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原爆症認定申請却下処分取消等請求事件
事件番号平成27(行ウ)250
事件名原爆症認定申請却下処分取消等請求事件
裁判年月日平成31年2月28日
法廷名大阪地方裁判所
裁判日:西暦2019-02-28
情報公開日2019-04-25 14:01:11
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主1文
厚生労働大臣が原告乙に対して平成27年3月5日付けでした原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項の認定申請の却下処分を取り消す。

2
原告甲の請求及び原告乙のその余の請求をいずれも棄却する。

3
訴訟費用は,原告甲に生じた費用の全部と被告に生じた費用の2分の1を同原告の負担とし,原告乙に生じた費用の2分の1と被告に生じた費用の4分の1を同原告の負担とし,その余の費用を被告の負担とする。事実及び理由

第1
1
請求
原告甲関係(平成27年(行ウ)第250号事件)
(1)厚生労働大臣が原告甲に対して平成27年4月10日付けでした原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項の認定申請の却下処分を取り消す。
(2)被告は,原告甲に対し,100万円及びこれに対する平成27年8月28日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2
原告乙関係(平成27年(行ウ)第256号事件)

(1)主文1項と同旨
(2)被告は,原告乙に対し,100万円及びこれに対する平成27年8月28日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2

事案の概要
本件は,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下被爆者援護法という。)1条の被爆者である原告らが,厚生労働大臣に対し,被爆者援護法11条1項の規定による厚生労働大臣の認定(以下原爆症認定という。)の申請をしたが,同大臣がこれらの申請をいずれも却下したため,被告を相手に,同各却下処分の取消しを求めるとともに,国家賠償法1条1項
に基づき,それぞれ100万円及びこれに対する平成27年8月28日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
1
関係法令等の定め
(1)被爆者援護法

被爆者援護法1条は,同法において被爆者とは,原子爆弾が投下された際当時の広島市若しくは長崎市の区域内又は政令で定めるこれらに隣接する区域内に在った者(同条1号)等であって,被爆者健康手帳の交付を受けたものをいう旨規定する。


被爆者援護法10条1項は,厚生労働大臣は,原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し,又は疾病にかかり,現に医療を要する状態にある被爆者に対し,必要な医療の給付を行う旨,ただし,当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射能に起因するものでないときは,その者の治癒能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に医療を要する状態にある場合に限る旨規定する。


被爆者援護法11条1項は,同法10条1項に規定する医療の給付を受けようとする者は,あらかじめ,当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生労働大臣の認定を受けなければならない旨規定し,同法11条2項は,厚生労働大臣は,同条1項の認定を行うに当たっては,審議会等で政令で定めるものの意見を聴かなければならない旨,ただし,当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らかであるときは,この限りでない旨規定する。


原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行令9条は,被爆者援護法11条2項の審議会等で政令で定めるものは,疾病・障害認定審査会とする旨規定する。
なお,疾病・障害認定審査会は,被爆者援護法の規定に基づきその権限
に属させられた事項を処理するが(厚生労働省組織令133条1項),同審査会においては,原子爆弾被爆者医療分科会(以下医療分科会という。)が上記事項を処理することとされている(同条2項,疾病・障害認定審査会令5条1項)。
(2)原爆症認定に関する審査の方針

医療分科会は,平成13年5月25日付けで原爆症認定に関する審査の方針(甲A33)を作成し,原爆症認定に係る審査に用いていたが,平成20年3月17日付けで,これに代わる新しい審査の方針(甲A34,乙A1)を作成し,平成21年6月22日及び平成25年12月16日にこれを改訂した(乙A2,3)。改訂後の新しい審査の方針の概要は,別紙2新しい審査の方針記載のとおりである。


新しい審査の方針は,被爆者救済及び審査の迅速化の見地から,積極的に放射線起因性の認定をする範囲を設定している。
例えば,悪性腫瘍(固形がんなど)については,①被爆地点が爆心地より約3.5㎞以内である者,②原爆投下より約100時間以内に爆心地から約2㎞以内に入市した者,③原爆投下より約100時間経過後から,原爆投下より約2週間以内の期間に,爆心地から約2㎞以内の地点に1週間程度以上滞在した者のいずれかに該当する者から申請がある場合については,格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝した放射線との関係を原則的に認定するものとするとされている。
また,心筋梗塞については,①被爆地点が爆心地より約2.0㎞以内である者,②原爆投下より翌日までに爆心地から約1.0㎞以内に入市した者のいずれかに該当する者から申請がある場合については,格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝した放射線との関係を積極的に認定するものとするとされている。

2
前提となる事実(当事者間に争いのない事実並びに掲記の証拠及び弁論の全
趣旨により容易に認められる事実。以下,書証番号は特に断らない限り枝番号を含む。)
(1)原子爆弾の投下
アメリカ合衆国軍は,昭和20年8月6日午前8時15分,広島市に原子爆弾を投下し,同月9日午前11時2分,長崎市に原子爆弾を投下した(以下,広島市に投下された原子爆弾を広島原爆といい,長崎市に投下された原子爆弾を長崎原爆という。)。
(2)原告甲に係る経緯

原告甲は,長崎原爆の被爆者であり,昭和▲年▲月▲日生まれ(被爆当時3歳11か月)の男性である(乙B1)。


原告甲の母は,昭和32年6月頃,長崎市長に対し,原告甲の被爆者健康手帳交付申請をし,同年9月13日,原告甲の被爆者健康手帳が交付された(乙B4,5)。


原告甲は,平成26年11月6日,前立腺がんを申請疾病とする原爆症認定の申請をした(乙B1)。
これに対し,厚生労働大臣は,疾病・障害認定審査会の意見を聴いた上で,平成27年4月10日付けで,原告甲の上記申請を却下した(乙B6。以下原告甲却下処分という。)。


原告甲は,平成27年8月6日,原告甲却下処分の取消し等を求める訴え(平成27年(行ウ)第250号)を提起した(顕著な事実)。
(3)原告乙に係る経緯

原告乙は,広島原爆の被爆者であり,大正▲年▲月▲日生まれ(被爆当時18歳)の男性である(乙C1)。


原告乙は,昭和32年8月19日,山口県知事に対し,被爆者健康手帳交付申請をし,その頃,被爆者健康手帳の交付を受けた(甲C5,乙C4,5)。


原告乙は,平成26年7月9日,狭心症を申請疾病とする原爆症認定の申請をした(乙C1)。
これに対し,厚生労働大臣は,疾病・障害認定審査会の意見を聴いた上で,平成27年3月5日付けで,原告乙の上記申請を却下した(乙C7。以下原告乙却下処分という。)。


原告乙は,平成27年8月6日,原告乙却下処分の取消し等を求める訴え(平成27年(行ウ)第256号)を提起した(顕著な事実)。
(4)放射線量の単位
放射線量の評価方法については,以下のとおり,吸収線量,等価線量,実効線量等があり,それぞれについて複数の単位が定義されている(甲A139,乙A115,弁論の全趣旨)。

物質に与えたエネルギー量を示す単位(吸収線量)
吸収線量とは,物質が単位質量当たりで吸収したエネルギーの量であり,放射線の種類によることなく用いられる。吸収線量の単位については,以前はラド(rad)が用いられていたが,現在はグレイ(Gy)が用いられている。1グレイは,物質1キログラム当たり1ジュールのエネルギー吸収があるときの吸収線量を示し,1ラドは1センチグレイ(0.01グレイ)に等しい。


人体への影響の大きさを示す単位(等価線量,実効線量)等
(ア)等価線量とは,放射線の種類ごとに異なる人体への影響を直接反映するように工夫された線量である。等価線量は,吸収線量が同一であっても放射線の種類によって人体への放射線の影響の程度が異なるために考案された。等価線量の単位については,シーベルト(Sv)が用いられており,その値は,吸収線量(グレイ)に放射線の種類及びエネルギーに応じた放射線加重係数(ベータ線やガンマ線は1,アルファ線は20,中性子線は5ないし20)を乗じて求められる。

(イ)実効線量とは,放射線の種類及び被曝部位による違いを考慮した線量である。実効線量は,同じ強さの放射線被曝をした場合でも,被曝する人体の部位が異なることによって人体への放射線の影響の程度が異なるために考案された。実効線量の単位についても,シーベルトが用いられている。なお,各部位に均等にガンマ線1グレイの吸収線量を全身に受けた場合,実効線量で1シーベルト(1000ミリシーベルト)に相当する。
日本において自然から受ける放射線量(実効線量)は,1人当たり年間平均で約2.1ミリシーベルトである。また,例えば,CT検査1回については約10ミリシーベルト,東京・ニューヨーク間の往復(飛行機)については約0.1ミリシーベルトの放射線に被曝するとされている。
3
主たる争点
(1)放射線起因性の判断枠組み
(2)原告甲の原爆症認定要件該当性(特に前立腺がんの放射線起因性)(3)原告乙の原爆症認定要件該当性(特に狭心症の放射線起因性)(4)国家賠償責任の有無等

4
当事者の主張
(1)放射線起因性の判断枠組み
(原告らの主張)
原爆症認定における放射線起因性の立証については,高度の蓋然性の立証を要求されるとしても,被爆者援護法が国家補償法としての側面を有することを踏まえて判断されなければならない。そして,放射線被曝の影響について確立された科学的知見が存在しないこと,特定の要因から当該疾病の発生機序を立証することは一般的に困難であること,放射線被曝に起因する疾病の特徴(被曝線量と身体損傷との相関関係が明確でないこと,
長期間経過後に影響が出る可能性があること,放射線被曝に特異な症状があるわけではないこと)等からすれば,放射線起因性の立証の程度は実質的に軽減されるべきである。
具体的には,①申請に係る症状が,原子爆弾による被曝との関係が存する可能性があるとみることに相応の根拠があり,疫学的にもこれを根拠付けることができること,②申請をした者の被爆状況,被爆後の行動やその後の生活状況,具体的な症状や発症に至る経緯,健康診断や検診の結果等を全体的,総合的に考慮した上で,原爆放射線に被曝した事実が申請疾病の発生を招来した関係を是認し得ること,③申請疾病が発症又は進行した原因として考えられる他の具体的な原因が見当たらないことなどから,放射線起因性を認めるのが相当である。
(被告の主張)
被爆者援護法11条1項の原爆症認定の要件とされている放射線起因性については,原告らにおいて,原爆放射線に被曝したことにより,その疾病等又は治癒能力の低下を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明する必要があり,その判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とすると解すべきである。
そして,放射線起因性の有無については,①当該被爆者の放射線への被曝の程度(考慮要素1)と,②統計学的・疫学的知見等に基づく申請疾病等と放射線被曝との関連性の有無及び程度(考慮要素2)とを中心的な考慮要素としつつ,これに③当該疾病等に係る他の原因(危険因子)の有無及び程度(考慮要素3)等を総合的に考慮して,原子爆弾の放射線への被曝の事実が当該申請に係る疾病若しくは負傷又は治癒能力の低下を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性が認められるか否かを経験則に照らして判断するのが相当である。
(2)原告甲の原爆症認定要件該当性(特に前立腺がんの放射線起因性)
(原告甲の主張)

