判例検索β > 平成27年(行コ)第421号
事件番号平成27(行コ)421
裁判年月日平成30年3月27日
法廷名東京高等裁判所
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主文1
本件控訴を棄却する

2
控訴費用は控訴人の負担とする。

第1

実及び理由
控訴の趣旨

1
原判決主文第1項中被控訴人らに関する部分を取り消す。

2
被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

第2
1
事案の概要
本件は,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下「被爆者援護法」という。)1条の被爆者である被控訴人A,被控訴人B,被控訴人C,被控訴
人D,被控訴人E及び一審原告F(以下「亡F」という。)を含む17人が,被爆者援護法11条1項の規定による認定(以下「原爆症認定」という。)の申請をしたところ(以下,上記17人を「本件申請者ら」という。),処分行政庁がこれらの申請をいずれも却下する処分(以下,併せて「本件各却下処分」という。)をしたため,本件申請者らが,控訴人に対し,本件各却下処分の取
消しを求めた事案である。
原審は,本件申請者らのうち一審原告Gの請求を一部棄却したほかは,本件申請者らの請求をいずれも認容し,控訴人が,被控訴人らに関する部分の取消しを求めて控訴を提起した。
なお,亡Fは死亡し,被控訴人F1,同F2及び同F3(以下「被控訴人F
1ら」という。)が訴訟を承継した。
2
法令の定め,前提事実,争点及びこれに関する当事者の主張は,次のとおり補正し,後記3のとおり当審における当事者の主張を付加するほかは,原判決の「事実及び理由」第2章の第2,第3の1ないし3,4の⑴,⑽,⑿
ないし⒁及び⒃並びに6ないし8並びに第4の1(ただし,原判決別紙4については,第1章の第5の5並びに第2章の第2ないし第9,第11,第15及び第17を,原判決別紙5については,第3章の第2ないし第9,第11,第15及び第17を,それぞれ除く。)及び2並びに3の⑴,⑽,⑿ないし⒁及び⒃に記載のとおりであるから,これを引用する。
(原判決の補正)
原判決33頁23行目末尾の次に改行の上,以下を加える。

「エ

亡Fは,平成27年5月10日,死亡し,被控訴人F1らが同人を相続した。」
同84頁8行目の「原告F」を「被控訴人F1ら」と改める。
同85頁9行目の「現在でも」から同頁10行目の「であり」までを「平
成27年5月10日まで,申請疾病である脳梗塞の治療のため,a病院に入
院していたが,同日死亡し」と改める。
3
当審における当事者の主張
原爆症認定における放射線起因性の判断基準について
(控訴人の主張)


放射線起因性の判断枠組みについて
実務上,放射線起因性の要件該当性に係る判断枠組みについては,当該疾病の発症等に至った医学的,病理学的機序を直接証明することを求めるのではなく,当該被爆者の放射線への被曝の程度と,統計学的,疫学的知見等に基づく申請疾病等と放射線被曝との関連性の有無及び程度
とを中心的な考慮要素としつつ,これに当該疾病等の具体的症状やその症状の推移,その他の疾病に係る病歴(既往歴),当該疾病等に係る他の原因(危険因子)の有無及び程度等を総合的に考慮して,原爆放射線の被曝の事実が当該申請に係る疾病若しくは負傷又は治癒能力の低下を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性が認められるか否かを経験則に
照らして判断するという枠組みが採用されている。
このような枠組みが採用されているのは,放射線が人体に影響を与える機序は,科学的にその詳細が解明されておらず,この点に関する知見は,統計学的,疫学的解析による有意性の確認等の限られたものしかなく,このような限界から,立証命題である原爆放射線の被曝によって特定の個人について申請疾病の発症を招来したという事実的因果関係の過程を逐一解明することは困難であり,その困難を埋める方法は,経験則に基づく推認に頼らざるを得ないという特質が存するからである。もっとも,そこで用いられる経験則は,疫学的知見という特定の原因から特定の結果が生じ得るという原因・結果の蓋然性を示すものにとどまり,高度の蓋然性をもってする証明を厳格に要求することは,真に救
済されるべき被爆者が救済されないという事態を招きかねない。他方,被爆者援護法は,「放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ」,放射線に起因して発症したことが証明された場合に限り,他の戦争被害者には認められていない高額の特別手当を支給することとしているのであり,被爆者手帳の交付を受け
た者であれば誰でも疾病罹患のみを要件として上記のような高額の給付を受けられるということになれば,もはや被爆者援護法の趣旨を超えるものといわざるを得ない。このような事態は,大なり小なり受けた戦争の犠牲を等しく甘受することで成り立ってきた社会的コンセンサスを揺るがすことになりかねず,国民の理解を得られるものではない。

したがって,放射線起因性の判断は,前記のような特質に基づく困難性を踏まえつつも,客観的かつ公正妥当なものとなるよう慎重になされなければならないのであって,同判断においては,原爆放射線被曝ではない私的な要因に基づく疾病の発症を,原爆症認定の対象からより分けることが求められている。

このような客観的かつ公正妥当な判断を実現するためには,放射線と疾病の発症との関係に係る疫学的知見を的確に分析し,因果関係判断の基礎となるべき科学的経験則の有無及びその内容を正しく把握すること(考慮要素①),概括的にではあっても,線量反応関係に当てはめることが可能な程度に,客観的かつ定量的な個人の被曝線量を科学的な知見に基づいて的確に評価すること(考慮要素②)並びに原爆放射線以外の要因による発症リスクの検討及び評価を始めとしたその他の諸事情(当
該疾病の特異性を表す事情や原因を推測させる事情等)を考慮すること(考慮要素③)がいずれも必要である。

放射線と疾病の発症との関係に係る疫学的知見の的確な分析(考慮要素①)について

放射線起因性の判断における立証命題は,原爆放射線の被曝によって特定の個人に係る申請疾病の発症を招来したという因果関係であるから,最小限の要素として,事実的因果関係(自然的因果関係)の存在が求められる。そして,これは,まずは,科学的・医学的確証が得られるか否かにより判断されるべきである。

放射線起因性の要件該当性判断は,当該時点における科学の水準を的確に把握した上で,これを基礎に据えて,諸般の事情によってこれを補強し,反証を克服して行われるべきものであり,科学的認識と共通の基盤に立つものであるから,一定の法則性を備えた科学的知見に反する判断や,ある知見を評価するに当たって当該知見が属する分野の原理・原
則ともいうべき基本的な考え方に反して評価することは,経験則に反し,許されない。
放射線起因性の判断において用いる科学的経験則の多くは,放射線と疾病との関係を疫学によって研究した知見の集積から導き出されることになるところ,疫学研究を用いるに当たっては,相関関係(統計学的関
連性)の有無を確認し,更にその有意性を確認しなければならないこと,有意な相関関係が認められたとしても,直ちに疫学的な意味での因果関係が認められるものではなく,①相関関係に誤った影響を及ぼすバイアスを除去する必要性があること,②相関関係に誤った影響を及ぼす交絡因子と呼ばれる他の原因を除去する必要があること,③疫学的因果関係として一般に受け入れられるには,更に因果関係の判断基準を備える必要があることが留意されなければならない。

因果関係の存在についてある疫学的な仮説が設定された場合,当該仮説には一般的に疫学的因果関係の判断条件や,交絡因子等のバイアス,偶然による影響等についての疑義が呈され,これに対し科学的共同体における検証とコンセンサスの付与を経ながら,当該仮説が一般的な因果関係についての法則として確立していくというプロセスを経る。したが
って,ある疫学研究の結果に基づく科学的意見Aについて研究者間においてコンセンサスが得られていない場合や,少なくともこれに矛盾する考え方Bが成り立ち得る場合,当該意見Aを経験則として用いるためには,当該意見Aについて,反対の考え方Bを上回る合理性がなければならず,その合理性の有無については,科学的観点から慎重に吟味されな
ければならない。そして,これら合理性の存在についての主張立証責任は,当該経験則の存在について主張立証責任を負う被控訴人らが負担するべきである。

科学的経験則を特定の個人に当てはめ,放射線起因性の判断に用いるためには,的確な線量評価が不可欠であること(考慮要素②)について疫学研究において,放射線被曝と疾病の発症とが線量反応関係をもって認められた場合,これを特定の個人に適用することによって得られるものは,特定の個人が被曝した定量的な放射線量を前提として,これに線量反応関係をもって対応する当該個人の疾病発症リスク(相対リスク)
の程度を推定することができるということであり,かつ,これに尽きる。このように,線量反応関係による疾病発症リスクの推定が,定量的に算出された放射線量を前提とすることによれば,ある程度概括的であるとしても,当該個人の被曝線量を定量的に算出しなければ,疫学的知見に基づいて疾病発症リスクを推認することはできない。
現在における定量的な被曝線量の推定方法については,主として,①物理学的推定法,②生物学的推定法,③放射線被曝により生じた身体症状(急性放射線症候群)から推定する方法がある。
このうち,①物理学的推定法は,爆心地からの距離と遮蔽状況を基に計算によって被曝線量を求めるものであり,原爆被爆者の被曝線量の推定方法として最も基本的なものと位置付けられる。また,②生物学的推
定法は,実際に被爆した人の生体試料を調べて,その検査結果から線量を推定する方法をいい,この方法により求められた推定線量の信頼性は高いことが判明している。他方で,③放射線被曝により生じた身体症状(急性放射線症候群)から推定する方法は,被曝線量ごとの前駆症状の種類や出現時期,潜伏期の期間,主症状の種類,出現時期等の特徴から,
被曝線量をおおまかに推定するものであるが,この急性放射線症候群に係る知見は,原爆被爆者に限らず,多様な事故経験等を踏まえたものであり,また,同方法は,明らかな高線量被曝が前提となった段階で初めて適切な適用ができるものである。さらに,疫学的手法による被爆者の身体症状の解析においては,調査時期によってリコールバイアス(思い
出しによるバイアス)が生じる可能性があり,また,原爆症認定や被爆者健康手帳の交付が受けられるかもしれないという状況においては,レポーティングバイアス(情報提供者の意欲の差に基づく系統的誤差)なども起きやすく,精度に問題が生じやすい。
以上によれば,被曝線量を推定する上記3方法については,物理学的
推定法を基本としながら,生物学的推定法を併せて総合的に考慮されるべきであり,放射線被曝により生じた身体症状(急性放射線症候群)から推定する方法は,物理学的推定法及び生物学的推定法が有効でなく,その他の情報から高線量放射線被曝が確信されているような場面において,被曝線量の程度を測る目的で暫定的に使用されるべきものにすぎない。
初期放射線の評価については,物理学的推定方法であるDS02は相
当の科学的合理性を有し,これによって一定の合理性を持って初期放射線の被曝線量を推定することができるのであり,実際の被曝線量が,これによって推定される被曝線量に比べて,数百倍,数千倍となるものではない。
また,残留放射線の評価について,放射性降下物による放射線の被曝
線量,誘導放射線の被曝線量,内部被曝の影響,急性症状等に関する各種の文献に記載された内容の多くは,多義的で多様な評価が可能であり,安易に一般化することはできない。

原爆放射線以外の罹患リスクの的確な評価(考慮要素③)について疫学研究において放射線被曝と疾病の発症とが線量反応関係をもって認められた場合,これを特定の個人に適用することによって得られるものは,特定の個人が被曝した定量的な放射線量を前提として,これに線量反応関係をもって対応する当該個人の疾病発症リスク(相対リスク)の程度を推定することができるということであり,かつ,これに尽きる
のであり,直ちに,放射線被曝が当該被爆者に生じた疾病の原因を構成することを意味するものではない。
したがって,放射線被曝と当該疾病との間に関連性が認められる場合であり,かつ,他原因が考えられる場合,当該疾病がいずれに起因して発症したかについては,放射線被曝による当該疾病の発症リスク等と他
原因による発症リスク等を慎重に比較することが重要である。
そして,因果関係の判断に際して,特定の結果の発生が他の原因によるものであるか否かが問題となる場合,他原因の可能性については,因果関係について主張立証責任を負う者(本件では被控訴人ら)が高度の蓋然性をもって否定する必要があるのに対し,その対立当事者(本件では控訴人)は,反証として,当該結果の発生が専ら他原因によるのではないかとの疑いを抱かせる程度の立証をすれば足りる。
なお,他の疾病要因と共同関係があったとしても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるような特段の事情がなければ放射線起因性が否定されることはないと解することは,誤りである。
すなわち,放射性起因性の判断について上記のように解する場合には,原爆放射線被曝と原爆放射線以外の疾病要因とが相互に作用し合って申請疾病を発症させ得る関係にあることを当然の前提とすることになるが,このような医学的経験則を認めることはできない。また,放射線被曝と疾病発生との関連性を示唆ないし肯定する疫学的知見の存在があれば直
ちに,原爆放射線被曝が現に発症した疾病の発症原因となることを前提とすることとなるが,被控訴人らの疾病はいずれも医学的には原爆放射線被曝の関与がなくとも一般的に発症し得る疾病であるから,放射線被曝は発症の「必要な原因」ではなく,放射線被曝と疾病発症との関連性を肯定する疫学的知見の存在をもって,現に疾病の発症が「促進された」
と認めることはできない。さらに,「特段の事情」として,申請疾病が原爆放射線以外の疾病要因によって発症したものであることについての主張立証責任を控訴人に課し,又は,放射線起因性について事実上の推定が成立することを前提として,これを覆滅するための間接事実の立証負担を控訴人に課すことになることも不当である。

放射線起因性の判断に当たっては,当該申請者の放射線被曝の程度が,他のリスク要因の寄与がなくとも,当該放射線の放射能の影響のみで当該疾病を発症させる程度のものであったか否かが,まず検討されるべきである。
(被控訴人らの主張)

放射線起因性の判断枠組みについて
控訴人の主張は,原爆放射線の人体影響が未解明であることを前提に,
高齢化の進行している被爆者の救済を図ろうとしている被爆者援護法の趣旨・目的を無視するものであって,これまでの原爆症認定訴訟の判決において示された司法判断枠組みにも反する特異な考え方である。控訴人自身が,原審係属中に放射線起因性を争っていた一審原告4名について申請却下処分を自ら取り消し,9名の一審原告について控訴を断念した事実から
も,控訴人の主張が破綻していることは明らかである。

因果関係の判断について
訴訟上の因果関係は,自然科学的な因果関係ではなく,法的評価としての因果関係の存否である。そこでは,個々の法制度上の法的評価とし
ての因果関係が追求されているのであって,必要とされるのは自然科学的なメカニズムの解明ではなく,価値評価を内包する歴史的事実の証明である。そして,不法行為上の因果関係の判断に帰責判断という価値評価が含まれるように,本件事案において,放射線起因性が認められるか否かについては,原爆放射線の人体影響が未解明であることを前提に,
高齢化の進行している被爆者の救済を図ろうとしている被爆者援護法の趣旨・目的を踏まえて,判断がされなければならない。
最高裁平成12年判決は,放射線起因性については,蓋然性の程度までに証明されなくても,相当程度の蓋然性の証明があれば足りるとして放射線起因性を肯定した原審の判断について,相当程度の蓋然性の証明
では足りないとした上で,高度の蓋然性の証明があるとして原審の事実認定を是認したものである。同判断については,「最高裁は高度の蓋然性について,原審が考えたほどの高度の立証が必要なものとは考えておらず,当事者双方の立証状況,原告の証拠提出(収集)の現実的可能性等を踏まえた上,他原因の可能性との総合評価において,当該事実が当該原因の結果であることについて高度の蓋然性を肯定することができるものであれば足りると考えているように思われるとの評価がされている。
控訴人が主張する「高度の蓋然性」は,上記判例が要求していない「一点の疑義もない自然科学的証明」を求めるに等しいものである。

線量評価について
原爆による放射線被曝の特徴は,初期放射線被曝,残留放射線被曝,外部被曝及び内部被曝と,被爆者に対し,非常に多様な被曝をもたらすこと
にある。このような多様な被曝態様の中で,被爆者の被曝線量を推定することには困難が伴い,未だ解明されていないものといわざるを得ない。特に,残留放射線量の評価は極めて困難であるが,これを無視ないし軽視して放射線被曝の程度を判断することは許されない。

原爆放射線以外の罹患リスクの評価について
控訴人の主張は,最高裁平成12年判決の「脳損傷は,直接的には原子爆弾の爆風によって飛来したかわらの打撃によって生じたものではあるが,原子爆弾の放射線を相当程度浴びたために重篤化し,又は右放射線によって治癒能力が低下したために重篤化した結果,現に医療を要す
る状態にある,すなわち放射線起因性があるとの認定を導くことも可能であって,それが経験則上許されないものとまで断ずることはできない」との判示や,判例理論の集大成といえる第1次東京訴訟東京高裁判決(同裁判所平成21年5月28日判決)における,被爆者援護法の措置が国の国家補償的措置として行われるとの趣旨を放射線起因性の判断の
根底とし,かつ前文が指摘する「被爆者の高齢化」を重視し,厳密な科学的解明を待つ必要はないとした旨の判示にも明確に反するものである。また,控訴人の主張は,「疫学上(過剰)相対リスクが小さかった場合,それに伴い放射線の影響が存在する可能性も小さくなる」ことを前提とするものと考えられるが,放射線による(過剰)相対リスクが認められるということは,曝露群に発症した疾病のすべてについて,放射線による発症,又は進行の促進が認められることを意味する。このことは(過剰)相対リスクの値の大小とは関係がなく認められる疫学上の事実であり,その値の大小により,放射線の影響を判断することはできない。むしろ,相対リスクが1以上(過剰相対リスクが0以上)であること自体が重要であり,(過剰)相対リスクは,疾病と放射線の影響が認めら
れるか否かのみを示し,その大小を示すものではない。
そもそも放影研等の疫学調査において,喫煙や飲酒等の交絡因子の影響を検討し,その交絡因子の影響を除いたとしてもなお放射線被曝の影響が残存するか検討することは,疫学の基本的・中心的手法であって,疫学調査により当該疾病と放射線被曝との間に線量反応関係が認められ
るということは,喫煙や飲酒等の交絡因子の影響は小さく,その影響を除いても放射線被曝の影響が残ることを意味している。したがって,放影研等の疫学調査により,当該疾病と放射線被曝との影響が認められ,又は示唆される場合において,すでに検討済みの喫煙や飲酒等の交絡因子の存在を再度検討することは,無意味なだけではなく,有害である。
控訴人が(控訴人の主張

は,被爆者援護法

の趣旨・目的を無視するものであり,自らの原爆症認定行政とも矛盾するものである。処分行政庁自身,再改訂後の新審査の方針(乙A16)において,「放射線被曝による健康影響が必ずしも明らかでない部分を含め,次のように「積極的に認定する範囲」を設定する」とした上,この範囲においては「格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被爆した放射線との関係を原則的に認定する」等としているのであり,健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をした者について,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるような特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはないとすることは,当然である。被控訴人Aの疾病の放射線起因性について
(控訴人の主張)

下咽頭がんと放射線の関連性について
最新のUNSCEAR2010年報告書(乙Dイ11)等によれば,がんと放射線被曝との関係については,放射線による健康影響があると科学的な事実として認められている被曝線量,すなわち,発がんのリス
クが統計学的に有意に上昇する範囲,発がんのリスクと放射線量を関数で表すと当該グラフに直線性がある範囲は,0.1ないし0.2グレイ以上であり,0.1グレイを下回る放射線では健康影響があるとはいえない(直線性があるか否かを含めて,どのようなグラフになるか分からない。)というのが,現在の科学的知見の到達点である(伴信彦東京医
療保健大学教授作成の意見書。乙C99・2頁)。下咽頭がんの場合,殊更に低線量域において健康影響が認められることが明らかになっているわけでもない。
放影研の「原爆被爆者の死亡率に関する研究第14報」(平成24年)(乙C10の3。以下「LSS第14報」という。)においても,放射
線の健康影響が認められる線量域(有意な関連性が認められる線量域)が,0.1グレイ以上ではなく,0.2グレイ以上に引き上げられている。なお,同報では,統計学的な解析の結果,総固形がん死亡の過剰相対リスクは,被曝放射線量に対して直線の線量反応関係を示し,その最も適合するモデル直線のしきい値はゼロであるとされているが,全線量
域においてしきい値のない直線が最もフィットしたとしても,直ちに低線量域においても当然に同様の関係が妥当するものではない。実際に,放影研の古川恭治らによる「放射線・線量反応推定におけるベイジアン・セミパラメトリックモデル」(乙C152。以下「古川らモデル報告」という。)において,新しい統計手法を用いてLSSのデータを解析したところ,低線量域においてリスク推定値が低く,信頼区間推定が広くなり,0から0.1グレイまでの放射線被曝によるリスクの上昇は明らかでないことが示されている(乙C152・3頁)。
なお,前記LSS第14報では,個別のがん部位に着目した場合,「大部分は統計学的に有意ではなかった。」とされているのであって,大部分のがんにおいては,「若年被爆者ほどリスクが高い」とは認めら
れていない(甲A614の3・9及び10頁)。
BEIR委員会の報告書は,LNT(線形非しきい値)仮説が仮説にすぎず,0.1グレイ以下の線量域では有意な影響が観察されていないことを前提とした上で,あくまで「リスク推定において」,「放射線被ばくに伴うがん化の仕組みに重きをおき」,「いかなるリスクモデルが
リスク推定に合理的であるか」を議論したものにすぎない(乙B240・13頁)。
ICRP2007年勧告は,「このモデル(LNT仮説)は科学的に正当性が検証されたことのない1つの仮定である。」などとして,LNT仮説があくまで科学的に正当性が検証されたことのない仮説であるこ
とを前提とした上で,放射線防護を目的としてLNT仮説を採用したものである。そして,同勧告が,0.1グレイ以下の極めて低い線量の被曝のリスクを多人数の集団線量に適用してリスク推定に用いることは,不確かさが非常に大きくなるため不適切であるとしていることに照らせば(乙B225・260頁,同264頁参照),少なくとも0.1グレ
イを下回る線量の被曝とがん発症との間に関連性があることは前提とされていない。UNSCEAR2000年報告書には,LNT仮説が「国内国際組織から受け入れられてきた」との記載があるが,同説が1つの仮説として低線量被曝における発がんリスクを評価する際に用いられてきたことを記したものにすぎず,UNSCEARが科学的真実としてLNT仮説を採用することを宣言したものではない。
マーク・ピアースら「幼児期CTスキャンによる放射線被曝と白血病及び脳腫瘍リスク後ろ向きコホート研究」(甲A661の8の1及び2。以下「ピアースら報告」という。)に対しては,日本国内における放射線影響研究の中心学会である日本放射線影響学会の吉永信治氏による紹
介記事(乙B241)において,「CT検査を受けた理由が本調査では調べられていない」ために,「仮にCT検査を受けた理由が白血病あるいは脳腫瘍の発症に伴う何らかの症状と関連していた場合,その理由が交絡因子として作用し,CT検査と白血病あるいは脳腫瘍との間に見かけ上の関連をもたらすことになる」という問題があり,「CT検査を受
けた理由を調査して,解析でそれらの理由を調整することがより望ましい」として,バイアスを調整する必要性が指摘されている。また,上記吉永氏は,「われわれの予備的な検討では…リスク推定値が過大評価される可能性が示唆されて」おり,「線量の推定誤差」があるという限界を指摘し,「本研究で示された白血病および脳腫瘍の有意なリスク増加
が放射線被ばくによるものか,それとも交絡やバイアスなどで説明されうるのかについては結論を下すことは難しい。」とも評価している。古川恭治らの「日本人原爆被爆者における甲状腺がん:被爆後60年の長期的傾向」(甲A614の4の1及び2。以下「古川恭治ら報告」という。)は,そもそも,甲状腺がんの過剰リスクに限定して報告した
ものであり,それ以外のがんについて若年被爆者ほどリスクが高いとしたものではなく,被控訴人Aとの関係では,何ら意味を有しない。自然放射線が特に高い地域とされるインドのケララ州カルナガパリ沿岸地区において実施された疫学調査において,固形がん罹患の過剰相対リスクの統計学的に有意な増加は認められていない。したがって,自然放射線によって固形がん発症のリスクが上昇するとの前提に立って,低線量被曝の線量関係を肯定することはできない。

前記

ないし

に照らせば,0.1ないし0.2グレイを下回る低線

量被曝によってがんを発症し得るとの科学的経験則及び若年被爆者ほどがんの発症リスクが高まるとの科学的経験則は,いずれも認められない。イ
被控訴人Aの被曝線量について
被控訴人Aは,広島原爆の投下時,爆心地から50㎞以上離れた地点におり,初期放射線による被曝を考慮する余地はない。
残留放射線についても,被控訴人Aは,原爆投下の5日後から入市したにすぎないから,その推定被曝線量は,全体として0.003グレイを下回る程度という極めて微量である。したがって,そこから推定され
る影響も,極めて低いレベルにとどまる。
現在の科学的知見の到達点からすれば,DS02等に基づく被曝線量の評価に著しい過小評価はなく,残留放射線(誘導放射線及び放射性降下物)による内部被曝及び外部被曝の可能性についても,これを過大評価することのないよう慎重に検討すべきである。また,遠距離被爆者及
び入市被爆者の身体症状の全てを残留放射線による外部被曝及び内部被曝の影響によるものと解する科学的根拠も乏しいから,放射線被曝により身体症状が現れた場合の頻度についても,これを過大評価することがないよう慎重に検討すべきである。
被控訴人Aの被爆後の体調不良は,被爆後数年経ってからのものであ
る上,腹を冷やしたり,冷たいものを食べたりしたときに起こるというごく一般的な下痢の症状に過ぎず,急性放射線症候群の特徴を備えた身体症状に当たらない。被控訴人Aが多重がんに罹患したことも,急性放射線症候群の特徴を備えた身体症状に当たらない。がんの併発は一般的にみられることであり,特に,被控訴人Aが罹患した下咽頭がんと食道がんとの併発が多いことは広く知られているところであって,少なくとも,放射線被曝と多
重がんの有意な関係について明らかにした知見は存在しない。
被控訴人Aと同時に入市した伯父が肝がんで亡くなったことについても,同人の被爆態様や他原因の可能性などが不明であるから,同人の肝がんが原爆放射線に起因するものであるということはできず,この事実をもって,被控訴人Aの被曝線量が高いことの根拠とすることはできな
い。

原爆放射線以外の発症要因について
飲酒
飲酒は,アルコール飲料それ自体に含まれるアセトアルデヒドや,飲
酒に伴って体内で生成するアセトアルデヒドが発がん作用を有していることから,がんの危険因子となる。このアセトアルデヒドの解毒をつかさどるのがアセトアルデヒド脱水素酵素(以下「ALDH2」という。)であり,飲酒による発がんリスクの増大は,このALDH2の活性と深く関与している。

ALDH2の活性は,アセトアルデヒド代謝の活性を持つ遺伝子と活性を全く持たない遺伝子の組合せの型(ALDH2活性型,ALDH2ヘテロ欠損型(中間型),ALDH2ホモ欠損型)によって決まる。ALDH2活性型は,飲酒してもアセトアルデヒドを代謝することができるため,赤くならない体質,ALDH2ホモ欠損型は,アセトアルデヒ
ドの代謝能がゼロであるため,全く酒を受け付けない体質である。そして,ALDH2ヘテロ欠損型は,アセトアルデヒドの代謝能が活性型の16分の1であるため,飲酒によって赤くなり不快症状も発現しやすいが,飲酒を繰り返すことで耐性がつき,それらが軽減していくため,常習多量飲酒家になることもある。
ALDH2ヘテロ欠損型である者については,頭頸部及び食道領域のがんが多発することが知られているが,それは,以下の2つの理由による。
第1の理由は,頭頸部と食道だけが全臓器の中で例外的にALDH2をわずかしか有しておらず,アセトアルデヒドが蓄積しその毒性の影響を強く受ける状況にあるところ,ALDH2ヘテロ欠損型の場合には,
もともと僅かしかないALDH2の活性が弱いことから,頭頸部や食道がアセトアルデヒドの影響をより強く受けることになるからである。第2の理由は,アルコールを摂取すると,口内細菌が唾液中のアルコールを使ってアセトアルデヒドを産生し,このアセトアルデヒドが唾液とともに飲み込まれることによって,口から食道にかけての領域が高濃
度のアセトアルデヒドに曝露することになるが,ALDH2ヘテロ欠損型の場合には,そのような高濃度のアセトアルデヒドに曝されても,ALDH2の活性が弱いため,それを除去することができず,その影響をより強く受けることになるからである。
国際がん研究機関(IARC)の発表は,アルコール飲料の消費は口
腔・咽頭がんの原因となり,飲酒量が増加するにつれてリスクが上昇すると結論付けられたとしている。また,喫煙と飲酒には発がんリスクの相乗効果が認められ,特に,多量の喫煙及び飲酒をする者においては非常に高いリスクとなるとされている(乙C81の1・377ないし379頁,同号証の2)。さらに,ALDH2ヘテロ欠損型では発がんリス
ク自体が増大する上,頭頸部及び食道領域の重複がんの危険も増大することが分かってきている(乙Dイ19・44ないし50頁)。喫煙たばこの煙には,現在判明しているだけでも,60種類の発がん物質が含まれている。喫煙すると,発がん物質を含んだ煙が咽頭を通過することから,下咽頭は発がん物質に直接曝露することとなるほか,肺から取り込まれた発がん物質が,血液を通じて下咽頭の細胞に取り込まれる。このように体内に取り込まれた発がん物質の多くは,体内の酵素で活性化された後,DNAと結合して,DNA複製の際に遺伝子の変異を引き起こす。こうした遺伝子の変異が,がん遺伝子,がん抑制遺伝子,DNA修復遺伝子などにいくつか蓄積することによって,細胞ががん化する。
IARCの発表は,「4つのコホート研究の結果からは,喫煙により大幅に咽頭癌のリスクが上昇することが明らかである。」,「毎日喫煙するもしくはタバコの累積消費量が増加するとリスクが増大する傾向は明らかであった。」としている(乙C79の1・68ないし69頁)。また,井上真奈美医師らによるがんと診断された症例における危険因子
の調査・研究によれば,喫煙による口腔・咽頭がんの相対リスクは,男性で2.37(95%信頼区間1.34―4.20)と推定され(乙C80の1の2・1枚目),さらに,平成17年に診断された口腔・咽頭がんの原因が喫煙であった割合は,50%であるとされる(同号証の2・2枚目)。

さらに,IARC(世界保健機構の国際がん研究機関)は,口腔・咽頭がんについて,飲酒と喫煙が同時に存在する場合は,単純な相乗効果よりも大きな影響をもたらすことは確立しており,特に,多量の喫煙及び飲酒をする者においては,非常に高いリスクになることを発表している(乙Dイ15の資料5-1・377ないし379頁,同資料5-2)。
性差,年齢
下咽頭がんは,男性は女性の4ないし5倍の頻度で発生し,年齢は50歳から60歳代に多く,下咽頭がん全体の60%以上はこの年代に発症する。

被控訴人Aの下咽頭がんの発症要因の検討
放射線とがんとの関連性及び被控訴人Aの被曝線量に基づく検討
前記ア及びイのとおり,被控訴人Aの申請疾病であるがんについては,
少なくとも,0.1ないし0.2グレイを下回る低線量の放射性被曝によって発症し得るとの科学的経験則を認めることはできないこと,0.1ないし0.2グレイ以上の放射線被曝の場合にも,直ちに,がん発症リスクが飛躍的に上昇するものではないこと,被控訴人Aの推定被曝線量はごく僅かであり,そこから推定される影響もまた極めて低いレベルにとどまること(仮に0.003グレイの被曝を受けた場合の相対リスクを見ても,その数値は1.00018にとどまる。)に照らせば,被控訴人Aの原爆放射線被曝による申請疾病の発症リスクは,そもそも存在しないか,少なくとも極めて低いものと評価すべきである。
原爆放射線以外の危険因子について

a
被控訴人Aが有していた危険因子
加齢と性差
被控訴人Aは男性であり,被爆の63年後である平成20年10
月(74歳時)に下咽頭がんと診断され,下咽頭がんの好発期である50歳から60歳代を更に過ぎていたのであるから,加齢と性差
という下咽頭がんの危険因子を有していた。


飲酒
被控訴人Aは,平成13年12月(67歳時)に食道がんと診断
され,平成14年1月の食道がんによる入院時には,1週間に6,
7回,ブランデーをダブルで2,3杯飲酒する習慣を有していた。その後,被控訴人Aは,平成20年8月に下咽頭がんと診断され,同年10月に下咽頭がんと確定的に診断されたものであるが,同人が同年9月に病院に提出した「質問紙」によれば,被控訴人Aは,20歳頃から69歳頃(平成15年頃)まで喫煙を続け,飲酒は当該時点においても継続中で,1日当たりビール350ml,ワイン180mlを飲酒していた。
加えて,被控訴人A本人尋問の結果(原審)によれば,同人はも
ともと酒が飲めない体質であったが,20歳になる前頃から飲酒を始め,飲酒を続けて鍛えることによって,上記のとおり,平成13年12月の時点においては,ほぼ毎日,ブランデーをダブルで2,
3杯飲む習慣になっていた。
以上のとおり,被控訴人Aは,少なくとも食道がんと告知される
前には,1週間のうち6,7日,ブランデーをダブルで2~3杯程度摂取しており,これを純アルコール量に換算すると,1日当たり約40gないし60gのアルコールを摂取していたことになる。

非飲酒者と比較した場合,週当たりのアルコール摂取量が300
g以上の男性では,下咽頭がんのハザード比が10.11となるとの報告があることに照らせば,被控訴人Aも,同程度のリスク上昇があったと考えられる。国立がん研究センターのH医師も,その臨床経験に照らし,証人尋問(当審)及び意見書(乙Dイ16。以下
「H意見書」という。)において,同人の飲酒歴が下咽頭がん発症に影響を与えたと考えられるとしている。
また,上記のとおり,被控訴人Aは,飲酒を開始した頃にはアル
コールが体質上合わなかったが,飲酒を継続していくうちに耐性ができ,多量の飲酒が可能となったことに照らせば,ALDH2ヘテ
ロ欠損型と考えられる。
体重1㎏当たり0.6gのアルコールを摂取すると,アセトアルデヒドの遺伝子毒性の最小濃度を上回り,ALDH2ヘテロ欠損型では,その状態が2時間近く持続するとの報告もあるところ,被控訴人Aは,体重71.8㎏であるから,アルコールを43g(71.8×0.6)摂取すれば,アセトアルデヒドの遺伝子毒性の最小濃度を上回る。そして,上記のとおり,被控訴人Aは,1日当たり約
40gないし60gのアルコールを1週間に6~7回も摂取していたことから,同人の頭頸部及び食道領域は,恒常的に,遺伝子の突然変異が誘発される濃度のアセトアルデヒドに曝露していたと認められる。
したがって,被控訴人Aの飲酒歴が,それのみで下咽頭がんを発

