判例検索β > 平成29年(ネ)第2607号
建物明渡等請求控訴事件
事件番号平成29(ネ)2607
事件名建物明渡等請求控訴事件
裁判年月日平成30年10月12日
法廷名大阪高等裁判所
原審裁判所名神戸地方裁判所
原審事件番号平成28(ワ)2173
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主文1
本件控訴を棄却する

2
なお,原判決主文第2項は,被控訴人の請求の減縮により,「控訴人は,被控訴人に対し,142万1030円及び平成30年4月1日から前項の明渡済みまで1か月8万3000円の割合による金員を支払え。」と変更されている。

3
控訴費用は,控訴人の負担とする。
事実及び理由

第1

控訴の趣旨

1
原判決を取り消す。

2
被控訴人の請求をいずれも棄却する。

3
訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。

第2

事案の概要

1被控訴人の請求と裁判の経過
本件は,公営住宅の事業主体(地方公共団体)である被控訴人が,借上げに係る公営住宅の入居者である控訴人に対し,借上げの期間が満了したと主張して,①公営住宅法32条1項6号,神戸市営住宅条例50条1項7号に基づき,当該公営住宅である原判決別紙物件目録記載の建物(本件部屋)の明渡しを求めるとともに,②上記期間が満了した日の翌日である平成28年11月1日から上記明渡済みまでの賃料(共益費を含む。)相当損害金として,1か月8万3590円の割合による金員の支払を求めた事案である。
原審は,被控訴人の請求をいずれも認容したため,控訴人がこれを不服として控訴を申し立てた。
なお,被控訴人は,当審において,口頭弁論終結後,平成30年4月1日以降の共益費が1か月3890円から3300円に減額されたとして,主文第2項のとおり(平成28年11月1日から平成30年3月31日まで1か月8万3590円の割合による金員の合計が142万1030円である。)に請求を減縮した。
2前提事実等
法令の定め及び前提事実は,次のとおり補正するほか,原判決「事実及び理由」中の第2の2及び第2の3(原判決3頁3行目から8頁20行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。
(1)

原判決3頁15行目の「法2条16号」を「法2条5号ないし8号,1
6号」に改める。
(2)

原判決3頁22行目の「①」の次に「その者の収入が」を加える。
(3)

原判決8頁14行目末尾の次に行を改めて,次のとおり加える。

「エ

本件借上住宅の借上期間が満了した平成28年10月31日時点にお
ける本件部屋の賃料は月額7万9700円,共益費は月額3890円であった。」
3本件の争点
(1)

法25条2項所定の通知の有無(争点1)

(2)

法25条2項所定の通知を経ないでされた法32条1項6号に基づく明
渡請求の適否(争点2)
(3)

明渡請求における正当事由(借地借家法28条)の要否(争点3)
(4)

権利濫用又は信義則違反の有無(争点4)

4争点に対する当事者の主張
争点に対する当事者の主張は,後記5のとおり,当審における当事者の補充主張を付加するほかは,原判決「事実及び理由」中の第2の5(原判決9頁5行目から16頁25行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。ただし,原判決10頁16,17行目を削る。
5
当審における当事者の補充主張

【控訴人】
(1)

法25条2項の通知を欠いていること(争点1の補充)
以下の理由により,被控訴人は,控訴人に対し,法25条2項の通知をし
たといえないから,法32条1項6号,条例50条1項7号に基づき,本件部屋の明渡しを求めることはできない。

入居者決定時に通知されていないこと
控訴人に対して法25条2項に定める事項が通知されたのは入居許可時であり,入居者決定時に通知されていない。
法25条2項の通知が入居者決定の段階でされなければならない理由は,以下のとおりである。

(ア)

入居決定者は,入居日の10日前頃に行われる入居許可時には現居宅の退去手続を済ませており,公営住宅に入居しないという選択をすることは実際には不可能であるから,法25条2項の通知が入居許可時にされても,入居すべきか否かを検討する機会が与えられたとはいえない。
(イ)