被爆状況等
(ア)原告甲(被爆当時3歳11か月)は,長崎市東小島町(以下東小島町という。)の自宅(爆心地から約4㎞)の窓際で昼寝をしている際,長崎原爆に被爆した。原告甲の自宅は山の斜面に階段状に並んでおり,爆心地方向に遮るものはなく,原告甲は原爆放射線の直撃を受けた。原告甲が目を覚ますと,室内にかけられていた柱時計が畳の上に落ちており,割れた窓ガラスのガラス片がたくさん飛び散っていた。原告甲の自宅は,長崎原爆の衝撃波や爆風で破損し,家財道具が黒い雨に濡れた。原告甲は,その後,母の実家がある長崎県西彼杵郡長浦村(以下長浦村という。)に疎開するまで,東小島町の自宅で生活した。(イ)原告甲は,長崎原爆投下から6日後の昭和20年8月15日,長浦村に疎開するため,路面電車の軌道沿いに,国鉄長崎駅や浦上駅付近を通り,爆心地付近を経由して長浦村に到着した。原告甲は,その途中,市電大橋電停付近の浦上川で30分ほど水浴びをした。


被爆後に生じた症状,病歴等
(ア)原告甲は,被爆前は相当に元気で腕白な子どもであり,健康そのものであった。しかし,長浦村に到着した後は下痢が続き,ずっと体がだるく感じるようになった。小学校の頃から疲れやすく,少し激しい運動をするとすぐに息を切らし吐き気をもよおした。
(イ)原告甲は,小学校低学年の頃,首が傾いているといわれ,手足がしびれ,体がだるく感じ,やる気が出なかった。小学校高学年の頃には,肋膜炎及び結核の疑いと診断された。昭和30年(当時14歳)には急性腎臓炎に罹患した。
その後,原告甲は,平成3年(当時50歳)に頸椎症,平成19年(当時66歳)に高脂血症(脂質異常症),平成23年(当時70歳)
に前立腺がん(翌年に全摘除手術),平成26年(当時73歳)に糖尿病と肺気腫,平成27年(当時74歳)に脳梗塞を患った。
また,原告甲は,自己免疫性甲状腺機能低下症(橋本病)を発症しており,遅くとも平成25年7月にはそのための薬を服用していた。また,平成30年(当時77歳)には髄膜腫も発見された。

申請疾病(前立腺がん)の放射線起因性

(ア)原告甲の被曝の程度
原告甲は,爆心地から約4㎞の自宅において直爆を受け,昭和20年8月15日まで自宅で生活を続けたところ,原告甲の自宅は東小島町の高台にあること,衝撃波や爆風により窓ガラスが割れるなどしていること,東小島町に黒い雨が降ったことが東京地方裁判所平成27年10月29日判決(甲A733)において認定されていること,爆心地から4ないし5㎞付近が最も放射性降下物が降下しやすいことなどから,原告甲の自宅付近には相当量の放射性降下物が降下したといえる。そして,原告甲は,同日まで6日間にわたり,このような状況下で生活をしたことにより,放射性物質を呼気や飲食によって体内に取り込み,内部被曝をしたと推測される。
また,原告甲は,長崎原爆投下から6日後に長浦村に疎開する際,爆心地付近を通過し,爆心地から約500m地点において水浴びをしている。原告甲は,この移動の際,立ち上る土埃や砂埃等に付着した放射性物質を呼気と共に多量に体内に摂取したり,水浴びの際に放射性物質に汚染された川の水を体内に取り込んだりして,内部被曝した可能性が高い。
以上に加え,原告甲は,長浦村に到着した後,急性症状である下痢を発症したり,全身倦怠感の症状が出たりしていることからしても,原告甲が相当量の残留放射線に被曝したことは明らかである。

(イ)前立腺がんと放射線被曝との関連性
がんは不可逆的な遺伝子の損傷が蓄積することによって生じるものであり,放射線がこのような遺伝子の損傷を引き起こすことは様々な研究や文献により裏付けられており,固形がんに放射線起因性が認められることは医学的知見として確立している。
前立腺がんの放射線起因性については,放射線によって前立腺がんが誘発されることがマウス実験によって明らかにされ(甲B17),被爆者の剖検例に関する調査でも前立腺がんと放射線被曝の有意な関係が認められた(甲B18)。また,爆心地から2㎞以内の被爆者につき,同2㎞以遠の被爆者や非被爆者群に対して前立腺がんの有病率が有意に高いことが確認され,前立腺がんの放射線起因性が示唆された(甲B19)。さらに,剖検例からの調査で,被爆者は非被爆者に対して前立腺がんの発症頻度が約2倍と有意に高いこと,潜在がんに関しても被爆者が有意に多いことが報告されている(甲B20)。そして,平成25年に発表された長崎原爆被爆者の放射線による前立腺がん発症率において,前立腺がんの罹患率を調査した結果,前立腺がんの放射線起因性が初めて統計学的に認められたことが報告された(甲B21)。
このように,被爆者に前立腺がんの有病率,罹患率が高いことは数々の論文で裏付けられており,その放射線起因性が認められることは科学的に立証されている(甲B16)。
(ウ)以上によれば,原告甲の前立腺がんには放射線起因性が認められる。エ
申請疾病(前立腺がん)の要医療性
原告甲は,平成24年に前立腺がん全摘除手術を受けた後,半年に一度の血液検査を継続し,現在も経過観察中である。原告甲の前立腺がんはステージⅢの進行性がんであり,再発リスクが高く,再発,転移を防ぐためには長期間にわたる経過観察が必須である。したがって,原告甲の前立腺
がんには要医療性が認められる。
(被告の主張)

原告甲の放射線被曝の程度(考慮要素1)
(ア)原告甲の自宅の所在地(東小島町)は爆心地から約4.2㎞の地点であり,長崎原爆に伴う放射線による影響が及んだ範囲に照らしても,初期放射線による影響は僅少であり,最大に見積もっても約0.2ミリグレイ以下である。
原告甲は,東京地方裁判所平成27年10月29日判決を参照し,東小島町に黒い雨が降った旨主張するが,長崎原爆に係る過去の記録上,長崎原爆投下直後に東小島町に黒い雨が降ったという事実は認められないし,この点に関する原告甲の主張も変遷しており信用し難い。また,仮に原告甲の自宅に黒い雨が降ったとしても,家財道具が濡れたというだけでは,原告甲が黒い雨を浴びたとは認められない。
(イ)原告甲が大橋電停付近で水浴びをしたとする時間は30分程度であり,それ以外に爆心地にとどまったという話は聞いていないというのであるから,原告甲の入市に伴う推定被曝線量は約0.11875ミリグレイにすぎず,原告甲が残留放射線により高線量の被曝をしたとは認められない。
原爆由来の放射性物質による内部被曝が,必ずしも一般的に健康に悪影響を及ぼすとまでは考え難いが,そもそも,原告甲が放射性物質に汚染された飲食物をどのくらいの量摂取したかは全く不明である。また,原告甲が長崎原爆投下から6日後に爆心地付近を通過した際に放射性物質を吸入して内部被曝したとしても,外部被曝同様,その影響は僅少であると考えられるし,仮に内部被曝は外部被曝より危険であるとしても,放射性物質が体内のどの臓器に沈着するのかは判明しておらず,内部被曝により前立腺がんが発症したことについて十分な立証はない。

(ウ)原告甲は,被爆後下痢が続いた旨主張するが,原爆被爆者調査票(乙B4)には原爆による急性症状として下痢が生じたとは記載されておらず,この点に関する原告甲の主張や供述が変遷していることからしても,このような事実は認められない。仮に,原告甲に下痢が生じたことがあったとしても,下痢は放射線の影響がなくても発症し得るのであって,原爆放射線の影響によるものとは認められない。
(エ)以上のとおり,原告甲の推定被曝線量は,原告甲の主張を前提としても全体として0.3ミリグレイ程度である。また,急性症状等も認められず,その他,上記推定を修正すべき具体的事情も認められない。上記線量は,日本人1人当たりの自然放射線量が年間2.1ミリシーベルトであることに鑑みれば,およそ人体に影響を及ぼすような程度のものとはいえない。

統計学的・疫学的知見等に基づく申請疾病等と放射線被曝との関連性の有無及び程度(考慮要素2)
固形がんと放射線被曝との関連性については,0.1ないし0.2グレイを下回るような低線量の放射線被曝と固形がんの発症率との関連性について認めた疫学的知見は存在せず,また,0.1ないし0.2グレイを下回る程度の線量の放射線被曝により固形がんが発症するリスクは,線量反応関係(放射線被曝線量が増加するに従って疾病発症リスクも増大する関係)を前提とする限り,ごくわずかである。
前立腺がんについては,前立腺の正常細胞がなぜがん化するのか,まだ十分に解明されていないのが現状である。原告甲は,前立腺がんに放射線被曝との関連性が認められることが確立した医学的知見であるかのように主張するが,その主張に係る論文等に照らしても,前立腺がんと放射線被曝との関連性が確立した医学的知見であるとまではいえない。


申請疾病等に係る他の原因(危険因子)の有無及び程度(考慮要素3)
前立腺がんは,罹患率が65歳前後から顕著に高くなるとされており,加齢とともに多くなるがんの代表であるとされている。そして,原告甲は,70歳頃に前立腺がんに罹患したものと考えられ,一般的な前立腺がんの好発年齢に至った後に前立腺がんに罹患したものと認められる。

