判例検索β > 平成30年(行ケ)第10045号
審決取消請求事件 特許権 行政訴訟
事件番号平成30(行ケ)10045
事件名審決取消請求事件
裁判年月日令和元年6月26日
法廷名知的財産高等裁判所
裁判要旨特 判決年月日 令和元年6月26日 担
許 当 知財高裁第3部
権 事 件 番 号 平成30年(行ケ)第10045号 部
○ 発明の名称を 「複数分子の抗原に繰り返し結合する抗原結合分子」 とする発明につ
いて,発明に含まれる医薬組成物の全体につ いて実施できる程度に本件明細書の発明の
詳細な説明の記載がされているとはいえ ず,特許法36条4項1号の実施可能要件を充
足しないとした事例。
(事件類型)審決(無効・不成立)取消 (結論)審決取消
(関連条文)特許法36条4項1号
(関連する権利番号等)特許第5824095号
判 決 要 旨
1 本件は,名称を「複数分子の抗原に繰り返し結合する抗原結合分子」とする発明に係
る特許の無効審判請求を不成立とした審決の取消訴訟である。
本件の争点は,①明確性要件違反の有無,②実施可能要件及びサポート要件適合性等で
ある。
2 本判決は,②の実施可能要件適合性について,次のとおり判示して,審決を取り消し
た。
(1) 本件発明1の特許請求の範囲には,元の抗体及びヒスチジン置換又は挿入の位置や
数についての限定がないから,本件発明1に係る医薬組成物に含まれる抗体についても,
元の抗体及びヒスチジン置換又は挿入の位置や数は限定されないことが理解できる。よっ
て,本件発明1の技術的範囲には,1個又は複数のヒスチジン置換及び/又は挿入がさ
れ,所定のpH依存的結合特性を有し,血漿中半減期が長くなったあらゆる抗体を含む医
薬組成物が含まれることになる。
そうすると,本件発明1が実施可能要件に適合するためには,このような本件発明1に
含まれる医薬組成物の全体について実施できる程度に本件明細書の発明の詳細な説明の記
載がされていなければならないものと解される。
(2) 本件明細書の【発明を実施するための形態】にヒスチジンに置換される箇所として
記載されたCDR配列は,あくまでも例にすぎず,これ以外の箇所の改変によって所望の
抗体が得られることもあり得るから,本件発明1に含まれる医薬組成物全体に当てはまる
ものではない。
(3) 本件明細書に記載された実施例2にはホモロジーモデリング及び立体構造モデルを
用いる方法が記載されている(【0285】)。
しかし,ホモロジーモデリングとは,アミノ酸配列に相同性のある構造既知タンパク質
の立体構造をもとに,構造未知タンパク質の立体構造を計算機上で予測する手法であり,
構造予測を行うタンパク質とアミノ酸配列に相同性のあるタンパク質の立体構造の情報が
あることが前提となる技術である。
-1-
そうすると,ホモロジーモデリングを用いる実施例2の方法については,構造未知の抗
体一般についてヒスチジン置換位置を検討する場合に常に利用できるとは限らないもので
ある。
本件明細書に記載された実施例3には,ヒスチジンスキャニングの手法によって,CD
Rの残基をヒスチジンに置換しても結合能に大きな変化がない箇所を予め選び出し,当該
箇所のいずれか1か所がヒスチジン置換された抗体を作製する方法が記載されている
(【0288】~【0290】)。この方法は,上記実施例2の方法とは異なり,構造未
知の抗体に対しても適用可能であるということができる。
しかし,本件明細書の記載からは,実施例3における「CDRの残基をヒスチジンに置
換しても結合能に大きな変化がない箇所」(【0289】)に,本件発明1の抗体のヒス
チジン置換箇所が必ず含まれるかは不明である。また,本件発明1の抗体のヒスチジン置
換箇所が,本件明細書にいう「CDRの残基をヒスチジンに置換しても結合能に大きな変
化がない箇所」に必ず含まれるとの技術常識を認めるに足りる証拠もない。
したがって,実施例2及び実施例3の方法は,本件発明1に含まれる医薬組成物全体に
適用できるものではない。
以上のとおりであるから,本件明細書の発明の詳細な説明に,当業者が,明細書の発明
の詳細な説明の記載及び出願当時の技術常識に基づいて,過度の試行錯誤を要することな
く,本件発明1を実施することができる程度に発明の構成等の記載があるということはで
きない。
(4) 本件明細書の【0029】にはアラニンスキャニングに関する記載があり,本件出
願日当時,アミノ酸配列の各残基を1つずつアラニンに置換して各残基の役割を解析する
手法としてアラニンスキャニングは技術常識であったと認められる(乙19~23)。し
たがって,本件明細書に接した当業者は技術常識に基づき,抗体の可変部位のアミノ酸残
基220個について1つずつ網羅的にヒスチジン置換をした抗体を作製することは可能で
あるといえる。
被告は,抗体を作製した後のヒスチジン置換位置の特定について,「所望のpH依存性
を示す(有望であること,ないし,pH依存的結合特性がもたらされたことが判明した)
箇所」という基準により行うことを主張しているが,本件明細書にはこのような記載はな
いし,本件明細書や証拠上現れた技術常識によってもどのような基準に基づいてヒスチジ
ン置換位置を特定すれば,本件発明1に含まれる医薬組成物全体について実施することが
できるのかが明らかではない。
このように,本件明細書には,被告主張ヒスチジンスキャニングによって,どのように
ヒスチジン置換位置を特定するかの情報が不足しており,本件明細書の発明の詳細な説明
に,当業者が,明細書の発明の詳細な説明の記載及び出願当時の技術常識に基づいて,過
度の試行錯誤を要することなく,本件発明1を実施することができる程度に発明の構成等
の記載があるということはできない。
-2-
裁判日:西暦2019-06-26
情報公開日2019-06-28 18:00:18
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令和元年6月26日判決言渡
平成30年(行ケ)第10045号
口頭弁論終結日

審決取消請求事件

平成31年4月15日
判原決告
アレクシオン

ファーマシューテ

ィカルズ,インコーポレイテッド

同訴訟代理人弁護士

山福高将斗部真久石川大輔向被永

同訴訟代理人弁理士

本野颯馬長告谷健策聡
中外製薬株式会社

同訴訟代理人弁護士

末星正和地拓己一宮維幸小寺秀紀小林智彦伊藤清埜寺
同訴訟代理人弁理士

吉剛水圭初志春刑主1名雅部夫俊文
特許庁が無効2016-800138号事件について平成29
年11月22日にした審決を取り消す。

2
訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由

第1

請求
主文同旨

第2
1
事案の概要(後掲証拠及び弁論の全趣旨から認められる事実)
特許庁における手続の経緯等
(1)

被告は,名称を複数分子の抗原に繰り返し結合する抗原結合分子とす
る発明に係る特許権(特許第5824095号。平成21年4月10日(優先権主張

平成20年4月11日,平成20年9月26日,平成21年3月

19日)を出願日とする特願2010-507273号の一部を平成23年8月4日に新たな特許出願とした特願2011-171225号の一部を平成23年12月8日に新たな特許出願とした特願2011-268497号の一部を平成24年7月19日に新たな特許出願とした特願2012-160692号の一部を新たな特許出願とした
(以下,
同出願日を
本件出願日
という。)もの。設定登録日

平成27年10月16日。請求項の数6。以

下,本件特許権といい,同特許権に係る特許を本件特許という。)の特許権者である(甲19)。
(2)

原告は,
平成28年12月19日,
本件特許につき特許庁に無効審判請求

をし,特許庁は上記請求を無効2016-800138号事件として審理した。
(3)

特許庁は,
平成29年11月22日,
審判請求は成り立たない旨の審決
(以
下本件審決という。)をし,その謄本は,同月30日,原告に送達された。出訴期間として90日が附加された。
(4)

原告は,
平成30年3月29日,
本件審決の取消しを求めて本件訴訟を提

起した。
2
特許請求の範囲の記載
本件特許の特許請求の範囲の請求項1~6の記載は,次のとおりである。以下,各請求項に係る発明を請求項の番号に従い本件発明1,
本件発明2
などといい,本件発明と総称する。本件特許の明細書(甲20)を,図面を含めて本件明細書という。

【請求項1】

少なくとも可変領域の1つのアミノ酸がヒスチジンで置換され又

は少なくとも可変領域に1つのヒスチジンが挿入されていることを特徴とする,抗原に対するpH5.8でのKDとpH7.4でのKDの比であるKD(pH5.8)/KD(pH7.4)の値が2以上,10000以下の抗体であって,血漿中抗原消失能が増加した抗体を含む医薬組成物。
【請求項2】

前記抗体の抗原に対するpH5.8でのKDとpH7.4でのKDの比である
KD(pH5.8)/KD(pH7.4)の値が10以上である請求項1に記載の医薬組成物。【請求項3】

前記抗体の抗原に対するpH5.8でのKDとpH7.4でのKDの比である
KD(pH5.8)/KD(pH7.4)の値が40以上である請求項1に記載の医薬組成物。【請求項4】

前記抗体がアンタゴニスト活性を有することを特徴とする請求項

1~3いずれかに記載の医薬組成物。
【請求項5】

前記抗体が膜抗原又は可溶型抗原に結合することを特徴とする請

求項1~4いずれかに記載の医薬組成物。
【請求項6】前記抗体が,IL-1,IL-2,IL-3,IL-4,IL-5,IL-6,IL-7,IL-8,IL-9,IL-10,IL-11,IL-12,IL-15,IL-31,IL-23,IL-2受容体,IL-6受容体,OSM受容体,gp130,IL-5受容体,CD40,CD4,Fas,オステオポンチン,CRTH2,CD26,PDGF-D,CD20,単球走化活性因子,CD23,TNF-α,HMGB-1,α4インテグリン,ICAM-1,CCR2,CD11a,CD3,IFNγ,BLyS,HLA-DR,TGF-β,CD52,IL-31受容体からなる群より選択される抗原に結合する抗体であることを特徴とする請求項1~5いずれかに記載の医薬組成物。
3
本件審決の理由の要旨
原告は,①

本件発明1~6についての実施可能要件及びサポート要件違反

(無効理由1),②

本件特許出願に係る優先権主張のうち,特願2008-

104147号(以下第1基礎出願という。)及び特願2008-247713号(以下第2基礎出願という。)に基づく優先権が認められないことを前提とする,本件発明1~5についての以下の甲6文献に基づく新規性欠如(無効理由2),③

②と同様に優先権が認められないことを前提とする,
本件発明1~6についての以下の甲6文献,甲11文献及び甲12文献に基づく進歩性欠如
(無効理由3)④


本件1~5について甲6に対応する出願
(特

願2009-531851号。以下先願1という。翻訳は甲10文献による。)に基づく拡大先願違反(無効理由4),⑤

本件発明1,2,4~6に

ついての以下の甲11~13文献及び技術常識に基づく進歩性欠如(無効理由5),⑥

本件発明1~6についての明確性要件違反(無効理由6)を主張し
た。
本件審決の理由は,別紙審決書(写し)記載のとおりであり,要するに,①無効理由1に関し,本件発明1~6は実施可能要件及びサポート要件に適合する,②

無効理由2に関し,第1基礎出願に基づく優先権主張の効果が認めら
れ,本件発明1~5について甲6文献等に基づき新規性を欠くとはいえない,③

無効理由3に関し,第1基礎出願に基づく優先権主張の効果が認められ,
本件発明1~6について甲6文献等に基づき進歩性を欠くとはいえない,④


効理由4に関し,本件発明1~5は先願1の明細書等に記載された発明と同一であるとはいえず拡大先願違反は認められない,⑤
無効理由5に関し,本件

発明1,2,4~6について,以下の甲11~13文献及び技術常識に基づいて容易に発明することができたとはいえず,
進歩性を欠くとはいえない,



効理由6に関し,本件発明1~6は明確性要件に適合するというものである。甲6:

国際公開第2008/043822号

甲10:

特表2010-505436号公報

甲11:

Itoetal.,FEBSLett.,1992,309(1),p.85-88
甲12:

米国特許出願公開第2006/0141456号明細書

甲13:

Junghansetal.,Proc.Natl.Acad.Sci.USA(1996)Vol.
93,p5512-5516
4
取消事由
取消事由1:無効理由6(明確性要件違反)についての判断の誤り取消事由2:無効理由1(実施可能要件違反及びサポート要件違反)についての判断の誤り
取消事由3:無効理由2(優先権が認められないことを前提とする新規性欠如)についての判断の誤り
取消事由4:無効理由3(優先権が認められないことを前提とする進歩性欠如)についての判断の誤り
取消事由5:無効理由5(進歩性欠如)についての判断の誤り
取消事由6:無効理由4(拡大先願)についての判断の誤り

第3

原告主張の取消事由

1
取消事由1(無効理由6(明確性要件違反)についての判断の誤り)について
(1)少なくとも可変領域の1つのアミノ酸がヒスチジンで置換され又は少なくとも可変領域に1つのヒスチジンが挿入されていることを特徴とするについて

本件発明1の少なくとも可変領域の1つのアミノ酸がヒスチジンで置換され又は少なくとも可変領域に1つのヒスチジンが挿入されていることという記載は,単に状態を示すことにより構造又は特性を特定しているに過ぎないものである。
そして,
本件発明1の特許請求の範囲の記載からは,
ヒスチジン置換前のアミノ酸配列も置換後のアミノ酸配列も把握することができないため,物である抗体の構造,すなわちアミノ酸配列が特定されることはない。このように,ヒスチジンを置換又は挿入する対象
である基準となる抗体が特定されていないため,第三者は,どの抗体を基準にして,どの残基が置換又は挿入された抗体が本件発明1の技術的範囲に含まれるかを特許請求の範囲の記載から判断することができず,不測の不利益を被ることになる。

本件審決は,本件発明1に係る抗体に該当するか否かを判断するための手段として抗体の改変履歴が存在する以上,抗体の改変に携わっておらず,その改変履歴を直接把握していない第三者も,その抗体の改変履歴を調べることにより,当該抗体が本件発明1に係る抗体に該当するか否かを判断できるとしたが,抗体の改変履歴は,特許請求の範囲の記載にも,本件明細書にも開示されておらず,本件出願日の技術常識でもない。また,仮に,医薬組成物である抗体の改変履歴を把握することで比較対象の基準となる抗体を特定することができるとしても,医薬組成物に含まれる抗体について出発材料から目的の抗体に至る全ての改変履歴が開示されているわけではないから,第三者は必ずしも改変履歴を知ることができない。

(2)

血漿中抗原消失能が増加したについて
本件発明1における血漿中抗原消失能が増加したのうち,増加したという表現は,比較対象となる抗体の血漿中抗原消失能を特定して初めて,特性を特定できるものである。しかし,本件発明1の特許請求の範囲において,比較対象となる抗体は特定されていないのであるから,本件発明1における血漿中抗原消失能が増加したという記載は,物を特定する特性として全く不十分である。

本件審決は,血漿中抗原消失能が増加した抗体を,可変領域へのヒスチジン変異の導入により,所定のpH依存的結合特性(抗原に対するpH5.8でのKDとpH7.4でのKDの比であるKD(pH5.8)/KD(pH7.4)の値が2以上,10000以下に該当するpH依存的結合特性のことをいう。以下においても同様。)を獲得することを通じて血漿中抗原消失能が増加した抗体であると解釈している。これは,医薬組成物という物の発明について可変領域へのヒスチジン変異の導入という製造方法を経ることが条件となっていると解するものであるから,本件発明1をいわゆるプロダクト・バイ・プロセス・クレーム
(以下
PBPクレーム
という。

として理解するものである。
しかし,PBPクレームが明確性要件に適合するというために不可能性及び非実際性の要件を必要とするのが判例(最高裁平成24年(受)第1204号平成27年6月5日第二小法廷判決・民集69巻4号700頁)であるところ,本件発明1の抗体は,アミノ酸配列によってその構造を特定することが可能であり,血漿中抗原消失能が増加したという特性についても,具体的な数値をもって特定することが可能であって,このように特定することがおよそ実際的でないという事情もないから,不可能性及び非実際性の要件を満たさない。
このように,本件発明1は,明確性要件に適合するものとはいえない。

