判例検索β > 平成29年(ワ)第1236号
損害賠償請求事件
事件番号平成29(ワ)1236
事件名損害賠償請求事件
裁判年月日平成31年3月13日
法廷名神戸地方裁判所
裁判日:西暦2019-03-13
情報公開日2019-04-03 20:00:10
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平成31年3月13日判決言渡

同日原本領収

平成29年(ワ)第1236号

損害賠償請求事件

口頭弁論終結日

裁判所書記官

平成30年12月12日
判主1決文
被告は,原告に対し,11万円及びこれに対する平成
27年10月3日から支払済みまで年5分の割合による
金員を支払え。

23
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は,これを15分し,その14を原告の負担
とし,その余は被告の負担とする。

第1
1実及び理由
請求
被告は,原告に対し,165万円及びこれに対する平成27年10月3日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2
仮執行宣言

第2

事案の概要

1
事案の骨子
本件は,精神障害者(知的障害者)である原告が,兵庫県西宮警察署の警察官らにおいて,原告を同署に連行した上,その取調べをすると共にDNAを採
取し,その際に合理的な配慮をしなかったことが違法であるなどと主張して,被告に対し,国家賠償法(以下国賠法という。)1条1項に基づき,損害賠償金(慰謝料及び弁護士費用)165万円及びこれに対する平成27年10月3日(上記違法行為のあった日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

2
前提事実(争いがない事実,後掲各証拠又は弁論の全趣旨により容易に認められる事実)
当事者及び関係人等

原告は,昭和53年3月生まれの男性であり,昭和58年12月に兵庫県から療育手帳の交付を受けた者である。(甲1,弁論の全趣旨)

A(昭和24年生まれ。)は原告の母であり,Bは原告の父である。(甲
10,弁論の全趣旨)


原告は,平成27年7月17日,兵庫県精神保健福祉センターの精神保健指定医から,広汎性発達障害(自閉症)の診断を受けた。その当時,原告の療育手帳の判定はA(重度)であり,原告の障害支援区分(障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律4条4項,障害支援
区分に係る市町村審査会による審査及び判定の基準等に関する省令1条)は区分6(最も重い区分)であった。(甲1,2,14,弁論の全趣旨)エ
平成28年12月8日,原告について後見を開始し,その成年後見人にAを選任する旨の審判が確定した。(弁論の全趣旨)



原告に対する捜査の経過

原告は,平成27年10月3日午後2時18分頃,兵庫県西宮市a町b番c号所在の地蔵尊(以下本件地蔵尊という。)内において,マッチを用いてビニール袋を燃やした(以下本件行為という。)。その頃,本件行為を目撃した者が110番通報をした。(乙5,8,26,弁論の全趣旨)


兵庫県西宮警察署(以下西宮署という。)の警察官らは,同日午後2時40分頃,
兵庫県西宮市d町e番f号先の路上
(以下
本件職質現場
という。)において,原告に対する職務質問(以下本件職務質問という。)を開始した。原告のガイドヘルパー及びBは,その後,同警察官ら
に対し,原告が知的障害者である旨を説明した。原告は,本件職務質問の中で,
同警察官らに対し,
本件行為をしたことを認める趣旨の言動をした。
(乙5,弁論の全趣旨)

西宮署の警察官らは,同日午後3時19分頃,原告とBをパトロールカーに乗せて本件職質現場を出発し,同日午後3時28分頃,西宮署に到着した(以下この同行を本件同行という。)。(弁論の全趣旨)


西宮署の警察官らは,
同日午後3時50分頃から午後6時50分頃まで,
同署の取調室において,Bを同席させて原告を取り調べ(以下本件取調べという。),原告の供述調書(以下本件供述調書という。)を作成した。原告は,その後,本件供述調書に署名指印をした。(甲13,乙1,24,弁論の全趣旨)


原告は,同日,西宮署において,自己の口腔内細胞の任意提出書(以下本件任意提出書という。)に署名指印をした。その後,同署の鑑識作業室において,
原告の口腔内細胞が採取された
(以下
本件採取
という。。

Bは,この手続に立ち会わなかった。(甲13,乙2~4,25,弁論の全趣旨)



本訴の提起
原告は,
平成29年7月19日,
本件訴えを提起した。
(当裁判所に顕著)

3
争点
以下では,本件同行及び本件取調べを併せて本件同行等といい,本件職務質問,本件同行,本件取調べ又は本件採取に関与した西宮署の警察官を本件警察官という。


本件警察官による本件同行等は,
国賠法1条1項の適用上,
違法であるか。
(争点1)



本件警察官による本件採取は,国賠法1条1項の適用上,違法であるか。(争点2)



第3

原告が被った損害の有無及び額(争点3)
争点に対する当事者の主な主張
1
争点1(本件同行等の国賠法上の違法性)について

【原告の主張】
本件同行等は,国賠法1条1項の適用上,違法である。


本件同行の違法性

原告は,本件職務質問を受けた当時,重度の知的障害(IQ35以下,精神年齢6歳未満)を伴う広汎性発達障害(自閉症)により,家族以外との意思疎通は困難である旨の医師の診断を受けており,療育手帳の判定は重度のA,障害支援区分は最も重い区分6であった。このような病状からすれば,本件職務質問において,原告が,本件警察官に対し,本件行為を認め又は本件同行に応じるように見える言動をしたとしても,それらは,
相手に迎合的な言動(黙従反応)をするなどの自閉症の患者に特有の反応にすぎない。
したがって,原告は,本件職質現場において,Bに付き従ってパトロールカーに乗車したにすぎず,本件同行に同意した上で任意に乗車したとはいえない。


