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殺人
事件番号平成29(う)50
事件名殺人
裁判年月日平成30年7月12日
法廷名福岡高等裁判所  那覇支部
結果棄却
原審裁判所名那覇地方裁判所
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平成30年7月12日宣告

福岡高等裁判所那覇支部刑事部判決

平成29年(う)第50号

殺人被告事件
主文
本件控訴を棄却する

第1


事案の概要及び控訴趣意
訴因変更後の公訴事実は,被告人が,平成27年2月25日午前零時頃から
同日午前3時頃の間に,被告人方において,殺意をもって,妻であるA(当時73歳。以下「被害者」という。)の頸部を圧迫し,窒息により死亡させたというものである。原判決は,第三者による犯行の可能性を否定できないとして,被告人に無罪を言い渡した。
本件控訴の趣意は,検察官白井智之作成の控訴趣意書記載のとおりであり,これに対する答弁は主任弁護人大井

及び弁護人島袋達志作成の答弁書記載のと

おりである。論旨は,要するに,被告人が被害者を殺害した犯人であることは明らかであるのに,第三者による犯行の可能性を認めて被告人を無罪とした原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある,というのである。第2
1
前提事実,原審検察官の主張及び本件証拠構造について
前提事実
原審が取り調べた関係各証拠によれば,以下の事実が認められる。
被告人は,被害者と婚姻後,長年沖縄を離れて単身生活をしていたが,本件の約1年前から,被告人方において被害者と2人暮らしをしていた。被害者は,平成27年2月25日午前零時頃から同日午前3時頃の間に,被害者の寝室のベッド上において,頸部を強く圧迫されて殺害された。被害者の寝室を含む被告人方に,争った形跡や物色された形跡はなく,
被害者の着衣にも乱れはなかった。
被告人方には,居間及び台所を挟むように被害者の寝室と被告人の寝室があり,被害者の寝室に入るためには,隣接する台所からドアを開けて入るか,屋外から被害者の寝室の掃出窓(以下,単に「掃出窓」という。)を開けて入るしか方法がない。
被告人は,同日午前4時45分頃,近所に住む同人の妹(以下「妹」という。)に対し,被害者の様子がおかしいから来てほしい旨を訴え,同人
とともに,開いていた掃出窓から被害者の寝室に入った。その後,妹が119番通報し,同日午前5時20分頃に警察官が臨場したが,その際,掃出窓と玄関以外の被告人方出入口は全て施錠されていた。
同日,被告人方においてB警察官らによる鑑識活動が行われたが(以下,同警察官を「鑑識担当者」といい,同鑑識活動を「本件鑑識」という。),
掃出窓の外側から指掌紋は検出されなかった。
被告人は,本件当日の行動について,①被害者が殺害された時間帯は被告人の寝室で寝ていた,②同日午前4時頃に目を覚まし,台所から被害者の寝室に入ろうとしたところ,ドアに鍵が掛かっていた,③掃出窓から被害者の寝室に入るために,玄関の鍵を開けて外に回り,施錠されずに閉ま
っていた掃出窓を開けて被害者の寝室に入ったが,掃出窓を開けた方法は覚えていないと供述している。
2
原審検察官の主張
以上の事実関係を前提に,原審検察官は,概要以下のとおり主張した。
本件鑑識によれば,掃出窓の外側に侵入痕はなく,犯人が同窓から侵入していないことが強く推認できる。
被害者の寝室内に争った形跡や物色された形跡はなく,被害者に恨みを抱いているような第三者の存在もうかがえない。この事実に


せれば第三者の犯行の可能性は排除できる。
被告人には被害者を殺害する動機がある。
本件翌日,被告人の頸部に真新しい傷があり,かつ,被害者の右手指から採取された資料から被害者と被告人のDNA型が検出されている。被告人は,掃出窓の開閉状況や,頸部の傷の原因について嘘をついている。

ことと矛盾せず,むしろ整

合する事実である。
以上を総合すれば,被告人が犯人であることが合理的疑いを容れない程
度に証明されている。
3
本件証拠構造について
原審

を立証の中心となる間接事実と位置付

け,同

をその立証の支えと位置付けるものである。そして,
被告人以外に犯人となり得る者がいないという推認を経て,被告人が
犯人であることの立証につなげようとする事実であるところ,本件は,被告人以外による犯行の可能性がないことを立証の中心に据えた,いわゆる消去法的立証が試みられた事案といえる。
かかる消去法的立証においては,あらゆる反対仮説を想定した前提条件が設定され,かつ,それらの反対仮説が存在しないことの立証が尽くされなけ
ればならず,その事実認定に当たっては,特に慎重な姿勢が要請されるというべきである。
そこで,以下,かかる本件証拠構造の特質も意識しつつ,原判決の事実認定に,経験則,論理則等に反する不合理性があるといえるかを検討する。第3

