判例検索β > 平成30年(う)第28号
死体遺棄、暴力行為等処罰に関する法律違反、殺人(原審認定罪名・傷害致死)
事件番号平成30(う)28
事件名死体遺棄,暴力行為等処罰に関する法律違反,殺人(原審認定罪名・傷害致死)
裁判年月日平成30年9月27日
法廷名福岡高等裁判所
結果破棄自判
原審裁判所名福岡地方裁判所
原審事件番号平成27(わ)670
戻る / PDF版
平成30年9月27日宣告福岡高等裁判所判決
平成30年(う)第28号

死体遺棄,暴力行為等処罰に関する法律違反,殺人

(原審認定罪名・傷害致死)被告事件
主文
原判決を破棄する
被告人を懲役22年に処する
原審における未決勾留日数中500日をその刑に算入する。

第1


本件各控訴の趣意
検察官の控訴趣意は,検察官作成の控訴趣意書記載のとおりであり,これに対する答弁は弁護人ら共同作成の控訴答弁書並びに被告人作成の答弁書各記載のとおりであるから,これらを引用する。控訴理由は,原判示第2の2の事実(電気ポットでの殴打行為)の審理に関する訴訟手続の法令違反及び同事実についての事実誤認並びに量刑不当である。
被告人の控訴趣意は,弁護人ら共同作成の控訴趣意書,控訴趣意補充書,同補充書2各記載のとおりであるから,これらを引用する。控訴理由は,原判示第1(常習傷害),同第2(公訴事実殺人,原審認定罪名傷害致死)の1(火炎放射行為),同第2の2(電気ポットでの殴打行為)及び同第3(死体遺棄)の各事実についての事実誤認並びに量刑不当である。

第2
1
原判示第1(常習傷害)に関する事実誤認(弁護人主張)
論旨は,要するに,被告人は原判示の暴行を行っていない(暴行の存在),A(第2項で「被害者」という場合は同人のこと)は原判示の傷害を負っていない(傷害の存在),同傷害は同暴行によるものではない(暴行と傷害との因果関係),本件は「常習として」行われた暴行ではない(常習性),よって,被告人は無罪であるから,これらを認めて被告人を有罪とした原判決には,判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある,というものである。そこで,記録を調査して検討するに,受傷状況との符合等を踏まえて被害者供述の信用性を肯定し,同供述等に基づいて原判示第1の事実を認定し,常習傷害罪の成立を認めた原判決の判断は,論理則,経験則等に照らして不合理な点はなく,当裁判所も正当として是認することができる。以下,所論に鑑み説明する。
暴行及び傷害の存在並びに因果関係について

被害者供述の概要
被害者は,原審公判において,後記受傷の理由としての被害状況につき,
概要,「平成27年3月8日(以下,日時は断りなき限り平成27年のもの)未明,被告人を助手席に乗せて自動車で走行していたところ,被告人から運転について文句を言われ,右拳で左頬を殴られ,更にコンビニの駐車場に入れと言われたが,うまく入れずに右拳で頭を殴られた。その後,同駐車場に車を停めると,被告人から,被告人やその娘のことを本気で考えているのかなどと言われ,両手の甲及び左の太ももを毛抜きで刺され,左手の平手で右頬をたたかれ,左の二の腕をつかんでねじられ,両太ももの内側をつねられた。更に左手でたたかれそうになってよけたところ,右頬の頬の下から首にかけて引っかかれた」と供述した。

被害者の受傷状況についての証拠関係
本件の4日後である3月12日,警察で被害者の受傷状況に関する写真
撮影が実施された。その際の写真(原審甲13)では,左頬の発赤,右頬と右首筋に,一旦顎部分で途切れてはいるもののほぼ同じ位置で縦に続く線状の発赤,両手甲の点状の発赤複数,左上腕部の変色,右太ももの変色等が確認できる。
前記写真から診断したW医師は,原審公判において,被害者が,同日時点で,左顔面打撲,右下顎部及び右側頚部擦過傷,左上腕部圧迫による皮下出血,両手の甲の点状のけが及び打撲傷並びに右太ももの皮下出血という傷害を負っており,これらの傷害は三,四日前に生じたものであり,いずれも受傷日から加療約1週間を要する程度である,これらの傷害は,その部位及び状態に照らすと,被害者の供述する暴行によって生じたものとして矛盾しない旨を供述した。また,いずれも原審公判において,被害者を同月8日午後に保護したその娘B(第2項の「娘」は同人を指す)は,被害者の右頬にひっかいたような傷,左頬に赤いはれ,左太もも及び左右は分からないが二の腕に赤い痕があったと供述し,被害者が同月9日に入所したシェルターの施設長は,同日の面接の際,被害者の両目の下の頬骨及び手の甲が腫れているように見えたと供述した。ウ
被害者供述の信用性
受傷状況との整合
被害状況に関する被害者供述は,W医師供述から認定できる被害者の
3月12日の受傷状況,すなわち,本件頃に受傷したとみられる様々な部位及び性状の複数の負傷が存在していたことと符合している。同受傷状況に沿う一部の負傷が,同月8日午後又は9日の各時点でそれぞれ確認されていることも踏まえれば,被害者の前記受傷状況は,被害者供述を相当に裏付けるといえる。所論は,被害者の供述するように「被告人が左手で平手打ちしてきたのを避けようとして,軽く首を左側に倒したところ,被告人の左手の指があたって擦過傷ができた」のであれば,垂直かつ首の下の方にまで傷ができるはずがないから,右下顎部及び右側頚部擦過傷の形状は被害者供述と整合せず,むしろ,被害者の自傷行為によることをうかがわせる,という(控訴趣意書11頁)。しかし,そもそも被害者の供述は,概要「平手打ちのあと,被告人の手がもう一回上がったので,もう一発来ると思ってよけたら,顎から首にかけて引っかかれた」(被害者22頁,24頁,78頁)というもので,平手打ちをしてきた指先が当たったという供述ではない。そして,下顎部と側頚部にかけての一本の擦過傷が途中で一旦途切れているという形状は,所論のいうような狂言のための自傷行為より,他者の引っかき行為をよけようとしてよけきれなかった,との状況で生じたと解する方が整合する。
さらに,所論は,W医師の供述が受傷時期を同月8日と特定しておらず,因果関係についても抽象的であるから,信用性を欠き,同人の供述によって被害者が原判示傷害を負ったことや暴行と傷害との因果関係を認定することはできない,娘及び施設長の各供述も,各時点で怪我があったというだけだから,暴行に関する被害者供述を裏付けない,という(控訴趣意書7頁,19頁)。しかし,怪我の状態のみからの判断でその受傷時期に数日程度の幅が生じるのは当然である。怪我の存在と状態が特定の態様の暴行に直結しないことも同様といえる。その上でなお,本件における受傷状況との具体的な符合は,前記のとおり,被害者供述を裏付けるものと評価できる。
また,被告人が,3月9日に知人であるCに対して「姉ちゃん!
ジで後悔してる!


二度と叩かない!手を挙げないから,とAに伝えてくださ

い。もし,同じ事を繰り返したら,ちゃんと別れます。」として,娘の電話番号を付記したメールを送信している(原審甲143)ことも,被害者供述に符合する。所論は,被告人の供述する経過を前提とすれば同メールは被害者供述の裏付けとはならないという(控訴趣意書9頁)が,この点に関する被告人供述は,後述のとおり信用性を欠く。
所論は,被害者供述の内容に関し,①事故を誘発するから,運転中の被害者に暴力を加えたというのは不自然である(控訴趣意書10頁),②逃げるチャンスだと思ったとしながら,被告人に「別れないでください」と言ったとしたり,ゆっくり立ち去るなどしているのは矛盾している(控訴趣意書11頁),③強盗強姦のため女性を物色していた,という点を当時の運転理由とするが,警察に相談した3月12日時点で調書が作成されていないことに反し,また,そのような共謀をしておきながら,被告人が敢えて被害者を単独行動させたというのも不自然である(控訴趣意書12頁),④本件直後に110番通報等をするのが自然であるのに,被害者はしていない,また,城南区役所で「あなたみたいな元気な人を助けることはできない」と言われてシェルター入所を断られている,など,暴行後の経緯に関する供述内容が不自然である(控訴趣意書14頁),⑤被害者が同月11日に病院に行っているにもかかわらず暴行に関する診断は受けず,診断書も作成していないという経過は不自然である(同頁),⑥被害者には娘に受け入れてもらうためという自傷行為と虚偽供述の動機がある(控訴趣意書16頁),よって,被害者供述は信用性を欠く,という。
しかし,①については,些細なことで頻繁に暴力を振るうという被害者の供述する被告人の性格を前提とすれば,不自然ではない。②については,別れを望んでいてもその素振りを被告人に対して示さないようにすることは,被告人によるDV下にあったことを前提とする被害者の行動として矛盾していない。③については,強盗強姦との話は着手すらしていない段階でしかなく,また,被告人は,被害者の居場所を突き止めるための行動を同月11日まではしているのだから,不自然さはない。④については,直ちに通報してしかるべきといえない上,被害者は結局その後シェルターに入り,かつ相談のため警察を訪れてもいる。⑤についても,被害者の負傷は「直ちに受診しなくとも十分考えられる程度」とされている上,被害者は,前記相談の際に警察官から言われた言葉で被害届の提出をやめたと説明している(被害者69頁)から,被害者が自発的に診察を受けず,かつ,警察官もそれを薦めなかったことに不自然さはない。なお,所論が⑥でいうとおり,原判決が,「被害者が娘に両名の関係が悪化するような金銭的負担を生じさせたとは認められない」とする点は,被害者自身も娘のカードを相当額利用していたとは認めていること(被害者49頁ないし51頁)に照らして疑問であり,また,「自傷行為等をしてまで娘に保護してもらう口実をつくろうとするのは考え難い」というのも,抽象的には,危急の状況における人間の行動として考え難いとまではいえない。しかし,既に述べた右下顎部及び右側頚部擦過傷の形状に加え,上腕圧迫による皮下出血その他様々な部位性状の複数の負傷が存在しているという受傷状況を考慮すれば,所論がいうような,狂言のための自傷行為によるものとは考え難い。所論はいずれも採用できない。
なお,弁護人は,被告人作成の書面を添付した控訴趣意補充書で,被害者供述とその余の証人らの供述との矛盾を主張するが,特段の矛盾は見受けられない。
以上のとおり,被害状況に関する被害者供述は,客観的状況とよく符合しており,内容面でも不自然・不合理な点はない。同供述の信用性を認めた原判決の判断は,正当である。

