判例検索β > 平成28年(う)第983号
殺人、商標法違反、銃砲刀剣類所持等取締法違反
事件番号平成28(う)983
事件名殺人,商標法違反,銃砲刀剣類所持等取締法違反
裁判年月日平成30年8月3日
法廷名東京高等裁判所
結果破棄自判
原審裁判所名宇都宮地方裁判所
原審事件番号平成26(わ)245
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平成30年8月3日宣告

東京高等裁判所第5刑事部判決

平成28年(う)第983号

殺人,商標法違反,銃砲刀剣類所持等取締法

違反被告事件
主文
原判決を破棄する

被告人を無期懲役に処する
原審における未決勾留日数中300日を上記刑に算入する。
宇都宮地方検察庁で保管中のナイフ1本(平成26年領第3
97号符号1)を没収する。
理由
弁護人一木明ほか5名の控訴趣意は,原判示第1の殺人に関する,訴訟手続の法令違反及び事実誤認の主張であり,検察官の答弁は,原審の訴訟手続に法令違反はなく,原判決に事実誤認はないというものである(以下,特に断らない限り,略称等は,原判決のそれと同一である。)。
原判決が,自白供述の信用性の補助証拠として採用した取調べの録音録画記録媒体により犯罪事実を直接的に認定したことには訴訟手続の法令違反があり,原判示第1の殺人の日時,場所を自白供述に基づき公訴事実どおりに認定したことには事実誤認が認められ,いずれも判決に影響を及ぼすことが明らかであるから,原判決は破棄を免れず,ただし,当裁判所は,情況証拠
によって認められる間接事実を総合すれば,被告人が殺害犯人であることは,合理的な疑いを差し挟む余地なく認められ,当審において予備的に追加された訴因(殺害の日時,場所を拡張したもの)については,直ちに判決をすることができるものと判断した。
以下,その理由を説明する。

第1
1
控訴趣意について
事案の概要及び原判決の骨子について

本件の殺人,商標法違反及び銃砲刀剣類所持等取締法違反の各公訴事実のうち,原審では,殺人につき,その犯人と被告人との同一性が争われ,それ以外の公訴事実については,争いがなく,区分審理された。
本件殺人の公訴事実は,「被告人は,平成17年12月2日午前4時頃,茨城県常陸大宮市甲字乙丙番丁所在の山林西側林道において,A(当時7歳。以下「被害者」という。)に対し,殺意をもって,ナイフでその胸部を多数回突き刺し,よって,その頃,同所において,同人を心刺通(心臓損傷)により失血死させた」というものである。
被害者は,平成17年12月1日午後2時38分頃に栃木県今市市(現日
光市)内で下校中,何者かによって拉致され,翌2日午後2時頃,上記山林内でその遺体が発見された。
被害者を拉致し,その遺体を遺棄した各所為に係る罪については,いずれも公訴時効が完成しており,殺人の事実についてのみ公訴提起されたが,原審検察官は,被害者を拉致し,殺害し,遺体を遺棄したという一連の行為の
犯人が被告人であると主張し,被告人及び原審弁護人は,上記一連の行為に被告人は一切関わっていないとして争った。
原判決は,本件の事実に関する争点は,被害者を殺害した犯人(以下「殺害犯人」という。)と被告人との同一性(被告人の犯人性)であるとした上,まず,原審検察官の指摘する客観的事実(情況証拠)のみによって被
告人の犯人性を認定できるか検討し,結論として,被告人が殺害犯人である蓋然性は相当に高いものと考えられるが,客観的事実のみから被告人の犯人性を認定することはできないとした。そして,原判決は,被告人が検察官に行った本件自白供述(原審乙55から58まで)につき,任意性を認めた上,本件殺人の一連の経過や殺害行為の態様,場所,時間等,事件の根幹部分に
関する供述は,十分に信用することができるとし,原審関係証拠から認められる客観的事実に,同供述を併せれば,被告人が被害者を殺害したことに合
理的な疑いを入れる余地はないとして,原判示第1のとおり,公訴事実と同旨の事実を認定し,区分審理した他の事件との併合事件審判により,被告人を無期懲役に処した。
2
情況証拠に基づく被告人の犯人性の判断について
原判決の要旨


犯人性の判断の前提として認定した事実

原判決は,(事実認定の補足説明)において,殺害犯人と被告人との同一性に関わる情況証拠を検討する前に,「被害者の失踪,不審車両の目撃状況」「本件拉致現場付近における不審車両の目撃状況」「遺体の発見」「遺体発見現場の位置」及び「遺体の状況」の各項目に分け,原審関係証拠に基づき,客観的な事実を認定している。
原判決が認定した上記客観的な事実からは,被害者が,栃木県今市市内で下校中,古い白色のセダン車を運転する若い感じの男により拉致され,その後,拉致行為が行われた栃木県内,遺体発見現場である茨城県内又はそれら
の周辺において,胸部をナイフ様のもので多数回刺突されて殺害され,その遺体が,前記のとおり発見される以前に,遺体発見現場の山林内に遺棄されたことが認められる。
そして,上記のとおり,被害者の拉致からその遺体の発見までの間には24時間も経過しておらず,一連の行為が接着している上,当時7歳であった
被害者を拉致し,殺害し,その遺体を山林内に遺棄したという各行為の性質に照らしても,被害者を拉致した犯人が,被害者を殺害し,その遺体を山林内に遺棄した蓋然性が高く,一連の犯行は同一人物によるものと推認される。原審記録を精査しても,上記推認に合理的な疑いを生じさせる事情は見いだせない。

原判決は,明示的な判断を示してはいないが,前記客観的事実の認定に引き続き,殺害犯人と被告人との同一性に関する情況証拠を検討するに当たっ
ては,上記一連の犯行が同一人物によるものであることを前提としているものと考えられる。
なお,弁護人は,被害者が拉致された場面の目撃者はおらず,古い白色のセダン車を運転する男性が拉致の犯人であるとは断定できないなどと主張する。しかし,原判決も認定するとおり,原審関係証拠によれば,被害者が同級生と下校中に,古い白色のセダン車が被害者らの脇をいったん通り過ぎてから,折り返して戻ってくるなどの不審な動きをしたことが同級生により目撃されており,さらに,付近を自動二輪車で走行していた郵便局員が,本件拉致現場で被害者を追い越した後,後方から白色セダン車が接近するのを確
認し,先に行かせるために停車して降車し,後ろを振り返ったが白色セダン車は来ず,しばらくしてから同車が高速度で疾走していくところを目撃していることが認められ,これらの事実によれば,白色セダン車を運転する男性が被害者を拉致したものと推認され,この認定に合理的な疑いを生じさせる事情は見当たらない。


間接事実に基づく被告人の犯人性の検討について

原判決は,被告人の犯人性に関し,情況証拠に基づいて,以下の客観的事実を認定した。
①いわゆるNシステムによる通行記録等によれば,被告人車両が,平成17年12月2日午前1時50分頃に宇都宮市i町の県道宇都宮楡木線(第1地点)を宇都宮市街方向へ,同日午前2時20分頃に同市j町の国道123号線上の特定の地点(第2地点)をk町方向へ走行し,同日午前6時12分頃に同地点を宇都宮市街方向へ,同日午前6時27分頃に同市m町の国道121号線上の地点(第3地点)を鹿沼市方向へ,同日午前6時39分頃に第1地点を鹿沼市方向へそれぞれ走行した記録が確認されたことが認められ,
これ以外に被告人車両による第2地点の通行記録は,同月6日の深夜から朝にかけて通行したもの以外には全く存在せず,上記第1ないし第3地点は,
当時の被告人方と遺体発見現場とを結ぶ経路上にあり,被告人方から第1,第2地点を経由した遺体発見現場までの自動車での所要時間は,同一時間帯に実施した再現実験において約1時間47分(約78.7キロメートル)であった。また,被告人は,実母とともに,平成11年頃から平成14年頃までの間,茨城県内のB院で開催される骨董市に宇都宮市から月1回の頻度で通っており,その際の経路は,第2地点や遺体発見現場に近い場所を通過するものであった。本件当時,被告人が第三者に被告人車両を貸与した事情は見当たらない。②遺体の右手拇指基節部には獣毛様のもの1本が付着していて,鑑定の結果,猫の毛で,DNA型は被告人の本件当時の飼い猫のミトコ
ンドリアDNA型と同一のグループに属すると認められる。③遺体の右頸部に認められた損傷は,被告人が当時所持していたスタンガンによって生じたものとして矛盾がない。④被告人車両は,平成4年式の白色4ドアセダン車で,拉致現場で目撃された古い白色セダン車と同色・同型であり,また,被告人は,被害者が拉致された時間帯にその現場まで自動車で行くことが可能
な場所にいた。⑤被告人は,平成6年8月から平成9年4月までの間,今市市内に居住し,C小学校及び隣接するD中学校に通学していて拉致現場付近の土地鑑があった。⑥被告人が,事件当時,多数の児童ポルノ画像を収集しており,複数のナイフを所持していたこと,事件後も児童ポルノ画像や猟奇的殺人の動画,ナイフを収集していたことなどは,女児に対する性的興味や
残虐行為,刃物に対する親和性を示すもので,本件の犯行態様から想定される犯人像に整合的である。⑦被告人は,本件殺人の取調べが開始された直後に,実母に対し「事件」を起こしたことを謝罪する手紙(原審甲209。以下「本件手紙」という。)を送っている。
また,原判決は,遺体の後頭部に貼り付いていた粘着テープ(以下「本件
粘着テープ」という。)の鑑定により検出された被害者のものと一致しないDNA型が本件殺人の犯人に由来するものである蓋然性が高い,とする原審
弁護人の主張を排斥した。
原判決は,以上の①から⑦までの間接事実について,被告人が犯人であることを推認させる程度を個別的に評価し,前記②の獣毛様のものが被告人の飼い猫のものである蓋然性が相応に高いといえること,前記①の通行記録が存在することなど,被告人が本件殺人の犯人でないとすれば説明が困難とまではいえないものの,犯人である蓋然性が高いことを推認させる複数の事実が認められ,加えて,推認力としては限定的なものを含め,本件殺人に関係する証拠の中に,犯人が被告人であることと整合的と評価できる事情が多数存在する一方で,矛盾する証拠は見当たらないことからすれば,客観的証拠
からみても,被告人が本件殺人の犯人である蓋然性は相当に高いものと考えられるが,これらの証拠から認められる客観的事実をそれぞれ具体的にみれば,被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは,少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれているとまではいえず,そうすると,客観的事実のみから被告人の犯人性を認定するこ
とはできないとした。
当裁判所の判断の骨子
原判決が,それぞれの間接事実を認定したことに不合理なところはなく,それらの証明力の評価も,以下の点を除けば是認することができ,本件粘着テープの鑑定結果に関する判断も不合理とはいえない。しかし,前記②の本
件獣毛について,それが被告人の飼い猫のものと矛盾しないとする以上に,ミトコンドリアDNA型の出現頻度に基づき被告人の飼い猫のものである蓋然性が相応に高いとした証明力の評価は是認することができない。他方,前記⑦の本件手紙に記載された「事件」が何を指すのかは必ずしも明白とはいえないとして,「手紙の存在のみでは,被告人の犯人性を直接的に基礎付け
る事情とはなり得ない」とする判断も,是認することができない。その「事件」が本件殺人を指すことは明らかであり,犯人でないにもかかわらず,母
親に対し,自ら手紙を書いて,自分が本件殺人を犯したことを謝罪することは通常あり得ないものと考えられるから,被告人が本件手紙を作成したことは,被告人が殺害犯人でないとすれば合理的に説明することが困難というべきである。
また,原判決が,「客観的事実をそれぞれ具体的にみれば,(中略)被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは,少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれているとまではいえず」とした点は,認定した個々の間接事実のうちに被告人の犯人性について決め手となるものが存在しないことから,「客観的事実のみから被告人の犯
人性を認定することはできない」との結論を導いたもののように読めるが,そうであるとすれば,判例(最高裁平成19年(あ)第80号同22年4月27日第三小法廷判決・刑集64巻3号233頁)の趣旨にそぐわないもので,情況証拠によって認められる間接事実を総合して事実認定すべき場合の判断手法として不合理なものといわざるを得ない。また,仮に,原判決の趣
旨が上記のようなものでなかったとしても,本件獣毛及び本件手紙のそれぞれの証明力に関する判断を是正した上で間接事実を総合して判断した場合,原判決の上記結論は合理的なものといえず,これを支持することはできない。以上の判断の理由については,個々の間接事実に関する所論に対する判断を示す中で説明する。
Nシステムによる通行記録等について


当事者の主張
弁護人は,Nシステムで読み取った被告人車両の通行記録(原審甲2
08)に証拠能力を認めた原審の訴訟手続には法令違反があり,仮に同通行記録に証拠能力が認められるとしても,原判決は,その推認力を過大に評価して事実認定を誤っていると主張する。
すなわち,①Nシステムで読み取った通行記録は,それだけでは情報の正
確性が担保されているとはいえず,都道府県警察本部等が管理している原データと照合して,初めてその正確性が裏付けられ,自然的関連性が認められ得るのであり,②Nシステムの通過車両データに対する法的な取扱いを整備し,明らかにしないまま同データを証拠として用いることは,刑訴法全体の精神及び同法1条の趣旨からして許容されないのに,原審が,Nシステムで読み取った通行記録(原審甲208)に証拠能力を認めたことには,判決に影響を及ぼす訴訟手続の法令違反がある。また,③仮にNシステムによる通行記録が正確であったとしても,原審甲208号証から読み取ることができるのは,被告人車両が,平成17年12月2日午前2時20分にj町をk町
方面に通過し,その後,同日午前6時12分に同町を宇都宮市街方面に通過したという事実にすぎず,この事実から,被告人が,j町から40キロメートル以上離れた遺体発見現場に行ったという事実を推認することはできない,④原審甲208号証からは,本件通行記録の検索対象が栃木県及び埼玉県だけなのか,日本国内にあるあらゆるNシステムが検索対象になっているのか
は分からず,被告人の経路は特異なものとはいえない,⑤被告人が,平成11年ころから平成14年ころまでの間,茨城県内のB院で開催される骨董市に月1回の頻度で通っていた際の経路が第2地点や遺体発見現場に近い場所を通過するものであったことは,Nシステムによる被告人車両の通行記録の推認力を補強することはできない,⑥遺体発見現場に進入するための林道は
狭路であり,入口付近には草木が生い茂っているため,日中でも認識困難な場所であり(原審甲218添付の写真4),過去に遺体発見現場に行ったことのない被告人が,深夜に林道の存在を認識し,進入することは困難であり,同現場にはたどり着けない,などとして原判決には事実誤認がある,というのである。

これに対し,検察官は,①Nシステムが長年にわたり各種警察活動に利用されていることは公知の事実であり,昭和56年から約5年間,延べ数
千人がその開発に従事した上,昭和61年度から導入され,その仕組みは,全て機械的,自動的に処理されるものであるから,その信頼性には何らの疑念も見いだせず,証拠能力を認めた原判決に不合理はないとし,また,②当時の被告人方から遺体発見現場までは,鹿沼インター通り,宇都宮環状線北周り,国道123号線等を経由した場合,約78.7キロメートルであり,計測実験によれば,自動車での所要時間は1時間47分で,被告人車両は,第2地点を,東方向に平成17年12月2日午前2時20分,西方向に同日午前6時12分にそれぞれ通過しており,その間の3時間52分以内に第2地点と遺体発見現場を往復することは十分可能であり,この通行記録からは,
被告人が犯人であるとして矛盾しないといえる,③本件は,栃木県内で被害者が拉致され,その約1日後に茨城県内で遺体が発見された事案であって,犯人は犯行に自動車を使用した疑いが濃厚であり,相当広範囲の移動が可能であったことを念頭に,捜査に携わる者としては,Nシステムデータの照会に当たり,少なくとも栃木県及び茨城県に隣接するすべての県を検索対象に
入れるはずであり,現に埼玉県内での通行記録も認められる,④原判決は,遺体発見現場に関する被告人の土地鑑をもって被告人車両の通行記録の推認力を補強していると判断したものではなく,被告人が事件当日に遺体発見現場に行ったのではないかとの疑いを生ぜしめる間接証拠としたものである,として原判決には事実誤認はない,と主張する。


当裁判所の判断
そこで検討すると,原審甲208号証は,本件犯行当時における被告
人車両の通行記録をNシステムにより読み取ったデータを印刷した証拠物たる書面であり,本件との関連性を認め,これを採用した原審の訴訟手続に違法はない。
弁護人は,その自然的関連性を争うが,原審証人Eの証言によれば,Nシステムは,主に幹線道路に固定されたカメラで,通過する自動車のナンバー
付近を撮影し,コンピュータ処理でそのナンバー情報だけを文字情報として記録することが,機械的,自動的に行われるものと認められ,今日の我が国の技術的な水準の下において,その信頼性,正確性に基本的な疑いを生じさせるようなものではない。また,原審甲208号証は,同システムから機械的に抽出された結果と認められ,その作成過程で何らかの過誤や恣意的な加工が加わったことを疑うべき理由は存在しない。したがって,その自然的関連性を争う弁護人の所論は失当である。
また,Nシステムで読み取られた通行記録について,捜査に及ぼす影響等から警察庁の通達によって秘密保持が徹底され,刑事裁判の証拠として用い
ないこととされているとしても,それは内部的な規律にすぎず,具体的な事案において,それを秘匿することにより守るべき利益と,証拠とする必要性とを比較考量した上で,一般原則による禁止を解除し,例外的に証拠とするという処理を行うことが刑訴法により禁じられているものとはいえないし,そのようにして証拠請求する場合について,何らかの基準や規範が整備され
ていないからといって,原審甲208号証の取調べ請求が,刑訴法全体の精神又は同法1条の趣旨により禁止されるものとは解されない。また,Nシステムによる通行記録について,捜査機関が,通常,弁護人からの開示請求にも応じないとしても,本件の訴訟手続において,例えばアリバイ主張の裏付けとなるべき他の通行記録の開示には応じなかったなど何らかの不公正な措
置がとられたというわけでもないから,原審甲208号証の取調べ請求が,具体的な訴訟における信義則に反することはない。
したがって,上記証拠の採用決定に関し,訴訟手続の法令違反があるとする弁護人の所論は失当である。
次に,原審甲208号証の証明力について検討すると,本件の捜査に
当たり,被告人車両の通行記録について,拉致の行われた栃木県,遺体発見現場である茨城県及びその周辺につき調査したことは合理的に推定される。そして,被告人が,被害者を被告人車両で拉致して,当時の被告人方に運び,いずれかの場所で殺害した上,その遺体を遺体発見現場に投棄した疑いが問題となる本件において,被告人車両のNシステムに示された他の通行記録に照らしても,被告人が日常的に通行するとは認められない経路を深夜から未明の時間帯に走行していること,しかも,それらの通行が,日時及び場所のいずれの点でも,被害者が失踪した日の翌日で遺体が発見された日の未明に,当時の被告人方と遺体発見現場との間を往復し,その間に遺体を発見現場に遺棄したことと矛盾することなく整合するものであることが,被告人の犯人性を推認させる有力な間接事実であることは明らかである。したがって,上
記通行記録によって,被告人が遺体発見現場に行ったことが直接推認できるものでないことは所論のとおりであるとしても,上記通行記録を,被告人が犯人である蓋然性が高いことを推認させる事実の一つとした原判決の判断に不合理な点はない。
また,原判決が,茨城県内のB院で開催される骨董市に被告人らが月1回
の頻度で通っていた際に,第2地点や遺体発見現場に近い場所を通過するものであったことを,被告人の同現場付近に関する土地鑑を示す間接事実として認定した上で,Nシステムにより認められる被告人車両の通行記録と併せて考慮したことも,不合理とはいえない。
なお,弁護人が進入することが困難と主張する林道の入り口は,幅約2.
6メートルの舗装道路となっており(原審甲218),夜間でも自動車の前照灯で発見することに障害はないものと考えられる。さらに,弁護人は,被告人の土地鑑では遺体発見現場に到達できないなどというが,同所が山林内であることに照らせば,殺害犯人は,遺体の発見が困難と考えられる場所を求めて走行するうちに結果的に同所に至ったにすぎないと考えるのが相当で
あるから,殺害犯人が遺体発見現場を目的地として同所に至ったことを前提とする弁護人の所論は,その前提を欠く。
本件獣毛のミトコンドリアDNA型について

当事者の主張

弁護人は,本件獣毛に関するF教授の原審証言について,証拠能力及び証明力を争う。すなわち,同証言は,同教授が実施した鑑定(当審弁158。以下「F鑑定」という。)の結果に基づくところ,F鑑定は,①同教授が平成16年に発表した論文(当審甲20)とは異なるプライマーすなわちDNA断片を用い,②忠実度が低いPCR用酵素を用いて,クローン・シークエンシングを行って塩基配列を判定し,③多様性のあるリピート領域をミトコンドリアDNA型の判定に用いている。また,④猫のミトコンドリアDNA
型の出現頻度のデータの信頼性に疑問があり,⑤母系遺伝するミトコンドリアDNAについて,その地域的偏在性を考慮に入れていない,というのである。
これに対し,検察官は,弁護人の主張にはいずれも理由がなく,①本件におけるポイントは,第1に本件獣毛と被告人が飼っていた猫とのミトコンド
リアDNA型の異同,第2にこれが同じであった場合の出現頻度であって,所論指摘の点は,F教授の原審証言の証拠能力や信用性に全く影響を及ぼさない,②猫のミトコンドリアDNA型に地域的偏在性があることは否定できず,F教授が述べる出現頻度は,決して絶対的なものではないが,原判決も,地域的偏在性があり得ること,F教授のデータが570にすぎないことを前
提として判示しており,この点に事実誤認があるとはいえない,と主張する。イ
当裁判所の判断

原判決は,F鑑定に基づくF教授

イのよう

に認定したものであるところ,弁護人は,当審証人G准教授の見解を援用して,上記アのとおり,F教授の判断の信頼性を争うものである。そこで,上記各証拠のほか,F教授の当審証言,当審弁158号証,同160号証,当審甲21号証,同31号証も踏まえ,検討する。
当審弁158号証によれば,F教授による本件獣毛に関する鑑定は,資料のミトコンドリアDNAのチトクロームb遺伝子領域をPCR増幅して,その部分の塩基配列を調べ,猫の毛であると判定し,また,資料のDループ領域のうちのRS2領域をPCR増幅して,その部分の塩基配列を調べ,ミトコンドリアDNA型の判定をし,被告人の飼い猫から採取された毛のミトコンドリアDNA型との異同を調べ,同教授が従来行ってきた調査に基づき,判定したミトコンドリアDNA型の出現頻度を示したものである。このうち,前者の本件獣毛が猫の毛であるとする判定については,弁護人が依拠するG准教授も特に信頼性を争うものではなく,その所論①から⑤ま
での点を指摘して信頼性が争われているのは,後者のミトコンドリアDNA型の判定及びその出現頻度に関する点である。
そして,弁護人の所論は,F教授の原審証言の証明力に関連するものとはいえるが,以下のとおり,F証言の証拠能力を左右するような主張とはいえない。

