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損害賠償等請求事件
事件番号平成27(ワ)390
事件名損害賠償等請求事件
裁判年月日令和元年6月26日
法廷名東京地方裁判所
裁判日:西暦2019-06-26
情報公開日2019-08-02 12:00:14
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令和元年6月26日判決言渡

同日原本領収

平成27年(ワ)第390号

損害賠償等請求事件

口頭弁論終結日

裁判所書記官

令和元年5月10日
判主決文1
原告の請求をいずれも棄却する。

2
訴訟費用は原告の負担とする。

第1
1実及び理由
請求
被告aは,別紙投稿目録記載1のウェブサイトに掲載された記事中,同目録
記載2の記載部分を削除せよ。
2
被告らは,被告会社の発行する週刊文春に別紙謝罪広告目録記載1の内
容の謝罪広告を,同目録記載2の要領に従い,1回掲載せよ。
3
被告らは,原告に対し,連帯して1100万円及びこれに対する平成26年
2月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4
被告aは,原告に対し,550万円及びこれに対する平成27年3月7日か
ら支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
5
被告会社は,原告に対し,1100万円及びこれに対する平成27年3月7
日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2
1
事案の概要等
事案の概要

本件は,b新聞の元記者であった原告が,b新聞の記者であった当時にいわゆる従軍慰安婦問題(以下,単に従軍慰安婦問題という。)に関する新聞記事を執筆したところ,被告aが同記事の内容が捏造であるなどとする論文等を執筆,発表し,ウェブサイトへ投稿し,また,被告会社が同趣旨の内容の記事二つ(うち一つは,被告aによる発言を含むもの。)を週刊誌週刊文春に掲載したことにより,原告の名誉が毀損され,更に名誉感情,平穏な生活を営む法的利益等が侵害されたと主張して,(1)被告aによる上記ウェブサイト上への投稿につき,被告aに対し,民法723条の類推適用又は人格権による妨害排除請求権に基づき,当該投稿の削除を求め(請求1項),(2)被告会社の記事(ただし,被告aの発言を含むもの)の掲載につき,被告らに対し,民法723条に基づき,上記週刊誌への謝罪広告の掲載を求める(請求2項)とともに,民法709条,719条に基づき,慰謝料及び弁護士費用の合計1100万円並びにこれに対する不法行為日(記事を掲載した週刊誌の発売日)の翌日である平成26年2月1日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の連帯支払を求め(請求3項),(3)被告a
による論文等における各表現につき,被告aに対し,民法709条に基づき,慰謝料及び弁護士費用の合計550万円並びにこれに対する訴状送達の日の翌日である平成27年3月7日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求め(請求4項),(4)被告会社の記事(ただし,被告aの発言を含まないもの)の掲載につき,被告会社に対し,民法709条に基づき,慰謝料及び弁護
士費用の合計1100万円並びにこれに対する訴状送達の日の翌日である平成27年3月7日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める(請求5項)事案である。
2
前提事実(当事者間に争いがないか,後掲各証拠(以下,特に明記しない限
り,枝番の表記は省略する。)及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)(1)当事者等

原告

原告は,昭和57年に,株式会社b新聞社(以下b新聞社という。)に入社し,平成26年3月末に退職した。また,原告は,平成24年4月から,c大学の非常勤講師を務めていた。

被告ら

被告会社は,出版などを業とする株式会社であり,週刊誌週刊文春を発行している。同誌の平成26年7月から9月の平均発行部数は70万部余りである。被告aは,d研究所の発行誌dの編集長を平成14年まで務め,本件訴えが提起された平成27年当時はe大学神学部国際キリスト教福祉学科教授,同学部同学科国際キリスト教学専攻教授であったが,平成28年からf大学客員教授の地位にある(乙15)。
(2)原告による従軍慰安婦問題に関するb新聞の記事の執筆及び掲載ア
平成3年8月11日付けb新聞大阪本社版朝刊に掲載された記事

原告は,b新聞社の大阪本社社会部に所属していた平成3年頃,同年8月11日付けb新聞大阪本社版朝刊に掲載された従軍慰安婦問題に関する別紙原告執筆記事目録記載1の署名記事(以下原告記事Aという。)を執筆した(甲1)。イ
平成3年12月25日付けb新聞大阪本社版朝刊に掲載された記事
原告は,平成3年12月25日付けb新聞大阪本社版朝刊に掲載された別紙原告執筆記事目録記載2の署名記事(以下,原告記事Bといい,原告記事Aと合わせて原告各記事という。)を執筆した(甲2)。
(3)被告らによる論文の掲載,投稿及び記事の掲載等

平成24年12月14日発行の書籍

平成24年12月14日,被告aが執筆した増補新版よくわかる慰安婦問題
と題する書籍(第1刷。以下a論文Aという。)が発行された(甲3)。a論文Aには,別紙名誉毀損部分等一覧表の名誉毀損部分欄のa論文A①ないしa論文A⑥の各記載がある(以下,それぞれの記載を単にa論文A①などといい,他の表現についても同様とする。)。

週刊文春平成26年2月6日号(同年1月30日発売)掲載の記事
被告会社は,週刊文春平成26年2月6日号(同年1月30日発売)に,g記者(以下g記者という。)が執筆した“慰安婦捏造”b新聞記者がお嬢様女子大教授にと題する記事(以下文春記事Aという。)を掲載した(甲7)。g記者は,被告aに対する取材での被告aの発言の概要を当該記事の中で記載している(以下,文春記事Aの中の被告aの発言に対応する部分をa発言という。)。
文春記事Aには,別紙名誉毀損部分等一覧表の名誉毀損部分欄の文春記事A①ないし文春記事A⑤の記載があり,そのうち文春記事A②・a発言の記載がa発言に対応する部分である。

週刊文春平成26年8月14日・21日夏の特大号(同月6日発売)掲
載の記事
被告会社は,週刊文春平成26年8月14日・21日夏の特大号(同月6日発売)に,g記者が執筆した慰安婦火付け役b新聞記者はお嬢様女子大クビで北の大地へと題する記事(以下文春記事Bという。)を掲載した(甲8)。文春記事Bには,別紙名誉毀損部分等一覧表の名誉毀損部分欄の文春記事B表現部分の記載(以下文春記事B表現部分という。)がある。エ
雑誌正論平成26年10月号(同年9月1日発売)掲載の論文

雑誌正論平成26年10月号(同年9月1日発売)に,被告aが執筆した隠蔽と誤魔化しでしかない慰安婦報道「検証」と題する論文(以下a論文Cという。)が掲載された(甲5)。
a論文Cには,別紙名誉毀損部分等一覧表の名誉毀損部分欄のa論文C①ないしa論文C⑦の記載がある。

雑誌中央公論平成26年10月号(同年9月10日発売)掲載の論文
雑誌中央公論平成26年10月号(同年9月10日発売)に,被告aが執筆した『b』の「検証は噴飯物である」と題する論文(以下a論文Dという。)が掲載された(甲6)。
a論文Dには,別紙名誉毀損部分等一覧表の名誉毀損部分欄のa論文D①ないしa論文D④の記載がある。


遅くとも平成26年11月頃までの間にウェブサイトに投稿された論文
被告aは,遅くとも平成26年11月頃までの間に,いわゆる従軍慰安婦について歴史の真実から再考するサイトと題するウェブサイト(URLは別紙投稿目録記載1のとおり。以下本件ウェブサイトという。)に,自身が執筆した論文(以下a論文Bという。)を投稿した(甲4,弁論の全趣旨)。
a論文Bには,別紙名誉毀損部分等一覧表の名誉毀損部分欄のa論文B①及びa論文B②の記載がある(以下,a論文AないしD及びa発言の別紙名誉毀損部分等一覧表の名誉毀損部分欄の各記載部分を合わせて被告aによる各表現といい,文春記事A及びBの別紙名誉毀損部分等一覧表の名誉毀損部分欄の各記載部分を合わせて被告会社による各表現といい,被告aによる各表現と被告会社による各表現を合わせて本件各表現という。)。
(4)原告の大学教員への採用の取消し(甲81,84)
原告は,h大学に教員として雇用され,b新聞社の退職後である平成26年4月に採用される予定であった。ところが,文春記事Aが掲載された週刊文春の発売(同年1月30日)後,同大学に対し,原告の教員への採用について抗議する内容の電話,メール,ファックス等が多数あり,これを受けて,同大学は,原告と協議
し,同年3月7日付けで,原告との雇用契約を解消した。
3
当事者の主張の構造と争点

(1)請求原因


本件各表現による原告の社会的評価の低下(名誉毀損)(争点1)原告の平穏な生活を営む法的利益の侵害(争点3)


原告の損害(争点4)

(2)抗弁(請求原因アの名誉毀損の成立に対して)
違法性・責任阻却事由(争点2)
4
争点に関する当事者の主張

(1)本件各表現による原告の社会的評価の低下(名誉毀損)(争点1)【原告の主張】
別紙名誉毀損部分等一覧表の摘示事実と名誉毀損となる理由欄記載のとおり。被告aによる各表現は,要するに,原告が,韓国の団体である太平洋戦争犠牲者遺族会(以下遺族会という。)の幹部である義母の裁判を有利にするという悪しき動機をもって,あるいは義母から情報提供などの便宜を受けて,iの証言を意図的にねじ曲げてこれと異なる記事を書いたという事実,すなわち,①原告の記事がiの証言と異なること,②原告がそのことを知りつつあえて記事を書いたこと,及び③原告が義母の裁判を有利にするという悪しき動機に基づいて記事を書いたこと,との事実を摘示するものである。
また,被告会社による各表現は,原告が義母の裁判を有利にするため,iについて意図的に事実を偽って記事を書いたとの事実を摘示するものである。
これらの事実摘示は,真実を追求して報道すべき新聞記者である原告が,利己的な動機に基づいて,証言者の証言を捻じ曲げて読者を騙したという印象を与えるものであるから,原告の社会的評価を低下させる。
仮に,捏造との表現が,意見ないし論評であると評価される場合であっても,捏造は,強い語感を持つ語彙であるから,原告が利己的な動機に基づいて事実
を偽って記事を書いたという印象を与え,原告の社会的評価を低下させる。【被告らの認否反論】
別紙名誉毀損部分等一覧表の被告の反論欄記載のとおり。
(2)違法性・責任阻却事由(争点2)
【被告らの主張】


公共性,公益目的

別紙名誉毀損部分等一覧表の公共性・公益目的(抗弁)欄記載のとおり。イ
真実性,真実相当性

別紙名誉毀損部分等一覧表の真実性・相当性(抗弁)欄記載のとおり。【原告の反論】

公共性,公益目的

(ア)用語の意味
公共の利害に関する事実とは,専らそのことが不特定多数人の利害に関するものであることから,不特定多数人が関心を寄せてしかるべき事実であり,単なる興味あるいは好奇心の対象となるに過ぎないものを含むものではなく,一個人の経歴あるいは私生活上の言動については,当該個人の社会的地位,活動等が公的なものであるような場合はともかく,そうでない場合には特段の事情のない限り,公共の利害に関する事実とは言えない。。専ら公益を図る目的に出た場合とは,他の目的を有する意図を完全に排除することを意味するものではなく,主要な動機が公益を図る目的であれば足り,事実摘示の表現方法や事実調査の程度等の事情を考慮の上で判断される。
(イ)被告aによる各表現について
被告aによる各表現は,原告が特定の事実を隠し,意図的な捏造報道を行ったことを繰り返し指摘し,原告を苛烈に攻撃するものであるところ,被告aは,大学教授としての地位を有しており,論文等の記述には,十分な取材及び研究に基づくものであることが求められるにもかかわらず,当事者ないし当事者的立場に当たる人
物や団体に対して直接取材することすらしておらず,各表現の裏付けは何ら認められない。
とりわけ,原告は,平成26年3月末にb新聞社を退職し,c大学の非常勤講師としての地位しか有していなかったから,同時期以降の被告aによる各表現は,メディアに携わるものの過去の記事の批判ではなく大学で勤務する市民に対する攻撃である。したがって,被告aによる各表現は,まさに原告を攻撃するとの目的でなされたものに他ならず,専ら公益を図る目的に出た場合とは認められない。(ウ)被告会社による各表現について
被告会社による各表現は,原告の就任予定地,勤務先,原告の妻に関する情報を
含んでおり,原告自身の過去の経歴や私生活上の事実を晒し,原告個人を攻撃するものにほかならず,公共の利害に関する事実とはいえない。
また,文春記事Aは,原告が,iの証言を意図的にねじ曲げてこれと異なる記事を書き,その内容を広めようとする人物であり,原告が神戸のお嬢様大学の教授となることが極めて問題であるという印象を与えることを目的として記述されたものである。文春記事Bは,その記載内容からして原告が大学教授として不適格である印象を与えるべくして記載されたものであって,文春記事A掲載後に生じた原告に対するバッシングと教授不就任の事実を受けて掲載されたものであることから,「原告に対するバッシングを再燃させ,c大学の非常勤講師の地位を失わせることすら意図して行われたものであり,既にb新聞社を退職した,大学で勤務する市民である原告に対する攻撃である。
文春記事A及びBの摘示事実の真実性が認められないことなどからしても,文春記事A及びBは,原告個人を攻撃すること,原告へのバッシングを誘発させることを主たる目的として記載されたものと考えざるを得ず,専ら公益を図る目的に出た場合に当たるとは認められない。イ
真実性,真実相当性

別紙名誉毀損部分等一覧表の抗弁に対する反論欄記載のとおり。
(ア)被告aの主張に対する反論の補充
上記(1)【原告の主張】のとおり,被告aによる各表現の摘示事実からすれば,真実性が認められるためには,①原告の記事がiの証言と異なること,②原告がそのことを知りつつあえて記事を書いたこと,③原告が義母の裁判を有利にするとい
う悪しき動機に基づいて記事を書いたこと,との事実がいずれも真実であることが立証されなければならないところ,それらの立証はない。
また,表現者が専門家の場合,当該分野の一般的な専門家を判断基準の主体とすべきであり,被告aが,上記各摘示事実が真実であると信じるにつき相当な理由があったとはいえない。