申請疾病(前立腺がん)の放射線起因性(総合考慮)
前記アのとおり,原告甲の放射線被曝の程度については,初期放射線による影響は僅少であったと認められるし,残留放射線により高線量の外部被曝又は内部被曝をしたと認めるに足りる証拠もない。また,仮に原告甲が主張するような内部被曝があったとしても,放射性物質が前立腺又はその付近に沈着することがあるのかは不明である。
また,前記イのとおり,0.1ないし0.2グレイを下回る程度の線量の放射線被曝により固形がんが発症するリスクはごく僅かであるし,そもそも,前立腺がんと放射線被曝との関連性について確立した医学的知見が存在するとはいえないのであって,前立腺がんが放射線に起因するものであるか否かは,相当慎重に検討される必要がある。
その上,前記ウのとおり,前立腺がんは,加齢とともに多くなるがんの代表であるとされているところ,原告甲は,一般的な前立腺がんの好発年齢に至った後に前立腺がんに罹患したのであるから,原告甲は,放射線以外の危険因子によって前立腺がんを発症したものとして,優に合理的な説明が可能である。
以上を総合すれば,通常人をして,原告甲の前立腺がんは,原爆放射線被曝とは無関係に発症したのではないかという合理的疑いがなお残るというべきであり,原告甲の前立腺がんの放射線起因性は認められない。

申請疾病(前立腺がん)の要医療性
不知ないし争う。

(3)原告乙の原爆症認定要件該当性(特に狭心症の放射線起因性)
(原告乙の主張)

被爆状況等
原告乙(被爆当時18歳)は,昭和20年5月10日から糸崎(現在の広島県三原市)の教育駐屯隊に派遣されていたところ,同年8月6日午後3時頃,所属部隊の命令により,広島に向けて糸崎を出発し,途中で列車が不通となり線路伝いに歩き,同日午後11時頃に比治山下比治山本町(爆心地から2㎞以内)の船舶通信隊電信第2部隊に到着し,宿営した。原告乙は,同月7日から同月11日までの間,救援部隊の指示により救援活動に従事した。原告乙は,その間,日中は広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム)など爆心地付近や爆心地から2㎞以内の地域において救助及び救護活動を行い,炎天下の土埃と臭いの中で,倒壊したり焼け落ちたりした建物から死傷者を探し出したり,遺体を処理隊に引き渡したりし,夜間は比治山地区の救護所(爆心地から2㎞以内)において,被災傷病者の看護と傷死者の処置(遺体の焼却を含む。)に従事した。原告乙は,この間,マスクを着用せず,素手で作業し,汚れた手や身体,衣服を洗うこともできず,汚染された水や食物を摂取した。
原告乙は,同月12日,5日間の救援活動を終了して,糸崎の所属部隊に戻り,同年9月20日に除隊した。


被爆後に生じた症状,病歴等

(ア)原告乙は,救援活動に従事して数日後からしばしば下痢にみまわれた。原告乙には,当時,他にもいろいろ体調不良があったが,過酷な救援活動に従事していたので,自分の体調のことは言っていられず,今となっては明確な記憶はない。しかし,下痢の記憶ははっきりしており,これはその後も長期間続いた。
(イ)原告乙は,昭和42年11月(当時40歳),両眼の白内障と診断され,現在も治療継続中である。なお,原告乙は,平成22年4月20日,
白内障について原爆症認定の申請をしたが,平成23年5月27日付けで却下された。
原告乙は,平成18年3月,腹部と腹部総腸骨の動脈瘤が判明し,以後6か月ごとの検査が必要となった。
原告乙は,平成22年7月8日,左冠動脈狭窄狭心症が判明し,同年8月2日,経皮的冠動脈留置手術を受けた。その後,原告乙は,狭心症の再発と心筋梗塞発症の抑制のため,服薬治療と数か月に一度の定期検査を受けている。

申請疾病(狭心症)の放射線起因性
(ア)原告乙の被曝の程度
原告乙は,広島原爆が投下された昭和20年8月6日夜に広島市に入市し,同月7日から同月11日まで,連日,爆心地周辺や爆心地から2㎞以内の地域において捜索,救助,救護活動等に従事し,夜間も爆心地から2㎞以内の救護所で救護活動に従事していたものであり,これらの作業や飲食等により多量の放射線に被曝していることは明らかである。このことは,原告乙が急性症状としての下痢を発症していたこと,40歳という若年で白内障を発症していることからも裏付けられる。
また,原告乙は,新しい審査の方針における心筋梗塞の積極認定の要件(原爆投下より翌日までに爆心地から約1.0㎞以内に入市した者)に該当する。
(イ)心筋梗塞と放射線被曝との関連性
財団法人放射線影響研究所(以下放影研という。)による寿命調
査(LSS)や成人健康調査(AHS)の調査結果等(甲A501~510)によれば,放射線被曝により心筋梗塞に罹患する可能性が高まるというのは,疫学的知見として確立している。
(ウ)狭心症と放射線被曝との関連性

動脈硬化性の狭心症は,心筋梗塞と同様に,冠動脈の内壁や中膜にコレステロールのような一種の脂質が沈着し,その部分が肥厚して,血管内の血流を妨げることによって生じる。心筋梗塞は心臓の筋肉の一部が完全に死んでしまうのに対し,狭心症は完全には詰まっていないので心臓の筋肉は死んでいないという違いがあるが,両疾病は冠状動脈の動脈硬化が起こっているという点で共通している。循環器疾患については,放射線被曝によって起こる免疫機能の低下と炎症反応の持続が被爆者にアテローム性動脈硬化を引き起こし,被爆者に動脈硬化性の虚血性心疾患を誘発することが明らかになってきており(甲A508),放射線起因性の判断に当たり,動脈硬化性の虚血性心疾患である心筋梗塞と狭心症とを区別する必要も合理性もない。前述のとおり,心筋梗塞と放射線被曝との関連性を一般的に肯定することができる以上,狭心症と放射線被曝との関連性も一般的に肯定することができる。
被告は,原告乙の狭心症が安定狭心症であり,放射線被曝との関連性は認められないと主張するが,安定狭心症と不安定狭心症は,
臨床経過に基づく区別であって(甲A521),動脈硬化性の虚血性心疾患であるという発生機序に違いはなく,放射線起因性の判断において区別する合理的理由は存しない。安定狭心症か不安定狭心症かという違いによって原爆放射線の影響を否定しようとする被告の主張は,失当というほかない。
(エ)以上によれば,原告乙の狭心症には放射線起因性が認められる。エ
申請疾病(狭心症)の要医療性
原告乙は,狭心症の診断を受けた後,抗血小板剤,冠血管拡張剤の内服を継続し,2か月ごとの経過観察を継続している。これらは,狭心症の再発と心筋梗塞発症の抑制のために必要な治療である。よって,原告乙の狭心症には要医療性が認められる。

(被告の主張)

原告乙の放射線被曝の程度(考慮要素1)
原告乙の被爆状況等については不知。なお,原告乙の急性症状としての下痢については,これを客観的に裏付ける資料は見当たらないが,仮にそのような下痢があったとしても,下痢自体は放射線の影響でなくとも発症し得るものである。


統計学的・疫学的知見等に基づく申請疾病等と放射線被曝との関連性の有無及び程度(考慮要素2)
(ア)原告乙の狭心症が安定狭心症であることは,原告乙も特に争っていないところ,原爆投下後70年以上が経過した現在においても,被爆者やその他の放射線被曝者に関する研究において,安定狭心症と放射線被曝との間に統計学的に有意な関連性を認めた疫学的知見は存在しない。原告乙は,心疾患や循環器疾患と放射線被曝との関連性を認めた疫学的知見が存在することから,安定狭心症と放射線被曝との関連性も認められる旨主張する。しかし,心疾患や循環器疾患といった疾患
カテゴリーは,明らかに発症機序及び病態の異なる多種多様な疾患を包摂する概念である。これら種々の疾病を含んだ心疾患等全般についての発症率を調べた疫学的研究において,放射線被曝と心疾患等との間に関連性が認められたとしても,それは,放射線被曝と心疾患等に含まれるいずれかの疾病との間に関連性が認められ得ることを示すにすぎず,同じ心疾患等に含まれる他の疾病との関係では,放射線被曝と何ら関連性が認められていない可能性も十分にあるのであって,放射線被曝と心疾患等に含まれる全疾病との間に関連性が認められたことを意味するものではない。
(イ)心筋梗塞は,易傷性冠動脈粥状硬化性プラークの破綻とそれに続く血栓形成により発症するものと考えられているのに対し,安定狭心症は,
プラークの破綻の経過を経ず,安定プラークの進展により冠動脈内腔が狭小化することで発症するものと考えられており,両者の機序は病理学的に異なる。そして,比較的高線量の放射線被曝と心疾患との間には,一定の関連性が認められるものの,その機序は明らかにされておらず,放射線被曝がプラークの破綻にのみ寄与している可能性も否定することができない。そのため,仮に放射線被曝が心筋梗塞や不安定狭心症の発症に寄与するとしても,プラークの破綻を伴わない安定狭心症の発症等には何ら寄与していない可能性も否定することができない。

申請疾病等に係る他の原因(危険因子)の有無及び程度(考慮要素3)原告乙の狭心症については,原告乙の有していた脂質異常症,高血糖状態及び年齢(加齢)といった危険因子が重畳的に作用して動脈硬化を引き起こし,これを促進させ,その結果として発症したものと考えて,医学的に見て何ら不自然な点はない。
すなわち,原告乙は,平成15年11月27日の時点で脂質代謝について通院治療を受け,高コレステロール血症の治療薬であるクレストールの内服によりLDLコレステロール値が低下したとみられる平成22年2月頃までの間,LDLコレステロール値等が度々基準値を上回ることが続いていた。また,原告乙は,遅くとも平成20年5月16日には空腹時血糖が110mg/dLを超える124mg/dLで,その後も度々基準値を超えており,高血糖(境界型)の状態であったものと考えられる。
さらに,原告乙が狭心症を発症したのは,平成22年8月3日(当時83歳)頃であるところ,男性の場合,45歳以上であること自体が独立した虚血性心疾患の危険因子であるとされており,原告乙はこれを38年も上回る年齢で狭心症を発症しているのである。
これらの事情のみから考えても,原告乙の狭心症は,原告乙の有していた上記各危険因子が重畳的に作用して動脈硬化を引き起こし,これを促進
させ,その結果として発症したものと考えて医学的に何ら不自然でも不合理でもない。

申請疾病(狭心症)の放射線起因性(総合考慮)
原告乙の放射線被曝の程度については,それが人体に影響を及ぼし得る程度のものであった可能性を完全に否定するものではない。
しかし,前記イのとおり,そもそも安定狭心症と放射線被曝との関連性を認めた疫学的知見は見当たらないのであって,そのことのみからしても,原告乙の狭心症が原爆放射線に起因していたなどとは容易には考えられないというべきであり,被曝の程度を踏まえてもなお,原告乙の狭心症が放射線に起因するものであるか否かは相当慎重に検討される必要がある。そうであるところ,前記ウのとおり,原告乙は,加齢に加え,脂質異常症及び高血糖状態という狭心症を引き起こす危険因子を有していたのであるから,専ら上記各危険因子により狭心症が発症したと考えても,医学的に見て何ら不自然でも不合理でもないというべきである。
以上を総合すれば,通常人をして,原告乙の狭心症は,原爆放射線被曝とは無関係に発症したのではないかという合理的疑いがなお残るというべきであり,原告乙の狭心症の放射線起因性は認められないというべきである。