すなわち,所論①及び②の点は,F教授が平成16年の論文を作成した際の手法と本件鑑定を行った際の手法が一部異なっていることを指摘するものであるが,F教授の当審証言によれば,F鑑定は,本件獣毛1本という限られた資料のミトコンドリアDNA型の判定を主眼として行われた鑑定であり,手法が一部異なるのは,研究として行われる場合に比べ,条件に制約がある
ことによるものと認められ,合理性のある措置といえ,学術論文の作成ではない刑事事件の鑑定において,従前の研究における手法と一部異なる手法をとったことが,その証拠能力を失わせることにはならないし,証明力に部分的な影響があるとしても,それを大幅に減殺するものともいえない。また,所論③の点は,G准教授の証言及び当審弁157号証によれば,F
教授が鑑定に用いたDループ領域のうちのRS2領域については,いわゆるヘテロプラスミー(同一個体の細胞内に,変異したミトコンドリアDNAが混在すること)によって高い頻度で遺伝子配列の変異が認められ,同一の個体においても,毛ごとにDNA型が異なる可能性があるから,同領域の遺伝子配列を分析することによって猫のミトコンドリアDNA型を判定することは危険であり,実際,F教授が検査対象とするRS2領域について,被告人の飼い猫から20本の毛などを採取して検査した結果,約5パーセントに変異が見られたというのである。
そこで検討すると,関係証拠によれば,猫のミトコンドリアDNAにおける塩基配列については,科学者の間で何通りかの方法による研究が行われていて,検査対象とする領域に違いがあるが,F教授による塩基配列の判定手
法も,そのうちの一つとして,変異が存在する領域について,多数のサンプルを調査し,同一個体においては安定的と認められる部分の塩基配列を調べるものと認められる。そして,同一個体において,ヘテロプラスミーによって複数のミトコンドリアDNA型が混在するとしても,鑑定資料と対照される資料との間でミトコンドリアDNA型が一致する限りは,両者が同一個体
に由来するとしても矛盾がないといえ,少なくとも,そのような判断を行う限度では,F教授による鑑定手法には定型的な信頼性があるといえる。そして,当審甲158号証によれば,本件獣毛のミトコンドリアDNA型の塩基配列を調べた際,F教授は,同時に,被告人の使用車両内から採取されたと推認される獣毛様のもの20本,被告人方の床から採取したと推認される獣
毛様のもの3本及び被告人の飼い猫の毛若干のミトコンドリアDNAの塩基配列を調べており,その結果,本件獣毛を含む合計24本のうち増幅産物を得られなかった3本を除く21本について,その全ての塩基配列が被告人の飼い猫のミトコンドリアDNAの塩基配列と同一であったと判定されていることが認められる。このような結果が偶然に生じたものとは考え難く,本件
獣毛が被告人の飼い猫に由来するとしても矛盾がないという点では,F教授による鑑定の証明力には疑いがない。
したがって,F教授の鑑定手法について,科学的原理の理論的正確性や,現に行われたミトコンドリア型判定の基本的な信頼性に疑いを抱くべき事情は見いだせず,それに基づくF教授の原審証言の証拠能力を争う所論は理由がなく,前記限度での証明力も認められる。
次に,所論④の出現頻度の点についてみると,従来,F教授により行われてきた猫のミトコンドリアDNA型の分類については,共同研究者はあるものの,それ以外の第三者による追試等が行われている状況はうかがわれず,分類された型の中に,G准教授が指摘するように,同一個体の中でヘテロプラスミーにより塩基配列に変異を生じた型を判定したものも含まれていた可
能性もないとはいえない。また,鑑定の時点におけるサンプル調査の数もなお570頭にとどまる。そうすると,F教授による型分けに基づく出現頻度については,少なくとも現時点においては,刑事裁判の証拠としての証明力を慎重に考えるのが相当と考えられる。
さらに,所論⑤の地域的偏在性の点についてみると,そもそも,ミトコン
ドリアDNAは,母系遺伝するものであるから,母猫の系統を共通にすれば型が同一になり,対照された資料の塩基配列が同一であることが確認されたとしても,それらが同一の個体に由来するものと判断することはできない。しかも,同一の母系に属する猫が地域的に偏在する可能性も否定できず,被告人の飼い猫は野良猫を拾ったものであったことも踏まえれば,これと同じ
ミトコンドリアDNAの塩基配列を持つ猫が本件事件のあった地域に多数存在した可能性も否定できない。
以上によれば,F教授の原審証言は,遺体から採取された獣毛様のものが猫の毛であり,これが被告人の飼い猫に由来するものとして矛盾しないという限度で証明力を認めるのが相当というべきである。

したがって,本件獣毛と被告人の飼い猫のミトコンドリアDNAの塩基配列が同一であると確認されたことの外,F教授の570頭のサンプル調査の結果に基づくその型の出現確率が0.53パーセントであったことに依拠して,「遺体から採取された獣毛様のものが,被告人の本件当時の飼い猫のものであるとして矛盾がないというに留まらず,これらが一致する確率はその出現確率からみて相当に低く,これが被告人の飼い猫のものである蓋然性は相応に高い」と評価し,ミトコンドリアDNA型の地域的偏在等があるので本件獣毛が被告人の飼い猫に由来するものとは認められないとしつつも,「被告人の飼い猫のものである蓋然性は相応に高い」とする原判決の判断は,証明力を慎重に評価すべきF教授による型分けに基づく出現頻度に依拠している上,同一のDNA型を有する猫の地域的偏在の可能性を適切に踏まえた
判断といえないから,是認することはできず,弁護人の所論は,その限度で理由がある。
遺体の右頸部の損傷について

当事者の主張

弁護人は,原判決は,原審証人H教授の証言等に基づき,被害者の右耳介の下方に3.5センチメートル間隔で生じている2対の損傷はスタンガンによるものであること,この傷が,被告人が本件当時所持していた電極の間隔が3.8センチメートルのスタンガンによって生じたものとして矛盾がないことが認められるとしたが,①スタンガンの電極先端の形状は,球状でなめらかであり,このような電極で表皮剥奪を発生させるためには,相当強い力
で被害者の頸部をこすらなければならず,被害者の右頸部に認められる表皮剥奪がスタンガンによるものであるとするH教授の証言は不自然,不合理であって信用することができず,②原審甲154号証のスタンガンは,被告人方から押収されたスタンガンの箱を手掛かりに,これと同型のスタンガンを購入したというのであり,同号証のスタンガンの電極の間隔が,被告人が本
件当時所持していたスタンガンの電極の間隔と同じかどうかは分からない,と主張する。
これに対し,検察官は,①H教授は,遺体の右頸部に認められた損傷について,2つの電極に応じた対となった損傷であること,電極が当たる部分が通電しないことにより白抜けの状態となるという特徴を有していること,その周囲は毛細血管が収縮して血液が染み出ることで皮下出血の発赤が生じることなどから,スタンガンの放電による損傷と判断したものであり,多数の症例に接して,これに関する論文発表まで行い,内外から意見を求められるなど,高度の知見を有するH教授による証言の信用性には何ら疑問はなく,②被告人が所有していたスタンガンと原審甲154号証のスタンガンとは商品名こそ違え,同種のものであることは明らかである,と主張する。

当裁判所の判断

そこで検討すると,原判決が認定したとおり,遺体の右頸部には,いずれも3.5センチメートル間隔の2対の損傷が存在したところ,そのような等間隔の2対の損傷が偶然に形成されたことは通常考え難く,その間隔に相当する突起部分を備えた成傷器が2回患部に当てられて形成された蓋然性が高いと考えられ,スタンガンはそのような突起部分を備えている。そして,スタンガンにより形成される傷害について専門的な知識と経験を有すると認められるH教授の原審証言に基づき,その特徴から,上記損傷がスタンガンの電極部分を当てられて通電されたことにより形成されたものと認めた原判決の判断に不合理なところは認められない。

さらに,被告人方から押収されたものがスタンガンの箱のみであったことを踏まえても,その箱に入っていたスタンガンを被告人が所持していたこと,I警察官が入手した本件証拠物のスタンガンは被告人が所持していたものの商品名を変えたものであることに基づき,遺体の右頸部の損傷が,被告人所有のスタンガンにより形成されたものとして矛盾しないとした原判決の判断
に不合理な点はない。
原判決が認定した前記

イ④から⑥までの事実について

拉致現場所在の可能性

弁護人は,原判決は,被告人が,平成17年12月1日午後1時58分頃にレンタルショップであるJに所在したことから,被害者が拉致された時間帯に拉致現場付近まで自動車で行くことが可能な場所にいたとするが,同所に自動車で行くことが可能な場所にいた者は無数に存在することが推測されるから,上記事実から被告人が本件殺人の犯人であると推認することは誤りである,と主張する。
原判決がJの貸出記録から認定した事実は,被告人が,平成17年12月1日午後1時58分頃にJに所在したことであり,その事実から,被告人が,
被害者が拉致された時間帯に拉致現場付近まで自動車で行くことが可能な場所にいたことを認定し,被告人に犯行の機会があったことを判示するものであり,被告人の犯人性を積極的に推認したものではないから,弁護人の所論は,検察官も主張するとおり,原判決の趣旨を理解しないもので,失当である。


不審車両の目撃供述

弁護人は,郵便局員Kは,目撃した自動車の特徴として白い4ドアセダンタイプの自動車とする以上の特徴を述べていないし,被害者と共に下校した女児らも「白色のボロイ車」「車の横が泥で汚れた古い白色のセダン車」を目撃したというだけであるから,以上の事実から,被告人が当時所有していた車両が平成4年式の白いセダン車であったことに基づき,被告人の犯人性を推認することは不可能である,と主張する。
これに対し,検察官は,女児らの目撃供述及びKの目撃供述を合わせ考えれば,白色4ドア自動車の運転者が,被害者を拉致した犯人である可能性は相当に高く,原判決は,その意味で不審車両としているのであるし,その特
徴が被告人車両と矛盾しないと判示しているにすぎず,弁護人の主張には理由がない,とする。
この点についても,検察官の主張が正当で,原判決は自動車の同一性を認定して被告人の犯人性を推認するものでなく,弁護人の所論は,原判決の趣旨を正しく理解しないもので,失当である。

拉致現場の土地鑑

弁護人は,被告人がC小学校及びD中学校に在籍したのは,せいぜい約15か月間にすぎず,その間も友達と活発に遊び回ることなどを通じて,周辺の土地鑑が養われるような素地はなかったのであるから,拉致現場付近の土地鑑を有していたとする原判決には事実誤認があり,拉致現場付近の土地鑑を有する者は無数に存在するから,被告人に拉致現場の土地鑑があったとし
て被告人の犯人性を推認することはできないのに,限定的とはいえ推認力を認めた原判決は,論理則,経験則に照らして不合理である,と主張する。これに対し,検察官は,合計15か月間同じ場所に居住すれば,周囲の地理に明るくなることは当然である上,被告人の供述調書(原審乙55)には,「今回Aちゃんをさらった細い道を含め,あそこら辺の裏道は,ほぼ全部知
っていました」などと録取されており,また,原判決は,被告人が拉致現場に関して土地鑑を有していることは,本件殺人の犯人であることと整合的であるとしているにすぎず,弁護人の主張には理由がない,と主張する。原判決は,被告人の犯人性に関わる間接事実の一つとして,現場付近に1年以上も通学したことのある被告人に拉致現場に対する土地鑑があったこと
を認定するものであり,しかも,そのことをもって積極的に被告人の犯人性を推認したものではなく,その判断に論理則,経験則等に照らして不合理な点はない。

推定される犯人像との整合性

弁護人は,犯人による被害者に対するわいせつ行為の存在を積極的に基礎付ける客観的証拠は一切存在せず,ナイフや猟奇的殺人の動画を所持している人物が,直ちに実際の殺人事件を引き起こす必然性は全く存在せず,これらを所持していたことを本件殺人の犯人性を推認する事実とすること自体が,論理則,経験則に照らして不合理である,と主張する。
原判決は,検察官もその旨を述べるとおり,所論指摘の点も踏まえ,本件殺人の犯行から推認される犯人像と被告人が整合的であるとするものであり,被告人の犯人性を積極的に推認しているわけではないから,弁護人の所論は原判決の趣旨を理解しないもので,失当である。
本件手紙について

原判決の判断の要旨

原判決は,被告人が,本件殺人の取調べが開始された直後に,実母に対して「事件」を起こしたことを謝罪する本件手紙を送っていることを認定し,留置担当警察官に書き直しを命じられ,言われるままに記載したために手紙の内容が支離滅裂となったとする被告人の弁解は,不自然・不合理であって信用できないとした上,「その記載内容をみても,被告人が公判廷で述べるような,商標法違反事件について,あるいは,やってもいない本件殺人の自
白調書に署名してしまったことについて,実母に謝罪する趣旨の内容であると読み取ることは困難である一方,これが本件殺人を自ら引き起こしたことを謝罪する内容であるとすれば,その発出時期や記載内容とも整合的であるといえる」とする。
しかし,これに引き続き,原判決は,「しかしながら,手紙の記載内容の
みからでは,「事件」が何を指すのかは必ずしも明白とはいえないから,被告人が本件殺人を自認するものと断定することはできず,この手紙の存在のみでは,被告人の犯人性を直接的に基礎付ける事情とはなり得ない」として,本件手紙の存在を「犯人が被告人であることと整合的と評価できる事情」の一つにとどめている。


当事者の主張

弁護人は,事件後の被告人の言動は,多義的な解釈の余地があるのが通常であり,その推認力は慎重に判断されなければならない,とした上,原判決の上記ア前段について,多義的な解釈が可能であるにもかかわらず,特段の理由も示さずに,判断者の主観で一方的に決めつけ,有罪方向への推認力のみを働かせている,と論難する。
これに対し,検察官は,原判決の上記ア後段及びこれを援用する弁護人の主張に対し,本件手紙における「事件」が本件殺人を意味することは,手紙の文面自体からでも,ほぼ確定的に読み取ることができ,そのことは,Y検察官の証言等により裏付けられている,と主張する。

当裁判所の判断
原判決が,前記ア前段のように判断しながら,同後段で「本件手紙の
記載内容のみからでは,「事件」が何を指すのかは必ずしも明白とはいえない」と評価した理由は判然としないが,本件手紙が持ち得る証拠価値に照らせば,その内容が真に犯行を自認するものといえるかどうかを慎重に検討しようとすること自体は正当である。しかし,本件手紙について問題となるのは,その作成により,被告人が,本件殺人の犯行を行ったことを母親に謝罪したと認められるかどうかであり,本件手紙を受け取った母親やそれを読む第三者が,その記載内容のみによって,「事件」の趣旨が本件殺人を意味すると理解できるかどうかではない。そして,手紙の文言の意味について,その記載内容に加え,作成当時の状況等も併せて解釈することが,文言の客観
的な解釈に反するわけではない。したがって,本件手紙にいう「事件」が本件殺人を指すものかどうかについて,原判決のように,「手紙の記載内容のみから」判断しようとすることに合理的な理由はないというべきである。そこで,以上のような観点から,本件手紙の趣旨を検討すると,本件手紙には冒頭で「こんなに親不孝な息子でごめんなさい」などとする謝罪文
言に続き「中に入っている間,今回でその間がもしばれなかったら,うまれかわろうと思ってたげと(「けど」の誤記と思われる。)……ておくれ……今まで,本当のちゃんとした親孝行をしてこなかったことを,今ははけしく(「はげしく」の誤記と思われる。)後悔しています」と記載され,次の段落に,自分がちゃんと働き始めれば,偽ブランドの販売などしなくてよかったとして謝罪した後,「今回,自分で引き起こした事件,お母さんや,みんなに,めいわくをかけてしまい,本当にごめんなさい,僕がした事は,世間やマスコミなどは,お母さんの育て方が悪いとかいうと思うげと(「けど」の誤記),でも,お母さんは何一つ悪くありません,お母さんは,しっかりと,僕を育てました,僕が自分の意思で,自分で,まちがった選択をしてしまったのです」などと記載されている。

このうち,前段の記載については,被告人が,商標法違反で起訴された当日である平成26年2月18日の午前中に,Y検察官から本件殺人につき取調べを受け,その犯人であることを認める簡略な供述調書(当審弁17)の作成に応じたことに符合しており,その趣旨は,上記事件で勾留中に本件殺人について発覚しなかったら,生まれ変わろうと思っていたが,もはや手遅
れであるという趣旨と認められる。また,後段の記載のうち「今回,自分で引き起こした事件」という文言は,「自分で引き起こした」という以上,母親と共同で行った商標法違反事件を指すとは考えられず,「僕が自分の意思で,自分で,まちがった選択をしてしまった」と記載されていることからしても,自分が単独で行った事件を指すものと理解され,しかも,被告人がそ
れを行ったことについて,世間やマスコミなどが,母親の育て方が悪いと言うと思うというのであるから,それだけ重大な事件であるということになり,前段の記載と併せ,本件殺人を指すものと読むのが合理的であり,関係証拠上,他に被告人が起こした事件として想定し得るものはない。
そして,最後の段落は「こんな親不孝な息子で本当にごめんなさい,もう,
息子じゃないと思われてもかまいません,あんな事をしてしまって,本当にごめんなさい,こんな親不孝な息子でも,お母さんの残りの人生を大事に過ごしてほしいです,お体をお大事に」と結ばれている。
この記載は,それ以前の記載内容と併せれば,本件殺人を犯すという親不孝をし,その罪の重さにより将来にわたって親孝行をする機会がなくなったなどという気持ちから,母親に謝罪するものと理解することができる。しかも,Y検察官の原審証言によれば,被告人は,同月21日の取調べにおいて,被告人が本件殺人の犯人であることが公になれば,マスコミに報道されるなどして,姉や母に大きな迷惑が掛かることが気になるので,姉と面会して大変なことをしたことを告げた後でなければ供述することができない旨を説明したことが認められ,そのような時期に作成された本件手紙が,同
月24日に被告人と接見した姉を介して母親に渡されたものである。上記被告人の言動やその後の経過は,本件手紙の趣旨を前記のように理解することと極めてよく整合するものである。
そして,本件手紙において「事件」の内容が具体的に記述されていないことは,商標法違反事件で共同被告人となっている母親宛ての手紙であること
や,被告人自身としても具体的に記述しづらいことなどによるものと合理的に考えることができる。
以上によれば,本件手紙にいう「事件」が本件殺人を意味するものであることは明らかであって,弁護人が主張するように,多義的な解釈の余地があるなどとは到底いえない。すなわち,本件手紙の趣旨は,本件殺人について
取調べを受けて犯行を自認し,供述調書(当審弁17)の作成に応じた被告人が,さらに供述を求められる中で,自分が殺害犯人であることが公になれば,母親らに大きな迷惑が掛かるので,その前に本件殺人を犯したことを謝罪したいと考えて作成したものと認められる。
これに対し,弁護人は,本件手紙において被告人が謝罪しているのは,
それまで働いていなかったことと,Y検察官の取調べの際,やっていない殺人の事実を認める供述調書(当審弁17)に署名をしてしまったことであると主張する。そして,最初,自分の言葉で謝罪の手紙を書いたが,看守に事件のことが詳しく書いてあるからこの内容ではだめだといわれ,マジックペンで黒塗りにされてしまい,書き直しを命じられた,内容が分からなくなってしまったと看守に訴えると,看守から手伝ってあげるから書きなさいよと言われ,言われるがまま文章を書いていったもので,そのために内容が支離滅裂になった旨をいう被告人の原審及び当審における公判供述には信用性があるという。
しかし,本件手紙は,前記のように,文面そのものからして,その趣旨を理解することに困難はなく,支離滅裂な内容とはいい難いのであって,前記
2月21日のY検察官による取調べの際の被告人の言動等とも
極めて整合的な内容として理解できるものである。また,被告人が働いていなかったことを謝罪する箇所は確かにあるが,それは,働いていれば偽ブランド品を売る必要もなく,「今の情況にはならなかったと思う」ということ,すなわち商標法違反事件で検挙され,その中で本件殺人について追及される
こともなかったという文脈で無理なく理解することができる。そして,働いていなかったことの謝罪とは別に,被告人が,「今回,自分で引き起こした事件」について,母親に謝罪していることは前記のとおり明らかであって,その文言や「僕が自分の意思で,自分で,まちがった選択をしてしまった」という文面から,被告人が働かなかったことや,当審弁17号証に署名,指
印したことを謝罪する趣旨を読み取ることは困難である。さらに「中に入っている間,今回でその間がもしばれなかったら,うまれかわろうと思ってたけど……ておくれ」という記載の趣旨について,前記所論とつじつまの合う説明は全くされていないし,「あんな事をしてしまって,本当にごめんなさい,こんな親不孝な息子でも,お母さんの残りの人生を大事に過ごしてほし
いです,お体をお大事に」という締めくくりの文言についても,殺害行為そのものでなく,上記供述調書に署名,指印してしまったことをいうものとする弁護人の主張は明らかに不合理である。また,本件手紙が弁護人の主張するような理由で書かれたものとすれば,供述調書に署名するに至った事情を説明し,真実は犯行を行っていない旨を伝えるのが通常と考えられるが,本件手紙には,それらのことをうかがわせる記述は一切存在しない。被告人は,当初書いた手紙が黒塗りにされ,内容が分からなくなり,看守に言われるがまま文章を書いた旨をいうのであるが,母親に伝えるべき重要な事柄を記載したはずの手紙について,黒塗りにされて書くべき内容が分からなくなって,看守の言うとおりの内容を書いたというのは,それ自体が著しく不合理である。さらに,仮にそのような状況で作成され,記載内容が本来の趣旨と変わ
ってしまったのであれば,手紙を母親に渡す意味はなくなったはずであるが,それにもかかわらず,作成した本件手紙を接見した姉に託して母親に渡したことも不合理といわざるを得ない。
また,弁護人は,今市警察署留置管理係長であった原審証人Lは,原審公判において,本件手紙の発信を検査する際に,国家公安規則や栃木県警察留
置管理規程に従い捜査主任官の意見を聴取しなければならないのに,それらの規程は知らず,捜査主任官に対する意見聴取をせずに発信の是非を判断したと証言しており,これは,捜査主任官から,信書の発受の当否に関する意見を超えた指示又は要望を受けたため,それを隠す目的で不自然,不合理な証言をしたと考えられるという。

