓐ鑑定人は,豊富な経験と専門的知見を備えた法医学者
であり,その推論過程は,信頼性に疑いのない法医学成書の記載及び自己の実践例に沿うものである。判断資料として,前記のとおり一部にはⒾ旧鑑定と矛盾する前提に立つ部分が見られるものの,枢要部分において,Ⓘ旧鑑定において指摘されている解剖所見を前提とするか,あるいはⒾ旧鑑定において指摘がないもののこれと矛盾することなく解剖時の写真から明白に認められるものを前提とした判断がなされており,十分な客観性,信頼性を有している。その内容も,頸部圧迫による窒息死と鑑別するための法医学の知見を踏まえて,Ⓚの解剖所見はこれらをすべて欠いているとし,その際,Ⓚの遺体が全体的に著しく腐敗していることを前提としつつも,腐敗の発生機序,Ⓚの遺体の所見及び発見状況を踏まえて比較的腐敗の影響を免れている部位に着目し,これと遺体全体に見られる所見との整合性を検討しており,さらに,解剖所見を出発点として重視しながら,それにとどまることなく,その周辺事情としての遺体の発見状況や死亡前の行動分析も総合して,科学的推論として一定の見解を示しているのであって,専門的知見に基づく合理的な見解と評価できる(なお,複数の法医学者が同じ解剖時の写真を見てそれぞれ異なる所見を述べるということは実務上まま見られることではあるが,写真に現れる情報量は実際の遺体から得られる情報量と比べて相当程度劣ることは否定し難いというべきであり,色調の微妙な差異にとどまることなく写真上一見明白に認められるものであるとか,解剖医が後に自ら所見を訂正した等の特段の事情でもない限り,写真では明瞭に区別し得ない微妙な色調の違い,臭気,質感等の豊富な情報を直接得た上で一定の所見を示した解剖医の見解と異なる遺体所見を述べる法医学者の意見を措信することは相当でないから,Ⓐ鑑定のうち,Ⓘ旧鑑定において一定の解剖所見が示されている部分について,これと異なる所見を前提とする部分は採用
できない。この理は,たとえ原決定のいうようにⒾ旧鑑定と矛盾する所見を述べるⒶ鑑定のうち肋骨骨折の存在についてはⒿ鑑定と一致しているとしても,異なるものではない(もっとも,Ⓙ鑑定は,写真上は肋骨骨折に見えるものの,解剖時の手技で肋骨を折ってしまうことがあり,当初から肋骨骨折が存在したのかは不明であるとしているにすぎず,必ずしもⒶ鑑定と一致する所見を示しているともいえな
い。)。)。

これに対し,原決定は,Ⓐ鑑定が,①遺体には頸部圧迫に
よる窒息死の所見がない,②遺体には死斑,血液就下,腐敗血管網を認めない,③遺体の損傷状況から出血死(事故死)の可能性がある,として,これら遺体の状況は頸部圧迫による窒息死と矛盾すると結論付けているものと整理した上で,上記②及び③の点について,㋐本件遺体に死斑・血液就下があるとはいえないことは認められるが,本件遺体は相当程度に腐敗しているから,本件遺体に死斑・血液就下がなかったとも認めることはできない,そもそも死斑・血液就下が認められれば窒息死,認められなければ出血死ということが論理必然であるということまではいえず,それぞれその可能性が高いというにすぎない,よって,死斑・血液就下があるという所見が認められないことをもって,直ちに窒息死と矛盾する,あるいは出血死であるということはできない,㋑遺体の損傷状況について,本件遺体は相当程度腐敗しているから,Ⓘ旧鑑定に記載のない出血があったと目視で判別することは困難であり,直接目視できない部分に出血があると推定することは合理的根拠に欠ける,肋骨骨折があったとしても死因と密接に結び付くほど重度なものであると考えることは困難である,その余の出血はその原因となる腎損傷や骨折等が認められない,よって,出血死の原因となるような臓器の損傷や出血があったと考えることはできず,
死因が出血死であることを推認することもできない,㋒そうすると,出血死は単なる可能性にすぎず,これによって死因を窒息死と推定したⒾ旧鑑定の証明力を減殺するものではない,と判断した。また,上記①の点について,㋓本件遺体について頸部筋肉内出血の所見が認められないことは認められるが,腐敗により色調が変化するなどして出血の判別が困難となることは十分考えられるから,頸部筋肉内出血がないと断定することは困難である,そもそも頸部圧迫により頸部筋肉内出血が必ず生じるということもできない,よって,本件遺体に頸部筋肉内出血の所見が認められないことをもって,頸部圧迫による窒息死と矛盾するということはできない,㋔本件遺体について,舌骨・甲状軟骨骨折の所見がないこと,これらが腐敗の影響を受けにくい所見であることは認められるが,頸部圧迫があればこれらが必ず生じるとまでは断定していないこと等から,本件遺体にこれらの骨折の所見がないことをもって,頸部圧迫による窒息死と矛盾するとはいえない,㋕本件遺体において顔面等の鬱血の所見が認められないことが直ちに頸部圧迫による窒息死と矛盾するとはいえない,㋖そうすると,Ⓐ鑑定の指摘する,頸部圧迫による窒息死であることを示す所見が認められないことにより頸部圧迫による窒息死であることと矛盾するということまではいえない,と判断した。

Ⓐ鑑定は,「頸部圧迫による窒息死ではなく,出血性ショ

ック死と断定できる」と判断しているわけではなく,原決定が指摘するとおり,それのみでは,確定審の事実認定に合理的疑いを生じさせるに足りる程度に至るほどの証明力を有するものでない。
しかしながら,刑訴法435条6号所定の「無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠」に該当するか否かの判断に当たり,このように新証拠の証明力を孤立評価し,それ自体として確定審の事実認定に対し
て決定的な矛盾を突きつけるものである必要は必ずしもない。すなわち,新証拠の立証命題に関連する旧証拠が,確定審の事実認定の基礎とされた証拠関係(旧証拠)を踏まえて,旧証拠全体の中でどの程度主要なものとして位置付けられているのかを確認し,これが新証拠によってどの程度弾劾されるものかを検討し,これにより,当該立証命題に関連する旧証拠に基づいて直接的に認定された事実関係の存否の判断,間接的に推認された事実関係の存否の判断,あるいはこれらを補助事実として信用性判断が行われた証拠の信用性判断にどのように影響するのかを検討した上,このようにして検討の対象とされた事実関係の存否の判断や証拠の信用性判断に対する影響を踏まえて,当該新証拠とその立証命題に関連する旧証拠(旧再審請求審において提出されていた新証拠も含む。)を再評価し,その結果,新旧全証拠の総合判断によりⒻを有罪と判断した確定審の事実認定自体を動揺させて合理的疑いを生じさせるに足りるものと評価できるならば,当該新証拠は,たとえそれ自体を孤立評価した場合には確定審の事実認定に直ちに合理的疑いを生じさせるほどの証明力を有しないとしてもなお,刑訴法435条6号所定の「無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠」に該当するというべきである。原決定のⒶ鑑定に対する証明力評価は,Ⓐ鑑定によってはⓀの死因が頸部圧迫による窒息死と矛盾するとまでは断定できず,出血死を推定するのも可能性を指摘するものにすぎないとして,Ⓐ鑑定の証明力を孤立評価し,これが直ちに確定審の死因の認定に合理的疑いを生じさせるまでの証明力を有しないことを説示するものにとどまり,Ⓐ鑑定によりその立証命題に関する旧証拠がどの程度弾劾されるのか,弾劾された旧証拠の確定審の事実認定における位置付けも踏まえて,その立証命題に関連する旧証拠に基づいて認定された事実等にどのような影響があるのか,さらにはその検討結果
を踏まえて,新旧証拠を再評価すると確定審の事実認定にどのような影響があるのか,といったことに関する検討が行われていない。そうすると,原決定は,刑訴法435条6号所定の「無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠」といえるか否かを判断する上で必要な検討判断を欠いているといわざるを得ない。

