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被爆者健康手帳申請却下処分取消等請求事件
事件番号平成28(行ウ)9
事件名被爆者健康手帳申請却下処分取消等請求事件
裁判年月日平成31年1月8日
法廷名長崎地方裁判所
裁判日:西暦2019-01-08
情報公開日2019-01-22 16:00:12
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平成31年1月8日判決言渡
平成28年(行ウ)第9号
口頭弁論終結の日

同日原本領収

裁判所書記官

被爆者健康手帳申請却下処分取消等請求事件

平成30年9月18日
判主1決文
長崎市長が原告aに対してした平成28年3月22日付け被爆者健康手帳交付申請却下処分を取り消す。

2
長崎市長が原告bに対してした平成28年3月22日付け被爆者健康手帳交付申請却下処分を取り消す。

3
長崎市長は,原告らに対し,被爆者健康手帳を交付せよ。

4
原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

5
訴訟費用のうち,原告らと被告長崎市との間に生じた費用は,これを10分し,その3を原告らの,その7を被告長崎市の負担とし,原告らと被告国との間に生じた費用は,これを原告らの負担とする。

第1

実及び理由
請求

1
主文1項ないし3項と同旨

2
被告らは,原告aに対し,連帯して110万円を支払え。

3
被告らは,原告bに対し,連帯して110万円を支払え。

第2
1
事案の概要等
本件は,大韓民国(以下韓国という。)に在住する原告らが,原告らは,昭和20年8月9日に原子爆弾(以下原爆という。)が投下された際,当時の長崎市の区域内(以下,昭和20年8月9日当時の長崎市の区域内を旧長崎市内という。)に在り,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下被爆者援護法又は法という。)1条1号に該当するに
もかかわらず,長崎市長が原告らの申請に係る被爆者援護手帳の交付申請を却下した処分は,いずれも違法であるなどと主張し,被告長崎市に対し,長崎市長が原告らに対してした前記各却下処分の取消し及び被爆者健康手帳の交付の義務付けを求め
(以下,
この請求を
本件義務付けの訴え
という。,

被爆者援護法の趣旨に反するものであることを認識しながら,被告国の誤った指示や通達等に基づき,前記各却下処分がなされたことにより,原告らが精神的苦痛を受けたなどと主張し,被告らに対し,国家賠償法(以下国賠法という。)1条1項に基づき,慰謝料及び弁護士費用相当額の連帯支払を求める事案である。
2
法令等の定め


被爆者援護法の定め

被爆者援護法は,前文で,国の責任において,原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ,高齢化の進行している被爆者に対する保健,医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じることなどを目的とする旨定めている。


被爆者援護法における被爆者とは,法1条各号のいずれかに該当
する者であって,被爆者健康手帳の交付を受けたものをいうところ,同条1号は原子爆弾が投下された際当時の広島市若しくは長崎市の区域内又は政令で定めるこれらに隣接する区域内に在った者と定めている。


法2条1項,
49条は,
被爆者健康手帳の交付を受けようとする者は,
その居住地の都道府県知事(ただし,広島市又は長崎市にあっては,市長。以下,併せて都道府県知事等という。)に申請しなければならない旨を定め,原子爆弾被爆者に対する保護に関する法律施行規則1条1項は,当該申請をしようとする者は,交付申請書に,その者が法1条
各号のいずれかに該当する事実を認めることができる書類を添えて提出しなければならないと定めている。

法2条2項,49条は,被爆者健康手帳の交付を受けようとする者であって,国内に居住地又は現在地を有しない者は,政令で定めるところにより,その者が法1条各号に規定する事由のいずれかに該当したとする当時現に所在していた場所を管轄する都道府県知事等に申請することができる旨を定め,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行令1条の2は,当該申請を行う者の住所を管轄する領事館又は最寄りの領事館を経由して行わなければならない旨を定めている。


法2条3項,49条は,都道府県知事等は,申請に基づいて審査し,申請者が法1条各号のいずれかに該当すると認めるときは,その者に被爆者健康手帳を交付するものとする旨を定めている。



昭和49年7月22日付け衛発第402号厚生省公衆衛生局長通達(以下402号通達という。)について
昭和49年7月22日付けで発出された402号通達においては,原子爆弾被爆者に関する特別措置に関する法律(当時)は,日本国内に居住関係を有する被爆者に対してのみ適用されるものであり,被爆者が
我が国の領域を越えて居住地を移した場合には,同法が適用されず,同法に基づく健康管理手当等の受給権は失権となることが定められていた。同通達に基づく取扱いは,平成15年3月1日に同通達が改正されるまでの間,継続されていた。

3
前提事実(当事者間に争いがない事実,当裁判所に顕著な事実及び後掲の各証拠により容易に認められる事実)


当事者

原告らは,
現在は韓国内に居住する者であるが,
昭和20年8月9日,

長崎に原爆が投下された時,三菱重工業株式会社(以下三菱重工という。)の旧長崎市内にあった長崎三菱造船所(以下本件造船所という。)に徴用され,旧長崎市内に在った者であるとして,被爆者健康手帳の申請をした者である。

長崎市長(処分行政庁)は,被爆者援護法に基づき,被爆者健康手帳の交付申請を受け,審査を行い,要件が充足される場合には被爆者健康手帳の交付を行う権限を有する者である(前記2⑴)。被告長崎市は,長崎市長が所属する公共団体である。