また,本件審決の上記説示に基づくと,同一の出発材料から数回に分けて可変領域にヒスチジン置換又は挿入とヒスチジン以外の置換又は挿入を導入して作製されるような,同一の出発材料から複数の方法により作製され得る抗体は,作製方法によって当該抗体が特許請求の範囲に含まれるかが決定されることになる。そうすると,本件審決は,本件発明1をPBPクレームと解釈した上で,PBPクレームの技術的範囲については製法限定説を採用しているものと解されるが,このような判断はPBPクレームの技術的範囲について物同一性説をとっている最高裁判例に反し,違法である。

被告の主張について
被告は,アミノ酸配列が特定された抗体の製造は,既に得られている当該抗体の遺伝子を宿主細胞に導入するなどして行われるものであり,当該既に得られている抗体の遺伝子を用いて抗体を再生産するために可変領域へのヒスチジン変異という製造方法を経ることはないと主張する。しかし,
本件発明1の抗体を再生産するためには,被告が既に得られているとする抗体の遺伝子を得ることが必要であり,当該抗体の遺伝子を得るためには可変領域へのヒスチジン変異という製造方法を経る必要があることは明らかである。

2
取消事由2(無効理由1(実施可能要件違反及びサポート要件違反)についての判断の誤り)について
(1)

本件発明1における実施可能要件
本件発明1は,ヒスチジンの置換又は挿入をする場所と数の組み合わせに
よって,不特定多数の医薬に用いることができる抗体を特許発明の範囲に含む。そうすると,実施可能要件を充足するためには,本件発明1に含まれる物の全体について実施できる程度に本件明細書の記載がされていなければならず,特許請求の範囲に属する技術の全体を実施することに,当業者に期待し得る程度を越える過度の試行錯誤や創意工夫を強いる事情のある場合には,実施可能要件を充足しないというべきである。
(2)

本件明細書に記載された実施例について
実施例2
本件明細書の実施例2にはホモロジーモデリングにより立体構造モデルを作成し,pH依存的結合特性を備えた抗体を得るための変異箇所を選定する方法が記載されている。
しかし,本件明細書には,どのようにしてヒスチジン置換又は挿入の場所及び数を決定したのかが一切記載されておらず,本件明細書の記載のみでは,
ヒスチジン置換又は挿入をする場所及び数を特定することができず,立体構造モデリングによる変異体の作製を再現することが出来ない。また,目的の抗体について立体構造モデルを構築するためには,目的の抗体と構造が類似する(高いホモロジーを有する)ことが既に解明されているテンプレートとなる抗体の立体構造情報が必要となるが,立体構造情報が解明された抗体は一部であるため,ホモロジーが高い抗体の立体構造情報は把握できない場合が多い。また,抗体の抗原結合部位はループ構造を有しているため,正確な立体構造モデルを作成することは極めて困難である。
そのため,当業者は,実施例2に記載された立体構造モデリングの方法により,本件明細書に開示されたH53/PF1L抗体以外の抗体に対して本件発明1を実施することを実現できない(甲14のAbstract参照)。
仮に抗体の立体構造モデルを作成できたとしても,このような立体構造モデルは抗原と相互作用しているアミノ酸残基を推定することができないし,仮に抗原と相互作用しているアミノ酸残基を推定できたとしても,所定のpH依存的結合特性を備えるためにヒスチジン置換又は挿入をする場所及び数を決定することはできない。
したがって,当業者が,本件明細書の記載に基づき,立体構造モデリングによって本件発明を実施することは不可能である。

実施例3について
(ア)

本件明細書の実施例3では,
ヒスチジンスキャニングにより,



合能に大きく影響のないヒスチジン置換箇所を同定するためのライブラリーを構築してスクリーニングを行い,②

その結果に基づきCDR配

列のヒスチジン改変ライブラリーを構築して,pH依存的な結合を示す抗体をスクリーニングする,という二段階のスクリーニングを経てpH依存的結合特性を備えた抗体を作製している。
これによれば,実施例3では,膨大な数のクローンを含むライブラリーの構築と,そのライブラリーから所望の機能を有するクローンのスクリーニングという期待される以上の過度の試行錯誤と複雑高度な実験が必要である。
(イ)

本件明細書の実施例3の二段階のスクリーニングの結果,
クローンC

L5が得られている。
クローンCL5は,PF1H/PF1Lに次のヒスチジン変異を導入したクローンである。
・重鎖(CLH5

配列番号5)H31,H50,H62,H95,

H100b,H102
・軽鎖(CLL5

配列番号8)L32,L53,L56,L92

上記ヒスチジン変異は,PF1H/PF1Lに導入された場合には,所望のpH依存的結合特性をもたらすが,PF1H/PF1Lの元となった野生型クローンPM1に導入しても,所望のpH依存的結合特性をもたらさない。


野生型PM1,②

実施例3においてヒスチジン変異を導入する

元となったPF1H/PF1L,③

実施例3においてヒスチジン変異

を導入することによって所望のpH依存的結合特性を獲得したクローンCL5,④

クローンCL5の作成に用いられたヒスチジン変異のみを

野生型PM1に導入したクローンHTM865の関係は次のとおりである
(括弧内の数字は,
各抗体のKD比
(KD(pH5.5)/KD(pH7.4))
を示す。


ヒスチジン変異
以外の変異

出発材料
PM1(0.97)

PF1H/PF1L
(0.34)

ヒスチジン変異
ヒスチジン変異

ヒスチジン変異

ヒスチジン変異
1(0.97)
HTM865

目的抗体

(1.41)

CL5(32.75)

クローンCL5を作製した元の配列PF1H/PF1Lは,野生型PM1の重鎖及び軽鎖のそれぞれにヒスチジン変異ではない16の変異及び11の変異を導入したクローンである。PF1H/PF1Lにヒスチジン変異を導入した場合には,KD比=32.75の変異体が得られたが,野生型PM1に同じヒスチジン変異を導入して得られた変異体のKD比は1.41であった(甲33)。これは,変異体のpH依存的結合特性は,ヒスチジン変異を導入したことのみによって獲得されるものではなく,ヒスチジン変異以外の変異の有無に依存することを示すものであることを示している。
したがって,①

本件明細書に記載されるヒスチジン変異は,特定の

抗体にのみ有効であり,異なる抗体に導入しても同様の効果は得られないこと,②

ヒスチジン変異による影響は,変異を導入する元の配列に
より異なること,③

ヒスチジン変異の結果,所定のpH依存的結合特

性が獲得されるか否かは,変異を導入する配列によって異なることがいえる。
このように,実施例3に記載された二段階のスクリーニング法は,特定の出発材料にのみ適用可能であるに過ぎず,それ以外の出発材料には適用することができない。

このように,本件明細書に記載された方法は特定の出発材料にのみ適用可能である。

(3)

実施可能要件及びサポート要件適合性の検討
目的の抗原に対する結合活性を十分に維持しつつ,所望の機能を持たせた抗体を具体的に作製すること,すなわち,ヒスチジンの置換又は挿入をする
場所
及び

を特定することには種々の試行錯誤が必要であり,
かつ,個々の抗体ごとに創意工夫が必要である。
したがって,所望する効果を持った抗体を作製するためには,抗体の可変領域へのヒスチジン置換又は挿入による所定のpH依存的結合特性の獲得と,それによる血漿中抗原消失能の増加といったメカニズムを理解するのみでは不十分であり,個々の抗体に応じた,過度の試行錯誤及び創意工夫を要することが技術常識であるといえる。
そして,
網羅的にヒスチジン置換を含む抗体を作製する場合,
およそ1.
2×1019通りの異なる抗体を作製し,その各々について試験して,一定のpH依存的結合特性を有するか否かを調べる必要があるから,膨大な数の試行錯誤及び複雑高度な実験が必要である。


本件発明の抗体は,基準となる抗体並びにヒスチジンの置換又は挿入を行う具体的位置及び数のいずれもが特定されていない。本件明細書の実施例3においてパンニングを用いたスクリーニング法は記載されているが,その方法では本件明細書において所望の機能が実証された抗体を取得することはできない。
特許制度は,発明を公開した者に独占的な権利である特許権を付与することによって,特許権者の発明を保護し,一方で第三者には特許に係る発明の内容を把握させることにより,その発明の利用を図ることを通じて,発明を奨励し,もって産業の発達に寄与することを目的とするものであるところ(特許法1条参照),目的物質を網羅的に取得する事ができないスクリーニング方法のみの開示に対して,目的物質全般にわたる独占権を付与することは上記目的に反する。被告は審判段階において,本件発明の抗体を実施例3記載のスクリーニング法によって取得できる旨主張しており,この主張は,本件発明がリーチ・スルークレーム(現在開示された発明に基づいた,将来なされるであろう発明に対するクレーム)に該当することを自認するに等しい。
リーチ・スルークレームについての,欧州特許庁,日本国特許庁及び米国特許商標庁による比較研究についての比較研究報告書(バイオテクノロジー関連特許の審査運用に関する比較研究報告書,テーマ:
リーチ・スルークレームについての比較研究,2001年11月5~9日)においても,スクリーニング方法で同定された化合物に関するクレームについては,実際に同定された化合物以外の化合物については実施可能要件,明確性要件等を満たさないと結論付けている。この点からも,スクリーニングによって得られた変異抗体を有効成分とする医薬に係る本件発明は,実施可能要件及びサポート要件を充足しないというべきである。

本件発明は,ヒスチジン置換のみならずヒスチジンが挿入された抗体を含むものであるが,本件明細書にはヒスチジン挿入についても何ら記載がないため,少なくともヒスチジンの挿入については,実施可能要件及びサポート要件を充足しないことは明らかである。

(4)

被告の主張について

本件明細書の開示
本件明細書には,
後記第4の2(1)記載の被告の主張するヒスチジンスキ
ャニング(以下被告主張ヒスチジンスキャニングという。)のように可変領域のアミノ酸を1つずつ網羅的にヒスチジンに置換するようなヒスチジンスキャニングは開示されていない。
また,本件発明は,複数のヒスチジン置換や挿入を含む抗体も包含される。
そして,
同定されたヒスチジン置換又は挿入を組み合わせた結果は個々
のヒスチジン置換又は挿入の結果から予測できないから,複数のヒスチジン置換又は挿入を含む抗体を発見するためには,同定されたヒスチジン置換又は挿入を組み合わせる実験がさらに必要になる。したがって,被告主張ヒスチジンスキャニングは,実施例3のヒスチジンスキャニングに比べて多くの時間と費用を要するものである。
本件明細書に接した当業者は,本件明細書に開示された実施例3のヒスチジンスキャニングを実施することはあっても,これに比べて多くの時間と費用を要する被告主張ヒスチジンスキャニングを実施することはない。

複数のヒスチジン置換又は挿入がされた抗体について
(ア)

被告は,
本件発明の抗体に含まれる,
複数のヒスチジン置換又は挿入

がされた抗体については,被告主張ヒスチジンスキャニングで特定できた単独のヒスチジン置換又は挿入箇所を組み合わせれば足りると主張するが,そのようにいうことはできない。
(イ)

甲40について
甲40の記載(1627頁左欄下21行~下13行,1626頁左欄
6行~10行)から,単独のヒスチジン置換がpH依存的結合特性に影響を与えないものの,複数のヒスチジン置換が互いに協働することではじめてpH依存的結合特性に影響を与えるヒスチジン置換が多数存在することがわかる。また,甲40の図2(A)ではpH依存的結合特性を獲得した抗体においてヒスチジン置換された残基が緑色で示されているが,A28Hが含まれるときは常にY29Hが含まれ,E102Hが含まれるときは常にY101Hが含まれており,Y29Hと対をなさないA28Hのみを含む抗体がpH依存的結合特性を有する抗体であるとは記載されておらず,同様にY101Hと対をなさないE102Hのみを含む抗体がpH依存的結合特性を有する抗体であるとは記載されていない。甲40からは,A28Hのみ又はE102HのみではpH依存的結合特性をもたらさず,pH依存的結合特性をもたらすためには隣接するヒスチジン置換
(Y29H又はY101H)
が必要であると考えられる。
このように,複数のヒスチジン置換が互いに協働することではじめてpH依存的結合特性に影響を与えるヒスチジン置換が多数存在することがわかる。
被告も無効審判の平成29年6月1日付け口頭審理陳述要領書(甲26)において,いずれのヒスチジンが特性を付与するに至らしめる原因となったかの判断に際しては,単純に導入された各ヒスチジンの相加効果による場合のみならず,各ヒスチジンが協働することで初めてもたらされる効果(相乗効果等)による場合もあることが想定されると主張しており,各ヒスチジン置換又は挿入が協働することで初めてもたらされる相乗効果の存在を認めている。
このように,単独のヒスチジン置換又は挿入では,所定のpH依存的結合特性を獲得することがないものの,その他の箇所のヒスチジン置換又は挿入を併せた場合にはじめて所定のpH依存的結合特性を獲得する抗体が存在することがわかる。
したがって,被告主張ヒスチジンスキャニングで特定できたヒスチジン置換又は挿入箇所を組み合わせるだけでは,本件発明に含まれる複数のヒスチジン置換又は挿入がされた抗体を全て発見することはできない。(ウ)
a
甲45について
被告主張ヒスチジンスキャニングでは作製できない,複数のヒスチジン置換又は挿入がされた抗体が現に存在することは,甲45([0282]のTable.3.)からもいうことができる。
(a)

参照抗体において,軽鎖のN28をヒスチジン置換した場合,

KD(pH5.5)/KD(pH7.4)は,2.6から2.49に低下することがわかる。そのため,被告主張ヒスチジンスキャニングでは上記N28のヒスチジン置換箇所は見落とされることになる。
一方で,軽鎖のN28に加え,重鎖のF100及び軽鎖のS26
をヒスチジン置換した場合,KD(pH5.5)/KD(pH7.4)は参照抗体の2.6から14.79に上昇する。
このように,N28Hは,F100HやS26Hといった他のヒ
スチジン置換と互いに協働することではじめてpH依存的結合特性に影響を与えるヒスチジン置換である。
(b)

同様に,重鎖のE62,N63,D66及びS104並びに軽鎖

のI29,A51及びA55も,重鎖のF100及び軽鎖のS26といった他のヒスチジン置換と互いに協働することではじめてpH依存的結合特性に影響を与えるヒスチジン置換である。
b
個々の置換の組み合わせを検証する必要があること
被告は,ヒスチジンスキャニングによって有望であることが判明した個々の置換又は挿入を組み合わせた場合の効果は相加的なものであるから,その組み合わせた抗体を改めて検証する必要はないと主張するが,誤りである。
参照抗体において,重鎖のE59をヒスチジン置換した場合,
KD(pH5.5)/KD(pH7.4)は16.
08であるから,
参照抗体の値
(2.
6)
との差は13.48である。参照抗体の重鎖のF100をヒスチジン置換した抗体のKD(pH5.5)/KD(pH7.4)は6.8であるから,参照抗体との差は4.2である。また,参照抗体の軽鎖のS26をヒスチジン置換した抗体のKD(pH5.5)/KD(pH7.4)は4.01」であるから,参照抗体との差は1.41である。
複数のヒスチジン置換によるKD(pH5.5)/KD(pH7.4)の増加が各ヒスチジン置換によるKD(pH5.5)/KD(pH7.4)の増加分を相加することで算出できるのであれば,参照抗体の重鎖のF100,軽鎖のS26及び重鎖のE59をヒスチジン置換した場合,KD(pH5.5)/KD(pH7.4)は21.69(=2.6+13.48+4.2+1.41)と算出できるはずである。
しかし,重鎖のF100,軽鎖のS26及び重鎖のE59をヒスチジン置換した抗体のKD(pH5.5)/KD(pH7.4)は2.13であるから,KD(pH5.5)/KD(pH7.4)は,相加的に増加することはなく,むしろ低下している。
このように,単独のヒスチジン置換を組み合わせた抗体における
KD(pH5.5)/KD(pH7.4)は,
各ヒスチジン置換によるKD(pH5.5)/KD(pH7.4)の増加分を相加して算出できるものではないから,被告主張ヒスチジンスキャニングによって有望であることが判明した個々の置換の組み合わせについてKD(pH5.5)/KD(pH7.4)を改めて検証する必要がある。(エ)

本件発明に含まれる複数のヒスチジン置換又は挿入がされた抗体を全
て発見するためには,重鎖可変領域及び軽鎖可変領域の合計220個のヒスチジン置換の全ての組み合わせについて抗体を作製し,全ての組み合わせ抗体について所定のpH依存的結合特性を備えているかを確かめる必要がある。
以上のとおり,本件発明を実施するためには,当業者に期待し得る程度を超える過度の試行錯誤や創意工夫を強いる事情が認められる。3
取消事由3(無効理由2(優先権が認められないことを前提とする新規性欠如)についての判断の誤り)について
(1)