仮に,捏造との表現が,意見ないし論評であると評価される場合であっても,その前提となる事実の真実性,真実相当性は認められない。
(イ)被告会社の主張に対する反論の補充
上記(1)【原告の主張】のとおり,被告会社による各表現の摘示事実からすれば,真実性が認められるためには,①挺身隊と慰安婦とは全く関係がないこと,②このとき名乗り出た女性(i)は親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き,韓国紙の取材にもそう答えていること,③iは強制連行があったとは証言していないのに,原告があったかのごとく偽って記事を書いたこと,との事実がいずれも真実であることが立証されなければならないところ,それらの立証はない。また,被告会社の記者は,a発言の根拠となる資料について調査をしておらず,被告会社が,上記各摘示事実が真実であると信じるにつき相当な理由があったとは
いえない。
仮に,捏造との表現が,意見ないし論評であると評価される場合であっても,その前提となる事実の真実性,真実相当性は認められない。
(3)原告の平穏な生活を営む法的利益の侵害(争点3)
【原告の主張】

表現行為によるプライバシー侵害については,記事に掲載された当時の対象者の年齢や社会的地位,記載内容やそれらが公表されることによって対象者のプライバシーに属する情報が伝達される範囲と対象者の具体的被害の程度,記事の目的や意義,公表時の社会的状況,記事において情報を公表する必要性など,その事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由に関する諸事情を個別具体的に審理し,
これらを比較衡量して判断される(最判平成15年3月14日民集57巻3号229頁参照)。
本件において,被告会社は,当初から原告各記事を捏造と決めつけ,原告の就職予定先や勤務先の大学に対して,大学の教員としての適性を問題とするような質問状等を送り,文春記事A及びBにおいては,本人は「ライフワークである日韓関係や慰安婦問題に取り組みたいと言っている」(文春記事A)などと一切根拠がない虚偽や,とんだ売国行為だ(文春記事B)などと極めて扇情的な記載をした。これらは,国民的関心事であるところの従軍慰安婦問題に関する記事ではなく,23年前に記事を書いたに過ぎない一記者の就業先を暴く記事であって,被告会社は,原告の就業先に抗議が殺到することを予見しかつ認容し,それどころか,積極的にこれを目的として記事を公表したものとみるべきである。文春記事A及びBの公表時には,原告の動向や就業先が国民の関心事になっておらず,それらの情報を公表する必要性はなく,他方,原告の就業先が慰安婦捏造記者というタイトルとともに公開されれば当該就業先に抗議や誹謗中傷が殺到するから,原告には,それらの情報を公表されない法的利益があった。そして,文春記事A及びBの掲載により,原告は,後記(4)のような損害を被った。

以上の事情からすれば,被告会社は,積極的な害意を持って記事を掲載して,原告やその勤務先,家族への攻撃を扇動し,原告の平穏な生活を営む法的利益を違法に侵害したといえ,これは,名誉毀損とは別の不法行為として認定されるべきである。
また,インターネットブログで原告に対する脅迫を煽る行為,h大学やc大学へ
のメール等による誹謗中傷,脅迫行為及びそれと同じ目的で発信されたインターネットテレビ日本文化チャンネル桜での原告に対する攻撃行為は,いずれも,文春記事A又はBを引用しているか,各記事と同じ内容を含むものであって,被告会社による記事掲載行為と客観的関連性共同性を有するから,被告会社は,それらの行為による原告の精神的苦痛についても損害を賠償する責任を負う。
【被告らの認否反論】
否認ないし争う。
原告は,被告会社が文春記事A及びBを掲載した行為につき,原告から職を奪い,社会から抹殺しようとする強い害意に基づき,原告の平穏な生活を営む法的利益を侵害する不法行為が成立する旨主張する。
しかし,被告会社は,原告各記事が,新聞記事として求められる中立性,公正性,正確性等の倫理を著しく欠いているのではないかという点を問題視し,その問題を指摘することは,市民が新聞記事及び新聞記者に関する意見を形成するにあたり有益であると判断し,文春記事A及びBの執筆,掲載に至った。被告会社が文春記事A及びBによって提起した問題は,公共の利害に関する事実に係るものであり,記事の掲載は,公益を図る目的に基づくことは明らかである。また,被告会社は,原告とは何らの個人的関係はなく,原告に対する害意を有していないことは自明である。
そして,文春記事A及びBの掲載の前提となる取材行為は,報道機関として必要かつ相当な範囲にとどまっており,記事の内容そのものも,読者に対し,原告への誹謗中傷,脅迫等を扇動ないし教唆したりする記述や表現を含んでいない。
そもそも,被告会社による文春記事A及びBの掲載と,第三者による原告に対する誹謗中傷,脅迫等の行為との間に因果関係はない。
したがって,いずれにせよ,被告会社が文春記事A及びBの執筆,掲載により,原告の平穏な生活を営む法的利益の侵害に対する不法行為責任を負うことはない。

(4)原告の損害(争点4)
【原告の主張】

原告の権利侵害

(ア)原告の名誉権等の侵害
名誉毀損による損害額は,名誉毀損とされた報道の内容及び表現の態様,報道が流布された範囲の広狭,報道機関の影響力の大小,被害者の職業,社会的地位,年齢,経歴等,被害者が被った現実的不利益の程度,報道の真実性の程度,事後的事情による名誉回復の度合い等,諸般の事情を考慮して個別具体的に判断される。本件において,捏造という表現は,新聞記者である原告にとって,その信用を失う強い表現であり,本件各表現の流布の範囲は広く,文春記事A及びBの公表
後に,原告の採用が決まっていたh大学や勤務先であるc大学に対して,原告の採用取消し,退職を求める抗議の電話やメール等が殺到したことからしても,その影響力は甚大であった。原告は,長年,b新聞社で記者として勤務するなどの経歴,社会的地位を有しており,特にh大学での採用が決まった頃直後の時期における,原告に対する誹謗中傷の被害は甚大であった。
(イ)原告の平穏な生活を営む法的利益の侵害
また,文春記事Aの公表後,h大学に対する抗議のメール等が殺到したため,原告は,同大学から退職を迫られ,雇用契約の解消に応じざるを得なくなった。さらに,文春記事A及びBの公表後は,c大学に対しても,抗議,脅迫の電話やメール等が殺到したため,同大学は高額な警備費用の出費を余儀なくされ,原告は,校外での授業を中止せざるを得なくなった。そのほか,インターネット上には原告の自
宅の電話番号や住所が晒され,原告の娘も誹謗中傷の被害を受け,原告は,本邦での暮らしに危険を感じざるを得ない状況にある。以上の状況に鑑み,原告は,平成28年3月から韓国のj大学の客員教授として勤務することとし,原告の家族はバラバラになった。
このように,原告は,被告らによる不法行為により,大学での教職を失い,原告
やその家族らが生命身体の危険を感じる状況に置かれ,本邦外で暮らすことを余儀なくされたのであり,原告の受けた現実的不利益の程度は極めて甚大である。イ
被告らの侵害態様

(ア)被告a
被告aに関しては,十分な裏付けもなく,むしろ原告が捏造などしていないことを認識していながら,あえて,原告を捏造記者呼ばわりしており,また,被告a自身が,その著作においてiの証言を創作し,捏造して原告を攻撃していたものであって,その不法行為の態様は極めて悪質である。
(イ)被告会社
被告会社に関しては,文春記事A及びBの掲載前から継続して,原告の記事が
捏造であると決めつけて,原告を狙い撃ちにする意図を有しており,h大学の学校名を含む文春記事Aを掲載した後,同大学に抗議が殺到し,原告の教授就任がなくなったことを認識しながら,あえて,c大学の学校名を含む文春記事Bを掲載したものであり,その不法行為の態様は極めて悪質である。

名誉回復措置,損害額等

(ア)被告aに対するa論文B削除の請求
本件ウェブサイト上に投稿されたa論文Bは,現在も閲覧可能な状態であり,原告の名誉を著しく毀損し続けているから,原告は,民法723条の類推適用又は人格権に基づく妨害排除請求権に基づき,被告aに対し,a論文Bの本件ウェブサイトからの削除を求める(請求1項)。
(イ)被告らに対する文春記事Aに係る謝罪広告及び損害賠償の請求
a発言を含む文春記事Aの掲載により,原告は,名誉を著しく毀損され,勤務先への抗議,脅迫,原告の娘に対する誹謗中傷など,常軌を逸したいわれなき迫害を受けており,このような重大な人権侵害を食い止めるために,被告らによる謝罪広告が必要である。したがって,原告は,民法723条に基づき,被告らに対し,謝罪広告の掲載を求める(請求2項)。

また,a発言を含む文春記事Aの掲載により,原告は,h大学の教授の職を辞せざるを得なくなり,原告の名誉権,名誉感情,平穏な生活を営む法的利益が侵害された。上記ア,イの事情を総合すれば,原告の受けた精神的苦痛を慰謝するためには,名誉権,名誉感情侵害につき500万円,平穏な生活を営む法的利益の侵害につき500万円の合計1000万円を下るものではない。また,その1割相当額で
ある100万円は,弁護士費用として不法行為と相当因果関係のある損害である。したがって,原告は,民法709条,719条に基づき,被告らに対し,上記損害の連帯支払を求める(請求3項)。
(ウ)被告aに対する被告aによる各表現に係る損害賠償の請求
a論文AないしDの掲載,a発言により原告の受けた精神的苦痛を慰謝するため
には,500万円を下るものではない。また,その1割相当額である50万円は,弁護士費用として不法行為と相当因果関係のある損害である。したがって,原告は,民法709条に基づき,被告aに対し,上記損害の支払を求める(請求4項)。(エ)被告会社に対する文春記事Bに係る損害賠償の請求
文春記事Bの掲載により,原告は,c大学に誹謗中傷が殺到し,脅迫の被害を受け,原告の名誉権,名誉感情,平穏な生活を営む法的利益が侵害された。上記ア,イの事情を総合すれば,原告の受けた精神的苦痛を慰謝するためには,名誉権,名誉感情侵害につき500万円,平穏な生活を営む法的利益の侵害につき500万円の合計1000万円を下るものではない。また,その1割相当額である100万円は,弁護士費用として不法行為と相当因果関係のある損害である。したがって,原告は,民法709条に基づき,被告会社に対し,上記損害の支払を求める(請求5
項)。
【被告らの認否】
否認ないし争う。
第3
1
当裁判所の判断
認定事実

前提事実のほか後掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。(1)平成3年までの従軍慰安婦問題をめぐる議論の状況等

女子挺身隊と従軍慰安婦

(ア)法令等における女子挺身隊と従軍慰安婦
日本政府による国家総動員法に基づく国民の勤労動員のうち,女性の勤労動員制度は,昭和16年11月の国民勤労報国協力令,昭和18年の次官会議決定(女子勤労動員ノ促進ニ関スル件)などによって始められ,上記決定においては,女子を動員すべき職種として,航空関係工場,政府作業庁,公務員の男子徴用や男子就業の制限・禁止により女子の補充を要するものを定め,新たに女子勤労挺身隊(仮称)を自主的に組織する制度を採用することが定められた。その後,昭和19年
の女子挺身勤労令により,法的強制力のある女子挺身隊制度が設けられたが,同令において女子挺身隊とは勤労常時要員としての女子(学徒勤労令の適用を受くべき者を除く)の隊組織(以下女子挺身隊と称す)と定義され(同令1条),国家総動員法5条の規定による命令により女子が女子挺身隊として行う勤労協力は,国等が指定する者の行う命令によって定められる総動員業務についてこれを行わせると規定されている(同令2条)。このように,女子挺身隊とは,これらの勤労動員制度に基づき,国家総動員法5条が規定する総動員業務(総動員物資の生産,修理,配給,輸出,輸入又は保管に関する業務等をいう。同法2条,3条参照)について工場などで労働に従事する女性のことを指すものである。(甲123,171,乙23)
これに対し,慰安婦ないし従軍慰安婦とは,太平洋戦争終結前の公娼制度の下で
戦地において売春に従事していた女性などの呼称の一つであり,上記でいうところの女子挺身隊とは明らかに異なるものであって,この点は,b新聞社の訂正記事においても,明確に指摘されている(乙5,6,23)。
(イ)女子挺身隊又は挺身隊と従軍慰安婦との混同
しかし,韓国においては,女子挺身隊又は挺身隊と従軍慰安婦とが混同して理解
されており,朝鮮人女性が女子挺身隊又は挺身隊の名で従軍慰安婦として動員された旨報じる新聞記事が多数あった(甲124,160ないし164)。また,日本国内の報道においても,昭和十七年以降「女子挺身隊の名のもとに,日韓併合で無理やり日本人扱いをされていた朝鮮半島の娘たちが,多数強制的に徴発されて戦場に送り込まれた。」(昭和62年8月14日付け読売新聞記事,
甲19),日中戦争から太平洋戦争にかけて「女子挺身隊の名で連行され日本兵相手に売春を強いられたという朝鮮人従軍慰安婦問題の真相を解明し,日本政府の責任を問うために結成された韓国の挺身隊問題対策協議会」(平成3年8月24日付け読売新聞記事,甲24),第二次大戦中「挺身隊の名のもとに,従軍慰安婦として戦場にかりだされた朝鮮人女性たちの問題を考えようという集い」(同
年9月3日付け産経新聞記事,甲18),第二次世界大戦中に「女性挺身隊として強制連行され,日本軍兵士相手に売春を強いられたとして,韓国人女性三人を含めた韓国人被害者三十五人が今月六日,日本政府を相手取り,一人当たり二千万円,総額七億円の補償請求訴訟を東京地裁に起こす。」(平成3年12月3日付け読売新聞記事,甲68)のように,朝鮮人女性が(女子)挺身隊として強制連行されて従軍慰安婦とさせられたとの趣旨の表現をするものがあった。イ
従軍慰安婦の強制連行に関する著作