被告人供述の信用性
これに対し,被告人は,原審公判において,概要「被害者が被告人に
支給された保険金を無断で使い,被害者と関係のある暴力団周辺者への借金返済にあてるなどしたので,3月8日当日,自動車の中で,被害者に対し,被害者や同暴力団の会長及び同周辺者を泥棒扱いして侮辱する発言をし,また,同暴力団の関係者が違法な物を所持していることを通報するなどと言った上で別れ話をし,保険金を返すよう求めた。その際,被害者の胸ぐらをつかんだ手が被害者の体に当たった可能性はあるが,殴る等はしていない。Cに対して被害者をたたいた旨のメールを送信したのは,Cや前記暴力団の関係者などから,侮辱したことや通報すると言ったことが被害者を介して同暴力団の会長に知られれば大変なことになる,手が当たっただけでもたたいたことになるから,同会長の耳に入らないように暴行を認めて被害者に謝罪すべきと言われたので,Cが被害者に見せることも考えて,まずはたたいたことを謝罪するメールを送った」と供述する。
所論は,被告人の供述する経過の方が本件の経緯を整合的に説明できる,という。(控訴趣意書19頁)
しかし,被告人の原審供述には客観的な裏付けがない。所論のいう自傷行為では被害者の受傷状況が説明し難いこと,所論が整合的に説明できるとする経緯がいずれも本件暴行に関する供述の信用性に影響しないことは,既に述べたとおりである。また,Cに対するメールに関する説明も,「被告人から,被害者を叩いて車から降ろしてしまったが後悔している,と打ち明けられ,被害者の娘を介して連絡を取りたいが自分からの電話には出てくれないので,代わりに電話してほしい,と頼まれた」と同メールにつき自然に説明するCの供述と相反するだけでなく,メールの文言に整合しておらず,かつ,経過として不自然である。なお,所論は,Cには先輩であるD側に有利となるよう虚偽供述を行う動機がある,という(控訴趣意書17頁)が,本件やCらとの相談場面にDらが関わっていたことはうかがわれない。
所論はいずれも採用できず,被告人供述が信用し難いとする原判決の判断は正当である。

小結
以上のとおりであるから,信用できる被害者供述その他の関係証拠から,
暴行及び傷害の存在並びに暴行と傷害との因果関係を認定することができる。これらを認めた原判決に事実の誤認はない。
常習性について
原判決は,平成26年8月末頃,平成27年2月8日から9日にかけてという二つの機会における,被害者に対する被告人の傷害行為の存在を認定し,これらを根拠として本件傷害の常習性を認定しているところ,所論は,被告人がこれらの傷害行為をしていない,という。(控訴趣意書21頁)しかし,原判決も説示するとおり,そもそも被告人は,多数回の暴行を内容とする,3名に対する傷害罪及び1名に対する傷害致死罪等で懲役10年に処せられた前科(原審乙6),1名に対する,2度の機会における複数回の暴行による傷害罪での罰金前科(原審乙8),2名に対する常習暴行罪での服役前科(原審乙9)を各有し,これら前科は,いずれも交際中又は親密な関係にあった女性を被害者とするものであり,かつ,本件は,最終前科の執行終了から約3年8か月後のものである。本件行為とこれらの前科とを照らし合わせれば,被害者に対する本件以外の傷害行為の有無を個別に検討するまでもなく,被告人には,近しい女性を対象とする粗暴犯の常習性が認められる。
所論は採用できない。
2
よって,原判示第1の事実を認定した原判決の判断は,当裁判所も正当として是認することができる。
論旨は理由がない。

第3
1
原判示第2の1(火炎放射行為)に関する事実誤認(弁護人主張)論旨は,要するに,被告人は原判示の火炎放射行為をしていない(行為の存在),E(以下,「被害者」という場合は同人のこと。)は原判示の傷害を負っていない(傷害の存在),よって,これらを認めて傷害罪が成立するとした原判決には,判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある,というものである。
そこで,記録を調査して検討するに,火炎放射行為を目撃したとするF及びGの各原審供述が信用できるとして原判示傷害の事実を認定した原判決の結論は,当裁判所も正当として是認することができる。以下,所論に鑑み説明する。
2
F及びGの各原審供述
供述の概要
F及びGは,原判決も説示するとおり,原審公判において,被告人による火炎放射行為及び前後の経過につき,概要「5月17日昼頃に被告人宅に行ったが,玄関ドアが開くと,被害者が,向かって右手の壁を向いて土間に座っていた。被害者の頭部にはほぼ頭髪がなかった。その後,被告人とFで話をしていたが,些細な事を契機に被告人が被害者に対して怒り出し,被告人は,Fから100円ライターを受け取り,自らスプレー缶を手に取り,玄関とリビングの境目辺りから,立ったまま前かがみとなった姿勢で,土間に座ったままの被害者の背後から,その後頭部に向けスプレーを噴射しながらライターで点火して火炎を浴びせかける行為(火炎放射行為)に及んだ,これを見たFは,もっとやれなどと言った。被害者の後頭部に直線状の炎が当たり,においもし,被害者は弱い声で「熱い」などと言った。炎は約3秒間放射され,ボーという音を立てており,その後も更に2回,同様の音が約3秒間ずつ聞こえた。その後,被害者が風呂に入るなどしてから,被告人及び被害者らとともに,被告人の用事を果たすために外出した」と一致して供述する。また,Gは,火炎放射をされた際,被害者が手で後頭部をかばおうとしていたと供述する(なお,Fは,この点につき,後述のとおり,被告人や段差の影になっていたため手の動きは見えなかったと供述する。)。
原判決は,FとGの各原審供述が相互に信用性を高め合っており,衝撃的な出来事で記憶違いをするとも考えられず,かつ,被害者の死体遺棄事件について有罪判決が確定しているF,被告人とは当日が初対面であったGのいずれにも被告人に不利な虚偽供述をする動機がなく,また,そのようなGが被告人を陥れるためFと話を合わせるとは考え難い,として,両者の原審供述が信用できるとした。
しかし,死体遺棄事件につき共犯者であり,当然,被害者が死に至る経過についても関与を疑われたと想定されるFが,自己の罪責を回避・軽減する等の目的で被告人の加害行為に関する虚偽供述をし得る立場にあることは否定できず,当該遺棄事件の裁判が確定したからといって既にした虚偽供述を当然に覆すわけでもないから,Fには虚偽供述の動機があり得る。また,所論も指摘するとおり(控訴趣意書33頁),GはFの友人であり,他方で被告人とは関係性が薄いのだから,Fとの口裏合わせ等によってGが虚偽供述を行う可能性も否定できない。そして,そのような関係性のある両者の供述が基本的に一致しているからといって,相互に信用性を高め得るものではない。原判決が,これらを根拠としてF及びGの各供述に信用性を認めたことは不合理である。しかしながら,両者の供述は,以下で述べるとおり,被害者の遺体に存在した熱傷の状況と符合しており,特にその信用性に疑問を生じさせる点もないから,基本的に信用することができるのであって,その信用性を肯定した原判決の結論は,是認することができる。