具体的な原決定の判断内容も,以下に説示するとおり,前

記イで説示したⒶ鑑定の証明力に対する的確な批判になっておらず,到底賛同し得ない。
前記ウ㋐の説示について
Ⓐ鑑定は,死斑・血液就下が認められれば窒息死,認められなければ出血死ということが論理必然であるとするものではなく,それぞれその蓋然性が高いことを前提として,これを考慮要素の一つとしているにすぎない。死斑・血液就下があるという所見が認められないことをもって,直ちに窒息死と矛盾するとか,出血死であるなどということはできないことはⒶ鑑定も前提としているものと解される。
なお,原決定は,本件遺体に死斑,血液就下がみられないとするⒶ鑑定を論難するに当たり,本件遺体が相当程度腐敗していることを挙げ,具体的には,①本件遺体は,いわゆる巨人様外観を有していること,腹部が著しく膨隆し,陰嚢も新生児頭大に膨隆していること,頭髪が容易に脱落し,陰毛はほとんど脱落していること,手掌面,両足の皮膚が手袋のように剥離していること,腸管が著しく膨隆していること,肺,胃,膀胱に腐敗気泡を認めること,②Ⓙ鑑定によれば,腐敗が進行して表皮がめくれた状態であれば白っぽく見えることもあることが指摘されており,真皮が白いことから腐敗が軽度であるとはいえないこと,③皮膚の色が変色しているのみならず,臓器についても腐敗によりその性状が不明となっていること,④これらに照らせば腐
敗が表皮にとどまっていると考えることも相当でないこと,⑤したがって,堆肥内に遺棄された本件遺体の皮膚が腐敗等の死後変化により死斑の存否が判別できなくなったことはもちろん,筋肉等も腐敗の影響により血液就下の存否が分からなくなった可能性は否定し難い,という。
しかし,前記①については,Ⓐ鑑定は,本件遺体が全体的に相当程度腐敗していることは前提とした上で,腐敗の影響を受けて判別困難となる所見,腐敗の影響を受けてもなお判別可能な所見を分けて検討しているのであって,前記①はⒶ鑑定の信用性を左右しない。「Ⓐ鑑定が法医学的見地から相当でないこと」を立証趣旨として採用されたⒿ鑑定人も,あたかもⒶ鑑定が本件遺体について全体的に腐敗の程度が軽度であると判断したものであるかのような前提で,そのような判断は誤りであるという趣旨の証言を繰り返すにとどまり,原審裁判官の補充尋問に対し,本件遺体は全体的に中等度から高度の腐敗が進んでいる,もっとも,腐敗がかなり進行している部分もあれば,それほど進行していない部分があったとしてもおかしくない,特に腐敗が進行しているとはっきり言えるのは顔面,腹部膨隆,足の皮膚,表皮が一部残って茶色っぽく見えている部分,腰部の変色であると証言しており,仔細に見ればその内容はⒶ鑑定と大差ない。
前記②については,Ⓐ鑑定は,仮に死斑,血液就下があったとすれば当該部分は腐敗の影響を受けて黒くなるはずであり,外表の死斑が腐敗の影響で見えにくくなることはあるが,その場合でも内部を調べれば血液就下は分かるはずであるとした上で,腐敗の影響で表皮がめくれたⓀの遺体が全体的に白っぽいことは死斑,血液就下がなかったことを示すものであるとするものである。真皮が白いことから血液由来の腐敗は軽度であろうとする説明内容が上記結論を導く根拠となっ
ているわけではない。原決定は,Ⓙ鑑定によれば腐敗が進行して表皮がめくれた状態であれば白っぽく見えることもあることが指摘されているともいうが,Ⓐ鑑定の信用性を検討する上で問題とすべきは,権威ある法医学成書において,死後2日以上経てば大部分体位を変えても動かないとされている死斑,血液就下について,腐敗の影響により表皮がめくれることにより外表から死斑を確認することが困難になるとしても,真皮から筋肉内の深層に至るまで白っぽくなることにより腐敗前に存在した血液就下の痕跡を確認することまでできなくなるのかどうかという点にあるのであって,この点を離れて,一般的に腐敗の影響で真皮が白っぽく見えることがあり得るかどうかを検討しても意味はない。そして,Ⓙ鑑定人は,この点について,「(血液就下の有無まで腐敗によって分からなくなることは)筋肉の状態によってはありますよね。」「腐ってきたらあれぐらいの色はあるから,あれだけをもって白っぽいと言うのは難しいんじゃないですかと。」との抽象的な証言をするにとどまる上,原審裁判官から,腐敗していると死斑と腐敗を区別しにくくなるという証言の趣旨について,黒っぽく見えているところが死斑なのか腐敗なのかを区別しにくくなるということなのか,元々存在していた死斑が腐敗の影響によって薄くなったり消えたり見えなくなったりすることがあるということなのかと確認する補充尋問を受けても,「黒くなった所がもともと血液が多かった,死斑だったのかどうかというのはなかなか断定できない」と証言するにとどまり,死斑として存在していたものが腐敗の影響により薄くなったり消えたり見えなくなったりするとは証言しておらず,更に原審裁判官から,本件遺体に見られるような皮膚の状態で,内部の血液が見えづらくなるというような変化が起きるという風に考えているのかと補充尋問を受けて,「これは私の経験ですけれども,お風呂場で一
定の姿勢を保ったようなご遺体でも,やっぱり腐敗して,一部は緑っぽくなっているけれども,表皮がめくれて白っぽくなっているとか,そういうので,ありますので。」と証言し,重ねて,真皮自体の性質が腐敗によって変化することで中の血液が見えなくなっていくという風に考えるということかという補充尋問に対し,「そういうこともあるのかも。まあ,そこまで調べた研究はありませんけれども,そういうことも一つの事情にあるかもしれません。」との憶測を証言するにとどまる。しかし,Ⓙ鑑定人も,血液が腐敗の影響により黒っぽい色になることは前提としているのだから,法医学者の常識及び科学的知見に照らせば腐敗の影響により黒っぽい色になるはずの血液が,腐敗の影響により白くなることがあるというのであれば,その機序を科学的知見ないしは自身の経験等に基づき合理的に説明すべきであるのに,科学的知見については何ら説明がなされておらず,自身の経験として述べるところも,一般的な法医学成書において死斑が生じにくいとされている溺死体が腐敗の影響により白っぽく見えている事例ばかりに偏っている上,貧血性であれば出血がなくても死斑や血液就下が生じにくいとの見解も開陳しているにもかかわらず死者が貧血性であったのか否かといった検討も欠いており,Ⓙ鑑定人の証言する自身の経験例が,「死斑,血液就下が生じるはずの死体について腐敗の影響により白っぽく見えているものである」とみるべき合理的根拠が見当たらない(なお,Ⓙ鑑定人が原審証人尋問の際に自験例として紹介しているスライドを見ても,梁にロープを掛けて輪を作り首を吊っていた死後4か月前後くらいの腐敗した死体の写真は,顔面が黒っぽく,重力の作用が働いていると考えられる下半身は褐色調から赤色調の変色を強く帯びているように見え,頸部圧迫による窒息死で死後7から10日くらいの高度腐敗状態の死体の写真も,表皮はかなり剥離した状態
であるのに全体的に褐色調の変色が見られ,むしろⒶ鑑定の見解に沿うものになっている。)。さらに,Ⓙ鑑定人は,「腐敗の影響により外表から死斑が分からなくなる場合でも内景を検査すれば血液就下の有無は確認でき,そのことによって死斑の有無も判断できる」旨のⒶ鑑定について,「血液就下の有無は確認できるが,それは血液就下であって死斑ではなく,死斑の有無は分からないのだから,Ⓐ鑑定は日本語がおかしい」旨の指摘をするものの,「血液就下の結果,皮膚を通して外から見えるものが死斑であり,血液就下が確認できたからといって,そこから遡って腐敗する前に外表から死斑が見えたか否かは不明であり,血液就下が認められる死体は死斑が生じる可能性のある死体というのが正しい」「本件遺体の死斑の有無は不詳というべきであり,これは元々あった死斑が腐敗の影響によって分からなくなった可能性と元々死斑がなかった可能性と両方を含むものである。」旨指摘しているのであり,確かにⒶ鑑定の言葉尻を捉えれば日本語としては不正確といえようが,内容に対する本質的批判になっているようには解されない。
前記③については,Ⓐ鑑定は,死後の腐敗が生じる機序として,腸内の細菌が外に広がることにより盲腸付近から緑色の変色が広がるものや,腸内や肺などの細菌が血液中で増殖して血管の走行に従って広がっていく腐敗血管網がある,腐敗は,血液のある部分から進行し,血液が少なければ腐敗の進行が抑えられる,腐敗の影響により,血管周辺が緑色・赤褐色から黒味を帯びた変色が広がるが,白くなることはない,堆肥中に埋没させられていたという本件遺体の状況から,堆肥に接する外表の皮膚も腐敗が進行し,鼻,口,肛門,尿道等の開いている所から細菌が体内に侵入して腐敗が進行した可能性はあるが,表皮はそれ自体が細菌に対する障壁になっていて,本件遺体は腐敗し
た表皮がかなりの部分で剥げているが,中は蒼白なので,堆肥由来の細菌による腐敗はある程度表皮にとどまっているといえるし,これは内部から細菌が表に出てきたという腐敗の仕方ではないし,腐敗血管網という血液の中から体内にいる細菌によって腐敗が広がっていったという現象も認めないから,これらの現象を解釈すると,堆肥の中にいた細菌が表皮に付いてそこで腐敗を起こしたものと考えるのが合理的である,とするものである。このように,Ⓐ鑑定は,肺や腸管等の臓器には元々細菌が存在しているからこのような体内由来の細菌により臓器が腐敗することは前提としつつ,臓器が腐敗するほどの細菌があれば血管の流れに沿って腐敗血管網が広がるはずであるのにこのような現象が生じていないことは腐敗前から本件遺体に血液が乏しかったことを示している,ということを指摘しており,これとは別に,堆肥由来の細菌が,外表において直接接している表皮や,鼻,口,肛門,尿道等の開いている部分から体内に侵入して腐敗を進行させた可能性を指摘している。そうすると,Ⓐ鑑定が,堆肥由来の細菌の作用について,外表において直接接している表皮の腐敗にとどまり,表皮の内部(真皮,筋肉)には及んでいないと判断したことに対し,臓器が腐敗しているから腐敗が表皮にとどまっているとみることはできないとする原決定の判断は,Ⓐ鑑定が体内由来の細菌と堆肥由来の細菌の作用を分けて検討していることを看過し,体内由来の細菌の作用による腐敗の存在をもって,堆肥由来の細菌の作用による腐敗の影響に関する判断を論難するものであって,およそ失当というほかない。
前記④については,その前提となる前記②及び③の説示が失当であるから前提を欠いている。
前記⑤については,これと同旨のⒿ鑑定に合理性が認められず信用性に乏しいことは前記のとおりであり,他に,本件遺体について,筋
肉等の腐敗の影響により血液就下の存否が分からなくなったことをうかがわせる合理的根拠は見当たらない。
前記ウ㋑の説示について
写真に現れる情報量は実際の遺体から得られる情報量と比べて相当程度劣ることは否定し難いというべきであり,色調の微妙な差異にとどまることなく写真上一見明白に認められるものであるとか,解剖医が後に自ら所見を訂正した等の特段の事情でもない限り,写真では明瞭に区別し得ない微妙な色調の違い,臭気,質感等の豊富な情報を直接得た上で一定の所見を示した解剖医の見解と異なる遺体所見を述べる法医学者の意見を措信することは相当でないことは前記のとおりであるが,Ⓐ鑑定は,本件遺体について,死斑,血液就下がみられないこと,臓器が腐敗しているにもかかわらず腐敗血管網を認めないことなど,Ⓘ旧鑑定の所見と矛盾せず,又はⒾ旧鑑定に言及はないものの写真上一見明白に認められる所見を前提に,これらは本件遺体が貧血性であったことを示すものであり,法医学者としては出血死の可能性を疑うべき所見であるとした上で,Ⓘ旧鑑定が所見として明示した頸椎体前面の著しい組織間出血のほか,下腿において著しい皮下出血,右鎖骨下の出血等の体の右側に打撲によると推定される多数の痕跡をも併せて考慮し,農道上の発見状況も考慮して,自転車運転中の転落事故という成傷機序を推定し,このような所見が認められるⓀの遺体には,見えている部分の出血のみならず,このような事故において通常生じ得る骨盤骨折,大腿筋肉内出血等の存在も念頭に置くべきであり,Ⓘ旧鑑定においてはこのように本来であれば解剖して確認すべき部位が解剖されていないこと,黒っぽく見えている部位が出血なのか腐敗性変色なのかが区別しにくくなっていることも踏まえて,見えていない部分にも出血が生じていた可能性が高いことを指摘するもので
ある。これは,Ⓘ旧鑑定の所見と矛盾するものでも,写真では明瞭に区別し得ない微妙な色調の差異について腐敗ではなく出血であるとして結論を導くものでもなく,科学的に合理的な推論と認められる(なお,Ⓐ鑑定のうち,肋骨骨折,右後胸壁・胸椎体前出血の存在を認めた部分,上行結腸から横行結腸に移行する部分が黒く見えるのを出血と認めた部分が措信できないことは前記のとおりであるが,Ⓐ鑑定は,死斑,血液就下がみられないこと,臓器が腐敗しているにもかかわらず腐敗血管網を認めないことを貧血性の根拠となる遺体所見として確認し,遺体の右側に打撲によると推定される多数の痕跡が確認されていること,頸椎体前面の著しい組織間出血が存在すること,農道上の発見状況等も総合して,自転車運転中の転落事故という成傷機序を推定し,このような成傷機序であれば通常生じ得る出血の原因は多数考えられるものの,Ⓘ旧鑑定において解剖すべき部位が解剖されていないこと,黒っぽく見えている部位が出血なのか腐敗性変色なのかが区別しにくくなっていることから,正確な出血の原因を特定することは現時点では不可能となっているとして,解剖された部位に関して可能な限り出血の痕跡とみられる部位を指摘しようとして肋骨骨折等に言及したものと解されるのであって,たとえそのようにして言及された出血の痕跡とみられる部位に関する個々の指摘が採用できないものであったとしても,出血性ショック死の可能性が高いとしたⒶ鑑定の判断の根幹部分には影響しない。)。
原決定は,出血性ショック死の可能性が高いとしたⒶ鑑定の内容をほしいままに分断し,出血性ショック死の可能性を推定した根拠の核心部分である死斑,血液就下については「死斑,血液就下があるという所見が認められないことをもって,直ちに窒息死と矛盾する,あるいは出血死であるということはできない」とのみ説示し,腐敗血管網
に至っては何らの検討もしておらず,このような出血死の可能性を推定するⒶ鑑定の核心部分を除外した上,出血性ショック死とみるべき出血の可能性を指摘する部分について,更に個別に細分化し,個々の創傷部位について単独で出血死の原因となり得るほどの大量出血があったと認めるに足りないものであることを説示するのみで,上半身から下半身に至るまで広範な出血が存したこと,Ⓘ旧鑑定において解剖されていない部位があるため出血の可能性が否定できないことをも根拠とするⒶ鑑定に対する的確な批判になっていない。原決定は,直接目視できない部分に出血があると推定することは合理的根拠に欠けるというが,Ⓘ旧鑑定の解剖が不十分であったことは,Ⓐ鑑定,Ⓙ鑑定の見解が一致しているのみならず,Ⓘ鑑定人自身,第1次再審におけるⒾ新鑑定において,要旨,これほどの頸椎体前面の著しい組織間出血があれば頸椎内部も解剖するところだが,解剖開始時刻が深夜であったため時間のかかる解剖はしなかった,早まったなぁ,本当に,あのときもう少し頸骨のその辺の解剖をしとけば良かったなぁ,などと証言すると共に,Ⓘ旧鑑定において腐敗としていた所見の一部について出血の可能性を示唆する証言をしたことからも明らかというべきであって,Ⓘ鑑定人が現に解剖した部位に関して有意な所見を見落としたとみるのは不合理であるとしても,解剖していない部位に関してⒾ鑑定人が解剖を要しないと判断したこと自体を根拠に仮に解剖していたとしても有意な所見はなかったはずだとみるのもまた不合理であるから,Ⓘ旧鑑定において十分な解剖がなされていないことを根拠の一つとして,自転車運転中の転落事故という成傷機序であれば通常生じ得る出血の原因は多数考えられるとして解剖されていない部位に出血があった可能性を指摘するⒶ鑑定が合理的根拠に欠けるものとはいえない。

前記ウ㋒の説示について
Ⓐ鑑定に対する
原決定の批判はいずれも失当であるから,これを前提として「出血死は単なる可能性にすぎず,これによって死因を窒息死と推定したⒾ旧鑑定の証明力を減殺するものではない」とする原決定の説示はもとより失当というほかない。
また,前記のとおり,Ⓘ旧鑑定は,何らかの積極的な根拠に基づいて窒息死を推定したものではなく,他に著しい所見がないことを理由として消去法的考察によって窒息死を推定したにとどまるのであるから,法医学的根拠に基づき自転車運転中の転落事故による出血死の可能性が推定されるとするならば,Ⓘ旧鑑定の判断の主要な根拠が失われ,元々限定的な証明力しか有しないⒾ旧鑑定の証明力が更に減殺される関係にあるといえる。原決定の説示はこの意味においても不合理である。
前記ウ㋓の説示について
より筋
肉内も色調が変化するなどして出血の判別が困難になったものとみるべき合理的根拠はない。
また,確かに当初提出された意見書(原審弁1)には「頸部圧迫により頸部筋肉内出血が必ず生じる」との表現もみられるが,その趣旨は,「必ずと言っていいぐらい認めますし,教科書的には大部分に筋肉内出血を認めるというようなことが書かれています。」との原審証言によって事実上補正されているのであって,Ⓐ鑑定が字義どおり「頸部圧迫により頸部筋肉内出血が必ず生じる」との前提に立つものとは解されない。Ⓐ鑑定人の自験例において,外表に索条痕や蒼白帯等の圧迫の痕跡が明らかでなかった事例のうち,タオルのような幅の
広い索条体で頸部を圧迫され窒息死したと認められた事例も含めて,6例中5例で頸部筋肉内出血が確認されていること,上記意見書で引用されている複数の法医学成書の「絞頸」の項において,「前頸部の筋肉内出血はかなりの頻度でみられ,むしろ圧迫力が弱い場合にも経過が遷延する結果として出血が明瞭に見られる。」,「舌筋や頸部の筋肉内に出血が生じることが多く,圧迫部の筋肉内などに出血が認められる。」とされていることに照らすと,原決定が指摘するⒿ鑑定を踏まえても,前記補正後のⒶ鑑定の見解に疑義は生じない。
そして,Ⓐ鑑定は,頸部圧迫により頸部筋肉内出血が生じる可能性が高いことを踏まえて,本件遺体に頸部筋肉内出血が認められないことを考慮要素の一つとしてその余の所見と併せた総合的評価により結論を導いているのであって,「本件遺体に頸部筋肉内出血の所見が認められないことをもって,頸部圧迫による窒息死と矛盾する」としたものでもない。
前記ウ㋔の説示について
Ⓐ鑑定は,頸部圧迫により舌骨・甲状軟骨骨折が生
じることがあり,軟骨の柔らかい子供であったり女性であったりすると首を絞められているのに認めないことがあるが,中年以降の男性であれば折れている頻度は比較的高いという見解を前提に,頸部を全力で絞め続けられたとされる成人男性である本件遺体に舌骨・甲状軟骨骨折が認められないことを考慮要素の一つとしてその余の所見と併せた総合的評価により結論を導いているのであって,本件遺体に舌骨・甲状軟骨骨折の所見がないことから直ちに頸部圧迫による窒息死と矛盾するとしたものではない。
前記ウ㋕の説示について
Ⓐ鑑定は,本件遺体において顔面等の鬱血の所見が