吉田清治(以下吉田という。)は,昭和52年に朝鮮人慰安婦と日本人と題する書籍を,昭和58年に私の戦争犯罪朝鮮人強制連行と題する書籍を
刊行したところ,これらの著作は,いずれも吉田自身が,太平洋戦争中,済州島において,陸軍部隊の要請に基づく動員命令書により朝鮮人女性を女子挺身隊として徴用し,従軍慰安婦とすることに関与したと告白する内容であり,特に後者は,徴用に当たり暴力的手段を用いたことに言及するもの(以下,このような内容の吉田の供述をまとめて吉田供述ということがある。)であった(乙8,23,24)。
また,吉田の著作以外にも,日本国内において,日本軍が朝鮮人女性を女子挺身
隊として徴用したとする内容の著作が存在した(甲48,134,弁論の全趣旨)。ウ
b新聞社による吉田供述に関する報道(乙8,24)

b新聞社は,昭和57年9月2日付記事において,吉田を朝鮮人の強制連行の指揮に当たった動員部長であると紹介した上,朝鮮人女性を狩り出し,女子挺身隊の名で戦場に送り出したとする吉田供述を初めて紹介し,昭和58年12月24日,平成3年5月22日,同年10月10日にそれぞれ掲載された記事にも,国家総動員体制の下で軍需工場や炭鉱などで働く労働力確保のための報国会の動員部長として多数の朝鮮人女性を女子挺身隊の名で強制連行したとの吉田供述を紹介した。エ
国会における従軍慰安婦に関する質疑

(ア)平成2年6月6日の質疑(甲115,116)
平成2年6月6日の第118回国会参議院予算委員会の質疑において,社会党のk議員が

強制連行の中に従軍慰安婦という形で連行されたという事実もあるんですが,そのとおりですか。

と質問したのに対し,当時の労働省職業安定局長は,徴用の対象業務は国家総動員法に基づきます総動員業務でございまして,法律上各号列記をされております業務と今のお尋ねの従軍慰安婦の業務とはこれは関係がないように私どもとして考えられますし,また,古い人のお話をお聞きいたしましても,そうした総動員法に基づく業務としてはそういうことは行っていなかった,このように聞いております。と答弁した。また,同議員の従軍慰安婦に関する調査を求める趣旨の質問に対し,従軍慰安婦なるものにつきまして,古い人の話等も総合して聞きますと,やはり民間の業者がそうした方々を軍とともに連れて歩いているとか,そういうふうな状況のようでございまして,こうした実態について私どもとして調査して結果を出すことは,率直に申しましてできかねると思っております。と答弁した。(イ)平成3年4月1日の質疑(甲117)
平成3年4月1日の第120回国会参議院予算委員会の質疑において,k議員は,

政府が関与し軍がかかわって,女子挺身隊という名前によって朝鮮の女性を従軍慰安婦として強制的に南方の方に連行したということは,私は間違いない事実だというふうに思います。

と発言した。(2)平成2年頃の韓国内における日本政府への補償等を求める動き(甲1,乙10)
平成2年10月に,韓国の複数の女性団体が,日本の内閣総理大臣宛てに,日本
政府が朝鮮人女性を従軍慰安婦として強制連行した事実を認め,謝罪し,本人や遺族に対して補償することを求める公開書簡を送付した。
平成2年11月に,韓国において,大学教授であったl(以下lという。)が中心となって,日本政府に対し元従軍慰安婦の朝鮮人女性への補償等を求めることを目的とする韓国挺身隊問題対策協議会(以下挺対協という。)が発足した。
(3)平成3年8月の原告記事Aの執筆の経緯(甲9,13,53,57,115,乙8,24,原告本人)

原告が従軍慰安婦問題に関心を持ったきっかけ

原告は,昭和62年夏から1年間,b新聞社に籍を置きつつ,ソウルで韓国語を勉強して習得した。
原告は,平成2年6月の国会での質疑(上記(1)エ(ア))等をきっかけに従軍慰安婦問題に関心を持ち,同年夏に2週間,元従軍慰安婦に直接取材するため,韓国に出張した。このとき,原告は,lの協力を得たが,元従軍慰安婦を見つけることができなかった。
なお,原告は,このとき遺族会の幹部であるmの娘と知り合い,平成3年2月に婚姻した。


原告の韓国での取材

原告は,平成3年8月,当時のb新聞社ソウル支局長から,挺対協が元従軍慰安婦の聞き取り調査を始めたとの情報を得たことから,lに対し,取材を申し込んだところ,lから,元従軍慰安婦は取材を拒否しており,名前も教えられないが,聞き取り調査をした際の録音テープを聞くことはできるとの回答を得た。そこで,原告は,ソウルに出張し,平成3年8月9日にlを取材した。原告は,同月10日に,挺対協の事務所において,元従軍慰安婦を名乗る朝鮮人女性のiの発言が録音されたテープを聞き,lや挺対協のスタッフからもテープの内容について話を聞いた。このとき,原告は,lから,iはだまされて従軍慰安婦にされたと聞いた。


原告記事Aの執筆

原告は,上記の取材結果をもとに原告記事Aを執筆した(前提事実(2)ア)。そして,原告記事Aが掲載された翌日の平成3年8月12日付けb新聞東京版朝刊には,原告記事Aの字数を削った署名記事が掲載された。同記事においては,原告記事Aの前文中の「女子挺(てい)身隊の名で戦場に連行され」の部分が,戦場に連行されと省略して記載されている。
(4)iに関する平成3年8月の新聞報道

iの記者会見に関する韓国内の新聞報道

iは,平成3年8月14日,ソウルにおいて実名で元従軍慰安婦として名乗り出る内容の共同記者会見を開き,同会見に関し,韓国において以下の内容の新聞報道がされた。
(ア)平成3年8月15日付け東亜日報の記事(甲20)
「挺身隊慰安婦として苦痛を受けた私が,こうやってちゃんと生きているのに,日本は従軍慰安婦を連行した事実がないと言い,韓国政府は知らないなどとは話になりません解放から46年ぶりに国内在住者としては初めて,日本の統治下で日本軍の従軍慰安婦という恥ずかしめを受けた証人が歴史の表に現れた。」
iさんが従軍慰安婦として連れて行かれたのは,満16歳になった1940年春。早くに父をなくし母も再婚したため,13歳で平壌の某家に養女として入った。iさんが平壌キーセンの検番[技芸を教え,キーセンを養成する組合]を終えた年に,養父はiさんをもう一人の養女(当時17歳)と共に,日中戦争が熾烈を極めていた中国中部地方に連れて行った。養女を利用して日本軍相手の「営業をしよ
うとした養父は,日本軍の銃剣に一銭も受け取れず,彼女たちを日本軍に引き渡した。iさんらは部隊内の慰安所に強制的に収容された。」
iさんは,「挺身隊自体を認めない日本を相手に告訴したい心境だとして,韓国政府が一日も早く挺身隊問題を明らかにして,日本政府の公式謝罪と賠償を受けるべきだと力を込めて語った。」
(イ)平成3年8月15日付け中央日報の記事(甲21)
iさんが14日,「私は挺身隊だったと自らの体験を明かした。」

1940年,17歳のキーセンの卵として中国に流れて行ったiさんは,北部中国の鉄壁鎮という場所で日本軍に捕らえられ,中隊規模の日本部隊の慰安婦を務め,4カ月目に脱出したという。

1924年,・・・国民学校を卒業した後にキーセンとして売られる。

平壌の検番[技芸を教え,キーセンを養成する組合]で3年間の修業を終えた17歳の時,iさんは自分と同じ境遇のもう一人の養女と共に養父について中国へと渡った。養父はiさんらをキーセンとして売り渡そうと中国を転々とした末,北部中国の鉄壁鎮という場所で日本軍に出会った。(ウ)平成3年8月15日付けハンギョレ新聞の記事(甲67)
17歳,花のような年齢で,5ヵ月あまりの間,日本軍人たちの従軍慰安婦を経験したi(67・ソウル鍾路区(以下省略)・写真)おばあさんが,14日午後,韓国女性団体連合会事務室で当時の惨状を暴露する記者会見を持った。(中略)「(中略)テレビや新聞で,最近も日本が従軍慰安婦を連行した事実はないと言う話しを聞くと,悲嘆に暮れます。日本を相手に裁判でもしたい心情です。」1924年満州吉林省で生まれたiさんは父親が生後100日で亡くなってしまい,生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌にあるキーセンの検番に売られていった。3年間の検番生活を終えたiさんが初めての就職だと思って,検番の義父に連れられていった所が,華北のチョルベキジンの日本軍300名余りがいる小部隊の前だった。「私を連れて行った義父も当時,日本軍人にカネももらえず武力で私をそのまま奪われたようでした。(中略)」
挺対協は「iさんの証言をはじめとして,生存者,遺族などの証言を通じて歴史の裏側に埋もれていた挺身隊の実相が明らかにされなければならないと強調した。」

北海道新聞社によるiに対する単独インタビューの報道

北海道新聞社の記者は,平成3年8月14日(iの記者会見と同日),iに対して単独インタビューをし,以下の内容の記事を執筆した。
(ア)平成3年8月15日付け記事(甲25)
戦前,女子挺(てい)身隊の美名のもとに従軍慰安婦として戦地で日本軍将兵たちに凌(りょう)辱されたソウルに住む韓国人女性が十四日,韓国挺身隊問題対策協議会(本部・ソウル市中区,l・共同代表)に名乗り出,北海道新聞の単独インタビューに応じた。(中略)この女性は「女子挺身隊問題に日本が国として責任を取ろうとしないので恥ずかしさを忍んで・・・とし,日本政府を相手に損害賠償訴訟も辞さない決意を明らかにした。(中略)」
この女性は,ソウル市鍾路区(以下省略),iさん(六七)=中国吉林省生まれ=。iさんの説明によると,一六歳だった一九四〇年,中国中部の鉄壁鎮というところにあった日本軍部隊の慰安所に他の韓国人女性三人と一緒に強制的に収容された。「養父と,もう一人の養女と三人が部隊に呼ばれ,土下座して許しを請う父だけが追い返され,何がなんだか分からないまま慰安婦の生活が始まった。(iさん)」
なお,この記事には,従軍慰安婦の用語解説として,旧日本軍直轄の管理売春制度によって戦場に連れて行かれ,兵士を相手に強制売春させられた女性。日中戦争下の一九三八年ごろから大規模に始まり,その主な対象は植民地下の朝鮮の未婚女性だった。初めは日本人業者が警察官らと村を回りだまして連れ去るケースが多かった。四三年からは「女子挺身隊の名で動員され,一般勤労のほか,多くが慰安婦とされた。戦後,戦場に置き去りにされた。」との囲み記事が付されている。

(イ)平成3年8月18日付け記事(甲50)
先月下旬,李朝の宮殿「徳寿宮の裏手にある韓国教会女性連合会事務局(ソウル市中区)に,中年女性に伴われた小柄なハルモニ(おばあさん)が前触れもなく訪れた。応対した韓国人女子挺身隊(従軍慰安婦)問題担当の事務局員nさんは,広島での被爆体験を持つこの中年女性とは顔見知りだった。しかし,初対面のハル
モニが私は女子挺身隊だったと,切り出した言葉に思わず息をのんだ。iさん。平壌出身の両親を持ち,一九二四年,満州(中国東北地方)吉林省で生まれた。太平洋戦争開戦の前年四〇年,中国北部の鉄壁鎮というところで妓生(キーセン=日本の芸者に当たる)になる修業をしていた当時十六歳のiさんは,日本軍部隊に義父とともに突然呼び出され,慰安所で厳しい監視下に置かれた。」
(5)平成3年12月の原告記事Bの執筆の経緯

iの聞き取り調査(甲115,原告本人)
遺族会は,平成3年頃,日本政府に対して戦後補償を求める訴訟提起の弁護団を結成し,提訴予定者からの聞き取り調査を行った。
上記弁護団は,平成3年11月25日,iに対して聞き取り調査を行い,原告はそれに同行した。

iらによる提訴(甲14,乙22)

i及び原告の義母を含む遺族会の会員ら35名は,平成3年12月6日,東京地方裁判所において,日本国を被告として,戦後補償を求める訴え(以下平成3年訴訟という。)を提起した。平成3年訴訟の訴状では,従軍慰安婦が女子挺身隊の名で組織的に狩り集められたとの主張がされるとともに吉田供述が紹介され,また,iに関し,以下の主張がされた。
原告i(以下,「iという。)は,一九二三年中国東北地方の吉林省で生まれたが,同人誕生後,父がまもなく死亡したため,母と共に親戚のいる平壌へ戻り,普通学校にも四年生まで通った。母は家政婦などをしていたが,家が貧乏なため,
iも普通学校を辞め,子守りや手伝いなどをしていた。oという人の養女となり,一四歳からキーセン学校に三年間通ったが,一九三九年,一七歳(数え)の春,そこへ行けば金儲けができると説得され,iの同僚で一歳年上の女性(エミ子といった)と共に養父に連れられて中国に渡った。トラックに乗って平壌駅に行き,そこから軍人しか乗っていない軍用列車に三日閥(まま)乗せられた。何度も乗り
換えたが,安東と北京を通ったこと,到着したところが,北支カッカ県鉄壁鎭であるとしかわからなかった。鉄壁鎭へは夜着いた。小さな部落だった。義父とはそこで別れた。iらは中国人の家に将校に案内され,部屋に入れられ鍵を掛けられた。そのとき初めてしまったと思った。」

原告記事Bの執筆

原告は,平成3年12月頃,上記アの聞き取り調査の結果等をもとに原告記事Bを執筆した(前提事実(2)イ)。
(6)平成4年頃の従軍慰安婦を巡る議論の状況等

iの供述に関する雑誌記事の掲載(乙10)

平成4年1月5日発行の月刊誌宝石同年2月号において,ジャーナリストのpが執筆したもうひとつの太平洋戦争朝鮮人慰安婦が告発する私たちの肉体を弄んだ日本軍の猟色と破廉恥と題する記事が掲載され,同記事中には,iの供述として,以下の供述が記載されていた。
私は,満州吉林で生まれました。父は独立運動家を助ける愛国者でしたが,私が生まれて百日後に死んだそうです。生活が苦しいために母は二歳になった私を連れて,生まれ故郷の平壌に帰り,親戚を頼ったのです。でも,母子二人の生活は相変わらず貧乏のどん底で,私は小学校四年までしかいっていません。母は家政婦,私は近所の子守をしながら細々と暮らしていたのですが,十四歳のとき,母が再婚したのです。私は新しい父を好きになれず,次第に母にも反発しはじめ,何度か家出もしました。その後平壌にあった妓生専門学校の経営者に四十円で売られ,養女として踊り,楽器などを徹底的に仕込まれたのです。ところが,十七歳のとき,養父は「稼ぎにいくぞと,私と同僚のエミ子を連れて汽車に乗ったのです。着いたところは満州のどこかの駅でした。サーベルを下げた日本人将校二人と三人の部下が待っていて,やがて将校と養父との間で喧嘩が始まりおかしいなと思っていると養父は将校たちに刀で脅され,土下座させられたあと,どこかに連れ去られてしまったのです。」