優先権主張について
第1基礎出願に最初に添付された明細書,
特許請求の範囲又は図面
(以下,

第1基礎出願明細書等という。)には,
血漿中抗原消失能が増加した
構成について記載がない。
本件審決は,血漿中抗原消失能が増加した抗体であることは,第1基礎出願明細書等に記載されたメカニズムから当業者が普通に理解できると判断したが,第1基礎出願明細書等にはこのような技術的思想は示されていない。したがって,第1基礎出願に基づく優先権主張は認められない。
(2)

甲6文献に記載の発明
甲6文献の日本語訳である甲10文献の記載(【特許請求の範囲】請求項
1,27及び40,【0001】,【0055】,【0083】,【0069】,【0137】,【0258】,【0270】,【0279】,【0314】)によれば,甲6文献には,以下の発明(以下原告主張甲6発明という。)が開示されている。
推定結合部位を操作して,ヒスチジンを含むように改変されていることを特徴とする,5.0~6.0の範囲の生理学的pHで,7.2~7.4の範囲の生理学的pHで抗原に結合する解離定数よりも少なくとも10倍を超える解離定数(KD)で抗原に結合する抗体であって,pHの減少時に抗体とその抗原の間の相互作用が失われ,エンドソームコンパートメント中に放出される結果,抗原自体は分解されるが,抗体は分解から救出される,医薬組成物。(3)

原告主張甲6発明と本件発明の同一性

原告主張甲6発明を構成要件に分説すると以下のとおりである。

6A:推定結合部位を操作して,
ヒスチジンを含むように改変されているこ
とを特徴とする,
6B:5.0~6.0の範囲の生理学的pHで,7.2~7.4の範囲の生理学的pHで抗原に結合する解離定数よりも少なくとも10倍を超える解離定数(KD)で抗原に結合する抗体であって,
6C:pHの減少時に抗体とその抗原の間の相互作用が失われ,
エンドソー
ムコンパートメント中に放出される結果,
抗原自体は分解されるが,

体は分解から救出される,
6D:医薬組成物。

本件発明1は,次のとおり分説することができる。

A少なくとも可変領域の1つのアミノ酸がヒスチジンで置換され又は少な:
くとも可変領域に1つのヒスチジンが挿入されていることを特徴とする,B:抗原に対するpH5.8でのKDとpH7.4でのKDの比であるKD(pH5.8)/KD(pH7.4)が2以上,10000以下の抗体であって,C:血漿中半減期が長くなった抗体を含む
D:医薬組成物。

構成要件6A~6Dは,本件発明1の構成要件A~Dに相当するから,原告主張甲6発明と本件発明1は同一であり,
本件発明1は新規性を欠く。

4
取消事由4(無効理由3(優先権が認められないことを前提とする進歩性欠如)についての判断の誤り)について
上記3において述べたところによれば,仮に,本件発明1が新規性を欠くといえないとしても,原告主張甲6発明に甲11文献及び甲12文献等を組み合わせることにより,容易に想到することができる。

5
取消事由5(無効理由5(進歩性欠如)についての判断の誤り)について(1)

引用発明の認定について

KD(pH5.8)/KD(pH7.4)の開示について
甲11文献の図3A(a)からは,CDR中の塩基をヒスチジン置換した変異抗体(以下ヒスチジン置換抗体という。)L2BのpH7.4における結合定数の対数値(logK)は,およそ8.7と,pH5.8における結合定数の対数値(logK)は,およそ7.3と読み取ることが可能である。これらの結合定数の対数値(logK)(それぞれ8.7及び7.3)を,結合定数Kの実数値に引き直すと,pH7.4について約5.0×108(≒108.7),pH5.8について約2.0×107(≒107.3)となる。そして,一般的に解離定数は結合定数と逆数の関係にあるので,各pHにおける解離定数は,KD(pH7.4)=1/K(pH7.4),KD(pH5.8)=1/K(pH5.8)になる。
したがって,
ヒスチジン置換抗体L2BのKD(pH5.8)/KD(pH7.4)は,約
25(=5.0×108÷2.0×107)となる。


血漿中抗原消失能が増加したについて
(ア)

甲11文献の図3Bによれば,
ヒスチジン置換抗体L2BのlogKは,

pH7.
4における野生型抗体のlogKと比較すると0.
35も高い一方
で,pH5.8における野生型抗体のlogKと比較すると0.05程度しか高くなっていないから,ヒスチジン置換抗体L2Bは,野生型と比較した場合,中性付近(pH7.4)で抗原と強く結合する一方で,酸性付近(pH5.8)では抗原との結合は弱いため,野生型抗体と比較した場合,ヒスチジン置換抗体L2Bは酸性条件下で抗原と解離しやすくなっていることが理解できる。
(イ)

甲13文献の記載
本件特許の優先日前に発行された甲13文献の記載(5515頁右欄
図4の説明)によれば,最初に抗原と結合した単量体IgGは,細胞内に取り込まれ(インターナライズされる),その後pHが低くなる細胞内(エンドソーム)で抗原と抗体(IgG)が解離すると,抗原のみが細胞内で分解される一方で,抗体(IgG)はFcRpと結合し,抗体は抗原がない状態で細胞表面に戻り,抗体はリサイクルされることが理解できる。そして,上記のような抗体はリサイクルされ,結果的に血漿中に長くとどまることになるので,血漿中抗原消失能が増加した抗体と考えられる。このように,
甲13文献には,
pHが低くなる細胞内
(エンドソーム)
において,抗原と抗体(IgG)の結合が弱まり,抗原と抗体が解離することが抗体のリサイクルにとって重要な要素であることが開示されているといえる。
そして,細胞外ではpHが中性(pH7)である一方で,細胞内ではpHは酸性(pH5)であることは,本件特許の優先日当時の技術常識である。
そうすると,
抗体の抗原との結合能が,(pH7)時よりも酸性
中性
(p
H5)時の方が低い場合には,細胞内(エンドソーム)での結合状態が弱くなるため,抗原と抗体が解離しやすくなるために,必然的にそのような抗体は血漿中抗原消失能が増加した抗体になる。
したがって,
抗原に対するpH5.
8でのKD
(解離定数)
とpH7.
4でのKD
(解離定数)
の比であるKD(pH5.8)/KD(pH7.4)が大きくなればなるほど,細胞内(エンドソーム)での結合能は弱くなるので,抗原と抗体は,解離されやすくなり,結果として当該抗体はリサイクルされ,一の抗体で複数回抗原を細胞内で分解させることができ,血漿中抗原消失能が増加するのである。
(ウ)

上記のように酸性条件下での結合定数が低下する場合には抗体はリサ
イクルされやすくなり血漿中抗原消失能が増加する,ということが自然法則であり,本件特許の優先日当時の技術常識であった。かかる技術常識を前提とすると,甲11文献に開示されるヒスチジン置換抗体L2Bは,ヒスチジン置換により,野生型抗体と比較した場合,酸性条件下で抗原と解離しやすくなっているため,甲11文献に開示されるヒスチジン置換抗体L2Bは,野生型抗体のCDR中の塩基のヒスチジン置換によって,野生型抗体と比較して血漿中抗原消失能が増加した抗体であることが客観的に理解できる。

以上によれば,甲11文献には次の引用発明が記載されている(以下,原告主張引用発明という。)。
CDRのアミノ酸がヒスチジンで置換されていることを特徴とする,抗原に対するpH5.8でのKDとpH7.4でのKDの比であるKD(pH5.8)/KD(pH7.4)が約25の抗体であって,血漿中抗原消失能が増加した抗体。
(2)

原告主張引用発明と本件発明1の対比
本件発明1と原告主張引用発明は,少なくとも可変領域の1つのアミノ酸がヒスチジンで置換されていることを特徴とし,抗原に対するpH5.8でのKDとpH7.4でのKDの比であるKD(pH5.8)/KD(pH7.4)が2以上,10000以下の抗体であり,血漿中抗原消失能が増加した抗体である点で一致し,次の点で相違する。
[相違点]
本件発明1は抗体を医薬組成物に用いられるものであるが,原告主張引用発明はそのような用途について記載されていない点

(3)

相違点に係る構成の容易想到性
いわゆる用途発明の進歩性について,特定の発明に係る物が有する本来の性質,機能と異なる性質,機能を利用するといっても,その性質,機能が従来の公知技術から当業者において容易に想到できるものである場合や,それらが周知事項に属するものである場合には,少なくとも,その用途に係る発明に進歩性を認めることはできない。
そうすると,
一致点にかかる抗体である,
KD(pH5.8)/KD(pH7.4)が2以上,
10000以下であり,かつヒスチジン置換前の抗体よりも血漿中抗原消失能が増加した抗体を医薬組成物に用いた場合の機能等が,従来の公知技術から当業者において容易に想到できるものである場合や,それらが周知事項に属するものである場合には,医薬組成物に用いることについて進歩性は認められないことになる。

甲13文献によれば,最初に抗原と結合した抗体が細胞内に取り込まれた後,pHが低くなる細胞内(エンドソーム)で抗原と抗体(IgG)が解離すると,抗原のみが細胞内で分解される一方で,抗体(IgG)はFcRpと結合し,抗体は抗原がない状態で細胞表面に戻り,抗体はリサイクルされる,という自然現象は技術常識であった。


また,甲14の記載(908頁左欄15~17行,908頁右欄20~24行,
910頁右欄下2行~下1行)に接した当業者は,
pH依存的結合
特性を有する治療用タンパク質について,最初にレセプターと結合した治療用タンパク質(リガンド)が細胞内に取り込まれた後,pHが低くなる細胞内(エンドソーム)でレセプターと治療用タンパク質(リガンド)が解離すると,レセプターのみが細胞内で分解される一方で,治療用タンパク質(リガンド)はレセプターと解離した状態で細胞表面に戻るから,リガンドと同様にレセプターに結合する抗体(治療用タンパク質)もまたレセプターと解離することによってリサイクルされることを理解する。これによれば,KD(pH5.8)/KD(pH7.4)が2以上,10000以下であり,かつヒスチジン置換前の抗体よりも血漿中抗原消失能が増加した抗体を医薬組成物に用いた場合の,抗体のリサイクル性が向上し,1の抗体で,変異導入前の抗体よりも多くの回数,抗原の中和を可能とし,投与量の低減及び持続性が延長するという効果は,当業者であれば予測できるものに過ぎないというべきである。
(4)

以上によれば,本件発明1は,原告主張引用発明及び技術常識に基づいて
容易に発明をすることができたものであるから,進歩性を欠くものであり,この点に関する本件審決の判断は誤りである。
6
取消事由6:無効理由4(拡大先願)についての判断の誤り
(1)

先願発明について
先願である特願2009-531851の内容は甲6(国際公開第2008/043822号)に開示されているところ,国内公表公報である甲10文献は,その日本語訳に相当する。
甲10文献には原告主張甲6発明が開示されているといえるのは,前記3(2)主張のとおりである


本件審決は,サポート要件及び実施可能要件について,可変領域のどの部分にヒスチジン導入を行うかが不明であってもスキャニング工程やスクリーニング工程を行うことによって当業者は所望のpH依存的結合特性を有する抗体を取得することができると判断している。
そうすると,
先願明細書等に,pH感受性のためのヒスチジンを含むように改変されたデザイナータンパク質ライブラリーから単離する方法などのスクリーニング工程
(甲10
【0069】が記載されているのであるから,

かかるライブラリーを用いたスクリーニングの手法により,ヒスチジンを改変する場所が特定できるといえる。
さらに,本件審決は実施可能要件に関し,抗原に対するpH5.8でのKDとpH7.4でのKDの比であるKD(pH5.8)/KD(pH7.4)が2以上,10000以下の抗体であれば,エンドソーム内で抗原から解離して(抗原はライソソームに移行して分解され),再び血漿中に戻り,新たな抗原への結合を繰り返すことができ,薬物動態が向上する,すなわち,血漿中抗原消失能が増加すると認定している。このような認定を前提とすれば,所定のpH依存的結合特性を有する抗体であれば,血漿中抗原消失能が増加することは当然の科学的帰結ということになる。したがって,
原告主張甲6発明においても,
ヒスチジンの改変により
5.0~6.0の範囲の生理学的pHで,7.2~7.4の範囲の生理学的pHで抗原に結合する解離定数よりも少なくとも10倍を超える解離定数(KD)を有するに至った抗体が,pHの減少によって抗体とその抗原の間の相互作用が失われ,エンドソームコンパートメント中に放出される結果,
エンドソーム内で抗原から解離して(抗原はライソソームに移行して分解され),再び血漿中に戻り,新たな抗原への結合を繰り返すことができること及びその結果血漿中抗原消失能が増加するという特徴を有することは,先願明細書等の記載から読み取ることができるということになる。
(2)

原告主張甲6発明と本件発明1の同一性
原告主張甲6発明及び本件発明1の分説は,
上記3(3)に主張したとおり
である。


先願1の実施例では,pH依存的結合特性を有する目的物質のスクリーニングのための2つの代表的な条件として,pH5.8とpH7.3を用いている(甲10文献【0303】)。さらに,甲11文献の図3に示されるとおり,pHと解離定数(KD)は,ほぼ直線的な関係にあることを読み取ることが出来るのであるから,わずかなpHの違いにより劇的に解離定数が変化するということはおよそ考えられない。
また,
先願1には,
5.0~6.0の範囲の生理学的pHで,7.2~7.4の範囲の生理学的pHで抗原に結合する解離定数よりも少なくとも10倍を超える解離定数(KD)で抗原に結合する抗体のみならず,解離定数の比が少なくとも100倍以上少なくとも1000倍以上である抗体も記載されている(甲10文献請求項2および3)。
以上によれば,先願明細書等には,KD(pH5.8)/KD(pH7.4)が10以上なる条件を満たす抗体が記載されているといえるのであるから,構成要件6Bは本件発明1の構成要件Bに相当する。さらに,構成要件6A,6C及び6Dは,本件発明1の構成要件A,C及びDに相当するから,原告主張甲6発明と本件発明1の同一性を否定した本件審決の判断は誤りである。第4

被告の反論

1
取消事由1(無効理由6(明確性要件違反)についての判断の誤り)について
(1)

特許請求の範囲の請求項1の記載から,
本件発明1の医薬組成物に含まれ

る抗体が,可変領域へのヒスチジン変異の導入により,所定のpH依存的結合特性を獲得することを通じて血漿中抗原消失能が増加した抗体であることがわかる。さらに,上記記載は,pH依存的結合特性を獲得することを通じて血漿中抗原消失能が増加したか否かが,可変領域へのヒスチジン変異の導入前と後の抗体の比較によって決められることを示しているから,本件発明1は,本件明細書の記載を考慮するまでもなく明確である。(2)

また,本件明細書の【0018】及び【0029】の記載を考慮すると,
本件発明1の医薬組成物に含まれる抗体が,可変領域へのヒスチジン変異の導入により,所定のpH依存的結合特性を獲得することを通じて血漿中抗原消失能が増加した抗体であることはより明らかである。なお,血漿中抗原消失能の増加は薬物動態の向上の一態様である(【0037】)。(3)

本件発明1は,
リサイクリング抗体創製技術によって改良された配列をそ

の配列の改良によって特定したものである。リサイクリング抗体創製技術の特徴は,その適用対象が特定の抗体に限らず幅広い抗体に及ぶという点にあるのであり,ある抗体が本件発明1の技術的範囲に含まれるか否かを判断するに際し,ヒスチジンの置換又は挿入前の抗体及びその配列(つまり,元となる(基準となる)抗体及びその配列)は,判断対象に応じて決まるのであり,予め固定する必要はない。
本件発明1において,個々の抗体が本件発明1の技術的範囲に含まれるか否か,ひいては本件発明1が明確であるか否かを判断するに際し,ヒスチジンが置換又は挿入される前の元となる抗体及びその配列は,判断対象に応じて決まるのであり,予め固定する必要はない。個別のヒスチジンの置換又は挿入ごとに,ヒスチジンの置換又は挿入前後において,所定のpH依存的結合特性を獲得し,血漿中抗原消失能が増加したか否かを判断すれば足りる。また,特許請求の範囲の記載は,その記載それ自体及び明細書の記載に基づいて明確であれば明確性要件に適合するのであり,ある実在する(流通している)抗体医薬組成物が特定の構成要件を充足していることを第三者において立証することが困難であるか否かは,明確性要件適合性とは関わりがない。
(4)