原判決の判断
原判決は,原審検察官の主張に対して,概要,以下のとおり判示して,被告
人以外の第三者が被害者を殺害した可能性が否定できないと判断した。1
犯人が掃出窓から侵入した可能性について(前記第2の
鑑識担当者は,掃出窓の外側から指掌紋は検出されず,外部から開けた痕跡
は存在しなかったと供述しているが,掃出窓の状況について写真撮影は行われておらず,鑑識担当者の認識を裏付ける客観的証拠は存在しない。警察官らは,事件から1年9か月以上が経過してから,掃出窓を開けた場合の指掌紋の検出状況について再現検証を行っているが,警察官らの再現方法はごく一部の開け方を再現したにすぎない。事件当日,掃出窓が完全に閉まっていたとも言い切れない。これらによれば,犯人が掃出窓から侵入していないことが強く推認できるとはいえない。

2
被告人以外に犯人となり得る第三者の存在可能性について
被害者は,深夜,寝室のベッド上で殺害されており,室内に争った形跡や物色された形跡はなく,被告人は被害を受けていないこと,被害者に深い憎しみを抱いているような第三者の存在はうかがえないことという事情はあるが,それだけで直ちに窃盗目的での侵入が否定され,犯人の動機が怨恨であると
は言い切れず,具体的な第三者の存在が想定できないとしても,当該第三者の存在をうかがわせる証拠が本当にないのかは不明である。犯人が掃出窓から侵入した可能性が残る以上,状況的に被告人が疑わしいからといって,外部から侵入した第三者の犯行可能性が排除できるとは認められない。3
動機について
被告人は,本件の約1年前に沖縄に戻り,支給漏れの年金合計約866万円を受給したが,その大半を競馬で費消しており,被害者に年金の使い込みがばれて激しい感情のもつれが生じ,殺意を抱いて本件に及んだ可能性がないとはいえないが,一つの仮説にすぎず,動機に関する事実は,被告人が犯人であるとしても矛盾しないという程度の事情にすぎない。

4
被告人の頸部の傷及び被害者の右手指から採取した資料のDNA型について
法医学の専門家であるC証人(以下「C証人」という。)は,被告人の頸部の傷について,自分でひっかいたのか,他人にひっかかれたのかは分からないと述べている。被害者の右手指の爪付近から採取した垢様の物からは,被害者と被告人のDNA型が検出されているところ,DNA鑑定の専門家であるD証人は,爪の奥から採取したのであれば,日常生活では付きにくいと述べるものの,資料の採取状況に照らして,爪の奥だけから採取したとは言い切れない。日常生活の中で,被告人の垢が被害者の指先に付着した可能性が否定できない。
5
被告人の供述について
被告人は,①被害者の遺体を発見した際,掃出窓を開けて被害者の寝室に入った,②頸部の傷は,植物の樹液でかぶれたのを自分でかいたためにできたものである旨を述べているが,被告人が嘘をついたと認めることはできない。
6
結論
証拠上認定できる事実関係を総合しても,被告人が犯人であることが合理
的疑いを容れない程度に証明されたとは認められない。
第4

当裁判所の判断
当裁判所は,原判決の事実認定に,論理則,経験則等に反する不合理性があ
るとはいえないと判断した。以下,所論に鑑み,その理由を示す。1
掃出窓からの侵入可能性について
本件鑑識の目的及び鑑識担当者の認識から認められる事実について所論は,仔細に行われた本件鑑識によっても,掃出窓の外側に侵入痕が認められなかったところ,原判決はかかる事実を正当に評価していないと主張する。