症させるに十分な量及び期間であったことは明らかである。


喫煙
被控訴人Aは,17~20歳頃に喫煙を開始した後,食道がんと
告知された後に一時的に禁煙したようであるが,その後喫煙を再開
し,平成15年頃までの間,40~50年にわたって1日当たり30~40本程度の喫煙をしていた。
前記ウ

のとおり,喫煙は下咽頭がんの危険因子であり,喫煙量

の増加に伴って発がんのリスクが上昇することが多くの疫学研究において示されている。非喫煙者と比較した場合,下咽頭がんのハザード比は,喫煙指数(1日当たりの箱数(1箱=20本)に喫煙年数を乗じた数をいう。以下同じ。)60以上の男性で20.92
(95%信頼区間2.29―191.12)との研究があるところ,60ないし100((1.5~2箱)×(40~50年))との被控訴人Aの喫煙指数によれば,同人にも上記程度のリスク上昇があ
ったと考えられる。H医師も,その臨床経験に照らし,意見書及び証人尋問において,同人の喫煙歴が下咽頭がん発症に影響を与えたと考えられるとしている。以上のとおり,被控訴人Aの喫煙歴は,それのみで下咽頭がんを
発症させるのに十分な量及び期間である。


食道がん等の併発
被控訴人Aは,下咽頭がんのほか,2回の食道がん,胃がん,声

帯腫瘍(中度~高度異形成),喉頭腫瘍(異形成)を発症している。このうち,被控訴人Aが2回発症した食道がんは,特に飲酒及び喫煙との関連が強く,国立がん研究センターが運営する「がん情報サービス」においても,「アルコールも飲まず,たばこも吸わない人が食道がんになることはまれです。」と記載されているほどである。
このように,被控訴人Aに食道がんと下咽頭がんの異時多重がんが発症したことは,被控訴人Aの食道がん及び下咽頭がんがいずれも喫煙及び飲酒の影響を相当に受けていたことを裏付けるものといえる。
また,声帯腫瘍及び喉頭腫瘍は,異形上皮であり,がんではない

ものの,同様に飲酒及び喫煙の影響を受けて発症したものと考えられる。
b
結論
被控訴人Aは,前記aの各危険因子によって下咽頭がんを発症したものとして,優に合理的に説明することができ,そのリスクが現実化
したことにより発症したものと考えることが合理的であるから,被控訴人Aの下咽頭がんが,被控訴人Aが受けた原爆放射線によって発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。
c
被控訴人Aの主張に対する反論
多段階発がん説について多段階発がん説とは,がんの発症機序について,様々な要因による多段階の変異が関与していることをいうものであって,がんを発症した者が保有していた全ての危険因子が実際に当該発がんの原因になったことをいうものではない。


再改定後の新審査の方針について
再改定後の新審査の方針に基づく「積極的に認定する範囲」は,
被爆者救済及び審査の迅速化という観点に基づき,放射線被曝による健康影響についての科学的知見が明らかでない範囲をも取り込む形で拡大したものであり,上記範囲に該当する者の発がんについて,原爆放射線が必ず関与しているとの見解に基づくものではない。

(被控訴人Aの主張)

がんの放射線起因性の判断方法について
複数の危険因子(例えば危険因子A及び危険因子B)が存在し,危険因子Aと疾病との関連性が問題となっているが,他の危険因子Bが存在する
ような場合には,当該疾病が専ら特定の他の危険因子Bのみで発症したといえる場合,つまり,問題となっている危険因子Aの影響が全く認められないという場合にのみ,危険因子Aと疾病との因果関係が否定されるべきである。この理は,他の危険因子が複数存在する場合でも変わるものではない。

そして,がんの発症については,様々な発がん因子が様々な遺伝子の傷を作り,その積み重ねの中で多段階の変異を経て,がん細胞が生まれるといういわゆる多段階発がん説が医学的定説となっている。この多段階発がん説を前提とする限り,がんを発症した者に,原爆放射線被曝,飲酒,喫煙等の様々な危険因子が存在した場合,それぞれの危険因子の影響が積み
重なった結果としてがんが発症したことになる。この場合,喫煙や飲酒などの原爆放射線被曝とは直接関係のない危険因子(いわゆる他原因)が仮に複数存在したとしても,上記のとおり,原爆放射線被曝と発がんとの因果関係は否定されない。
さらに,下咽頭がんを含むがんについては,原爆放射線被曝の線量が大きいほどその過剰発症が観察されることから,放射線被曝とがん発症の間に有意な線量反応関係が認められることは争いのない事実であるところ,
この過剰発症の理解としては,被爆者群の全員が,放射線被曝を受けて発がんリスクの底上げを受けた結果,被爆者群に過剰な発症(過剰相対リスク)が生じたと考えるのが自然である。つまり,原爆放射線被曝の影響は,非被爆者群と比べて過剰な発症となる部分にのみ存在するのではなく,発症した者の全てに原爆放射線被曝の影響が存在することを意味する。そし
て,この影響は抽象的なものではなく,「原爆放射線被曝がなければ発症しなかった」,「原爆放射線被曝により早期に発症した」,「原爆放射線被曝により重篤化した」などの具体的な影響が想定されるのである。上記のとおり,原爆放射線被曝の他に危険因子が存在したとしても,その場合の法的因果関係に関する基本的考え方,医学的定説である多段階発
がん説,有意な線量反応関係の具体的な意味を前提とすれば,原爆放射線被曝と発がんとの因果関係は当然肯定されるべきである。この判断方法は,平成25年新方針において,相当量の原爆放射線に被曝したと考えられる者に生じた悪性腫瘍(がん)については,放射線起因性を積極的に認めるとして,他原因を問わずに認定が行われていることとも合致している。

喫煙,飲酒等の危険因子の考慮について
喫煙や飲酒は普通の生活習慣であること。
被爆者は,広島・長崎の原爆投下により放射線被曝という重大な発がんの危険因子を受けたのであるから,その後の喫煙や飲酒などの生活習
慣は,放射線被曝の重大な影響を基礎にした上で,発がんを促進,進行させたにすぎない以上,その基となる原爆放射線被曝の健康影響(放射線起因性)が肯定されるべきことは当然である。法律上許された普通の生活習慣である喫煙や飲酒によって,本来認められるべき放射線起因性が否定されることは不合理である。
飲酒について
ALDH2ヘテロ欠損型は日本人の約50%を占め,決して珍しい体質ではないのにもかかわらず,下咽頭がんはそれほど多いがんではないことからすると,ALDH2ヘテロ欠損型の者が飲酒により下咽頭がんを発症することが一般的とはいえない。なお,H医師は,被控訴人Aの食道にヨード不染帯がみられたことを指摘するが,このヨード不染帯は
同人の食道がんの治療として実施された化学療法,放射線療法,EMR(内視鏡的粘膜切除術)等の治療によって生じたものであって,飲酒によるアセトアルデヒドの影響を受けて生じたものではない。
喫煙について
原爆被爆者においては,被爆後時が経るに従って,がん罹患率は増加
し続けるが,喫煙は,これを中止することによりがん罹患率を減少させる。このように,原爆放射線被曝と喫煙等の生活習慣は危険因子としての質的差異があるところ,被控訴人Aは,下咽頭がん発症まで十数年間禁煙を継続してきたのであるから,下咽頭がんに対する喫煙の影響は極めて小さくなっていたといえる。

喫煙と発がんに関する一般的疫学研究は,対象を喫煙習慣が始まる成人の集団に限定しており,原爆被爆者のように乳幼児から高齢者までの広範囲な集団を含むものではないし,また,医療放射線を含めた放射線被曝と喫煙との相互影響の分析も一切なされていないから,喫煙及び放射線被曝とがん罹患率との関係の統計的解析に直接役立つものではない。
LSS第14報では,肺がんリスクに放射線と喫煙の強い相互作用が認められたとされ,その根拠として参照されている「寿命調査の肺がん罹患率における放射線と喫煙の相互効果」(甲A677の2)では,放射線と喫煙の同時効果は,軽度から中程度の喫煙者(1日当たりの喫煙本数が1箱未満)については超相乗的,大量喫煙者(1日当たり1箱以上)の場合には相加的または準相加的であったとされているのであって,喫煙は放射線と相互に作用して発がんのリスクを高めるものではあって
も,放射線による発がんのリスクを否定するものではない。
結論
前記

ないし

に加え,被控訴人Aに食道がんと下咽頭がんの異時多

重がんが発症したという原爆放射線による後障害の特徴の一つが現れていることも併せ考えれば,被控訴人Aの下咽頭がんは,原爆放射線被曝
の強い影響のもとに発症したことは明らかである。
被控訴人Bの疾病の放射線起因性について
(控訴人の主張)

心筋梗塞と放射線の関連性について
しきい値を下回る放射線量では心筋梗塞との関連性が認められていないこと。
最新の国際的な知見において,心筋梗塞はしきい値のある確定的影響に係る疾病であるとされており,これが現時点における科学的知見が到達した定説である。すなわち,UNSCEAR2010年報告書におい
ては,心筋梗塞と1グレイないし2グレイ未満の放射線被曝との間に直接的な因果関係は認められていない(乙Dル9・16頁)し,最新のICRP2012年勧告(ICRP118)においても,放射線防護の観点から広く見積もったしきい値は0.5グレイとされている(乙Dル11の1及び2)。したがって,心筋梗塞についての放射線起因性を検討
するに当たっては,このようなしきい値があることを前提とすべきである。そして,しきい値とは,全身に被曝したときに1%の成人の臓器及び組織に疾病が発症すると推定される線量を意味するものである(乙B225・G10頁)から,仮にしきい値を下回る被曝線量について心筋梗塞発症との関係を考慮するとしても,しきい値を下回る放射線被曝による当該疾病の発症リスクは1%を下回る確率であり,極めて小さいことになる。
心筋梗塞と放射線被曝との関連に関する疫学的知見について
a
放影研の「寿命調査

第11報

に基づく癌以外の死因による死亡率
第3部

改訂被曝線量(DS86)

1950-85年」(甲A41

の文献19。以下「LSS第11報第3部」という。),「原爆被爆者の死亡率調査

第12報,第2部

がん以外の死亡率:1950-

1990年」(乙Dネ14。以下「LSS第12報第2部」とい
う。),「原爆被爆者の死亡率調査

第13報

固形がんおよびがん

以外の疾患による死亡率:1950-1997年」(甲A77の資料11。以下「LSS第13報」という。),LSS第14報(甲A614の3)及び清水由紀子らの「放射線被曝と循環器疾患リスク:広島・長崎の原爆被爆者データ,1950-2003」(甲A614の7,乙Dタ10ないし12。以下「清水由紀子ら報告」という。)は,いずれも心筋梗塞ではなく,より大きな疾患カテゴリーである「循環
器疾患」ないし「心疾患」を対象として解析したものである。放射線被曝の影響は,対象となる器官や疾患によって,その有無や程度が異なるところ,「循環器疾患」や「心疾患」という疾患カテゴリーは,機序や病態が異なる様々な疾病を含むものであるから,放射線被曝の影響を強く受ける特定の器官や疾患の存在によって,全体の傾向が決
定された可能性がある(赤星正純医師ら作成の「放射線被曝と心筋梗塞発症との関係について」(乙C83))。このため,上記のような大きな疾患カテゴリーについて統計学的に有意な関連性が認められたとしても,そのことをもって,その中に含まれる心筋梗塞という個別の疾患について,同様の結果が得られるかどうかは明らかではない。さらに,上記各LSS報告は,死亡診断書に基づいて「心疾患」ないし「循環器疾患」という分類をしているものであるが,特に平成7
年1月の死亡診断書改正前においては,死亡診断書の死因は便宜的に安易に心不全と記載される傾向があったのであり,これらの記載が「心疾患」に分類されているとすれば,直ちに上記各LSS報告をもって,原爆放射線被曝と心疾患ないしこれを包含する循環器疾患との関係を論じることはできない。

b
LSS第11報第3部(甲A41の文献29,乙Dル12の1頁)には,循環器疾患及び心疾患に注目すれば,被爆時年齢が40歳未満の者では,被曝線量が約1グレイあるいはより低線量被曝の群においては,その相対リスクはほぼ1前後,すなわち,被曝による死亡率上昇リスクがほとんどないか全くないとされ,また,それを超える線量
の被曝についても,LSS第11報第3部自体に「これらの所見は,死亡診断書に基づいているので信頼性には限界がある。おそらく最も重要な問題は,放射線誘発癌が他の死因に誤って分類される可能性があることである。」と記載されていることからすると,LSS第11報第3部をもって,若年被爆者ほど放射線の影響が大きいとはいえな
い。
c
放影研の「成人健康調査第7報

原爆被爆者における癌以外の疾患

の発生率,1958-86年(第1-14診察周期)」(甲A41の文献30。以下「AHS第7報」という。)20頁の表8では,心筋梗塞について,若年被爆者の相対リスクがより年齢が高い層に比べて高いことが示されているが,これについても,P値が0.05をはるかに上回る0.35とされており,統計学的に有意ではない。また,放影研の「成人健康調査第8報

原爆被爆者におけるがん以外の疾患

の発生率,1958-1998年」(乙C7。以下「AHS第8報」という。)では,放射線被曝と心筋梗塞発症との2次線量反応関係が示されているが,喫煙と飲酒の影響を排除して解析した場合には,放射線被曝と心筋梗塞発症との間に統計学的に有意な関連性は示されなくなっている。
なお,同報では,「1958年~1986年の血圧に関するAHSの縦断的解析では,16歳未満の被爆者において,小さいながら,統
計的に有意な血圧レベルの上昇を示した」(乙C7・9頁)との記載があり,これは,放影研の佐々木英夫らによる「原爆被爆者の血圧に対する加齢および放射線被曝の影響」(乙C64の1及び2。以下「佐々木英夫ら報告」という。)を根拠とするものである。そして,佐々木英夫ら報告においては,「1940年に生まれ,1Gyの原爆
放射線に被曝した男性の40歳における平均SBP(収縮期血圧)レベルは,同様の条件の非被曝男性よりも約1.0㎜Hg(95%信頼区間0.6-1.5㎜Hg)高かった」(乙C64の2・9頁)との報告がされている。しかし,そもそも一般的に,血圧の測定において,10㎜Hg程度の誤差が生じることは多々みられるところであり,1
グレイ当たり1.0㎜Hg程度の収縮期血圧の上昇がみられたという上記の結果をもって,若年被爆者ほど放射線が血圧の上昇に与える影響が大きいとはいえない。同報告の結果を取り上げたUNSCEAR2006年報告書附属書Bも,「約1-2グレイ未満の線量における電離放射線への被曝と心血管疾患の罹患との間に因果関係があると結
論づけるには現在不十分である」と結論付けているところである。したがって,AHS第7報及び第8報をもって,放射線被曝と心筋梗塞発症との間の因果関係が明らかになったとか,若年被爆者ほど放射線が心筋梗塞発症に与える影響が大きいということはできない。d
清水由紀子ら報告の「心疾患のしきい値線量の最高の推定値は0グレイであった」との記載については,同記載に続く「95%信頼上限は約0.5Gyだった」との記載を併せ読めば,清水由紀子ら報告は,
95%の確率でしきい値が0ないし0.5グレイの間にあり,統計解析の結果としてはしきい値がないとしても「矛盾はしない」ということを述べたにすぎず,「しきい値がない」としたものではない。
そうすると,清水由紀子ら報告は,結局,心疾患の場合には,しきい値の下限が0グレイである可能性を仮説として示唆したにすぎない。
このことは,清水由紀子ら報告に,「この証拠を更に確認する別の調査による強固な証拠が必要である。」と記載されていることからも明らかである(甲A614の7・26頁)。
この点については,ICRP2012年勧告においても,清水由紀子ら報告を取り上げて,「最近更新された原爆被爆者データの分析に
よると・・・推定しきい線量(重み付け結腸線量)は0Gyとされ,95%信頼区間の上限は0.5Gyであった。しかしながら,0-0.5Gyの範囲を通して,線量反応関係は統計的に有意ではなく,低線量の情報が不十分であることを示している。」(乙Dル11の1及び2)とされているところである。

e
高橋郁乃・清水由紀子ら「LSS集団における心疾患死亡率,1950-2008」(乙C111の1及び2。以下「高橋・清水ら報告」という。)においては,心筋梗塞及びそれを含む虚血性心疾患のいずれについても,放射線被曝により死亡率が上昇するとの結果は示され
ていない。
これに対し,I医師作成の平成29年6月30日付け補充意見書(甲A694。以下「I第2意見書」という。)は,高橋・清水ら報告では,被曝線量と高血圧性臓器障害との間に統計学的に有意な関連が認められているから,同報告によって,放射線被曝と高血圧とが相関することが裏付けられたとしている。しかし,高血圧性臓器障害とは,高血圧が持続することによって生じ得る様々な疾患の総称である
が,必ずしも高血圧が実際の原因となって発症したものに限られないから,高血圧性臓器障害という疾患群と放射線被曝との関連性を認める知見から,高血圧そのものと放射線との関連性の有無等を推測することはできない。
また,I第2意見書は,心疾患,弁膜症,高血圧性臓器障害及び心
不全について,線量反応関係が認められる下限の線量が低かったことから,同報告によって,心疾患にしきい値が存在しないことが示唆されたとするが,上記のとおり,高橋・清水ら報告では,心筋梗塞の死亡率について,放射線被曝と心筋梗塞の死亡率との間に統計学的に有意な関連性は認められていないのであるから,上記心疾患等について
どのような結果が得られていても,心筋梗塞それ自体と放射線被曝との関連性を肯定する根拠としたり,しきい値がないことの根拠としたりすることはできない。
f
放影研の赤星正純がまとめた「原爆被爆者の動脈硬化・虚血性心疾患の疫学」(甲A604。以下「赤星正純報告」という。)は,同氏が作成者の1人となった意見書(乙C83)にも記載されているとおり,これまでに放影研で行った放射線被曝と心血管疾患及びその危険因子との関連についての研究結果を整理した上で,放射線被曝が心血管疾患に影響を及ぼす場合の生物学的機序に係る一つの仮説を提示し,
当該仮説を実証するための今後の研究予定を明らかにしたものにすぎない。g

赤星正純の「長崎原爆被爆者における放射線の脂肪肝および虚血性心疾患リスク因子に及ぼす影響」(乙C110の1及び2。以下「赤星論文」という。)は,同氏が作成者の一人となった意見書にも記載されているとおり,放射線量は,①インスリン抵抗性症候群に関連する一連の代謝CHD(虚血性心疾患)リスク因子群に関係する脂肪肝,
②低HDLコレステロール血症,③高中性脂肪血症と正の関係を有していたことを明らかにするものであるが,これらの関係については,放射線被曝と虚血性心疾患を結びつける基本的機序にかかわっているかもしれないと指摘するにとどめている。
その後,恒任章らの「脂肪肝の発生率と予測変数」(乙C115の
1及び2。以下「恒任論文」という。)において,脂肪肝の発生率とその予測変数を調べ,放射線被曝にも触れた上で,放射線被曝が脂肪肝発生の予測変数ではなかった,つまり,放射線被曝は脂肪肝の発症に影響を与える要因ではなかったとの報告がされている。
両者を比較すると,赤星論文は,1990年ないし1992年の時
点で脂肪肝が発見されたものについて解析した横断研究であるため,たとえ特定の一時点において要因と疾病との間に関連性が認められたとしても,要因と疾病発生の時間的な先後関係を明らかにすることができず,要因と疾病との因果関係の有無を明らかにすることができないのに対し,恒任論文は,長崎原爆被爆者を追跡し,脂肪肝の発生率
を調査した前向きコホート研究(縦断研究)であって,要因と疾患との先後関係を見ることができるため,因果関係の推測ができる。
したがって,恒任論文による報告の内容に照らせば,赤星論文をもって,放射線被曝によって脂肪肝が発症すると結論付けることはできない。

h
井上典子の「原爆被爆者と心血管疾患」(乙C118。以下「井上報告」という。)は,原爆検診を受診した者について被曝状況別(爆心地から2.0㎞未満の直接被爆群,2.0㎞以上の直接被爆群,入市・他群の3群)に分け,動脈硬化について,大動脈脈波速度(PWV),指尖加速度脈波(APG),頸動脈内膜中膜複合厚(IMT),そしてPWVの原理を応用しつつ,血圧に影響されにくい指標とされるCAVIという動脈硬化の4つの指標を調査対象としたところ,被爆状況との間で統計学的に有意差を認めたのはPWVのみで,それ以外の3つの指標では逆に有意差が認められないとして,動脈硬化と被曝(特に若年被爆者)との関連については可能性(仮説)を示唆する
にとどめ,その検証については今後の研究に委ねたものである。
そして,虚血性心疾患については,動脈硬化の評価法としてPWVよりIMTがより有用と考えられていること,同報告によって上昇したとされるPWV値も正常値の範囲であり,心筋梗塞を含む臓器障害のリスクとなるような上昇ではないことなどに照らせば,井上報告を
もって,放射線被曝と虚血性心疾患を結びつける基本的機序に関与していることが示唆されたということはできない。
審査の方針に心筋梗塞が盛り込まれたことについて
改定後の新審査の方針(乙A1の1及び2)において,心筋梗塞については,「一定以上の放射線量との関連があるとの知見」があることを
前提に,がん,白血病等と差別化して,「「放射線起因性が認められる」心筋梗塞」が積極認定の対象に盛り込まれたものであり,放射線量いかんにかかわらず,心筋梗塞全てに放射線起因性が認められると理解されていたものではない。したがって,改定後の新審査の方針において,「放射線起因性が認められる心筋梗塞」が積極認定対象疾病とされたこ
とをもって,心筋梗塞と低線量の放射線被曝との関係が科学的知見として認められることの根拠となるものではない。また,再改定後の新審査の方針においても,積極認定対象疾病に心筋梗塞が盛り込まれているところ,同方針の再改定の経緯から明らかなように,同方針の「積極的に認定する範囲」は,被爆者救済及び審査の迅速化という観点に基づき,放射線被曝による健康影響についての科学的知見が明らかでない範囲をも取り込む形で拡大して設定されているものである。したがって,再改定後の新審査の方針の積極認定の対象疾病に心筋梗塞が含まれていることをもって,心筋梗塞と低線量被曝との関係が認められることになるものではない。
心筋梗塞の危険因子自体が放射線被曝により発症するとの主張につい
てa
Mancusoらの「急性/低線量率放射線被曝によるApoE-/-マウスにおけるアテローム生成」の促進」(甲A671の7の1及び2。以下「Mancusoら論文」という。)の記載は,特に高コレステロール血症ないし動脈硬化に罹患するように遺伝子操作されたマウスに関する知見である。このようなマウスの放射線に対する感受性がヒトと同じで
あるかどうかは明らかではないし,血清コレステロール値が正常な場合の結果については何らの記載もされていないことに照らせば,ヒト,特に血清コレステロール値が正常なヒトについて,0.3グレイ程度の被曝でアテローム生成が促進されることが示されているとはいえない。

b
ICRP2012年勧告は,「0.5グレイ以下の線量域における,いかなる重症度や種類の循環器疾患リスクも,依然として不確実であることが強調されるべきである」(乙Dル11の1及び2)と結論付けているのであるから,被控訴人らの指摘する心筋梗塞に関する各危
険因子(循環器疾患リスク)の放射線起因性についても,少なくとも0.5グレイ以下の線量域においては,放射線起因性を認める根拠とならない。また,次のとおり,同勧告のパラグラフ190で紹介された各文献を個別に検討しても,いずれも,低線量も含めた放射線被曝によって「大動脈弓石灰化,血圧上昇,血清コレステロールレベルの有意な増加…各種の炎症マーカーの有意な増加」が生じる場合があるとの経験則を認める根拠となるものではない。


「Prevalenceofatherosclerosisinrelationtoatomicbombradiationexposure:AnRERFAdultHealthStudy」(原爆放射線被曝とアテローム性動脈硬化症の有病率の関係:放射線影響研究所成人健康調査。Yamadaら2005)は,0.005グレイ以上0.
5グレイ未満の大動脈弓石灰化に対して有意な影響はなかったと結論付けている(乙C127の1及び2)。
佐々木英夫ら報告(乙C64の1及び2)は,被曝線量ごとに血
圧への影響を解析したものではなく,また,年齢や肥満度といった限られた交絡因子の検討しか行われていない。また,その内容につ
いてみても,非被爆者の方の血圧が高かった事例があるとの報告が含まれているし,被爆者の方の血圧が高かったという事例においても,その上昇度は1.0mmHg程度にすぎない。
ワンら報告(Wongら1999)で示された結果をもって,放射線被曝によってコレステロール値が上昇する場合があるとの経験則を認
めることはできない。また,同報告は,被曝線量ごとにコレステロール値への影響を解析したものではなく,コレステロール値の上昇が認められたのも一部の組み合わせのみにすぎないし,また,年齢や肥満度といった限られた交絡因子の検討しか行われていない。


「Persistent

subclinical

inflammation

among

A-bomb

survivors」(Neriishiら2001)で放射線量との関連性が示唆された各炎症マーカーは,動脈硬化の血管炎症マーカーとしての有用性が報告されている種々の炎症関連マーカーは含まれていない。


放影研の林奉権らの「原爆放射線のヒト免疫応答に及ぼす影響
(第17報):原爆放射線における炎症応答マーカーの放射線量依存的上昇」(甲A98。以下「林奉権ら第1報告」という。)にお
いて,免疫系の変化(炎症マーカーであるCRP値の変化)として認められたのはごく僅かであり,臨床的には炎症と診断されない程度のものにすぎない。
c
MarkP.Littleら「AModelofCardiovascularDiseaseGivingaPlausibleMechanismfortheEffectofFractionatedLow-Dose
IonizingRadiationExposure」(甲A671の8の1及び2。以下「Littleら報告」という。)は,高線量・高線量率と同じ体内現象が低線量・低線量率でも比例して起こると仮定して,数値モデルを構築し分割照射における線量依存性を検討したものであり,原子爆弾とは異なり繰り返し照射することを想定しているものであるし,実際に
生体内で起きるか疑わしい仮定に基づくものであるから,原爆被爆者の心筋梗塞について放射線起因性を認める根拠としては不適切である。かえって,Ebrahimianら及びPintoらによって,Littleら報告で示された結果とは異なる結果が報告されており(乙C135の1及び2,乙C136の1及び2),Littleら報告で示された結果は再現
性がない。
d
「Thresholddosesandcirculatorydiseaserisks」(「しきい値線量と循環器疾患リスク」。甲A671の3の1及び2。以下
「Hendry報告」という。)で紹介されている各論文は,いずれもコ
レステロール値が通常の5倍も高くアテローム動脈硬化を起こしやすいApoE-/-マウスを観察対象としたものであり,その知見を血清コレステロール値が正常なヒトに対し直ちに適用することはできない。e
MichaelJacobAdamsら「放射線量と腎不全死亡率との関連性:全身放射線被曝後に観察される心臓血管疾患死亡率の増加を部分的に説明すると思われる経路」(以下「Adams報告」という。甲A671の9の1及び2)における慢性腎臓病の死亡率の過剰リスクの線量毎の
分析結果では,約750ミリグレイにおける過剰相対リスクがゼロとなっており,同線量以下の低線量域においては,慢性腎臓病の死亡リスクが上昇するとはいえない。また,同論文の要約には,「結論として,我々の結果により,3グレイ以下における放射線線量と腎疾患の死亡の間にはっきりとした関係が示唆されたが,証明されたわけでは
ない。」との記載がされている。
f
世羅至子らの「原爆被爆者における慢性腎臓病と心血管疾患危険因子との関連」(甲A671の10。以下「世羅ら報告」という。)は,平成25年に発表され,原爆被爆者において慢性腎臓病及び高度腎機能障害と放射線被曝との関連性を認めた初めての報告であって,その
内容についても,いまだ検証過程を経て再現性等が確認されているものではなく,いわば研究途上の一つの結果報告にすぎない。
また,同報告は,あくまで4グレイ以下の被曝者における1グレイ当たりの放射線量と慢性腎臓病との関連性の傾向を大まかに調査したものにとどまり,有意な関連性が認められる被曝線量のしきい値まで
具体的に検討した報告ではなく,1グレイ未満の低線量の被曝と慢性腎臓病との有意な関連性が認められたとする内容でもない。
g
Sarahら「RADIATION-RELATEDHEARTDISEASE:CURRENTKNOWLEDGEANDFUTUREPROSPECTS」(放射線関連疾患:最近の知見と将来展望)
報告(甲A671の11の1及び2。以下「Sarah報告」という。)がレビューしている放射線による心疾患の病理メカニズム及び実験モデル,原爆被爆者のLSSに関する各記載は,いずれもその詳細ないし根拠が不明であるか,放射線起因性の十分な裏付けとはなり得ない内容のものにすぎない。
放射線被曝により心筋梗塞を発症する機序について
被控訴人Bは,放射線被曝によって心筋梗塞を発症する機序について,
放射線が遺伝子の不安定化に加担して,血管の慢性炎症を引き起こし,また,免疫の能力低下をもたらして,それによって引き起こされた感染症によって,血管の慢性炎症である動脈硬化を引きおこすとの機序を想定するようである。
しかし,動脈硬化の発生にはT細胞の活性化が関与しているところ,
上記主張によれば,放射線によって「免疫の能力低下」,すなわちT細胞の減少が引き起こされることになるのであるから,動脈硬化の発生はかえって抑制されることとなるはずである。
また,被控訴人Bは,放射線被曝が早期老化現象を誘導し,その結果,動脈硬化が促進されるとの機序も想定するようである。しかし,そもそ
も,細胞老化とは,細胞がある一定の回数の分裂を行った後に生じる恒久的な増殖停止状態であり,がん細胞へ形質転換する可能性が高い生体にとって危険な細胞を排除する機構として働いているものとして理解されており,仮に,被控訴人Bが指摘するように,放射線被曝によって早期の細胞老化が引き起こされるというのであれば,それは,がんの発生
を抑制することとなり,被爆者におけるがんの発生確率は低下することとなるはずである。
したがって,被控訴人Bの主張に係る放射線被曝によって心筋梗塞を発症する機序を想定することはできない。

被控訴人Bの被曝線量について
被控訴人Bの推定被曝線量は,全体量としても約0.0065グレイを大きく下回る程度という極めて微量の線量にとどまり,その推定方法も十分に信頼できる。
現在の科学的知見の到達点からすれば,DS02等に基づく被曝線量の評価に著しい過小評価はなく,残留放射線(誘導放射線及び放射性降下物)による内部被曝及び外部被曝の可能性についても,これを過大評
価することのないよう慎重に検討すべきである。
被控訴人Bが受けた黒い雨に放射性降下物が含まれていたとしても,その残留放射線による内部被曝及び外部被曝は極めて微量にとどまる。被控訴人Bが,被爆後しばらくしてから倦怠感や下痢などの体調不良が生じたとしても,下痢については,昭和22年頃から40年近く続い
たものというのであり,放射線被曝により生じる急性放射線症候群に当たらないし,その他の症状も,被控訴人Bが高い線量の被曝をしたことの根拠となるものではない。
高血圧,脂質異常症,前立腺肥大症などの病歴については,そもそも前立腺肥大症については,放射線との関係が全く明らかではないし,高
血圧症と脂質異常症についても,放射線被曝によって発症し得るとの知見は確立していない。そして,これらの疾病が原爆放射線に被曝しなくても,一般的に生じ得る疾病であることに照らせば,被控訴人Bがこれらの疾病に罹患したことをもって,同人が高い線量に被曝した根拠となるものではない。

したがって,前記
線量が,前記

ないし

の要素を考慮しても,被控訴人Bの被曝

の推定値の10倍(0.65グレイ)や数十倍の高線量

にまで達すると解すべき科学的根拠は乏しい。

原爆放射線以外の危険因子について
心筋梗塞の発症機序
心筋梗塞は,冠動脈が何らかの原因で閉塞して心筋への血液供給が阻害され,心筋細胞が酸素不足(虚血)に陥る虚血性心疾患であって,心筋壊死を伴うものである。そして,その主因は冠動脈硬化症(冠動脈に生ずる粥状動脈硬化)であり,この粥状動脈硬化は,血管内膜に脂質や平滑筋細胞,細胞外基質などの沈着物の病的集積が起き,粥状の隆起性病変(アテローム性プラーク,粥腫)を形成する反応である。
脂質異常症
高LDLコレステロール血症,高トリグリセリド血症,低HDLコレステロール血症は,いずれも虚血性心疾患の危険因子である。特にLDLコレステロールは粥状動脈硬化と強い関連を有しており,多数の疫学
研究においても,LDLコレステロール値の上昇に伴い,虚血性心疾患の発症率・死亡率が上昇することが示されている。
「虚血性心疾患の一次予防ガイドライン(2012年改訂版)」(乙C84。以下「一次予防ガイドライン」という。)では,高コレステロール血症(140mg/dl以上),高トリグリセリド血症(150mg/dl
以上),低HDLコレステロール血症(40mg/dl未満)が虚血性心疾患の危険因子となる基準値とされているが(乙C84・28頁),最近の日本人を対象とした疫学研究CIRCSでは,LDLコレステロール値80mg/dl未満の群に対し,同80~99mg/dlの群では冠動脈疾患の発症が1.35倍,同100~119mg/dlの群では1.66倍,同
120~139mg/dlの群では2.15倍,同140mg/dl以上の群では2.8倍となること,及び,危険因子が重積する場合には同じLDLコレステロール値でも発症・死亡率が増加することが明らかにされており(乙C84・12頁),このような研究結果によれば,LDLコレステロールについては,上記基準値未満であったとしても,冠動脈疾患の
発症リスクとなる可能性がある。
高血圧一次予防ガイドラインでは,収縮期血圧140mmHg又は拡張期血圧90mmHg以上が虚血性心疾患の危険因子となる基準値とされているが(乙C84・28及び29頁),上記基準値未満であれば虚血性心疾患の発症リスクがないというのではなく,至適血圧(収縮期血圧120mmHg未満かつ拡張期血圧80mmHg未満)を超えて血圧が高くなるほど,心筋梗塞の罹患リスク及び死亡リスクは高くなるとされている(乙C87・7頁)。我が国のコホート研究の成果をまとめた「健康日本21」(以下「健康日本21」という。)では,収縮期血圧10mmHgの上昇で虚血性心疾患の発症・死亡のリスクが1.16ないし1.40倍上昇
するとされており(乙C84・17頁),また,我が国のコホート研究の統合プロジェクト「EPOCH