平成4年の被告aによる原告各記事に対する批判(甲26)

被告aは,雑誌文藝春秋平成4年4月号掲載の「慰安婦問題とは何だったのか

新聞が触れようとしない大騒動の意外な真相」と題する論考において,原
告各記事について,iが人身売買により売春をさせられたにもかかわらず,女子挺身隊の名目で日本の国家権力によって強制的に連行されたと報道する点で重大な事実誤認がある旨指摘し,原告各記事を初めて批判した。

吉田供述に対する批判(乙8,24)
歴史学者のqは,平成4年4月30日付け産経新聞及び同年5月1日に発行された雑誌正論において,吉田に対する取材及び済州島における現地調査等を踏まえ,吉田供述は疑わしいと指摘し,その後,吉田供述について疑問を呈する報道や論考が増加した。
(7)平成9年のb新聞社による従軍慰安婦問題に関する特集記事の掲載b新聞社は,平成9年3月31日付けの特集記事において従軍慰安婦問題を取り上げ,その中で,吉田清治氏は八三年に,『軍の命令により朝鮮・済州島で慰安婦狩りを行い,女性二百五人を無理やり連行した』とする本を出版していた。慰安婦訴訟をきっかけに再び注目を集め,b新聞などいくつかのメディアに登場したが,まもなく,この証言を疑問視する声が上がった。済州島の人たちからも,氏の著述を裏付ける証言は出ておらず,真偽は確認できない。吉田氏は『自分の体験をそのまま書いた』と話すが,『反論するつもりはない』として,関係者の氏名などデータの提供を拒んでいるとの記事を掲載した(乙8,24)。b新聞社は,下記(10)の平成26年8月の検証記事を掲載するまでの間,吉
田供述に関する報道や本件原告記事Aにつき,上記以上の説明をしたり,これを訂正し,取り消したりすることはなかった(乙8,24,弁論の全趣旨)。(8)平成9年以降の被告aによる原告に対する批判の展開
被告aは,平成9年頃以降,従軍慰安婦問題についての論考を雑誌において複数発表し,その中で原告記事Aについて批判した。具体的には,被告aは,雑誌諸君!平成9年5月号掲載に掲載された「慰安婦問題誰も誤報を訂正しない」と題する論考では,原告記事Aの「女子挺身隊の名で戦場に連行され」とのリード部分について,

まったくのウソを大きく報じた責任は重大である。

と批判した(甲134)が,雑誌正論平成10年7月号,雑誌諸君!平成17年4月号,同平成18年7月号,雑誌正論平成20年11月号,同平成23年8
月号掲載の各論考では,原告が義母の裁判を有利にするために原告記事Aを捏造したなどと批判するようになった(甲135ないし139,165)。以上の経緯で,平成24年12月14日,被告aが執筆したa論文Aが発行された(前提事実(3))。
(9)平成26年1月の文春記事A発行後の大学への抗議の状況
平成26年1月30日に文春記事Aが発売された(前提事実(3)イ)ところ,その翌日である同月31日から同年2月4日頃までの間,h大学に対して,原告を教員として採用したことを批判する内容のメールやファックスが殺到した。その中には,文春記事Aを読んで原告の採用の事実を知った旨が記載されているものもあった(甲81)。
また,インターネット上のブログやそのコメント欄において,文春記事Aを取り
上げ,h大学の電話番号を記載する者や,同大学に対する抗議の声が大きければ採用が取り消されることもありうるといった趣旨の内容を書き込む者もいた(甲77,78)。
h大学は,上記の抗議の事態を受けて,原告と協議し,平成26年3月7日付けで,原告との間の雇用契約を解消した(甲84,原告本人)。

なお,被告会社は,平成26年3月6日に発売された週刊文春同月13日号にも,「慰安婦問題A級戦犯b新聞を断罪する」と題する記事を掲載し,その中には,qや被告aのコメントとともに,原告について,同年3月でb新聞社を早期退職し,翌4月からh大学の教授になる予定であったが,大学によると,4月の着任はなくなったらしい,といった内容が含まれている(甲94)。
また,遅くとも平成26年5月頃以降,インターネット上のブログ等において,原告の娘が特定され,その顔写真が掲載され,同人に対する多数の誹謗中傷の書込みがされた(甲11,12,28,29,115)。
(10)平成26年8月のb新聞社による検証記事の掲載(甲30,乙8,24)b新聞社は,平成26年8月5日付けで,b新聞社の過去の従軍慰安婦報道に関
する検証記事(以下本件検証記事という。)を掲載した。本件検証記事には,吉田供述について裏付けが得られず,虚偽であると判断したとして,吉田供述を掲載した記事を取り消す旨の記載がされているほか,b新聞社が従軍慰安婦問題に関する記事を掲載する際,女子挺身隊の名で戦場に動員されたとの表現を用いたことについて,

当時は,慰安婦問題に関する研究が進んでおらず,記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同が見られたことから,誤用しました。

との説明が記載されている。
本件検証記事は,元b新聞記者の原告は,元慰安婦の証言を韓国メディアよりも早く報じました。これに対し,元慰安婦の裁判を支援する韓国人の義母との関係を利用して記事を作り,都合の悪い事実を意図的に隠したのではないかとの指摘があります。として,原告記事Aを取り上げた。本件検証記事のうち原告記事Aに
関する部分ではiの供述の録音テープへの取材は当時のソウル支局長からの連絡がきっかけであり,義母らの訴訟を有利にする意図があったわけではないとの原告の説明が記載されている。また,同部分では,8月11日の記事で「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され,日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』などと記したことをめぐり,キーセンとして人身売買されたことを意図的に記事では触れず,挺身隊として国家によって強制連行されたかのように書いた――との批判がある。とした上で,慰安婦と挺身隊との混同については,前項でも触れたように,韓国でも当時慰安婦と挺身隊の混同がみられ,原告も誤用したとの説明が記載されているほか,原告記事Aでキーセンに触れなかった理由について,証言テープ中でiさんがキーセン学校について語るのを聞いていない,原告記事B
でキーセンのくだりに触れなかったことについては,キーセンだから慰安婦にされても仕方ないというわけではないと考えたとの原告の説明が記載されている。(11)平成26年8月の文春記事B発売前後の大学への抗議の状況文春記事Bが掲載された週刊文春は平成26年8月6日に発売された(前提事実(3)ウ)ところ,遅くとも同年5月頃から,原告を非常勤講師として採用し
ていたc大学に対し,原告の採用について抗議する200件を超えるメールや,原告を辞めさせなければ学生に危害を加える旨の脅迫文などが送られていた。文春記事Bが掲載された週刊文春が発売された同年8月には,500件を超えるメールが送られ,160件ほどの電話がかかってきた。その中には,文春記事Bを読んで同大学による原告の雇用の事実を知った旨記載されているものもあった(甲31ないし34,74,75,85ないし88,93)。
(12)平成26年12月以降の原告による反論
原告は,平成26年12月10日発売の文藝春秋平成27年1月号において,慰安婦問題「捏造記者と呼ばれて」と題する手記を掲載し,原告各記事に対する批判に対し,本件検証記事と同趣旨の反論をした(甲9)。
原告は,上記手記を皮切りに,原告各記事に対する批判に対し,積極的に反論を
するようになった(甲10,71,弁論の全趣旨)。
(13)平成26年12月のb新聞社第三者委員会による報告及び原告記事Aの訂正ア
b新聞社第三者委員会による報告(乙8,24)

b新聞社は,平成26年10月頃,外部の有識者により構成されるb新聞社第三者委員会(以下,単に第三者委員会という。)に対し,b新聞が行ってきた従軍慰安婦報道に関する調査及び提言を行うことを委嘱し,第三者委員会は,同年12月22日付けで,報告書(以下本件調査報告書という。)を提出した。(ア)原告各記事について
本件調査報告書においては,原告各記事に関し,以下のような記載がされている
(要約版では一部省略されているがほぼ同様である。)。
1991年8月11日付記事(かっこ内略)については,担当記者の原告がその取材経緯に関して個人的な縁戚関係を利用して特権的に情報にアクセスしたなどの疑義も指摘されるところであるが,そのような事実は認められない。取材経緯に関して,原告は,当時のソウル支局長から紹介を受けて挺対協のテープにアクセスしたと言う。そのソウル支局長も接触のあった挺対協のl氏からの情報提供を受け,自身は当時ソウル支局が南北関係の取材で多忙であったことから,前年にも慰安婦探しで韓国を取材していた大阪社会部の原告からちょうど連絡があったため,取材させるのが適当と考え情報を提供したと言う。これらの供述は,ソウル支局と大阪社会部(特に韓国留学経験者)とが連絡を取ることが常態であったことや原告の韓国における取材経歴等を考えるとなんら不自然ではない。また,原告が元慰安婦の実名を明かされないまま記事を書いた直後に,北海道新聞に単独インタビューに基づく実名記事が掲載されたことをみても,原告が前記記事を書くについて特に有利な立場にあったとは考えられない。しかし,原告は,記事で取り上げる女性は「だまされた事例であることをテープ聴取により明確に理解していたにもかかわらず,同記事の前文に,『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され,日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち,一人がソウル市内に生存していることがわかりと記載したことは,事実は本人が女子挺身隊の名で連行されたのではないのに,女子挺身隊と連行という言葉の持つ一般的なイメージから,強制的に連行されたという印象を与えるもので,安易かつ不用意な記載であり,読者の誤解を招くものと
言わざるを得ない。この点,当該記事の本文には,十七歳の時,だまされて慰安婦にされたとの記載があり,原告も,あくまでもだまされた事案との認識であり,単に戦場に連れて行かれたという意味で連行という言葉を用いたに過ぎず,強制連行されたと伝えるつもりはなかった旨説明している。
しかし,前文は一読して記事の全体像を読者に強く印象づけるものであること,
だまされたと記載してあるとはいえ,女子挺身隊の名で連行という強い表現を用いているため強制的な事案であるとのイメージを与えることからすると,安易かつ不用意な記載である。そもそもだまされたことと連行とは,社会通念あるいは日常の用語法からすれば両立しない。
なお,当該女性(i氏)の経歴(キーセン学校出身であること)に関しては,1
991年8月15日付ハンギョレ新聞等は,i氏がいわゆるキーセン学校の出身であり,養父に中国まで連れて行かれたことについて報道していた。また,1991年12月25日付記事(かっこ内略)が掲載されたのは,既に元慰安婦らによる日本政府を相手取った訴訟が提起されていた時期であり,その訴状には本人がキーセン学校に通っていたことが記載されていたことから,原告も上記記事作成時点までにこれを了知していた。キーセン学校に通っていたからといって,i氏が自ら進んで慰安婦になったとか,だまされて慰安婦にされても仕方がなかったとはいえないが,この記事が慰安婦となった経緯に触れていながら,キーセン学校のことを書かなかったことにより,事案の全体像を正確に伝えなかった可能性はある。原告によるキーセンイコール慰安婦ではないとする主張は首肯できるが,それならば,判明した事実とともに,キーセン学校がいかなるものであるか,そこに行く女性の
人生がどのようなものであるかを描き,読者の判断に委ねるべきであった。」(イ)強制性について
また,本件調査報告書では,強制性に関するb新聞の姿勢・取扱いに関して,以下のような記載をしている(要約版もほぼ同様である。)。
まず,平成9年のb新聞社による従軍慰安婦問題に関する特集記事について,
紙面の核となるのは「強制性の部分であり,強制の定義に関して,軍や官憲による強制連行に限定する議論(注:狭義の強制性)を批判し,『よい仕事がある』とだまされて応募した女性が強姦され,本人の意思に反して慰安所で働かされたり,慰安所にとどまることを物理的,心理的に強いられていたりした場合は強制があった(注:広義の強制性)といえる。としている。」とし,このよう
な平成9年の特集記事の内容を踏まえ,「強制性という用語はかなりあいまいな,広義な意味内容を有するものであり,この報告書において強制性について定義付けをしたり,慰安婦の制度の強制性を論ずることは,当委員会の任務の範囲を超えるものである。ただし,b新聞は当初から一貫していわゆる広義の強制性を問題としてきたとはいえない。80年代以降,92年に吉田証言に対する
信ぴょう性に疑問が呈されるまで,前記のような意味での狭義の強制性を大々的に,かつ率先して報道してきたのは,他ならぬb新聞である。1997年の特集紙面が,狭義の強制性を大々的に報じてきたことについて認めることなく,強制性について狭義の強制性に限定する考え方を他人事のように批判し,河野談話に依拠して広義の強制性の存在を強調する論調は,のちの批判にもあるとおり,議論のすりかえである。」としている。

原告記事Aに対するおわびと訂正の記事の掲載(乙5)

b新聞社は,平成26年12月23日付けで,原告記事Aのうち,前文の日中戦争や第2次大戦の際,『女子挺身(ていしん)隊』の名で戦場に連行され,日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち,1人がソウル市内に生存していることがわかりとする部分に関し,同記事の本文はこの女性の話として「だまされて慰安婦にされたと書いています。この女性が挺身隊の名で戦場に連行された事実はありません。前文の『女子挺身隊』の名で戦場に連行されとした部分は誤りとして,おわびして訂正します」と記載したおわびと訂正の記事を掲載した。
2
争点1(本件各表現による原告の社会的評価の低下)について