本件審決は,血漿中抗原消失能が増加した抗体を,可変領域へのヒスチジン変異の導入により,所定のpH依存的結合特性を獲得することを通じて血漿中抗原消失能が増加したという特性を備えるに至った抗体であると認定した。原告は,この本件審決の認定に基づいて,本件発明1の抗体は可変領域へのヒスチジン変異の導入という製造方法を経ることが条件となっていると主張する。
しかし,請求項1の少なくとも可変領域の1つのアミノ酸がヒスチジンで置換され又は少なくとも可変領域に1つのヒスチジンが挿入されていることを特徴とするとの記載は,抗体の配列の特定であって,製造方法の特定ではない。抗体の製造は,配列が特定された後,例えば,宿主細胞に目的とする抗体の遺伝子を導入し,当該抗体産生細胞株を樹立し,その細胞株によって行われるのであり,元の抗体を発現させてからヒスチジン変異を導入するわけではない。
以上のとおり,請求項1はPBPクレームではないから,これを前提とする原告の主張は当たらない。
2
取消事由2(無効理由1(実施可能要件違反及びサポート要件違反)についての判断の誤り)について
(1)

ヒスチジンスキャニング(被告主張ヒスチジンスキャニング)による実施
が可能であること

ヒスチジンスキャニングは,抗体のアミノ酸の配列において,各アミノ酸を順にヒスチジンに置換し,
置換された各抗体を評価する方法であり
(本
件明細書【0029】及び【0288】),可変領域のアミノ酸の数は,重鎖及び軽鎖の各々について約110個の合計約220個である。本件出願日の技術水準において,これらの各アミノ酸についてヒスチジンスキャニングを適用する場合,置換又は挿入の各々の効果は,次の(ア)のヒスチジン置換位置の特定に必要な試験(前半の試験),(イ)のヒスチジン置換のされたpH依存性抗体の血中動態の試験(後半の試験)を行うことで確認できる。これらの実験は,周知技術によって行うことができ,特別な技術を新たに開発する必要はない。
そして,以下のとおり,前半の試験及び後半の試験を併せて合計約14週で行うことができるから,本件出願日当時,当業者に合理的に期待し得る程度未満の人員,期間及び労力により,可変領域全体にわたってヒスチジンの置換又は挿入箇所を特定することができる。
(ア)

ヒスチジン置換位置の特定に必要な試験(前半)
ヒスチジン置換された抗体を作製し,そのpH依存性を同定するため
には,以下の①ないし③の工程が必要である。各項目について,2名の研究員が担当する場合,
約1週間の期間で足りる。
1回の①の工程では,
約24個の抗体を取得できる。


基準となる抗体の可変領域のアミノ酸の1部位をヒスチジンに置換するよう発現ベクターを作成する工程



構築したベクターを細胞に導入し,導入した細胞から抗体を精製し取得する工程


製品名BiacoreT100とする表面プラズモン共鳴による分子間相互作用解析装置により,精製した抗体のKD値を算出する工程
①~③は,並列的に進めることができるから,研究員2名のチームに
おいて,工程①の終了後に,工程②と並行して,新たな工程①に着手することができる。
したがって,3週目以降は,24個/週の速度にて,ヒスチジン置換がされた抗体を取得できる。そのため,可変領域における220個のアミノ酸残基の各々について,ヒスチジン置換がなされた抗体を取得するためには,約11週で足りる(220÷24+2=11.1)。4名の研究員を投入する場合,
約7週で足りる
(220÷48+2=6.
6)

本件出願日当時の技術水準(甲31の8)に照らし,220個のアミノ酸の置換は,当業者にとって負担となるものではない。
(イ)

ヒスチジン置換のされたpH依存性抗体の血中動態の試験(後半)ヒスチジン置換のされた抗体が所望のpH依存性を示す(有望である
こと(pH依存的結合特性がもたらされたこと)が判明した)場合に,実際に動物に投与して血中動態を試験するためには,以下の工程を要する。


動物投与用抗体の調製



動物に抗体を投与し,一定期間後に血液サンプルを回収する工程



②で回収した血液サンプル中の残存抗体量を定量する工程
ヒスチジンスキャニングによる置換位置の特定において,所定のpH依存性に有望な部位として特定される部位の数は,抗体及び抗原に依存するものの,概ね10箇所以下である(このことは,甲3において,CDR領域についてのヒスチジンスキャニングにより8個の位置が特定されたにとどまることからもいえる。)。
そして,12個の抗体について試験を行うものとすると,動物に投与できる量の抗体の作製並びに実際の投与及び分析には,合計7週で足りる。具体的には,①の工程について,2名の研究員により2週間,②の工程について,2~3名の研究員により4週間,③の工程について,1名の研究員により2週間である。実際には,②の工程の途中で③の工程の一部を行うことができるため,合計期間はさらに短縮できる。③の工程において,抗体濃度を測定した研究員が,抗原濃度も測定する場合,1名の研究員により,さらに1週間を要するため,合計8週要することになるが,実際には,③の工程において抗体濃度と抗原濃度は同時に測定することができるため,その合計期間は約7週に短縮できる。

ヒスチジンの挿入について
本件明細書【0029】,【0116】,【0150】,【0179】及び【0281】の記載に照らし,ヒスチジンの挿入についても,置換について述べた上記の手法をそのまま適用すれば足りる。


置換及び挿入位置の特定に要する期間
以上によれば,ヒスチジン置換に加えて挿入についてもヒスチジンスキャニングを行う場合,研究員の人数を前述の倍にし,両者を並行して行うと,実験は,合計約14週で終了する。あるいは,同じ人員にて置換及び挿入のヒスチジンスキャニングを行う場合でも,前半(ヒスチジン置換位置の特定に必要な試験)を担当するチームが,置換の試験の終了後,直ちに挿入の試験に着手することができるため,必要な期間は2倍よりも圧縮でき,約21週で足りる。


複数のヒスチジン置換又は挿入がされた抗体について
複数のヒスチジン置換又は挿入がされた抗体については,置換及び挿入の各々について約220箇所のヒスチジンスキャニングで特定できた位置を組み合わせれば足り,ヒスチジンスキャニングによって有望であることが判明した個々の置換又は挿入について,その組み合わせを改めて検証する必要はない。
(ア)

複数のアミノ酸の導入は,一般に,各残基の検討によって有望である
と判明した導入を組み合わせることによって同定することができる。アラニンスキャニングの研究でも,大半の場合,単独の変異の影響は相加的であると報告されている(乙20)。原告も一般名エクリズマブとする抗体について,各残基のヒスチジン置換を行い,次にそれらを組み合わせている(甲3)。
(イ)

甲40について
甲40は,各ヒスチジン置換の重ね合わせ(各ヒスチジン置換の効果
の大小は,タンパク質間の結合におけるpKaの変化の程度で評価される。)による実験結果を説明しているのであって,複数のヒスチジン置換の組み合わせによって初めて効果が発現する事象を見出したものではない。
すなわち,甲40では,より高いpH依存的結合には複数のイオン化可能な残基が必要であるとの仮説に基づいて,研究が行われた
(Introductionの最終パラグラフ(1620頁左欄)及びDiscussionの第1パラグラフ(1626頁左欄))。そして,イオン化可能な残基の数が増える場合,その効果は,各イオン化可能な残基の重ね合わせである(1627頁の”Simulation”の式)とされており,原告の主張する各ヒスチジン置換が互いに協働することではじめてpH依存的結合特性に影響を与えるヒスチジン置換が考慮されているわけではない。甲40において,相加効果を超えた相乗作用が明らかにされているわけではないし,
まして,
単独の置換では効果を全く奏さないにもかかわらず,
それらの組み合わせによって初めて効果が発現した事例が示されているわけではない。
仮に,近接するヒスチジンが相乗作用を示すとしても,それぞれのヒスチジンが単独でも効果を奏しており,近接することによってその効果がより増進されるという可能性が高い。
(ウ)

甲45について

a
甲45のTable.3について,参照抗体においてKD(pH5.5)/KD(pH7.4)に及ぼす影響を縦軸に,重鎖F100及び軽鎖S26をヒスチジン置換した抗体においてKD(pH5.5)/KD(pH7.4)に及ぼす影響を横軸にプロットしたものは次のとおりである。なお,甲45では,酸性側のpHとして,本件発明でのpH5.8ではなく,より酸性の強いpH5.5が採用された。そのため,pH依存的結合に寄与するヒスチジン導入では,甲45のKD(pH5.5)/KD(pH7.4)は,KD(pH5.8)/KD(pH7.4)よりもやや大きい値となる可能性が高い。

I29H
N28H

E29H

E59H

Y軸で参照
抗体に対
応する値
(-12.09)

これによれば,
あるヒスチジン置換の参照抗体に及ぼす影響が小さい
場合には,当該ヒスチジン置換が重鎖F100及び軽鎖S26をヒスチジン置換した抗体に及ぼす影響も,
概ね小さい。
その一方,
あるヒス
チジン置換の参照抗体に及ぼす影響が大きい場合には,当該ヒスチジン置換が重鎖F100及び軽鎖S26をヒスチジン置換した抗体に及ぼす影響も,概ね大きい。
参照抗体で,KD(pH5.5)/KD(pH7.4)を低下させ,かつ重鎖F100及び軽鎖S26をヒスチジン置換した抗体ではKD(pH5.5)/KD(pH7.4)を増加させるという例は,
軽鎖のN28H及びI29Hのみであった。
しか
し,
I29HのプロットはほぼY軸上にあり,
N28Hにいたってはほ
ぼ原点上にあるから,これらの変異は実験誤差の範囲で参照抗体には影響を及ぼしていない。
重鎖F100及び軽鎖S26をヒスチジン置換した抗体にさらにヒスチジン置換を加えた結果,
KD(pH5.5)/KD(pH7.4)が参照抗体の値
(2.
6;Y軸では-12.09に当たる。)を下回った例は,重鎖のE59Hのみである。
この点でも,
E59Hの測定が正確か否か自体,
疑わし
い。
原告は,
甲45に基づいて縷々主張するが,
その主張は,
誤差の範囲
内で意味のない違いを議論しているだけであるか,
特異な例外
(測定の
信頼性も疑われる。を取り上げているにすぎない。

上記のプロットに
よれば,甲45は,むしろ,原告の主張と矛盾する。
b
重鎖F100H及び軽鎖S26Hは,単独でもpH依存的結合特性をもたらすから,重鎖F100及び軽鎖S26をヒスチジン置換した抗体にさらに軽鎖のN28H又はI29Hを加えても,上記のヒスチジン置換が,当該ヒスチジン置換後の抗体のpH依存的結合に寄与している。したがって,軽鎖N28H及びI29Hに関するデータは,各ヒスチジン置換が互いに協働することではじめてpH依存的結合特性に影響を与える例を示すものではない。
c
ヒスチジンスキャニングによって有望であること(pH依存的結合特性がもたらされたこと)
が判明した個々の置換を組み合わせた結果,
やはりpH依存的結合特性がもたらされた抗体(組み合わせでもKDの比が増加するものの,単独の置換のそれぞれがもたらす増加分の合計値未満である場合を含む。)は,単独の置換について被告主張ヒスチジンスキャニングによって有望であること(pH依存的結合特性がもたらされたこと)が判明する場合,当該置換を含む抗体は,特許発明の技術的範囲に属する。そして,上記aのとおり,ある置換が単独ではpH依存的結合特性を損なうものの他の置換と組み合わせるとpH依存的結合特性をもたらすという例は見当たらない。
したがって,置換の組み合わせについて検証する必要はない。複数のヒスチジン置換の組合せでのKD(pH5.5)/KD(pH7.4)の増加が各ヒスチジン置換での増加の単純な和と異なることがあるとしても,ヒスチジンスキャニングによって有望であること(pH依存的結合特性がもたらされたこと)が判明した個々の置換を組み合わせた結果,やはりpH依存的結合特性がもたらされるのであれば,追加の検証は不要であり,実施可能要件には影響しない。
他方,ヒスチジンスキャニングによって有望であること(pH依存的結合特性がもたらされたこと)が判明した個々の置換を組み合わせた結果,pH依存的結合特性がもたらされなくなる場合には,この抗体は,本件発明の抗原に対するpH5.8でのKDとpH7.4でのKDの比であるKD(pH5.8)/KD(pH7.4)が2以上,10000以下の抗体という構成
要件を充たさないため,本件発明の技術的範囲に属さない。特許要件の判断においても,クレームに含まれないこのような抗体は実施可能要件とは関係がなく,検証する必要もない。
d
実施可能要件の充足性は,出願日を基準として判断されるところ,甲45は,本件出願日より8年以上後である平成29年8月3日に公開された。このように本件出願日より8年ほど後に公開された甲45においても,原告が主張する各ヒスチジン置換が互いに協働することではじめてpH依存的結合特性に影響を与えるヒスチジン置換が具体的に存在することは示されていない。このことは,原告主張の事象が存在しないことをむしろ裏付けている。
(2)

その他の手法による実施が可能であること
ヒスチジンが出現する頻度を高めたライブラリーを作製し,抗原との結合のpH依存性を測定することにより,所定のpH依存性をもたらす置換又は挿入を特定することができる(本件明細書【0191】及び【0192】)。さらに,既存のライブラリーやそれにヒスチジンを導入したライブラリーを使用することもできる(【0183】)。


立体構造モデルから,可変領域を構成するアミノ酸残基のうち,可変領域表面に露出し抗原と相互作用し得るものを絞り込むこともできる(実施例2)。本件発明は,医薬品に使用される抗体について,可変領域におけるヒスチジンの導入により,1つの抗体が繰り返し抗原と結合することを可能とし,それにより薬効を持続させている。医薬品に使用できる抗体については,通常,その立体構造,抗原,抗原-抗体相互作用について研究が行われ,立体構造の概略も解明されている。したがって,立体構造モデルも,有効に利用することができる。

(3)

特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合すること
本件発明の課題は,アミノ酸改変前と比較して,1つの抗体が複数回にわ
たって抗原と結合し,薬物動態を向上させることにある(【0009】)。本件発明は,
可変領域へのヒスチジン導入により,
この課題を解決している。
当業者は,本件明細書及び技術常識を参照し,可変領域へのヒスチジン導入によって上記課題を解決できることを認識できる。しかも,前述のとおり,当業者は,可変領域全体にわたり,ヒスチジンを導入すべき位置を過度の試行錯誤なしに特定することができる。したがって,本件特許の特許請求の範囲の記載は,サポート要件に適合する。
(4)

原告の主張について
原告は,本件明細書はスクリーニング方法を開示するにすぎず,本件発明
はいわゆるリーチ・スルークレームであると主張する。
しかし,本件発明は,可変領域へのヒスチジンの導入という具体的な課題解決手段に基づくものであり,単にスクリーニング方法で抗体を特定した発明ではないし,個々の抗体でのヒスチジンの導入位置は,過度の試行錯誤なしに特定できるのは,上記(1)のとおりである。本件発明は,スクリーニング方法ではなく具体的な課題解決手段に基づいているから,本件発明がリーチ・スルークレームであることを前提とした原告の主張は失当である。本件発明は,可変領域へのヒスチジンの導入という配列の特徴によって発明を特定しているから,リーチ・スルークレームとは異なる。
3
取消事由3(無効理由2(優先権が認められないことを前提とする新規性欠如)についての判断の誤り)について
第1基礎出願明細書等には,
可変領域にヒスチジン変異が導入されており,

定のpH依存的結合特性を有する抗体であって,
血漿中抗原消失能が増加した抗
体を含む医薬組成物が実質的に記載されている。
したがって,
第1基礎出願に基づく優先権主張の効果が認められ,
甲6文献に
記載の発明は先行技術とはならないから,
これに基づき新規性が欠如するとはい
うことはできない。
4
取消事由4(無効理由3(優先権が認められないことを前提とする進歩性欠如)についての判断の誤り)について
上記3と同様に,第1基礎出願に基づく優先権主張の効果が認められ,甲6文献に記載の発明は先行技術とはならないから,これに基づき進歩性が欠如するということはできない。

5
取消事由5(無効理由5(進歩性欠如)についての判断の誤り)について(1)