借上げでない公営住宅に入居していれば終身居住の権利が保障されるのに,借上公営住宅に入居すると,将来のある一定の時点で,転居が困難な状況にあっても必ず他の公営住宅への転居を義務付けられる。借上公営住宅からの明渡しに伴い他の公営住宅への入居が保障されていることをもって,入居者保護に欠けるところがないということはできない。
(ウ)

入居許可に先立って行われる入居者の決定は行政処分であり,法25条2項の通知は,その行政処分の内容を明らかにするため,借上期間及び借上期間満了後の明渡義務を通知することを定めたものであるから,その通知は,入居者の決定を行った段階で行わなければならない。
(エ)

条例19条の2第3項,規則20条の4は,一定の期間を限って入居を許可する定期入居制度において,入居予定者に対し,更新がないこと及び入居期間満了によって明け渡さなければならないことを説明するよう定めているが,上記制度と借上公営住宅との間で整合性を図る必要がある。
(オ)

法に借上公営住宅に関する規定が設けられた平成8年改正法の施行直後に建設省が発出した「公営住宅管理標準条例(案)について」(平成8年10月14日建設省住総発第153号各都道府県知事あて住宅局長通達)においては,法25条2項の通知が入居者決定時に必要であること,借上公営住宅についても,入居者決定の通知によって賃貸借契約が成立することが明確に記載されている。
このように借上公営住宅については契約法理が適用され,その契約内容を変更するために,法25条2項の通知は,契約変更の申込みとして,入居者の決定までにされる必要がある。


通知の方法が不適切であること
被控訴人は,入居許可書中の借上期間をあえて入居決定者自身に記入させることにより,入居決定者に法25条2項に定める事項を認識させる様式を採っていた。ところが,控訴人に対する入居許可書(乙19)には,控訴人が文字を書く能力を有していたにもかかわらず,上記様式の趣旨を知っている被控訴人の職員が控訴人に代わって借上期間等を記載した。この通知方法では,控訴人が法25条2項に定める事項を具体的に認識できたといえないから,控訴人に対して法25条2項の通知がなされたとはいえない。

(2)

本件部屋の明渡請求に当たり,借地借家法28条の正当事由を具備する
る必要があること(争点3)
法32条1項6号に基づく明渡請求は,借上公営住宅の建物所有者が借上期間満了によって建物返還を求めていること(本来型)を想定して立法されている。しかし,建物所有者が借上期間満了による建物返還を希望していない場合(転用型),事業主体である地方公共団体の財政事情等を専らの理由とする法32条1項6号に基づく明渡請求は,借地借家法28条に基づき転貸借契約につき更新拒絶又は解約できる場合に限り許容される。
本件においては,建物所有者であるUR都市機構は,借上期間満了による建物返還を求めておらず(転用型),また,被控訴人と控訴人との間に借地借家法28条の正当事由が存在しないから,被控訴人は,控訴人に対し,法32条1項6号に基づき本件部屋の明渡しを請求することはできない。(3)

権利濫用又は信義則違反に当たること(争点4)
本件請求は,権利濫用又は信義則違反に当たる。その根拠は,以下のとお
りである。

入居継続ないし終身居住に対する期待・信頼
復興住宅は,被災入居者の「終のすみか」と位置付けられているところ,阪神・淡路大震災で被災した控訴人は,本件借上住宅に入居して,ようやく居住場所を転々とする住環境から解放された。
被控訴人も,控訴人の本件借上住宅への入居時には,これを恒久住宅への入居として扱っていた。
控訴人に対しては,入居者決定時に,借上期間の具体的日時及び借上期間満了後の明渡義務について説明がなかった。
このように,被控訴人は,平成21年頃までは,借上期間満了時に入居者に対して明渡しを求めるという認識ではなかったのに,平成22年以降に,財政上の理由から,明渡しを求める方針に転換した。
以上の経緯に照らすと,本件請求は,控訴人の入居継続ないし終身居住に対する期待・信頼を損なうもので,権利濫用又は信義則違反に当たる。