申請疾病(狭心症)の要医療性
不知ないし争う。

(4)国家賠償責任の有無等
(原告らの主張)
原告甲却下処分及び原告乙却下処分はいずれも国家賠償法上違法であり,厚生労働大臣には故意又は過失が認められるから,被告は,原告らに対し,国家賠償責任を負う。
原告甲却下処分及び原告乙却下処分により原告らが被った精神的苦痛を慰
謝するには,それぞれ100万円が相当である。
(被告の主張)
原告甲却下処分及び原告乙却下処分は,いずれも十分な科学的根拠に基づくものであり,厚生労働大臣に職務上の法的義務違反がないことは明らかであって,国家賠償法1条1項の適用上違法となるものではない。損害の発生及びその金額については争う。
第3
1
当裁判所の判断
放射線起因性の判断枠組み(争点(1))
(1)放射線起因性の立証の程度等
被爆者援護法10条1項,11条1項の規定によれば,原爆症認定の要件として,①被爆者が現に医療を要する状態にあること(要医療性)のほか,②現に医療を要する疾病等が原子爆弾の放射能に起因するものであるか,又は,上記疾病等が放射線以外の原子爆弾の傷害作用に起因するものであって,その者の治癒能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため上記の状態にあること(放射線起因性)が必要であると解される。
ところで,行政処分の要件として因果関係の存在が必要とされる場合に,その拒否処分の取消訴訟において被処分者がすべき因果関係の立証の程度は,特別の定めがない限り,通常の民事訴訟における場合と異なるものではない。そして,訴訟上の因果関係の立証は,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではないが,経験則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり,その判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とすると解すべきである。
そして,被爆者援護法は給付ごとに支給要件を書き分けているところ,健康管理手当や介護手当の支給要件についてはいずれも弱い因果の関係でよい旨を明文で規定していること(同法27条1項,31条)と対比すれば,
原爆症認定については,放射線と疾病等又は治癒能力の低下との間に通常の因果関係があることを要件として定めたものと解するのが相当である。したがって,同法11条1項の原爆症認定の要件とされている放射線起因性については,原告らにおいて,原爆放射線に被曝したことにより,その疾病等又は治癒能力の低下を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明する必要があり,その判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とするものと解すべきである(最高裁判所平成12年7月18日第三小法廷判決・集民198号529頁参照)。
(2)放射線起因性の具体的判断手法
放射線起因性の立証の程度は上記のとおりであるが,人間の身体に疾病等が生じた場合に,その発症に至る過程においては,多くの要因が複合的に関連していることが通常であって,特定の要因から当該疾病等の発症に至った機序を逐一解明することには困難が伴うところであり,特に,放射線に起因する疾病等は,放射線に起因することによって特異な症状を呈するとは限らず,放射線に起因しない場合とその症状が同様であることもまま見受けられる上に,放射線が人体に影響を与える機序は,科学的にその詳細が解明されてはおらず,長期間にわたる調査にもかかわらず,放射線と疾病等の関係についての知見は,統計学的,疫学的解析による有意性の確認など,限られたものにとどまっており,これらの科学的知見にも一定の限界があるところである。
そうすると,放射線起因性の判断に当たっては,当該疾病等の発症等に至る医学的ないし病理学的機序を直接証明することを求めるのではなく,当該被爆者の放射線への被曝の程度と,統計学的ないし疫学的知見等に基づく申請疾病等と放射線被曝との関連性の有無及びその程度とを中心的な考慮要素としつつ,これに当該疾病等の具体的症状やその症状の推移,その他の疾病
に係る病歴(既往歴),当該疾病等に係る他の原因(危険因子)の有無及び程度等を総合的に考慮して,原子爆弾の放射線への被曝の事実が当該申請に係る疾病等又は治癒能力の低下を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性が認められるか否かを経験則に照らして判断するのが相当である。
そして,被爆者の放射線への被曝の程度を認定,評価するに当たっては,各種調査において爆心地から1.5㎞を超える地点で被爆した被爆者(いわゆる遠距離被爆者)や入市被爆者に脱毛や皮下出血等の急性症状が相当数発生したことが報告されており(甲A41,105,118,136,146~153,170等),これらを初期放射線による外部被曝の影響のみをもって合理的に説明することは困難であること等に照らすと,初期放射線による外部被曝だけでなく,残留放射線,すなわち,誘導放射線(原子爆弾の初期放射線の中性子によって誘導放射化された放射性物質が放出する放射線)や放射性降下物が放出する放射線(原子爆弾の核分裂によって生成された放射性物質等で地上に降下したものが放出する放射線)による外部被曝及び内部被曝の可能性も考慮に入れ,当該被爆者の被爆状況,被爆後の行動・活動内容,被爆後に生じた症状等に照らし,当該被爆者が健康に影響を及ぼすような相当程度の被曝をしたと認められるかどうかを個別具体的に検討する必要があるというべきである。
2
原告甲の原爆症認定要件該当性(争点(2))

(1)認定事実
前記前提となる事実等に加え,証拠(甲B15,原告甲本人のほか,掲記の各証拠)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。ア
被爆状況等
(ア)原告甲は,昭和▲年▲月▲日生まれ(被爆当時3歳11か月)の男性である。原告甲は,昭和20年8月9日当時,長崎市東小島町a番地(現在の同町b番c号)の自宅で,母,妹及び原告甲の3人で生活して
いた。なお,原告甲の自宅は,北東向きの階段状斜面の高台(標高約25m)の上に建てられており,爆心地から南南東方向に約4.2㎞の地点にある。(以上につき,甲B1~5,乙B7,11)
(イ)原告甲は,昭和20年8月9日午前11時2分頃,自宅屋内の窓際で昼寝をしていた際,長崎原爆に被爆した。原告甲が目を覚ますと,室内にかけられていた柱時計が畳の上に落ちており,割れた窓ガラスのガラス片が多数飛び散っていた。原告甲にかけられていたタオルの上にも,多数のガラス片が散乱していた。原告甲にけがはなかった。(以上につき,乙B1,4)
(ウ)原告甲は,長崎原爆に被爆した後,昭和20年8月15日に長浦村の母の実家に疎開するまで,自宅で母と妹と共に生活した。
原告甲の自宅は,長崎原爆の衝撃波や爆風により窓ガラスが割れたり屋根が壊れるなどした。
(エ)原告甲は,昭和20年8月15日,長浦村に疎開した。
原告甲は,迎えに来た母方の祖父並びに母及び妹と共に,東小島町の自宅を出発し,市電の線路沿いに徒歩で北に向かった。原告甲は,長崎駅や浦上を経由し,爆心地付近を通過し,時津の港から伝馬船に乗り,長浦村の母の実家に到着した。原告甲は,その間,自分で歩いたり,大八車に乗せてもらったりした。
その行程の途中,原告甲がむずかったため,爆心地の北方向約500mの地点にある大橋電停付近で休憩を取り,原告甲は,その近くを流れる浦上川で30分程度水浴びをした。(以上につき,甲B33,乙B1,4)

被爆後に生じた症状,病歴等

(ア)原告甲は,被爆する前は,大きな病気はなく健康であったが,被爆後は,小学校低学年の頃(昭和23年又は昭和24年頃)に首が傾いてい
ると言われ,小学校4年生又は5年生の頃(昭和26年又は昭和27年頃)には結核性肋膜炎に罹患して約2週間学校を休み,小学校6年生の頃(昭和28年頃)には肺結核の疑いで通院した。さらに,原告甲は,中学校2年生の頃(昭和30年頃)に急性腎臓炎に罹患し,1年間休学した。(以上につき,甲B16,乙B1,4)
(イ)原告甲は,昭和36年に高校を卒業し,その後,船舶に備品や食料等を供給する仕事や,総菜を製造販売する仕事をした。
原告甲は,平成3年(当時50歳)頃に頸椎症と診断され,その翌年に手術を受け,約2年間仕事をせずにリハビリに努めた。その後,高速道路の料金徴収の仕事やマンション管理の仕事に従事し,平成26年2月(当時73歳)まで仕事をした。
(ウ)原告甲は,平成19年(当時66歳)頃に高脂血症(脂質異常症)と診断され,平成23年(当時70歳)頃に申請疾病である前立腺がん(ステージⅢ)が発見され,その翌年に前立腺がんの全摘除手術を受けた。(以上につき,甲B16,乙B1~3)
また,原告甲は,その後現在に至るまでの間に,糖尿病,肺気腫,脳梗塞,自己免疫性甲状腺機能低下症(橋本病)及び髄膜腫に罹患した疑いがある(甲B31,32,証人丙。なお,これらの疾病については,上記各証拠の内容やその提出時期等に照らし,確定的なものとまでは認め難い。)。
(エ)原告甲の前立腺がんは,現在,再発や転移はしていない。もっとも,原告甲は,半年に一度,前立腺がんに再発や転移がないかどうかを検査するため,血液検査等を受けている。(以上につき,甲B16)
(2)事実認定の補足説明