JAPAN」(以下「EPOCH

JAPAN」という。)では,血圧水準が上昇するに伴い心血管病死亡リスクとの関連がほぼ対数直線的に上昇することが示されている(乙C87・10頁)。
慢性腎臓病
慢性腎臓病は心血管疾患の危険因子であり,軽度の腎機能低下や蛋白尿が心筋梗塞や脳卒中の大きな危険因子であることは,日本でも明らかにされている。
一次予防ガイドラインでは,尿異常(特に蛋白尿の存在),糸球体漉
過量(GFR)60ml/分/1.73㎡未満のいずれか,又は両方が3か月以上持続する状態が,虚血性心疾患の危険因子となる基準とされる(乙C84・29頁)。
喫煙
喫煙は虚血性心疾患の重要な危険因子である。1日の喫煙本数に応じ
て冠動脈疾患の危険度が高まることが示されており,例えば,MRFIT試験(MultipleRiskFactorInterventionTrial。多危険因子介入試験)では,1日1ないし25本喫煙した場合の相対危険率は2.1,25本以上では2.9とされており,また,日本人を対象とした研究においても,喫煙者での虚血性心疾患の相対危険率は非喫煙者に比し,男性1.73,女性1.90との結果が示されている(乙C84・27頁)。さらに,最近の疫学調査によると,45歳ないし54歳の間に禁煙した場合には,喫煙歴がない場合と比べて,死亡率が1.5倍高いとされている(乙C100の資料4の1・894頁「FIGURE42-2」,同資料4の2)。
なお,柳昌秀ら「Istheassociationbetweensmokingandthe
retinal

venular

diameter

reversible

following

smoking

cessation?」(喫煙と網膜血管径の関連は禁煙後にも残るか?)(甲A671の13)は,10年以上禁煙した場合に,網膜静脈径が非喫煙者と同等になることを根拠に,喫煙による心筋梗塞発症リスクが低下することを示唆する。しかし,動脈と静脈の役割及び構造の違いから,喫煙が動脈に与える影響と静脈に与える影響も異なるところ,心筋梗塞は,冠動脈の動脈硬化性変化に起因した冠動脈閉塞が原因であるが,禁煙による網膜動脈径の変化については,上記報告では何ら指摘されていないのであるから,同報告を根拠に禁煙によって心筋梗塞発症リスクが消失するとすることはできない。

加齢
加齢は,冠動脈疾患の独立した危険因子である。一次予防ガイドラインでは,男性は45歳以上が危険因子の基準とされているところ(乙C84・28頁),急性心筋梗塞の発症は50歳代より増加がみられ,虚血性心疾患全体でみても,高齢者の発症が圧倒的に多く,70歳以降で
発症率がピークになるとされる(乙C84・6頁)。
高尿酸血症高尿酸血症は,尿酸塩沈着症の病因であり,血清尿酸値が7.0mg/dlを超えるものと定義される。尿酸値が高いほど心血管障害の発症リスクが高まることが多くの疫学研究で示されており,また,近時の研究によれば,尿酸値が上昇すると,血管内皮機能低下を背景とした高血圧,肥満,糖尿病の新規発症や腎機能障害が進行し,心血管イベント発
症に深く関与することが示されている。このため,高尿酸血症は,心血管障害のハイリスクグループであると考えられている(以上につき,乙C100の資料5・46ないし53頁,68ないし73頁,資料6・49及び50頁,資料7・417頁)。

被控訴人Bの心筋梗塞の発症要因について
放射線と心筋梗塞との関連性及び被控訴人Bの被曝線量について
放射線被曝と心筋梗塞の関連性については,心筋梗塞と1ないし2グレイ未満の放射線被曝との間に直接的な因果関係は認められないというのが国際的に承認された知見であり,放射線防護の観点から広く見積も
ったしきい値でも,0.5グレイとされるにとどまる。仮に0.5グレイを下回る程度の線量の放射線被曝について人体影響を考慮する余地があるとしても,その影響は極めて僅かであるところ,被控訴人Bの推定被曝線量は約0.0065グレイを大きく下回る程度とごく僅かであり,そこから推定される影響もまた極めて低いレベルにとどまる。放射線被
曝の未解明性等を考慮し,上記推定線量を超える線量の被曝があったことを裏付けるような事情を検討しても,被控訴人Bの被曝線量が0.5グレイに達するものとはおよそ考えられない。
したがって,被控訴人Bの原爆放射線被曝による申請疾病の発症リスクは,そもそも存在しないか,少なくとも極めて低いものと評価される。原爆放射線以外の発症要因

a
加齢被控訴人Bは,心筋梗塞を発症した平成11年3月当時,68歳と高齢であり,危険因子とされる45歳を優に超え,心筋梗塞の好発年齢となり,発症のピークである70歳に近かった。したがって,同人は加齢という危険因子を有していた。
b
高血圧
被控訴人Bの収縮期血圧は,平成11年3月7日で140mmHg,同年10月19日で142mmHg,同年11月16日で146mmHg,同年11月30日で156mmHgであり,これは,分類上のⅠ度高血圧に該当する。したがって,被控訴人Bは,心筋梗塞発症当時,高血圧という危険因子を有していた。

被控訴人Bの上記血圧に照らせば,健康日本21によれば,被控訴人Bの虚血性心疾患リスクは,リスクが最も低いとされる至適血圧(収縮期血圧120mmHg未満かつ拡張期血圧80mmHg未満:乙C87・7頁)と比較して2.32ないし2.80倍であり,EPOCHJAPANによれば,心血管病死亡リスクは,前期高齢者集団で比較
しても2倍前後に及ぶ(乙C87・10頁の図1-4)。
c
脂質異常症
被控訴人Bは,58歳で脂質異常症と診断され,平成11年3月にi病院に入院した当時,そのコレステロール値は,230mg/dl,H
DLコレステロール50mg/dl,中性脂肪85mg/dlであることから,この時点の被控訴人BのLDLコレステロール値は163mg/dlと求められること等からすると,心筋梗塞を発症した平成11年当時,被控訴人Bは,脂質異常症であったと推認できる。そして,総コレステロール値160~170mg/dl以下の群に対し,男性では200
mg/dlの群で虚血性心疾患の相対危険度が1.7倍から2倍になるとの研究もあり,被控訴人Bの相対危険度も,同様に高かったといえる。また,虚血性心疾患と脂質異常症の関連性は,LDLコレステロールが最も強く,LDLコレステロール80mg/dlの群を1とすると,140mg/dl以上の群は2.8倍も冠動脈疾患の発症が増加するとされているから,これによれば,被控訴人Bが虚血性心疾患を発症するリスクも同程度に高かったといえる。

d
慢性腎臓病
被控訴人Bは,その平成11年3月から平成12年12月にかけての血清クレアチニン値から推定される腎機能の指標である糸球体濾過量の推定値(eGFR)は,一貫して60ml/分/1.73㎡未満であり,慢性腎臓病の診断基準を満たしていた。また,同人の慢性腎臓
病の程度についてみると,同人のeGFRは平成11年3月15日及び同月18日に52.07ml/分/1.73㎡ではあるものの,その余の期間は全て45ml/分/1.73㎡を下回っていることからすれば,重症度分類はG3b(中等度~高度低下)とみるのが相当であり,仮にACR(尿アルブミン/CR比)に異常がなかったとしても,慢
性腎臓病における心血管死亡のオッズ比は2.2となる(乙C100・7頁,乙C84・27頁図13)。
e
喫煙
被控訴人Bは,20ないし50歳の約30年間にわたって,1日当たり20本喫煙していたようである(乙C100の資料2・7頁)。
このような喫煙の状況を前記ウ

のMRFIT試験の結果に当てはめ

れば,被控訴人Bの虚血性心疾患の相対危険率は2.1となる。また,禁煙した年齢が50歳であったことからすると,禁煙時から急性心筋梗塞発症時まで18年間が経過していたとしても,喫煙が冠動脈疾患の誘因となった可能性が高いといえる。

f
高尿酸血症被控訴人Bは,心筋梗塞発症前から高尿酸血症と診断され,内服治療を受けていたようである。それにもかかわらず,被控訴人Bの尿酸値は高値で推移し,平成11年3月20日には7.5mg/dl,同月24日には7.7mg/dlとなり(乙C100の別紙「B氏検査結果一覧」「尿酸値・腎機能」),前記ウ

の基準値7.0mg/dlを上回り,高

尿酸血症の状態にあった。そして,高尿酸血症は心血管イベント発症に深く関与していることを示唆する多くの研究があることからすれば,被控訴人Bの高尿酸血症が心筋梗塞発症に影響を与えた可能性を否定することはできない。
また,被控訴人Bが,50歳頃から労作時に胸痛があり,硝酸薬を
処方されていたことからすると,この時点で既に狭心症を発生していた可能性も高い。
g
まとめ
以上のとおり,被控訴人Bについては,虚血性心疾患発症のリスク
が高血圧で2倍前後,LDLコレステロール値で2.8倍,慢性腎臓病については心血管死亡リスクが2.2倍となっており,その上,危険因子が複数存在すれば,有病率が加速度的に増加するのであって,喫煙と高血圧や脂質異常症については,心筋梗塞発症のリスクが20倍高くなるとの研究もある。したがって,被控訴人Bは,前記aない
しfの危険因子のみで優に心筋梗塞を発症し得るものであり,加齢や喫煙,高血圧,脂質異常症,慢性腎臓病,高尿酸血症といった危険因子によって血管病変が進行することで発症したものとして,優に合理的な説明が可能である。
したがって,被控訴人Bの心筋梗塞は,既知の危険因子により血管
病変が進行し,そのリスクが現実化したことにより発症したものと考えるのが合理的であって,少なくとも,被控訴人Bの心筋梗塞が原爆放射線によって発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。
(被控訴人Bの主張)

心筋梗塞と放射線の関連性について
LSS第9報ないし同第14報によれば,当初は放射線と循環器疾患との線量反応関係は認められなかったが,調査期間の延長とともに,まず高線量域において線量反応関係が認められるようになり,さらには高線量域から低線量域にかけての線量反応関係が示されるに至った。
放影研も,LSS死亡率調査及びAHS臨床データにより,被爆者(特に若年被爆者)における心臓血管疾患の発生率が増加していることはほぼ明瞭であると紹介し,また,UNSCEAR2006年報告書においても,上記LSS各報について,死亡データ解析により心疾患と脳卒中について有意な線形線量反応が示され,放射線と心臓疾患の関係が
明らかにされたとして紹介している。
なお,心臓疾患には,心筋梗塞以外の疾患が含まれているとしても,実際には心筋梗塞が最大の関心事として解析が行われている。余りに疾病を細分化して解析することは,個々の事例数が過少となり放射線被曝の影響を適正に検出することができなくなるおそれがあるから,妥当で
はない。
AHS第7報及び第8報によれば,年数の経過とともに心筋梗塞の線量反応関係が明らかとなっている。
なお,AHS第8報においては,「階層化に喫煙と飲酒を含めた場合」の1シーベルトでの相対リスク推定値1.17(95%信頼区間0.9
7ないし1.56)に重きは置かれていない。実際,「心臓血管疾患」の「結果」は,「MI<40」(40歳未満の心筋梗塞)において,有意な二次関係が明瞭であったと報告されているところである。UNSCEAR2006年報告書パラグラフ110でも,心筋梗塞と放射線量とは有意な相関関係があることが強調されている。
清水由紀子ら報告を掲載紹介したBMJ(イギリス医師会雑誌)が,同報告について,心筋梗塞を含む心臓血管疾患と放射線との間には,原爆被爆者では低線量域においても強固な関連性を認めたものとして評価している。また,ICRP2012年報告も,清水由紀子ら報告を心疾患に関するしきい値を0である(95%信頼区間上限0.5グレイ)と算定したものと紹介している。このように,清水由紀子ら報告は,0な
いし1.0グレイの低線量域での放射線の心疾患への影響を明らかにしたものであるというのが国際的な認識である。
なお,同報告は,血中脂質等については交絡因子として調整を行っていないものの,喫煙,アルコール摂取量,教育,職業,肥満及び糖尿病については調整を行った上で,それらの調整は過剰相対リスクに重要な
変化をもたらさなかったとしている。
また,同報告のWEB表Bは,心疾患のサブカテゴリーのリスク評価を行った結果であるが,同報告自身が,脳卒中や心疾患のより詳しいサブカテゴリ―の鑑別診断となると精度は貧弱といわざるを得ないことを認めており,その参照価値は高くない。

高橋・清水ら報告は,①被曝線量と高血圧性臓器障害(HOD)との間に有意な関連が認められたことから,放射線被曝が高血圧と相関することを一層強く裏付け,②心疾患全体,弁膜症(VHD),高血圧性臓器障害(HOD),心不全(HF)について有意な線量反応関係が認められる下限値が低線量であったことから,心疾患についてしきい値が存
在しないことを示唆し,③放射線被曝と虚血性心疾患(IHD)との間に有意な関連は見られなかったが,死亡診断書の精度が増した2001年以降の期間においては,虚血性心疾患や心筋梗塞のリスク増大が見られたことを明らかにしたことに意義がある。
なお,前記③の点については,同報告自身が,サブカテゴリーの分類は症例数が低下するので統計的検出力を低下させること,定期的な健康診断や医学の進歩によって虚血性心疾患や心筋梗塞による死亡率リスクに放射線の影響が反映されにくいことを指摘しているところであり,また,心疾患の分類の前提となる死亡診断書について,より詳しい分類の鑑別診断となると精度が貧弱であるという問題があり,こうした限界のため,放射線被曝と心疾患全体の死亡率との間には有意な関連性が明確
に認められるのにもかかわらず,サブカテゴリーである虚血性心疾患(IHD)の死亡率との間に有意な関連性が見出せないという不一致が生じていると考えられる。
赤星正純報告は,単に原爆健康生存者効果を仮定的推論として提示し今後の研究予定を示したにすぎないものではなく,放影研の知見の到達
点として,原爆被爆者については,放射線被曝と心筋梗塞の一般的関係としてリスクが増加することを確認したものである。
赤星論文は,被曝放射線量が,脂肪肝,脂質異常に関連して,放射線被曝と虚血性心疾患を結びつける基本的機序に関与していることを示唆するものである。一方,恒任論文は,調査開始時までに既に脂肪肝を発
症した者を除外して調査していることから分かるとおり,放射線被曝と脂肪肝の関係を調査したものではないから,同論文を放射線被曝と脂肪肝の因果関係を否定する根拠とすることはできない。
井上報告は,被曝時年齢が20歳未満の男性の若年直接被爆者では大血管の動脈硬化が強く,特に10歳未満の近距離被爆者に強いこと等,
被曝と大動脈硬化の関連を認める結果が報告され,放射線被曝が虚血性心疾患発症の基本的機序に関連することを示唆している。なお,PWV(大動脈脈波速度)とIMT(頸動脈内膜中膜複合厚)は,動脈の異なる部分について,異なる角度から動脈硬化病態の評価を行っているものであって,PWVで有意の差が出たことの意義は,IMTで有意の差が出なかったことから否定されるものではない。
UNSCEAR2006年報告書の附属文書Bは,放射線と心疾患,
特に心筋梗塞との関係を,放射線量の多いホジキン病患者,乳がん患者だけでなく,低線量被爆者であるアメリカ原発産業労働者にも触れて強調している。その後,2015年の国際放射線防護委員会(ICRP)のHendry報告の中で,0.5グレイ以下の低線量でも循環器疾患のリスクが高まることが共通認識になっていると指摘され,UNSCEAR2010年報告でも,原爆被爆者について,致死的心血管疾患,すなわち心筋梗塞(及び脳卒中)との相関が認められている。
若年被曝について
放影研自身が「AHS臨床データおよびLSS死亡率調査により,被
爆者(特に若年被爆者)における心臓血管疾患の発生率が増加していることはほぼ明瞭である」(甲A671の1)と述べており,また,UNSCEAR2006年報告書でも,「被曝時年齢40歳以下では,心筋梗塞について有意の2次線量反応関係を認め,相対リスクは,1シーベルト当たり1.25(95%信頼区間1.00―1.69)であった」
とされており(甲A671の2・377頁),若年被曝による心筋梗塞への影響は明白である。
心筋梗塞の危険因子との関連性について
a
「急性/低線量率放射線被曝によるAPoE-/-マウスにおけるアテローム発生の促進」(Mancusoら論文)には,マウスによる動物実験に
おいて,0.3グレイ程度の被曝でアテローム生成が促進されることが示されているとの記載がある。b

Hendry報告には,動物実験により,心臓への0.2グレイの被曝で生理学的変化や,マクロファージの軽度の機能障害,早期の前炎症局在が有意に惹起されるとの記載がある。

c
佐々木英夫ら報告は,原爆放射線による有意な血圧上昇を報告している。

d
Adamsら報告は,放射線量と慢性腎臓病との有意な2次線量反応関係が発見され,その形は放射線による高血圧の増加曲線と一致していたと報告している。

e
ワンら報告は,コレステロール増加と被曝との線量反応関係を明確に示している。

f
赤星正純報告は,被曝放射線量が動脈硬化を促進する脂質異常に関連していることを示唆している。

g
世羅ら報告は,高血圧,糖尿病,高脂質症,メタボリック症候群と無関係に,放射線量と慢性腎臓病及び重度腎機能障害との有意な関連が独立して認められると報告している。

h
「原爆放射線の人体影響改訂第2版」(甲A614の14の2,甲A681の5。以下「人体影響第2版」という。),UNSCEAR2006年報告書の「D.電離放射線の免疫への影響」(甲A688の1),ICRP2012年報告(甲A671の6の1及び2),
Kengo

Yoshidaら「Inverse

Associations

between

Obesity

IndicatorsandThymicT-CellProductionLevelsinAgingAtomic-BombSurvivors」(高齢の原爆被爆者における肥満指標と胸腺T細胞産出レベルの負の連関),伊藤玲子ら「ヒトの胸腺の形状と機能に及ぼす電離放射線と加齢の後影響」(甲A688の3の1及び2)等の報告ないし論文によって,原爆被爆者の免疫機能の低下が指摘されている。i

UNSCEAR2006年報告書第2巻附属書D,楠洋一郎ら「心筋梗塞を有する原爆被爆者の血液中のCD4

T細胞率の低下」(甲

A688の4),Schultzら「Radiation-inducedcardiovasculardiseases:istheepidemiologicevidencecompatiblewiththeradiobiologicdata?」(放射線起因性循環器疾患:疫学的根拠は放
射線生物学データと一致するか?)(甲A688の5の1),
「Levels

of

antibodies

to

microorganisms

implicated

in

atherosclerosisandofC-reactiveproteinamongatomicbombsurvivors」(アテローム性動脈硬化症に関連する微生物抗体レベルと被爆者のC反応性蛋白レベル)等の報告ないし論文において,免疫
機能低下と心筋梗塞発症との関係について報告がされている。

被控訴人Bの入市日及び急性症状の発症の有無について
被控訴人Bは,長崎原爆投下の翌日,爆心地付近に入市した事実があるし,被爆直後から,吐き気,嘔吐,発熱,歯茎からの出血等の急性症状を発症していた。しかし,被控訴人Bが被爆者健康手帳の申請を行った昭和
32年当時においては,被爆者に対する差別や偏見があり,多くの被爆者の心理として,手帳の申請を断念し,申請するとしても,できるだけ被爆した事実を過小に申告しようとする心理が働いていたため,被爆者健康手帳申請書を記載する際に,被爆した事実そのものをできるだけ過小に申告しようとする心理が働き,入市日を遅らせて記載し,急性症状については
記載しなかったものである。

飲酒,喫煙等の因子の影響について
AHS第8報では,高血圧と原爆放射線の有意な2次線量反応関係を指摘するとともに,この結果に喫煙及び飲酒の影響はないとしている。
UNSCEARの認識でも,血圧,血清コレステロール値,年齢,性別で調整後も心筋梗塞と放射線量は有意の相関関係があったとされ,交絡因子の調整後も,心筋梗塞と放射線量は有意の相関関係があることが強調されている。
清水由紀子ら報告も,「循環器疾患に関係するその他の考え得るリスク因子(肥満,糖尿病,喫煙,飲酒,学歴,職業)を調整しても,放射線との関連性にはほとんど影響しなかった」(甲A501の資料3)と
し,同論文を掲載したBMJにおいても「この関係は生活スタイル,人口統計学のその他の健康因子,誤診などの交絡因子を考慮しても論理的に強固である」と同報告を紹介している。
また,「RADIATION-RELATEDHEARTDISEASE:CURRENTKNOWLEDGEANDFUTUREPROSPECTS(放射線関連疾患:最近の知見と将来展望)」(甲
A671の11の1及び2)も,「交絡因子(喫煙,飲酒,糖尿病,肥満,教育程度,職業)はLSSの評価にほとんど何の影響も与えていないので交絡因子による違いではないと考えられる。AHSの2年に1度の検査は,心疾患の放射線の影響が,放射線による血圧の変化,炎症反応,脂質代謝などの心血管疾患の前臨床症状への影響を支持している」
とまとめている。
前記

ないし

のとおり,放射線の心臓血管疾患(心筋梗塞を含む)

への影響は,飲酒,喫煙,糖尿病,肥満などの交絡因子を考慮しても明らかであることが国際的な共通認識となっている。
被控訴人Cの疾病の放射線起因性について

(控訴人の主張)

心筋梗塞と放射線の関連性について
心筋梗塞と放射線との一般的な関連性については,
張)アのとおりである。


被控訴人Cの被曝線量について
被控訴人Cの推定被曝線量は,全体量としても約0.0125199グレイを大きく下回る程度という極めて微量の線量にとどまり,その推定方法も十分に信頼できる。
現在の科学的知見の到達点からすれば,DS02等に基づく被曝線量の評価に著しい過小評価はなく,残留放射線(誘導放射線及び放射性降下物)による内部被曝及び外部被曝の可能性についても,これを過大評価することのないよう慎重に検討すべきである。
放射性降下物が最も多く堆積し,原爆の放射線による内部被曝で最も考慮しなければならない長崎の西山地区の住民についてさえ,昭和20年から昭和60年までの40年間にも及ぶ内部被曝線量は,男性でわず
か0.0001グレイ,女性でわずか0.00008グレイにすぎず,自然放射線による年間の内部被曝線量の10分の1以下という格段に小さなものであることが科学的に実証されている。したがって,被控訴人Cの自宅付近に飛散した放射性降下物の残留放射線による内部被曝及び外部被曝の可能性をもって,被控訴人Cが高い線量の放射線に被曝した
根拠とすることはできない。
被控訴人Cは,被爆して3ないし4か月後に皮膚病のような状態となり,治癒するまでさらに3ないし5か月を要したとされるが,「皮膚病のような状態」がいかなるものか全く不明であり,治癒の遷延が放射線被曝によって生じる特異的な症状(経過)といえるのか判断することは
不可能であるから,これをもって被控訴人Cの放射線被曝を裏付けるものとすることはできない。
被控訴人Cが,被爆後に貧血,高血圧,脂質異常症に罹患したとしても,貧血については放射線との関係が全く明らかではないし,高血圧症及び脂質異常症についても,放射線被曝によって発症し得るとの知見は
確立していない。そして,これらの疾病が,原爆放射線に被曝しなくても一般的に生じ得る疾病であることに照らせば,被控訴人Cがこれらの疾病に罹患したことをもって,同人が高い線量に被曝した根拠とすることはできない。
被控訴人Cと同じ行動をした弟が胃潰瘍と十二指腸潰瘍に罹患して31歳で死亡したことや,同妹が61歳で狭心症に罹患したことについては,その被曝態様や他原因の可能性など,同人らの上記疾病が原爆放射
線に起因するものであることについて何ら明らかにされていないから,被控訴人Cの被曝の程度が高いことの根拠として用いることはできない。ウ
原爆放射線以外の危険因子について
心筋梗塞の原爆放射線以外の危険因子については,
張)ウのとおりである。


被控訴人Cの心筋梗塞の発症要因について
放射線と心筋梗塞との関連性及び被控訴人Cの被曝線量について
放射線被曝と心筋梗塞の関連性については,心筋梗塞と1ないし2グレイ未満の放射線被曝との間に直接的な因果関係は認められていないと
いうのが国際的に承認された知見であり,放射線防護の観点から広く見積もったしきい値でも,0.5グレイとされるにとどまる。仮に,0.5グレイを下回る程度の線量の放射線被曝について人体影響を考慮する余地があるとしても,その影響は極めて僅かであるところ,被控訴人Cの推定被曝線量は約0.0125199グレイを大きく下回る程度とご
く僅かであり,そこから推定される影響もまた極めて低いレベルにとどまる。放射線被曝の未解明性等を考慮し,上記推定線量を超える線量の被曝があったことを裏付けるような事情を踏まえても,被控訴人Cの被曝線量が0.5グレイに達するものとはおよそ考えられない。
したがって,被控訴人Cの原爆放射線被曝による申請疾病の発症リス
クは,そもそも存在しないか,少なくとも極めて低いものと評価される。原爆放射線以外の発症要因a

加齢
被控訴人Cが心筋梗塞を発症したのは73歳の時であるところ,
同年齢は,心筋梗塞の危険因子とされる45歳を大きく超え,70歳以降という発症のピークに当たる。

b
高血圧
被控訴人Cは,平成16年に高血圧と診断され,内服治療を行っ
ていたが,その血圧は,同年12月16日及び平成17年6月14日の時点で,それぞれ140/76mmHg及び144/80mmHgであり,服薬を中断し心筋梗塞を発症した平成19年4月21日の時点で158/88mmHgであった。上記血圧値に照らし,健康日本21によれ
ば,被控訴人Cの虚血性心疾患の発症・死亡リスクは,降圧剤内服中でも2.32ないし2.80倍,内服中断後は3.48ないし4.20倍であり,EPOCH

JAPANによれば,心血管病死亡リスク

は,前期高齢者集団で比較しても2倍前後に及ぶ。
c
脂質異常症
被控訴人CのLDLコレステロール値は,同人が心筋梗塞を発症
した翌日である平成19年4月21日の時点で162(基準値140以下)であり,同日のうちに脂質異常症薬の投薬が開始されたことに照らせば,被控訴人Cは高LDLコレステロール血症であったことが
認められる。そして,LDLコレステロール値と冠動脈疾患発症率・死亡率との関係に照らせば,被控訴人Cは,LDLコレステロール値80mg/dl未満の群と比較して,冠動脈疾患の発症増加リスクは少なくとも2.8倍であったと認められる。
また,被控訴人Cの総コレステロール値は,平成19年4月21日
時点で227mg/dlであったところ,日本人では男女ともに総コレステロール値の増加とともに虚血性心疾患の相対危険度も上昇するとされ,男性の場合,総コレステロール値220mg/dl以上の群では,総コレステロール値160ないし170mg/dl以下の群に対し,虚血性心疾患の相対危険度が2ないし5倍に上昇するとされているから,被控訴人Cも,同程度に虚血性心疾患の総体危険度が上昇していたといえる。

d
まとめ
以上のとおり,被控訴人Cについては,虚血性心疾患発症のリス
クが3.48ないし4.20倍,LDLコレステロール値で2.8倍,総コレステロール値で2ないし5倍になっており,その上,危険因子
が複数存在すれば,有病率が加速度的に増加するのであって,高血圧と脂質異常症の双方を有する場合は9.70倍とされているのであり,被控訴人Cは,前記aないしcの危険因子のみで優に心筋梗塞を発症し得るものであり,加齢,高血圧,脂質異常症といった危険因子によって血管病変が進行することで発症したものであるとして,優に合理
的な説明が可能である。
したがって,被控訴人Cの心筋梗塞は,既知の危険因子により血管病変が進行し,そのリスクが現実化したことにより発症したものと考えるのが合理的であって,少なくとも,被控訴人Cの心筋梗塞が,原爆放射線によって発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まな
い程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。
(被控訴人Cの主張)
心筋梗塞と放射線の関連性,飲酒,禁煙等の因子の影響については,被控訴人Bの主張と同様であり,被控訴人Cは相当量の被曝をしたものである
から,同人の心筋梗塞には放射線起因性が認められる。
被控訴人Dの疾病の放射線起因性について(控訴人の主張)

脳梗塞と放射線の関連性について
UNSCEAR2010年報告書は,LSS第12報及びLSS第13報を検証した上で,「心血管疾患やがんとは異なるすべての疾患群」
ないし「心血管疾患およびその他非がん疾患」について,約1ないし2グレイ未満の放射線被曝とこれらの疾病発症との間に直接的な因果関係を認めておらず,このほか,放射線被曝と脳梗塞との関係について直接の言及はない。
ICRP2012年勧告は,清水由紀子ら報告の内容をも考慮した上
で,放射線防護の観点から低線量被曝の影響に関する科学的知見の最下限を画するものとして,「循環器疾患」という類型について,少なくとも0.5グレイ以下の放射線被曝と循環器疾患との因果関係が明らかでないとしたものであり,このほか,放射線被曝と脳梗塞との関係についての言及はない。

前記



の国際的に承認された知見の基礎とはされていない最新の

報告である髙橋郁乃らの「広島・長崎の原爆被爆者の致死的・非致死的脳卒中と放射線被曝の関連についての前向き追跡研究(1980-2003年)」(平成24年)(甲A614の8の1。以下「高橋郁乃ら報告」という。)は,原爆による放射線被曝者について24年間にわたる追跡調査を行い,放射線被曝と脳卒中発生の関連を調べた結果,「男女ともに被曝線量と虚血性脳卒中には関連を認めなかった。」としている。なお,同報告における調査の対象と久山町研究における集団とは,観察期間の違いに由来する年齢の違い等の特性において異なっているから,有病率を単純に比較することはできない。

前記

ないし

の脳梗塞についての科学的知見の状況に照らせば,放

射線被曝が脳梗塞の発症に与える影響については未だ解明されていないものといわざるを得ず,近時発表された前記
の高橋郁乃ら報告の結果

をも踏まえると,今後,放射線被曝と脳梗塞との関連性は否定される可能性も十分にあるというべきであり,少なくとも,0.5グレイ以下の低線量域の放射線被曝と脳梗塞との関連性を認めることはできない。脳梗塞と放射線被曝に関する疫学的知見について

a
LSS第11報第3部は,そもそも脳卒中という類型についての調査であり,脳卒中による死亡率が放射線被曝と有意な関連を示したからといって,そのことをもって,その中に含まれる脳梗塞による死亡率についてまで放射線被曝と有意な関連があることを示したことにはならない。

また,昭和42年ないし昭和60年の間における被爆時年齢が40歳未満の者に関しても,被曝線量が約1グレイ又はそれを下回る場合には,脳卒中の死亡率に放射線被曝の影響は認められていないから,同報告をもって,1グレイを下回る低線量被曝が脳梗塞発症に与える影響については何ら言及することはできない。

さらに,1グレイを超える線量の被曝についても,必ずしも正確とはいえない死亡診断書に基づいて死因を分類するため,寿命調査の信頼性には限界があることからすれば,LSS第11報第3部をもって,若年被爆者ほど放射線の影響が大きいとはいえない。
b
LSS第12報第2部も,脳卒中という類型についての調査であって,脳梗塞と放射線被曝との有意な関連を示したものとはいえない。
c
LSS第13報も,脳出血などの他疾患を含めた「がん以外の疾患」や「脳卒中」による死亡率と放射線被曝との有意な関連を示したにすぎず,脳梗塞と放射線被曝との有意な関連を示したものではない。ま
た,脳卒中を含むがん以外の疾患における低線量の放射線影響については,あくまで「がん以外の広範な疾患に対する放射線影響の機序と関連するのかもしれない」として,現時点では正しいのか誤りなのか未確定な仮説を提示して,今後の更なる調査を促しているものと理解すべきであるから,脳梗塞はもとより,脳卒中についてすら低線量の放射線被曝との有意な関連を認めたものと解することはできない。d
清水由紀子ら報告において放射線との関連が示されたのは,脳出血等を含んだ広いカテゴリーである脳卒中に関してであって,脳梗塞に関してではないし,0.5グレイを下回る低線量被曝については,脳卒中の死亡率との間にでさえ,統計学的に有意な関係は得られていない。
そして,清水由紀子ら報告に添付されたWEB表(乙Dタ11,同
12・13頁)によれば,最も狭いカテゴリーである脳梗塞におけるP値は「>0.5」であり,1グレイ当たりの過剰相対リスクの95%信頼区間は「-10to20」として「0」をまたいでいるから,脳梗塞の死亡率と放射線被曝との関連性は,統計学的に有意ではない。e
「第3回放射線防護における科学と価値に関するワークショップ」の報告(甲A683の4。以下「Lazo報告」という。)は,ICRPの公式見解ではない上に,脳梗塞ではなく脳卒中に関する報告であり,脳梗塞についてまで同様の関連性があることを示すものではない上,0.5シーベルト未満の放射線被曝と脳卒中との間の過剰リスクについては何ら言及されていない。