しかし,L証人の供述内容に留置管理業務に関する規程に反するところがあったとしても,そのことが記載内容を指示した事実はないとする供述部分の信用性に疑いを抱かせるものとはいえず,所論は牽強付会というほかない。前記のとおり,本件手紙の内容は,その作成前における被告人の言動等と整合的であり,捜査主任官が,そのような内容の手紙を被告人に書かせること
によってねつ造するということも非現実的である。
なお,被告人は,当審において行われた被告人質問で,本件手紙を作成した直前におけるM警察官の取調べで被害者に対する謝罪文言を繰り返し言わされたことにより,自分が犯人であるような気持ちになった旨を供述し,弁護人は,そのために本件手紙の記載が本件殺人を行ったようなものになった旨を,当審の弁論において主張している。しかし,そうであれば,本件殺人の犯人であることを告白し,その親不孝を謝罪する気持ちで本件手紙を書いたということになるはずであるが,原審において,そのような供述や主張は一切されておらず,以上のとおり検討してきた従前の主張と両立し得ない新たな主張であって,採用する余地はない。
以上のとおり,本件手紙にいう「事件」が本件殺人を指すことは明白
であるにもかかわらず,手紙の記載内容のみからは「事件」の趣旨が必ずしも明らかとはいえないとして,「この手紙の存在のみでは,被告人の犯人性を直接的に基礎付ける事情とはなり得ない」とした原判決の判断は,その前提及び内容において不合理であって,是認することはできない。
そして,被告人が自主的に作成した母親宛の手紙であることや,その後本
件自白供述が行われるまでに長期間が経過していること等を踏まえれば,本件手紙には,本件自白供述とは独立した証拠価値があるというべきである。すなわち,前記のとおり,商標法違反の容疑で勾留中,その起訴がされる直前に,Y検察官によって,本件殺人に関する取調べが初めて行われ,犯行を自認する供述調書(当審弁17)が作成されたことが契機となってはいるも
のの,本件手紙は,その後,被告人が自らの意思によって作成したものと認められる。被告人が,取調官によって,本件手紙を書くように強いられ,あるいは,その偽計等により書かされたというような状況はうかがえない。また,被告人は,本件手紙の作成後,本件殺人について,商標法違反による起訴後の勾留中に1か月以上にわたる取調べを受けているが,その間,殺害の
事実やその態様等につき供述することを基本的に拒んでおり,その後,本件殺人に関する取調べが中断された約50日間を挟んで,本件殺人の容疑で逮捕,勾留された後に本件自白供述をするまでには,本件手紙の作成から3か月以上が経過しているものである。
結局,本件手紙は,被告人がその意思に基づき作成したものであることに疑いがなく,犯人でないにもかかわらず,母親に対し,本件殺人を犯したことを謝罪するということは通常はあり得ないものと考えられ,何らかの例外的な事情があったこともうかがえないから,被告人が殺害犯人でないとすれば,被告人が本件手紙を作成したことを合理的に説明することは困難である。間接事実の総合評価による判断
弁護人は,以上の間接事実を個別に分析しても,そのどれもが被告人の犯
人性に対する推認力を有しないか,極めて微弱な推認力しか有しないものばかりであり,これらを積み重ねて複合的に評価しても,推認力は認められないにもかかわらず,客観的証拠からみても,被告人が本件殺人の犯人である蓋然性は相当に高いとする原判決には,重大な事実誤認があると主張する。しかし,前記のとおり,被告人が日常的に通行するとは認められない経路
を深夜から未明の時間帯に走行していること,しかも,その通行が,日時及び場所のいずれの点でも,事件のあった頃に,当時の被告人方と遺体発見現場との間を往復し,その間に遺体をその発見現場に遺棄したことと矛盾することなく整合するものであることは,被告人の犯人性を相当程度推認させるものといえる。また,被害者が平成17年12月1日の下校中に失踪した際
に付近で目撃された古い白色セダン車が当時の被告人車両と似ており,その運転者であった若い感じの男と被告人とは特徴が矛盾しないことと,拉致行為が行われた時刻の前に被告人が所在していた場所からして,被告人が被害者の失踪した時点にその場所に自動車を運転して赴くことが可能であったこととを併せれば,被告人が拉致行為を行った可能性が相応に推認される。さ
らに,遺体から採取された獣毛が被告人の当時の飼い猫に由来するものとして矛盾しないことは,被告人が被害者を当時の被告人方に連行した可能性を示し,被告人には,拉致現場及び遺体発見現場付近に土地鑑があることは,拉致行為及び遺体の遺棄行為が被告人によるものと推認しても不合理でないことを示し,遺体の頸部に当時被告人が所持していたスタンガンの電極を当てたことによって形成されたとして矛盾のない傷があることは,被告人が本件の際にスタンガンを被害者の頸部に当てた可能性を示し,当時7歳であった被害者の胸部を10回以上にわたりナイフ様の刃物で突き刺して殺害したという犯行態様は,児童ポルノ画像や猟奇的殺人の動画に興味を持ち,ナイフを収集していた被告人によるものとして特に違和感を覚えさせるところはないものである。そして,弁護人の指摘する,本件粘着テープ等の鑑定によ
り判定されたDNA型の点については次に検討するとして,その点を除けば,以上の間接事実に基づいて,被告人が殺害犯人であると推認することと矛盾し,あるいはその推認に疑いを生じさせる事情に関する主張や証拠は存在しない。このように,事件当時の被告人車両の通行記録という,被告人の犯人性を相当程度推認させる間接事実が存在し,他にも,被告人が犯人である可
能性を示し,あるいはこれと矛盾しない多数の間接事実が存在し,かつ,これらの事実が相互に独立したものであって,反対に被告人を犯人とすることに疑いを生じさせる事情が見当たらないことは,被告人が犯人である蓋然性が相当に高いことを示すものといえる。
以上のとおり,情況証拠によって認められる間接事実を総合すると殺害犯
人である蓋然性が相当に高いと認められる被告人が,本件殺人の取調べを受けるようになった直後の時期に,本件殺人を行ったことを母親に謝罪する本件手紙を作成したことは,被告人が殺害犯人でないとすれば,合理的に説明することは極めて困難というべきである。
したがって,本件粘着テープ等の鑑定により検出されたDNA型の点で,
被告人を殺害犯人とすることに合理的な疑いを生じることがない限り,殺害犯人と被告人との同一性が認められる。
そこで,次に,本件粘着テープ等から判定されたDNA型について検討し,被告人を犯人と認定することに合理的な疑いがあるかどうかにつき判断する。3
本件粘着テープ等から検出されたDNA型に関する所論について
本件粘着テープに関するDNA型鑑定について


原判決の要旨等について

原判決は,本件粘着テープにつき栃木県警察本部刑事部科学捜査研究所で行われたDNA型鑑定,すなわち鑑定人Nによる第1回鑑定,鑑定人Oによる第2回,第3回鑑定(原審職14,16,18。以下,3件の鑑定を合わせて「粘着テープ鑑定」という。)のうち,第2回,第3回鑑定では,本件粘着テープから被害者のDNA型とは一致しない複数のDNA型が検出されていることについて,「これらは,いずれも鑑定人N及び同Oに由来するDNA型として十分に説明が可能なものであり,鑑定を実施する過程で鑑定人に由来する細胞組織が資料に混入した蓋然性が高いものと認められる」とした上,第2回鑑定で検出された鑑定人N及び被害者のいずれにも一致しない
DNA型は真犯人に由来する可能性が高い,などとする原審弁護人の主張を,次のとおり判示して排斥した。
すなわち,原判決は,第2回鑑定において検出された被害者及び鑑定人Nのものとしては説明できない2つの型は,被告人に由来するものとしては説明できないが,鑑定人Oに由来するものとして矛盾はなく,そもそも検出さ
れたDNA型が一部の座位にとどまり,2座位でそれぞれ1つの型が検出されたにとどまるものであることからすれば,第三者の細胞組織が混入した可能性も厳密には排除はできないものの,これが殺害犯人に由来するものである蓋然性が高いと判断することもできないとした。
原判決の上記判断に,論理則,経験則等に照らして不合理なところはなく,
この結論は,当審における事実取調べの結果を踏まえても,左右されない。イ
当事者の主張
弁護人は,原判決後に証拠開示を受けた,粘着テープ鑑定の際に作成されたエレクトロフェログラムを精査すると,同鑑定において型判定されたもの以外のDNA型(アリル)を読み取ることができ,それは真犯人に由来するものである可能性が高い,と主張する。
これに対し,検察官は,本件粘着テープは,不特定多数人とのコンタミネーションを起こしている可能性があるので,粘着テープ鑑定のエレクトロフェログラムに現れているアリルには,犯人以外のものも含まれている可能性が高く,その鑑定結果は,被告人の犯人性の積極的な証拠にもならなければ,消極的な証拠にもなり得ない,と主張する。


当裁判所の判断
そこで検討すると,当審で取り調べた関係証拠によれば,粘着テープ
鑑定の際に作成されたエレクトロフェログラムには,検出限界値を150RFU以上とし,同一の型が複数回検出されることを条件とする同鑑定で型判定されたもの以外にも,型判定の基準を満たさないピークを示す箇所が幾つか存在することが認められる。しかし,次に述べるように,上記ピークが殺害犯人に由来する可能性が高いとする弁護人の主張には理由がない。本件粘着テープが遺体の後頭部に付着した状態で発見されていることや,粘着テープを貼った痕跡として矛盾しないものが遺体の顔面等に認められることからすれば,本件粘着テープは,殺害犯人が犯行の際に使用した粘
着テープの一部が遺留されたものである蓋然性が高いと考えられる。しかし,犯行の際に犯人が遺留した蓋然性が高い資料であることと,その資料から犯人の細胞組織が検出されるはずであると考えることの間には飛躍がある。すなわち,遺体の表面を拭うなどして採取された資料等に関するミトコンドリアDNA型鑑定に関する箇所で後に詳述するとおり,DNA型鑑定は,犯行
現場等で採取された資料から検出されたDNA型と容疑者のDNA型の異同を判定するものであるが,上記資料が犯人に由来するものであるかどうかについては,何ら証明力を持たないものである。したがって,DNA型鑑定の資料が犯人に由来するものであることは,当該鑑定以外の証拠により判断する必要がある。例えば,被害者の身体や衣服から採取された精液又は血液で,かつ,そのDNA型が被害者のものと一致しない資料のように,その性質,遺留状況等から,犯人の遺留した細胞組織である蓋然性が高いと認められる資料の場合には,そのことによって,検出されるDNA型は犯人に由来するものと推認される。しかしながら,本件粘着テープの場合には,そもそも,その表面に殺害犯人の細胞組織が付着していたかどうかが問題となるものであって,次に判示するとおり,その蓋然性が高いとは認められない。しかも,
後述のように粘着テープ鑑定が行われる以前にコンタミネーションが生じていた可能性が高いから,その資料からは,被害者及び鑑定人以外には,殺害犯人に由来するDNA型しか検出されないはずであると考える合理的な理由もない。したがって,被害者又は鑑定人のものと一致しない型判定基準外のDNA型が,殺害犯人に由来するものである蓋然性が高いとはいえない。
そもそも,関係証拠によれば,粘着テープ鑑定の資料にDNA型の判定が可能な状態で殺害犯人の細胞組織が付着していた蓋然性が高いとはいえない。すなわち,上記付着があったといえるためには,①殺害犯人が,手袋をしない状態で本件粘着テープに触れるなどし,②そのことにより,殺害犯人の手指等の細胞組織が本件テープの表面に付着し,③それが,粘着テープ鑑定の
資料に,DNA型の判定が可能な状態で残されていた,という条件がいずれも満たされなければならない。
しかし,上記①の条件については,関係証拠上,殺害犯人が粘着テープを使用した際に手袋を使用していなかったかどうかは不明である上,本件粘着テープが遺体の後頭部に付着した状態で遺留された機序も不明であり,使用
した粘着テープのうちの本件粘着テープの箇所に殺害犯人の手指等が直接触れた蓋然性が高いと考える合理的な理由はない。しかも,当審証人Pの証言によれば,遺体が発見された日の翌日である平成17年12月3日,茨城県警察鑑識課において,本件粘着テープを資料として,特に粘着面に留意して指紋検出を試みたが,指紋検出には至らなかったことが認められる。これは,殺害犯人が本件粘着テープに指紋を残すような態様で触れてはいなかったことを示すものということができ,手指等の接触がそのようなものであれば,接触したとしても,細胞組織が付着した蓋然性が高いとはいえない。前記②の条件については,当審証人Q医師の証言によれば,痴漢事件に関する研究として,手の接触により細胞組織が接触先に付着するかどうか実験したところ,細胞組織が付着する可能性には個人差が大きく,軽い接触でも
付着する者と,強く接触しても全く付着しない者があるということである。そうすると,手指等を触れることにより接触先に細胞組織が付着するのが通常であるとはいえず,指紋検出ができなかったことに照らしても,殺害犯人が本件粘着テープに手指等を直接触れたとしても,その細胞組織が本件粘着テープに付着した蓋然性が高いと考えることは合理的といえない。
以上の①②の各条件が満たされたと仮定しても,本件においては,さらに前記③の条件も問題になる。すなわち,前記P証言によれば,平成17年12月3日に行われた指紋検出の際には,その手法としてエマルゲンブラック法が採用され,その検出作業において,水道水,四三酸化鉄及びエマルゲンという化学物質を入れた容器に資料を浸し,刷毛で拭って四三酸化鉄を付着
させるなどの作業が何度か繰り返されたことが認められる。そうすると,仮に,本件粘着テープが遺体から採取された時点では犯人の細胞組織が付着していたとしても,上記指紋検出の作業の過程で型判定不能となり,その状態で粘着テープ鑑定が行われた可能性も否定できない。
以上の3つの条件がいずれも満たされ,粘着テープ鑑定の資料に殺害犯人
の細胞組織が型判定の可能な状態で付着していた蓋然性は,相当に低いものと考えられる。
加えて,前記P証言によれば,本件粘着テープからの指紋検出の作業をした際,DNA型鑑定を想定してコンタミネーションを防止する措置が取られていなかったというのである。弁護人は,DNA型鑑定が当時から一般的な捜査手法であったことに照らせば,その証言は信用できないなどというが,捜査は常に遺漏なく行われるものと考える合理的な理由はなく,P証人の供述の信用性に疑いがあるとはいえない。そうすると,それまで繰り返し使用されていた器具等に付着していたDNAやその断片が,指紋検出作業の際に本件粘着テープに付着した可能性が認められ,それらがエレクトロフェログラムで確認されたアリルであるとして不合理なところはなく,本件粘着テー
プから検出された被害者又は鑑定人に由来すると認められるもの以外のDNA型は,殺害犯人に由来する蓋然性が高いものと推認することはできない。エ
以上のとおり,粘着テープ鑑定により判定された各DNA型は,被害
者及び鑑定人に由来するものとして矛盾せず,殺害犯人に由来する蓋然性が高いとはいえないとする原判決の判断に不合理なところはなく,また,その際に作成されたエレクトロフェログラムに現れた型判定基準外のピークについても,それが殺害犯人に由来するDNA型を示す蓋然性が高いと考える合理的な理由は見いだせず,被告人を殺害犯人と推認することに合理的な疑いは生じないから,その旨をいう弁護人の所論は失当である。
遺体の表面を拭うなどして採取された資料等に関するミトコンドリア
DNA型鑑定について

当事者の主張

弁護人は,蒸留水を含ませたガーゼで遺体の表面を拭うなどして採取された多数の資料につき警察からR教授に委嘱して行われた4件のミトコンドリアDNA型の鑑定(当審弁166,167,168,176。以下,4件の鑑定を合わせて「R鑑定」という。)によれば,被告人,被害者,捜査関係者以外の,第三者のミトコンドリアDNA型が検出されており,それは真犯人に由来するものである可能性が極めて高いと考えられる,と主張する。これに対し,検察官は,R鑑定について,その資料から検出されたミトコンドリアDNA型は,被害者が,本件被害に遭う前に接触するなどした人物や,捜査関係者の細胞組織に由来する可能性があり,それが犯人のものであるとするのは早計である,そもそも,ある人物が他人の皮膚に触れた場合に,必ずしもその体表にDNAが付着するわけではなく,その部分に付着したとしても,別人のDNAが大量に付着すれば,検出されるのは後者のDNA型となるのであり,弁護人の所論は理由がない,と主張する。

当裁判所の判断
ミトコンドリアDNAは母系遺伝するものであるから,その点を踏ま
えつつ検討すると,犯人と容疑者の同一性の立証において,DNA型鑑定が果たす役割は,遺体や犯行現場等から採取された資料(以下「現場資料」という。)と容疑者による資料とのDNA型の異同を判定することである。その結果,現場資料と容疑者による資料の型が一致する場合(一致事案)と現場資料と容疑者による資料の型が一致しない場合(矛盾事案)に分かれる。そして,現場資料が犯行の際に犯人の遺留したものと認められる場合,ミトコンドリアDNA型鑑定における一致事案では,現場資料が容疑者に由来するものとしても矛盾しないと認められ,矛盾事案では,現場資料は容疑者に由来するものでなく,容疑者は犯人でないと認められることになる。
しかし,以上は,関係証拠により現場資料が犯行の際に犯人の遺留したものと認められることが前提であり,その前提について,DNA型鑑定そのものは,何ら証明力を有しない。現場資料が犯行時に犯人の遺留したものであるかどうかが不明である限り,一致事案,矛盾事案のいずれにおいても,容疑者の犯人性について,DNA型鑑定は積極,消極のいずれの方向にも証明
力を有しない。
例えば,現場資料が,被害者の身体や着衣に付着した精液や血液で,そのDNA型が被害者のみならず,容疑者とも一致しないことにより,容疑者は犯人でないと認められる場合があるが,それは,その性質及び遺留状況等に照らし,現場資料が犯行時に犯人により遺留されたものである蓋然性が高いと認められるからである。
したがって,本件のように,他の情況証拠によって犯人と被告人との同一性が推認される事案において,現場資料と被告人とのDNA型が一致しないからといって,その事実だけで,被告人を犯人と認めることに疑いを生じることにはならない。このような場合,現場資料が犯行の際に犯人が遺留したものである蓋然性が,被告人を犯人と認めることに合理的な疑いを生じさせ
る程度に高ければ,被告人を有罪とすることはできないことになる。結論として,R鑑定により検出された被害者や捜査関係者等と型の一致しないミトコンドリアDNA型が真犯人に由来するものである可能性が極めて高いとする弁護人の主張には理由がなく,R鑑定の資料に本件犯行の際に犯人が遺留したものが含まれている蓋然性は,被告人を殺害犯人と認めること
に合理的な疑いを生じさせる程度に高いとはいえない。
そのように判断する理由は,以下のとおりである。
本件遺体の創傷等に関する関係証拠から推定される殺害行為の態様は,被害者の胸部をナイフ様のもので多数回突き刺すというもので,その間,被害者が抵抗するなどした様子はうかがえず,そのような犯行態様から,殺害
犯人の細胞組織が被害者やその遺体の体表に付着する蓋然性が高いと考えることはできない。また,遺体の後頭部には本件粘着テープが付着しており,その顔や腕などに粘着テープを巻いた跡として矛盾しない痕跡が認められることから,殺害犯人は,犯行の際に,被害者の身体に粘着テープを巻いた蓋然性が高いと考えられるが,そのような行為の際に,殺害犯人の細胞組織が
被害者の身体に付着する可能性がないとはいえないとしても,その蓋然性が高いとはいえない。
R鑑定は,遺体の表面を拭うなどして採取された資料に基づき,ミトコンドリアDNA型の判定を行ったものであるところ,一つの細胞内には数百個のミトコンドリアが存在し,それぞれに数個のDNAがあるため,一つの細胞の核内に1個のみ存在する核DNAを用いる場合よりも,はるかに少量の細胞組織でDNA型の判定が可能であり,理論上は,1個の細胞組織からでも,増幅により,ミトコンドリアDNA型の判定は可能とされる。R鑑定においては,資料とされた6本の毛髪様のもののうち2本につき鑑定が不能であったほか,遺体の前頸部及び後頸部から採取した微物2点及び遺体の様々な箇所を拭ったガーゼ片等の鑑定資料合計48点のうち,29点
はPCR増幅が不可能,1点は解析が不可能であった。R教授は,その原因は,量的に分析可能なDNA量が抽出できなかったことによるものと考えられるとしている。このように,R鑑定における鑑定資料のうちミトコンドリアDNA型を判定することができたのは一部にとどまることは,型判定が可能であったものを含め,各資料に含まれる細胞がかなり微量であったことを
示すものと考えられる。
そして,R鑑定の資料については,犯人に由来するミトコンドリアDNA型が検出されたものと推認する根拠が,粘着テープ鑑定の資料以上に希薄であるといえる。
すなわち,既に判示したように,本件粘着テープについては,遺体の後頭
部に付着していたという発見状況や殺害犯人が粘着テープを使用した蓋然性が高いことにより,それが犯行の際に犯人の使用した粘着テープの一部が遺留されたものである蓋然性が高いと考えられるから,粘着テープ鑑定の資料と殺害犯人とを結び付ける事情が認められる。しかし,R鑑定の場合には,水を含んだガーゼ等で遺体の体表を拭うなどして採取したものが資料とされ
たにすぎないから,それらの資料と殺害犯人との結び付きを認めることにつき,その基礎となる事情は認められない。現場資料が,被害者の身体や着衣に付着した精液や血液であるような場合とは,根本的に事情を異にする。そして,R鑑定の資料から検出された単独のミトコンドリアDNA型のうち4種類が被害者の型と異なるが,さらに9個の資料から複数のミトコンドリアDNAが混在して検出されていて,これらの混在型の中には,単独で検出された型には含まれない変異も含まれている。そうすると,R鑑定の資料から判定されたミトコンドリアDNA型には,被害者以外の者に由来するものが多数含まれていたことが明らかである。これは,既に述べたように,わずかな量の細胞組織からでもミトコンドリアDNA型の判定が可能なことが関係しているものと思われる。