被告国は,厚生労働省において,原爆被爆者に係る事務を取り扱っている。



被爆者健康手帳の交付申請

原告aについて
原告aは,平成27年5月15日,在釜山日本国総領事館に対し,被爆者健康手帳交付申請に係る申請書を提出し,同申請書は,同月27日,長崎市により受理された(以下,原告aの申請を本件申請1という。)。
長崎市長は,平成28年3月22日付けで,原告aに対し,原爆が投下された際,原告aが旧長崎市内にいた事実を確認することができないとして,本件申請1を却下する処分(以下本件却下処分1と
いう。)をした。


原告bについて
原告bは,平成27年3月30日,在釜山日本国総領事館に対し,被爆者健康手帳交付申請に係る申請書を提出し,同申請書は,同年4月9日,長崎市により受理された(以下,原告bの申請を本件申請2といい,本件申請1と併せて本件各申請という。)。
長崎市長は,平成28年3月22日付けで,原告bに対し,原爆が投下された際,原告bが旧長崎市内にいた事実を確認することができないとして,本件申請2を却下する処分(以下本件却下処分2と
いい,本件却下処分1と併せて本件各却下処分という。)をした。供託書副本に関する事実

長崎供託局(当時)は,昭和23年6月2日,三菱重工から,供託原因を退職金等弁済,指定受取人を3418名として,85万9770円78銭の供託(以下本件供託という。)を受理して受け入れた(甲21,乙2)。


本件供託に係る供託書副本は,昭和45年8月31日付けで廃棄されたが,その理由は,同年3月31日付けで当該副本の保存期間が満了したことによるものであった(乙5)。
なお,一般に,供託金の消滅時効は10年の経過により成立するところ,朝鮮人労務者等に対する未払い金の供託については,消滅時効は完成せず,供託後10年を経過したときは,還付又は取戻しの請求の認可及び時効完成による歳入納付の手続をするべきではない旨の昭和21年から昭和33年にかけての法務省民事局長通達(以下局長通達という。)がある(乙6~8)。
本件訴訟の提起
原告らは,平成28年9月21日,本件訴訟を提起した。

4


争点及びこれに対する当事者の主張
本件義務付けの訴えは,訴訟要件を欠き,不適法であるか(本案前の争点)。

(被告長崎市の主張)
本件各却下処分は,いずれも適法であって,行政事件訴訟法37条の3
第1項2号にいう取り消されるべきものには当たらないから,本件義務付けの訴えは,訴訟要件を欠き,不適法である。
(原告らの主張)
本件各却下処分には,後記⑵及び⑶(原告らの主張)のとおり,違法で取り消されるべきものであるから,本件義務付けの訴えが訴訟要件を欠くことはない。


原告aは,原爆が投下された際,旧長崎市内に在り,法1条1号に該当するか。

(原告aの主張)

原告aは,原爆が長崎に投下された際,旧長崎市c町内にあった本件造船所のd寮にいた。
すなわち,昭和20年8月9日,原告aは,前記d寮の敷地内にある食堂に向かって屋外を歩いていたところ,原爆投下により,突然強い風が吹いて,前記食堂のガラスが割れるなどしたため,背中に傷を負ったのである。
韓国で生まれ育った原告aは,
福岡県八幡市
(以下
八幡市
という。


内にいた原告aの姉の花屋の仕事を手伝うために来日したが,
その後に,
日本八幡貨物自動車に勤務していたところ,徴用通知を受けて本件造船所において勤務するようになった。本件造船所では,熱した鋲を鉄板と鉄板との間に打ち込んで溶接する
カシメ
という作業に従事していた。

以上のとおり,原告aが法1条1号に該当するにもかかわらず,長崎市長がした本件却下処分1は,違法であるから取り消されなければならない。

(被告長崎市の主張)

原告aが,原爆が投下された際,旧長崎市内にいたことは確認できな
い。本件申請1に関する原告aの申述は,他に確認された原告aの申述と比較すると,来日の時期及び年齢,原爆によるものとする怪我の治療の有無について,一貫しない供述となっており,信ぴょう性に疑問がある。そして,原告が本件造船所に勤務していたことを裏付ける証拠はなく,その他に原告の被爆の事実を裏付ける証拠もない。

長崎市長は,本件申請1を受け,原告aから提出された証拠が原告aの申述を裏付けるものであるか否か,申述そのものが合理性を有するか否かなどを検討すべく,慎重かつ総合的に判断を尽くした結果,本件却下処分1をしたものであり,本件却下処分1は違法でない。



原告bは,原爆が投下された際,旧長崎市内に在り,法1条1号に該当するか。

(原告bの主張)

原告bは,原爆が長崎に投下された時,旧長崎市e地区内の本件造船所敷地内にあった防空壕の中にいた。
すなわち,
昭和20年8月9日,
原告bは,
本件造船所e地区内にあっ
たマーキング小屋と称する建物で,鉄板に図面を書き写す作業に従事していたところ,空襲警報が出たため付近の防空壕に避難している間に,原爆が投下され,外が雷のように光った様子や風の音を見聞きした。韓国で生まれ育った原告bは,福岡県大牟田市(以下大牟田市と
いう。)内の菓子店で働くため来日し,その後,徴用通知を受け,昭和18年に本件造船所から終戦に至るまで本件造船所で勤務をしていた。

以上のとおり,原告bが法1条1号に該当するにもかかわらず,長崎市長がした本件却下処分2は,違法であるから取り消されなければならない。

(被告長崎市の主張)