鑑識担当者は,本件鑑識の状況について,①掃出窓は全体に白っぽくほこりが付着しており,斜光線を使って角度を変えながら目視で確認した,②アルミサッシ枠部分は磁性粉末を使用して鑑識を行った,③掃出窓の外側には外部から侵入したことをうかがわせる指掌紋や手袋痕はなかった,④掃出窓の外側に指掌紋等がないことは他の鑑識を担当する警察官にも同様の方法で
確認してもらった,⑤本件鑑識の状況は写真撮影していないと供述している。鑑識担当者の供述に疑わしい点は認められず,鑑識担当者があえて虚偽を述べている可能性は認められない。そして,鑑識担当者の鑑識活動に係る知識や経験に不十分な点があることはうかがわれず,指掌紋の有無等を複数人で慎重に確認していることに照らせば,掃出窓の外側に指掌紋等の侵入痕はなかったという鑑識担当者の認識によって,同窓の外側に,同一性対照の資料になり得るような指掌紋や,通常の注意を払えば容易に発見できるような侵入痕(以下,これらを合わせて「明確な侵入痕」という。)が存在しなかった事実は認めることができる。
もっとも,鑑識担当者は,一般論として,鑑識活動は指掌紋やDNA等を採取するために行うと述べる一方,本件鑑識について,様々な侵入態様を想
定した上で,微細な侵入痕が存在しないことの確認までを目的としていたとは供述していない。本件鑑識の状況は写真撮影されていないところ,当審の事実取調べによれば,沖縄県警察本部では,鑑識において指掌紋等を採取した場合には,その証拠価値を保全するために,写真撮影を行う旨の要領が定められており(当審検10),指掌紋等が採取されなかった本件で写真撮影
が行われなかったのは,同要領に従ったものといえるが,同要領によっても,鑑識現場の証拠価値を保全するために写真撮影を行うことの重要性自体は示されているといえる上,鑑識担当者は,現場の状況を押さえておきたいときに写真撮影をすると述べているのであるから,本件鑑識が,あらゆる侵入痕が存在しないことの確認と,その証拠価値の保全までを目的としていたので
あれば,同要領の形式的記載内容にかかわらず,写真撮影が行われてしかるべきである。そうすると,写真撮影がされなかった本件鑑識は,あらゆる侵入痕が存在しないことの確認や,証拠価値の保全までを目的とはしておらず,一般的な鑑識活動と同様,指掌紋等の積極証拠の採取・保全を目的としていたと認めるのが相当である。そして,かかる本件鑑識の目的に照らすと,鑑
識担当者が,指掌紋の対照等には使用できない微細な侵入痕を認識できなかったり,見落としたりすることがあっても不自然ではなく,掃出窓の外側に指掌紋等の侵入痕がなかったという鑑識担当者の認識をもって,掃出窓に微細なものも含めた一切の侵入痕が存在しなかったと推認することはできないというべきである。原判決は,当時の掃出窓の状況について写真撮影をしていないことを問題視する説示をしているところ,微細な侵入痕を認識できなかった可能性を示すものとして相当であり,原判決の判断が不合理であるとはいえない。
明確な侵入痕が存在しないことの意味付けについて
前記のとおり,鑑識担当者の認識により,掃出窓の外側に明確な侵入痕が存在しなかった事実が認められるとしても,かかる事実を起点として,犯人
が掃出窓から侵入した可能性がないという推認にまでつなげるためには,その前提条件として,①本件当時の掃出窓の開閉状況が,普段の開閉状況や本件当時の周囲の状況等を踏まえて的確に認定されること,②本件当時の掃出窓の開閉状況を前提に,犯人が掃出窓を開閉した場合に,明確な侵入痕が必ず残ると認められることが必要である。原判決は,これらの点について,①
本件当時,掃出窓が閉まっていたとはいえず,②掃出窓に明確な侵入痕が必ず残るともいえないと判断したものと理解できる。
そこで,以下,上記原判決の判断が不合理といえるかを検討する。本件当時の掃出窓の開閉状況について
掃出窓は,被告人及び妹が被害者の寝室に入った際には開いていたところ,
問題は,それ以前に,掃出窓が閉まっていたかどうかである。所論は,この点について,本件が2月下旬という比較的寒い時期の犯行であることや,被告人の供述に照らせば,本件当時掃出窓は閉まっていたと主張する。ア
普段の開閉状況や本件当時の周囲の状況等からの検討
関係各証拠によれば,被告人方は,被害者の寝室がある建物にトイレが
なく,別棟にトイレがあるところ,被害者は普段からトイレに行く際には掃出窓から出入りしていたこと,被害者は,普段外出する際も主に掃出窓から出入りしていたが,その際は掃出窓外側の網戸のみを閉めて,掃出窓を閉めないことが多かったこと,被告人らの子も,被告人宅を訪れる際には掃出窓から出入りしていたことが認められる。これらの事実からすれば,掃出窓は頻繁に人の出入りに使用されており,常時閉められていたとは認められず,被害者が防犯上の観点から,常に掃出窓を閉めるようにしてい
たとも認められない。また,被害者が就寝時には掃出窓を閉めるようにしていた可能性も考えられるが,かかる習慣を的確に示す証拠も見当たらない。
次に,本件当時の周囲の状況等をみると,本件犯行は,2月下旬という比較的気温の低い時期の深夜から未明にかけて行われたものであること,
被害者の着衣は薄手のものであり,遺体の足元には毛布が折り畳まれて置かれていただけで,厚手の布団を使用していた形跡はないことに照らすと,被害者が,本件当時,掃出窓を全開にしていたとは考えにくい。もっとも,被告人方から約11km離れた最寄りの観測所の気象データ(当審検11ないし14)によれば,本件犯行の前日から当日にかけて,雨は降ってお
らず,風も強かったとはいえない上に,本件犯行前後の気温は摂氏17度前後であり,特に寒さが厳しかったともいえない。そして,掃出窓にはカーテンが設置されていたのであるから,仮に被害者において普段は就寝時に掃出窓を閉めるようにしていたとしても,掃出窓が完全に閉まっていないことに気づかなかった可能性もあるし,被害者が換気等のために,掃出
窓を少し開けたまま就寝していたとしても不自然ではない。
以上によれば,掃出窓の普段の開閉状況や,本件当時の周囲の状況等に照らして,本件当時,掃出窓が完全に閉まっていたとは認められない。イ
被告人の供述から,掃出窓が閉まっていたと認められるか
被告人は,本件当日の掃出窓の状況について,被害者がいつも起きる時間に起きてこなかったので,玄関を出て掃出窓から被害者の寝室に入った,その際,掃出窓は閉まっていたが,どのように掃出窓を開けたかは覚えていない旨を供述している。
被告人は,本件が発覚した当初から,自分が犯人ではないことを前提に供述しているところ,被告人の供述に基づいて掃出窓が閉まっていたと認定するのであれば,被告人の供述の不利な一部分のみを取り出して,合理
的疑いを容れない程度の信用性を認めることになる。そのような供述の部分的な信用性の評価自体,その相当性について慎重な検討が必要なところ,被告人は,掃出窓の具体的な開け方は覚えていないと供述しているのであるから,掃出窓の開閉状況にかかる供述は,全体としてやや曖昧であり,当該部分のみを取り出して信用できるといえるような具体性を備えたもの
とは言い難い。また,被告人が犯人ではないと仮定すると,被告人は,本件直後に,妻である被害者が殺害されているのを発見し,相当に混乱した状況にあったと考えるのが合理的であるから,掃出窓の開閉状況という日常的な出来事について,記憶が混乱したとしても不自然ではない。そうすると,被告人の供述の一部分のみを根拠に,掃出窓が閉まっていたと認め
ることはできないというべきである。