引用発明の認定について
甲11文献には,抗卵白リゾチーム抗体であるHyb・C1のうち1つの
アミノ酸をヒスチジンに置換した合計12種類の抗体について,いくつかのpHでの結合定数(KD)が記載されているが,甲11文献は,これら12種類の抗体以外の抗卵白リゾチーム抗体を開示しておらず,まして,他の抗原に対する抗体には触れていない。さらに,結合定数のpH依存性に関し,特にpH5.8での値とpH7.4での値との比(KD(pH5.8)/KD(pH7.4))に着目することも記載されていない。
これによれば,甲11文献には,
KD(pH5.8)/KD(pH7.4)が約25の抗体
全般が記載されているわけではなく,
原告主張引用発明は記載されていない。
(2)

容易想到性
本件発明は,医薬組成物に関する発明であって,抗卵白リゾチーム抗体の
用途発明ではない。
原告は,引用発明の認定に際しては,甲11文献に記載された12種類の抗卵白リゾチーム抗体のうち,L2Bという特定の抗体の実験結果に専ら依拠しているにもかかわらず,相違点の認定においては,L2Bから逸脱し,さらには甲11文献からも乖離して抽象的な主張をしており,抗体の意味をすり替えている。
また,甲13は,変異の導入による天然抗体と比較した血中半減期の延長とは無関係である。さらに,甲14は,抗体ではなく,GCSF(顆粒球コロニー刺激因子)に関する文献であり,また,そのヒスチジン置換は,GCSFだけでなく,そのレセプター(GCSFR)のライソソーム内での分解を抑制することも目的とする。本件発明は抗原のライソソーム内での分解を促進することを目的とするものであるから,甲14は動機付けの根拠とはならない。
したがって,仮に甲11文献に原告主張引用発明が記載されていたとしても,本件発明1は,原告主張引用発明及び甲12~14文献の技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものではない。
6
取消事由6(無効理由4(拡大先願)についての判断の誤り)について(1)

先願発明について
原告は,様々な実施態様にわたる記載から,原告の主張に都合のよい技術
的思想の断片を抽出し,それらを寄せ集めたものを原告主張甲6発明として主張しているものであり,
先願1の出願時の明細書には,
原告主張甲6発明は
具体的な技術思想として開示されていない。
甲10文献の請求項1には,所望の分子に対して向けられたアミノ酸配列が記載されているが,
請求項1に記載された発明及び実施例のいずれにお
いても,
所望の分子及びアミノ酸配列は,それぞれ医薬品のための抗
体及び抗原に特定されておらず,
相互作用は,
医薬品のための抗体,
特に可変
領域と抗原との結合に特定されていない。
また,
甲10文献における
ヒスチジンを含むように改変されたデザイナータンパク質ライブラリー抗体のは,
可変領域を改変したものに特定されていないし,
またpH感受性も,
低いpH
で結合を弱くする場合に特定されていない。
さらに,
甲10文献において,

体の可変領域のヒスチジン置換又は挿入により低いpHで抗原との相互作用を低下させること,またそれにより抗体の血漿中抗原消失能が増加することは実証されていない。
(2)

原告主張甲6発明と本件発明の同一性
甲10文献には,pH5.8におけるKDとpH7.4におけるKDとの
比は記載されておらず,実施例により実証されてもいない。また,原告は,原告主張甲6発明の推定結合部位は可変領域と同義であるか,少なくとも抗体の可変領域を含むと主張するが,
甲10文献における
推定結合部位
は抗体の可変領域には特定されていないから,本件発明1のヒスチジン置換又は挿入箇所が少なくとも可変領域の1つのアミノ酸である点も,相違点である。原告主張甲6発明と本件発明1は同一ではない。
第5
1
当裁判所の判断
本件発明について
(1)

特許請求の範囲の記載
本件発明の特許請求の範囲の記載は,
前記第2の2に記載のとおりである。

(2)

本件明細書の記載
本件明細書には以下の記載がある(甲20)。


【技術分野】

【0001】

本発明は,抗原結合分子の薬物動態を向上する方法,抗原結

合分子の抗原への結合回数を増やす方法,薬物動態が向上した抗原結合分子,抗原結合分子の抗原への結合回数が向上した抗原結合分子,および,それらの製造法等に関する。

【背景技術】

【0002】

抗体は血漿中での安定性が高く,副作用も少ないことから医

薬品として注目されている。
中でもIgG型の抗体医薬は多数上市されており,
現在も数多くの抗体医薬が開発されている。抗体医薬は一般に投与量が非常に高いものであるところ,抗体医薬の投与量を低減させる方法として,抗体の薬物動態を向上する方法と抗体と抗原の親和性(アフィニティー)を向上する方法が考えられる。
【0003】

抗体の薬物動態を向上させる方法として,定常領域の人工的

なアミノ酸置換が報告され,抗原結合能,抗原中和能を増強させる技術として,アフィニティーマチュレーション技術が報告されている。可変領域のCDR領域などのアミノ酸に変異を導入することで抗原への結合活性を増強し,投与量の低減,薬効の向上が可能である。
【0004】

一方,抗体1分子あたりが中和できる抗原量はアフィニティ

ーに依存し,アフィニティーを強くすることで少ない抗体量で抗原を中和することが可能であり,様々な方法で抗体のアフィニティーを強くすることが可能である。さらに抗原に共有結合的に結合し,アフィニティーを無限大にすることができれば1分子の抗体で1分子の抗原(2価の場合は2抗原)を中和することが可能である。しかし,これまでの方法では1分子の抗体で1分子の抗原(2価の場合は2抗原)の化学量論的な中和反応が限界であり,抗原量以下の抗体量で抗原を完全に中和することは不可能であった。つまり,アフィニティーを強くする効果には限界が存在していた(非特許文献9)。中和抗体の場合,その中和効果を一定期間持続させるためには,その期間に生体内で産生される抗原量以上の抗体量が投与される必要があり,上述の抗体の薬物動態向上,あるいは,アフィニティーマチュレーション技術だけでは,必要抗体投与量の低減には限界が存在していた。
【0005】

そのため,抗原量以下の抗体量で抗原の中和効果を目的期間

持続するためには,一つの抗体で複数の抗原を中和する必要がある。1つの抗体で複数の抗原を中和する方法として,抗体に触媒機能を付与した触媒抗体による抗原の不活化が挙げられる。タンパク質抗原の場合,抗原のペプチド結合を加水分解することで不活化することが可能であり,この加水分解反応を抗体が触媒することで,繰り返し抗原を中和(不活化)することが可能であると考えられている(非特許文献8)。これまでに多くの触媒抗体および触媒抗体作製技術に関する報告がされているが,医薬品として十分な触媒活性を有する触媒抗体の報告はない。すなわち,ある抗原に対する抗体のinvivo試験において,
通常の触媒機能を有さない中和抗体
と比較して,低用量で同等以上の効果を発揮する,あるいは,同じ投与量でより持続的に効果を発揮することができる触媒抗体の報告はこれまでにない。
【0006】

このように,1分子の抗体で複数の抗原を中和し,通常の中
和抗体より優れたinvivo効果を発揮することができる抗体に関する報告はなく,投与量の低減および持続性の延長のためには1抗体で複数の抗原を中和し,vivoで通常の中和抗体よりも効果を発揮する新規な抗体作製技in
術が望まれていた。

【課題を解決するための手段】

【0010】

本発明者らは,抗原結合分子などの抗原結合能を有するポリ

ペプチドの抗原に複数回結合する方法,血漿中半減期(血中半減期)を改善(薬物動態を向上)する方法について,鋭意研究を行った。その結果,本発明者らは,血漿中(血中)でのpHにおける抗原結合活性と比較して早期エンドソーム内でのpHにおける抗原結合活性が弱い抗原結合分子は抗原に複数回結合し,血漿中半減期が長いことを見出した。

【発明の効果】

【0012】

本発明によって,1分子の抗原結合分子を複数の抗原に繰り

返し結合させる方法が提供された。1分子の抗原結合分子が複数の抗原に結合することで抗原結合分子の薬物動態を向上させ,vivoにおいて通常in
の抗原結合分子よりも優れた効果を発揮させることができる。

【発明を実施するための形態】

【0016】

又,本発明は,細胞外で抗原結合分子に結合した抗原を細胞

内で抗原結合分子から解離させる方法を提供する。より具体的には抗原結合分子の酸性pHにおける抗原結合能を中性pHにおける抗原結合能よりも弱くすることにより,細胞外で抗原結合分子に結合した抗原を細胞内で抗原結合分子から解離させる方法を提供する。さらに,本発明は抗原結合分子の少なくとも1つのアミノ酸をヒスチジンに置換する又は少なくとも1つのヒスチジンを挿入することを特徴とする,細胞外で抗原結合分子に結合した抗原を細胞内で抗原結合分子から解離させる方法を提供する。・・・【0018】又,本発明は,抗原結合分子の血漿中抗原消失能を増加させる方法を提供する。より具体的には抗原結合分子の酸性pHにおける抗原結合能を中性pHにおける抗原結合能よりも弱くすることにより,抗原結合分子の血漿中抗原消失能を増加させる方法を提供する。さらに,本発明は抗原結合分子の少なくとも1つのアミノ酸をヒスチジンに置換する又は少なくとも1つのヒスチジンを挿入することを特徴とする,抗原結合分子の血漿中抗原消失能を増加させる方法を提供する。・・・
【0025】

本発明において,酸性pHにおける抗原結合活性が中性pHにお

ける抗原結合活性よりも弱い限り,酸性pHにおける抗原結合活性と中性pHにおける抗原結合活性の差は特に限定されないが,好ましくは抗原に対するpH5.8でのKDとpH7.4でのKD(Dissociationconstant:解離定数)の比であるKD(pH5.8)/KD(pH7.4)の値が2以上であり,さらに好ましくはKD(pH5.8)/KD(pH7.4)の値が10以上であり,さらに好ましくはKD(pH5.8)/KD(pH7.4)の値が40以上である。KD(pH5.8)/KD(pH7.4)の値の上限は特に限定されず,
当業者の技術において作製可能な限り,
400,
1000,
10000等,いかなる値でもよい。・・・
【0029】

抗原結合分子のpH5.8における抗原結合活性をpH7.4における
抗原結合活性より弱くする方法(pH依存的な結合能を付与する方法)は特に限定されず,如何なる方法により行われてもよい。例えば抗原結合分子中のアミノ酸をヒスチジンに置換する,又は抗原結合分子中にヒスチジンを挿入することによりpH5.8における抗原結合活性をpH7.4における抗原結合活性より弱くする方法を挙げることができる。抗体中のアミノ酸をヒスチジンで置換することによりpH依存性の抗原結合活性を抗体に付与できることは既に知られている(FEBSLetter,309(1),85-88,(1992))。ヒスチジン変異(置換)又は挿入が導入される(行われる)位置は特に限定されず,変異又は挿入前と比較してpH5.8における抗原結合活性がpH7.4における抗原結合活性より弱くなる
(KD(pH5.8)/KD(pH7.4)の値が大きくなる)
限り,如何なる部位でもよい。例えば,抗原結合分子が抗体の場合には,抗体の可変領域などを挙げることができる。ヒスチジン変異又は挿入が導入される(行われる)数は当業者が適宜決定することができ,1箇所のみをヒスチジンで置換してもよいし,又は1箇所のみにヒスチジンを挿入してもよいし,2箇所以上の複数箇所をヒスチジンで置換してもよいし,又は2箇所以上の複数箇所にヒスチジンを挿入してもよい。又,ヒスチジン変異以外の変異(ヒスチジン以外のアミノ酸への変異)を同時に導入してもよい。
さらに,
ヒスチジン変異とヒスチジン挿入を同時に行ってもよい。
ヒスチジンへの置換又はヒスチジンの挿入は当業者に公知のアラニンscanningのアラニンをヒスチジンに置き換えたヒスチジンscanningなどの方法によりランダムに行ってもよく,ヒスチジン変異又は挿入がランダムに導入された抗原結合分子ライブラリーの中から,変異前と比較してKD(pH5.8)/KD(pH7.4)の値が大きくなった抗原結合分子を選択してもよい。【0030】

抗原結合分子のアミノ酸をヒスチジンに置換又は抗原結合分

子のアミノ酸にヒスチジンを挿入する場合,特に限定されないが,ヒスチジン置換又は挿入後の抗原結合分子のpH7.4における抗原結合活性が,ヒス
チジン置換又は挿入前の抗原結合分子のpH7.4における抗原結合活性と同等であることが好ましい。・・・ヒスチジン置換又は挿入により抗原結合分子の抗原結合活性が低くなった場合には,抗原結合分子中の1又は複数のアミノ酸の置換,欠失,付加及び/又は挿入などにより抗原結合活性をヒスチジン置換又は挿入前の抗原結合活性と同等にしてもよい。本発明においては,そのようなヒスチジン置換又は挿入後に1又は複数のアミノ酸の置換,欠失,付加及び/又は挿入を行うことにより結合活性が同等となった抗原結合分子も含まれる。・・・
【0037】

又,抗原が血漿中に存在する可溶型抗原の場合,抗原結合分

子の薬物動態(血漿中からの消失速度)が同等であっても,抗原結合分子が結合している抗原の消失が早くなることがある。これは抗原の薬物動態を低下させる(血漿中からの消失を早くする)ことで,抗原に対する相対的な抗原結合分子の薬物動態が向上していることにつながり,すなわち,抗原結合分子が抗原に結合可能な状態で血漿中に存在する時間の延長につながる。従って,本発明の抗原結合分子の薬物動態の向上の一態様として,抗原結合分子が投与されてから,可溶型抗原が血漿中から消失する速さ(抗原結合分子の血漿中抗原消失能)の上昇も含まれる。
【0070】

本発明においてヒスチジン又は非天然アミノ酸に置換される

箇所の例として,抗原結合分子が抗体の場合には,抗体のCDR配列やCDRの構造を決定する配列が改変箇所として考えられ,例えば以下の箇所を挙げることができる。なお,アミノ酸位置はKabatナンバリング(KabatEAetal.1991.SequencesofProteinsofImmunologicalInterest.NIH)で示している。
【0071】重鎖:H27,H31,H32,H33,H35,H50,H58,H59,H61,H62,H63,H64,H65,H99,H100b,H102

軽鎖:L24,L27,L28,L32,L53,L54,

L56,L90,L92,L94
【0072】これらの改変箇所のうち,H32,H61,L53,L90,L94は普遍性の高い改変箇所と考えられる。
【0073】

又,特に限定されないが,抗原がIL-6受容体(例えば,ヒト

IL-6受容体)の場合の好ましい改変箇所として以下の箇所を挙げることができる。
【0074】重鎖:H27,H31,H32,H35,H50,H58,H61,H62,H63,H64,H65,H100b,H102
【0075】

軽鎖:L24,L27,L28,L32,L53,L56,L90,L92,L94
複数の箇所を組み合わせてヒスチジン又は非天然アミノ酸に

置換する場合の好ましい組み合わせの具体例としては,
例えば,
H27,
H31,
H35の組み合わせ,
H27,
H31,
H32,
H35,
H58,
H62,
H102の組み合わせ,
L32,
L53の組み合わせ,L28,L32,L53の組み合わせ等を挙げることができる。さらに,重鎖と軽鎖の置換箇所の好ましい組み合わせの例としては,H27,H31,L32,L53の組み合わせを挙げることができる。
【0076】

又,特に限定されないが,抗原がIL-6(例えば,ヒトIL-6)
の場合の好ましい改変箇所として以下の箇所を挙げることができる。【0077】

重鎖:H32,H59,H61,H99

軽鎖:L53,L54,L90,L94

【0078】又,特に限定されないが,抗原がIL-31受容体(例えば,ヒトIL-31受容体)
の場合の好ましい改変箇所としてH33を挙げることができる。
【0106】

特に,本発明者らは血漿中のpHとエンドソーム内のpHが異な

ることに着目し,血漿中のpH条件では抗原に強く結合し,エンドソーム内のpH条件では抗原に弱く結合する抗体は1抗体分子が複数の抗原に結合することができ,血漿中滞留性が優れていることを見出した。
【0108】

従って,酸性pHにおける抗原結合活性が中性pHにおける抗原

結合活性よりも弱い抗原結合分子は,中性pHの血漿中において抗原に結合し,細胞内に取り込まれた後に,酸性pHのエンドソーム内で抗原と解離する。抗原と解離した抗原結合分子はFcRnに結合して細胞表面に移行し,抗原と結合していない状態で再び血漿中に戻り,結果として抗原と複数回結合することができ,薬物動態が向上する。
【0183】