本件警察官は,上記アのとおり,原告が同意していなかったにもかかわらず,原告に対し,本件同行及び本件取調べを強要した。この点,本件行為(軽犯罪法違反)については,逮捕状が発付されておらず,現行犯逮捕又は準現行犯逮捕の要件もなかった。したがって,本件同行は,違法な実質的逮捕に当たり,憲法34条,刑訴法199条,217条に違反する。
また,本件警察官は,本件同行に当たり,原告が任意同行の意味を理解できるような合理的な配慮を提供せず,知的障害を理由に原告を差別した。そうすると,本件同行は,憲法14条,障害者の権利に関する条約13条に違反する。


本件取調べの違法性
上記⑴アのとおり,原告は,精神障害により意思疎通が困難であり,相手の質問に迎合的に答えるという特性を有している。
しかるところ,本件供述調書には,原告の能力では述べられるはずのない難しい内容に加え,ライターを使用したなどと真実とは異なる内容が記録されている。そうすると,本件警察官は,原告がライターを2個所持していたことから,どちらのライターで火をつけたかなどと尋ねたところ,原告がこ
れに迎合してピンク色のライターを使った旨を回答したため,その内容を本件供述調書に記載したものと推認される。
また,原告は,そもそも,自らの名前を書くことができず,署名の意味を理解していないことからして,本件警察官から言われるがまま,Bが作成した署名の見本を模写し,本件供述調書に署名指印したにすぎない。
以上のとおり,本件取調べは,原告の被誘導性に配慮せず,誘導的な質問により原告を供述させたものであって,違法である。


職務上の注意義務違反
本件警察官は,本件職務質問の時点で,原告が知的障害者である旨を伝えられていた上,原告が単語を並べるようにしか意思疎通ができないことを認
識したから,原告の知的能力が低く,任意捜査に同意する能力を欠いていることを認識しており,又は容易に認識することができた。
しかるに,本件警察官は,原告から同意が得られたと思い込んで本件同行等の捜査をし,また,その際,原告にその趣旨を分かりやすく説明することをしなかった。

したがって,本件警察官は,本件同行等の捜査をするに当たり,職務上の注意義務に違反した。
【被告の主張】
本件同行等は,国賠法1条1項の適用上,違法ではない。


任意捜査を行うために必要な同意等
任意同行及びそれに伴う取調べについては,被疑者に対して身体の束縛又は強い心理的圧迫による自由の拘束があったといい得る客観的状況がなく,被疑者において,抵抗し又は反対の意思を表明することなく,警察官の説得又は要請に従った行動をとった場合(渋々承諾した場合を含む。)には,任意の承諾があったといえる。そうすると,任意同行については,被疑者は,同行することの説得等に応じるか否かの判断ができる程度の能力を有してい
れば,任意の承諾をすることができると解される。
知的障害者である被疑者を取り調べるに当たっては,その能力の程度等に応じて,被疑者の尋問に対する答えが捜査官の意図する方向に偏っていないか,受け答えが迎合的でないかを検討し,その方法,態様が誘導として許容される範囲を逸脱しないよう十分な注意を払う必要がある。そして,当該取
調べは,上記注意を著しく欠いたときは,違法となる場合がある。⑵

本件同行の適法性

本件同行の経緯
本件警察官は,本件職務質問の後,原告に対し,詳しく話を聞きたいので同署に来てほしい旨を尋ねた。すると,原告は,これに拒絶の意思を示
すことなく,本件同行に同意した。また,Bも,本件警察官から20分弱の説得を受け,本件同行に同意した。
本件警察官は,その際,原告の身体に接触することはなく,また,原告に同意を強要したと疑われるような態度もとっていない。
しかるところ,原告は,本件同行に際し,Bよりも先にパトロールカー
に乗車しており,
西宮署に着くまでの間,
特に嫌がる様子も示さなかった。
したがって,原告は,本件同行に先立ち,本件警察官に対し,これに同意する意思を示した。

原告の同意能力
原告は,ガイドヘルパーの目を盗んで本件行為に及び,その直後,目撃者から怒られると,お茶で消火するという合理的な行動をとっている。そして,原告は,本件職務質問において,たどたどしくではあるが,警察官に対して本件行為の状況等を説明し,警察官からのキャリーバッグの所持品検査にも応じており,警察官と一定の意思疎通をすることができた。さらに,原告は,西宮署に到着した後も,本件取調べにおいて本件行為の動機を供述するとともに,警察官の指示に従って口腔内細胞の採取キッ
トを使用することができた。この点,本件取調べに関与した警察官は,原告の知的レベルが小学校低学年程度であったという印象を述べている。また,原告は,本件職務質問の以前において,単独でクレジットカードを使用して買い物をし,食事,排泄及び入浴もほぼ自立しているなど,相当程度の生活能力があったといえる。さらに,原告は,本件行為の後,こ
れがしてはいけないことである旨を理解していた。
以上からすると,原告は,本件職務質問の当時,一定程度の意思伝達能力及び是非弁別能力を備えていたといえ,同行の説得等に応じるか否かを判断する能力を有していたというべきである。

まとめ
以上のとおり,本件同行は,原告の任意の同意に基づいてされたものであるから,適法な任意捜査である。



本件取調べの適法性
本件警察官は,本件取調べにおいて,父のBを同席させた上,ゆっくりと
分かりやすく,また,はい又はいいえで回答することのできる質問をし,取調時間も3時間にとどめた。また,本件警察官は,本件取調べにおいて,適時にトイレ休憩の打診をして体調に配慮するとともに,実質的な取調べは1人のみで行い,多数で圧迫する取調べをしないようにもした。このように,
本件警察官は,
本件取調べに当たり,
知的障害者である原告に対し,