なお,同ワークショップの「結論」では,0.5グレイ未満の放射線被曝で非がん疾患が生じることについては十分な証拠がないことが合意されたとされている。
f
放射線療法後の被曝に関する各種文献(小児ホジキン病患者に関する報告(甲A683の5),小児白血病及び脳腫瘍に関する報告(甲A683の6),小児中枢神経腫瘍等に関する報告(甲A683の7))については,いずれも脳卒中に関する報告である上,29グレイを超えるような高線量の照射により脳卒中発症のリスクが上昇することをいうものにすぎず,そのような高線量の放射線被曝が脳卒中を発症する機序に関する検討なくして,一回的な原爆放射線被曝について,直ちに妥当すると解することはできない。

g
核施設労働者に関する報告(CerebrovascularDiseaseinWorkersatMayakPA:TheDifferenceinRadiationRiskbetweenIncidenceandMortality(MayakPA労働者の脳血管疾患:発症率と死亡率の放射線リスクの違い)(甲A683の14の1及び2。以下「Simonettoら報告」という。))については,脳梗塞ではなく脳血
管疾患全般に関する報告である上,詳細な推計方法が明らかにされていないこと,線量反応関係が認められない形状のグラフをあえて解析の対象から除外していること,脂質異常症について交絡因子としての調整がなされていないことなどの問題があり,その信用性は疑わしい。h
三浦正智ら「過去に放射線治療に関連したsmallvesseldiseaseの2例」(甲A705)で報告されている2例は,いずれも脳腫瘍の患者に対し治療として20グレイを超える放射線を照射した事例であり,脳梗塞は,脳腫瘍を含む悪性腫瘍と因果関係をもって発症すると解されていることに照らせば,原爆被爆者の放射線被曝と脳梗塞発症との関連性に関する直接の根拠とすることはできない。

i
「小児がん患者の生存報告」(甲A683の13)は,間接照射でのハザード群について有意なハザード比の上昇が認められておらず,また,1.5ないし29グレイの照射群でも,線量ごとの分析がされていないから,低線量域における脳卒中及び高血圧の発症リスクの上
昇は明らかではない。
心筋梗塞の大部分は粥状動脈硬化が原因とされるのに対し,脳梗塞は,心原性栓塞症など心筋梗塞とは発症機序の異なるものも存在する。また,冠状動脈(心臓の動脈)では,内膜が厚く,心臓の収縮に合わせる伸縮性が必要となるのに対し,脳動脈では,中膜も薄く,外弾性板を欠き,外膜結合組織が薄いという,それぞれの循環動態に適応した壁構築の差異があり,同一の危険因子に対しても反応に差異が生じる。したがって,
循環器疾患という共通点のみをもって,安易に放射線が両疾病の発症に与える影響が同一であると判断することはできない。
改訂後及び再改定後の新審査の方針においては,心筋梗塞が積極認定対象疾病とされたが,一方で脳梗塞は積極認定対象疾病とされていないことに照らせば,同じ循環器疾患である心筋梗塞が積極認定対象疾病に
されたことは,原爆放射線被曝によって脳梗塞を発症し得るとの経験則を認める根拠とはなり得ない。

被控訴人Dの被曝線量について
被控訴人Dの推定被曝線量は,全体量としても約0.002グレイを
下回る程度という極めて微量の線量にとどまり,その推定方法も十分に信頼できる。
現在の科学的知見の到達点からすれば,DS02等に基づく被曝線量の評価に著しい過小評価はなく,残留放射線(誘導放射線及び放射性降下物)による内部被曝及び外部被曝の可能性についても,これを過大評
価することのないよう慎重に検討すべきである。
放射性降下物が最も多く堆積し,原爆の放射線による内部被曝を最も考慮しなければならない長崎の西山地区の住民についてさえ,昭和20年から昭和60年までの40年間にも及ぶ内部被曝線量は,男性でわずか0.0001グレイ,女性でわずか0.00008グレイにすぎず,
自然放射線による年間の内部被曝線量の10分の1以下という格段に小さなものであることが科学的に実証されている。したがって,被控訴人Dの自宅付近に飛散した放射性降下物の残留放射線による内部被曝及び外部被曝の可能性をもって,被控訴人Dが高い線量の放射線に被曝した根拠とすることはできない。
被控訴人Dが,被爆後脳内出血,高血圧,脂質異常症及び糖尿病に罹患したとしても,そもそも脳内出血については放射線との関係は全く明
らかではないし,高血圧症と脂質異常症についても,放射線被曝によって発症し得るとの知見は確立していない。そして,これらの疾病が,原爆放射線に被曝しなくても一般的に生じ得る疾病であることに照らせば,被控訴人Dがこれらの疾病に罹患したことをもって,同人が高い線量に被曝した根拠となるものではない。


原爆放射線以外の危険因子について
脳梗塞の病態
脳梗塞は,脳血管障害(脳卒中)の一つであり,脳動脈の閉塞ないし狭窄によって脳虚血が生じ,これによって灌流領域の脳局所機能が障害
されて,神経症状を呈するものである(乙C101の資料1・1073ないし1081頁,同資料2・250及び251頁)。
加齢
脳梗塞は,特に60歳以降,加齢とともに増加するとされており,また,被控訴人Dが罹患したとされるアテローム血栓性脳梗塞は,加齢
(男性45歳以上,女性55歳以上)が動脈硬化の危険因子とされていることから,特に加齢により起きやすくなるとされている。厚生労働省平成23年患者調査(乙C96)においても,脳梗塞の総患者数は40歳代から増加し,70歳代がピークで,次いで80歳代,60歳代となっており,全体の患者数約92万4000人のうち,60歳代の患者数
は約15万1000人であって,3番目に多い年代である。
高血圧高血圧は,脳梗塞の発症に対し最大の危険因子であり,日本脳卒中学会脳卒中ガイドライン委員会編「脳卒中ガイドライン2015」等においても,140/90mmHg未満に降圧することが強く推奨されており,特に糖尿病の合併がある場合には130/80mmHg未満を目標とするのがよいとされているが(乙C101の資料9・24及び25頁),上記降圧目標値未満であれば脳梗塞の発症リスクがないというのではなく,至適血圧(収縮期血圧120mmHg未満かつ拡張期血圧80mmHg未満)を超えて血圧が高くなるほど,脳卒中の罹患リスク及び死亡リスクは高くなるとされている(乙C101の資料10・7ないし11頁)。
糖尿病
糖尿病は,脳梗塞の発症のリスクを2ないし3倍高くする独立した危険因子であり,欧米の研究では,糖尿病における脳卒中の相対危険度は男性1.8倍ないし2.2倍,女性2.2倍である(乙C92・88頁)。そして,UKPDS34によれば,血糖のコントロールに加えて
血圧を厳格にコントロールした群は,緩やかなコントロール群に比べて致死的,非致死的脳卒中が44%減少したと報告されていること(乙C92・25頁),高血圧治療ガイドライン2009(乙Dカ20)では,心血管病の危険因子の中でも糖尿病や慢性腎臓病(CKD)を伴う場合は特にリスクが高く,多くの介入試験の成績を根拠に積極的な降圧治療
が推奨されていること等に照らせば,糖尿病は,脳梗塞の独立した危険因子であるのみならず,高血圧,脂質異常症,肥満,喫煙などと合併することにより脳梗塞の発症リスクが相当程度上昇することが認められる。脂質異常症
脂質異常症は脳梗塞の危険因子であり,総コレステロール値及びLD
L―コレステロール値の上昇,HDL―コレステロール値の減少により脳梗塞の発症リスクが相当程度上昇する。その裏付けとして,コレステロール値が1mmol/L増えると脳梗塞の発症が25%増加することが示された研究,コレステロール値が高くなるほど虚血性脳卒中の危険度は高まることが示された研究,総コレステロール値240mg/dL以上で脳卒中の死亡リスクが,総コレステロール値310mg/dL以上で脳梗塞の発症リスクが高くなることが報告された研究,LDL―コレステロール
が1mmol/L低下すると,脳卒中の発症リスクが17%低下することが示された試験結果等が存在する。
メタボリックシンドローム
肥満(特に腹部肥満)は,心血管病の危険因子であり,メタボリックシンドロームに特有の腹部内臓肥満は,インスリン抵抗性に深く関与し,
糖尿病,脂質異常症,高血圧を引き起こし,心血管イベントの発症リスクを高め,心筋梗塞のみならず,脳卒中の独立した危険因子であることを示した研究がある。

被控訴人Dの脳梗塞の発症要因について
放射線とがんとの関連性及び被控訴人Dの被曝線量について
前記アのとおり,脳梗塞については,「心血管疾患およびその他の非がん疾患」と1ないし2グレイ未満の放射線被曝との間に直接的な因果関係は認められていないというのが国際的に承認された知見であり,放射線防護の観点から広く見積もったしきい値でさえ,「循環器疾患」に
ついて0.5グレイとされるにとどまる。
そうすると,放射線被曝が脳梗塞の発症に与える影響については未だ解明されておらず,放射線被曝による脳梗塞発症リスクは,これが全く認められない場合があり得るというべきであり,少なくとも,0.5グレイ以下の低線量域の放射線被曝と脳梗塞との関連性を認めることはで
きない。
被控訴人Dの推定被曝線量は約0.002グレイを下回る程度とごく僅かであり,そこから推定される影響もまた極めて低いレベルにとどまる。放射線被曝の未解明性等を考慮し,上記推定線量を超える線量の被曝があったことを裏付けるような事情を踏まえても,被控訴人Dの被曝線量が0.5グレイに達するものとはおよそ考えられない。したがって,被控訴人Dの原爆放射線被曝による申請疾病の発症リスクは,そもそも存在しないか,少なくとも極めて低いものと評価される。
原爆放射線以外の危険因子
a
加齢
被控訴人Dは,平成17年1月の脳梗塞の発症当時69歳であり,脳梗塞の好発年齢を大幅に上回っていた上,同人の脳梗塞は,アテロ
ーム血栓性脳梗塞と診断されており,加齢による動脈硬化の進展により発症したことがうかがわれる。
b
高血圧
被控訴人Dは,平成13年に高血圧と診断されて内服治療を行っていた(乙Dタ6)。脳梗塞を発症した際の血圧は,平成17年1月の
入院時点で174/110mmHg,同年2月の入院時点で162/80mmHg,平成18年1月時点で142/90mmHgという高血圧であり,血圧コントロールのために降圧剤の増量がされていた。
c
糖尿病
被控訴人Dは,平成13年に糖尿病と診断されて内服治療を行って
いた。平成17年1月に脳梗塞を発症した際のHbA1cは6.4%であり,107mg/gCrのアルブミン尿を認め,糖尿病性腎症Ⅱ期と診断されるなど,脳梗塞発症前の血糖コントロールが不十分であったことが示唆される。
d
脂質異常症
被控訴人Dは,60歳頃に脂質異常症と診断されたものの,内服治療は行われていなかったようである。その後,平成17年1月に脳梗塞を発症した際の総コレステロール(TC)値は232mg/dl,トリグリセリド(TG)値は178m/dl,LDLコレステロール(LDL-C)値は165mg/dl,HDLコレステロール(HDL-C)値は32mg/dlであり,高トリグリセリド血症,高LDLコレステロー
ル血症,低HDLコレステロール血症という脂質異常症を認めたため,内服治療が開始されている。しかも,被控訴人Dは,内服治療開始後も,2回目(平成17年2月)及び3回目(平成18年1月)の脳梗塞発症時に高トリグリセリド血症が続いていた。
e
メタボリックシンドローム
被控訴人Dは,平成17年1月の脳梗塞発症当時,BMIが27.6(身長168cm,体重78kg)という肥満であった。なお,被控訴人Dは,慈恵大学病院の前医から脂肪肝の疑いを指摘され,肝機能障害(AST81↑

ALT62↑)も認められており,慈恵大学病

院における腹部超音波検査でも脂肪肝が強く疑われる所見であった。
平成18年には体重は68kgまで減っていたが,ウエストは85cm以上であったことから,当時より体重が10kg以上も重かった脳梗塞発症時においても,ウエストが85cm以上であったことは常識的に推測されるため,被控訴人Dはメタボリックシンドロームの診断基準(ウエスト85cm以上,高トリグリセリド血症,低HDLコレス
テロール血症,高血圧,糖尿病)の全てを満たしていた。
f
脳梗塞の再発
被控訴人Dが,平成17年1月,同年2月及び平成18年1月に発症した脳梗塞は,いずれも左橋梗塞である。構音障害を認め,麻痺症
状も進行していたこと,脂質異常症,高血圧症,糖尿病などの危険因子を有していたこと,心房細動は指摘されていなかったこと,脳梗塞再発時に梗塞像が拡大していたが,橋の主幹動脈である脳底動脈にはいずれも高度な狭窄はみられなかったと記載されていること,平成18年1月24日の検査では,脳底動脈に口径不整が見られ,アテローム硬化性変化が示唆されたことなどによれば,分枝粥腫型脳梗塞であった可能性が高いと考えられる。

この分枝粥腫型脳梗塞は,比較的径が大きな穿通枝(脳底部の主幹動脈から直接分枝し,脳実質内を上行して脳深部を栄養する血管)が母動脈から分岐する近傍でアテローム性病変により狭窄,閉塞し,穿通枝全域の梗塞を示すものである。我が国では欧米に比べてその頻度が高く,治療抵抗性を示す進行性増悪・再発の経過をたどることが多
い。
脳梗塞は再発しやすい疾患であり,国立循環器病研究センターが運営する「循環器病情報サービス」においても,脳梗塞を含む脳卒中全体の年間再発率は約5%,すなわち,1年間で20人に1人が脳卒中を再発するとされているところである。被控訴人Dについてみても,
入院中に再発予防が大事である旨説明され,高血圧,糖尿病等の危険因子について管理していくことが指示されていること等に照らせば,退院時においても再発の危険がある状況にあったといえる。
このような被控訴人Dの状況を踏まえれば,同年1月に発症した脳梗塞に対する治療後に,脳梗塞が再発,拡大したとしても,そのよう
な経過は決して特異的なものではなく,臨床上,一般的に見られるものである。特に,分枝粥腫型脳梗塞は,上記のとおり,発症が段階的かつ進行性の経過をたどることが多く,被控訴人Dの臨床経過もこれと整合するものである。
g
まとめ
以上によれば,被控訴人Dは,前記aないしfの危険因子のみで優に脳梗塞を発症し得るものであり,加齢,糖尿病,高血圧,脂質異常症,肥満といった危険因子によって血管病変が進行することで発症したものであるとして,優に合理的な説明が可能である。
したがって,被控訴人Dの脳梗塞は,既知の危険因子により血管病変が進行し,そのリスクが現実化したことにより発症したものと考え
るのが合理的であって,少なくとも,被控訴人Dの脳梗塞が原爆放射線によって発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。
(被控訴人Dの主張)

放射線被曝と脳梗塞の関連性について
控訴人の主張は認定実務に反していること。
控訴人(厚生労働省)は,新しい審査の方針策定後,積極認定対象疾病ではない疾病を申請疾病とする申請について,これまで10件を原爆
症と認定し,そのうち3件は脳梗塞であるのであって,自らの認定実務と反する主張をしている。
放射線被曝と脳梗塞の関連性について
a
LSS第9報ないし同第14報について,当初は放射線と循環器疾患との線量反応関係は認められなかったが,調査期間の延長とともに,
まず高線量域において線量反応関係が認められるようになり,さらには高線量域から低線量域にかけての線量反応関係が示されるようになるに至った。
放影研も,LSS死亡率調査及びAHS臨床データにより,被爆者(特に若年被爆者)における循環器疾患の発生率が増加していること
はほぼ明瞭であると紹介し,また,UNSCEAR2006年報告書においても,上記LSS各報は,放射線と循環器疾患の有意な関係を明らかにしたものとして紹介されている。b
清水由紀子ら報告は,脳卒中の過剰相対リスクを線形線量反応モデルで9%(95%信頼区間1―17%,P値は0.02)とし,脳卒中のしきい値線量の最良推定値は0.5グレイであり,95%信頼区間の上限は約2グレイであったが,信頼下限が0未満であるためしき
い値線量がない可能性もあると指摘している。
そして,同論文を掲載紹介したBMJ(イギリス医師会雑誌)が,同論文を,放射線と心疾患,脳卒中との間には,低線量域においても原爆被爆者については強固な関連性を明らかにしたものと紹介しているとおり,低線量域でも脳卒中のリスクがあることが明らかになって
きているというのが国際的な認識である。
最近でも,低線量でも脳卒中のリスクがあるとの報告があり,がん治療(小児ホジキン病のマントル照射治療,小児白血病・脳腫瘍に対する放射線治療)の放射線による被曝及び核施設の労働者において,放射線と脳卒中のリスクの関係性が報告されている。

c
高橋郁乃ら報告は,脳卒中に罹患した被爆者について,DS02線量,つまり外部被曝線量との線量相関関係を調査したものであるところ,ゼロ線量群の中に,被爆線量0.05グレイ未満と無視できない被曝があり,残留放射線で追加被曝をした可能性も高い被爆者を含めて調査を実施しており,線量反応関係が過小評価となっている可能性
が高い。実際,上記ゼロ線量群の脳卒中発症率は男性56.1,女性52.0であり,久山町調査における脳卒中発症率の男性53,女性39を大幅に上回っている。
d
Lazo報告は,放射線防護科学,疫学的にも生物学的にも,今や0.5グレイかそれ以下のレベルの放射線被曝で脳卒中や心疾患がよく引き起こされることが示され,さらにそのような結果は,急性被曝でも慢性被曝でも起こりうるとしており,そのような理解が最近の国際的な放射線被曝に対する認識となっている。
e
Simonettoら報告では,Mayak核施設で働いた1万8797人の労働者を調査した結果,脳血管疾患の発生率は,低線量域においてもほぼ直線的な線量反応関係が支持され,また,若年であるほど放射線リ
スクが高くなるとの有意な関係がみられたとされている。
f
人体影響第2版は,脳梗塞の機序に放射線が全面的に関与していることを明記している。
脳梗塞の危険因子自体に放射線起因性が認められること。

a
赤星正純報告によれば,原爆被爆者では動脈硬化の指標として使われる大動脈弓石灰化,網膜細動脈硬化のいずれもが増加し,心筋梗塞の危険因子である血圧,血清コレステロールも放射線によって増加し,心筋梗塞の発症の鍵を握る炎症(反応)も放射線によって増加していることが分かる。これらの増加は,動脈硬化のリスクが増加していることを示すものであり,アテローム血栓性脳梗塞のリスクが放射線被
曝によって増加することをも示している。
b
AHD第8報は,高血圧症に放射線量との有意な二次線量反応関係を認め,若年で被曝した人の血圧が高くなる傾向があることを報告し,脂質異常症に関しても,被爆者のコレステロール値が非被爆者よりも有意に高いとしている。

c
赤星論文は,被曝放射線量が,①インスリン抵抗性症候群に伴う虚血性心疾患危険因子群に関係する脂肪肝及び②動脈硬化を促進する脂質異常に関連していることを示唆している。なお,恒任論文が,赤星論文を否定する内容のものではないことは,前記
張)ア

d
(被控訴人Bの主

のとおりである。

井上報告では,若年直接被爆者において特に被曝と大動脈硬化の関連が強いことが報告されていることは,前記アe
(被控訴人Bの主張)

のとおりである。
ICRP2012年報告では,放射線被曝は,大動脈弓石灰化,血
圧上昇,血清コレステロールレベルの有意な増加に加えて,各種の炎症反応マーカーの有意な増加を引き起こすことが紹介されている。動
物実験によっても,動脈硬化,アテローム生成のきっかけとなるMCP-1濃度は累積放射線量の増加とともに線形に増加しアテローム変性が起きることが示され,この点については,2015年のICRPでも指摘されている。
f
放影研がAHS対象者に対し実施した調査から得たデータを綿密に解析した結果,特定の遺伝子を有する者について,日本人の全糖尿病患者の約95%を占める2型糖尿病の発生率と放射線の関連性があることが報告された。同報告は,国際誌にも掲載されているものであり,近時も放射線照射と糖尿病の関連性を示唆する報告が多数存在している。

g
以上のとおり,脳梗塞の危険因子である加齢促進,脂質異常症,高血圧,粥状動脈硬化(アテローム動脈硬化)は,いずれも放射線起因性が明確に指摘されているところであるから,被爆者がそれらの危険因子を有していたことは,脳梗塞の放射線起因性を否定することには
つながらない。
脳梗塞と心筋梗塞が循環器疾患として共通であること。
脳梗塞と心筋梗塞では病名は異なっているものの,放射線被曝によって起こる免疫機能の低下と炎症反応の持続が,被爆者にアテローム性動脈硬化を引き起こし,これが脳梗塞や心筋梗塞を含む循環器疾患を多発
させる原因と強く疑われるようになっている。また,控訴人自身が,被控訴人Dは動脈硬化を促進する危険因子が重積した結果,脳梗塞を発症したことを認めており,発生機序の違いを理由として,脳梗塞の放射線起因性を否定することはできない。

被控訴人Dの被爆態様について
被爆地点について

被控訴人Dは,本人尋問(原審)において,被爆地点につき,「b町」の「小川」で,近くに「国鉄があって,お寺がありました」と具体的に供述し,地図で被爆地点を明確に特定しているのであって,その証言は信用できる。
被控訴人Dが爆心地から1.5kmのb町で被曝しても,被爆状況に
よっては火傷を負わないことも考えられるし,当時10歳であった被控訴人Dが,原爆投下直後の極限状況の下で,一緒にいた知人がどうなったか覚えていなくても不自然ではない。
被爆者健康手帳交付申請書に「家の外」との記載があるのは,原爆投下時にb町の小川で泳いでいたことを証明する証人を探すのが困難であ
ったから,家族と一緒に自宅にいたものとしたためにすぎない。
入市について
被控訴人Dは,本人尋問(原審)において,父親と一緒に入市した状況について具体的に回答しており,信用できるものである。
被控訴人Dの被爆者健康手帳交付申請書に入市の記載がないのは,c
町の自宅で被爆したことを理由として,直接被爆者の区分で交付申請を行ったため,入市の事実まであえて記載しなかったにすぎない。
また,原爆が投下された翌日から連日のように入市したという事実について,被控訴人D本人の供述は一貫している。その後の入市期間については,同人作成の陳述書(甲Dタ1)の記載と本人尋問(原審)にお
ける供述とで違いはあるが,いずれも幅をもった言い方をしている上,そもそも68年前の記憶であって,被爆直後の混乱期に連日のように入市していた当時10歳の被控訴人Dが入市期間について正確に覚えていなくても,何ら不自然ではない。
被控訴人Eの疾病の放射線起因性について
(控訴人の主張)

バセドウ病と放射線の関連性について
甲状腺疾患の分類
甲状腺疾患は,甲状腺ホルモンの分泌・作用状態により,甲状腺中毒症と甲状腺機能低下症に分類される。
甲状腺中毒症は,甲状腺ホルモンの増加により,全身の代謝や各臓器
の働きが亢進するものであり,その病態によって,甲状腺機能亢進症(甲状腺ホルモンの合成・分泌が亢進した状態。バセドウ病や機能性腺腫が代表的な疾患)と,破壊性甲状腺中毒症(破壊性甲状腺炎。甲状腺濾胞の破壊によって一時的に甲状腺ホルモンが増加した状態。亜急性甲状腺炎や無痛性甲状腺炎が代表的な疾患)に分類される。そして,バセ
ドウ病は,甲状腺機能亢進症のうち,何らかの理由で免疫系がTSH受容体と抗原抗体反応を起こすことにより,甲状腺濾胞細胞膜上に存在するTSH受容体に対する自己抗体(抗TSH受容体抗体)が産生することによって生じる自己免疫疾患である。
甲状腺機能低下症は,甲状腺ホルモンの減少や作用不足により,代謝
や各臓器の働きが低下するものであり,代表的な疾患としては,慢性甲状腺炎(橋本病)や先天性甲状腺機能低下症(クレチン症)などがある。バセドウ病と放射線との関連性について
バセドウ病については,以下のとおり,全身照射に引き直せば致死量を超える程度の高線量被曝(15グレイ以上)を受けた場合を除いて,
放射線被曝とバセドウ病との関連性を肯定した疫学的知見はない。a
UNSCEAR2000年報告書の附属書Jでは,1991年ないし1996年に実施されたチェルノブイリ事故時に10歳未満の小児16万人を対象とした大規模なスクリーニングプログラムにおいて,電離放射線に関連する甲状腺機能低下症,甲状腺機能亢進症(バセドウ病はこれに含まれる。),結節性甲状腺腫のリスクは増加しなかったと結論付けられている(乙Dソ8の1及び2)。

b
UNSCEAR2008年報告書の附属書D(乙Dソ19)では,チェルノブイリ事故の放射線被曝による健康影響として,自己免疫性甲状腺炎の罹患にも焦点が当てられたが,自己免疫性甲状腺炎(慢性甲状腺炎等)と甲状腺被曝線量との関連について,いかなる決定的証拠をも提供しなかったとされ,この研究はハンフォード核施設,及び
広島と長崎の原爆投下によって被曝した人々の研究の知見と一致し,これまでの証拠は放射線被曝と臨床的に意味のある自己免疫性甲状腺炎との関係を示唆していないとし,放射線被曝と自己免疫性甲状腺炎(慢性甲状腺炎)との間に関係は見出せないとしている。
c
平成24年に公表されたICRPの刊行物118(乙Dソ20の1及び2)では,甲状腺機能亢進症について,「甲状腺機能亢進症もまた,35グレイを超える線量の分割照射の約8年後程度から発症する可能性があるが,それほど一般的ではない」とされ,甲状腺機能亢進症に関する放射線の影響について,放射線治療に応用されるような極めて高線量の場合に発症する可能性があるとするにとどまる。

d
実験的マウスバセドウ病モデルにおいて,放射線又は紫外線の照射を行ったところ,放射線による影響は全く認められなかったとの報告があり,動物実験においては,放射線被曝がバセドウ病の発症に影響しないことが明らかにされている(乙Dソ22の文献18。以下「齋藤論文」という。)。

e
埼玉医大の片山茂裕らの「放射線照射に関連した甲状腺機能亢進症」(昭和58年)(甲A306の文献12。以下「片山茂裕ら報告」という。)及び米国ローデアイランド大学LESLIEDeGroot教授の「放射線と甲状腺疾患」(昭和63年)(甲A306の文献11の1及び2。以下「DeGroot報告」という。)は,いずれも放射線治療と甲状腺機能亢進症ないしバセドウ病との関係をみた報告であり,全身照射
に引き直せば致死量をはるかに上回る程度の高線量被曝と甲状腺機能亢進症ないしバセドウ病との相関関係を示唆したものにすぎない。f
卒後教育のためのロシア医学アカデミーのD.Shilinの「ロシア領内のチェルノブイリ原発事故における放射線汚染地域に住むGraves病の子どもにおける放射線被曝の臨床症状と病歴についてのいくつか
のデータ」(平成12年)(甲A306の文献10の1及び2。以下「Shilin報告」という。)は,チェルノブイリ原発事故後にバセドウ病を発症した症例について,事故直後(1986年ないし1990年)発症群(3歳から13歳までの集団。被曝時の平均年齢は7.0±0.5歳。)と,10ないし15年経過後(1995年ないし19
99年)の発症群(妊娠6か月から5歳までの集団。被爆時の平均年齢は1.9±0.2歳。)という被曝時年齢が異なる2つの群を異なる期間観察したものであるが,両者を単純に比較できるものではないし,そもそも,同報告からは評価の前提を全く読み取ることができず,疫学的な意義ないし位置付けを適正に評価すること自体が不可能であ
る。
g
「チェルノブイリ原発事故後の調査報告」(甲A306の文献9の1及び2)は,同報告自体に,「チェルノブイリ原発事故の結果としては,小児甲状腺癌の増加が,唯一放射線被曝により一般住民への健
康影響を及ぼした明白な事実として合意されている」(甲A306の文献9の1・398頁)と記載されているとおり,チェルノブイリ原発事故において,一般住民への健康影響として医学界において世界的な合意に達しているのは,住民のうち小児に甲状腺がんが増加しているという事実のみである。
h
北海道社会保険中央病院の今野則道らの「北海道在住成人における甲状腺疾患の疫学的調査-ヨード摂取量と甲状腺機能との関係-」
(甲A614の20の2・614頁,615頁。以下「今野則道ら報告」という。)と放影研の今泉美彩らの「広島・長崎の原爆被爆者における甲状腺疾患の放射線量反応関係」(平成17年)(甲A306文献4の1・13頁,甲A306文献4の2。以下「今泉美彩ら報告」という。)との比較については,両報告の調査対象者の平均年齢が大
きく異なっていること,今野則道ら報告は一時点の血液検査の結果により,甲状腺機能亢進症を判定して,点有病率を調査したものであるのに対し,今泉美彩ら報告は,過去の病歴から調査時点までの病歴を含めた期間有病率を調査したものであること,バセドウ病の定義自体も異なっていることなどの違いがあるから,両報告の有病率を単純に
比較して,原爆被爆者のバセドウ病有病率が高いとすることはできない。
また,そもそも,今泉美彩ら報告における被爆者のバセドウ病有病率とされる1.2%は,他の調査で示された非被曝者のバセドウ病有病率と比較して,特筆して高い値であるとはいえない。

さらに,バセドウ病の全国平均並びに長崎及び広島の非被爆者における有病率等が明らかでない中で,長崎及び広島の原爆被爆者の有病率(今泉美彩ら報告)と札幌市在住者の有病率(今野則道ら報告)とを単純に比較することはできない。
i
長崎原爆病院の横田素一郎らの「原爆被爆者にみられた甲状腺障碍について」(昭和35年)(甲A293文献4・750頁。以下「横田素一郎ら報告」という。)では,「甲状腺機能亢進症と単純性甲状腺腫に於ては,全く有意の差を認め得ない」(甲A293の文献4・750頁)として,放射線被曝と甲状腺機能亢進症との統計学的な関連性が明確に否定されている。また,同報告は,甲状腺がんの発症頻度の調査が実質的な目的とされていたものであって,甲状腺機能低下
症に関する調査はわずか3名の対象患者について行われたにすぎず,甲状腺機能低下症の発生頻度を裏付ける疫学調査として一定の結論を導き出せるものではない。
j
広島原爆被爆者健康管理所の伊藤千賀子の「原爆被爆者の甲状腺機能に関する検討」(昭和60年)(甲A293文献5・18頁。以下
「伊藤千賀子報告」という。)は,爆心地から1.5㎞以内で直接被爆した被爆者と3㎞以遠で直接被爆した被爆者との間において,甲状腺機能低下症の発症頻度と甲状腺自己抗体の陽性率を比較したものであるが,統計学的解析を経たものではないし,また,非被爆者や爆心地から1.5㎞ないし3㎞の範囲内の距離で直接被爆した被爆者との
比較調査もされていない。
また,同報告は,「近距離被爆者の甲状腺機能低下症の発症機序は慢性甲状腺炎による甲状腺組織の傷害によって招来する症例よりもその他の異なる機序が推測される。」としている。これは,「近距離被爆者の甲状腺機能低下症の発症機序」について,抗甲状腺マイクロゾ
ーム抗体が陽性となる「慢性甲状腺炎による甲状腺組織の傷害」(自己免疫性甲状腺機能低下症)以外のもの,すなわち自己免疫性でない甲状腺機能低下症の機序によると推測するものである(同21頁)。そのため,上記調査・研究結果からは,放射線被曝と自己免疫性甲状腺機能低下症との関係については何ら示されていないといえる。

k
長崎大学医学部の長瀧重信らの「長崎原爆被爆者における甲状腺疾患」(平成6年)(甲A306文献7・64頁。以下「長瀧重信ら第2報告」という。)は,一部の低線量被曝群に自己免疫性甲状腺機能低下症について有意な発生頻度の増加が示された放影研の井上修二らの「長崎原爆被爆者における甲状腺疾患の調査(第3報)」(昭和63年)(甲A293文献7・587頁。以下「井上修二ら報告」とい
う。)を基に,精度を上げて作成されたものであり,自己免疫性甲状腺機能低下症の有病率について,約0.7シーベルトを最大とする上に凸の線量反応関係が示されている。
しかしながら,有病率は,特定の集団について,調査時という特定時点において疾病に罹患した者の割合を表したものであり,調査時点
で偶然当該疾病に罹患している場合や,完治している場合等もあるのであって,コホート研究において,対象者を追跡調査し,当該疾病の発症率を調査する場合と比べても,交絡因子やバイアスが介在しやすい。
また,同報告のような「線形-2次で上に凸の線量反応関係」は,
特定の要因と特定の疾病との間に因果関係がある場合に見られることが多い右肩上がりの直線ないし2次曲線とは異なっており,特殊な線量反応関係であるといわざるを得ない。そのため,上記現象は,原爆放射線以外の交絡因子によって生じた可能性が否定できない。
したがって,上記調査・研究のみでは,上記線量反応関係が,実際
に放射線被曝と関係して発生したものであると断定することはできず,また,一般的に,低線量の放射線により自己免疫性甲状腺機能低下症の発症率が増加するとの法則性を根拠付けることもできない。
l
長瀧重信ら第2報告の後,同一のテーマについて,調査対象を拡大し,最新の診断技法を用いるなどして,より精度を上げて調査・研究が行われた今泉美彩らの「幼少時被爆者における甲状腺機能障害と自己免疫性甲状腺疾患」(平成29年)(乙C154の1及び2。以下「新今泉論文」という。)においては,放射線被曝と自己免疫性甲状腺機能低下症との間に関連性は得られていない。
m
ヨウ素131内照射及び頸部への外照射後バセドウ病を発生した事例は,いずれも数十グレイという致死量を優に超える高い線量の放射線被曝により甲状腺の組織が破壊されたもので,しかも,これらの事例においては,いずれも被爆後短期間でバセドウ病が発症しているのであるから,低線量被曝によってバセドウ病が発症し得ることの根拠となるものではないし,被爆後50年を経過して発症したバセドウ病
に放射線起因性が認められることの根拠とはならない。
核医学の臨床においては核医学検査や同治療後にバセドウ病を生じた事例は見当たらないこと。
放射性同位元素(ラジオアイソトープ)を利用して検査(核医学検査)や治療(核医学治療)を行う核医学の分野において,核医学検査は,放
射性同位元素を含んだ放射性医薬品を多くは静脈から注射し,その分布をガンマカメラで撮影して診断する検査手法であり,その被曝線量は1ないし15ミリシーベルト程度である。また,核医学治療は,放射性同位元素を特定の疾患部やがん病巣に集中させ,その周りにだけ放射線の影響を及ぼして細胞を死滅させる治療手法であり,その被曝線量は甲状
腺で数10ないし250グレイである。
核医学検査や核医学治療によって,バセドウ病を生じることは,通常は想定し得ない。そのことは,これまでに核医学検査や同治療による副作用としてバセドウ病が発症した事例が報告されていないことからも裏付けられる。「日本アイソトープ協会