転貸借の更新拒絶についての正当事由
借地借家法における更新拒絶の正当事由は,貸主側の事情と借主側の事情を比較考慮し,公平妥当な結論を導くものであるから,借地借家法の正当事由として考慮されるべき事情は,権利濫用もしくは信義則違反を基礎づける事実として考慮されなければならない。
しかし,本件において,被控訴人には,転貸借の更新拒絶についての正当事由はない。

転居により控訴人が健康を害するおそれ
控訴人の意に反する転居を強いると,次のとおり,コミュニティを阻害し,健康を害するおそれが強い。控訴人に対して明渡しを求めることは現在の居宅における生活を根底から破壊するものであり,憲法13条,25条及び経済的,社会的及び文化的権利に関する国際規約12条に違反する。

(ア)

控訴人は,現在80歳で,平成26年6月まで要介護3の認定を受けていたが,同月には症状の変化はなかったものの要支援2に変更され,平成28年1月には要支援1に変更された。しかし,その後,胃潰瘍から癌が発見され,平成29年6月には自宅内で転倒して膝を骨折し,要介護1の認定を受けるに至った。なお,85歳以上,重度障害者,要介護3以上という要件を満たす場合に入居の継続を認めるという被控訴人の判断基準には合理性がない。

(イ)

控訴人は,数年前から歩行障害があり,平成25年以降歩行器を使用している。横臥状態から座位,座位から立位に移行する際には手すり,机等を利用しているが,転倒することもある。本件部屋においては,歩行器の横幅に合わせ家具の配置を工夫することにより,在宅での生活が可能になっている。

(ウ)

本件部屋からスーパーマーケットまでは段差がほぼないため,控訴人は,歩行器で移動して買物をすることができている。A市営住宅に転居した場合には,同じスーパーマーケットに行くのに現在の数倍の量の縁石部分を乗り越えて行かなければならない。また,その経路には歩行者押しボタン式の横断歩道があって,その青信号のサイクルは約15秒に過ぎす,横断が困難である。
【被控訴人】
本件請求は,権利濫用にも信義則違反にも当たらない。そのことは,以下の点からも明らかである。
(1)

既存の入居者への配慮
法32条1項6号は,借上期間満了という事実のみをもって明渡しを請求
することを認めているが,被控訴人は,入居者に対し,当該事実のみをもって明渡しを求めているのではなく,次の点の約束をしている。

要介護3以上の者,重度障害者,85歳以上の者がいる世帯には入居の継続を認める。


希望する別の市営住宅等への住み替えを予約できることとし,予約した市営住宅等が確保できるまで最長5年移転を猶予する(本件借上住宅の半径1km圏内には23住宅,1406戸の市営住宅がある。)。

住み替えた75歳以上(平成28年3月からは70歳以上)の高齢者のみの世帯を対象に見回りサービスを行う。


(2)