黒い雨による被曝について

(ア)原告甲は,家財道具が雨に濡れてしまったと母が嘆いていたことに加
え,東小島町に黒い雨(多量の放射性物質を含む雨)が降ったことを認定した東京地方裁判所平成27年10月29日判決(甲A733の313頁)や,その尋問調書(甲B10・4頁等)を援用し,東小島町の自宅周辺にも黒い雨が降った旨主張する。
しかし,長崎原爆資料館編長崎原爆戦災誌第1巻総説編改訂版2
45頁(乙B9)には,長崎の降雨について…手記や証言によると,医大附属病院裏の丘陵,本原町,穴弘法,金比羅山,西山四丁目付近にかけての地域が多い。その他西部では瓊浦中学校付近,北部では住吉トンネル工場付近,川平地区等で降雨を見ており,また南東部では寺町付近でも少量の降雨があった。と記載されており,東小島町はこれらの中に含まれていない。また,上記東京地方裁判所平成27年10月29日判決は,放射性降下物は,長崎においては,一般に,土壌のプルトニウム調査の結果から,爆心地の真東から北に15度,南に10度の扇形の方向に広がったと考えられてはいるが…爆心地から南南東方向の…自宅付近にも飛散した可能性も十分にあるというべきである。と認定説示しており,同判決の事案においても,東小島町に黒い雨が降ったことを裏付ける客観的な資料はなかったことがうかがわれる。さらに,原爆投下から数時間以内に黒い雨が降って家財道具が濡れたのであれば,印象的な出来事として,原告甲の母もそのような内容の話をしそうなものであるが,原告甲は,母から,雨が降った時期については聞いていないというのである(原告甲本人)。これらの点からすると,上記判決及び尋問調書を踏まえてもなお,本件の証拠上,東小島町の原告甲の自宅付近に長崎原爆による黒い雨が降ったとは認められない。
また,仮に東小島町の自宅付近に黒い雨が降ったという事実を認定し得たとしても,被爆当時屋内にいた原告甲が,その後屋外に出るなどして黒い雨に濡れたというような主張や証拠はないし,原告甲は,母及び
妹と共に,長崎原爆投下から6日後の昭和20年8月15日まで東小島町の自宅で生活しているものの,その間の生活状況等は不明であり,放射性物質により汚染された水や食物を摂取したり,屋外で活動することにより土埃等に含まれる多量の放射性物質を吸入したりした事実を認めるに足りる証拠はない。さらに,原告甲は,被爆当時,特にけがはなかったというのであるから(乙B1,4),傷口から放射性物質が体内に侵入したとも認め難い。
したがって,原告甲が主張するような機序による被曝の可能性はないとはいえないが,本件の証拠の下では,原告甲が,東小島町の自宅付近に降った黒い雨に濡れたり,これにより汚染された水や食料を摂取したり,土埃等を吸入したりすることにより,健康に影響を及ぼすような相当程度の被曝をしたとは認められない。
(イ)この点に関し,原告甲は,①原告甲の自宅は,東小島町の高台の上にあり,平地と比較して多量の放射性物質が降下したと考えられる,②原告甲の自宅のある爆心地から4ないし5㎞の地点は,最も放射性降下物が降下しやすく,現に,鎌田七男ほか広島フォールアウト地域4重がん症例の肺がん組織で証明された内部被ばく(甲B13)においても,広島原爆の爆心地から4.1㎞の地点で被爆した女性の肺組織からアルファ線が出ていることが確認されているなどと主張する。
しかし,①については,原告甲の自宅があった高台は標高約25mにすぎず(認定事実ア(ア)),当該地域の現在の外観(甲B4,5)からしても,放射性降下物が降下する量が周辺の平地部分と大きく異なるとは考え難い。また,②については,爆心地から4ないし5㎞の地点に一律に放射性降下物が多く降下したことを客観的に裏付けるような証拠は見当たらないし,鎌田七夫ほかの論文(甲B13)で紹介されている事例も,広島原爆投下後に特に多く黒い雨が降ったとされている高須地区
において被爆し,畑の野菜を食べるなどして自宅で約2週間過ごした女性についてのものであって(甲B14),爆心地から4ないし5㎞の地点に一律に放射性降下物が多く降下したことを裏付けるものではなく,原告甲の自宅付近に放射性降下物が多く降下したことを推認させるものでもない。原告の上記主張はいずれも採用することができない。

急性症状としての下痢等について

(ア)原告甲は,長浦村に到着した後,急性症状である下痢を発症し,その後も長く続いたと主張する。
しかし,原告甲の母は,原告甲が15歳であった昭和32年6月頃,長崎市長に対し,原告甲の被爆者健康手帳交付申請をし,同年9月13日,原告甲の被爆者健康手帳が交付されているところ(前提事実(2)イ),上記申請の際に原告甲の母が提出した原爆被爆者調書票には,原爆による急性症状(おおむね6ヶ月以内)のげり欄にチェッ
クがされていない(乙B4)。そして,上記調書票の今までにかかった病気の被爆後欄には比較的詳細な記載があることにも鑑みると,上記調書票のとおり,そもそも原告甲が主張するような下痢の症状はなかったと考えるのが自然であるし,仮に長浦村到着後に原告甲に下痢の症状があったとしても,原告甲の母の記憶に残らない程度であるか,急性症状として記載する必要はないと思う程度の軽微なものであったと考えるのが自然である。
また,原告甲は,原爆症認定の申請書に

下痢をしたと聞いています。

と記載し(乙B1),訴状においては,幼少期の頃の事実関係はほとんどが母から聞いたことであると主張していたが,上記調書票に下痢の記載がないこと等を被告から指摘された後,原告甲自ら下痢を発症したことを覚えている旨主張するようになり,陳述書(甲B15)にも原告甲自身の記憶であるかのように記載されているが,原告甲の本人尋
問においては,下痢について,祖父又は祖母から聞いた記憶がある旨の供述をするに至っている。このように,下痢の発症等に関する主張や供述等が一貫性を欠いていることに加えて,原告甲が主張ないし供述する下痢の症状の程度等が明らかでないことにも照らすと,長浦村において下痢を発症した旨の原告甲の供述等は,信用性に乏しいといわざるを得ない。
したがって,原告甲が,長浦村に到着した後,放射線被曝の急性症状と評価し得るようなひどい下痢を発症したとは認められない。原告甲の上記主張は採用することができない。
(イ)原告甲は,被爆後に倦怠感を感じるようになった旨主張し,これに沿う供述等(甲B15,原告甲本人)をする。
しかし,原告甲の母が昭和32年6月頃に作成した原爆被爆者調書票(乙B4)の現在の健康状態欄をみると,体がだるいつかれやすいは選択されておらず,何も異常がないが選択されている。しかも,倦怠感は飽くまでも主観的なもので,誰もが多かれ少なかれ感じるものであるし,下痢の発症に係る原告甲の供述等の信用性(上記(ア))にも照らすと,上記倦怠感について,これを病的な程度のものとみるべきかどうかについては,なお疑問が残るといわざるを得ない。したがって,原告甲のいう倦怠感について,これを放射線被曝の影響によるもの(いわゆる慢性原子爆弾病又は原爆ぶらぶら病)とみるべきかどうかについては,疑問があるといわざるを得ない。
(3)申請疾病(前立腺がん)の放射線起因性

放射線被曝の程度
(ア)被爆直後の初期放射線による被曝
上記認定事実ア(ア)(イ)によれば,原告甲は,長崎原爆の爆心地から約4.2㎞離れた自宅屋内の窓際において被爆したと認められるところ,
この地点における2002年線量評価体系(以下DS02とい
う。)に基づく推定被曝線量は,屋外遮蔽なしとしても0.2ミリグレイ以下であると認められ(乙B8),この数値は,例えばCT検査1回の被曝線量(約10ミリグレイ。乙A115)と比較してもごくわずかなものである。また,丙医師が初期放射線に限って言えば,人体に影響あるほどではない低線量被曝だと思いますね初期放射線は4キロも飛びませんなどと供述していること(証人丙)にも照らすと,DS02により推定される初期放射線の被曝線量には一定の誤差があり,過小評価となっている可能性があること(甲A103等)を十分に考慮しても,原告甲の初期放射線による被曝線量は,事実上無視し得る程度に僅少なものといわざるを得ない。
(イ)自宅での生活の際の放射性降下物による被曝
原告甲は,原告甲の自宅付近に黒い雨が降ったことを前提として,長浦村に疎開した昭和20年8月15日までの間に,放射性物質を呼気や飲食によって体内に取り込むことにより内部被曝をしたと主張する。しかし,上記(2)アで説示したとおり,本件の証拠上,東小島町の自宅付近に黒い雨が降ったとは認められないし,仮に降っていたとしても,原告甲が,黒い雨に濡れたり,放射性物質に汚染された水や食料を摂取したり,土埃等に含まれる多量の放射性物質を吸入したりした事実を認めるに足りる証拠はない。したがって,原告甲が主張する上記のような機序により,原告甲が健康に影響を及ぼすような相当程度の被曝をしたとは認められない。
(ウ)入市の際の残留放射線による被曝
上記認定事実ア(エ)によれば,原告甲は,長崎原爆が投下された6日後の昭和20年8月15日,長浦村に疎開する際に爆心地付近を通過し(同日正午頃とすると長崎原爆投下から約145時間後),その行程の
途中,爆心地から約500mの地点にある大橋電停付近で休憩を取り,その近くを流れる浦上川で30分程度水浴びをしたことが認められる。このような原告甲の行動等に照らすと,原告甲は,大八車に乗せられ又は徒歩で爆心地付近を通過する際,その土埃等と共に放射性物質を吸入したり,これを皮膚に付着させたりした可能性があり(なお,原告甲は当時3歳11か月であったから,自らの足で歩いていたとすれば,成人よりも地面に近いところで呼吸しているから,地面から巻き上げられる土埃等を吸入しやすい状況にあったといえる。),また,原告甲は,浦上川で水浴びをした際に,放射性物質を皮膚に付着させたり,放射性物質を含む水を飲んだりした可能性もある。そして,内部被曝は,身体内部の局所的かつ継続的な被曝であって,外部被曝とはその被曝態様が異なることから,放射線学の専門家による各種報告書等(乙A101,138,139等)の見解を踏まえてもなお,被告が主張するように内部被曝による健康影響は外部被曝による健康影響と同等又は低いと断ずることはできない。
しかし,原告甲が入市したのは,長崎原爆が投下された6日後(正午頃であれば原爆投下から約145時間後)であり,爆心地付近の残留放射線は相当程度減衰していたと考えられる。すなわち,放射線被曝者医療国際協力推進協議会編原爆放射線の人体影響1992351頁以下によれば,爆心地に一定時間滞在した場合の積算線量につき,