すなわち,R鑑定の資料で型判定されたミトコンドリアDNAは,①被害者に対し,その生前に接触した者,②遺体の遺棄行為を行った者,③遺体の発見,収容,移送などに関与した者,④遺体からR鑑定の資料を採取した者,⑤採取されたR鑑定の資料を扱った者のいずれかに由来する可能性があるものと考えられる。このうち②の遺棄行為を行った者は殺害犯人と同一である
蓋然性が非常に高いが,③から⑤までは殺害犯人以外の者である。また,①の被害者に生前に接触した者には,殺害犯人も含まれるが,前記のような殺害行為の態様等に照らし,検出されたミトコンドリアDNA型が,殺害犯人に由来する蓋然性が,それ以外の被害者に生前に接触した第三者に由来する蓋然性を大きく超えるものと考えるべき合理的な根拠は見いだせない。結局,
R鑑定により検出されたミトコンドリアDNA型は,上記①から⑤のいずれに由来するものであるか明らかでなく,鑑定資料の中に,殺害犯人に由来する細胞組織が存在した蓋然性が高いということはできない。
これに対し,弁護人は,R鑑定により単独で検出された,被害者の型と一致しない4種類のミトコンドリアDNA型のうち,これらと型の一致する捜
査員の存在が確認されていない2つの型のいずれか,とりわけ遺体の2箇所で採取された資料から検出されたものは,殺害犯人に由来する蓋然性が高い旨の主張をする。しかし,そもそも,前記のとおり,本件で想定される犯行態様や鑑定資料の性質及び遺留状況などから,殺害犯人が遺体に細胞組織を遺留した蓋然性が高いと考える合理的な根拠は見いだせないのであるから,弁護人の主張する型のミトコンドリアDNAを遺留した者が殺害犯人である蓋然性が高いと考えるのは,単なる憶測にすぎないというべきである。以上のとおり,R鑑定で検出された幾つかのミトコンドリアDNA型の中に,殺害犯人に由来するものが含まれている可能性も否定することはできないが,それらは全て殺害犯人以外の者に由来するという可能性も十分にあるのであって,殺害犯人に由来するものが含まれている蓋然性が,被告人を犯
人とすることに合理的な疑いを生じさせる程度に高いとはいえない。結局,R鑑定の結果として検出されたミトコンドリアDNA型に殺害犯人に由来するものが含まれる蓋然性が高いと考える合理的な理由はなく,被告人のミトコンドリアDNA型が検出されていないことを含め,同鑑定の結果は,被告人が殺害犯人であると推認することに合理的な疑いを生じさせ
るものではないから,その旨をいう弁護人の所論は失当である。
4
本件各供述調書(原審乙55から58まで)の証拠能力に関する判断
について
以上のとおり,本件においては,情況証拠から認められる間接事実を総合すれば,殺害犯人と被告人との同一性が認められ,粘着テープ等のDNA型鑑定の結果は,この認定に合理的な疑いを生じさせるものではなく,他に上記認定に合理的な疑いを生じさせる事情もない。
そして,既に判示したとおり,本件の殺害行為は,被害者の拉致からその遺体の発見までの間に,栃木県内,茨城県内又はそれらの周辺で行われたものと推認されるところ,上記認定に基づき,被告人が殺害犯人であることを
前提にすれば,被告人車両が,j町内の前記第2地点を宇都宮市方面に向けて12月2日午前6時12分に通過していることに照らし,被告人は,同日午前4時頃には遺体発見現場を離れたものと推認されるから,被害者の殺害は同時刻頃以前に行われたものと推認される。
しかし,本件各供述調書以外の証拠の中に,それ以上に,殺害行為の日時,場所を示すものはないから,同供述調書に基づき公訴事実と同旨の犯罪事実を認定した原判決の当否を審査するためには,その証拠能力及び信用性を検討する必要がある。
そこで,次に,本件各供述調書の証拠能力及び信用性に関する原判決の判断について,順次検討する。
本件各供述調書の証拠能力に関する原判決の判断の要旨等


被告人は,平成26年2月18日(以下,本項において,年は同じで
ある。)に商標法違反(所持)の事実で起訴され,同日から本件殺人につき取調べを受けるようになり,これが4月9日まで継続されたが,同月10日以降6月3日に本件殺人の容疑で逮捕されるまでは,その取調べは中断され,同容疑で勾留中の同月20日から同月22日までにZ検察官の取調べにより本件各供述調書が作成され,原裁判所においては,それらの証拠能力が争われた。
原判決は,本件各供述調書の証拠能力に関する原審弁護人の主張について,「弁護人は,殺人罪で逮捕される前の任意の取調べには種々の違法があり,こうした違法がZ検察官の取調べにも影響を与え,被告人に虚偽の自白をさ
せたことから,Z検察官に対する自白供述には任意性が認められないと主張する」と整理した上で,要旨,以下のように判断した。
商標法違反(所持)の嫌疑は,起訴相当の事案であり,逮捕,勾留の理由及び必要性があったと認められ,起訴当日を除いて本件殺人の取調べは行われていない点でも,商標法違反(所持)による逮捕は,本件殺人の取調
べを目的とした別件逮捕とはいえない。
起訴後勾留中に余罪の取調べを行うことも,任意取調べの範囲にとど受忍義務がないことなどに配慮しつつ行われており,任意取調べの限界を超えるものとはいえない。
被告人が本件殺人で逮捕,勾留される前に本件殺人に関する取調べを受けた期間が多少長期化したのは,取調べにおける被告人の曖昧な供述態度によるところが大きく,4月10日から6月2日までの間の身柄拘束については,商標法違反(所持)の公判手続が進行する中で,商標法違反(輸入)等の捜査や取調べに充てられ,これらの事実については順次起訴されており,被告人に対する身柄拘束が不当に長期に及んだとはいえない。

Y検察官の取調べ状況の録音録画(原審甲234)によれば,同検察官は,被告人の弁解にも耳を傾ける姿勢を示すとともに,被告人が取調べを拒絶する意思を明確にしていると認められる場合には,直ちに取調べを中止しているし,2月25日の取調べにおいては,被告人が,従前の約束を翻し,Y検察官に厳しく追及された挙げ句,席を立ち上がり,窓に向かって駆け出
そうとするなどの様子も見られるが,被告人は,取調べの当初から精神的に不安定な面を見せていたことから,2週間に1回程度の割合で医師の診察を受けて精神安定剤を処方されるなどしていた上,Y検察官が被告人の体調を気遣いながら取調べを進めていた様子も見られることからすれば,被告人に対する取調べは,適切な権利告知,任意の取調べであることへの配慮,体調
への配慮が十分になされた形で進められており,供述の強要があったとは認められない。
Z検察官による取調べの録音録画(原審甲235)等により認められる取調べ状況,被告人の応答,態度等によれば,被告人が従前の取調べの影響を受けて本件殺人について自白供述したとは到底いえない。

原判決は,要旨,以上のように判示して,本件各供述調書の証拠能力を肯定した。

から

まで

に判示するところは,その取調べの実相を適切に捉えたものといえず,任意取調べとしての限界を超えるものとはいえないとする評価も是認することはできない。しかし,本件各供述調書の証拠能力については,当裁判所も,結論としてこれを肯定すべきものと考える。そのように考える理由は,以下の当事者の主張に対する判断において説明する。
当事者の主張

弁護人は,次の理由から,本件各供述調書には証拠能力がないと主張
する。すなわち,①(起訴後勾留中の余罪取調べ)被告人が,2月18日に商標法違反で起訴されて以降4月9日まで,及び5月29日に行われた殺人に関する取調べは,起訴後勾留を利用し,取調べ受忍義務を課した取調べとして違法であり,逮捕,勾留が許される23日間を超えて取調べが行われているから,再逮捕・再勾留禁止の原則により,もはや殺人の容疑で逮捕,勾留することは許されず,その後,本件殺人の容疑で6月3日に逮捕,同月5
日に勾留されてから同月23日までの間も取調べ受忍義務を課しての取調べは許されないにもかかわらず,実質的にこれを課した状態で,黙秘権を侵害する形で取調べが行われているから,本件各供述調書には証拠能力がない,また,②(任意性のない自白)本件各供述調書に係る供述は,上記のように起訴後勾留を利用した違法な余罪取調べによって,身柄拘束から140日以
上経過した後に得られたもので,不当に長く抑留又は拘禁された後の,捜査機関による自白の強要,身体的暴力,利益誘導があった上での自白であり,慢性的な不眠・頭痛等により精神的に疲弊し肉体的に苦痛を与えられた状態にあった被告人が,今後も再逮捕等されることにつき恐怖心を抱いている状態で不安に駆られてしたものであって,Z検察官が,先行する取調官らによ
る脅迫等の影響を遮断する措置を講ずることなく録取したものであるから任意性がなく,本件各供述調書には証拠能力がない,というのである。イ
これに対し,検察官は,①起訴後勾留中の本件殺人についての取調べ
は,任意であって取調べ受忍義務がないことを告げて行われ,現に被告人の要望を受けて取調べを中断しているのであり,被告人の意思を確認するために質問や説得を続けることは当然であって,これをもって受忍義務を課しているかのように評するのは失当で,任意捜査として適法に行われており,また,②本件自白は,不当に長く抑留又は拘禁された後の自白とはいえず,弁護人が主張する自白の強要,身体的暴力,利益誘導は存在せず,被告人の健康状態に気を配って取調べが行われており,原審弁護人による接見も頻繁に行われていた中で,弁護人が主張するような不安を被告人が抱いたとは認め
難く,Z検察官の取調べに先立つ警察官及び検察官の取調べにおいて脅迫等が行われたとの前提がなく,Z検察官は,それまでの供述と同じことを言う必要はないと注意しており,黙秘権を侵害する取調べがされたとの事実は認められず,原審甲235号証の記録媒体からも,被告人の自白に任意性が認められることは明らかであるから,刑訴法319条1項に該当せず,証拠能
力が認められる,と主張する。
当裁判所の判断

起訴後勾留中の余罪取調べに関する所論(弁護人の所論①)について弁護人は,本件の起訴後勾留中の余罪取調べが,取調べ受忍義務を課
した違法な取調べである上,刑訴法における逮捕,勾留の期間として許容される23日間を超過して行われているから,再逮捕,再勾留禁止の原則により,もはや本件殺人の被疑事実による逮捕,勾留は許されず,6月3日の逮捕及び同月5日の勾留後も受忍義務を課しての取調べは許されないのに,実質的に取調べ受忍義務を課した状態で行われた取調べにより作成された本件各供述調書の証拠能力は否定されるべきであると主張する。

しかし,起訴後勾留中の本件殺人の取調べの許容性等に関する事後的な評価によって,後に行われた本件殺人の被疑事実による逮捕,勾留の許容性が左右され,その間における取調べ受忍義務の有無が定まり,その結果として,現に行われた取調べの適法性や本件各供述調書の証拠能力が定まるとする弁護人の主張は,問題の解決に不必要な法律構成を介在させる迂遠な解釈論で,しかも,被告人の身柄に関する法律関係を不安定にするものであるから,合理性が認められず,採用することはできない。本件では,起訴後勾留中に行われた本件殺人の取調べの許容性と,その結論が本件各供述調書の証拠能力に影響するかどうかが問題となるのであるから,端的に,それらの点について判断するのが相当である。
そこで,以下,上記の点について検討する。

起訴後勾留中の余罪取調べの許容性について
起訴後勾留中の被告人すなわち別件容疑者(以下,本件被告人との混同を避けるため,本項においては,この用語を用いる。)についても,起訴に係る事件の審理に支障を及ぼさない範囲において,任意捜査として余罪取調べを行うことが許容されるのは,検察官の主張するとおりである。

しかし,その余罪取調べはあくまでも任意捜査として許容されるものであるから,起訴後勾留で身柄を拘束された状態を利用して,余罪で逮捕,勾留した場合と実質的に同様の取調べを行うことは許されず,そのようなことが行われた場合には,起訴後勾留の趣旨や刑訴法198条1項ただし書の趣旨に反し違法となる。すなわち,起訴後勾留中の別件容疑者は,当該余罪につ
いて逮捕又は勾留されているのではないから,在宅の被疑者の場合(刑訴法198条1項ただし書)と同様に,取調べに任意に応じたものと認められること,換言すれば,捜査官による取調べの求めに対し,出頭を拒み,又は出頭後,いつでも退去することができる状態にあったと認められなければならない。しかも,任意捜査である以上,別件容疑者が取調べに応じる姿勢であ
っても,取調べは,事案の性質,別件容疑者に対する容疑の程度,別件容疑者の態度等諸般の事情を勘案して,社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度において,許容される(最高裁昭和57年(あ)第301号同59年2月29日第二小法廷決定・刑集38巻3号479頁参照)。なお,弁護人及び検察官は,起訴後勾留中の別件容疑者に対する取調べの許容性について,それが取調べ受忍義務を課したものと認められるかどうかを基準に判断すべきものとしているが,具体的な取調べが任意捜査として許容されるかどうかを判断するに当たり,「取調べ受忍義務」とか「取調べ受忍義務を課した取調べ」というような,法律に規定された文言でもなく,しかも,多様な解釈を可能とする概念を用いることには疑問がある。そして,余罪取調べに任意に応じたものと認められるかどうかを判断する
際には,別件容疑者が,起訴後勾留により身柄を拘束された状態にあることから,在宅の被疑者の場合よりも,捜査官による取調べの求めに対し,出頭を拒み,又は出頭後,いつでも退去することが容易でないことに留意すべきであり,別件容疑者が捜査機関の施設に勾留されている場合には,捜査官による取調べの求めを拒むことが一層困難な環境にあることを踏まえるべきも
のと考えられる。
他方,起訴後勾留中の余罪については,起訴に係る罪との関連性が認められることにより,その罪の犯情とも関連して捜査機関が余罪取調べを行うことに一定の正当性が認められる場合があり,また,別件容疑者にとっても,起訴後勾留中に余罪の取調べを受け,追起訴を経て併合審判を受けることで,
別途逮捕,勾留を受けるよりも迅速な裁判を受けられるのであれば,利益になるといえるから,前記判例の示す考慮要素を検討するに当たっては,以上のような事情の有無も踏まえるのが相当というべきである。
さらに,本件においては,起訴後勾留中の余罪取調べについて,Y検察官による取調べのうちの一部ではあるが,取調べの録音録画記録媒体(原審甲
234)が本件各供述調書の証拠能力の関係で証拠とされているので,同証拠により再現された取調べ状況を踏まえ,被告人が任意に取調べに応じたものと認められるか,また,その取調べが,前記判例の指摘する諸般の事情を勘案して,社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度にあると認められるかどうかの判断をするのが相当である。
商標法違反による起訴後勾留中の本件殺人の取調べについて
a
商標法違反による起訴後勾留中の本件殺人の取調べについて,起訴に
係る事実(商標法違反・偽ブランド品の所持)と余罪事実(本件殺人)との関係についてみると,上記各事実の間には,社会的事実として関連性はなく,商標法違反事件の解明に本件殺人の取調べは関係がなく,一方の捜査が他方の捜査に事実上,法律上何らかの影響を及ぼすという関係も認められないから,捜査機関において,商標法違反による起訴後の勾留中に本件殺人の取調べを行うことを正当化できる事情はない。また,これを被告人の側からみると,取調べの対象となる余罪が殺人であることに照らせば,同事実で逮捕,勾留されることなく追起訴が行われるとは通常考え難いところであるし,起訴された犯罪と同種の犯行であるなど,起訴後勾留の中で余罪の取調べを受
け,追起訴された上で併合審判を受けることに利益があるといい得るような場合等と異なり,商標法違反事件による起訴後勾留中に本件殺人の取調べに応じることに利益は認められない。
なお,当裁判所が,検察官に対し,本件殺人の容疑で逮捕,勾留することなく,起訴後勾留中に本件殺人の取調べを行った特別の事情の有無について
釈明を求めたところ,検察官からは,任意捜査として許容される任意の取調べである旨の外に特別の事情についての主張はされなかった。
b
そして,被告人が,商標法違反による起訴後も警察署の留置施設内に
勾留されていたことに照らせば,在宅の被疑者の場合との比較においてはもちろん,拘置所に勾留された場合と比べても,被告人において,取調官による余罪の取調べの要求に対し,出頭を拒むこと,すなわち取調べのために警察署や検察庁の取調室に連行されることを拒むことや,出頭後に取調室から退去することなどは,困難な状態にあったと認められる。
c
以上を踏まえ,起訴後勾留中の本件殺人の取調べ状況につき具体的に
検討すると,検察官は,その取調べは,任意であって取調べ受忍義務がないことを告げて行われ,被告人は,拒否することなく取調べを受けており,被告人の要望により取調べは中断しているから,任意捜査として適法に行われていると主張する。
確かに,取調べの録音録画記録媒体(原審甲234)によれば,商標法違反の事実で2月18日に起訴が行われて以降の取調べにおいて,Y検察官は,取調べを開始するに当り,取り調べる事実の内容,黙秘権の告知に続き,取
調べを受ける義務がないことの告知を行っていることが認められる。そして,商標法違反による起訴が行われた同日の午前中におけるY検察官による起訴前の取調べでは,およそ1時間半程度という短時間で被害者を殺害したことを認める内容の供述調書が作成されている上,同日午後における同検察官による起訴後の取調べにおいて,被告人は,午前中の取調べで犯行
を自供したことについて記憶がないと述べるなどしたが,供述を求める同検察官に対しては,気持ちの整理をしたいので少し時間がほしい旨を述べ,その取調べは終了している。その後,Y検察官は2月21日の取調べにおいて,気持ちを整理する時間を与えたのだからとして供述を求めたところ,被告人は,思ったより気持ちの整理に時間がかかる,事件につき報道される前に,
母や姉に自分がとんでもないことをやったと言っておきたいなどと述べ,姉との接見を希望し,その後であれば供述することの確認を求めるY検察官に対し,「早く話して楽になりたい」とか,「早く言いたい」などとも述べている。
以上によれば,この段階までの取調べは,被告人が任意に応じたものであ
ったと評価することができる。
d
しかし,その後の2月25日の取調べにおいて,Y検察官は,供述を渋る被告人に対し,姉に面会して説明などすれば本件殺人について供述すると約束し,既に前日に姉との面会が行われたことを指摘するなどして,本件殺人につき供述するように迫った。すると,被告人は,姉と面会した後に原審弁護人と接見して気持ちが揺らいだ旨や,そのアドバイスで黙秘権を行使したい旨を述べた。これに対し,Y検察官は,弁護人に言われたからとか,そういうことじゃなくて,被告人がどうなんだってことだ,この間ちゃんと話すと約束したのだから,話すべきだろうなどと述べ,30分間以上にわたり取調べを続け,被害者や遺族よりも自己の利益しか考えていないとして被告人に対する人格的非難を加えるなどして,「どうしても供述できない」旨
を述べる被告人に対して供述を執ように迫った。すると,被告人は,「もう無理」などと叫びながら立ち上がり,検察官席の後方にある取調室の窓から脱出しようとして戒護の警察官らに引きとどめられた。
この2月25日の取調べは,任意の取調べの範囲を逸脱したものであるというべきである。すなわち,Y検察官は,被告人に対し,取調べの開始に当
たり,取調べに応じる義務はない旨を形の上では告げているが,その言葉どおりの取調べを行ったとはいえず,実際には,被告人が黙秘権を行使したいと述べ,取調べに応じる意思がないことを明らかにしたにもかかわらず,それを意に介せず,30分間以上にわたり,供述することを執ように求めている。その結果,被告人は,遂に取調室から脱出しようとする行動に出るに至
っている。この脱出を試みた際の心境について,被告人は,同月27日の取調べにおいて,その場を立ち去って「飛び下りたら楽だなあと思った」旨の説明をしており,精神的に追い詰められた被告人が,取調べを逃れるために自殺を試みたものと認められる。これは,黙秘権を行使したいと述べても受け入れられず,なおも供述を求める検察官から逃れるための究極的な手段を
選択しようとしたものということができる。被告人が脱出を試みた後,Y検察官によるその日の取調べはそれ以上続けられていないが,それは,取調べを続行できる状況になかったのであるから当然である(なお,当日,さらに警察官による取調べは行われている。)。
そして,Y検察官は,2月25日以降の取調べにおいても,被告人が「今日,これ以上は無理」とか,「もう終わりにしたい」などと述べた場合でも,質問を変えるなどして取調べを続行し,被告人がどうしても供述できないような様子と認められるまで取調べをやめていない。その取調べは,被告人が供述拒絶の姿勢を示しているにかかわらず,何とか説得して自供させようとし続けるものであり,検察官が主張する「被告人の意思の確認」と評価できるような範囲を超えている。2月25日に被告人が自殺を試みて以降3月2
8日まで,Y検察官による取調べが行われたのは,実質12日間で合計17時間30分余りに及ぶが,その間,被告人は,本件殺人の状況等について供述するように迫られても,ほとんど供述を拒んでいて,積極的に何らかの弁解をするような様子もみられない。このことは,本件殺人の取調べに任意に応じる意思が被告人に終始なかったことを示している。

そもそも,前記a,bで指摘したとおり,商標法違反(所持)の事実と本件殺人の事実との関係に照らし,被告人が本件殺人の取調べに任意に応じたものと推定すべき利益状況はなく,かつ,警察の留置所に勾留されている被告人にとって,捜査官からの取調べの要求を拒むことは容易でない状況にあったものと考えられる。