移転に当たっては移転料を支払う。
入居者に対する説明及び準備期間

被控訴人は,平成22年には,借上住宅の入居者に対し,建物ごとに説明会を開催し,それで足りない場合は個別の説明を繰り返して,借上期間満了に伴う明渡しを説明した。本件借上住宅は,平成28年11月に借上期間が満了しているが,それまでの約6年の間説明をしており,準備期間として十分である。
第3
1
当裁判所の判断
借上公営住宅をめぐる法律関係
公営住宅の利用関係についての規律,借上公営住宅についての法の定め及び借上公営住宅の明渡しをめぐる法律関係については,原判決「事実及び理由」中の第3の1(1)から(3)まで(原判決17頁6行目から19頁26行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。
2
本件部屋の明渡請求に当たり借地借家法28条の正当事由を具備することの要否(争点3)について
控訴人は,借上公営住宅において,建物所有者が借上期間満了による建物返還を希望していない場合(転用型),事業主体である地方公共団体の財政事情等を専らの理由とする法32条1項6号に基づく明渡請求は,借地借家法28条に基づき転貸借契約を更新拒絶又は解約できる場合に限り許容される旨主張する。
しかし,前記第2の2において引用した原判決「事実及び理由」中の第2の3(前提事実)(2)及び(4)アのとおり,本件原賃貸借においては,借上満了日の3年前までにUR都市機構又は被控訴人の申出により,協議の上,借上期間を1回に限り延長することができる旨の合意がされていたが,上記期限までに延長合意はされなかった。その他,本件の全証拠によっても,本件借上住宅の所有者であるUR都市機構が,本件借上住宅につき,借上期間満了による建物返還を希望していなかったと認めることはできない。前記1において引用した原判決「事実及び理由」中の第3の1(3)のとおり,借上公営住宅の所有者と事業主体が合意しない限り,借上げの期間の満了後に使用関係(所有者と事業主体との賃貸借及び事業主体と入居者との転貸借)が更新されることはないところ,控訴人の上記主張は,建物所有者が借上期間満了による建物返還を希望していないという前提を欠くものであって,採用できない。

3
本件部屋の明渡請求に当たり法25条2項の通知をしたといえるか否か(争点1)について

(1)

通知の時期を誤っているとの控訴人の主張について

控訴人は,法25条2項の通知は,入居者決定時(条例18条1項)に行われるべきであるのに,本件において,控訴人に対して法25条2項に定める事項が通知されたのは入居許可時であり,それでは法25条2項の通知がされたとはいえない旨主張する。

法25条2項の趣旨
法25条2項の趣旨は,立案担当者の執筆した文献(乙1)によれば,借上公営住宅は,事業主体が建物所有者から住宅を賃借するものであり,その借上期間が終了すれば,当該公営住宅は建物所有者に返還しなければならず,その返還以前には,当該借上公営住宅の入居者には明渡しをしてもらうことが法制度上予定されていることから,入居者に対して,あらかじめ入居時に,借上期間満了時には明渡しをしてもらう旨を通知しておくことにし,入居者に退去時期を予測できるよう配慮したものであるとされている。
さらに,上記文献(乙1)には,実務上は,入居決定通知書に借上期間満了時と満了時における退去の義務を記しておくことが必要である,募集のパンフレットに同内容を記載しておくことが入居者保護の観点からはより好ましいとの記載があるほか,立法時の国会審議においても,募集時に上記内容は明示される旨の政府参考人の答弁がみられる(乙5)。建設省が示した公営住宅管理標準条例(案)(平成8年10月14日建設省住総発第153号各都道府県知事あて住宅局長通達。乙47)には,借上公営住宅については,入居者決定時に,借上期間満了時に当該住宅を明け渡さなければならない旨を通知しなければならない旨の説明とその説明に沿った条例の条文案が記載されており,証拠(乙2,3,10,11,13,15)によれば,実際にも,入居者決定通知書に法25条2項に定める事項の通知文言を記載することとしている地方公共団体も複数あることが認められる。
また,入居許可時には既に現居宅の退去手続を済ませていて,その時点から公営住宅に入居しないという選択をすることが実際には困難であることもあり得る。通知を受けてから公営住宅に入居しないこととしても,当該入居許可が取り消されない限り,家賃の支払を余儀なくされ,又は納付済みの敷金の一部の返還を受けられないこともあり得る。これらのことからすると,法25条2項に定める事項の通知は,入居者決定の通知と同時に行われることが望ましいといえる。

