判例検索β > 平成27年(ネ)第77号
国家賠償請求控訴事件
事件番号平成27(ネ)77
事件名国家賠償請求控訴事件
裁判年月日平成30年7月24日
法廷名広島高等裁判所  松江支部
結果棄却
原審裁判所名鳥取地方裁判所
原審事件番号平成22(ワ)110
裁判日:西暦2018-07-24
情報公開日2019-02-02 12:47:07
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主文1
本件控訴を棄却する

2
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由

第1章

控訴の趣旨

1
原判決を取り消す。

2
被控訴人国は,控訴人に対し,1925万円及びこれに対する平成22年5月18日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3
被控訴人鳥取県は,控訴人に対し,1925万円及びこれに対する平成22年5月15日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。(なお,それぞれの請求は,数額の重なり合う範囲内で連帯支払を求めるものである。)

第2章
第1
1
事案の概要
事案の要旨
Aは,平成8年4月1日に廃止されたらい予防法(昭和28年法律第214
号)11条所定の国立療養所に入所していなかったハンセン病の元患者であり,控訴人は,Aの子であって,その相続人である(以下,上記の法律を新法という。ハンセン病の患者(ただし,元患者を含む場合もある。)を患者と,療養所に入所していた患者を入所者と,入所していなかった患者を非入所者ということがある。)。
2
控訴人は,国会議員,内閣,厚生大臣及び被控訴人鳥取県(以下被控訴人県という。)の知事(以下被控訴人県知事ともいう。)が,平成8年まで,非入所者及びその家族に対する偏見・差別を除去するために必要な行為をしなかったこと,また,これらの者が,非入所者及びその家族を援助する制度を創設・整備するために必要な行為をしなかったことは,国家賠償法上の違法行為に当たる旨主張し,これらの者の違法行為により,A及び控訴人が,新法
の存在及びハンセン病政策の遂行によって作出・助長された偏見・差別にさらされ,あるいは非入所者及びその家族を援助する制度が創設・整備されなかったことによって適切な援助を受けられず生活が困窮するなどし,精神的苦痛を受けたとして,被控訴人らに対し,国家賠償法に基づき,損害金1925万円(①Aに生じた損害賠償請求権のうち控訴人の相続分以下である250万円・②控訴人固有の損害賠償請求権1500万円・③弁護士費用175万円)及びこれに対する被控訴人らに対するそれぞれの訴状送達の日の翌日(被控訴人国については平成22年5月18日,被控訴人県については同月15日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の(数額の重なり合う範囲で連帯)支払を求めた。
3
原審は,要旨,控訴人の主張する被控訴人国の責任のうち,①新法の患者に
対する隔離規定は,遅くとも昭和35年には,その憲法適合性を支える根拠を欠くに至っており,その違憲性は明白であり,国会議員が,遅くとも昭和40年以降平成8年まで上記隔離規定を改廃する法律を制定するのを怠ったことは,Aを含む非入所者との関係においても国家賠償法1条1項の適用上違法であり,過失も認められる,②厚生大臣が,遅くとも昭和35年以降患者に対する隔離政策を継続し,患者が隔離されるべき危険な存在であるとの社会認識を放置したことは,Aを含む非入所者及び控訴人を含む非入所者の家族との関係においても,国家賠償法上の違法性があり,過失も認められると判断したが,③控訴人の主張する被控訴人県の責任は否定した。その上で,原審は,被控訴人国の上記違法行為によるAの精神的損害を認めたが,控訴人固有の損害を認めず,また,Aに生じて控訴人の相続した被控訴人国に対する損害賠償請求権は時効により消滅したと判断し,控訴人の請求をいずれも棄却した(以下,被控訴人国ないし厚生大臣による患者の隔離政策を隔離政策といい,国会が新法を廃止しなかったことを本件立法不作為ということがある。)。4
これに対し,控訴人は,原判決を不服として控訴した。

以下の記述において,略称は原判決の例による。
第2

前提事実
以下のとおり補正するほかは,原判決事実及び理由の第2章第2のとおりであるから,これを引用する。

1
原判決4頁4行目のAの次に(●年●月●日生)と加える。
23
同4頁4ないし7行目の各BをいずれもCと改める。

同4頁9行目末尾に次のとおり加える。

Aは,昭和40年2月23日,大阪大学医学部附属病院において,昭和34年4月にハンセン病を発症したとの確定診断を受けたが,●年●月●日に死亡するまでの間,非入所者であった。


4
同4頁13行目の7の2,の次に65,を加える。

5
同7頁2行目末尾に行を改め,次のとおり加える。
(ア)1条(この法律の目的)この法律は,らいを予防するとともに,らい患者の医療を行い,あわせてその福祉を図り,もって公共の福祉の増進を図ることを目的とする。(イ)2条(国及び地方公共団体の義務)国及び地方公共団体は,つねに,らいの予防及びらい患者(以下「患者という。)の医療につとめ,患者の福祉を図るとともに,らいに関する正しい知識の普及を図らなければならない。

(ウ)

3条(差別的取扱の禁止)
何人も,患者又は患者と家族関係にある者に対して,そのゆえを
もって不当な差別的取扱をしてはならない。」

(エ)

5条(指定医の診察)
1項

都道府県知事は,必要があると認めるときは,その指定する医
師をして,患者又は患者と疑うに足りる相当な理由がある者を

診察させることができる。
2項

前項の医師の指定は,らいの診察に関し,3年以上の経験を有
する者のうちから,その同意を得て行うものとする。

3項
6
省略」

同7頁3行目の(ア)を(オ)と,同頁18行目の(イ)を(カ)と,同頁24行目の(ウ)を(キ)と,同8頁4行目の(エ)を(ク)と,同頁14行目の(オ)を(ケ)と改める。

7
同8頁15行目末尾に行を改め,次のとおり加える。

(コ)13条(更生指導)国は,必要があると認めるときは,入所患者に対して,その社会的更生に資するために必要な知識及び技能を与えるための措置を講ずることができる。


8
同8頁16行目の(カ)を(サ)と,同頁24行目の(キ)を(シ)と,同9頁11行目の(ク)を(ス)と,同頁15行目の(ケ)を(セ)と,同10頁10行目の(コ)を(ソ)と,同頁15行目の(サ)を(タ)と改める。

9
同14頁4行目末尾に行を改め,次のとおり加える。
(8)本訴の提起控訴人は,平成22年4月19日に本訴を提起した(顕著な事実)。(9)時効援用の意思表示被控訴人らは,控訴人に対し,平成24年5月18日の原審第9回口頭弁論期日において陳述された同月15日付け被告第3準備書面,及び平成25年3月15日の原審第15回口頭弁論期日において陳述された同月8日付け被告第8準備書面によって,消滅時効を援用するとの意思表示をした(顕著な事実)。第3

争点及び当事者の主張

次のとおり補正するほかは,原判決事実及び理由の第2章第3(原判決別紙当事者の主張)に記載のとおりであるから,これを引用する。なお,控訴人の主張については,第3章において,適宜これを摘示して判断する。1
原判決99頁4行目のBAをCAと改める。

2
同100頁6行目以下の各らい予防法をいずれも新法と改める。

3
同110頁3行目以下の各B家をいずれもC家と改める。

4
同111頁22行目の「基本合意書Ⅱという。」の次に内容は,別紙「基本合意書のとおりである。」を加える。
5
同127頁21行目・22行目の同僚の入寮者を他の入所者に改める。

6
同128頁5行目の第1を第1の1と改める。

7
同130頁10行目の(ア)を(イ)と改める。

8
同131頁26行目の第1の1を第1の2と改める。

9
同132頁17行目の血族族を血族と改める。

同133頁9行目の被告鳥取県を被控訴人県と改める。

同133頁26行目以下の各熊本地裁判決をいずれも熊本判決と改める。

同134頁14行目及び同135頁7行目の各期日をいずれも日数と改める。

同135頁10行目冒頭から同頁12行目末尾まで及び同137頁6行目冒頭から次行末尾までをいずれも削除する。

同137頁10・11行目の隔離政策によるを隔離政策によりと改める。

同138頁3行目の発生要件該当事実を発生要件である加害行為と改める。

同138頁7行目の能力等の次にの差を加える。

第3章
第1
1
当裁判所の判断
認定事実等

認定事実
前提事実,後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
(1)

ハンセン病の医学的知見とその変遷


ハンセン病の病型分類と症状の特徴(弁論の全趣旨)

(ア)

リドレーとジョプリングの病型分類について
ハンセン病の臨床症状は,個体の免疫系がらい菌にどのような免疫
応答を示すかが目に見える形で現れたものであって,非常に多彩であるが,症状の違いによって医学上いくつかの型に区分されている。この区分を病型というが,現在の一般的な病型分類としては,昭和41年に提唱されたリドレーとジョプリングの分類が支持を得ている。この分類による各病型の特徴は以下のとおりである。
a
I群(未定型群)
らい菌の感染が成立した免疫不全個体が発病したときの初期症

状と考えられているものであり,ここから更に成熟した病態に移行する場合,以下のLL型,TT型及びB群の三方向に分岐する。
b
LL型(らい腫型)
細胞免疫系の抑止力が機能せず,らい菌を多数含有する細胞が全
身に播種拡大する傾向を示す病型で,皮疹を始め多彩な症状を呈する。最も重症になりやすい病型で,排菌量も最も多い。

c
TT型(類結核型)
細胞免疫不全のため病態は進行するが,それでも強い類結核性肉
芽腫形成が起こり,皮膚病巣は一か所に限局傾向を示して播種傾向に乏しく,境界鮮明でしばしば中心性治癒所見を見る。排菌量はLL型よりはるかに少ない。

d
B群(境界群)
免疫応答がLL型とTT型の中間に位置し,しかも内容・程度が
不安定で,病理組織像は両者の特徴が共存しており,皮膚病巣もしばしば播種が見られるが,病巣が部分的には一か所に限局する傾向が認められ,LL型のように全身に左右対称性に散在することはない。なお,この境界群は更に三つの型(LL型に近いBL型,TT型に近いBT型,中間のBB型)に分岐する。

(イ)

リドレーとジョプリングの分類と他の病型分類との関係
前記リドレーとジョプリングの分類のほかに,次のような病型分類
が提唱されていた。
a
マドリッド分類
マドリッド分類は,昭和28年の第6回国際らい会議において提唱
されたL型(らい腫型),T型(類結核型)に加えて,B群(境界群),I群(不定型群)の二型二群に分類する考え方である。
b
我が国の伝統的分類
我が国では,伝統的に,結節型,斑紋型,神経型の三つに病型を分
類する考え方がとられてきた。これをマドリッド分類と対比すると,結節型はL型とB群の一部を,斑紋型はT型とB群の一部を含んでいる。神経型は,斑紋型で斑紋が消失したものである。
c
WHO提案の病型分類
WHOは,多剤併用療法による治療方針決定上のより簡便な病型
分類として,MB型(多菌型)とPB型(少菌型)の二分類を提案した。これによると,MB型はおおむねLL型,BL型,BB型及び一部のBT型に相当し,PB型はおおむねI群,TT型及び大部分のBT型に相当する。

(ウ)

症状の特徴

ハンセン病の症状を病型ごとに整理すれば,以下のとおりである。a
皮膚等

I群

一個ないし数個の低色素斑(ときに紅斑)が見られる。

TT型

一個ないし数個の低色素斑あるいは紅斑が見られ,病状が進
行すると手掌大あるいはそれ以上の大きさとなる。皮疹に一
致して知覚障害,発汗障害,脱毛を伴う。

BT型

TT型に似て,低色素斑か紅斑で始まるが,皮疹は小さめ
で,数は多めである。皮疹に一致する脱毛,発汗障害は余り
顕著ではない。

BB型

多数(BL型,LL型よりは少ない)の斑か,集簇性丘疹
か,あるいはこれらの混在した病巣が見られる。個疹は大き
く,拡大傾向を示して板状疹となることもあり,多形性ある
いは地図状で,辺縁は不整である。皮疹に一致して軽度の知
覚麻痺,脱毛,発汗障害,皮脂分泌障害が認められる。

BL型

初期は斑で始まるが,間もなくこれらは集簇・融合する。境
界不明瞭な紅斑・板状疹・丘疹・結節や,外側の境界が不明
瞭な環状斑が多発する。皮疹部分には発汗障害が認められ
る。

LL型

通常,早期から広範囲・対称性に分布する複数の皮疹が確認
できる。病勢が進むと,皮疹の数が増加し,更に進行すると
皮膚の肥厚(浸潤)として確認できるようになる。真皮に塊
状の肉芽腫が形成されると,丘疹や結節の皮疹となる。集簇
性・散在性に分布する段階から全身に播種状に多数散布する
ものまで様々である。び慢性に浸潤した肥厚部位に結節が混
在したり,結節が腫大・融合して巨大な局面や腫瘤が形成さ
れることもあり,斑,丘疹,板状疹,結節が混在してくる。

結節は自潰しやすく,潰瘍や痂皮を形成し,顔面の浸潤・結
節が高度になると獅子様顔貌となる。早期から発汗障害を認
めることもある。特に進行すると,眉毛・睫毛・頭髪の脱
落,爪の変形・破壊が起こる。
b
末梢神経

I群

皮疹部分の知覚低下以外に特に変化は認められない。

TT型

菌の存在が末梢神経系の一部のみにとどまり,侵されるのは
比較的低温の皮膚から浅い部分にある神経幹である。特に,
尺骨,総腓骨,顔面神経が侵されやすく,ここから分かれ出
る末梢神経はすべてその機能を停止し,運動麻痺と全種類の
知覚障害が支配領域に出現する。

BT型

皮疹の出現に先立って,知覚過敏が起こることもある。皮疹
に一致して知覚障害が認められるが,TT型より軽度であ
る。神経幹の肥厚は強く,TT型よりも広範囲であるが非対
称性である。神経障害による筋萎縮や運動障害を残しやす
い。

BB型

非対称性の肥厚を伴った多発神経炎を起こしやすい。

BL型

対称性の神経障害が現れる傾向がある。比較的多くの神経に
比較的強い変化が見られ,かなりの機能障害を残すおそれが
ある。

LL型

全身の皮膚表層の末梢神経を対称性に侵すが,深層の末梢神
経は侵されず,皮膚温度の高いところや踵・指先等の角化の
強い部分も侵されにくい。このような領域を除いた全身の皮
膚表面の知覚の低下(鈍麻)が見られる。さらに,皮膚の浅
い部分の神経幹も侵されやすいため顔面筋・小手筋,前脛骨
筋等の麻痺が加わる。多くは病期が進行してから現れ,主と

して知覚鈍麻を呈する。神経の肥厚は顕著ではない。
c

TT型やBT型は,顔面に病変がある場合に顔面神経麻痺による
片側性の兎眼が見られることがある。BL型やLL型では,らい菌が血行性に眼部に到達して,増殖することがある。特に,眼球の前半部は低温のため侵されやすい。顔面神経や三叉神経の麻痺があると多彩な障害が起こる。らい菌の侵入による変化と末梢神経の障害とがあいまって後遺症を残すことが多い。

d
耳・鼻・口・咽喉
TT型やBT型では,顔面に病変がある場合のみに,顔面神経麻
痺による変化が見られる。BL型やLL型では,鼻,口腔,咽喉の粘膜にらい菌の浸潤による病変が見られることもある。

e
臓器
至適温度が30度から33度であるというらい菌の特性から,ハ
ンセン病では体表に近い低温部が侵されやすく,温度の高い臓器
(肝臓,脾臓,腎臓等)に病変が生じてもこれによる障害はほとんど見られない。


ハンセン病の疫学(乙81,82,弁論の全趣旨)

(ア)

ハンセン病の疫学的特徴
ハンセン病の特徴は,感染と発病の間に大きな乖離が見られること
にある。すなわち,発病する感染者は,感染者のごく一部にすぎず,感染者の中の有病率は高い場合でも通常1パーセントを超えることはない。
この乖離の原因は,らい菌の毒力が極めて弱いため,感染しても発病に至ることが少なく,この菌に対して抗原特異的免疫異常が起きた場合にだけ発病するという事情が存することにある。

(イ)
a
ハンセン病の感染について
感染源
現在,感染源として確立されているのは患者だけであり,患者
は,病型によって排出する菌の量が大きく異なる。そして,多剤併用療法を始めると,らい菌の感染力が数日で失われる。したがっ
て,感染源になる可能性があるのは未治療の患者である。なお,DDS単剤療法でも,らい菌の排出量は急速に減少することが知られている。

b
感染経路
らい菌の感染経路については,現在でも確固たる結論は得られて
いない。かつては上気道粘膜からの感染が重視され,後になって皮膚の傷からの感染を重視する説が有力になったが,近年は,再び経上気道粘膜感染の重要性が指摘されるようになった。

c
感染力
ハンセン病には結核のツベルクリン反応のような感染を知る皮内
反応がないため,感染の判定には血清学的手法が用いられるが,感染を100パーセント知る方法はまだ確立されていない。よって,らい菌の感染力の強弱を知ることは困難であるが,近時の疫学的研究の成果によれば,らい菌の感染力自体はそれほど弱くないともいわれている。

(ウ)

家庭内感染の危険性について
乳児期は,人間の生涯の中で,らい菌を受け取る確率の高い時期であ
ると考えられており,乳幼児に対する家庭内感染の危険性については,第2回国際らい会議以降,国際会議等でしばしば取り上げられている。これに対し,夫婦間感染は,古くから,稀であるといわれている。(乙81,82)


治療法の推移(弁論の全趣旨)

(ア)

スルフォン剤登場以前
スルフォン剤がハンセン病治療薬として登場するまで,ほとんど唯
一の治療法は大風子油を使用することであり,ある程度効果があるとの評価もあったことから,我が国の療養所でも使用されていた。しかし,再発率が相当に高く,根治薬というには程遠いものであった。(イ)

スルフォン剤(プロミン)の登場
アメリカのカービル療養所のファジェットは,昭和18年,20世
紀初頭に抗結核剤として開発されたスルフォン剤であるプロミンにハンセン病の治療効果があることを発表した。その治療効果は顕著であって,スルフォン剤の登場は,これまで確実な治療手段のなかったハンセン病を治し得る病気に変える画期的な出来事であった。
我が国においても,戦後間もなくプロミン等による治療が開始さ
れ,昭和22年以降,日本らい学会においてプロミンの有効性が繰り返し報告されるに至った。
(ウ)

DDS
DDSは,スルフォン剤の基本化合物で,らい菌の葉酸代謝を阻害し
て静菌作用を示すものである。DDSは,リファンピシン登場前のハンセン病の代表的治療薬であり,現在でも多剤併用療法で用いられている。
DDSがハンセン病治療に試されるようになったのは昭和22年頃からであり,我が国でも昭和28年頃からDDS経口投与の治療が開始されたが,我が国でも広く普及するようになったのは,昭和30年代後半であった。
(エ)

リファンピシン
リファンピシンは,もともと抗結核剤であったが,らい菌に対して強
い殺菌作用を有していることが判明し,我が国でも,昭和46年頃からハンセン病治療に用いられるようになった。リファンピシンを服用すると,数日で体内のらい菌の感染力を失わせることができるとされており,リファンピシンによって化学療法は更に進歩した。リファンピシンは,現在の多剤併用療法の中心的薬剤である。
(オ)

クロファジミン
クロファジミンは,昭和32年に合成されたフェナジン系誘導体

で,当初抗結核作用が注目されたが,らい菌に対する弱い殺菌作用と静菌作用に加え,らい反応を抑える効果を有していることが判明し,我が国でも昭和46年頃からハンセン病治療に用いられるようになった。
(カ)

多剤併用療法の確立
スルフォン剤に始まる化学療法の進歩は,ハンセン病治療に光明を
もたらしたが,昭和30年代後半にDDSの,次にリファンピシンの耐性菌が発現し,耐性の問題をいかにして克服するかが世界的に重要な課題となっていた。
昭和56年にWHOが提唱した多剤併用療法は,リファンピシン,DDS,クロファジミンを同時併用することでこの問題を解決しようとするもので,卓越した治療効果,再発率の低さ,らい反応の少なさ,治療期間の短縮等の点で画期的であった。

医学的知見の変遷(乙128,129,弁論の全趣旨)

(ア)

感染・発病のおそれに関して

a
第1回国際らい会議(明治30年)まで
1847年,ハンセン病医学の権威ダニエルセンが,ハンセン病は
遺伝病であるとの見解(以下遺伝説という。)を唱え,これ以降
ヨーロッパでは遺伝説が支配的となったが,その後明治30年にベル
リンで開催された第1回国際らい会議において,ハンセン病は伝染病であるという見解(以下伝染説という。)が承認され,伝染説が
国際的に確立した見解となった。そして,この会議では,細菌学者ナイセルがハンセン病の伝染性は顕著でない旨述べた。
なお,我が国では,少なくとも第1回国際らい会議まで,遺伝説
が支配的で,伝染説は容易に受け入れられなかった。
b
第1回国際らい会議(明治30年)以降
第1回国際らい会議以降,医学界の状況は大きく変化し,ハンセ
ン病は,国内外を問わず,一貫して,感染し発病に至るおそれが極めて低い伝染病であることが広く認識されるに至った。この認識
は,戦前の我が国の行政部門とりわけ内務省及び厚生省にも共有されていた。
内務省衛生局長を歴任した窪田静太郎は,昭和11年に発表した
論文において,ハンセン病について,

伝染病には相違ないが,思ふに体質に依って感染する差異を生ずるので,伝染力は強烈なものではない。古来遺伝病と考へられた所以もその辺に存るのであらうと思うた

と記述している。厚生省予防局長であった高野六郎は,昭和14年に発表した自ら
の著書の中で,ハンセン病の発病が生まれながらの体質や生活環境によって左右される旨述べていた。
厚生省優生結婚相談所が昭和16年5月に作成した結婚と癩病と題する書面には,ハンセン病にかかりやすい素質は今日学問的に証明されておらず,ハンセン病の感染力は微弱であるなどと記載されていた。

(イ)
a
スルフォン剤に対する評価の確立
国際的な動向

昭和21年にリオデジャネイロで開催された第2回汎アメリカら
い会議では,スルフォン剤であるプロミンがハンセン病に著効を示すとのファジェットの研究報告がされ,その報告は高く評価され
た。しかしながら,この時点では,プロミンの試験が世界各地で十分に行われていなかったこともあって,プロミンの評価について最終的見解を出すには時期尚早であるとの慎重論にも一定の支持があった。
昭和23年にハバナで開催された第5回国際らい会議では,スル
フォン剤によりハンセン病治療に目覚ましい進歩があったとされ,プロミン等のスルフォン剤の国際的評価が高まった。そして,この会議では,DDSについて,懸念されていたほどの副作用がなく,少量の投与でプロミンに劣らない効果があるとの研究成果も報告され,注目を集めた。
昭和27年にリオデジャネイロで開催されたWHO第1回らい専
門委員会において,スルフォン剤によるハンセン病治療は他のいかなる治療よりもはるかに優れており,ほとんどすべての病型に効果的である旨の報告がされたことにより,スルフォン剤によるハンセン病治療に対する国際的評価はより高まった。この報告では,DDSについての報告もされ,DDSは,恐れられていたほどには副作用がないこと,治療効果も高いこと,安価であること,経口投与が可能で使用方法も簡便であることなどの点で高く評価され,外来治療の可能性を拡げるものとして,非常に利用価値が高いと評価された。
その後の国際会議でも,スルフォン剤の高い評価は動かず,スル
フォン剤治療の実績が積み重ねられるにつれ,その評価は確実なものとなっていった。それに伴い,強制隔離否定の方向性が次第に顕
著となり,昭和31年にマルタ騎士修道会によって開催されたローマ会議以降,昭和33年に東京で開催された第7回国際らい会議,昭和34年にジュネーブで開催されたWHO第2回らい専門委員会などでハンセン病に関する特別法の廃止が繰り返し提唱され,昭和38年にリオデジャネイロで開催された第8回国際らい会議では,無差別の強制隔離は時代錯誤であり,廃止されなければならない旨指摘されるに至った。
b
我が国における評価
GHQのサムス公衆衛生部長が,昭和21年に,日本のハンセン
病医療関係者に対して,ファジェットのプロミン等に関する文献を紹介したことを契機として,我が国でもプロミン等による治療が開始され,昭和22年以降,日本らい学会においても,プロミンの治療効果を認める報告が続いた。
その後,昭和26年4月の第24回日本らい学会において,
『プロミン』並に類似化合物による癩治療の協同研究が発表さ
れ,プロミン,プロミゾール及びダイアゾンが極めて優秀な治療薬であると認められた。もっとも,この時点においては,再発の可能性を検討するために,少なくとも10年は経過観察をする必要があるとして,スルフォン剤の評価になお慎重な意見が学会内では根強かった。
しかしながら,我が国でプロミンの治療研究が開始されてから1
0年を経過した昭和31年頃以降も,我が国におけるスルフォン剤の優位性は揺るがなかった。

(ウ)

らいの現状に対する考え方の策定
厚生省公衆衛生局結核予防課は,昭和39年3月,らいの現状に対する考え方をまとめた。そこでは,次のような言及がされてい
る。
すなわち,従来の医学においては,らいは全治は極めて困難であり,隔離以外に積極的な予防手段はないとされていたので,患者の隔離収容に重点をおいてきたのであるが,最近におけるらい医学の進歩は目覚ましいものであり,細部においては未だ不明な点は多々あるものの,らいは治ゆするものであること,らいが治ゆした後に遺る変型は,らいの後遺症にすぎないこと,らい患者それ自体にも病型により他にらいを感染させるおそれがあるものと,感染させるおそれがないものとがあること,らいの伝染力は極めて微弱であって,乳幼児期に感染したもの以外には,発病の可能性は極めて少ないことという見解が支配的となりつつあり(中略)らい治療薬の発達により,早期治療を行なったものについては,変型に至るものが少く,又菌陰性になるまでの期間も随分短縮されてきた。,こうした医学の進歩に即応したらい予防制度の再検討を行なう必要があるが,その検討の方向としては,第一に患者の社会復帰に関する対策であり,第二は他にらいを感染させるおそれのない患者に対する医療体制の問題であり,第三は現行法についての再検討であろう,本病についての特性として,社会一般のらいに対する恐怖心は今なお極めて深刻なものがあるので,まずこれについて強力な啓蒙活動を先行的に行わなければ,上記各検討結果による措置も実を結ぶことは困難であるというのである。
(2)

我が国のハンセン病政策とその変遷


戦前の状況

(ア)

癩予防ニ関スル件の制定まで(甲144,弁論の全趣旨)
我が国において,ハンセン病は,古くから業病とか天刑病

として差別・偏見・迫害の対象とされてきた。そのため,患者の中に
は,故郷を離れて浮浪徘徊する者が少なからず存在し,そのような者は社寺仏閣等で物乞いをするなど,悲惨な状況にあった。これに対し,救らい事業に乗り出したのは主として宗教家である。特に,明治20年代以降,神山復生病院,慰廃園,回春病院,待労院等の私立療養所が開設され,患者の療養に当たった。
ハンセン病は,明治30年に制定された伝染病予防法の対象疾病に含まれてはいなかったが,伝染説が確立した第1回国際らい会議(明治30年)以降,ハンセン病予防に対する関心が高まり,明治40年に癩予防ニ関スル件が制定された。
癩予防ニ関スル件は,療養の途がなく救護者のない者のみを隔
離の対象とするものであったが,これは,ハンセン病が文明国として不名誉であり恥辱であるとする国辱論の影響を強く受けており,浮浪患者の救済法としての色彩を帯びつつ,他方,公衆衛生の点からは徹底を欠いていた。
明治33年以降,内務省によってハンセン病の全国調査が実施されたが,その際に患者の人数などのほか,ハンセン病の血統家系戸数又はハンセン病の患家の数も調査の対象とされた。
(イ)

療養所の設置(弁論の全趣旨)
内務省は,明治40年,まず2000人の浮浪患者を収容する方針
を策定するとともに,癩予防ニ関スル件4条1項所定の療養所の
設置方針として,市街地への距離が遠くなく交通の便利な土地を選ぶことなどを決定した。しかし,実際の療養所建設は,地元住民の反対運動で難航し,結局,次のとおり,全国5か所に府県連合立療養所(以下公立療養所という。)が設置されたが,これらは必ずしも
上記方針どおりの立地条件ではなく,特に,大島療養所は,瀬戸内海の孤島に置かれた。

第一区

全生病院(東京都東村山市所在。後の多磨全生園)

第二区

北部保養院(青森市所在。後の松丘保養園)

第三区

外島保養院(大阪市所在。なお,昭和9年9月の室戸台風
により壊滅的被害を受け,そのまま復興されなかった。)

第四区

大島療養所(香川県木田郡庵治町所在。後の大島青松園)

第五区

九州療養所(熊本県菊池郡合志町所在。後の菊池恵楓園)