認められないことを考慮要素の一つとして総合的評価により頸部圧迫による窒息死と矛盾すると判断したものであって,顔面等の鬱血の所見が認められないことから直ちに頸部圧迫による窒息死と矛盾するとしたものではない。
もっとも,Ⓐ鑑定は,前記意見書に引用された複数の法医学成書において,「鬱血は,溢血点以上に非特異的であり,静脈還流障害による。頸部を圧迫されると,顔面,口唇,舌が赤くなり腫脹する。チアノーゼが生じるまでに,血液は暗赤色となる。頸部圧迫では,圧迫部より上方の舌,咽頭,喉頭に鬱血が強い。鬱血は,しばしば,静脈鬱血が続くと,組織腫脹を伴う。」,「絞頸では顔面の鬱血はほぼ全例に見られる」,「絞頸による窒息死では,頸部・顔面に鬱血・腫脹が必発で,著明といえる。」などとされていることや,頸部圧迫による窒息死の自験例6例中腐敗が高度であった1例を除く5例で顔面鬱血が認められたことなどを根拠に,頸部圧迫による窒息死であるならば顔面(圧迫部上方)の鬱血が強く出るはずであり,仮に本件遺体が頸部圧迫による窒息死の後に腹臥位で遺棄されたのであれば,腐敗の影響を比較的免れている部位である前頸部の圧迫部上方も鬱血し,死斑や血液就下もみられるはずであるのに,本件遺体の前頸部はむしろ圧迫部上方の方が白っぽくなっており,これは頸部圧迫による窒息死としてはあり得ない所見である上,前頸部の浅層,深層共に死斑,血液就下が全く認められないことを総合的評価において最も重視していることがうかがえる。上記判断が十分な信用性を有するものといえることは既に説示したとおりである。
これに対し,原決定は,①Ⓐ鑑定が,その意見書において,腐敗が高度である場合には鬱血の有無についての判別は困難になるとしていること,②Ⓙ鑑定によれば,腐敗した遺体について黒い部分が血液が
多かったと断定できるものではなく,腐敗した遺体では鬱血も分からなくなるとしていること,③腐敗した環境によってその変化は個々であると考えられること,④以上によれば,本件遺体において,顔に鬱血がないと断定することは困難である,⑤加えて,Ⓙ鑑定によれば,頸部圧迫でも,鬱血しない,あるいは鬱血の乏しい場合もあることが指摘されているところ,索条物や力の加え方によっては頸部の血管が圧迫される時間や程度にも違いが生じ,鬱血の有無や程度も様々であると考えられる,という。
しかし,前記①については,指摘に係る意見書の記載を正確に引用すると,「腐敗によって鬱血所見は判別しにくくなるが(資料7,Case1),本件事例の筋肉の腐敗はCase1ほど進んでいない。したがって,頸部を強く圧迫されたとされる本件事例では,それが事実であれば,圧迫部上方の鬱血を認めた可能性が高い。」というものであり,ここでいう「資料7,Case1」とは「資料8」の事例と同一であり,これについては,Ⓐ証人が,原審検察官からの反対尋問に対し,要旨,「資料8」で顔面が黒くなっているのは血液の表れであり,頸部筋肉内出血等の頸部圧迫の所見が明白であることから,頸部圧迫による顔面鬱血に血液就下が複合したものとみることもできるが,他方で,左前顎下部打撲傷や鼻骨骨折など顔面に対する暴行を示唆する所見もあることから打撲による出血の影響も否定できず,顔面が黒いことから直ちに顔面鬱血があったと断定することはできない旨の補足説明を加えているところである。そうすると,前記①の指摘は,「顔面が黒くなっている腐敗死体について,それが血液の影響であることは間違いないものの,鬱血なのか,打撲による出血なのか,血液就下なのかの判別が困難であった事例があった」ことを根拠に,「顔面等の圧迫部上方が黒っぽくなっておらず,むしろ白っぽくなってい
るから,本件遺体の顔面等に鬱血の所見が認められない」とするⒶ鑑定の信用性を論難するものであり,的確な批判となり得ていない。前記②については,指摘に係るⒿ鑑定は,腐敗した遺体が黒っぽく変色している場合に,それが血液によるものであるのかそれ以外の腐敗性変色によるものであるのかを鑑別することが困難であることを指摘するものにすぎず,Ⓐ鑑定の前記判断に何ら影響しない。
前記③については,Ⓐ鑑定は,本件遺体の腐敗した環境を踏まえて,とりわけ前頸部は腐敗の影響を比較的免れていることを重視して判断しているのであり,Ⓐ鑑定に対する批判たり得ない。なお,仮に原決定が,腐敗した環境によって,存在していたはずの鬱血や血液就下など血液由来の痕跡が黒っぽく変色することなく白っぽく変色することがあるということをいう趣旨であるならば,そのような見解を支持する合理的根拠が見当たらないことは前記のとおりである。
前記④については,その根拠として挙げた前記①ないし③がいずれも失当であるから,前提を欠いている。そもそも,前記のとおり,Ⓐ鑑定が最も重視しているのは,堆肥に直接接して腐敗の影響を強く受けていることがうかがわれる顔面ではなく,堆肥と直接接することなく腐敗の影響を比較的免れているとみられる前頸部のうち圧迫部上方の鬱血の有無であり,Ⓐ鑑定はこの点を区別して指摘しているのに,原決定にはこの点について個別に検討した形跡すらみられない。
前記⑤については,原審弁護人が,本件遺体について,「絞頸したとするとまず鬱血が生じるから,その部分の上は鬱血状態で,下は白くなければならない,そういう顕著な差がなければいけないのに,正にここは,その部分を切開していながらそういう顕著な差が認められない。よって,その部分を蒼白帯と判断するのは法医学的にできない」とするⒶ鑑定についての意見をⒿ鑑定人に求め,Ⓙ鑑定人が,「一般
的にそれが新しい死体であれば,全部僕は同意しますけど。」と証言したのを受けて,原審弁護人が,重ねて「古い死体になっちゃうと鬱血なんかも分からなくなっちゃう。」と尋問したのに対し,「鬱血も分からなくなるんじゃないですかね。だって,鬱血するかどうか,鬱血しない首絞めもありますからね。鬱血が乏しい首絞めもあるわけですよね。」と抽象的に証言した部分を指すものと解される。しかし,仮に上記証言の趣旨が,頸部圧迫による窒息死でありながら,顔面等が鬱血しない,又は鬱血の乏しい場合があるというものであるとするならば,前記引用に係る複数の法医学成書において,「絞頸では顔面の鬱血はほぼ全例に見られる」,「絞頸による窒息死では,頸部・顔面に鬱血・腫脹が必発で,著明といえる。」と記載されていることと食い違いがあるから,自験例や文献資料等の科学的根拠が具体的に示されない限り,採用し得ない。それにもかかわらず,原決定は,Ⓙ鑑定人の上記の抽象的証言のみを指摘した上で,「索条物や力の加え方によっては頸部の血管が圧迫される時間や程度にも違いが生じ,鬱血の有無や程度も様々であると考えられる」との見解を付加しているが,Ⓙ鑑定人ですらそのような説明はしておらず,合理的根拠を欠いた独自の見解というほかない。なお,そもそもⒿ鑑定人は,本件遺体は高度に腐敗しているので一般的な頸部圧迫による窒息死の所見は確認できなくなっているという一貫した立場でⒶ鑑定を論難しているのであり,原決定が指摘するⒿ鑑定人の原審証言も,蒼白帯の解釈として鬱血の有無を考慮することについて,新しい死体であればⒶ鑑定の見解に同意するとした上で,これと対比する形で,原審弁護人から,古い死体であれば「鬱血なんか」も分からなくなるのかと重ねて問われたのに対し,それも分からなくなるということを証言する趣旨と解される。そうすると,前記⑤は,一般論としては誤っていないⒿ鑑定の趣
旨を取り違えて解釈した点に誤りがあるともいえる。いずれにせよ,前記⑤は不合理な説示であり,是認できない。
以上のとおり,前記ウ㋕の説示は,十分な信用性を有するⒶ鑑定の説示について,合理的根拠もなくこれを論難するものであって,失当である。
小括
Ⓐ鑑定の信用性を論難する原決
定の説示は,いずれも不合理なものであり,賛同できない。

検察官は,当審において,原決定の前記ウの説示が正当で

あると主張するが,その主張が失当であることは前記オのとおりである。なお,原決定の説示には含まれないその余の主張についても,以下のとおり採用できない。
検察官は,原審で提出していた意見書を援用して,Ⓐ鑑
定には,写真判定という手法自体に問題があり,信用性はそもそも低いと主張する。
確かに,Ⓐ鑑定のうち,写真のみを根拠にⒾ鑑定人の所見と矛盾する所見を示した部分について採用し得ないことは前記のとおりであり,検察官の主張はその限度では正当であるが,これがⒶ鑑定全体の信用性判断にまで影響しないこともまた,前記のとおりであり,上記主張は当審の前記判断を左右しない。
検察官は,原審で提出していた意見書を援用して,Ⓐ鑑
定は,鑑定内容自体に一貫性がなく判断が恣意的であると主張し,具体的には,①前記オ
死体について,意見書では「顔面鬱血など窒息を示す所見は確認できなかった」と記載していたのに,原審証言時には,当初,「かなり黒っぽいですね。これは頸部圧迫による顔面の鬱血を反映しているとい
うふうに考えます。」と証言し,後にその証言を「鬱血,血液就下,あるいは打撲による出血を反映したものだ」と訂正しているが,顔面鬱血等の所見が確認できなかったと指摘する以上は頸部圧迫による窒息死とは判断できないはずなのに,この矛盾が生じた点についてⒶ鑑定人は合理的な説明をしていない,被疑者の供述のみを前提に鬱血でないと判断するのであれば法医学的所見かどうかも疑わしい,上記死体について左前額下打撲傷,鼻骨骨折及び左右多発肋骨骨折を認めながらそれらの損傷を死因から除外する一方,本件遺体については肋骨骨折等の様々な損傷が生じていた可能性を挙げて,その死因が頸部圧迫による窒息死でなく出血性ショックである可能性が高いとする理由が明らかでなく,思考方法が一貫性を欠いている,②Ⓐ鑑定は,本件遺体の死因が出血性ショックであるという結論が先にあり,結論に積極的に働く事情のみを恣意的に抽出,指摘しており,具体的には,出血か否かの所見等に関するⒾ旧鑑定に対する評価が一貫していない,Ⓚは農道で倒れていたところを近隣住民によって自宅土間まで運ばれ,その後死亡し,死後,堆肥内に埋められたことは動かぬ事実であるところ,この事実を死因考察の範囲外としている,死因を考察するに当たり,死体の所見のみならず死者の生前の状況等を勘案するのであれば,死後の状況も勘案しなければ一貫しないはずであり,仮にⓀが事故死したのであればその後何者かがⓀの死体を堆肥内に遺棄したという不自然な経過をたどることになるが,そのような経過についても合理的な説明が必要となるはずであるのに,考察の前提が一貫しない,Ⓐ鑑定は,原審証言に用いたスライド資料の作成について自己の結論に積極的に働くよう作為的に行っている可能性がある,③Ⓐ鑑定は,自験例に対する判断方法が一貫していない,④Ⓐ鑑定は,本件遺体の頸椎体前出血が広範・高度であるのに,頸部筋肉内出血や舌骨・甲状
軟骨の出血がないことから,本件遺体の死因が頸部圧迫による窒息死でない旨指摘するが,頸椎体前出血が広範・高度であることを理由に本件遺体の死因が頸部圧迫による窒息死ではないとの指摘は根拠を欠く,Ⓐ鑑定人自身,「頸部に極めて強い圧迫が加わり,その一環として頸椎体前の筋肉に出血を認めたことが分かる。」などと指摘しており,頸部圧迫により頸椎体前出血を生じることがあることを肯定している,⑤多発外傷に伴う低体温症,用水路転落による救急搬送事例,飲酒の影響による自転車関連損傷,骨盤骨折の危険性について縷々指摘するが,本件においては死因が頸部圧迫による窒息死か出血性ショックかが問題となるのであって,出血性ショックであることを前提にその原因の危険性等を論じても何ら意味はない,⑥Ⓙ鑑定は,本件遺体の腐敗の程度を正確に把握した上,周辺事情に惑わされることなく,死体所見から判断できること,判断できないことを区別して意見を述べており,出血と判断し得るか否かの判断等も一貫しており,意見の根拠となる自験例も本件に即したものであり信用性が高い,という。しかし,前記①については,そもそも本件遺体に関する所見ではなく,その所見を論難することがいかなる意味においてⒶ鑑定の信用性に影響する事情となるのか判然としない。この点を措くとしても,前記オ

Ⓐ鑑定人

が原審で補足説明した内容は前記のとおりであって,顔面鬱血が判別困難であったのは,それが鬱血,血液就下,暴行による出血のいずれであるかが判別できなかったことをいうものであり,いずれにせよ顔面に大量の血液が存在した痕跡を前提としたものであることに変わりはなく,同事例の死体について頸部圧迫による窒息死と推定したのは,頸部筋肉内出血等の頸部圧迫の所見が明白であったからであり,多発肋骨骨折等を認めながら出血性ショック死を死因から除外したのは,
死斑,血液就下がはっきり出ていたからというのであるから,本件遺体に関するⒶ鑑定の思考方法と一貫していないとみるべき根拠は見当たらない。
前記②については,Ⓐ鑑定が,死斑,血液就下がみられないこと,臓器が腐敗しているにもかかわらず腐敗血管網を認めないことを貧血性の根拠となる遺体所見として確認し,遺体の右側に打撲によると推定される多数の痕跡が確認されていること,頸椎体前面の著しい組織間出血が存在すること,農道上の発見状況等も総合して,自転車運転中の転落事故という成傷機序を推定し,このような成傷機序であれば通常生じ得る出血の原因は多数考えられるものの,Ⓘ旧鑑定において解剖すべき部位が解剖されていないこと,黒っぽく見えている部位が出血なのか腐敗性変色なのかが区別しにくくなっていることから,正確な出血の原因を特定することは現時点では不可能となっているとして,解剖された部位に関して可能な限り出血の痕跡とみられる部位を指摘しようとして肋骨骨折等に言及したものと解されることは前記のとおりである。なるほど,Ⓐ鑑定のうち,このようにして可能な限り出血の痕跡とみられる部位を指摘しようとした部分の考察のみを切り出せば,「本件遺体の死因が出血性ショックであるという結論が先にあり,結論に積極的に働く事情のみを抽出,指摘している」ように見えることにはなろうが,これは前記のとおり法医学的に推定された成傷機序を前提として,出血の原因となる傷を探る過程で可能な限りの出血の痕跡を指摘したのであるから,その考察の過程は合理的なものといえ,結論を先取りしたものとはいえない。したがって,前記②の指摘によりⒶ鑑定の信用性は左右されない。また,Ⓐ鑑定のうち,写真のみを根拠にⒾ鑑定人の所見と矛盾する所見を示した部分について採用し得ないことは前記のとおりであるが,そのことが鑑定全体の信
用性を否定するものでないこともまた前記のとおりである。なお,Ⓐ鑑定は,Ⓘ鑑定人が確認をしたことが明らかな所見については写真がなくともその所見を前提とし,Ⓘ鑑定人が確認をしていない部位の所見については写真を見て出血等の可能性を指摘しているのであって,Ⓘ旧鑑定に対する評価自体が一貫していないわけではない。また,後述するとおり,確定審で取り調べられた旧証拠においては,Ⓚが農道で倒れていたところを近隣住民によって自宅まで運ばれ,その後堆肥内に埋められたこと,堆肥内に埋められた時点でⓀが死亡していたことについては,Ⓘ旧鑑定等の客観的証拠や複数の目撃供述等に照らして動かし難い前提事実になっているとはいえるものの,農道で倒れていたⓀが自宅まで運ばれる際に問題なく生存していたことを示す証拠はⓁ及びⓂの供述以外になく,これは確定審ではその信用性が争われず,矛盾する客観的証拠も存在しなかったことから前提事実となっているものにすぎない。仮にⓀが自転車運転中の転落事故による出血性ショックで死亡した可能性が高いというⒶ鑑定の信用性が認められるならば,農道で倒れていたところを近隣住民によって自宅まで運ばれる際にはⓀが既に死亡し,あるいは瀕死の状態であった可能性が相当程度に存在するということになり,その立証命題に照らし,Ⓐ鑑定が確定審において取り調べられていた場合には,これと整合せず客観的証拠の裏付けも欠くⓁ及びⓂの前記供述の信用性は減殺される関係にある。検察官の主張は,新証拠であるⒶ鑑定がその立証命題に照らして影響を及ぼす旧証拠の範囲を正解せず,Ⓐ鑑定によって信用性が弾劾される関係にあるⓁ及びⓂの供述について,これが信用できることは動かし難い前提であるとして新証拠の証明力を否定するものであり,その前提を誤っているから失当である。また,生前の状況のみならず死後の状況も考慮に入れるべきであるとの主張は,一般論としては成
り立つ話であるとしても,検察官が主張するような考察内容が法医学鑑定の範ちゅうに入る考察であるとは解されない。さらに,検察官が主張する原審証言時のスライド資料については,鑑定人の見解を裁判所に分かりやすく説明すると共に不要な刺激等を避けるため,その見解に沿う形で工夫を凝らしたスライド資料を作成し,これに基づいてプレゼンテーションを行うことは,裁判員制度が導入されて以降,鑑定人に対する証人尋問の方法として今日既に定着したものになっていることは当裁判所に顕著な事実であって,鑑定人が,その見解を分かりやすく説明すると共に不要な刺激等を避けるために写真を取捨選別し,これに加工を施したスライド資料を作成し,同資料に基づいてプレゼンテーションを行うことは何ら不当でなく,Ⓐ鑑定の信用性を左右しない。
前記③については,そもそも本件遺体に関する所見ではなく,その所見を論難することがいかなる意味においてⒶ鑑定の信用性に影響する事情となるのか判然としない。この点を措くとしても,検察官の主張は,現に解剖を担当したⒶ鑑定人の所見について,写真にみられる微妙な色調の差異のみを根拠にこれに反する所見を主張するものであって,このような判断の在り方を当審が採用していないことは既に説示したとおりである。
前記④については,Ⓐ鑑定は,頸部圧迫による窒息死と鑑別するためには,他に死因となり得る外傷を除外できる必要があるとの前提に立ち,本件遺体の頸椎体前出血が広範・高度であるのに,頸部筋肉内出血や舌骨・甲状軟骨の出血がないことから,頸椎体前出血が頸部圧迫以外の外力により生起されたことが明らかであるとし,その他の所見等も考慮して,本件のように明らかな外傷所見を多数認める事例においては外傷による死亡の可能性を確実に除外できない限りこれら外
傷以外の原因によって死亡したとはいえないとして,本件遺体の死因が頸部圧迫による窒息死でない旨指摘しているのであって,頸椎体前出血が広範・高度であることを理由に本件遺体の死因が頸部圧迫による窒息死ではないと指摘しているわけではない。また,原審で提出されたⒶ鑑定人作成の補充意見書⑴(原審弁13)において,同鑑定人が頸椎体前出血と矛盾しない所見を含むと判断された鑑定例を紹介するに際し,「頸部に極めて強い圧迫が加わり,その一環として頸椎体前の筋肉に出血を認めたことが分かる。」などと説明していることは検察官指摘のとおりであるが,その趣旨は,頸椎体前出血の可能性がある症例につき,舌骨・甲状軟骨骨折を認めたことから頸部に強い圧迫が加わったものであることを前提とした上,頸部圧迫の所見としてⒶ鑑定人が繰り返し指摘している頸部筋肉内出血の存在を指摘しているものであることは,上記補充意見書⑴の文言から明らかであり,Ⓐ鑑定人が頸部圧迫により頸椎体前出血を生じることがあることを肯定しているとの主張は,同鑑定人の意見を曲解するものである。
前記⑤については,原審で提出されたⒶ鑑定人作成の補充意見書⑵(原審弁16)において,所論指摘のような意見が述べられているが,前記のとおり,自転車運転中の転落事故という成傷機序によって出血性ショック死で死亡するに至る過程をより具体的に理解するための専門的知識を裁判所に補う意義を有するものであり,Ⓐ鑑定を補充する意見として十分考慮し得る。
前記⑥については,Ⓙ鑑定は,要するに,本件遺体は高度に腐敗しており,写真を見ても顔面鬱血等の生活反応や死斑の有無等も判然としないのであるから,死因は不詳とみるべきであって,Ⓐ鑑定は明らかに過剰診断である,というものである。しかし,写真に現れる情報量は実際の遺体から得られる情報量と比べて相当程度劣ることは否定
し難いというべきであり,色調の微妙な差異にとどまることなく写真上一見明白に認められるものであるとか,解剖医が後に自ら所見を訂正した等の特段の事情でもない限り,写真では明瞭に区別し得ない微妙な色調の違い,臭気,質感等の豊富な情報を直接得た上で一定の所見を示した解剖医の見解と異なる遺体所見を述べる法医学者の意見を措信することは相当でないことは前記のとおりであるところ,Ⓙ鑑定によれば,本件遺体は高度に腐敗しており,黒っぽく変色している部分が出血であるか否かは腐敗のために不詳ということになるが,これは,本件遺体を自ら解剖したⒾ鑑定人が,腐敗と出血を区別した所見を個別に鑑定書に記していることに反する見解である。Ⓘ鑑定人が,頸椎体前面の組織間出血や左鎖骨上の出血を他の部位の腐敗性変色とは区別してあえて出血であるとの所見を記している以上,なぜこの部位が他と比べて腐敗の影響を免れているのかについて説明がなされてしかるべきであるのに,Ⓙ鑑定人は,原審の証言内容によると,Ⓘ旧鑑定自体については何ら検討しておらず,Ⓘ鑑定人の解剖は不十分であり,これでは死因は何も分からないだろうというのが率直な感想だといい,Ⓙ鑑定の判断根拠は専ら鑑定書に添付された写真を資料としたものであるというのであり,Ⓘ鑑定人が上記部位について腐敗ではなく出血であるという所見を示すことができた点について何ら説明しておらず,むしろ,Ⓘ鑑定人が他の部位の腐敗性変色と区別して出血との所見を示したこと自体に疑問を投げかけている状況にある。そうすると,Ⓘ旧鑑定の所見を踏まえて腐敗の影響を個別に検討し,腐敗の影響が強く及んでいる部位とそうでない部位を区別し,その理由についても腐敗の発生機序に基づく合理的な説明をするなど,Ⓘ旧鑑定の所見と整合的なⒶ鑑定と対比しても,Ⓙ鑑定には十分な信用性を認めることができない。