被害者の遺体を司法解剖したX医師は,原審公判において,遺体に存在
していた熱傷の状態につき,概要「左の肩から左の上腕,前面から腋下にかけて,広範囲に3度以上の深い熱傷があった。右肩から右の前腕には,連続する,やや古い,そんなにひどくはない熱傷があった。後頭部にはうなじ周辺に広範囲の熱傷があり,うなじから左右の肩に連続しているが,その熱傷の程度の差から,肩の熱傷とは同一時期に生じたものではないと判断した。後頭部の熱傷は,表皮が剥離して,露出した真皮にまだ赤みがあって,その剥離面が完全には乾燥していないという状態なので,比較的新しいものであり,受傷時期は死亡の4,5日から1週間前程度。以上の熱傷の中では,後頭部の熱傷が一番新しい。他に,下肢と背中,両手に熱傷があった。背中は頭部と同じ程度で,1度から2度。両手は手背から指にかけて,2度から3度の熱傷が広範囲に生じていた。なお,これらの熱傷は火によるものと判断した」と供述している。また,同解剖時の写真から熱傷の状態を診断したY医師は,後述のとおり後頭部の熱傷がより古いものであるとの判断に立った上ではあるが,手の熱傷は他の熱傷より新しいものと判断できると原審公判で供述している。
Y医師は,後頭部の熱傷が死亡の10日ないし2週間以上前のものであると,X医師の診断と反する供述をするところ,所論は,X医師の専門が法医学である一方,Y医師の専門は皮膚科であり,かつ,X医師はその判断の根拠として表皮が剥離し,剥離面が乾燥していないことなどを理由とするが,Y医師は被害者の後頭部の熱傷に皮膚の剥離が認められないと明確に供述しており,これと反するX医師の供述は皮膚の状態に関する判断を誤っているから信用できない,という(控訴趣意書34頁)。しかし,まず,Y医師は,後頭部の表皮剥離の有無は写真では判別がつかなかったと述べているだけであり,Y医師が明確に否定しているのは表皮剥離とは異なる「皮膚の脱落」である(Y医師30頁)から,この点に関する所論は,誤解に基づいている。そして,後頭部熱傷の受傷時期に関するY医師の診断根拠は,耳部分の熱傷が10日ないし2週間以上前と判断でき,その際には後頭部にも熱傷を負ったはずであるところ,その後更に後頭部に熱傷を負ったか否かは写真上からは判断できない,というものである。すなわち,Y医師は,後頭部熱傷の状態自体から診断しているわけではなく,かつ,既に述べたとおり,同所の表皮剥離の有無すら写真では判別がつかなかったと述べている。Y医師の供述は,後頭部熱傷を直接確認し,その皮膚等の状態から受傷時期を診断したX医師の供述の信用性に疑問を生じさせるものとはいえない。

よって,被害者(後述のとおり,死亡推定日時は5月22日深夜から朝
方にかけて)の遺体には,うなじ周辺の広い範囲に,受傷時期を死亡の4,5日前から1週間前とする比較的新しい熱傷が存在し,両手にも比較的新しく,かつ程度の重い熱傷が存在したと認められるところ,これらの熱傷の状態は,同月17日に,被告人が被害者の後方から後頭部を目がけて火炎を放射し,被害者が手で後頭部をかばっていたというF(手の点を除く)及びGの各供述とよく符合している。最も新しい後頭部の熱傷は,被害者背面という部位や範囲,受傷時点で近接する部位に既に熱傷が存在していたとうかがえることに照らせば,そもそも自傷行為や火災その他の偶発的な出来事によって生じたものとは考え難いところ,このような特異な熱傷の状態と符合している点は,両者の供述の信用性を相当に高める。

所論は,両者の供述に矛盾や重大な齟齬があるとして,①被告人が火炎
放射行為をした理由についての齟齬(控訴趣意書24頁),②被告人がスプレーを取った場所についての齟齬(控訴趣意書25頁),③火炎放射行為をした際の被告人と被害者の位置の齟齬(控訴趣意書26頁),④両者の供述する炎の色の矛盾(控訴趣意書27頁),⑤火炎放射行為を受けていた際の被害者の手の動きについての齟齬(控訴趣意書28頁)を各指摘し,また,各供述内容について,⑥被害者が火炎放射を避けずに炎を浴び続けたというのは不合理である(控訴趣意書29頁),⑦供述どおりであれば被害者は後頭部に大熱傷を負っているのだから,風呂に入ったり外出したりはできないはずである(控訴趣意書30頁),⑧本件を目撃しながら,FやGがその後警察への通報や第三者への相談をしていないのは,不自然不合理である(控訴趣意書31頁),という。
そこで,まず,齟齬又は矛盾に関する所論を検討する。①については,被告人が些細な被害者の言動に立腹し,被害者を責めた上で火炎放射行為に及んだ点では両者の供述は一致しており,被告人が立腹し,被害者を責めた理由が異なっているのみである。そして,複数の理由で被告人が被害者を責め,FやGがその一部のみにつき記憶を維持していたとしても不自然でないから,原判決が説示するとおり,両者の供述する事実関係は併存し得る。②については,Fは,被告人が「玄関か階段か分からないんですけども,その辺にあった」スプレー缶を持ってきた,と大まかな範囲を述べているだけである(F23頁)。そして,前記階段とGの述べるタンス(G8頁)とは,壁を挟んで隣接している(原審甲165写真16)。両者の供述は齟齬していない。③については,両者の供述は,前記のとおり,被告人が,玄関とリビングの境目辺りから,リビング側に背を向けて玄関の土間に座ったままの被害者の後頭部目がけて火炎を放射した,という範囲で一致している。被告人の立ち位置について,表現上は「真後ろ」(F25頁),「真後ろじゃなかったと思う」「左,そんなにがっつりっちゅうか,そうですね。」(G37頁)と齟齬が生じているものの,前記一致点を踏まえれば,原判決が説示するとおり,客観的にはわずかな相違に過ぎない。FとGの目撃位置の違いや,行為中に被告人の移動があっても不思議でないことを踏まえれば,供述が一致して当然のものではない。なお,所論は,Gが供述中で自分の目撃位置を変遷させていることを踏まえればこの点はわずかな違いなどではない,という(控訴趣意書26頁)が,主尋問での同目撃位置に関する供述(被告人の立ち位置を基準とした自身の目撃位置を質問され,「左側ですか,左後ろ」と答えた。G14頁)が,その時点でG自身のその余の供述と既に齟齬し,かつ物理的に不可能なものであったこと,それにも関わらず,同供述の際には再確認も,写真や図面等を利用しての尋問もされていないことを踏まえれば,当初の同供述がGの誤解に基づくものであったと解するのが自然である。④については,キンチョールを用いた火炎噴射実験(原審甲167写真8)で,所論がいうような青色の炎ではなく,青とオレンジの入り混じった炎が発生している。本件で使用したとされるスプレーを客観的に特定することは不可能であるが,スプレーを用いた火炎放射行為の際に火炎が「青白い感じ」(F117頁)と「オレンジみたいな感じの色」(G11頁)の双方の色を含み得ること,その火炎の色を各自の印象に従って表現した場合に齟齬が生じ得ることは,原判決が説示するとおりである。⑤については,Fは,被害者が後頭部を手で隠すような動きがなかったと供述しているのではなく,被告人や段差の影になっていたため,自分からは位置的に被害者の手の動きが見えなかった,と供述しているに過ぎない(F89頁)から,G供述との齟齬や矛盾は存在しない。なお,Fの同供述は,被害者の後頭部に火炎が当たったとする場面に関してはFが具体的に供述していることに照らせば,直ちに信用できないが,同部分に関するG供述の信用性や,F供述とG供述が符合しているその余の部分の信用性には影響しない。よって,FとGの各供述には,その信用性に疑問を生じさせる齟齬や矛盾があるとはいえない。所論はいずれも採用できない。
続いて,各供述内容に関する所論を検討する。⑥について,両者の供述は,火炎放射行為に至るまで被害者が玄関の土間にずっと座っていたこと(なお,Fは被害者が正座していたと供述している。F20頁),その時点で,見える範囲でも被害者の身体に相当の負傷が存在し,痩せてもいた,すなわち,既に相応に衰弱していたことを前提としている。また,Fは,被害者が動いたことを被告人が責め,火炎放射行為に及んだと供述している(F23頁)。これら被害者の身体的,心理的な状況を踏まえれば,被害者が手でかばうなどだけで所論のいうような回避行動をしなかったからといって,不自然であるとはいえない。所論は,火炎放射行為後に被害者が入浴できている点を指摘するが,被害時に回避行動を採り得るかとは別問題である。なお,所論は,被害者がじっと動かず合計約9秒間にもわたって火炎放射行為を受け続けたとは考えられないともいうが,両者とも,2回目,3回目の火炎放射行為の際に被害者が動いていないとはそもそも供述していない(F27頁,28頁,G14頁ないし16頁)。⑦については,後述のとおり,客観的には後頭部を含めて多数の熱傷を負い,肺炎も相応に進行していたと推測される5月20日午後2時時点でも,被害者は自らの足で歩いている。そして,F及びGの各供述は,被告人が些細なことから被害者を責めて火炎放射行為に至り,被害者がそれに抵抗できない様子を述べるものである。被害者が,被告人の意向に沿って,入浴しかつ衰弱の様子を見せながらも(G18頁)外出したとして,不自然ではない。なお,所論は,被害者が受傷後に入浴したなら水が熱傷にしみて痛いなどの声をあげるはずであるのに,FもGもこの点について供述していない,ともいうが,被害者が被告人もいるリビング等に聞こえるような声で悲鳴をあげて当然ではない。⑧については,FやGの立場において,そもそも警察への通報や他者への相談をして当然ではない。所論はいずれも採用できない。