さらに,療養所長は,大正4年頃以降,入所患者の逃走防止等のため離島に療養所を設置すべきであるとの意見を度々提出し,衆議院では,昭和10年3月14日に,療養所は外部との交通が容易でない離島又は隔絶地を選定して設置すべきであるという建議案が提出され,可決された。
(ウ)

明治42年内務省訓第45号(甲32)
内務省は,明治42年2月2日,府県に対して,明治42年内務省訓
第45号を発した。当該訓令は,府県に対して,ハンセン病は,その患者と接触したり,その患者の体液を介したりすることによって感染の危険性が生じる伝染病であるから,隔離,消毒,その他の予防方法をもって,ハンセン病の蔓延を防ぐとともに,一般市民に対して,ハンセン病の性質及び予防方法を周知することを求めたものであって,その文中には,ハンセン病の予防方法として,患者本人の住居や衣類等の消毒だけでなく,患者と同居する家族の衣類等の消毒等が掲げられていた。(エ)

懲戒検束権の付与(弁論の全趣旨)

a
設置当初の療養所内では,風紀が乱れ,秩序維持が困難な状況にあ
ったところ,大正5年法律第21号による癩予防ニ関スル件の一
部改正により,療養所ノ長ハ命令ノ定ムル所ニ依リ被救護者ニ対シ必要ナル懲戒又ハ検束ヲ加フルコトヲ得(4条ノ2)とされ,療養所長の懲戒検束権が法文化された。これに伴い,大正5年内務省令第
6号により,癩予防ニ関スル件の施行規則(明治40年内務省令
第19号)が一部改正され,懲戒検束権について,次のとおり定められた(なお,当該規則5条ノ2第1項3号は,昭和22年5月2日に厚生省令第14号により削除された。)。
5条ノ2
1項

療養所ノ長ハ被救護者ニ対シ左ノ懲戒又ハ検束ヲ加フルコ
トヲ得
1号
2号

譴責
三〇日以内ノ謹慎

3号
4号
2項

七日以内常食量二分ノ一マデノ減食
三〇日以内ノ監禁

前項第三号ノ処分ハ第二号又ハ第四号ノ処分ト併科スルコト
ヲ得。第一項第四号ノ監禁ニ付イテハ,情況ニ依リ管理者タ
ル地方長官又ハ代用療養所所在地地方長官ノ認可ヲ経テ其ノ
期間ヲ二個月マデ延長スルコトヲ得

5条ノ3
前条ノ外懲戒又ハ検束ニ関シ必要ナル細則ハ管理者タル地方長官
又ハ代用療養所所在地地方長官ノ認可ヲ経テ療養所ノ長之ヲ定ム
b
さらに,大正6年には,前記規則5条ノ3所定の施行細則が定めら
れたが,当該細則における懲戒検束事由の定めは,風紀を乱したとか,職員の指揮命令に服従しなかったという理由で,減食等の処分の対象とされ,また,逃走し又は逃走しようとしたとか,他人を煽動して所内の安寧秩序を害し又は害そうとしたという理由で,監禁等の処分の対象とされるなど,それ自体が,具体性に欠け,かつ,恣意的な運用の危険を内在させていた。
c
以上のような懲戒検束権の法制化により,療養所長の取締りの権限
が大幅に強化され,療養所の救護施設としての性格は後退する一方,強制収容施設としての色彩が濃厚なものとなった。
(オ)

断種ないしワゼクトミーの実施(弁論の全趣旨)
我が国の公立療養所では,当初,男女間の交渉を厳重に取り締まった
が,所内での男女交渉は絶えず,出産に至ることも少なくなかった。そのため,療養所内での出生児の養育を許さない方針であった療養所側は取扱いに苦慮していた。しかるところ,大正4年,当時の全生病院長Dは,男女間の交渉を認めることがむしろ療養所の秩序維持に役立つと考え,結婚を許す条件としてワゼクトミー(精管切除)を実施した。このことを契機に,全国の療養所でワゼクトミーが普及し,昭和14年までに1000人以上の患者にこれが実施され,他方妊娠した女性に対しては,人工妊娠中絶が実施された。このような患者に対する優生手術は,昭和23年に優生保護法が制定されるまで,法律上の明文の根拠なく実施されていた。さらに,当該優生手術は,優生保護法の制定の前後を問わず,患者本人及び配偶者の同意を得ないで実施されることがあった。(カ)

第一期増床計画(弁論の全趣旨)
大正8年に政府が行ったらい患者一斉調査によれば,患者数は約1万
6200人であり,このうち療養の資力がない患者は約1万人であった。これに対し,療養所の収容能力は十分ではなく,収容患者数は1500人にも満たなかった。そこで,内務省は,大正10年から大正19年(昭和5年)までの10年間に,初の国立療養所を新設するとともに既存の5か所の公立療養所を拡張して,病床数を5000床とする第一期増床計画を策定し,昭和11年ころまでにはその目標が達成された。(キ)

入所対象の拡張等(弁論の全趣旨)
前記のとおり,癩予防ニ関スル件3条1項は

癩患者ニシテ療養ノ途ヲ有セス且救護者ナキモノハ(中略)療養所ニ入ラシメ之ヲ救護スヘシ(後略)と定めるものであったところ,内務省は,大正14年,衛生局長の地方長官あて通牒により,そこにいう療養ノ途ヲ有セズの意味につき,現状ではほとんどの患者の関係において療養の設備が整えられていないことを指摘し,また救護者とは,扶養義務者であるか否かに関わらず,療病的処遇を与えるべき者を含む趣旨(そのような者が存在しない場合に広く救護者ナキモノということにな
る。)であるとし,その結果,患者の入院資格は相当広いものとなる旨の解釈を示し,事実上すべての患者を入所の対象とすることとした。なお,内務省衛生局予防課長Eは,大正15年5月発行の民族浄化のためにという論稿において,癩病は誰しも忌む病気である。見るからに醜悪無残の疾患で,之を蛇蝎以上に嫌い且怖れる。(中略)こんな病気を国民から駆逐し去ることは,誰しも希ふ所に相違ない。民族の血液を浄化するために,又此の残虐な病苦から同胞を救ふために,慈善事業,救療事業の第一位に数へられなければならぬ仕事である。(中略)要するに,癩予防の根本は結局癩の絶対隔離である。此の隔離を最も厳粛に実行することが予防の骨子となるべきである。と記述している。(ク)

旧法の制定(乙126,弁論の全趣旨)

a
政府委員F(当時の内務省衛生局長)は,昭和6年2月28日,衆
議院における旧法の質疑において,当局はハンセン病が慢性の伝染病であって,遺伝病ではないと考えているかなどと質問されて,此法ヲ立案スル上ニ於キマシテハ,癩ガ傳染病ナリト云フコトヲ前提トシテ居ルノデアリマス,(中略)此癩ノ傳染病デアルト云フコトハ,所謂癩菌ガ発見セラレマシテ以来學問上疑ガナイト云フコトニナッテ居ルト承ッテ居ルノデアリマス,(中略)私共ノ諒解致シテ居リマス所デハ,癩病自體ガ遺傳ヲスルト云フコトハ,是ハナイコトヽ承ッテ居ルノデアリマス,或ハ癩菌ニ對スル抵抗力ト言ヒマスカ,體質ノ如何ニ依リマシテ,體質ハ無論遺傳スル性質ヲ持ッテ居ル譯デアリマスカラ,體質ガ癩菌ニ對シテ特ニ癩菌ヲ受入レ易イヤウナ體質ヲ持ッテ居ルト云フヤウナ時ニ,所謂遺傳ト認メラレルヤウナ,通俗ニ申シマスレバ,サウ云フコトモアルカモ知レマセヌガ,是ハ學問上ノ遺傳デハナイト存ズルノデアリマスと答弁した。b
昭和6年に癩予防ニ関スル件がほぼ全面的に改正され,癩予防法との題名を附された上,旧法が成立した。主な改正点は,次のとおりである。
(a)

入所対象の拡張
療養所の入所対象につき療養ノ途ヲ有セス且救護者ナキモノ

(癩予防ニ関スル件3条1項)との限定が撤廃され,癩患者ニシテ病毒伝播ノ虞アルモノが隔離の対象とされた(旧法3条1項)。
(b)

従業禁止規定等の新設
行政官庁は,予防上必要と認めるときは,癩患者ニ対シ業態上病毒伝播ノ虞アル職業ニ従事スルヲ禁止スルコトができ(旧法2条ノ2第1号),また,古着,古蒲団(中略)其ノ他ノ物件ニシテ病毒ニ汚染シ又ハ其ノ疑アルモノノ売買若ハ授受ヲ制限シ若ハ禁止シ,其ノ物件ノ消毒若ハ廃棄ヲ為サシメ又ハ其ノ物件ノ消毒若ハ廃棄ヲ為スコトができる(同条ノ2第2号)ものとされた。(ケ)

癩の根絶策(弁論の全趣旨)
内務省衛生局は,昭和5年10月,癩の根絶策を発表した。これ

によれば,ハンセン病は惨鼻の極であり,癩を根絶し得ないやうでは,未だ真の文明国の域に達したとは云へず,癩を根絶する方策は唯一つである。癩患者を悉く隔離して療養を加へればそれでよい。外に方法はない。(中略)若し十分なる収容施設があって,世上の癩患者を全部其の中に収容し,後から発生する患者をも,発生するに従って収容隔離することが出来るなれば,十年にして癩患者は大部分なくなり,二十年を出でずして癩の絶滅を見るであらう。(中略)然しかくの如き予防方法が講ぜられない場合は,癩はいつまで経っても自然に消滅することはない。過去の癩国は永久に癩国として残る。とされ,癩根絶計画案として,20年根絶計画,30年根絶計画,50年根絶計画の三つを挙げている。
なお,癩根絶計画は直ちには実施されなかったが,昭和10年に20年根絶計画の実施が決定され,昭和11年からの10年間に療養所の病床数を1万床とし,さらにその後の10年間でハンセン病を根絶することとされた。
(コ)

療養所の新設(弁論の全趣旨)
第1期増床計画,旧法制定,20年根絶計画等に伴って,昭和5年
3月に初の国立療養所である長島愛生園が岡山県邑久郡邑久町の瀬戸内海の小島に開設され,その後,次のとおり,国立療養所が開設された。
昭和7年11月

栗生楽泉園(群馬県吾妻郡草津町所在)

昭和8年10月

宮古療養所(沖縄県平良市所在。後の宮古南静園)

昭和10年10月

星塚敬愛園(鹿児島県鹿屋市所在)

昭和13年11月

国頭愛楽園(沖縄県名護市所在。後の沖縄愛楽園)

昭和14年10月

東北新生園(宮城県登米郡迫町所在)

昭和16年7月

松丘保養園,多磨全生園,邑久光明園,大島青松園及
び菊池恵楓園が国立療養所に組織変更

昭和20年12月
(サ)

駿河療養所(静岡県御殿場市所在)

戦前の無らい県運動

a
全国の状況(甲20ないし24,91,124ないし126,弁論
の全趣旨)
無らい県運動は,県内の全ての患者を療養所に送り込もうとする官民一体となった運動であり,昭和4年の愛知県の民間運動が発端となるが,昭和11年以降に活発化した。日中戦争(昭和12年)が始まると,運動自体が戦時体制に組み込まれ,このころから,被控訴人国によって組織的,体制的に推進されるようになった。
また,昭和16年には,厚生省が,道府県に対して,①らい(ハンセン病)の予防は隔離により達成可能であり,したがって患者の収容こそ最大の急務であること,②そのため病床の拡充を図り,患者の収容を励行すべきであり,その完全を期すため無らい県運動の徹底が必要であること,③その実施に当たっては,政府から各道府県に一層の督励をなす必要があるのみならず,国民に対し,あらゆる機会に種々の手段を通じてらい予防思想を普及し,無らい県運動の意義を理解協力させ,患者に対しても一層その趣旨の徹底を期するべきであることを指示するに至った。
このような国策に従い,戦時体制のもと,全国で無らい県運動が実施され,徹底した強制収容が行われた。そして,そのことは,相当数の国民に,ハンセン病が恐ろしい伝染病であり,患者が地域社会に脅威をもたらす危険な存在である旨の認識を根付かせることにもなった。
長島愛生園は,開園当初から慢性的な定員超過に陥ったが,これを解消すべく,十坪住宅運動が実施された。これは,財団法人長島愛生園慰安会が広く民間から寄付金を募り,入所患者の作業により1棟6畳2部屋の十坪住宅を療養所内に建設し,建設後はこれを国庫に寄付する形で入所患者の住宅にあてるものであった。

戦前の無らい県運動において,患者の実態把握のために一般住民からの通報が活用された。
b
特に鳥取県の状況(甲21,35,90,124ないし126,乙
110,121,顕著な事実)
昭和11年に鳥取県知事(明治憲法下では,知事は,内務省管轄の官吏であって国により任命され,都道府県は,自治体としての側面と国の総合出先機関としての側面を有していた。)に就任し,昭和14年に離任したG(以下G知事という。)は,知事就任直後から,
癩予防は私の念願として,無らい県運動に熱心に取り組んだ。そ
の結果,鳥取県は,県を挙げて無らい県運動を推進するようになり,財団法人鳥取県癩予防協会が創立され,その運動が全国から注目を浴びるようになった。鳥取県における十坪住宅運動に対する寄付状況は,昭和11年5月までの同県内からの累計寄付金額が198円03銭にとどまっていて同県内の個人及び団体による自発的で広範な寄付がほとんど見られなかったが,昭和12年5月末現在で同県内からの寄付金が2万8163円03銭に及んでおり,同月現在の十坪住宅運動への寄付金のいわゆる外地を含む全国の総額は12万9469円63銭であった。
昭和16年に各県の無らい県運動の現状を評価した当時の長島愛
生園長であったD(以下D園長ということがある。)は,鳥取
県が知事ら県幹部の主導性を発揮して早期に運動に取り組んだ結
果,在宅患者を一時8名まで減少させたにもかかわらず,日中戦争の出征兵士訣別家政整理などの口実による一時帰省が増えたた
め,44名に逆転したことは遺憾であると述べていた。
(シ)

財団法人癩予防協会の活動(甲127,130,乙97,98,1
19,120)

昭和5年に貞明皇太后がハンセン病予防事業のために御内帑金を下賜されたことを契機として,昭和6年に財団法人癩予防協会(以下癩予防協会という。)が設立された。政府は,昭和6年,6月25日を癩予防デーと定め,癩予防協会
は,当初,同日,全国で講演会などを開催して,ハンセン病の予防知識の普及に努めていた。
癩予防協会は,昭和11年より,講演会などの開催を東京のみで行うこととし,各府県に対して,自宅で療養している患者を訪問し,患者及びその家族に対してハンセン病予防上必要な事項を指導するように要請し,各府県において患者及びその家族に対する訪問指導が実施された。前記訪問指導の中で,患者及びその家族に対して患者の療養所への入所も指導された。
(ス)

保育所について(甲38,39,乙38,92,135)
癩予防協会は,昭和6年8月に,親が患者として療養所に収容された
ことにより,保護者・扶養者を失った子(以下入所者の子とい
う。)を保育・教育するための機関(以下,この機関のことを保育所という。)として,長島愛生園の愛生保育所(楓蔭寮)及び大島青松園の楓寮を設置し,その後,栗生楽泉園,菊池恵楓園,星塚敬愛園,松丘保養園及び宮古南静園に保育所をそれぞれ設置した。これらの保育所の所管は,戦後の昭和21年5月に,癩予防協会から被控訴人国に移管された。

戦後,新法制定までの状況

(ア)

優生保護法の制定(乙132,弁論の全趣旨)
国民優生法(昭和15年制定)に代わるものとして,前提事実3(4)
のとおり,昭和23年に優生保護法が制定された。なお,昭和24年から平成8年までに行われたハンセン病を理由とする優生手術は14
00件以上,人工妊娠中絶の数は3000件以上に上った。
優生保護法の立法提案者であるH及びIが共著者となった書籍優生保護法解説には,優生保護法のらい条項に関し,癩は遺傳性の疾患と云われていたが,現在では傳染病の部類に属している。唯これは慢性傳染であってその潜伏期間が長く,幼児中に傳染したものが少年期特に破瓜期に至って,或は身體的に大きな障害があった場合に発病するのが普通であって,先天的に同病に對する抵抗力の弱いと云う事も考えられるのである。また,現在では癩を完全に治療し得る方法もないので,癩患者に對しては,本人又は配偶者の同意を得て本手術を行うのが適當であると記載されていた。(イ)

プロミンによる治療の有効性の認識及びプロミンの予算化(弁論の
全趣旨)
前記のとおり,昭和22年頃以降,我が国においてもプロミンによる治療の有効性が明らかになりつつあり,厚生省医務局長Jは,昭和23年11月27日の衆議院厚生委員会において,プロミンによる治療の有効性を前提とした答弁をした。
プロミンの登場は,患者に希望を与えるものであったが,当初,プロミンを広く普及させるだけの予算措置は採られておらず,そのような中で,昭和23年に多磨全生園でプロミン獲得促進委員会が結成され,これを中心としたプロミン獲得運動が全国に波及した。その結果,昭和24年度予算で,ほぼ患者らの要求どおりのプロミンの予算化が実現した。
(ウ)

戦後の無らい県運動(甲20ないし22,145の5~7,151
の1~10,乙113)
厚生省豫防局長は,昭和22年11月6日付けで,都道府県知事に対し,無癩方策実施に関する件と題する通達を発した。同通達におい
ては,第1次実施事項として,療養所の管理を強化すること,帰郷患者を療養所へ復帰させること,既知の未収容患者のうち感染の危険の大きなものから順次入所させること,既知の未収容患者及びその家族に対する隔離及び消毒その他予防指導の厳重な実施などが記載され,第2次実施事項として療養所の病床の増加並びに一斉検診の実施による未収容患者の発見及び収容などが記載されていた。
昭和24年6月24日及び25日に厚生省で開催された全国国立療養所長会議では,無らい県運動を継続するという方針が決定されるとともに,療養所の増床と一斉検診の実施が決定された。
厚生省公衆衛生局長は,昭和25年4月22日付けで,都道府県知事に対し,昭和25年度らい予防事業についてと題する通達を発し,国立療養所との密接な連携,予防技術の向上,一斉検診の実施及び収容その他の事後措置の施行などが指示された。
厚生省公衆衛生局長は,昭和26年4月24日付けで,都道府県知事に対し,昭和26年度らい予防事業についてと題する通達を発し,未収容患者の収容に重点を置き,予防事業を強力,かつ,徹底的に推進することなどが指示された。
戦後の無らい県運動の中でも,患者の実態把握のために一般住民からの通報が活用された。
(エ)

戦後の患者数と患者収容の強化(弁論の全趣旨)
厚生省が昭和25年8月実施した全国らい調査によると,登録患者が
1万2628人,このうち入所患者が1万0100人,未収容患者が2526人であり,未登録患者を合わせた患者数は1万5000人と推定された(明治33年の調査では患者総数が3万0359人とされており,相当の把握漏れの可能性があることを度外視しても,患者数は50年間で半減したことになる。)。また,有病率は,人口1万人当たり
6.92人(明治33年)から1.33人(昭和25年)と約5分の1まで減少した。
厚生省は,昭和25年以降,療養所の増床計画を進めるとともに,患者を次々と療養所に入所させていった。その結果,昭和25年12月末の時点で2769人であった在宅患者数が,昭和30年12月末の時点では1112人にまで減少した。
厚生省は,昭和24年度から昭和28年度までに5500床を増床したため,療養所の収容定員が1万3500人となった。そして,同年の調査では,未登録患者を含む推定患者数が約1万3800人とされたので,この時点でほぼ全患者の収容が可能になり,増床が終了した。
(オ)

昭和26年11月8日の参議院厚生委員会における長島愛生園長の
発言(甲37,乙105,130,弁論の全趣旨)
参議院では,新たなハンセン病政策を検討するため,参議院厚生委員会にらい小委員会が設けられ,昭和26年11月8日,同委員
会において,多磨全生園長K,長島愛生園のD園長,菊池恵楓園長Lを含む5名の参考人からの意見聴取が行われた。このとき,D園長は,患者の収容強化について,癩は家族伝染でありますから,そういうような家族に対し,又その地方に対してもう少しこれを強制的に入れるような方法を講じなければ,いつまでたっても同じことであると思います。(中略)強権を発動させるということでなければ,何年たっても同じことを繰返すようなことになって家族内伝染は決してやまないなどと述べ,断種等について,それから,予防治療,予防するにはその家族伝染を防ぎさえすればいいのでございますけれども,これによって防げると思います。又男性,女性を療養所の中に入れて,それを安定せしめる上においてはやはり結婚というようなこともよろしいと思います。結婚させて安定させて,そうしてそれにやはりステルザチョン即ち優生手術というようなものを奨励するというようなことが非常に必要があると思います。(中略)私どもは先ずその幼児の感染を防ぐために癩家族のステルザチョンというようなこともよく勧めてやらすほうがよろしいと思います。癩の予防のための優生手術ということは,非常に保健所あたりにもう少ししっかりやってもらいたいというようなことを考えております。などと述べた。D園長は,平成27年10月2日,長島愛生園礼拝堂において,同委員会における発言の真意について説明し,その中で,優生手術について,子供が生まれると癩予防の意味においても非常に危険でありまた母体を危険にし又病状を悪化させるおそれがある。又証言中の意味は癩家族に奨めてと云うのは罹った患者その人の事で病気でない家族の人々の事ではない。それもその必要の意義を充分話して本人の承認の上でやることを云ったのである。などと述べた。(カ)

予防法闘争(弁論の全趣旨)
日本国憲法施行に伴う療養所入所者の人権意識の高まりや,プロミ
ン獲得運動等を契機として,入所者が団結して隔離政策からの解放を求める動きが生じつつあったところ,昭和26年2月,患者らの全国組織である全患協が結成され,これを中心として旧法の改正運動が盛んになった。そして,入所者らは,昭和28年3月に内閣が提出したらい予防法案を入手したが,その内容につき,旧法からの改善が十分でないことに対する反発が生じ,予防法闘争と呼ばれるハンストや作業スト,国会議事堂前での座り込み等の激しい抗議行動が行われるに至った。
(キ)
a
新法の国会審議(乙79,104,弁論の全趣旨)
らい予防法案の提出と提案理由

らい予防法案は,昭和28年3月14日内閣により提出され,同
日の衆議院解散によりいったん廃案となったが,同年6月30日に再提出された。
その提案理由は,要旨,ハンセン病は慢性の伝染性疾患であり,
根治することが極めて困難であって,患者やその家族が被る社会的不幸は計り知れないところ,旧法は今日の実情にそぐわない面があるので,これを全面的に改正した新法を制定しようとするものである,というものであった。提案理由中の新法6条(療養所への入所を定めた規定)に関する部分においては,ハンセン病予防には患者の隔離以外に方法がないことが強調され,療養所入所後における長期の療養生活やハンセン病の伝染力が緩慢であること等を考慮の
上,まず勧奨により本人の納得を得て療養所へ入所させることを原則とし,これによっては目的を達し難い場合に,特例的に入所を命じ,あるいは直接入所させる等の措置がとられる旨説明された。
b
衆議院における審議
昭和28年7月3日及び同月4日に開催された衆議院厚生委員会
において,らい予防法案の審議が行われた。
この中で,厚生省医務局長M(以下M局長という。)は,癩を伝染させるおそれがあるものについて,癩予防上必要があると認めるときに限ってこの積極的な勧奨をいたすということになっておりますので(中略)この必要以外の者で入所を希望しない者は,入所の義務がないということになるわけでございます。と述べたが,伝染のおそれの有無の判断については,感染の危険性がある者,ない者というふうに,はっきりわけるわけにも行かない,ただちに採用し得る基準が求められないとも指摘した。また,同省公衆衛生局長N(以下N局長という。)は,感染の危険性というものは相対的なものであり,伝染の危険性のない患者は非常に数が少いと述べた。
他方,N局長は,治療について,最近の医学の進歩によりまして,治療が非常に進歩して参りましたので,相当これは―全然菌をなくし得るかどうか,全治ということにつきましては異論もございますが,非常に軽快させ得るものであるという立場に立ってこれを取扱っております。,

プロミンの注射によりますと,結節,浸潤などは,効果は治療開始後一箇月前後から現われて参りまして,六箇月前後で非常に軽快いたします。

とも述べた。N局長は,

法の立案の精神は決して患者を療養所にとじ込めてしまえばいいというような考えは毛頭ございません。

,症状が軽快して,もう隔離療養の必要がないと所長が認めた者は当然退所できると述べた。このような審理を経て,衆議院厚生委員会は,昭和28年7月4
日,賛成意見(自由党及び改進党)及び反対意見(日本社会党)が示された上で,原案どおり可決すべきものと議決した。衆議院において,同日,同法案が賛成多数で可決された。
c
参議院における審議
昭和28年7月6日から,参議院厚生委員会において同法案が審
議された。
N局長は,同月9日の厚生委員会で,伝染させるおそれの解
釈について,らい菌を証明いたしますか,或いはらい菌を証明いたしませんでも,臨床的にらい菌を保有すると認められる患者(中略)例えば皮膚及び粘膜にらい症状を呈するもの,神経らいで神経の肥厚を伴うもの,神経らいで肥厚を認めないけれども,萎縮麻痺を認める,それが限局していないというようなものを考える旨述
べ,また,M局長は,例えば菌が一回,二回或いは一カ月というような程度証明されませんでも,まだその二カ月後,三カ月後に出る虞れがあるというふうに考えられます限り,病院としては感染の虞れが全くなくなったというふうには断定いたさないような状況であります。と述べた。N局長は,伝染させるおそれがある患者の扱いについて,

やはりどうしてもそれが療養所に入所を肯んじないようなときには無理にでも入所させて治療を受けさせ,そうして公衆衛生上の害を取除かなければならないというふうに考えておるのでございます。

伝染させる虞れがあるという患者はやはり収容するという方針をとるわけでございます。

と述べ,伝染させるおそれがある患者がそのまま入所の対象になるとの見解を示した。
厚生大臣Oは,強制入所について,やはり勧奨によってできるだけやりたい(中略)抜かざる宝刀によりまして空文に帰しましたら結構なことでありまするがと述べる一方,勧奨にどうしても応じない場合のために強制収容の規定が必要である旨述べた。
M局長は,治療について,根治させることができると断定するこ
とはまだ難しい段階にあるとしながらも,

プロミンその他の新らしいらい治療剤が広く使用されるようになりまして,患者の治療成績は非常に上って参りました(中略)病気を抑えるという意味におきましては極めて顕著な効果がある。

と述べ,N局長も,同旨の答弁をした。これに関し,P議員は

治療よろしきを得るならばこれは退院することができるのだ。こういう時代になってこれがもう我々の間では常識になっている

と述べ,Q議員も日本のらい患者の数がだんだんに数は減りつつあるという実情もあると述べた。

なお,厚生省は,この時点でWHO第1回らい専門委員会(昭和
27年)の報告を入手していたが,その内容につきN局長がした説明は患者の収容ということについて強制力をどの程度使うかということについては,その国々の状況によって異なるというものであった。
当該厚生委員会では,退所規定を設けるなどの修正案が検討され
たが,結局,各党派の意見調整ができないまま,同法案を可決すべきものと決定されるとともに,新法附帯決議が全会一致で採択された。昭和28年8月6日,参議院において,同法案が賛成多数で可決された。
d
衆参両議院での審議を通じ,病型によって伝染の危険性の程度に差
があることは議論に上ったものの,ハンセン病が伝染し発病に至るおそれの極めて低い病気であるということに着目した議論が十分に行われることはなかった。
(ク)

伝染させるおそれがある患者(新法6条1項)の解釈について

(乙41,弁論の全趣旨)
厚生省は,昭和29年頃,らい患者伝染性有無の判定基準を策
定したが,そこには,①らいを伝染させるおそれのある患者とは,らい菌を証明する者及びらい菌は証明しないが活動性のらい症状を認める者,②らいを伝染させるおそれのない患者とは,相当の期間にわたってらい菌を証明せず,かつ活動性のらい症状を認めない者,③活動性のらい症状とは,ⅰ)皮膚及び粘膜にらい症状のあるもの,ⅱ)神経らいで神経の肥厚の著明なもの,ⅲ)神経らいで麻痺及び筋萎縮の著明なものとする記載があった。
また,厚生省は,いったん伝染させるおそれがある患者と認め
られた者が,治療を経るなどして一度や二度の菌検査で陰性となって
も,直ちに伝染のおそれがない患者になるとは考えておらず,相当長期間の経過観察による厳格な審査を経なければ,伝染のおそれがない患者とは判断されないとしていた。
そして,未治療の患者の大半は,病型のいかんを問わず,何らかの皮膚症状や神経症状を呈することによってハンセン病であると診断されるものであって,ハンセン病であるとの診断を受けながら,厚生省の作成したらい患者伝染性有無の判定基準によって伝染させるおそれがないと判断される未治療の患者は,ほとんど存在しないという実情であった。