「入居者を決定したとき」の意味
しかし,法25条2項は,「事業主体の長は,借上げに係る公営住宅の入居者を決定したときは,当該入居者に対し,当該公営住宅の借上げの期間の満了時に当該公営住宅を明け渡さなければならない旨を通知しなければならない」と規定している。ここで「入居者を決定」というのが,条例18条1項に定める入居者の決定と同じく,入居の許可ではなく,それに先立つ,入居の申込みをした者のうちから入居者を決定したことをいうとしても,法令の用語法として「とき」は,時又は時点ではなく場合を意味するものとされていること(甲10,11)からすると,法25条2項の文理上は,条例18条1項にいう入居者の決定の通知と同時に通知をしなければならないことまでを定めたと解することはできない。


入居者(入居予定者)に対する配慮
前記イでみたように,入居許可時には,現居宅の退去手続を済ませてしまっていたり,仮に,入居を取りやめても当該入居許可が取り消されるまでは,家賃は発生するという可能性があるが,被控訴人は,そのような場合,家賃の支払を求めない扱いとなっていると述べている。また,事業主体は,公営住宅の借上げに係る契約が終了する場合においては,公募の原則によることなく,当該公営住宅の入居者を他の公営住宅に入居させることができる(法22条1項)。しかも,当該公営住宅の明渡しをしようとする入居者が,当該明渡しに伴い他の公営住宅に入居の申込みをした場合においては,その者は,法23条所定の条件(入居者資格)を具備する者とみなされる(法24条1項)。このように,借上公営住宅の入居者には,その明渡しに伴い他の公営住宅への入居が保障されている。

法25条2項の要請を満たす通知
前記の各点からすれば,借上公営住宅に入居しようとする者は,少なくとも入居許可(条例19条参照)の時点で法25条2項に定める事項の通知がされていれば,将来の退去時期を具体的に予測することができ,法が要請する配慮に欠けるところはないといえる。
したがって,法25条2項は,事業主体の長が,借上公営住宅の入居者を決定した場合において,当該入居者に対し,当該公営住宅の借上げの期間の満了時に当該公営住宅を明け渡さなければならない旨を通知しなければならないことを定めたにとどまり,入居者の決定(条例18条1項参照)の通知と同時に上記通知をしなければならないことまでをも要求したと解することはできない。そして,法25条2項の通知は,少なくとも入居許可(条例19条参照)の時点でされていれば足りるものと解される。


控訴人のその他の主張に対する検討

(ア)

法25条2項の通知の根拠について
控訴人は,入居許可に先立って行われる入居者の決定は行政処分であり,法25条2項の通知は,その行政処分の内容を明らかにするため,借上期間及び借上期間満了後の明渡義務を通知することを定めたものであるから,入居者の決定を行った段階で行わなければならない旨主張する。しかし,仮に入居者の決定が行政処分であるとすれば,その処分内容を申請者かつ当該処分の名宛人である入居決定者に通知する必要があるのは当然であるから,あえて法25条2項が設けられた趣旨の説明にはなっておらず,同条項の通知を入居者決定時にすべき根拠となるものでもない。
(イ)

定期入居制度との整合性について
控訴人は,条例及び規則が,一定の期間を限って入居を許可する定期入居制度において,入居予定者に対し,更新がないこと及び入居期間満了によって明け渡さなければならないことを説明するよう定めていることとの整合性について主張する。しかし,証拠(甲8)によれば,条例19条の2に定める定期入居制度は,借上公営住宅に関するものではなく,これには,借上公営住宅の入居者についての法22条1項,24条1項のように,契約終了後に他の公営住宅への入居を保障する規定は存在しないことが認められるから,両者を同列に解することはできない。

(ウ)