したがって,火炎放射行為に関するF及びGの各供述は,被害者の遺体
に存在した熱傷の状況と符合し,信用性に具体的な疑問を生じさせる点もないから,虚偽供述の動機等があり得る点を踏まえても,基本的に信用することができる。
3
なお,被害者の熱傷への関与を基本的に否定し,4月28日に被害者と会った際には既にほとんどのやけどが生じていた,手のやけどのみ5月16日に悪化に気づいた,とする被告人の原審供述は,被害者の後頭部熱傷の状況を説明できておらず,また,被告人方の捜索で,噴射口付近が茶褐色に変色したホーキンス防水スプレー,ガス噴射口付近が溶解し,ガスが空となり,炎調整レバーがプラス方向の最大に位置するなどした水色簡易ライター,着用者の後頭部に相当するフード部分の外側生地が広く焼損し,同部分の内側生地の一部及び右肩甲上部にも焼損のある灰色パーカー及び複数個所に焼損のあるピンク色フリースといった,被害者の熱傷のいずれかには関連していると推測される物品複数が発見された(原審甲165,166,H警察官の原審供述)こととも整合しない。F及びGの各供述と対立する被告人供述は信用性を欠き,両者の各供述の信用性に疑いを生じさせるものとはいえない。
4
したがって,信用できるF及びGの各供述,X医師の供述その他関係証拠から,火炎放射行為及びこれによる傷害の各存在を認定することができる。原判示第2の1の事実を認定した原判決の結論は,当裁判所も正当として是認することができる。なお,所論は,原判決が「全治不明の後頭部熱傷」と認定している点につき,特定として不十分である,傷害の構成要件事実たる傷害結果が証明されていないともいう(控訴趣意書35頁)が,傷害の存在と診断名が認定可能で治療期間のみ認定し得ない場合に「全治不明の」傷害を認定することは,傷害結果としての特定を欠くものではない。
論旨は理由がない。

第4
1
原判示第2の2の事実の審理に関する訴訟手続の法令違反(検察官主張)本件殺人の公訴事実(訴因変更後のもの)のうち,電気ポット殴打に関連する部分は「同月(平成27年5月)21日,福岡市東区a丁目b番c号のホテルI27号室において,全身熱傷に起因する肺炎等により衰弱し,そのまま放置すれば死亡する危険性の高い状態にあった被害者に対し,その頭部を電気ポットで多数回強打するなどの暴行を加えて,同人に急性硬膜下血腫等の傷害を負わせ,よって,同月22日頃,福岡県内又はその周辺において,同人を肺炎に急性硬膜下血腫を合併したことによる呼吸不全により死亡させて殺害した」というものである。
原判決は,同部分を火炎放射行為(第2の1)と分けて第2の2の事実とした。そして,同事実に関して,5月21日夜に被害者と会った際に頭部等の傷は右眉上部の一つしかなかったとするJの原審供述,右眉上部の創は他の創と状態が若干異なるなどとするZ医師の原審供述等を踏まえて,被害者の遺体の頭部及び顔面に存在した7つの創のうち右眉上部の創以外はJと被害者が会った以降に生じた疑いが残るとし,これを主たる根拠として証拠上認定できる電気ポットでの殴打行為を1回(原判示第2の2においては「少なくとも1回殴打」とされているが,行為の危険性の評価においては「1回」を前提としている。原判決18頁)と判断し,最終的に,被告人の殺意を否定して傷害致死罪の成立を認めた。
2
論旨は,そのような各創傷の発生機会,その前提としての部位及び状態,受傷時期は公判前整理手続段階で具体的な争点となっていなかったのだから,原審裁判所は,この点に重大な疑問を抱いたのであれば,容易に取調べが可能な客観証拠たる被害者の創傷の写真につき職権証拠調べを行うか,または検察官に追加立証を促すべきであった,これをしなかった原審の訴訟手続には審理不尽の違法がある,というものである。