新法制定後の状況

(ア)

新法制定後の通達の定め等

a
隔離政策は,新法制定により継続されることになり,次のとおり,
通達によって,細目的事項が定められた。(甲51,乙31の2・3・6,弁論の全趣旨)
(a)

らい予防法の施行についてと題する昭和28年9月16日

付け国立らい療養所長あて厚生事務次官通知
この通知は,ハンセン病についての国の施策の趣旨を患者に理
解させ,外出制限等の義務の遵守及び療養への専念を患者に対し
て指導するように療養所長に指示し,外出制限に関する新法15
条については,公衆衛生への影響を強調しつつ外出許可は特
に慎重を期すべきものとし,外出を許可すべきその他特別の事情がある場合(同条1項1号)はこれを患者の家庭における重大な家事の整理等であって本人の立会がなければ解決できないような場合に厳しく限定するとともに,許可を得て外出する患者に対しては外出許可証明書を携行させるよう配意することを
求め,また,患者が当然に守るべき事項を患者療養心得にお

いて詳細に規定し,秩序の維持を図ろうとする趣旨のものであっ
た。
(b)

らい予防法の運用についてと題する昭和28年9月16日

付け国立らい療養所長あて厚生省医務局長通知
この通知は,療養所長が入所患者の外出を許可する場合にとり得
るらい予防上必要な措置(新法15条3項)として,①着衣及び所持品の消毒,経由地及び行先地における注意事項の指示等により,個々の患者について適当な措置をとること,②外出許可期間は必要最短期間とし,経由地についても,目的地への最短経路を標準とすること,③外出目的,外出期間,行先地及び経由地を詳細に記載した台帳を備え付け,許可条件に違反した患者には必要な措置を講ずること等を定めるものであった。
(c)

らい予防法の施行についてと題する昭和28年9月16日

付け各都道府県知事あて厚生事務次官通知
この通知は,療養所への入所に関する新法6条について,①患者本人の病状及び生活環境を考慮し,実状に応じた懇切な説得を
行うことを原則としつつ,②勧奨に応じない者に対する命令(新法6条2項)を発するに当たっては,まずは自発的入所への勧
奨・説得が必要であり,③強制入所の措置(新法6条3項)がとられるのは,患者が入所命令を受けて正当理由がなく期限内に入
所しないとき,浮浪らい患者,国立療養所からの無断外出患者,
従業禁止の処分を受けてこれに従わない患者につき,公衆衛生上
療養所入所の必要があり,しかも入所勧奨及び入所命令の措置を
とるいとまがないとき等であることを明らかにしたものであっ
た。なお,外出制限を定める新法15条1項に違反して無断外出
した場合,外出許可を受けたが許可条件(目的,期間,行先地,

経由地等)に違反した場合には,状況によって,新法6条に従
い,入所勧奨,入所命令等の措置をとり,あるいは入所の即時強
制を行いうることなどが確認されている。
この通知においては,都道府県におけるらい予防事務(患者家
族等に対する福祉事務を含む。以下同じ。)は特定の職員に行わ
せ,患者に関する秘密保持の観点から,らい予防事務は原則とし
て保健所長に委任しないこととするほか,市町村についても事務
的援助その他の関与を行わせないように指示し,新法4条に係る
届出についても保健所を経由させずに直接都道府県知事に行わせ
ることとしていることに注意するように求めていた。
b
被控訴人県においても,新法制定後は,ハンセン病予防事務は特定
の職員のみが行い,秘密保持の観点から知事から保健所長に権限が委任されることはなく,市町村に対して事務的援助その他の関与を行わせたことはなく,ハンセン病予防事務の担当官は1人だけであった。知事に対する患者の届出は,親展の封書で知事に対して直接郵送され,その届出書は秘書が知事室で担当者に直接手交していた。(乙33,37)
(イ)

保育所(甲22,38ないし40,146,147,乙38,9

2,135)
既に認定したとおり,親が患者として療養所に収容されたことによって保護者・扶養者を失った入所者の子を保育・教育するために設置された保育所は,戦後,癩予防協会から被控訴人国に移管され,新法の制定に伴い,新法22条に基づいて入所者の児童に養育,養護その他の福祉措置を講ずるために設置される施設となった。
保育所は,昭和30年までに,公私13の療養所に設置されるに至った。保育所の多くは,入所者の児童が入所者と容易に面会できるように
するため,療養所内に置かれた。
昭和29年10月8日に開かれた参議院文部委員会において,厚生省医務局国立療養所課長補佐は,保育所の性格に関する厚生省の見解を質問されて,新法22条により設置された応急の施設であり,入所者の子については,一般のいわゆる児童福祉法による児童施設へ入所させるのを建前にしており,定員その他の関係で急には一般の児童施設に入所させられないという場合にやむなく保育所に入所させてその面倒を見ているのが実情であり,可能な限り一般の児童福祉施設に入所させるように努力している旨答弁している。
D園長は,長島愛生園に入所している患者の子が,療養所内の保育所で義務教育を終了して社会に出た時に身許が判明することを慮り,また,そのような子が社会生活に適応できないおそれがあると考え,それらの子を支援するために,昭和24年10月,D園長自身を理事長とする財団法人楓蔭会を設立した上で,大阪府内に児童福祉法に基づく養護施設白鳥寮を建設した。(甲22)。
入所者が入所する際に同伴し,又は療養所内で出産した児童で,健康な児童について,当初はUntaintedChildrenと

いう外国語の訳語から未感染児童と呼ばれていたが,保育児童
と呼ばれるようになった。昭和29年10月8日に開かれた参議院文部委員会において,前記国立療養所課長補佐は,前記児童について,未感染児童ではなく保育児童という用語を使用していた。(ウ)

患者台帳(甲50,51,乙31の14)
厚生省公衆衛生局結核予防課長は,昭和32年6月25日付けで,各
都道府県衛生主管局(部)長宛てに,届出らい患者台帳の作製についてと題する通達を発し,届出患者の実態を把握してハンセン病予防業務推進の基礎資料とするため,同年7月1日以後に新法4条1項により
届出のあったすべての患者について台帳を作成して業務の参考にするように指示した。その中で,患者の家族の状況についても具体的に聴取して前記台帳に記入するように指示されていた。
厚生省公衆衛生局長が昭和33年9月25日付けで各都道府県知事宛てになされたらい予防事業の実施についてと題する通知において
は,極力患者台帳その他関係資料を整備し,在宅患者の検診により病状又は家庭の状況等に変化が生じた場合にはそれを記録することなどが指示されていた。
(エ)

退所者の現れ(甲18,50,51,乙136,弁論の全趣旨)
第2次世界大戦後,プロミンの治療効果によって療養所内では菌陰性
者が多数となり,これに伴い,昭和26年に全国で35人の軽快退所者が公式統計に計上され,新法制定後も軽快退所者は増加し,昭和35年には216人に達した。
昭和28年に厚生省が作成したらい予防法逐条説明と題する文書
には,新法15条の説明として,勿論その病状が軽快し,療養の必要がなくなったと所長が認めるものについては,退所することが出来ることは当然であると記載されていた。昭和33年,療養所において治療を受けて軽快退所した者に適切な援助を与えて自立更生を促進すべく,療養所からの軽快退所者を対象者として厚生省より委託を受けた藤楓協会が資金を貸し付ける世帯更生資金貸付制度が創設された。
厚生省公衆衛生局長が昭和33年9月25日付けで各都道府県知事宛てになされたらい予防事業の実施についてと題する通知において
は,未収容患者の収容による伝染源の隔離が予防事業上最重要の問題となっており,また,最近は医療の進歩により療養所を軽快退所する患者も逐年増加の傾向にあって,その社会復帰の円滑化が緊急の課題になり
つつあるとされ,在宅患者の入所促進と新たに制定された世帯更生資金貸付制度の活用による治癒者の社会復帰の円滑化を中心に患者の適正な把握及び潜在患者の発見,正しいらいの知識の普及啓蒙に努め,我が国のハンセン病を早期に絶滅するため格段の努力を払うことが指示された。
昭和39年からは,就労助成金要綱が定められ,軽快退所者に対する就労支援金の支給が開始された。
(オ)

新法改正運動の経過(弁論の全趣旨)
全患協の,昭和28年の予防法闘争は不首尾に終わったが,その後
も新法附帯決議を軸に療養所内の処遇改善等の運動が継続され,昭和38年には,大規模な新法の改正運動が行われた。しかし,この運動は,新法改正には結び付かず,平成8年に至るまで,新法の改正法案が提出されたり,国会で新法の改廃について審議されたりしたことはなかった。
このような二度にわたる運動の挫折や入所者の高齢化を経て,その後の全患協の運動の重点は,新法の改正要請から療養所内での処遇改善に向けられるようになった。
(カ)

療養所以外の医療機関における治療

a
ハンセン病治療に対する保険適用
国民健康保険法は,新法廃止以前において,入所者を国民健康保
険法の適用対象から除外していたものの,非入所者に対するハンセン病治療については国民健康保険(以下保険という。)の適用対
象から除外していなかった。(乙48の1・2)
そして,抗ハンセン病薬については,プロトゾール末,タスミン,
プロトミン及びテラミンが遅くとも昭和29年度までに薬価基準に収載されるに至り,これらの薬がハンセン病治療に用いられた場合に
は,保険診療の対象とされることになった。(甲70の2,乙23,27)
しかしながら,リファンピシン及びクロファジミンは,平成7年の時点では,薬事法上,抗ハンセン病薬として製造することを承認されていなかった(同法14条1項)ため(なお,クロファジミンは,薬事法上,製造すること自体を承認されていなかった。),これらをハンセン病治療に用いた場合には,当該治療は保険診療とされなかった。そのため,リファンピシンやクロファジミンを使用することが必要となる多剤併用療法は,混合診療となり,保険診療とはされなかった。(甲70の2,原審証人Ra6頁)。
このように,ハンセン病の治療については,新法廃止以前においても,限定的にではあるものの保険診療の対象とされていたのであるが,医療従事者の相当部分は,ハンセン病治療には全面的に保険適用がないものとする前提で対処していた。(甲49,86,乙25)。b
療養所以外の医療機関での治療の実情
新法には,療養所以外の医療機関によるハンセン病治療を禁止する
規定は存在しないが,厚生省は,伝染させるおそれがある患者を
広く解釈し,未治療の患者のほとんどすべてをこれに該当するものと解した上で,そのすべてを療養所への入所対象としていたため,ハンセン病治療を専門としない一般的な医療機関の医療従事者は,ハンセン病に対する知見及びハンセン病治療の経験が不足しており,一部には,ハンセン病は強烈な伝染病であるとの誤解も生じていた。その結果,ハンセン病治療を専門としない一般的な医療機関においてハンセン病治療が実施されるという実例はほとんどなかった。(甲25,原審証人Ra5頁,弁論の全趣旨)
新法の下で,療養所以外の医療機関でハンセン病の治療を行ってい
たのは,京都大学,大阪大学等の大学附属病院や愛知県の外来診療所等,数か所に限られており,しかも,この中で,入院治療が可能であったのは,京都大学(医学部附属病院皮膚病特別研究施設。以下大学名のみを示す。)だけであった(乙49,弁論の全趣旨)。
京都大学では,昭和24年以降外来の患者が年々増加し,昭和42年には204名に至った。京都大学におけるハンセン病の新患分布は,京都府,兵庫県,滋賀県,三重県,大阪府,福井県,奈良県,広島県,岐阜県,徳島県,愛知県,高知県など広範囲に及んだ。京都大学では,患者の治療をする際,ハンセン病との病名をあえて付けず,末梢神経炎,皮膚抗酸菌症等の病名で診断して保険診療の対象にしていた。(乙25,原審証人Ra6・7頁)
大阪大学医学部附属病院皮膚科別館(以下阪大皮膚科別館とい
う。)では,昭和35年から昭和38年の間,月平均90名から100名(延べ人数にして約250人)の患者が通院しており,その患者の住所の分布は,大阪府,兵庫県,奈良県,京都府,和歌山県,三重県,高知県,名古屋市,福井市,滋賀県,愛媛県と広範囲に及んでいた。阪大皮膚科別館では,特殊皮膚病の研究の一環としてハンセン病の外来治療を実施していたこともあり,保険適用がないことを前提としていたものの,ハンセン病治療に係る医療行為自体については無償で実施していた。他方,ハンセン病治療の際に用いられる薬剤の費用については,主立った患者から

ただの薬では効かないと思っている。また,粗末にしてしまいがちだから,費用を取ってください。

と言われたため,患者が全て実費で負担することになっていたが,その費用については財団法人大阪皮膚病研究会から一部補助がされていた。(甲48,乙12,24,61)
藤楓協会が昭和38年に開設した愛知県の外来診療所では,新法廃
止の前年である平成7年までに,延べ4423人(療養所退所者3841人,在宅者582人)の患者が受診し,一番多い年には,延べ208人(療養所退所者172人,在宅者36人)の患者が受診した。(甲23)
c
療養所における外来治療
療養所においても,昭和40年代から,徐々に外来診療が行われ
るようになった。(乙49,弁論の全趣旨)

(キ)

藤楓協会の活動(甲54ないし61,乙97,98)

a
厚生省の所管する藤楓協会が昭和27年6月13日に創立された。
藤楓協会の前身は,癩予防協会であった。
b
藤楓協会は,昭和27年から平成14年まで,原則として毎年,ハ
ンセン病について正しい知識の普及啓発するための大会を開催していた。その際に作成されたパンフレットには,ハンセン病は,遺伝病でも不治の病でもないことに加え,感染力が大変弱く,発病者の大半は,乳幼児のときに家庭内感染を受けた者である旨の記載がされていた。
c
藤楓協会は,当初から啓発資料を作成して配布していた。
厚生省は,藤楓協会の要望により,昭和38年に,貞明皇太后の誕
生日である6月25日を中心とする1週間をらいを正しく理解する週間と定めた。昭和60年に同週間の呼称がハンセン病を正しく理解する週間に変更された。藤楓協会は,昭和48年,らいを正しく理解するために厚生省公衆衛生局編と題するリーフレットを作成した。同リーフレットには,ハンセン病がらい菌の感染により発病するもので遺伝病ではなく,伝染力が極めて弱く,感染の機会は限定されていること,特効治らい薬の効力で完全に治癒するようになったこと,藤楓協会でもレク
リエーション用のバスを各療養所に配置して入所者と社会との交流を深めていることなどが記載されていた。
藤楓協会は,昭和49年から藤楓だよりと題するパンフレット
を作成し,らいを正しく理解する週間に合わせてポスターととも
に各都道府県及び関係機関に希望数を配布していた。昭和49年に作成された藤楓だよりと題するパンフレットには,ハンセン病はら
い菌の感染による伝染病であること,らい菌は伝染力が極めて弱いため,ハンセン病に罹患・発病した人々は,抵抗力の弱い幼少の時に同じ家庭内にらい菌を出している患者がいて,その人から濃厚な感染をうけた場合がほとんどであること,近代医学の進歩により確実に効く薬が開発され完全に治癒するようになったこと,早く発見された患者は必ずしも療養所に入らないで通勤,通学等普通の日常生活を家庭で行いながら適当な施設で外来治療が受けられるようになったこと,かつては社会から隔絶されていた療養所の門が開放され,入所者の多くが各療養所に置かれているレクリエーション用のバスで里帰りなど旅行を楽しんでいることなどが記載されていた。
d
藤楓協会は,昭和42年から昭和57年まで,毎年,療養者作品展
示会を全国各地のデパートで開催し,その展示会場には入所者の制作した作品を展示するとともに,らいを正しく理解するためにと題
するパンフレットを置くなどして来場者に対してハンセン病に関する知識の普及啓発を実施していた。
e
藤楓協会は,ハンセン病に関する知識の普及啓発を図るため,昭和
28年,昭和42年,昭和53年,昭和57年及び昭和58年に映画を制作した。
(ク)

新法廃止までの経過(甲18,弁論の全趣旨)
全患協は,昭和38年以降も,その運動方針中に新法改正を掲げて
いたが,次第に運動の重点が患者に対する処遇改善問題へと移行し,特に,昭和48年以降,入所者に対する処遇改善が進み,運用上,外出制限等が緩和されてくると,新法改正が実現しても現在採られている福祉的措置が後退するのではないかとの懸念から,全患協の中でも,新法改正に消極的な考えが現れるようになっていた。
その後,昭和62年3月に所長連盟の新法改正要請書が,また,平成3年4月に全患協の新法改正要請書がそれぞれ厚生大臣に提出されたが,大きな反響を呼ぶには至らなかった。
しかし,平成6年にいわゆる大谷見解が発表され事態が一変した。すなわち,いわゆる大谷見解は,新法を廃止し,在園者に対しては今までどおりの処遇を保障するというものであったところ,これに対し,全患協は,入所者らとともに,当初とまどいを見せたものの,平成7年1月,9項目の要求が充たされることを条件にいわゆる大谷見解を支持することを明らかにした。その後の新法廃止に至る経過の概略は,前提事実3(7)のとおりである。

患者やその家族に対する社会的偏見・差別について

(ア)

旧来からの偏見・差別の実相(甲23,弁論の全趣旨)
我が国においては,ハンセン病は,明治時代以前から,差別・偏見・
迫害の対象とされてきたが,第1回国際らい会議(明治30年)における伝染説確立に至るまで,我が国では,多数の者がハンセン病を遺伝病であると信じ,これが伝染する病気であるとの認識はなかったか,あったとしても極めて希薄であった。その結果,ハンセン病の伝染に対する恐怖心に由来する偏見はほとんど存在せず,そのような時代における偏見・差別は,主として,患者を穢れた者,劣った者あるいは遺伝的疾患を持つ者と見る考えに由来するものであり,このため,患者のみならずその家族に対しても偏見・差別が生じていた。

我が国で,医学的知見として伝染説が確立され,伝染説に依拠する癩予防ニ関スル件が制定された後も,社会一般には,ハンセン病
が伝染病であるとの認識はすぐには広がらず,なお遺伝病であると信じている者も多く,また,実際にも,ハンセン病が次々と伝染する状況ではなかったことから,社会一般の伝染に対する恐怖心はそれほど強いものではなかった。
(イ)

無らい県運動以降の戦前の差別・偏見について(甲20ないし2

4,弁論の全趣旨)
このような状況は,昭和4年頃から終戦にかけて全国各地で大々的に行われた無らい県運動による強制収容の徹底・強化により変わった。すなわち,無らい県運動により,極めて広範に患者を探索することによる強制収容が繰り返され,これに伴い,患者の自宅等が予防着を着用した保健所職員により徹底的に消毒されるなどしたが,これらの出来事は,ハンセン病が強烈な伝染力を持つ恐ろしい病気であるとの人々の恐怖心を助長し,患者が地域社会に脅威をもたらす危険な存在であり,ことごとく隔離しなければならないという偏見を多くの国民にもたらし,ひいては患者及びその家族に対する差別を助長した。(ウ)

戦後の偏見・差別について(弁論の全趣旨)
厚生省は,昭和25年頃,すべての患者を入所させる方針を打ち立
て,これに基づき,全患者の収容を前提とした増床を行い,患者を次々と入所させ,その結果,患者総数のうち入所患者の割合は,昭和30年頃には9割を超えるに至ったのであった。このような患者の徹底した収容やこれに伴う患者の自宅の消毒等の施策は,ハンセン病が強烈な伝染力を持つ恐ろしい病気であり患者は隔離されなければならないとの偏見を更に助長した。
また,昭和28年制定の新法には,即時強制を含む伝染させるおそれ
がある患者の入所措置(6条),外出制限(15条,28条),従業禁止(7条),汚染場所の消毒,物件の消毒・廃棄・移動の制限(8条,9条,18条)等の規定がある反面,退所の規定がない。このような新法の存在及びその運用は,人々に,ハンセン病が強烈な伝染病であると誤解を与えるとともに,患者と接触を持ちたくないとの考えを抱かせた。
瀬戸内海の孤島等のへき地に置かれた療養所の存在も,新法の存在とあいまって,人々にハンセン病が恐ろしい特別な伝染病であることを強く印象付け,偏見・差別の助長に大きな役割を果たした。
(エ)

心中事件(乙92,122,123,弁論の全趣旨)
プロミン登場後も,以下のような痛ましい事件が絶えなかった。

a
昭和25年9月1日,熊本県で,患者の父を抱えた息子が,将来を
悲観し,父を銃殺した上で自殺するという事件が起こった。
b
昭和26年1月29日,山梨県で,患者を抱える家族9人の心中事
件が起こった。この事件は,保健所に患者発見との報告があり,消毒の準備をしていた矢先の出来事であった。
c
昭和56年12月頃,秋田県で,軽い皮膚病をハンセン病と思い込
んだ母親が,2人の子供を絞殺し,自分も自殺を図ったが未遂に終わったという事件が起こった。
d
昭和58年1月,香川県で,自分と娘がハンセン病にかかっている
と思いこんだ女性が,娘をガス中毒で死なせ,自分も自殺を図ったが未遂に終わるという事件が起こった。
(オ)

竜田寮児童通学拒否事件(甲76,146,147,乙38,5

0,91の1・2,92,135,弁論の全趣旨)
竜田寮は,国立療養所である菊池恵楓園に設置された保育所(同療養所の入所者の子である児童を保育する寮)であり,昭和28年度までこ
の寮の児童は一般の小学校(黒髪小学校)への通学が認められていなかった。当時の菊池恵楓園長であるLが,これについて,同年12月2日,熊本地方法務局長に対して,憲法26条,教育基本法3条及び新法3条の教育の機会均等の精神に反すると思料されるなどと申告し,熊本地方法務局は,人権侵犯事件として調査した。昭和29年2月16日,法務省人権擁護局第2課長,文部省初等中等教育局初等教育課長及び厚生省医務局長らが出席して打合せ会を実施し,法務省としては保育所にいる保育児童は一般の学校に通学させるべきであるとの見解が示された。熊本地方法務局は,昭和29年2月17日,熊本市教育委員会に対して竜田寮の児童の同小学校への通学を認めるように勧告し,同委員会は,同年3月11日,竜田寮の児童を熊本市内の小学校へ通学させる旨決定した。ところが,同年4月8日の入学式当日,竜田寮の児童の通学に反対する立場の一部の保護者が,竜田寮の新1年生4人の通学に反対して,小学校の校門に立ちふさがり,らいびょうのこどもといっしょにべんきょうせぬよう,しばらくがっこうをやすみましょう等と書かれたポスターを貼るなどして,その登校を阻止しようとするという事態が生じた。そして,この問題は,昭和30年4月に,熊本商科大学長が里親となって児童を引き取り,そこから通学させるという形で決着するまで,通学賛成派と通学反対派が激しく対立して紛糾した。
竜田寮の児童の通学を受け入れるか否かについては,黒髪小学校のPTA内部でも通学賛成派が約34%,通学反対派が約64%,中立の立場が約2%というように,意見が分かれた。また,この事件は,全患協ニュースに取り上げられた上,昭和29年10月7日及び8日に開かれた参議院文部委員会において議題として取り上げられた。
なお,竜田寮以外の保育所の児童は,昭和29年当時,既に一般の児童と共通の教育機関に通学することができていたが,その状況に至るま
でには,一定の時間と曲折を経ており,中には,竜田寮と同様に問題が生じた保育所もあった。
(3)

Aがハンセン病を発症してから死亡するまでの経緯


Aが大阪に転居するまで

(ア)

Aは,●年に,Sと結婚して以降,鳥取県東伯郡a町(現在の鳥取
県倉吉市a町)の家(以下a町の家という。)で生活し,農業を
していた。(甲3の3,31)
●年●月に●が出生し,●年●月に●が出生し,●年●月に●が出生し,●年●月に●が出生し,●年●月に●が出生し,●年●月に●が出生し,●年●月に控訴人が出生した。●は,●年●月に死亡した。(甲3の3)
●は,●年●月に他家の養子となってa町の家を出て行き,●年●月に養父の死亡によりその家督を相続し,●年●月に婚姻し,3人の子をもうけた。(甲3の3,5の2・3,77,乙10)
Aは,昭和21年8月,両手に急激に水疱を形成し,疼痛を認め,その後,次第に,両前腕,手及び下腿の知覚鈍麻並びに指の可動障害が増強した。Aは,遅くとも同年にはハンセン病を発症していた。(甲42の1・2,原審Ra証人2頁)
Sは,●年●月に肝臓がんで死亡した。高校を卒業して大阪に出ていた長男がa町の家に戻ってきて,Sの遺産の大半を相続した。●が●年●月に●と婚姻し,同年●月に同人との間に●をもうけた。(甲3の3,4の1,30,31,77,控訴人本人7及び9頁)
Aは,昭和30年夏に,2週間ほど,37度5分から38度程度の発熱が続いたことがあったが,その発熱の原因がはっきりとしなかったため,熱が下がった後に,鳥取県倉吉市にある北岡病院を受診した。同病院の医師は,Aの顔,肩,足にあらわれていた薄い紅班を診て,Aの疾
患をタムシと診断した。その後,Aの手のひらや指には,水疱ができるようになった。(甲31)
(イ)

昭和31年頃になると,a町の家の周囲では,Aがハンセン病に罹
患したといううわさが立ち始めた。(甲31,77,控訴人本人11頁)
●年●月に●とその●との間で離婚調停が成立し,●が●との間の●の親権者となった。(甲4の1)
倉吉市内の集落の家に嫁ぐため,入籍はしていないものの,同家で生活していた二女が,その頃,Aがハンセン病に罹患したといううわさが立ったため,a町の家に戻された。(甲31,66,77)
●は,●年●月に●と婚姻し,同月に●をもうけた。(甲4の1)控訴人は,a町の家から地元の中学校に通学していたとき,力が強かったためちからのあだ名が付けられていた。また,控訴人は,その当時,同校内で相撲をしていた際にさばおりという技を相手にかけて,同級生から恐れられていた。(乙96,控訴人本人13頁)
(ウ)

Aは,昭和34年までに,手の指が曲がったり,火傷により手の指
先を失ったりしていた。そこで,Aは,昭和34年1月頃,岡山大学医学部附属病院三朝分院(以下岡山大学医学部三朝分院という。)及び鳥取赤十字病院の皮膚科を受診したところ,Aの症状はハンセン病に似ていると診断された。(甲31,77,乙10)
Aの家族及び親戚は,この診断を聞いて困惑し,Aの今後について話し合った。その中で,長男は,Aにハンセン病の菌がある旨主張し,当時a町役場の保健課長をしていた親族は,Aにハンセン病の菌はない旨主張し,Aも自分はハンセン病ではない旨主張し,二男は,Aを他の病院でも診察してもらうべきであるなどと主張した。長男は,Aの面倒を見ることはできない旨述べて,妻と子を連れて,a町の家から出て行っ
た。二男は,他家の養子になっていたためAの面倒を見ることを拒否し,三男は家業の農業に向いていないと考えて,四男に対して帰郷を促す手紙を送ったところ,四男が帰郷せずに三男が帰郷してきた。(甲31,77,乙10,53,控訴人本人5ないし9頁)
Aの家族及び親戚は,話し合いの結果,Aを大阪に住んでいるAの妹(以下叔母という。)の家に転居させ,Aに大阪の病院で診察を受けさせた上で,Aの疾患がハンセン病であると診断された場合には,Aを大阪から療養所に入所させることを決め,三男がそのための手続を担当することとなった。(甲31,77,乙10,控訴人本人9頁)Aは,昭和34年3月半ば頃,前記の話合いの結果に従って,大阪の叔母の家に転居した。その後,Aは,親戚に残っていた不動産を売却した(甲31,77,控訴人本人9頁)。

Aが大阪に転居してから鳥取に帰郷するまでの経緯

(ア)

Aは,昭和34年4月28日,二男,三男及び四男とともに,阪大
皮膚科別館を訪れて,T医師の診察を受け,ハンセン病に関する検査を受けた。Aは,当時,両側の尺骨神経及び両側の腓骨神経が肥厚し,両上腕に大きな発赤が生じ,両上腕,両手及び両下腿に知覚鈍麻が生じ,両手に火傷などによる水疱が多数形成された状態であった。(甲42の1・2,77,原審証人Ra2頁)。
その後,T医師は,前記の検査の結果から,Aについてハンセン病を発症したとの確定診断をしたが,紅斑性ケロイド,抗酸性菌は検出せずと記載した診断書を交付した。この診断書の記載により,二男及び四男は,Aの症状はハンセン病によるものではないと考えた。(甲30,88,乙4,10,11)
Aは,昭和34年5月5日に阪大皮膚科別館におけるハンセン病治療を受け始めてから昭和41年3月24日まで,概ね月1回以上(多い時
は月に10回以上),阪大皮膚科別館で治療を受け,主治医から,原判決別紙処方薬一覧表のとおり薬の処方を受けた。この治療を受けている間に,Aには,顔の発赤,顔,右前腕,右上腕及び左下肢の紅斑並びに顔面麻痺等の症状があらわれ,そのうち顔面麻痺は後遺症となった。(甲42の1・2)。
(イ)