以上検討したとおり,原審で提出していた意見書を援用してⒶ鑑定は鑑定内容自体に一貫性がなく判断が恣意的であるとする検察官の主張は,採用できない。
検察官は,Ⓐ鑑定は,本件遺体の腐敗の程度に関する意
見が合理的でない,と主張する。しかし,その主張は,Ⓐ鑑定の内容に対する当審の前記説示と異なる理解を前提にするものであり,前提を欠いている。
検察官は,本件遺体に死斑・血液就下を明確に認める所
見が見当たらないことから,直ちに死斑・血液就下が生じなかったと結論付けることはできない,と主張する。しかし,Ⓐ鑑定は,Ⓘ旧鑑定において,死斑については明瞭でないとされていることを踏まえて,仮に死斑が存在し,これが腐敗の影響により明瞭でなくなったとしても,その場合には内部を調べれば血液就下の痕跡がみられるのが自然であるとした上で,内部にも血液就下の痕跡がないことから,死斑は存在しなかったものと推定しているのであり,死斑を明確に認める所見がないことから直ちに死斑が生じなかったと結論づけたものではない。また,血液就下の痕跡が腐敗の影響により確認できなくなるかのようにいうⒿ鑑定の見解を採用することができないことは前記のとおりである。
なお,検察官は,①本件遺体の前胸部上方は前胸部下方に比して赤みがかるなど死斑と解する余地がある,②顔面は緑色を呈するなど鬱血とも解し得るものである,③前胸部の筋肉の出血以外の周辺部分は赤黒く見えるなど血液就下と解する余地がある種々の所見も存在するとも主張する。しかし,前記①はⒾ旧鑑定において死斑は明瞭でないとの所見が明示されているのに,写真の色調のみを根拠に死斑の可能性があると指摘するものであり,このような主張を当審が採用してい
ないことは既に説示したとおりである。前記②については,Ⓐ鑑定人は,確かに顔面が緑色を呈している部分については死斑等の血液が透過して見える色の可能性を否定できないが,鬱血は頸部の圧迫によるものなので原理的には顔面全体が鬱血するはずであり,本件遺体の顔面は広い範囲に白い部分を認めるから鬱血とみるには矛盾し,顔面が下になった状態で遺棄されているのであれば顔面の大部分は血液の就下を認めるはずなのに広い範囲で白い部分を認めるから死斑とみるのも矛盾すると証言し,前記③についても,権威のある法医学成書の鑑別基準に従い,色調差が多く,位置及び分布が不定で,辺縁も不整となっていることから血液就下ではなく出血であると証言しており,これは専門的知見に基づく合理的な見解と考えられるから,これと異なる所見を主張するのであれば専門的知見に基づく相応の根拠が必要であるところ,そのように解すべき合理的根拠は何ら示されていない。検察官は,死斑・血液就下を認める明確な所見がなくて
も窒息死と矛盾しないと主張し,具体的には,Ⓙ鑑定の自験例において,①出血性ショックや大量の出血が認められる死体で死斑が発現したり,②顔面,頸部,前胸部の変色が認められる症例が存在する一方,③出血のない死体でも外表が全体に白っぽいものや,表皮がめくれた部位等が白っぽくなっている症例が存在するから,死斑や血液就下による皮膚の色調で全身の貧血性の有無を判断することは困難である,という。
しかし,前記①の症例は,Ⓙ鑑定人の原審尋問調書添付資料スライド5の「腹部大動脈瘤破裂に基づく出血性ショック,死後約20時間くらい,背面に紫赤色の死斑が中等度発現した死体」のことを指すものと思われるが,「Ⓙ鑑定人が裁判所に提出するつもりはなかったのに原審検察官の手違いで提出されてしまったもの」というⒿ鑑定人作
成のメモを見ると,同事例は,交通事故により意識朦朧状態で救急搬送され,治療を受けて帰宅後,体調の異変を訴え,救急搬送され治療を受けるも死亡したものとされており,同メモの記載に基づいて原審弁護人に輸血との関係を問われ,Ⓙ鑑定人は,仮に治療時に輸血されていたとすると死斑が出てもおかしくないが,輸血されたかどうかは聞いてないから分からないと証言している。そうすると,同事例は,出血性ショックや大量の出血が認められる死体で死斑が発現した症例ではなく,輸血の影響により死斑が発現した症例である可能性が否定できず,このような症例の存在をもって,Ⓐ鑑定の見解を否定する合理的根拠にはならない。Ⓙ鑑定人は,輸血の影響を看過し,あるいは無視して,出血性ショックや大量の出血が認められる死体であっても死斑が発現した症例として紹介しているものであるから,その症例引用の正確性には相当の疑問が残る。また,Ⓙ鑑定人は,具体的な症例を示すことなく「昨日僕がやった,骨盤骨骨折でおなかの中に2リッターの出血をしている,治療も何もしてない患者さんにも死斑が出てますからね。」とも証言しているが,その後上記症例の資料を追完しようとした形跡がみられないことに照らし,かかる証言をそのまま採用することはできない。
前記②の症例は,Ⓙ鑑定人の原審尋問調書添付資料スライド9の「失血,死後約5日くらい,失血死で顔面,頸部及び前胸部が変色しているもの」のことを指すものと思われるが,解剖を担当したⒿ鑑定人自身,これらの変色を死斑だとは思っておらず,腐敗性の変色と判断したとの所見を述べており,「失血死であっても死斑,血液就下がみられる事例」ではないのだから,Ⓐ鑑定と矛盾するものではない。前記③の症例は,Ⓙ鑑定人の原審尋問調書添付資料スライド6の「急性虚血性心不全,死後約1週間くらい,出血のない腐敗死体の外
表が全体的に白いもの」,同スライド7の「溺死,死後約3から4週間くらい,出血のない腐敗死体の外表が全体的に白いもの」及び同スライド8の「溺死,死後約1から2ヶ月くらい,出血のない腐敗死体の外表が全体的に白いもの」のことを指すものと思われるが,Ⓙ鑑定人が原審裁判所に提出するつもりのなかった前記メモによれば,同スライド6の死体は「浴槽内にて水没状態で死亡発見」されたもの,同スライド7の死体は「海上にて俯せ状態で漂流しているのを発見」されたもの,同スライド8の死体は「湯浅沖18キロの海上で漂流状態で発見」されたものとされている。これらの症例は,一般的な法医学成書において溺死の場合死斑が乏しいとされていることに照らすと,失血の有無とは無関係の事情により死斑が生じにくかった可能性が高いから,Ⓐ鑑定の信用性を何ら左右するものではない。Ⓙ鑑定人は,これらの症例につき水中死体であることの影響を看過又は無視して,出血がなくても死斑,血液就下が出ない症例として引用しようとしたものであるから,この点においても引用の正確性に疑問が残る。そうすると,このようなⒿ鑑定人の原審証言に現れた症例のみをもって,「死斑や血液就下による皮膚の色調で全身の貧血性の有無を判断することは困難である」と判断することは相当でないから,検察官の主張は採用できない。
検察官は,本件遺体に出血死(事故死)の可能性が高い
ことを示唆する所見が存在しないとして,Ⓐ鑑定が出血の可能性を指摘した個々の所見を論難する。しかし,Ⓐ鑑定は,死斑,血液就下がみられないこと,臓器が腐敗しているにもかかわらず腐敗血管網を認めないことを貧血性の根拠となる遺体所見として確認し,遺体の右側に打撲によると推定される多数の痕跡が確認されていること,頸椎体前面の著しい組織間出血が存在すること,農道上の発見状況等も総合
して,自転車運転中の転落事故という成傷機序を推定し,このような成傷機序であれば通常生じ得る出血の原因は多数考えられるものの,Ⓘ旧鑑定において解剖すべき部位が解剖されていないこと,黒っぽく見えている部位が出血なのか腐敗性変色なのかが区別しにくくなっていることから,正確な出血の原因を特定することは現時点では不可能となっているとして,解剖された部位に関して可能な限り出血の痕跡とみられる部位を指摘しようとして,肋骨骨折等に言及したものと解されるのであって,たとえそのようにして言及された出血の痕跡とみられる部位に関する個々の指摘が採用できないものであったとしても,出血性ショック死の可能性が高いとしたⒶ鑑定の判断の根幹部分には影響しないこと,Ⓘ鑑定人が現に解剖した部位に関して有意な所見を見落としたとみるのは不合理であるとしても,解剖していない部位に関してⒾ鑑定人が解剖を要しないと判断したこと自体を根拠に仮に解剖していたとしても有意な所見はなかったはずだとみるのもまた不合理であるから,Ⓘ旧鑑定において十分な解剖がなされていないことを根拠の一つとして,自転車運転中の転落事故という成傷機序であれば通常生じ得る出血の原因は多数考えられるとして解剖されていない部位に出血があった可能性を指摘するⒶ鑑定が合理的根拠に欠けるものとはいえないことは既に説示したとおりであり,検察官の主張はこれと異なる前提に立つ主張であるから失当である。
検察官は,頸部筋肉内出血の所見が確認できないことと
死因が頸部圧迫による窒息死であることは矛盾しない,舌骨・甲状軟骨骨折の所見がないことと死因が頸部圧迫による窒息死であることは矛盾しない,顔面・圧迫部上方の鬱血が生じなかったと認めることはできず,鬱血の明確な所見が見当たらなかったとしても,そのことと死因が頸部圧迫による窒息死であることは矛盾しない,と主張するが,
Ⓐ鑑定が,頸部筋肉内出血の所見が確認できないから死因が頸部圧迫による窒息死であることと矛盾するとしたものではないこと,舌骨・甲状軟骨骨折の所見がないから死因が頸部圧迫による窒息死であることと矛盾するとしたものではないこと,顔面・圧迫部上方に鬱血の明確な所見が見当たらなかったから死因が頸部圧迫による窒息死であることと矛盾するとしたものではないことは前記のとおりである。Ⓐ鑑定は,法医学成書においては「必発」であるとされる顔面・圧迫部上方の鬱血がなく,「大部分に生じる」とされる頸部筋肉内出血がないことも含め,頸部圧迫による窒息死の診断基準として挙げられているもののうち,腐敗により判別困難になるものを除いたすべての所見を欠いていることから頸部圧迫による窒息死とみるのは矛盾するとしているのであって,このような個々の所見を総合判断した結果に対し,個々の所見のみでは頸部圧迫による窒息死とみることはできないと主張しても,Ⓐ鑑定に対する的確な批判にはなり得ない。なお,これら個々の所見についての主張が失当であることも,原決定の説示の不合理性について既に説示したところと同様である。

以上のとおり,Ⓚの死因につき窒息死と推定し,頸項部に

作用した外力により窒息死したと想像したⒾ旧鑑定が誤りであるとし,タオルで頸部を力いっぱい絞めて殺したとする確定判決の認定事実とⓀの解剖所見は矛盾するとし,Ⓚの死因は転落事故等による出血性ショック死の可能性が高いとしたⒶ鑑定の結論部分は十分な信用性を有しているものと認められる。Ⓐ鑑定の信用性を論難する原決定の説示はいずれも不合理であり,これと同旨の検察官の主張はいずれも失当である。
Ⓐ鑑定が旧証拠に及ぼす影響について
Ⓐ鑑定の立証命題は,Ⓚの死因である(再審請求書別紙本文10頁
等)。Ⓕの確定審記録は既に廃棄されているため,確定審で取り調べられた証拠関係は,Ⓕの確定審判決に挙示された「証拠の標目」の記載を手掛かりに,Ⓓの確定審記録に編綴されている証拠書類等を参照して推測するしかない(以下,特に断りのない限り,Ⓕの確定審で取り調べられた証拠関係はこのようにして推測される証拠関係をい
う。)。このようにして推測されるⒻの確定審におけるⓀの死因に関する主要な証拠は,Ⓘ旧鑑定のみであると解される(「証拠の標目」には医師Ⓝ作成の死体検案書も挙示されているが,同証拠の写しが第2次再審即時抗告審において検察官から任意開示されて提出されているところ,それによれば,死因につき腐敗により不明とされているから,死因に関してⒾ旧鑑定を超える証拠価値を有するものではな
い。)。
Ⓘ旧鑑定は,腐敗の著しいⓀの遺体を解剖した結果,断片的に得られた死体所見を元に,他に著しい所見がないという消去法的考察によってⓀが窒息死したものと推定し,その原因として頸項部に作用した外力を想像し,仮にそうであるならば他殺ではないかと想像したものである。一方,Ⓐ鑑定は,Ⓚの死因につき窒息死と推定し,頸項部に作用した外力により窒息死したと想像したⒾ旧鑑定が誤りであるとし,タオルで頸部を力いっぱい絞めて殺したとする確定判決の認定事実とⓀの解剖所見は矛盾するとし,Ⓚの死因は転落事故等による出血性ショック死の可能性が高いとする点において十分な信用性を有するものである。そうすると,仮にⒶ鑑定が確定審において提出されていた場合,Ⓚが窒息死したものと推定し,これが他殺によるものと想像したⒾ旧鑑定は,合理的根拠を有しない鑑定として信用性を否定され,Ⓚの死因についてはⒶ鑑定の内容を基礎とした判断がなされることになると考えられる。