医学・薬学学会

放射性医薬品

安全性専門委員会」は,昭和50年以降継続して,放射性医薬品の安全性を確保するため人体投与による放射性医薬品の副作用事例に係る調査を実施しているところ,この放射性医薬品副作用事例調査報告においても,現在のところ,放射性医薬品の投与によってバセドウ病が生じた事例の報告はない。
被爆後50年以上が経過してからバセドウ病を発症し得る機序を想定し得ないこと。
放射線治療後にバセドウ病を生じたとの報告はあるところ,甲状腺への放射線照射がバセドウ病発症の機序を誘導する可能性として,以下の2つの機序を想定し得るが,いずれも,被爆後50年以上が経過した後にバセドウ病を発症することを説明することはできない。

まず,治療量(甲状腺の放射線被曝線量で数10ないし250グレイの被曝)の放射性医薬品が投与されることによって,甲状腺組織が破壊され,甲状腺濾胞細胞膜上に存在する抗原(TSH受容体)が血中に漏出し,これが免疫系へ提示されることにより免疫応答が生じる可能性が考えられる(乙C102の2頁)。このような機序によってバセドウ病
を発症したのであれば,放射線被曝,甲状腺組織破壊,抗原の血中への漏出,免疫応答という一連の経過が連続して生じると考えられることから,原則として,放射線被曝後比較的短期間のうちにバセドウ病を発症するものであり,原爆放射線被曝後50年以上が経過した後に発症したバセドウ病は,このような機序によって説明することはできない。
また,放射線被曝が免疫系そのものに影響を与えたことによって,バセドウ病を発症する可能性が考えられる。しかしながら,「原爆被爆者の免疫系で観察される被曝線量依存性の変化の大部分は,被曝線量1グレイ当たり数パーセントと小さいように思われるので,わずかな免疫系の異常のために特定の疾患に罹患するという筋書きは描きにくいかもし
れない」(人体影響第2版。甲A614の14の2・284頁)とされているとおり,現在のところ,原爆放射線の後障害による免疫機能の低下によって特定の疾患を生じさせることは科学的に証明されていない(乙C103・1頁)。かえって,被曝後20年以上経過した時点におけるT細胞のPHAに対する増殖応答能について調査した報告によれば,検査時年齢40歳以下で被曝時年齢が15歳以下であった群では,2グレイ以上の被曝者と非被曝者との間に有意な差はなかったが,検査時年齢40歳以上の群では,年齢の増加に伴ってT細胞応答が低下したとされている。これによれば,被爆時年齢が若い群では,被爆後30年には,免疫機能が非被曝者と同じレベルに回復したといえ,他の検査系でも同様の結果が示されているようである(乙C102の資料5・326頁)。
このような報告を前提とする限りでは,仮に,被爆時年齢が若い原爆被爆者が,同報告における検証と同レベルの被曝(2グレイ以上の被曝)をしたとしても,晩発性影響の観点からは,免疫学的には被曝の影響から回復しているといえる。以上によれば,原爆放射線被曝が免疫系そのものに影響を与えたことによって,被爆後50年以上が経過した後にな
ってバセドウ病を発症するとの機序も想定し難い。
バセドウ病と橋本病の関係について
バセドウ病と橋本病とは,甲状腺特異的自己免疫性疾患という共通点はあるものの,①標的となる自己抗原が,バセドウ病ではTSH受容体,橋本病では甲状腺ペルオキシダーゼ・サイログロブリンと全く異なるこ
と,②惹起される異常免疫反応が,前者では液性免疫異常,後者では細胞性免疫異常であること,③異常免疫反応の結果が,前者では甲状腺機能亢進症,後者では機能低下症であることなど,相違点が多く,甲状腺自己免疫疾患という疾患範疇では両極端に位置する疾患であり,相互に関連性の高い疾病として,同一視できるものではない。

なお,橋本病とバセドウ病との間の移行例があるとしても,橋本病患者のバセドウ病発症頻度が一般人口のそれよりも有意に高いことすら示されていないから,橋本病とバセドウ病との間の関連性を基礎付けるものではない。
審査の方針に甲状腺機能低下症が盛り込まれたことについて
甲状腺機能低下症については,「一定以上の放射線量との関連があるとの知見」があることを前提に,がん,白血病等と差別化して,「「放射線起因性が認められる」甲状腺機能低下症」が新しい審査の方針(乙A1の1及び2)の改定に盛り込まれたものであり,放射線量いかんにかかわらず,甲状腺機能低下症全てに放射線起因性が認められると理解されていたものではない。

したがって,新しい審査の方針において,「放射線起因性が認められる甲状腺機能低下症」が積極認定対象疾病とされたことをもって,甲状腺機能低下症と低線量の放射線被曝との関連性が科学的知見として認められることの根拠となるものではない。
また,平成25年12月16日に改正された新しい審査の方針におい
ても,積極認定対象疾病に甲状腺機能低下症が盛り込まれているが,新しい審査の方針の改正の経緯からも明らかなとおり,平成25年新方針の「積極的に認定する範囲」は,被爆者救済及び審査の迅速化という観点に基づき,放射線被曝による健康影響についての科学的知見が明らかでない範囲をも取り込む形で拡大して設定されているものである。
したがって,新しい審査の方針に積極認定の対象疾病に甲状腺機能低下症が盛り込まれたことをもって,甲状腺機能低下症と低線量被曝との関連性が認められることにはならない。
EBウイルス及び免疫機能低下に関連してバセドウ病が発生する機序が考えられるとの主張について

エプスタイン・バール・ウイルス(以下「EBウイルス」という。)に関する一般的な医学的知見に照らせば,EBウイルスがB細胞に感染し,潜伏感染後,再活性化して生じる疾患は,バーキットリンパ腫など腫瘍性の疾患に限られているのであり,B細胞の再活性化によって腫瘍性の疾患ではないバセドウ病を生じるとの主張は,このような一般的な医学的知見に反している。また,そもそも,一般に,EBウイルスと関連して発症する疾患にはバセドウ病は挙げられていない。
人体影響第2版に記載のあるように,わずかな免疫系の異常のために特定の疾患に罹患するという筋書きは描きにくいものであるし,また,同書には,原爆被爆者に見られる免疫能の低下が,老化によって生じるそれと類似するものであることが記載されているところ,一般に,免疫
系は,加齢に伴って少しずつ機能低下し,自己免疫疾患の発症も減少していくから,原爆放射線被曝による免疫系の加齢促進による機能低下は,バセドウ病を含む自己免疫疾患の発生減少を帰結すると考えられる。さらに,被控訴人Eが引用するETSUKOKUMAGAIら「EffectsofLong-term

Low

Dose

Radiation―Epstein-Barr

Virus-Specific

AntibodiesinRadiologicalTechnologists―」(甲A713の6の1。以下「KUMAGAIら報告」という。)については,その原爆被爆者群の分類の問題点,高線量被曝者と低線量被曝者との区分の恣意性,抗体の陽性率に関する結果の特異性等に照らせば,同報告をもって,被曝線量と抗EBウイルス抗体価との間に線量反応関係を認めることはできな
い。
また,被控訴人Eが引用する長田佳子ら(以下「長田ら」という。)の「PresenceofEpstein-Barrvirus-infectedBlymphocyteswiththyrotropin

receptor

antibodies

on

their

surface

in

Graves’diseasepatientsandinhealthyindividuals」(甲A713の8の1。以下「長田ら第1報告」という。)は,試料として,人間の体内で産生されるのと同様の正確なTSH受容体蛋白や,抗TSH受容体抗体を使用しなかったことによって,誤ってTRAb(抗TSH受容体抗体)を同定したものと考えられ,その正確性には明らかな疑問がある。
同じく,長田らの「ReactivationofpersistentEpstein-Barrvirus(EBV)

causes

secretion

of

thyrotropin

receptor

antibodies(TRAbs)inEBV-infectedBlymphocyteswithTRAbsontheirsurface」(甲A713の9の1。以下「長田ら第2報告」という。)は,TRAbの量定に使用されたキットの測定範囲の問題から,前提となるTRAb量のほとんどが正確に測定できず,同報告をもって,EBウイルス再活性化によるTRAb産生の亢進を認めることはできな
い。
さらに,HiroshiAkahoriら「Graves’DiseaseAssociatedwithInfectiousMononucleosisduetoPrimaryEpstein-BarrVirusInfection:Report

of

Cases」(甲A713の7の1。以下

「Akahoriら報告」という。)は,バセドウ病の原因として様々なウイ
ルスや細菌感染が候補として上げられている現状において,伝染性単核症とバセドウ病を合併した症例を初めて報告し,伝染性単核症の原因であるEBウイルスがバセドウ病の原因となる可能性を提示したものであって,それが原因となる可能性を証明したものではないし,そもそも,持続感染による持続的なTRAbの産生という機序を根拠付けるもので
もない。

被控訴人Eの被曝線量について
被控訴人Eの推定被曝線量は,全体量としても約0.046515グレイを下回る程度という極めて微量の線量にとどまり,その推定方法も
十分に信頼できる。
現在の科学的知見の到達点からすれば,DS02等に基づく被曝線量の評価に著しい過小評価はなく,残留放射線(誘導放射線及び放射性降下物)による内部被曝及び外部被曝の可能性についても,これを過大評価することのないよう慎重に検討すべきである
被控訴人Eにおいて,平成20年9月下旬頃に軽度の無血液性下痢があったこと,幼い頃に時々風邪をひどくこじらせることがあったこと,
貧血などによって,学校の授業にも十分に参加することができなかったこと等があったとしても,無血液性下痢は,時期の点においても,症状の点においても,放射線被曝による急性放射線症候群としての特徴に全く合致しないから,およそ放射線被曝の影響によるものとは考えられない。その他の事情も,一般に見られる事柄にすぎず,被控訴人Eが高い
線量の被曝をしたことの根拠となるものではない。
被控訴人Eに高血圧の病歴があるとしても,高血圧が放射線被曝によって発症し得るとの知見は確立しておらず,原爆放射線に被曝しなくても一般的に生じ得る疾病であることに照らせば,被控訴人Eが当該疾病に罹患したことをもって,同人が高い線量に被曝したことの根拠となる
ものではない。

原爆放射線以外の発症要因について
バセドウ病は,疾患感受性が遺伝的要因と環境的要因(ストレス,喫煙,感染,ヨード摂取量,ホルモン,妊娠など)の組合せによって規定されるものであるとされ,原爆被爆者でなくても,一般的に発症し得る疾病であ
る。

被控訴人Eのバセドウ病の発症要因について
放射線とバセドウ病との関連性及び被控訴人Eの被曝線量についてバセドウ病については,致死量を超える程度の高線量被曝の場合を除
いて,放射線被曝によってバセドウ病を発症し得るとの科学的知見はないから,放射線被曝によって低線量域も含め一般的にバセドウ病を発症し得るとの経験則を認めることはできず,被控訴人Eの申請疾病について放射線起因性を認める余地はない。仮に,放射線被曝とバセドウ病との間に何らかの関係性を示す知見が一部存在することを考慮するとしても,それらの知見は,放射線被曝とバセドウ病との関係を一般的かつ強固に認めたものとは到底評価し得ないから,放射線被曝線量や危険因子といった他の考慮要素とのバランスは慎重に検討されるべきである。そして,被控訴人Eの推定被曝線量は約0.046515グレイを下回る程度とごく僅かであり,そこから推定される影響もまた極めて低いレベルにとどまる。放射線被曝の未解明性等を考慮し,上記推定線量を
超える線量の被曝があったことを裏付けるような事情を検討しても,これを大幅に上回ると評価すべき事情は見当たらない。
したがって,被控訴人Eの原爆放射線被曝による申請疾病の発症リスクは,そもそも存在しないか,少なくとも極めて低いものと評価される。そして,被控訴人Eの放射線被曝以外の罹患リスクについて見ると,
バセドウ病は,原爆被爆者でなくても発症し得る疾病である。このような疾病について放射線起因性を肯定するには,当該疾病の原爆放射線被曝による発症リスクが,それ以外のリスクを上回ることが高度の蓋然性をもって証明されることが必要となるが,上記のとおり,そもそも同疾病が原爆放射線によって生じる発症リスクはなく,仮にこれがあったと
しても,その被曝線量からすれば極めて低いリスクにとどまることからすれば,当該疾病の原爆放射線被曝による発症リスクが一般的な発症リスクを上回ることが高度の蓋然性をもって証明されたといえないことは明らかである。
放射線によりバセドウ病が発症する機序への該当可能性について

被控訴人Eは,原爆放射線被曝から60年以上が経過した66歳頃にバセドウ病と診断され,d診療所,e医院及びf病院において内服治療による甲状腺機能のコントロールが試みられたようである。放射性医薬品の投与等によって,甲状腺組織が破壊され,血中に漏出した抗原(TSH受容体)が免疫系に提示されることにより,バセドウ病を発症し得るが,このような機序による場合には,放射線被曝後比較的短期間のうちにバセドウ病を発症することとなるところ,被控訴人Eについては,バセドウ病と診断されたのは原爆放射線被曝から60年以上が経過した66歳頃である。なお,同人については,平成12年ないし13年頃(58歳頃)から体重減少,平成14年ないし15年頃(60歳頃)から動悸があったようであるが,仮にこれらがバセドウ病の症
状であったとしても,被曝後50年以上が経過した後に発症したこととなるから,被控訴人Eについて,上記のような機序によってバセドウ病を発症したものとは解し得ない。
また,原爆放射線による甲状腺組織破壊に伴ってバセドウ病を発症し得るとの機序を想定した場合,一過性の甲状腺腫大を伴うことがあるが,
治療開始から数か月以降は,甲状腺組織が破壊され,腫大していた甲状腺は縮小に転じ,以降,甲状腺は委縮する。しかしながら,被控訴人Eについては,被曝後60年以上が経過した平成22年8月9日(67歳頃)の甲状腺推定重量が33.95g(正常な甲状腺の重量は15ないし20g)と著明な甲状腺腫大を呈しており,上記想定に基づくバセド
ウ病の機序とは明らかに整合しない。
さらに,低線量の放射線被曝によって,上記機序によるバセドウ病が誘引されるかという点については,前記で述べた放射性医薬品副作用事例調査報告において,検査量の放射線医薬品によってバセドウ病を発症したとの事例が報告されていないことから,想定し難い。

加えて,放射線被曝が免疫系そのものに影響を与えたことによってバセドウ病を発症する可能性については,現在のところ,原爆放射線の後障害による免疫機能の低下によって特定の疾患を生じさせることは,科学的に証明されていない。かえって,被控訴人Eのように被爆時年齢が15歳以下の原爆被爆者については免疫学的な被曝の影響から回復していることを示す報告もある。以上に照らせば,原爆放射線被曝が免疫系そのものに影響を与えたことによって,被曝後50年以上が経過した後
になってバセドウ病を発症するとの機序は想定し難い。
一方,被控訴人Eの臨床経過は,通常のバセドウ病患者の臨床経過の特徴とよく合致し,同人が抗TSH受容体によるごく一般的なバセドウ病に罹患したと説明することは十分に合理的なものであり,それ以外の説明は考え難い。


結論
以上のとおりであるから,被控訴人Eのバセドウ病が原爆放射線によって発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。

(被控訴人Eの主張)

バセドウ病と放射線との関連性について
以下のとおり,疫学的知見により,バセドウ病と放射線との関連性があることは,明らかである。
a
片山茂裕ら報告は,良性疾患に対する低線量治療を調査して,低線量被曝では13年ないし40年という長期間を経て甲状腺機能亢進症が発症することを示した極めて貴重な報告である。照射された放射線が限界線という低エネルギー線であったとしても,リンパ組織は皮膚の直下にあるし,顔面に対する照射の場合は近くに甲状腺があるところ,放射線照射においては,機械の性能や照射技術の問題もあり,必
ずしも決められた範囲だけに照射が限られることにはならないのであるから,甲状腺へも照射が及ぶ可能性は否定できない。b

チェルノブイリ原発事故後の調査報告では,線量反応関係は認められていないものの,汚染の程度が最も強く,甲状腺がんの発症頻度が高いとされるゴメリで,甲状腺機能亢進症の発症頻度が高くなっているから,放射線被曝と甲状腺機能亢進症との関連性は否定できない。なお,抗甲状腺抗体の発現は,多くの部分は被曝した人の免疫機構に
よって決定されているので,放射線起因性の抗体形成は厳密に線量に相関した現象ではないと考えられるから,線形の線量反応関係がないことをもって,原因と結果の関係を除外することはできない。
c
今泉美彩ら報告は,バセドウ病について,放射線量との線量反応関係が示唆されたとするものである。同報告においては,P値が0.1
0とされているが,統計学においては,有意と評価する際の有意水準を0.05で判定するか0.10で判定するかは任意で便宜的なものにすぎず,一般的には0.05とする場合が多いが,評価する事柄の性質によっては,0.10とすることもあり得る。肝機能障害の放射線起因性が争点となったいわゆる原爆症東裁判の平成17年東京高裁
判決の根拠とされた藤原論文においては,P=0.097は「かろうじて有意な差異」であると評価されており,今泉美彩ら報告のP値はこれとほぼ同じであるから,同報告におけるバセドウ病有病率と放射線量との関連性はかろうじて有意と解することができる。
d
今泉美彩ら報告と今野則道ら報告の比較については,今野則道ら報告において,既往歴と現病歴から甲状腺機能亢進症の治療歴があるとされた者を有病者に加えて有病率を算出すれば,今泉美彩ら報告と同じく「過去の病歴から調査時点までの病歴を含めた期間有病率を調査している」とみなすことができる。そうすると,今野則道ら報告にお
けるグレーブス病の有病率は0.48%となるが,これと比較しても,今泉美彩ら報告の有病率1.2%はかなりの高率である。また,今野則道ら報告の調査対象者の平均年齢である45歳から,今泉美彩ら報告の調査対象者の平均年齢である71歳までに,さらに4/3倍程度の発症者が生じるものと仮定して,71歳時点における有病率を算出すると0.65%となるが,これと比較しても,今泉美彩ら報告の有病率1.2%はかなりの高率である。

なお,バセドウ病の診断の基準としては,①甲状腺中毒症状とびまん性甲状腺腫,②血中甲状腺ホルモン高値とTSH抑制,③TRAb陽性,④放射性ヨード摂取率上昇等があげられるところ,今野則道ら報告と今泉美彩ら報告とでは,上記診断基準の採用の有無や基準値の設定が一部異なってはいるものの,その差異による誤差は5%以内と
推定され,両報告間でバセドウ病の有病率を比較することは十分可能である。
e
長瀧重信ら第1報告によれば,西山でフォールアウトに被曝した3名が,その後甲状腺機能亢進症を発症したとされており,調査時点(1987年)までの期間有病率は1.6%となり,フォールアウト
に被曝していない対照群での期間有病率0.27%の5.9倍となるのであるから,統計学的有意差までは指摘されていないものの,西山地区のフォールアウト被曝者に甲状腺機能亢進症が多く発症していることを示唆するものである。
f
1999年放影研免疫学ワークショップ報告書では,造血リンパ系の機能はいったん回復したように見えたが,その後の被爆後50年間の調査の結果,被爆後50年の時点でも造血リンパ系に有意な損傷が存在していると報告されており,それら免疫系の損傷が,自己免疫性甲状腺疾患に影響を与えた可能性について言及されている。

なお,若年被爆者において,T細胞のPHAに対する増殖応答能や,同種(アロ)抗原に対する混合リンパ球反応が,30年の経過後に回復しているとしても,これらの反応は,被爆者の免疫能の一部を表す指標にすぎず,免疫学的に被曝の影響から完全に回復していると断定することはできない。
g
齋藤論文における実験で使用された動物は,好発系BALB/cマウスであり,そのような特殊なマウスにおいて限られた条件で放射線
実験がされたものである。被爆者については,放射線被曝に対する免疫系の反応は個人により多様性がある可能性があり,被爆形態についても単純ではなく,初期放射線のγ線,中性子線による外部被曝,残留放射線による持続的被曝,飲食等による内部被曝といった多様な形態での被曝が考えられる。さらに,この実験における各群の対象数は
6ないし7と非常に小さく,統計学的検出力は大きくないことが推定される。
以上の問題点を考慮すれば,斎藤論文によって,放射線被曝がバセドウ病の発症に影響しないことが動物実験によって明らかにされたとはいえない。

放射性医薬品副作用事例調査報告においてバセドウ病の報告がないことについて
放射性医薬品副作用事例調査報告(乙C141)は,各年度の4月から3月までの1年間に放射性医薬品を投与された患者について,その年度(4月から3月までの間)に副作用が発生した事例の報告である。したがって,これによっては,放射線診断のために使われた放射線診療から1年以内にバセドウ病が発症したという例は報告されていないということが明らかになるだけであり,これを根拠として,放射線被曝後数十年後に晩発性のバセドウ病が発症しないことを裏付けることはできない。放射線によるバセドウ病の発生機序について

a
放影研の放射線後障害研究によると,原爆被爆後60年以上を経た今日においても,被爆者の免疫系,すなわち細胞集団の構成及び細胞機能に放射線被曝に関連した変化が観察されている。特に,CD4⁺Tリンパ球(ヘルパーTリンパ球),CD8⁺Tリンパ球(細胞傷害性Tリンパ球)のいずれも,ナイーブTリンパ球が減少し,他方,抗原認識の弱いメモリーTリンパ球の割合が増加する。これらは,異物
認識機能の低下を示し,再感染による防御能の低下にもつながるとされる。
こうした原爆被爆者の免疫系の変化は,被爆後長時間経っても認められ,その異常が僅かでも継続する場合には疾患リスクを増加させるかもしれないことが指摘されている。この点で,免疫機能低下にある
被爆者は,バセドウ病に関与する環境因子の影響を強く受けている。b
EBウイルスは,世界的に普遍的に存在し,90%以上の人間がほぼ幼少期に感染し,その後は潜伏感染となるところ,その感染先の多くはBリンパ球である。潜伏期に免疫が低下すると,Bリンパ球中の
EBウイルスが増殖し,溶解したBリンパ球からウイルス粒子が細胞外に出て,周辺細胞に再感染する(溶解期)。これをEBウイルスの再活性化という。そして,この再活性化が持続して特定の疾患の発症に至る場合,EBウイルスの慢性感染という。EBウイルスの増殖に伴い,EBウイルスの機能と構造を反映した様々な抗原が出現し,こ
れに対応する抗体が産生されるところ,この抗体パターンから感染のどの相(段階)にあるのかが分かる。すなわち,EBウイルスの感染後,まず早期抗体抗原(EA抗体等)が形成され始め,同時にVCA-IgM抗体,少し遅れてVCA-IgG抗体が形成される。回復期に入りVCA-IgM抗体が消失するとともにVCA-IgG抗体は
維持される。そして潜伏期となるとEBNA抗体が形成され,終生維持される。ちなみに,Igとは抗体のImmunoglobulin(免疫グロブリン),つまり抗体のことであり,IgMからIgGの産生へと移行する。
初感染が沈静化した後,再びEBウイルスが活性化すると(再活性化),VCA-IgMが再出現し,VCA-IgGは継続して増加する。そしてウイルス増殖が再度開始されるため,早期抗原抗体(EA
抗体等)も再び増加する。このEA抗体の増加が再活性化の重要な指標となる。
EBウイルスがBリンパ球の中に制御されているのは,正常な免疫活性,とりわけCD8⁺Tリンパ球(細胞傷害性Tリンパ球)の監視体制による。

そして,放影研のAKIYAMAら報告(甲A713の4の1)によると,被爆者ではEA-IgG抗体が増加し,VCA-IgM抗体も被曝線量に伴い増加していた。これらは被爆者のEBウイルスの再活性化を示すものである。更に,「原爆放射線の人体影響1992」も,高線量被曝者にEA抗体の増加を認めており,これらは感染したウイルス
が生体内において免疫系のコントロールを受けていないことを示している。
1988年の熊本大学の報告(KUMAGAIら報告)によっても,長時間放射線業務に従事した放射線技師におけるEBウイルスの再活性化が示されている。このことも,EBウイルスの再活性化が放射線被曝
に伴う免疫不全の影響を受けることを示唆している。
c
近年,EBウイルス感染(初感染)によるバセドウ病の発症が報告されるようになった。Akahoriら報告(2012年)によって,EBウイルス初感染による疾患である伝染性単核球症の患者で,TRAb産生が認められ,バセドウ病の発症が確認されたのである。

d
次いで明らかにされたのが,EBウイルス感染Bリンパ球がTRAbを保持していることである。すなわち,Bリンパ球のEBウイルスの感染と,Bリンパ球により準備される自己抗体(TRAb)との関連である。ヒトで産生される特定の抗体は,まずBリンパ球で準備され,その抗体はBリンパ球の細胞表面に発現している。TRAbも,TSH受容体に対する自己抗体であり,Bリンパ球で準備され,Bリ
ンパ球の表面に発現している。次いで,Bリンパ球は,抗体産生の指示(刺激)を受けると,TRAbを産生するとともに,自らは形質細胞(本格的な抗体産生細胞)に変化する。長田ら第1報告は,EBウイルス感染B型リンパ球は,その表面にTRAbを保持しており,この現象はバセドウ病患者にも,健常な人にも見られることを明らかに
したが,EBウイルス数,TRAbを持つ細胞は,バセドウ病患者の方が健常者よりも有意に多かった。
e
次いで,長田らは,EBVの再活性化とTRAbの産生,すなわち分泌亢進の関係について次のとおり調査し,報告している(長田ら第
2報告)。
長田らは,バセドウ病患者12名,対照健康人12名から採取した末梢血単核細胞を,免疫抑制剤(サイクロスポリン)を用いて細胞傷害性Tリンパ球を排除して培養をしたところ,33℃の培養条件で,EBウイルスの再活性化が確認された。そして,この再活性化が誘導
されているときの培養液中にTRAbの産出が認められた。つまり,EBウイルス再活性化を契機にして,EBウイルス感染Bリンパ球からのTRAb産出が促進されたのである。これらのことは,EBウイルスの再活性化が,TRAbの産生(バセドウ病の発症)につながっていることを示しており,長田らは,このことについて,「これらの
結果は,TRAbとEBウイルスが共存しているBリンパ球中で,その持続感染しているEBウイルスが再活性化し,TRAbの産生を増加させるようにBリンパ球を刺激していること,そのことがバセドウ病への進展やバセドウ病の悪化の原因になっている,という我々の仮説を支持している」とまとめている。
f
EBウイルスは,上記のようなバセドウ病との関連だけではなく,橋本病とも関連していることが報告されている。

g
まとめ
バセドウ病の発症には,放射線被曝,ストレス,直接的外傷,ウイルス感染,細菌感染等の環境因子が関与しているところ,これを原爆被爆者でみると,放射線被曝,ストレス,外傷はもとより,被曝によりもたらされた免疫不全や,低栄養下でのウイルス感染や細菌感染も
また発症の環境要因といえるものである。
加えて,EBウイルスの再活性化に原爆放射線が関与していることが以前から明らかになっていたところ,前記のとおり,EBウイルスの再活性化とTRAbの産生促進が明確に示されたのである。
したがって,被爆者のバセドウ病が放射線被曝とは無関係であると
はいえない。
バセドウ病と橋本病との共通・類似性
a
バセドウ病と橋本病は,自己免疫性甲状腺疾患として類縁であるが,甲状腺機能という面では対極に位置している。しかし,橋本病(甲状
腺機能低下症の一種)に特徴的な自己抗体である抗サイログロブリン抗体は,TgAb検査(抗サイログロブリン抗体検査)についてみると,橋本病で90ないし96%が陽性となるが,バセドウ病でも60ないし70%が陽性となる。同様に橋本病に特徴的な自己抗体である抗甲状腺ペルオキシダーゼ抗体(TPOAb)は,橋本病で90ない
し100%が陽性となるが,バセドウ病でも80ないし90%が陽性となる(甲A679の1・1513ないし1514頁)。また,バセドウ病から橋本病に移行する例や,逆に,橋本病からバセドウ病に移行する例も知られている。
また,T.F.Daviesの論文(甲A713の1の675頁の表1)によれば,バセドウ病と橋本病のいずれにおいても,環境因子として,放射線被曝,ストレス,直接的外傷,ウイルス感染,細菌感染がある
ことが指摘されている。
このように,バセドウ病と橋本病の対極性は,臨床的にも病理学的にも不動ではなく,ともに遺伝的背景や環境因子の関与に基づく免疫異常を土台として,自己抗体の形成をもって発症に至るものであり,バセドウ病ではTRAbの形成が起点となっている。

b
放射線被曝と甲状腺機能低下症との関連性については,横田素一郎ら報告,伊藤千賀子報告,井上修二ら報告,長瀧重信ら第2報告によって,疫学的知見により明らかである。
なお,今泉美彩ら報告においては,甲状腺機能低下症に有意な放射線量反応関係は認められていないけれども,その理由としては,①同
調査では調査集団を拡大し広島・長崎の原爆被爆者の両方を対象としたこと,②甲状腺抗体と甲状腺刺激ホルモン(TSH)の測定に異なる診断技法が用いられたこと,③時間の経過に伴い対象者の線量分布が変化したこと(死亡及びがんリスクは放射線量に依存するため)等が考えられることは,同報告自身がいうとおりであって,同報告は甲
状腺機能低下症が放射線によって発生する疾病であることを否定する根拠にはならない。

被控訴人Eの被曝線量について
黒い雨に打たれた事実について

放影研による被爆者からの黒い雨地点情報の聞き取りを基に,作成された「長崎黒い雨マップ」(甲A602)によれば,被控訴人Eの自宅付近及び金比羅山付近は,いずれも黒い雨の降雨地域であったことは明らかである。そして,被控訴人Eは,本人尋問(原審)において,黒い雨に打たれた時の状況について,祖母の言葉等とともに具体的に供述している。したがって,被控訴人Eが,長崎原爆投下の当日,自宅付近又は金比羅山付近で黒い雨に打たれたことは明らかである。

ABCCの調査記録(乙Dソ17)に黒い雨に降られていない旨の記載があるとしても,ABCCの調査は,被爆による被害が過小に記録されているおそれが高い等の問題をはらんでいるものであるし,そもそも調査に回答したのは被控訴人Eの母親であり,本人ではない。
急性症状について

被控訴人Eは,被爆直後,下痢及び発熱などの急性症状があった。前記ABCCの調査記録に,被爆直後の被控訴人Eの発熱や下痢についての記載がないとしても,被控訴人Eの母親からの情報に基づいて作成された調査記録に急性症状という深刻な被曝を裏付けるような事実が記載されていないとしても,これを信用することはできない。

亡Fについて
(控訴人の主張)

脳梗塞と放射線の関連性について
主張)
アのとおりである。


亡Fが入市したか否かについて
亡Fは,昭和20年8月15日頃から同年9月中頃までの間,兄であるJと一緒に数度にわたり,稲佐橋を越えて北に約1キロメートル地点の付近にある工場跡に行ってボールベアリングを拾って遊んでいた旨供述する
が,同人が作成した被爆者健康手帳交付申請書には上記工場に行ったとの事実は一切記載されておらず,その他入市の事実に係る同人の供述には変遷がみられること,Jの手記(乙Dナ9)には,友人であるKとともに上記工場に行って遊んだとの記載があるところ,Kが作成した被爆状況証明書(乙Dナ11)には,同人の入市日は同年8月19日である旨の記載があることからすれば,亡Fが入市した事実はなく,仮に入市していたとしても,それは同年8月19日以降である。


亡Fの被曝線量について
亡Fは,爆心地から約3.7kmの爆心地付近で直爆を受けており,その推定被曝線量は,全体量として0.0004グレイ程度という極めて微量の線量にとどまる。前記イのとおり,亡Fに入市の事実は認めら
れないから,これによる被曝を考慮すべきではないし,仮にこれを考慮するとしても,入市時期として考えられるのは,せいぜい昭和20年8月19日以降という,原爆投下から10日が経過した後のことである。また,残留放射線の被曝線量は,時間の経過とともに急激に減衰する性質を有するものであるから,一審で述べた同月15日の入市被曝による
推定被曝線量(約0.00004グレイ)は,入市が同月19日以降となることによって,更に著しく減少することになるのであって,このような入市により人体に悪影響があることは考えられない。
現在の科学的知見の到達点からすれば,DS02等に基づく被曝線量の評価に著しい過小評価はなく,残留放射線(誘導放射線及び放射性降
下物)による内部被曝及び外部被曝の可能性についても,これを過大評価することのないよう慎重に検討すべきである
亡Fが西山地区のカボチャを日常的に食べていたとしても,放射性降下物が最も多く堆積し,原爆の放射線による内部被曝で最も考慮しなければならない長崎の西山地区の住民についてさえ,昭和20年から昭和
60年までの40年間にも及ぶ内部被曝線量は,男性でわずか0.0001グレイ,女性でわずか0.00008グレイにすぎず,自然放射線による年間の内部被曝線量の10分の1以下という格段に小さなものであることが科学的に実証されているから,残留放射線による内部被曝及び外部被曝の可能性をもって,高い線量の放射線に被曝した根拠とすることはできない。
亡Fが,昭和20年8月10日に,下痢,発熱,眼痛及び胸部痛の症
状を発症したとしても,これらの症状はいわゆる急性放射線症候群の特徴を備えたものとは認められず,放射線に被曝しなくても一般的に生じるものであるから,放射線被曝を裏付けるものとはなり得ない。
亡Fが,被爆後,貧血,白血球数増加,化膿しやすい状態,高血圧及び狭心症等の疾病に罹患したとしても,そもそも貧血,白血球数増加な
どの症状については放射線との関係は全く明らかではないし,高血圧症及び狭心症についても,放射線被曝によって発症し得るとの知見は確立していない。そして,これらの疾病が,原爆放射線に被曝しなくても一般的に生じ得る疾病であることに照らせば,亡Fがこれらの疾病に罹患したことをもって,同人が高い線量に被曝した根拠となるものではない。