原告bが昭和18年10月1日から昭和20年2月26日まで本件造船所に勤務した事実は認めるが,原爆が投下された際,旧長崎市内にいたことは,確認することができない。原爆投下の際に,旧長崎市内にいたという点に関する原告bの申述には,原爆投下によって本件造船所にはほとんど被害がなかった旨や,原爆投下当日,昼食をとって作業を再開した旨等の他の証拠と整合しない内容が含まれており,信ぴょう性に疑問がある上,原告bが,原爆投下当時に本件造船所において勤務していたことを裏付ける証拠はなく,その他に原告の被爆の事実を裏付ける証拠もない。


長崎市長は,本件申請2に対し,本件申請1に対してと同様,慎重かつ総合的に判断を尽くした結果,本件却下処分2をしたのであり,本件却下処分2は違法でない。



被告らには,
国賠法1条1項の適用上違法と評価される行為があったか。

(原告らの主張)

前記2

アの被爆者援護法の目的に照らせば,同法の適用を日本国内

に滞在することを要件とすべきではなかったのに,被告国は,違法な内容の402号通達を発出し,これによる運用を29年間継続したことにより,その間,法1条1号に該当する者であっても,国外に居住する者は,被爆者健康手帳を取得することができなかった。また,被告国は,402号通達による運用を改定した後,それまでの日本国内における居住を要件とする実務を改めるべく,政令等を明確に整備すべきであったが,被告国は,このような措置をとらなかったばかりか,あくまでも日本国内における居住を要件とするという姿勢を改めず,しかも,長崎市長に対し,その見解に基づく措置を指示してきた。原告らは,被告国の上記の取扱いにより,本件各申請をした際には,被爆から長期間が経過
したため,申請に必要とされる証人を見つけることができなくなったものであり,これは,被告国による証明妨害とも評価し得るものである。加えて,本件供託は,原告ら朝鮮半島出身者らに対する未払い賃金等を供託したものであるのに,被告国は,局長通達に反して本件供託に係る供託書副本を廃棄したものであり,これによっても,原爆が投下された際,原告らが本件造船所に勤務していたことについての証明手段が失われたのである。
長崎市長は,原告らが本件各申請に係る証人を探すことができなかったのは,被告国による証明妨害に起因するものであることにかんがみ,原告らの本件各申請に係る申述を真摯に評価し,被爆者健康手帳を交付すべきであったのに,被告国による前記指示に安易に従い,本件各申請を却下した。
以上のとおりの被告らの行為がいずれも国賠法1条1項の適用上違法と評価されることは明らかである。

原告らは,
長年病魔と闘いながら,
被爆者に対する援護を受けられず,
厳しい生活を強いられてきた上,本件訴訟の提起まで強いられることになったものであり,原告らの精神的苦痛に対する慰謝料は,それぞれ100万円を下らず,弁護士費用についても,それぞれ10万円を下らない。

(被告らの主張)
被爆者援護法に基づく申請を受けた都道府県知事等は,被爆者援護法1条各号所定の要件に該当することを認定するに当たり,提出された証拠の評価や,申述そのものの合理性等について検討するため,できるだけ慎重に審査を尽くす必要がある。証明者がいない場合であっても,それのみによって申請を却下するのではなく,関係者からの聴取結果や過去の資料等
に基づき総合的に判断し,審査を尽くしている。本件各申請を受けた長崎市長も前記の観点から審査を尽くし,その結果,本件各却下処分をしたのであるから,国賠法1条1項の適用上の違法と評価される行為があったとはいえない。
また,本件供託に係る供託書副本は,朝鮮人労務者に係る供託書副本ではないと考えられるから,長崎地方法務局がこれを廃棄したことは,局長通達に違反したものではないし,退職金等弁済の目的でなされた本件供託は,供託者又は被供託者から適法な請求があればこれを払い渡すことを目的としており,この目的のために供託書副本や債権者が多数ある金銭供託について添付される内訳書等の書類を保管するものにすぎないから,供託書副本が廃棄されたことについて,被爆者援護法上の要件該当性の認定に必要な証拠を隠滅したという評価をすることもできない。
第3

当裁判所の判断

1
認定事実
前提事実,証拠(証拠は認定事実ごとに掲記し,いずれも枝番を含む。)及び弁論の全趣旨に照らすと,以下の事実を認定することができる。⑴

原爆が投下された頃の長崎市及び本件造船所の状況

太平洋戦争中,旧長崎市内の長崎港の南西部に位置する海沿いのf,g,h,i,e,j町の各地域には,本件造船所の工場が稼働しており,同工場に勤務する者の中には,徴用された日本人や朝鮮人らも含まれていた(甲3,8,9)。


このうち,e地区は,前記各地区のうち,南側に位置する地区であり,e地区の北側には,船台(ドック)のほか,原図工場,現図場と呼ばれる建物があった。これらの施設から,鉄機工場等を隔て,e地区の南端付近には,マーキング小屋と呼ばれる建物があった。(甲3,甲B4)ウ
本件造船所においては,戦艦や輸送船等の船の組み立て作業が行われていたところ,その工程の中には,鉄板と鉄板とをボルトで締めたり,そのボルトを熱したりしてつなぎ合わる作業があった(甲10)。

e地区から山を隔てた西側に,長崎市k町があり,k町内には本件造船所のk寮と呼ばれる寄宿舎があった。また,本件造船所と海を挟んだ対岸の長崎港の東側に位置する長崎市c町内には,d寮と呼ばれる本件造船所の寄宿舎があった。(甲1~6,8,9)