控訴人は,昭和34年5月半ば頃に大阪に行き,それ以降は,叔母
の家でAと一緒に生活し,鳥取県内の地元の中学校から大阪の中学校に転入した。控訴人は,大阪へ転居するに当たって,二男から,二男の家で生活して,地元の中学校を卒業するように勧められたが,それに応じなかった。(甲31,乙10,11,弁論の全趣旨)
Aは,昭和34年7月,大阪市b区c町の四軒長屋の一軒(以下cの家という。)を45万円で購入し,Aと控訴人はcの家に転居した。四男も,自衛隊に入隊するまでの間にcの家でA及び控訴人と同居したことがあった。(甲31,乙10,11)
A及び控訴人は,●年のお盆に,一時的に,鳥取に帰省した。その際,同年●月に婚姻し妊娠していた●が,Aの下を訪れた。そして,●は,A及び控訴人とともに大阪に行き,中絶手術を受け,その後大阪で生活するようになり,同年●月に離婚し,一時期,cの家でA及び控訴人と同居していた。(甲3の3,30,31,77,乙10,11)三男が大阪で自転車屋を開店し,Aがその開店資金を供与した。●は,●年●月●日に婚姻し,●との間に●をもうけた。(甲6の1・2,31)
二女が大阪でお好み焼き屋を開店することとなり,Aは,その開店資金を供与した。二女は,●年に水害のためにお好み焼き屋を廃業し,同年●月●日に●と再婚し,●をもうけた。(甲7の2,31)
控訴人は,同年3月に,大阪の中学校を卒業すると,大阪の鉄工所で
働き始めたが,約1年で鉄工所を退職し,その後,転職を繰り返した。(甲31,66)
(ウ)

大阪大学医学部附属病院のU医師は,昭和40年2月24日付け

で,大阪府知事に対し,Aが昭和34年4月に結核様癩を発症した旨の記載をした御届と題する書面(以下御届という。)を提出
した。御届に記載されていたAの住所地が三男の住所地であったため,大阪府は,Aの住所地を調査していたが,不明であるとして処理され,結局Aを患者として登録しなかった。(甲8,45,66)。
Aは,前記のとおり,阪大皮膚科別館で治療を受けたが,症状が思うように改善しなかったことから,その治療方針に疑問を抱くようになり,昭和41年3月24日以降,阪大皮膚科別館に通院するのを止めた。その後,Aが阪大皮膚科別館において診察を受けたのは,昭和42年6月8日及び昭和49年2月4日の2回だけであった。(甲31,42の1・2)。

Aが鳥取に帰郷してから死亡するまでの経緯

(ア)

Aは,昭和42年になると,cの家とその敷地を180万円で売却
し,同年春頃,控訴人とともに鳥取のAの実家に帰郷した。(甲31,66,乙10,11)
その後,Aは,二男から,鳥取県東伯郡d町所在の土地を譲り受けた上で,二男の協力を得て,その土地上に住居(以下eの家とい
う。)を建築し,Aの実家からeの家に移り住んだ。eの家の建設費用は,cの家及びその敷地の売却代金と親戚から受けた援助によって捻出された。(甲31,77,乙10)
被控訴人県知事は,昭和42年12月15日,Aに対して,身体障害者手帳を交付した。(乙58)
(イ)

控訴人は,鳥取に帰郷すると,運送会社などで正社員として働いた
こともあったが,昭和45年頃に一人で鳥取県外に出て行き出稼ぎをするようになった。(甲30,31,66,乙10,控訴人本人55頁)控訴人がAと離れて暮らしていたときには,Aが障害のために一人で風呂には入れないため,二男が自宅の風呂をAに使わせていた。(甲77)
(ウ)

控訴人の姪及びその夫は,昭和55年6月16日,倉吉保健所を訪
問して,控訴人について相談し,控訴人が1ないし2か月に一度帰郷して控訴人の姪らに時を問わず電話を架けてくるし,控訴人の親戚及び兄弟も手を焼いていて,反抗したら暴力を振るうので皆がいいなりになっており,できれば控訴人を入院させたいなどと述べた。
控訴人の姪が,同年7月9日,同保健所を訪れ,控訴人を措置入院させるように訴えた。その際,控訴人の姪は,同保健所の職員に対し,

私が結婚した際,控訴人が父親気取りで,『らいの孫として嫁にやりたくない。』と言い,控訴人は自分がAのハンセン病を治してやったと思っている。

旨述べた。同保健所の職員が,同年7月12日,eの家を訪問し,A及び控訴人と面談をした。その際,Aは,同職員に対して,Aがハンセン病であるといううわさを理由に家を去った長男への恨みを述べるとともに,自分はハンセン病ではなかった旨述べて,服を脱いでその背中を見せた。控訴人が,同年7月14日,同保健所に電話を架けて,

同月12日午後10時頃に控訴人の姪とその夫がeの家に来て,『このくそババ。死んでしまえ。今度電話してきたら,殺してやる。保健婦に何が分かるか。』などと言った。

と告げた。これに対し,同保健所の職員は,控訴人に対し,もう少し冷却期間を置き,控訴人の姪らに電話は絶対せず,二男によく相談することなどを指導した。Aが同月29日午後2時頃に控訴人の姪方に電話をしたところ,控訴人の姪の夫が対応し,同人
は,同日午後3時頃にeの家に来て,Aに対して叩いたり蹴ったりするなどの暴行を加えた。Aが,同保健所に電話を架けて,同年8月1日に控訴人の姪の夫から暴行を受けた旨述べると,同保健所の職員は,Aから控訴人の姪らに電話は絶対せず,親類を通して交渉することなどを指導した。控訴人が,同月6日,同保健所に電話を架けて,

Aの怪我と控訴人の姪の取った態度について,滋賀県在住の三男なども来て,控訴人の姪をまじえて話し合ったが,控訴人の姪は全く知らん顔であきれた態度であった。

と言った。これに対し,同保健所の職員は,控訴人に対し,控訴人の姪らに電話はせず,どうしても電話をしないといけないのであれば,二男等を通してするように指導した。(甲78,乙11,54)
(エ)

二男が,昭和57年12月2日,倉吉保健所を訪問して,Aを老人
ホームに入所させたいが,控訴人が反対するので困っている旨述べた。同保健所の職員が,昭和58年2月3日,eの家を訪問し,控訴人及びAと面談をした。その際,控訴人は,同職員に対して,Aがハンセン病であるとうわさされて大阪に逃れてからの経過を話し,Aを老人ホームに入所させると,親類及び兄弟がAをますます見放してしまうなどと訴え,Aがハンセン病に罹患していなかったことを強調した。Aは,同職員に対し,老人ホームに入所したいと言ったのは炊事が大儀になり,控訴人とその兄弟がいがみ合うのを聞きたくないからであるが,今しばらくはこのままeの家に居たい旨述べた。(甲78,乙54)。
控訴人は,その当時から,医学書を読むなどしてハンセン病についてかなり学習していた。(甲78,乙54)
(オ)

Aは,昭和58年当時,障害基礎年金として月額3万7700円を
受領しており,昭和61年には,障害基礎年金として年額77万8500円を受領していた。(乙39,58)

Aは,昭和58年7月18日当時,eの家で一人暮らしをしていたが,両手が不自由になっていた上,左目が見えず,右目も少し不自由になっており,一人での生活に不安を覚えていたことから,同日付けで,養護老人ホーム鳥取県立母来寮(母来寮)への入所を申請した。この申請は,二男が中心となって進めたものであり,Aの身元引受人も二男となっていた。(乙10,16,57)
Aは,昭和58年12月14日に,脳梗塞を発症し,森本外科・脳神経外科医院(以下森本外科医院という。)に入院した。Aの脳梗塞は,その後1か月程度でほとんど軽快し,Aは,森本外科医院を退院したものの,脳梗塞の後遺症として右不全麻痺が残った。そのため,Aは,一人で生活することがより困難となった。(乙10,57)
森本外科医院のV医師は,昭和59年1月23日付け健康診断書において,Aの疾患を多発性関節リウマチ及び脳梗塞(右不全マヒ)と記載し,Aの指が熱傷により短縮している旨指摘していた。(乙57)
(カ)

被控訴人県中部福祉事務所長は,昭和59年1月31日付けで,身
体的及び経済的理由により,居宅において養護を受けることが困難と認められることを理由に,老人福祉法11条1項に基づいて,Aを同年2月1日より母来寮に入所させる措置を開始することを決定し,Aは,同日から,母来寮に入所した。Aは,被控訴人県から,母来寮の入所費用のうち9万2737円を支弁されることになったため,入所費用のうちAが負担する額は3000円にすぎなかった。(乙10,13の2,57,58)
昭和42年5月から昭和48年3月まで被控訴人県のハンセン病予防事務の担当官であったWは,Aの入所当時,次長として母来寮に勤務していたが,Aがハンセン病に罹患しているとは認識していなかった。A
は,母来寮入所後,様々な医療機関(福島整形外科,清水病院,垣田病院,増田耳鼻科医院,上原整形外科医院等)を多数回にわたって受診しているが,受診した医療機関でハンセン病についての指摘を受けたことはなかった。母来寮の職員は,母来寮におけるAに関する出来事を,母来寮入所記録に記録していたが,同記録には,Aがハンセン病に罹患していることを窺わせる記載はない。(乙13の1,37,弁論の全趣旨)
Aは,性格的に気性が激しく,勝ち気で,プライドが高かったため,他の入所者とトラブルになることが多く,時には叩き合ったり,とっくみあいのけんかになることもあった。平成2年8月21日には,二男と思しき息子(以下Aの息子という。)が母来寮を訪れ,職員に対
し,Aについて,若い頃から頑固で通して暮らしており,母来寮にも大変に迷惑をかけていることはよく知っており,入所以前から他人のことなど考えることなくわがままであり,親子関係が非常に悪い旨述べた。(乙13の1,15,58)
母来寮の入所者が,Aの指の状態を見て,マンゴーと発言したこ
とがあった。(甲77,乙15)
二男は,平成元年8月23日,母来寮の職員に対して電話を掛け,為替によって148万円をA宛に送金したので,当該148万円をA名義の預金にして欲しい旨連絡した。(乙13の1)
(キ)

控訴人は,平成3年9月18日に,二男とともに倉吉保健所を訪

れ,職員に対し,Aが,昭和34年頃にハンセン病らしき病気に罹患したことについて,遺伝的なものの心配があるかどうかということ,A及び控訴人が医療費として多額の負担を強いられたことや控訴人の兄姉がAの面倒を見なかったことなどを相談した。これに対し,職員は,遺伝の心配はなく,体質についてはどの病気にもいえることであり,昔のこ
とを言い争って苦しむより今後のことを考えて話し合うべきである旨述べた。(甲31,乙2の1,3)
控訴人は,平成3年9月26日に,A及び二男とともに倉吉保健所を訪れ,職員に対し,Aの状態を見せ,同月18日のときと同様の相談をした。これに対し,同職員は,Aが元気で生活している現在,兄弟で過去のことをとやかく争うのはおかしく,これからに向けて兄弟間で助け合って話し合うべきである旨述べた。この際,Aは,同職員に対し,自分がリュウマチに罹患している旨述べた。(甲31,乙2の2,3)。
(ク)

Aは,平成5年3月18日頃になると,入浴・着脱衣に全介助を要
するようになっていただけでなく,膝関節痛により歩行に支障が生じてきたことから,母来寮での処遇が困難となった。そこで,被控訴人県の中部福祉事務所長は,同日以降,Aに対する老人福祉法11条1項に基づく措置を,母来寮に入所させるというものから,特別養護老人ホーム鳥取県立巌城はごろも苑(以下巌城はごろも苑という。)に入所させるというものに変更するとともに,措置費として支弁される金額を20万3729円に増額する決定をし,Aは,同日,母来寮から巌城はごろも苑へ転寮した。(乙13の1,58)
控訴人は,平成5年5月頃,当時勤めていた会社を退職し,鳥取に帰郷した。控訴人が退職した頃に同社から受け取っていた月給は概ね55万円を超えており,同年当時の控訴人の預貯金の残高は2000万円程度であった。(甲31,43,66,乙10,11,弁論の全趣旨)Aは,●年●月●日に死亡した。
(4)

Aの死亡から控訴人が本訴を提起するまでの経緯


二男は,平成6年4月22日,倉吉保健所を訪れ,控訴人が暴力的であ
るとして,控訴人の精神病院への入院について相談した。同保健所の職員
は,同日のうちにeの家で控訴人と面談した。その際,控訴人は,Aの昭和30年代の診断書と昭和50年頃のぼろぼろになった医学書を持ち出して,

母がらいであれば良かった。

などと発言した。同職員は,控訴人がハンセン病について異様なほど知識を持っているが,それ以外には特に変わった発言又は言動などが見られないと判断した。(乙3,10,53)
控訴人は,二男とともに,平成7年6月9日及び同年7月3日に倉吉保健所を訪れて,控訴人の兄弟がAの世話を控訴人に押しつけておきながら,その苦労を認めてくれないことへの不満を述べ,保健所もAの家族に指導してほしかったなどと述べた。(乙3,53)
倉吉保健所の職員は,平成7年7月17日,控訴人と二男の依頼に基づいてeの家を訪れ,前記両名と面談をした。その際,控訴人は,大阪大学の医師作成の手紙を見せながら,

母の病気はハンセン病でなかったのに,ひどく偏見の目で見られた。こんなことが二度と繰り返されてはいけない。

などと発言しており,少なくとも同日の時点までは,Aがハンセン病に罹患したことがないのに,ハンセン病であると疑われたなどと考えていた。(乙3,53)。
平成8年3月31日に新法が廃止された。(顕著な事実)
控訴人は,平成8年4月上旬頃以降,何度も,被控訴人県福祉保健部健康対策課(以下県健康対策課という。)に電話を架け,同年6月19日には被控訴人県の本庁相談室で職員から事情を聞かれた。その中で,控訴人は,Aが岡山大学三朝分院及び鳥取赤十字病院で菌が検出されないものの症状からハンセン病と診断されたのに在宅医療となって,控訴人だけがAの世話をし,その苦労を家族が理解しないことへの不満を述べるとともに,新法が周知されて医師,a町保健課及び家族の対応が適正であれば,Aは国立療養所に入所することができてより幸せであったなどと述べ
た。(乙4)
控訴人は,平成8年5月頃,しつこく国立療養所である邑久光明園に行って話をするので,同園の医師から国立鳥取療養所精神科を紹介され,控訴人を診察した同科の医師から精神病ではないとの判断を受けた。(乙3,53)
控訴人は,平成8年10月10日付けで,大阪府の保健予防課に対し,Aのハンセン病について大阪府に対する報告があったか否かなどを照会した。同課の担当者は,同月28日付けで,書面で,大阪府に対する報告は確認できなかったなどと回答した。(甲17)
控訴人は,平成9年8月11日,倉吉保健所を訪れ,Aの診療状況について,鳥取赤十字病院の外来で症状はハンセン病と診断されたなどと説明し,平成元年又は同2年に保健所へAと控訴人の兄姉の仲について相談するとともにハンセン病治療施設を紹介してほしいと話したが,相手にされなかったと述べるとともに,控訴人が大変な状況にあり,昭和34年当時適正な対応がされていればAが国立療養所で治療を受けられたはずであることを,二男に理解させるように求めた。同保健所の職員は,平成9年8月12日,来所した二男に対し,控訴人の言い分を伝えるとともに,ハンセン病等について説明し,二男は,ハンセン病については医師等に会ったりしており,大体のことは理解している旨述べた。(乙3,53)控訴人が,平成9年10月20日頃,大阪皮膚病研究会理事長に対して,Aの診療録写しの送付を請求したところ,まもなく,同理事長は,控訴人に対して,Aの診療録の写しを送付した。(甲31,41)

入所者は,平成10年7月,熊本地方裁判所に,らい予防法違憲国
家賠償請求訴訟を提起した。(甲120,当審Rb証人3頁)
控訴人は,同年後半以降に,ハンセン病の資料を入手するなどして,被控訴人国が国際的な批判に耳を貸さずに隔離政策を推進していたものであ
ると認識した。(弁論の全趣旨)
控訴人が,平成11年頃,前記訴訟の原告ら代理人となっている弁護士に対し,Aが国立療養所に収容されなかったためにAと控訴人が大変に苦労してきており,Aを国立療養所に収容しなかったことの責任を問いたいと思っているので,前記訴訟に参加できるかという趣旨の問い合わせをした。これに対し,同弁護士は,控訴人が前記訴訟の原告にはなれない旨回答した。(甲156,当審Rb証人22ないし25頁)

控訴人は,平成11年,被控訴人県の職員に対し,ハンセン病の治療に
は健康保険が使えなかったなどと述べるとともに,被控訴人県がAを患者であると認識していたのか否か及びAに対してどのような対応をしようとしていたのかについて調査するように求めた。これに対し,職員は,書類がなく確認できないなどと答えていた。県健康対策課の職員が,控訴人から大阪府に対してAがハンセン病である旨の届出がされている旨指摘されて,大阪府に対して届出の有無を照会し,大阪府から該当なしとの回答を得たこともあった。(甲31,乙3,19,20)
控訴人は,平成12年以降,厚生省から出向してきた県健康対策課長に対し,控訴人の兄姉達がハンセン病であったAを阪大病院で再び受診させることを勝手に決め,Aの世話など面倒なことをすべて控訴人に押し付け,ハンセン病の治療には保険が使えず,経済的な負担が大きかったなどと述べた。控訴人は,同課長に対し,被控訴人県がAを国立療養所に収容させなかったことを非難することもあったが,同課長は,被控訴人県としてはAがハンセン病である旨の届出がされていなかったのでどうしようもなかった旨述べた。同課長は,控訴人の話を聞く中で,医師免許の保有者である自分よりも控訴人の方がハンセン病に関しては優れた知識を持っていると認識した。(乙20)
大阪府の担当者は,平成12年7月31日,控訴人に対して,御届が発
見された旨の連絡をした。これにより,被控訴人県は,初めて御届の存在を認識するに至った。(甲31,乙3,19,20)
県健康対策課,倉吉保健所及びf町の担当者は,控訴人の気持ちを聞いて二男に伝えるために,平成12年12月4日に倉吉保健所において控訴人と協議した。その結果,県健康対策課の課長補佐が,同月18日,二男に対し,控訴人の心情を伝える文書を作成して送付した。(乙3,20)その後も,控訴人は,被控訴人県に対し,苦情を述べ続けた。控訴人は,被控訴人県においてAがハンセン病に罹患していたことを調査するのに10年もかかったなどとの苦情も言うようになった。(乙19,20)エ
熊本地方裁判所は,平成13年5月11日,国会議員が平成8年まで新
法を廃止しなかったこと及び厚生大臣が隔離政策を実施していたことは,国家賠償法上違法と評価されるべきであり,被控訴人国は,入所者に対して,国家賠償法に基づく損害賠償債務を負う旨の判決(以下熊本判決という。)を言い渡した。そして,この判決の内容は,翌日には新聞によって全国的に報道された。(甲9,乙52の1~6・8)
被控訴人国は,平成13年5月23日,熊本判決に対する控訴を断念し,このことは,翌日には新聞によって全国的に報道された。(乙52の1ないし8)
控訴人は,熊本判決をマスコミ報道で知って,同月23日,県健康対策課に電話をかけて担当者に対し,

ハンセン病訴訟に関し,政府が控訴を断念したようだ。

と発言した。(乙3,弁論の全趣旨)平成13年6月22日にハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律(以下ハンセン病補償法という。)が公布され,即日施行された。(顕著な事実)
同日,非入所者が,初めて,らい予防法違憲国家賠償請求訴訟を提起した。(甲134,当審Rb証人5頁)

被控訴人国は,平成13年7月23日,ハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団協議会(以下全国原告団協議会という。)との間で,入所者に対して和解一時金を支払うことなどを内容とする基本合意書(基本合意書Ⅰ)を取り交わした。(甲93,乙22)

熊本地方裁判所は,平成13年7月27日,らい予防法違憲国家賠
償請求事件について和解に関する所見を示した。同所見において,入所歴のない患者の原告(以下入所歴のない原告という。)について,熊本判決に従えば,国家賠償請求権を有すると解すべきである旨示された。(甲10)
被控訴人国は,前記所見で示された,国立療養所に入所していたが,提訴前に死亡している患者であった者の相続人である原告(以下遺族原告という。)及び入所歴のない原告からの提訴への対応について検討し,平成13年9月12日,同裁判所に対し,前記原告らについて判決を求める旨記載された意見書を提出した。同意見書には,熊本判決において直接に判断されていない部分であること,どのような共通損害が認められるのかが不明であること,ハンセン病補償法の対象にもされていないことなどの事情にかんがみ,話合いにより解決することは難しい旨記載されていた。(甲136の1・2)
被控訴人国は,熊本地方裁判所に提出した平成13年12月7日付けの準備書面において,国立療養所に入所したことのある患者が有する損害賠償請求権について,特段の事情がない限り,慰謝料請求権を含めて相続の対象となること自体は争わないが,本件訴訟における被相続人と熊本判決における原告らとの間に共通損害を認めることが困難である旨主張した。(乙100,当審Rb証人12頁)
同裁判所は,平成13年12月7日,当該事件について,弁論を終結し,和解に関する所見を示した。同所見において,入所歴のない原告も被
控訴人国に対し国家賠償請求権を有すると解され,入所歴のない原告は,社会の中で生活を送っただけにより一層ハンセン病に対する偏見により様々な差別的取扱いを受け,抗ハンセン病薬が保険診療で正規に使用できる医薬品に含まれていなかったなどの制度的欠陥によりハンセン病の治療を受けられる医療機関が極めて限られていたため,入所者とは異なり,医療を受けることすらままならず,ハンセン病の罹患を隠して社会生活を送らざるを得なかったことなどにより極めて深刻な被害を共通して受けたことが認められ,入所歴のない原告の和解金額は,発症時期が昭和37年12月31日までの場合は700万円,発症持期が昭和38年1月1日以降昭和47年12月31日までの場合は600万円,発症時期が昭和48年1月1日以降の場合は500万円とするのが相当である旨記載されていた。(甲11,当審Rb証人13頁)
坂口力厚生労働大臣(当時)は,平成13年12月11日,閣議後の記者会見において,同月7日に同裁判所から示された和解所見への対応について質問されて,被控訴人国としてどう対応するかをまだ決めておらず,死亡した入所者の遺族に対してどこまで補償するのか,また補償する必要があるのかについてもう少し議論する必要があり,非入所者が受けた差別及び偏見について被控訴人国の責任がどれくらいあるのかということももう少し整理する必要があるなどと述べた。(甲96)
同裁判所は,同月18日,更に和解に関する所見を示し,入所歴のない原告の発症時期の認定は,原則として医療機関においてハンセン病罹患と診断された時と解される旨記載されていたほか,入所歴のない原告の慰謝料額の算定根拠について示した。(甲12,当審Rb証人15頁)被控訴人国は,同月26日,条件付きで和解の席に着くことを発表し,同月27日に同裁判所に回答することとした。(甲135の2)
ハンセン病国賠訴訟全国原告団協議会(以下全国原告団協議会とい
う。),ハンセン病国賠訴訟遺族・非入所原告団及びハンセン病国賠訴訟全国弁護団連絡会は,同月26日,声明を発表した。その声明の中では,厚生労働大臣が,同日,遺族原告及び入所歴のない原告のハンセン病国家賠償請求訴訟に関し,原告側が弁護士費用及び遅延損害金の請求を放棄することを条件として同月7日付け同裁判所の和解勧告を受諾する意向を表明し,同月27日以降,同勧告に従って具体的な和解が実現していくことになる旨記載されていたほか,被控訴人国は,熊本判決確定後も,遺族原告及び入所歴のない原告については共通損害が明らかでないとの理由で和解を拒み続けてきたが,今回の和解受諾により,遺族原告が被相続人たる患者の損害賠償請求権を相続により承継し,入所歴のない原告も入所者と同様に絶対隔離政策の被害者であることが司法上明確になった旨記載されていた。(乙102)
被控訴人国は,同月27日に同裁判所において実施された和解期日において,和解に応じる意向を示し,入所歴のない原告については,主として,合理的理由のなくなった新法を廃止しなかったために,国立療養所に入所させて治療を行うという政策の結果として,入所せずに治療を受けることが容易ではなかったことに基づく損害を認める旨述べるなどした。(甲135の1・2,当審Rb証人17頁)
被控訴人国は,平成14年1月28日,全国原告団協議会との間で,被控訴人国が,提訴前に死亡した患者の遺族及び非入所者に対して,和解一時金を支払うことなどを内容とする基本合意書(基本合意書Ⅱ)を取り交わし,その趣旨の合意をした。基本合意書Ⅱの内容は,別紙記載のとおりである。基本合意書Ⅱにおいては,被控訴人国が遺族原告及び入所歴のない原告に対して損害の賠償等として平成13年12月7日に熊本地方裁判所が示した和解に関する所見を踏まえて和解一時金を支払う等とされており,前記和解一時金は,相続性のある損害賠償請求権としての法的性質を
有するものであるが,非入所者の遺族が国を被告として国家賠償請求訴訟を提起した場合の規定は設けられなかった。基本合意書Ⅱが締結された当時,らい予防法違憲国家賠償請求事件の原告らの中に非入所者はごく僅かしかおらず,非入所者の遺族はいなかった。(甲13,94,120,当審Rb証人18及び36頁,弁論の全趣旨)
基本合意書Ⅱに係る合意の事実は,平成14年1月29日に,新聞により全国的に報道された。その中では,基本合意書Ⅱが被控訴人国の法的責任に基づく謝罪と損害賠償としての和解金支払いを盛り込んでいる旨報道されていた。(乙17,18,56の1ないし5)
平成14年1月30日に熊本地方裁判所でらい予防法違憲国家賠償請求事件の和解期日が実施され,基本合意書Ⅱに基づいて,一部の遺族原告及び入所歴のない原告と被控訴人国との間で和解が成立した。ハンセン病国賠訴訟西日本弁護団の一員である吉田哲也弁護士は,ハンセン病国賠訴訟を支援する関西連絡会の作成した支援する会ニュースと題する書面において,同日の和解は,被控訴人国が遺族原告及び入所歴のない原告の受けてきた被害についてもその法的責任を認め,賠償義務のあることを確認するものである旨述べた。(乙101,当審Rb証人30及び31頁)カ
被控訴人県の関係部署は,平成14年11月29日,控訴人の対応につ
いて協議し,県健康対策課のX課長補佐が控訴人の要求どおりにならないことを知らせ,控訴人を怒る役割を担い,控訴人からわれ,やったるなどと大声で怒鳴られもしていた。また,倉吉保健所は,平成15年4月16日,控訴人が同保健所に毎日のように来訪して業務に支障をきたしていたため,一定時間対応した後で引き取ってもらうように求める方針で控訴人と対応することを決定した。(甲31,乙3,19,20)
県健康対策課の職員は,控訴人が,Aのハンセン病の治療に保険が使えなかった旨の苦情を述べた場合には,訴訟を提起してもらうしかない旨述
べていた。(乙19,20)
控訴人は,平成15年7月22日,県健康対策課へ来て,Aの治療に保険が使えなかったなどと話した。これに対し,同課長は,

お金のことを言うなら,訴訟を起こしてください。一体貴方は何を要求しているのですか。

と言うと,控訴人は,無言になった。(乙3,19,20)控訴人は,その頃までの間に,近藤剛弁護士によく電話を架け,被控訴人県の職員に述べていたことと同様の話をしていた。同弁護士は,ハンセン病国賠訴訟の弁護団の一員であった。(控訴人本人89,96及び97頁,弁論の全趣旨)

控訴人は,平成15年7月24日午後5時30分頃,鳥取県立県民文化
会館において,同会館での会合を終えたX課長補佐と会い,被控訴人県の対応がなっておらず,Aの面倒を自分一人で見させられたなどと話し,一方的で際限のない不満話に見切りを付けた同補佐が話を打ち切って帰りかけたため,同日午後6時5分頃,同補佐の態度に憤激して,同補佐の背後から所携の腰鉈で同補佐の頭部を数回にわたり切りつけ,殺人未遂等の被疑者として現行犯逮捕された(以下,控訴人の敢行した殺人未遂等の犯行に係る刑事事件を別件刑事事件という。)。(甲31,乙19ないし21)
鳥取地方裁判所は,平成15年10月10日,別件刑事事件について,控訴人に対して,殺人未遂等により懲役4年に処する旨の判決を言い渡した。(甲31,乙3,19,20)
同判決に対して控訴人から控訴があり,近藤剛弁護士及び井上雅雄弁護士が控訴人の私選弁護人となった。控訴人は,前記各弁護士から,隔離政策の違法性について論理的,かつ,明確な説明を受けた。広島高等裁判所松江支部は,平成16年7月26日,控訴人に対して,殺人未遂等により懲役3年に処する旨の判決を言い渡した。同判決は,同年8月10日に確
定した。(乙21,控訴人本人97頁,弁論の全趣旨)
控訴人は,平成18年9月16日に満期出所した。(甲31)
控訴人が,平成22年4月19日,本件訴えを提起した。原審においては,近藤剛弁護士,井上雅雄弁護士及び神谷誠人弁護士が控訴人の訴訟代理人となった。これまで,非入所者の遺族が,隔離政策の違法性を主張して,非入所者の被控訴人国又は都道府県に対する損害賠償請求権を相続したとして国家賠償請求訴訟を提起したことはなかった。(顕著な事実,弁論の全趣旨)
(5)