原爆放射線以外の危険因子について

ウのとおりである。

亡Fの脳梗塞の発症要因について
放射線と脳梗塞との関連性及び亡Fの被曝線量について
前記アのとおり,「心血管疾患およびその他の非がん疾患」と1ないし2グレイ未満の放射線被曝との間に直接的な因果関係は認められていないというのが国際的に承認された知見であり,放射線防護の観点から広く見積もったしきい値でさえ,「循環器疾患」について0.5グレイ
とされるにとどまる。
そうすると,放射線被曝が脳梗塞の発症に与える影響については未だ解明されておらず,放射線被曝による脳梗塞発症リスクは,これが全く認められない場合があり得るというべきであり,少なくとも,0.5グレイ以下の低線量域の放射線被曝と脳梗塞との関連性を認めることはできない。
そして,亡Fの被曝線量は,前記イのとおり,亡Fが入市した事実は
認められず,これを前提としたその放射線被曝は多くとも0.0004グレイ程度とごく僅かであり,そこから推定される影響もまた極めて低いレベルにとどまる。放射線被曝の未解明性等を考慮し,上記推定線量を超える線量の被曝があったことを裏付けるような事情を踏まえても,亡Fの被曝線量が0.5グレイに達するものとはおよそ考えられない。したがって,亡Fの原爆放射線被曝による申請疾病の発症リスクは,そもそも存在しないか,少なくとも極めて低いものと評価される。原爆放射線以外の危険因子について
a
加齢
亡Fは,平成16年6月の脳梗塞発症当時68歳であり,脳梗塞の
好発年齢を大幅に上回っていた。
b
高血圧
亡Fは,以前から高血圧を指摘され,平成16年6月に脳梗塞で入院した時点において高血圧症に効能効果を有する薬剤が処方されていた。その当時の血圧は148/82mmHgであり,入院後も,収縮期
血圧が120ないし150mmHgで推移していた。そして,同年6月15日以降は,収縮期血圧120mmHg前後で推移したままj病院に転院したが,同病院では高血圧症に対してカルシウム拮抗薬の内服治療が行われていた。
c
心血管疾患
亡Fは,平成16年6月の脳梗塞発症以前に,狭心症という心血管疾患の既往を有していた。d
まとめ
以上によれば,亡Fは,前記aないしcの危険因子のみで優に脳梗塞を発症し得るものであり,加齢,高血圧,心血管疾患といった危険因子によって血管病変が進行することで発症したものであるとして,
優に合理的な説明が可能である。
したがって,亡Fの脳梗塞は,既知の危険因子により血管病変が進行し,そのリスクが現実化したことにより発症したものと考えるのが合理的であって,少なくとも,亡Fの脳梗塞が原爆放射線によって発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確
信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。
(被控訴人F1らの主張)

亡Fが入市したか否かについて
亡Fは,原爆投下時に長崎市内の自宅にいたものであり,そのことを証明すれば直接被爆者として手帳を取得することが可能であったから,不要
な入市の事実は記載しなかったにすぎないし,また,同人の認定申請書の記載と聴取書の記載はほぼ同じ意味内容のことを指しており,変遷はない。Kは,入市者として被爆者健康手帳を申請したものであるところ,昭和20年8月23日までの入市のうちで最も証明の容易な同月19日を入市日として記載したにすぎず,それ以前に入市していなかったわけではない。
なお,Jは,厚生労働省健康局総務課主査のL氏に対して,亡Fが入市したことを否定する発言をしたようであるが,従前Jは亡Fの原爆症認定に積極的な行動をとっており,上記発言や行動も極めて不自然・不合理なものであること等からすれば,信用できるものではない。

その余の脳梗塞と放射線の関連性,飲酒,禁煙等の因子の影響についての主張は,前記

被控訴人Dの主張)のとおりであり,亡Fの脳梗塞には放射線起因性が認められる。第3
1
当裁判所の判断
当裁判所も,被控訴人らの請求はいずれも理由があると判断する。その理由は,次のとおり補正し,後記2のとおり当審における当事者の主張に対する判
断を付加するほかは,原判決の「事実及び理由」第3章の第1,第2並びに第3の1,10,12ないし14及び16に記載のとおりであるから,これを引用する。
(原判決の補正)
原判決206頁16・17行目の「及ぼすような相当量」を「及ぼす程度
の線量」と改める。
同214頁17行目の「①」から同頁21行目の「C型慢性肝炎」までを「①固形がん,具体的には下咽頭がん,②心筋梗塞,③脳梗塞及び④甲状腺機能低下(ただし,甲状腺機能亢進症によるものであることから,検討の対象としては甲状腺機能亢進症となる。)」と改める。

同221頁14・15行目の「以下「LSS第13報」という。」を「LSS第13報」と改める。
同224頁7行目の「以下「LSS第14報」という。」を「LSS第14報」と改める。
同224頁25行目の「としている」を削り,同行目の「10頁)」の次
に「,⑦全固形がんについて,線型モデルが全線量範囲において最も良い適合度を示したが,線量範囲を0ないし2グレイに限定した場合には統計学的に有意な上向きの曲率が認められ,0.3グレイ未満の過剰相対リスクは適合度の最も高い線形の傾き又は線形二次関数よりも名目上高く,このことは解釈が難しいこと(甲A614の3・11頁,16頁),⑧限定された線量
範囲における放射線影響を評価するために,ある線量範囲における全固形がんの過剰相対リスクを性・年齢・被爆時年齢による影響修飾を含む線型モデルに基づいて推定したところ,全固形がんについて有意な過剰相対リスクを示す最も低い線量範囲は0ないし0.20グレイで,1グレイ当たりの過剰相対リスク推定値は0.56(95%信頼区間0.15―1.04,P値は0.01)であり,この線量範囲には,9063人の固形がん死亡を含む7万4444人が含まれており,0ないし0.18グレイの範囲では,1グレイ当たりの過剰相対リスク推定値は0.43(95%信頼区間-0.0047―0.91,P値は0.052)であった(甲A614の3・5頁,11頁),⑨線量しきい値の最大尤度推定値は0.0グレイ(すなわちしきい値はない)で,デビアンスを最小化して求めた95%信頼区間の推定上限は0.
15グレイであった(甲A614の3・11頁)」を加える。
同226頁20・21行目の「以下「古川恭治ら報告」という。」を「古川恭治ら報告」と改める。
同229頁3行目の「あり,」の次に「このことは,0ないし0.20グレイの線量範囲で線量に応じた過剰相対リスクが認められることを意味し,
また,」を加え,同頁4行目の「している。」を「しており,0ないし0.18グレイの線量範囲では有意な過剰相対リスクが認められなかったことが直ちにしきい値の存在を示すものともいえない。」と改める。
同229頁22行目の「マーク」から同頁23行目の「研究」」までを「ピアースら報告」と改める。

同230頁12行目冒頭から同232頁16行目末尾までを削り,同頁17行目の「

」を「

同236頁8行目の「h」を次のとおり改める。
「h

慢性腎臓病
慢性腎臓病(CKD)は心血管疾患の危険因子であり,軽度の腎機能低
下や蛋白尿は心筋梗塞や脳卒中の大きな危険因子であるとされている。一次予防ガイドラインでは,尿異常(特に蛋白尿の存在),糸球体漉過量(GFR)60ml/分/1.73㎡未満のいずれか又は両方が3か月以上持続する状態が,虚血性心疾患の危険因子となる基準とされる(乙C84・29頁)。
i
高尿酸血症
高尿酸血症は,尿酸塩沈着症の病因であり,血清尿酸値が7.0mg/dl
を超えるものと定義される。尿酸値が高いほど心血管障害の発症リスクが高まることが多くの疫学研究で示されており,また,近時の研究によれば,尿酸値が上昇すると,血管内皮機能低下を背景とした高血圧,肥満,糖尿病の新規発症や腎機能障害が進行し,心血管イベント発症に深く関与することが示されている。このため,高尿酸血症は,心血管障害のハイリスクグループであると考えられている。(以上につき,乙C100の資料5・46ないし53頁,68ないし73頁,資料6・49及び50頁,資料7・417頁)
j」

同236頁26行目から同237頁1行目にかけての「以下「LSS第11報第3部」という。」を「LSS第11報第3部」と改める。
同238頁8行目の「以下「AHS第7報」という。」を「AHS第7報」と,同頁22行目の「以下「LSS第12報第2部」という。」を「LSS第12報第2部」とそれぞれ改める。

同240頁3行目の「以下「佐々木英夫ら報告」という。」を「佐々木英夫ら報告」と改める。
同241頁3・4行目の「以下「林奉権ら第1報告」という。」を「林奉権ら第1報告」と改める。
同242頁11・12行目の「以下「AHS第8報」という。」を「AH
S第8報」と改める。
同245頁17・18行目の「以下「赤星正純報告」という。」を「赤星正純報告」と改める。同246頁4・5行目の「以下「清水由紀子ら報告」という。」を「清水由紀子ら報告」と改める。
同253頁19行目
同255頁4行目の「

」を「

」と改める。

同259頁3行目の「がんが」から同頁4行目の「できなかった」までを「循環器疾患とされたがんの誤診断例については,その影響は認められなかった」と改める。
同260頁4行目の「循環器系」の次に「の非腫瘍性疾患」を加える。同260頁19行目の「以下「高橋郁乃ら報告」という。」を「高橋郁乃
ら報告」と改める。
同261頁13行目の「


」を以下のとおり改める。

Lazo報告
経済協力開発機構/原子力機関(OECD/NEA)が平成24年11
月に東京で開催した「第3回放射線防護における科学と価値に関するワークショップ」における議論,提起された問題,今後考えられる方向性などを紹介したLazo報告においては,「放射線防護科学は,疫学的にも生物学的にも,現在,0.5グレイ又はそれ以下のレベルの放射線被曝で脳卒中や心疾患がよく引き起こされ得ることを示している(Radiological
protection

science,

both

epidemiological

and

biological,now

suggeststhatstrokeandheartdiseasemaywellbecausedbyradiationexposureatdosesoftheorderof0.5Gyorless)」とされている(甲A683の4の1ないし3)。
Simonettoら報告
前記

のワークショップにおいて,Simonettoら報告は,マヤック核施
設で働いた1万8797人の労働者を調査した結果,脳血管疾患の発症率は,低線量域においてもほぼ直線的な線量反応関係が支持され,また,若年であるほど放射線リスクが高くなるとの有意な関係がみられたと報告している(甲A682の2,683の14の1及び2)。

同262頁4行目末尾の次に改行の上,以下を加える。



なお,控訴人は,新しい審査の方針の策定後,積極認定対象疾病以外の疾病について,被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案し,脳梗塞3件を原爆症と認定した(甲A684)。」
同262頁8行目の「脳梗塞は」から同頁9行目の「脳梗塞は」までを
「脳梗塞のうちアテローム血栓性脳梗塞については,頭蓋内外の主幹動脈のアテローム硬化(コレステロールなどの脂質が動脈壁内に沈着することによりできる粥状硬化)により血栓を生じるなどするもので,その発症の機序は,心筋梗塞の大部分の症例で冠動脈硬化が原因と考えられることと共通していることを併せ考慮すれば,脳梗塞のうちアテローム血栓性脳梗塞は」と改め
る。
同264頁1行目の「

」を「

」と改める。

同266頁5行目の「以下「横田素一郎ら報告」という。」を「横田素一郎ら報告」と,同頁15行目の「以下「片山茂裕ら報告」という。」を「片山茂裕ら報告」とそれぞれ改める。
同266頁26行目から同267頁1行目にかけての「以下「伊藤千賀子報告」という。」を「伊藤千賀子報告」と改める。
同268頁7・8行目の「以下「井上修二ら報告」という。」を「井上修二ら報告」と,同頁17行目の「以下「DeGroot報告」という。」を「DeGroot報告」とそれぞれ改める。

同269頁21・22行目の「以下「長瀧重信ら第2報告」という。」を「長瀧重信ら第2報告」と改める。同270頁12・13行目の「以下「今野則道ら報告」という。」を「今野則道ら報告」と改める。
同271頁11行目の「以下「Shilin報告」という。」を「Shilin報告」と改める。
同273頁24・25行目の「以下「今泉美彩ら報告」という。」を「今泉美彩ら報告」と改める。
同274頁4行目の「②」から同頁6行目の「0.10)」までを「②バセドウ病有病率と放射線量との関連については,非被爆者に対する1シーベルト当たりの過剰オッズ比は0.49(95%信頼区間-0.06―
1.69,P値は0.10)であり,「バセドウ病有病率と放射線量の関連が示唆されたが,統計的に有意なレベルには達しなかった」とされた」と改める。
同278頁5行目の「統計的に」から同頁8行目の「同趣旨であり,」までを「平成12年から平成15年までの平均年齢71歳の広島及び長崎の
成人健康調査(AHS)対象者3185人について甲状腺疾患の臨床調査を実施し,バセドウ病有病率と放射線量との関連について,非被爆者に対する1シーベルト当たりの過剰オッズ比は0.49(P値は0.10)であったのであり,統計の分析においてP値を0.10に設定する場合もあり,P値が0.05を上回っていても,放射線起因性の法律判断の前提となり得
る資料として採用することは許容されるものというべきであることは,前記
ウ病発症との間に関連性があることを示すものと解することができる。そして,片山茂裕ら報告及びDeGroot報告は,放射線照射に関連した甲状腺機能亢進症の発症を示唆するものであって,高線量の被曝を前提とするものであるが,今泉美彩ら報告の内容に反するものではない。」と改める。同279頁14行目の「おり,」の次に「橋本病に特徴的な自己抗体である抗サイログロブリン抗体は,TgAb検査(抗サイログロブリン抗体検査)についてみると,橋本病で90ないし96%が陽性となるが,バセドウ病でも60ないし70%が陽性となり,同様に橋本病に特徴的な自己抗体である抗甲状腺ペルオキシダーゼ抗体(TPOAb)も,橋本病で90ないし100%が陽性となるが,バセドウ病でも80ないし90%が陽性となるとされ
ており(甲A679の1・1513頁,1514頁),」を加える。同281頁5行目冒頭から同300頁14行目末尾までを削る。
同305頁2行目の「また」から同頁3行目末尾までを削る。
同305頁10行目の「及ぼすような相当量」を「及ぼす程度の線量」と改める。

同306頁2行目の「ブランデー」から同頁3行目の「26頁)。」までを「食道がんの告知を受けた平成13年12月以降禁酒した(当時67歳)が,それまでは,週に6,7回くらい,ブランデーダブル約60mlを2,3杯飲んでおり,平成16年4月に胃がん治療のため入院した頃には,1か月に2,3回,酒1合及びビール350mlを摂取していた(乙Dイ7・2
6頁,乙Dイ16)。」と改める。
同306頁16行目の「及ぼすような相当量」を「及ぼす程度の線量」と改める。
同374頁26行目の「10」を「2」と改める。
同382頁12行目の「また」から同頁14行目末尾までを削る。
同382頁16行目の「及ぼすような相当量」を「及ぼす程度の線量」と改める。
同382頁24行目の「及び脂質異常症」を「,脂質異常症,慢性腎臓病及び高尿酸血症」と改める。
同384頁5行目末尾の次に改行の上,以下を加える。



また,被控訴人Bは,平成11年3月から平成12年12月にかけての血清クレアチニン値から推定される腎機能の指標である糸球体濾過量の推定値(eGFR)が一貫して60ml/分/1.73㎡未満であり,慢性腎臓病の診断基準を満たしていた(乙C100)。さらに,被控訴人Bは,心筋梗塞発症前から高尿酸血症と診断され,内服治療を受けていたが,尿酸値は基準値を上回る状態で推移していた。」
同384頁12行目の「及ぼすような相当量」を「及ぼす程度の線量」と改める。
同384頁16行目の「及び喫煙」を「,喫煙及び高尿酸血症」と改める。同384頁20行目の「認められるものであって」を「認められ,さらに,
慢性腎臓病についても,放射線被曝との関連性が認められる(Adams報告(甲A671の9の1及び2),世羅ら報告(甲A671の10),当審証人I)のであるから,これらの症状を放射線の影響とは無関係な「他の疾病要因」とみることはできず,これらの症状が相乗的に心筋梗塞発症の危険性を高めたとしても,それは,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症してい
たことを裏付けるものではなく」と改める。
同395頁16行目の「12」を「3」と改める。
同400頁24行目の「さらに」から同401頁1行目末尾までを削る。同401頁5行目冒頭から同頁7行目末尾までを削る。
同401頁9・10行目及び同403頁3行目の「及ぼすような相当量」
をいずれも「及ぼす程度の線量」と改める。
同403頁11行目の「あって,」の次に「これらの症状を放射線の影響とは無関係な「他の疾病要因」とみることはできず,これらの症状が相乗的に心筋梗塞発症の危険性を高めたとしても,それは,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたことを裏付けるものではなく,」を加える。
同404頁7行目の「13」を「4」と改める。
同410頁19行目冒頭から同頁22行目末尾までを削り,同頁23行目の「カ」を「オ」と,同頁26行目の「キ」を「カ」とそれぞれ改める。同411頁1・2行目及び同412頁1行目の「及ぼすような相当量」をいずれも「及ぼす程度の線量」と改める。
同412頁9行目の「あって,」の次に「これらの症状を放射線の影響とは無関係な「他の疾病要因」とみることはできず,これらの症状が相乗的に脳梗塞発症の危険性を高めたとしても,それは,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたことを裏付けるものではなく,」を加える。同412頁23行目の「14」を「5」と改める。
同419頁2行目の「さらに」から同頁3行目末尾までを削る。

同419頁9・10行目の「及ぼすような相当量」を「及ぼす程度の線量」と改める。
同427頁21行目の「16」を「6」と改める。
同430頁12行目の「一方で,」から同頁13行目末尾までを次のとおり改める。

「そして,被控訴人Dの兄であるJの手記(乙Dナ9)には「彼(Jの友人であるK)と爆心地近くの工場で焼けたボールベアリングを拾ってきて,金槌等でたたくとスムーズに回転するようになり,それを2本の棒の両端につけ,板の切れ端で作った手作りの車で,坂道を転がして遊んだ思い出話もあった」との記載があり,また,平成2年11月13日に東京都に提
出された亡Fの被爆者健康手帳交付申請書に添付されたK作成の被曝証明書(乙Dナ10)には,「本人(亡F)の兄J君とはs中学校の同級生でt君の家によく遊びに行っていました。その折時々せがまれて一緒に遊びの仲間に入れてやりました」との記載があり,これらは前記報告書の記載を裏付けるものといえる。

なお,前記被爆者健康手帳交付申請書(乙Dナ10)には,上記入市の事実について記載がないが,同人は原爆投下当時長崎市内に在住しており,直接被爆者として被爆者健康手帳の交付を受けており,必ずしも入市の事実を記載する必要はなかったものと解されるから,そのことをもって,上記入市の事実がなかったことを裏付けるものとはいえない。また,Kが作成した前記被爆状況証明書には,同人の入市日は同年8月19日である旨の記載があるが,亡Fの聴取報告書(甲Dナ1)には「8月15日頃から,
進駐軍がやってきた9月中頃までの間,兄と一緒に,2~3回と言わず数度にわたり」入市した旨の記載がある上,Kの初回入市日と亡Fの初回入市日が同じ日であったと認めるに足りる証拠もないから,Kが作成した上記被爆状況証明書の記載をもって,亡Fの入市日が同年8月19日以降であったことを裏付けるものともいえない。」

同430頁17行目の「稲佐山」を「稲佐橋」と改める。
同432頁9行目の「いる」から同頁12行目末尾までを「いた。」と改める。
同432頁14・15行目の「及ぼすような相当量」を「及ぼす程度の線量」と改める。

同432頁17行目の「脳梗塞は」を「亡Fの脳梗塞は,脳梗塞のうちアテローム血栓性脳梗塞であると認められる(当審証人M),弁論の全趣旨)
同433頁12行目の「及ぼすような相当量」を「及ぼす程度の線量」と改める。

同433頁20行目の「あって,」の次に「これらの症状を放射線の影響とは無関係な「他の疾病要因」とみることはできず,これらの症状が相乗的に脳梗塞発症の危険性を高めたとしても,それは,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたことを裏付けるものではなく,」を加える。2
当審における当事者の主張について
原爆症認定における放射線起因性の判断基準についてア

原爆症認定における放射線起因性の判断については,原爆症認定の申請者において,原爆放射線に被曝したことにより,その負傷若しくは疾病又は治癒能力の低下を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明する必要があり,その判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信
を持ち得るものであることを要すると解すべきであること(最高裁平成10年(行ツ)第43号同12年7月18日第三小法廷判決・裁判集民事198号529頁参照),そのように解するとしても,疾病等が生じた場合に,その発症に至る過程においては,多くの要因が複合的に関連しているのが通常であり,特定の要因から当該疾病等の発症に至った機序を逐一解
明することには困難が伴い,殊に,放射線が人体に影響を与える機序は,科学的にその詳細が解明されているものではなく,長年にわたる調査にもかかわらず,放射線と疾病等との関係についての知見は,統計学的,疫学的解析による有意性の確認など,限られたものにとどまっており,これらの科学的知見にも一定の限界が存することから,放射線起因性の判断に当
たっては,当該疾病の発症等に至った医学的,病理学的機序を直接証明することを求めるのではなく,当該被爆者の放射線への被曝の程度と,統計学的,疫学的知見等に基づく申請疾病等と放射線被曝との関連性の有無及び程度とを中心的な考慮要素としつつ,これに当該疾病等の具体的症状やその症状の推移,その他の疾病に係る病歴(既往歴),当該疾病等に係る
他の原因(危険因子)の有無及び程度等を総合的に考慮して,原爆放射線の被曝の事実が当該申請に係る疾病若しくは負傷又は治癒能力の低下を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性が認められるか否かを経験則に照らして判断するのが相当であること,さらに,疾病の発症においては,一般に,複数の要素が複合的に関与するものであるから,他の疾病要因と共同
関係があったとしても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるような特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射線起因性を肯定するのが相当であることは,前記1説示のとおりである。

これに対し,控訴人は,放射線被曝と当該疾病との間に関連性が認められる場合であっても,他の原因が考えられる場合は,いずれに起因して当該疾病が発症したかについて,それぞれの発症リスクを慎重に比較することが重要であり,因果関係について立証責任を負う者は,他の原因により当該疾病が発症した可能性を高度の蓋然性をもって否定する必要がある旨,また,他の疾病要因と共同関係があったとしても,原爆の放射線によって
当該疾病の発症が促進されたと認められる場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるような特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはないと解することは,①原爆放射線被曝と原爆放射線以外の疾病要因とが相互に作用し合って申請疾病を発症させ得る関係にあることを当然の前提とすることになるが,このような医学的経験
則を認めることはできず,②放射線被曝と疾病発生との関連性を示唆ないし肯定する疫学的知見の存在があれば,直ちに,原爆放射線被曝が,当該被爆者が現に発症した疾病の発症原因となることを前提とすることとなるが,放射線被曝は発症の「必要な原因」ではなく,放射線被曝と疾病発症との関連性を肯定する疫学的知見の存在をもって,現に疾病の発症が「促
進された」と認めることはできない,また,③「特段の事情」として,申請疾病が原爆放射線以外の疾病要因によって発症したものであることについての主張立証責任を控訴人に課し,又は,放射線起因性について事実上の推定が成立することを前提として,これを覆滅するための間接事実の立証負担を控訴人に課すことになるから,誤りであり,放射線起因性の判断
に当たっては,当該申請者の放射線被曝の程度が,他のリスク要因の寄与がなくとも,当該放射線の放射能の影響のみで当該疾病を発症させる程度のものであったか否かが,まず検討されるべきであるなどと主張する。しかし,前示のとおり,疾病の発症に至る過程においては,多くの要因が複合的に関連しているのが通常であり,特定の要因から当該疾病等の発症に至った機序を逐一解明することには困難が伴い,殊に,放射線が人体に影響を与える機序についての知見は,統計学的,疫学的解析による有意性の確認など,限られたものにとどまっており,一定の限界が存することから,放射線起因性の判断に当たっては,当該被爆者の放射線への被曝の程度と,統計学的,疫学的知見等に基づく申請疾病等と放射線被曝との関連性の有無及び程度とを中心的な考慮要素としつつ,これに当該疾病等の
具体的症状やその症状の推移,その他の疾病に係る病歴,当該疾病等に係る他の原因の有無及び程度等を総合的に考慮して,原爆放射線の被曝の事実が当該申請に係る疾病若しくは負傷の発生又は治癒能力の低下を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性が認められるか否かを経験則に照らして判断するのが相当であり,放射線被曝の程度が,他のリスク要因の寄与が
なくとも当該疾病を発症させる程度のものであったことを要するとはいえない。そして,他の疾病要因と共同関係があったとしても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるような特段の事情がない限り,放射線起因性を肯定するのが相当であると解される。そして,この場
合には,放射線起因性を立証する側において,他の原因によって当該疾病が発症した可能性がないことを高度の蓋然性をもって立証する必要があるとまではいえない。このように解したとしても,放射線被曝と疾病発生との関連性を示唆ないし肯定する疫学的知見の存在があれば,直ちに,原爆放射線被曝が被爆者に現に発症した当該疾病の発症原因となるものと認定
することになるわけではないし,申請疾病が原爆放射線以外の疾病要因によって発症したものであることについての主張立証責任を控訴人に課し,又は,放射線起因性について事実上の推定が成立することを前提として,これを覆滅するための間接事実の立証負担を控訴人に課すことになるものでもない。控訴人の主張は採用することができない。

控訴人は,個人の被曝線量の判断について,ある程度概括的であるとしても,当該個人の被曝線量を定量的に算出しなければ,疫学的知見に基づいて疾病発症リスクを推認することはできないところ,被曝線量の推定については,物理学的推定法を基本としながら,生物学的推定法を併せて総合的に考慮されるべきであり,放射線被曝により生じた身体症状(急性放射線症候群)から推定する方法は,物理学的推定法及び生物学的推定法が
有効でなく,その他の情報から高線量放射線被曝が確信されているような場面において,被曝線量の程度を計る目的で暫定的に使用されるべきものにすぎない旨主張する。
しかし,物理学的推定法を代表するDS02においても,特に爆心地から1.5㎞以遠において初期放射線の被曝線量を過小評価している可能性
を完全には否定することができないこと等から,その適用については一定の限界が存することにも留意すべきであること,放射性降下物による被曝については,実際に被爆者の被曝線量を評価するに当たっては,広島の己斐高須地区又は長崎の西山地区以外の地域にも放射性降下物が相当量降下し又は浮遊していた可能性を考慮に入れ,かつ,当該被爆者の被爆後の行
動,活動内容,被爆後に生じた症状等に照らし,放射性降下物による様々な形態での外部被曝及び内部被曝の可能性がないかどうかを十分に検討する必要があること,誘導放射線による被曝については,実際に被爆者の被曝線量を評価するに当たり,爆心地から相当程度離れた地域にも誘導放射化された物質が相当量存在していた可能性を考慮に入れ,かつ,その被爆
状況,被爆後の行動,活動内容,被爆後に生じた症状等に照らして,誘導放射化された物質による様々な形態での外部被曝及び内部被曝の可能性を十分に検討する必要があること,内部被曝の影響については,当該被爆者の被爆状況,被爆後の行動,活動内容,被爆後に生じた症状等に照らして,放射性降下物及び誘導放射化された物質を体内に取り込んだことによる内部被曝の可能性がないかどうかを十分に検討する必要があるというべきであり,加えて,内部被曝による身体への影響には,一時的な外部被曝とは
異なる特徴があり得ることを念頭に置く必要があること,急性症状等について,個別の遠距離被爆者及び入市被爆者に生じた症状が放射線被曝による急性症状であるか否かについては,これらの症状が放射線被曝以外の原因によっても生じ得るものであること等を踏まえて慎重に検討する必要があるとしても,遠距離被爆者及び入市被爆者に生じた症状がおよそ放射線
の影響によるものではないとすることは不合理であり,遠距離被爆者及び入市被爆者であっても有意な放射線被曝をすることによって急性症状を生じ得ることは否定することができないこと,これらを踏まえて,被爆者の被曝線量を評価するに当たり,DS02等により算定される被曝線量は,飽くまでも一応の目安とするにとどめるのが相当であって,当該被爆者の
被爆状況,被爆後の行動,活動内容,被爆後に生じた症状等に照らし,様々な形態での外部被曝及び内部被曝の可能性がないかどうかを十分に検討した上で,被爆者において,当該被爆者の健康に影響を及ぼす程度の線量の被曝をしたのかどうかについて判断していくべきであることは,前記1説示のとおりである。控訴人の主張は,採用することができない。
被控訴人Aの疾病の放射線起因性について

下咽頭がんの放射線起因性について
控訴人は,放射線による固形がん発症のしきい値について,最新のUNSCEAR2010年報告書(乙Dイ11),LSS第14報(乙C
10の3),古川らモデル報告等に照らせば,0.1ないし0.2グレイを下回る低線量被曝によってがんを発症し得るとの科学的経験則は存在せず,そのような低線量域での因果関係は不明というほかないと主張する。
しかし,UNSCEAR2010年報告書が,固形がんの低線量における死亡率に対する線量反応関係について,統計学的に有意なリスク上昇は0.1ないし0.2グレイ又はそれ以上で観察されるとしている一方で,プレストンら第2報告は,0ないし2グレイの範囲では一貫して線形の線量反応関係が認められ,さらに,被曝線量が0.15グレイ以下の対象者に解析を限定した場合にも,統計的に有意な線量反応が認められたとし,さらに,LSS第14報も,0ないし0.20グレイの線
量範囲で線量に応じた過剰相対リスクが認められ,定型的な線量しきい値解析ではしきい値は示されず,0線量が最良のしきい値推定値であったとし,LNT仮説については,未だ定説がない状況にあるということができるものの,全米科学アカデミーのBEIR委員会が,発がんリスクは低線量域でもしきい値なく線形で連続しているとの結論に達したと
し,ICRP2007年勧告も,その勧告する実用的な放射線防護体系は,約100ミリシーベルトを下回る線量においては,ある一定の線量の増加はそれに正比例して放射線起因の発がん又は遺伝性影響の確率の増加を生じるであろうという仮定に根拠を置くこととするとしているのであって,かかる仮説を一概に否定することはできないこと,UNSC
EAR2000年報告書も,LNT仮説が,低線量電離放射線によるがんリスク評価として一般的に国内及び国際組織から受け入れられてきたとしているものであること,ピアースら報告においては,CT検査による線量と脳腫瘍との間に正の相関を認めたとされていること,これらの知見を含む各種知見を総合すれば,固形がんのしきい値は観念されない
ものというべきであることは,前記1説示のとおりであり,控訴人が指摘するUNSCEAR2010年報告書(乙Dイ11),伴信彦東京医療保健大学教授作成の意見書(乙C99)の記載も,この認定判断を左右するものとはいえない。また,控訴人が,LSS第14報について指摘する点,LNT仮説について指摘する点,ピアースら報告について指摘する点,また,自然放射線が特に高いとされる地域において実施された疫学調査についての指摘についても,いずれも,前示の判断に照らし,採用の限りではない。
なお,古川らモデル報告(乙C152)は,放射線リスク解析の主要目的である線量反応関係の推定をより正確に行うために,ベイズ統計学の枠組みの下でセミパラメトリックモデル(パラメトリックモデルと線
量反応について特定の形を全く仮定しないノンパラメトリックモデルの中間に位置するモデル)を用いた新しい統計手法を提案したというものであって,複数のあり得ると思われる線量反応関係の下でのシミュレーションによって,本提案方法の能力を,偏り,効率性,不確実性推定の精度に関して,従来のパラメトリックモデルによる方法と比較し,この
方法を原爆被爆者の寿命調査集団における固形がん罹患率解析に適用し,推定された線量反応曲線とその区間推定を他の手法と比較したというものであり,前記解析では,提案した手法による結果は,従来の線形非しきい値モデルと比較して,低線量域においてリスク推定値は低く,区間推定は広くなり,0.1グレイまでの放射線被曝によるリスクの上昇が
明らかでないことを示唆したとされているものであり,新しい統計手法の提案を主な目的とするものと解されるにすぎず,これをもって,前示の判断を左右するものとはいえない。
また,若年被爆者への影響について,LSS第13報,LSS第14報及び古川恭治ら報告を踏まえて,若年での被爆はリスクを相当程度高
めるものというべきであることは,前記1説示のとおりである。
控訴人の主張はいずれも採用することができない。イ

被控訴人Aの被曝線量について
控訴人は,被控訴人Aの推定被曝線量は,全体として0.003グレイを下回る程度という極めて微量であり,残留放射線による内部被曝及び外部被曝の可能性について過大評価するべきではなく,被控訴人Aの被爆後
の体調不良,同人の伯父が肝がんで亡くなったこと等は,いずれも被控訴人Aが高線量の被曝をした根拠とはならない旨主張する。
しかし,被爆者の被曝線量を評価するに当たり,DS02等により算定される被曝線量は,飽くまでも一応の目安とするにとどめるのが相当であって,当該被爆者の被爆状況,被爆後の行動,活動内容,被爆後に生じた
症状等に照らし,様々な形態での外部被曝及び内部被曝の可能性がないかどうかを十分に検討した上で,被爆者において,当該被爆者の健康に影響を及ぼす程度の線量の被曝をしたのかどうかについて判断していく必要があること,被控訴人Aは,昭和20年8月6日の広島原爆の投下当時11歳で,爆心地から50㎞以上離れた場所に学童疎開していたが,伯父とと
もに,同月11日に広島駅から徒歩で爆心地付近まで入市し,爆心地から約500mの地点にあった自宅付近に家族を探すため数時間滞在し,同月12日も朝から昼に掛けて爆心地付近で家族を探し,その間,スコップで地面を掘り返すなどし,さらに,家族を探すため,爆心地付近の小学校などに行き,各所にある救護所を回り,瀕死の重体の者が収容されている救
護所で一晩を過ごすなどし,同月16日,広島市g町に入市し,数日間滞在し,この間多数の被爆者と接触したこと,このような状況からすると,被控訴人Aは,初期放射線による被曝はないものの,放射性降下物に接触し,誘導放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性は高く,これらの物質や粉塵を吸引した可能性があり,爆心地付近の水
を飲み,救護所で食べた食物が放射性降下物や放射性粉塵に汚染されていた可能性もあり,被爆後,胃腸が弱くなり,下痢が多くなるという体調不良を生じていること,被控訴人Aは被爆当時11歳であり,比較的若年での被爆であり,被控訴人Aとともに入市した被控訴人Aの伯父も肝がんで死亡していること,以上の事実を総合すれば,被控訴人Aは,同人の健康に影響を及ぼす程度の線量の被曝をしたものと認められることは,前記1説示のとおりである。