爆発後,約100時間(~4日)後までの線量が高いことがわかる。

積算線量の約80%は1日目が占めており,2日目から5日目までの線量が約10%,6日目以降の総線量が約10%を占めることがわかる。

などとされており,原爆投下から6日目の爆心地付近の残留放射線は,既に相当程度減衰していたことが示されている(甲A177,乙A118)。また,放影研の『残留放射線』に関する放影研の見解3頁に
よれば,広島・長崎における早期入市者の被曝線量推定値は,1日ごとにほぼ半減するとされているし(乙A101),残留放射線が日時の経過により急速に減衰することについては,原告甲に係る医師意見書(甲B16)6頁の計算式及び計算結果等からも裏付けられる(なお,新しい審査の方針における固形がん等の積極認定の基準は,原爆投下から約100時間以内に爆心地から約2㎞以内に入市したことである。)。このように,長崎原爆が投下された6日後においては,爆心地付近の残留放射線が相当程度減衰していたと考えられることからすると,その頃に爆心地付近を通過したことによる外部被曝はもとより,その際に空中に浮遊する放射性物質を吸入したこと等による内部被曝についても,その放射線被曝の程度は相当小さくなっていたと考えるのが合理的である。また,原告甲は,祖父や母に連れられて,昭和20年8月15日,東小島町から長浦村まで移動しているのであるから,休憩や水浴びの時間を考慮しても,爆心地から2㎞以内の地域を通過するのに要する時間はせいぜい数時間程度であると考えられ,爆心地付近に滞在した時間はさほど長時間であるとはいえない。
そうすると,原告甲が爆心地付近を通過した際に,放射性物質を吸入したり摂取したりしたことは推認し得るものの,原告甲がこれにより健康に影響を及ぼすような相当程度の被曝をしたと認めるには,なお合理的な疑いが残るといわざるを得ない。
(エ)急性症状やその後の病歴からの推認の可否
原告甲は,長浦村に到着した後,急性症状としての下痢を発症したとして,健康に影響を及ぼすような相当程度の被曝をしたと主張するが,上記(2)イで説示したとおり,原告甲が急性症状と評価し得るようなひどい下痢を発症したとは認められない。また,原告甲が主張する倦怠感についても,これを放射線被曝の影響によるもの(慢性原子爆弾病又は
原爆ぶらぶら病)というには,疑問があるといわざるを得ない。
また,原告甲の病歴をみると,小学校低学年の頃に首が傾いていると言われ,小学校4年生又は5年生の頃に結核性肋膜炎に罹患し,小学校6年生の頃には肺結核の疑いで通院し,中学校2年生の頃に急性腎臓炎に罹患し(認定事実イ(ア)),病気がちであったことがうかがわれるが,これらの疾病は,必ずしも放射線被曝と関連性が強いとされているものではなく,原告甲の原爆放射線被曝と関係があるかどうかは明らかでない。また,原告甲は,その後,50歳の頃に頸椎症に罹患しているものの(同イ(イ)),これも放射線被曝との関連性が強いとされている疾病ではないし,かえって,頸椎症を除けば,10代後半から60代後半に至るまで,特に大きな病気には罹患していないことがうかがわれる。その後,原告甲は,66歳頃に高脂血症(脂質異常症)と診断され,70歳頃に申請疾病である前立腺がん(ステージⅢ)が発見され,その全摘除手術を受け,それ以降も,放射線被曝との関連性が指摘されている複数の疾病に罹患した疑いがあるが(同イ(ウ)),いずれも放射線被曝と関係なく発症し得る疾病であって,高齢者に比較的よくみられる疾病でもあり,原告甲が60代後半からこれらの疾病に罹患したこと等をもって,直ちに原告甲が健康に影響を及ぼすような相当程度の被曝をしたと推認するには,なお合理的な疑いが残るといわざるを得ない。
以上によれば,原告甲の急性症状やその後の病歴に照らしても,原告甲が,長崎原爆に被爆したことにより,健康に影響を及ぼすような相当程度の被曝をしたと推認することはできない。

原告甲の前立腺がんの放射線起因性
(ア)原告甲の申請疾病は前立腺がんであるところ,前立腺がんは,固形がんの一種として新しい審査の方針における積極認定の対象疾病に該当し,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であると認められる
(甲A120,甲B11,16~21,証人丙)。
(イ)しかし,前記アで説示したとおり,原告甲は,長崎原爆に被爆したことにより,健康に影響を及ぼすような相当程度の被曝をしたとは認められない。
しかも,前立腺がんは,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病ではあるものの,他方で,放射線被曝と関係なく発症し得るそれほど珍しくない疾病であり,日本人男性が生涯で前立腺がんに罹患する確率は約10%であるとされ(乙A612),男性のがん罹患数全体の約15%を占め(乙A621),罹患率は60歳頃から高齢になるにつれて顕著に高くなるとされている(乙A622)。そして,原告甲は,70歳の時に前立腺がんの診断を受けており(認定事実イ(ウ)),正に前立腺がんの好発年齢においてこれを発症したものであって,放射線被曝の影響とは関係なく前立腺がんを発症したとしても不自然ではない。(ウ)以上を総合すると,原告甲につき,原子爆弾の放射線への被曝の事実が申請疾病(前立腺がん)を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性があると認めるには,なお合理的な疑いが残るといわざるを得ず,原告甲の前立腺がんが長崎原爆の放射線に起因するものであるとは認められない。
(4)小括
よって,原告甲の前立腺がんに放射線起因性は認められず,原告甲却下処分は適法というべきであるから,原告甲の同処分の取消請求は理由がない。3
原告乙の原爆症認定要件該当性(争点(3))

(1)認定事実
前記前提となる事実等に加え,証拠(甲C2,乙C15のほか,掲記の各証拠)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

被爆状況等

(ア)原告乙は,大正▲年▲月▲日生まれ(被爆当時18歳)の男性である。原告乙は,16歳から陸軍燃料工廠で働いていたが,昭和20年4月,18歳の時に志願して入隊した。当初は船舶工兵として山口県大島郡伊保庄の陸軍船舶部隊に所属し,同年5月10日に糸崎(現在の広島県三原市)の教育駐屯隊に派遣された。(以上につき,甲C6)
(イ)原告乙は,昭和20年8月6日午後3時頃,所属部隊の命令により,糸崎を国鉄列車で出発して広島へ向かった。同日午後10時頃,府中大川の鉄橋が壊れて列車は通行不能になっていたため列車から降り,歩いて鉄橋を渡り,線路伝いに広島駅に向かった。広島駅前から道路を歩いて荒神橋を経由し,市電線路を通り,同日午後11時頃,比治山下比治山本町の船舶通信隊電信第2部隊に到着し,そこで宿営した。(以上につき,甲C5,乙C1,4,8)
(ウ)原告乙は,昭和20年8月7日から同月11日までの間,部隊の指示により,おおむね午前8時から午後6時まで,救援活動に従事した。具体的には,原告乙は,①同月7日,爆心地の広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム)内部とその周辺,次に基町の第1陸軍病院,同分院,護国神社及びその周辺(爆心地から各500m以内),②同月8日,広島城(大本営跡)内の陸軍中国軍管区司令部の内部及びその周辺(同1㎞以内),③同月9日,広島市千田町所在の日本赤十字病院の内部及び外部(同1.5㎞以内),④同月10日,国鉄広島駅北西隣接地の二葉の里(騎兵第五聯隊)第二総軍司令部の内部及び外部周辺(同2㎞以内),⑤同月11日,白島北町工兵第五聯隊の内部と周辺(同1.5㎞以内)及び国鉄横川駅(同1.7㎞)等において,救援活動に従事した。また,原告乙は,同月7日から同月11日までの間の夜間,比治山地区の救護所(同2㎞以内)において,被災傷病者の看護と死傷者の処置(遺体の焼却を含む。)に従事した。(以上につき,甲C5,7,乙C
1,4,8)
(エ)原告乙は,当時,投下された爆弾が原子爆弾であることを知らず,放射線被曝の危険性やこれを防護する知識も全くなかったため,救援活動等に従事するに当たり,放射線防護服やマスクを着用せず,素手で作業していた。また,原告乙は,その間,汚れた手や身体,衣服を洗うこともできず,汚染された水や食物を摂取していた。
(オ)原告乙は,昭和20年8月12日,救援活動を終了して,糸崎の所属部隊に帰り,同年9月20日に除隊した。(以上につき,甲C5,乙C1,4,8)

被爆後に生じた症状,病歴等
(ア)原告乙は,救援活動に従事して数日後からしばしば下痢にみまわれ,他にもいろいろな体調不良が生じた。また,下痢はその後も長期間続いた。
(イ)原告乙は,昭和42年11月(当時40歳),運転免許証の更新手続の際,両眼視力の低下(両眼0.6)を指摘され,その後,両眼の白内障と診断された。
原告乙は,平成12年8月11日(当時73歳),両眼視力0.5,両眼水晶体に白内障混濁があると診断されたことから,健康管理手当を申請し,白内障の治療を受けることとなった。そして,原告乙は,平成22年4月20日,両眼の白内障を申請疾病として原爆症認定の申請をしたが,平成23年5月27日付けで却下され,異議申立てをしたものの,平成25年11月22日付けで棄却された。(以上につき,乙C8~16,証人丁)。
(ウ)原告乙は,平成18年3月(当時79歳),腹部と腹部総腸骨に動脈瘤があることが判明し,それ以後,6か月ごとの検査が必要となった。また,原告乙は,82歳の頃,高コレステロール血症と診断された。
(以上につき,乙C3)。
(エ)原告乙は,平成22年6月(当時83歳)頃から左胸部痛を時折自覚するようになり,同年7月1日,京都第一赤十字病院を受診した。そして,同月8日,原告乙に薬物負荷心筋シンチグラムが行われた結果,薬物負荷による症状の出現や心電図変化は認めなかったが,シンチグラムから下壁の虚血が疑われた。そこで,原告乙は,同年8月2日,同病院に検査入院し,同月3日,狭心症の疑いで心臓カテーテル検査を受けたところ,右冠動脈に90パーセントの狭窄が認められた。
原告乙は,同月9日,再び検査入院し,同月10日,経皮的冠動脈ステント留置術が施行され,遅くとも同日付けで,正式に狭心症と診断された。(以上につき,甲C1,3,乙C1,3,証人丁)
(オ)原告乙は,その後,狭心症の再発と心筋梗塞発症の抑制のため,抗血栓薬等の投薬治療と,数か月に1度の定期検査を受けている(甲C1,3,証人丁)。
(2)申請疾病(狭心症)の放射線起因性

放射線被曝の程度について
原告乙は,広島原爆の初期放射線には被曝していないものの,広島原爆が投下された昭和20年8月6日夜に広島市に入市し,同月7日から同月11日まで,連日,日中は爆心地周辺又は爆心地から2㎞以内の地域において救援活動に従事し,夜間は比治山地区の救護所(爆心地から2㎞以内)で傷病者の看護と傷死者の処置等に従事していたのであり(認定事実ア(イ)(ウ)),この期間中,残留放射線による外部被曝を受けただけでなく,空気中に浮遊する土埃等に含まれる放射性物質を吸入したり,放射性物質により汚染された水や食物を摂取したりすることにより,多量の放射性物質を体内に取り込んで内部被曝を受けたものと推認される。また,原告乙が,40歳という若年で,放射線被曝との関連性が強いとされる白内障
(両眼)に罹患していることも考慮すると,原告乙は,広島原爆の残留放射線により,健康に影響を及ぼすような相当程度の被曝をしたと認められる。