(1)判断の前提
人の社会的評価を低下させる表現は,事実の摘示であるか,又は意見ないし論評の表明であるかを問わず,人の名誉を毀損するというべきところ,ある表現による事実の摘示又は意見ないし論評の表明が人の社会的評価を低下させるものであるかどうかは,当該表現についての一般の読者の普通の注意と読み方を基準としてその
意味内容を解釈し判断すべきである(最高裁昭和29年(オ)第634号同31年7月20日第二小法廷判決・民集10巻8号1059頁参照)。
そして,問題とされている表現が,事実の摘示であるか,意見ないし論評の表明であるかを区別するに当たっては,当該表現についての一般の読者の普通の注意と読み方とを基準として判断すべきものであり,当該表現が,証拠等をもってその存
否を決することが可能な他人に関する特定の事項を明示的又は黙示的に主張するものと理解されるときは,当該表現は,上記特定の事項についての事実を摘示するものと解するのが相当であり,他方,上記のような証拠等による証明になじまない物事の価値,善悪,優劣についての批評や論議などは,意見ないし論評の表明に属するというべきである(最高裁平成6年(オ)第978号同9年9月9日第三小法廷判決・民集51巻8号3804頁,最高裁平成15年(受)第1793号,同年(受)第1794号同16年7月15日第一小法廷判決・民集58巻5号1615頁参照)。
以下,上記を前提として,本件各表現が原告の社会的評価を低下させるかについて検討する。
(2)a論文A(甲3)の各記述について

a論文A①は,平成3年訴訟を起こした遺族会の幹部の娘と原告が結婚していることを指摘する記載に続く記述であり,

原告記者は義理の母親らの裁判を有利にする捏造記事を書いたことになるのではないか。

というものである。a論文A②は,原告記事Aが,元従軍慰安婦が初めて名乗り出たことを報じるスクープ記事であるとの記載に続く記述であり,

この記事を書いたのが,遺族会幹部を義理の母とする原告記者だった。名乗り出たところの関係者が義母だったわけで,義理の母親が義理の息子に便宜をはかったとしか思えなかった。

というものである。a論文A③は,原告記事Aの「女子挺身隊の名で戦場に連行され」の記載部分を取り上げた後の記述であり,

原告記者はiさんを,吉田清治証言のような強制連行の被害者として日本に紹介したのだ。

というものである。a論文A④は,iがキ
ーセンに売られたとの事実が原告各記事に記載されていないことを指摘した後の記述であり,原告記者がキーセンへの身売りを知らなかったなどあり得ない。わかっていながら都合が悪いので意図的に書かなかったとしか言いようがない。記事に書くと,権力による強制連行というb新聞などが報道の前提にしていた虚構が崩れてしまうことを恐れていたと疑われても反論の余地はないだろう。というもので
ある。a論文A⑤は,原告記者の捏造は自分が特ダネを取るためにウソをついただけではなくて,義理のお母さんの起こした裁判を有利にするために,紙面を使って意図的なウソを書いたということだから,悪質の度合いも二倍だと思う。彼らの意図的捏造により日韓関係が,そして最近では日米関係までもがいかに悪くなったか。その責任は重大だ。というものである。a論文A⑥は,a論文A⑤に続く記述であり,私はこの原告記者の悪質な捏造報道についてというものである。これらの記述を,証拠(甲3)から認められる同各記述の前後の記述も踏まえ,a論文Aの一般読者の普通の注意と読み方を基準としてその意味内容を解釈すると,a論文Aの各記述は,①原告が,iのキーセンに身売りされたとの経歴を認識しながらあえて記事に記載しなかったという意味において,意図的に事実と異なる記事を書いた(以下裁判所認定摘示事実1という。),②原告が,義母の裁判を有
利にするために意図的に事実と異なる記事を書いた(以下裁判所認定摘示事実2という。)との事実を摘示するとともに,原告の行為が悪質である等の意見ないし論評を表明するものと解するのが相当である。そして,かかる事実の摘示及び意見ないし論評の表明は,新聞記者であった原告が,職業人としての基本的使命に反し,意図的に虚偽の事実を報道したとの印象を与えるものであるから,原告の社会的評
価を低下させるものと認められる。
以上のほか,a論文A②は,原告が義母の縁故を利用して原告記事Aを書いたとの事実を摘示するものと解されるが,新聞記者が様々な縁故を利用して記事を書いたとしても,そのこと自体何ら非難されることではないから,上記事実が原告の社会的評価を低下させるものとは認められない。また,a論文A③は,原告記事Aの
内容について,iを吉田供述のような強制連行の被害者として紹介するものだとの意見ないし論評を表明するものと解されるが,このような意見ないし論評が,それ自体原告の社会的評価を低下させるものとは認められない。
以上の認定判断に対し,被告aは,a論文Aの各記述における捏造との表現は意見ないし論評の表明である旨主張する。しかしながら,捏造とはないことをあるかのように偽って作り上げることであるというのが一般的な理解であると解されるから,一般読者の普通の注意と読み方とを基準として解釈すると,a論文Aの各記述の中で用いられている捏造は,原告が事実と異なることを知りながらあえて原告記事Aを執筆したとの事実を摘示するものと解するのが相当であり,a論文Aの全体の記述を見ても,被告aが捏造の文言を一般的な用法と異なる評価的な要素を持たせて記載しているものと解することはできない(以下同様に,本件各表現中の捏造の表現が意見ないし論評の表明であるとする被告らの主張は,いずれも採用することができない。)。
(3)a論文B(甲4)の各記述について
a論文B①は,原告記事Aを紹介する記載に続く記述であり,

最初のb新聞のスクープは,iさんが韓国で記者会見する三日前です。なぜ,こんなことができたかというと,原告記者はiさんも加わっている訴訟の原告組織「太平洋戦争犠牲者遺族会

のリーダー的存在であるm常任理事の娘の夫なのです。つまり,原告のリーダーが義理の母であったために,iさんの単独インタビューがとれたというカラクリです。」というものである。a論文B②は,a論文B①に続く記述であり,いま,テレビ番組「あるある大事典?の捏造が問題になっていますが,b新聞
の最初の報道はただ部数を伸ばすためだけでなく,記者が自分の義母の裁判を有利にするために,意図的にキーセンに身売りしたという事実を報じなかったという大犯罪なのです。」というものである。
これらの記述を,証拠(甲4)から認められる同各記述の前後の記述も踏まえ,a論文Bの一般読者の普通の注意と読み方を基準としてその意味内容を解釈すると,
a論文B②の記述は,①原告が,iのキーセンに身売りされたとの経歴を認識しながらあえて記事に記載しなかったという意味において,意図的に事実と異なる記事を書いた(裁判所認定摘示事実1),②原告が,義母の裁判を有利にするために意図的に事実と異なる記事を書いた(裁判所認定摘示事実2)との事実を摘示するとともに,その事実を前提として,原告の行為が大犯罪であるとの意見ないし論評を
表明するものと解するのが相当である。そして,かかる事実の摘示及び意見ないし論評の表明は,上記(2)で述べたのと同様に,原告の社会的評価を低下させるものと認められる。
a論文B①の記述は,原告が義母の縁故を利用して原告記事Aを書いたとの事実を摘示するものと解されるが,上記(2)で述べたとおり,同事実は原告の社会的評価を低下させるものとは認められない。
(4)a論文C(甲5)の各記述について
a論文C①は,原告記事Aに意図的な事実のねじ曲げなどはなかったとする本件検証記事(認定事実(10))の内容を紹介する記載に続く記述であり,原告記者は意図的な事実の捏造を行ない,義母らが起こした裁判に有利になるように世論を誤導したというものであり,それに続き,

と私は見ている。

との記述があ
る。a論文C②は,初めて名乗り出た元慰安婦の女性の経歴について「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され,日本軍人相手に売春行為を強いられたと書いたのだ。」,

本人が語っていない経歴を勝手に作って記事に書く,これこそ捏造ではないか。

という記述であり,上記二つの記述の間に,当該女性であるiが女子挺身隊の名で戦場に連行されたとは語っていない旨の記載がある。a論文C⑥は,
a論文C②に続く記述であり,

原告記事の事実捏造はまだある。

というものである。a論文C③は,原告各記事においてiのキーセンに売られたとの経歴が報道されていない旨を指摘した上,原告記事Bにおいてiが地区の仕事をしている人にだまされて従軍慰安婦にされたと報道されていることにつき,iをだましたのは義父であると指摘する記載に続く記述であり,原告記者は義父を登場させると実の母にキーセンとして売られたという事実が明らかになるので,正体不明の「地区の仕事をしている人を出してきて,その人物にだまされたと書いたとしか思えない。(中略)これも捏造だ。」というものである。a論文C④は,原告の義母が,日本に補償を求めて起こした裁判の原告の一人であることを指摘する記載に続く記述であり,

彼の捏造記事によって結果として義母らの起こした裁判に有利な誤解が内外に広まった。

というものである。a論文C⑤は,a論文C④の後の記述であり,

もし,利害関係者だからこそ取れた特ダネであるからその禁を破って記事を書かせるとしても,事実関係の捏造は通常の場合以上に絶対にしてはならないことだ。

というものである。a論文C⑦は,a論文C⑤の後の記述であり,

原告記者の慰安婦報道は,事実を捏造して自分の身内らの裁判に有利になる記事を書いたものだ。

というものである。これらの記述を,証拠(甲5)から認められる同各記述の前後の記述も踏まえ,a論文Cの一般読者の普通の注意と読み方を基準としてその意味内容を解釈すると,a論文Cの各記述は,①原告が,義母の裁判を有利にするために意図的に事実と異なる記事を書いた(裁判所認定摘示事実2),②原告が,意図的に,iが女子挺身隊として日本軍によって戦場に強制連行されたとの,事実と異なる記事を書いた
(以下裁判所認定摘示事実3という。),③原告が,iのキーセンに身売りされたとの経歴を認識しながらあえて記事に記載しなかったという意味において,意図的に事実と異なる記事を書いた(裁判所認定摘示事実1)との事実を摘示するとともに,その事実を前提として,原告各記事によって結果として義母らの裁判に有利な誤解が内外に広まった,事実関係の捏造は絶対にしてはならないとの意見ない
し論評を表明するものと解するのが相当である。そして,かかる事実の摘示及び意見ないし論評の表明は,上記(2)で述べたのと同様に,原告の社会的評価を低下させるものと認められる。
(5)a論文D(甲6)の各記述について
a論文D①は,キーセンの検番に売られるなどiが日本軍の慰安所に連れて行か
れた経緯についての記載及び原告記事Aを紹介する記載に続く記述であり,

記事のなかで原告は,はっきりと強制連行の被害者としてi氏を紹介している。しかし,i氏自身は「女子挺身隊として連行された

などとは一度も言っていないのである。これは悪質な捏造ではないか。」というものである。a論文D②は,a論文D①に続く記述であり,

しかもi氏がキーセンとして売られたことも書いていない。


あえて「キーセンのことを書かないことで,強制連行をより強調したかったのか。誤報というよりも,あきらかに捏造である。」というものである。上記二つの記述の間では,原告記事Bにおいてもキーセンのことが触れられていない旨の記載がされている。a論文D③は,iが朝鮮人の養父に連れられて慰安所に行ったのであれば,日本軍による強制連行ではなかったことがはっきりするとの記載の後の記述であり,(さらに問題なのは)i氏が,「だまされて慰安婦にされたと話していることを,あえて主語を入れずにそのまま書いていることだ。いったい,誰にだまされたのか。肝心な事実をあいまいにすることで,読む側に強制連行を匂わせるような記事に仕立てた。」というものである。a論文D④は,朝鮮人の業者にだまされて慰安所に連れて行かれたケースと,日本軍によって挺身隊として強制的に慰安婦にさせられたケースを比べれば,後者の方が断然日本政府の責任が大きくなるとの記述に続くものであり,

原告記者は結果的に,自分の義母らが起こした裁判が有利になる捏造記事を書いたことになる。

というものである。これらの記述を,証拠(甲6)から認められる同各記述の前後の記述も踏まえ,a論文Dの一般読者の普通の注意と読み方を基準としてその意味内容を解釈すると,a論文Dの各記述は,①原告が,意図的に,iが女子挺身隊として日本軍によって
戦場に強制連行されたとの,事実と異なる記事を書いた(裁判所認定摘示事実3),②原告が,iのキーセンに身売りされたとの経歴を認識しながらあえて記事に記載しなかったという意味において,意図的に事実と異なる記事を書いた(裁判所認定摘示事実1)との事実を摘示するとともに,その事実を前提として,原告の行為が悪質であり,原告の記事は原告の義母の裁判を有利にする内容であったとの意見な
いし論評を表明するものと解するのが相当である。そして,かかる事実の摘示及び意見ないし論評の表明は,上記(4)で述べたのと同様に,原告の社会的評価を低下させるものと認められる。
(6)文春記事A及びa発言(甲7)について
文春記事A①は,文春記事Aの見出しであり,“慰安婦捏造”b新聞記者がお嬢様女子大教授にというものである。文春記事A②(a発言)は,原告記事Aの内容を紹介する記載の後の被告aの発言の引用であり,原告記者の記事には,『挺身隊の名で戦場に連行され』とありますが,挺身隊とは軍需工場などに勤労動員する組織で慰安婦とは全く関係がありません。しかも,このとき名乗り出た女性は親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き,韓国紙の取材にもそう答えている。原告はそうした事実に触れずに強制連行があったかのように記事を書いており,捏造記事と言っても過言ではありませんというものである。文春記事A③は,文春記事A②に続く記述であり,

ちなみに原告記者の妻は韓国人で,その母親は慰安婦支援団体の幹部を務めていた人物だ。

というものである。これらの記述を,証拠(甲7)から認められる同各記述の前後の記述も踏まえ,文春記事Aの一般読者の普通の注意と読み方を基準としてその意味内容を解釈する
と,文春記事Aの各記述及びa発言は,原告が,意図的に,原告記事Aで紹介されている女性(i)が女子挺身隊として日本軍によって戦場に強制連行されたとの,事実と異なる記事を書いた(裁判所認定摘示事実3)との事実を摘示するものと解するのが相当である。そして,かかる事実の摘示は,上記(4)で述べたのと同様に,原告の社会的評価を低下させるものと認められる。

以上のほか,文春記事A③は,原告の妻が韓国人で,その母親が慰安婦支援団体の幹部を務めていたとの事実を摘示するものと解されるが,同事実自体は原告の社会的評価を低下させるものとは認められない。
(7)文春記事B表現部分(甲8)について
文春記事B表現部分は,原告について,捏造と言えるほどの重大な誤りがある従
軍慰安婦に関する記事を書いた記者であり,現在,c大学の非常勤講師として韓国からの留学生を対象とする講義などを担当していると紹介する記載に続く記述であり,

韓国人留学生に対し,自らの捏造記事を用いて再び“誤った日本の姿”を刷り込んでいたとしたら,とんでもない売国行為だ。

というものである。上記記述を,証拠(甲8)から認められる文春記事B全体の記述も踏まえ,文春
記事Bの一般読者の普通の注意と読み方を基準としてその意味内容を解釈すると,文春記事B表現部分は,原告が,従軍慰安婦問題について,意図的に事実と異なる内容の記事を書いたとの事実を摘示するものと解するのが相当である。そして,かかる事実の摘示は,上記(4)で述べたのと同様に,原告の社会的評価を低下させるものと認められる。
3
争点2(違法性・責任阻却事由)について