十分な配慮を行った。そして,原告は,本件取調べの最中,混乱して取り乱すような様子を見せなかった。
本件警察官は,上記の方法により聴取した原告の供述を要約し,本件供述調書を作成した。この点,供述調書が原告の供述をそのまま録取したものでないとしても,そのこと自体が違法であるとはいえない。しかるところ,本件取調べに立ち会ったBは,その内容につき異議を述べることをせず,原告に対して署名の見本を示した。

したがって,本件取調べは,知的障害者である原告に配慮してされたものであるから,適法な任意捜査である。


職務上の注意義務違反の不存在
仮に原告が任意捜査に必要な同意能力を有していなかったとしても,上記⑵及び⑶のとおり,
本件警察官は,
本件職務質問及び本件取調べ等において,

原告と意思疎通ができていたことに加え,目撃者から原告が注意を受けた後消火して逃走したという,原告に是非弁別能力があることをうかがわせる事実を聴取していた。
そうであるとすれば,本件警察官において,本件同行等及び本件採取をするに当たり,原告が任意捜査に必要な同意をする能力を有すると判断したこ
とにつき,職務上通常尽くすべき注意義務に違反したとはいえない。なお,本件職務質問に先立ち,原告の障害支援区分の判定が変更されていたことからも明らかなように,知的能力の程度の判定は,医師等の専門家による合議体の間でも,判断が分かれるほど困難なものである。そうすると,そのような専門家でない警察官が,捜査の現場において,即座にかつ正確に
判断することは困難である。
2
争点2(本件採取の国賠法上の違法性)について

【原告の主張】
本件採取は,国賠法1条1項の適用上,違法である。


本件採取の違法性

上記1⑴アの原告の病状等からすれば,原告は,採取キットを使用して口腔内を数回擦るという複雑な手順を理解する能力を有していなかった。また,自閉症の患者は,初めて行うことを拒絶することが多く,しかも,原告には,病気の影響により,口腔内に強度の感覚過敏(歯科治療を行うことが困難である程度のもの)があった。
そして,
原告は,
本件供述調書と同様に,
本件警察官に言われるがまま,

その内容を理解せず,本件任意提出書に署名した。この点,原告はカタカナも含めて文字は書けないことからすると,本件任意提出書の処分意見欄のイリマセンの文字は,原告が記載したものではないという疑義がある。
以上からすれば,原告は,本件採取に同意した上,これに協力していた
はずはない。

本件警察官は,上記アのとおり,原告が同意しておらず,また,令状(捜索差押令状又は身体検査令状及び鑑定処分令状)の発付を受けていなかったにもかかわらず,BにDNAを採取すると一方的に伝え,原告に対して本件採取を強要した。したがって,本件採取は,憲法35条,刑訴法
218条,219条に違反する。
また,本件警察官は,本件採取に当たり,父であるBを立ち会わせ,原告がその意味(専用袋に署名する意味等)を理解できるように分かりやすい説明をするなど,
合理的な配慮をしなかった。
したがって,
本件採取は,
憲法14条,障害者の権利に関する条約等に違反する。



職務上の注意義務違反
本件警察官は,少なくとも本件採取に着手するまでに,原告が自分の名前すら書けない上,自発的な発言ができないことを認識していたから,原告の知的能力が低く,口腔内細胞の任意提出に同意する能力を欠いていることを
認識しており,又は容易に認識することができた。
しかるに,本件警察官は,原告から同意が得られたと思い込んで本件採取に及び,また,その際,原告にその趣旨を分かりやすく説明することをしなかった。
したがって,本件警察官は,本件採取をするに当たり,職務上の注意義務に違反した。
【被告の主張】
本件採取は,国賠法1条1項の適用上,違法ではない。


本件採取の適法性

同意能力等について
前記1と同様に,任意捜査としての口腔内細胞の採取についても,被疑者が,同採取を実施することの説得等に応じるか否かの判断ができる程度
の能力を有していれば,任意の承諾をすることができると解される。イ
本件採取の経緯
本件警察官は,本件取調べにおいて,原告が過去にも火遊びをしたことがある旨を供述したことから,余罪捜査のため原告のDNA型鑑定資料を
取得する必要があると考えた。そこで,本件警察官は,本件取調べが終了した後,Bと原告に対し,原告の口腔内細胞を提出してほしい旨を依頼するとともに,その利用目的を確認したBに対し,個人を特定する資料として活用する旨を説明した。そして,本件警察官は,上記説明を理解したBの立会いの下,Bの作成したイリマセンという文字の見本を示した上
で,
原告に本件任意提出書
(処分意見欄に
イリマセン
と記載したもの)
を作成してもらい,その提出を受けた。
本件警察官は,その後,西宮署の鑑識作業室において,原告に対し,採取キットに同封された写真付きの説明書を見せつつ,身振りを交えながら口腔内細胞の採取の方法を説明した。これを受けて,原告は,自ら,同キ
ットを口腔内に入れ,口腔内細胞を採取した。原告及びBは,本件採取の際,口腔内の感覚過敏を申し出ることもなく,また,原告は,本件採取の最中及び終了後のいずれにおいても,嫌がったり痛がったりした様子を示すこともなかった。なお,Bは本件採取に立ち会っていないが,本件警察官は,Bから,同行為への立会いを求められなかった。
以上からすれば,原告は,本件採取につき,これに同意する意思を示したことは明らかである。


原告の同意能力
上記1【被告の主張】⑵イと同様に,原告は,本件採取の当時,一定程度の意思伝達能力及び是非弁別能力を備えていたといえ,口腔内細胞の採取の説得等に応じるか否かを判断する能力を有していたというべきである。