昭和20年8月9日,長崎市に原爆が投下された。爆心地は,本件造船所の北東であった。原爆投下による本件造船所の被害として,f町,g町,e,j町等における被爆時の被害を紹介した上で,工場施設の屋根や窓等の被害は全域に及び,また,熱風による火傷,落下物やガラスなどの飛散物による負傷者も多数にのぼったとする文献がある。なお,同文献においては,前記各地区にあった人家の被害は,爆心地から3000メートル以上の距離があり,また,東側の海岸線にある本件造船所及び西側の険しい山並みに挟まれた谷間に延びた町であったことから,被害は比較的軽微であり,e地区の人家の被害は1軒だけであったこと,g町にある三菱病院の被害は比較的軽微であったことも紹介されている。(甲9,乙B6)
また,e地区の現図場で勤務していた者が,原爆投下に伴う周辺の被害状況として,窓ガラスや電線が千切れ,工場付近の窓ガラスは1枚も満足に残ったものはなかったと記し,当日は,昼食もとらずに防空壕の中で夕刻まで待機したとする資料(乙B7の1)や,e地区の溶接組立工場で勤務していた者が,同様に,被害状況として,組立工場屋根のトタンが一部はぎ取られ窓ガラスも割れ落ち爆風のためほこりが吸い上げられ,
ものすごい状況であった旨記し,
当日は作業を続ける状況になかっ
たので,上司の命に従って,防空壕に入ったり出たりしていたとする資料(乙B7の2)もある。(乙B6,7)


原告aに関する事実

本件申請1に係る事実
本件申請1に係る申請書(以下本件申請書1という。)には,
被爆の状況及びそれに関連する事情として,原告aは,韓国の雪川普通学校を16歳で卒業し,その年9月(昭和14年,1939年)八幡市内にあった原告aの姉の家で同居した旨,八幡貨物自動車会社で働いていたときに徴用通知を受け,本件造船所において,鉄板と鉄板とをつなぐカシメの仕事をするようになった旨,原爆が落ちた時
は,本件造船所で夜勤をした翌朝,寮へ移動しているときであって,飛んできた破片で負傷した旨,翌日の昭和20年8月10日,病院に入院し,約40日間の治療を受けた旨,原爆が落ちた時,一緒にいた人として,lという人物がいるが,証人は死亡したので証明書を添付することができない旨,当時の家族の状況のうち,姉のm(1922年8月8日生)の当時の住所は八幡市内であったものの,本件申請書1を作成した時点では死亡している旨等の記載がある。なお,同申請書は,原告aの娘が代筆したものであった。(乙A1)
本件申請1の後,被告長崎市の職員は,平成27年6月12日に原告aに宛てて質問書を送付し,
同年7月17日に原告aから回答書
(以
下本件回答1という。)を得た。本件回答1には,原告aは,昭
和15年9月に姉がいた八幡市n町に来て,当初は花売りをしていた旨,昭和19年3月又は同年4月,八幡貨物自動車に勤務していた際に徴用状が来て,列車に乗って長崎市に来た旨,本件造船所でカシメという熱く焼いたリベットで鉄板と鉄板をくっ付ける作業をした旨,
最初は山を越えて歩いて30分位かかるk寮に住んだが,
次に入っ
た名前のわからない寄宿舎から,本件造船所までは遠く,歩いて船着き場まで行き船に乗って本件造船所まで行った旨,原爆が長崎に投下された時は,夜間勤務を終えて寮に到着し,食堂に行こうとする途中であったが,石か何かの欠片が飛んできて腰を怪我し,動けなくなった旨,翌日,同僚らが三菱病院に運んでくれたが,まともに治療を受けられずに寄宿舎に帰ってきた旨が記載されていた。なお,本件回答1には,原告aは,本件造船所において,高いところから転落して怪我をした際,三菱病院に入院したことがある旨,原爆投下後,八幡市内の姉の家で治療を受けた後,姉と一緒に帰国した旨の記載がある。(乙A6)
被告長崎市の職員は,平成27年6月3日付けで,原告aに係る年金記録の有無について照会したところ,同月9日付けで,長崎北年金事務局は,原告aに関し,社会保険オンラインシステムでの確認ができなかった旨回答した。さらに,被告長崎市の職員は,同月10日付けで,原告aの日本名を付し,再度年金記録の有無について照会したところ,同月12日付けで,前同様,社会保険オンラインシステムでの確認ができなかった旨の回答がなされた。(乙A7)
被告長崎市の職員は,本件造船所に対し,原告aの在籍証明書の交付を依頼したところ,平成27年6月23日付けで,原告aに関わる資料は,戦災等で現存しておらず,在籍が確認できない状況であるため,在籍証明書を交付することができない旨の回答を得た。
(乙A8)
原告aが書いた書面と地図を,韓国の原爆被害者を救援する市民の会(以下市民の会という。)に参加しているoが翻訳した内容を
記載した平成28年2月6日付けの書面には,原告aは,昭和14年9月頃,14歳で八幡市n町に住み,花売りをすることになった旨,原告aの姉の家を出た後,木村自動車会社に入社し,助手として勤務した後,八幡貨物自動車会社に転勤して勤務していたところ,徴用を受け,本件造船所に行った旨,本件造船所で働いていた時に終戦になり,n町に戻って帰国した旨等が記載され,昭和15年から20年頃のn町の様子を示す略図が添付されている。(乙A5,証人o)
長崎市長は,本件却下処分1をしたが,これは,原告aが本件造船所に徴用されていた事実に係る記録がないため在籍を確認できなかったこと,八幡市で勤務していた八幡貨物自動車会社を確認できなかったこと,原告aが記憶する人物については名前が分からないため申請内容を確認できなかったこと,その他過去の関係資料も証明人等もいないため,被爆事実を確認できなかったことを理由とするものであった。(乙A2)