3
しかし,創傷の性状や受傷時期に関する判断は専門知識に基づいてなされるものであり,裁判所が直接写真等で創傷等の客観的な状態を視覚的に確認することによって心証を形成するのは容易でない。だからこそ,専門家たる医師の証人尋問等が実施されるものであるところ,本件においては,創傷の性状等につきX医師及びZ医師という2名の医師の証人尋問が実施されている。当裁判所は,審理の便宜の観点から,前記7つの創以外も含む被害者遺体の頭部及び顔面に存在した負傷の痕等を確認するために,人証ではなく被害者遺体を被写体とする各写真(当審職1)の事実取調べを実施したが,原審においては,各医師の尋問において図等も駆使しながら丹念に質問することで,これら負傷痕の存在や状態といった客観的な事実,これらに関する各医師の見解をより的確に確認することが可能であった。そして,本件では殴打行為の存在,急性硬膜下血腫等の傷害との関係,行為の危険性の認識等が争いとなっていたのだから,写真で客観的に確認できる各創傷の存在自体は原審弁護人が争っていなくとも,その性状等の評価には当然に争いが存在していた。原審検察官にとっては,審理の当初から,前記客観的事実及び各医師の見解につき,適切に公判に顕出する必要性が存在していたのであって,審理の進展で新たにその必要性が生じたものではない。
そもそも,刑事裁判は証拠による認定によって行われ,検察官は,争点の有無を問わず,公訴事実について立証責任を負っている。原判決が根拠としたJの前記供述については,検察官請求の証人であることからも,原審検察官としては,立証方針に反する証言内容が出ることは想定できたはずであり,実際にそのような証言が主尋問で出現したにもかかわらず,漫然と尋問しており,弾劾する有効な手立てを講じないまま,弁護人の反対尋問や裁判官の補充質問によって塗り固められている。原審検察官には,立証活動に稚拙さや怠慢があるといえる。これは審理不尽以前の問題である。
したがって,原審裁判所には,創傷の写真を取り調べず,かつ,検察官に追加立証を促さなかった点について,審理を尽くさなかった違法は存在しない。論旨は理由がない。
第5
1
原判示第2の2の事実に関する事実誤認(双方主張)
弁護人の論旨は,要するに,被害者が5月21日時点で「治療を受けなければ死亡する危険性が高い状態」に至っていたことには合理的な疑いが残る(被害者の客観的状態),被告人は被害者を電気ポットで殴打していない(暴行の存在),被害者の急性硬膜下血腫は別の理由により生じた可能性がある(因果関係の有無),よって,被告人が電気ポットで殴打し,これにより急性硬膜下血腫を生じ,被害者が死に至ったとして傷害致死罪の成立を肯定した原判決には,判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある,というのである。また,検察官の論旨は,電気ポットによる少なくとも約7回の殴打行為の存在が認められ(暴行の回数),また,1回であったとしても被害者の状態を前提とすれば人を死亡させる危険性を有する行為と認定すべきものであり(行為の危険性),かつ,被告人が被害者の状態を前提とした行為の危険性を認識していたことも明らかである(危険性の認識)から,殴打行為を1回と認定し,かつ,危険性の認識も否定して,被告人の殺意が認定できないとの理由で殺人罪の成立を否定した原判決には,判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある,というのである。
そこで記録を調査し,当審における事実取調べの結果も踏まえて検討すると,原判決が,被告人による電気ポット殴打行為が存在したと認めたこと及び同殴打行為と急性硬膜下血腫等の傷害,ひいては死亡結果との因果関係を認めたことについては,その結論において正当として是認することができるが,殴打行為を1回と認定したこと,行為の危険性の認識を否定したこと,これらを前提に殺意が認定できないとしたことについては,論理則,経験則等に照らして不合理というほかなく,原判決は破棄を免れない。以下,所論に鑑み説明する。2
事実関係
被害者の状態と死亡に至るまでの経過に関しては,関係証拠から以下の事実が容易に認定できる。
被害者は,3月初旬の時点では,体重が約45kgで,少し足に問題を抱えていて歩くのが遅いことはあったが,見て分かるような怪我は身体に存在しておらず,その余の健康上の問題もなかった。(Kの原審供述)
被告人と被害者は,3月頃以降,頻繁に行動を共にするようになった。被告人とFの間では,LINEで以下のメッセージのやりとりがあった。5月16日夜,被告人「でも,あのやけどはやばい」,F「蛸部屋に持って行ってもヤバイん?」,被告人「あの火傷じゃむり」(原審甲147)被告人「何かいい知恵かして!このままなら,殺してしまう。昨日から,火をつけて火傷が酷くなった」,F「更に火傷させたらどうもできんやん!山に埋めたがいいんやない?」(原審甲148)
同月22日夜,被告人「もーダメや」「L(被告人の娘の愛称)と二人で死ぬつもり」(原審甲150)
被告人と知人であるMとの間では,LINEで以下のメッセージのやり取りがあった。
5月16日午後,被告人「俺は現社会から居なくなるかもしれません」「いつ捕まるか分からない状態!」「何年間か刑務所に行くと思う」(原審甲153)
同月21日午後4時42分,被告人「Mに会えなくなる」「つかまる」「今日」「傷害」
同日午後7時9分,被告人「このままなら死ぬよあいて」,M「相手を決して殺さないでね!どんな相手でも死なせたらV(被告人)がもっと状況悪くなる」(原審甲153)
被告人と被害者,被告人の娘は,5月20日未明,偶然道端で会った通行人Nの案内でホテルOに到着し,同所に宿泊して同日午後2時頃にチェックアウトした。(原審甲170,Nの原審供述)
被告人と被害者,被告人の娘は,同日午後3時29分頃,福岡市東区所在のホテルI27号室に入室し,被告人のみがその後1時間以内に外出し,同日午後10時47分頃,再度入室した。被告人の知人であるJ及びその兄のPは,同月21日午後9時15分福岡到着のタクシーを利用して同ホテルを訪れ,被告人と共に被害者を同室から運び出した。同室の利用終了日時は同月22日午前零時頃である。(原審甲162,Jの原審供述)
5月26日に実施されたホテルI27号室の検証では,同室内ベッド南西側マットレス上,同ベッドとベッド脇壁の間の床,同ベッド南側(枕側)と接しているカウンターの側面西側にかけて,ルミノール化学発光試験で陽性反応が得られた。また,同ベッド枠の北側1か所,西側4か所,同カウンター側面床から約4cmないし約24cmに3か所,被害者の血痕の付着が確認された。(原審甲163)
なお,同室は,被告人利用終了後検証前に,ホテル従業員が掃除や片づけをし,壁やベッド枠に付着した血を拭くなどもしている。(Qの原審供述)本件で用いられたと検察官が主張する電気ポットは,5月22日に不燃ごみとして廃棄され,同月24日,ごみ処理場において,クレーンを用いたごみの引き上げ捜索の結果,破れたビニール袋に入った状態で発見された。同ポットの重量は約1.14kgであり,発見時には,①取手右側面の上部1か所,②注ぎ口下1か所,③取手左側側面の上部注ぎ口側に1か所,④同側面上部取手側に1か所,⑤底部に1か所(原審甲162では2か所とされているが,本件ポット〔原審甲119〕から明確に識別できるのは1か所のみである)の計5か所に凹損があった。いずれの凹損にも血痕が付着しており,②及び⑤の血痕のDNA型は被害者のものと完全に一致,③の血痕は2座位につき「不詳」だがその余は完全に一致,①と④の血痕は十分なDNA量が得られず鑑定できなかった。(原審甲162,163)
3
被害者の遺体の状態に関するX医師の原審供述
X医師は,既に述べた点を除く被害者の遺体の状態について,概要,以下の
とおり供述した。
頭部の負傷状況(熱傷を除く)
「挫裂創が,左右の側頭部に1つずつ,前額部に2つ,左右の眉毛に1つずつ,左眉毛下に1つの合計7つ存在した。いずれの創もほぼ同一の性状で,創縁及び創端が挫砕され,創底は一部帽状腱膜に,あるいは一部骨に達していた。出血を伴っていた。治癒機転が全く働いていないため,新しいものと判断した。なお,口にも大きな挫創が3つあった」
想定される成傷器等
「7つの挫裂創の状態に照らすと,成傷器は,表面が滑らかで比較的固く,かつ稜(角ばった箇所が長く続いているところ)がある鈍体と推測される。さらに,右側頭部の創は前方に湾曲しているから,曲部に稜をもったものと考えられる。本件ポットであれば,注ぎ口や底部が当たってできたとすると矛盾しない。創の数から,7回は打撃が作用したことになるが,前額部の創はほぼ並んでいるので,突出部が2つあれば1回の打撃でもできる。創のでき方が法医学的に同一であるから,同じ時期に同じ鈍器でできたと考えるのが妥当である。なお,本件ポットの側面で殴打したり,平面体にぶつかったりでは,これらの創は生じない」
硬膜下血腫とその発生機序
「右大脳半球に約20gの硬膜下血腫が存在していた。血腫が若干かたまりかけていたので,超急性ではなく急性,死亡の時期からおおむね1日以内にできたものと解される。頭部に前記損傷があることを考えると,それらと一緒にできたと考えるのが一般的である。なお,対側には,脳挫傷や血腫状の出血など,転倒であれば生じるであろう所見がなかった」
負傷以外の被害者の状態
「被害者には,気管支肺炎から大葉性肺炎に移行する重篤な肺炎があり,応分に胸水も貯まっていてそれなりの呼吸抑制があったとうかがえる。その状態からは,死亡の1週間程度前の発症が一番考えやすい。機序としては,熱傷からの感染と誤嚥が併発していると思われる。また,一般的には成人で35kgをきったらものすごく痩せといえるところ,被害者の体重は33.7kgであり,非常に痩せた状態であった。皮下脂肪がとても薄く,腸管も長時間にわたって固形物をとっていないような状態。なお,2か月程度で10kg以上の体重変化があったとすれば,急激な栄養状態の悪化があったことになるから,免疫力も抵抗力もかなり低下していたといえる。大葉性肺炎にまで悪化したのは死亡の1日ないし2日前であるが,この頃には治療無しに回復することは困難な状態となっており,放置していたら肺炎で亡くなっていたと思われる」死因等
「死因は,肺炎に急性硬膜下血腫が合併したことによる呼吸不全。硬膜下血腫のみでは最低80g程度なければ通常は死に至らず,肺炎のみを直接死因とするのも悩みが生じる。しかし,肺炎と胸水によって呼吸状態が悪化していた被害者が,急性硬膜下血腫によって更に呼吸機能を阻害された場合には,死亡するに十分と判断した。なお,急死を思わせる所見はなく,徐々に弱って亡くなったことも間違いない。死亡推定日時は5月22日午前零時50分頃を中心として,深夜から朝方の間である」
4
暴行の存在(弁護人主張)と回数(検察官主張),因果関係
原判決は,まず,前記のとおり,被害者の遺体の頭部及び顔面に存在した7つの挫裂創につき,J及びZ医師の各供述等に照らせば右眉上の1つとその余の6つの受傷時期や原因が異なるとみる余地があるとし,ホテルI退出時点で右眉上部の創は存在していたと認められるが,Jと別れた後被害者が廃屋となったホテルに運び込まれ,放置されていた可能性があることを考え併せれば,その余の6つの創は同時点で存在せず,その後死亡までの間に何らかの原因で生じた疑いが残る,とした。次に,被告人と5月23日に会った際,被害者の頭をポットで叩き,血が出た旨の話を聞いた,とするDの供述を検討し,同月21日に被告人と電話した際,シーツが血だらけである,女を殴った旨の話をされた,とするMの供述や,傷害で捕まるなどのMに対するメールなどと整合し,信用できる,とし,Dの供述する被告人の発言に,右眉上の創が本件ポットと整合することなどを合わせ考慮すれば,被告人が被害者の右眉上部付近を本件ポットで少なくとも1回殴打する暴行を加えたと認められる,とした。さらに,被害者の硬膜下血腫が内因性又は転倒によるものではないとするX医師の供述の信用性を肯定し,硬膜下血腫が生じていた位置等も踏まえて,ポットでの殴打行為と急性硬膜下血腫との因果関係を認めた。
検察官の所論は,原判決が「X医師は(中略)受傷時期や原因が異なる可能性も否定はしないが」(原判決13頁)と説示する点につき,X医師は7つの挫裂創の受傷時期や原因が異なる可能性について明確に否定しており,原判決はX医師の供述を曲解していると指摘する(検察官作成の控訴趣意書5頁)。そして,本件ポットやホテルI27号室の状況に関する客観的証拠は,それ自体から被害者に本件ポットを凶器とした複数回の攻撃が加えられたと推認可能なものである上,X医師の前記供述とも整合するから,本件ポットによる少なくとも7回の殴打行為があったと認定できるのに,これらの客観的証拠について全く検討を加えずに殴打行為を1回と認めた原判決の判断は,論理則,経験則等に反する,という(同7頁)。さらに,原判決が右眉上部の挫裂創とその余の6つの挫裂創の受傷時期が異なる可能性が残るとした点については,J及びZ医師の各供述の証明力を誤り(同10頁,13頁),かつ,6つの創が被告人及び原審弁護人も主張していなかった「何らかの原因」で別に生じたという抽象的な可能性を過大評価している,という(同15頁)。
これに対し,弁護人の所論は,ホテルI退出時点では右眉上部の挫裂創のみが存在していた(との合理的な疑いを否定できない)との原判決の認定事実を前提として,同挫裂創は,その受傷時期や発生機序に照らせば転倒等によって生じた可能性が高く(弁護人ら作成の控訴趣意書46頁),かつ,Dらの供述も信用できない(同38頁)から,本件ポットでの殴打行為は認定できない,という。そして,被害者の急性硬膜下血腫も転倒等によって生じた可能性があるから,殴打行為と急性硬膜下血腫との間に因果関係が認められない,ともいう(同49頁)。
挫裂創の受傷時期等の異同