以上のとおり,2月25日以降のY検察官の取調べにおいて,その意向に反し,被告人が,取調べを受けることを拒絶するのは,非常に困難な状況にあったことは明らかである。一連の取調べは,基本的に被告人の意思如何にかかわらず殺害の犯行及びそれに関連する事柄について供述を求める取調べであって,被告人の供述拒否の意思が固く,あるいはその精神状態から続行
が困難と認められる段階で取調べが中断されていることもあるが,それは取調べの実効性を考え,あるいは,供述の任意性に抵触する取調べを回避する上で当然に必要なことといえる。このような中で,取調べの開始に当たり,取調べを受ける義務はない旨を形式的に告知された上で取調べが開始され,その後の発問や説得に対し,2月25日のような行動に出ることなく,被告人が取調室にとどまり,取調官の問いかけに対して,何らかの反応が示され,あるいは何らかの供述がされたとしても,そのことから取調べに任意に応じる意思が被告人にあったと推認することはできず,被告人が,出頭を拒み,又は出頭後,いつでも退去することができる状態にあったものと認めることはできない。
なお,被告人は,2月27日の取調べにおいて,「ずっと話さないつもり
はない」と述べ,「どうしても話したくなったら,どうやって連絡すればいいの」とY検察官に尋ねるなどしており,当時,被告人は,供述を拒み続けることに苦痛や葛藤を感じていたものと考えられる。しかし,その後も,被告人の申し出や要望により取調べが行われた様子は認められず,むしろ,Y検察官の発問に対し,被告人がほとんど応答することもなく,黙秘権を行使
する態度を示しても,これが顧慮されないまま,取調べが続行されるという状況が明らかであって,上記言動を踏まえても,被告人が取調べに任意に応じたものとは認められず,拒絶することが困難な状態で,取調べが継続されたことは明らかである。
e
次に,2月18日から3月25日までは,Y検察官による取調べと並
行して,M警察官による取調べが行われている。
起訴後勾留中に行われた検察官による余罪の取調べが任意の取調べと認められないとしても,同じ時期に行われた警察官による取調べが任意の取調べとされることが,一般的にあり得ないとはいえないであろうが,被告人は,原審公判において,M警察官の取調べは,Y検察官の取調べよりも格段に過
酷であった旨を供述する。
M警察官の原審証言によれば,被告人の取調べに当たり,特に供述の任意性に配慮するようにとの指示を受けたというのであるが,取調べの際に,黙秘権の告知と区別する趣旨を明確にして取調べ受忍義務に関する告知が行われていたかどうかは,同証言によっても,必ずしも明らかではない。また,2月18日から3月25日までの間にM警察官が本件殺人の事実について被告人を取り調べた時間は,S警察官との共同によるものを含め,同時期におけるY検察官の取調べ時間のおよそ5倍以上の長さに及んでいて,深夜まで取調べが行われた日もある。2月25日のY検察官による取調べで被告人が自殺を試みる事態が生じた当日にも警察署に戻った後にM警察官による取調べは行われており,それ以降,1か月後にM警察官が担当を外されるまでの
取調べは,実質21日間で85時間余りに及ぶ。Y検察官の取調べの場合と同様,この間の取調べにおいて,被告人が,積極的に供述する状況にあったことをうかがわせる証拠はない。しかも,M警察官による取調べは,被告人が身柄を拘束された警察署内において行われている。そして,当時の警察における運用に基づくものと思われるが,M警察官による取調べでは,録音録
画がされていない。
以上によれば,M警察官の取調べは,Y検察官の取調べよりも格段に過酷であった旨の被告人の原審公判供述の信用性を否定すべき理由を見いだすことはできない。
そうすると,M警察官による取調べが,任意の取調べとして,被告人の意
思によって出頭を拒み,又は出頭後,いつでも退去することができる状態で行われたものと認めることはできない。
f
次に,3月26日から4月9日まで行われたS警察官やT警察官らに
よる取調べについても,被告人は,人格的な非難をされるなどして厳しい取調べを受けたと原審公判で供述している上,前記のようなY検察官及びM警察官による取調べの延長線上で,特に,後者の取調べを引き継いで行われたものであり,取調官の交替により本件殺人の取調べの状況が大きく変化したものと認めることはできない。
なお,被告人は,4月8日頃の取調べにおいて,T警察官に対し,被害者を拉致したことなどは認めつつ,殺害行為は当時の被告人方を訪れた第三者によるものであるとの供述を行っており,この供述は,被告人が起訴後1年近くの間にわたり,原審弁護人を通じて主張していた内容に沿うものであり,それ自体は被告人が主体的に行った弁解供述と見ることができる。しかし,上記主張が原審の公判前整理手続の途中で全面的に撤回されていることに照らし,明らかな虚偽供述であるとしても,そのような供述が本件殺人についての自供を求められる中でされたものであることは明らかであり,その弁解
供述があったからといって,当時の取調べが,被告人の任意によるもの,すなわち,被告人の意思によって出頭を拒み,又は出頭後,いつでも退去することができる状態に変わっていたと認めることはできない。
g
以上に加え,本件においては,原審弁護人から,Y検察官に対し,3
月4日に,法的な問題を指摘した上で,起訴後勾留を利用した本件殺人の取調べには応じられないとの申入れが書面で行われている(原審弁書40,41)。これは,起訴後勾留中における本件殺人の取調べに任意に応じる意思がないことを原審弁護人が明確に示したものである。Y検察官らは,2月25日の取調べにおいて,前記のような状況を生じ,その一週間後に,上記申入れがされたにもかかわらず,なお取調べを継続していたところである。そ
して,Y検察官が他庁に異動して担当を外れた後も,商標法違反被告事件の第1回公判期日(所持の事実の審理)の2日後である4月9日に,原審弁護人が,宇都宮地検検事正に対し,3月4日と同旨の申入れを書面で再度行った日まで(原審弁書42,43),S警察官らによる本件殺人の取調べが継続されていたものである。

h
以上によれば,起訴後勾留を利用して行われた2月25日以降の本件
殺人の取調べは,任意の取調べとして,すなわち被告人の意思によって出頭を拒み,又は出頭後,いつでも退去することができる状態で行われたものとは認められない。
また,前記昭和59年判例の示す考慮要素に基づき,任意捜査として社会通念上相当と認められる範囲内にあるかどうかにつき検討すると,まず,本件は,当時7歳の児童を殺害したという重大事案である。また,被告人の犯人性について前記2で判示したような情況証拠が認められる上,商標法違反による起訴の当日に,短時間の取調べで本件殺害の犯行を自供したこともあって,捜査機関にとって,被告人の容疑は濃厚であったと考えられる。また,被告人は,殺害状況に関する具体的な供述は拒みつつも,当初は気持ちを整
理する時間がほしいなどと述べていたものであり,黙秘権を行使したいと表明した後にも,前記dのように自供する意思をほのめかすような言動もし,その後の取調べにおいても,4月8日頃に殺害は第三者の犯行であるとの弁解供述をするまでは犯行を否認する供述を行っていなかった。
しかし,商標法違反による起訴後勾留中の本件殺人の取調べが行われた期
間は,2月25日以降で44日間にわたるもので,逮捕,勾留された被疑者につき法律上許容される最長23日間の約2倍の長さに及んでおり,その間には,原審弁護人による前記申入れも行われていたものである。
そうすると,商標法違反による起訴後勾留中に行われた2月25日以降の本件殺人の取調べは,事案の性質,被告人に対する容疑の程度,被告人の態
度等諸般の事情を勘案しても,その取調べ期間の長さや原審弁護人による中止の申入れを無視して継続された点において,任意捜査として社会通念上相当と認められる限度を超えているものといわざるを得ない。
したがって,商標法違反による起訴後勾留中に行われた本件殺人の取調べは,任意の取調べと認められず,しかも,任意捜査として社会通念上相当と
認められる限度を超えているもので,いずれの点でも違法である。商標法違反による起訴後勾留中の余罪取調べの違法が本件各供述調書の証拠能力に及ぼす影響について
以上のとおり,商標法違反による起訴後勾留中における本件殺人の取調べが,被告人が任意に応じたものと認められず,かつ,任意捜査として許容される範囲を逸脱するものとして違法と認められるとしても,本件各供述調書は,その違法な取調べの中で作成されたものではなく,その後,本件殺人を被疑事実とする逮捕,勾留中の取調べにおいて作成されたものであるから,直ちに本件各供述調書の証拠能力が否定されるべきものとはいえない。そこで,上記違法な余罪取調べと本件殺人を被疑事実とする逮捕,勾留中の取調べやその過程で作成された本件各供述調書との関係についてみると,
商標法違反による起訴後勾留中の取調べが4月10日に中断されてから,本件殺人の容疑で被告人が6月3日に逮捕されるまでには,50日以上が経過しており,その間,被告人は,4月30日に追起訴が行われた商標法違反被告事件(偽ブランド品の輸入)を審理する第2回公判(5月27日開催)を待つ状態にあったものであるが,銃砲刀剣類所持等取締法違反の事実で追起
訴された日の前日である5月29日を除き,本件殺人に関連する取調べは行われていない。そして,既に認定したような被告人の供述状況等に照らしても,捜査機関において,当初から逮捕,勾留の期間を潜脱し,本件殺人の容疑による逮捕,勾留の下での取調べに利用する目的で本件の余罪取調べが行われたとまでみることはできない。また,上記50日以上の期間が存在する
ことに照らせば,客観的にみても,長期間にわたる違法な余罪取調べによって被告人を精神的,肉体的に疲弊させた上で,その状態を利用して本件殺人の容疑で逮捕,勾留した上で取調べが行われたという関係にあるとも認められない。しかも,本件各供述調書は,Z検察官による取調べで作成されたものであり,その際には,起訴後勾留中のY検察官等による取調べで行った供
述にこだわる必要のないことを重ねて注意するなどしながら取調べが行われている。そうすると,2月25日から4月9日まで行われた違法な余罪取調べの影響が,本件殺人の容疑による6月3日以降の逮捕,勾留中の取調べやその過程で作成された本件各供述調書に及んでいるとは認められない。以上によれば,本件各供述調書が起訴後勾留を利用した違法な余罪取調べにより得られたものと評価することはできないから,その違法な手続に基づいて本件各供述調書の証拠能力を否定すべきものとは認められない。イ
本件各供述調書が作成された取調べにおける供述の任意性(弁護人の
所論②)について
不当に長く抑留又は拘禁された後の自白であるとの主張について
被告人の勾留の経過をみると,被告人は,1月29日に商標法違反の容疑で逮捕され,翌30日に同容疑で勾留された後,2月7日の勾留期間の延長を経て,同月18日に商標法違反(所持)の事実で起訴され,同日,同事実により被告人として勾留されている。その後,4月30日,商標法違反(輸入)の事実で起訴されたことにより,同日,同事実に基づく被告人としての勾留が行われ,5月30日に銃砲刀剣類所持等取締法違反の事実で起訴され
た後,6月3日に本件殺人の容疑で逮捕,同月5日に同容疑で勾留され,同月13日の勾留期間の延長を経て,同月24日,殺人の事実で起訴された。その間,商標法違反(所持)被告事件による勾留は,4月18日,5月18日,6月18日にそれぞれ更新されており,同事件について,4月7日に第1回公判期日が開かれ,追起訴された同法違反(輸入)について,5月27
日に第2回公判期日が開かれている。
以上の勾留期間のうち,2月18日から4月9日まで約50日間にわたり余罪である本件殺人についての取調べが行われており,そのうち,2月25日以降の44日間の本件殺人に関する取調べは,既に判示したとおり,違法というべきである。しかし,その後,4月10日から本件殺人の容疑で逮捕
された6月3日までの間は,銃砲刀剣類所持等取締法違反の関連で5月29日にZ検察官による取調べが行われた以外は,本件殺人に関する取調べは行われていない。
そして,原審甲235,236号証の録音録画記録媒体によれば,被告人は,本件殺人の容疑で逮捕された際の弁解録取手続で,T警察官に殺害を認める供述をした外,Z検察官に対し,本件殺人の容疑で逮捕されてから9日目に当たる6月11日に殺害犯人であることを認める供述をしていることが認められる。
以上からすると,起訴後勾留を利用した違法な余罪取調べが少なくとも44日間にわたり行われたことを踏まえても,その後の本件殺人の容疑で逮捕されるまでの50日余りの商標法違反被告事件による被告人の勾留が,それ
自体として違法なものになるわけではないし,本件殺人について自白するように被告人に導くものともいえず,その期間を経て,本件殺人の容疑で逮捕された当日に自供した外,その逮捕から9日目にされた被告人の自白供述が,不当に長く抑留又は拘禁された後の自白に当たるとは認められない。強要,身体的暴力,利益誘導に基づく自白で任意性に疑いがあるとの
主張について
被告人は,原審公判において,商標法違反による起訴後勾留中の取調べにおいて,3月19日に殺害を否定する発言をしたところ,立ち上がったM警察官に左頬を平手打ちされて椅子から転げ落ち,壁に額の右側をぶつけて負傷し,治療を受けたと供述している。この点に関し,検察官は,M警察官の
説明するように被告人の負傷は自傷行為であると主張する。当日のY検察官による取調べにおいて,被告人が,警察官から暴行を受けたものと説明していないことや,原審弁護人から捜査官に抗議等がされていないことに照らせば,上記暴行があったことが明白とまではいい難い。しかし,暴行を受けた際の状況に関する被告人の供述内容は具体的である上,そのような被害の申
告をすることが恐怖のためにできなかった旨をいう被告人の説明もあながち不合理とはいえず,3月19日の1週間後の同月26日からはM警察官が被告人の取調べ担当から外されていること,その取調べは録音録画がされておらず,事実関係を確認する客観的な手段がないことなどに照らせば,上記暴行が実際に行われたとの疑いは払拭されない。そうすると,M警察官による取調べについては,供述の任意性に疑いを生じさせる事情があるといえる。しかし,上記のとおり,3月26日からはM警察官は担当から外されており,4月10日には,起訴後勾留を利用した本件殺人の取調べが中断され,本件殺人の容疑で逮捕された6月3日までの間は,5月29日を除き,本件殺人に関する取調べは行われていない。そうすると,M警察官による上記暴行があったとしても,その事情が,2か月以上の期間を経て,本件殺人の容
疑で逮捕,勾留された後に,Z検察官によって行われた取調べにおける供述の任意性に疑いを生じさせるものとはいえない。
そして,取調べの録音録画記録媒体(原審甲235)等によれば,本件各供述調書が作成されたZ検察官による取調べは,それまでの起訴後勾留中に行われた取調べにおける供述にこだわる必要のないことを重ねて注意するな
どして穏やかに発問がされており,他の証拠と整合しない供述内容について誘導的な発問がされる場面も認められるものの,被告人の供述する内容を基本的に受け入れている状況がうかがわれる。また,当時は,3名の原審弁護人による接見も頻繁に行われ,本件殺人につき供述することや供述調書の作成に応じることについて,被告人が原審弁護人と繰り返し相談し,その了解
を得ようとしている状況がうかがわれ,所論がいうような「慢性的な不眠・頭痛等により精神的に疲弊し肉体的に苦痛を与えられた状態にあった被告人が,今後も再逮捕等されることにつき恐怖心を抱いている状態で不安に駆られていた状況」にあったとか,そのような状況にあったことから自らの意に反して自白供述を行うようになったなどとは認められない。

したがって,本件自白供述が,強制,拷問又は脅迫による自白,その他任意にされたものでない疑いがあるものとはいえない。

以上の次第で,起訴後勾留中の本件殺人の取調べに関する原判決の評
価を是認することはできないが,本件各供述調書の証拠能力を認める点については,当裁判所も結論を同じくするので,これに反する弁護人の所論は,採用することができない。
なお,原裁判所は,当初,供述の任意性に関する判断を公判前整理手続の中で行う予定であったが,後述のような経緯で断念することとなったものである。そのため,裁判員裁判の連日的開廷の中で,検討すべき事項が多岐にわたる本件各供述調書の証拠能力につき審理,判断することは,大きな負担となったものと思われ,当初の方針のまま審理されることが適切であった。
以上のとおり,本件各供述調書には証拠能力が認められるから,次に,それらに録取された本件自白供述の信用性が問題となるが,その検討に先立ち,本件自白供述の信用性に関する補助証拠として採用された取調べの録音録画記録媒体に関し,訴訟手続の法令違反をいう弁護人の所論につき検討する。5
取調べの録音録画記録媒体に関する所論について
所論の要旨

弁護人は,原判決には,①刑訴法に根拠規定がなく,同法全体の精神及び同法1条の趣旨からして,任意性の判断以外には使用されるべきでない取調べの録音録画記録媒体を信用性の補助証拠とした違法があり,また,②信用性の補助証拠として採用した同記録媒体を実質証拠として使用した違法があり,③仮に,それが認められず,同記録媒体が信用性の補助証拠として利用されているとしても,その立証の対象は被告人の供述態度に帰するが,供述態度を対象とする立証は,事実認定者に偏見を与え,その認定を誤らせるおそれがあり,しかも,その撮影方式はそれを見る者に予断を与えるおそれがあるから,法律的関連性が否定されるべきであるのに,同記録媒体を証拠と
した違法がある,というのである。
原審において,原審甲234号証から同236号証まで(以下「本件各記録媒体」という。)が信用性の補助証拠とされた経緯について原審記録によれば,本件各記録媒体が本件自白供述の信用性の補助証拠とされた経緯は,要旨,以下のとおりであったと認められる。

原審裁判長は,平成27年11月6日(以下,特に断らない限り,本
項において,年は同じである。)に開かれた第13回公判前整理手続期日において,12月2日までに公判の審理日程を作成し,同月10日に裁判員候補者の選定手続を行う意向であることを示し,各当事者に,証拠調べ等の見込み時間を提示することなどを求めた。原審検察官は,11月12日付けで,本件各供述調書に係る供述の任意性に関する証明予定事実記載書面を提出す
るとともに,その立証等のため,取調べの録音録画記録媒体合計33枚を請求した(原審乙63から95まで)。これらは,本件殺人の捜査において被告人を取り調べ又はその弁解録取をした際に作成された録音録画記録媒体で,起訴後勾留中に行われたY検察官による取調べで作成されたものが12枚(同63から74まで),起訴後勾留中に行われたZ検察官による取調べで
作成されたものが3枚(同75から77まで),本件殺人の容疑で勾留中に行われた同検察官による取調べで作成されたものが17枚(同78から94まで),本件殺人の容疑で逮捕した際のT警察官による弁解録取手続で作成されたものが1枚(同95)である。そのうち,Y検察官による取調べで作成されたものの立証趣旨は,各取調べにおける被告人の「供述状況」のほか
「供述の任意性等」とされていた。また,Z検察官による取調べのうち,平成26年4月24日から6月8日までの取調べで作成された7枚(原審乙75から81まで)の立証趣旨は,被告人が一定の事実につき供述を拒んでいたことのほか「供述の任意性等」とされ,同月11日から23日までの取調べで作成された13枚(原審乙82から94まで)の立証趣旨は,「犯行状
況等,供述の任意性,信用性」又はそれらに当該取調べで作成された供述調書の「作成状況等」が付加されたものであった。

原審弁護人は,平成27年11月19日に開かれた第14回公判前整
理手続期日において,原審検察官による上記各録音録画記録媒体の証拠調べ請求に対し,取調べ状況の録音録画を罪体の証明に使用することについては疑問を感じており,これに対する証拠意見は最低でも1か月程度の検討を経ないと提示できない旨主張した。これに対し,原審検察官は,同月30日までに証拠意見が示されれば,12月2日までには録音録画の取調べに必要な見込み時間を提示できるが,任意性立証として使用する部分と罪体立証として使用する証拠は,本件においては一体不可分であり,分ける必要性もないと考えているなどと応じた。


原審裁判長は,11月27日に開かれた打合せ期日において,次のと
おり提案した。すなわち,本件の証拠構造や,原審検察官の主張を踏まえると,公判期日で取調べの録音録画記録媒体を再生することは,供述調書の証拠能力が認められなかった場合の弊害を看過できず,適切ではないと考えている,そこで,供述の任意性の審査は公判前整理手続で行い,証拠能力について判断した上で,それを前提として公判期日における証拠調べの範囲を最終的に決する,なお,仮に供述調書の証拠能力が認められた場合は,任意性の審査と重複するものであっても,その信用性判断のために必要なものは再度取り調べることを考えている,また検察官の罪体立証には供述調書を用いることとし,取調べの録音録画は,その信用性判断の補助証拠と位置付ける。
この原審裁判長の提案は,当事者双方によって,直ちに受け入れられた。エ
その後,審理計画を策定するための準備が進められ,任意性に関する
証人の数や尋問時間を積算するなどし,12月4日に開かれた打合せ期日において,原審弁護人は,任意性に関する審査を翌年1月7日から数日間かけて行うことが提案されているが,多数の証人を尋問することになれば,大変な準備が必要になり,十分な準備を尽くせるかという不安もあるなどとして,翌年3月に予定されている公判期日は延期すべきであると主張した。オ
この意見を受け,12月9日に開かれた第16回公判前整理手続期日
において,原審裁判長は,従前,任意性判断のための事実の取調べを翌年1月上旬に行うという案を提示していたが,原審弁護人から準備が困難との意見があったので,任意性判断については,信用性判断と併せて翌年3月の公判の中で行うこととする,罪体立証としての被告人の捜査段階の供述は,供述調書を用いることとし,取調べの録音録画は任意性及び信用性の判断のための補助証拠としてのみ使用する旨の提案を行った。これに対し,原審弁護人から,取調べの録音録画記録の取調べがなされてしまえば,任意性がないと判断された場合にも,被告人の自白が裁判員の心証形成に影響を及ぼす可
能性があることを懸念しているとの意見が述べられた。原審裁判長は,罪体立証には供述調書を用い,取調べの録音録画記録は任意性及び信用性の立証のみに用いると明確に区別した上で審理を行なえば,取調べの録音録画記録を取り調べたことが,罪体の認定において裁判員に対して不当な影響を与えるという事態は避けられると考えているなどと説明した。原審裁判長は,1
2月14日に開かれた第17回公判前整理手続期日において,上記記録媒体を実体判断には用いないと宣明し,当事者双方は上記提案を了承した。カ
以上の協議を経て,本件殺人の取調べで作成された録音録画記録媒体
の中から,各原審当事者が任意性又は信用性の判断に必要と考える範囲を出し合った上,審理日程に合わせ,再生に要する時間を減縮するために調整し,原審検察官が取調べを求める部分と,原審弁護人が取調べを求める部分を合わせ,原審検察官において,取調官毎に1枚の記録媒体に時系列に沿って複写して作成したものが本件各記録媒体である。
本件各記録媒体を,自白の任意性を判断する目的以外で使用したことの違法をいう所論(前記所論①)について


弁護人は,取調べの録音録画記録媒体をどのような範囲で,どのよう
に証拠利用できるかについて法整備が行われていないために刑事手続の公正さを欠く事態が生じることを回避するため,刑訴法全体の精神及び同法1条の趣旨からして,同記録媒体は自白の任意性を判断する目的以外では排除されてしかるべきであったのに,原裁判所は,本件各記録媒体を信用性の補助証拠として用いており,その訴訟手続には法令違反があると主張する。イ
そこで検討すると,既に判示したとおり,取調べの録音録画記録媒体
を信用性の補助証拠とすることについては,原審弁護人も異議を述べなかったものである上,検察官請求の形をとってはいるが,本件各記録媒体は,原審の当事者双方によって編集されたもので,手続的にも,原審弁護人によって,刑訴法326条の同意がされ,証拠とすることに異議がない旨の意思が示されている。このように本件各記録媒体は,双方当事者の意思に基づき作成され,適正な手続を経て採用された証拠であるから,取調べの録音録画記録媒体を信用性の補助証拠として利用する根拠規定が刑訴法にないからといって,これを採用した原審の手続に違法があるとはいえない。
所論が援用する判例(最高裁昭和62年(あ)第1351号平成7年2月
22日大法廷判決・刑集49巻2号1頁)は,いわゆる刑事免責を付与して得られた供述を録取した嘱託尋問調書の取調べに異議が述べられた事案において,その証拠能力を否定したもので,刑事免責に関する根拠規定が刑訴法に存在しないことが理由とされているが,同法326条の同意があった場合にまで同調書を証拠とすることが禁止されることを示したものとは考えられ
ない。また,同判例の背景に手続的な正義に対する考慮があるとしても,前述のような経緯で作成された本件各記録媒体を証拠として採用することが手続的な正義に反するとは考え難く,原審の訴訟手続に違法があるとする根拠にはなり得ない。
また,同じく所論が援用する判例(最高裁平成2年(あ)第72号同7年
6月20日第三小法廷判決・刑集49巻6号741頁)は,退去強制によって出国した者の検察官に対する供述調書の証拠能力について,検察官の請求が手続的正義に反する場合には刑訴法321条1項2号前段書面としての証拠能力が否定される場合のあることを判示したものであるが,前述のような経緯で作成された本件各記録媒体の請求が,手続的正義に反するとは考えられず,これも原審の訴訟手続に法令違反があるとする根拠とはなり得ない。本件各記録媒体を,自白の任意性を判断する目的以外で使用したことの違法をいう弁護人の所論を採用することはできない。
原判決が本件各記録媒体を犯罪事実の認定に使用したことの違法をいう所論(前記所論②)について