小括
以上によれば,本件証拠関係に照らし,本件当時,掃出窓が完全に閉まっていたと認めることはできず,これと同旨の原判決の判断が不合理とは
いえない。
犯人が掃出窓を開けた場合に,必ず明確な侵入痕が残るといえるか所論は,①掃出窓の外側には手を掛ける凹凸がほとんどなく,外から開け閉めしづらい形状をしているから,外から掃出窓を開閉する際には,掃出窓を横にずらすために掃出窓のガラス面やアルミサッシ枠に相応の力が加えら
れ,何らかの痕跡が残るはずである,②警察官らは,掃出窓を開けた場合に指掌紋等が残るかどうかについて再現検証を行っているところ,その再現検証によっても指掌紋等が検出されている,と主張する。
しかし,前記のとおり,本件当時,掃出窓が完全に閉まっていたとは認められず,少し開いていた可能性は否定できないところ,例えば,掃出窓が少し開いた状態で,アルミサッシ枠の側面部分を横に押す方法で掃出窓を開けた場合には,掃出窓外側のガラス面やアルミサッシ枠部分に明確な侵入痕が残らないことも考えられる。また,警察官らが本件から約1年9か月後に行った再現検証は,掃出窓が完全に閉まっていたことを前提に,①素手又は軍手をはめた状態で,ガラス面に手を当てて掃出窓を開けるか,②素手で両手の指先をアルミサッシ枠の端に当て,掃出窓を横に動かした後,右手だけで
掃出窓を開ける方法で再現されているが,掃出窓の開閉状況を措くとしても,犯人が素手であったかどうか,どのような手袋をはめていたのか等については,様々な可能性が考えられるところ,犯人が素手又は軍手で掃出窓を開けたという前提条件を設定する根拠も見出し難い。
そうすると,所論が指摘する掃出窓の形状や,警察官らによる再現検証の
結果を踏まえても,犯人が掃出窓から侵入した場合に,明確な侵入痕が必ず残るという立証は尽くされていないというべきである。警察官らの再現検証は,ごく一部の方法を再現したにすぎないという原判決の判断が不合理なものとはいえない(なお,原判決は,本件鑑識が動画撮影されていないことも問題視しているが,これは警察官らの再現検証に係る統合捜査報告書に,指
掌紋の採取後,動画を見て新たに確認された痕跡が複数あったかのような記載がされていることを受けたものと思われる。動画で確認されたという痕跡には,かなりはっきりしたものも含まれており,これを目視で確認できなかったとは考えにくく,統合捜査報告書等の書面作成上の不手際ではないかという疑問もあるが,原判決の説示は統合捜査報告書の記載に則ったやむを得
ないものであるし,結論に影響する部分ではないから,原判決の判断の不合理性を基礎付けるものとはいえない。)。
小括
以上によれば,掃出窓の外側に侵入痕がなかったという鑑識担当者の認識からは,掃出窓の外側に一切の侵入痕がなかったという事実までは認められず,明確な侵入痕が存在しなかったという事実が認められるにとどまる上,掃出窓が完全に閉まっていたとは認められず,犯人が掃出窓から侵入した場
合に明確な侵入痕が必ず残るという立証もなされていないことからすれば,掃出窓の外側に明確な侵入痕が存在しなかったという事実をもって,犯人が掃出窓から侵入していないことの推認にまでつなげることはできない。犯人が掃出窓から侵入していないことが強く推認できるとはいえないとした原判決の判断が不合理であるとはいえない。