賃貸借契約成立の要件としての通知(契約法理の適用)について
控訴人は,借上公営住宅の利用関係にも契約法理が適用され,事業主体と入居者との間の借上公営住宅の契約内容を変更するために,法25条2項の通知は,契約変更の申込みとして,入居者の決定までにされていなければならないと主張し,乙8号証の鑑定意見書及び乙21号証の意見書においては,これに沿った見解が述べられている。しかしながら,公営住宅の使用関係の設定については,法において,入居者の募集は公募の方法によるべきこと(法22条),入居者は一定の条件を具備した者でなければならないこと(法23条),事業主体の長は入居者を一定の基準に従い公正な方法で選考すべきこと(法25条)が定められ,事業主体は,公営住宅の入居者を決定するについては,入居者を選択する自由を有していないものと解される。そして,公営住宅に入居するためには,事業主体の長から入居許可を受けなければならない(条例19条)。
そうすると,公営住宅の使用関係の設定の場面においては,私人間における契約の法理が当然に適用されるとはいえず,事業主体と入居者との間において,私人間におけるのと同様の賃貸借契約が成立すると解することはできない。控訴人の上記主張は,その前提において失当であるから,これを採用することができない。

まとめ
以上に検討したとおり,被控訴人の控訴人に対する本件許可書においてした,借上期間及び借上期間満了時の明渡義務についての通知は,法25条2項に定める事項の通知ということができる。

(2)

通知の方法が不適切であるとの控訴人の主張について

証拠(乙24)によれば,被控訴人の運用では,市営住宅の入居決定者に,入居許可書中の具体的事項,すなわち,宛名(入居者代表者名),入居住宅・棟・室,入居指定日,借上期間,家賃の月額,敷金の額等を記入させることになっていたことが認められる。
この点に関し,控訴人は,同人に対する入居許可書(乙19。複写式の書式により甲3号証の1の入居許可書と同時に作成されたものと認められる。)において,借上期間の日付を記入したのは控訴人ではなく被控訴人の職員であり,控訴人は当該事項を具体的に認識しなかったから,控訴人に対して,法25条2項の通知がされたとはいえない旨主張する。

しかし,本件許可書中の借上期間の日付の筆跡は,控訴人の署名等の筆跡と明らかに異なるとは認められない上,仮に借上期間の日付が控訴人ではなく被控訴人の職員において記入したものであったとしても,控訴人は,借上期間の記載のある入居許可書の交付を受け,これを現在まで保管してきた(乙19)のであり,控訴人は,借上期間について通知を受けていないとはいえない。

したがって,被控訴人の控訴人に対する本件許可書による法25条2項に定める事項の通知は,方法が不適切であるとはいえない。

(3)

小括
以上の検討によれば,被控訴人が控訴人に対して本件許可書をもってした
借上期間及び借上期間満了時の明渡義務についての通知は法25条2項の通知ということができ,方法が不適切であるとはいえない。
そうすると,被控訴人は控訴人に対して法25条2項の通知をしたといえないから法32条1項6号に基づき本件部屋の明渡しを求めることはできない旨の控訴人の主張は,法25条2項の通知をしたといえないとの前提を欠くものであって,法25条2項の通知が法32条1項6号に基づく明渡請求の要件であるか否か(争点2)について判断するまでもなく,採用できない。4
本件請求が権利濫用又は信義則違反であるか否か(争点4)について
(1)

入居継続ないし終身居住に対する期待・信頼に関する点について

控訴人は,被控訴人が従前は借上住宅の借上期間満了時に入居者に対して明渡しを求めるつもりがなかったのに,平成22年以降に明渡しを求める方針に転換した旨主張する。
証拠(乙23の30~31頁)によれば,平成21年12月21日開催の神戸市すまい審議会平成21年度第2回安心な住生活部会において,被控訴人の職員は,借上住宅への入居募集の際,20年の借上げであることは知らせているが,20年で出てくださいとは言っていない旨,入居者が20年も居住することはもともと想定していない旨発言したことが認められる。この発言内容からすると,被控訴人は,従前借上住宅への入居募集及び入居手続の際,借上期間満了時に明渡義務が発生することについては,少なくとも,必ずしも強調して説明することはしていなかったことがうかがわれる。
また,被控訴人の元職員の陳述書(乙50)には,被控訴人の職員用マニュアルには,借上住宅につき,借上期間満了後に明渡しをしなければならないことを入居希望者に説明すべきことの記載はなく,実際説明していなかった旨の記載がある。
さらに,控訴人の陳述書(乙49)には,本件借上住宅への応募時や入居手続時において,被控訴人の職員から,将来明け渡さなければならないことについて説明されたことはなかった旨の記載がある。