(1)判断の前提
事実を摘示しての名誉毀損については,その行為が公共の利害に関する事実にかかり,かつ,その目的が専ら公益を図ることにあった場合に,摘示された事実がその重要な部分について真実であることの証明があったときには,上記行為には違法性がなく,仮に上記証明がないときにも,行為者において上記事実の重要な部分を
真実と信ずるに相当の理由があれば,その故意又は過失は否定され,不法行為は成立しない(最高裁昭和37年(オ)第815号同41年6月23日第一小法廷判決・民集20巻5号1118頁参照)。
また,ある事実を基礎としての意見ないし論評の表明による名誉毀損については,その行為が公共の利害に関する事実にかかり,かつ,その目的が専ら公益を図るこ
とにあった場合に,当該意見・論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときには,人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り違法性を欠き,さらに,意見ないし論評の前提としている事実が真実であることの証明がないときにも,行為者において当該事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば,その故意又は過失が否定される(最高裁
平成6年(オ)第978号同9年9月9日第三小法廷判決・民集51巻8号3804頁参照)。
(2)真実性・真実相当性について
上記(1)を前提として,まず,本件各表現が摘示する事実(裁判所認定摘示事実1ないし3)の真実性又は真実相当性について検討する。


a論文Aについて

上記2(2)で検討したとおり,a論文Aの各記述は,①原告が,iのキーセンに身売りされたとの経歴を認識しながらあえて記事に記載しなかったという意味において,意図的に事実と異なる記事を書いた(裁判所認定摘示事実1),②原告が,義母の裁判を有利にするために意図的に事実と異なる記事を書いた(裁判所認定摘示事実2)との事実を摘示するものである。
(ア)裁判所認定摘示事実1について
証拠(甲3)によれば,被告aは,認定事実(4)ア(ウ)のハンギョレ新聞の記事,認定事実(5)イの平成3年訴訟の訴状及び認定事実(6)アの月刊誌宝石の記事を閲読して,iがキーセンに身売りされたと認識したことが認められる。そして,上記各記事には,iが14歳の時に平壌にあるキーセンの検番に売られていった(ハンギョレ新聞),平壌にあった妓生専門学校の経営者に四十円で売られた(宝石)との記載があること,平成3年訴訟の訴状には,oという人の養女となり,一四歳からキーセン学校に三年間通ったとの記載があることからすれば,被告aが,iについて,キーセンに身売りされたものと信じたことについて相当の理由があると認められる。

そして,上記のような各記載があることからすると,被告aが,①原告も,原告各記事の執筆当時,iの上記経歴を認識していたと考えたこと,そのため,②原告が,上記経歴を認識していたにもかかわらず,原告各記事に上記経歴を記載しなかったものと考えて,③原告が,原告各記事の読者に対し,iが日本軍に強制連行されたとの印象を与えるために,あえて上記経歴を記載しなかったものと考えたこと
のいずれについても,推論として一定の合理性があると認められる。また,被告aは,平成10年頃から繰り返し,公刊物において,裁判所認定摘示事実1を摘示した上で,b新聞社の記者である原告を名指しで批判していた(認定事実(8),甲136ないし139)にもかかわらず,b新聞社及び原告は,平成26年8月に本件検証記事を掲載するまでの間,一切反論又は原告各記事について
の説明をしてこなかった(認定事実(7),(10))。そのため,被告aが,被告aによる各表現をするに当たり,自身の主張が真実であると信じるのはもっともなことといえる。
以上によれば,被告aが,裁判所認定摘示事実1が真実であると信じたことについて相当の理由があると認められる。
(イ)裁判所認定摘示事実2について
原告の義母が幹部を務める遺族会の会員らが平成3年訴訟を提起したこと,平成3年訴訟の原告らは日本軍が従軍慰安婦を強制連行したと主張していたこと,原告記事Aは平成3年訴訟提起の約4か月前に掲載され,原告記事Bは平成3年訴訟提起の約20日後に掲載されており,いずれも平成3年訴訟の提起と比較的近い時期に掲載されたとの各事情(前提事実(2),認定事実(5))に加えて,上記(ア)
のとおり,裁判所認定摘示事実1について真実相当性が認められることによれば,被告aが,原告が義母の裁判を有利にするために意図的に事実と異なる記事を書いたと考えたことについて,推論として一定の合理性があるものと認められる。また,被告aは,やはり,平成10年頃から繰り返し,公刊物において,裁判所認定摘示事実2を摘示してb新聞社の記者である原告を名指しで批判していた(認
定事実(8),甲136ないし139)。それにもかかわらず,b新聞社及び原告は,平成26年8月に本件検証記事を掲載するまでの間,一切反論又は原告各記事についての説明をしてこなかった(認定事実(7),(10))。そのため,被告aが,被告aによる各表現をするに当たり,自身の主張が真実であると信じるのはもっともなことといえる。

以上によれば,被告aが,裁判所認定摘示事実2が真実であると信じたことについて相当の理由があると認められる。

a論文Bについて

上記2(3)で検討したとおり,a論文Bの各記述は,①原告が,iのキーセンに身売りされたとの経歴を認識しながらあえて記事に記載しなかったという意味において,意図的に事実と異なる記事を書いた(裁判所認定摘示事実1),②原告が,義母の裁判を有利にするために意図的に事実と異なる記事を書いた(裁判所認定摘示事実2)との各事実を摘示するところ,これらの摘示事実については,上記アで認定判断したのと同様に,真実相当性が認められる。

a論文Cについて

上記2(4)で検討したとおり,a論文Cの各記述は,①原告が,義母の裁判を有利にするために意図的に事実と異なる記事を書いた(裁判所認定摘示事実2),②原告が,意図的に,iが女子挺身隊として日本軍によって戦場に強制連行されたとの,事実と異なる記事を書いた(裁判所認定摘示事実3),③原告が,iのキーセンに身売りされた経歴を認識しながらあえて記事に記載しなかったという意味において,意図的に事実と異なる記事を書いた(裁判所認定摘示事実1)との各事実
を摘示するものである。
(ア)裁判所認定摘示事実3について
a
原告記事Aが報道する事実の意味内容について

前提として,まず,原告記事Aが報道する事実の意味内容について検討する。原告記事Aは,その前文において,iを日中戦争や第二次大戦の際,「女子挺(てい)身隊の名で戦場に連行され,日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦」として紹介している。原告記事A前文の上記文言は,日本の組織・制度を想起させる女子挺身隊の文言と,連行の文言を結びつけて,「女子挺(てい)身隊の名で戦場に連行され」との表現を用いていること,また,原告記事Aの本文中には,iが従軍慰安婦となった経緯について,確かにだまされて慰安婦にされたとの記載があるものの,iをだました主体については記載がないことからすれば,原告記事Aは,iを従軍慰安婦として戦場に連行した主体について,専ら日本軍(又は日本の政府関係機関)を想起させるものといえる。この点は,認定事実(13)ア(ア)のとおり,本件調査報告書でも同様の指摘を受けているところである。

なお,①認定事実(1)エのとおり,原告記事Aが掲載された当時,国会においても,日本政府が従軍慰安婦を強制連行したか否かが論点となって質疑がされていたこと,②認定事実(1)ウのとおり,b新聞社は,原告記事Aの前後を挟んで,日本軍(又は日本の政府関係機関)の命令により女子挺身隊の名で多数の朝鮮人女性を強制連行したとする吉田供述を紹介する記事を掲載していたことも,上記の説示を補強する事情ということができる。
以上によれば,原告記事Aは,iが,日本軍(又は日本の政府関係機関)により,女子挺身隊の名で戦場に連行され,従軍慰安婦にさせられたとの事実を報道するものと認めるのが相当である。
b
原告が意図的に事実と異なる記事を書いたことについて

ところで,原告は,原告記事A執筆前の取材において,iにつき,同人はだまされて従軍慰安婦になったものと聞いており,iが日本軍に強制連行されたとの認識を有してはいなかった(認定事実(3)イ,甲115,乙8,24,原告本人)のであるから,上記aで認定した原告記事Aが報道する内容は,事実とは異なるものであったことが認められる。この点については,認定事実(13)イのとおり,b新聞社も,この女性(i)が

挺身隊の名で戦場に連行された事実はありません。


として,原告記事Aに対するおわびと訂正の記事を掲載している。そして,原告は,日本政府による従軍慰安婦の強制連行の有無に関する国会質疑(認定事実(1)エ)をきっかけに従軍慰安婦問題について関心を持ち,原告記事Aを執筆したこと(認定事実(3)),原告は,原告記事Aを執筆した当時,b新聞社の吉田供述を紹介する記事(認定事実(1)ウ)の存在を知っていたと優に推
察されることからすれば,原告は,原告記事Aを執筆した当時,日本軍が従軍慰安婦を戦場に強制連行したと報道するのとしないのとでは,報道の意味内容やその位置づけが変わり得ることを十分に認識していたものといえる。これに加えて,原告は,一般に記事中の言葉の選択には細心の注意を払うであろう新聞記者として,原告記事Aを執筆しているところ,問題となっている原告記事A中の文言は,一読し
て原告記事Aの全体像を読者に強く印象付けることとなる前文中の日中戦争や第二次大戦の際,「女子挺(てい)身隊の名で戦場に連行され,日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち,一人がソウル市内に生存していることがわかり」との文言であることを考慮すると,原告記事A中の上記文言は,原告が意識的に言葉を選択して記載したものであり,原告は,原告記事Aにおいて,意識的に,iを日本軍(又は日本の政府関係機関)により戦場に強制連行された従軍慰安婦として紹介したものと認めるのが相当である。すなわち,原告は,意図的に,事実と異なる原告記事Aを書いたことが認められ,裁判所認定摘示事実3は,その重要な部分について真実性の証明があるといえる。
c
原告の反論について

(a)これに対し,原告は,原告記事Aの「女子挺(てい)身隊の名で戦場に連行され」の表現は,原告が従軍慰安婦と女子挺身勤労令に基づく女子挺身隊を混同していたことによるものであり,韓国では,一般的に,女子挺身隊と従軍慰安婦が同じ意味で理解されており,日本国内においても,原告記事Aが掲載された当時は,上記の混同をした報道がされることが多かった旨主張する。原告の主張は,原告記事Aが,iが日本軍により強制連行されたと報道するものではなく,少なくと
も,原告にそのような報道の意図はなかったことを主張するものと理解される。しかしながら,仮に,原告が,女子挺身隊につき,従軍慰安婦を指す用語と誤解していたとしても,iを単に従軍慰安婦として紹介するのであれば,例えば,女子挺身隊であったとか,従軍慰安婦(女子挺身隊)であったとか,女子挺身隊の名で従軍慰安婦をしていたなどと記載すればよいのであって,女子挺身隊の名で戦場に連行されたと記載すべき理由はないと考えられる。仮に,原告が女子挺身隊と従軍慰安婦を混同していたとの前提に立ったとしても,女子挺身隊の名で戦場に連行されたと記載すれば,当該記載が専ら日本軍(又は日本の政府関係機関)による強制連行を想起させるのは上記aで説示したとおりであり,原告の上記主張は,真実性の証明についての上記認定判断を覆すものとはいえない。し
たがって,原告の上記主張を採用することはできない。
なお,原告作成の陳述書(甲115)には,原告記事Aの連行の文言は,強制の語が付いていないから強制連行を意味しない旨の記載があるが,連行の一般的な意義・用法に照らし,連行と強制連行との間に有意な意味の違いがあるとは認められないから,上記a及びbの認定判断は左右されない。(b)また,原告は,iは日本軍により強制連行されたと主張し,その証拠として,iの共同記者会見の映像の一部及び共同会見に立ち会った新聞記者の陳述書(甲109ないし111)を提出する。
しかしながら,原告は,原告記事Aの執筆前の取材において,iがだまされて従軍慰安婦になったと聞いたと自ら陳述し,供述している(甲115,原告本人)。これに加えて,原告は,上記共同記者会見の映像を平成26年中には見ていたとの
ことであるが(原告本人),それにもかかわらず,その後執筆した手記(認定事実(12))やインタビューにおいて,上記映像について何ら言及してはいない(甲9,71)。これらの事実に照らすと,原告の上記主張を採用することもできない。(イ)裁判所認定摘示事実1及び2について
被告aが,裁判所認定摘示事実1が真実であると信じたことについて相当の理由
があると認められることは,上記ア(ア)と同様である。また,上記ア(イ)で説示したところに加え,上記(ア)のとおり,裁判所認定摘示事実3について真実性が認められることによれば,被告aが,裁判所認定摘示事実2が真実であると信じたことについて相当の理由があると認められる。

a論文Dの各記述について

上記2(5)で検討したとおり,a論文Dの各記述は,①原告が,意図的に,iが女子挺身隊として日本軍によって戦場に強制連行されたとの,事実と異なる記事を書いた(裁判所認定摘示事実3),②原告が,iのキーセンに身売りされたとの経歴を認識しながらあえて記事に記載しなかったという意味において,意図的に事実と異なる記事を書いた(裁判所認定摘示事実1)との事実を摘示するところ,上
記ウ(ア)で認定判断したとおり,裁判所認定摘示事実3については真実性が認められ,上記ア(ア)で認定判断したとおり,裁判所認定摘示事実1については真実相当性が認められる。

文春記事A及びa発言について

上記2(6)で検討したとおり,文春記事A及びa発言は,原告が,意図的に,原告記事Aで紹介されている女性(i)が女子挺身隊として日本軍によって戦場に強制連行されたとの,事実と異なる記事を書いた(裁判所認定摘示事実3)との事実を摘示するところ,上記ウ(ア)で認定判断したとおり,裁判所認定摘示事実3については真実性が認められる。

文春記事B表現部分について

上記2(7)で検討したとおり,文春記事B表現部分は,原告が,従軍慰安婦問題について,事実と異なる内容の記事を意図的に書いたとの事実を摘示するところ,上記ウ(ア)で認定判断したとおり,裁判所認定摘示事実3については真実性が認められるから,文春記事B表現部分が摘示する上記事実についても,全体として真実性が認められる。
(3)本件各表現における意見ないし論評について