まず,7つの挫裂創の受傷時期等について検討する。検察官が指摘する
とおり,X医師は,これらが法医学的に同一の性状を有しており,同時期に同一機序で生じたと解するのが妥当であるとした上で,一つの挫裂創だけを見れば転倒等で生じたとも考え得るが,7つの挫裂創の全部又は一部が転倒等によるとは考え難い,と供述しており(X医師64頁,65頁),受傷時期や原因が異なる可能性を基本的には否定しているとみるべきである。
これに対して,Z医師は,右眉上部の創のみ他の創と状態が異なると述べるところ,原判決は,同供述につき「断定を避け感覚として述べるにとどまるが,相応に合理的な理由を説明しつつ述べるもの」と評価する。しかし,同供述は,そもそも「同じと最初は思ったが,一つ違うんじゃないかなと言われたらそうかもという感じ」「みんな一緒と言われたらそんなもんかなという感じ」(Z医師6頁)という程度のごく曖昧なものである。Z医師の供述が写真からのものであることも踏まえれば,創の状態を直接確認したX医師の前記供述に疑問を生じさせるものとはいい難い。
したがって,具体的な事実経過から疑いが生じない限り,7つの挫裂創は,同時期に同一機序で生じたと考えるべきものである。

また,原判決は,前記のとおり,創の状態と,被害者が旧「ホテルR」
敷地内に運ばれて死亡の前後を通じて放置されていた可能性があることを併せ考えると,右眉上部以外の6つの創がホテルI退出後被害者死亡までの間に何らかの原因で生じた疑いが残る,とする。しかし,検察官が指摘するとおり(検察官作成の控訴趣意書15頁),ホテルI退出後にこれらの創が生じたことを示す証拠も,退出後の自傷行為や被告人以外の者による暴行をうかがわせる事情も,原審公判では述べていなかった,被害者のトートバッグに関する被告人の当審供述を除き,いずれも存在しない。そして,これらの創は,右眉上部の創に関するX医師とZ医師の対立点を度外視しても,右眉上部の創と相当に類似した性状のものであり,かつ,想定される成傷器の形状も比較的特徴的であるところ,そのような共通の性状を有する,かつ,両側頭部及び前額部,左眉毛下など広い範囲に散らばった6つの創を生じる原因は,相当に限定される。例えば固い物体に誤ってぶつけたなどの偶発的な原因でこれら全てが生じるとは考え難いのであって,被害者が廃屋の廃材の中に放置されていた可能性のあることは,ホテルI退出後にこれら6つの創が別途生じた疑いを示す事情ではない。被害者の死亡推定日時が5月22日の深夜から朝方にかけてであり,ホテルI退出から比較的短時間で死に至ったと考えられることも踏まえれば,その疑いはより小さなものとなる。すなわち,これらがホテルI退出後に生じた可能性は客観的にみて相当に低く,かつ,その可能性を示す証拠は,被告人の原審及び当審における供述を除けば,J供述しかない。

そこで,J供述について検討する。Jは,被害者らとホテルIを退出す
るまでの間,ベッドに横たわってた被害者の姿を見,ガウンを着せ,帽子をかぶせてやるなどする中で被害者の頭部等を見たが,右眉上辺りの小さな傷の他は頭部等に傷はなかったと思う旨を供述する。そして,原判決は,Z医師が7つの創につき一瞥で分かると思うと供述している(Z医師38頁)ことを踏まえ,その信用性を肯定する。しかし,7つの挫裂創の長さは,右眉上のものが約1.7cm,それ以外はより短く,最も短いものは約0.6cmであり,幅も狭かった(Z医師7頁,当審職1写真109ないし119,127)のであって,相当に小さいものである。そして,被害者遺体の頭部及び顔面には広く表皮の剥離や変色が存在していたと認められる(当審職1写真109ないし112等)ところ,被害者の顔がやけどを負ったようにただれていたとJ及びPが供述し(J11頁,P15頁)

Nも,被害者の顔を見た際,鼻

のてっぺんや目元に小豆位の大きさのかさぶたのような傷がたくさんあったと供述した(N12頁,13頁)ことを踏まえれば,被害者の顔面から頭部には,Jが同所を見た時点で相当の負傷痕が存在していたと認められる。これらの客観的事情に,傷より顔のやけどの方が気になったとJ自身が述べている(J41頁)ことをも考慮すれば,検察官が指摘するとおり,仮に右眉上部以外の挫裂創がこの時点で存在していても,熱傷やこれを含めた全体的な負傷状況にJの意識が行き,これらの挫裂創に気が付かなかった,又は印象に残らず記憶が維持されなかった可能性が十分に考えられる。Z医師の前記供述は,医師である自分と一般人とのいずれを基準としたものか,被害者頭部等のその余の受傷状況を前提としたものかすら明確でなく,Jの見落とし等を否定する根拠とはなり難い。Jの供述は,認識及び記憶の観点から,創の存在に関する部分と不存在に関する部分の信用性を同一に評価することができないものであり,後者については信用性が低い。なお,被告人は,当審において,被害者の傷の有無をJと一緒に意図的に確認したと供述するが,Jの供述に反している(J34頁,39頁)上,被告人自身も原審公判でそのように供述していない。被告人の前記当審供述は信用できない。

結局,原判決は,創の状態に関して本来相容れないX医師及びZ医師の
各供述の信用性を適切に検討することなく,不相当な要約によって最大公約数的に創の性状を導き出し,かつ,その創の性状の意味に関しても十分に検討することなく,認識及び記憶の観点から信を置き難い創の不存在に関するJ供述の信用性を肯定して,右眉上部以外の創がホテルI退出後に生じた疑いが残るとしている。しかし,その疑いは検察官が指摘するとおり抽象的なものにとどまるというべきであり,この点に関する原判決の判断は,不合理である。これまで検討した点を踏まえれば,ホテルI退出の時点で,被害者が7つの挫裂創のいずれをも既に負っていたと認められ,原判決には事実誤認がある。この点に関する検察官の所論には,理由がある。
暴行の存在と回数
そして,既に述べたとおり,基本的に同時期に同一機序により生じたと解され,かつ,頭部の広い範囲に分布しているという7つの挫裂創の性状のみからも,これらの創が他者の繰り返しの暴行によって生じたものとうかがえるところ,その性状は,本件ポット底面や注ぎ口で創傷されたものとして整合する。また,本件ポットには底面を含む5か所に凹損があり,凹損部分のいずれにも血痕が付着し,かつ,その一部は被害者のものであると認められるところ,少なくとも一部の凹損及び血痕付着が本件ポット投棄前に存在していたことについては,J及びホテル従業員の各供述(J16頁,Q10頁)が一致している。さらに,ホテルI27号室内のカウンターとベッドの周辺で被害者が相応量の出血をしたことも認められる。被害者ら入室後,J到着前にホテルI27号室に立ち入ったのは,被告人,被害者,幼い被告人の娘のみであるところ,これらの客観的事実のみからでも,被害者に対し,本件ポットを成傷器として,少なくとも7回(なお,本件ポットの形状を踏まえれば,1回の殴打行為で複数の挫裂創が生じたとは考え難い。)の暴行が加えられたこと,行為者が被告人であることを,相当に推認し得る。なお,弁護人は,被告人がホテルIに戻ったばかりの5月20日午後10時47分頃に,血が布団についている,誰か入ったかと同ホテル従業員に電話をかけている(S6頁)から,出血はそれ以前,被告人外出中の出来事である,という。しかし,前記電話の存在から被害者の出血がそれ以前のもののみに限られるわけではない。硬膜下血腫の形成時期が死亡のおおむね1日以内とされていること,ホテル従業員が,被告人ら退出後に立ち入った際,部屋全体から血臭がしたと述べている(Q7頁)ことなども踏まえれば,弁護人の主張するような疑いは生じない。
また