もっとも,既に説示したとおり,Ⓘ旧鑑定は,元々,消去法的考察により窒息死を推定し,その原因として頸項部に作用した外力を想像し,仮にそうであるならば他殺ではないかと想像したものにすぎず,Ⓘ旧鑑定のみを孤立して評価した場合,死因を推認し得るほどの証明力を有するものではない。確定審判決は,後述するとおり,Ⓘ旧鑑定のみを孤立評価するのではなく,「証拠の標目」に挙示したその他の証拠により認定できる客観的状況がⓀの死因について他殺をうかがわせるものであること,Ⓕ及びⒼがそれぞれタオルで頸部を力いっぱい絞めて殺した旨自白していることと矛盾しないことと併せて,Ⓚの死因を頸部圧迫による窒息死と推認したものと解されるから,Ⓐ鑑定によってⒾ旧鑑定が合理的根拠を有しない鑑定として信用性を否定されたとしても,そのことから直ちに確定審判決の頸部圧迫による窒息死との認定に合理的疑いを生じさせる関係にはない。
しかしながら,確定審で取り調べられた証拠関係において,Ⓘ旧鑑定は,上記のとおり,Ⓕ及びⒼがそれぞれタオルで頸部を力いっぱい絞めて殺した旨自白していることを客観的に裏付け,その信用性を高めている関係にあるといえるから,Ⓘ旧鑑定の信用性が否定され,頸部圧迫による窒息死であるとみるのは矛盾するとのⒶ鑑定の内容を基礎とした判断がなされることにより,Ⓕ及びⒼの自白の信用性を肯定した判断の根拠の一部が失われる関係にある。なお,法医学鑑定というのは,あくまでも科学的推論であって,死体所見のみで確定的に診断できるものもあれば,状況を含めて窒息であると推定できるものもあり,このような状況も含めた一番の蓋然性を明らかにすることを目的とするものであるから,Ⓐ鑑定が「矛盾する」と表現するところも,およそ数学的,論理的に両立し得ないという趣旨ではなく,そのような推論が法医学的見地からみて不合理なものであるという趣旨に解さ
れるから,Ⓐ鑑定のみで直ちにⒻ及びⒼの自白の信用性を肯定した判断が否定される関係にはなく,確定審においてⒻ及びⒼの自白が信用できるものと判断された根拠を検討し,その判断の過程で「消去法的考察により窒息死を推定し,その原因として頸項部に作用した外力を想像し,仮にそうであるならば他殺ではないかと想像した」とするⒾ旧鑑定の存在がどの程度の重みを持つものと位置付けられていたのかを確認した上で,新証拠であるⒶ鑑定によりⒾ旧鑑定の信用性が否定され,「頸部圧迫による窒息死であるとみるのは矛盾する」とのⒶ鑑定の内容を基礎とした判断がなされることにより,これらの信用性判断にどのような影響を及ぼすのかを別途検討する必要性が生じることになる。
また,「Ⓚの死因は転落事故等による出血性ショック死の可能性が高い」とするⒶ鑑定の内容を基礎とした判断がなされる場合,確定審で取り調べられた証拠関係によると,その成傷機序は,昭和54年10月12日午後5時30分頃から午後6時頃までの間にⓑの溝に自転車ごと転落したこと以外に考えられないから,同日午後8時30分頃から同日午後9時頃までの間にⓁ及びⓂがⓀを自宅まで搬送した際には,Ⓚは既に出血性ショックにより死亡し,あるいは瀕死の状態にあった可能性が相当程度に存在することになる。確定審で取り調べられた証拠関係によれば,同日午後6時頃から同日午後8時30分頃までの間,Ⓚが上記ⓑの溝付近の道路脇で寝ていることを目撃されており,Ⓚが同日酒を飲んで外を出歩いていたこと,ⓑ付近の道路脇にいるⓀの様子を目撃した近隣住民もⓀが酔いつぶれて寝ているものと判断したことが認められ,このような証拠関係を踏まえて,確定審判決は,「Ⓚは同日酒を飲んで外を出歩き,午後8時ころ酔いつぶれて溝に落ちているのを部落の者に発見され,Ⓚの近隣に住むⓁ,Ⓜの両名がⓀ
を同人方まで届けたが,同人は前後不覚の状態であったうえ,着衣が濡れて下半身裸となっていたため,同人を土間に置いたまま帰った。」という経緯を前提事実として認定したものと解される。しかし,新証拠であるⒶ鑑定が確定審において提出されていた場合,前記のとおり,Ⓛ及びⓂがⓀを同人方まで運搬した際には,Ⓚは既に出血性ショックで死亡し,あるいは瀕死の状態にあった可能性が相当程度に存在することになるから,「ズボンを脱いで下半身裸で着衣が濡れている状態で寝ていた」という当時のⓀの状況は,酔いつぶれていたのではなく,出血性ショックにより死亡し,あるいは瀕死の状態で倒れていたものである現実的可能性がある。また,出血性ショックにより死亡した可能性が高いことを前提とすると,Ⓛ及びⓂがⓀを同人方土間に放置して同人方を退出した後に何者かがⓀを殺害したということを当然の前提事実とすることもできないこととなる。したがって,Ⓛ及びⓂの各供述の信用性を判断するには,これらの点を念頭に置いた検討が必要となるから,確定審判決が認定した上記経緯は,新証拠であるⒶ鑑定の及ぼす影響により前提事実として認定し得るものではなくなり,Ⓛ及びⓂの各供述の信用性を検討した上で,これが信用できると判断できた場合に初めて認定し得る事実ということになり,その位置付けが変更されることになる。
Ⓐ鑑定がその立証命題に関連する旧証拠に及ぼす影響は,おおむね上記のようなものと解されるから,これらが,確定審判決の認定した殺人,死体遺棄の事実認定に合理的疑いを生じさせるものといえるか否かを,以下,具体的に検討する。
確定審判決の心証形成の過程について

はじめに

既に説示したとおり,再審請求審においては,新証拠がその立証命
題に関連する旧証拠に及ぼす影響を検討し,これが新旧全証拠の総合判断により確定審の事実認定に合理的疑いを生じさせるものであるか否かを検討する必要があるところ,本件確定審は自白事件であり,確定審判決には,いわゆる「事実認定の補足説明」が付されておらず,判決書に心証形成の過程が記載されていないから,上記検討の前提として,まずは,判決書に記載された認定事実の記載及び「証拠の標目」の記載を手掛かりに,合理的に想定し得る確定審判決の心証形成の過程を特定する必要がある。前記のとおり,Ⓕの確定審記録は既に廃棄されているため,その特定に当たっては,Ⓕの確定審においても,Ⓓの確定審における証拠と実質的に同じ内容の証拠書類が取り調べられ,かつ,Ⓓの確定審におけるⒻ,Ⓖ及びⒽの各証言と同旨の公判供述がなされたものと推測されるから,現存するⒹの確定審記録を適宜参照し,Ⓓの確定審の証拠構造を把握した上,これに基づいてⒻの確定審の証拠構造を推測し,そこで推測された証拠構造を前提として最も合理的に導かれる心証形成過程を探るほかなく,そのような方法でⒻの確定審判決の心証形成の過程を推測するのが最も合理的であると考えられる。

勘案すべき事情について
確定審判決の認定事実について

確定審判決は,「本件犯行に至る経緯」として,要旨,①関係者の身上関係,人的関係,②Ⓚの酒癖が悪く,周囲の人間に迷惑をかけてきたこと,③長男の嫁としてⓄ家一族に関する事柄を取り仕切ってきたⒹとⓀとの間に確執等があり,Ⓓ,Ⓕ及びⒼは日ごろからⓀの存在を快く思っていなかったこと,④昭和54年10月12日,Ⓕらの姉の子の結婚式にⒹ及びⒻを含む同人の兄弟は,Ⓚを除いて全員が出席し,午後7時すぎには挙式を終え,それぞれ帰宅したこと,Ⓕら兄弟
は,Ⓚが当日朝から酒浸りのため酔って荒れていたとして,出席予定であった同人を連れて行かなかったこと,⑤Ⓚは,同日酒を飲んで外を出歩き,午後8時頃に酔い潰れて溝に落ちているのを部落の者に発見され,Ⓚの近隣に住むⓁ及びⓂの両名がⓀを同人方まで届けたが,同人は前後不覚の状態であったうえ,着衣が濡れて下半身裸となっていたため,同人を土間に置いたまま帰ったこと,⑥Ⓓは,Ⓛから泥酔して道端に倒れているⓀを迎えに行く旨連絡を受け,同日午後9時頃,Ⓛ方に行って同人からⓀの様子を聞き,同人らに迷惑をかけたことを謝ったりし,その後の午後10時30分頃,Ⓜと帰宅する途中,Ⓚの様子を見るため一人でⓀ方に立ち寄ったこと,⑦Ⓓは,泥酔して土間に座り込んでいるⓀを認めるや同人に対する恨みが募り,この機会に同人を殺害しようと決意し,Ⓖ,次いでⒻに対し,Ⓚを共同して殺害しようと話を持ち掛け,両名はいずれもこれを承諾したことを認定した。
確定審判決は,引き続き,「罪となるべき事実」として,要旨,Ⓕ及びⒼが,Ⓓと共謀の上,Ⓚを殺害するため,同日午後11時頃,Ⓚ方に赴き,同所土間に座り込んで泥酔のため前後不覚となっている同人に対し,Ⓕ及びⒼにおいてこもごもⓀの顔面を数回ずつ殴打し,その場に倒れた同人をⒹを加えた3名で足蹴するなどし,更に同3名でⓀを同人方中六畳間まで運び込んだ上,同所において,Ⓓが自宅から携帯してきた西洋タオルをⒻに渡すとともに,仰向きに寝かせたⓀの両足を両手で押さえつけ,ⒼもまたⓀの上に馬乗りになってその両手を押さえつけ,Ⓕにおいて同西洋タオルをⓀの頸部に1回巻いて交差させた上,両手でその両端を力一杯引いて締め付け,よって同人を窒息死に至らしめて殺害したという殺人の事実(第1),及び,殺害行為の後,Ⓖは一旦帰宅してⒽにⓀの遺体を遺棄するため加勢を求めた
ところ,Ⓗはこれを承諾し,ここにⒻ,Ⓖ及びⒽの3名はⒹと共謀の上,同月13日午前4時頃,Ⓓが照らす懐中電灯の灯りのもとで,Ⓕ,Ⓖ及びⒽの3名が,Ⓚの遺体を同人方牛小屋に運搬した上,同所の堆肥内にそれぞれスコップ又はホークを用いて深さ約50センチメートルの穴を掘ってその中に同死体を埋没したという死体遺棄の事実(第2)を,それぞれ認定した。
確定審判決は,「量刑の理由」として,要旨,本件は,酒癖の悪いⓀが泥酔して前後不覚の状態にあることを奇貨として,かねて同人に恨みを抱いていた実兄のⒻとⒼがⒹの主導でこれを殺害し,Ⓖの長男Ⓗも引き入れた4名でⓀの遺体を堆肥の中に埋めて遺棄した親族間の犯行であり,単に酒癖が悪く迷惑をかけてきたというだけで安易に殺害し,殺人の犯跡を隠ぺいしようとして死体遺棄に及んだ旨認定した。確定審判決の証拠の標目の記載について
確定審判決は,「判示事実全部」についての証拠として,①Ⓕ,Ⓖ,Ⓗの各公判供述,②Ⓕの検察官調書2通(昭和54年11月2日付け,同月6日付け)及び警察官調書(同月3日付け),③Ⓖの検察官調書(同月7日付け)及び警察官調書(同月6日付け),④Ⓗの検察官調書(2通)及び警察官調書(同月3日付け)⑤Ⓔの検察官調書及び警察官調書(同年10月31日付け),⑥Ⓟの検察官調書,⑦検証調書4通を挙示し,「判示本件犯行に至る経緯」についての証拠として,⑧Ⓖの検察官調書(同年11月2日付け),⑨Ⓓの検察官調書及び警察官調書3通,⑩Ⓠ,Ⓡ,Ⓛ,Ⓜの各検察官調書,⑪Ⓔの警察官調書4通(同年10月16日付け,同月29日付け,同年11月4日付け,同年12月2日付け)を挙示し,「判示罪となるべき事実」についての証拠として,⑫Ⓕの検察官調書(同年11月4日付け),⑬Ⓗの警察官調書3通(同年10月29日付け,同年11月1日付け,同月4
日付け),⑭Ⓢ作成の任意提出書,⑮実況見分調書,領置報告書,捜索差押調書,領置調書4通,⑯医師Ⓝ作成の死体検案書,⑰Ⓘ旧鑑定書謄本,⑱ホーク1本,スコップ2本,ビニールカーペット1枚,懐中電灯1個を挙示した。
なお,Ⓕの確定審判決が「証拠の標目」に挙示した証拠とⒹの確定1審判決が「証拠の標目」に挙示した証拠とで異なる部分は,

Ⓓの

確定審弁護人が「不同意」の意見を述べたことにより最終的に撤回されたⒻの警察官調書謄本(Ⓓの確定審の検察官請求証拠番号106),Ⓖの警察官調書謄本(同番号111),Ⓗの検察官調書謄本2通(同番号119,120)及び警察官調書謄本4通(同番号115ないし118),検証調書謄本(同番号8ないし11)の各不同意部分,Ⓛの検察官調書謄本(同番号82)の不同意部分がⒻの確定審判決では挙示されている点,⒝Ⓓの確定審弁護人が「不同意」の意見を述べ,確定審裁判所が最終的に却下したⒺの検察官調書謄本(同番号102)及び警察官調書謄本4通(同番号98ないし101)がⒻの確定審判決では挙示されている点,⒞Ⓓの確定審では請求されなかった医師Ⓝ作成の死体検案書がⒻの確定審判決では挙示されている点,⒟Ⓓの確定1審判決が挙示したⒹの警察官調書4通のうち1通がⒻの確定審判Ⓓの確定1審判決が挙示したビニール
カーペットに関する証拠群のうち,鑑定検査申請書2通(同番号29,35),鑑定検査結果通知書面2通(同番号30,36)がⒻの確定審判決では挙示されていない点,⒡Ⓓの確定審で実施されたⒻ,Ⓖ,Ⓗ及びⒺの各証言は挙示されず,Ⓕの確定審公判におけるⒻ,Ⓖ及びⒽ