本訴提起後の出来事


被控訴人らが,控訴人に対し,控訴人の被控訴人らに対する国家賠償法
に基づく損害賠償請求権について消滅時効を援用するとともに,被控訴人国が,裁判所及び控訴人に対し,基本合意書Ⅱの内容に沿って控訴人との間で和解を行う意思があることを示し,当審においても同様の意向を示した。(顕著な事実,弁論の全趣旨)

被控訴人国は,基本合意書Ⅱの成立時期から3年以上経過した時期に提
訴した非入所者及び遺族原告に対して,基本合意書Ⅱに基づき,和解に応じている。(甲137の2,弁論の全趣旨)
被控訴人国は,平成28年11月4日,東京地方裁判所において,基本合意書Ⅱの成立時期から3年以上経過した時期に提訴した非入所者の遺族に対して,基本合意書Ⅱに準じて,和解に応じている。(甲137の1,弁論の全趣旨)
2
Aないし控訴人に関する認定事実の補足説明

(1)

控訴人は,前記1(3)ア(イ)の認定に関し,長男が最初の妻と離婚したの
は,Aがハンセン病に罹患したことがうわさになったことが原因である旨主張し,控訴人本人からの陳述録取書(甲31,66)にもこれと同趣旨の記載があり,Y作成の意見書(甲119の1。以下Y意見書という。)に
もこれと同趣旨の記載がある。
しかしながら,二男は,控訴人訴訟代理人に対し,長男の最初の妻がAから叱られることが多く,その際に長男が庇ってくれず,これが離婚の原因になったと想像している旨供述しているところ(甲77),二男は,控訴人訴訟代人に対して,二女が倉吉市内からa町の家に戻された原因がAがハンセン病にかかったとのうわさにあることを認めており(甲77),二男が長男の離婚の原因について虚偽の供述をする動機が窺われない。前記認定のとおり,Aの息子が,母来寮の職員に対し,Aが若い頃から頑固で通して暮らしており,他人のことなど考えることなくわがままであり,親子関係が非常に悪いなどと述べており(前記1(3)ウ(カ)),これによれば,Aと長男の最初の妻との折り合いの悪さが離婚の原因になることも何ら不自然ではないといえる。したがって,長男が最初の妻と離婚した少なくとも主たる原因が前記うわさであったとは認められず,控訴人の前記主張等は採用できない。(2)

控訴人は,前記1(3)ア(ウ)の認定に関し,原審本人尋問において,鳥取
赤十字病院の皮膚科の担当医がAの疾病をハンセン病と診断して,その旨記載された診断書を作成した旨供述し,控訴人本人からの陳述録取書(甲31,66)において,Aが昭和34年1月頃に岡山大学医学部三朝分院に検査入院した後,鳥取赤十字病院の皮膚科で受診して,ハンセン病と診断され,その旨記載された診断書を書いてもらい,その後,保健婦が毎日のようにa町の家に訪れてAに鳥取大学病院で受診するように指導し,Aの様子を見に来た保健所長が,前記の役場の課長をしていた親族に対し,Aの病状が悪いので,早く療養所に連れて行くように勧めた旨供述し,Y意見書(甲119の1)にもこれと同趣旨の記載がある。
しかしながら,まず,Aが岡山大学医学部三朝分院及び鳥取赤十字病院で受診した後で,Aの家族及び親戚が集まって話し合った際にAの病状に対する言い分が対立していたのであり(前記1(3)ア(ウ)),Aについてハンセン
病と診断されて,その旨記載された診断書が作成されたのであれば,Aの家族及び親戚の中でAの病状に関する言い分が対立することは不自然である。また,被控訴人県は,当時,医師に対して,患者(疑いも含む。)を診察した場合には,封書で被控訴人県知事にその旨を通知することを求めていたのであるから(前記1(2)ウ(ア)a(c),同b,乙33・8頁),鳥取赤十字病院の皮膚科の担当医が,Aの疾病をハンセン病であると診断したのであれば,同医師の通知がなされるはずであるが,その旨の通知があったと認めるに足りる証拠はない。さらに,被控訴人県においては,昭和28年に新法が制定された後,ハンセン病予防事務について,保健所長に権限が委任されたことはなく,市町村に対して事務的援助その他の関与を行わせたこともなく(前記1(2)ウ(ア)a(c),同b),現に,a町の元保健婦も,平成8年10月14日に倉吉保健所の職員に対し,昭和35年頃にa町の家のあった地域でハンセン病予防事務に関与したことはない旨述べており(乙53),保健婦及び保健所長から入所勧奨があった旨の控訴人の前記供述は被控訴人県の当時の執務態勢と整合していないし,a町の元保健婦の供述とも相反している。したがって,控訴人の前記供述等は採用できない。
(3)ア

控訴人は,前記1(3)イ(ア)の認定に関し,T医師が,Aに対し,紅斑性ケロイド,抗酸性菌は検出せずと記載した診断書を交付した事実はなく,仮にかかる診断書が作成されたとしても,それは対外的方便のためであって,二男,三男及び四男は,Aがハンセン病であるとのほぼ確信に近い認識を有しており,これに反する二男の警察官調書(乙10)及び四男作成の陳述書(乙11)は信用できないし,四男作成の陳述書のうち,Aの病気の認識に関する供述部分は,信用性の高い四男の警察官調書(甲157)と矛盾しているなどと主張し,Y作成の意見書(甲119の1)にもこれと同趣旨の記載がある。
しかしながら,まず,診断書作成の有無について検討するに,控訴人
も,被控訴人県の職員に対し,阪大皮膚科別館の医師が作成した診断書には紅斑性ケロイド,抗酸性菌は検出せずと記載されていた旨述べ(乙4),平成18年12月にYらからライフストーリーの聞き取りを受けた際に,T医師が紅斑性ケロイドと記載された診断書を交付した旨述べ(甲30),京都大学でハンセン病の治療をしていた医師である原審Ra証人も,患者から診断書を求められたときにその目的を十分に聞いて,秘密保持のためにハンセン病と分かる病名を診断書に記載しないことがあった旨述べており(甲88,原審Ra証人31頁),ハンセン病の治療にあたる専門医が患者の秘密保持のために診断書にハンセン病と分かる病名を記載しないこともままあったと認められることに照らせば,Aを診察したT医師が紅斑性ケロイド,抗酸性菌は検出せずと記載した診断書を作成した事実が認められる。
次にAの家族の認識について検討するに,前記診断書を翻訳してもらってAがハンセン病ではないと思ったなどとする四男作成の陳述書(乙11)の記載は不自然なものではないといえる。また,二男が診察結果をAらに確認して,らいの菌はないという診察だったと聞いて,Aの病気がハンセン病ではないと思ったなどとする二男の警察官調書(乙10)記載も,T医師が前記のような診断書を作成したという事実と整合するものである。さらに,二男の警察官調書(乙10)及び四男作成の陳述書(乙11)が作成された時点では,Aがハンセン病であったことは警察官や被控訴人らに既に明らかになっていたのであるから,二男及び四男がAのハンセン病を認識した時期についてあえて虚偽の事実を供述する理由がない。加えて,原審Ra証人も,秘密保持のためにハンセン病と分かる病名の記載されていなかった診断書が患者の周囲の人間が持つハンセン病との疑いを否定する役割を果たした旨証言し,また二男及び四男が診断書の記載からAの病名を誤解した可能性がある旨証言している(原審Ra証人2
2及び32頁)。よって,Aがハンセン病ではないと思っていたとする二男及び四男の前記各陳述書の記載は信用できるものであり,この点に関する控訴人の主張等は採用できない。
なお,四男の警察官調書(甲157)には,四男がいつからAのハンセン病の罹患を認識したかについては明確には記載されていない。しかし,四男の陳述書(乙11)では,昭和34年頃にAのハンセン病の罹患を認識していなかった理由について,T医師作成の診断書の記載内容を踏まえて具体的に供述されている。したがって,四男の警察官調書(甲157)にある前記供述部分は,四男の陳述書(乙11)にあるAの病気の認識に関する供述部分の信用性を左右するものではないといえる。

被控訴人らは,四男の警察官調書(甲157)及びこれに基づく主張が
記載されている控訴人第3準備書面(以下,これらの攻撃防御方法を本件各攻撃防御方法という。)が時機に後れた攻撃防御方法に該当するから却下されるべきである旨指摘する。確かに,民事訴訟における文書送付嘱託又は刑事確定訴訟記録法による閲覧などの制度を利用することにより,刑事記録の証拠の複製等を民事訴訟における証拠として使用することは可能ではある。しかし,弁論の全趣旨によれば,四男の陳述書写しが控訴人訴訟代理人に送付されたのは,平成24年5月15日であって,同日の時点では別件刑事事件の裁判書以外の保管記録について刑事確定訴訟記録法2条2項により規定された保管期間である5年が経過していたため,控訴人訴訟代理人において四男の警察官調書がすでに廃棄されていて,前記諸制度を利用して四男の警察官調書の複製等を入手できないものと考えたと認められる。控訴人訴訟代理人において,民事訴訟における文書送付嘱託又は刑事確定訴訟記録法による閲覧などの制度を利用して,四男の警察官調書の複製等を入手できないと考え,本件各攻撃防御方法の提出が後れたことについて重大な過失があるとまではいえない。よって,被控訴人
らの前記指摘は採用し難い。
(4)

控訴人は,前記1(3)ア(イ)及びイ(イ)の認定に関し,昭和30年代前半に
Aがハンセン病であることが周囲に知られるようになり,控訴人が鳥取県内の中学校内で差別にさらされ,修学旅行で大阪に来たいとこの宿泊先に会いに行った際に同校の同級生からものすごい形相と迫力で囲まれたなどと主張し,原審本人尋問等において,これと同趣旨の供述をし,Y意見書(甲119の1)にもこれと同趣旨の記載がある。
しかしながら,控訴人は,同校において,相撲をした際にさばおりという技をかけて暴力的な態度をとったことによって,同級生から恐れられていたことが認められるから(前記1(3)ア(イ)),仮に,控訴人が,同校の同級生などの関係者から不利益な取扱いを受けたことがあったとしても,その原因は控訴人の暴力的な態度にあった可能性が否定できない。したがって,控訴人が,同校の同級生などの関係者から,Aがハンセン病であったことを理由として不利益な取扱いを受けたとは認められず,控訴人の前記主張等は採用できない。
この点,控訴人は,控訴人が相撲でさばおりという技を使ったことをもって暴力的な態度をとったとは認定できないし,控訴人が暴力的な態度をとって生徒間で恐れられていれば,控訴人を取り囲んでにらみつけるような挑発的な態度を取るはずがない旨指摘する。しかし,学校体育実技武道指導資料(乙96)によれば,さばおりという技は小中学校競技規程上の禁止技である旨記載され,その技の態様から見て腰と膝に大きな負担がかかる危険なものであると推認され,こうした危険な技を用いることは周囲の人間に恐怖の念を抱かせる暴力的な態度であるといえる。また,控訴人自身も,原審本人尋問において,土俵の真ん中でさばおりという技を用いて皆から怖がられた旨供述しており(控訴人本人13頁),控訴人のかかる供述から,控訴人がその暴力的な態度で同級生から恐れられていたと認められ
る。したがって,控訴人の前記指摘は採用できない。
(5)

控訴人は,前記1(3)イ(イ)の認定に関し,Aが大阪においてその外見か
ら患者であると認識され,Aと同居されていた控訴人ともども,近隣住民等から自宅玄関先に動物の死骸を投げ込まれるなど悪質な嫌がらせや排除行為などの差別にさらされ続けた旨主張し,原審本人尋問等において,これと同趣旨の供述をし,Y意見書(甲119の1)にもこれと同趣旨の記載がある。
しかしながら,Aには,顔,右前腕,右上腕及び左下肢の紅斑や両手の水疱などの症状があらわれており(前記1(3)イ(ア)),証拠(甲30,31)及び弁論の全趣旨によれば,cの家のあった地域には昭和9年まで公立療養所である外島保養院が設置されていた事実が認められるものの,一般に,ハンセン病の診断は容易ではないとされ(乙84,原審証人Ra21頁),実際にAの診察をした医師ですら,Aの後遺症を多発性関節リウマチなどと診断しているくらいであり(前記1(3)ウ(オ)),ハンセン病とは診断していないし,Aが入所していた当時の母来寮の次長であったWも,約6年間らい予防事務に従事し,患者と接する機会が一般人よりも多かったと推認されるにもかかわらず,Aがハンセン病であるとは認識していなかったのであるから(前記1(3)ウ(カ)),一般人が,Aの外見から,Aがハンセン病であると認識できたとは認められない。加えて,cの家で控訴人及びAと同居していたことがある四男の陳述書(乙11)には,Aがcの家で生活していた頃に顔が腫れたりしたことがあったが.そのことで四男が周囲の人から何か言われたことはないし,A又は控訴人が悩んでいたとは聞いたことがない旨記載されている。したがって,控訴人の前記主張等は採用できない。(6)

控訴人は,前記1(3)イの認定に関し,療養所外における治療及び治療薬
が保険診療の適用外とされていたため,Aが大阪において極めて多額の経済的負担を強いられ,厳しい生活を余儀なくされ,医師から服用を指示された
アリナミンの購入費を全てAと控訴人が負担しなければなかったなどと主張し,原審本人尋問等において,これと同趣旨の供述をする。
しかしながら,阪大皮膚科別館では,外来の患者に対し,ハンセン病治療に係る医療行為を無償で提供し,治療に使用する薬剤の実費額だけを請求し,しかも,薬剤費については財団法人大阪皮膚病研究会から一部補助がされていた(前記1(2)ウ(カ)b)。そして,Aが阪大皮膚科別館で処方された薬は,原判決別紙処方薬一覧表の処方薬/量欄記載のとおりであり,それらの処方薬の当時の価額は,同一覧表の薬価欄記載のとおりであったと認められるから,Aが阪大皮膚科別館において負担した薬の価額は同一覧表の処方額欄記載の程度であったと推測される(乙28ないし30,77)。そうすると,Aの薬剤費は,多い月でも1700円程度であり,月平均では510円程度であったこととなるから,阪大皮膚科別館における治療費が相当高額であったとはいえない。実際,Aは,昭和40年4月15日に,同日の治療費である1310円のうち310円の支払を滞らせたことがあるものの,その他に治療費の支払を滞らせたことを窺わせる証拠は存在しない(甲42の1・2)。
阪大皮膚科別館におけるAの診療録には,昭和38年10月12日の欄にアリナミンF内服指示,昭和39年1月30日の欄にアリナミン1日300㎎内服中,昭和42年6月8日の欄にアリナミン内服中と記載されているものの,阪大皮膚科別館の主治医がAに対して継続的にアリナミンの服用を指示した旨の記載はない(甲42の1・2)。そうすると,Aがアリナミンを長期間にわたって服用していたとまでは認められないから,アリナミンの費用が高額であったとは認められない。
Aは,控訴人とともに昭和34年に大阪に移り住んだものの,その際に不動産を親戚に売却し,同年のうちにcの家を45万円で購入してそこに控訴人と転居しており(前記1(3)イ(イ)),居宅を購入するだけの資金を確保し
ていたといえるし,さらに,二女に対してお好み焼き屋の開店資金を,三男に対して自転車屋の開店資金を供与している(同前記)。加えて,四男の陳述書(乙11)には,Aが大阪で治療をしていた頃,四男がA又は控訴人から

薬代が高い。

とか

生活が苦しい。

という話を聞いたことがない旨記載されている。
以上の諸点に照らせば,A及び控訴人が大阪においてAのハンセン病の治療のために極めて多額の経済的負担を強いられ,それが原因となって厳しい生活を余儀なくされたとは考えられず,この点に関する控訴人の主張等は採用できない。
(7)

控訴人は,前記1(3)ウ(ア)の認定に関し,控訴人とAが昭和42年に鳥
取に戻った最大の理由が大阪の医療機関では患者であるAを受け入れないことにあり,A及び控訴人が鳥取に戻った後も近隣の医療機関から差別的対応を受けた旨主張し,原審本人尋問等において,これと同趣旨の供述をする。しかしながら,二男の警察官調書(乙10)には,Aが自分の弟から鳥取に戻るように勧められ,これに三男も同調して帰郷した旨記載されている。また,四男の陳述書(乙11)には,Aが昭和42年に鳥取に戻った理由について,鳥取に二男がいて安心だと思っており,その当時,控訴人が結婚したいという話があって,控訴人に結婚してほしかったからではないかと思う旨記載されている。このように,控訴人の前記主張等は,二男の警察官調書及び四男の陳述書の記載内容と異なっている。よって,控訴人の前記主張等は,採用できない。
(8)

控訴人は,前記1(3)ウ(イ)の認定に関し,控訴人が鳥取での正社員の仕
事ではAの生活を支えられなかったため,その仕事をあきらめて関西等に出稼ぎに出て,Aのために控訴人の仕事の選択肢が制約されたなどと主張し,原審本人尋問等において,これと同趣旨の供述をする。
しかしながら,二男の警察官調書(乙10)には,控訴人がAとともに大
阪から鳥取に戻ってから,運送会社や鉄工所等で仕事をしたが,協調性がなく同僚とけんかをしてすぐに辞めていたようであり,大阪の方に勤めに行くと言って一人で出て行ったが,すぐに辞めてAの所に帰ってきたなどと記載されている。Aが母来寮から巌城はごろも苑に転寮する際に老人福祉司によって作成された老人調書(乙58)には,控訴人について,

昭和55年当時,仕事もせず母親の年金をあてにして生活していたため,二男により大阪に転出させられる。このこともあって,二男の身元引受について母来寮等に不満を言ったりする行動がある。

と記載されていた。また,控訴人も,前述のYらから聞き取りを受けた際に,出稼ぎをするようになった最も本質的な理由は二男の根性が分かって嫌になったことにあるなどと述べている(甲30)。このように,控訴人の前記主張等は,二男の警察官調書及び老人調書の記載内容と異なっているばかりか,控訴人自身が述べた内容とも異なっているため,採用できない。
(9)

控訴人は,前記1(3)ウ(カ)の認定に関し,Aが母来寮においてハンセン
病であると認識されて嫌われ,母来寮の職員及び他の入所者から差別的対応を受けたなどと主張し,原審本人尋問等において,これと同趣旨の供述をする。
しかしながら,母来寮の入所記録(乙13の1)には,母来寮におけるAの出来事が記載されており,Aが過去にハンセン病に罹患していたことが母来寮の職員に判明していれば,それはAの世話をする母来寮の職員にとって重要な情報になるから,何らかの形で記録されるべきものであるが,同記録には,控訴人が供述するような(控訴人本人59,68頁)控訴人においてAがハンセン病であると職員に告げたことを裏付ける記載もないし,Aがハンセン病に罹患していたことが判明していることを窺わせる記載すらされておらず,Aがハンセン病に罹患していた事実が母来寮の職員によって認識されていたとはいえない。Aの息子が,母来寮の職員に対し,Aについて,若い
頃から頑固で通して暮らしており,母来寮にも大変に迷惑をかけていることはよく知っている旨述べており,Aの息子の対応は,Aがハンセン病であることを理由に差別的対応を受けているのとはかけ離れたものである。加えて,前記(5)のとおり,一般人が,Aの外見から,Aがハンセン病であると認識できたとは認められない。したがって,控訴人の前記主張などは採用できない。
また,Aがマンゴーと呼ばれていたことについて,控訴人は,マンゴーが患者に対する蔑称である旨指摘し,原審本人尋問等においてこれと同趣旨の供述をし,Y意見書(甲119の1)にもこれと同趣旨の記載がある。しかし,鳥取方言辞典等(乙1の1~3)によれば,鳥取において,マンゴーという言葉は,摩滅して丸くなること(手の指が曲がっていること)を意味する言葉として使われている事実が認められ,必ずしも患者を意味するものではない。加えて,Aが母来寮に入所していた時に寮母として母来寮に勤務していた者も被控訴人県職員による聞き取り調査においてマンゴーがハンセン病による手の変形を表した者ではない旨述べているばかりか(乙15),鳥取県に居住し,Aが母来寮に入所する際に身元引受人となっていた二男も,控訴人訴訟代理人に対し,マンゴーという言葉が,鳥取においては指が曲がっていることを意味し,ハンセン病を意味するものではないと思う旨述べている(甲77)。したがって,控訴人の前記指摘等は採用できない。
(10)

控訴人は,前記1(3)ウ(キ)の認定に関し,控訴人が,仕事とAの介護で
県外と鳥取との行き来を繰り返す中で,母来寮でのいじめや差別的待遇を訴えるAの姿を見て,苦悩して精神的に疲弊し,Aにとって療養所に入った方が幸せだという思いを強くし,Aの状況を放置している控訴人の兄達を許せなくなり,平成3年9月18日及び同月26日に倉吉保健所に行き,ハンセン病に罹患したAが高齢者施設や控訴人の兄達から嫌われている旨述べ,A
を療養所へ入所させるか,控訴人の兄達が面倒をみるようにするかの対応を求めたが,相談に応じた保健師がハンセン病偏見差別の中で生きる控訴人やAの苦悩を正面から理解しようとせず,控訴人の求めに応じた対応をしなかったなどと主張し,原審本人尋問において,これと同趣旨の供述をする。しかしながら,前記(9)のとおり,Aが母来寮においてハンセン病を理由にして差別的対応を受けていたとは認められない。また,Aは,従前から,同保健所の職員に対し,ハンセン病に罹患していた事実を否定していた上,平成3年9月26日に控訴人とともに同保健所に訪れていた際にも,自分がリュウマチに罹患している旨述べ,ハンセン病に罹患していたことを認めていないにもかかわらず,控訴人が,同職員に対し,Aを療養所へ入所させるか,控訴人の兄達が面倒をみるようにするかの対応を求めるのは不自然な感を否めない。よって,控訴人の前記主張等は採用できない。
(11)

控訴人は,前記1(4)アの認定に関し,控訴人が,昭和34年当時か
ら,Aがハンセン病であることを認識していたなどと主張し,原審本人尋問等において,これと同趣旨の供述をし,Y意見書(甲119の1)にもこれと同趣旨の記載がある。
しかしながら,控訴人は,昭和58年2月3日に,倉吉保健所の職員に対し,Aがハンセン病であるとうわさされて大阪に逃れてからの経過を話しつつ,Aがハンセン病ではなかったことを強調し(前記1(3)ウ(エ)),平成6年4月22日に,同職員に対して,わざわざAの昭和30年代の診断書と医学書を持ち出して

母がらいであれば良かった。

などと発言したばかりか(前記1(4)ア),平成7年7月17日に,同職員に対して,大阪大学の医師作成の手紙を見せながら,Aがハンセン病でなかったのに,ひどく偏見の目で見られた旨発言しており(同前記),Aがハンセン病であるとのうわさが存在していたことを認めつつ,それが誤りであって,Aがハンセン病ではなかった旨を明確に述べている。また,四男の陳述書(乙11)にも,控訴
人は,Aが鳥取から大阪に転居した当時,Aがハンセン病ではないと言っており,四男も,Aの生存中に,Aがハンセン病であったのに行政にきちんと対応してもらえなかったなどと行った不満を控訴人から聞いたことがない旨記載されている。したがって,控訴人の同職員に対する一連の発言及び四男の陳述書の記載内容に照らせば,控訴人は,少なくとも平成7年7月17日の時点までは,Aがハンセン病に罹患したことがないのに,ハンセン病であると疑われたなどと考えていた事実が認められる。よって,控訴人の前記主張等は採用できない。
この点,控訴人は,患者もその家族も偏見・差別から身を守るためにハンセン病を隠しながら生活を送ることを強いられてきたから,控訴人がAのハンセン病を否定することは,決して病気の認識がなかったことを意味するものではない旨指摘する。しかし,そのような理由で,倉吉保健所の職員に対してまで,

母がらいであれば良かった。

などと発言することは,容易に理解することができない。
また,控訴人は,控訴人が平成6年4月22日に

母がらいであれば良かった。

と述べたとされているのも,それ以前からの経緯を踏まえてその真意を推し量れば,控訴人の保健所が母親のハンセン病を認めて療養所に収容してくれればよかったとの趣旨の発言を倉吉保健所が十分理解できなかったゆえにかかる表現になったと理解するのが自然である旨指摘する。しかし,控訴人の指摘は,具体的にどのような発言をしたかを明らかにするものではない上,Aがハンセン病であれば良かったとの発言と控訴人指摘の趣旨の発言とでは,ハンセン病への罹患の有無を異にするのであって,保健所の職員がそれを取り違えるとは通常考え難い。よって,控訴人の前記指摘も採用できない。
控訴人は,平成3年9月に控訴人が倉吉保健所を訪れるなどした時に控訴人がAのハンセン病のために兄弟関係が悪くなったと述べており,控訴人が
Aのハンセン病を認識していたことを示しているなどと指摘する。しかし,同月18日に控訴人が同保健所を訪問した際に控訴人と応対した同保健所の職員によって作成された遺伝相談申込票と題する書面(乙2の1)には,相談内容としてハンセン氏病らしき病気に34年位前に母が罹患遺伝的なものの心配はどうかと記載されているにとどまり,昭和31年頃になるとAがハンセン病であるとのうわさが立ち,昭和34年にはハンセン病に似ていると診断されたこと(前記1(3)ア(イ)(ウ))に照らすと,上記書面の記載内容からして,控訴人が,その当時,Aの罹患した病気がハンセン病であったと認識していたとは即断できない。よって,控訴人前記指摘も採用できず,控訴人がAのハンセン病を認識した時期に関する前記認定を左右するものではない。
なお,控訴人の姪は,昭和55年7月9日,倉吉保健所を訪れて控訴人を措置入院させるように訴えた際,同保健所の職員に対し,

控訴人は自分がAのハンセン病を治してやったと思っている。

旨述べている(前記1(3)ウ(ウ))。しかし,控訴人の姪は,その当時,同保健所の職員に対して,控訴人の素行の悪さを理由にして措置入院させるように訴えており,控訴人と控訴人の姪との関係が険悪になっていたから,控訴人の姪の前記発言が,控訴人の発言又は考えを正確に反映したものであるかは判然としない。したがって,控訴人の姪の発言をもって控訴人がAのハンセン病を治した旨述べたり,そのように思っていたとは即断できない。
また,控訴人は,昭和58年当時から,既に医学書を読むなどしてハンセン病について学習し,平成6年4月22日に控訴人と面談した倉吉保健所の職員や医師免許を持っていた県健康対策課長が驚くほどのハンセン病に関する知識を持っていた(前記1(3)ウ(エ),1(4)ア,同ウ)。しかし,前記昭和58年の相談内容にてらしても,控訴人は,Aがハンセン病であると疑われていることを認識していたとみられるから,控訴人が,その当時,Aがハ
ンセン病に罹患したことがないと考えていたとしても,Aに関する前記うわさがいわれのないものであるなどと考えて,ハンセン病について熱心に学習したとしても何ら不自然ではない。
その他に,控訴人がAのハンセン病を認識した時期に関する前記認定を左右するに足りる事実を認めることはできない。
第2
1
控訴人が相続したAの被控訴人国に対する国家賠償請求について
責任原因

(1)

控訴人の主張の要約
Aの被控訴人国に対する損害賠償請求権の発生原因事実たる違法行為の存
在につき,控訴人は要旨次のように主張している。

ハンセン病は,遅くとも昭和35年には,全ての患者との関係で,隔離
政策を用いなければならないような特別な疾患ではなくなっており,それにもかかわらず患者は強固な偏見・差別にさらされていた。このことを前提とすると,被控訴人国には,患者に対する偏見・差別を除去する義務(偏見・差別除去義務),及び,とりわけ非入所者に対して援助制度を創設・整備すべき義務(援助制度創設・整備義務)がある。

偏見・差別除去義務違反の具体的発現として,次のものを指摘すること
ができる。すなわち,①偏見・差別除去に向けて隔離政策を転換し新法を撤廃しなかった国会議員の立法不作為,②同様にして,内閣による,新法撤廃に向けた法案の不提出(法案提出義務違反)及び③厚生大臣による,患者に向けられた偏見・差別を放置することを含む,新法廃止以前の隔離政策の不転換(政策転換義務違反)がこれである。

