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殺人被告事件
事件番号平成29(わ)656
事件名殺人被告事件
裁判年月日平成30年6月19日
法廷名札幌地方裁判所
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平成30年6月19日宣告
平成29年(わ)第656号

殺人被告事件
判決主文
被告人は無罪

第1


公訴事実
本件公訴事実の要旨は,次のとおりである。すなわち,「被告人は,平成29
年6月(以下「平成29年6月」の記載を省略する。)12日午後11時56分頃から13日午前10時頃までの間,
札幌市a区b条c丁目d番e号f号室A
(以
下「被害者」ともいう。)方において,同人に対し,殺意をもって,前胸部右側等を包丁で数回突き刺し,よって,その頃,同所において,同人を前胸部右側の刺切創による心タンポナーデ・出血性ショックにより死亡させて殺害した」というものである。
第2

争点
被告人が,上記の日時・場所において,同居する被害者に対し,包丁で前胸部
右側等を数回突き刺して死亡させた行為(以下「本件行為」という。)に及んだことについては,関係証拠から認められ,争いはない。
本件の争点は,被告人の責任能力の有無・程度である。検察官は,被告人は本件行為当時心神喪失の状態には至っておらず,心神耗弱の状態にとどまっていたと主張するのに対し,弁護人は,被告人は本件行為当時心神喪失の状態にあったと主張している。
第3

当裁判所の判断

1
前提事実


本件行為の態様等
被害者の死因等の鑑定の結果によれば,被告人は,被害者を少なくとも4回包丁で刺しており,最後に前胸部右側を刺した傷が致命傷となったものであって,これらの創傷の部位及び形状からすると,被告人は,被害者が仰向け又は少し右腕等が体の前側にきている状態の仰向けの体勢で横たわっており,ほぼ無抵抗の状態であった際,本件行為に及んだものであると認められる。
なお,被害者の死因等の鑑定の結果から,公訴事実のとおり12日午後11時56分頃から13日午前10時頃までの間に本件行為が行われ,被害者が間もなく死亡したと認められる。
本件行為前後の被告人の行動
公判廷で取り調べられた証拠によれば,次の事実が認められる。

被告人は,12日午後8時20分頃から午後9時28分頃までの間,飲食店において,被害者と共に合計日本酒6合,ビール約300ミリリットルを飲み,それから午後11時49分頃までの間,カラオケ店において,被害者と共に合計カシスウーロン約260ミリリットル,発泡酒約3600ミリリットルを飲んだ。被告人は,カラオケ店を退店する際,一人では歩行困難なほど酩酊しており,被害者の肩に担がれるなどしていた。その後,
被告人及び被害者は,
被害者が運転する自動車で被害者方に帰宅した。


被告人は,13日午前4時40分頃(本件行為との前後関係は明確でない。),被害者方を出て,その前に駐車していた自動車のクラクションを2回鳴らして被害者方に戻る行動を2回繰り返した。


被告人は,被害者の死後,被害者の口の中に3センチメートル四方大の豆腐を入れた。


被告人は,13日午前2時28分から午前2時48分までの間,及び午前4時52分から午前5時1分までの間に,知人に対して電話をかけようとすることを繰り返した。また,被告人は,同日午後1時38分から断続的に母親とメッセージのやり取りをしているが,午後7時4分には母親に「お母さん人殺しどうよ?」とのメッセージを送信した。

被告人は,13日午後9時45分頃,警察署に電話をかけ,被害者を殺したことなどを話し,その後,午後10時14分頃,被害者方に臨場した警察官に対しても,被害者を刺したことなどを話した。
本件行為の動機等
本件行為の動機等については,証拠によっても,これをうかがわせるもの
が見当たらない(検察官も,動機等を主張するものではない。)。
12日に飲食店において酒を飲み始めてからの全ての記憶はないと供述する一方,帰宅後,被害者から殴る,蹴る,首を絞めるといった暴行を受けたので,自分の身を守るため,自分が座っている状態で,立っている被害者に対して包丁を突き出して1回刺した旨供述している。
もっとも,被告人のこれらの供述は,

被害者の

拳に被害者自身が殴ったような痕跡がなかったこと及び被告人の身体に頸部を絞められたような痕跡がなかったこと等と整合しないから,被告人の供述によって,本件行為の態様及び動機を解明することはできない。
2
精神鑑定の結果


起訴後に被告人の精神鑑定を行った鑑定人B医師
(以下
「B医師」
という。

は,公判廷において要旨以下のとおり述べた。
被告人は,かつて覚せい剤等の違法薬物を使用していたことがあり,それ以後幻覚(幻視及び幻聴)や妄想が出現していた旨述べており,本件行為当時,飲酒による強い精神病症状を伴う急性アルコール中毒(病的酩酊)の状態,若しくは飲酒や心理的ストレスにより覚せい剤等の精神作用物質の使用による精神障害が再度誘発された現象(フラッシュバック現象)の状態にあり,又はこれらの状態が混在していた可能性がある。そして,これにより,意識障害に陥り,行動の意味連関が消失するとともに見当識が低下し,判断能力が低下していたことが,本件行為に影響した可能性がある。また,被害者から攻撃を受け,被害者から殺されるとの幻覚や妄想(被害的・迫害的な妄想知覚)が生じていた可能性もある。