職務上の注意義務違反の不存在
前記1と同様,仮に原告に本件採取に係る同意能力がなかったとしても,原告の言動等からして同意能力があると判断した本件警察官の行為に,職務上通常尽くすべき注意義務の懈怠があったと評価されるいわれはなく,国賠法1条1項の適用上違法と評価されるものではない。

3
争点3(権利侵害及び損害)について
【原告の主張】
原告は,違法な本件同行等及び本件採取により,適正な手続及び障害者に対する合理的な配慮を受けられなかった結果,長時間警察署に留め置かれて取調
べを受けるとともに,DNA情報を警察に保管された上,前歴まで付されるという,精神的苦痛を受けた。これを慰謝するに必要な金額は,150万円を下らない。
そして,弁護士費用の損害は15万円が相当である。
【被告の主張】

争う。原告は,本件同行等及び本件採取により,何ら精神的苦痛を感じなかった。
第4

当裁判所の判断

1
認定事実
前提事実,証拠(後掲各証拠,甲12,13,乙24,25,証人C,証人D,証人E,証人B,原告法定代理人。ただし,認定に反する部分を除く。)
及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。


原告の生育歴及び病歴等

原告は,昭和53年3月に出生したところ,昭和55年10月(当時2歳6か月),自閉性発達障害の診断を受けた。(甲1,2)


原告は,昭和58年12月,兵庫県から療育手帳の交付を受けた。(甲1)


原告は,小学校及び中学校の特別支援学級において教育を受け,その後現在まで,
A及びBと同居して生活しているところ,
就労したことはない。
(甲2,10)


原告は,平成27年7月当時,療育手帳における障害の程度につき,A(重度)と判定されていた。(甲1,14)


原告は,平成27年7月当時,障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律4条4項,障害支援区分に係る市町村審査会による審査及び判定の基準等に関する省令1条に基づき,障害支援区分6と判定されており,1週間に4回(1回当たり2~3時間)程度,移動支援を受けていた。(甲2,3)


原告は,平成27年7月17日,兵庫県精神保健福祉センターの精神保健指定医から,広汎性発達障害(自閉症)の診断を受けた。同日付けの診断書には,次のとおり記載されていた。(甲2)


現在の病状又は状態像
精神運動興奮状態及び昏迷の状態
知的障害等

知的障害(重度)
興奮

発達障害関連症状

相互的な社会関係の質的障害
言語コミュニケーションの障害
限定した常同的で反復的な関心と行動
多動



上記①の状態についての程度及び症状等
言語理解,状況理解ができないため,測定不能であるが,重度知的障害を認める。かろうじて自分の名前を書ける以外には,文字の読み書きは不能である。
興味の対象が極度に限定されており,
水や火にこだわり,
危険な時期もあった。現在は銀行ATMの用紙に興味を示し,不審がられるなどのトラブルもあった。物を捨てることができず,2部屋の自室
以外にコンテナルームを借りている。食事も自室で一人で母の作った弁当を食べることが多い。極度に過敏な面が認められ,しばしば情緒的に不安定となり,夜間も大声で叫ぶ等,睡眠覚醒リズムも不安定である。両親,特に母親の介護にてかろうじて在宅生活を続けているが,24時間目を離せない状態である。同一性保持,表面的でパターン化された対
人関係を認める。多動傾向で,診療室に数分も座っていることができない。


日常生活能力の判定
適切な食事

自発的かつ適正に行うことはできないが助言や指導があ
ればできる

身辺の清潔保持
金銭管理と買い物
通院と服薬

同上
助言や指導をしてもできない若しくは行わない

同上

他人との意思伝達及び対人関係
身辺の安全保持及び危機対応
社会性

同上
同上
同上



日常生活能力の程度
知的障害を認め,身のまわりのこともほとんどできないため,常時の援助が必要である。例えば,文字や数の理解力がほとんどなく,簡単な手伝いもできない。言葉による意思の疎通がほとんど不可能であり,身辺生活の処理も一人ではできない程度。



臨床検査
測定不能。テストの教示が理解できない。数分間もじっと座っていることができない。



現症時の日常生活活動能力及び労働能力
自立した生活は不能で,日常生活能力は著しく障害されている。就労
不能。


予後
著しい改善は期待できない。


本件職務質問の経過等

原告は,平成27年8月29日及び同年9月12日,本件地蔵尊内において,マッチを用いて紙様の物を燃やした。(乙8,弁論の全趣旨)

原告は,平成27年10月3日午後2時頃,ガイドヘルパーのF(以下本件ヘルパーという。)と買い物のため外出していたところ,同人から離れ,同日午後2時18分頃,本件地蔵尊内において,マッチを用いてビニール袋を燃やした(本件行為)。原告は,その後,本件行為を目撃し
た者(以下本件目撃者という。)から注意を受けると,
すみません
などと言い,持っていたペットボトルのお茶で消火した上,その場を離れた。原告は,その後,本件ヘルパーと合流した。(乙5,8,弁論の全趣旨)

本件目撃者は,同日午後2時20分頃,110番通報し,応対した警察官に対し,オレンジ色のキャリーバッグを持った男性が公園内で布に火をつけて逃走した旨を述べた。西宮署地域第一課のG警部補及びC巡査長は,その頃,上記通報に基づく指令を受け,本件地蔵尊の付近の捜索を開始した。(乙5,8)

G警部補及びC巡査長は,同日午後2時40分頃,本件職質現場において,オレンジ色のキャリーバックを持った原告を発見したことから,原告
の職務質問(本件職務質問)を開始した。上記警察官らは,その頃,原告に同伴していた本件ヘルパーから,原告が知的障害者である旨を伝えられるとともに,原告から身分証明書として療育手帳の提出を受けた。西宮署の他の警察官らは,その後,本件職務質問の応援のため,本件職質現場に到着した。(甲1,乙5,弁論の全趣旨)