Ⓓの

確定審で取調済みの証拠により十分な代替立証がなされており,取り調べる必要性がないと確定審検察官が判断して撤回し,又は確定審裁
判所が判断して却下した証拠に関する差異と考えられるから,その有無によって心証形成過程に有意な差異は生じないものと解される。⒞は,Ⓓの確定審で確定審検察官が立証の必要性を認めなかった証拠に関する差異と考えられるから,その有無によって心証形成過程に有意な差異は生じないものと解される。⒟は,Ⓓの警察官調書のうち「身上」を立証趣旨とするもの1通がⒻの確定審では取り調べられなかったことによる差異と推測され,いずれにせよその有無によって心証形
り,Ⓓの確定1審判決の有罪認定を支える間接事実の一部を立証する証拠の有無に関する差異であり,これが挙示されていないことはⒻの確定審判決の有罪認定の客観的根拠がⒹの確定1審判決のそれと比べて弱いことを示すものといえる。⒡は,Ⓕの確定審公判におけるⒻ,Ⓖ及びⒽの各供述が公訴事実を認める旨の供述であることが推測され,その具体的内容は不明であるが,Ⓓの確定審における各証言とおおむね同旨の供述をしたものと推測され,また,「判示事実全部」について挙示されたⒺの検察官調書及び警察官調書における供述内容は,Ⓓの第1次再審で新証拠として提出されたⒺの検察官調書写し(同審弁護人請求証拠番号84)及び警察官調書写し(同番号83)と同一の内容であると推測されるところ,これらはⒹの確定審におけるⒺの証言よりも具体的で詳細な供述ではあるが,ⒹがⒼにⓀ殺害を持ちかけて,Ⓖがこれを了承したことを目撃した旨の核心部分についてはⒹの確定審におけるⒺの証言と同旨であり,これを含む本件当夜の目撃状況を踏まえて,Ⓚを本当に殺しているとは思わなかった旨の当時の心情を述べる部分も含めて,Ⓓの確定審におけるⒺの証言と証拠価値が異なるものとは解されず,これらの証拠方法の差異によって心証形成の過程に有意な差異は生じないものと解される。

「証拠の標目」に挙示された証拠の意義について
Ⓕの確定審は,いわゆる自白事件であったことから,確定審判決に挙示された「証拠の標目」は,Ⓕの自白とこれを補強するのに必要十分な補強証拠が挙示されているものと解され,否認事件であったⒹの確定1審判決と比較して,心証形成の過程に占める自白と客観的証拠の比重は必ずしも同様でないと考えられるが,前記のとおり,挙示された各証拠を見比べても,ビニールカーペットに関する証拠群の一部が挙示されていない点を除いて,心証形成の過程に有意な差異が生じないものと考えられる上,後述するとおり,本件は,本質的には間接事実による推認と直接証拠である自白等の供述とが相互に相まって確定審判決の認定事実に至るものと解される証拠構造にあるから,より多くの客観的証拠を取り調べて慎重な心証形成に努めたものと推測されるⒹの確定1審判決の心証形成の過程は,Ⓕの確定審判決の証拠構造及び心証形成の過程を考える上でも十分参照されるべきである。ウ
合理的に想定し得る心証形成の過程について

以上を踏まえてⒹの確定審記録並びにこれに基づいて合理的に推測される証拠構造及び心証形成過程を参照して,Ⓕの確定審の証拠構造に照らして合理的と考えられるⒻの確定審判決の心証形成過程を検討すると,おおむね以下のようなものであったと解される。
すなわち,確定審判決の「証拠の標目」に挙示された各証拠によれば,おおむね以下の事実が前提事実として認められる。㋐昭和54年10月15日昼過ぎ頃,Ⓚ方牛小屋の堆肥置き場において,堆肥に完全に埋没した状態でⓀの遺体が発見されたこと,法医学鑑定の結果,Ⓚは,同日夜から3日内外前に死亡したものと推測され,両肺の気管支枝内腔に堆肥の粉末等が侵入したようには見受けられないことから,死因は窒息死と推定され,さらに頸項部に作用した外力によって窒息
死に至ったものと想像され,他殺ではないかと想像されること(Ⓘ旧鑑定)が認められ,よって,Ⓚは,堆肥に埋没した状態で死亡したのではなく,昭和54年10月12日夜の前後頃,Ⓚ方牛小屋堆肥置き場とは別の場所で何者かに殺害された後,同堆肥置き場に運搬され,堆肥の中に埋没させられたものと推認できる。㋑Ⓚは,同日酒を飲んで外を出歩き,午後8時頃に酔い潰れて溝に落ちているのを部落の者に発見され,Ⓚの近隣に住むⓁ及びⓂの両名がⓀを同人方まで届けたが,同人は前後不覚の状態であったうえ,着衣が濡れて下半身裸となっていたため,同人を土間に置いたまま帰ったこと(Ⓛ及びⓂの各検察官調書)が認められ,近隣住民の多数の供述が取り調べられているにもかかわらず,これ以後に生前のⓀの様子を直接目撃したとする証拠がⒻ及びⒼの自白以外に存在せず,Ⓚが同月13日以降に何らかの活動をしていた痕跡は見出せず,よって,前記㋐で推認される事実と併せて,Ⓚは,同月12日夜,Ⓛ及びⓂによってⓀ方の土間に放置された後,遅くとも翌朝頃までの間に殺害されたものと推認できる。㋒同月15日から16日にかけて実施されたⓀ方の実況見分の際,前記のとおりⓀが放置された同人方土間に隣接している中六畳間において,畳に尿臭や脱糞臭のするシミが,障子戸の桟(敷居から1.05メートルの高さ)に脱糞様の臭いのするシミが,それぞれみられたほか,同中六畳間に隣接する奥六畳間の掛布団の表に脱糞が,三畳間の畳に糞の臭いのする汚物が,それぞれ付着していたことが認められ,これらによれば,Ⓚが,同人方中六畳間において,脱糞及び失禁をしたことがうかがわれ,前記㋑で推認される事実と併せて,Ⓚは,同月12日夜,Ⓛ及びⓂによってⓀ方の土間に放置された後,これと隣接する中六畳間において,何者かによって脱糞及び失禁を伴う態様で窒息死させられ,その後,何者かによってⓀ方牛小屋の堆肥置き場まで運ば
れて,堆肥に埋没させられたものと推認できる。㋓Ⓚ方は,Ⓕ方及びⒼ方に隣接しており,Ⓕ方との距離は18.6メートル,Ⓖ方との距離は16.5メートルであること,Ⓚ方,Ⓕ方及びⒼ方の敷地は,幅員4メートルの町道から幅員2.2メートルの非舗装道路の路地に入り,その先のⓀ方及びⒻ方敷地に至る入り口通路並びにそこから上記路地の更に奥にあるⒼ方敷地に至る入り口通路の先に位置し,これらの敷地はそれぞれ周囲を崖や林に囲まれ,他にこれらの敷地内に居住する世帯はないが,Ⓖ方敷地は,Ⓚ方及びⒻ方敷地より一段高所にあり,後記のとおり高さ2メートルの崖で隔てられているものの,その間に遮蔽物はなく,Ⓖ方敷地からⓀ方及びⒻ方敷地をよく見渡すことができること,前記路地のⒼ方敷地に至る通路入り口の奥は,傾斜の急な登り坂の山道となっており,県道ⓒ線に通じているが,その間に人家はないこと,Ⓚ方牛小屋は,同人方居宅の南側に位置し,東側は中庭に接し,南側は高さ2メートルの高地を切り開いたところにⒼ方があり,西側は高さ3.7メートルの高台となっており,Ⓚ方敷地内の一番奥に位置していること,牛小屋周辺の屋外照明としては,牛小屋の藁置き場及び牛運動場に裸電球が2個あるのみであり,そのスイッチがⓀ方玄関上に設けてあることが認められ,これらによれば,夜間,Ⓚ方敷地内に立ち入る者として現実的に想定し得るのは,Ⓚ方,Ⓕ方及びⒼ方の居住者か,これらの居宅への来訪者しかなく,無関係の第三者が偶然立ち入る可能性は想定し難いこと,Ⓚ方牛小屋堆肥置き場で夜間遺体を堆肥に埋没させる作業をするには,Ⓚ方玄関上に設けてあるスイッチを操作して牛小屋の電球を点けるか,懐中電灯を使用して灯りを照らした上,ホークやスコップ等の道具を用いる必要があり,牛小屋の電球を点けてⓀのホーク等の道具を利用するか,外部からこれらの道具を持ち込む必要があること,夜間,近接するⒼ方及
びⒻ方の居住者に気取られることなく,Ⓚ方でⓀを殺害し,同人方牛小屋堆肥置き場でⓀの遺体を堆肥に埋没させる作業を完遂することは容易でないことが推認できる。そうすると,本件当夜Ⓚ方敷地内に立ち入る可能性のある来訪者が証拠上想定されないことと前記㋒で推認される事実と併せて,Ⓚを殺害して堆肥に埋没させた犯人は,Ⓚ方の居宅及び牛小屋の状況を熟知し,道具を持ち込むことも容易なⒻ方及びⒼ方の居住者である可能性が高い。㋔前記実況見分の際,Ⓚ方の洋服ダンスの内部は引出内も含めて整理されており乱れはなく,ボストンバッグに入っている衣類はいずれも折りたたんで入れられており,その他Ⓚ方が物色された形跡は見当たらないこと,ⒹとⓀとの間には確執等があり,Ⓓ,Ⓕ及びⒼは日ごろからⓀの存在を快く思っていなかったこと,Ⓓは,Ⓛから泥酔して道端に倒れているⓀを迎えに行く旨連絡を受け,同日午後9時頃,Ⓛ方に行って同人からⓀの様子を聞き,同人らに迷惑をかけたことを謝ったりし,その後の午後10時30分頃,Ⓜと帰宅する途中,Ⓚの様子を見るため一人でⓀ方に立ち寄ったことが認められ,これらによれば,Ⓓは,日頃からⓀのことを快く思っておらず,本件当夜も,ⓀがⓁらに迷惑をかけたことを謝ったりした後,前後不覚の状態で土間に放置されていたⓀの様子を確認していること,Ⓓ,Ⓕ及びⒼにはⓀを殺害する動機があると推認できること,Ⓚを殺害する動機を有する者の中で,本件当夜,Ⓚが殺害される前に,Ⓚが前後不覚の状態で土間に放置されていることを知っていた者はⒹであり,前記㋓のとおり,Ⓚ方に侵入してⓀを殺害し,牛小屋堆肥置き場まで遺体を運搬して堆肥に埋没させることを,Ⓕ方及びⒼ方の居住者に気付かれずに行うことは容易ではなく,現実的な可能性として犯人として想定できるのは,Ⓓの他にⒻ及びⒼらⒻ方及びⒼ方の居住者しかいないことなどを併せ考えると,本件の犯人にⒹ,Ⓕ
及びⒼのうちのいずれかが含まれている可能性は高いといえる。
以上の証拠から直接認定した各間接事実については,信用性に争いのない証拠のみから容易に認定できる事実であり,前記㋐ないし㋒の推認は相当程度に強固なものであって,この推認を妨げる事情は何ら見当たらない。前記㋓及び㋔の検討結果については,Ⓓ,Ⓕ及びⒼのうちのいずれかが犯人であるとみるのが自然であることを示す事情であり,これのみではⒻ方又はⒼ方の居住者の誰が犯人であるかを具体的に特定するまでには至らないものであるが,他方,仮にⒻ方又はⒼ方の居住者の誰も犯行に関与していないとするならば,Ⓚは,Ⓛ及びⓂによって前後不覚の状態でⓀ方土間に放置された後,たまたま何らかの理由で敷地外から侵入した何者かによって何らかの理由により殺害され,当該犯人が,夜間,Ⓚ方玄関上に設けられたスイッチを操作して牛小屋の照明を点灯させ,あるいは持ち込んだ懐中電灯を利用して灯りを照らし,Ⓚを牛小屋堆肥置き場の堆肥に埋没させる作業をしたものの,幸運にも終始Ⓕ方及びⒼ方の居住者の誰にも気づかれることがなかったということになるが,そのような可能性は抽象的にはあり得ないとはいえないものの現実的可能性としては想定できず,少なくともⒻ方又はⒼ方の居住者の誰もが全く犯行に関与していないとは考え難い状況といえる。
このような客観的状況を踏まえて,Ⓕ,Ⓖ及びⒽの各確定審公判供述並びにⒻ,Ⓖ,Ⓗ及びⒺの捜査段階の各供述をみると,Ⓓが,Ⓚが前後不覚の状態であることをⒼ及びⒻに告げ,その後,Ⓓ,Ⓖ及びⒻが共にⓀ方に行き,土間に放置されていたⓀにこもごも暴行を加え,その後,Ⓚ方中六畳間において,ⒹがⒻにタオルを渡して,Ⓚの足を押さえ,ⒼがⓀに馬乗りになり,Ⓚの手を押さえた状態で,ⒻがタオルでⓀの首を力一杯絞め続けて殺害し,その後,ⒼがいったんⒼ方に
戻り,Ⓗに加勢を頼み,Ⓕ,Ⓖ及びⒽが,Ⓓの照らす懐中電灯の灯りを頼りに,Ⓚ方牛小屋堆肥置き場までⓀの遺体を運び,ホーク及びスコップを使ってⓀを堆肥に埋没させたという点で,Ⓕ及びⒼの各確定審公判供述及び捜査段階の各供述は大筋において合致しており,Ⓖから加勢を頼まれた以降の経過についてはⒽの供述も同様に大筋において合致しており,Ⓔの供述もこれと矛盾するところはないところ,上記各供述に現れた事実経過は,前記客観的状況とよく合致しており,とりわけ,土間に放置されていたⓀにこもごも暴行を加えた後,中六畳間でⒹ及びⒼがⓀの手足を押さえた状態でⒻがタオルをⓀの首に巻いて力一杯絞め続けたという犯行態様は,Ⓚが,中六畳間において,何者かによって脱糞及び失禁を伴う態様で窒息死させられたものと推認されること(前記㋒で推認される事実)に加え,Ⓘ旧鑑定において,Ⓚの頸部,右側胸腹部,右上肢及び両下肢に外力の作用した痕跡が認められ,頸項部に作用した外力により窒息死させられたものと想像されていることともよく符合しており,十分な信用性を有している。他に,大筋において合致している上記事実経過に反する客観的証拠は存しない。確かに各供述を個別にみれば,あいまい,不自然,不合理で,迫真性がなく,核心部分も含めて変遷している箇所もみられ,細部にわたって全面的に信用し得るものとは到底いえないものの,信用性に争いのない親族等関係者の多数の供述調書において,Ⓕ,Ⓖ及びⒽはいずれも通常人より知能が低いとされていることに照らすと,自己の経験を正確に記憶し,その記憶を保持した上で,自身の言葉で的確にこれを表現する能力が劣っていたことがうかがわれるから,供述内容があいまい,不自然,不合理で,迫真性がなく,核心部分も含めて変遷している箇所がみられるとしてもやむを得ない面があり,客観的状況に合致し,客観的証拠の裏付けも存するという客観的判断要素に基
づいて各人の供述が大筋において合致している限度で信用性を肯定することを妨げない。このように,本件では,客観的状況により確定審判決の認定事実を一定程度推認できるものの,これのみでは具体的な犯行状況及び犯人を特定するには至らないところ,Ⓕ,Ⓖ及びⒽの各供述は,供述自体に内在する問題点を孕んでいるものの,大筋において相互に合致し,前記客観的状況にも符合し,かつ,Ⓘ旧鑑定による客観的証拠の裏付けも存することによって,大筋においては信用できるとの信用性判断を導くことができ,このようにして間接事実による推認と直接証拠である各供述とが相互に相まって,確定審判決の認定事実に至るものと解される。なお,殺人の共謀形成過程については,前記客観的状況によって,前後不覚の状態で土間に放置されているⓀの状態についてⒹがⒻ及びⒼに告げることにより犯行に関与したことは間違いないとはいえても,殺害を持ちかけたのがⒹであるかⒼであるかはこれのみでは推知し得ないところ,あいまいで変遷のあるⒼの確定審公判供述及び捜査段階の供述だけでなく,Ⓔの供述を併せることにより,ⒹとⒼの間の共謀形成過程を認定することができる。