弁護人は,原判決は,本件各記録媒体について,信用性の補助証拠と
するもので,罪体認定に用いないという原審裁判体の宣明に反し,しかも,判決書の証拠の標目に挙示していないにもかかわらず,これを犯罪事実の認定に用いており,違法であると主張する。すなわち,原判決の「4
供述経

過及び供述態度について」の項の判断は,本件各記録媒体を信用性判断のための補助証拠とするものか,実質証拠とするものかが不鮮明な箇所があり,平成26年6月3日から同月23日までの供述について」の

項においては,本件各記録媒体が自白調書と並立又は一体化し,部分的には,実質証拠として機能している,というのである。弁護人の主張は,要するに,実質証拠でない本件各記録媒体によって犯罪事実を直接的に認定した原判決には刑訴法317条の違反があるという趣旨と理解される。
これに対し,検察官は,原判決は本件各記録媒体で犯罪事実を認定しておらず,違法はないと主張する。

本件各記録媒体等に基づき原判決が認定した事実について

そこで検討すると,原判決は,(事実認定の補足説明)中の「第4の信用性」の「4
自白

供述経過及び供述態度について」の項において,関係の

取調官(Z検察官を除く。)の各原審証言及び本件各記録媒体に基づき,各取調べにおける取調官の発問とこれに対する被告人の応答時の態度のほか,供述を求められた際の被告人の表情や様子などの供述態度を詳細に認定している(以下,「供述態度」というときには,原判決の用語法も踏まえ,被告人が本件自白供述に係る供述をする際における様子のほかに,取調官の発問を受けた被告人が供述を拒んでいる際の表情や様子なども含めた広い意味で用いる。)。例えば,Y検察官の原審証言に基づき,最初に2月18日午前に被告人が本件殺人につき初めて取調べを受けた際の動揺した様子から供述調書に署名するまでの状況が認定され,原審甲234号証の記録媒体等に基づき,その日の午後から3月28日まで,Y検察官の説得に対する被告人の応答状況やM警察官の取調べにおける供述状況などが詳しく認定され,T警
察官の原審証言により,4月8日及び9日には,殺害に第三者が関与している旨の弁解供述がされたこと,その後,5月28日までは本件殺人の取調べが行われなかったことが認定され,さらに,T警察官の原審証言及び原審甲235,236号証の各記録媒体に基づき,同月29日のZ検察官による取調べ及び本件殺人の容疑で逮捕,勾留されて以降の弁解録取及び取調べにお
ける被告人の発言内容,自白供述に至る状況,自白供述をする際の様子などの供述態度が認定されている。

原判決が供述態度に基づいて行った判断の内容について

原判決は,前記イのとおり被告人の供述態度を認定した上で,「検討」の各項において,次のような判断をしている(各標題末尾のかっこ内は,認定の根拠となる証拠を示す。)。
2月18日の供述について(Y検察官,M警察官の各証言,原審甲234)
「2月18日午前の取調べにおける被告人の極度に動揺した様子や,被害者の殺害を自認した状況,その後の同日午前中の取調べを覚えていないと供
述しながらも被害者の殺害を否定することはなく,むしろ気持ちの整理の時間がほしい旨述べて,詳細を話そうとする供述態度は,本件殺人に全く関与していない者が在らぬ嫌疑をかけられた状況としては,極めて不自然なものというほかない。」
2月18日から3月28日頃までの供述について(Y検察官,M警察官,T警察官の各証言,原審甲234)
「結局,被告人は,同月(2月の意)18日午前に本件殺人を自認した後は,同年4月8日及び9日に第三者弁解を始めるまで,本件殺人への自己の関与を否定したことはないのであって,詳細について語ることを躊躇する素振りを見せつつ,姉と会っても覚悟ができないとなると,凶器を見つけてほしいと警察に依頼してきっかけをつかもうとしたり,検察官に供述を聞いてもら
う方法を尋ねるなどしているのであって,こうした供述態度は,被告人が公判廷で述べるような,本件殺人には全く関与していないにもかかわらず,取調官の厳しい追及を受けて抗しきれなくなっている者のそれとみる余地はなく,処罰を恐れて自らの犯行の詳細を語る覚悟ができていない葛藤を映し出したものであることは明らかである。」

4月8日から6月2日頃までの供述について(T警察官,S警察官の各証言,原審甲235)
この期間は,4月8日及び9日に本件殺人に第三者が関与している旨の虚偽の弁解供述がされ,翌4月10日から5月28日までは本件殺人に関する取調べは行われておらず,5月29日に行われたZ検察官による取調べでは,
上記弁解供述が維持されたことを踏まえ,被告人が上記虚偽弁解を行った理由が推察されている。
6月3日から同月23日までの供述について(T警察官の証言,原審甲235,236)
「被告人が,6月3日の弁解録取手続の際に,本件殺人の逮捕事実を認め
る旨の供述をし,同日中にその自白供述を撤回している点についてみるに,4月8日及び9日に,第三者が関与している旨の弁解供述を始めてから,2か月近くの間殺人の取調べが中断されたにもかかわらず,その後,突然逮捕されたことから,被告人は,自分の弁解供述が全く信用されておらず,このまま同じ供述を続けていても起訴されて有罪になるものと考えて,事実を認める供述をしたものの,その後再び処罰の重さに対する怖れからその供述を翻したものとみるのが自然である。そして,被告人が本件自白供述をするに至った点については,とうとう検察官から自白供述は不要である旨申し向けられて,捜査機関の手元には既に被告人が本件殺人の犯人であることの十分な証拠が集められたものと考え,起訴前に早く自白供述をして,受ける刑罰を少しでも軽くしようという意図に基づくものであるとすれば,殺人罪で逮
捕されてから後の供述変遷の経緯や供述態度,その間の被告人の処遇に関する発言内容などに照らして,合理的であるといえる。」

原判決が行った判断の性質等について
原判決は,本件における争点は被告人の犯人性であるとし,その点の
判断のために本件自白供述(原審乙55から58まで)の信用性を検討している。したがって,原判決が行った判断の性質を審査するに当たっては,被告人の犯人性の認定との関係で,本件各記録媒体がどのように用いられているかをみる必要がある。
(2月18日の供述について)の検討は,そのうち2月1
8日午前の取調べに関しては,もっぱら取調官であるY検察官の証言から認
定した供述態度を考察したものであるが,その取調べにおける被告人の極度に動揺した様子の外,同日の午後に自白を撤回しながらも殺害を否定することなく気持ちの整理がしたいと述べるなどした供述態度について,被告人が犯人でなかったとしたら極めて不自然と評価するものであり,逆にいえば,被告人が犯人であったとすれば自然であるということになるから,実質的に
は,被告の犯人性をその供述態度から推認するのと変わらないものといえる。(2月18日から3月28日までの供述について)の検討
は,2月18日の午前中に被害者を拉致して殺害したことを自供した後,起訴後勾留中に約40日間にわたり行われた本件殺人の取調べの間,本件殺人への関与を否定したことがなく,凶器を探してほしいと警察官に依頼したり,検察官に話を聞いてもらう方法を尋ねたりしたことについて,犯人でないにもかかわらず,取調官の追及に抗しきれなくなっている者の供述態度とみる余地はなく,犯人である被告人が自らの犯行の詳細を語る覚悟ができていない葛藤を映し出したものであることが明らかとするものであり,やはり,認定した供述態度から被告人が犯人であることを推認する内容となっている。(6月3日から同月23日までの供述について)の検討

は,自白供述をするに至った動機について,被告人が,処遇すなわち本件殺人につき有罪となった場合に予想される刑の重さを気にする発言をしていたことや,Z検察官の「自白しなくても警察は全く困らない」旨の発言の後に自白に転じ,本件自白供述にある殺害状況について手振りを交えながら具体的に説明するなどしたという供述態度を援用しつつ,被告人が犯人であると
する証拠が十分に集められているとの判断から,受ける刑罰を少しでも軽くしようという意図によるものであるとすれば合理的であるとするものであって,ここでも,録音録画記録媒体から認定される供述態度等を踏まえ,被告人の犯人性を推認する内容となっている。
以上のとおり,原判決は,前記ウの「検討」のうち,第三者が殺害したと
する虚偽弁解を被告人が行った理由を推察する
係の取調官の証人尋問の結果及び本件各記録媒体によって認められる被告人の供述態度に基づいて,被告人の犯人性を直接的に推認している。すなわち,それらの「検討」において,原判決は,被告人の供述態度が,犯人でない者の態度と見えるのか,それとも,犯人である者が葛藤する態度と見えるのか,
あるいは,犯人でないのに捜査官に強制されて供述する態度か,それとも,自らの判断に基づいて自供する態度か,などとする評価,判断をしており,本件自白供述の信用性を肯定した場合と同じ結論を導くものではあるが,示されている判断の内容は,認定された供述態度から直接的に被告人の犯人性を推認するものとなっている。すなわち,弁護人が主張するように,原判決の判断は,本件各記録媒体(及び取調官の証言)で再現された被告人の供述態度から直接的に犯罪事実(被告人の犯人性)を認定するものとなっているといわざるを得ない。
原判決も,その結論部分(第5

結論)においては,被告人の供述態

度を,被告人の供述が変遷した理由を推認することや,自白供述をするに至った動機を推認する限度で用いており,供述態度によって直接的に被告人の犯人性が推認されるというような判示はしていないし,判決書の証拠の標目にも本件各記録媒体を挙げておらず,原審の構成裁判官において,原審裁判長が行った宣明に反する方法で事実認定を行なおうとする意図があったわけではないと考えられる。前記経緯に照らせば,原審裁判長が,本件各記録媒体を信用性の補助証拠として用いると提案した背景には,原審当事者間の意
見の対立を速やかに調整し,予定どおりに公判審理を行いたいとする意図があったものと思われる。あるいは,原審構成裁判官は,さらに,取調べの録音録画について,これを供述の任意性を判断する資料とするだけでなく,本件自白供述の信用性を判断するための補助証拠という形で実体判断に用いることが適切であると考えたのかもしれない。

しかしながら,もともと,被告人が殺害犯人であると認められるかどうかということと,自らが殺害犯人であることを認める被告人の供述が信用できるかということとの違いは紙一重であり,両者の境界は極めて曖昧である。しかも,取調べの録音録画記録媒体を証拠として取り調べるということは,被告人が供述する内容そのものを,その供述する姿,音声と共に視聴すると
いうことにほかならない。そうすると,取調べの録音録画記録媒体について,これを実質証拠とせず,信用性の補助証拠に限定し,実体判断は供述調書によると法的に整理したとしても,実際の心証形成の過程や内容は,同記録媒体を実質証拠とした場合と実質的に異ならないものとなる可能性があると考えられる。すなわち,原審におけるように,同記録媒体を視聴する証拠調べを行い,その後に供述調書の朗読を聴く手続によれば,裁判体は,同記録媒体の視聴によって,自白供述がされた取調べにおける被告人の供述内容を認識し,同時に,その際の被告人の供述態度等から供述の信用性を判断することになり,現実の心証形成は,上記記録媒体の視聴により直接的に行われることになるものと思われる(もっとも,その後に朗読される供述調書に録取された供述内容が,記録媒体で再現された取調べにおける供述の内容と乖離
しているような場合には,供述調書の信用性は認められないことになると考えられる。)。また,自白供述がされた取調べ以外の場面については,上記のような構造とはならないが,その場面における被告人の様子も供述態度の一環あるいは供述経過を示すものとして,自白供述をする際の様子と合わせ,被告人の犯人性に関する心証形成につながる可能性があり,場合によっては,
黙秘する態度によって被告人に不利益な事実を推認することと類似した心証形成となる危険性もあると考えられる。原判決の前記判断の中には,これに
以上のとおり,取調べの録音録画記録媒体を信用性の補助証拠とした場合,それを実質証拠とするのと実際の心証形成は異ならないものとなる可能性があり,また,採用する範囲をよく吟味しなければ,本来は判断材料とすることの相当性を慎重に考えるべき場面や事柄から心証形成が行われる危険性もあると考えられる。本件各記録媒体は,全体として膨大な量である取調べの録音録画記録媒体の中から,各原審当事者に,供述の任意性又は信用性に関わると考える箇所を自由に抽出させ,ただ,公判審理において取り調べるこ
とが可能な一定の時間内に収まるように調整の上で編集させたものであり,このような証拠に基づき,原裁判所は,供述の任意性と信用性を一体的に判断したものである。したがって,その再生により再現される取調べ状況全体の中から,何をもって自白供述の信用性を判断するかということは,各原審当事者によって,何らコントロールされておらず,本件各記録媒体で再現される事柄である限り,取調官に対して沈黙する際の表情なども含め,取調べ中における被告人の様子は,全て本件自白供述の信用性に関する心証形成の材料になり得たものと考えられる。そうすると,被告人の犯人性が争点であることを念頭に置きながら,本件各記録媒体で再現される被告人の一連の供述態度を視聴した原審の裁判官及び裁判員は,再現される全体的な内容のどこからでも,どのようにでも自由に,殺害犯人であることを自認する本件自
白供述の信用性,言い換えれば,被告人が殺害犯人であると認められるかどうかということについて,直接的に心証形成を行う可能性があったものといえ,そのような心証形成が合理的なものであるかどうかを事後的に検証することは困難と思われる。
このような審理の在り方は,取調べの録音録画を実質証拠としないと整理
した趣旨に整合するものではないし,適正な事実認定の手続ともいい難い。したがって,本来,原裁判所においては,原審検察官から,犯行状況を立証するために請求された取調べの録音録画記録媒体(Z検察官の取調べに係る原審乙82から94まで)について,原審弁護人の証拠意見を聴いて,証拠能力の判断をすべきであったといわなければならない。そして,仮に証拠能
力が認められると判断した場合には,さらに,請求済みの本件各供述調書に加え,上記記録媒体を実質証拠とする必要性について,原審検察官に釈明を求めるなどして,採用の必要性と相当性を吟味すべきことになる。その結果,実質証拠として採用する必要性,相当性が認められないと判断したときに,検察官が,さらに取調べの録音録画記録媒体を,本件自白供述の信用性を立
証するための補助証拠として請求してきたとすれば,初めてその適否を判断すべきことになるのであって,裁判所から,あたかも調停案であるかのようにして,弁護人に異論のある実質証拠とする代わりに信用性の補助証拠とすることを提案すべき筋合いではなかったものといわざるを得ない。また,検察官から,上記のように信用性の補助証拠としての請求がされたときには,供述の信用性に関し,どのような事柄を録音録画記録媒体で立証しようとするのかを具体的に主張させ,それに対する相手方当事者の意見を聴取し,その事柄を同記録媒体で認定して本件自白供述の信用性判断に用いることの適否を検討すべきである。その際には,前記のように当該記録媒体を取り調べることによって実体的な心証形成が直接的に導かれる可能性があることや,沈黙する被告人の様子など実体判断に用いることに適さない事柄で実際の心
証形成が行われる危険性もあることなどの問題点も考慮する必要がある。その上で,供述の裏付けとなる客観的な証拠等,我が国において,これまで自白供述の信用性判断の資料とされてきたものの外に,新たに取調べの録音録画記録媒体を信用性の補助証拠として採用することの具体的な必要性や相当性が認められるのかどうかについて,事案の証拠構造等も踏まえ,慎重に吟
味し,採用の適否を判断すべきであったものと考えられる。
そもそも,取調べの録音録画記録媒体は,被疑者の取調べ状況を映像と音声により機械的に記録したものであるから,これを証拠として取り調べることによって,暴行,脅迫その他の手段による供述の強要,偽計的な取調べ,過度に誘導的な取調べ等がされたかどうかということを,事後的に確認する
ことができるものである。したがって,そのような不当な被疑者取調べが行われるのを防止することが期待できるし,供述の任意性に争いがある場合には,録音録画記録媒体を取り調べることによって,任意性に疑いを生じるような取調べがあったかどうかを明らかにすることができる。さきに行われた刑訴法の一部改正は,改正規定の内容や取調べの録音録画の制度化が検討さ
れた経緯に照らせば,上記のような仕組みにより,我が国における被疑者取調べの適正化を図るために行われたものと理解される。
他方,取調べの録音録画記録媒体により,被疑者取調べの外形的な状況が明らかになるとしても,被告人の内心が映像と音声により映し出されるわけでもないのに,同記録媒体により再現される取調べ中の被告人の様子を見て,自白供述の信用性を判断しようとすることには強い疑問がある。すなわち,原判決の内容からもうかがわれるように,取調べの録音録画記録媒体で再現される取調べ状況等を見て行う信用性の判断は,被告人の自白供述が自発的なものと認められるかどうか,というような単純な観点から結論を導くことにつながる危険性があるものと思われる。この危険性は,特に,任意性と信用性を同時に審査する場合に高まる可能性があると考えられるが,自己に不
利益な虚偽の供述を行う契機としては様々なものが想定できるのであるから,取調べ状況をみて,取調官により強いられた供述か,それとも自発的な供述かといった二者択一的な判断をすることは,単純素朴に過ぎるものといえる。とりわけ,後に本件自白供述の信用性に関する箇所で判示するように,自発的であっても虚偽供述の可能性があることが,見落とされる危険性がある。
我が国における被疑者取調べの制度及び運用の下で,虚偽の自白がされる場合があることは,これまでの経験が示すところであるが,それにもかかわらず,捜査段階の自白供述は,その証明力が実際以上に強いものと評価される危険性があるものである。したがって,その信用性の判断に当たっては,供述が強いられたものでないことは当然の前提として,秘密の暴露の有無,
客観的な事実や他の証拠との整合性等,第三者にも検証可能な判断指標を重視した上で,内容の合理性,自然性等と併せ多角的に検討し,自白供述から適切な距離を保って,冷静に熟慮することが肝要と思われる。ところが,被疑者取調べの録音録画記録媒体を見て行う供述の信用性の評価は,前記のように供述が自発的なものかどうかという観点を出ない判断となる可能性があ
るし,それ以上の検討が行われるとしても,身柄を拘束された状態での被疑者取調べという特殊な環境下でされる自白供述について,これに過度に密着した形で,映像と音声をもって再現される取調べ中の被告人の様子を視聴することにより,真実を述べているように見えるかどうかなどという,判断者の主観により左右される,印象に基づく直観的な判断となる可能性が否定できず,上記のような熟慮を行うことをむしろ阻害する影響があるのではないかとの懸念が否定できない。後に判示するとおり,本件自白供述の信用性に関する原判決の判断には多くの問題が認められるが,本件各記録媒体を用いて実体的な判断を行ったことは,その誤りを生じた要因の一つと考えられる。以上のように多くの考慮すべき事柄があるにもかかわらず,疑問のある手続経過によって,本件各記録媒体を供述の信用性の補助証拠として採用
し,再現された被告人の供述態度等から直接的に被告人の犯人性に関する事実認定を行った原判決には刑訴法317条の違反が認められ,その余の所論につき判断するまでもなく,原判決が信用性の補助証拠として採用した本件各記録媒体を犯罪事実の認定に用いたことの違法をいう弁護人の主張には理由がある。

その違法が判決に影響を及ぼすことが明らかといえるかどうかについては,本件自白供述の信用性に関する検討を経た上で判断を示す。
6
本件自白供述の信用性に関する判断について
本件自白供述の要旨

本件自白供述の骨子は,下校中の被害者に声を掛け,被告人車両に乗車させた上,当時の被告人方に連れ込み,わいせつ行為を行った後,深夜被害者を被告人車両に乗せて連れ出し,遺体発見現場の山林まで運び,同所で殺害し,遺体を遺棄したというものであるが,そのうち,殺害に至る経緯や殺害状況に関する部分の要旨は,以下のようなものである。
すなわち,被告人が,当時の被告人方に被害者を拉致して,わいせつ行為
をした後,その発覚を防ぐため,遠方に連れて行って解放しようと考え,手首,顔面の外,足首にも粘着テープを巻いた上で,被害者を被告人車両に乗せて遺体発見現場の山林まで運んだ,その場でどうしようか考えたが,顔などを見られているので,解放して万が一被告人のことなどを話されたら,姉や母たちが困ることになるから,殺害するしかないと考えるに至り,車のダッシュボードからバタフライナイフと軍手を取り出し,軍手を両手にはめ,被害者を抱き上げて車から出して地面に立たせ,左手で被害者の右肩を抑え,右手に持ったバタフライナイフで,被害者の胸の辺りを10回くらい刺し続け,5回くらい刺したところで,被害者が膝からがくっと地面にひざまずいたが,そのまま左手で被害者の右肩をつかみながら,5回くらい刺し続けた,被害者は10回くらい刺される間,ずっと上半身は起こしたままで,被告人
が左手を離すと,そのまま地面に倒れた,検察官に被害者を刺したときの様子をやって見せ,それを時計で計ってもらったところ,だいたい6秒から7秒くらいの間に10回という早さで刺し続けたことが分かった,被害者を殺害した時刻は,当時の被告人方を出た時刻や,帰った時刻などから,平成17年12月2日午前4時頃だと思う,などというのである。

原判決の判断の要旨
原判決は,関係証拠から認められる客観的事実によれば,被告人が殺害犯人である蓋然性は相当に高いといえるが,それのみから,被告人が殺害犯人であると認定することはできないとした上,本件自白供述の任意性に疑いを入れる余地はないとしつつ,本件自白供述の内容に関し,「犯人でなければ
語ることのできない具体性,迫真性を有しており,取調官の誘導やそれに基づく被告人の想像の産物としては説明が困難な具体的事実について述べられた部分が多々含まれている」ほか,「一見すると不合理ではないかと思われる部分も含めて,客観的証拠を詳細に検討すれば,その内容が事実と矛盾する点はなく,むしろよく整合している」と評価し,供述の変遷は,処罰を免
れる術がないかを逡巡したためであり,供述態度からは,起訴を免れないならばできるだけ早く自白供述をして,受ける刑罰を少しでも軽くしようという自白に至る動機が認められ,「本件自白供述には,遺体に認められた顔面や頭部の傷害結果が発生した経緯や,わいせつ行為後,被告人方を出発するまでの数時間の行動など,十分な説明がされていない部分や,解放するために連れ出したとする被害者が全裸のままであったことなど,不合理と思われる部分が散見されることも,被告人が上記のような動機に基づき本件自白供述をしたために,取調官から追及されなかった不利益な事実についてはあえて供述しなかったものと考えれば,十分に首肯することができるといえる」などとした上で,「被告人が認めざるを得ないと考えて供述した本件自白供述における本件殺人の一連の経過や殺害行為の態様,場所,時間等,事件の
根幹部分については,十分に信用することができる」とした。
当裁判所の判断の骨子