原告は,本件職務質問において,西宮署地域第一課のH巡査部長から,お地蔵さんのところで火をつけたのと質問されたのに対し,うん
などと発言した。
H巡査部長は,その後,原告にキャリーバッグの中を見せてほしい旨を伝え,原告がこれに応じて同バッグを開披したことから,その中を確認し
たところ,ライター2個(ピンク色及び黄色)等が在中しているのを確認した。H巡査部長は,その後,原告に対し,ピンク色のライターを指し示した上,これで火をつけたのと質問したところ,うんなどと答え
たため,原告から同ライターの提出を受けた。(以上につき乙5)カ
G警部補は,
その頃,
本件地蔵尊付近で本件目撃者の事情聴取をして


た西宮署のI警部補から,本件行為を撮影した本件地蔵尊の防犯カメラの映像データの送信を受け,同映像を確認したところ,本件行為の犯人の着衣及び所持品と原告のそれが酷似していると認めた。
本件目撃者は,その頃,本件職質現場付近に駐車したパトロールカーの中から原告の人相及び着衣等を確認した上,上記警部補に対し,本件行為の犯人に間違いない旨を供述した。(以上につき,乙5,8)

G警部補は,同日午後3時前頃,上記オ及びカの状況を踏まえ,原告を軽犯罪法違反の被疑者と認め,原告及び本件ヘルパーに対し,詳しく話を聞きたいので西宮署に同行してほしい旨を求めた。これに対し,本件ヘルパーは,次の担当があるため同行できない旨を言い,Bに電話をかけ,本件職質現場に来てほしい旨を連絡した。

Bは,
同日午後3時頃,
本件職質現場に到着したところ,
G警部補から,
原告が火を付けたことの事情を聞くため西宮署に同行してほしい旨の説明されたのに対し,障害児である原告がそのようなことをするわけがない,家に連れて帰るなどと述べた。もっとも,Bは,その後G警部補らから説得され,西宮署への同行に同意した。原告は,その後,Bにパトロールカ
ーに乗るよう促され,自ら同車の後部座席に乗り込み,これに続いてBも乗り込んだ。原告とBを乗せたパトロールカーは,同日午後3時19分,本件職質現場を出発し,
同日午後3時28分,
西宮署に到着した。
原告は,
その間,警察官に対し,帰宅を希望し又は不満であることをうかがわせる態度を示さなかった。



西宮署における捜査の経過

C巡査長は,同日午後3時50分から午後6時50分まで,西宮署の取調室において,Bの同席の下で,原告を取り調べた(本件取調べ)。C巡査長は,本件取調べの冒頭,原告に対し,言いたくないことは言わなくてもよいですよなどと言った上,その最中には,原告のトイレ休憩の希望の有無等を確認した。原告は,本件取調べの最中,帰宅を希望し又は不満であることをうかがわせる態度を示さなかった。
C巡査長は,本件取調べにおいて,入手した捜査情報等に基づき,原告に対し,
幼い子どもに話すような口調を使ってゆっくり質問した。
原告は,

これらの質問のほとんどに対し,肯定(うんという発言)又は否定の態度を示すだけで回答し,その中で,本件行為の以前にも火を付けたことを認める趣旨の回答をした。

C巡査長は,本件取調べの終盤,本件行為を認める内容の原告の供述調書(本件供述調書。全3頁)を作成し,原告及びBの面前で,その内容を読み上げた上,原告に同調書への署名指印を求めた。これに対し,Bは,自分(B)が書いたものを書き写すことならできるなどと言い,白紙に原
告の氏名を書いた上,これを原告に見せて本件供述証書に署名するよう促した。原告は,その後,同書面を見ながら,本件供述調書に自己の氏名を書き写した。(乙1)

西宮署地域第一課のJ警部補は,同日,西宮署の取調室において,Bに対し,息子さんの口の中の皮膚を採らせてもらえませんかなどと言っ
た。J警部補らは,Bからその目的を問われると,このような事態になった場合のルールですなどと説明した。これを受けて,Bはそうですかなどと回答した。J警部補らは,その後,原告に対し,口腔内細胞の任意提出書の書式とともに,原告の氏名が記載された紙及びイリマセンと記載された紙を
示し,同書式に記入するよう促した。これを受けて,原告は,自己の氏名が記載された紙を見ながら,同書式の氏名欄に自己の氏名を書き写した上,イリマセンと記載された紙を見ながら,同書式の提出者処分意見欄にイリマセソと見える文字を書き写した。(乙2)

原告は,その後,J警部補らに先導され,西宮署の取調室から鑑識作業室に移動した。Bは,その際,原告に同行しようとしたところ,西宮署の警察官らから同室に留まるよう止められた。
西宮署の警察官らは,その後,Bに対し,原告が二度と火遊びをしないよう監督してほしいなどと言った。(乙6)