補足説明

以上は,自白事件と否認事件の違いはあるものの,前記のとおり
「証拠の標目」に挙示された証拠がほぼ共通することなどに鑑みると,Ⓕの確定審判決とⒹの確定1審判決の基本的な証拠構造及びこれから導かれる合理的な心証形成過程に大差はないものと考えるのが合理的であると考えられることから,記録上認められるⒹの確定審における証拠関係に基づき,そこから合理的に推測されるⒹの確定1審判決の証拠構造及び心証形成過程を参照した上,Ⓕの確定審の証拠構造及び確定審判決の心証形成過程を推測したものである。
ここでは,Ⓕの確定審判決の心証形成過程を推測するについて参照
したⒹの確定1審判決の心証形成過程につき,それがⒹの確定審の証拠構造から合理的に導かれることについて,以下,補足して説明する。すなわち,Ⓓの確定1審判決の心証形成過程については,①Ⓓの確定1審判決が,「証拠の標目」において,殺人及び死体遺棄の証拠を区別せずに一括して挙示していること,②Ⓚの遺体がⓀ方牛小屋堆肥置き場に50センチメートルの深さで埋没させられていたことはⓅが発見時に一部掘り起こした後の状況を見分した実況見分調書謄本のみによって十分認定できるにもかかわらず,Ⓟの検察官調書謄本を併せて挙示しているが,その意義は,Ⓚの遺体が堆肥に完全に埋没していた状況について,死体遺棄のみならず殺人の間接事実としても用いる必要があるからと解されること,③信用性に争いのあったⒻ,Ⓖ及びⒽの証言並びにⒻ及びⒼの各検察官調書謄本における供述を採用した上,Ⓔの断片的な証言を重ねて「証拠の標目」に挙示したのは,Ⓔの証言は,ⒹがⒼに殺害を持ちかけ,Ⓖもこれを承諾したのを目撃したという点において,認定事実との結びつきという点でⒻ,Ⓖ及びⒽの各証言を上回り,公判廷における証言という点でⒼの検察官調書謄本よりも証拠価値が高く,これらの観点から「証拠の標目」に挙示する価値を有していると解されること,④Ⓓの確定1審判決は,単に直接証拠である各証言を補強するにとどまらず,各証言と離れて間接事実型の事実認定に用いることができる客観的証拠をあえて挙示し,事実認定の補足説明を特段付さなかったことに照らすと,各証言が合致し,客観的状況に合致することを重視してその信用性を肯定したものとみるのが自然であることなどから推知できる。また,⑤Ⓓの確定控訴審判決は,要旨,Ⓓの確定1審判決の「証拠の標目」に挙示された各証拠によれば,「本件犯行に至る経緯」及び「罪となるべき事実」はいずれも十分これを肯認することができ,ことにこれらの証拠中,Ⓕ,
Ⓖ,Ⓗ及びⒺの各証言並びにⒻ,Ⓖ,Ⓛ及びⓂの各供述調書によれば,本件犯行の夜泥酔して前後不覚の状態にあったⓀがⓁ,Ⓜの好意によりⓀ方に搬送されたことを当初に知ったのは本件共犯者のうちⒹであって,Ⓓは自らⓀ方に出向いてその土間で泥酔し前後不覚,無抵抗の状況にあるⓀを現認し,Ⓓの確定1審判決が示すような経緯で同人の存在を快く思っていなかったところから殺意を抱くに至り,本件共犯者であるⒻ,Ⓖに対し,それぞれⓀが同状況にあることを告げて殺害の話を持ちかけたこと,同人らは結婚式帰りの酔余の気分も手伝ってこれに賛同し,Ⓓの確定1審判決が詳細に説示するとおり,3人でⓀ殺害の実行行為に及び,次いでⒽを含めた4人で死体遺棄の実行行為に及んだことが認められるとして,自らの心証を説示するとともに,Ⓕ,Ⓖ,Ⓗ及びⒺの各供述が,Ⓓの本件殺人及び死体遺棄の各行為の関与それ自体については大綱において一致していること,同人らがⒹを陥れるため故意に虚偽供述をしているものと疑うべき事情がないこと,前記各供述内容は「証拠の標目」に挙示された各証拠に現れた客観的状況とも符合することを信用性肯定の根拠として指摘するにとどまり,供述内容それ自体の自然性,具体性,迫真性,合理性等を肯定する説示をしていないのであり,この点は,事後的であり,かつ,Ⓓの関与の有無に審査対象が限定された控訴審の判断ではあるが,Ⓓの確定1審判決の証拠構造を把握する上で参考となる。

原決定の認定した証拠構造について

これに対し,原決定は,確定審判決の証拠構造について,Ⓓの確定審記録を参照して把握することを前提としつつ,㋐Ⓚの遺体が堆肥内に遺棄されたことについては実況見分調書その他から認められる遺体の発見状況や解剖所見から明らかであり,遺体が遺棄されていること自体から,遺棄の犯人又はその関係者がⓀの死亡に関与していること
が強く推認される,㋑Ⓚが殺害され,死体が遺棄された犯行の具体的状況等並びにその犯人がⒹ,Ⓕ,Ⓖ及びⒽ(ただし,Ⓗは死体遺棄のみ)であることの証拠は,Ⓕ,Ⓖ及びⒽの各公判供述,Ⓕ,Ⓖ,Ⓗ及びⒺの各検察官調書であると認められる,㋒Ⓘ旧鑑定は,死因が窒息死であることの直接証拠であり,かつ,殺人の犯行態様に関する直接証拠であるⒻらの自白の信用性を裏付ける補助証拠と位置付けられていたと考えられる,㋓証拠物のスコップ,ホーク,懐中電灯については,Ⓓの確定1審判決において犯行供用物件と認定されており,Ⓕ,Ⓖ及びⒽ,そしてⒹと各犯行を直接結びつける証拠と位置付けられていたと考えられる,とする。しかし,原決定の上記説示からは,本件当夜にⓁ及びⓂが前後不覚の状態にあるⓀをⓀ方土間に放置し,本件共犯者の中でⒹのみがこれを認識していたとの,Ⓛ及びⓂの各供述調書から容易に認定でき,かつ,現にⒹの確定1審判決が「本件犯行に至る経緯」として認定し,Ⓓの確定控訴審判決においても言及されている,Ⓓが犯行に関与していることを推認させる最も重要な間接事実のほか,実況見分調書等から認定できるⒹを含むⒻ方及びⒼ方の居住者が犯人であることをうかがわせる多数の間接事実の存在を軽視するものであり,必ずしも賛同し難い。また,前記のとおり,Ⓚは,Ⓛ及びⓂによって前後不覚の状態でⓀ方土間に放置され,その後,土間に隣接する中六畳間でⓀの生命身体に何らかの異常事態が発生し,Ⓚが死亡した後,何者かによってⓀの遺体がⓀ方牛小屋堆肥置き場に運搬され,堆肥に完全に埋没する形で遺棄されたのであるから,このようにⓀの遺体を堆肥に完全に埋没する形で遺棄したこと自体から,犯人がⓀを殺害し,その事実の発覚を免れるために犯跡を隠ぺいしようとしたものであることがうかがわれ,他に,Ⓚ方土間で前後不覚の状態にあったⓀが,その後死亡し,何者かによって同人方牛小屋堆肥置き
場にその遺体が遺棄される合理的理由は想定し難いことについての言及がないことも相当でない。さらに,Ⓘ旧鑑定の旧証拠関係における意義は,前記のとおり,単にⓀの死因が窒息死であることの直接証拠及びⒻらの自白の信用性を裏付ける補助証拠にとどまるものでもない。Ⓐ鑑定がその立証命題に関連する旧証拠に及ぼす影響が確定
審判決の認定した殺人,死体遺棄の事実認定に合理的疑いを生じさせるものといえることについて

合理的に想定し得るⒻの確定審判決の心証形成の過程は前
Ⓐ鑑定がその立証命題に関連する旧証拠に

及ぼす影響は,Ⓕの確定審判決の事実認定及びこれに沿う内容のⒻ,Ⓖ及びⒽの各供述の信用性判断の重要な柱となっている3点,すなわち,①Ⓚの遺体発見時の状況及びⒾ旧鑑定に基づき推認されるⓀの死因及び犯行態様(Ⓕ及びⒼの各供述の裏付け)(前記⑷ウ㋐),②前提事実とされたⓁ及びⓂの各供述に基づくⓀを同人方に搬送した際の状況(同㋑),③犯行現場及び周辺の客観的状況及びⓀとの人的関係から推認される犯人像(同㋒ないし㋔)のうち,①,②についてその根拠となる証拠の信用性に疑問の余地を生じさせ,③については間接事実の評価ないし位置付けに差異を生じさせることとなり,その結果,Ⓕの確定審判決の認定した殺人,死体遺棄の事実認定を変更することを余儀なくさせるものである。以下,具体的に示す。

㋐において,「Ⓚは,堆肥に埋没した

状態で死亡したのではなく,昭和54年10月12日夜の前後頃,Ⓚ方牛小屋堆肥置き場とは別の場所で何者かに殺害された後,同堆肥置き場に運搬され,堆肥の中に埋没させられたものと推認できる」とされていたものは,これのみで何者かに殺害されたことを直ちに推認し得るものとはいえないことになる(もっとも,Ⓚが堆肥に埋没した状
態で死亡したのでなく,死亡後に堆肥に完全に埋没した状態で遺棄されたものである事実が動かない以上,死体遺棄事件が存在することに変わりはなく,かつ,上記遺棄の態様に照らし,他に合理的に想定し得る動機が見当たらないなら死体遺棄の動機として想定し得るのは犯跡隠ぺい目的とみるのが合理的であり,その意味でⓀが殺害された可能性を示唆する程度の推認力は依然として有しているといえる。)。ウ
㋑において,「前記㋐で推認される事実と併せて,

Ⓚは,同日夜,Ⓛ及びⓂによってⓀ方の土間に放置された後,遅くとも翌朝頃までの間に殺害されたものと推認できる」とされていたものは,前記⑶で説示したとおり,その前提となる「Ⓛ及びⓂによってⓀ方の土間に放置された」事実が前提事実として認定し得なくなることにより,新旧全証拠を総合評価してⓁ及びⓂの各供述の信用性を改めて検討し,ⓀをⓀ方の土間に放置した旨の供述が信用できるものといえない限り,この間接事実の認定は維持し得なくなる。そこで検討すると,Ⓛ及びⓂの各供述は,要旨,ⓑの脇に横たわっているⓀを軽トラックで迎えに行き,Ⓚを軽トラックの荷台に放り込み,Ⓚ方まで搬送し,Ⓚ方でⓀを下ろして最終的に土間に放置し,その前後にⓀ方牛小屋でエサをやる作業等をしたという限度では相互に合致しているものの,Ⓚ方に到着した後,Ⓚを土間に放置するまでの軽トラックの位置関係,Ⓚの様子,とりわけⓀが歩いてⓀ方に入ったのか自ら歩くことができずⓁらに担ぎ込まれたのかという点,Ⓚ方牛小屋に立ち入った点を含めⓀ方で実施した作業の前後関係等に看過し難い食い違いがみられる。旧証拠関係のみによる場合,前記事実経過の限度では相互に合致しており,結局ⓀをⓀ方土間に放置したという核心部分の事実に変わりはなく,上記の食い違いは核心部分に影響を及ぼさない細部の食い違いにすぎないと評価されることになるが,前記のとおり,Ⓐ
鑑定がその立証命題に関連する旧証拠に及ぼす影響により,Ⓚは,午後5時30分頃から午後6時頃までの間にⓑの溝に自転車ごと転落したことにより,既に出血性ショックで死亡し,あるいは瀕死の状態にあった可能性が相当程度に存在することになるから,「ズボンを脱いで下半身裸で着衣が濡れている状態で寝ていた」という当時のⓀの状況は,酔いつぶれていたのではなく,出血性ショックにより死亡し,あるいは瀕死の状態で倒れていたものである現実的可能性があることを念頭に置いた検討が必要となるところ,前記のとおり,Ⓚ方に到着した後の出来事,とりわけⓀの様子に関するⓁ及びⓂの各供述は,Ⓚが既に出血性ショックにより死亡し,あるいは瀕死の状態で倒れていたとすれば,そのような状態のⓀをⓀ方に運び入れた様子としては不自然,不合理であって,客観的証拠と整合しない可能性が否定できないものである。また,前記⑶のとおり,Ⓚの死亡時期についても,その死因が頸部圧迫による窒息死であることを前提に,Ⓛ及びⓂがⓀを同人方土間に放置して退出した後であると即断することはできないことになる上,前示のとおり,Ⓚが何者かに殺害されたことを直ちに推認し得るものとはいえないということになると,Ⓕ及びⒼらによるⓀの首を絞めて殺害したという供述の裏付けも失われることにもなるから,Ⓛ及びⓂの各供述の信用性は,Ⓚ死亡時に近接した時期に同人に接触し,その死亡に関与し得る者の供述として,Ⓚの死亡及びその後の死体遺棄に関与した可能性の有無という観点から改めて検討する必要がある。このような検討を踏まえると,前記の看過し難い食い違いがみられる点も,細部における食い違いとはいえず,ⓀをⓀ方土間に運び入れて放置して退出した事実の有無という核心部分の信用性に疑義を生じさせるに足りるものと位置付けられることになる。以上に加えて,Ⓓの第1次再審において新証拠として提出されていたⓁの警察
官調書写し(同審弁護人請求証拠番号92)によれば,ⓁがⓀの遺体が発見される以前からⓀが堆肥に埋まっていることを知っていたことをうかがわせる不可解な言動をしていたことが認められ,同審において職権で施行されたⓁの証人尋問においても上記不可解な言動の趣旨について合理的な説明がなされているとはいえないことも併せ考慮すると,Ⓛ及びⓂがⓑの脇に横たわっているⓀを軽トラックで迎えに行き,Ⓚを軽トラックの荷台に放り込み,Ⓚ方まで搬送したことはその他の証拠関係と矛盾することなく認定できるとしても,Ⓚ方に到着した後の出来事に関するⓁ及びⓂの各供述部分は俄かに措信し難いものといわなければならない。そうすると,Ⓛ及びⓂの各供述によって,本件当夜,Ⓛ及びⓂが生きているⓀをⓀ方土間に放置して退出したという事実をそのまま認定することはできず,新旧全証拠を通覧しても,
ウ㋑で推認される事実は,「前記㋐で推認される事実と併せて,Ⓚは,同日夜,Ⓛ及びⓂによってⓀ方に運ばれた後,遅くとも翌朝頃までの間に何者かによってⓀ方堆肥置き場に運ばれ,堆肥に埋没させられたものであり,遅くとも堆肥に埋没させられるまでの間には死亡していたものと推認できる」という程度にとどまることとなる。