原判決の上記判断は,本件自白供述のうち,被害者を拉致し,殺害し
た上,その遺体を遺体発見現場に投棄した犯人であることを自認する部分に信用性を認めた限度では,是認することができる。
すなわち,既に判示したとおり,被告人の犯人性については,情況証拠から認められる間接事実を総合すれば,合理的な疑いを差し挟む余地なく認定することができる。そして,証拠から認定される事実のうち,被害者が失踪した付近で目撃された古い白色セダン車が当時の被告人車両と似ており,その運転者の男と被告人は特徴が矛盾しないこと,被害者が拉致された時間帯
にその現場まで自動車で行くことが可能な場所に被告人がいたことは,被告人が被害者を拉致したことを認める供述部分を裏付けるものということができるし,遺体に付着した本件獣毛の存在は,被告人が被害者を当時の被告人方に連行したとする供述に沿うものであり,被告人車両の通行記録は,拉致が行われた日の翌日の未明に当時の被告人方と遺体発現場との間を被告人車
両で往復したことや,遺体発見現場に遺体を遺棄したことに関する供述部分を裏付けるものということができる。
また,殺害犯人でないにもかかわらず,母親に対し,自分が本件殺人を犯したことを謝罪することは通常考えられないから,被告人が,母親に宛てた本件手紙を作成したことは,犯人性を自認する被告人の供述の信用性を強く支えるものということができる。
さらに,原判決も判示するように,本件自白供述を含む被告人の捜査段階の供述には,秘密の暴露とまではいえないが,被告人の供述によって後に裏付けが得られた事実があり,これらは,本件自白供述のうち,犯人性を自認する部分の信用性を裏付けるものといえる。すなわち,捜査段階において,被告人は,遺体発見現場から自宅へ帰る途中,宇都宮方面に帰るつもりで高
速道路に乗ったと供述しているところ,捜査の結果,平成17年12月2日午前4時45分に,被告人車両と特徴の良く似た白色車両が遺体発見現場に最寄りの常磐自動車道那珂インターチェンジに流入したことが確認された。また,被告人は,取調べにおいて,被害者を当時の被告人方に連れ込んだ際に,暗くなっていて,テレビをつけるとポケットモンスターの番組が放映さ
れていたと供述したが,同月1日午後7時から7時54分まで,同番組が放映されていたことの裏付けが得られた。さらに,被告人は,取調べにおいて,被害者のランドセルをハサミで細かく切って,家庭ゴミとして捨てたと供述したが,この供述を受け,捜査官が試した結果,ハサミでランドセルを切ることが可能であった。これらの供述は,取調官等の誘導に基づくものとは考
え難く,それぞれ,本件自白供述中の,遺体の発見された日の未明に遺体発見現場から被告人方に戻る途中で高速道路を利用したこと,被告人が被害者の失踪した日に,被害者を被告人方に連れ込んだこと,あるいは,罪証隠滅のために被害者のランドセルをハサミで切ってゴミの収集に出したことに関する各供述部分の信用性を裏付けるものといえる。


しかし,本件自白供述のうち,殺害犯人であることを自認する部分を
超えて,本件殺人の一連の経過や殺害の態様,場所,時間等に関する部分にまで信用性を認めた原判決の判断は是認することができない。
その理由は,以下のとおりである。
既に判示したとおり,情況証拠によって認められる間接事実を総合すれば,被害者は,拉致のあった平成17年12月1日午後2時38分頃から,翌2日午前4時頃までの間に,栃木県内,茨城県内又はそれらの周辺で殺害されたものと認められるが,それ以上に,殺害行為の日時,場所を絞り込むことができる情況証拠は存在しない。
本件のように,犯人と被告人との同一性が争われる事件では,弁護人らが公訴事実で主張される犯行の日時,場所等を積極的に争わないことも少なく
ないが,被告人の犯人性の前提として,何者かによる犯行が公訴事実記載のとおり行われたものと確定されることが必要である。犯行の日時,場所は,被告人のアリバイ主張にも関わる事柄である。
もっとも,本件においては,被害者の拉致,殺害,遺体の遺棄という一連の犯行が同一人物によって行われたと推認されることを前提として,殺害行
為が公訴事実記載の日時,場所で行われたことを確定しない状態で,被告人の犯人性を検討することは可能である。本判決も,原判決の判断過程を踏まえ,そのような方法で検討を行っている。しかし,犯人性の検討により,それが肯定されるとの結論に至ったとしても,さらに,殺害の日時,場所が公訴事実どおりに認められなければ,その証明があったことにはならない。
ところが,原判決においては,もっぱら自らが殺害犯人であることを認める供述が信用できるかどうかという観点で本件自白供述の信用性が検討されており,殺害の日時,場所に関する供述部分の信用性の検討は,犯人性の判断の中に埋没している。本来は,殺害の日時,場所を直接証明する証拠が本件自白供述のみであるという証拠構造を踏まえた上で,その供述部分を客観
的に裏付ける証拠その他信用性を積極的に支える事情の有無について検討すべきであったが,原判決では,自白の信用性に関する判断の中で,「本件自白供述と客観的事実との整合性」という表題を立てて判示しているものの,その内容は,遺体発見現場の山林内で殺害したとする本件自白供述は同現場等の客観的状況と矛盾する,という原審弁護人の主張を検討するものであり,同供述を裏付ける事実があるとする原審検察官の主張を「なお書き」で簡単に排斥するにとどまっており,あたかも上記のように矛盾があることの立証責任が被告人側にあるかのような印象を与える判示となっている。なお,原判決は,前記のように,本件自白供述の「内容が事実と矛盾する点はなく,むしろよく整合している」と判示するが,整合しているとされているのは,ナイフで胸部を多数回刺突したという点など,被告人の犯人性を基礎付ける
部分でしかなく,殺害の場所等につき自白内容と整合する事実の指摘はない。原審においては,判決の前提となる審理も被告人の犯人性のみに焦点を当てたものとなっており,これは公判前整理手続における争点整理によるものであるが,本来,被告人の犯人性という争点の前提として,公訴事実記載の日時,場所において殺害行為が行われたと認められるかという点も問題とな
り得ることは,審理に先立ち,裁判所が指摘すべきであったものと考えられる。この点は,裁判所から指摘しない限り,当事者から積極的に主張される状況にはなかったものと思われるが,原審弁護人は,本件自白供述は,遺体発見現場等の客観的状況と矛盾するとして,同現場等の客観的状況が公訴事実の内容と異なる旨の主張を展開していたのであるから,殺害の日時,場所
についての争いが客観的に存在しなかったわけではない。また,検察官に犯罪事実を漏れなく立証する責任がある以上,原裁判所は,公訴事実と対比しながら,検察官の証明予定事実記載書面や証拠請求書をよく精査して,殺害の日時,場所の証拠関係を検討すべきであったものである。また,公判前整理手続の段階では上記問題に気付かなかったとしても,審理の中で,公訴事
実中の殺害の日時,場所に関する証拠が慎重に吟味されていれば,原判決のように,その点に関する検討が,犯人性の判断の中に埋没するようなことにはならなかったものと思われる。
以上の問題を踏まえた上で,本件自白供述のうち,殺害の日時,場所に関する供述部分の信用性を検討すると,当審においては,殺害の日時,場所が争点の一つであることを指摘した上で,事実の取調べを行ったが,上記供述部分の裏付けとなる客観的な証拠等を見いだすことはできないのみならず,むしろ,次に判示するとおり,遺体発見現場等の客観的状況は,本件自白供述と矛盾する可能性が高いものと認められる。
また,わいせつ行為に及んだ後に,遠方で被害者を解放しようと考え,12月2日の未明に,全裸の状態の被害者を自動車で連れ出し,前記山林内
まで運んだという本件自白供述の内容には,不自然,不合理な点があり,わいせつ行為後に被害者を連れ出すまでに時間的な空白が存在する理由についても説明がされていない。さらに,本件自白供述にあるような,遺体発見現場付近の林道上に手足を粘着テープで縛った状態の被害者を立たせ,左手で被害者の右肩を支え,右手に持ったナイフを被害者の胸部に多数回刺突した
という犯行態様は,それ自体が,通常想定し難いような不自然なものである上,遺体の客観的状況と矛盾する疑いが否定できないものである。ウ
以下,所論も踏まえ,本件自白供述の客観的事実との整合性及び不合
理性等について検討する。
本件自白供述のうち,殺害の場所,態様等に関する部分の客観的事実との整合性等について

遺体発見現場の客観的状況との矛盾について

弁護人は,原審以来,種々の理由を挙げて,遺体発見現場及びその周辺の血痕等の客観的状況は本件自白供述と矛盾すると主張する。
原判決は,この点に関し,客観的な裏付けがあるとする原審検察官の主張を排斥しつつも,客観的事実と本件自白供述には矛盾がないとする判断をしているが,その判断には,以下のような問題がある。
原判決は,所論と同旨の原審弁護人の主張に対する判断の中で,遺体発見現場付近にはその場で殺害されたとすれば存在するはずの,被害者から流出した血液の痕跡がない旨をいうU教授の原審証言を要約した上,それに応える形で,次のように判示する。
すなわち,「遺棄現場の血痕の状況に関する捜査報告書(甲221)によれば,遺体発見現場には目視できるだけでも多数の血痕があり,林道上や林道横の斜面上には少なくない血痕が落ちている箇所が複数あったことが認められる。また,同斜面上には,概ね2.3m四方及び3.0m四方の2か所の平面上にルミノール反応が認められており,この点に関するW教授の証言
によっても,単なる滴下痕としては説明できない量の血痕が残っていると考えられるし,現場の地面には血がほとんど染み込まないとするU教授の証言内容も,その根拠が明らかでなく合理的とはいい難い」,「遺体発見現場の血痕の状況からみても,少なくない量の被害者の血液が流出しているものと認められる」としている(2

本件自白供述と客観的事実との整合性

害行為の場所について―遺体発見現場の客観的状況との整合性)。しかし,原審甲221号証によれば,遺体が発見された日からその翌日頃にかけて実施された実況見分又は検証の結果,殺害行為が行われたとされる林道上で確認された血痕様のものは,全部で10個であり,そのうちDNA型が被害者のものと一致したのは2個,血液型が被害者のものと一致し
たのは3個,血液型は不明だが人の血液と認められたものが4個で,1個は人の血液と認められなかった。また,遺体が発見された山林内で確認された血痕様のものは,全部で11個であり,そのうちDNA型が被害者と一致したのは7個,血液型が被害者のものと一致したものは2個,血液型は不明だが人の血液と認められたものは2個であった。そして,上記書証に添付され
ている血痕の写真によっても,血だまりとなったような箇所は見当たらず,DNA型や血液型は微量の血液から判定可能であることに照らしても,遺体発見現場付近に存在した血痕はわずかであったものと認められる。この点は,当審弁1号証,161号証及び当審証人V教授の証言によれば,実況見分等の際に確認された血痕は,遺体の胸部の創傷からの出血が滴下したか,遺体に付いた血痕が接触するなどしてできたとしてもおかしくない程度のもので,それらを合わせても,せいぜい数十グラム程度と推定されるというのである。この証言は上記実況見分等の結果と整合しており,その信用性に疑いを差し挟むべき事情は見当たらず,「多数の血痕」とか「少なくない血痕」として,あたかも多量の血痕が遺体発見現場付近で確認されたかのようにいう原判決の表現は,証拠に示された事実を実際よりも大幅に誇張するものといわざる
を得ない。
また,原判決が「概ね2.3m四方及び3.0m四方の2か所の平面上にルミノール反応が認められ」とした点は,原審甲221号証の別添6の写真4及び14に依拠したものと認められるが,原審証人W教授も,同写真で血液量は分かるかとの原審裁判官による質問に対しては,「いや,しみ込んだ
量が分からないので。ただ,またルミノール反応が果たして本当に血液に反応しているのかとかいろんな問題はあるんですけど,これを血液に反応しているとするのであれば,それなりに広い範囲に落ちているんだなという印象は受けます」とあいまいで留保を付した証言をしている。前記のとおり,山林内で確認された血痕様のものは11個にとどまり,上記ルミノール反応が
認められたという箇所付近で確認されたのは7個で,そのうちDNA型が被害者のものと一致したのは4個,血液型が被害者と一致したものが2個,人の血液と認められたものが1個という状態で,それ以外には血痕が確認されていない。例えば,壁に付いた血痕を拭ったことにより,目視では分からない状態になっても,ルミノール反応が認められるような場合と異なり,本件
は,山林の地表における血痕の存在が問題なのであるから,目視により血痕の存在が分からないにもかかわらず,広く一面にルミノール反応が認められたとされることが,果たして血痕の存在を示すものといえるのか疑いがあるといわざるを得ず,W教授が付した留保は,合理的なものと考えられる。それにもかかわらず,原判決は,「この点に関するW教授の証言によっても,単なる滴下痕としては説明できない量の血痕が残っていると考えられる」と,W教授が付した合理的な留保を度外視した判断をしている。
しかも,当審弁1号証及び前記V教授の証言によれば,遺体発見現場付近において,血液を撒かない場所にルミノール試薬を散布する実験をしたところ,血液をまいた場合に比べれば弱いものの,落ち葉等から,本件の実況見分の際に撮影された写真と同様の蛍光色が発せられたことが確認されている。
当審弁161号証によれば,この現象は,落ち葉等に含まれる酸化鉄にルミノール試薬が反応したことによるものと推認され,その機序は化学的に説明することが可能である。上記実験の結果及び発光現象の機序に関する化学的な説明に加え,前記写真には落ち葉等の形に添うような形で発光が認められることに照らせば,遺体発見現場付近の斜面上に「概ね2.3m四方及び3.
0m四方の2か所の平面上にルミノール反応が認められ」と原判決が指摘するところは,落ち葉等にルミノール試薬が反応したことによる擬陽性発光である疑いが強い。したがって,前記写真に基づいて「単なる滴下痕としては説明できない量の血痕が残っている」と認定した原判決の判断は,依拠する証拠の趣旨や証明力を誤解した不合理なものといわざるを得ない。
また,原判決は,「現場の地面には血がほとんど染み込まないとするU教授の証言内容も,その根拠が明らかでなく合理的とは言い難い」とするが,現場で確認された血痕の量が少なかったのは,流出した血液が地面に染み込んだためであるという,本来は原審検察官が立証すべき仮説について,被告人の側に反対事実の立証責任を負わせて被告人に不利な判断をしている。し
かも,前記当審弁1号証及びV教授の証言によれば,実証実験の結果,遺体発見現場付近の地面には血液がほとんど染み込まなかったというのである。この点について,検察官は,現場の土地の状態が,事件当時と実験当時とでは異なっている可能性がある旨をいうが,仮に事件当時の土地の表面が上記実験当時よりも柔らかかったとしても,それにより土中に染み込んだ血痕が,遺棄行為のあった当日や翌日頃に,実況見分や検証を行う警察官による目視で地表上には確認できなくなるというのは疑わしい。結局,原審及び当審の審理を通じ,遺体発見現場付近において,同所で殺害行為が行われたことを示すような血痕が存在したことは,検察官によって,何ら立証されていないというべきである。
むしろ,当審証人V教授の証言によれば,遺体の解剖所見から認められる
出血状況と遺体発見現場の血痕の状況は,殺害が遺体発見現場付近で行われたとすることと矛盾する可能性が高いと認められる。
すなわち,V教授は,遺体内に残存していた血液の量が少量であったことや遺体の心臓が蒼白であったことなどから,殺害後に遺体から1000ミリリットル程度の出血があったと推定されるところ,それだけの血液が流出し
た痕跡は遺体発見現場付近には認められないというのである。その証言は,解剖医であるU教授よりも血液の流出量を控えめに見積もったものであり,遺体発見現場における検証時,警察署における検視時及び大学における解剖時における遺体の胸部の血痕を示す写真を対比しても,それらにはほとんど違いがなく,発見から解剖までの間に遺体から多量の血液が流れた痕跡は認
められないことに裏付けられており,地上に落ちた血液が土中にしみ込むことはほとんどないという点も実験による裏付けがあるもので,これらの事実に基づくV教授の判断は,合理的なものとして信用性が高いと認められる。これに対し,W教授やX教授は,遺体が現場から運ばれ,解剖されるまでに体内の血液が流出した可能性,現場に滴下した血液が地中にしみ込んだ可
能性,解剖時に多量の血液が遺体から流れ出た可能性をいうが,いずれも,仮説や憶測の域を出るものではなく,それらの推論を裏付ける客観的な証拠は何も提出されておらず,原審及び当審における審理を通じ,遺体内に残存していた血液が少なかったことが,そのような原因によるものであることは,検察官によって何ら立証されていない。
原判決は,結論として,「殺害行為の場所に関する本件自白供述の内容と遺体発見現場の客観的状況との間に矛盾があるとはいえない」としているが,以上のとおり,証言の趣旨を適切に理解せず,証拠の証明力を誤認し,さらには,立証責任の所在を取り違えた事実認定を前提としており,当審における事実の取調べの結果に照らしても,実験則に反するものであって,到底是認することはできない。

遺体発見現場の客観的状況には,同所付近で殺害を行ったとする本件自白供述を裏付けるものがなく,その状況と本件自白供述の内容との間には,原判決が判断したように矛盾がないとはいえないだけでなく,むしろ,矛盾する可能性が高いというべきである。

遺体の創傷と本件自白供述との矛盾等について

弁護人は,原審以来,種々の理由を挙げて,遺体に存在する創傷と本件自白供述の内容は矛盾する,と主張する。
この点について,原判決は,本件自白供述の裏付けがあるとする原審検察官の主張を排斥しつつも,矛盾する点もないとしているが,その判断には,以下のような問題がある。

原判決は,「林道に被害者を立たせたままナイフで5回ほど突き刺し,膝が崩れた後も5回ほど刺し続けた」という殺害行為の態様などについて,「実際に体験した者でなければ語ることのできない具体的で迫真性に富んだ内容である」としている(3

本件自白供述の内容自体について

供述

内容の具体性及び迫真性)。
しかも,原審において,U教授が,本件自白供述のように,被害者を立たせた状態で刺突して胸部に存在したような創傷を形成することは不可能であると証言したのに対し,原判決は,次のように説示し,遺体の客観的状況は,本件自白供述における殺害態様と矛盾しないとしている。すなわち,「被告人と被害者とは相当の体格差があること,被害者の胸部の刺創は,概ね縦10cm,横20cmという極めて限定された範囲の上胸部に密集していること,被害者の右肩の背部には薄く変色した圧痕(後の解剖により細かい擦過傷と判明)があることや,本件自白供述によれば,被害者はナイフで刺された際には手足を粘着テープで縛られて身動きが取れない状態であったことからすれば,被告人が立たせた被害者の右肩を左手で強くつかむと,身体の小さい被害者は相当強固に固定されることが推認される。そのような状態であ
れば,被害者の胸壁に対して垂直方向に凶器を突き刺すことや,被害者の膝が崩れても左手で上半身を支えたまま同一方向に刺し続けることが可能であると考えられる」というのである。
しかし,遺体の胸部に存在した創傷をそのような態様による刺突行為で形成することの可能性には疑問があり,本件自白供述にある犯行態様は,被告
人が,遺体発見現場で殺害したと説明するために作出した虚構である疑いが否定できない。
すなわち,原審甲232号証,当審弁1号証及びV教授の証言によれば,遺体の胸部には,10箇所程度の刺創が存在し,2箇所を除き刺入口に切創を伴っていないことから,ほとんどの刺創がほぼ遺体に対して垂直方向
に刺入され,そのまま同じ方向に引き抜かれたことが示されており,刺突行為の際に,被害者の体勢は非常に安定していたものと考えられる。また,創傷の中には,胸骨を貫いたもの(創5,7)や胸骨(創6)又は肋骨(創3)で止まっているものも存在しており,それらの創傷を形成するには,相応の力を要したものと考えられるし,被害者の身体には,ナイフが衝突した胸骨
などの硬い箇所を後方に強く押し,またナイフを抜く際に前方に引く力が加わったと推認される。
ところが,本件自白供述によれば,被告人は,粘着テープを被害者の顔面,手首,足首等に巻いた状態で林道上に立たせ,これに正対し,被害者の右肩を左手でつかみ,右手にナイフを握って,被害者の胸を5回くらい刺突したところ,被害者は膝から地面にひざまずいたが,そのまま,左手で被害者の右肩をつかみながら,5回くらい刺し続けた,その間,被害者はずっと上半身は起こしたままで,被告人が左手を離すと,そのまま地面に倒れた,その様子を検察官の前でやってみせ,それを時計で測ってもらったところ,だいたい6秒から7秒くらいの間に10回という速さで刺し続けたことが分かった,などというのである。