援助制度創設・整備義務違反の具体的発現として,次のものを指摘する
ことができる。すなわち,非入所者が在宅治療を受けることが困難な状況が放置されていたことや,公的扶助・公的福祉サービスを利用することが事実上不可能であったことを前提とするところの,①在宅医療制度を含む
援助制度の創設・整備を内容とする立法を怠った国会議員の立法不作為,②同様にして,内閣による,援助制度の創設・整備に向けた法案の不提出(法案提出義務違反)及び③厚生大臣による,患者の一般診療機関における保険診療制度の不構築を含む,新法廃止以前の隔離政策の不転換(政策転換義務違反)がこれである。

要するに,偏見・差別除去義務及び援助制度創設・整備義務いずれの関
係においても,国会議員には立法不作為が,そして内閣には法案不提出が,厚生大臣には政策不転換が,それぞれ問われるべきものである。(2)

厚生大臣の隔離政策不転換について


国家賠償法1条1項は,国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員
が個々の国民に対して負担する職務上の法的義務に違反して当該国民に損害を加えたときに,国又は公共団体がこれを賠償する責任を負うことを規定するものであり(最高裁昭和60年11月21日第一小法廷判決・民集39巻7号1512頁,最高裁平成17年9月14日大法廷判決・民集59巻7号2087頁,最高裁平成27年12月16日大法廷判決・民集69巻8号2427頁参照),当該公務員の公権力の行使に当たる行為が同項の適用上違法であるといえるためには,当該公務員が職務上の法的義務に違反したことだけではなく,その法的義務について当該公務員が当該被害者個人に対して負うものであることが必要となる。

政策転換義務違反,援助制度創設・整備義務違反

(ア)

新法における患者収容の根拠は同法6条にあるところ,その1項

は,勧奨による入所を定めるが,これは,背後に入所命令(同条2項)及び直接強制(同条3項)を予定するものである以上(前提事実3(5)),完全な任意の入所とみることは困難であった。
新法廃止までは,保険診療で正規に使用できる医薬品に含まれていた抗ハンセン病薬が一部にとどまっていたこと,ハンセン病治療を専門と
しない一般的な医療機関の従事者が,ハンセン病に対する知見及びハンセン病治療の経験が不足していたことなどが原因となって,ハンセン病の治療を受けられる療養所以外の医療機関が極めて限られており,とりわけ,入院治療が可能な医療機関が京都大学に限定されていたため,入院治療を必要とする患者は,事実上療養所に入所せざるを得ず,また,療養所にとどまらざるを得ない状況に置かれていた(前記第1・1(2)ウ(カ))。
厚生大臣は,プロミンの登場によりハンセン病が治癒の見込める病気となった後も,なお,患者のほぼ全員を対象とする収容を徹底した。これにより,ハンセン病に対する社会的な偏見・差別が助長された(前記第1・1(1)ウ(イ)及び同(2)エ(ウ))。
厚生大臣は,新法6条のらいを伝染させるおそれがある患者を,
ハンセン病と診断されてなお伝染させるおそれがないと判断される未治療の患者はいないといってよいほど広義に解釈・運用してきた。その結果,未治療のほぼ全ての患者が療養所に収容され,隔離されることになった(前記第1・1(2)イ(ク))。
このようにして,厚生大臣は,新法の下でも,著しく多数の患者を対象として隔離政策を遂行してきた。
(イ)

療養所への収容は,患者に居住・移転の自由を制限することは明ら
かであるが,それにとどまらず,学業の中断,就職や結婚の断念,失職,家族と触れあうことの遮断をもたらすことから,憲法13条に含まれるとみられる人格権を直接制約するものと評価することができる。前記(ア)で述べた新法の隔離政策の対象となることは,患者の人権に対し,継続的かつ極めて重大な制限を強いることになるから,隔離政策の実施に当たっては,最大限の慎重さをもって臨むべきであり,少なくとも,隔離の必要不可欠性が認められる限度でのみ憲法上許容されるも
のと解するのが相当である。そして,新法6条1項が,伝染させるおそれがある患者について,ハンセン病予防上必要があると認められる場合に限って,入所勧奨を行うことができるとしていることに示されているように,既に新法自身が,療養所への収容を実施する行政機関に対し,隔離の必要性の判断権を付与していたのであり,この判断の局面において憲法適合的であることが要請されていたこともまた,自明なことというべきである。さらに,ここで問題となる隔離の必要不可欠性の判断の基準は,その性質上,医学的知見の進歩やハンセン病の蔓延状況の変化等によって変動し得るものであることはいうまでもないから,行政機関としては,当該必要性に係る判断を,その時点における最新の医学的知見に基づき,その時点までのハンセン病の蔓延状況,個々の患者の伝染のおそれの強弱等諸般の事情を考慮しつつ,隔離のもたらす人権の制限の重大性に配意して,十分に慎重に行うべきものであったと解される。したがってまた,単に患者に伝染のおそれがあることのみによって隔離の必要性が肯定されてはならないというべきである。
(ウ)

医学的知見や蔓延状況,伝染のおそれについてみると,①ハンセン
病は,そもそも,感染し発病に至るおそれが極めて低い病気であって,このことは,新法制定よりはるか以前から政府やハンセン病医学の専門家において十分に認識されていたこと(前記第1・1(1)エ(ア)),②我が国の患者数は,明治33年から昭和25年までの50年間に半減あるいはそれ以下に減少し,それとともに,有病率もその間に1万人当たり6.92人から1.33人と約5分の1に低下し,新法制定当時のハンセン病の蔓延状況は,もはや深刻なものではなくなっていたとみられ,その後も,患者の発生は,自然に減少していくと見込まれていたこと(前記第1・1(2)イ(エ)及び同(キ)cのQ議員の発言部分),③国際的には,スルフォン剤がハンセン病に著効を示すことが発表された昭和2
1年以降,スルフォン剤のハンセン病治療上の優位は全く揺るがず,治療実績が積み重ねられるにつれ,ますますスルフォン剤の評価が確実なものとなっていったこと(前記第1・1(1)エ(イ)a),④これに伴い,国際的には,次第に強制隔離否定の方向性が顕著となり,昭和31年のローマ会議,昭和33年の第7回国際らい会議(東京)及び昭和34年のWHO第2回らい専門委員会などのハンセン病の国際会議においては,ハンセン病に関する特別法の廃止が繰り返し提唱されるまでに至っていたこと(前記第1・1(1)エ(イ)a),⑤我が国におけるスルフォン剤の評価も,これらの国際的評価と基本的には変わらないものであり,昭和24年以降,プロミンが我が国の療養所で広く普及するようになり,かつてのようなハンセン病が不治の悲惨な病気であるとの観念はもはや妥当しなくなっていたこと(前記第1・1(1)エ(イ)b)などを総合すると,遅くとも昭和35年以降,ハンセン病は,もはや患者を隔離しなければならないほどの特別の疾患ではなくなっており,病型のいかんを問わず,すべての患者との関係で,伝染予防のための隔離の必要性は失われていたといわざるを得ない。
(エ)

そうすると,厚生大臣としては,遅くとも昭和35年の時点におい
て,隔離政策の抜本的な転換をする必要があったというべきであり,少なくとも,新たに患者を収容することをやめるとともに,すべての入所者に対し,自由に退所できることを明らかにする相当な措置を採るべきであったといえる。そして,抗ハンセン病薬の一部しか保険診療で正規に使用できる医薬品に含まれていなかったことなどの制度的欠陥により,ハンセン病の治療が受けられる療養所以外の医療機関が極めて限られていたため,患者の多くは,事実上,療養所に入所せざるを得ず,また,療養所にとどまらざるを得ない状況に置かれていたのであるから,厚生大臣としては,隔離政策の転換の一環として,このような療養所外
でのハンセン病医療を妨げる制度的欠陥を取り除き,在宅医療制度を構築するための相当な措置を採るべきであった(なお,控訴人は,厚生大臣が,隔離政策の転換義務とは別に,在宅医療制度を構築する義務を負っていた旨主張するが,在宅医療制度の不備は,隔離政策との関係で生じたものであるから,隔離政策転換義務の一内容として捉えるのが相当である。)。すなわち,厚生大臣は,Aを含む非入所者個人に対して,隔離政策を転換して,上記の在宅医療制度を構築するための相当な措置を採るべきであったということができる。
厚生大臣は,伝染病の伝ぱ及び発生の防止等を所管事務とする厚生省を統括管理する地位にあるのであるから,昭和35年当時,隔離の必要性を判断するのに必要な医学的知見・情報を十分に得ていたか,あるいは得ることが容易であったと認められるにもかかわらず,前記のような隔離政策の抜本的な転換やそのために必要となる在宅医療制度を構築するなどの相当な措置をとることなく,新法6条,15条の下で隔離政策を継続したのであるから,厚生大臣の公権力の行使たる職務行為には国家賠償法上の違法性があり,厚生大臣に過失があったといえる。

偏見・差別除去義務について

(ア)

控訴人は,遅くとも昭和35年以降,厚生大臣は,被控訴人国が創
出したハンセン病に対する偏見・差別を解消するために,患者が社会内で生活することは公衆衛生上何ら問題ないことを市民に広く周知徹底する等の社会内の差別・偏見を除去するための相当な措置をとるべき義務を負っていた旨主張する。
しかしながら,無らい県運動によりハンセン病の伝染に対する恐怖心があおられ,隔離政策の継続により患者に対する偏見・差別が助長されたことは否定し難いものの(前記第1・1(2)エ(イ)(ウ)),それよりはるか以前から,患者は差別・偏見・迫害の対象とされ,その中には故郷
を離れて浮浪徘徊する者が少なからず存在するほどであって,患者に対する偏見・差別は極めて深刻なものがあったのであるから(前記第1・1(2)ア(ア)及び同エ(ア)),被控訴人国によって患者に対する偏見又は差別が創出されたとまではいえない。したがって,厚生大臣は,患者に対する偏見又は差別の創出という先行行為があったことを理由として,その除去のために相当な措置をとるべき法的義務があるということはできない。
また,ハンセン病の感染力が非常に弱く,発病する可能性が非常に低いとしても,昭和35年以降においても,全ての患者がハンセン病の感染源と全くなり得ないとまでいうことはできないから,厚生大臣において,患者が社会内で生活することは公衆衛生上何ら問題がないことを市民に広く周知徹底する義務を負っていたとまでいうことはできない。(イ)

ところで,上記のとおり,被控訴人国の隔離政策の継続により,患
者に対する偏見・差別が助長されたことは否定し難いところであるから,隔離政策による患者に対する偏見・差別の助長を先行行為として,厚生大臣は,その除去のために相当な措置をとる義務があるということができる。そして,前記イのとおり,厚生大臣において隔離政策の抜本的な転換があれば,その際にその理由として,ハンセン病が感染し発病に至るおそれが極めて低い病気であり,もはや患者を隔離しなければならないほどの特別の疾患ではなくなっており,伝染予防のための隔離の必要性は失われていることを国民に対して説明することになり,その説明が患者に対する偏見・差別を除去するについて相当程度の効果があったであろうことは,容易に想定できるところであるから,厚生大臣は,偏見・差別除去のためにも隔離政策を転換する法的義務があり,隔離政策を継続したことは,被控訴人国が助長した偏見・差別の除去義務をも怠ったというべきである。


以上のとおりであるから,厚生大臣は,Aを含む非入所者に対し,隔離
政策の転換,そのために必要となる在宅医療制度の構築等の相当な措置をとることを怠ったことについて,公権力の行使たる職務行為に違法性が認められるとともに,過失が認められる。
(3)

国会議員の立法不作為について


国会議員の立法行為又は立法不作為が国家賠償法1条1項の適用上違法
となるかどうかは,国会議員の立法過程における行動が個々の国民に対して負う職務上の法的義務に違反したかどうかの問題であり,立法の内容の違憲性の問題とは区別されるべきものである。そして,上記行動についての評価は原則として国民の政治的判断に委ねられるべき事柄であって,仮に当該立法の内容が憲法の規定に違反するものであるとしても,そのゆえに国会議員の立法行為又は立法不作為が直ちに同項の適用上違法の評価を受けるものではない。
もっとも,国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置をとることが必要不可欠であり,それが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合や,法律の規定が憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反するものであることが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってその改廃等の立法措置を怠る場合などにおいては,国会議員の立法過程における行動が上記職務上の法的義務に違反したものとして,例外的に,その立法不作為は,国家賠償法1条1項の規定の適用上違法の評価を受けることがあるというべきである(最高裁昭和60年11月21日第一小法廷判決・民集39巻7号1512頁,最高裁平成17年9月14日大法廷判決・民集59巻7号2087頁,最高裁平成27年12月16日大法廷判決・民集69巻8号2427頁参照)。


そこで,本件立法不作為が非入所者であるAとの関係において国家賠償
法1条1項の適用上違法の評価を受けるか否かについて検討する。新法6条1項は,伝染させるおそれがある患者について,ハンセン病予防上必要があると認められる場合に限って,入所勧奨を行うことができる旨,その勧奨に従わない場合に入所を命じることができる旨規定し,新法7条1項は,伝染させるおそれがある患者に対し,国立療養所に入所するまでの間に限り従業禁止の処分ができる旨規定し,新法8条1項は,伝染させるおそれがある患者又はその死体があった場所の管理者等に消毒を命じることができるなどと規定し,新法9条1項は,伝染させるおそれがある患者が使用し,又は接触した物件について,ハンセン病予防上必要があると認められる場合に限って,当該物件の消毒廃棄等を命じることができるなどと規定している(前提事実3(5))。新法の伝染させるおそれがある患者,ハンセン病予防上必要があると認められる場合との文言からすると,患者が一律に隔離等の対象とはされておらず,非入所者の権利利益が新法の規定により当然に制約されるわけではない。なお,新法の上記規定が非入所者の権利利益を制約する潜在的な危険があったとしても,それは,新法の上記規定の内容そのものによるというよりは,隔離等の実施に当たる行政機関による前記各規定の伝染させるおそれのある患者,ハンセン病予防上必要があると認められる場合という概念の解釈の結果によるものであり,新法の上記規定が,非入所者の権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反するものであることが明白であるとまでいうことはできない。
また,新法は,隔離政策の継続を義務付けていたわけではない。むしろ,都道府県知事がハンセン病を伝染させるおそれがある患者についてハンセン病予防上必要があると認めるときは隔離することができるとしている新法6条の文言からも明らかなように,前記(2)イ(イ)のとおり,新法自
身が,行政機関に対し,隔離の必要性の判断権を付与していたのであり,当該必要性の判断にあたっては,その時点における最新の医学的知見及びハンセン病の蔓延状況など諸般の事情を考慮しつつ,隔離のもたらす人権の制限の重大性に配意して,十分に慎重に行うべきものであったと解されるのである。その中で隔離の必要性に関する行政機関における判断が変更され,隔離政策の転換がなされ,療養所外でのハンセン病医療を妨げる制度的欠陥が取り除かれて在宅医療制度が構築され,ハンセン病の治療が受けられる医療機関が広がる余地も,新法の解釈上は残されていたといえる。
現に,非入所者に対するハンセン病治療については保険の適用対象から除外されず,抗ハンセン病薬の中には薬価基準に収載されており,新法廃止以前であっても,限定的ではあれ,ハンセン病の治療が保険診療の対象とされていた。新法の下でも,数は極めて限定されていたが,京都大学及び大阪大学等の大学附属病院のように療養所以外の医療機関においてハンセン病の治療が合法的に実施されていた(前記第1・1(2)ウ(カ))。以上によれば,非入所者に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置をとることが必要不可欠であり,それが明白であるとはいえないし,また,新法の規定について憲法上保障され又は保護されている非入所者の権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反することが明白であるとはいえない。したがって,本件立法不作為は,非入所者であるAとの関係において国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものではないというべきである。
ウ(ア)

この点,控訴人は,国会議員は,遅くとも昭和40年には,被控訴
人国が創出したハンセン病に対する偏見・差別を解消すべく,隔離政策を転換し,らい予防法を撤廃すべき義務を負い,患者に対する在宅医療制度を含む援助制度を整備・実現することを内容とする立法をすべき義
務を負っていた旨主張する。
しかし,前記(2)ウ(ア)のとおり,患者に対する偏見・差別は古くから極めて深刻であったのであり,被控訴人国が隔離政策の実施によりハンセン病に対する偏見・差別を創出したとはいえない。前記イのとおり,非入所者の権利利益が新法の規定により当然に制約されるわけではないし,隔離政策の転換が実現され,在宅医療制度が整備される余地が新法の解釈上は残されており,非入所者に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置をとることが必要不可欠であることが明白であるとはいえないし,また新法の規定が憲法上保障され又は保護されている非入所者の権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反することが明白であるとはいえない。よって,控訴人の前記主張は採用できない。
(イ)

控訴人は,非入所者が利用できた一般的な社会保障制度では,その
申請過程で,生活困窮又は身体障害の原因であるハンセン病の罹患履歴が明らかになるため,非入所者が療養所への入所やハンセン病に対する偏見・差別を恐れて,一般的な社会保障制度を利用することが困難な状況に置かれており,国会議員もこれを認識していたから,遅くとも昭和40年には,非入所者に対する援助制度を整備・実現することを内容とする立法をすべき義務を負っていた旨主張する。
しかし,前記(2)アのとおり,厚生大臣には,隔離政策を抜本的に転換すべき義務があったのであり,厚生大臣が隔離政策の転換義務を履行していれば,患者であることが露見したからといって非入所者が入所を強制される事態に陥ることもなく,非入所者が療養所への入所を恐れて一般的な社会保障制度の利用を躊躇する事態は生じ得ないはずである。したがって,非入所者が療養所への入所に対する恐れから一般的な社会保障制度の利用が困難な状況にあったからといって,患者に対する援助
制度の整備・実現に係る立法義務があるということはできない。
また,社会保障制度の申請過程でハンセン病の罹患履歴が明らかになるとしても,新法3条は患者に対する差別的取扱いを禁止し(前提事実3(5)),それが社会保障を担当する公務員にも課せられていることは明らかであるし,公務員は職務上知り得た秘密について守秘義務を負い,したがって,申請した非入所者が患者であることが外部に漏れて,それを発端に非入所者が偏見・差別を受けることは想定されていない。したがって,非入所者が社会保障制度の申請によって偏見・差別を受けることを恐れることをもって,患者に対する援助制度の整備・実現に係る立法義務があるということはできない。よって,控訴人の前記主張も採用できない。
(ウ)

控訴人は,新法の隔離規定が,およそハンセン病と診断された全て
の患者を療養所に入所させることを想定した規定であり,非入所者の居住・移転の自由や人格権を合理的な理由なく制約するものであり,新法には,退所規定はおろか,行政機関の認定・診断に関する不服申立ての規定も存在せず,ハンセン病と診断された者が居住移転の自由を含む憲法上保障された権利利益を回復あるいは実現するための規定が全く存在しないため,新法は,前記平成17年9月14日最高裁判決が,立法ないし立法不作為の違法性判断の枠組みとして示している立法措置をとることが国民の憲法上保障された権利行使の機会確保のために必要不可欠であるにもかかわらず,それを長期にわたって怠った場合にも当てはまるものであったといえるから,新法そのものが,非入所者との関係においても違憲・違法であったなどと主張する。
しかし,前記イのとおり,新法の文言上,患者が一律に隔離等の処分の対象とはされておらず,非入所者の権利利益が新法の規定そのものにより当然に制約されるわけではない。新法自身が,行政機関に対し,隔
離の必要性の判断権を付与していたのであり,当該必要性の判断にあたっては,その時点における最新の医学的知見及びハンセン病の蔓延状況など諸般の事情を考慮しつつ,隔離のもたらす人権の制限の重大性に配意して,十分に慎重に行うべきものであったと解され,行政機関がこの判断の局面において憲法に適合するように職権を行使することによって新法が合憲的に解釈運用される余地があったといえる。
また,新法自体には,入所者の退所に関する明文の規定はないものの,新法13条が

国は,必要があると認めるときは,入所患者に対して,その社会的更生に資するために必要な知識及び技能を与えるための措置を講ずることができる。

と定め(前提事実3(5)),この規定は入所者が退所できることを当然の前提とするものであると解され,厚生省公衆衛生局長が,新法の国会審議の中で,隔離療養の必要がないと認められた者は国立療養所から退所できる旨答弁し(前記第1・1(2)イ(キ)b),同省の作成したらい予防法逐条解説と題する文書には,新法15条の解説の中でも前記答弁と同趣旨の記載があり,昭和33年に軽快退所者を対象とする世帯更生資金貸付制度が創設され,昭和39年に軽快退所者に対する就労支援金の支給が開始されていて,軽快退所者への公的支援が実施されている(前記第1・1(2)ウ(エ))ことに照らせば,新法が入所者の退所を認めない建前をとっていないことは明らかである。
新法25条1項前段では,厚生大臣は,この法律又はこの法律に基づいて発する命令の規定により所長[国立療養所所長のこと]又は都道府県知事がした処分についての審査請求がらいを汚染させるおそれがある患者であるとの診断に基く処分に対してその診断を受けた者が提起したものであって,かつ,その不服の理由が,その診断の結果を争うものであるときは,その審査請求の裁決前,第5条第2項の規定に準じて厚生大臣が指定する二人以上の医師をして,その者を診察させなければならない。と規定されており,新法は,新法又は新法に基づいて発する命令の規定により国立療養所所長又は都道府県知事がした処分に対する審査請求が可能であることを当然の前提としていると解され,前記処分に対する不服申立てなどの救済手段が存在しないとはいえない。
したがって,控訴人の前記主張も採用できない。
(4)

内閣の法案提出義務について
前記(3)のとおり,立法について固有の権限を有する国会ないし国会議員
の前記立法不作為につき,国家賠償法1条1項の適用上違法性を肯定することができないものである以上,国会に対して法律案の提出権を有するにとどまる内閣の前記法律案不提出についても,同項の適用上違法性を観念する余地のないことは当然というべきである。したがって,内閣の法案提出義務に関する控訴人の主張は採用できない。
2
損害

(1)

前記第1・1の認定事実によれば,Aは,遅くとも昭和21年にはハン
セン病を発症し(前記第1・1(3)ア(ア)),昭和34年5月5日から昭和41年3月24日までの約7年間にわたり阪大皮膚科別館でハンセン病の治療を受けており(同(3)イ(ア)),自身がハンセン病に罹患していたことを認識していたと推認される。しかし,Aは,昭和55年7月12日,控訴人の姪が控訴人を措置入院させるように訴えたことにともなってeの家を訪問した倉吉保健所の職員に対して,自らの背中を見せてまでハンセン病であることを否定し(同(3)ウ(ウ)),平成3年9月26日に控訴人及び二男と同保健所を訪れて相談した際にも,自分がリュウマチに罹患している旨述べるなどして(同(3)ウ(キ)),自らが患者であることを一貫して否定し,二男,四男及び控訴人もAの症状がハンセン病によるものではないと考えていたほどであり(同(3)イ(ア)及び同(4)ア),Aがハンセン病への偏見及び差別を恐れて
その病歴を行政や家族にさえ隠しながら生活していたと推認される。Aは,昭和34年にハンセン病であるとのうわさが立っために鳥取から大阪に転居して阪大皮膚科別館で受診してからハンセン病の治療を受けて約7年もの間通院しており,従前の居住地から遠く離れた場所にある医療機関への通院を継続しているが(同(3)ア(イ)及び同イ(ア)),これには,隔離政策の転換が遅れ,ハンセン病の治療が受けられる療養所以外の医療機関が極めて限られていたことによるものであるとみられる。もっとも,阪大皮膚科別館への通院にともなう経済的負担は極めて重いものであったとはいえない(前記第1・2(6))。また,Aは,身体障害者手帳の交付を受けており(前記第1・1(3)ウ(ア)),身体障害者福祉法に基づく福祉措置を受けていたと考えられ,障害者年金を受給し,老人福祉法に基づいて母来寮及び巌城はごろも苑への入所措置を受けており,公的扶助を得ている(同(3)ウ(オ),(カ)及び(ク))。Aは,非入所者であるから,自身の国立療養所への入所による隔離の被害自体は受けておらず,入所歴があることにともなう差別的取扱いも受けていない。
以上の諸事情に照らせば,Aは,隔離政策の転換が遅れたため,ハンセン病への偏見及び差別を恐れてその病歴を隠しながら生活していたこと,在宅医療制度を構築するための相当な措置がとられなかったために,ハンセン病の治療を受ける機会が極めて制限されたことによって,精神的損害を被ったと認められる。
(2)ア

この点、控訴人は,Aがハンセン病に罹患したことにより,社会の偏
見・差別にさらされた結果,Aの家族が崩壊するという損害を受けたと主張する。確かに,長男は,Aがハンセン病に罹患したとうわさになった際に,妻と子供を連れてAの下を離れ(前記第1・1(3)ア(ウ)),Aは,そのような長男への恨みを述べている(同(3)ウ(ウ))。
しかしながら,二男及び四男は,阪大皮膚科別館の診断書により,Aの
疾病はハンセン病ではないと認識したのであるから(同(3)イ(ア),前記第1・2(3)),Aの家族が,Aがハンセン病に罹患したことを理由として崩壊したとまではいい難い。実際,他家の養子となっていた二男は,Aに対して,eの家の敷地を譲渡してその建築に協力し,障害のために一人で風呂には入れないAに自宅の風呂を使わせ,Aの老人ホームへの入所手続を進めて,身元引受人となるなどして度々支援を行っている(前記第1・1(3)ア(ア)及び同(3)ウ(ア),(イ),(オ))。Aの方でも,三男及び二女に対して,大阪での開店資金を供与している(同(3)イ(イ))。控訴人の姪及びその夫と控訴人及びAとの間でいさかいが生じ,控訴人の姪の夫がAに暴行を加えているが,控訴人が時を問わずに控訴人の姪らに電話を架けるなどして,控訴人の姪らが倉吉保健所で控訴人の措置入院について相談していたことがあり(同(3)ウ(ウ)),このことが背景になっているとみられ,Aのハンセン病自体によるものであるとはいい難い。これについて控訴人と控訴人の姪が話し合った際には当時滋賀県に居住していた三男も来訪して立ち会っている(同(3)ウ(ウ))。このように,Aがハンセン病に罹患したことがうわさになった以降も,Aとその家族との間の交流が継続していたことは明らかである。
そうすると,Aがハンセン病に罹患したことにより,AとAの家族の関係が崩壊したとは認められず,控訴人前記主張は採用できない。

控訴人は,A及び控訴人が,cの家で生活していた当時,Aがハンセン
病であることを理由として近隣住民から嫌がらせを受けた旨主張する。しかしながら,前記第1・2(5)のとおり,A及び控訴人がAのハンセン病罹患を理由として近隣住民から嫌がらせを受けた事実は認められず,控訴人の前記主張は採用できない。

控訴人は,A及び控訴人が,昭和42年に鳥取に戻った後も近隣の医療
機関から差別的対応を受けた旨主張する。

しかしながら,前記第1・2(7)のとおり,A及び控訴人が鳥取に戻った後で近隣の医療機関から差別的対応を受けた事実が認められず,控訴人の前記主張は採用できない。

控訴人は,母来寮においてAがハンセン病であると認識されて嫌われ,
母来寮の職員及び他の入所者から差別的対応を受けた旨主張する。しかしながら,前記第1・2(9)のとおり,Aが母来寮において患者であると認識されて差別的対応を受けた事実は認められず,控訴人の前記主張は採用できない。
3
消滅時効

(1)