㋒において,「Ⓚが,同人方中六畳間において,

脱糞及び失禁をしたことがうかがわれる」としていた部分は,その間接事実自体は動かないものの,同間接事実はそれ自体としてⓀの生命身体に対して発生した異常事態の時期や経緯を具体的に推認し得るものではなく,同㋑で推認される前後の事実経過と併せて初めて,「Ⓚは,同月12日夜,Ⓛ及びⓂによってⓀ方に運ばれた後,これと隣接する中六畳間において,脱糞及び失禁を伴う態様で死亡するに至り,その後,何者かによってⓀ方牛小屋の堆肥置き場まで運ばれて,堆肥
に埋没させられたもの」と推認し得るものである。そうすると,せいぜい,仮にⒻ及びⒼが供述するとおり中六畳間においてⓀを絞殺したという出来事があったとするならば現場の状況は矛盾しない(Ⓓ,Ⓕ及びⒼが犯人であるとしても矛盾のない証拠関係である)という程度にとどまるものとなる。
㋓において,「本件当夜Ⓚ方敷地内に立ち入る可能性のあ
る来訪者が証拠上想定されないことと前記㋒で推認される事実と併せて,Ⓚを殺害して堆肥に埋没させた犯人は,Ⓚ方の居宅及び牛小屋の状況を熟知し,道具を持ち込むことも容易なⒻ方及びⒼ方の居住者である可能性が高い」とした点については,ⓀがⓁ及びⓂによってⓀ方土間に放置されたという事実及びⓀが何者かに窒息死させられたという事実が認められなくなる結果,Ⓚ方の来訪者をそれ以降の時点に限定すべき根拠も,その来訪者がⓀを殺害したという根拠もなくなる上,少なくとも,証拠上,無関係な第三者とはいえなくなったⓁ及びⓂが,現に夜間Ⓚ方に来訪し,ⓁがⓀ方牛小屋に立ち入って作業を行った事実を容易に認定できることに照らすと,Ⓕ方及びⒼ方の居住者以外の者が,何らかの理由で死亡したⓀの遺体を堆肥に埋没させることが容易でないとはいい切れないことになるから,その犯人像につき,Ⓕ方及びⒼ方の居住者に限定すべき合理的根拠も存しないこととなる。なお,前記イで説示したとおり,本件では,Ⓚの遺体が何者かによってⓀ方牛小屋堆肥置き場の堆肥中に埋没させられて遺棄されたことは証拠上明らかであるところ,その動機としては,犯跡隠ぺい目的であることがうかがわれ,その意味でⓀが殺害された可能性を示唆するものとはいえても,だからといって,この事実のみから,死体を遺棄した者が殺意を持ってⓀを殺害したと推認することはできないし,その犯人がⒻ方及びⒼ方の居住者に限られるということもできない。

㋔において,「Ⓓは,日頃からⓀのことを快く思っておら
ず,本件当夜も,ⓀがⓁらに迷惑をかけたことを謝ったりした後,前後不覚の状態で土間に放置されていたⓀの様子を確認していること,Ⓓ,Ⓕ及びⒼにはⓀを殺害する動機があると推認できること,Ⓚを殺害する動機を有する者の中で,本件当夜,Ⓚが殺害される前に,Ⓚが前後不覚の状態で土間に放置されていることを知っていた者はⒹであり,前記㋓のとおり,Ⓚ方に侵入してⓀを殺害し,牛小屋堆肥置き場まで遺体を運搬して堆肥に埋没させることを,Ⓕ方及びⒼ方の居住者に気付かれずに行うことは容易でなく,現実的な可能性として犯人として想定できるのは,Ⓓの他にⒻ及びⒼらⒻ方及びⒼ方の居住者しかいないことを併せ考えると,本件の犯人にⒹ,Ⓕ及びⒼのうちのいずれかが含まれている可能性は高い」とした点については,Ⓓ,Ⓕ及びⒼにⓀを殺害する動機があると推認できることに変わりはないものの,そもそも泥酔したⓀがⓁ及びⓂによってⓀ方土間に放置されたという事実に疑問が残る以上,Ⓓがその事実を認識していたと認めるに足りる合理的根拠も存しないこととなり,Ⓚは転落事故に伴い出血性ショックにより死亡した可能性が高いとされていることとも併せ考慮すると,Ⓚが何者かに殺害されたという前提で,その犯人像を想定することはできないから,現場付近の状況を根拠として,Ⓓ,Ⓕ及びⒼがⓀを殺害した犯人とみるのはその前提を欠くものであって,合理的な根拠がないといわざるを得ず,そうである以上,Ⓓ,Ⓕ及びⒼがⓀの遺体を運搬して堆肥に埋没させる動機も見当たらないことになり,上記3名にⒽを加えた4名が死体遺棄の犯人であるとみるのもまた,相当困難ということになる。
このような客観的状況を踏まえて,Ⓕ,Ⓖ,Ⓗ及びⒺの各供述をみると,Ⓓが,Ⓚが前後不覚の状態であることをⒼ及びⒻに告げ,その
後,Ⓓ,Ⓖ及びⒻが共にⓀ方に行き,土間に放置されていたⓀにこもごも暴行を加え,その後,Ⓚ方中六畳間において,ⒹがⒻにタオルを渡して,Ⓚの足を押さえ,ⒼがⓀに馬乗りになり,Ⓚの手を押さえた状態で,ⒻがタオルでⓀの首を力一杯絞め続けて殺害し,その後,ⒼがいったんⒼ方に戻り,Ⓗに加勢を頼み,Ⓕ,Ⓖ及びⒽが,Ⓓの照らす懐中電灯の灯りを頼りに,Ⓚ方牛小屋堆肥置き場までⓀの遺体を運び,ホーク及びスコップを使ってⓀを堆肥に埋没させたという点で,Ⓕ及びⒼの各供述は大筋において合致しており,Ⓖから加勢を頼まれた以降の経過についてはⒽの供述も同様に大筋において合致しており,Ⓔの供述もこれと矛盾するところはないものの,上記各供述に現れた事実経過は,前記客観的状況による推認の裏付けを欠き,せいぜいその供述が真実であるとするならば客観的状況としては矛盾しないというにとどまる。加えて,土間に放置されていたⓀにこもごも暴行を加えた後,中六畳間でⒹ及びⒼがⓀの手足を押さえた状態でⒻがタオルをⓀの首に巻いて力一杯絞め続けたという犯行態様を裏付ける客観的証拠(Ⓘ旧鑑定)の信用性は否定されており,かえって,頸部圧迫による窒息死とみるのは矛盾するとの客観的証拠(Ⓐ鑑定)が存在するから,このような供述が大筋において合致しているからといって,直ちに信用できるものではない。以上のⒻ,Ⓖ及びⒽの各供述の信用性に関する評価を前提として,改めて検討すると,これらの各供述は,いずれも,あいまい,不自然,不合理で,迫真性がなく,核心部分も含めて変遷している箇所もみられるという特徴を有することから,一般的には信用性を否定する方向に働くものである。確定審においては,その供述が核心部分において客観的状況に符合し客観的証拠によって裏付けられていたから,その限りにおいては各供述を大筋において信用する妨げとなるものではなかったが,前記のとおり,Ⓐ鑑定がその
立証命題に関連する旧証拠に及ぼす影響により,信用性判断においてⒻの確定審判決がⒻらによる犯行を推認させ,自白供述の信用性の基礎となった客観的状況による推認力が失われ,客観的証拠(Ⓘ旧鑑定)の裏付けも失われるばかりか,かえって,客観的証拠(Ⓐ鑑定)と核心部分において整合しないこととなる結果,前記の特徴を有するⒻ,Ⓖ及びⒽの各供述を,そのまま信用することはできないものと判断するのが合理的である。しかも,Ⓕ,Ⓖ及びⒽはいずれも通常人より知能が低いとされており,自己の経験を正確に記憶し,その記憶を保持した上で,自身の言葉で的確にこれを表現する能力にも疑問があるから,前記の信用性判断と併せ考慮すると,各供述の信用性は一層低下することになる。
以上によれば,Ⓐ鑑定が確定審において取り調べられた場合には,確定審におけるⒻ,Ⓖ及びⒽの各供述は,前記特徴を有することからもともと信用性に問題を孕んでいたところ,信用性を基礎付ける客観的根拠が失われることにより,その信用性には重大な疑義が生じることとなる。
なお,念のため,Ⓕの確定審判決の心証形成過程を離れて,新旧全証拠を通覧して確定1審判決とは異なる観点から各供述の信用性を検討しても,Ⓕ,Ⓖ及びⒽの各供述の信用性を高める事情は何ら発見できないばかりか,かえって,Ⓓの確定控訴審において,Ⓕは,Ⓓの関与のみならずⒻ自身の関与も否定する証言をしていること,Ⓓの第1次再審において,自身の刑が確定し服役も終えたⒽは,Ⓓの確定1審ではⒹを陥れるため故意に作り話をしたものであり,実際にはⒹの確定1審で証言した事実は存在しなかった旨具体的かつ詳細に証言していること,Ⓔは,ⒹがⒼにⓀの殺害を持ち掛け,Ⓖがこれを承諾した事実はなかった旨証言していること,ⒼがⒹの第1次再審弁護人に対
し本件犯行に関与していない旨述べていた事実を記載した聴取事項反訳書(同審弁護人請求証拠番号2)が存することが認められ,これらの変遷後の各供述の存在はいずれもⒻの確定審判決が「証拠の標目」に挙示した変遷前の各供述の信用性を低下させるものである(なお,これらのⒹの第1次再審までに現れたⒻ,Ⓖ,Ⓗ及びⒺの変遷後の各供述は,新証拠であるⒶ鑑定が確定審で提出されていなかった場合には,客観的状況に照らしてⒻ方及びⒼ方の居住者のいずれかが犯人である可能性が高いという旧証拠関係を前提とした判断がなされることとなり,Ⓕ,Ⓖ,Ⓗ及びⒺの変遷後の各供述は,前記客観的状況と矛盾することになるから,各人が何らかの思惑により真実と異なる供述をしたものとみるほかないということになる。そうすると,このような変遷後の供述の存在によって変遷前の供述の信用性が低下することはない。Ⓓの第1次再審即時抗告審決定においてこれらの各供述について新証拠としての明白性が否定されたのはこのような判断が根底にあったものと解されるが,前記のとおり新証拠であるⒶ鑑定が提出され,これにより客観的状況の推認力も客観的証拠による裏付けも失われ,かえって客観的証拠と矛盾するという影響が旧証拠関係に及ぼされた原審時点における証拠関係においては,前記各変遷後の供述の信用性は直ちに排斥できず,タオルで力一杯首を絞め続けてⓀを殺害したという行為に及んだことを否定するⒻ及びⒼの変遷後の各供述はその核心部分において客観的証拠(Ⓐ鑑定)に沿う内容とも評価できることも併せて検討すると,前記変遷後の各供述についてⒹの第1次再審即時抗告審決定において異なる証拠評価がなされたことは当審の前記判断と抵触するものではない。)。
また,第2次再審即時抗告審決定においては,確定審で取り調べられたⒺの供述調書(Ⓓの第1次再審弁護人請求証拠番号82ないし8
4)及びⒺがⒹの確定審においても同趣旨の供述をしていることを指摘し,Ⓔの上記各供述が信用でき,同供述がⒻ,Ⓖ及びⒽの各供述の信用性を支えるものと説示されており,これは当審の前記判断との関係では新旧全証拠を通覧して確定審判決とは異なる観点から各供述の信用性を別途肯定しようとした部分と解する余地もあるので一応検討すると,Ⓓの確定1審におけるⒺ証言のうち,ⒹがⒼに「Ⓚさんをどうにかして殺したいから加勢しろ。」と言い,Ⓖが「ぶっ殺せば。」と返事をしたという点については,ⒹがⒼにⓀの殺害を持ちかけてⒼがこれを了承したという共謀経過を目撃した状況と評価できるものの,この供述は,夫であるⒼが殺人の犯人として逮捕された後になって初めて供述されたという供述経過をたどり,かつ,その内容もⒹがⒼにⓀ殺害を持ちかけてきたというものであって,一般的には夫であるⒼの刑事責任を軽減するためにⒹを首謀者に仕立て上げる巻込み供述の危険性を念頭に置いて慎重に検討すべき供述である。前記Ⓔ証言のうち,本件当夜Ⓖが帰ってきて「Ⓚをうっ殺してきた」と言ったのを聞いたとする部分,Ⓗが「加勢をした」と言ったのを聞いたとする部分は,その直後に「(そういう言葉を聞きながらも)いつもふだん使われている言葉ですから気にしなかったんです。」との証言が続いており,その供述経過に照らして解釈しても,上記証言部分は,Ⓖが日頃から喧嘩をするときに「うっ殺す」という言葉を使っており,今回もⒺはそのような意味に理解しておりⒼがⓀを殺害してきたとは思わなかった,Ⓗも何かの手伝いをしてきたらしいが何をしてきたのかは知らなかったという程度の内容と評価すべきものであり,このような供述について,Ⓔが「夫と実の子が殺人や死体遺棄という重大事案に関与した旨自認していた」と評価し,「そのような虚偽を述べるということには強い心理的葛藤があってしかるべきであり,そのような経過
は悔恨と共に深く記憶に残ると考えられるのに,そのような様子は全くうかがわれない」と評価することは到底できず,Ⓔの前記証言に関する第2次再審即時抗告審決定の証拠評価には賛同し難いものがある。もっとも,第2次再審即時抗告審決定は,最終的には「Ⓕ,Ⓖ,Ⓗの自白があり,それはⒺ供述によって支えられており,客観証拠もこれと矛盾していない」との判断を示していることに照らすと,Ⓔ供述の存在のみを根拠に,供述自体にも問題点が内在するⒻ,Ⓖ及びⒽの各供述の信用性を肯定する趣旨とは解されず,客観的状況による推認や客観的証拠による裏付けがあることを前提として判断していることは明らかであり,客観的状況による推認や客観的証拠による裏付けを欠くばかりか,核心部分が客観的証拠と整合しないという前提でⒻ,Ⓖ及びⒽの各供述の信用性を否定した当審の前記判断と抵触するものではない。
また,検察官は,当審において,確定審判決が依拠したⒻ,Ⓖ,Ⓗ及びⒺの各供述について,その内容の不自然性,不合理性等,供述自体に内在する問題点を指摘する原決定に対する反論として,原決定の説示が不合理であることを縷々主張するところ,当審の前記判断との関係では,これらの主張は,Ⓕ,Ⓖ,Ⓗ及びⒺの各供述内容についてはその信用性を低下させるほどの不自然性,不合理性等の問題点は存せず,各供述それ自体に一定の信用性が肯定できるから,客観的状況による推認や客観的証拠の裏付けを欠くばかりか,核心部分が客観的証拠と矛盾するとしてもなお,各供述が信用でき,確定審判決の事実認定に合理的疑いを生じさせることはないとの主張と位置付けられるべきものであるところ,当審における検察官の前記主張は,結局のところ,確定審判決と同様の立場で,客観的状況に符合し大筋において各供述が合致することから基本的に信用性が高いという前提に立ち,
供述自体に一見内在するように見える問題点についてはいずれも別の見方も可能であり,基本的に信用性が高いとの信用性判断の妨げとなるものではないというものに帰するものであり,客観的状況による推認や客観的証拠の裏付けを欠くばかりか,核心部分が客観的証拠と整合しないとしてもなお,各供述を信用して事実認定の基礎とし得る程度の信用性が供述それ自体に肯定できるとするものとは評価できず,当審における検察官の上記主張を踏まえても,当審の前記判断は揺るがない。
他に,新旧全証拠を通覧して確定審判決とは異なる観点から各供述の信用性を別途肯定し得るに足りる事情は見当たらない。
以上の検討により,Ⓐ鑑定が確定審において提出されていた場合,その立証命題に関連する旧証拠に及ぼす影響により,確定審判決の事実認定は維持し得なくなり,新旧全証拠をもってしても確定審判決の認定した殺人,死体遺棄の事実を認定するに十分な証拠はないこととなるから,新証拠であるⒶ鑑定は,新旧全証拠との総合判断により,確定審判決の認定した殺人,死体遺棄の事実認定に合理的疑いを生じさせるに足りる証拠であると認められ,刑訴法435条6号所定の「無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠」に該当する。
5
小括

よって,Ⓐ鑑定の明白性に関する所論は,一部において正当な指摘を含むもので,Ⓐ鑑定の明白性を肯定する原決定の理由付けは賛同し難いものではあるが,Ⓐ鑑定の明白性を肯定した原決定が結論において正当であることは前記のとおりであるから,所論は結局理由がなく,論旨は理由がないことに帰する。
第3

結論

よって,本件即時抗告は理由がないから,刑訴法426条1項後段
により主文のとおり決定する。
平成30年3月12日
福岡高等裁判所宮崎支部
裁判長裁判官

根本
裁判官

渡邉一昭
裁判官

諸井明仁渉
トップに戻る

saiban.in