申請疾病(狭心症)と放射線被曝との関連性について
(ア)狭心症及び心筋梗塞の一般的知見(甲A521,乙A502,503,506,証人丁,弁論の全趣旨)
a
狭心症は,冠動脈病変により,心筋が一過性に虚血,すなわち酸素欠乏に陥ったために生じる特有な胸部及びその隣接部の不快感(狭心痛)を主症状とする臨床症候群である。
狭心症は,発生機序,発作の誘因及び臨床経過の観点から,以下のとおり分類されている。
(a)発生機序の観点から,冠動脈の動脈硬化による器質的狭窄による器質性狭心症,冠動脈の攣縮による冠攣縮性狭心症,冠動脈プラ
ークの傷害やびらんを背景に急速に血栓が形成される冠血栓性狭
心症に分類される。
(b)発作の誘因の観点から,一定以上の労作によって誘発され安静によって消失する労作性狭心症,安静時においても発生する安静狭
心症等に分類される。
(c)臨床経過の観点から,ある一定以上の労作によって生じる安定狭心症と,発作の頻度や強度が増加してくる不安定狭心症に分類さ
れる。不安定狭心症は,急性心筋梗塞や突然死に至る危険性が高
いとされる。

b
心筋梗塞は,冠動脈が何らかの原因で部分的にあるいは完全に閉塞することによって急激に冠動脈血流が減少し,その結果,心筋壊死を来す疾患であり,狭心症との違いは臨床的に心筋壊死が捉えられるか否かである。心筋梗塞のほとんどは,冠動脈硬化によるプラークの破
綻,これに続く血小板凝集と血栓が原因であるとされている。
c
動脈硬化は,一般に,粥状動脈硬化症(アテローム性動脈硬化症)のことを指す。これは,血管の内膜表面を覆っている内膜細胞が様々な刺激により傷害され,そこに単球(白血球)由来マクロファージなどが浸潤して血中の脂質を取り込んでアテローム(粥腫)を形成し,そこに平滑筋や線維細胞等が増殖,蓄積してプラークとなり,プラークが大きくなることによって生じると考えられている。そして,プラーク内に平滑筋と繊維成分が多くなると繊維性プラークになって安定化する一方,プラークが柔らかい脂質等を多量に含み,これを覆う被膜が薄くなると,交感神経の亢進や化学的因子,物理的なストレスによって破綻することがある。

(イ)心筋梗塞及び動脈硬化と原爆放射線被曝との関連性
心筋梗塞については,放影研による被爆者の寿命調査・死亡率調査に関する報告書(甲A501~503,505),被爆者の成人健康調査に関する報告書(甲A504),これらの調査結果を基礎とした報告や論文(甲A506,507,510)等により,心筋梗塞と原爆放射線被曝との関連性を肯定する疫学的知見が集積している(甲A509参照)。そして,新しい審査の方針が心筋梗塞を積極認定の対象疾病として位置付けていることも考慮すると,心筋梗塞と原爆放射線被曝との関連性については,これを一般的に肯定することができる(被告も,比較的高線量の放射線被曝と心筋梗塞との間に一定の関連性が認められることについては,特に争っていない。)。
そして,心筋梗塞は,ほとんどの症例が冠動脈硬化を原因とするものであるところ(上記(ア)b),被爆時年齢が20歳未満の男性の若年直接被爆者では大血管の動脈硬化が強いとする研究報告(甲A510)や,放射線被曝が,ヘルパーT細胞数の減少に伴う免疫機能低下を引き起こ
し,ウイルスによる慢性的な炎症反応を誘発し,動脈硬化及び心筋梗塞の発症の促進に寄与していることを示唆する複数の研究報告(甲A507,508,514,516,520)があり,放射線被曝と動脈硬化との関連性や,放射線被曝が動脈硬化及び心筋梗塞の発症を促進する機序についても,科学的な知見が集積してきている(甲A509,517参照)。このことは,心筋梗塞と放射線被曝との関連性を更に強固に裏付けるとともに,原爆放射線被曝と動脈硬化との関連性をも肯定させるものといえる。
(ウ)動脈硬化性の安定狭心症と原爆放射線被曝との関連性
a
原告乙の申請疾病である狭心症は,診断時に右冠動脈に90パーセントの狭窄が認められるなど冠動脈の動脈硬化による器質性狭心症であることは明らかであり,その治療経過等(上記(1)イ(エ))に照らすと,臨床経過の観点の分類においては,安定狭心症に分類されるものと認められる(証人丁,弁論の全趣旨)。

b
ところで,動脈硬化性の狭心症(器質性狭心症)は,前述のとおり,冠動脈の動脈硬化による器質的狭窄によって生じる(上記(ア)a)。他方,心筋梗塞のほとんどは,冠動脈硬化によるプラークの破綻によって生じ,狭心症との違いは臨床的に心筋壊死が捉えられるか否かであるとされている(上記(ア)b)。
そうすると,動脈硬化性の狭心症と心筋梗塞とは,粥状動脈硬化症を主因とする虚血性心疾患であるという機序において何ら異なるところがない。そして,心筋梗塞と放射線被曝との関連性については一般的に肯定することができ,かつ,放射線被曝と動脈硬化との関連性やその機序についても科学的な知見が集積していること(上記(イ))を考慮すると,動脈硬化性の狭心症については,これに特化した疫学的知見は見当たらないものの,放射線被曝との関連性を一般的に肯定す
ることができるというべきである。
そして,動脈硬化性の狭心症については,臨床経過の観点からは安定狭心症と不安定狭心症に分類されるが(上記(ア)a),動脈硬化性の狭心症につき放射線被曝との関連性を一般的に肯定することができるのは上記のとおりであり,放射線被曝との一般的な関連性の有無について,安定狭心症か不安定狭心症かを殊更に区別する合理的な理由は見出し難い。
c
これに対し,被告は,心筋梗塞はプラークの破綻とそれに続く血栓形成により発症するものと考えられているのに対し,安定狭心症はプラークの破綻の経過を経ず,安定プラークの進展により冠動脈内腔が狭小化することで発症するものと考えられており,両者の機序は病理学的に異なるとした上で,放射線被曝がプラークの破綻にのみ寄与している可能性も否定することができないから,放射線被曝がプラークの破綻を伴わない安定狭心症の発症に寄与していない可能性も否定し得ないなどと主張し,安定狭心症につき放射線被曝との関連性は認められないと主張する。
しかし,心筋梗塞と原爆放射線被曝との関連性については一般的にこれを肯定することができ,放射線被曝と動脈硬化との関連性やその機序についても科学的な知見が集積してきていることは前述のとおりである。そして,プラークが破綻するか否かは,プラークがより多くの脂質等を含むことにより被膜が薄くなるか否かや,その上で破綻のきっかけに遭うか否かによるのであり,心筋梗塞と安定性狭心症とでプラークの形成機序が異なるものとはいえない。他方で,放射線被曝がプラークの破綻にのみ作用していることを裏付けるような科学的な知見は特に見当たらないから(少なくとも,被告からこのような可能性を裏付けるような客観的な資料等は示されていない。),放射線被
曝がプラークの破綻にのみ寄与している可能性は抽象的なものにすぎないのであって,これを考慮に入れるべき必要性は見出し難い。したがって,被告の上記主張は採用することができない。

狭心症に係る他の原因(危険因子)について

(ア)狭心症の危険因子
狭心症の危険因子としては,虚血性心疾患の三大危険因子といわれる脂質異常症,高血圧及び喫煙のほか,糖尿病,肥満,年齢,性別(男性)等があるとされる(乙A504,510,511)。
被告は,原告乙には脂質異常症,高血糖状態及び年齢(加齢)の危険因子があったとして,これらの危険因子が重畳的に作用して動脈硬化を引き起こし,狭心症の発症に至ったと考えて何ら不自然でも不合理でもないと主張するので,以下,検討する。
(イ)脂質異常症について
a
脂質異常症とは,高LDLコレステロール血症(140mg/dL以
上),高トリグリセライド血症(150mg/dL以上)又は低HDLコレステロール血症(40mg/dL未満)をいい,いずれも虚血性心疾患の危険因子である。虚血性心疾患の一次予防ガイドライン(2012年改訂版)によれば,日本人における総コレステロール値と虚血性心疾患の関連性をみると,総コレステロール値160ないし170mg/dL以下に比べ,男性では200mg/dLで1.7倍から2倍に,220mg/dLでは2倍から5倍に上昇するとされている。また,LDLコレステロール値80mg/dL未満の群に対し,140mg/dLの群では冠動脈疾患の発症が約2.8倍に増加することが示されたとされている。(以上につき,乙A510)
b
狭心症と診断される前の,原告乙のLDLコレステロール値(いわゆる悪玉コレステロール)の推移をみると,140mg/dL以上が高L
DLコレステロール血症とされるところ,平成16年10月12日が144mg/dL,平成20年8月3日が124mg/dL,同年10月27日が145mg/dL,平成21年2月16日が130mg/dL,同年3月27日が136mg/dL,同年10月21日が173mg/dL,平成22年2月8日が98mg/dL,同年8月9日が77mg/dLである(甲C1,乙C17,弁論の全趣旨)。また,原告乙のトリグリセライド値(中性脂肪)の推移をみると,150mg/dL以上が高トリグリセライド血症とされるところ,平成16年10月12日が142mg/dL,平成20年8月3日が229mg/dL,同年10月27日が185mg/dL,平成21年2月16日が91mg/dL,同年3月27日が154mg/dL,同年10月21日が140mg/dL,平成22年2月8日が85mg/dL,同年8月9日が99mg/dLである(甲C1,乙C17,弁論の全趣旨)。これらの数値やその推移をみると,原告乙のLDLコレステロール値やトリグリセライド値は,正常値と異常値を行き来しており,上記各診断基準の数値をわずかに超える程度のものも少なくないことからすると,原告乙の脂質異常症の程度は必ずしも重いとはいえない(証人丁)。そうすると,原告乙は,平成22年8月に狭心症と診断されるまでの間,断続的に脂質異常症に罹患していたと認められるが,その症状の程度は必ずしも重いとはいえないから,脂質異常症が原告乙の狭心症の発症に与えた影響は限定的なものにとどまるというべきである。(ウ)高血糖状態について
a
虚血性心疾患の一次予防ガイドライン(2012年改訂版)に
よれば,糖尿病ではない耐糖能異常者の虚血性心疾患発症頻度への影響は議論の余地があるが,我が国の久山町研究では心血管疾患の危険率は正常耐糖能者の1.9倍と有意に高かったとされ,空腹時血糖75mg/dLのレベルにある非糖尿病者と比較して,空腹時血糖110mg
/dLレベルの者の心血管イベント発症の相対危険率は1.33であったとされている(乙A510)。
糖尿病診断の指針においては,空腹時血糖100mg/dL未満を正常型,100mg/dL以上110mg/dL未満を正常高値,110mg/dL以上126mg/dL未満を境界型,126mg/dL以上を糖尿病型というとされている(乙A518)。
b
狭心症と診断される前の原告乙の血糖値の推移をみると,平成20年5月16日が124mg/dL,平成20年8月3日が112mg/dL,同年10月27日が93mg/dL,平成21年2月16日が92mg/dL,同年3月27日が101mg/dL,同年4月10日が120mg/dL,同年10月21日が94mg/dL,平成22年2月8日が148mg/dL,同年8月9日が100mg/dLである(甲C1,乙C17)。これらの数値やその推移をみると,原告乙の血糖値は,境界型や糖尿病型に分類される高い数値もあるが,100mg/dL未満の正常値も少なくなく,慢性的な高血糖状態であるとはいい難いのであって,その程度も重いものではない。そうすると,高血糖状態が原告乙の狭心症の発症に与えた影響は限定的なものにとどまるというべきである。