本発明のスクリーニング方法でスクリーニングされる抗原結

合物質はどのように調製されてもよく,例えば,あらかじめ存在している抗体,
あらかじめ存在しているライブラリー
(ファージライブラリー等)

動物への免疫から得られたハイブリドーマや免疫動物からのB細胞から作製された抗体又はライブラリー,これらの抗体やライブラリーにヒスチジンや非天然アミノ酸変異を導入した抗体又はライブラリー(ヒスチジン又は非天然アミノ酸の含有率を高くしたライブラリーや特定箇所にヒスチジン又は非天然アミノ酸変異を導入したライブラリー等)などを用いることが可能である。【0183】

本発明のスクリーニング方法でスクリーニン

グされる抗原結合物質はどのように調製されてもよく,例えば,あらかじめ存在している抗体,あらかじめ存在しているライブラリー(ファージライブラリー等),動物への免疫から得られたハイブリドーマや免疫動物からのB細胞から作製された抗体又はライブラリー,
これらの抗体やライブラ
リーにヒスチジンや非天然アミノ酸変異を導入した抗体又はライブラリー(ヒスチジン又は非天然アミノ酸の含有率を高くしたライブラリーや特定箇所にヒスチジン又は非天然アミノ酸変異を導入したライブラリー等)などを用いることが可能である。
【0191】

さらに,本発明は元のライブラリーと比較してヒスチジンを

含む割合を上昇させたライブラリーを提供する。ライブラリー中に含まれる抗原結合分子が有するヒスチジンの割合が高くなっているライブラリーは上述のスクリーニング方法や後述の製造方法に用いることが可能である。【0192】

ヒスチジンを含む割合を高めたライブラリーの作製方法は,

当業者に公知の方法を用いることにより作製することが可能であり,例えば以下の方法が挙げられる。ライブラリー作製のための核酸を合成する際に,トリヌクレオチド法(JMolBiol.2008Feb29;376(4):1182-200.)により,20種類のアミノ酸をコードする20種類の3塩基コドン(トリヌクレオチド)を等しい確率で含有させることによって,ライブラリー化した部位に20種類のアミノ酸が等しい確率で含有させることが可能である。このとき20種類のうちヒスチジンをコードするトリヌクレオチドの割合を他のアミノ酸よりも高くすることによって,ライブラリー化した部位にヒスチジンが出現する可能性を高めることが可能である。
【0254】
<医薬組成物>
また本発明は,本発明の抗原結合分子,本発明のスクリーニング方法により単離された抗原結合分子,または本発明の製造方法により製造された抗原結合分子を含む医薬組成物に関する。本発明の抗原結合分子または本発明の製造方法により製造された抗原結合分子は血漿中滞留性に優れており,抗原結合分子の投与頻度を減らせることが期待されるので医薬組成物として有用である。本発明の医薬組成物は医薬的に許容される担体を含むことができる。

【実施例】

【0264】

以下本発明を実施例により具体的に説明するが,本発明はこ

れら実施例に制限されるものではない。
【0265】
〔実施例1〕改変ヒト化PM1抗体の作製・・・
【0272】
ヒト化抗IL-6レセプター抗体の作製
CancerRes.1993Feb15;53(4):851-6においてヒト化されたマウスPM1抗体(以降Wildtype,WTと略,H鎖WTをH(WT)(アミノ酸配列配列番号:9)とし,L鎖WTをL(WT)(アミノ酸配列配列番号:10)とする)のフレームワーク配列とCDR配列に変異を導入し,
改変H鎖としてH53
(アミノ酸配
列配列番号:1),PF1H(アミノ酸配列配列番号:11),改変L鎖としてL28(アミノ酸配列配列番号:12),PF1L(アミノ酸配列配列番号:2)を作製した。・・・
【0274】
〔実施例2〕pH依存的結合抗体H3pI/L73の作製
複数回抗原を中和できる抗体の創製方法
IgG分子は2価であるため2ヶ所で抗原に結合した場合,1分子のIgG分子で最大2分子の抗原を中和することが可能であるが,3分子以上の抗原を中和することは出来ない。そのため中和抗体の場合,その中和効果を一定期間持続させるためには,その一定期間に産生される抗原量以上の抗体量が投与される必要があり,抗体の薬物動態向上やアフィニティー向上技術だけでは,必要抗体投与量の低減には限界が存在する。そこで1分子のIgG分子で2分子以上の抗原を中和することができれば,
同じ投与量であれ
ば中和効果の持続性が向上し,また,同じ持続性を達成するために必要な投与量を低減することが可能である。
【0275】

中和抗体の場合,ターゲットとなる抗原の種類として,抗原

が血漿中に存在する可溶型抗原場合〔判決注:原文のまま〕と抗原が細胞表面に発現している膜型抗原の場合の2種類が存在する。
【0276】

抗原が膜型抗原の場合,投与した抗体は細胞表面上の膜抗原

に結合して,その後,抗体は膜抗原に結合したまま抗原と一緒にインターナライゼーションによって細胞内のエンドソームに取り込まれ,その後,抗原に結合したままライソソームへ移行し抗体は抗原と一緒にライソソームにより分解される。膜抗原によるインターナライゼーションを介した血漿中から
〔判決注:原文のまま〕
消失は抗原依存的な消失と呼ばれており,
多くの抗体分子で報告されている(DrugDiscovToday.2006Jan;11(12):81-8)。1分子のIgG抗体は2価で抗原に結合した場合2分子の抗原に結合し,インターナライズされそのままライソソームで分解されることから,通常の抗体の場合,1分子のIgG抗体が2分子以上の抗原を中和することは出来ない(図1)。
【0277】

IgG分子の血漿中滞留性が長い(消失が遅い)のは,IgG分子
のサルベージレセプターとして知られているFcRnが機能しているためである(NatRevImmunol.2007Sep;7(9):715-25)。ピノサイトーシスによってエンドソームに取り込まれたIgG分子は,
エンドソーム内の酸性条件下に
おいてエンドソーム内に発現しているFcRnに結合する。FcRnに結合できなかったIgG分子はライソソームへと進みそこで分解されるが,
FcRnへ結合し
たIgG分子は細胞表面へ移行し血漿中の中性条件下においてFcRnから解離することで再び血漿中に戻る(図2)。
【0278】膜抗原に結合したIgG分子はインターナライゼーションによって細胞内のエンドソームに取り込まれ,抗原に結合したままライソソームに移行し分解され,
IgG抗体が2価で抗原に結合した場合は2分子の抗原を
中和して抗原と共に分解される。インターナライゼーションによって細胞内のエンドソームに取り込まれた際に,エンドソーム内の酸性条件下においてIgG抗体が抗原から解離することが出来れば,
解離した抗体はエンドソ
ーム内に発現しているFcRnに結合することが出来ると考えられる。抗原から解離しFcRnへ結合したIgG分子は細胞表面へ移行し血漿中の中性条件下においてFcRnから解離することで再び血漿中に戻り,
血漿中に戻ったIgG分子
は再度新たな膜抗原へ結合することが可能である。これを繰り返すことによって,
1分子のIgG分子が繰り返し膜型抗原に結合することが可能になるため,
1分子のIgG分子が複数個の抗原を中和することが可能となる
(図3)

【0279】

抗原が可溶型抗原の場合,投与した抗体は血漿中で抗原に結

合し,抗原と抗体の複合体の形で血漿中を滞留する。通常,抗体の血漿中滞留性は上述のとおりFcRnの機能により非常に長い(消失速度が非常に遅い)のに対して,抗原の血漿中滞留性は短い(消失速度が速い)ため,抗体に結合した抗原は抗体と同程度の血漿中滞留性を有する(消失が非常に遅い)ことになる。抗原は生体内で常に一定の速度で産生されており,抗体非存在下では抗原の産生速度と抗原の消失速度が釣り合った状態の濃度で抗原が血漿中に存在する。抗体存在下では,ほとんどの抗原が抗体に結合し,抗原の消失は非常に遅くなるため血漿中の抗原濃度は抗体非存在下に比べて上昇する
(KidneyInt.2003,64,697-703,NationalCancerJ.
Institute2002,

94(19),

1484-1493,J.AllergyandClinical
Immunology1997,100(1),110-121,Eur.J.Immunol.1993,23;202649
2029)。仮に抗体の抗原へのアフィニティーが無限大であったとしても,抗原の濃度が上昇し,抗体が血漿中から徐々に消失し,抗体と抗原の濃度が一致した時間以降,抗体の抗原中和効果が切れてしまう。可溶型抗原に対する中和効果は,解離定数(KD)が強いほど少ない抗体濃度で中和することが可能であるが,アフィニティーをどれだけ強くしても存在する抗原濃度の1/2以下の抗体濃度では抗原を中和することができない(BiochemBiophysResCommun.2005Sep9;334(4):1004-13)。抗原が結合していないIgG分子同様,抗原が結合したIgG分子も血漿中においてピノサイトーシスによってエンドソームに取り込まれ,エンドソーム内の酸性条件下においてエンドソーム内に発現しているFcRnに結合する。
FcRnへ結合したIgG分
子は抗原に結合したまま,細胞表面へ移行し血漿中の中性条件下においてFcRnから解離することでIgG分子は抗原に結合したまま再び血漿中に戻るため,血漿中で新たな抗原に結合することは出来ない。この際,エンドソーム内の酸性条件下においてIgG分子が抗原から解離することが出来れば,解
離した抗原はFcRnに結合することが出来ないため,その抗原はライソソームによって分解されると考えられる。一方,IgG分子はFcRnに結合することにより再び血漿中に戻ることが可能である。血漿中に戻ったIgG分子は,すでにエンドソーム内で抗原を解離していることから,血漿中において再度新しい抗原に結合することが可能になる。これを繰り返すことによって,1分子のIgG分子が繰り返し可溶型抗原に結合することが可能になるため,1分子のIgG分子が複数個の抗原を中和することが可能となる(図4)。【0280】

このように抗原が膜型抗原,可溶型抗原であるに関わらず,

エンドソーム内の酸性条件下においてIgG抗体が抗原から解離することが出来れば,
1分子のIgG分子が繰り返し抗原を中和することが達成できると考えられた。
エンドソーム内の酸性条件下においてIgG抗体が抗原から解離するためには,酸性条件下において抗原と抗体の結合が中性条件下と比較して大幅に弱くなる必要がある。細胞表面では膜抗原を中和する必要があるため,
細胞表面のpHであるpH7.4においては抗原に強く結合する必要がある。エンドソーム内のpHは一般的にpH5.5~pH6.0であることが報告されている(NatRevMolCellBiol.2004Feb;5(2):121-32.)ことから,pH5.5~pH6.0において抗原に弱く結合する抗体であれば,
エンドソーム内の酸性条
件下において抗原から抗体は解離すると考えられる。すなわち,細胞表面のpHであるpH7.4においては抗原に強く結合し,
エンドソーム内のpHである
pH5.5~pH6.0において抗原に弱く結合する抗体であれば,1分子のIgG分子
が複数個の抗原を中和し,薬物動態を向上することが可能であると考えられた。
【0281】

一般的にタンパク質-タンパク質相互作用は疎水相互作用,

静電相互作用,水素結合からなり,その結合の強さは一般的に結合定数(affinity),あるいは見かけの結合定数(avidity)で表現される。中性条件下(pH7.4)と酸性条件下(pH5.5~pH6.0)とで結合の強さが変化するpH依存的な結合は,天然に存在するタンパク質-タンパク質相互作用に存在する。例えば上述したIgG分子とIgG分子のサルベージレセプターとして知られているFcRnの結合は,酸性条件下(pH5.5~pH6.0)で強く結合し中性条件下(pH7.4)で極めて結合が弱い。これら多くのpH依存的に結合が変化するタンパク質-タンパク質相互作用においては,その相互作用にヒスチジン残基が関与している。
ヒスチジン残基のpKaは6.0~6.5付近に存在す
るため,中性条件下(pH7.4)と酸性条件下(pH5.5~pH6.0)との間でヒスチジン残基のプロトンの解離状態が変化する。すなわち,ヒスチジン残基は中性条件下(pH7.4)においては電荷を帯びず中性で水素原子アクセプターとして機能し,酸性条件下(pH5.5~pH6.0)においては正電荷を帯び水素原子ドナーとして機能する。
上述のIgG-FcRn相互作用においても,
IgG側
に存在するヒスチジン残基がpH依存的結合に関与していることが報告されている(MolCell.2001Apr;7(4):867-77.)。【0282】

そのためタンパク質-タンパク質相互作用に関与するアミノ

酸残基をヒスチジン残基に置換する,あるいは,相互作用する箇所にヒスチジンを導入することによってタンパク質-タンパク質相互作用にpH依存性を付与することは可能である。抗体-抗原間のタンパク質-タンパク質相互作用においてもそのような試みがされており,抗卵白リゾチウム抗体のCDR配列にヒスチジンを導入することによって,
酸性条件下で抗原に対す
る結合性が低下した抗体変異体を取得することに成功している
(FEBSLetter
(vol.309,No.1,85-88,1992))。また,CDR配列にヒスチジンを導入することによって,ガン組織の低いpHで特異的に抗原に結合し中性条件下では弱く結合する抗体が報告されている(WO2003105757)。【0283】

このように抗原抗体反応にpH依存性を導入する方法は報告さ

れているが,
これまでに体液中のpHであるpH7.4においては抗原に強く結合し,エンドソーム内のpHであるpH5.5~pH6.0において抗原に弱く結合することで,
1分子のIgG分子が複数個の抗原を中和する抗体は報告されていない。すなわち,中性条件下での結合を維持しつつ酸性条件下での結合のみを大きく低下させる改変を導入することで,改変前の抗体と比較して改変後の抗体が,vivoにおいて抗原に複数回結合することで薬物動態が向上in
し,同じ投与量で中和効果の持続性が向上した抗体の改変に関する報告は無い。
【0284】

IL-6レセプターは生体内に可溶型IL-6レセプターおよび膜型
IL-6レセプターの両方の形で存在する(NatClinPractRheumatol.2006Nov;2(11):619-26.)。抗IL-6レセプター抗体は可溶型IL-6レセプターおよび膜型IL-6レセプター両方に結合してそれらの生物学的な作用を中和する。抗IL-6レセプター抗体は膜型IL-6レセプターに結合後,膜型IL-6レセプターに結合したままインターナライゼーションによって細胞内のエンドソームに取り込まれ,その後,抗IL-6レセプター抗体は膜型IL-6レセプターに結合したままライソソームへ移行し一緒にライソソームにより分解されると考えられている。実際,ヒト化抗IL-6レセプター抗体は,非線形なクリアランスを示し,抗原依存的な消失がヒト化抗IL-6レセプター抗体の消失に大きく寄与していることが報告されている
(TheJournalofRheumatology,
2003,30;71426-1435)。すなわち,1分子のヒト化抗IL-6レセプター抗体は1分子ないしは2分子の膜型IL-6レセプターに
(1価ないしは2価で)
結合し,インターナライズ後,ライソソームで分解されると考えられる。そこで,天然型のヒト化抗IL-6レセプター抗体の中性条件下での結合を維持しつつ酸性条件下での結合のみを大きく低下させる改変抗体(pH依存的結合抗IL-6レセプター抗体)を作製することが出来れば,1分子のヒト化抗IL-6レセプター抗体で複数分子のIL-6レセプターを中和できると考えられ,これにより天然型のヒト化抗IL-6レセプター抗体と比較して,pH依存的結合抗IL-6レセプター抗体はinvivoにおいて同じ投与量で中和効果の持続性が向上できると考えた。
【0285】
pH依存的結合ヒト化IL-6レセプター抗体H3pI/L73の作製pH依存的な結合を抗原抗体反応に導入する方法として,
CDRにヒスチジン
を導入する方法が報告されている(FEBSLetter(vol.309,No.1,8588,1992))。実施例1で作製したH53/PF1Lの可変領域表面に露出するアミノ酸残基および抗原と相互作用していると考えられる残基を確認するために,MOEソフトウェア(ChemicalComputingGroupInc.)を用いて,ホモロジーモデリングによりH53/PF1LのFv領域モデルを作製した。H53/PF1Lの配列情報を元に作成した立体構造モデルより,ヒスチジン導入により抗原とのpH依存的結合を導入できると考えられる変異箇所をH27,H31,H35,L28,L32,L53(Kabatナンバリング,KabatEAetal.1991.SequencesofProteinsofImmunologicalInterest.NIH)に選定した。H27,H31,H35の残基をヒスチジンに置換する変異を実施例1で作成したH53に対して導入したものをH3pI(アミノ酸配列配列番号:3)とし,L28,L32,L53の残基をヒスチジンに置換する変異を実施例1で作成したPF1Lに対して導入したものをL73(アミノ酸配列配列番号:6)とした。
【0286】