しかし,控訴人に交付された本件許可書(甲3の1)には現に借上期間及び借上期間満了時に明渡義務のあることが明記されていた。仮に,被控訴人の職員が,控訴人に対し,本件許可書に記載されている以上には,借上期間満了時の明渡義務について特に強調して説明をしなかったとしても,そのことをもって直ちに控訴人には,借上期間満了後にも,又は終身にわたり入居を継続できることにつき,法的に保護されるべき期待又は信頼が生じたとまではいえない。


この点に関して控訴人が提出した証拠のうち,乙25号証の市長名義の書簡は,その文面からすると,借上住宅の入居決定者に対して一般的に発出していた書面ではなく,市営住宅への入居が決まった者が市長に宛てて出した書簡に対する返信であると認められるが,被控訴人が借上住宅の借上期間満了時に入居者に対して明渡しを求めるつもりがなかったことを示すものとは直ちにいえない。
また,証拠(乙26)及び弁論の全趣旨によれば,借上住宅の入居許可に当たり,借上期間及び借上期間満了時の明渡義務の記載のない,借上住宅用でない入居許可書を用いた例があることが認められるが,それは単なる過誤にすぎないとも考えられ,被控訴人が,借上住宅につき,実質的には借上げでない市営住宅と同様に期間の定めがないものと認識していたと推認することも困難である。
乙27号証及び乙28号証の新聞報道については,当該記事の執筆者の認識はそのとおりであるとしても,他の証拠による裏付けなしに当該記事のみに基づいて被控訴人の当時の方針を認定することはできない。エ
その他本件の全証拠によっても,控訴人に借上期間満了後にも,又は終身にわたり,入居を継続できることにつき,法的に保護されるべき期待又は信頼が生じたといえるに足りる事情は認められない。

(2)

建物賃貸借契約の更新拒絶等に当たっての正当事由に関する点について控訴人は,被控訴人には,転貸借の更新拒絶についての正当事由がなく,
それが権利濫用もしくは信義則違反を基礎づける旨主張する。
しかし,被控訴人の控訴人に対する本件部屋の明渡請求に当たり,転貸借の更新拒絶についての正当事由を具備する必要があるとの控訴人の主張が採用できないことは前記2のとおりであるから,正当事由を具備しないことを主張するのは失当である(ただし,控訴人の主張する個々の事情は,別途考慮されることになる。)。
(3)

転居により控訴人が健康を害するおそれに関する点について

証拠(甲3の1,乙49,52,53)及び弁論の全趣旨によれば,控訴人の生活状況に関しては,以下の事実が認められる。

(ア)

控訴人は,平成14年当時,生活保護を受給して,神戸市内の賃貸住宅で生活していたが,同年5月頃,ケースワーカーより,エレベーター付きの公営住宅での生活を勧められ,本件借上住宅の入居者募集に応募して当選し,同年9月から入居することとなった。

(イ)

控訴人は,昭和13年生まれで現在80歳であり,本件部屋には一人で居住している。

(ウ)

控訴人は,糖尿病が原因の白内障及び高血圧に罹患していたほか,平成23年頃からは歩行に杖が必要となった。平成25年5月に腰部圧迫骨折により入院し,要介護3の認定を受けたが,平成26年6月には要支援2に,平成28年1月には要支援1にそれぞれ認定を変更された。その後,胃癌が発見され,平成29年6月に自宅内で転倒して膝を骨折するなどし,現在は,要介護1の認定を受けている。
(エ)