時効の起算点


被控訴人国の国家賠償責任の消滅時効については民法724条の規定に
よるところ(国家賠償法4条),民法724条にいう損害及び加害者を知った時とは,被害者において,加害者に対する賠償請求をすることが事実上可能な状況の下に,それが可能な程度に損害及び加害者を知った時を意味すると解するのが相当である(最高裁昭和48年11月16日第二小法廷判決・民集27巻10号1374頁,最高裁平成23年4月22日第二小法廷判決・裁判集民事236号443頁参照)。そこで,控訴人において,Aから相続した被控訴人国に対する国家賠償請求権を行使することが事実上可能な状況の下に,それが可能な程度に損害及び加害者を知ったのがいつであるかについて検討する。
控訴人は,平成9年10月20日頃にAの診療録写しの送付を請求し,同写しを入手しており(前記第1・1(4)ア),その頃には既にAがハンセン病に罹患していたことを認識し,その証明のために重要な証拠となる資料を得ている。
控訴人は,昭和55年当時から医学書を読むなどしてハンセン病について熱心に学習しており(前記第1・1(3)ウ(エ)),その結果,控訴人のハ
ンセン病に関する知識は,Aの死亡後には倉吉保健所の職員や医師免許を有する県健康対策課長が驚くほどの知識を有していると認識するほどになっていた(同(4)ア及びウ)。
控訴人は,平成10年後半以降に被控訴人国が国際的な批判に耳を貸さずに隔離政策を推進していたものと認識した(同(4)イ)。
被控訴人国が平成13年5月23日に熊本判決について控訴を断念すると,控訴人がその日のうちにマスコミ報道でそれを知って,被控訴人県の担当者に電話を架けてそれを伝えており(同(4)エ),控訴人がらい予防法違憲国家賠償請求訴訟への参加を拒否された後も前記訴訟の動向に高い関心を寄せていたといえる。
控訴人は,平成11年から平成15年7月24日に別件刑事事件を敢行する直前まで,被控訴人県の職員らに対して継続的に苦情を述べる中で,再三,ハンセン病の治療に保険が使えなかった旨述べ,同職員らからは民事訴訟を提起するように勧められており,また同日頃までの間に,ハンセン病国賠訴訟弁護団の一員であり,後に本件で控訴人訴訟代理人となる近藤剛弁護士に対しても,よく電話を架けて,同職員らに述べたことと同様のことを話している(同(4)ウ及びカ)。ハンセン病の治療に保険が使えなかったことは,前記1(2)アからも明らかなように,被控訴人国の非入所者に対する国家賠償責任を基礎付ける重要な事実であり,控訴人は,被控訴人国の賠償責任を基礎付ける重要な事実を既に認識し,これを同職員らのみならず本件で控訴人訴訟代理人となる弁護士にも伝え,同職員らからは民事訴訟での解決を勧められていたといえる。
平成14年1月28日に被控訴人国が入所歴のない原告に対して熊本地方裁判所の和解に関する所見を踏まえて和解一時金を支払うことをなどを内容とする基本合意書Ⅱが締結され,翌日に全国的に報道され,その中では基本合意書Ⅱに損害賠償としての和解金の支払が盛り込まれていると報
じられ,ハンセン病国賠訴訟西日本弁護団の一員である弁護士も基本合意書Ⅱで入所歴のない原告が受けた被害についても被控訴人国の賠償義務が確認されたとの見解を示しており(同(4)オ),基本合意書Ⅱは,被控訴人国が入所歴のない原告に対して相続性のある損害賠償債務を負うことを踏まえて和解一時金の支払が合意されたと解されるものであった。控訴人は,別件刑事事件の控訴審において,現在の控訴人訴訟代理人であり,ハンセン病国賠訴訟弁護団の一員でもある弁護人らから患者に対する隔離政策の違法性に関して,論理的かつ明確な説明を受け(同(4)キ),その違法性に対する理解を深める機会を得ており,平成16年7月26日に別件刑事事件の控訴審判決が言い渡された。
以上の諸点に照らせば,控訴人は,被控訴人国の隔離政策の継続が非入所者との関係でも違法であると判断するに足りる事実について,遅くとも別件刑事事件の控訴審の判決が宣告された平成16年7月26日には認識していたとみるのが相当である。そうすると,控訴人が相続したAの被控訴人国に対する国家賠償請求権の消滅時効は,遅くとも同日から進行するというべきであり,本件訴訟提起時には,前記国家賠償請求権について3年の消滅時効期間が経過したことは明らかである。
イ(ア)

控訴人は,前記第1・1(4)オの認定に関し,被控訴人国が,平成1
4年1月28日の基本合意書Ⅱに係る合意に至るまで,遺族原告について相続法理の適用を否定し,和解一時金が損害賠償請求権に基づくものではないとの立場をとり続けたなどと主張し,当審Rb証人も当審証人尋問等において,これと同趣旨の供述をする。
しかしながら,平成13年12月7日付けの国の準備書面の概要は,国立療養所に入所したことのある患者が有する損害賠償請求権について,特段の事情のない限り,慰謝料請求権を含めて相続の対象となること自体は争わず,本件訴訟における被相続人と熊本判決における原告ら
との間に共通損害を認めることが困難であるというものであり,被控訴人国が遺族原告の請求を争う理由は,遺族原告と熊本判決における原告らとの間に共通損害が認められない点にあり,遺族原告について相続法理が適用されること自体は肯定しているとみられる。同月11日に実施された記者会見における厚生労働大臣の発言も,同大臣は,遺族原告に対する賠償の要否及び非入所者への偏見に対する国の責任の有無について検討していることを示しただけであり,遺族原告について相続法理の適用を否定する見解を示したとはいい難い。
また,基本合意書Ⅱは,被控訴人国が,平成13年12月7日熊本地方裁判所が示した和解に関する所見を踏まえて,入所歴のない原告を含む原告らに対して損害の賠償等として和解一時金を支払う旨定められたものであるところ,同裁判所がらい予防法違憲国家賠償請求事件において示した和解に関する所見は,いずれも入所歴のない原告が被控訴人国に対して国家賠償請求権を有する旨の見解を述べたものであることを踏まえると,基本合意書Ⅱにおいて規定された和解一時金は,損害賠償請求権としての性格を有するものであるというべきである。現に,ハンセン病国賠訴訟西日本弁護団の弁護士の中にも,基本合意書Ⅱに基づき平成14年1月30日に同裁判所で成立した和解が遺族原告及び入所歴のない原告の受けてきた被害についても被控訴人国に賠償義務のあることを確認したものであるとの見解を開陳した者がいる(第1・1(4)オ)。
したがって,控訴人の前記主張等は採用できない。
(イ)

控訴人は,被控訴人国が基本合意書Ⅱを締結するまでに示した対応
及び基本合意書Ⅱの文言からすると,①基本合意書Ⅱの非入所者に支払われる和解一時金の法的性格は,非入所者の国に対する損害賠償請求権を認めたものとはいえず,また,②和解一時金請求権の相続性は否定さ
れていた旨主張する。
しかし,上記(ア)のとおり,基本合意書Ⅱにおいて定められた入所歴のない原告に支払われる和解一時金は損害賠償金としての性質を有するというべきである。また,基本合意書Ⅱには,非入所者の遺族が国を被告として国家賠償請求訴訟を提起した場合の規定は設けられていないが,それは,基本合意書Ⅱの締結当時,らい予防法違憲国家賠償請求事件の原告らの中に非入所者はごく僅かしかおらず,非入所者の遺族はいなかったこと(同(4)オ)から定められなかったにすぎないとみられ,非入所者が死亡した場合に和解一時金がその相続人に相続されることを否定するものであったとは解されない。
よって,控訴人の前記主張は採用できない。
(ウ)

控訴人は,被害者たる非入所者及びその家族にとって被控訴人国の
加害構造を認識することは困難であり,加害者たる被控訴人国の責任で被害者たる非入所者及びその家族は提訴困難な状況にあり,提訴できたのは一部の稀なケースであるなどと主張する。
しかし,非入所者及びその家族一般はともかくとして,控訴人は,前記アのとおり,平成10年後半以降に被控訴人国が国際的な批判に耳を貸さずに隔離政策を推進していたものと認識し,平成11年から平成15年7月24日に別件刑事事件を敢行する直前まで,ハンセン病の治療に保険が使えなかったという被控訴人国の国家賠償責任を基礎付ける重要な事実を認識して,被控訴人県の職員ら及び本件で控訴人訴訟代理人となる弁護士に対してそれを指摘し,同職員らからは民事訴訟を提起するように勧められており,別件刑事事件の控訴審において,弁護人らから患者に対する隔離政策の違法性に関して,論理的かつ明確な説明を受けている。よって,遅くとも別件刑事事件の控訴審の判決のあった平成16年7月26日の時点では,控訴人にとって,被控訴人国の加害構造
を認識することは困難であったとはいえないし,被控訴人国に対する国家賠償請求の提訴が困難であったとはいえないから,控訴人の主張する前記諸事情は消滅時効の起算点に関する判断を左右するものではない。(エ)

控訴人は,控訴人において,Aや控訴人の被害が,隔離政策を根本
原因とする偏見・差別及び在宅医療制度の欠陥による被害であると認識せず,Aが療養所に入所すれば,Aや控訴人が幸せになれたはずであり,Aを新法に従って入所させるべきであったとして,Aを入所させなかったa町保健課,倉吉保健所,兄姉ら,阪大病院に対して被害感情を向けるなどしており,控訴人には損害賠償請求をするという発想はなく,被控訴人国が加害者であるという意識がなかったから,被控訴人国の加害構造を認識するのが困難な状況にあり,また,控訴人が,本件控訴人訴訟代理人から,隔離政策の違法性に関して,論理的,かつ,明確な説明を受けても,直ちに同説明を受け入れるのは困難であり,本件提訴直前まで権利行使可能な状況の下でそれが可能な程度の認識があったとは認められない旨主張する。
しかし,前記アのとおり,控訴人は,平成11年頃までには,被控訴人国が国際的な批判に耳を貸さずに隔離政策を推進していたものと認識し,また,被控訴人国が平成13年5月23日に熊本判決に対する控訴を断念した事実を同日のうちに知って,それを被控訴人県の担当者に伝えていたことに照らせば,控訴人には被控訴人国に対して損害賠償請求をするという発想がなく,被控訴人国が加害者であるという意識がなかったとはいい難い。また,平成11年から平成15年7月24日に別件刑事事件を敢行する直前まで,ハンセン病の治療に国民健康保険が使えなかったという被控訴人国の国家賠償責任を基礎付ける重要な事実を認識して,被控訴人県の職員ら及び本件で控訴人訴訟代理人となる弁護士に対してそれを指摘し,同職員らからは民事訴訟を提起するように勧め
られており,控訴人において隔離政策の法的責任を基礎付ける事実を認識し,被控訴人国に対する国家賠償請求訴訟を提起するのが困難であったとはいえない。
したがって,控訴人が被控訴人県の職員等に対して述べた苦情の中に,新法に従ってAが国立療養所に収容されるべきであったなどといったものが含まれていたことを考慮しても,控訴人は,被控訴人国の隔離政策の継続が非入所者との関係でも違法であると判断するに足りる事実について,遅くとも別件刑事事件の控訴審の判決が宣告された平成16年7月26日には認識していたとみるのが相当であり,控訴人の前記主張は採用できない。
(オ)

控訴人は,賠償請求をすることが事実上可能な程度の認識とは,勝
訴可能性の認識を含めた現実的提訴可能性を認識していることをいい,被害者が独自に提訴可能と判断したとしても,法律専門家がみて提訴可能と判断できない段階では,時効消滅を正当化し得るだけの現実的提訴可能性があるとはいえないと主張する。
しかし,被害者が賠償請求をする場合に,法律専門家に相談・委任するのが通常であったとしても,認識の主体はあくまでも被害者である以上,勝訴可能性の認識を含めた現実的提訴可能性を認識していることまで必要か否かは別として,被害者が賠償請求をすることが事実上可能な程度に損害及び加害者を認識していれば足りるというべきである。(カ)

控訴人は,被控訴人県の職員が,前記第1・1(4)カのとおり,控訴
人に対して訴訟を提起するように述べたことに関し,被控訴人県の担当者が控訴人の要求を基本的には否定・拒絶し,控訴人との直接交渉を拒否する方便として訴訟という言葉を使ったにすぎないなどと指摘する。
しかし,控訴人は,Aの死亡後,平成15年7月24日に別件刑事事
件を敢行するまで,何度も,倉吉保健所及び県健康対策課を訪問するなどして,被控訴人県の職員に対し,控訴人の兄姉や被控訴人県に対する不満などを述べ,控訴人が述べた不満の中には,二男が,Aに対して,eの家の敷地を譲渡してその建築に協力し(前記第1・1(3)ウ(ア)),Aの老人ホームへの入所手続を進めて身元引受人となる(同(3)ウ(オ))などして度々支援を行っていたにもかかわらず,控訴人の兄姉が控訴人にAの世話など面倒なことをすべて押しつけたと述べる(同(4)ウ)などしていて,客観的な事実関係と整合しないものもあったが,これに対し,被控訴人県の職員は,控訴人の不満等を放置し,又は聞き置くなどといった消極的な対応に終始していたわけではなく,平成9年8月12日に倉吉保健所に来所した二男に対して控訴人の言い分を伝え(同(4)ア),控訴人からの指摘を踏まえて,大阪府に対し,Aがハンセン病である旨の届出がされていたかを照会し(同(4)ウ),平成12年12月4日には同所において控訴人と協議して,同月18日,二男に対し,控訴人の心情を伝える文書を作成して送付しており(同(4)ウ),控訴人の述べた不満等に対して相応の対応をしていたといえる。控訴人は,何度も,被控訴人県の職員に対し,控訴人の兄姉や被控訴人県に対する不満などを述べる中で,大声で怒鳴り,同保健所を毎日のように来訪してその業務に支障を及ぼすなどしており(同(4)カ),控訴人の被控訴人県に対する言動には社会通念上不相当なものがあったといわざるを得ず,これに対し,被控訴人県の職員が,控訴人の要求どおりにならないことを知らせて,控訴人を怒り,その中で訴訟を提起するように述べることも(同(4)カ),不相当な言動を繰り返す控訴人に対する対応として不適切なものであったとはいえない。また,控訴人は被控訴人県に述べたのと同様の話を近藤剛弁護士にもしていて,弁護士に対して訴訟提起のための相談をすることも可能な状況にあり(同(4)カ),被控訴人
国は非入所者の遺族に対して訴訟上の和解に応じているのであるから(同(5)イ),控訴人が国家賠償請求訴訟を提起することも現実的な解決策であったといえる。以上の諸点に照らせば,被控訴人県の控訴人に対する一連の対応が不適切なものであったとはいえず,被控訴人県の職員が,控訴人の要求を基本的には否定・拒絶し,控訴人との直接交渉を拒否する方便として,訴訟を提起するように述べたとは認められず,控訴人の前記指摘は採用できない。
(2)

権利濫用,信義則違反又は公序良俗違反


控訴人は,被控訴人国が,公式に,患者の遺族を,隔離政策の被害者
と認めないだけでなく,患者の遺族に対する抜本的な偏見・差別解消策をとっていないために,患者の遺族は,現在も隔離政策に起因する偏見・差別に苦しみ続けて,裁判を起こすこともできない状況に置かれているのであり,患者の遺族が提訴することができない原因が被控訴人国にあることからすると,被控訴人国による消滅時効の援用は,信義則上許されないものであり,時効援用権の濫用というべきであると主張する。
しかしながら,被控訴人国が,公式には,患者の遺族を隔離政策の被害者として認めていないとしても,そのことによって,被控訴人国が,患者の遺族が訴え提起その他の権利行使や時効中断行為に出ることを妨害し,権利行使や時効中断行為に出ることを事実上困難にしたなどとはいえない。その上,前記(1)アのとおり,控訴人は,平成11年頃には,熊本地方裁判所で係属中のらい予防法違憲国家賠償請求訴訟に参加したいと申し出て,同年から平成15年7月24日に別件刑事事件を敢行する直前まで,被控訴人県の職員ら及び本件で控訴人訴訟代理人となる弁護士に対して,再三,ハンセン病の治療に国民健康保険が使えなかった旨述べて,被控訴人国の非入所者に対する国家賠償責任を基礎付ける重要な事実を指摘し,同職員らからは民事訴訟を提起するように勧められたばかりか,本
件で控訴人訴訟代理人となる弁護士にも同様のことを話し,別件刑事事件の控訴審において同弁護士から隔離政策の違法性に関して,論理的,かつ,明確な説明を受け,控訴人が権利行使や時効中断行為をなすに当たって有益な事項を教示されていた。したがって,控訴人が国家賠償を請求して提訴することができなかったとはいえず,被控訴人国が消滅時効を援用することは,信義則違反ないし権利の濫用に当たるものではなく,控訴人の前記主張は採用できない。

控訴人は,法曹界全体がハンセン病問題に対する加害者であり,法曹た
るものが消滅時効を観念すべきではないし,被控訴人らは,隔離政策及び無らい県運動を展開し,社会に深刻,かつ,根強い偏見・差別を創出,助長して被害者の権利行使を困難にし,被害者において真の加害者が被控訴人国であると認識するのが著しく困難な状況を作り上げ継続させているのは加害者たる被控訴人ら自身であって,被控訴人国が控訴人に対して消滅時効を主張するのは公序良俗違反,信義則違反ないし権利の濫用に当たるし,ハンセン病に対する偏見・差別を創出・助長してきた裁判所が,謝罪する一方で,偏見・差別被害のために権利行使が困難だったA及び控訴人の請求を3年の消滅時効によって否定することは,信義則に反し許されない旨主張する。
しかしながら,まず,被控訴人国が,患者に対する偏見・差別を創出したものでないことは,これまで繰り返し述べたとおりである。また,仮に,法曹界全体がハンセン病問題に対する加害者であるとみられるとしても,それ故に被控訴人国において,消滅時効を援用することが許されないとする根拠を見いだすことはできない。さらに,患者の遺族一般において被控訴人国こそが加害者であると認識するのが著しく困難な状況にあったとしても,控訴人は,前記(1)イ(ウ)のとおり,控訴人にとって,被控訴人国の加害構造を認識することが困難であったとはいえないし,被控訴人国
に対する国家賠償請求訴訟を提起するのが困難であったとはいえない。したがって,控訴人の主張する前記諸事情は,被控訴人国による消滅時効の援用が公序良俗違反,信義則違反ないし権利の濫用に該当するか否かに関する判断を左右するものではなく,控訴人の前記主張は採用できない。ウ
控訴人は,被控訴人国が,熊本判決の確定以降,基本合意書Ⅰ及び基本
合意書Ⅱの締結に至る交渉過程において,相続法理の適用を否定していたにもかかわらず,本件訴訟に至ると,基本合意書Ⅱを根拠にして控訴人が相続法理によりAの被控訴人国に対する損害賠償請求権を取得したなどと主張して消滅時効を援用しているが,この被控訴人国の態度は,全く矛盾していて背信行為というほかないとして,被控訴人国が控訴人に対して消滅時効を主張するのは公序良俗違反,信義則違反ないし権利の濫用に当たる旨主張する。
しかしながら,前記(1)イ(ア)のとおり,被控訴人国が,基本合意書Ⅱに係る合意に至るまで,遺族原告について相続法理の適用を否定し,和解一時金が損害賠償請求権に基づくものではないとの立場をとり続けていたとは認められない。したがって,控訴人の前記主張は,その前提を欠くものであって採用できない。

控訴人は,被控訴人国が,非入所者及び遺族原告並びに非入所者の遺族
に対して消滅時効を援用せずに和解に応じており,被控訴人国が控訴人に対して消滅時効を主張するのは公序良俗違反,信義則違反ないし権利の濫用に当たる旨主張する。
確かに,被控訴人国は,基本合意書Ⅱの成立時期から3年以上経過した時期に提訴した非入所者及び遺族原告との間で基本合意書Ⅱに基づいて和解に応じ,同時期に提訴した控訴人以外の非入所者の遺族との間で基本合意書Ⅱに準じて和解に応じている(前記第1・1(5)イ)。
しかしながら,被控訴人国は,原審及び当審において,控訴人に対し,
基本合意書Ⅱの内容に沿って控訴人との間で和解を行う意思がある意向を示していることに照らせば(同(5)ア),この点に関し,控訴人以外の非入所者の遺族とは異なる差別的な取扱いをしているとはいえない。したがって,控訴人の主張する前記諸事情は,被控訴人国による消滅時効の援用が公序良俗違反,信義則違反ないし権利の濫用に該当するか否かに関する判断を左右するものではなく,控訴人の前記主張は採用できない。4
小括
控訴人の相続したAの被控訴人国に対する国家賠償請求権は,消滅時効によ
り消滅したというべきである。
第3
1
控訴人個人の被控訴人国に対する国家賠償請求について
責任原因

(1)

控訴人の主張の要約
控訴人個人の被控訴人国に対する損害賠償請求権の発生原因事実たる違法
行為の存在につき,控訴人は要旨次のように主張している。

ハンセン病は,遅くとも昭和35年には,全ての患者との関係で,隔離
政策を用いなければならないような特別な疾患ではなくなっており,そのような状況のもと,被控訴人国には,患者に対する偏見・差別除去義務及び援助制度の創設・整備義務を負っていたのであるが,さらに,これにとどまらず,患者の家族との関係においても,患者の家族に向けられた偏見・差別の除去義務及びとりわけ非入所者の家族に対する援助制度の創設・整備義務を負っていた。

以上のような,患者の家族に対する偏見・差別除去義務違反の具体的発
現として,次のものを指摘することができる。すなわち,①患者の家族に対する偏見・差別除去に向けて隔離政策を転換し新法を撤廃しなかった国会議員の立法不作為,②同様にして,内閣による,新法撤廃に向けた法案の不提出(法案提出義務違反)及び③厚生大臣による,患者の家族に対す
る偏見・差別を放置することを含む,新法廃止以前の隔離政策の不転換(政策転換義務違反)がこれである。

他方,非入所者に対する援助制度創設・整備義務違反の具体的発現とし
て,次のものを指摘することができる。すなわち,非入所者の家族をして患者家族生活支援制度を利用させることが新法上不可能であり,かつ,非入所者の家族が偏見・差別を恐れる結果,生活保護等の一般的な扶助・福祉制度の利用が事実上不可能とされていたという事情,さらには,援助制度の創設・整備が懈怠された結果,非入所者が多額の経済的負担を強いられ,その結果家族の成長発達が阻害されていたという状況を前提とするところの,①非入所者の家族への援助制度の創設・整備を内容とする立法を怠った国会議員の立法不作為,②同様にして,内閣による,非入所者の家族に対する援助制度の創設・整備に向けた法案の不提出(法案提出義務違反)及び③厚生大臣による,患者の一般診療機関における保険診療制度の不構築を含む,新法廃止以前の隔離政策の不転換(政策転換義務違反)がこれである。

要するに,ここでも,偏見・差別除去義務及び援助制度創設・整備義務
いずれの関係においても,国会議員には立法不作為が,そして内閣には法案不提出が,厚生大臣には政策不転換が,それぞれ問われるべきものである。
(2)

厚生大臣の隔離政策不転換について


援助制度創設・整備義務違反

(ア)

前記第2・1(2)アのとおり,当該公務員の公権力の行使に当たる行
為が同項の適用上違法であるといえるためには,当該公務員が職務上の法的義務に違反したことだけではなく,その法的義務について当該公務員が当該被害者個人に対して負うものであることが必要となる。前記第2・1(2)イ(エ)のとおり,厚生大臣には,非入所者を含む患者に対し,
遅くとも昭和35年の時点において,隔離政策を転換し,在宅医療制度を構築するために相当な措置をとるべき法的義務を負っていたものであるが,厚生大臣が,非入所者の子である控訴人に対して,このような法的義務を負っているかについて検討する。
厚生大臣は,前記第2・1(2)イ(ア)のとおり,新法の下でも,患者のほぼ全員を収容の対象とする収容を徹底するなどして,隔離政策を遂行してきたが,隔離政策の遂行により,療養所に収容されて隔離されたのは患者であって,その家族ではない。また,隔離政策の下で,ハンセン病の治療が受けられる療養所以外の医療機関が限られ,在宅医療制度が構築されなかったが,その結果として,ハンセン病の治療を受けられる機会が極めて制限され,入所せずに治療を受けることが容易でなかったことに基づく損害を被ったのは,患者であって,その家族ではない。したがって,隔離政策が転換され,在宅医療制度を構築するために相当な措置がとられたとしても,患者の家族の権利利益に直接的な影響があるとはいい難い。
加えて,控訴人が,Aのハンセン病罹患を理由に同級生等から不利益な取扱いを受けたり,Aとともに近隣住民等から悪質な嫌がらせや排除行為などの差別にさらされ続け,近隣の医療機関から差別的対応を受けたとは認められない(前記第1・2(4),(5),(7))。控訴人が,Aのハンセン病の治療のために極めて多額の経済的負担を強いられて,その生活が困窮したとは認められないし(同(6)),Aのために控訴人の仕事の選択肢などが制約されたとも認められない(同(8))。
以上の諸点に照らせば,厚生大臣が,非入所者の子である控訴人に対して,隔離政策を転換し,在宅医療制度を構築するために相当な措置をとるべき法的義務を負っているとはいえない。
(イ)

この点,控訴人は,優生思想を色濃く反映した隔離政策及び無らい
県運動が,患者本人のみならずその家族をも標的としたものであり,その結果,家族の衣類等が消毒の対象となり,患者の家族も調査,監視の対象とされ,患者の子を未感染児と呼称して療養所内又はその近接地に設置された保育所に入所させ,旧優生保護法が制定され,ハンセン病にかかりやすい体質が存在し,それが遺伝するという体質遺伝的疾病観を前提とする優生手術等が患者及びその配偶者に実施されたなどと指摘し,当審証人Rcは,同人作成の意見書(甲123)及び当審証人尋問において,同趣旨の供述をする。
しかしながら,帝国議会での旧法の質疑における政府委員の答弁を見ても,当局はハンセン病が慢性の伝染病であって,遺伝病ではないと考えているかなどと質問されて,ハンセン病自体が遺伝することはないと明確に答弁した上で,らい菌を受け入れやすい体質を有しているときに,それが遺伝することもあるかもしれないが,学問上の遺伝ではないと考える旨答弁しており(前記第1・1(2)ア(ク)),控訴人指摘のような体質遺伝的疾病観を全面的に肯定したものとはいえないことに加え,厚生省優生結婚相談所が昭和16年に作成した結婚と癩病と題する書面においても,ハンセン病にかかりやすい素質は学問的に証明されていない旨記載されていること(同(1)エ(ア)b)に照らせば,内務省及び厚生省の官僚の中に,ハンセン病の発病が体質に影響されることを認める者がいたこと(同(1)エ(ア)b)を考慮しても,体質遺伝的疾病観を根拠として,旧法が制定され,旧法の下での隔離政策が推進されたとは認められない。また,新法の国会審議においても,新法の提案理由は,ハンセン病が慢性の伝染疾患であって,根治が困難であることとされ,患者の隔離以外にハンセン病の予防方法のないことが強調されていたことに照らせば(前記第1・1(2)イ(キ)),体質遺伝的疾病観を根拠として新法が制定され,新法の下での隔離政策が推進されたとは認められな
い。
当審証人Rcは,新法に国立療養所からの退所規定が設けられなかった背景として,ハンセン病が化学療法等で治ったとしても,ハンセン病にかかりやすい体質は変わらず,そうした体質を持つ者が社会復帰して子供をもうけると,そうした体質を受け継ぐ者が生じるおそれがあるため,患者の生涯隔離をD園長らが強く主張したことがあるなどと証言する。なるほど,D園長は,家族を含む収容強化を訴えていたが(前記第1・1(2)イ(オ)),新法の退所規定についてみると,新法13条が入所者に対する更生指導を規定しており(補正後の前提事実3(5)),新法が入所者の退所を認めない建前をとっているのであれば,このような規定を置く必要はないから,新法は入所者が退所できることを前提にしていると考えられる上,新法の制定過程において,当局から,新法立案の精神は患者を閉じ込めればいいというものではなく,症状が軽快して療養所長により隔離療養の必要がないと認められれば,当然退所できる旨の答弁がされ(前記第1・1(2)イ(キ)b),昭和28年に新法を所管する厚生省により作成されたらい予防法逐条説明と題する文書にも新法15条の説明として前記答弁と同趣旨の記載がある(同(2)ウ(エ))ことに照らせば,新法が患者の生涯隔離を指向し,入所者の退所を認めない建前をとっていないことは明らかであって,退所規定の不存在に関する当審証人Rcの証言は採用できない。
内務省が明治42年2月2日に発した訓令において,ハンセン病の予防方法として患者と同居する家族の衣類等の消毒が掲げられていた(前記第1・1(2)ア(ウ))ものの,同訓令においては,ハンセン病が患者と接触したり患者の体液を介することによって感染するとされており(同前記),ハンセン病の感染を予防するための措置として前記家族の衣類等の消毒が規定されていたといえる。また,昭和6年に制定された旧法
でも病毒に汚染された物件の消毒に関する規定が置かれ(同(2)ア(ク)b),新法の下でも汚染場所の消毒や汚染物件の消毒廃棄等に関する規定が置かれたが(前提事実3(5)),旧法や新法にある消毒に関する規定も,ハンセン病の感染を予防するための措置として定めれたものである。したがって,前記内務省訓令,旧法及び新法にある消毒に関する規定から,患者の家族が隔離政策の標的になっていたとはいえない。明治33年以降,ハンセン病の全国調査が内務省により実施され,ハンセン病の血統家系戸数又は患家の数もその調査の対象とされ(前記第1・1(2)ア(ア)),新法施行後も厚生省から都道府県に対して,患者の実態を把握してハンセン病予防推進の基礎資料とするために患者台帳を作成し,そこに患者の家族の状況を記録するように指示されていたが(同(2)ウ(ウ)),療養所への隔離の対象となったのは患者だけであるし,患者の家族の状況が調査されたのは患者の実態把握の一環であるにすぎないといえる。したがって,患者の家族が調査されたという事実から,患者の家族が隔離政策の標的になっていたとはいえない。
入所者が入所する際に同伴し,又は療養所内で出産した児童で,健康な児童について,未感染児童と呼ばれていた時期があったものの,保育児童という用語が使用されるようになった上,未感染児童
という用語自体がUntaintedChildrenという外