Mに対し,5月21日午後5時前に

「つかまる」「傷害」などの,同日午後7時過ぎに「このままなら死ぬよあいて」などのメッセージを,Fに対し,同月22日夜に,娘と一緒に死ぬ旨のメッセージを,それぞれ送信している。さらに,Mは,前記メッセージの間の電話で,被告人から,シーツが血だらけである旨や女を殴った旨を聞いたと供述し(M8頁,9頁),Fは,前記メッセージの後の電話で,被告人から,被害者のせいでポットが壊れた,シーツに血がついた,動かなくなったなどと聞いたと供述し(F35頁,100頁,101頁),Dは,5月23日に会った際,被告人から,ポットで被害者の頭をたたいたら血が出て倒れた旨の話を聞いたと供述する(D10頁)。以上のメッセージや各供述は,被告人が本件ポットで被害者を殴打して傷害を負わせた,との事実を前提とすると統一的かつ整合的に理解できるものであり,同事実の存在を裏付けている。弁護人は,被告人がDだけに「ポットでたたいた」ことを言うのは不合理である,という(弁護人ら作成の控訴趣意書45頁)が,別の機会における被告人の発言が前記の程度で異なっていたからといって,不合理ではない。また,弁護人は,Dが捜査の当初は前記の供述をしておらず,同供述に至った合理的な理由がないからDの供述は信用できない,という(同43頁)が,Dは自分の保身と被告人をかばうという二つの理由から最初は供述しなかったと説明しており,被告人による具体的な暴行を示唆する部分を隠した理由として,不合理でない。弁護人は,さらに,Dに虚偽供述の動機がある(同41頁),Mに対するメッセージは趣旨が異なる(同39頁),発言はMが勘違いした可能性がある(同40頁)などと主張するが,互いに整合的に理解できる前記メッセージ及び被告人の発言について,その存在や趣旨等に疑問を生じさせるものではない。
以上の点を考慮すれば,被告人が,5月21日頃,本件電気ポットで被害者の頭部を少なくとも7回,すなわち公訴事実のとおり「多数回」殴打したと認められ,また,その一部は本件ポットに凹損を生じさせる程度の強度であったと認められる。弁護人は,本件挫裂創につき転倒等でカウンター角にぶつけるなどして生じた可能性が十分に考えられるという(同47頁)が,その主張はあくまで挫裂創が1つの場合を前提とする。共通の性状を有し,かつ広範囲に存在する7つの挫裂創又はその一部が転倒等によって生じた可能性は低い。なお,弁護人は,被告人又は被害者の一部の言動が被告人による殴打行為の不存在を裏付けているともいう(同45頁,控訴趣意補充書添付書面5頁)が,いずれの言動も殴打行為の不存在をうかがわせるものとはいえない。弁護人の所論はいずれも採用できない。
因果関係
本件挫裂創は被告人による本件ポットでの多数回の殴打行為により生じたものと認められ,その部位に照らせば,急性硬膜下血腫は同殴打行為を原因として生じたものと解するのが自然であり,他方,そのほかに被害者の頭部に衝撃が加わったことをうかがわせる痕跡はないから,同殴打行為によって急性硬膜下血腫が生じ,ひいては被害者が死亡するに至ったことも認められる。弁護人の所論(弁護人ら作成の控訴趣意書48頁)は,挫裂創に関する異なる認定を前提としてなお転倒等により急性硬膜下血腫が生じた可能性を否定する原判決を論難するもので,採用できない。なお,弁護人は,被告人作成の書面を添付した控訴趣意補充書2で,控訴趣意書に主張のない被害者の死因に関する疑義をるる主張するが,そのうち急性硬膜下血腫の寄与の程度に関する部分は,X医師供述の曲解に基づくか,特定の検査をしていない,又は鑑定書に記載がないこと自体を批判するものであり,死因に関するX医師供述の信用性に疑問を生じさせるものではない。信用できるX医師の供述に照らせば,急性硬膜下血腫が少なくとも被害者の死期を早めていること,すなわち死因の一つとなったことが認められる。また,被害者の劣悪な栄養状態が死の結果に影響した程度に関する部分は,後に検討する点を除き,そのような状態にあった被害者に対する加害行為が殺人罪に問われている本件において,犯罪の成否に影響しない。
小結
以上のとおりであるから,被告人が被害者の頭部を本件ポットで多数回殴打して急性硬膜下血腫を負わせ,死亡させたことが認められる。
5
行為の危険性及びその被告人の認識
原判決の判断構造
原判決は,全身熱傷からの感染により発症した被害者の肺炎が,死亡の1ないし2日前には重篤な大葉性肺炎に悪化し,治療を受けなければ死亡する危険性の高い状態となったこと,被害者が死亡直前には栄養状態の悪化により免疫力や抵抗力がかなり低下した状態にあったことを認め,被害者が21日当時においても全身熱傷に起因する肺炎等により衰弱し,放置されると死亡する危険性の高い状態にあったと認めた。そして,本件電気ポットで頭部を1回殴打する暴行は一定の危険性を有する行為ではあるが,それ自体が人を死亡させる危険性の高い行為であるとは認められない,よって,被告人の殺意を肯定するには,被告人が,被害者がその程度の暴行によって死に至るほどに危険な状態であったことを認識していたと認められる必要がある,とした上で,ホテルOからチェックアウトした際の被害者の様子,ホテルI従業員が供述した同ホテル入室時の被害者の様子,被告人が当時3歳の娘を被害者とともに同ホテルに残し,約6時間にわたって外出していることを考慮すれば,被害者がそのように危険な状態であったことにつき被告人が認識していたと認めるには合理的な疑いが残る,として被告人の殺意を否定した。
被害者の客観的状態
弁護人の所論は,ホテルOチェックアウト時の被害者の様子に照らせば,5月21日に「治療を受けなければ死亡する危険性の高い状態」にまで至っていたという点には合理的な疑いがある,栄養状態の悪化の程度,免疫力や抵抗力の程度も必ずしも明らかでない,という(弁護人ら作成の控訴趣意書36頁)。しかし,原判決が説示するとおり,被害者の全身には多数の熱傷が存在しており,また,被害者の肺炎は,X医師の供述から,同日時点で重篤な大葉性肺炎に悪化していたことが認められる。X医師が,低体重のみならず,皮下脂肪及び腸管の状態,体重減少が急激なものであったこと等も踏まえた上で,被害者の免疫力や抵抗力がかなり低下していたとする点も合理的である。被害者が最終的に同月22日深夜から朝方にかけて,多量とはいえない硬膜下血腫と肺炎との合併で死亡していることも踏まえれば,同月21日には,既に,被害者は肺炎等により衰弱し,治療せずに放置されると死亡する危険性の高い状態にあったと認められる。なお,ホテルOの防犯カメラ映像における被害者の様子を検討すると,原判決が説示するとおり,明らかに息苦しさや衰弱を示す様子はうかがえない。しかし,同映像は,被害者がエレベーターから出てすぐのソファに座り,チェックアウト手続が終わるまでの約5分間,ほぼ同じ姿勢で座り続け,その後,先行する被告人及びその娘を追って歩きでホテルを出ていくというもので,歩く姿が映っているのは十数秒間であり,厚着をし,表情等もマスクや目深にかぶった帽子等で完全に隠れているから,この時点で歩くことが可能な状態であったという以上に,息苦しさや衰弱がなかったことをうかがわせるものでもない。この点に関する原判決の判断に,事実の誤認はない。そして,原判決で説示されていないが,検察官も指摘するとおり(検察官作成の控訴趣意書18頁),健康体の成人に対する暴行と高齢者、幼児や病人に対する暴行とでは,被るダメージに違いが生じることは明らかである。被害者は,暴行を受けた場合,健康体の成人女性と比べてダメージを受けやすく,その態様自体から生命の危険を感じるほどのものでない行為であったとしても,生命の危険を招く脆弱な状態にあったと考えられる。
行為の危険性及びこれに関する被告人の認識

前記4

重量1.14kgの本件ポットで

被害者の頭部を少なくとも7回殴打したというものであり,その一部は本件ポットに凹損を生じさせる程度の強度であったと認められる。前記被害者の対暴行に脆弱な客観的状態と併せて考えれば,被告人の暴行は,客観的には,人を死亡させる危険性が十分にある行為であったと認められる。原判決は実際に生じた硬膜下血腫の程度につき説示する(原判決18頁)が,検察官が指摘するとおり(検察官作成の控訴趣意書17頁),行為の強度と硬膜下血腫の大きさは当然に相関するものではない。なお,原判決が明示的に説示しているのは行為自体の危険性のみであるが,原審としては,被告人の認識を検討するのに先立って,被害者の状態も踏まえた上での暴行の客観的危険性を具体的に検討すべきであった。