西宮署刑事第一課鑑識係のD巡査部長は,その後,西宮署の鑑識作業室において,J警部補の立会いの下,原告の写真を撮影するとともに,その指紋を採取した。

D巡査部長は,その頃までに,J警部補らから,原告の口腔内細胞の採取につき,父の同意を得た旨を聞いた。同巡査部長は,その後,原告に対し,その面前で口腔内に採取キットを入れて擦る仕草をし,同じような行為をするよう求めた。同採取キットの具体的な方法というのは,スポンジ
状のパッド(直径2㎝強,厚み5㎜強の円形)部分を口に入れ,唾液をしみこませた後,ほほの内側を数回擦り,これを密閉するという手順で行われるものであった。(乙3,4)
原告は,その後,自らの手で口腔内に上記採取キットを入れ,D巡査部長に確認をしながら,頬の内側を数回擦って口腔内細胞を採取し,同巡査
部長に対し,これを提出した(本件採取)。
D巡査部長は,その後,上記キットを専用袋に入れた上,本件任意提出書を示した上で,原告に同専用袋の署名欄に氏名を書き写すよう求めた。もっとも,
D巡査部長は,
この方法で原告が自己の氏名を書き損じたため,
自ら白紙に原告の氏名を書いた上,同書面を原告に示した上で,上記署名
欄に氏名を書き写すよう再度求めた。原告は,その後,上記専用袋に自己の氏名を書き写した。


原告とBは,その後,帰宅した。
平成27年10月3日以降の事実経過


西宮署の警察官は,平成27年10月7日,Aに対し,本件地蔵尊において原告立会いの下で写真撮影をしたい旨を申し出た。しかし,Aはこの申出を拒否した。


Aは,平成27年10月27日及び同月30日,西宮署長に対し,地域住民のボヤ・放火の通報により,長男が複数の警察官に事情聴取を受けました。警察官から軽犯罪法違反であると説明を受けましたが,弁護士に相談いたしましたところ,該当しないという見解でした。また,警察官が,『家から出さない方がいい。』『精神病院に行け。』とか人権を顧みない言動をしたことに厳重に抗議したい。今回行われたDNA検査による検体及びデータの即返還を求めますなどと記載した書面を提出し,本件職務質問,本件同行及び本件採取等について苦情の申出をした。(乙6)ウ
Aは,平成27年11月30日,兵庫県公安委員会に対し,

警察官職務執行適性についての申し立てをします。重度知的障害,発達障害,自閉症者に対する発言,主にその両親への警察官の数々の人権侵害と思われる言動について深く傷ついたことへの調査を依頼します

などと記載した書面を提出し,本件職務質問等についての苦情の申出をした。(甲4)

西宮署長は,平成27年12月3日,本件行為(軽犯罪法違反)の被疑事実で,原告を西宮区検察庁検察官に送致した。(乙27)


西宮区検察庁検察官は,平成27年12月22日,本件行為につき,原告を起訴猶予処分とした。(乙27)


西宮署長は,平成27年12月24日付けで,Aに対し,上記イの苦情申出につき,原告の行為は同署の警察官らが所要の捜査を適正に進めたこ
とによって軽犯罪法違反と認められた,
DNA型の資料の採取については,
原告及びBに対し,採取の趣旨等について事前説明を行い,両名の承諾を得た上で適正に行われている,そのデータの返還には応じかねるなどと回答した。(乙6)
また,
兵庫県公安委員会は,
平成27年12月24日付けで,
Aに対し,

上記ウの苦情申出につき,警察官が人権侵害と思われる言動をした事実はなかったものと承知している旨を回答した。(甲4)

Aは,平成28年1月9日以降,兵庫県明石市所在の医療法人社団かもめクリニックを訪れ,E医師と面談し,同医師に対し,本件職務質問等に
おける警察の対応に力を貸してほしい旨を述べた。同医師は,同日以降,同クリニックにおいて,20~30分程度,原告及びAと面談した。もっとも,原告は,その際,全く座ろうとせず,落ち着かない様子で室内を歩き回り,声を出そうともしなかった。(甲9)
ク2
原告は,平成28年12月8日,成年被後見人となった。

捜査への同意能力の有無の判断枠組み
個人の意思を制圧して憲法の保障する重要な法的利益を侵害する捜査は,刑
訴法上,特別の根拠規定がなければ許されない強制の処分(刑訴法197条1項ただし書)に当たるが,そのような処分に当たらない捜査は,刑訴法197条1項本文に基づき,必要性,緊急性等を考慮した上,具体的状況の下で相当と認められる限度において許容されるものと解される
(最高裁昭和50年
(あ)
第146号同51年3月16日第三小法廷決定刑集30巻2号187頁参照)・


そうすると,捜査により利益を侵害される者において,これを放棄する旨の意思(当該捜査への同意)を表示した場合には,当該捜査は意思を制圧するものとはいえず,当該捜査により侵害される利益も存在しないから,特段の事情のない限り,強制の処分に当たらない捜査として許容されると解される。もっとも,
上記同意が形式上はされた場合であっても,
当該同意をした者が,

当該捜査により侵害される利益を処分する能力,すなわち,当該利益の存在及び内容を理解する能力を有していなければ,当該同意が有効にされたとはいえない。したがって,この場合には,当該捜査は,強制の処分としての要件を満たさない限り,違法なものというべきである。
3
争点1(本件同行等の国賠法上の違法性)について