原告aの他の供述
原告aについては,本件申請1の手続とは別に,日帝強占下強制動員被害真相究明委員会(以下本件委員会という。)が,平成19
年5月2日,原告aと面談の上,同人から聴き取ったとする内容が,広島・長崎強制動員被害者の原爆体験私の体に刻まれた8月
(以

下本件資料という。)にまとめられており,本件資料を出典とし
て,長崎在日朝鮮人の人権を守る会の編集・発行に係る長崎と朝鮮人第7集(以下本件文献という。)にも掲載されている。これらには,原告aは,八幡市の姉のもとに来日し,花売りをした後,八幡貨物自動車という会社に入社して自動車運転助手をした旨,昭和17年又は18年に徴用通知書を受け取り,日本人に引率されて汽車で長崎市内に行き,本件造船所で勤務することになった旨,初めは,本件造船所からトンネルを隔てて約2キロメートルの位置にある海辺にある寄宿舎に入ったが,後に,本件造船所から船で行き来をする必要がある谷合にある別の寄宿舎に移った旨,本件造船所ではカシメ
という鋲を焼いて鉄板と鉄板をつなげる仕事をし,
その中で
オサエ
をした旨,原爆が投下された前日,米軍の飛行機が,明日,爆弾を落とす旨を記載したビラを撒いた旨,原爆が投下された当日は,夜勤明けであったが,腰に石のような破片が飛んできて動けなくなったところ,同僚らが三菱病院に運んでくれて1か月以上治療を受けた旨,終戦後,八幡市の姉の家に行った旨等の記載がある。(乙A3,4)原告aは,生年月日が1926年5月27日で高齢であり,現在,自宅から外出できる状態ではないところ,o及び原告ら訴訟代理人中鋪美香は,平成30年4月4日,原告aの自宅で同人から本件申請1に関する事実関係を聴取し,同人の陳述書(甲A3。以下原告a陳述書という。)を作成した。その内容は,前記
と概ね同旨である

が,原告aが日本に来たのは14歳の頃であった旨,原爆で負傷した後,周りの人に病院に連れて行ってもらったが,病院はけが人でいっぱいで,満足な治療が受けられず,寄宿舎で消毒薬を塗ってもらった旨の記載において前記

の内容と異なる。oらは,原告aが高齢であ

り,日によって体調も異なり,何度も聞かれるのを嫌がることもあったことから,
原爆で負傷した後に病院で治療を受けたか否かについて,
本件申請書1の内容と異なっていることについて,
確認はしなかった。
(甲A3,証人o)

原告aの負傷の痕跡
原告aには,背骨の腰より少し上の位置に,皮膚と骨が約5mmの深さに陥没して負傷した痕跡がある(甲A4,証人o)。


原告bに関する事実

本件申請2に係る事実
本件申請2に係る申請書(以下本件申請書2という。)には,
被爆の状況及びそれに関連する事情として,
昭和20年8月9日には,
本件造船所において,工員現図工(マーキン)をしていたが,原爆が落ちた時には,近くの防空壕にいた旨,造船所には被害がなく,原爆投下後,空襲警報が解除され昼食をとっていつもどおりに作業に従事した旨,翌日の出勤時には,前日の空襲により家屋や家族の被害が原因で工員の3分の1が欠勤であった旨,同月17日,k町の港から朝鮮のp港まで船によって帰国した旨,造船所において親友が数人あったが,全員その後の行方が分からない旨が記載されている。
(乙B1)
被告長崎市の職員は,本件申請2がされた後の平成27年4月から同年6月にかけ,原告bから聴取を行った。原告bは,その際,大牟田市内のq製菓店で働くために来日した旨,動員令状が来たため長崎市内に行き,最初は,長崎駅前の紡績工場で軍事教育等を約1か月受けた旨,それから,昭和18年9月にk寮に移った旨,本件造船所では第一工場でマーキン(設計)部に現図工として稼働していた旨,途中でr寮に移った旨,職場ではsと呼ばれていた旨,原爆が落ちた時は,第一工場の中の防空壕に同じ組の人と一緒にいた旨,第一工場やk寮には原爆による被害はなかった旨,昭和20年2月以後も終戦まで本件造船所に勤務しており,原爆が落ちた日は,知人のtの実家である寺に泊まった旨,同月17日,k港から韓国のp港まで船で帰った旨等の回答(以下本件回答2という。)をした。(乙B9,1
0)
被告長崎市の職員は,平成27年5月22日付けで,原告bに係る年金記録の有無について照会したところ,同月27日付けで,長崎北年金事務所は,厚生年金資格について,昭和18年10月1日から昭和20年2月26日までの間,三菱重工の本件造船所を勤務先とし,当時の住所をk寮又は長崎市r町内の本件造船所r寮とする記録がある旨回答した(乙B8)。
本件申請2がされた後,
在外被爆者連絡会から,
原告bの供述を聴
き取ったとする書面(以下原告b聴取書という。)が,平成27
年12月7日,長崎市に提出された。同書面には,原爆投下より前の出来事として,小学校を卒業して間もなく,14歳頃に大牟田の菓子店において働いていた旨,昭和18年8月に徴用令状を受けて長崎市内に来た旨,最初は,長崎駅前の紡績会社に住んで約1か月軍事教育を受けた旨,その後,本件造船所に徴用され,当初はk寮に入寮し,鉄板に穴を空ける仕事をしたところ,体調不良を契機として,軍医の指示により,
原図工をするようになった旨,
昭和19年12月頃には,
k寮からr寮という寮に移った旨が記載されていたほか,原爆投下当日及びその後の出来事として,出勤して空襲警報が鳴ったので,j町の方にあった防空壕にいたところ,光がパチッとして,にわか雨の降るように風がヂュッと音がするのを経験した旨,
原告bの作業場所は,
本件造船所の船台から100メートル程度離れており,間に鉄板が高く積まれていたため,大した被害がなく,原爆投下当日の午後もそのまま仕事をした旨,当日は,大牟田で知り合って長崎の実家に帰ってきていたtという人物方に泊まった旨,同月17日に朝鮮のpに行く船があることを知り,乗せてもらった旨等が記載されていた。(乙B3)
長崎市長は,本件却下処分2をしたが,これは,原告bが原爆投下当時,本件造船所に勤務していたことを確認することができず,原告が述べるtについては同人がいたことを確認できなかったこと,その他関係資料を調査したが,原告bの被爆事実を確認できなかったことを理由とするものであった(乙B2)。