(エ)年齢(加齢)について
a
狭心症は虚血性心疾患の一つであるところ,日本人における虚血性心疾患の危険因子となる年齢は,男性では45歳以上とされており,70歳以降で発症率はピークとなるとされている(乙A510)。
b
原告乙は,平成22年8月(当時83歳)に狭心症と診断されたものであるから(上記(1)イ(エ)),原告乙は上記危険因子を有していたというべきである。

(オ)小括
以上のとおり,原告乙の脂質異常症,高血糖状態及び年齢(加齢)の
各危険因子が狭心症の発症に影響していることは否定し難いが,原告乙の脂質異常症及び高血糖状態の程度はいずれも重いものではなく,専らこれらの危険因子によって狭心症の発症に至ったものとはいえない。むしろ,原告乙の原爆放射線被曝とこれらの危険因子とが相まって,狭心症の発症に至ったと考えるのが自然かつ合理的であり,これらの危険因子の存在により,原爆放射線被曝の影響が否定されるものではないというべきである。

原告乙の狭心症の放射線起因性
原告乙は,広島原爆が投下された昭和20年8月6日夜に入市し,その後同月11日まで救援活動に従事していたのであり,放射性物質を吸入したり摂取したりすること等により,健康に影響を及ぼすような相当程度の被曝をしたと認められ(上記ア),かつ,原告乙の狭心症は動脈硬化性の安定狭心症であるところ,動脈硬化性の狭心症については,安定狭心症も含め,放射線被曝との関連性を一般的に肯定することができる(上記イ)。他方,原告乙の脂質異常症,高血糖状態及び年齢(加齢)が狭心症の発症に影響していることは否定し難いが,これらの危険因子によって,狭心症の発症に係る原爆放射線被曝の影響が否定されるものではない(上記ウ)。加えて,心筋梗塞と動脈硬化性の狭心症は,粥状動脈硬化症を主因とする虚血性心疾患であるという機序において共通性を有する疾患であるところ,原告乙は,新しい審査の方針における心筋梗塞の積極認定の基準(原爆投下より翌日までに爆心地から約1.0㎞以内に入市した者)に該当する者であること,原告乙が放射線被曝の影響が大きいとされる若年時(当時18歳)に被爆していること,40歳という若年で放射線被曝と関連性が強いとされる白内障(両眼)に罹患していることなども総合考慮すると,原告の申請疾病である狭心症(動脈硬化性の安定狭心症)には,放射線起因性があると認められる。

(3)申請疾病(狭心症)の要医療性
上記認定事実イ(エ)(オ)によれば,原告乙は,平成22年8月10日に経皮的冠動脈ステント留置術を受けた後,狭心症の再発と心筋梗塞発症の抑制のため,抗血栓薬等の投薬治療と数か月に1度の定期検査を受けていることが認められ,これらの治療や検査等を継続する必要があると認められる(甲C3,証人丁)。したがって,原告の申請疾病である狭心症には要医療性があると認められる。
(4)小括
よって,原告乙の狭心症には放射線起因性及び要医療性が認められるから,原告乙却下処分は違法というべきであり,原告乙の同処分の取消請求には理由がある。
4
国家賠償責任の有無等(争点(4))

(1)原告甲却下処分について
前記2で説示したとおり,原告甲の前立腺がんに放射線起因性は認められず,原告甲却下処分は適法というべきであるから,原告甲却下処分が国家賠償法上違法であるとは認められない。
したがって,原告甲の国家賠償請求は,その余の点を判断するまでもなく,理由がない。
(2)原告乙却下処分について

国家賠償法1条1項は,国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負う職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときに,国又は公共団体がこれを賠償する責任を負うことを規定するものであり,原爆症認定の申請に対する却下処分が放射線起因性又は要医療性の要件の具備の有無に関する判断を誤ったため違法であり,これによって申請者の権利ないし利益を害するところがあったとしても,そのことから直ちに国家賠償法1条1項にいう違法があったとの評価を受けるも
のではなく,被爆者援護法11条1項に基づく認定に関する権限を有する厚生労働大臣が職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と当該却下処分をしたと認め得るような事情がある場合に限り,違法の評価を受けるものと解するのが相当である(最高裁判所平成5年3月11日第一小法廷判決・民集47巻4号2863頁参照)。

ところで,厚生労働大臣が原爆症認定を行うに当たっては,申請疾病が原子爆弾の傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らかである場合を除き,疾病・障害認定審査会の意見を聴かなければならないとされている(被爆者援護法11条2項,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行令9条)。これは,原爆症認定の判断が専門的分野に属するものであることから,厚生労働大臣が処分をするに当たっては,原則として,必要な専門的知識経験を有する諮問機関の意見を聴くこととし,その処分の内容を適正ならしめる趣旨に出たものであると解され,厚生労働大臣は,特段の合理的理由がない限り,その意見を尊重すべきことが要請されているものと解される。そして,同審査会には,被爆者援護法の規定に基づき同審査会の権限に属させられた事項を処理する分科会として,医療分科会を置くこととされ(疾病・障害認定審査会令5条1項),同分科会に属すべき委員及び臨時委員等は,厚生労働大臣が指名するものとされているところ(同条2項),医療分科会の委員及び臨時委員は,放射線科学者,被爆者医療に従事している医学関係者,内科や外科等の専門的医師といった,疾病等の放射線起因性について高い識見と豊かな学問的知見を備えた者により構成されていることが認められる(弁論の全趣旨)。以上に鑑みれば,厚生労働大臣が原爆症認定の申請につき疾病・障害認定審査会の意見を聴き,その意見に従って却下処分を行った場合においては,その意見が関係資料に照らし明らかに誤りであるなど,答申された意見を尊重すべきではない特段の事情が存在し,厚生労働大臣がこれを知りながら漫然とその意
見に従い却下処分をしたと認め得るような場合に限り,職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と当該却下処分をしたものとして,国家賠償法上違法の評価を受けると解するのが相当である。
以上を前提として検討するに,原告乙却下処分については,厚生労働大臣が疾病・障害認定審査会の意見を聴いた上,その意見に従ってされたものと認められ(乙C14,弁論の全趣旨),前記3で説示した内容等に照らしても,その意見が関係資料に照らし明らかに誤りであるなど,答申された意見を尊重すべきではない特段の事情が存在したとまでは認められず,原告乙却下処分が国家賠償法上違法であるとは認められない。
(3)小括
以上によれば,原告らの被告に対する国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求は,その余の点について判断するまでもなく,いずれも理由がない。5
結論
以上によれば,原告乙の請求のうち,原告乙却下処分の取消しを求める請求は理由があるからこれを認容し,原告甲の請求及び原告乙のその余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。大阪地方裁判所第7民事部

裁判長裁判官

松永
裁判官

徳地栄治淳
裁判官

横井
真由美

(別紙1)
省略

(別紙2)
新しい審査の方針
第1

放射線起因性の判断
放射線起因性の要件該当性の判断は,科学的知見を基本としながら,総合的に実施するものである。
特に,被爆者救済及び審査の迅速化の見地から,現在の科学的知見として放射線被曝による健康影響を肯定できる範囲に加え,放射線被曝による健康影響が必ずしも明らかでない範囲を含め,次のように積極的に認定する範囲を設定する。
1
積極的に認定する範囲
(1)悪性腫瘍(固形がんなど),白血病,副甲状腺機能亢進症

悪性腫瘍(固形がんなど)


白血病


副甲状腺機能亢進症
の各疾病については,
(ア)被爆地点が爆心地より約3.5㎞以内である者
(イ)原爆投下より約100時間以内に爆心地から約2㎞以内に入市した者(ウ)原爆投下より約100時間経過後から,原爆投下より約2週間以内の期間に,爆心地から約2㎞以内の地点に1週間程度以上滞在した者のいずれかに該当する者から申請がある場合については,格段に反対すべ
き事由がない限り,当該申請疾病と被曝した放射線との関係を原則的に認定するものとする。
(2)心筋梗塞,甲状腺機能低下症,慢性肝炎・肝硬変

心筋梗塞


甲状腺機能低下症


慢性肝炎・肝硬変

の各疾病については,
(ア)被爆地点が爆心地より約2.0㎞以内である者
(イ)原爆投下より翌日までに爆心地から約1.0㎞以内に入市した者のいずれかに該当する者から申請がある場合については,格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝した放射線との関係を積極的に認定するものとする。
(3)放射線白内障(加齢性白内障を除く)
放射線白内障(加齢性白内障を除く)については,
被爆地点が爆心地より約1.5㎞以内である者
から申請がある場合については,格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝した放射線との関係を積極的に認定するものとする。これらの場合,認定の判断に当たっては,積極的に認定を行うため,申請者から可能な限り客観的な資料を求めることとするが,客観的な資料が無い場合にも,申請書の記載内容の整合性やこれまでの認定例を参考にしつつ判断する。
2
1に該当する場合以外の申請について
1に該当する場合以外の申請についても,申請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別にその起因性を総合的に判断するものとする。

第2

要医療性の判断
要医療性については,当該疾病等の状況に基づき,個別に判断するものとする。

第3

方針の見直し
この方針は,新しい科学的知見の集積等の状況を踏まえて随時必要な見直しを行うものとする。

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