2
第三者の犯行の可能性について
所論は,被害者の寝室に争った形跡や物色された形跡はなく,被害者の着衣に乱れもなく,被告人は被害を受けていないこと,被害者に恨みを持つ第三者の存在はうかがわれないことから,本件が,窃盗目的やわいせつ目的で
侵入した犯人による犯行である可能性や,怨恨による犯行である可能性は合理的に排除できると主張する。
確かに,被害者の寝室や被告人方に物色の形跡や争った形跡はなく,被害者の身体にも着衣の乱れは見られないから,窃盗目的や性犯罪目的で侵入した犯人が被害者を殺害した可能性は低いといえる。また,被害者に恨みを持
つような第三者の存在はうかがわれず,怨恨による犯行の可能性も低いというべきである。
しかし,そもそも,特定の動機がなくても,他人の住居に侵入したり,人を殺害したりする者がいないとは限らない上,窃盗目的や性犯罪目的で侵入した犯人が,被害者に気づかれたり,抵抗されたりして被害者を殺害し,そ
のまま物色等をせずに逃走した可能性がないとはいえないし,その際,比較的高齢の被害者が,激しい抵抗をすることができず,争った形跡が残らなかったとしても不自然とはいえない。被害者に恨みを持つ第三者の存在がうかがわれないとしても,捜査機関が接触した被害者の周囲の人間が,被害者の人間関係を全て把握していたと言い切るだけの証拠も存在しない。その他,本件の証拠関係上,犯人が何らかの目的で被害者を殺害した場合に,その目的に応じて,必ず捜査機関が把握できる痕跡ないし証拠が残るともいえない。
被告人以外の具体的な犯人像が想定できないという事実ないし評価から,消去法的に,被告人が犯人であることの推認につなげるには,一般に慎重な姿勢が求められるのであって,その推認力には限界があるというべきである。原判決は,犯人が掃出窓から侵入した可能性が残る以上,状況的に被告人が疑わしいからといって,外部から侵入した第三者の犯行可能性が排除できる
とは認められないと判断しているが,かかる推認力の限界を踏まえた相当なものというべきであり,不合理性は認められない。
3
立証の中心とされた間接事実の総合評価
以上の検討によれば,原審検察官が立証の中心と位置付けた前記第2の2のうち,

掃出窓の外側に一切の侵入痕がなかったと

いう事実が認められない上,明確な侵入痕がなかったという事実についても,その事実が推認力を持つための前提条件が立証されておらず

も,その

間接事実の推認力に限界があるのであって,これらを総合しても,被告人以外の第三者による犯行の可能性がないという立証は尽くされていないというべきである。これと同旨の原判決の判断が不合理とはいえない。