本件同行について

有効な同意の有無
原告は,本件職務質問の際,本件警察官に対し,自閉症の患者に特有の迎合的な言動をしたにすぎないから,本件同行に同意しておらず,本
件同行及びこれに引き続く本件取調べ(西宮署への留置き)が違法な実質的逮捕に当たる旨を主張する。
この点,本件同行により侵害される原告の利益は,移動の自由,すなわち,ある場所に留まるか否かの意思決定をする自由と解されることからすると,原告が,本件同行の当時,自己の所在する場所及び帰還すべき場所を理解する能力を有していた場合には,上記移動の自由の存在及び内容を理解する能力を有していたといえ,本件同行に同意する能力を有していたものということができる。
そこで,原告が本件同行に有効に同意していた否かを検討するに,認定事実⑴,証拠(甲10[90頁],証人B[30頁],原告法定代理人[18~22頁])及び弁論の全趣旨によれば,原告は,本件同行の
当時,確かに重度の知的障害者ではあったものの,少なくとも,自宅とその他の場所,警察官とそれ以外の者とをそれぞれ区別して認識することができたものと認められる。
そして,認定事実によれば,原告は,本件同行に際し,自らパトロールカーに乗車した上,本件同行及び本件取調べを通じて3時間以上もの
間,父であるB又は本件警察官のいずれにも,西宮署からの退去又は帰宅を願望する態度を示さなかったものと認められる(認定事実⑵キ,⑶ア)。そして,本件警察官は,その間,原告に対し,幼い子供に話すような口調で話し,また,トイレ休憩の希望の有無等を確認していたこと(同⑶ア)などからしても,原告において,自己の感情を表出させるこ
とが困難になる程度に,身体の束縛又は強い心理的圧迫を受けていたとは認められない。
以上からすると,原告は,本件同行及び本件取調べにおいて,自己が自宅とは異なる警察署に所在していることを認識していたところ,退去又は帰宅の意思を表示することができる状況の下,これに応じていたも
のと認められる。
したがって,原告は,本件同行及びこれに引き続く西宮署への留置きについて有効に同意していたということができる。

合理的配慮の欠如による差別の有無
原告は,本件同行に関し,本件警察官が原告に対して任意同行の意味を理解できるような合理的な配慮をせず,知的障害を理由に原告を差別した旨を主張する。

しかし,上記アのとおり,原告は,本件同行及びこれに引き続く本件取調べに際し,これに有効に同意していたものと認められる。また,認定事実に照らしても,本件警察官は,本件同行に際し,知的障害を理由に原告を差別的に取り扱ったとは認められない。
したがって,原告の上記主張は,これを採用することができない。


本件取調べについて

原告は,本件取調べにつき,原告の被誘導性に配慮せず,誘導的な質問により供述させたものであるから,違法である旨を主張する。


この点,
任意捜査の一環としての被疑者に対する取調べは,
事案の性質,
被疑者に対する容疑の程度,被疑者の態度等諸般の事情を勘案して,社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度において,許容されるものと解すべきである(最高裁昭和57年(あ)第301号同59年2月29日第二小法廷決定・刑集38巻3号479頁参照)。
これを本件についてみると,
認定事実によれば,


本件取調べの当時,

原告は重度の知的障害者であった(同⑴)ところ,本件警察官は,少なくとも,原告の意思疎通の能力が一般人に比べて相当低いことを認識していたこと(同⑵エ~カ)が認められる。
もっとも,他方で,②

本件警察官は,本件取調べにおいて,原告の父

であるBを立ち会わせた上,幼い子どもに話すような口調を使ってゆっくり質問するなど,原告が質問の意味を理解することができるように一定の配慮をしたことが認められる(同⑶ア)。また,③本件行為は,軽犯罪

法違反ではある(同⑵キ,⑷エ,カ)ものの,いわゆる火遊びであって状況次第では放火が成立し得る行為であって,本件取調べの時点で,原告がそれ以前にも同様の行為を繰り返していたこともうかがわれた
(同⑵ア)

このことに加えて,④

本件取調べの時点で,本件地蔵尊の防犯カメラの

映像に写っている本件行為の犯人の着衣及び所持品等と原告のそれとが
酷似していた上,本件目撃者が原告を本件行為の犯人であることに間違いない旨を供述していたこと(同⑵カ)などからして,本件行為の犯人が原告である嫌疑が相当程度あったことも認められる。
以上からすると,約3時間に及んだ本件取調べが,社会通念上認められる方法ないし態様及び限度を逸脱したものであったとまでは断じ難い。

確かに,認定事実⑶,証拠(甲5~8,15,証人E,原告法定代理人)及び弁論の全趣旨によれば,本件供述調書は,結果的にみると,自閉症の患者である原告の被誘導的な特性によって得られた回答が記載されている疑いが強いといわざるを得ない。
しかし,認定事実及び証拠に照らしても,本件警察官が,本件取調べに
おいて,原告の被誘導性を殊更に利用し,虚偽の自白を内容とする供述調書を作成することを積極的に意図していたとまでは認め難いところ,上記のとおり,本件取調べを開始した時点で,本件地蔵尊の防犯カメラの映像及び本件目撃者の供述により,原告を本件行為の犯人と疑うべき相当の理由があったということができるのである。

そうであるとすれば,上記の点を理由に,本件供述調書を信用することができるか否かはともかく,本件取調べが,任意捜査の一環として許容される取調べの限度を超えたものとまではにわかに評価し難い。

小括
以上のとおり,本件同行等は,刑訴法に基づく任意捜査として適法にされたものと認められる以上,国賠法1条1項の適用上も違法であると解することはできない。
4
争点2(本件採取の国賠法上の違法性)について


本件採取が有効であるための要件
原告は,本件採取につき,原告から同意を得ないまま強制的にしたものとして,違法である旨を主張する。

この点,特定の個人のDNA型の判別を目的としてその者の口腔内細胞を採取する捜査は,身体への侵襲を伴う上,当該細胞(資料)を専門の学識経験に基づいて解析することにより,遺伝情報という個人に関する情報(個人の機微にわたる情報)を明らかにするものであるから,私的領域に侵入する捜査手法であって,身体検査(刑訴法218条)又は鑑定処分(刑訴法22
3条以下)の性質を有する行為であると解される。
そうすると,本件採取により侵害される原告の利益は,身体的利益又はプライバシーであると解されるから,原告が,本件採取の当時,自己の口腔内に侵襲が加えられる事実とともに,自己の口腔内細胞(DNA型資料)を提供する意味(具体的には自己の遺伝情報を提供する結果をもたらすこと)を
理解する能力を有していた場合には,身体的利益又はプライバシーの存在及び内容を理解する能力を有していたといえ,本件採取に同意する能力を有していたということができる。