そして,行為の危険性に関する被告人の認識を否定した原判決は,論理
則,経験則等に照らし不合理であり,是認することができない。すなわち,原判決は,軽い暴行態様の認定及びその危険性評価を前提に,同程度にとどまる暴行によって死に至るほどに危険な状態であったことの認識を要求している。しかし,本件暴行の危険性は相応に高く,これにより急性硬膜下血腫を生じたことも,衰弱し,重篤な肺炎に罹患して対暴行に脆弱な状態に陥っていた被害者が死に至ったことも,例外的な事態とは解されない。そして,被告人は,従前から被害者と行動を共にしており,被害者の傷の具合や栄養状態の悪さ,衰弱状態やその変化について把握できる立場にあった。被害者の脆弱状態との相関関係において,本件のような危険な暴行に及んだ被告人は,被害者の客観的な状態に関する認識を有していることにつき疑いを抱かせるような事情が無い限り,自己の行為が人を死亡させる危険性の高い行為であることを認識していたというべきである。
更に検察官の所論に鑑み検討するに,検察官が指摘するとおり(検察官作成の控訴趣意書26頁),被害者の熱傷の状況及び痩せの状態は客観的に見て外観上明らかであったといえる。肺炎の重篤さも,呼吸状態等に現れていたとうかがえ,病名や状況の詳細は不明であっても,重い呼吸障害を抱えているとの推察は可能である。ホテルO到着前後の被害者について,概要「肌を隠す服装をしていたが見える範囲でも複数の負傷があり,かつ,肩で息をして足元もおぼつかない様子であった,命に関わることだからと,病院に連れて行くなどするよう被告人に対して繰り返し薦めた」とする,通行中に被告人及び被害者と出会ったNの供述は,これらを裏付けている。被害者と頻繁に行動を共にしていた被告人は,被害者の状態が被告人の行為を原因とするかにつき検討するまでもなく,その状態の悪さを認識していたと基本的に推認できる。また,被告人が5月16日時点でFに送った「あのやけどはやばい」「このままなら,殺してしまう」等のメッセージ,Mに送った「俺は現社会から居なくなるかもしれません」「何年間か刑務所に行くと思う」等のメッセージは,同日時点で既に被害者が熱傷等によって相当に危険な状態にあると被告人が認識していたことをうかがわせるところ,被告人は,その翌日である同月17日に本件火炎放射行為に及び,被害者に更に後頭部熱傷を負わせている。そして,この後,肺炎の悪化等,状態の更なる悪化を認識させる事情はあっても,医師の治療を受けたなど状態の好転につながる事情の存在はうかがわれない。これらの事情は,いずれも同月21日時点における被害者の客観的な状態の悪さに関する被告人の認識を裏付けるものというべきところ,原判決は,これらに検討を加えていない。
他方,原判決が根拠とする点のうち,ホテルOチェックアウト時の様子は,既に検討したとおり,この時点で客観的に被害者が歩ける状態にあったこと以上を示すものではなく,入室時の様子に関するホテルI従業員の供述は,検察官が指摘するとおり(検察官作成の控訴趣意書29頁),被害者が一人で立っている場面をモニター越しに見た,というものでしかない(S9頁ないし14頁)。さらに,被告人が当時3歳の娘を置いて約6時間外出した点については,被告人自身当初は1,2時間の予定だったと説明している(第16回被告人124頁)上,ホテルI27号室はフロントに連絡して解錠する方式(S2頁)であって娘が勝手に外出してしまう危険性等まではなかったから,被害者の状態を度外視して被告人が行動した可能性が相応にある。同事実のみでは,被害者の状態に関する被告人の認識がうかがれるとは言い難い。
結局,原判決は,暴行に関する不合理な判断を前提に高い水準の被告人の認識を要求した上,被害者の21日時点での客観的状態及びそれまでの経過から被告人が被害者の状態の悪さを認識していたと推認できるにもかかわらず,これらの要素につき検討を加えることなく,消極的推認力の乏しい事実を根拠として被告人の認識を否定しているのであって,不合理というほかない。ウ
以上のとおりであるから,被告人は,被害者を死に至らしめる危険性が
あると認識しながら本件暴行に及んだものであると基本的に推認できる。他方,被害者が死亡するに至るまで,生命の危機に瀕していた被害者の状態に被告人が配慮した様子は,客観的にうかがわれない。被告人には,被害者の生命に対する冷淡な態度がうかがえる。被告人が被害者の死を意欲していたとまではいい難いものの,少なくとも,被告人は殺意を有していたと認めることができる。これを否定した原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があり,破棄を免れない。
弁護人の論旨は理由がないが,検察官の論旨は理由がある。
第6

破棄自判
よって,原判示第3に関する弁護人の事実誤認の控訴趣意並びに検察官及び弁護人の量刑不当の控訴趣意に対する各判断を省略し,刑訴法397条1項,382条により原判決を破棄し,同法400条ただし書を適用して,被告事件について更に次のとおり判決する。

(原判決が認定した罪となるべき事実に代えて当裁判所が新たに認定した罪となるべき事実)
被告人は
第1
1
常習として
平成27年3月8日頃,福岡市東区d丁目e番f号のT店付近を走行中の自動車内及び同店駐車場に駐車中の自動車内において,交際していたA(当時50歳)に対し,その顔面を拳や手の平で殴り,左上腕をつねるなどの暴行を加え,よって,同人に加療約1週間を要する左顔面打撲,右下顎部及び右側頚部擦過傷並びに左上腕圧迫による皮下出血等の傷害を負わせ

2
同年5月17日頃,福岡県田川市g町h番i号の被告人方において,E(当時41歳)に対し,噴射した可燃性スプレーにライターで点火し,その火炎を同人の後頭部に浴びせかける暴行を加え,よって,同人に全治不明の後頭部熱傷の傷害を負わせ
第2

同月21日頃,福岡市東区a丁目b番c号のホテルI27号室において,全身熱傷に起因する肺炎等により衰弱し,そのまま治療せずに放置すれば死亡する危険性の高い脆弱な状態にあったEに対し,同人が死亡するに至るかもしれないことを認識しながら,あえて,その頭部を電気ポットで多数回殴打する暴行を加えて,同人に急性硬膜下血腫等の傷害を負わせ,よって,同月22日頃,福岡県内又はその周辺において,同人を肺炎に急性硬膜下血腫を合併したことによる呼吸不全により死亡させて殺害し

第3

Fと共謀の上,同月24日頃,Eの死体を福岡県田川市大字jk番地所在の旧「ホテルR」敷地内から搬出し,長崎市l町m番nのU公園まで自動車で運搬した上,同公園に放置し,もって死体を遺棄し

たものである。
(証拠の標目)
省略
(事実認定の補足説明)
弁護人は,判示第3の死体遺棄について,被告人は被害者を旧「ホテルR」敷地内から搬出する時点ではその死亡を認識しておらず,病院に連れて行こうと考えていたのであって,この時点では遺棄の犯意を有していなかった,と主張する。しかし,被害者の遺体は,基本的に裸で,頭部は帽子がかぶせられた上から布ようのものが全体を覆い,また,腰から膝辺りまでも布用のものが覆っており,更にそれらの上から,頭部を含めた身体全体がタオルケットで包まれ,同タオルケットが帯用のもので巻かれ,両足の先のみが出た状態で遺棄されていたと認められる(原審甲160,当審職1)。この遺棄状況は,被害者の生存可能性を想定したものとは解し難いところ,Fは,被告人が被害者の着ていたバスローブをはぎ取って,被告人とFの二人で前記の方法で被害者を包むなどしてから搬出したと,同遺棄状況を自然に説明している。これに対し,被告人は,被害者を運ぶ途中で寝てしまったが,起きた後,「被告人が寝ている間に,被害者が既に死亡しているかもと考えたFが被害者の身体をくるんでいた毛布を引き抜いて顔に巻き付けて隠した」旨をFから聞いた,と供述する(原審第15回被告人140頁)が,前記遺棄状況を十分に説明できていない。病院に連れて行くつもりであったとの被告人供述は信用できず,前記遺棄状況及びこれと符合するFの供述から,被告人が,被害者が既に死亡している可能性を認識した上で搬出したと認められる。なお,Fは,被告人が被害者の足をたたき,「おい,迎えに来たぞ」と声をかけたという点も供述する(F40頁)が,被告人の同行動は,被害者の生存を信じていなければしないものとはいえない。
(累犯前科)
省略
(法令の適用)
被告人の判示第1の各所為は,いずれも粗暴犯に関する被告人の常習性の発露としてなされた傷害行為であると認められるから,包括して暴力行為等処罰に関する法律1条の3(刑法204条)に,判示第2の所為は刑法199条に,判示第3の所為は同法60条,190条に,それぞれ該当するところ,判示第2の罪につき所定刑中有期懲役刑を選択し,前記の前科があるので同法56条1項,57条により判示各罪についてそれぞれ(判示第2の罪については同法14条2項の制限内で)再犯の加重をし,以上は同法45条前段の併合罪であるから,同法47条本文,10条により最も重い判示第2の罪の刑に同法14条2項の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役22年に処し,同法21条を適用して原審における未決勾留日数中500日をその刑に算入し,原審及び当審における訴訟費用は,刑事訴訟法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。
(量刑の理由)
判示第2の殺人は,Eの死を意欲しての行為であるとは認定できないものの,衰弱し生命の危機に瀕していたEに対して多数回,相応の強度の暴行を加えたものであって,種々ある殺害行為の中でも十分な危険性を備え,かつ,純粋に突発的な犯意が生じたものと比較して悪質である。また,同じくEに対してなされた判示第1の2の火炎放射行為も,加療に要する期間は不明であるものの,数秒間にわたり頭部に直接火炎を放射し,熱傷を負わせたという行為態様の危険性は明らかであり,これが既に熱傷等を負っていたEに対してなされたのであるから,非常に悪質なものである。被告人は,近しい女性に対する粗暴犯前科複数を有し,その中には被害女性を死に至らしめたものまでが存在しているところ,判示一連の犯行は,近しい女性を対象とした粗暴犯の常習性の表れとして生じ,ついには再び最悪の結果に至り,更にはそれを糊塗するため死体遺棄に及んだものというほかなく,被告人は,厳しい非難に値する。これらの点を考慮すれば,本件は,単独で,突発的で強固ではない殺意に基づきなされた殺人罪の事案中では相当に重い部類に属するものであり,20年又はこれを上回る有期懲役刑が相当というべきである。ただし,それを超えて,無期懲役を選択し得,または有期懲役刑の上限にせまる刑を相当とするほどの突出したものとまではいえない。加えて,被告人が,全ての事実について不自然不合理な弁解に終始していること,Eを失った遺族が厳しい処罰感情を示していることなどの一般情状も考慮すれば,主文の刑が相当である。
(原審検察官の求刑

無期懲役)

平成30年9月27日
福岡高等裁判所第2刑事部
裁判長裁判官

岡田


裁判官

佐藤

哲郎

裁判官

髙橋

明宏
トップに戻る

saiban.in