控訴人は,被控訴人Aの被爆後の体調不良が急性放射線症候群の特徴を備えたものか否かははっきりせず,被控訴人Aの伯父が肝がんで亡くなったことも,同人の被爆態様等は不明であるから,これらの事情をもって,被控訴人Aの被曝線量が高いことの根拠とすることはできないと主張するけれども,被控訴人Aは上記のとおりその伯父とともに原爆投下の5日後
に入市し,伯父と行動をともにしていたのであり,控訴人の指摘するこれらの事情を被控訴人Aの被曝線量を判断する一要素とすることが許されないものとは解されない。控訴人の主張は採用の限りではない。

被控訴人Aの下咽頭がんの放射線起因性について
控訴人は,下咽頭がんは飲酒,喫煙,性差及び年齢との関係が深く,飲酒については,特にALDH2ヘテロ欠損型である者の場合,頭頸部や食道が発がん作用を有するアセトアルデヒドの影響を強く受け,喫煙についても,下咽頭は発がん物質に直接暴露する等により発がんの危険にさらされ,特に多量の飲酒及び喫煙をする者においては非常に高いリ
スクになるところ,被控訴人Aは,ALDH2ヘテロ欠損型であって,多量の飲酒,喫煙,加齢,性差等の危険因子を有し,かつ,同様に飲酒及び喫煙との関連が強い食道がんを2回発症していることに照らせば,被控訴人Aはそれらの危険因子によって下咽頭がんを発症したものとして,優に合理的に説明することができるから,被控訴人Aの下咽頭がん
が,被控訴人Aが受けた原爆放射線によって発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえないと主張し,当審証人Hの証言及びH意見書(乙Dイ16)中には,これに沿う内容のほか,H医師は,頭頸部外科を専門とし,国立がん研究センター東病院において25年くらいの間に500人足らずの人数の下咽頭がんの患者を担当したが,ほとんどの患者は,飲酒,喫煙をし,非常に高率に食道がんを併発しており,被控訴人Aの下咽頭がんは,下咽頭がんを発症しやすい性別及び年齢であったところに,長年にわたる多量の飲酒及び喫煙という要因が重積した結果として発症したものと考えるのが自然かつ合理的であり,放射線の影響を受けたために発症した特異なものではなく,一般的な症例の一
つとして位置付けることができる旨の供述ないし記載がある。また,国立がん研究センター社会と健康研究センター長津金昌一郎医師作成の意見書(乙Dイ15)によれば,喫煙による下咽頭がんのハザード比は,喫煙指数40ないし59の男性で14.81(95%信頼区間1.75―125.45),喫煙指数60以上の男性で20.91(95%信頼
区間2.29―191.12)とされ,飲酒による下咽頭がんのハザード比は,週当たりのアルコール摂取量が300g以上の男性では10.11(95%信頼区間2.69―37.95)とされていること,口腔・咽頭がんについては喫煙と飲酒による相乗効果が認められており,特に,多量の喫煙及び多量の飲酒をする者においては非常に高いリスク
となるとされていることが認められる。
しかし,疾病の発症に関する放射線起因性については,放射線と疾病の発症との間に通常の因果関係があることが要件とされていると解するのが相当であるところ,疾病の発症においては,一般に,複数の要素が複合的に関与するものであるから,他の疾病要因と共同関係があったと
しても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるような特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射線起因性を肯定するのが相当であること,これを被控訴人Aについてみると,同被控訴人は,健康に影響を及ぼす程度の線量の被曝をしたと認められ,また,同被控訴人の申請疾病である下咽頭がんは,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であり,原爆の放射線に被爆したことによって下咽頭がんの発症が促進されたものと認めるのが相当であること,被控訴人Aが男性であり,74歳の時に下咽頭がんと診断され,同被控訴人は,20歳代から喫煙を始め,40年間これを続け,元々酒が合わない体質であったのに,20歳の時に飲酒を始め,67歳
の頃は,週に6,7回,ブランデーダブル約60mlを2,3杯飲んでおり,その後禁酒したものの,下咽頭がんを発症した平成20年9月の時点において,1回当たりビール350ml及びワイン180mlを付き合い程度の頻度で摂取していたことは,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるような特段の事情とまでは認められないこと
は,前記1説示のとおりである。
前記判断に関し,被控訴人Aについて,
症の危険因子があり,飲酒及び喫煙との関連が強い食道がんを2回発症しているという事情があるとしても,ALDH2ヘテロ欠損型の者は日本人の人口の約50%を占めているが,下咽頭がんは症例数は必ずしも
多くはなく(当審証人H,当審証人N,乙Dイ4),また,飲酒,喫煙等の危険因子は,下咽頭がんの発症のリスクを高めるものであるが,下咽頭がんを必ず発症するというものではなく,発症するか否かは,アルコールの代謝能の活性,生活環境,生活習慣等にも影響される(当審証人H)のであり,多量の喫煙及び多量の飲酒が非常に高いリスクとなる
とされていることを考慮しても,被控訴人Aについて,放射線の影響がなくとも下咽頭がんが発症していたといえるような特段の事情があるとまでは認められない。また,被控訴人Aが食道がんを2回発症した点についても,固形がんについては全固形がんに放射線被曝との関連性が認められることは前記1説示のとおりであるから,食道がんが飲酒及び喫煙との関連が強いものであるとしても,放射線被曝との関連性も否定できないのであり,この事実をもって,被控訴人Aについて,放射線の影
響がなくとも下咽頭がんが発症していたといえるような特段の事情があるとはいえない。
さらに,長年の臨床経験を踏まえて,被控訴人Aの症例は,下咽頭がんを発症しやすい性別及び年齢であったところに,長年にわたる多量の飲酒及び喫煙という要因が重積した結果として発症したものと考えるの
が自然かつ合理的であり,一般的な症例の一つとして位置付けることができるとの当審証人Hの証言及び同人作成の意見書の記載についても,前示の事情に照らせば,一般的な症例の一つとして位置付けることができるからといって,放射線の影響がなくとも下咽頭がんが発症していたといえるような特段の事情があるとはいえず,前記判断を左右するもの
ではない。
控訴人の主張は採用することができない。
被控訴人Bの疾病の放射線起因性について

心筋梗塞の放射線起因性について
控訴人は,UNSCEAR2010年報告書,ICRP2012年勧告等に照らせば,心筋梗塞はしきい値のある確定的影響に係る疾病であり,少なくとも0.5グレイを下回る低線量被曝によって心筋梗塞を発症し得るとの科学的経験則は存在しないと主張する。
しかし,心筋梗塞については,疫学的知見が集積され,おおむね心筋
梗塞と放射線被曝との関連性を肯定するものとなっており,これらの知見を含めた各種知見を総合し,改定後の新審査の方針は「放射線起因性が認められる心筋梗塞」を積極認定対象疾病とし,再改定後の新審査の方針も「心筋梗塞」を積極認定対象疾病としていることも併せ考慮すれば,心筋梗塞は,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であること,心筋梗塞のしきい値について,清水由紀子ら報告は,心疾患について,0ないし0.5グレイに限定した場合,線量反応は有意ではなく,95%信頼区間の上限でおよそ0.5グレイであったとし,UNSCEAR2010年報告書も,約1ないし2グレイ未満の線量の被曝と心血管疾患の過剰発生との間の直接的な因果関係についての結論を下すことはできなかったとし,UNSCEAR2006年報告書,ICRP
2011年勧告及びICRP2012年勧告も,少なくとも0.5グレイ程度に満たない低線量の被曝についてはその影響を否定するかのようなものとなっていること,しかし,清水由紀子ら報告は,同時に,心疾患のしきい値線量の最高の推定値は0グレイであったともしていること,一方,心筋梗塞に関する危険因子に関する知見として,原爆放射線によ
る免疫機能の低下と炎症の亢進が被爆者に発症する心血管疾患の一部に関連している可能性が示唆されること,放射線被曝者では,免疫老化の促進に伴って炎症応答が増強され,それにより炎症が関わる疾患発生のリスクが高くなる可能性があると考えられること,放射線被曝が自然老化と共に原爆被爆者の持続的炎症状態を亢進している可能性が示唆され
ていること,1グレイの放射線被曝は約9年の免疫学的加齢に相当する効果を示すこと,電離放射線が血管の変性に影響を与えること,被爆者のコレステロールの増加がみられること,糖尿病について,広島で原爆に被爆した時に20歳未満だった者は,2型糖尿病の有病率と放射線量との間に有意な正の相関関係が示唆されたこと,以上の内容を示す文献,
報告があるほか,赤星正純報告は,高血圧,高脂血症及び炎症には放射線被曝が関与していることが明らかになったとし,清水由紀子ら報告も,放射線に誘発されたような炎症反応,内皮細胞の細胞喪失や機能変化あるいは微小血管性損傷などが,放射線関連の心疾患の病理学的な変化につながる病原性変化の初期の現象といえるかもしれず,これらは,他の危険因子,例えば,高血圧,高脂血症,喫煙,糖尿病や感染症など心疾患を促進する因子を増加させているのかもしれないとしているのであって,以上によれば,少なくとも心筋梗塞に関する危険因子である高血圧,脂質異常症及び糖尿病については,放射線被曝との関連性が認められる症状であり,これらの知見を含めた各種知見を総合すれば,心筋梗塞についても,固形がんと同様,しきい値がないものとして考えるのが相当
というべきであることは,前記1認定説示のとおりである。
これに対し,控訴人は,LSS第11報第3部,LSS第12報第2部,LSS第13報,LSS第14報及び清水由紀子ら報告について,いずれも心筋梗塞ではなく,より大きな疾患カテゴリーである「循環器疾患」ないし「心疾患」を対象として解析したものであり,心筋梗塞と
は機序や病態が異なる様々な疾病を含むから,これらの知見をもって,0.5グレイを下回る低線量の放射線被曝によって心筋梗塞を発症し得るとの経験則を認める根拠とはならない旨主張する。
しかし,心筋梗塞は,いわゆる虚血性心疾患の一種で,冠動脈のアテローム性動脈硬化の後発症状であり,ほとんどの国で心死亡の大半(8
0ないし90%)の原因となっているのであり(甲A670),ABCC及び放影研による疫学調査において,「心疾患」といった大項目の疾患名に関して検討結果を報告しているものが存在するが,心筋梗塞を対象として検討する場合に,病態を心臓疾患全体として統合的に理解することは,放射線被曝の影響を適正に検出しようとする場合,特に有意義
なものであるということができ,細分化した小項目の疾患名では個々の事例数が時に過小となり,むしろ放射線被曝の影響を適正に検出することができなくなるおそれがあること,また,現在の医療では,症例によっては,冠動脈の完全閉塞を未然に防止し,部分的な心筋壊死や虚血状態に押しとどめることができるため,被曝の影響は心筋梗塞の死亡率のリスクには反映せず,心不全や高血圧性心疾患の死亡率増加に反映することになるのであって,このような場合,「心疾患」という大項目の疾患名で事例数を集約することで初めて被曝の有意な影響を見出すことができることになること,さらに,循環器系一般にも関連すると思料される心筋梗塞の危険因子についても,放射線起因性が認められることからすれば,報告の対象である疾患を心筋梗塞に特定していなくても,その
ことから心筋梗塞の放射線起因性を判断することに対する有用性が否定されることにはならないというべきであることは,前記1説示のとおりである。控訴人の主張は採用することができない。
さらに,控訴人は,清水由紀子ら報告は,結局,心疾患の場合には,しきい値の下限が0グレイである可能性を仮説として示唆したにすぎ
ず,0.5グレイ以下の線量域における心疾患と放射線被曝との関連性を認めていない旨主張する。
しかし,清水由紀子ら報告の内容については,0ないし0.5グレイに限定した場合,線量反応は有意ではなく,95%信頼区間の上限でおよそ0.5グレイであったことを踏まえつつ,同時に心疾患のしきい値
線量の最高の推定値は0グレイであったともしていること,このような知見と他の知見とを総合すれば,心筋梗塞についてもしきい値がないものとして考えるのが相当
示のとおりである。控訴人の主張は採用することができない。
控訴人は,高橋・清水ら報告においては,心筋梗塞及びそれを含む虚
血性心疾患のいずれについても,放射線被曝により死亡率が上昇するとの結果は示されていないと主張する。しかし,髙橋・清水ら報告(乙C111の1及び2)においては,昭和25年から平成20年までの間に線量と心疾患全体による死亡率との間に有意な正の関連を見出したこと(1グレイ当たりの過剰相対リスクは14%(95%信頼区間6―22%)),上記の間のLSSコホートに生じた心疾患を,虚血性心疾患,弁膜症,高血圧性臓器障害及び心不全のサブタイプに細分類して分析したところ,サブタイプ別の過剰相対リスクも,虚血性心疾患を除き,線量に伴い正に増加し,統計学的に有意な線量反応が認められる下限値は,心疾患全体及び弁膜症については,0ないし0.7グレイ,高血圧性臓器障害については0ないし1.
5グレイ,心不全については0ないし0.4グレイであったこと,放射線被曝と虚血性心疾患との間に有意な関連はみられなかったが,虚血性心疾患のリスク,特に心筋梗塞のリスクは平成13年以降の最近の期間に上昇する傾向があったこと,以上を含む内容が示されており,また,髙橋・清水ら報告自体にも,母集団と転帰を疾患サブタイプと暦期間に
よって分割分類することによって統計的検出力を低下させ得ること,期間の定義は,診断慣行の変化を正確には把握していない可能性があること,健康診断では,前臨床及び無症候性疾患が検出され,早期治療は疾患の自然経過に影響を与え,死因に影響を与える可能性があることが記載されているほか,疾患分類の元となる死亡診断書の精度に問題がある
ことが考えられ,その精度が増した平成13年以降,虚血性心疾患のリスク,特に心筋梗塞のリスクの増大がみられたことにも示されていると解する余地もあるのであり(甲A694,弁論の全趣旨),これらの事情に照らせば,髙橋・清水ら報告の内容は,心筋梗塞のしきい値に関する前記1の認定を左右するものとはいえない。

その他控訴人が指摘するAHS第7報,佐々木英夫ら報告の記載も,心筋梗塞のしきい値は観念されないものというべきであるとの上記認定を左右するものとはいえない。控訴人は,若年被爆者に対する影響について,AHS第7報の分析結果ではP値が0.05をはるかに上回り,統計学的に有意とはされていないし,第8報についても若年被爆者ほど放射線が心筋梗塞発症に与える影響が大きいということはできないと主張する。
しかし,AHS第7報において,近年若年被爆者では心筋梗塞の発生が増加しており,特に最近2,3年ではこの傾向はほかの調査でも認められるとされていること,AHS第8報において,40歳未満で被爆した者の心筋梗塞に有意な二次線量反応を認め(P値は0.049),喫
煙や飲酒で調整してもその結果は変わらず,若年コホートの血圧傾向においても被爆者が非被爆者よりも有意に高いとされていること,若年被爆者への影響について,LSS第11報第3部が,がん以外の疾患による死亡率の増加は,一般的に昭和40年以降で若年被爆群(被爆時年齢40歳以下)において認められ,若年被爆者の感受性が高いことを示唆
しているとしていること,これらの知見からすれば,若年被爆者におけるほど放射線の影響は大きいものと優に推認することができるものというべきであることは,前記1説示のとおりである。控訴人の主張は採用することができない。
心筋梗塞の危険因子について

a
心筋梗塞の危険因子である高血圧,脂質異常症及び糖尿病については,放射線被曝との関連性が認められる症状であるというべきであることは,前記1説示のとおりである。

b
控訴人は,赤星正純報告(甲A604)は,放射線被曝が心血管疾患に影響を及ぼす場合の生物学的機序に係る一つの仮説を提示し,当
該仮説を実証するための今後の研究予定を明らかにしたものにすぎないと主張する。しかし,同報告においては,主に放影研で行われた調査を基に検討がされ,放射線が血圧に及ぼす影響について,1930年(昭和5年)代以降に生まれた若年被爆者において,加齢に伴う収縮期血圧及び拡張期血圧経過が上方に偏位しており,高血圧,高脂血症及び炎症にも放射線被曝が関与していることも明らかになったとしていること
は,前記1認定のとおりである。
c
控訴人は,Mancusoら論文,ICRP2012年勧告及び同勧告のパラグラフ190で紹介された各文献,佐々木英夫ら報告,Littleら報告,Hendry報告,Adams報告,世羅ら報告並びにSarah報告は,
いずれも心筋梗塞に関する危険因子について放射線起因性を認める根拠とはならないと主張する。
しかし,AHS第8報は,高血圧症に有意な二次線量反応を認めたこと(P値は0.028),楠洋一郎ら報告は,2型糖尿病の有病率と放射線量との間に有意な正の相関関係が示唆されたとしているこ
と,赤星正純報告が高血圧,高脂血症及び炎症には放射線被曝が関与していることが明らかになったとしていること等の知見を踏まえて,心筋梗塞に関する危険因子である高血圧,脂質異常症及び糖尿病については放射線被曝との関連性が認められる症状であるというべきであることは,前記1説示のとおりであり,控訴人の指摘する文献の記載
については,この認定判断を左右するものとはいえない。
さらに,控訴人は,審査の方針に心筋梗塞が盛り込まれたことをもって,心筋梗塞と低線量の放射線被曝との関係が科学的知見として認められることの根拠となるものではないと主張するけれども,前記1及び前
放射線被曝により心筋梗塞を発症する機序について
控訴人は,放射線被曝によって心筋梗塞を発症する機序について,放射線が遺伝子の不安定化に加担して,血管の慢性炎症を引き起こし,また,免疫の能力低下をもたらして,それによって引き起こされた感染症によって,血管の慢性炎症である動脈硬化を引き起こすとの機序を想定することはできないと主張する。
しかし,放射線と疾病等との関係についての知見は,統計学的,疫学
的解析による有意性の確認など,限られたものにとどまっており,これらの科学的知見にも一定の限界が存することから,放射線起因性の判断に当たっては,当該疾病の発症等に至った医学的,病理学的機序を直接証明することを求めるのではなく,当該被爆者の放射線への被曝の程度と,統計学的,疫学的知見等に基づく申請疾病等と放射線被曝との関連
性の有無及び程度とを中心的な考慮要素としつつ,これに当該疾病等の具体的症状やその症状の推移,その他の疾病に係る病歴(既往歴),当該疾病等に係る他の原因(危険因子)の有無及び程度等を総合的に考慮して,原爆放射線の被曝の事実が当該申請に係る疾病若しくは負傷又は治癒能力の低下を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性が認められる
か否かを経験則に照らして判断するのが相当であること,心筋梗塞に関する危険因子である高血圧,脂質異常症及び糖尿病については放射線被曝との関連性が認められることは,前記1説示のとおりである。控訴人の主張は採用することができない。

被控訴人Bの被曝線量について
控訴人は,被控訴人Bの推定被曝線量は,全体として0.0065グレイを下回る程度という極めて微量であり,残留放射線による内部被曝及び外部被曝の可能性について過大評価するべきではなく,被控訴人Bが黒い雨に打たれたこと,被爆後の体調不良等は,いずれも被控訴人Bが高線量
の被曝をした根拠とはならない旨主張する。
しかし,被爆者の被曝線量を評価するに当たり,DS02等により算定される被曝線量は,飽くまでも一応の目安とするにとどめるのが相当であって,当該被爆者の被爆状況,被爆後の行動,活動内容,被爆後に生じた症状等に照らし,様々な形態での外部被曝及び内部被曝の可能性がないかどうかを十分に検討した上で,被爆者において,当該被爆者の健康に影響を及ぼす程度の線量の被曝をしたのかどうかについて判断していく必要があること,被控訴人Bは,長崎原爆の投下当時,14歳であったが,爆心地から約3.5㎞の地点にある自宅で生活しており,2階の自室にいた時に長崎原爆が投下され,自宅敷地内の防空壕に一時的に避難した後,正午過ぎ頃,長崎市寺町の竹林に避難したが,その頃,20分ほど黒い雨に打
たれてずぶ濡れとなったこと,昭和20年8月12日,爆心地から約500mの地点にある長崎医科大学に友人の遺骨を探しに行ったこと,昭和20年10月頃から,強い倦怠感に悩まされ,その症状は昭和21年3月頃まで続き,昭和22年頃から慢性の下痢の症状が始まったことこと,このような状況からすると,被控訴人Bは,DS02による初期放射線の推定
被曝線量は僅少であるものの,それには一定の誤差があり,過小になっている可能性があることは考慮すべきであること,長崎原爆の投下直後の黒い雨が放射性降下物を含んでいた可能性は高いこと,爆心地付近に入市した時期は長崎原爆の投下直後から間もない時期であり,爆心地付近は放射性降下物に相当程度汚染されていたということが推認でき,誘導放射化さ
れた物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性があり,放射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引した可能性があること,被爆からしばらくしてから倦怠感や下痢などの症状に悩まされ,高血圧があり,脂質異常症も指摘されていること,以上の事実を総合すれば,被控訴人Bは,同人の健康に影響を及ぼす程度の線量の被曝をしたものと認め
られることは,前記1説示のとおりである。控訴人の主張は採用することができない。ウ

被控訴人Bの入市日及び急性症状の発症の有無について
被控訴人Bは,長崎原爆投下の翌日,爆心地付近に入市した事実があるし,被爆直後から,吐き気,嘔吐,発熱,歯茎からの出血等の急性症状を発症していたが,被爆者健康手帳交付申請書を記載する際に,被爆した事実そのものをできるだけ過小に申告しようとする心理が働き,入市日を遅
らせて記載し,急性症状については記載しなかった旨主張する。
しかし,被控訴人Bが記載した被爆者健康手帳交付申請書の居所証明書の記載は極めて信用性が高いというべきであり,一方,長崎原爆の投下翌日に入市した旨の被控訴人B本人の供述(原審)は採用することができないこと,被爆直後の急性症状を前記申請書の添付書類に一つも記載しなか
ったことについて,被爆の事実をできるだけ隠したいという気持ちからそのようにしたとの説明には合理性はないことは,前記1説示のとおりである。被控訴人Bの主張は採用することができない。

被控訴人Bの心筋梗塞の放射線起因性について
控訴人は,被控訴人Bは,喫煙,高血圧,脂質異常症,慢性腎臓病,脂質異常症,加齢等の危険因子を有しており,危険因子が複数存在すれば有病率は加速度的に増加し,これらの危険因子のみで優に心筋梗塞を発症し得るものであり,被控訴人Bは,それらの危険因子によって血管病変が進行することによって心筋梗塞を発症したものとして,優に合理的に説明す
ることができ,そのリスクが現実化したことにより発症したものと考えることが合理的であるから,少なくとも,被控訴人Bの心筋梗塞が原爆放射線によって発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない旨主張し,O医師及びP医師作成の意見書(乙C100)には,被控訴人B
の心筋梗塞は,高齢,高LDLコレステロール血症,高血圧,慢性腎臓病,喫煙,高血圧血症という複数の危険因子の影響によって合理的に説明することができる旨の記載があり,当審証人Oの証言中には,被控訴人Bの心筋梗塞に至る経過には,一般診療の範疇で全く不自然なところはない旨の供述がある。
しかし,疾病の発症に関する放射線起因性については,前記1で説示したとおり,放射線と疾病の発症との間に通常の因果関係があることが要件とされていると解するのが相当であるところ,疾病の発症においては,一般に,複数の要素が複合的に関与するものであるから,他の疾病要因と共同関係があったとしても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症して
いたといえるような特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射線起因性を肯定するのが相当であること,これを被控訴人Bについてみると,同被控訴人は,健康に影響を及ぼす程度の線量の被曝をしたものと認められること,同人の申請疾病は心筋梗塞であり,心筋梗塞は積極認定対象疾病に該当するところ,一般的に放射線被曝との関
連性が認められる疾病であること,心筋梗塞と診断されたのは被爆の54年後であって68歳の時であったこと,20歳から50歳まで30年にわたり喫煙を続けていたこと,58歳の時に脂質異常症を指摘され,食事内容について栄養指導がされていたこと,心筋梗塞発症当時,分類上のⅠ型高血圧に該当していたこと,平成11年3月から平成12年12月にか
けての血清クレアチニン値から推定される腎機能の指標である糸球体濾過量の推定値(eGFR)は,慢性腎臓病の診断基準を満たしていたこと,心筋梗塞発症前から高尿酸血症と診断されていたこと,以上の事情が認められるが,このうち加齢,喫煙及び高尿酸血症については,上記特段の事情とまでは認められず,高血圧症,脂質異常症,狭心症及び慢性腎臓病に
ついては,これらの症状は放射線被曝との関連性が認められるものであって,これらの症状が相乗的に心筋梗塞発症の危険性を高めたとしても,それは,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたことを裏付けるものではなく,これらの症状があることをもって被控訴人Bの心筋梗塞の放射線起因性を否定することはできないことは,前記1説示のとおりである。控訴人は,被控訴人Bは,上記の危険因子が複数存在すれば有病率は加速度的に増加し,上記の危険因子のみで優に心筋梗塞を発症し得るもので
あり,加齢や喫煙,高血圧,脂質異常症,慢性腎臓病,高尿酸血症といった危険因子によって血管病変が進行することで発症したものであるとして,優に合理的な説明が可能であると主張するけれども,前記説示に照らせば,被控訴人Bについて,放射線の影響がなくとも心筋梗塞が発症していたといえるような特段の事情を認めることはできないのであって,被控訴人B
の心筋梗塞の放射線起因性に関する前示の判断を左右するものではないというべきである。
被控訴人Cの疾病の放射線起因性について

心筋梗塞の放射線起因性について

とおりである。

被控訴人Cの被曝線量について
控訴人は,被控訴人Cの推定被曝線量は,全体として0.00125199グレイ程度という極めて微量であり,残留放射線による内部被曝及び
外部被曝の可能性について過大評価するべきではなく,被控訴人Cの自宅付近に放射性降下物が飛散したこと,被爆後の皮膚病,貧血の病歴は,いずれも被控訴人Cが高線量の被曝をした根拠とはならない旨主張する。しかし,被爆者の被曝線量を評価するに当たり,DS02等により算定される被曝線量は,飽くまでも一応の目安とするにとどめるのが相当であ
って,当該被爆者の被爆状況,被爆後の行動,活動内容,被爆後に生じた症状等に照らし,様々な形態での外部被曝及び内部被曝の可能性がないかどうかを十分に検討した上で,被爆者において,当該被爆者の健康に影響を及ぼす程度の線量の被曝をしたのかどうかについて判断していく必要があること,被控訴人Cは,昭和20年8月6日の広島原爆の投下当時11歳で,爆心地から約2.5㎞の地点にある自宅に住んでおり,その庭で顔に熱風のようなものを感じ,意識を失い,意識が戻った後,隣組の防空壕
に逃げたが,左足のかかとが怪我をして出血したこと,その後,自宅の庭に入ったが,自宅内は損壊していて入れず,自宅から150m先にある森に避難したこと,被控訴人Cの母は爆心地付近で被爆して投下当日の夕方戻ってきたが,顔,両手,両足などひどいやけどとなっており,同月11日に死亡したこと,被控訴人Cはこの間ずっと母に付き添って寝泊まりし
たこと,被控訴人Cは被爆後3,4か月ほどしてから,全身が皮膚病のような状態となり,治るまでに3ないし5か月を要したこと,昭和31年頃,貧血を指摘され1年間大学を休学するなど体調不良が続いたこと,このような状況からすると,被控訴人Cは,DS02による初期放射線の推定被曝線量は僅少であるものの,それには一定の誤差があり,過小になってい
る可能性があることは考慮すべきであること,広島原爆の投下後,自宅付近が放射性降下物に汚染されていた可能性があること,爆心地にほど近いところで被爆した母に付き添っていたが,同人は放射性降下物を浴びるなどしたと考えられること,被控訴人Cは,誘導放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性があり,放射性降下物や誘導放射
化された物質,放射性粉塵を吸引したり,負傷部位からこれらが侵入した可能性があること,以上の事実を総合すれば,被控訴人Cは,同人の健康に影響を及ぼす程度の線量の被曝をしたものと認められることは,前記1説示のとおりである。
控訴人の主張は採用することができない。


被控訴人Cの心筋梗塞の放射線起因性について控訴人は,被控訴人Cは,高血圧,脂質異常症,加齢等の危険因子を有しており,危険因子が複数存在すれば有病率は加速度的に増加し,これらの危険因子のみで優に心筋梗塞を発症し得るものであり,被控訴人Cは,それらの危険因子によって心筋梗塞を発症したものとして,優に合理的に説明することができ,そのリスクが現実化したことにより発症したものと考えることが合理的であるから,被控訴人Cの心筋梗塞が被控訴人Cが受けた原爆放射線によって発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない旨主張し,O医師及びP医師作成の意見書(乙C100)には,
被控訴人Cの心筋梗塞は,高齢,高LDLコレステロール血症,高血圧という複数の危険因子の影響によって合理的に説明することができる旨の記載があり,当審証人Oの証言中には,被控訴人Cの心筋梗塞に至る経過には,一般診療の範疇で全く不自然なところはない旨の供述がある。しかし,疾病の発症に関する放射線起因性については,前記1で説示し
たとおり,放射線と疾病の発症との間に通常の因果関係があることが要件とされていると解するのが相当であるところ,疾病の発症においては,一般に,複数の要素が複合的に関与するものであるから,他の疾病要因と共同関係があったとしても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症して
いたといえるような特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射線起因性を肯定するのが相当であること,これを被控訴人Cについてみると,同被控訴人は,健康に影響を及ぼす程度の線量の被曝をしたものと認められること,同人の申請疾病は心筋梗塞であり,心筋梗塞は積極認定対象疾病に該当するところ,一般的に放射線被曝との関
連性が認められる疾病であること,心筋梗塞と診断されたのは被爆の62年後であって,73歳の時であったこと,心筋梗塞発症当時,分類上のⅠ型高血圧に該当し,LDLコレステロールも基準値より高く,脂質異常症であったこと,以上の事情が認められるが,このうち加齢については,上記特段の事情とまでは認められず,高血圧症及び脂質異常症については,これらの症状は放射線被曝との関連性が認められるものであって,これらの症状が相乗的に心筋梗塞発症の危険性を高めたとしても,それは,放射
線の影響がなくとも当該疾病が発症していたことを裏付けるものではなく,これらの症状があることをもって被控訴人Cの心筋梗塞の放射線起因性を否定することはできないことは,前記1説示のとおりである。
控訴人は,被控訴人Cは,上記の危険因子によって心筋梗塞を発症したものとして,優に合理的な説明が可能であると主張するけれども,前記説
示に照らせば,被控訴人Cについて,放射線の影響がなくとも心筋梗塞が発症していたといえるような特段の事情を認めることはできないのであって,被控訴人Cの心筋梗塞の放射線起因性に関する前示の判断を左右するものではないというべきである。
控訴人の主張は採用することができない。

被控訴人Dの疾病の放射線起因性について

脳梗塞の放射線起因性について
控訴人は,UNSCEAR2010年報告書,ICRP2012年勧告,高橋郁乃ら報告等に照らせば,放射線被曝が脳梗塞の発症に与える
影響については未だ解明されておらず,今後,放射線被曝と脳梗塞との関連性は否定される可能性も十分にあるというべきであり,少なくとも,0.5グレイを下回る低線量被曝によって脳梗塞を発症し得るとの科学的経験則は存在しないと主張する。
しかし,脳梗塞について,心筋梗塞と同様,LSS第11報第3部,
LSS第12報第2部,LSS第13報によって,疫学的知見が集積され,LSS第14報が循環器疾患で放射線によるリスクの増加が示されたとし,清水由紀子ら報告が脳卒中の線形線量反応モデルに基づく1グレイ当たりの過剰相対リスクの推定値は9%であったとするなど,おおむね脳梗塞と放射線被曝との関連性を肯定するものとなっていること,これらの知見を含めた前記各種知見を総合し,改定後の新審査の方針は「放射線起因性が認められる心筋梗塞」を積極認定対象疾病とし,再改定後の新審査の方針も「心筋梗塞」を積極認定対象疾病としているところ,脳梗塞のうちアテローム血栓性脳梗塞は動脈のアテローム硬化により血栓を生じるという点で発症の機序は心筋梗塞の大部分の症例で冠動脈効果が原因と考えられることという点において共通していることを併
せ考慮すれば,脳梗塞のうちアテローム血栓性脳梗塞は,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であるというべきであること,髙橋郁乃ら報告において,男女ともに被曝線量と虚血性脳卒中に関連は認めなかったとしている点についても,残留放射線の評価等に関する疫学調査の問題として指摘したところが当てはまり,脳梗塞の放射線起因性を
否定する根拠とはならないこと,脳梗塞のしきい値についても,脳梗塞の原因が脳血管の動脈硬化であり,その悪化要因が高血圧や慢性腎臓病,更には脳血管内膜に生じた無症状性の持続的炎症状態に関連していることも医学的に確立した知見であり,それらが放射線被曝に関連している以上,被爆者の疾病発生リスクの増加につながっていることは否定する
ことができないとする意見があり,脳梗塞についても,心筋梗塞について検討したところと同様の理由から,しきい値がないものとして考えるのが相当というべきであることは,前記1説示のとおりである。
これに対し,控訴人は,LSS第11報第3部,同第12報第2部,同第13報,清水由紀子ら報告,Lazo報告及びSimonettoら報告はいず
れも脳卒中又は脳血管疾患全般に関する報告であり,脳梗塞に関する報告ではないから,放射線被曝と脳梗塞の関連性を認める根拠にはならない旨,また,清水由紀子ら報告に添付されたWEB表によれば,脳梗塞におけるP値は0.5より大きく,1グレイ当たりの過剰相対リスクの95%信頼区間も「-10to20」として「0」をまたいでいるから,脳梗塞の死亡率と放射線被曝との関連性は,統計学的に有意ではない旨主張する。
しかし,脳梗塞は入院加療となる脳卒中の症例のうちの4分の3を占めていることは前記1認定のとおりであること,清水由紀子ら報告においても,「脳卒中の種類により分類は大きな意味がなかった。なぜなら,1990年代の以前には,脳卒中の鑑別診断がなされておらず,専門的
な細かい分類がされていなかった」とされていること(乙Dタ12・6頁),清水由紀子ら報告添付のWEB表においても,脳卒中による死亡数9622件について,1グレイ当たりの過剰相対リスクは9%でP値は0.02であるものの,そのうちの脳梗塞2659件,脳出血4060件,クモ膜下出血461件について,いずれも過剰相対リスクのP値
は0.05を超えており,統計学的に有意な過剰相対リスクは認められず(乙Dタ12・13頁),脳卒中のうちの脳梗塞についてのみ放射線との関連性が認められないとする根拠はないこと,これらの事情に加え,前記1説示のとおり,脳梗塞の原因は脳血管の動脈硬化であり,その悪化要因が高血圧や慢性腎臓病,更には脳血管内膜に生じた無症状性の持
続的炎症状態に関連していることも医学的に確立した知見であり,それらが放射線被曝に関連している以上,被爆者の疾病発生リスクの増加につながっていることは否定することができないとの意見があること,アテローム血栓性脳梗塞は,その発症の機序が心筋梗塞の大部分の症例で冠動脈硬化が原因と考えられることと共通していること,以上の事情が
あるのであり,これらに照らせば,脳卒中に関する報告に基づくものであっても,脳梗塞の放射線起因性判断の資料とすることは合理性を欠くものとはいえず,控訴人の指摘する点をもって,前記1の認定判断を左右するものとはいえないし,清水由紀子ら報告のWEB表の内容も,これをもって,脳梗塞に放射線起因性がないことを裏付けるものではないというべきである。
また,控訴人は,心筋梗塞の大部分は粥状動脈硬化が原因とされるのに対し,脳梗塞は心原性栓塞症など心筋梗塞とは発症機序の異なるものも存在し,冠状動脈(心臓の動脈)と脳動脈とでは,それぞれの循環動態に適応した壁構築の差異があり,同一の危険因子に対しても反応に差異が生じるから,循環器疾患という共通点のみをもって,放射線が両疾
病の発症に与える影響が同一であると判断することはできないと主張する。
しかし,被控訴人Dの脳梗塞は,アテローム血栓性脳梗塞であるところ(乙C101),アテローム血栓性脳梗塞は,頭蓋内外の主幹動脈のアテローム硬化(コレステロールなどの脂質が動脈壁内に沈着すること
によりできる粥状硬化)により血栓を生じるなどするもの(血栓性),栓子が流れてきた際に詰まるもの(塞栓性),あるいは,血流不足が生じやすいなどの原因で当該部位が閉塞するもの(血行力学性)ということができること,これに対し,心筋梗塞は,大部分の症例で冠動脈硬化が原因と考えられているが,動脈硬化病変のうち最も頻度の高い動脈硬
化病変が粥状(アテローム)動脈硬化であり,血管内に形成されたアテロームにより局所に血栓が形成され,血管が塞がれることにより心筋梗塞に至ると考えられていること,したがって,発症の機序が共通していると認められることは,前記1説示のとおりである。控訴人の主張する点は,この判断を左右するものとはいえない。