4
その他の間接事実について
以上のとおり,原審検察官が立証の中心と位置付けた間接事実によっても,被告人以外の第三者による犯行の可能性は否定できないところ,その他の間接事実を総合しても,第三者による犯行の可能性を排除できるとは認められ
ない。所論は,原審検察官が立証の支えとして

実関係であるなどと主張するが,明らかに失当であって,採用することはできない。以下,念のため,その他の間接事実についても検討しておく。動機の存在
所論は,被告人は約866万円もの年金の大半を競馬等に費消していながら,被害者には虚偽の説明をしていたのであるから,これが被害者に発覚し,被害者との間で激しい感情のもつれが生じ,突発的かつ衝動的に強い殺意を抱いて犯行に及んだ可能性が認められるところ,被告人には動機になり得る事情があるというのである。
しかし,原判決は,被告人に動機になり得る事情が存在すること自体は認
めた上で,その事情が実際に被害者を殺害する動機になったというのは一つの仮説にすぎず,被告人が犯人であることを積極的に推認させるような事情とはいえないと評価している。被害者は,被告人が年金を費消し,口座残高がほぼなくなったこと自体は認識しており,被告人はその費消先について,仕事のために立て替え,年末頃に返還される旨の虚偽説明をしていたようで
あるが,被告人の虚偽説明が被害者に判明したことをうかがわせる事情は見当たらず,被害者との感情のもつれが生じたという前提自体が不確定である。また,かかる虚偽説明が判明したからといって,それが殺害の動機につながるとも限らない。そうすると,所論が縷々指摘する点を踏まえても,所論指摘の事情が被害者の殺害につながったというのは一つの仮説にすぎないとい
う原判決の判断が不合理とはいえない。
被告人の首に傷があり,被害者の爪から採取された資料から被告人のDNA型が検出されていること
所論は,本件翌日の被告人の首には,被害者から抵抗を受けた際に生じたとして矛盾しない傷があり,これに関する被告人の説明は不合理である上,
被害者の爪から採取された資料からも,被害者と被告人のDNA型が採取されているから,被告人の首の傷は被害者による抵抗を受けた際の傷である可能性が十分認められるという。
しかし,本件翌日,被告人の首の前面部には,赤い点のような痂皮(かさぶた)が4か所存在していたことは認められるが,原判決が説示するとおり,C証人は,当該痂皮は,他人にひっかかれたものか,自分でひっかいたものか分からないと明確に述べている。被告人は,その痂皮について,植物によ
るかぶれをひっかいてできた痂皮であると供述しているところ,所論は,C証人が,被告人の供述について,痂皮周辺にかぶれやひっかいた痕がないことに少し違和感があると述べていることを捉えて,被告人の供述が不合理であるなどというが,C証人も被告人の供述が虚偽であると述べている訳ではない。被害者の爪から採取された資料から,被告人のDNA型が採取された
ことも,日常生活の中で付着したものとして矛盾は認められない。原判決の判断が不合理とはいえない。
被告人が虚偽の説明をしていること
所論は,被告人が,①被告人の首の傷がついた原因や,②被害者の死体を発見した際の掃出窓の状況について嘘をついているなどというが,これら
の点は,既に検討したとおり,被告人の供述が虚偽であると認定できるだけの証拠はなく,原判決の判断が不合理とはいえない。
第5

結論
以上のとおり,本件は,被告人以外の第三者による犯行の可能性がないという
消去法的立証が問題となり,掃出窓からの侵入可能性がないことや,犯人となる具体的な第三者が想定できないという事実ないし評価が立証の中心となった事案であるが,本件の証拠関係上,犯人が掃出窓から侵入した可能性がないということはできず,具体的な第三者が想定できないという事実ないし評価も重視することはできない。その他の証拠関係を総合しても,被告人以外の第三者による犯行
の可能性を排除できず,被告人を犯人と認めるには合理的な疑いが残るとした原判決の判断に,論理則,経験則等に反する不合理性は認められない。論旨は理由がない。
よって,刑訴法396条により本件控訴を棄却し,主文のとおり判決する。平成30年7月9日
福岡高等裁判所那覇支部刑事部
裁判長裁判官

多見谷

寿郎
裁判官

神谷厚毅
裁判官

田中昭行
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