本件各表現において表明されている意見ないし論評は,いずれも,上記(2)で認定判断したとおり,その前提事実が重要な部分について真実か,真実と信じるについて相当な理由がある上,その内容に鑑み,人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものとは認められない。
(4)公共性・公益目的について


判断

本件各表現は,いずれも,従軍慰安婦問題に関する原告各記事について,意図的に事実と異なる報道がされたなどとして,原告を批判する内容のものであるところ,その目的は,従軍慰安婦問題に関する原告各記事の内容や原告の新聞記者としての報道姿勢を批判することにあったものと認められる。
そして,証拠(乙8,24)によれば,従軍慰安婦問題は,日韓関係の問題にとどまらず,国連やアメリカ議会等でも取り上げられるような国際的な問題となっているものと認められるから,本件各表現は,公共の利害に関する事実にかかり,かつ,その目的が専ら公益を図ることにあったと認められる。

原告の反論について

(ア)被告aによる各表現について
これに対し,原告は,被告aによる各表現について,裏付けがないまま原告を繰り返し苛烈に攻撃するものであり,特に原告が平成26年3月末にb新聞社を退職した後の批判は,報道関係者ではなく,大学で勤務する市民である原告に対する攻撃であり,目的が専ら公益を図ることにあったとはいえないと反論する。しかしながら,上記(2),(3)で認定判断したとおり,被告aによる各表現
に係る摘示事実については,真実性又は真実相当性が認められ,意見ないし論評についても人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評の域を逸脱しているものとは認められない。また,原告が平成26年3月にb新聞社を退社した後も,b新聞社が,同年8月に本件検証記事を掲載し(認定事実(10)),同年10月には第三者委員会に対して,b新聞が行ってきた従軍慰安婦報道に関する調査及び提言を行うことを
委嘱し,これを受け,第三者委員会が同年12月に本件調査報告書を提出する(認定事実(13)ア)など,引き続き従軍慰安婦問題に対する社会的な関心は高かったといえるから,原告がb新聞社を退社した同年3月末以降に被告aが原告を批判したことは,その公益目的を否定する事情には当たらない。
したがって,原告の上記反論を採用することはできない。

(イ)被告会社による各表現について
また,原告は,被告会社による各表現について,原告自身の経歴や私生活上の事実をさらすものであって,原告の個人攻撃を目的とするものであるから,公共の利害に関する事実にかかるとはいえず,また,専ら公益を図る目的に出た場合とはいえないと反論する。

しかしながら,被告会社による各表現は,原告の大学教授としての適格性について問題提起をする前提として,原告が,従軍慰安婦問題について,意図的に事実と異なる内容の記事を書いたとの事実を摘示するものであるところ,これらの事実摘示自体に公共性及び公益目的の認められることは上記アで説示したとおりである。そして,後記4の認定判断のとおり,文春記事A及びBについて,原告のプライバシーの侵害や,就業先への抗議活動等の扇動があったとは認められないことからすると,原告の上記反論を採用することはできない。
(5)小括
以上のとおり,本件各表現は,公共の利害に関する事実にかかり,かつ,その目的が専ら公益を図ることにあったものと認められる。また,本件各表現により摘示された事実又は意見ないし論評の前提としている事実の重要な部分について真実で
あると証明されているか,事実の重要な部分を真実と信ずるについて相当の理由があると認められる。そして,本件各表現による意見ないし論評が,原告に対する人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評の域を逸脱しているものとは認められない。したがって,本件各表現のうち原告の社会的評価を低下させる部分について,違法性又は責任が阻却され,被告らは,原告に対し,名誉毀損による不法行為責任を
負わない。
4
争点3(原告の平穏な生活を営む法的利益の侵害)について

原告は,文春記事A及びBにより,プライバシー権や平穏な生活を営む法的利益が侵害されたとして,名誉毀損とは別個の不法行為が成立する旨主張する。そこで検討すると,文春記事Aは,上記2(6)で検討したとおり,原告が,意図的に,原告記事Aで紹介されている女性(i)が女子挺身隊として日本軍によって戦場に強制連行されたとの,事実と異なる記事を書いたという裁判所認定摘示事実3を摘示した上で,

総括すべきなのは,最初に署名入りで報じた原告記者も同じだ。だが,なんと今年三月でb新聞を早期退社し,四月から神戸を代表するお嬢様女子大,h大学の教授になるのだという。

と記載し,さらに,本人は『ライフワークである日韓関係や慰安婦問題に取り組みたい』と言っているようですとのb新聞関係者の発言を紹介している(甲7)。また,文春記事Bは,上記2(7)で検討したとおり,原告が,従軍慰安婦問題について,意図的に事実と異なる内容の記事を書いたとの事実を摘示するものであるが,記事全体の内容は,原告がc大学の非常勤講師を務め,同大学において,主に韓国からの留学生を対象に,メディアで読む日本そして世界という講義などを担当していると報じた後に,

韓国人留学生に対し,自らの捏造記事を用いて再び“誤った日本の姿”を刷り込んでいたとしたら,とんでもない売国行為だ。

とのコメントを付すというものである(甲8)。これらの文春記事A及びBの記載内容に照らすと,文春記事A及びBは,原告が,従軍慰安婦について意図的に事実と異なる記事を書いたにもかかわらず,大学の教員を務め,韓国人留学生等に対して講義をすることの妥当性につい
て問題提起をする目的で執筆されたものと認められる。
そして,証拠(乙8,24)及び弁論の全趣旨によれば,従軍慰安婦問題は,文春記事A及びBが掲載された平成26年当時においても国際的に重要な問題であったと認められること,大学の教員を誰が務めるかは,大学と教員との間の私的な事項にとどまらず,公共の利害にも関わる事柄といえることを考慮すると,被告会社
が,従軍慰安婦問題に関する記事を執筆した原告について,意図的に異なる事実を記事に記載したと批判して,原告の大学教員としての適格性等について問題提起をすること自体は,表現の自由の正当な行使の範囲内に属する行為というべきである。また,認定事実(9)及び(11)のとおり,文春記事Aや文春記事Bを読み,原告の就職予定先や勤務先を知った読者の一部が,h大学及びc大学に対し,原告を
雇用することについて抗議をしたことが認められるが,文春記事A及びBは,その記載内容に照らし,原告の就職内定先又は就業先である上記各大学への抗議を扇動するものとは認められない。なお,原告は,文春記事A中の本人は『ライフワークである日韓関係や慰安婦問題に取り組みたい』と言っているようですとb新聞関係者が述べたことは虚偽である旨主張するが,同記載が虚偽であることを認
めるに足りる証拠は見当たらない。
以上によれば,被告会社が文春記事A及びBを掲載した行為は,原告のプライバシー権や平穏な生活を営む法的利益等を侵害する不法行為に該当するとは認められず,原告の主張を採用することはできない。
第4

結論

よって,その余の点(争点4)について判断するまでもなく,原告の請求はいずれも理由がないからこれらを棄却することとして,主文のとおり判決する。東京地方裁判所民事第32部

裁判長裁判官

原克
裁判官


裁判官

小久保

也古剛珠美
当事者の表示及び別紙代理人目録は,記載を省略

別紙
投稿目録
1
(URL省略)

2

最初のb新聞のスクープは,iさんが韓国で記者会見する三日前です。なぜ,こんなことができたかというと,原告記者はiさんも加わっている訴訟の原告組織「太平洋戦争犠牲者遺族会

のリーダー的存在であるm常任理事の娘の夫なのです。つまり,原告のリーダーが義理の母であったために,iさんの単独インタビューがとれたというカラクリです。」
いま,テレビ番組「あるある大事典?の捏造が問題になっていますが,b新聞の最初の報道はただ部数を伸ばすためだけでなく,記者が自分の義母の裁判を有利
にするために,意図的にキーセンに身売りしたという事実を報じなかったという大犯罪なのです。」

別紙
謝罪広告目録
1
弊社及びaは,週刊文春2014年2月6日号に“慰安婦捏造”b新聞記者がお嬢様女子大教授にと題した記事を掲載し,その中で,原告が,1991年に所謂従軍慰安婦について書いた記事が捏造であったと記載致しましたが,全くの誤りでしたので,記事を取り消した上で,原告に謝罪を致します。
年月日株式a
2
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週刊文春

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別紙
原告執筆記事目録
1
思い出すと今も涙
元朝鮮人従軍慰安婦

戦後半世紀

重い口開く

日中戦争や第二次大戦の際,女子挺(てい)身隊の名で戦場に連行され,日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち,一人がソウル市内に生存していることがわかり,韓国挺身隊問題対策協議会(l・共同代表,十六団体約三十万人)が聞き取り作業を始めた。同協議会は十日,女性の話を録音したテープをb新聞記者に公開した。テープの中で女性は思い出すと今でも身の毛がよだつと語っている。体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が,戦後半世紀近くたって,やっと開き始めた。
韓国の団体聞き取り

l代表らによると,この女性は六十八歳で,ソウル市内に一人で住んでいる。最近になって,知人から体験を伝えるべきだと勧められ,対策協議会を訪れた。メンバーが聞き始めると,しばらく泣いた後で話し始めたという。女性の話によると,中国東北部で生まれ,十七歳の時,だまされて慰安婦にされた。二,三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を
使っていた。五人の朝鮮人女性がおり,一人に一室が与えられた。女性は春子(仮名)と日本名を付けられた。一番年上の女性が日本語を話し,将校の相手をしていた。残りの四人が一般の兵士二,三百人を受け持ち,毎日三,四人の相手をさせられたという。

監禁されて,逃げ出したいという思いしかなかった。相手が来ないように思いつづけた

という。また週に一回は軍医の検診があった。数カ月働かされたが,逃げることができ,戦後になってソウルへ戻った。結婚したが夫や子供も亡くなり,現在は生活保護を受けながら,暮らしている。
女性は

何とか忘れて過ごしたいが忘れられない。あの時のことを考えると腹が立って涙が止まらない

と訴えている。朝鮮人慰安婦は五万人とも八万人ともいわれるが,実態は明らかでない。l代表らはこの体験は彼女だけのものでなく,あの時代の韓国女性たちの痛みなのですと話す。九月からは事務所内に,挺身隊犠牲者申告電話を設置する。昨年十月には三十六の女性団体が,挺身隊問題に関して海部首相に公開書簡を出すなど,韓国内でも関心が高まり,十一月に同協議会が結成された。十日には,韓国放送公社(KBS)の討論番組でも,挺身隊問題が特集された。
2
かえらぬ青春

恨の半生

韓国の太平洋戦争犠牲者遺族会の元朝鮮人従軍慰安婦,元軍人・軍属やその遺族三十五人が今月六日,日本政府を相手に,戦後補償を求める裁判を東京地裁に起こした。慰安婦だった原告は三人。うち二人は匿名だが,i(i)さん(六七)=ソウル在住=だけは実名を出し,来日した。元慰安婦が裁判を起こしたのは初めてのことだ。裁判の準備のため,弁護団と日本の戦後責任をハッキリさせる会(ハッキリ会)は四度にわたり韓国を訪問した。弁護士らの元慰安婦からの聞き取
り調査に同行し,iさんから詳しい話を聞いた。恨(ハン)の半生を語るその証言テープを再現する。
17歳の春
私は満州(現中国東北部)の吉林省の田舎で生まれました。父が,独立軍の仕事を助ける民間人だったので満州にいたのです。私が生後百日位の時,父が死に,その後,母と私は平壌へ行きました。貧しくて学校は,普通学校(小学校)四年で,やめました。その後は子守をしたりして暮らしていました「そこへ行けば金もうけができる。こんな話を,地区の仕事をしている人に言われました。仕事の中身はいいませんでした。近くの友人と二人,誘いに乗りました。十七歳(数え)の春(一九三九年)でした」
平壌駅から軍人たちと一緒の列車に乗せられ,三日間。北京を経て,小さな集落に連れて行かれました。怖かったけれど,我慢しました。真っ暗い夜でした。私と,友人は将校のような人に,中国人が使っていた空き家の暗い部屋に閉じ込められたのです。鍵(かぎ)をかけられてしまいました。しまったと思いました

翌朝,馬の声に気づきました。隣には三人の朝鮮人の女性がいました。その人たちから「おまえたちは,本当にばかなことをした。こんなところに来て

と言わ
れました。逃げなければならないと思ったのですが,周りは軍人でいっぱいでした。友人と別にされ,将校に言う通りにしろと言われました」
日本政府を提訴した元従軍慰安婦・iさん
ウソは許せない

私が生き証人

関与の事実を

認めて謝罪を

将校は私を暗い部屋に連れて行って,「服を脱げと言いました。恐ろしくて,従うしかありませんでした。そのときのことはしゃべることさえ出来ません。夜明け前,目が覚めると将校が横で寝ていました。殺したかった。でも,出来ませんでした。私が連れて行かれた所は,北支(中国北部)カッカ県テッペキチンというところだということが後で分かりました」
赤塀の家

この慰安所は赤い塀の家でした。近くには民間人はいません。軍と私たちだけでした。五人の女性がおりました。二十二歳で最年長のシズエは将校だけを相手にしていました。サダコ,ミヤコ,それに友人のエミコ。私はアイコと呼ばれていました。近くの部隊は三百人くらいでした。その部隊について,移動するのです軍人たちは,サックをもってきました。朝八時を過ぎたら,やって来て,夜は将校が泊まることもありました。休む暇はありません。長い人でも三十分以内でした。でないと外から声がするのです。多いときは二十人以上相手することもありました。しかし,戦闘の時は,静かでした。「ダ,ダ,ダという銃撃の音が聞こえるときもありました。お金などはもらったこともありません」