以上のとおりであり,脳梗塞の放射線起因性についての控訴人の主張は,いずれも採用することができない。イ

被控訴人Dの被曝線量について
控訴人は,被控訴人Dの推定被曝線量は,全体として0.002グレイを下回る程度という極めて微量であり,残留放射線による内部被曝及び外部被曝の可能性について過大評価するべきではなく,被控訴人Dの自宅付
近に放射性降下物が飛散したこと等は,被控訴人Dが高線量の被曝をした根拠とはならない旨主張する。
しかし,被爆者の被曝線量を評価するに当たり,DS02等により算定される被曝線量は,飽くまでも一応の目安とするにとどめるのが相当であって,当該被爆者の被爆状況,被爆後の行動,活動内容,被爆後に生じた
症状等に照らし,様々な形態での外部被曝及び内部被曝の可能性がないかどうかを十分に検討した上で,被爆者において,当該被爆者の健康に影響を及ぼす程度の線量の被曝をしたのかどうかについて判断していく必要があること,被控訴人Dは,昭和20年8月9日の長崎原爆の投下当時,10歳であり,爆心地から約3.2㎞の地点にある自宅前の小川で水浴びを
していたところ,辺りが真っ暗になり,自宅に戻ったところ,空は真っ暗で,周辺の家は燃えており,自宅に向かう途中,空から降ってくる灰のようなものを全身に浴びたこと,被控訴人Dの父は,長崎原爆の投下翌日から連日爆心地から約0.7㎞の地点にある長崎市坂本町と長崎市c町を往復し,その際に爆心地付近である長崎市松山町及び長崎市浜口町を通
過し,何人もの遺体を運び,運んだ遺体を焼く作業を行うなどしたこと,被控訴人Dは,自宅近くの小川の水を飲み,近所からもらった野菜やたぬきを食べたこと,このような状況からすると,被控訴人Dは,DS02による初期放射線の推定被曝線量は僅少であるものの,それには一定の誤差があり,過小になっている可能性があることは考慮すべきであること,
長崎原爆の投下後,自宅付近において浴びた灰のような物が放射性降下物である可能性は高いものと認められること,同居していた父も放射性降下物を浴びるなどしたと考えられること,被控訴人Dは,誘導放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性があり,放射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引した可能性があること,以上の事実を総合すれば,被控訴人Dは,同人の健康に影響を及ぼす程度の線量の被曝をしたものと認められることは,前記1説示のとおりである。
控訴人の主張は採用することができない。

被控訴人Dの被曝態様について
被爆地点について
被控訴人Dは,長崎市b町の小川で被曝したものであり,同地が爆心
地から1.5kmであっても,被爆状況によっては火傷を負わないことも考えられるし,当時10歳であった被控訴人Dが,原爆投下直後の極限状況の下で,一緒にいた知人がどうなったか覚えていなくても不自然ではない旨,被爆者健康手帳交付申請書に「家の外」との記載があるのは,原爆投下時にb町の小川で泳いでいたことを証明する証人を探すの
が困難であったから,家族と一緒に自宅にいたものとして申請したのにすぎない旨それぞれ主張する。
しかし,被控訴人Dが作成した昭和32年8月17日付け被爆者健康手帳交付申請書の証明書(申述書)部分には,「投下された當時の住所」の欄には「長崎市c町」と,当時の被控訴人Dの自宅が記載され,その
すぐ横の「投下された時

居た所」の欄には「家の外」と記載されてい

る上,被控訴人Dが記載した平成18年5月8日付け認定申請書添付の申述書にも,「原爆が投下されたときにいた町名(わかれば番地も)」の欄に「長崎市c町」として自宅所在地が記載され,そのすぐ下の「屋外の場合/目標になる建物など」「屋内の場合/建物の名称,木造や鉄筋などを具体的に」の欄に「上記の前には小川があり水浴の最中でした」として,自宅前の小川で水浴していた際に直爆があった旨が記載されていること等に照らせば,被控訴人Dが被爆した地点は,長崎市c町の自宅前の小川の中であったと認めるのが相当であることは,前記1説示のとおりである。被控訴人Dの主張は採用することができない。
入市について
また,被控訴人Dは,同人の被爆者健康手帳交付申請書に入市の記載がないのは,c町の自宅で被爆したことを理由として,直接被爆者の区分で交付申請を行ったため,入市の事実まであえて記載しなかったにすぎない旨,原爆が投下された翌日から連日のように入市したという事実について被控訴人Dの供述は一貫しており,その後の入市期間について
陳述書と本人尋問で違いがあるとしても,いずれも幅をもった言い方をしている上,そもそも68年前の記憶であって,被爆直後の混乱期に連日のように入市していた当時10歳の被控訴人Dが正確に入市期間を覚えていなくても何ら不思議ではない旨主張する。
しかし,被控訴人Dの昭和32年8月17日付け被爆者健康手帳交付
申請書の証明書(申述書)部分の「爆心地から二k以内の地域に投下後二週間以内にはいりこんだ時と場所とその理由」の欄は,いずれも空欄となっていること,また,被控訴人Dは,入市期間について,平成18年5月8日付け認定申請書添付の申述書,平成22年4月23日付け異議申立書及び陳述書では,長崎原爆の投下翌日である昭和20年8月1
0日から同月13日頃までであるとしていたのに,本人尋問(原審)においては,長崎原爆の投下翌日から連続して10日くらいだと思うなどとして,内容を変遷させ,変遷に合理的な理由も見当たらないことは,前記1説示のとおりである。
被控訴人D本人尋問の結果(原審)中には,自宅から長崎市坂本町ま
での道は,がれきにより歩くのが危ない状況であり,火災の現場のようになっており,焦げたにおいや表現し難いほどのにおいがしていた旨,溝には子供の死体があり,大橋付近の川は数多くの死体があった旨,以前住んでいた所は何もなくなっており,がれきが散乱している状態になっていた旨の供述があるけれども,被控訴人Dの父は前示のとおり連日爆心地付近を通過し,何人もの遺体を運ぶなどしていたのであり,このことと,前記の被爆者健康手帳交付申請書の証明書(申述書)の記載内
容等に照らせば,これらの供述が被控訴人D自身が体験した事実を述べているものであるかは疑わしい点が残るのであり,採用することができない。他に入市に係る被控訴人D主張の事実を認めるに足りる証拠はない。
被控訴人Dの主張は採用することができない。


被控訴人Dの脳梗塞の放射線起因性について
控訴人は,被控訴人Dは,加齢,糖尿病,高血圧,脂質異常症,肥満等の危険因子を有しており,それらの各危険因子によって脳梗塞を発症したものとして,優に合理的に説明することができ,そのリスクが現実化した
ことにより発症したものと考えることが合理的であるから,少なくとも,被控訴人Dの脳梗塞が原爆放射線によって発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない旨主張し,当審証人Mの証言及び同人作成の意見書(乙C101)中には,被控訴人Dには,1つでも十分脳梗塞の危
険因子になり得る因子がいくつも重なっており,同人に脳梗塞が発症したのは非常に自然な経過であると考えられる旨の供述ないし記載がある。しかし,疾病の発症に関する放射線起因性については,前記1で説示したとおり,放射線と疾病の発症との間に通常の因果関係があることが要件とされていると解するのが相当であるところ,疾病の発症においては,一
般に,複数の要素が複合的に関与するものであるから,他の疾病要因と共同関係があったとしても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるような特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射線起因性を肯定するのが相当であること,これを被控訴人Dについてみると,同被控訴人は,健康に影響を及ぼす程度の線量の被曝をしたものと認められること,同人の申請疾病は脳梗塞であり,同人の脳梗塞はアテローム血栓性脳梗塞であるところ,これについては放射線被曝との関連性が認められる疾病であること,脳梗塞と診断されたのは被曝の59年ないし60年後であって,69歳の時であり,加齢による動脈硬化の進展がうかがわれること,被控訴人Dは平成13年の時点で
高血圧及び糖尿病を有していたこと,平成17年には脂質異常症も有しており,しかもその10年前から有していたことがうかがわれること,上記入院当時肥満であったこと,以上の事情が認められるが,このうち,加齢及び肥満については,上記特段の事情とまでは認められず,高血圧症,脂質異常症及び糖尿病については,これらの症状が放射線被曝との関
連性が認められるものであって,これらの症状が相乗的に脳梗塞発症の危険性を高めたとしても,それは,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたことを裏付けるものではなく,これらの症状があることをもって被控訴人Dの脳梗塞の放射線起因性を否定することはできないというべきであることは,前記1説示のとおりである。

控訴人は,被控訴人Dは,上記の危険因子によって脳梗塞を発症したものとして,優に合理的な説明が可能であると主張するけれども,前記説示に照らせば,被控訴人Dについて,放射線の影響がなくとも脳梗塞が発症していたといえるような特段の事情を認めることはできないのであって,被控訴人Dの脳梗塞の放射線起因性に関する前示の判断を左右するもので
はないというべきである。
控訴人の主張は採用することができない。被控訴人Eの疾病の放射線起因性についてア
バセドウ病の放射線起因性について
控訴人は,バセドウ病の放射線起因性について,バセドウ病については,全身照射に引き直せば致死量を超える程度の高線量被曝(15グレ
イ以上)を受けた場合を除いて,放射線被曝とバセドウ病との関連性を肯定した疫学的知見はなく,核医学の臨床においてバセドウ病を生じた事例は見当たらず,被爆後50年以上が経過してからバセドウ病を発症し得る機序を想定することもできず,バセドウ病と橋本病とを相互に関連性の高い疾病として同一視することもできないこと,以上の事情に照
らせば,バセドウ病と放射線被曝との関連性は認められない旨主張する。しかし,バセドウ病とは,自己免疫異常の関与により,甲状腺において過剰の甲状腺ホルモンが合成,分泌される疾患をいい,甲状腺機能亢進症の最も代表的な疾患であるところ,UNSCEAR2008年報告書が甲状腺線量と自己免疫性甲状腺疾患との関連について,いかな
る決定的証拠をも提供しなかったとするなど,放射線被曝との関連性を否定するかのような知見が複数ある一方で,AHS第7報は,甲状腺疾患を非中毒性結節性甲状腺腫,び慢性甲状腺腫,甲状腺中毒症,甲状腺炎及び甲状腺機能低下症のうち1つ以上が存在する疾患であると広義に定義した上で,甲状腺疾患発生率と放射線との有意な正の線
量反応が認められたとし,AHS第8報は,特定の甲状腺疾患に対する放射線の影響を評価することは不可能であったとしながらも,放射線と関連した甲状腺異常が発生し続けたとしていること,このような報告を経た上で,今泉美彩ら報告は,平成12年から平成15年までの平均年齢71歳の広島及び長崎の成人健康調査(AHS)対象者31
85人について甲状腺疾患の臨床調査を実施し,バセドウ病の有病率は1.2%であり,バセドウ病有病率と放射線量との関連については,非被爆者に対する1シーベルト当たりの過剰オッズ比は0.49(95%信頼区間-0.06―1.69。P値は0.10)であり,両者の関連が示唆されたが,統計的に有意なレベルには達しなかったとされていること,統計の分析においてP値を0.10に設定する場合もあり,一般に,「確からしさ」とは連続性を持った概念であって,P値が0.05を上回っていても,放射線起因性の法律判断の前提となり得る資料として採用することは許容されるものというべきであること,今泉美彩ら報告の調査対象者の1.2%というバセドウ病の有病率は,北海道在住成人についての甲状腺疾患の疫学調査である今野則道ら報告における
バセドウ病の頻度が0.39%であったとしていることと比べ,年齢に差異がある等の事情を考慮してもかなりの高率であると認められ,長瀧重信ら第1報告も,長崎の西山地区に住んでいた者の甲状腺機能亢進症の病歴がある者の比率がかなりの高率であるとしていること,Shilin報告やチェルノブイリ原発事故後の調査報告は,チェルノブイリ原発事
故後に甲状腺機能亢進症の増加が認められるとしていること,甲状腺機能低下症は,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であるが,甲状腺機能低下症と甲状腺機能亢進症(バセドウ病)との関係について,バセドウ病と橋本病(甲状腺機能低下症)でみられる遺伝的,免疫学的な特徴はほとんど共通しており,また,経過中に両者の間を移
行する症例もみられることから,これらは本来同種の自己免疫性甲状腺疾患であって,TSH受容体刺激性抗体が優位か細胞障害性免疫が優位かによって現れ方が違うだけではないかとの考え方があり,両疾病は相互に関連性の高い疾病であると認められること,以上の各種知見を総合すれば,甲状腺機能低下症と並んで,甲状腺機能亢進症(バ
セドウ病)も,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であるというべきであることは,前記1説示のとおりである。今泉美彩ら報告に関し,平成29年7月に今泉美彩らによって発表された「幼少時被爆者における甲状腺機能障害と自己免疫性甲状腺疾患」(新今泉論文。乙C154の1及び2)においては,バセドウ病と放射線量との関連を示す過剰オッズ比は0.23で,P値は0.5以上とされたことが認められ,当審証人Qの証言中には,今泉美彩ら報告におけるバセドウ病有病率と放射線量との関連性についてのP値が0.10であることについて,新今泉論文においては,バセドウ病について線量とオッズ比との間にはまったく相関がないことが示されている旨,このことと他の原爆被爆者に関する論文,チェルノブイリ関係,マーシャル群
島関係,他の各施設関係の報告でもバセドウ病が増えたという報告は一つもないことをも考慮すると,P値が0.10であったことについてそれほどの意義はないと考える旨の供述がある。
しかし,新今泉論文は,被爆時年齢が10歳以下の女性だけを対象としたものである上,被爆後62年生存した者に係る調査であり,生存者
バイアスがあることが考えられ,また,調査集団も少なく,統計的な検出力も落ちていると考えられること(当審証人N)に照らし,今泉美彩ら報告の信頼性を損なうものとはいえず,そのP値の解釈についての前記当審証人Qの供述も直ちに採用することができないというべきである。その他,控訴人が指摘するUNSCEAR2000年報告書,UNS
CEAR2008年報告書,平成24年に公表されたICRPの刊行物118(乙Dソ20の1及び2)及び齋藤論文の記載についても,バセドウ病の発症と放射線被曝との間に関連性がないことを裏付けているものとまではいえず,前記1の認定判断を左右するものとはいえない。また,当審証人Rの証言及び同人作成の意見書(乙C102)中には,
①臨床上,核医学診療や治療の副作用として発生する可能性を考慮しないといけないとされる疾患にバセドウ病は挙げられていないこと,②R医師自身も,約30年にわたる核医学診療専門医としての臨床経験において,放射性医薬品を用いた核医学医療や検査によってバセドウ病を発症した症例を経験したことはなく,自らが理事を務める日本核医学会等の学会においても,放射線被曝後にバセドウ病を発症した症例を見聞したことはないこと,③昭和50年から毎年公表されている放射性医薬品副作用事例報告においても,放射性医薬品の投与によってバセドウ病を発症した事例は報告されていないこと,④海外では,中毒性結節等に対して放射性ヨードで内用療法を実施した例や,頸部の悪性腫瘍等に対して外照射した例において,放射線被爆後にバセドウ病を発症したことが
報告されているが,いずれも数十グレイというかなりの大線量の症例で,概ね照射後数か月から数年内に起こっていること,以上の供述ないし記載がある。
しかし,放射性医薬品副作用事例調査報告は,各年度の4月から3月までの1年間に放射性医薬品を投与された患者について,その年度(4
月から3月の間)に副作用が発生した事例の報告であり(乙C141,当審証人R),その対象は放射性医薬品の投与から1年以内に副作用が発生した事例に限定されており,この報告においてバセドウ病の発症が報告されていないことをもって,直ちに前示の判断を左右するものとはいえないし,その他の点についても,直ちに原爆放射線被曝とバセドウ
病の発症との関連性に関する前記1の認定判断を左右するものとはいえない。
また,控訴人は,バセドウ病と甲状腺機能低下症の主な原因疾患である橋本病とは,甲状腺特異的自己免疫性疾患という共通点はあるものの,①標的となる自己抗原,②惹起される異常免疫反応,③異常免疫反応の
結果等の相違点も多く,相互に関連性の高い疾病として安易に同一視できるものではない旨主張する。しかし,バセドウ病と橋本病(甲状腺機能低下症)でみられる遺伝的,免疫学的な特徴はほとんど共通しており,橋本病に特徴的な自己抗体である抗サイログロブリン抗体,及び抗甲状腺ペルオキシダーゼ抗体はバセドウ病でも高率で陽性となること,経過中に両者の間を移行する症例もみられること,これらは本来同種の自己免疫性甲状腺疾患であって,TSH受容体刺激性抗体が優位か細胞障害性免疫が優位かによって現れ方が違うだけではないかとの考え方があることから,両疾病は相互に関連性の高い疾病であると認められることは,前記1説示のとおりである。控訴人の主張は採用することができない。

さらに,控訴人は,被爆後50年以上が経過してからバセドウ病を発症し得る機序を想定し得ないと主張する。
しかし,放射線と疾病等との関係についての知見は,統計学的,疫学的解析による有意性の確認など,限られたものにとどまっており,これらの科学的知見にも一定の限界が存することから,放射線起因性の判断
に当たっては,当該疾病の発症等に至った医学的,病理学的機序を直接証明することを求めるのではなく,当該被爆者の放射線への被曝の程度と,統計学的,疫学的知見等に基づく申請疾病等と放射線被曝との関連性の有無及び程度とを中心的な考慮要素としつつ,これに当該疾病等の具体的症状やその症状の推移,その他の疾病に係る病歴(既往歴),当
該疾病等に係る他の原因(危険因子)の有無及び程度等を総合的に考慮して,原爆放射線の被曝の事実が当該申請に係る疾病若しくは負傷又は治癒能力の低下を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性が認められるか否かを経験則に照らして判断するのが相当であること,バセドウ病は自己免疫疾患の一つであり,その発生機序としては,TSH受容体に対
する自己抗体が,甲状腺刺激ホルモン(TSH)の代わりにTSH受容体に結合してこれを持続的に刺激することにより,TSH受容体の機能が活性化し,TSH受容体から甲状腺ホルモンが大量に生産,放出されて体内に多くの甲状腺ホルモンが存在するというものであるとされているところ,このような自己抗体が生じる詳細な機序は未解決とされており,同じ自己免疫疾患である甲状腺機能低下症とともに,未解明な部分が数多くあることは,前記1説示のとおりである。そうすると,被爆後
50年以上が経過してからバセドウ病を発症し得る機序を想定し得ないとしても,放射性起因性に関する前記1の判断を左右するものとはいえない。
控訴人の主張は採用することができない。

被控訴人Eの被曝線量について
控訴人は,被控訴人Eの推定被曝線量は,全体として0.046515グレイを下回る程度という極めて微量であり,残留放射線による内部被曝及び外部被曝の可能性について過大評価するべきではなく,被控訴人Eの軽度の無血液性下痢は,いずれも被控訴人Eが高線量の被曝をした根拠と
はならない旨主張する。
しかし,被爆者の被曝線量を評価するに当たり,DS02等により算定される被曝線量は,飽くまでも一応の目安とするにとどめるのが相当であって,当該被爆者の被爆状況,被爆後の行動,活動内容,被爆後に生じた症状等に照らし,様々な形態での外部被曝及び内部被曝の可能性がないか
どうかを十分に検討した上で,被爆者において,当該被爆者の健康に影響を及ぼす程度の線量の被曝をしたのかどうかについて判断していく必要があること,被控訴人Eは,昭和20年8月9日の長崎原爆投下当時3歳であり,爆心地から約2.3㎞の地点にある自宅の2階で被爆し,自宅は倒壊し,土壁が覆い被さり,肩にかすり傷を負ったこと,その後,自宅近く
の防空壕に避難して1泊し,翌10日は金比羅山に登って1泊し,更に翌11日は焼け跡に戻って1泊し,その後長崎県南高来郡h町に向かい,同町において,しばらく生活したこと,被控訴人Eは,同年9月下旬頃,軽度の無血液性下痢が1週間くらい出現し,4,5歳の頃,時々風邪をひどくこじらせるなどし,虚弱体質になったと言われ,体調は小学生になっても改善しなかったこと,このような状況からすると,被控訴人Eは,DS02による初期放射線の推定被曝線量は僅少であるものの,そ
れには一定の誤差があり,過小になっている可能性があることは考慮すべきであること,被爆地点は爆心地から約2.3㎞の地点にある自宅であり,当日ないし翌々日の間に宿泊した場所付近が放射性降下物に汚染されていた可能性は高く,誘導放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性があり,放射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉
塵を吸引した可能性があること,若年での被爆であり,被爆した時に一緒にいた被控訴人Eの弟は,被爆直後,高熱が出て目が飛び出し,約1か月後に死亡していること,以上の事実を総合すれば,被控訴人Eは,同人の健康に影響を及ぼす程度の線量の被曝をしたものと認められることは,前記1で認定したとおりである。控訴人の主張は採用することができない。

黒い雨に打たれた事実,急性症状の有無について
黒い雨に打たれた事実について
被控訴人Eは,長崎原爆投下の当日,自宅付近又は金比羅山付近で黒い雨に打たれたことは明らかであると主張し,放影研による被爆者から
の黒い雨地点情報の聞き取りを基に作成された「長崎黒い雨マップ」(甲A602・75頁の図50)には,被控訴人Eの自宅があった大黒町にある長崎駅も2件の回答があり,近隣の町でも複数の回答があり,さらに金比羅山で11件の回答があったとの記載があり,また,ABCCの調査記録(乙Dソ17)に黒い雨に降られた事実はない旨の記載が
あることについて,ABCCの調査は,被爆による被害が過小に記録されているおそれが高い等の問題を孕んでいるものであるし,そもそも調査に回答したのは被控訴人Eの母親であり,本人ではないから,記載内容の信用性はない旨主張する。
しかし,被控訴人E本人尋問の結果(原審)及び同人作成の陳述書(甲Dソ1)中の被爆当日の行動についての説明は不自然かつ不合理な点があり,また,被控訴人Eが黒い雨に打たれた場所についての説明に
も変遷があり,他方,ABCCの調査結果の記録内容は極めて具体的で自然なものであって,被控訴人Eが黒い雨に打たれた事実は認められないことは,前記1説示のとおりである。「長崎黒い雨マップ」(甲A602・75頁の図50)の記載及びABCCの調査結果に関する被控訴人Eの主張を考慮しても,前記判断を左右するものとはいえない。被控
訴人Eの主張は採用することができない。
急性症状について
被控訴人Eは,被爆直後,下痢及び発熱などの急性症状があったと主張し,ABCCの調査記録に,被爆直後の被控訴人Eの発熱や下痢についての記載がないことについて,被控訴人Eの母親からの情報に基づい
て作成された調査記録に急性症状という深刻な被曝を裏付けるような事実が記載されていないとしても,これを信用することはできない旨主張する。
しかし,前記1の説示に照らせば,ABCCの調査記録(乙Dソ17)について,その内容の信用性を疑うべき事情は認められないのであり,
被控訴人Eの主張するところは,前示の判断を左右するものとはいえない。被控訴人Eの主張は採用することができない。

被控訴人Eのバセドウ病の放射線起因性について
控訴人は,放射線被曝とバセドウ病との間に何らかの関係性を示す知見
が一部存在することを考慮するとしても,それらの知見は,放射線被曝とバセドウ病との関係を一般的かつ強固に認めたものとは到底評価し得ず,被控訴人Eの被曝線量もごく僅かであることを併せ考慮すれば,被控訴人Eの原爆放射線被曝による申請疾病の発症リスクは,そもそも存在しないか,少なくとも極めて低いものと評価される一方,バセドウ病は,原爆被爆者でなくても発症し得る疾病であることからすれば,当該疾病の原爆放射線被曝による発症リスクが一般的な発症リスクを上回ることが高度の蓋然性をもって証明されたとはいえない旨主張する。
しかし,疾病の発症に関する放射線起因性については,前記1で説示したとおり,放射線と疾病の発症との間に通常の因果関係があることが要件とされていると解するのが相当であるところ,疾病の発症においては,一
般に,複数の要素が複合的に関与するものであるから,他の疾病要因と共同関係があったとしても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるような特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射線起因性を肯定するのが相当であること,これを被控訴人
Eについてみると,被控訴人Eは,同人の健康に影響を及ぼす程度の線量の被曝をしたものと認められること,同人の申請疾病はバセドウ病であり,これは放射線被曝との関連性が認められる疾病であることは,前記1説示のとおりである。
控訴人は,被控訴人Eの原爆放射線被曝によるバセドウ病の発症リスク
はそもそも存在しないか,少なくとも極めて低いものと評価される一方,バセドウ病は,原爆被爆者でなくても発症し得る疾病であることからすれば,当該疾病の原爆放射線被曝による発症リスクが一般的な発症リスクを上回ることが高度の蓋然性をもって証明されたとはいえない旨主張するけれども,前記説示に照らせば,被控訴人Eについて,放射線の影響がなく
ともバセドウ病が発症していたといえるような特段の事情を認めることはできないのであって,被控訴人Eのバセドウ病の放射線起因性に関する前示の判断を左右するものではないというべきである。亡Fの疾病の放射線起因性について

脳梗塞の放射線起因性について
放射線被曝と脳梗塞との一般的

ア説示のと

おりである。


亡Fの被曝線量について
控訴人は,亡Fの推定被曝線量は,全体として0.0004グレイを下回る程度という極めて微量であり,残留放射線による内部被曝及び外部被曝の可能性について過大評価するべきではなく,西山地区のカボチャを日
常的に食べていたこと,昭和20年8月10日に発生したという下痢等の症状,その後の貧血,白血球増加,化膿しやすい状態,高血圧及び狭心症の病歴等は,いずれも亡Fが高線量の被曝をした根拠とはならない旨主張する。
しかし,被爆者の被曝線量を評価するに当たり,DS02等により算定
される被曝線量は,飽くまでも一応の目安とするにとどめるのが相当であって,当該被爆者の被爆状況,被爆後の行動,活動内容,被爆後に生じた症状等に照らし,様々な形態での外部被曝及び内部被曝の可能性がないかどうかを十分に検討した上で,被爆者において,当該被爆者の健康に影響を及ぼす程度の線量の被曝をしたのかどうかについて判断していく必要が
あること,亡Fは,長崎原爆の投下当時9歳で,爆心地から約3.7㎞の自宅で生活しており,投下後も自宅で生活し続けたが,昭和20年8月15日頃から同年9月中旬頃までの間,数度にわたり爆心地付近の工場跡に行き,がれきをかき分け,ボールベアリングを拾って遊んだこと,亡Fは長崎原爆の投下後も,長崎の西山地区で農業をしていた者から譲り受けた
カボチャを食べていたこと,このような状況からすると,亡Fは,DS02による初期放射線の推定被曝線量は僅少であるものの,それには一定の誤差があり,過小になっている可能性があることは考慮すべきであること,亡Fが爆心地付近に入市した時期は長崎原爆の投下から間もない頃であり,爆心地付近は放射性降下物に相当程度汚染されていたものということができること,亡Fは,誘導放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性は高く,放射性降下物や誘導放射化された物質,放射性
粉塵を吸引した可能性があり,亡Fが食べていた長崎の西山地区のカボチャが放射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵に汚染されていた可能性もあること,投下翌日,下痢及び発熱を発症し,眼痛及び胸部痛もあり,通院したこと,その後も,貧血や白血球の増加があり,化膿しやすい状態も続いたこと,以上の事実を総合すれば,亡Fは,同人の健康に影
響を及ぼす程度の線量の被曝をしたものと認められることは,前記1説示のとおりである。控訴人の主張は採用することができない。

亡Fの入市の有無について
控訴人は,亡Fが入市した事実はなく,仮に入市していたとしてもそれ
は昭和20年8月19日以降であると主張する。
しかし,亡Fの入市の事実に関して,被控訴人ら代理人作成の平成25年9月30日付け聴取り報告書(甲Dナ1)は信用性が高いというべきであり,亡Fは,昭和20年8月15日頃から同年9月中頃までの間,数度にわたり,稲佐山を越えて北に約1kmの地点の付近にある工場跡
に行き,ボールベアリングを拾って遊んだものと認められ,亡Fの被爆者健康手帳交付申請書(乙Dナ10)には,上記入市の事実について記載がないことをもって,入市の事実がなかったことを裏付けるものとはいえず,亡Fの聴取報告書(甲Dナ1)に同人の入市日は同年8月19日である旨の記載があることもこれをもって亡Fの入市日が同年8月19日以降
であったことを裏付けるものともいえないことは,前記1説示のとおりである。控訴人の主張は採用することができない。エ

亡Fの脳梗塞の放射線起因性について
控訴人は,亡Fは,加齢,高血圧等の危険因子を有しており,それらの危険因子によって脳梗塞を発症したものとして,優に合理的に説明することができ,そのリスクが現実化したことにより発症したものと考えること
が合理的であるから,亡Fの脳梗塞が,亡Fが受けた原爆放射線によって発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない旨主張し,当審証人Mの証言及び同人作成の意見書(乙C101)中には,亡Fは,脳梗塞発症当時,70歳近い比較的高齢であることに加え,高血圧という動
脈硬化を促進する危険因子が重積した結果,脳梗塞を発症したと考えるのが自然な経過であると考えられる旨の供述ないし記載がある。
しかし,疾病の発症に関する放射線起因性については,前記1で説示したとおり,放射線と疾病の発症との間に通常の因果関係があることが要件とされていると解するのが相当であるところ,疾病の発症においては,一
般に,複数の要素が複合的に関与するものであるから,他の疾病要因と共同関係があったとしても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるような特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射線起因性を肯定するのが相当であること,これを亡Fにつ
いてみると,亡Fは,同人の健康に影響を及ぼす程度の線量の被曝をしたものと認められること,同人の申請疾病は脳梗塞であり,同人の脳梗塞はアテローム血栓性脳梗塞であるところ,これについては放射線被曝との関連性が認められる疾病であること,脳梗塞と診断されたのは被爆の59年後であって,68歳の時であり,加齢による動脈硬化の進展がう
かがわれること,亡Fは,脳梗塞発症前から高血圧と狭心症の診療を受けていたものであり,高血圧については,服薬にもかかわらず,脳梗塞を発症した時点でⅠ度高血圧の範疇以上の血圧であったこと,以上の事情が認められるが,このうち,加齢については,上記特段の事情とまでは認められず,高血圧症及び心血管疾患(狭心症)については,これらの症状が放射線被曝との関連性が認められるものであって,これらの症状が相乗的に脳梗塞発症の危険性を高めたとしても,それは,放射線の影響
がなくとも当該疾病が発症していたことを裏付けるものではなく,これらの症状があることをもって亡Fの脳梗塞の放射線起因性を否定することはできないというべきであることは,前記1説示のとおりである。
控訴人は,亡Fは,前記の危険因子のみで優に脳梗塞を発症し得るものであり,危険因子によって血管病変が進行することで発症したものとして
優に合理的に説明することができると主張するけれども,前記説示に照らせば,亡Fについて,放射線の影響がなくとも脳梗塞が発症していたといえるような特段の事情を認めることはできないのであって,亡Fの脳梗塞の放射線起因性に関する前示の判断を左右するものではないというべきである。

3
結論
以上のとおりであって,被控訴人らの本件請求をいずれも認容した原判決は相当であり,本件控訴は理由がないから棄却することとして,主文のとおり判決する。

東京高等裁判所第14民事部

裁判長裁判官


裁判官

大藤須賀博寛之
裁判官
南部潤一郎
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