H3pI/L73の発現ベクターの作製・発現・精製

選定された箇所について改変抗体を作製するためのアミノ酸改変を行った。
実施例1において作製したH53
(塩基配列配列番号:13)
およびPF1L
(塩基配列配列番号:14)に変異を導入して,H3pI(アミノ酸配列配列番号:3)とL73(アミノ酸配列配列番号:6)を作製した。具体的には,QuikChangeSite-DirectedMutagenesisKit(Stratagene)を用いて,添付説明書記載の方法で作製し,得られたプラスミド断片を動物細胞発現ベクターに挿入し,目的のH鎖発現ベクターおよびL鎖発現ベクターを作製した。得られた発現ベクターの塩基配列は当業者公知の方法で決定した。H鎖としてH3pI,L鎖としてL73を用いたH3pI/L73の発現・精製は実施例1に記載した方法で行った。
【0287】
〔実施例3〕
ファージディスプレイ技術を用いたCDRHis改変によるpH依存的抗原結合能の付与
ヒト化PM1抗体のscFv分子の作製
ヒト化抗IL-6R抗体であるヒト化PM1抗体(CancerRes.1993Feb15;53(4):851-6)のscFv化を行った。VH,VL領域をPCRによって増幅し,リンカー配列GGGGSGGGGSGGGGS(配列番号:15)をVH,VLの間に持つヒト化PM1HLscFvを作製した。
【0288】
ヒスチジンscanningによるヒスチジン導入可能箇所の選定作製したヒト化PM1HLscFvDNAを鋳型にしたPCRにより,各CDRアミノ酸のうちの一つのアミノ酸がヒスチジンとなるヒスチジンライブラリーを作製した。ライブラリー化したいアミノ酸のコドンをヒスチジンに相当するコドンであるCATとしたプライマーを用いたPCR反応によってライブラリー部分を構築,それ以外の部分を通常のPCRによって作製し,assemblePCR法により連結して構築した。構築したライブラリーをSfiIで消化し,同様にSfiIで消化したphagemideベクターpELBGlacIベクターに挿入し,XL1-Blue
(stratagene)にtransformした。得られたコロニーを用い,phageELISAによる抗原結合性評価とHLscFv配列解析を行った。J.Mol.Biol1992;227:381-388に習い,SR344を1μg/mLでcoatingしたプレートを用いたphage-ELISAを行った。SR344への結合性が認められたクローンについて,特異的プライマーを用い,配列解析を行った。
【0289】anti-Etag抗体
(GEHealthcare)
とanti-M13抗体
(GEHealthcare)
によるELISA法により,phagetiterを求めた。この値を用い,SR344に対するphageELISAの結果から,ヒト化PM1HLscFvと比べ,CDRの残基をヒスチジンに置換しても結合能に大きな変化がない箇所を選定した。これらの箇所を表2に示した。各残基のナンバリングはKabatナンバリング(KabatEAetal.1991.SequencesofProteinsofImmunologicalInterest.NIH)
に従った。
【0290】
[表2]結合能に大きく影響のないヒスチジン置換箇所
H31,H50,H54,H56,H57,H58,H59,H60,H61,H62,H63,H64,H65,H100a,H100b,H102
L24,L26,L27,L28,L30,L31,L32,L52,L53,L54,L56,L90,L92,L93,L94
【0291】
CDRヒスチジン改変ライブラリーの構築
表2に示した,
ヒスチジンに置換しても結合能に大きな変化がないCDR残
基(ヒスチジン導入可能箇所)のアミノ酸を,元の配列(天然型配列)もしくはヒスチジンとなるライブラリーの設計を行った。実施例1で作製したH鎖PF1H,L鎖PF1Lの配列を元にし,ライブラリー箇所において,元の配列あるいはヒスチジン(元の配列かヒスチジンのどちらか一方),となるようにライブラリーを構築した。
【0292】

ライブラリー化したい箇所を,元のアミノ酸のコドン,もし

くはヒスチジンのコドン,
となるよう設計したプライマーを用いたPCR反応
によってライブラリー部分を構築,それ以外の場所を通常のPCR,もしくはライブラリー部分と同様に合成プライマーを用いたPCR反応によって作製し,assemblePCR法により連結して構築した(J.Mol.Biol1996;256:7788)。【0293】

このライブラリーを用い,J.ImmunologicalMethods
1999;231:119-135に習い,ribosomedisplay用ライブラリーを構築した。大腸菌無細胞系invitrotranslationを行うために,SDA配列(ribosomebindingsite),T7promoterを5'側に付加し,ribosomedisplay用のリンカーとして3'側にgene3部分配列をSfiIを用いてligationした。【0294】
ビーズパンニングによるライブラリーからのpH依存的結合scFvの取得SR344への結合能をもつscFvのみを濃縮させるため,NatureBiotechnology2000Dec;18:1287-1292に習い,ribosomedisplay法によるパンニングを2回行った。調製されたSR344を,NHS-PEO4-Biotin(Pierce)を用いてビオチン化し抗原とした。ビオチン化抗原量を40nM使用し,パンニングを行った。
【0299】

しかしながらこの磁気ビーズに固定化した抗原を用いたパン
ニングでは,強いpH依存的結合能を有するクローンは得られなかった。弱いながらpH依存的結合能が認められたクローンについて,特異的プライマーを用い,配列解析を行った。これらのクローンにおいて,高い確率でヒスチジンとなっていた箇所を表3に示した。
【0300】
[表3]ファージライブラリー(磁気ビーズパンニング)により見出されたヒスチジン置換箇所
H50,H58,H61,H62,H63,H64,H65,H102L24,L27,L28,L32,L53,L56,L90,L92,L94【0301】
カラムパンニングによるライブラリーからのpH依存的結合scFvの取得一般的な磁気ビーズに固定化した抗原を用いたパンニングでは強いpH依存的結合能を有するクローンは得られなかった。磁気ビーズに固定化した抗原を用いたパンニングやプレートに固定化した抗原を用いたパンニングの場合は,磁気ビーズあるいはプレートから酸性条件下で解離したファージを全て回収するため,pH依存性が弱いクローンのファージであっても回収されてしまい,最終的に濃縮されるクローンに強いpH依存性を有するクローンが含まれる可能性が低いことが原因と考えられる。
【0302】

そこで,より厳しい条件でのパンニング方法として抗原を固

定化したカラムを用いたパンニングを検討した(図5)。・・・
【0305】
ファージELISAによる評価
ファージELISAにより,得られたphageの評価をおこなった。pH依存性が強く認められたクローンについて,特異的プライマーを用い,配列解析を行った。その結果,WTと比較してpH依存的な結合が強く見られたクローンが複数得られた。
図6に示すとおり,
WTと比較してクローンCL5
(H鎖CLH5,
L鎖CLL5)(CLH5:アミノ酸配列配列番号:5,CLL5:アミノ酸配列配列番号:8)は特に強いpH依存的な結合が確認された。一般的な磁気ビーズに固定化した抗原を用いたパンニングでは取れなかった強いpH依存的結合を示す抗体が,抗原を固定化したカラムを用いたパンニングにより取得できることが分かり,pH依存的結合抗体をライブラリーから取得する方法としては抗原を固定化したカラムを用いたパンニングが非常に有効であることが分かった。pH依存的な結合が見られた複数のクローンのアミノ酸配列解析の結果,濃縮されたクローンにおいて高い確率でヒスチジンとなっていた箇所を表4に示した。
【0306】
[表4]ファージライブラリー
(カラムパンニング)
によるヒスチジン置換
箇所
H31,H50,H58,H62,H63,H65,H100b,H102L24,L27,L28,L32,L53,L56,L90,L92,L94【0307】
〔実施例4〕ヒト化IL-6レセプター抗体のヒスチジン改変体の発現と精製ヒト化IL-6レセプター抗体のヒスチジン改変抗体の発現ベクターの作製・
発現・精製
ファージELISAにてpH依存性が強く認められたクローンについて,IgG化するために,VH,および,VLをそれぞれPCRによって増幅し,XhoI/NheI消化およびEcoRI消化により動物細胞発現用ベクターに挿入した。各DNA断片の塩基配列は,当業者公知の方法で決定した。H鎖としてCLH5,L鎖として実施例2で得られたL73を用いたCLH5/L73をIgGとして発現・精製した。発現・精製は実施例1に記載した方法で行った。
【0308】

変異箇所の組み合わせにより,さらに高いpH依存性をもつ抗

体作製を行った。
ファージライブラリーでHisが濃縮された箇所,
構造情報,
などから,H鎖として実施例2で得られたH3pIのH32,H58,H62,H102をヒスチジンに置換し,さらにH95をバリンに,H99をイソロイシンに置換し,H170(配列番号:4)を作製した。改変体の作製は実施例1に記載した方法で行った。また,L鎖として実施例2で作成したL73の28番目のヒスチジンをアスパラギン酸に置換したL82(配列番号:7)を作製した。改変体の作製は実施例1に記載した方法で行った。
実施例1に記載した方法で,H鎖
としてH170,L鎖としてL82を用いたH170/L82をIgGとして発現・精製を行った。・・・
【0311】
〔実施例6〕pH依存的結合抗体のBiacore解析
pH依存的結合クローンの可溶型IL-6レセプターへの結合解析ヒト化PM1抗体
(野生型:WT)および,

実施例2,
4で作製したH3pI/L73,
CLH5/L73,H170/L82の4種類について,BiacoreT100(GEHealthcare)を用いてpH5.8とpH7.4における抗原抗体反応の速度論的解析を実施した(バッファーは10mMMESpH7.4あるいはpH5.8,150mMNaCl,0.05%Tween20)。
【0312】それぞれについてpH5.8とpH7.4のaffinity比を算出した結果,SR344に対するH3pI/L73,H170/L82,CLH5/L73のpH依存性結合(affinity)はそれぞれ41倍,394倍,66倍であり,いずれのクローンもWTと比較して15倍以上の高いpH依存的結合を示した。
【0313】これまでに血漿中のpHであるpH7.4においては抗原に強く結合し,エンドソーム内のpHであるpH5.5~pH6.0において抗原に弱く結合する抗IL-6レセプター抗体は報告されていない。本検討において,WTのヒト化IL-6レセプター抗体と同等の生物学的中和活性およびpH7.4でのaffinityを維持したまま,
pH5.8でのaffinityのみを特異的に10倍以上低下させた抗体が得られた。
【0314】
[表5]

SR344に対するpH依存的結合クローンの可溶型IL-6レセプターへの
結合比較

【0335】
〔実施例10〕可変領域の最適化による膜型IL-6レセプターへのpH依存的結合の向上
可変領域H3pI/L73およびCLH5/L82の最適化
実施例9において,pH依存的結合能を有する抗体が優れた効果を発揮することが示されたことから,さらにpH依存的結合能を向上させるため,実施例3で得られたCLH5のCDR配列に変異を導入し,VH1-IgG1(配列番号:21),VH2-IgG1(配列番号:22)を作製した。また,H3pIのフレームワーク配列とCDR配列に変異を導入し,改変H鎖としてVH3-IgG1(配列番号:23),VH4-IgG1(配列番号:24)を作製した。L73,L82のCDR配列に変異を導入し,改変L鎖としてVL1-CK(配列番号:25),VL2-CK(配列番号:26),VL3-CK(配列番号:27)を作製した。・・・
【0336】H鎖としてVH2-IgG1(配列番号:22),L鎖としてVL2-CK(配列番号:26)を用いたものをFv1-IgG1,H鎖としてVH1-IgG1(配列番号:21),L鎖としてL82を用いたものをFv2-IgG1,H鎖としてVH4-IgG1(配列番号24)L鎖としてVL1-CK配列番号:25)



を用いたものをFv3-IgG1,
H鎖としてVH3-IgG1(配列番号:23),L鎖としてVL3-CK(配列番号:27)を用いたものをFv4-IgG1とした。これらのうちFv2-IgG1とFv4-IgG1の発現・精製を行った。
発現・精製は実施例1に記載した方法で行った。・
・・

【0391】
〔実施例18〕pH依存的結合抗体による抗原への繰り返し結合
マウス投与抗体の発現と精製
ヒト化IL-6レセプター抗体として,以下の4種類を作製した。IL-6レセプターに対してpH依存的な結合を示さない通常の抗体としてH(WT)アミノ酸(
配列配列番号:9)とL(WT)(アミノ酸配列配列番号:10)からなるWTIgG1,H54(アミノ酸配列配列番号:70)とL28(アミノ酸配列配列番号:12)からなるH54/L28-IgG1を,IL-6レセプターに対してpH依存的な結合を示す抗体として実施例3〔判決注:原文のまま。〕で作製したH170(アミノ酸配列配列番号:4)とL82(アミノ酸配列配列番号:7)からなるH170/L82-IgG1,および,実施例10で作製したVH3-IgG1(配列番号:23)とVL3-CK(配列番号:27)からなるFv4-IgG1を実施例1に示した方法で発現と精製を行った。
【0392】
各種抗体の可溶型IL-6レセプターへの結合解析
調製したWT-IgG1,H54/L28-IgG1,H170/L82-IgG1,および,Fv4-IgG1の4種類について,BiacoreT100(GEHealthcare)を用いてpH7.4およびpH5.8における抗原抗体反応の速度論的解析を実施した
(バッファーは10mM
MESpH7.4,またはpH5.8,150mMNaCl,0.05%Surfactant-P20)。アミンカップリング法によりrecomb-proteinA/G(Pierce)を固定化したセンサーチップ上に種々の抗体を結合させ,そこにアナライトとして適切な濃度に調製したSR344を注入した。各種抗体のSR344への結合および解離をリアルタイムに観測した。
測定は全て37℃で実施した。
BiacoreT100Evaluation
Software(GEHealthcare)を用い,結合速度定数ka(1/Ms),および解離速度定数kd(1/s)を算出し,その値をもとに解離定数KD(M)を算出した(表17)。
【0393】
[表17]

SR344に対する各種抗体の可溶型IL-6レセプターからの結合速度
(ka)・解離速度(kd),解離定数(KD)比較

【0394】

それぞれについてpH5.8とpH7.4のアフィニティー(KD値)比
を算出した結果,SR344に対するWT-IgG1,H54/L28-IgG1,H170/L82-IgG1,および,Fv4-IgG1のpH依存性結合(KD値の比)はそれぞれ1.6倍,0.7倍,61.9倍および27.3倍であった。また,それぞれについてpH5.8とpH7.4の解離速度
(kd値)
比を算出した結果,
SR344に対するWT-IgG1,
H54/L28-IgG1,
H170/L82-IgG1,および,Fv4-IgG1のpH依存性解離速度(kd値の比)はそれぞれ2.9倍,2.0倍,11.4倍および38.8倍であった。これより,通常の抗体であるWT-IgG1とH54/L28-IgG1はpH依存的な結合をほとんど示さず,H170/L82-IgG1とFv4-IgG1はpH依存的な結合を示すことが確認された。また,
これらの抗体のpH7.4におけるアフィニティー(KD値)はほぼ同等であったから,血漿中におけるSR344への結合は同程度であると考えられた。(3)