B医師の鑑定結果について,その公正さや能力に疑いが生じたり,その前提条件に問題があったりするなどの,これを採用し得ない合理的な事情は認められない。
検察官は,B医師の鑑定には,覚せい剤等の違法薬物の使用を認定するに当たり,面接時の被告人からの聞き取りのみに依拠しており,母親及び元交際相手の各供述並びに過去の病院の診療録その他の資料との整合性等について検討が不足しているなどの問題があり,鑑定結果を採用できない合理的な事情がある旨主張する。
しかしながら,
B医師は,
検察官及び弁護人から必要な資料の提供を受け,
被告人及びその両親との各面接を行うとともに,被告人の医学的検査を行った上で判断しているのであり,
収集可能な資料を広く検討している。
そして,
B医師が検討した資料のうち検察官が指摘するものは,いずれも被告人に覚せい剤等の使用歴があることを否定しきるものではない。その上で,B医師は,被告人が覚せい剤等の違法薬物の使用がないにもかかわらず使用したことがある旨虚偽を述べている可能性を想定した上で面接を行い,その結果,被告人が述べる症状が典型的な違法薬物使用による精神障害の症状であり,虚偽を述べた場合には生じ得る食い違い等がなかったことを踏まえ,その他の関連資料をも検討した上で,自身の専門的知見及び経験を基に,被告人にかつて覚せい剤等の精神作用物質の使用があり,本件行為当時に至るまでその残遺症状が見られていた可能性があると述べているところであって,検討に不足があるともいえず,この点においても,採用し得ない合理的な事情があるとはいえない。
その他,検察官の主張を検討しても,前提条件に問題があるなど鑑定結果を採用し得ない合理的な事情は認められない。
したがって,被告人の精神障害の有無及び精神障害が犯行に与えた影響に
を検討すべきである。
3
責任能力の有無


本件行為当時の被告人の精神状況
B医師の鑑定結果を前提として本件行為当時の被告人の精神状況について更に検討する。被告人は,横たわって無抵抗の被害者を包丁で突き刺し,その前後のいずれかの時間に2度にわたり被害者方を出てクラクションを各2回鳴らしたほか,被害者の死亡後に被害者の口に豆腐を入れるという被害者が死亡したことを認識していないともみられる行動に出ていることからすると,さしたる動機もなく本件行為に及び,その当時,意識障害に陥るなどして,前後の行動に意味連関の消失(支離滅裂な行動)がみられ,周囲の状況や自己の行動についての認識すら欠けていた可能性がある。そして,そのような状況で現実には包丁を突き刺しているのは,幻覚や妄想の影響による可能性も考えられる。被告人がこのような状態にあったとすれば,本件行為の内容すら認識しないまま本件行為に及ぶ意図を生じ,又はそのために本件行為を思いとどまる契機を欠いていたといえる。
そうすると,被告人は,善悪を判断する能力又は行動をコントロールする能力が全く失われた状態で本件行為に及んだ可能性があるといえる。検察官の主張に対する検討
検察官は,被告人について,善悪を判断し,行動をコントロールする能力が全く失われているものではなかった旨主張するので,その理由とする点について検討しておく。

検察官は,被害者を刺し,致命傷を負わせた後更なる攻撃を行っていないから,周囲の状況を認識した上で行動していると主張する。しかしながら,被害者を刺したことについては,上記のとおり意識障害等によりその際の状況認識が欠けていた可能性があり,その一方,幻覚・妄想を伴うような意識障害の場合には被害者を刺すこと自体の認識があることも考えられ,検察官が主張するように意識障害があれば正確に被害者を刺せないとまで断定することはできないから,検察官の主張は必ずしも当たらない。また,致命傷を負わせるに当たって相応の強い力を加えていると考えられるのであるから,これによりその後の行動を継続しないこと等もあり得るのであって,意識障害に陥っていた場合には本件行為に引き続いて更なる攻撃を加えるはずであると言い切れるものではない。

また,検察
動に及んでいること等を指摘し,被告人は自分が本件行為に及んだことを理解し,当時の状況に応じて行動しており,むしろ知人に電話をかけようとしたことについては被告人が酔った際の平素と変わらない正常な行動であると主張する。しかしながら,検察官が指摘する行動のうち,知人に電話をかけようとしたことについては,結局通話に至っていない上,電話の目的が不明であることからすれば,正常であるともそうでないともいえるところであって,被告人の精神状況を推認する事情となるものではない。むしろ,犯行直後から比較的近いとも考えられる時点のこれ以外の行動については,死亡した被害者の口の中に豆腐を入れるなど理解し難いものを含んでいる。また,正常ともとれる母親及び警察署に対する連絡等については,本件行為から相当な時間が経過している。よって,検察官が主張する事情が,本件行為当時被告人が本件行為に及んだことを理解し,当時の状況に応じて行動していたことの根拠となるものではないから,検察官の指摘は当たらない。
小括
よって,被告人については,本件行為当時,善悪を判断する能力又は行動をコントロールする能力を全く有していなかった可能性があり,責任能力があったと認定するには合理的疑いが残るといえる。
4
結論
以上により,本件の証拠関係を前提とすると,被告人に責任能力があったと認定することはできないから,刑事訴訟法336条により被告人に対し無罪の言渡しをする。

(検察官

鈴木淳史,大友隆,長谷川麻理,国選弁護人

市毛智子(主任),林順

各出席)

(求刑

懲役6年

平成30年6月22日
札幌地方裁判所刑事第1部

裁判長裁判官

島戸
裁判官

平手純健太郎
裁判官亀井直子は差支えのため署名押印できない。

裁判長裁判官

島戸純
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