本件部屋内はバリアフリー仕様となっている。控訴人は,自宅内においても歩行器を利用して移動しており,そのため,室内の家具は,歩行器の横幅分を空けて配置し,また,体勢を変えたり室内を移動したりする際の補助となるよう家具を配置している。買物の際は,歩行器を使い,本件部屋からエレベーターを利用し,近くのスーパーマーケットに行っている。


他方,証拠(文中に掲記のもの)によれば,借上期間が満了した借上住宅の入居者への被控訴人の対応に関し,以下の事実が認められる。
(ア)

被控訴人の職員は,遅くとも平成25年頃には,控訴人に対し,控訴人を訪ねて,本件部屋を平成28年10月までに明け渡す必要があることの説明をした(乙49)。

(イ)

借上期間満了に伴う本件借上住宅からの移転に当たっては,移転料として30万円が支払われることになっている(甲12,13)。

(ウ)

被控訴人は,平成25年3月,有識者による懇談会の意見を踏まえ,借上期間が満了した借上住宅の入居者への対応に関し,次のとおりの考え方であることを公表した(甲19)。
a
借上期間満了時において要介護3以上の認定を受けた者,重度障害者又は85歳以上の者がいる世帯については入居の継続を認める。
b
住み替えに当たっては,希望する住宅を予約できることとし,予約した住宅が確保できるまで最長で5年間移転を猶予する。

c
他の市営住宅へ住み替えた75歳以上の高齢者のみの世帯を対象に見回りサービスを行う。

(エ)

本件借上住宅の半径1km圏内には23の市営住宅があり,そのうち本件借上住宅から約100mの距離にあるA市営住宅にもバリアフリー仕様の住戸がある(甲25,26)。

一般に,高齢者が長年居住し続けた住居から従前の生活の質を維持しつつ転居するには様々な困難を伴うといえる。前記アの認定事実によれば,控訴人が本件部屋から転居するに当たっても,とりわけ,控訴人には歩行障害があって,自宅の内外を問わず移動に歩行器を使用している点に配慮が必要であるということができる。
しかし,前記イの認定事実のとおり,控訴人が住み替えを希望することのできた市営住宅の中には,本件借上住宅の至近距離で,バリアフリー仕様の住戸を備えたものもあり,かつ,住み替えを希望する住宅に直ちに空きがなくても入居できるよう配慮されていた。控訴人に対しては,本件部屋を明け渡す必要のあることの説明もしかるべき時期にされていることも併せ考えれば,仮に転居後の控訴人の生活が,本件部屋における生活と全く同じようにはいかないとしても,転居により控訴人が健康を害するおそれが高いとは直ちにいえない。その他控訴人が提出した意見書ないし鑑定意見書(乙35,38,40,45,46,51)や,借上公営住宅から他の公営住宅に転居した者の陳述書(乙48)を踏まえても,控訴人に対して本件部屋の明渡しを求めることが,憲法13条,25条又は経済的,社会的及び文化的権利に関する国際規約12条に違反するとの評価は当たらないというべきである。

(4)

小括
以上の検討のほか,本件に現れた一切の事情を考慮しても,本件請求が権
利濫用又は信義則違反として許されないとはいえない。
5
結論
以上の次第で,被控訴人は,控訴人に対し,本件借上住宅の借上期間満了により,本件部屋の明渡しを求めることができるから,被控訴人の請求はいずれも理由がある。これと同旨の原判決は相当であり,本件控訴は理由がないから,これを棄却することとする。なお,被控訴人は,当審において,原審で求めていた損害金請求を減縮したので,原判決主文第2項は,本判決主文第2項のとおりに変更されているから,その旨を明らかにすることとする。よって,主文のとおり判決する。
大阪高等裁判所第8民事部

裁判長裁判官

山田陽三
裁判官

種村好子
裁判官

中尾彰
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