原告bの他の供述
原告bについては,本件申請2の手続とは別に,本件委員会が,平成19年3月29日,原告bと面談の上,同人から聴き取ったとする内容が,本件資料にまとめられており,本件文献にも掲載されている。これらには,原告bは,14歳の時に,大牟田市内のqという菓子店で勤務するために来日した旨,徴用により長崎市内に来て,最初は,過去に紡績工場であったのを改造した寄宿舎に連れて行かれ,1か月教育を受けた旨,その後,本件造船所においてカシメの仕事をしたが,体調を崩し,軍医に診てもらった旨,その後,現図工として稼働した旨,原爆が落ちた時には,本件造船所は落ちたところから離れていたため,怪我はしなかった旨,その後,韓国のpに行く船があるというので乗船して帰ってきた旨等が詳細に記載されている。(乙B4,5)


原告bの年金記録に関する事実
原告bは,平成26年頃,日本年金機構に対し,自己の年金記録を照会したところ,同姓同名だが,生年月日が異なる者がいる旨の回答がされた。oが同機構に確認したところ,原告bが日本で使用していたsという氏名で,長崎県内で該当する者の生年月日は大正14年11月24日となっているとされた。しかし,その後,原告bに対し,生年月日が大正14年11月14日と正しく記載され,資格取得を昭和18年10月1日,資格喪失を昭和20年2月26日とする企業名のない年金手帳が送付された。(甲20)


供託書副本に関する事実

長崎地方法務局に保存されている供託金原簿上は,本件供託は,指定受取人として漢字4文字の氏名及び
他3417名
と記載されており,
前記氏名の最初の3文字はuであるものの,最後の1文字は判読が困難である(甲19)。


国立公文書館つくば分館に保存されている労働省調査朝鮮人に対する賃金未払債と題する文書には,長崎供託局が,昭和23年6月2日,本件造船所に関し,積立金や退職金等の現金として3406人,85万9770円78銭の供託を受け入れた旨が記載されている(甲22)。本件各申請の契機
原告らは,本件資料を読んだoが,市民の会等を通じて勧めたことによ
り,本件各申請をした(甲22,証人o)。
2
争点

(本件義務付けの訴えは,訴訟要件を欠き,不適法であるか。)及
(原告aは,原爆が投下された際,旧長崎市内に在り,法1条1号に該
当するか。)について
原告aは,前記第2の4

(原告aの主張)アのとおり,原爆が投下さ

れた際,旧長崎市内のd寮にいた旨主張し,原告a陳述書,本件申請書1,本件回答1,本件資料及び本件文献における同人の説明(以下,以上のものを併せて原告aの供述という。)の内容も同旨である。
そこで,原告aの供述の信用性について検討すると,同人の供述は,同人が,姉が八幡市内に居住していたことから,来日した点,八幡貨物自動車で勤務していた際に徴用され,汽車(列車)で長崎市内に来た点,本件造船所でカシメの仕事をしていた点,当初は,k寮で生活をしていたが,その後,本件造船所まで船も利用する位置にある寄宿舎に移った点,原爆が長崎市に投下された時は,夜勤明けであった点,原爆投下の際に飛んできた石か何かが腰に当たって負傷し,動けなくなった点において,一貫しており,かつ,来日から被爆に至るまでの経緯にも不合理・不自然な点がなく,内容も相当程度具体的であり,自らの体験を語るものとして不自然ではない。また,同人の説明における寄宿舎についても,前記第3の1
エの当時の寄宿舎の位置関係に整合し,本件造船所において従事した
とする職務内容も,同ウの内容と矛盾しない。加えて,同人が原爆によって負傷したことは,前記第3の1

ウの負傷の痕跡とも符合する。以上の

点を総合すると,原告aの供述は基本的に信用性が高いといえる。これに対し,被告らは,

原告aの来日の時期及び年齢並びに

原爆投

下によって負傷した後の入院や治療状況について,申述が一貫せず,

告aの供述を裏付ける証拠もない旨を主張する。
しかし,前記

のうち年齢の点については,証拠(証人o)によれば,

韓国では,年齢について満年齢ではなく,いわゆる数え年を指すことがあることが認められ,その違いにより一貫しなかった可能性があると認められるから,年齢の相違によって信用性を否定すべきとは言えず,また,時期についても,当時から70年以上が経過していることや原告aの年齢等にかんがみれば,記憶が減退しても不自然ではなく,この点によって,原告aが来日し,原爆投下時に旧長崎市にいたという同人の供述の中核部分の信用性が減殺されるものとはいえない。また,前記