このように,殺害するため,被害者を林道上に立たせ,その右肩を左手でつかみ,胸部を連続的に刺突するという行為は,約50センチメートルの身長差のある被告人が,被害者を殺害する方法として,不自然で,奇異なものという印象を免れない。また,被告人が被害者の右肩をつかんでいれば,被告人と被害者との間隔はかなり近いことになるから,本件自白供述にあるよ
うな体勢で右手に握ったナイフで被害者の胸部を刺突するには,腕の動かし方にも制約があり,強い力で刺突するには適さないものと思われる。ナイフで刺して殺害しようというのであれば,現場の地上に被害者を横たわらせることには何ら障害がないはずであるのに,被害者を立たせた不安定な状態で,しかも刺突行為のしづらい体勢で,あえて殺害行為を行う必要性や合理性は
見いだし難い。そして,10回にわたる刺突行為を繰り返した間に,被害者の上体が起きたまま,非常に安定した状態にあったということは現実的でないものと思われる。すなわち,足首に粘着テープを巻かれて両足が揃った状態にあった被害者を被告人の左手一つで支えたというのであるから,被害者の体は,揃えられた両足と右肩の2点で支えられていることになり,そのよ
うな被害者の被告人がつかんだ右肩よりも左側に当たる胸部を強く刺突し,胸骨を貫く程の力が加われば,被害者の左半身を後方に押して回転させる力が作用するはずであり,それにもかかわらず,ナイフを刺突する際に,被害者の体が非常に安定していたことを示すような創傷を生じているというのは不可解である。
さらに,原判決は「被害者の膝が崩れても左手で上半身を支えたまま同一方向に刺し続けることが可能である」というが,本件自白供述のように,刺突行為の途中で被害者がひざまずく状態になったのだとしたら,遺体の胸部に存在した創傷を形成するためには,それ以降,被告人は,30センチメートル程度は刺突位置が低くなったはずの被害者の胸部に向け,それまでと同じように地表とほぼ水平の方向に向けて刺突行為を繰り返したことになるが,
そのためには,膝を折るなどして姿勢を30センチメートル程度下げるか,上記のような刺突方向を維持できるように腕の使い方や凶器の使用方法を改めるなどの必要があるはずである。全体で六,七秒程度の間に連続的に刺突したというのに,その途中で,なぜ,姿勢を下げ,あるいは腕の使い方や凶器の使用方法を改めるなどしながら,同じ方向への刺突行為を繰り返したの
か,その理由や想定される行動は不自然というほかない。
W教授及びX教授は,体格差がある被告人が,被害者の右肩を強くつかめば被害者の体を固定して刺突することは可能であるとするが,その証言内容は,本件自白供述にあるような刺突行為もあながち不可能とはいえないと思われるという見解を述べるものにすぎず,何らかの実証的な実験に基づ
くものとは認められない。そもそも,前記のような体勢による刺突行為の自然性や相手方に及ぼす力の作用等は,法医学者の専門的な知見に属する事柄ではなく,常識に基づいて判断することができるものと思われる。本件自白供述にあるような態様で刺突行為をしたことにより,遺体の胸部に存在する創傷を形成することができる可能性について,上記各証言によっても,前記
のような多くの疑問を解消することはできず,本件自白供述にある行為態様で遺体に存在する創傷を形成することが可能であることについては,合理的な疑いを超える証明がされているとはいえないし,まして,殺害態様に関する本件自白供述の内容が,遺体の創傷によって積極的に裏付けられているとは到底いえない。
以上に加え,V教授の当審証言によれば,被害者の心臓の右心室を貫通した二つの創傷(創5,7)が形成されれば,心臓のポンプ機能が働かなくなり,血液の循環は極めて弱くなると考えられるにもかかわらず,遺体の心臓の表面が白くなっていたことや,遺体から採取された臓器の標本中の血液が少なかったことに照らせば,心臓の右心室を貫通した二つの創傷は他の創傷が加えられてから,少なくとも1分間以上は間隔をあけてから形成され
たものと考えられるというのである。
解剖時に遺体内に残留していた血液が少なかったことは解剖所見でも示されており,臓器標本中の血液が少なかったとするV教授の証言の信用性を疑うべき事情もない。また,遺体の心臓の表面を映した写真(当審第2回公判調書中のV教授の供述調書添付の添付資料1の22頁)によれば,実際にV
教授の指摘するような状況を確認することができる。心臓の色の点について,X教授は,遺体の心臓の写真で表面が白く見えるのは,光の反射によるもので,実際の色調を示すものとは考えられないというが,上記写真では,明らかに光の反射で光って見える箇所が一部に認められるものの,それ以外の箇所は,光の反射により色調が実際と異なったもののようには見えない。そう
すると,遺体の心臓の右心室を貫通した二つの創傷は,他の創傷が加えられてから少なくとも1分間以上は間隔をあけてから形成された,とするV教授の推論には相当の説得力があり,それが事実とすれば,この点においても,遺体の客観的状況と本件自白供述との間には大きな矛盾があることになる。なお,当審証人X教授は,殺害行為が遺体発見現場付近で行われたことを
示す事情があるかとの当裁判所の質問に対し,遺体が発見された際の姿勢が,頭部を後ろに曲げて体をひねり,地面から体を浮かせたような状態であったことが,死後硬直が生じる前に投棄されたことを示すと証言する。しかし,死後硬直がなければ,遺体の姿勢は地表に沿ったものとなるのが通常と考えられるから,X教授の見解は疑問であり,本件自白供述の信用性を裏付けるものとは認められない。

結局,遺体発見現場及び遺体の客観的状況のいずれの観点からみても,
本件自白供述がそれらによって客観的に裏付けられているとは到底いえず,むしろ,本件自白供述は,それらの客観的事実と矛盾する可能性が高いものと認められ,同供述による殺害行為の態様も不自然というべきである。以上のとおり,本件自白供述と客観的事実との整合性に関する原判決の判断には多くの問題がある上,原判決は,前述のような不自然な殺害行為の態様についても,「取調官の誘導やそれに基づく被告人の想像の産物としては説明が困難である」として,被告人の犯人性を支える事情とするが,取調官が誘導するような内容と考えられないことから,犯人である被告人が真実を述べたものと考えるのは短絡的であり,被告人が自ら作出した虚構である可
能性が原判決では看過されている。
本件自白供述のうち,殺害の経緯に関する部分の不合理性等について以上のとおり,本件自白供述のうち,殺害の場所,態様に関する部分は,客観的な事実と矛盾する可能性が高く,内容的にも不自然というべきであるが,さらに,殺害の経緯に関する部分にも,以下のように,不自然,不合理
な点がある。

原判決は,本件自白供述によれば,遠くで解放するためとしながら,
真冬の深夜に被害者を全裸のまま自動車に乗せて連れ出したとの内容が不自然であるとの原審弁護人の指摘を受け入れつつ,そのことは被害者を連れ出した動機について,被告人が,自己の刑責を軽く見せるために真実を供述していないのではないかとの疑いを生じさせるが,本件自白供述全体の信用性に影響を与えるものとはいえないとする。
しかし,当初から被害者を殺害する意図であったとしても,全裸の状態の被害者をそのまま連れ出したことが自然かつ合理的とはいえないし,むしろ,そのような意図であれば,当時の被告人方で殺害して遺体を遠方に遺棄する方が自然と考えられるのであり,原判決の説明で本件自白供述の不自然性,不合理性が解消されるとはいえない。

また,原判決は,本件自白供述においては,遺体に認められた顔面や
頭部の傷害が発生した経緯や,わいせつ行為後,当時の被告人方を出発するまでの数時間の行動が説明されていないことも指摘しながら,起訴されて有罪となることを免れないと考えた被告人が受ける刑罰を少しでも軽くしようという意図に基づいて本件自白供述をしたために,取調官から追及されなかった不利益な事実についてはあえて供述しなかったものと考えれば,つじつまが合うかのように判示する。
被告人が本件自白供述をした動機に関する原判決の判断に不合理なところはなく,傷害の点を原判決のように説明することは可能としても,わいせつ
行為後,当時の被告人方を出発するまでの数時間の行動が説明されていないことは,供述内容の中に,説明することが困難な時間的空白が存在しているといえるのであって,供述された殺害に至る一連の経過が虚構である疑い,換言すれば,真実の殺害の経過そのものが秘匿されている疑いを抱かせるものである。しかも,上記のように,被告人が,受ける刑罰を少しでも軽くし
ようという意図に基づいて本件自白供述をしたものとすれば,自己に不利益な事実をあえて供述しないというにとどまらず,積極的に自己に有利な内容の虚構を作出している可能性も否定できないはずである。それにもかかわらず,本件自白供述における一連の経過や殺害行為の態様,場所,時間等に関する部分について,「被告人が認めざるを得ないと考えて供述した」とする
原判決の判断は,自己に有利な内容の虚構を被告人が作出した可能性を度外視し,あるいは見落としているものといわざるを得ない。

結局,原判決は,本件自白供述のうちの殺害の経緯に関する部分の内
容の不自然性,不合理性や,時間的な空白の存在を合理的に説明することのできる理由を何ら示しておらず,これらの問題を看過しているものといわざるを得ない。
小括
以上のとおり,本件自白供述のうち,生存中の被害者を当時の被告人方から連れ出して,遺体発見現場の山林において殺害したとする部分は,供述を裏付ける証拠が存在しないだけでなく,遺体発見現場及び遺体の客観的状況と矛盾する可能性が高いものと認められ,内容的にも不自然,不合理で,供
述内容の中に,説明することが困難な時間的空白が存在しているものであって,被告人の供述経過に照らしても,被告人が作出した虚構である疑いが否定できない。
原審記録中には,殺害の経緯,態様,場所等を示す客観的な証拠は存在せず,それらの内容が取調官によって誘導されたと考える合理的な理由もない
のであるから,原判決のように,本件自白供述における供述内容が,「被告人が認めざるを得ないと考えて供述した」ものと判断する根拠は存在しない。それにもかかわらず,そのような判断をした原裁判所は,既に判示したとおり,殺害の日時,場所の証拠構造に十分に留意することなく,その点に関する供述部分に客観的な裏付けがあるとする原審検察官の主張を排斥しながら,
証拠の評価等を誤って矛盾する証拠もないとし,さらに,疑問のある手続経過によって,取調べの録音録画記録媒体を供述の信用性の補助証拠とした結果,再現された被告人の供述態度を見て,被告人が,取調官に強いられることなく,自発的に供述をしているもので,取調官の誘導によるものとは認められないことから,犯人である被告人が「認めざるを得ないと考えて供述し
た」ものとして,被告人の作出した虚構である可能性に思い至らないまま,殺害の経緯や場所を含め,全体的に信用性を認めたものと考えられる。以上のとおり,本件自白供述のうち,殺害に至る経過や殺害行為の態様,場所,時間等に関する供述部分に信用性を認め,公訴事実どおりに被告人を有罪とした原判決の判断は不合理で,これを是認することはできず,前記5に判示した訴訟手続の法令違反,すなわち供述の信用性の補助証拠として採用した本件各記録媒体に基づき,犯罪事実(被告人の犯人性)を認定した違法が,殺害行為の日時,場所に関する誤った判断に影響を及ぼしたことは明らかであると認められる。
殺害の場所等に関する供述部分が信用できなければ,本件自白供述の信用性は全体として失われるとする弁護人の所論について

弁護人は,殺害行為の場所やその態様等に関する供述部分に信用性が認められないのであれば,本件自白供述の信用性は全体として失われる旨を主張するので,その点について検討する。
一般的に,自己が犯人であることを認める被疑者であっても,その犯行の動機,経緯,態様等について,真実をありのままに供述するとは限らない。
被疑者が,自らが犯した罪に対する深い反省や悔悟から,全てを正直に供述する場合もあるが,そうではなく,捜査官の言動等から,証拠がそろっていて有罪は免れないと考え,そうである以上,情状を良くするために犯行を認め,犯行の動機や態様について,実際の犯行よりも犯情の軽い虚偽の事実を供述することは珍しいことではない。重い処罰を免れたいのは人間の心情と
して自然なことであり,特に,事実をありのままに供述すれば,相当に重い刑に処せられるおそれがあり,しかも,犯人性は別として,実際の犯行状況を示す証拠を捜査機関が収集している様子がうかがえなければ,上記のような虚偽供述を行う動機は一層強くなるものと考えられる。
本件において,殺害犯人と被告人との同一性は,情況証拠から認められる
間接事実を総合すれば,合理的な疑いを差し挟む余地なく認められるのであるから,本件自白供述において,被告人が殺害犯人であることを自認すること自体が虚偽であるとは考えられない。
他方,本件自白供述のうち,殺害の経緯,場所,態様等については,裏付けとなる証拠がないばかりか,むしろ,遺体発見現場や遺体の客観的状況と矛盾する可能性が高く,内容的にも不合理なもので信用することができない。そして,原判決も指摘するように,被告人の供述経過等に照らせば,本件自白供述が,反省や悔悟により行われたものとは認められないのであるから,犯人である被告人が,前記のような動機から,殺害の経緯,場所等について虚構を作出した疑いは否定できない。
したがって,殺害の場所等に関する供述部分が信用できなければ,犯人性
を自認する部分を含め,本件自白供述の信用性が全体として失われるとはいえず,弁護人の所論を採用することはできない。
本件粘着テープ等から被告人のDNA型が検出されなかったことと本件自白供述の矛盾をいう弁護人の所論について
弁護人は,本件自白供述にあるように,①被告人が被害者の顔面等に粘着
テープを巻いたのだとすれば,本件粘着テープから被告人のDNA型が検出されるはずであるし,②被害者にわいせつ行為をするといった密接な身体的接触があれば,遺体の体表を拭ったガーゼ片等から被告人のミトコンドリアDNA型が検出されるはずであるのに,粘着テープ鑑定及びR鑑定で被告人のDNA型が検出されなかったことは,被告人が犯人であるとする本件自白
供述に信用性がないことを示す,と主張する。
既に判示したとおり,情況証拠によって認められる間接事実を総合すれば,殺害犯人と被告人との同一性が推認され,粘着テープ鑑定及びR鑑定の結果は,いずれも被告人を犯人と認定することに合理的な疑いを生じさせるものではない。

粘着テープ鑑定に関しては,殺害犯人が犯行の際に使用した粘着テープの一部が残存したのが本件粘着テープである蓋然性が高いものの,粘着テープ鑑定の結果が殺害犯人と被告人との同一性に合理的な疑いを生じさせるものでないことは,既に判示したとおりであり,本件自白供述にあるような粘着テープの使用方法を前提としても,その結論は左右されない。
他方,これまで,本件自白供述にある被告人のわいせつ行為を前提にR鑑定につき検討してはいないが,既に判示したとおり,本件自白供述のうち,殺害の経緯,場所,態様等に関する部分は,遺体発見現場や遺体の客観的状況と矛盾する可能性が高く,内容も不自然,不合理であり,被告人が作出した虚偽供述である疑いがあって,信用することはできない。そして,当時の被告人方でのわいせつ行為に関する供述部分も,生存中の被害者を連れ出し
たという殺害の経緯の説明と密接に関連するものであるから,やはり信用することはできない。上記わいせつ行為に関する供述部分が信用できないものである以上,その内容とR鑑定の結果との整合性如何は,本件の結論を導く上で何ら意味を持たない。また,上記わいせつ行為に関する部分に信用性が認められないことが,被告人の犯人性の認定を左右するものでないことは,
殺害場所等に関する供述部分について既に前記

で説示したところから明ら

かである。
以上により,本件粘着テープ等から被告人のDNA型が検出されなかったことは本件自白供述と矛盾するとして,同供述の信用性を全体として否定する弁護人の所論を採用することはできない。
被告人の供述経過は,本件自白供述が虚偽であることを示すとする弁護人の所論について
弁護人は,被告人が,商標法違反で起訴された当日に短時間の取調べで本件殺人の犯人であることを認める供述をしたにもかかわらず,殺害態様等について具体的に供述するまでに異常に時間がかかっていることは,本件自白
供述が想像で語った虚偽供述であることを示すと主張する。
しかし,弁護人は,殺害態様等について供述するまでに時間がかかっているというが,一旦概括的な自白をした後,起訴後勾留中に本件殺人の取調べを受けていた間,被告人は,原審弁護人の助言も受け,殺害の犯行につき供述することを基本的に拒んでいたものと認められ,本件各記録媒体をみても,殺害態様に関する供述をしようとしても,犯行の体験がないために,具体的な供述ができなかったというような様子は見られない。また,上記取調べが中止された4月10日以降は,5月29日を除き,6月3日まで本件殺人の取調べは行われなかったのであるから,その間に殺害態様等につき被告人が供述していないのは当然である。
また,弁護人は,遺体の投棄状況に関して取調官の誘導があるなどと主張
するが,深夜から未明にたどり着いた山林内で,自動車の照明灯以外に明かりがなく,異常な心理状態の下で行ったものと推察される遺体の遺棄行為について,約8年半が経過した時点における記憶にあやふやな部分があったとしても,不自然とはいえない。このような状況において,実況見分等の結果による遺体発見場所と遺体の投棄状況に関する供述が整合しないことから,
取調官が,若干の誘導的な発問をしていたからといって,遺体を山林内に投棄したという供述自体について,被告人の体験していない事柄が誘導されたものとみることはできない。
弁護人の所論によれば,本件自白供述のうち殺害の場所や態様等に関する部分が遺体発見現場付近や遺体の客観的な状況と矛盾するのも,犯人でない
被告人が,取調官の追及により実際には体験していないことを誘導や想像で供述させられたためということになる。しかし,本件自白供述における殺害の経緯及び態様は,通常想定されるものとはいえないし,遺体に認められる創傷からそのような犯行態様が推認されるものではなく,その他,本件の関係証拠の中にそのような経緯や殺害態様であったことを示すものがあるわけ
でもない。したがって,本件自白供述が取調官の誘導に基づくものとは考えられないし,そのような状況をうかがわせる証拠もない。
以上のとおり,被告人が供述しようとしても,犯行の体験がないために,具体的な供述ができず,捜査官から与えられた情報に基づいて本件自白供述が構成されたというような状況は認められず,弁護人の所論は,根拠を欠くものである。
本件自白供述の信用性に関する結論

以上によれば,本件自白供述のうち,自らが本件殺人の犯人であることを認める部分については,他の証拠によって客観的に裏付けられ,あるいは支えられており,信用性を認めることができるが,殺害の場所や態様等に関する部分については,客観的な裏付けがないばかりか,むしろ遺体発見現場や遺体の客観的な状況と矛盾する可能性が高く,被害者を連れ出してから遺体発見現場付近で殺害したという内容は不自然,不合理で,自己の刑責を実際よりも軽いものにするためにした虚偽供述であるとの疑いを否定することができず,信用性が認められない。そして,被害者を遺体発見現場付近で殺害したとの供述に信用性が認められない以上,殺害の日時を同供述に基づいて
認定することもできない。
本件自白供述のうち,殺害の経過,殺害行為の態様,場所,時間等に関する供述部分に信用性を認めた原判決の判断は,それら供述部分と客観的な証拠との整合性や供述内容の不合理性等の検討が不十分で,必要な考慮を欠き,不合理なものであって,是認することができない。

7
結論

以上の次第で,被告人が殺害犯人であることは合理的な疑いを差し挟む余地なく認めることができるが,供述の信用性の補助証拠として採用した本件各記録媒体により,直接的に被告人の犯人性を認定した原審の訴訟手続には法令違反が認められ,また,殺害犯人であることを自認する点を除き信用性に疑いのある本件自白供述に基づき,被害者が殺害された日時,場所を公訴事実どおりに認定した原判決には事実の誤認があり,これらは,いずれも判決に影響を及ぼすことが明らかであるから,弁護人の論旨は,その限度で理由がある。
第2

破棄自判

原判決には,殺人罪につき,前記のように判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反及び事実誤認が認められるから,同罪と併合罪関係にあるものを含め,刑訴法397条1項,379条,382条により原判決は全部破棄を免れない。
既に判示したとおり,被告人が殺害犯人であることは合理的な疑いを差し挟む余地なく認められ,ただし,殺害行為が公訴事実記載の日時,場所で行
われたことの証明がないところ,平成30年1月10日付け訴因追加請求書により検察官から請求され,当裁判所が許可した予備的訴因,すなわち,殺害の日時を「平成17年12月1日午後2時38分頃から同月2日午前4時頃までの間に」と,場所を「栃木県内,茨城県内又はそれらの周辺において」とそれぞれ改める訴因については証明があり,直ちに判決をすることが
できるので,刑訴法400条ただし書により,当裁判所において,被告事件につき更に判決をすることとする。
(罪となるベき事実)
被告人は,
第1

平成17年12月1日午後2時38分頃から同月2日午前4時頃までの間に,栃木県内,茨城県内又はそれらの周辺において,A(当時7歳)
に対し,殺意をもって,ナイフ様のものでその胸部を多数回突き刺し,よって,その頃,同所において,同人を心刺通(心臓損傷)により失血死させた。
第2
原審部分判決の(罪となるベき事実)第1に記載のとおり。

第3

原審部分判決の(罪となるベき事実)第2に記載のとおり。

第4

原審部分判決の(罪となるベき事実)第3に記載のとおり。
(証拠の標目)
判示第1の事実について
原判決の(証拠の標目)に記載のとおり。ただし,「公判供述」「第8回公判」の各記載及び各証拠番号の冒頭に「原審」を付加する。
判示第2ないし第4の事実について
原審部分判決の(証拠の標目)に記載のとおり。ただし,「公判供述」「第1回公判」「第2回公判」の各記載及び各証拠番号の冒頭に「原審」を付加する。
(主位的訴因を認定せず,予備的訴因を認定した理由)

既に判示したとおり,殺害犯人と被告人との同一性は合理的な疑いを差し挟む余地なく認められるが,本件自白供述のうち,被害者を当時の被告人方から自動車に乗せて連れ出した上,平成17年12月2日午前4時頃,茨城県常陸大宮市甲字乙丙番丁所在の山林西側林道において殺害した,とする部分は,これを裏付ける証拠がなく,内容的に不自然,不合理で,説明するこ
とが困難な時間的空白がある上,遺体発見現場や遺体の客観的な状況と矛盾する可能性が高いから,信用性が認められず,他に公訴事実(主位的訴因)に示された日時,場所で殺害行為が行われたことを示す証拠は存在せず,同訴因どおりの犯罪事実を認定することはできない。
しかし,既に判示したとおり,平成17年12月1日午後2時38分頃か
ら同月2日午前4時頃までの間に,栃木県内,茨城県内又はそれらの周辺において,被害者が殺害されたことは明らかであるから,前記(罪となるべき事実)第1のとおり,予備的訴因につき認定することができる。
(法令の適用)
原判決の(法令の適用)に記載の各法令に加え,当審における訴訟費用に
つき刑訴法181条1項ただし書を適用して主文のとおり判決する。(量刑の理由)
本件は,殺人,商標法違反(輸入,所持)及び銃砲刀剣類所持等取締法違反の各罪を併合罪とした上,被告人を無期懲役に処した原判決に対し,原審弁護人から,被告人のため控訴が申し立てられた事案である。
併合罪関係にある各罪の罪質,法定刑等に照らせば,本件の量刑においては,もっぱら殺人罪に重点を置くのが相当である。
殺害に至る経緯,殺害の場所,態様等に関する本件自白供述には信用性が認められず,他にそれらの事情を示す証拠はなく,既に判示したような捜査,公訴提起,審理の経過もあり,事案の解明が十分に行われたとはいえないが,被告人が,何ら落ち度のない見ず知らずの小学一年生の女児を,無抵抗の状
態で,あるいは抵抗不能の状態にした上,その胸部にナイフ様のものを多数回突き刺して殺害したものであることは明らかであり,犯行態様は極めて残虐で,何らかの酌むべき犯行動機を想定することはできない。
被告人の凶行により突然に被害者を失った遺族らの心痛は察するに余りある。心労が重なり,原審の公判審理が始まる前に死亡した母親の無念も,い
かばかりであったかと思われる。
被告人は,犯行を否認し,不合理な弁解に終始しており,反省する姿勢は全く見られない。
以上によれば,被告人を無期懲役に処するのが相当である。
よって,主文のとおり判決する。

平成30年8月3日
東京高等裁判所第5刑事部

裁判長裁判官

藤井敏明
裁判官

田㞍克已
裁判官

大西直

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