食べ物は軍人たちがもって来ました。米やミソ,おかずなど。台所があり,自分たちで作って食べました

テッペキチンには一カ月半いて,また別のところに移動しましたが,名前は覚えていません。そうこうするうちに,肺病になりました

ずっと逃げたいと思っていました。そんなある夜,私の部屋に,男の人が忍びこんできました。びっくりしましたが,その人は「私も朝鮮人で寝るところがなくて来た

と言いました。両替商をしているという,その人に助けてくれるように頼
み,一緒に逃げました。他の人まで連れて行くような余裕はありませんでした。その年の秋のことでした」
解放の後
南京,蘇州などを経て,上海へ行き,その人と夫婦になりました。質屋をやり,娘と息子が生まれました。一九四六年の夏に,船で仁川へ戻り,ソウルの難民収容所に入りました。そこで娘が死にました。そのあと,ソウルで部屋を借り,私はノリ売りの商売を始め,夫は掃除夫になりました夫は酒を飲むと,「お前が慰安所にいたのを助けてやったではないかと言って,私を苦しめました。その夫も,朝鮮戦争の動乱の中で死に,息子を育てながら行商しながら生活していました。しかし,その息子も小学校四年の時に水死しまし
た。」
生きていこうという気持ちもなくなりました。死ぬことしか考えませんでした。金羅道,慶尚道,済州道など全国を転々としました。酒やたばこをやり,人生を放棄したような生活を続けていました。十年ぐらい前に,これじゃだめだと思い始めました。ソウルに来ました。家政婦をやったお金で,小さな部屋を借りています。私の不幸は慰安所に足を踏み入れてから始まったのです。この恨みをどこにぶつけようか。だれにも言えず苦しんでいました。今は月に米十キロと三万ウォン(約五千二百円)の生活保護を貰っています募る怒り
いくらお金をもらっても,捨てられてしまったこのからだ,取り返しがつきません。日本政府は歴史的な事実を認めて,謝罪すべきです。若い人がこの問題をわかるようにして欲しい。たくさんの犠牲者がでています。碑を建ててもらいたい。二度とこんなことは繰り返して欲しくない

日本政府がウソを言うのがゆるせない。生き証人がここで証言しているじゃないですか

これまで韓国に戻った元慰安婦たちは,沈黙を続けていた。ところが,昨年六月,
日本政府は強制連行に関する国会で従軍慰安婦は民間業者が連れ歩いたなど軍や政府の関与を否定する答弁をし,その後も資料がないなどと繰り返してきた。こうしたニュースを聞いたiさんは,自分が生き証人だと今年夏に,はじめて名乗りでた。原告三人の外にも最近,体験を公表する女性が出て来た。一方,ハッキリ会((電話番号省略),東京都渋谷区(住所省略))も慰安婦に
関する情報を集めるなど調査を続けている。

【訴訟代理人弁護士】
中山武敏

渡辺達生

田中宏

黒岩哲彦

小野寺信勝

髙崎暢

海渡雄一

池田賢太

上田絵理

角田由紀子

佐藤博文

齋藤耕

神原元

今橋直

宇部雄介

中川重徳

秀嶋ゆかり

庄司捷彦

泉澤章

田中健太郎

新里宏二

伊藤誠一

神保大地

杉山茂雅

山田博

坂口禎彦

内藤雅義

中山敦雄

山口紀洋

南典男

前川雄司

田中隆

福山洋子

緒方蘭

山川幸生

穂積剛

萩尾健太

山本志都

鳴尾節夫

千葉恵子

山本政明

野澤裕昭

森孝博

志村新

今村幸次郎

青木孝

今泉義竜

深井剛志

梓澤和幸

指宿昭一

殷勇基

枝川充志

鷲見賢一郎

伊藤真

児玉勇二

大﨑潤一

岡崎敬

小島好己

渡部照子

一瀬敬一郎

小野寺利孝

林治

稲見秀登

小林節

齊藤園生

宇都宮健児

森田太三

吉村功志

下林秀人

神山美智子

武谷直人

吉田哲也

杉浦ひとみ

穂積匡史

河村健夫

西田美樹

永田亮

海部幸造

石田武臣

宋惠燕

宮川泰彦

川上詩朗

杉本朗

窪田之喜

打越さく良

岩村智文

原和良

大江京子

飯田学史

戸舘圭之

中本源太郎

海渡双葉

髙橋俊彦

田場暁生

小賀坂徹

大谷恭子

土肥尚子

武井由起子

佐藤誠一

内田雅敏

伊須慎一郎

梶山敏雄

伊藤勤也

北澤貞男

横地明美

【訴訟復代理人弁護士】

佐藤智宏

岩月浩二

川上麻里江

村木一郎

松本篤周

大賀浩一

及川智志

水野幹男

佐野雅則

中谷雄二

萩原繁之

福井悦子

西ヶ谷知成

小笠原伸児

内山宙

岡根竜介

梶原利之

佐野就平

廣瀬理夫

諸富健

萩野谷興

飯田昭

毛利正道

大河原壽貴

嶋田久夫

河合良房

鈴木克昌

見田村勇磨

斎藤匠

笹田参三

外塚功

五來則男

愛須勝也

梁英子

笠松健一

北岡秀晃

小野順子

佐藤真理

笠原一浩

上山勤

吉田恒俊

薦田伸夫

城塚健之

中谷祥子

井戸謙一

杉島幸生

冨島淳

元永佐緒里

正木みどり

島田広

高橋敬幸

a芳樹

吉川健司

内山新吾

長野真一郎

坪田康男

谷脇和仁

海道宏実

清水善朗

平岡秀夫

井上正信

下東信三

星野圭

迫田登紀子

赤嶺朝子

大森典子

猿田佐世
別紙
投稿目録
1
(URL省略)

2

最初のb新聞のスクープは,iさんが韓国で記者会見する三日前です。なぜ,こんなことができたかというと,原告記者はiさんも加わっている訴訟の原告組織「太平洋戦争犠牲者遺族会

のリーダー的存在であるm常任理事の娘の夫なのです。つまり,原告のリーダーが義理の母であったために,iさんの単独インタビューがとれたというカラクリです。」
いま,テレビ番組「あるある大事典?の捏造が問題になっていますが,b新聞の最初の報道はただ部数を伸ばすためだけでなく,記者が自分の義母の裁判を有利
にするために,意図的にキーセンに身売りしたという事実を報じなかったという大犯罪なのです。」

別紙
謝罪広告目録
1
弊社及びaは,週刊文春2014年2月6日号に“慰安婦捏造”b新聞記者がお嬢様女子大教授にと題した記事を掲載し,その中で,原告が,1991年に所謂従軍慰安婦について書いた記事が捏造であったと記載致しましたが,全くの誤りでしたので,記事を取り消した上で,原告に謝罪を致します。
年月日株式a
2
掲載媒体

週刊文春

掲載場所

目次の次の頁

大きさ

217mm×145mm


白地

フォント

12ポイント

文字は黒色

会社文藝春秋
別紙
原告執筆記事目録
1
思い出すと今も涙
元朝鮮人従軍慰安婦

戦後半世紀

重い口開く

日中戦争や第二次大戦の際,女子挺(てい)身隊の名で戦場に連行され,日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち,一人がソウル市内に生存していることがわかり,韓国挺身隊問題対策協議会(l・共同代表,十六団体約三十万人)が聞き取り作業を始めた。同協議会は十日,女性の話を録音したテープをb新聞記者に公開した。テープの中で女性は思い出すと今でも身の毛がよだつと語っている。体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が,戦後半世紀近くたって,やっと開き始めた。
韓国の団体聞き取り

l代表らによると,この女性は六十八歳で,ソウル市内に一人で住んでいる。最近になって,知人から体験を伝えるべきだと勧められ,対策協議会を訪れた。メンバーが聞き始めると,しばらく泣いた後で話し始めたという。女性の話によると,中国東北部で生まれ,十七歳の時,だまされて慰安婦にされた。二,三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を
使っていた。五人の朝鮮人女性がおり,一人に一室が与えられた。女性は春子(仮名)と日本名を付けられた。一番年上の女性が日本語を話し,将校の相手をしていた。残りの四人が一般の兵士二,三百人を受け持ち,毎日三,四人の相手をさせられたという。

監禁されて,逃げ出したいという思いしかなかった。相手が来ないように思いつづけた

という。また週に一回は軍医の検診があった。数カ月働かされたが,逃げることができ,戦後になってソウルへ戻った。結婚したが夫や子供も亡くなり,現在は生活保護を受けながら,暮らしている。
女性は

何とか忘れて過ごしたいが忘れられない。あの時のことを考えると腹が立って涙が止まらない

と訴えている。朝鮮人慰安婦は五万人とも八万人ともいわれるが,実態は明らかでない。l代表
らはこの体験は彼女だけのものでなく,あの時代の韓国女性たちの痛みなのですと話す。九月からは事務所内に,挺身隊犠牲者申告電話を設置する。昨年十月には三十六の女性団体が,挺身隊問題に関して海部首相に公開書簡を出すなど,韓国内でも関心が高まり,十一月に同協議会が結成された。十日には,韓国放送公社(KBS)の討論番組でも,挺身隊問題が特集された。
2
かえらぬ青春
恨の半生

韓国の太平洋戦争犠牲者遺族会の元朝鮮人従軍慰安婦,元軍人・軍属やその遺族三十五人が今月六日,日本政府を相手に,戦後補償を求める裁判を東京地裁に起こした。慰安婦だった原告は三人。うち二人は匿名だが,i(i)さん(六七)=ソウル在住=だけは実名を出し,来日した。元慰安婦が裁判を起こしたのは初めてのことだ。裁判の準備のため,弁護団と日本の戦後責任をハッキリさせる会
(ハッキリ会)は四度にわたり韓国を訪問した。弁護士らの元慰安婦からの聞き取り調査に同行し,iさんから詳しい話を聞いた。恨(ハン)の半生を語るその証言テープを再現する。
17歳の春
私は満州(現中国東北部)の吉林省の田舎で生まれました。父が,独立軍の仕事を助ける民間人だったので満州にいたのです。私が生後百日位の時,父が死に,その後,母と私は平壌へ行きました。貧しくて学校は,普通学校(小学校)四年で,やめました。その後は子守をしたりして暮らしていました「そこへ行けばiもうけができる。こんな話を,地区の仕事をしている人に言われました。仕事の中身はいいませんでした。近くの友人と二人,誘いに乗りました。十七歳(数え)の春(一九三九年)でした」
平壌駅から軍人たちと一緒の列車に乗せられ,三日間。北京を経て,小さな集落に連れて行かれました。怖かったけれど,我慢しました。真っ暗い夜でした。私と,友人は将校のような人に,中国人が使っていた空き家の暗い部屋に閉じ込められたのです。鍵(かぎ)をかけられてしまいました。しまったと思いました

翌朝,馬の声に気づきました。隣には三人の朝鮮人の女性がいました。その人たちから「おまえたちは,本当にばかなことをした。こんなところに来て

と言われました。逃げなければならないと思ったのですが,周りは軍人でいっぱいでした。友人と別にされ,将校に言う通りにしろと言われました」
日本政府を提訴した元従軍慰安婦・iさん

ウソは許せない

私が生き証人

関与の事実を

認めて謝罪を

将校は私を暗い部屋に連れて行って,「服を脱げと言いました。恐ろしくて,従うしかありませんでした。そのときのことはしゃべることさえ出来ません。夜明け前,目が覚めると将校が横で寝ていました。殺したかった。でも,出来ませんでした。私が連れて行かれた所は,北支(中国北部)カッカ県テッペキチンというところだということが後で分かりました」
赤塀の家
この慰安所は赤い塀の家でした。近くには民間人はいません。軍と私たちだけでした。五人の女性がおりました。二十二歳で最年長のシズエは将校だけを相手にしていました。サダコ,ミヤコ,それに友人のエミコ。私はアイコと呼ばれていました。近くの部隊は三百人くらいでした。その部隊について,移動するのです軍人たちは,サックをもってきました。朝八時を過ぎたら,やって来て,夜は将校が泊まることもありました。休む暇はありません。長い人でも三十分以内でした。でないと外から声がするのです。多いときは二十人以上相手することもありました。しかし,戦闘の時は,静かでした。「ダ,ダ,ダという銃撃の音が聞こえるときもありました。お金などはもらったこともありません」

食べ物は軍人たちがもって来ました。米やミソ,おかずなど。台所があり,自分たちで作って食べました

テッペキチンには一カ月半いて,また別のところに移動しましたが,名前は覚えていません。そうこうするうちに,肺病になりました


ずっと逃げたいと思っていました。そんなある夜,私の部屋に,男の人が忍びこんできました。びっくりしましたが,その人は「私も朝鮮人で寝るところがなくて来た

と言いました。両替商をしているという,その人に助けてくれるように頼み,一緒に逃げました。他の人まで連れて行くような余裕はありませんでした。その年の秋のことでした」

解放の後
南京,蘇州などを経て,上海へ行き,その人と夫婦になりました。質屋をやり,娘と息子が生まれました。一九四六年の夏に,船で仁川へ戻り,ソウルの難民収容所に入りました。そこで娘が死にました。そのあと,ソウルで部屋を借り,私はノリ売りの商売を始め,夫は掃除夫になりました
夫は酒を飲むと,「お前が慰安所にいたのを助けてやったではないかと言って,私を苦しめました。その夫も,朝鮮戦争の動乱の中で死に,息子を育てながら行商しながら生活していました。しかし,その息子も小学校四年の時に水死しました。」
生きていこうという気持ちもなくなりました。死ぬことしか考えませんでした。金羅道,慶尚道,済州道など全国を転々としました。酒やたばこをやり,人生を放棄したような生活を続けていました。十年ぐらい前に,これじゃだめだと思い始めました。ソウルに来ました。家政婦をやったお金で,小さな部屋を借りています。私の不幸は慰安所に足を踏み入れてから始まったのです。この恨みをどこにぶつけようか。だれにも言えず苦しんでいました。今は月に米十キロと三万ウォン(約五千二百円)の生活保護を貰っています募る怒り
いくらお金をもらっても,捨てられてしまったこのからだ,取り返しがつきません。日本政府は歴史的な事実を認めて,謝罪すべきです。若い人がこの問題をわかるようにして欲しい。たくさんの犠牲者がでています。碑を建ててもらいたい。二度とこんなことは繰り返して欲しくない

日本政府がウソを言うのがゆるせない。生き証人がここで証言しているじゃないですか

これまで韓国に戻った元慰安婦たちは,沈黙を続けていた。ところが,昨年六月,日本政府は強制連行に関する国会で従軍慰安婦は民間業者が連れ歩いたなど軍
や政府の関与を否定する答弁をし,その後も資料がないなどと繰り返してきた。こうしたニュースを聞いたiさんは,自分が生き証人だと今年夏に,はじめて名乗りでた。原告三人の外にも最近,体験を公表する女性が出て来た。一方,ハッキリ会((電話番号省略),東京都渋谷区(住所省略))も慰安婦に関する情報を集めるなど調査を続けている。

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