国語の訳語に由来するものであったことに照らせば(同(2)ウ(イ)),前記児童が未感染児童と呼ばれていた時期があったからといって,患者の子がハンセン病を発症する可能性のある患者予備群として位置付けられていたとはいえない。療養所内又はその近接地に設置された保育所は,新法22条に基づいて入所者の児童に養育,養護その他の福祉措置を講ずるために設置された施設であり,昭和29年10月8日の参議院文部委員会において当局から,入所者の子は可能な限り一般の児童福祉
施設に入所させるように努力しており,前記保育所は応急の施設であって,定員等の関係で急に一般の児童福祉施設に入所させられない場合にやむなく前記保育所へ入所させている旨説明されていることに照らせば(同(2)ウ(イ)),入所者の子がハンセン病を発症する可能性があるとみなされて,発症の有無を監視するために前記保育所に入所させられたとはいえない。したがって,患者の子が未感染児童と呼ばれていた時期があり,療養所内又はその近接地に設置された保育所に入所させられたことがあったとしても,患者の子が患者予備軍として位置付けられるなどして隔離政策の対象になっていたとは認められない。
当審証人Rcは,D園長が,昭和26年11月8日の参議院厚生委員会で,

幼児の感染を防ぐために癩家族のステルザチョンというようなこともよく勧めてやらすほうがよろしいと思います。

などと述べたことについて(前記第1・1(2)イ(オ)),体質遺伝的疾病観が背景にあり,D園長が,優生保護法のらい条項において優生手術の対象者が患者本人と配偶者に限定されているのを生ぬるいと考えて発言したものである旨証言する。しかし,公立療養所である全生病院長であったD園長は,公立療養所で男女間の交渉を厳重に取り締まっていたのを改めて,男女間の交渉を認める方が所内の秩序維持に役立つと考えて結婚を許す条件として優生手術を実施し,これを契機として全国の療養所に優生手術が普及した(同(2)ア(オ))。D園長は,優生手術を勧める理由として,

子供が生まれると癩予防の意味においても非常に危険でありまた母体を危険にし又病状を悪化させるおそれがある。

と述べている(同(2)イ(オ))。また,優生保護法の立法提案者が共著者となった書籍においては,優生保護法のらい条項に関し,先天的にハンセン病に対する抵抗力が弱いことが考えられる旨言及されているけれども,ハンセン病が伝染病である旨明記されているばかりか,それとともにらい条項が規定
された理由として,ハンセン病が幼児期に感染して長い潜伏期間を経て発症するのが普通であって,完全に治療しうる方法がないことも指摘されている(同(2)イ(ア))。以上のようなD院長の優生手術に関する考え,立法者の著書から窺われる優生保護法のらい条項の趣旨に照らせば,体質遺伝的疾病観を前提として,D園長が優生手術を勧めたとか,療養所における優生手術が実施されたとか,優生保護法のらい条項が制定されたとは認められない。
以上によれば,控訴人の前記指摘等は採用できない。

偏見・差別除去義務

(ア)

控訴人は,遅くとも昭和35年以降,厚生大臣は,被控訴人国が創
出した患者の家族に対する偏見・差別を解消するために,患者の家族との関係でも,隔離政策を抜本的に転換し,ハンセン病には基本的に感染のおそれがなく,患者の家族が社会内で生活することは公衆衛生上何ら問題ないことを社会一般に広く周知徹底する義務を負っていた旨主張する。
しかしながら,これについては,被控訴人国が隔離政策を継続するはるか以前から,患者の家族に対する偏見も存在していたのであるから(前記第1・1(2)エ),被控訴人国によって患者の家族に対する偏見又は差別が創出されたとまではいえない。したがって,厚生大臣は,患者の家族に対する偏見又は差別の創出という先行行為があったことを理由として,その除去のために相当な措置をとるべき法的義務があるということはできない。
(イ)

ところで,隔離政策の遂行により患者に対する偏見・差別が助長さ
れ,それと同時に患者と接触する機会の多い患者の子その他の家族に対する偏見・差別が助長されたことは否定し難い。しかし,隔離政策自体は,患者を対象とするものである。また,患者の家族といっても患者と
の親疎・日常の接触も様々であり,患者自身に対する偏見・差別と比較すると,患者の家族に対する偏見・差別の内容・程度も様々である。Aがハンセン病に罹患し,そのうわさが立った地域において控訴人が偏見・差別の目でみられたことであろうことは容易に想定できるが,それ以上に控訴人が主張するような具体的な偏見・差別を受けたと認めることができないことは,前記ア(ア)のとおりである。したがって,控訴人に対し,厚生大臣が偏見・差別除去のために相当の措置等をとる義務があるとまでいうことはできない。

以上のとおりであるから,厚生大臣は,控訴人に対し,公権力の行使た
る職務行為に国家賠償法上の違法性があったとはいえない。
(3)

国会議員の立法不作為について


前記第2・1(3)アのとおり,国会議員の立法行為又は立法不作為が国
家賠償法の適用上違法となるかどうかは,国会議員の立法過程における行動が個々の国民に対して負う職務上の法的義務に違反したかどうかの問題であり,上記行動についての評価は原則として国民の政治的判断に委ねられるべき事柄であって,例外的にその立法不作為が同法の適用上違法の評価を受けるのは,国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置をとることが必要不可欠であり,それが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合や,法律の規定が憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反するものであることが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってその改廃等の立法措置を怠る場合などに限られるというべきである。

そこで,本件立法不作為が非入所者の子である控訴人との関係において
国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるか否かについて検討する。

まず,新法5条による指定医の診察の対象者は患者であり,新法6条による入所勧奨等の対象者は患者又はその保護者であり,新法7条による従業禁止処分の対象者は患者であり,新法8条による汚染場所の消毒の対象者は患者又はその死体があった場所の管理者等であり,新法9条による汚染物件の消毒廃棄等の対象者は患者が使用又は接触した物件の所持者である。これらの規定は,患者の家族を義務の名宛て人とはしておらず,患者の家族が汚染場所又は汚染物件の消毒等を命じられたとしても,それは,汚染場所を管理し,又は汚染物件を所持するなどしていたためであって,患者と家族関係にあるために生じるものではない。新法の規定が,患者の家族の憲法上の権利を直接的に動揺させ,侵害するものであるとはいい難い。
また,前記第2・1(3)イのとおり,新法は,隔離政策の継続を義務づけていたわけではなく,新法の解釈上は,隔離政策を転換する余地も残されていたといえる。
以上によれば,本件立法不作為について,国家賠償法1条1項の適用の観点からみると,患者の家族に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり,それが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠り,また憲法上保障され又は保護されている患者の家族の権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反することが明白であるにもかかわらず国会が正当な理由なく長期にわたって改廃等の立法措置を怠っていたなどと評価することはできない。したがって,本件立法不作為は,非入所者の子である控訴人との関係において国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものではないというべきである。
ウ(ア)

この点,控訴人は,遅くとも昭和40年には,被控訴人国が創出し
た患者の家族に対する偏見・差別を解消すべく,隔離政策を転換し,ら
い予防法を撤廃すべき義務を負っていた旨主張する。
しかし,前記(2)のとおり,患者の家族に対する偏見・差別も,患者に対する偏見・差別と同様に古くから存在していたのであり,被控訴人国が隔離政策の実施により患者の家族に対する偏見・差別を創出したとはいえない。前記イのとおり,新法の規定が,患者の家族の憲法上の権利を直接的に動揺させ,その侵害にわたるものとはいい難いし,隔離政策の転換が実現される余地が新法の解釈上は残されており,患者の家族に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置をとることが必要不可欠であり,それが明白であるとはいえないし,また新法の規定が憲法上保障され又は保護されている患者の家族の権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反することが明白であるとはいえない。よって,控訴人の前記主張は採用できない。
(イ)

控訴人は,非入所者の家族が利用できた一般的な社会保障制度で

は,その申請過程で,生活困窮又は身体障害の原因である非入所者のハンセン病罹患履歴が明らかになるため,非入所者の家族は,非入所者が療養所へ入所させられたり,非入所者の家族自身が偏見・差別を受けることに対する恐れから,一般的な社会保障制度を利用することが困難な状況に置かれており,非入所者は,生活費や治療費として多額の経済的負担を強いられて,非入所者の子供の成長に必要な生活条件を整えられず,その成長発達権が侵害されており,国会議員もこれを認識していたから,遅くとも昭和40年には,患者の家族に対する援助制度を整備・実現することを内容とする立法をすべき義務を負っていた旨主張する。しかし,前記第2・1(2)アのとおり,厚生大臣には,隔離政策を抜本的に転換し,在宅医療制度を構築すべき義務があったのであり,厚生大臣が隔離政策の転換義務を履行していれば,患者であることが露見し
たからといって非入所者が入所を強制される事態に陥ることもなく,非入所者の家族が非入所者の療養所への入所を恐れて一般的な社会保障制度の利用を躊躇する事態は生じ得ないし,抗ハンセン病薬の一部しか保険診療で使用できないなどといった制度的欠陥は是正されたはずである。したがって,非入所者が療養所への入所に対する恐れから一般的な社会保障制度の利用が困難な状況にあり,ハンセン病の治療が保険診療の対象外となって非入所者が治療費等のために多額の経済的負担を強いられたとしても,患者に対する援助制度の整備・実現に係る立法義務があるということはできない。また,社会保障制度の申請過程でハンセン病の罹患履歴が明らかになるとしても,新法3条は患者のみならず患者の家族に対する差別的取扱いを禁止し(前提事実3(5)),それが社会保障を担当する公務員にも課せられていることは明らかであるし,社会保障を担当する公務員は職務上知り得た秘密について守秘義務を負い,したがって,申請した非入所者が患者であることが外部に漏れて,それを発端に非入所者が偏見・差別を受けることは想定されていない。したがって,非入所者が社会保障制度の申請によって偏見・差別を受けることを恐れることをもって,患者に対する援助制度の整備・実現に係る立法義務があるということはできない。
(4)

内閣の法案提出義務について
前記(3)のとおり,立法について固有の権限を有する国会ないし国会議員
の前記立法不作為につき,国家賠償法1条1項の適用上違法性を肯定することができないものである以上,国会に対して法律案の提出権を有するにとどまる内閣の前記法律案不提出についても,同項の適用上違法性を観念する余地のないことは当然というべきである。したがって,内閣の法案提出義務に係る控訴人の主張は採用できない。
2
小括

以上によれば,控訴人個人の被控訴人国に対する損害賠償請求権の発生原因事実たる違法行為が存在しないというべきである。
第4
1
被控訴人県に対する国家賠償請求について
責任原因

(1)

費用負担者の賠償責任(国家賠償法3条1項)
控訴人は,機関委任事務の一環としてらい予防事業を実施した知事や職員
の給与を負担してきた被控訴人県も,被控訴人国の行為について国家賠償法上の責任が発生するのであれば,費用負担者として同様の責任を負担し,また,都道府県職員が隔離政策遂行という加害行為を担っており,加害行為を担う物的・人的体制に対する費用を負担してきたのであるから,費用負担者としての責任を負う旨主張する。
確かに,被控訴人県知事は,日本国憲法制定後,平成11年法律第87号による改正前の地方自治法148条に基づいて,機関委任事務として,隔離政策の遂行などのハンセン病対策事業を実施してきたものであり(前提事実3(6)),この事務を実施した被控訴人県の知事及び職員に対する給与を負担したことが認められる(弁論の全趣旨)。
しかしながら,控訴人の主張に係るA又は控訴人自身に対する加害行為のうち国会議員の立法不作為,内閣の法案提出義務違反及び厚生大臣の隔離政策の転換義務違反における加害公務員は,国会議員,内閣構成員又は厚生大臣などであって,被控訴人県の知事や職員ではあり得ず,被控訴人県は,これらの加害公務員に対して給与を負担していない。したがって,被控訴人県は,国会議員の立法不作為,内閣の法案提出義務違反及び厚生大臣の政策転換義務違反について,国家賠償法3条1項に基づく損害賠償義務を負わないというべきである。
これについて,控訴人は,加害行為は,作為義務違反だけではなくて,隔離政策の継続と隔離収容体制の維持とこれによる偏見・差別の創出・助長と
いう積極的な行為を含むものであると主張している。なるほど,被控訴人県は,日本国憲法制定後,被控訴人国の機関委任事務として隔離政策遂行などのハンセン病対策事業を実施してきたのであるが,被控訴人県の知事及び職員は,ハンセン病対策事業に関する事務について厚生大臣の指揮監督下にあり,厚生大臣において新法が廃止されるまで隔離政策を遂行していたのであるから,隔離政策の遂行を拒否し,隔離政策を抜本的に転換すべき職務上の注意義務があったとはいえない。
したがって,控訴人の前記主張は採用できない。
(2)

被控訴人県のAに対する独自の責任


控訴人は,被控訴人県が,機関委任事務の一環として隔離政策を推進し
ただけではなく,全国に先駆けて鳥取県癩予防協会を設立し,これを母体として十坪住宅運動を展開するなどして自らも無らい県運動を強力に推進して,患者に対する偏見・差別を創出,助長,維持し,患者が鳥取県内で平穏に生活するのが困難な状況を創出してきたところ,遅くとも昭和35年にはハンセン病が隔離政策を用いねばならないほどの特別な疾患ではなくなっていたことを認識していたから,条理上,①患者に対応,接触する県関係職員や県民に対し,ハンセン病の知識の普及や教育を行い,患者が地域社会で生活しても公衆衛生上問題がないことを社会一般に周知徹底すべき義務,②患者が適切な治療・介護を受けられるための医療体制・福祉体制を整備した上でその情報を周知する義務を負っていたのに,これらを怠っており,被控訴人県の無らい県運動における活動は法的には独立した被控訴人の県の行為として評価されるべきである旨主張する。
しかしながら,昭和11年に就任したG知事が無らい県運動に熱心に取り組んだ結果として,財団法人鳥取県癩予防協会が設立され,これを母体として十坪住宅運動が展開されて昭和12年5月末には同運動に対して2万8163円03銭もの多額の寄付金が寄せられるなどして全国から注目
を浴びたものの,G知事の離任後はこれが低調なものとなって推移したことに照らせば(前記第1・1(2)ア(サ)b),同県における無らい県運動が盛んになって全国的に注目を浴びるようになったのは,被控訴人国によって任命された官吏であるG知事の意向によるところが大きい上,無らい県運動自体は被控訴人国によって組織的,体制的に推進されていたものであって(同(2)ア(サ)a),被控訴人県における戦前の無らい県運動は,この延長線上にあったと位置付けることができる。日本国憲法の施行と同時に地方自治法が施行されて同知事が都道府県の純然たる機関となった後も,隔離政策遂行などのハンセン病対策事業は,被控訴人国の機関委任事務とされ,被控訴人県の知事及び職員は,同事業に関する事務について厚生大臣の指揮監督下にあり,厚生大臣は,昭和22年11月6日付けで,都道府県知事に対し,無癩方策実施に関する件と題する通達を発するなどして新法が廃止されるまで隔離政策を遂行していたのであるから(同(2)イ(ウ)),日本国憲法下における被控訴人県による隔離政策の遂行及び無らい県運動の推進も,国の機関として厚生大臣の包括的な指揮監督の下で実施されたものであって,被控訴人県独自の政策であるとはいえない。したがって,被控訴人県による隔離政策の遂行及び無らい県運動の推進が,ハンセン病に対する偏見・差別を助長し維持させるものであったとしても,条理上,被控訴人県に対してAとの関係で控訴人が主張する前記のような義務を発生させるものではないというべきである。
よって,控訴人の前記主張は採用できない。

控訴人は,被控訴人県が,被控訴人国の許容する範囲内で,退所者又は
非入所者の存在を認め,それらの者に独自の対応をすることが可能であり,退所者の再入所あるいは非入所者の入所の判断については狭いながらも被控訴人県に一定の裁量権が与えられていたから,被控訴人県自身の裁量によって退所者又は非入所者を入所させない,すなわち在宅治療とする
と判断した以上,被控訴人県としては在宅治療者に対する医療上,福祉上の独自の行政責任を負い,機関委任事務を理由として被控訴人県のAに対する在宅医療体制整備義務が否定されるものではないなどと主張する。しかしながら,患者の在宅医療制度に不備が生じていた原因は,厚生大臣が隔離政策を採用し,抗ハンセン病薬に対する保険適用が限定的なものであったことにあるところ,ハンセン病対策事業について厚生大臣の包括的な指揮監督下にあった被控訴人県知事には隔離政策を転換するとか,また抗ハンセン病薬を保険適用とする権限もないため,患者の在宅医療制度の不備を改善する権限があったとはいえない以上,被控訴人県知事の判断により療養所に入所させなかった患者が存在していたとしても,患者が適切な治療や介護を受けることができるための医療体制を整備すべき職務上の注意義務を負っていたとはいえない。
加えて,前記認定事実によれば,Aは,昭和31年頃にa町の家の周囲でハンセン病に罹患したといううわさが立ち始め,昭和34年3月半ばにa町の家から大阪へ転居する前に岡山大学医学部三朝分院及び鳥取赤十字病院を受診したものの,ハンセン病に似ていると診断されたにとどまっており(前記第1・1(3)ア(イ),(ウ)),大阪へ転居してから昭和41年3月24日まで阪大皮膚科別館に通院してハンセン病の治療を受け,昭和40年2月24日付けで御届が大阪府知事に提出されたが,御届に記載されたAの住所地が三男のものであって,大阪府ではAの居住地が不明であるとされ,患者として登録されず(同(3)イ(ア)及び同(ウ)),大阪府が被控訴人県から平成11年に御届の有無について照会された際には該当なしと回答し,大阪府が平成12年7月31日に控訴人に対して御届の存在を認めるまでは,被控訴人県において御届の存在を認識していなかった(同(4)ウ)。Aは,昭和42年春頃に鳥取に帰郷した後も,昭和55年6月12日に倉吉保健所の職員と面談した際には患者であることを否定し(同
(3)ウ(ウ)),母来寮に入所後に様々な医療機関を多数回にわたって受診したが,ハンセン病について指摘されることはなく(同(3)ウ(カ)),平成3年9月26日に倉吉保健所職員に対して,自分がリュウマチである旨述べ(同(3)ウ(キ)),一般人がAの外見からAがハンセン病であると認識できたとは認められず(前記第1・2(5)),控訴人ですらAの生前にはAがハンセン病に罹患したことはないと認識していた(前記第1・1(4)ア)。以上の諸事情に照らせば,Aが死亡するまで,被控訴人県においてAがハンセン病に罹患していた事実を認識していなかったと推認され,被控訴人県において同事実を認識し得たともいえないから,Aについて被控訴人県自身の裁量によって在宅治療とすると判断できたとは認められず,控訴人の前記主張はその前提を欠くものである。
よって,控訴人の前記主張は採用できない。

控訴人は,新法に差別禁止条項があるので,被控訴人県が独自に差別解
消策をとることは機関委任事務に反するものではなく,患者に対して相談事業を行い,これを通じて,差別を受ける患者自身の偏見・差別意識を緩和,解消し,良好な家族関係や地域生活を築く基礎とすることも一つの偏見・差別解消策であるといえ,機関委任事務の範囲内で独自の偏見・差別解消策を行うことは十分可能であったから,偏見・差別解消策を講じる義務があるのに,これを怠った旨主張する。
しかしながら,隔離政策の遂行により患者に対する偏見・差別が助長されたことは否定し難いものの,前記イのとおり,ハンセン病対策事業について隔離政策を採用する厚生大臣の包括的な指揮監督下にあった被控訴人県知事には隔離政策そのものを転換する権限がないことからすると,前記のような偏見・差別の助長について被控訴人県に責めに帰すべき事由があったとはいえず,したがって,被控訴人県において患者に対する相談事業を独自に行うなどして患者に対する偏見・差別解消策を講じる職務上の注
意義務があるとはいえない。
また,前記イのとおり,Aが死亡するまで,被控訴人県においてAがハンセン病に罹患していた事実を認識していなかったと推認され,被控訴人県において同事実を認識し得たともいえないから,被控訴人県において,Aに対してAがハンセン病であることを前提とした施策を行うことができる状況にあったとはいえず,控訴人の前記主張はその前提を欠くものである。
よって,控訴人の前記主張は,被控訴人県のAに対する国家賠償責任の有無に関する判断を左右するものではなく,採用できない。
(3)

被控訴人県の控訴人に対する独自の責任


控訴人は,被控訴人県が,機関委任事務の一環として隔離政策を推進し
ただけではなく,全国に先駆けて鳥取県癩予防協会を設立し,これを母体として十坪住宅運動を展開するなどして自らも無らい県運動を強力に推進して,患者の家族に対する偏見・差別を創出,助長,維持し,患者の家族も鳥取県内で平穏に生活するのが困難な状況を創出してきたところ,遅くとも昭和35年にはハンセン病が隔離政策を用いねばならないほどの特別な疾患ではなくなっていたことを認識していたから,条理上,①患者及びその家族に対応,接触する県関係職員や県民に対し,ハンセン病の知識の普及や教育を行い,患者の家族が地域社会で生活しても公衆衛生上問題がないことを社会一般に周知徹底すべき義務,②患者の家族の偏見・差別に対する恐怖心を軽減するため,その家族に対する相談体制を整備・充実させるべき義務,③患者が適切な治療・介護を受けられるための医療体制・福祉体制を整備した上でその情報を周知する義務を負っていたのに,これらを怠っており,被控訴人県の無らい県運動における活動は法的には独立した被控訴人の県の行為として評価されるべきである旨主張する。しかしながら,前記(2)アのとおり,被控訴人県における戦前の無らい
県運動が盛んになったのは,昭和11年に就任したG知事の意向によるところが大きい上,無らい県運動自体は被控訴人国によって組織的,体制的に推進されていたものであって,被控訴人県における戦前の無らい県運動もこの延長線上にあったと位置付けられ,また,日本国憲法下における被控訴人県による隔離政策の遂行及び無らい県運動の推進も,厚生大臣の包括的な指揮監督の下で実施されたものであって,被控訴人県独自の政策であるとはいえない。したがって,被控訴人県による隔離政策の遂行及び無らい県運動の推進が,患者の家族に対する偏見を助長するものであったとしても,条理上,被控訴人県に対して控訴人との関係で控訴人が主張する前記のような義務を発生させるものではないというべきである。
よって,控訴人の前記主張は採用できない。

控訴人は,被控訴人県が,被控訴人国の許容する範囲内で,退所者又は
非入所者の存在を認め,それらに独自の対応をすることが可能であり,退所者の再入所あるいは非入所者の入所の判断については狭いながらも被控訴人県に一定の裁量権が与えられていたから,被控訴人県自身の裁量によって退所者又は非入所者を入所させない,すなわち在宅治療とすると判断した以上,被控訴人県としては在宅治療者に対する医療上,福祉上の独自の行政責任を負い,機関委任事務を理由として被控訴人県の控訴人に対する在宅医療体制整備義務が否定されるものではないなどと主張する。しかしながら,前記(2)イのとおり,被控訴人県知事には,患者の在宅医療制度の不備を改善する権限があったとはいえない以上,被控訴人県知事の判断により療養所に入所させなかった患者が存在していたとしても,患者が適切な治療や介護を受けることができるための医療体制を整備すべき職務上の注意義務を負っていたとはいえない。
加えて,前記(2)イのとおり,Aが死亡するまで,被控訴人県においてAがハンセン病に罹患していた事実を認識していなかったと推認され,被
控訴人県において同事実を認識し得たともいえないのであるから,Aについて被控訴人県自身の裁量によって在宅治療とすると判断されたとは認められず,控訴人の前記主張はその前提を欠くものである。
よって,控訴人の前記主張は採用できない。

控訴人は,新法に差別禁止条項があるので,被控訴人県が独自に差別解
消策をとることは機関委任事務に反するものではなく,患者の家族に対して相談事業を行い,これを通じて,差別を受ける患者の家族自身の偏見・差別意識を緩和,解消することも一つの偏見・差別解消策であるといえ,機関委任事務の範囲内で独自の偏見・差別解消策を行うことは十分可能であったから,偏見・差別解消策を講じる義務があるのに,これを怠った旨主張する。
しかしながら,隔離政策の遂行により患者の家族に対する偏見・差別が助長されたことは否定し難いものの,前記イのとおり,ハンセン病対策事業について隔離政策を採用する厚生大臣の包括的な指揮監督下にあった被控訴人県知事には隔離政策を転換する権限がないことからすると,前記のような偏見・差別の助長について被控訴人県に責めに帰すべき事由があったとはいえず,したがって,被控訴人県において患者の家族に対する相談事業を独自に行うなどして患者の家族に対する偏見・差別解消策を講じるべき職務上の注意義務があるとはいえない。
前記イのとおり,Aが死亡するまで,被控訴人県においてAがハンセン病に罹患していた事実を認識していなかったと推認され,被控訴人県において同事実を認識し得たともいえないから,被控訴人県において,Aの生存中に,控訴人に対して,Aがハンセン病である,すなわち控訴人が患者の家族であることを前提とした施策を行うことができる状況にあったとはいえない。
控訴人は,Aの死亡後,被控訴人県の職員に対して種々の不満を述べる
などしているが,前記第2・3(1)イ(カ)のとおり,同職員の控訴人に対する一連の対応について不適切な点はなく,職務上の注意義務に対する違反があるとはいえない。
よって,控訴人の前記主張は,被控訴人県の控訴人に対する国家賠償責任の有無に関する判断を左右するものではなく,採用できない。
2
小括
以上によれば,控訴人の被控訴人県に対する請求について,費用負担者とし
ての責任も,A及び控訴人に対する被控訴人県独自の責任も認められない。第4章

結論
以上の次第であるから,控訴人の請求は,いずれも理由がなく,これと同旨の原判決は結論において相当である。
よって,本件控訴は理由がないから,これを棄却することとし,主文のとおり判決する。

広島高等裁判所松江支部

裁判長裁判官

栂村明剛
裁判官

光吉恵子
裁判官

田中良武
(別紙)
基本合意書

ハンセン病違憲国家賠償訴訟全国原告団協議会と国(厚生労働大臣)は,ハンセン病患者であった者が提訴時に死亡している場合の当該死亡者の相続人である原告及び入所歴のないハンセン病患者・元患者の原告が提起した訴訟に関し,次のとおり,司法上の解決(裁判上の和解)についての基本事項を合意した。

謝罪
1
国は,熊本地方裁判所平成13年5月11日判決において認められた国の法
的責任を深く自覚し,長年にわたるハンセン病隔離政策とらい予防法により入所歴なき原告を含む患者・元患者の人権を著しく侵害し,ハンセン病に対する偏見差別を助長し,ハンセン病政策の被害者に多大な苦痛と苦難を与えてきたことについて真摯に反省し,衷心より謝罪する。
2
国は,入所歴なき原告を含む患者・元患者に対し,その名誉を回復し,精神
的苦痛を慰謝することを目的とする謝罪広告を行う。
謝罪広告の実施については,ハンセン病問題対策協議会において,すでに協議・決定され,予定されている謝罪広告に含めるものとする。


一時金の支払
1
国は,原告に対し,損害の賠償等として,平成13年12月7日に熊本地方
裁判所が示した和解に関する所見を踏まえて,和解一時金を支払う。2
相続人からの請求について,当該原告が相続人であること及びその相続分に
ついては,証拠に基づき,裁判所が認定する。
原告は,相続を原因とする不動産の所有権移転登記手続に要する程度の資料を証拠として提出する。

3
ハンセン病療養所の入所歴のない者のハンセン病の発症時期については,平
成13年12月18日付けの熊本地方裁判所の補充所見で示された医師による確定診断を基本とし,当事者間に意見の相違があるものについては,証拠に基づき,裁判所が認定する。
原告は,診断書ないしこれに準ずる資料,陳述書等を証拠として提出する。


入所歴なき原告について
国は,入所歴なき原告について,主として,合理的な理由のなくなったらい予防法を廃止しなかったために,ハンセン病療養所に入所させて治療を行うという政策の結果として,ハンセン病の治療を受けられる機会が極めて限られて,入所せずに治療を受けることが容易ではなかったことに基づく損害を与えたことを認める。


加算金等
1
原告は,遅延損害金及び弁護士費用の支払を求めない。

2
訴訟費用は各自の負担とする。
ただし,印紙代については,既に貼付した分を除き,全額国の負担とする。

名誉回復等の施策について
1
原告と国は,遺族による死没者の遺骨引取りが,死没者の名誉回復,ハンセ
ン病に対する偏見差別の解消につながるものであるとの基本認識にたったうえで,死没者の意志を尊重しつつ,遺族の遺骨の引取りにつき,それぞれ努力する。
2
遺骨の引取り等,その他の事項については,別途協議する。

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