身体的利益の観点からの本件採取の違法性
そこで,身体的利益の観点から,原告が本件採取に有効に同意していたか否かを検討するに,認定事実⑴及び⑶カ,証拠(証人B[24頁],原告法定代理人[10~11,20~21頁])並びに弁論の全趣旨によれば,原告は,本件採取の当時,自ら食事及び歯磨きをすることができたところ,D巡査部長の説明を受けながら,自ら口腔内に棒状の採取キットを入れ,その
スポンジ部分で頬の裏を擦ったことが認められる。そして,本件採取は,原告の口腔内の皮膚の表面の一部を剥離するにとどまり,医学的に危険な行為とはいえず,肉体的な苦痛を伴うものでもなかったから,これによる身体への侵襲の程度は大きいものではなかった。
したがって,原告は,本件採取に当たり,自己の口腔内を擦ることを認識し,これを自ら行ったものと認められるから,自己の身体に同侵襲が加えられることについては,有効に同意していたということができる。



プライバシーの観点からの本件採取の違法性
しかし,プライバシーの観点からは,原告が本件採取に有効に同意していたということはできない。その理由は次のとおりである。
認定事実⑴から⑶までのとおり,原告は,本件採取の当時,重度の知的障害を有しており,文字又は数すら理解することができず,独立して日常生活
を送ることがほとんど不可能であったことからして,プライバシー(私的領域)及び遺伝情報という抽象概念の内容及び価値を理解する能力を欠いていたことは明らかである。したがって,原告は,その当時,自己の遺伝情報を提供することの意味を理解する能力を有していなかったというほかはない。そうすると,原告は,本件任意提出書を作成したことをもって,本件採取
に有効に同意したとはおよそ認められない以上,本件採取は,違法な捜査といわざるを得ない。この点,本件採取につき,Bが同意の意向を示していた(認定事実⑶ウ)としても,その当時,Bは原告の法定代理人ではなかった以上,そのことをもって,本件採取につき法的に有効な同意があったということはできない。

なお,上記のとおり,本件採取それ自体が違法であると判断される以上,その際に原告に対して合理的な配慮がされたか否かについては,判断するまでもない。

国賠法上の違法性
被告は,仮に原告が本件採取に有効に同意する能力を有していなかったとしても,これを有すると判断した本件警察官は,職務上通常尽くすべき注意義務に違反していない旨を主張する。
しかし,認定事実によれば,本件警察官は,本件職務質問及び本件取調べを通じ,原告が知的障害者であって,十分に発語することができず,自分の名前及びカタカナすら一人で書けないことを認識していたのであるから,上記⑶のとおり,原告が口腔内細胞の採取(DNA型資料の提出)につき有効
に同意する能力を欠いているおそれがあることを疑った上,原告のプライバシーという重要な法的利益に配慮し,同採取が余罪捜査のために必要であると判断した場合には令状の発付を請求し,そうでなければ同採取を控えるべき職務上の注意義務を負っていたと認められる。
しかるに,認定事実⑶ウからカまでのとおり,本件警察官は,本件取調べ
の最中又は終了後,原告に対して自己の口腔内細胞の任意提出書の書式を示し,原告をして,その氏名欄に自己の氏名を書き写させるとともに,その提出者処分意見欄にイリマセンという文字を書き写させることにより,本件任意提出書が有効に作成された外形を整え,本件採取に及んだことが認められるのである。なお,本件警察官は,本件採取の目的を問いただしたBに
対し,そのようなルールになっている旨を述べたこと(認定事実⑶ウ),記録に照らしても,その後に原告の余罪捜査が行われた形跡がうかがわれないことに加え,西宮署では,本件採取の当時,ほとんどの被疑者から口腔内細胞の任意提出を受けていたこと(証人D[13頁])などに照らすと,本件採取は,そもそも,原告の余罪捜査の目的でされたものではなかったとの疑
念を抱かざるを得ない。
したがって,本件警察官による本件採取は,上記の職務上の注意義務に違反したものであるから,国賠法1条1項の適用上,違法であると認めざるを得ない。そうである以上,本件警察官には,本件採取をしたことにつき,少なくとも過失があったというほかない。

5
争点3(損害の有無及び額)について


上記4によれば,原告は,本件警察官のした違法な本件採取により,プライバシーを侵害されて精神的苦痛を被ったものと認められるところ,これを慰謝するに足りる金額は,プライバシーという法的利益の重要性,本件警察官が本件採取に及んだ経緯その他本件に関する一切の事情にかんがみ,10万円をもって相当と認める。

そして,原告は,上記行為によって本件訴えの提起を余儀なくされたところ,その弁護士費用に相当する損害は,1万円をもって相当と認める。⑵

被告は,原告が本件採取により精神的苦痛を感じなかった以上,慰謝料が発生しないという趣旨の主張をする。
しかし,以上で認定したとおり,原告は,知的障害者であるがゆえに,本
件採取によりプライバシーという重要な法的利益を侵害されたところ,全ての国民は,障害の有無にかかわらず,等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであること(障害者基本法1条)からすれば,これにより精神的損害又はこれと同等の無形の損害を被ったものと認めるべきである。

被告の上記主張は,到底採用することができない。
6
結論
よって,原告の請求は,11万円及び遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容するが,その余は理由がないからこれを棄却することと
し,主文のとおり判決する。なお,仮執行宣言は,相当でないから付さないこととする。
神戸地方裁判所第2民事部

裁判長裁判官

山口浩司
裁判官

和久一彦
裁判官

日巻
功一朗

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