の点については,

原爆による怪我の治療に関わる部分の供述ではあるものの,
背部に傷を負っ
て病院に運ばれたという部分については一貫している上,背部の負傷の痕跡が残存しており,原告aの供述によれば,同人は,原爆による受傷とは別に,三菱病院で入院治療を受けた事実がある可能性があることにもかんがみると,長期間の経過によって原爆による受傷と同事実とが混同するなどしてもあながち不自然ではない。そうすると,この点に係る供述が一貫しないことも,同人の供述の中核部分の信用性には影響しないというべきである。
さらに,前記

の点についてみると,原告aが原爆投下時に長崎市内に

在ったことを直接裏付ける証拠はないものの,前記のとおり,原爆投下時から70年以上が経過しており,裏付けの対象が,戦争中の甚大な被害をもたらした原爆投下に係る事項であることに照らせば,関係者が死亡したり,その他の証拠が散逸したりすることも十分にあり得ることであり,前記の証拠がないとしても不自然ではなく,このことによって,原告aの供述の信用性が否定されるとはいえない。
以上のとおり,原告aの供述は,その中核部分の信用性を肯定することができるから,原告aは,原爆が長崎に投下された当時,旧長崎市の区域内にいたと認めるのが相当である。
したがって,これと反して,長崎に原爆が投下された際,原告aが旧長崎市内にいたことを認定できないとして,原告aの被爆者健康手帳の申請を却下した本件処分は違法であり,取り消されるべきである。そして,これをもとにすれば,義務付けの訴えにおける訴訟要件は充足される。3
争点

(本件義務付けの訴えは,訴訟要件を欠き,不適法であるか。)及
(原告bは,原爆が投下された際,旧長崎市内に在り,法1条1号に該
当するか。)について
原告bは,前記第2の4

(原告bの主張)アのとおり,大牟田市内の

菓子店で働くために来日し,昭和18年から終戦に至るまで本件造船所で勤務し,原爆が投下された際,本件造船所敷地内にあった防空壕の中にいた旨主張する。
そして,原告bは,本人尋問において,13歳のとき,国民学校を卒業し,福岡県大牟田市内の製菓店に入り,6年間働いた旨,昭和18年8月頃,徴用令状が来て長崎市内に到着し,長崎駅前のv寮に収容され,訓練を受けた旨,その後,k寮に入ったが,d寮とr寮に分かれて移ることになり,原告bは,r寮に移った旨,r寮からは,波止場まで行き,波止場から船で本件造船所まで通勤した旨,本件造船所では,当初は穴開け工として稼働していたが,病気になり,治療を受けた後,食堂に行けと言われたものの,原図工を希望したところ,原図工の作業場所であるマーキング小屋に行くことになった旨,マーキング小屋は,本件造船所内の一番南の方にあった旨,マーキング小屋は,壁がなく,床と天井だけがあった旨,同僚の中には熊本第五高校から来たwとxという高校生がいた旨,原爆が落ちた日は,仕事をしていたところ,空襲警報が鳴ったので防空壕に入ったところ,ピカッと光り,サーッという風の音が聞こえた旨,昼頃まで防空壕にいた旨,翌日は欠勤した者が多かった旨,原告bは,原爆が投下された日の当日は,長崎市街が破壊されていると聞いたため,本件造船所の対岸にあるr寮に帰らず,tの家に泊まった旨,終戦後の昭和20年8月17日に,k町から朝鮮のp港行きの船に乗り,帰った旨,マーキング小屋の付近には被害がなかったが,その他の場所には普段は行き来がほとんどなかったから,被害の状況は分からないし,被害の様子を聴く機会もなかった旨供述する。
原告b本人の供述に関し,昭和18年10月1日から昭和20年2月26日までの間については,前記第3の2


のとおり,本件造船所で勤

務していたことを裏付ける厚生年金資格に関する証拠がある上,本件申請書2,本件回答2,原告b聴取書,本件資料及び本件文献における原告bの説明と比較した場合,原告bが,大牟田市内の菓子店で働くために来日した点,徴用され,長崎市内に来て,当初は,長崎駅前の紡績関係の建物で教育を受けた点,その後,k寮に入寮し,本件造船所で穴開け工をしていた点,その後,マーキン(設計)部の現図工に変わったという点,k寮からr寮に移った点,原爆が投下された際は,現図工として出勤していたが,防空壕に入った点,その日の夜は知人のtの家に泊まった点,昭和20年8月17日に,韓国のp港行きの船で帰国した点において一貫しており,かつ,来日から被爆に至るまでの経緯にも不合理・不自然な点がなく,内容も相当程度具体的であり,自らの体験を語るものとして不自然ではない。また,本件造船所における作業内容について,前記第3の1

イ及び

ウの事実と整合し,r寮は確認できていないものの,少なくとも,k寮については同エのとおり存在が確認できる。以上の点に照らせば,原告bの供述の中核部分は信用できるというべきである。
以上に対し,被告らは,

原爆の投下による本件造船所の被害状況や原

爆投下後の作業再開に係る供述が,
他の証拠と整合しない旨指摘するほか,
厚生年金記録が残存していない昭和20年2月27日以降について,朝鮮人労務者らが徴用先から逃亡する例に言及し,原告b本人の同日以降に関する供述を裏付ける証拠がない旨主張する。
しかし,前記

の点については,前記第3の1

ア,イ及びオのとおり,

本件造船所の工場等は複数の地域に広がって存在していたところ,マーキング小屋がe地区の南端にあり,爆心地からは遠い方であったこと,同オによれば,本件造船所付近における原爆投下による建物被害の様子は必ずしも一様ではなかったと窺われる事実に照らせば,原告bの供述は,必ずしも他の証拠と整合しないともいえない。
前記