本件発明の特徴
上記(1)及び(2)によれば,本件発明について,以下の事項が認められる。本件発明は,抗原結合分子の薬物動態を向上する方法,抗原結合分子の抗
原への結合回数を増やす方法,薬物動態が向上した抗原結合分子,抗原結合分子の抗原への結合回数が向上した抗原結合分子,および,それらの製造法等に関する。(【0001】)
抗体医薬は一般に投与量が非常に高いものであるところ,抗体の薬物動態
を向上させる方法として,定常領域の人工的なアミノ酸置換が報告され,抗原結合能,抗原中和能を増強させる技術として,アフィニティーマチュレーション技術が報告され,投与量の低減,薬効の向上が可能である。(【000
2】【0003】)
これまでの方法では1分子の抗体で1分子の抗原(2価の場合は2抗原)の化学量論的な中和反応が限界であり,中和抗体の場合,その中和効果を一定期間持続させるためには,その期間に生体内で産生される抗原量以上の抗体量が投与される必要があり,上述の抗体の薬物動態向上,あるいは,アフィニティーマチュレーション技術だけでは,必要抗体投与量の低減には限界が存在していた。(【0004】)
投与量の低減および持続性の延長のためには1抗体で複数の抗原を中和し,invivoで通常の中和抗体よりも効果を発揮する新規な抗体作製技術が望まれていた。(【0006】)
本発明者らは,血漿中(血中)でのpHにおける抗原結合活性と比較して早期エンドソーム内でのpHにおける抗原結合活性が弱い抗原結合分子は抗原に複数回結合し,血漿中半減期が長いことを見出した。(【0010】)本件発明は,1分子の抗原結合分子が複数の抗原に結合することで抗原結合分子の薬物動態を向上させ,vivoにおいて通常の抗原結合分子よりも優in
れた効果を発揮させることができる。(【0012】)
本発明は,抗原結合分子の酸性pHにおける抗原結合能を中性pHにおける抗原結合能よりも弱くすることにより,抗原結合分子の血漿中抗原消失能を増加させる方法に加え,抗原結合分子の少なくとも1つのアミノ酸をヒスチジンに置換する又は少なくとも1つのヒスチジンを挿入することを特徴とする,抗原結合分子の血漿中抗原消失能を増加させる方法を提供する【0018】。(

2
取消事由2(無効理由1(実施可能要件違反及びサポート要件違反)についての判断の誤り)について
事案に鑑み,まず,取消事由2について判断する。
(1)

実施可能要件について
特許法36条4項1号は,発明の詳細な説明の記載は,発明が解決しようとする課題及びその解決手段その他のその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が発明の技術上の意義を理解するために必要な事項を,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものでなければならないことを規定するものであり,同号の要件を充足するためには,明細書の発明の詳細な説明に,当業者が,明細書の発明の詳細な説明の記載及び出願当時の技術常識に基づいて,過度の試行錯誤を要することなく,その発明を実施することができる程度に発明の構成等の記載があることを要する。


本件発明1の特許請求の範囲には,元の抗体及びヒスチジン置換又は挿入の位置や数についての限定がないから,本件発明1に係る医薬組成物に含まれる抗体についても,元の抗体及びヒスチジン置換又は挿入の位置や数は限定されないことが理解できる。よって,本件発明1の技術的範囲には,1個又は複数のヒスチジン置換及び/又は挿入がされ,所定のpH依存的結合特性を有し,血漿中抗原消失能が増加したあらゆる抗体を含む医薬組成物が含まれることになる。
そうすると,本件発明1が実施可能要件に適合するためには,このような本件発明1に含まれる医薬組成物の全体について実施できる程度に本件明細書の発明の詳細な説明の記載がされていなければならないものと解される。

(2)

本件明細書の発明の詳細な説明の記載について
【発明を実施するための形態】の記載
(ア)

本件明細書の【0029】には,抗原結合分子のpH5.8における抗原結合活性をpH7.4における抗原結合活性より弱くする方法(pH依存的な結合能を付与する方法)について,①
ヒスチジン置換

又は挿入が行われる位置は特に限定されないこと,②
その位置として

は,抗原結合分子が抗体の場合には抗体の可変領域などを挙げることができること,③

ヒスチジン置換又は挿入が行われる数は当業者が適宜

決定することができること,④

ヒスチジン変異以外の変異(ヒスチジ

ン以外のアミノ酸への変異)を同時に導入してもよいこと,⑤
ヒスチ

ジン置換及び挿入を同時に行ってもよいことなどが記載されている。さらに,ヒスチジン置換又は挿入は当業者に公知のアラニンスキャニングのアラニンをヒスチジンに置き換えたヒスチジンスキャニングなどの方法によりランダムに行ってもよく,ヒスチジン置換又は挿入がランダムに導入された抗原結合分子ライブラリーの中から,置換前と比較してKD(pH5.8)/KD(pH7.4)の値が大きくなった抗原結合分子を選択してもよいことが記載されている。
そして,ヒスチジンに置換される箇所に関しては,【0070】~【0078】に,抗原結合分子が抗体の場合には,抗体のCDR配列やCDRの構造を決定する配列が考えられ,例として重鎖について16箇所,軽鎖について10箇所が挙げられること,さらに,このうち4箇所は普遍性の高い改変箇所と考えられること,複数の箇所を組み合わせてヒスチジンに置換する場合の好ましい組み合わせの具体例をいくつか挙げることができることなどが記載されている。
(イ)

しかし,上記の改変箇所は,あくまでも例にすぎず,これ以外の箇所
の改変によって所望の抗体が得られることもあり得るから,本件発明1に含まれる医薬組成物全体に当てはまるものではない。

【実施例】の記載
(ア)

実施例に記載された抗体のうちの,H3pI/L73に関する【0285】の記載,CLH5/L73に関する【0287】~【0291】,【0294】,【0305】,【0307】の記載,H170/L82に関する
【0308】
の記載,
H170/L82-IgG1に関する
【0
308】【0391】

の記載,
Fv4-IgG1に関する
【0335】

【0336】,【0391】の記載によれば,本件発明1の少なくとも可変領域の1つのアミノ酸がヒスチジンで置換され又は少なくとも可変領域に1つのヒスチジンが挿入されていることを特徴とする,抗原に対するpH5.8でのKDとpH7.4でのKDの比であるKD(pH5.8)/KD(pH7.4)の値が2以上,10000以下の抗体,すなわち,ヒスチジン置換又は挿入がされたことを特徴とする,所定のpH依存的結合特性を有する抗体に関し,ヒスチジン置換又は挿入位置の特定方法が示されているのは,実施例2及び実施例3の方法であることがいえる。
(イ)

実施例2について
実施例2にはホモロジーモデリング及び立体構造モデルを用いる方法
が記載されている(【0285】)。
しかし,ホモロジーモデリングとは,アミノ酸配列に相同性のある構造既知タンパク質の立体構造をもとに,構造未知タンパク質の立体構造を計算機上で予測する手法であり,構造予測を行うタンパク質とアミノ酸配列に相同性のあるタンパク質の立体構造の情報があることが前提となる技術である(当事者間に争いがない。)。
そうすると,ホモロジーモデリングを用いる実施例2の方法については,構造未知の抗体一般についてヒスチジン置換位置を検討する場合に常に利用できるとは限らないものである。
よって,実施例2の方法は,本件発明1に係る医薬組成物全体に適用できるものではない。
(ウ)

実施例3について
実施例3には,ヒスチジンスキャニングの手法によって,CDRの残基をヒスチジンに置換しても結合能に大きな変化がない箇所を予め選び出し,当該箇所のいずれか1か所がヒスチジン置換された抗体を作製する方法が記載されている(【0288】~【0290】)。この方法は,上記(イ)の実施例2の方法とは異なり,
構造未知の抗体に対しても適用可
能であるということができる。
しかし,本件明細書の記載からは,実施例3におけるCDRの残基をヒスチジンに置換しても結合能に大きな変化がない箇所(【0289】)に,本件発明1の抗体のヒスチジン置換箇所が必ず含まれるかは不明である。また,本件発明1の抗体のヒスチジン置換箇所が,本件明細書にいうCDRの残基をヒスチジンに置換しても結合能に大きな変化がない箇所に必ず含まれるとの技術常識を認めるに足りる証拠もない。
したがって,実施例3の方法は,本件発明1に含まれる医薬組成物全体に適用できるものではない。

以上のとおりであるから,
本件明細書の発明の詳細な説明に,
当業者が,
明細書の発明の詳細な説明の記載及び出願当時の技術常識に基づいて,過度の試行錯誤を要することなく,本件発明1を実施することができる程度に発明の構成等の記載があるということはできない。

(3)

被告の主張について


被告は,【0029】及び【0116】を含む本件明細書の記載並びに
技術常識からすれば,当業者は,①

ヒスチジンの置換箇所を特定するた

めに,抗体の可変部位のアミノ酸残基220個について1つずつ網羅的にヒスチジン置換した抗体を作製し,そのKD値を測定して置換位置を特定する試験(以下前半の試験という。),及び②

上記①により所望のp

H依存性を示す(有望であることないしpH依存的結合特性がもたらされたことが判明した)場合に血中動態の試験(以下後半の試験という。)を行うことにより,本件発明1を実施することができると主張する(被告主張ヒスチジンスキャニング)。
そこで検討するに,本件明細書の【0029】にはアラニンスキャニングに関する記載があり,本件出願日当時,アミノ酸配列の各残基を1つずつアラニンに置換して各残基の役割を解析する手法としてアラニンスキャニングは技術常識であったと認められる(乙19~23)。したがって,本件明細書に接した当業者は技術常識に基づき,抗体の可変部位のアミノ酸残基220個について1つずつ網羅的にヒスチジン置換をした抗体を作製することは可能であるということができる。
被告は,抗体を作製した後のヒスチジン置換位置の特定について,所望のpH依存性を示す(有望であること,ないし,pH依存的結合特性がもたらされたことが判明した)箇所という基準により行うことを主張しているが,本件明細書にはこのような記載はないし,本件明細書や証拠上現れた技術常識によってもどのような基準に基づいてヒスチジン置換位置を特定すれば,本件発明1に含まれる医薬組成物全体について実施することができるのかが明らかではない。
このように,本件明細書には,被告主張ヒスチジンスキャニングによって,どのようにヒスチジン置換位置を特定するかの情報が不足しており,本件明細書の発明の詳細な説明に,当業者が,明細書の発明の詳細な説明の記載及び出願当時の技術常識に基づいて,過度の試行錯誤を要することなく,本件発明1を実施することができる程度に発明の構成等の記載があるということはできない。

仮に,被告主張ヒスチジンスキャニングの前半の試験におけるヒスチジ
ン置換位置の特定について,
①本件明細書の
【0029】
に記載された変異前と比較してKD(pH5.8)/KD(pH7.4)の値が大きくなった箇所,
あるいは,
②特許請求の範囲に記載された所定のpH依存的結合特性を有する箇所を意味すると理解するとしても,次のとおり,このような被告主張ヒスチジンスキャニングにより本件発明1に係る医薬組成物全体を実施できるとはいえない。
(ア)

本件発明1の
少なくとも可変領域の1つのアミノ酸がヒスチジンで置換され又は少なくとも可変領域に1つのヒスチジンが挿入されていることを特徴とする抗体
は,
複数のヒスチジン置換がされた抗体を含
むものであるところ,被告は,複数のヒスチジン置換がされた抗体のヒスチジン置換位置の特定については,前半の試験により特定された単独のヒスチジン置換位置を組み合わせれば足りると主張する。
(イ)

そこで,被告の主張する単独の置換位置を組み合わせる方法により,
本件発明1の複数のヒスチジン置換がされた抗体における,ヒスチジン置換位置を常に特定することができるかを検討する。
a
本件明細書には,本件発明1の,複数のヒスチジン置換がされたことを特徴とする,所定のpH依存的結合特性を有する抗体におけるヒスチジン置換箇所について,必ず被告主張ヒスチジンスキャニングの前半の試験により特定できることを示す記載は見当たらない。また,このことについての本件出願日当時の技術常識を示す的確な証拠もない。
そうすると,本件明細書の発明の詳細な説明に,複数のヒスチジン置換がされた場合について実施することができる程度に発明の構成等の記載があるということはできない。

b
なお,本件出願日後の文献ではあるが,甲45の複数のヒスチジン置換がされた抗C5抗体に関する記載(甲45[0276],[0281][0282]Table.3)


も上記判断を裏付けるものといえる。
(a)

すなわち,
参照抗体について,
重鎖のE62,
D66,
S104,
軽鎖のN28,I29又はA55のいずれか1か所についてヒスチジンで置換した抗体のKD(pH5.5)/KD(pH7.4)は参照抗体の値(2.
6)
を下回るが,これらのいずれか1か所に重鎖F100及び軽鎖S26を加えた3か所についてヒスチジン置換した抗体の
KD(pH5.5)/KD(pH7.4)は,6.73~19.4であることが記載されている。
また,参照抗体について重鎖N63又は軽鎖A51のヒスチジン
置換を単独で行った場合のKD(pH5.5)/KD(pH7.4)はそれぞれ1.83
及び1.8であり,2よりも小さい値である。これに対し,参照抗体について,上記重鎖N63に加えて重鎖F100及び軽鎖S26の3か所をヒスチジンで置換した抗体のKD(pH5.5)/KD(pH7.4)は10.03であり,上記軽鎖A51に加えて重鎖F100及び軽鎖S26の3か所をヒスチジンで置換した抗体のKD(pH5.5)/KD(pH7.4)は4.02であることも記載されている。
(b)

これによれば,
本件発明1に含まれる複数のヒスチジン置換がさ

れた抗体のヒスチジン置換箇所には,①単独のヒスチジン置換によればKD(pH5.8)/KD(pH7.4)の値が置換前の抗体の値を下回る箇所や,②単独のヒスチジン置換によっては所定のpH依存的結合特性を有しない箇所が含まれる場合があることが推測される
(なお,
上記(a)
の記載はKD(pH5.5)/KD(pH7.4)に関するものではあるが,これは本件
発明1におけるKD(pH5.8)/KD(pH7.4)の値よりやや高くなる可能性があるものであり,上記のとおり推測することが可能であるものと解される(乙34及び弁論の全趣旨))。
そして,上記①や②の箇所は,前半の試験におけるヒスチジン置換位置の特定の基準(①変異前と比較してKD(pH5.8)/KD(pH7.4)の値が大きくなった箇所,あるいは,②所定のpH依存的結合特性を有する箇所)には当てはまらないから,前半の試験によってヒスチジン置換位置として特定されることはない。
したがって,被告の主張する単独の置換位置を組み合わせる方法
によっては,これらの箇所の置換を含む抗体が含まれた本件発明1に係る医薬組成物を実施することができない。
(c)

甲45の信用性に関し,被告は,参照抗体においては

KD(pH5.5)/KD(pH7.4)を低下させ,かつ,重鎖F100及び軽鎖S26をヒスチジン置換した抗体ではKD(pH5.5)/KD(pH7.4)を増加させる例は軽鎖のN28H及びI29Hのみであるなどと主張するが,上記(a)のとおり,同様の置換位置は他に複数存在する。
また,被告は,置換によりKD(pH5.5)/KD(pH7.4)が低下する度合いは誤差範囲であるとも主張するが,上記(a)のとおり,参照抗体のKD(pH5.5)/KD(pH7.4)は2.
6であるのに対し,
軽鎖A51Hや重鎖
F100HのKD(pH5.5)/KD(pH7.4)は約1.8であり,これをもって誤差範囲といえるかは疑問である。

被告は,複数のヒスチジン置換又は挿入が導入された抗体について,大半の場合単独の置換又は挿入の影響は相加的であるから,被告主張ヒスチジンスキャニングによって有望であることが判明した個々の置換又は挿入の組み合わせについてKD(pH5.8)/KD(pH7.4)の値を改めて検証する必要はないと主張する。
しかし,複数のヒスチジン置換又は挿入がされた抗体について,単独の置換又は挿入の影響が相加的である場合が多いとしても,被告主張ヒスチジンスキャニングによって複数のヒスチジン置換位置を常に特定できるといえないのは上記イに説示したとおりであるから,
被告の主張は上記(2)の
判断を左右するものではない。


被告は,ライブラリー(【0183】,【0191】,【0192】)や立体構造モデル(実施例2)の利用についても言及するが,ヒスチジン置換位置を特定する情報が不足していることには変わりがないから,上記(2)の判断を左右するものではない。
(4)

以上によれば,本件発明1は実施可能要件に適合しないものである。そし
て,本件発明2~6は,いずれも本件発明1を引用する発明であるから,本件発明2~6の実施可能要件適合性についても,上記に説示したところが当てはまる。よって,本件発明は実施可能要件に適合しない。
3
以上のとおり,本件発明は無効理由1によって無効とされるべきところ,これを否定した本件審決の判断には誤りがあるから,
取消事由2には理由があり,
その余の取消事由について判断するまでもなく,本件審決は取り消されるべきことになる。
よって,主文のとおり判決する。
知的財産高等裁判所第3部

裁判長裁判官
鶴岡山門稔彦
裁判官


裁判官
高橋彩
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