の点については,原告b本人が,昭和20年2月27日以降も本

件造船所に勤務し続けた旨,逃亡した場合には刑務所に入れられるから考えたこともない旨供述していることに加え,前記第3の1

ウのとおり,

原告bについて,年金手帳が送付されたものの,当初,生年月日が異なると回答されたことに照らし,厚生年金資格の終期についても誤記がある可能性を否定できないことなどを考慮すると,厚生年金資格が同日以降ないとされていることによって,原告bの供述の信用性を否定することはできない。
前記

の点について,原告aにおける検討と同様,原爆投下時から70

年以上が経過しており,裏付けの対象が,戦争中の甚大な被害をもたらした原爆投下に係る事項であることに照らせば,関係者が死亡したり,その他の証拠が散逸したりすることも十分にあり得ることであり,前記の証拠がないとしても不自然ではなく,このことによって,原告bの供述の信用性が否定されるとはいえない。
以上のとおり,原告bの供述は,原爆投下時に本件造船所の敷地内の防空壕にいたという部分についても,その信用性を肯定することができるから,原告bは,原爆が長崎に投下された当時,旧長崎市の区域内にいたと認めるのが相当である。
したがって,これと反して,長崎に原爆が投下された際,原告bが旧長崎市内にいたことを認定できないとして,原告bの被爆者健康手帳の申請を却下した本件処分は違法であり,取り消されるべきである。そして,これをもとにすれば,義務付けの訴えにおける訴訟要件は充足される。4
争点(被告らには,
国賠法1条1項の適用上違法と評価される行為があっ
たか。)について


国賠法1条1項にいう違法とは,公権力の行使に当たる公務員が,個別に国民に対して負担する職務上の法的義務に違背することをいい(最高裁判所昭和60年11月21日民集39巻7号1512頁),行政処分に取り消されるべき違法があった場合に,ただちに国賠法1条1項において違法と評価されるものではなく,当該公務員の職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と当該行為をしたと認め得るような事情がある場合に限り,違法の評価を受けると解される(最高裁判所平成5年3月11日民集47巻4号2863頁参照)。
前記第2の4

の(原告らの主張)の被告国の行為に関する主張のうち

402号通達の発出及び運用並びにその改定後の不作為の点について,前記第3の1




イ及び

の事実によれば,原告らが本件各申請をし

た契機は,oが勧めたことによるものであり,その時期は,本件資料が作成された後の平成19年頃以降と考えられるところ,この経緯と時期に照らせば,402号通達がなかったとした場合や被告国が402号通達による運用を改定した後に原告らが主張する措置を講じていたとした場合に,原告らが,本件各申請がされた時期より早い時期に被爆者健康手帳の交付申請をしたかどうかは明らかでなく,原告らが,402号通達やその改定後の被告国の不作為によって被爆者健康手帳の交付申請を阻まれたとは認められず,被告国による原告らに対する証明妨害があったと評価することはできない。原告らの主張のうち,被告国が,402号通達を改定した後も,日本における居住を要件とするとの申請を改めず,長崎市長に対し,これに基づく措置を指示してきたという点については立証がない。また,長崎地方法務局が,本件供託に係る供託書副本を廃棄したことについて,前記第2の3

及び前記第3の1

の各事実を総合すると,本件

供託は朝鮮人労働者の退職金等を供託したものであり,供託原簿に記載されている氏名は,
朝鮮人労働者の創氏改名後の氏名であると推認できるが,
供託原簿に記載されている氏名が創氏改名後の氏名であることにより,一見して朝鮮人労働者であることが区別できるかどうかが不明であること,原告らの氏名が,本件供託に係る供託書副本に記載されているかどうか不明であることに照らせば,長崎地方法務局が,本件供託に係る供託書副本を廃棄したことが,原告らに対する証明妨害に当たるということはできない。
原告らの主張のうち,長崎市長による本件各却下処分が違法であることを主張する点について,被爆者援護法に基づく被爆者健康手帳の審査・交付に当たっては,前記第3の2及び3のとおり,原爆投下から長期間が経過し,証拠の収集が困難であるという観点も考慮に入れる必要があるものの,他方で,真に,被爆者と認定し得るのか否かを慎重に吟味すべき要請も当然に認められる。そして,被告長崎市の職員らにおいては,本件各申請を受理した後,第三者による証明書や証人がないことから直ちに却下処分とするなどの対応をせず,原告らから提出された資料のほか,被告長崎市の職員ら自ら原告らに対する調査を行い,被告長崎市が把握し得る範囲で資料との整合性について調査を行うなど,
必要な審査を行い,
その上で,
前記第3の1


及び


のとおりの理由により本件各却下処分に

至ったものであり,通常尽くすべき注意義務を尽くさなかったとはいえない。したがって,前記のとおり,結果的に本件各却下処分が取り消されるべきものであることを前提としても,被告長崎市の職員らの行為に国家賠償法1条1項にいう違法があったと評価することはできない。
よって,争点
第4

に係る原告らの主張を採用することはできない。

結論
以上のとおり,原告らの請求は,本件各却下処分の取消し及び原告らに対
する被爆者健康手帳の交付の義務付けを求める部分については理由があるから,これらをいずれも認容し,その余の請求にはいずれも理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。
長崎地方裁判所民事部
裁判長裁判官

武田瑞佳裁判官堀田秀一裁判官小島務
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